『紙の爆弾』も『NO NUKES voice』も、ほぼ毎回紹介記事を書かせていただいているが、提灯記事を書いても仕方がないので、すこしばかり批評を。なお、全体のコンテンツなどは、12月11日付の松岡代表の記事でお読みください。
今号は、松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志の「ふたたび、さらば反原連! 反原連の『活動休止』について」と富岡幸一郎・板坂剛の対談「三島死後五〇年、核と大衆の今」がならび、ややきな臭い誌面になっている。くわえて、わたしの「追悼、中曽根康弘」、三上治の「政局もの」という具合に、反原発運動誌にしては暴露ものっぽい雰囲気だ。
運動誌の制約は、日時や場所が多少ちがっても、記事のテンションや論調がまったく同じになってしまうところにある。いまも出ている新左翼の機関紙を読めば一目瞭然だが、20年前の、いや30年も40年前の紙面とほとんど違いがない、意地のような「一貫性」がそこにある。これが運動誌の宿命であり、持続する運動の強さに担保されたものだ。
そのいっぽうでマンネリ化が避けられず、飽きられやすい誌面ともいえる。その意味では『NO NUKES voice』も、編集委員会の企画にかける苦労はひとしおではないだろう。
◆記事のおもしろさとは?
暴露雑誌も運動誌も、けっきょくはファクト(事実)の新鮮さ。あるいは解説のおもしろさ、言いかえれば文章のおもしろさだ。
たとえば新聞記事は事件の「事実」を挙げて、その「原因」「理由」を解説する。わかりやすさがその身上ということになる。したがって、事実ではない憶測や主張は極力ひかえられ、正確さが問われるのだ。新聞記事は、だから総じて面白くない。日々の情報をもとめる読者に向けて、見出しは公平性、解説はニュートラルなもの、一般的な社会常識に裏付けられたものが必要とされるのだ。
これに対して、週刊誌は見出しで誘う。新聞やネットニュースの速報性には敵わないが、事件を深堀することで読者の興味をあおる。そして文章においても、新聞記事とはぎゃくの方法を採ることになる。事実ではなく、憶測から入るのだ。事実ではなく、疑惑から入るのだ。文章構成をちょうど逆にしてしまえば、新聞記事と雑誌記事は似たようなものになる。
じっさいに、わたしが実話誌時代に先輩から教えられたことを紹介しておこう。ある事実をもとに、それが総理大臣の親しい人物の女性スキャンダルだったら、見出しは「驚愕の事実! 総理官邸で乱交パーティーか?」ということになる。女性スキャンダルにまみれた人物と総理の関係を書きたて、いかに総理の周辺にスキャンダラスな雰囲気があり、あたかも総理官邸でそのスキャンダルが起きたかのごとく、そしてそれが乱交パーティーではないかという噂をあおる。その噂は「情報筋」のものとされ、最後に事実(他誌の先行記事=多くの場合週刊誌)がそれを裏付ける。
わずかな煙で、あたかも大火災が起きたかのように書き立てるのだ。これをやったら新聞記者はクビになるが、実話誌の編集者(実話誌に記者などいません)は、その見出しの卓抜さをほめられる。もちろん嘘を書いているわけではない。
では、運動誌でそんなことをやってもいいのか、ということになる。ダメです。はったりの実話誌風の見出しは立てられませんし、噂だけで記事をつくるのは読者への裏切りになることでしょう。
だからといって、おもしろくないレポートを淡々と書いていれば良い、というわけでもない。とりわけ市民活動家の場合は、書くことに慣れてしまっているから、ぎゃくに文章を工夫しない癖がついている。できれば、わたしの実話誌崩れの悪文や板坂剛の破天荒な文章から、よいところだけ真似てほしいと思うこのごろだ。
それほど難しいことではない。たとえば「ところで」「じつは」「信じられないことだが」「あにはからんや」という反転導入で、読者を思いがけないところに連れてゆく。いつも読んでいる週刊誌のアンカーの手法を真似ればよいのだ。
◆反原連による大衆運動の放棄
記事の批評に入ろう。
松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志の反原連への批判、とくにその中途半端な活動停止宣言への批判は、いつもながら凄まじい。ひとつひとつが正論で、たとえばカネがなくなったから活動をやめるという彼らは、福島の人々の被災者をやめられない現実をどう考えるのか。あるいはなおざりな会計報告、警備警察との癒着という、市民運動にはあるまじき実態を、あますところなく暴露する。
これらのことは首都圏の運動世界では公然たる事実になっているが、全国の心ある反原発運動に取り組む人々に発信されるのは、非常にいいことであろう。少なくとも運動への批判、反批判は言論をつうじて行なわれるべきものであって、絶縁や義絶をもって関係を絶つことは、運動(対話)の放棄にほかならない。
◆デマやガセこそが、仮説として研究を推進する
富岡浩一郎と板坂剛の対談「三島死後五十年、核と大衆の今」にある、25年ぶりの対談というのは、文中にあるとおり鈴木邦男をまじえたイベントいらいという意味である。
じつは当時、夏目書房から板坂剛が「極説・三島由紀夫」「真説・三島由紀夫」を上梓したことで、ロフトプラスワンでのイベントになったのである。板坂が日本刀を持参し、鈴木邦男の咽喉もとに突き付けて身動きさせないという、珍無類の鼎談になったものだ。
板坂は「噂の真相」誌でたびたび、三島由紀夫の記事を書いていたので、おもしろい! こいつはひとつ、本にしてみたら。というわけで、夏目社長とわたしが岡留安則さん(故人)に連絡先を訊き出し、初台にあったアルテフラメンコの事務所に板坂さん(このあたりは敬称で)を訪ねたのを憶えている。富岡さんはすでに関東学院大学の教授で、イベントそれ自体を引き締める役割だった。
今回の記事は、いまや鎌倉文学館の館長という栄えある役職にある富岡幸一郎が、三島研究においては独自の視角から、いわば暴露主義的な業績を積んできた板坂の投げかける警句に、やむをえず応じながらそれを諫めるという、妙味のあるものとなった。
たとえば、ノーベル賞作家川端康成の晩年には、いくつかの代筆説がある。在野の三島研究者・安藤武が唱えたものだが、「山の音」「古都」「千羽鶴」「眠れる美女」を代筆したのが、北条誠、澤野久雄、三島由紀夫だというのだ。当時、川端康成は睡眠薬中毒で、執筆どころではなかったと言われている。真相はどうなのだろうか?
注目すべきことに、いまや三島研究の権威ともいうべき富岡も「『古都』の最後はそうかもしれない」と、認めているのだ。ガセであれデマであれ、それが活字化されることで、本筋の研究者たちも目を皿にして「分析」したのであろう。それは真っ当な研究態度であり、作品研究とはそこまで踏み込むべきものである。あっぱれ!
わたしの「中曽根康弘・日本原子力政策の父の功罪」は、知識のある方ならご存じのことばかりだが、史料的に中曽根海軍主計少佐の従軍慰安所づくりは、ネトウヨの従軍慰安婦なかった論に対抗するネタとしてほしい。中曽根が原発計画を悔恨していたのも事実である。もって瞑目すべし。
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。