明日4月1日から、わいせつ行為によりクビになった教員の名前を簡単に調べられるようになる。文部科学省がわいせつ教員撲滅対策の一環として省令を改正したことによる。

というのも、教員は免許を失効した場合でも、3年たてば免許を再取得できる。そのため、これまではわいせつ行為でクビになった教員が過去を隠し、教員として再雇用されるケースがあった。今回の改正省令はそれを防ぐため、教員が免許を失効するなどした事由が懲戒免職もしくは解雇である場合、処分の理由を5つの類型に分けて官報に記載するように定めたのだ。

5つの類型とは、
(1)18歳未満の者や勤務校の生徒に対するわいせつ行為やセクハラ、
(2)それ以外のわいせつ行為やセクハラ、
(3)交通法規違反もしくは交通事故、
(4)教員の職務に関して行った非違、
(5)前記4点以外の理由──である。

これにより、学校側はわいせつ処分歴のある元教員をそうとは知らずに雇用することを防げるわけだ。

この改正について、世間には歓迎する声が圧倒的多数である。しかし、見過ごせない問題もある。「わいせつ教員」という濡れ衣を着せられた冤罪被害者に対する「セカンド冤罪被害」だ。

文科省の省令改正を歓迎する声が多いが……

◆当欄で紹介した「わいせつ冤罪被害者」の元教員は今……

筆者は当欄で以前、以下の2つの記事を発表した。

◎冤罪・名古屋の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が年度内に決着へ(2018年2月21日)

◎名古屋の元小学校教師、喜邑拓也さん「強制わいせつ」事件で冤罪判決(2018年4月6日)

この2つの記事に出てくる喜邑拓也さんは、担任していたクラスの小1女児に対し、わいせつ行為をはたらいたとして処罰された元教員だ。裁判での検察側の主張によると、喜村さんは掃除の時間中に「被害児童」に対し、「おっぱい」と言いながら服の中に手を入れ、胸を触った──とのことだった。

しかし、この事件はあまりにも明白な冤罪だった。何しろ、「事件」があったとされる時、教室には20人程度の生徒がいながら、喜邑さんのそのような「犯行」を目撃した生徒は皆無なのだ。そもそも、それほど大勢の生徒がいる場所で、教師がそのような犯行に及ぶということ自体、現実味に欠ける話だというほかない。

実際問題、喜邑さんの犯行を裏づける唯一の直接的証拠である「被害女児」の供述は内容に大きな変遷があり、ただでさえ信頼性に疑問符がついた。心理学者によると、「確証バイアスを持った母親が女児から被害状況を聞き取る中、女児が虚偽の記憶を植え付けられた可能性がある」とのことで、心理学的にも女児は「存在しない被害」を訴えている可能性が指摘されていたわけだ。

一方、冤罪を主張する喜邑さんは裁判で「事件」の真相について、「掃除の時間に教師の事務机で漢字ノートの採点をしていたら、女児がチリトリにゴミをたくさん取って見せてきた。頭を撫でてやろうとしたら、手が女児の首からアゴのあたりに触れてしまっただけです」と主張していたが、きわめて自然な話であり、どちらの主張に信ぴょう性があるかは明らかだったが…。

名古屋地裁の裁判官は、「女児の供述内容は具体的で、実際に体験した者でしか語れない内容」(判決より)であるとして、喜邑さんに懲役2年・執行猶予3年の判決を宣告した。そして喜邑さんは控訴、上告も退けられて有罪が確定。当然、教員はできなくなり、現在は別の職業についている。喜邑さんは事件前、教育熱心な音楽の先生として生徒にも父兄にも慕われていたが、再び教師として働くのは極めて難しいだろう。

◆生徒に対する教員の「わいせつ冤罪」は無実を訴えること自体が難しい

教員が懲戒免職などになった理由を官報で検索できようになるのは、改正省令が施行される4月1日以降の処分についてだけである。それ以前にわいせつ行為で処分を受けた教員に遡って適用されるわけではない。そのため、喜村さんは今回の省令改正により不利益を受けるわけではない。

しかし、筆者のこれまでの取材経験上、同様の冤罪被害に遭っている教員は決して少なくない。しかも、この類型の冤罪は、冤罪被害者が公の場で無実を訴えること自体が極めて難しい。無実を訴えるためには、教え子である未成年の女性の主張が間違っていることを伝えないといけないためである。

今回の省令改正は、わいせつ教師の撲滅のために有効なのは確かだろう。だが一方で、喜邑さんのような冤罪被害に遭った教員が「わいせつ教師」のレッテルを貼られ、今まで以上に長く苦しまないといけなくなるわけで、「セカンド冤罪被害」が深刻化することも確実だ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆覚せい剤を入れたお茶を飲ませた警察官

3月19日、名古屋地裁(板津正道裁判長)は、「覚醒剤取締法違反(使用)」の罪に問われていた男性に無罪判決(求刑懲役3年6ケ月)を言い渡した。男性は2019年12月5日覚醒剤使用で逮捕、起訴されたが、当初から本人は使用を否定していた。男性は、逮捕後の取り調べ中、警察官に紙コップのお茶や水を20~30杯出され飲み、翌日の尿検査(強制採尿)で尿から覚醒剤成分が検出され逮捕されていた。

愛知県警の内部規定には、未開封の飲料を渡し、本人が開封すると規定されていたが、警察官は、男性が見ていない状況で飲み物を準備していた。また男性が「お茶がすごく苦いことがあった」と供述していたことなどから、判決は「異物が混入されなかったことを裏付ける積極的な証拠は見当たらない」と指摘、「自己の意思で覚醒剤を摂取したと認めるには合理的な疑いが残る」として無罪を言い渡した。

さらに起訴後に警官が男性に、被告の兄の名前で2万円を送ったことや、取り調べ中、男性に携帯電話を使わせたことなどについて、不当な便宜供与をしたと認定、「捜査が適正に行われたことを疑わせる事情が複数存在する。警察官が被告に提供した飲料に覚醒剤が混入されていた可能性は相当な確からしさを持っている」と述べた。

求刑が3年6ケ月出されていることから、男性には同罪の前科があると考えられる。しかし、だからといって、今回もやっているはずと決めつけ捜査をすることは、判断を誤らせ冤罪を作ることにもなりかねず、絶対に許されない。
 
◆ゴミ置き場から拾った注射器を証拠に置くマトリ

違法な捜査で証拠を捏造するなどし、覚醒剤事件をでっち上げるのは、警察官だけではない。2019年9月25日、大阪地裁(渡部市郎裁判長)は、覚醒剤取締法違反で起訴されていた男性被告(57)に無罪判決が言い渡したが、男性をでっち上げたのは、警察ではなく、近畿厚生局麻薬取締部(マトリ)たった。

男性は、2017年マトリに自宅マンションの捜査を受けた際、洗面台の上に置かれていたポリ袋から覚醒剤が検出されたとして、覚醒剤所持容疑で逮捕された。段ボール箱からは注射器も発見されていた。その後の尿検査で覚醒剤反応があり使用でも逮捕された。使用は男性自身も認めていた。

しかし、男性は、覚醒剤を使用したあと、覚醒剤が入っていたポリ袋や注射器などをマンション外のゴミ置き場に捨てていたため、部屋に残っているはずはないと主張。男性は、自身の携帯電話の行動履歴アプリを弁護人に確認してもらったところ、確かにその日男性はマンション外のゴミ置き場にゴミ出しに行っていた。弁護人が検察に、押収した男性のマンション入口の防犯カメラの開示を求めたところ、その前後の日にちの映像はあるものの、男性が捨てたと主張する日の映像だけは存在しなかった。弁護人がその理由を尋ねると検察は「言えない」と答えたのである。当日は筆者も公判を傍聴していたが、傍聴席からは思わず失笑が漏れた。

マトリは、男性が捨てたごみから、覚せい剤の入っていたポリ袋や注射器を盗み、捜索現場に持ち込み、洗面台などに置いたのである。マトリが捜索開始すぐに撮影した洗面台の写真にはポリ袋は写っておらず、1時間半後の写真には写っている。9人もの捜査員で探したがブツが見つからなかったため、拾っておいた「証拠品」を置き、発見してみせたのだ。段ボールに入れられた注射器は、隠すことなく一番上に無造作に置かれていたという。

大阪地裁は、これらのポリ袋、注射器などを証拠から排除し、男性に無罪判決を言い渡したのである。

男性が使用を認めているのに、無罪はおかしいと考える読者も多いだろう。しかし、憲法や刑事訴訟法などでは、自白の偏重を防止するため、自白が被告人に不利益な唯一の証拠である場合、自白以外の他の証拠を必要とするとしている。その証拠が捏造されていたのだから、自白だけでは有罪にできず、無罪となるのだ。
 
◆尿をすり替えた科捜研の女

覚せい剤を飲み物にこっそり混入させて飲ませたり、ごみ置き場から拾ってきた注射器を捜索時に持ち込み、証拠を捏造するのは警察官やマトリだけではない。覚せい剤使用で逮捕した男性から採尿した尿をすり替えた科学捜査研究所の研究員もいる。この事件を徹底して追っていたジャーナリストの寺澤有さんが「黒い科捜研の女」と呼ぶ高木雅子研究員だ。2016年3月16日、東京地裁立川支部(深野英一裁判官)は、覚醒剤使用で逮捕、起訴された男性に対して、「警察内部で尿がすり替えられた疑いがある」として無罪判決を言い渡した。

寺澤氏の報告によれば、この事件では「被告人の強制採尿に立ち会っていない警察官が、あたかも自分が立ち会っていたかのような調書を作成し、検察が公判へ証拠提出しましたが、警察官の証人尋問で虚偽公文書作成が発覚しています」(2016年3月16日寺澤氏のTwitterから)など、警察が組織ぐるみで失態を隠蔽しようとしたことは明らかだ。寺澤氏はこの件で、2016年4月5日に行われた国家公安委員長記者会見で、当時の国家公安委員長・河野太郎氏に質問を行った動画をぜひ視聴していただきたい。


◎[参考動画]河野太郎国家公安委員長記者会見(寺澤有 2016年3月18日)


◎[参考動画]河野太郎国家公安委員長記者会見(寺澤有 2016年4月5日)

この中で、寺澤氏は、無罪が確定した男性は、3月に採尿されたが、逮捕は2ケ月後の5月。採尿後すくに科捜研に送られ陰性か陽性か確認するはずだが、2ケ月遅れたのは何故か? 元被告人が逮捕された昨年5月は、警視庁の覚醒剤取り締まりの強化月間で、現場の捜査員にノルマをかけていた月であったと知っているかと尋ねている。河野氏は、「聞いてない」と答えているが、さらに寺澤氏は、やはりノルマに追われた警察官3人が、ホームレスのカバンに覚醒剤を入れたり、市民の車の中に覚醒剤をおいて覚醒剤事件をでっち上げた警視庁城東署事件(1997年)を例にあげ、「何故20年間も進歩がないのか」と尋ねている。

元北海道警察警視長で警察ジャーナリストの原田宏二氏は「警視庁はじめ多くの都道府県警では地域警察官に対して、努力目標として、年(月)間の職質による検挙件数のノルマを課しているようだ。ノルマの達成度合いは年間の勤務評定にも影響し、それは昇任試験の成績にも加味されることになる」と述べている。出世するためには、事件をでっち上げてでも「犯人」を逮捕したい。これではいつまでたっても冤罪事件はなくならないだろう。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

わが国の反差別運動に重大な汚点を残した「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)関連の訴訟で似非反差別主義者・李信恵が鹿砦社を名誉毀損で訴えた裁判で、1月28日、大阪地裁(池上尚子裁判長)は、あろうことか、鹿砦社に165万円の賠償金とブログ「デジタル鹿砦社通信」の記事の削除を命じました。

 

リンチ直後の被害者M君。リンチがいかに凄惨だったから判る

私たち鹿砦社は、深夜に1時間に渡る凄絶なリンチを受けつつも、治療費はじめ当時なんの補償もなされず、それどころかセカンド・リンチと村八分を加えられていた大学院生M君への救済・支援と真相究明に携わってきました。それは、6冊に及ぶ出版物(紙の爆弾増刊)として結実し、少なからずの方々から高い評価を受けてきました。

事件が起きたのは2014年師走、大阪屈指の繁華街・北新地です。李信恵ら現場にいた加害者5人はじめ関係者らの隠蔽活動により事件が表面化することはありませんでした。私たちに事件の内容が告げられたのは、事件発生から一年余り経った2016年3月でした。

リンチ直後の被害者M君の顔写真を見て、さらにM君が必死で録音したリンチの最中の音声データを聴き仰天しました。

渡された資料にも目を通し、M君への救済・支援と真相究明の取材を開始しました。国会議員、研究者、弁護士ら多くの著名人が、事件を知りながら隠蔽に加担し、背後に不思議な闇があることを感じさせられました。調べれば調べるほど、その闇は深いと思いました。

M君は、李信恵ら加害者5人と、しばき隊リーダー野間易通を訴え(2つの裁判です)、対野間訴訟では全面勝訴を勝ち取りました。しかし加害者5人を相手取った裁判では、満足のいく金額の判決は得られませんでしたが判決は確定しました(内容に不満は残りましたが勝訴であることには間違いありません)。

M君へのセカンドリンチの一部

 

M君へのセカンドリンチの一部

その関連が今回の訴訟でしたが、一審大阪地裁は、李信恵の主張を認め鹿砦社に165万円の賠償金とブログ記事削除を命じたのです。

人道的立場からリンチの被害者を救済・支援しようとしてきた私たち鹿砦社が、加害者のリーダー的立場の者から訴えられ賠償金を食らうというアイロニ-―この不当判決に私たちは控訴し徹底抗戦することにしました。

日頃「反差別」「人権」を叫ぶ者が、1時間にも及び凄惨なリンチを加え、被害者M君を師走の寒空の下に放置し立ち去った。加害者及び周辺人物は事件後、一時は「謝罪」の意を表わしたもののこれを覆し、被害者M君へのセカンド・リンチと村八分を行い、事件をなかったことにすべく隠蔽を図りました。

 

M君へのセカンドリンチの一部

私たちは、ほとんどの関係者が取材を拒否したり、逃げたり、沈黙するという困難な情況の中で、鹿砦社50年の歴史でも特筆しうるほど地を這うような取材を行いました。幸いにも、心ある在日の方々の協力を得て、どんどん驚くような情報が寄せられました。あまりのディープゆえに“握っている情報”もあります(いつでもぶちまける用意があります)。M君の訴訟費用は広くカンパを募り浄財を寄せていただきましたが、その3分の2は在日の方々でしたし、第4弾本に付けたリンチの音声データを「私に任せてください」と海外でプレスしてくださったのも在日の方でした。あまりに凄惨な音声ですから国内ではプレスできず困っていたところです。

私たちがこのリンチ事件に携わってちょうど5年が経ちました。このままでは終われません! ここで退いたら、言葉の本来の意味での社会正義に反する蛮行を行った徒輩が笑うだけです。血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘います!

彼ら・彼女らは一切反省していません。その証左として、M君のリンチの現場にいた者(伊藤大介)が、再び暴行傷害事件を起しています。私たちはこれまで再三再四、しっかり反省、教訓化しないと、同種の事件は繰り返されるだろうと警鐘を鳴らしてきたのに、です(詳しくは最新刊『暴力・暴言型社会運動の終焉』をご一読ください)。

私たちは、控訴審において、軽々な審理を阻止せんと、代理人も元大阪高裁裁判官のベテラン弁護士を招き、さらには法曹、言論関係者を中心として急遽声を挙げていただいた方々31名が「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」に名を連ねていただきました。これも「控訴理由書」と共に原本を大阪高裁に提出いたしました。以下、その一部の方の名を記載いたします(順不同、敬称略)。

大口昭彦(弁護士)はじめ弁護士5名、足立昌勝(関東学院大学名誉教授)、矢谷暢一郎(心理学者/元ニューヨーク州立工科大学教授)、野田正彰(精神医、作家/元関西学院大学教授)、本山美彦(京都大学名誉教授)、寺脇研(元文科相キャリア/大学教員)、平野貞夫(元参議院議員)、玉城満(前沖縄県議員)、高野孟(ジャーナリスト)、揖斐憲(サイゾー代表)、森奈津子(作家)、天木直人(外交評論家/元駐レバノン国特命全権大使)、山口正紀(ジャーナリスト/元読売新聞記者)、黒薮哲哉(フリーランスライター)、板坂剛(作家)、山田洋一(人民新聞編集長)、マッド・アマノ(パロディ作家)、飛松五男(行政書士/元兵庫県警刑事)、水戸喜世子(救援連絡センター初代事務局長)ほか。

*今後、本件については適宜報告してまいります。

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

◆バイク事故で運命を変えた新人時代

小野瀬邦英(1973年6月27日、茨城県水戸市出身)は、高校入学後、地元の茨城県水戸市で平戸ジム入門。倒すか倒されるかの躍進で日本キックボクシング連盟のマイナー的存在から逆襲へ流れを変えた革命児である。

「学生時代は何をやっても長続きしない人間でした」という小野瀬だが、中学の野球部ではサードで4番、勉強も常に学年トップ。でも途中で飽きて不登校になったという頭脳明晰、運動神経抜群の変わり種。

中学3年頃、テレビでマイク・タイソンの試合を見て、その強さに憧れてボクシングを始めようと思うも、水戸市には平戸ジムしか無かったことから高校入学と同時に入門。当時はボクシングとキックの違いも分からないまま練習を始めたというが、次第にキックボクシングに目覚めていった。

高校2年の1990年10月13日、フェザー級デビュー戦は2ラウンドKO勝利するも、同年12月、バイクの交通事故で左足踵断裂、アキレス腱がパックリ飛び出す重傷を負ってしまった。これでくっつく迄手術を繰り返すも、左足が満足に使えなければ選手生命は絶たれたも同然だった。

1992年3月、高校卒業すると鍼灸専門学校入学の為上京。学校に通いつつ、身体を持て余していた小野瀬は身体慣らしに運動できればと学校の近くにあった渡邉ジムを訪れ、プロではなく、足のリハビリ目的で入門を申し出た。

現在のキックボクシングジムでは、フィットネス目的での入門は多いが、当時の渡邉ジムは、そんな目的での入門はほぼ受け入れなかった。受入れたとしても、渡邉信久会長がハードな練習を強制するから、あっという間に去ってしまう。

だが、渡邉会長にとって平戸ジムの平戸誠会長はかつての後輩だった縁から「平戸の弟子ならまあいいだろう!」と特別に小野瀬の入門を許した。

しかし折角のジムワーク。リハビリは解るが、キックボクサーとしての恰好ぐらい付けてあげられないものかと周囲の協力体制が芽生えていった。左足のアキレス腱や脹脛に衝撃を与える蹴り禁止。小野瀬は左回し蹴りはフリか軽く蹴るといったフェイントで形を作り上げていくことになった。

半年程経って、現役のチャンピオンだった先輩の佐藤正男とのマススパーリングが増えていった。小野瀬は速い動きと、他の技、更に右・左とスイッチを繰り返す対応で攻撃もディフェンスも出来るまでになっていた。

通算5戦して5勝(4KO)だったが、ガルーダ・テツは好敵手だった(1996.2.24)

◆戦うスタイル、渡邉ジムで開花

その辺りを見計らい、渡邉会長は「小野瀬、試しにリングに上がってみろ!」と試合出場を促した。当然不安はあるところ、「左足は使わなくてもいいから!」と促されて出場。

再デビュー戦を3ラウンドKO勝利。2年程で7~8戦した中、負けもあるが幾つかKO勝利出来たことは自信に繋がっていた。

渡邉会長は「ここまでやれたんだから、もっと上を目指せ!」と叱咤激励。

小野瀬は後に「ローキックのカットは出来ますが左の蹴りは無し。その分、他の攻撃力を上げればいいと思っていたので現役時代は苦にはなりませんでした。」と自信を語る。

新人時代を経て、倒すか倒されるかの攻防は大阪からやって来たガルーダ・テツ(大阪横山)とは互いの発言も過激で、東西対抗戦的話題性は新風を巻き起こした。

1997年2月23日、日本キックボクシング連盟ライト級王座決定戦で、小野瀬は根来侑市(大阪真門)に1ラウンドKO勝利で王座獲得したが、他団体交流に備えた肩書では、選手層が厚かった他団体に比べ、注目を浴びる存在ではなかった。

[左]初めてのチャンピオンベルトを巻いた根来侑市戦後、飛躍はここから(1997.2.23)/[右]佐藤孝也には苦しんだが、しっかり打ち合えた戦いだった(1997.4.29)

チャイナロンにやられた顔面、鼻は折られ腫れ上がる(1999.12.12)

日本キックボクシング連盟は1984年11月の設立当初、統合による人材豊富な活気があった。その後の分裂で他団体勢力には押され気味の時代が10年以上も続く中、渡辺明(渡邉)、佐藤正男(渡邉)らが連盟代表的エース格の時代はあったが、団体そのもののメジャー化には程遠かった。

時代の流れは、1996年8月に設立したニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)との交流戦が始まった。小野瀬は、すでに多くのトップ対決を経験していた佐藤孝也(大和)には苦戦の辛勝だったが、実力が計れる対戦相手との対戦はより存在感を増すことには成功した。

1999年には、日本で実績を残していたチャイナロン・ゲオサムリット(タイ)を1ラウンド、ヒジ打ちで下し、プライド傷つけられたチャイナロンは再戦で猛攻、小野瀬は鼻は折られるも、2ラウンドボディーブローで逆転KO。小野瀬の実力は紛れもないトップクラスという証明をもたらした。

「チャイナロンとの2戦目が現役中一番しんどい試合でした。でも勝ったことで、より私の評価は上がりましたが、今も鼻は曲がったままです。」と負った痛々しい勲章を語る。

◆やり残した武田幸三戦

2000年にはNJKFウェルター級チャンピオン青葉繁(仙台青葉)や元チャンピオン松浦信次(東京北星)、上位ランカーの大谷浩二(征徳会)との計4選手によるトップオブウェルターリーグに出場すると、ライト級の小野瀬はやや押される展開も見せたが、「体格の圧力は特に無く、何発か当てれば絶対倒せる」と確信していたという小野瀬が3戦3勝(2KO)の?日本キックボクシング連盟ここにあり”をもって示した優勝を果たした。

優勝者に約束されていたムエタイチャンピオンとの対戦は、同年9月24日、ムエタイ殿堂スタジアムで長く人気を博したオロノー・ポー・ムアンウボンとの試合が組まれたが判定負け。

「ハードパンチャーとの謳い文句でやって来たオロノーは打ち合いを避けて首相撲で来ました。やはり首相撲は地味だが疲れます。ムエタイとキックボクシングの競技性の違いを痛感しました。」と語る小野瀬の、目指す先は限られてくる難しさも見えてきた。

[左]松浦信次戦、体格差凌いで豪快にKO(2000.4.22)/[右]オロノーもムエタイ技で打ち合いを凌ぎ、追い詰める小野瀬(2000.9.24)

同門対決と言われた職場の後輩、石毛慎也に敗れる(2002.6.29)

この時代はより細かく乱立する8団体の中の、柵(しがらみ)の無い4団体が統一的なNKB(日本キックボクシング)タイトル化を進め、トーナメントを経て2002年には各階級チャンピオンが誕生した。

6月29日、ウェルター級決勝で小野瀬は動きが悪く、若い石毛慎也(東京北星)のヒジで斬られるTKO負け。隆盛を極めた小野瀬の終焉を迎える時期でもあった。
その後、小野瀬は引退宣言をし、「最後に我儘を言わせて貰えるならば、ラストファイトには武田幸三さんと対戦したい。」という公言は、周囲は実現に動くかと期待が膨らんだ。

しかし、どうしても拭えない古い柵に取り憑かれた中では、この対戦は実現に至らなかった。

同年12月14日、小野瀬のラストファイトに相応しい最強として用意された、ラジャダムナンスタジアム・ライト級チャンピオン、マンコム・ギャットソムウォンは、やはり打ち合いに来ないテクニシャンタイプで判定負け。そのリング上で引退式を行ないリングを去った。

小野瀬にとって最も噛み合う、倒されるにしても完全燃焼させてくれる相手と願っていた元・ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオン武田幸三(治政館)が激励に駆け付け、リング上でのツーショットに収まるのが精一杯の対峙となった。

小野瀬は後に「バイク事故でもう元通りには回復しないほど足を痛めてしまい、キックボクシングはもう無理と諦めていました。縁もあって渡邉会長に特別な指導を受け、周りのサポートもありここまで来れました。心より感謝してます!」と何はともあれ、現役を続けられたことへの感謝を語っていた。

[左]武田幸三とは夢の対決ではなく対峙(2002.12.14)/[右]引退試合でのマンコム戦、倒せなかった(2002.12.14)

引退式の後、渡邉会長から労いの言葉を掛けられる(2002.12.14)

◆次代を担う立場

小野瀬は新人の頃、自身の腰の故障治療の為に受けた経験から上京後、鍼灸専門学校を経て柔道整復師、鍼灸師、マッサージ師の資格を取得し、現役時代の1999年1月7日、江戸川区葛西に「まんぼう・はりきゅう整骨院」を開業。自らの事故と試合での負傷経験から、傷みの分かる治療が施されている評判良い整骨院である。

引退後は同じ葛西にSQUARE-UP道場を開設。倒しに行く、自分で勝ちを掴めという教えで、夜魔神、大和知也、安田一平をNKBチャンピオンに育て上げている。

2014年には日本キックボクシング連盟で興行担当と成り、古い柵からの改革が始まった。斬新なプロデュースを行ない、新たにフリーのジム所属選手との交流戦を始め、高橋三兄弟の活躍の場を広げ、NKBの活気が増してきたところで小野瀬は2017年12月末で、諸事情により興行担当とSQUARE-UPの会長職を円満に辞任し後輩に託したが、キックボクシングの底上げの努力に後退は無い。平成時代に戦った世代の小野瀬邦英は、同じ世代の会長、プロモーター達とキックボクシング競技確立へ、今後の時代を担う一人である。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

NHK大河ドラマ「青天を衝け」のイントロに、北大路欣也ふんする徳川家康が登場して、お茶の間の好評を博している。

第5回「栄一、揺れる」(3月14日放送)では、「今日も出てきましたよ」とあいさつし、興味ぶかいことを語った。

北大路家康は「『士農工商』、もう教科書にその言葉はありません」と語り、図版アニメの「士農工商」図は、士とその他に変形した。江戸時代に武士階級とその他しかなかった身分制度を表現したものだ。

この意外な史話解説は、ネットでも話題になったという。以下はネットニュースからだ。

SNSでは「えっ……教科書に士農工商ってもうないの!? びっくりだわ」「士農工商ってもう教科書に載ってないって徳川家康が言ってたけど、本当?」「士農工商てもう教科書に載ってないの? 北大路家康が言ってたぞ」といった驚きの声が上がったほか、「現代の教科書を知ってる徳川家康」「最新の教科書もチェックしている家康」「家康公、最近の教科書事情にもお詳しいw」などと感心していた。(ヤフーニュース 3/14 20:45配信)。

本通信でも、鹿砦社「紙の爆弾」の記事における「士農工商ルポライター稼業」(昼間たかし)をめぐって、解放同盟から「差別を助長する表現」との指摘をうけて、部落の歴史で江戸時代の身分差別について触れてきた。「紙の爆弾」2021年1月号にも「求められているのは『謝罪』ではなく『意識の変革』だ」を発表した。

◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈前編〉(2020年11月12日)
◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈後編〉(2020年11月17日)

そのなかで、士農工商に触れた部分をまとめておこう。

江戸時代の文書・史料には、一般的な表記として「士農工商」はあるものの、それらはおおむね職分(職業)を巡るもので、幕府および領主の行政文書にはない。したがって、行政上の身分制度としての「士農工商」は、なかったと結論付けられる。

むしろ「四民平等」という「解放令」を発した明治政府において、「士農工商」が身分制度であったかのように布告された。すなわち江戸時代の身分制が、歴史として創出されたのである。

またいっぽうでは「解放令反対一揆」を扇動し、動員された一般民において、「士農工商」とその「身分外」の部落民に対する排撃が行なわれ、そこに近世いらいの部落差別が再生産されたのである。

上記の記事にたいして、江戸時代になかった士農工商が明治時代に「確立された」のは「納得できない」などの批判もあったが、その批判者から根拠となる史料が示されることはなかった。

教科書から「士農工商」という表現・文言が消えたのは、北大路家康が言うとおり事実である。東京書籍の「新しい社会」(小学校用)の解説(同社HP)から、長くなるが引用しておこう。

Q 以前の教科書ではよく使われていた「士農工商」や「四民平等」といった記述がなくなったことについて,理由を教えてください。

A かつては,教科書に限らず,一般書籍も含めて,近世特有の身分制社会とその支配・上下関係を表す用語として「士農工商」,「士と農工商」という表現が定説のように使われてきました。しかし,部落史研究を含む近世史研究の発展・深化につれて,このような実態と考えに対し,修正が加えられるようになりました(『解放教育』1995年10月号・寺木伸明「部落史研究から部落史学習へ」明治図書,上杉聰著『部落史がかわる』三一書房など)。
 修正が迫られた点は2点あります。
 1点目は,身分制度を表す語句として「士農工商」という語句そのものが適当でないということです。史料的にも従来の研究成果からも,近世諸身分を単純に「士農工商」とする表し方・とらえ方はないですし,してきてはいなかったという指摘がされています。基本的には「武士-百姓・町人等,えた・ひにん等」が存在し,ほかにも,天皇・公家・神主・僧侶などが存在したということです。この見解は,先述した「農民」という表し方にも関係してきます。
 2点目は,この表現で示している「士-農-工-商-えた・ひにん」という身分としての上下関係のとらえ方が適切でないということです。武士は支配層として上位になりますが,他の身分については,上下,支配・被支配の関係はないと指摘されています。特に,「農」が国の本であるとして,「工商」より上位にあったと説明されたこともあったようですが,身分上はそのような関係はなく,対等であったということです。また,近世被差別部落やそこに暮らす人々は「武士-百姓・町人等」の社会から排除された「外」の民とされた人として存在させられ,先述した身分の下位・被支配の関係にあったわけではなく武士の支配下にあったということです。
 これらの見解をもとに弊社の教科書では平成12年度から「士農工商」という記述をしておりません。
 さて,「士農工商」という用語が使われなくなったことに関連して,新たに問題になるのが「四民平等」の「四民」をどう指導するかという点です。
 「四民平等」の「四民」という言葉は,もともと中国の古典に使われているものです。『管子』(B.C.650頃)には「士農工商の四民は石民なり」とあります。「石民」とは「国の柱石となる大切な民」という意味です。ここで「士農工商」は,「国を支える職業」といった意味で使われています。そこから転じて「すべての職業」「民衆一般」という意味をもちました。日本でも,古くから基本的にはこの意味で使われており,江戸時代の儒学者も職業人一般,人間一般をさす語として用いています。ただし,江戸時代になると,「士」「農」「工」「商」の順番にランク付けするような使われ方も出てきます。この用法から,江戸時代の身分制度を「士農工商」という用語でおさえるとらえ方が生じたものと思われます。
 しかし,教科書では江戸時代の身分制度を表す言葉としては,「士農工商」あるいは「士と農工商」という言葉を使わないようにしています。以前は「四民」本来の意味に立ち返り,「天下万民」「すべての人々」ととらえていただくよう説明してきました。しかし,やはりわかりにくい,説明しにくいなどとのご指摘はいただいており,平成17年度の教科書から「四民平等」の用語は使用しないことにしました。
 「四民平等」の語は,明治政府の一連の身分政策を総称するものですが,公式の名称ではないので,この用語の理解自体が重要な学習内容とは必ずしもいえません。むしろ,以前の教科書にあった「江戸時代の身分制度も改めて四民平等とし」との記述に比べ,現在の教科書の「江戸時代の身分制度は改められ,すべての国民は平等であるとされ」との記述の方が,近代国家の「国民」創出という改革の意図をよりわかりやすく示せたとも考えております。  
(「四民」の語義については,上杉聰著『部落史がかわる』三一書房p.15-24を参考にしました。)

もともと「士農工商」(律令とともに中国から伝来した概念)は、古代における士が貴族階級であり、その他に農工商の職業があるという社会像を表したものだった。士や農が上位にあり、商人が卑しいとするものでもない。

だが、儒教的かつ農本主義的な幕末の国学思想において、受容しやすいものだった。あるいは天皇を頂点とする身分制社会を再生産した明治政府において、武士が上位にあり農民がその次に尊重される社会像、工業よりも商業を下位に置く世界観が、そのまま江戸時代いらいのものとして、部分的に継承されたのである。

富国強兵殖産興業という明治政府のスローガンとは、もって異なる身分制(天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民)はしかし、一般国民に受け容れられた。差別は政策ではなく、人間の意識のなかに宿るものなのだと、歴史的に論証できる。部落差別は近代的な市民社会観が定着することにより、江戸時代よりも過酷なものとして表象されてくる。そこに水平社運動の発生する理由があったといえよう。

歴史学が社会に果たせる役割があるとすれば、興味本位の歴史のおもしろさを紹介するだけでなく、部落史研究のような社会の根源を規定する「差別」や「排外主義」の歴史的な根拠。あるいは、為政者によって意識的につくられる階級や階層、かつてはブルジョア階級、今日では「上級国民」の成立理由を明らかにしていくことであろう。評判の北大路家康は、その成果なのである。そして渋沢栄一という日本資本主義の父と呼ばれる人間像が、どのようにイデオロギーとして表象されるのか、興味をもって見守りたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

1995年3月、警察庁の国松孝次長官が自宅マンション前で狙撃された事件が30日で発生から26年を迎える。この歴史的未解決事件には、自分こそが真犯人だと訴え続けている有名な男がいる。中村泰(ひろし)、90歳。岐阜刑務所で服役している無期懲役囚である。

中村は2002年11月、名古屋市で銀行の現金輸送車を銃撃し、検挙されたのをきっかけに長官狙撃事件の捜査線上に浮上した。当時すでに72歳だったが、警備員2人の足元にほぼ狙い通りに銃弾を発しており、高度の射撃能力が認められた。さらに関係先の捜索では、長官狙撃事件に関する新聞・雑誌の記事の膨大なコピーが見つかったうえ、中村が借りていた新宿区の貸金庫に10丁の拳銃や千発を超す銃弾が保管されていたことも判明した。

中村本人も警視庁刑事部の取り調べに対し、犯行を詳細に自白。さらに獄中にいながらメディアの取材を次々に受け、長官を撃ったのは自分だと訴えた。そんなこんなで、中村こそが長官狙撃事件の犯人だという説が広まったのだ。

事件は結局、捜査を主導した警視庁公安部がオウム犯人説に固執し、2010年に迷宮入りしたが、今も中村こそが犯人だとみている取材関係者は少なくない。かくいう私もその一人だ。これまで8年余り中村を取材し、各種資料や現場の状況を検証した結果も踏まえ、中村のことを警察庁長官狙撃事件の犯人だと確信している。

◆4月で91歳、病気で手紙を書くのも難しい状態

さて、今回なぜ改めてこのような話をするかというと、実は中村の人生の残り時間がいよいよ少なくなってきた兆候が見受けられるからだ。

というのも、中村は2015年に直腸がんの手術をうけ、2017年にはパーキンソン病を患い、手紙のやりとりをするのも難しい状態となっていた。最近はいよいよ手紙を書く気力もないらしく、たまに獄中で読み終わった本を送ってくるだけになっていたのだ。

私は中村が本をたまに送ってくることについて、「手紙は書けないが、無事に生きている」と知らせるための行為だと解釈しているのだが、中村が本を送ってきたのも昨年12月が最後だ。その後は私から手紙を出しても、中村から返信はない。ただでさえ病身のうえ、4月には91歳になるので、生きているだけでも大変なのではないかと思われる。

昨年2月に中村が送っていた本

◆中村が真犯人だと認められたい理由

中村によると、長官狙撃事件の犯行を決意したきっかけは10日前に起きた地下鉄サリン事件だったという。

「地下鉄サリン事件はオウム真理教の犯行であるのは明らかなのに、オウムに対する警察の捜査は腰が引けていました。そこで、警察をオウム制圧に突き動かすため、オウム信者を装って警察庁長官を撃ったのです」(中村の主張の要旨)

実際、長官狙撃事件をオウムによる犯行だと疑った警察は、地下鉄サリン事件でオウムに対する捜査を本格化させ、教祖・麻原彰晃の検挙にまで至った。東大の学生時代に武力革命を志し、テロ活動を繰り広げてきた中村としては、それが自分たちの手柄だと誇示したい思いがあったという。いずれ警察が長官狙撃事件について、オウム犯行説に疑いを抱いた時には、事件の状況を詳細に記述した弾劾状を報道機関に送ることも計画していたそうだ。

しかし結局、警視庁公安部がオウム犯行説に固執したため、中村は自分たちの手柄を誇示する機会を失った。そのためメディアに対し、自分こそが長官を撃った犯人だと訴え続けてきたわけだ。

人は何か思い残すことがあると、死んでも死に切れず、結果的に寿命が延びることがある。重篤な病気を患いながら、90歳になっても生き永らえている中村もそれに該当するように私は思う。中村としては、自分こそが長官狙撃事件の犯人だと社会にもっと広く認められないことには、死んでも死に切れないのだろう。

私は取材者として、この老受刑者の特異な人生を最後まで見届けたいと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

3月17日、成田空港で旧管制塔の解体工事がはじまった。当時は「ブルジョア新聞」と呼んでいた一般紙から引用しよう。

「旧管制塔を巡っては、1978年3月に過激派が侵入、占拠して管制機器を破壊する事件が起き、開港日が二カ月ほど延期になった歴史がある。『成田闘争』と呼ばれる激しい空港反対運動の象徴的な舞台が姿を消す。」(東京新聞)

「成田闘争」というのは、行政成田市にもとづくマスコミ用語である。当時、建設地名をとって「三里塚闘争」と呼ばれていた。反対同盟の正式名称は、三里塚芝山連合空港反対同盟である。成田市の三里塚地域と山武郡芝山町の住民連合という意味になる。成田空港も当時は、新東京国際空港が正式名称だった。

用語にこだわるのは歴史研究家としての倣いだが、歴史になっていく事物に対しては、口承者も少なくなるので正確を期したいものだ。

 

 

旧管制塔は1971年に建設された、高さ64メートルの当時は最新鋭の建築物だった。黒く塗装された外壁は、すべてが金属製で出来ているような印象を与えたものだ。旧管制塔の老朽化により、成田国際空港会社(NAA)は隣接地に「ランプセントラルタワー」を建て、昨年9月から業務をはじめていたという。

NAAはメディアの質問に「社会的にも非常に大きなインパクトを与えた出来事が起きた場所。成田空港建設にあたっての歴史的な経緯を忘れることなく、これからも皆さまから愛される空港を目指す」とコメントしている。旧管制塔は8月にも完全に撤去される見通しだ。

反対運動に関わった者としては、空港のシンボルでもあった歴史的建造物がなくなるのは、やはり寂しいと言わざるを得ない。

◆コロナ禍で経営危機か

さてその現成田空港だが2020年度の中間決算では、営業収益が前年同期比 73.8%減の332億円。中間純損失は424億円、予想値では当期純損失は783億円だという(2020年度中間連結決算)。

「運営費用等のコスト削減に取り組むものの、営業収益の減少を補いきれず、通期としても民営化以降初めての損失計上となる見込み。」だという。

コロナ禍における航空産業の赤字は深刻だ。沖縄の話だが日本トランスオーシャン航空は、乗客数が前年比5%まで落ち込み、今年度の上半期は43億円の赤字で過去最悪だという。とくに赤字の与那国島航路は存亡の危機だが、島民のかぎられた移動手段だけに廃線にはできないだろう。

成田空港も旅客数の19年度実績4,148万人が、20年度は377万人、つまり3,771万人減、じつに9割減である。

いや、コロナ禍がなくても成田はピンチなのである。羽田(東京国際空港)が9,000万人前後でその半分なのだから、観光ハブ空港としての地位は、完全に羽田拡張で奪われた格好だ(成田は貨物便が主柱だが)。

このままコロナ禍が続けば、存続も危ういのではないかと心配になる。元空港建設反対派の支援者がその経営を心配するのもおかしな話だが、日本を代表する大規模空港建設という触れ込みが、犠牲者を出す流血の惨事をまねいたのだから、しっかりして欲しい、と思ってしまうのだ。

 

 

◆現在に教訓は残せたか

さて、反対運動の当時を振り返って、やはり楽しい闘争だったという実感がいまもある。当時は大変な思いをしていたはずだが、青春の記憶だけにうつくしい。年老いた退役軍人が、軍隊生活を懐かしむようなものかもしれない(苦笑)。

重傷者や死者(関連自殺を入れると、9人)の出る疑似戦争状態だったとはいえ、どこか牧歌的で、少し危険なスポーツをやっていたような感覚がある。東京では深刻だった内ゲバも、三里塚では反対同盟のつよい統制力で、いがみ合っている党派が協力を厭わない。35以上もあった団結小屋の現闘団は、それ自体がひとつのグループのように、力をあわせて活動していたものだ。

闘争が残した「成果」があるとすれば、1994年から行なわれた空港問題解決にむけたシンポジウム、それに続く円卓会議で一応の裁定が行なわれたことだろう。老学者たちの老後の名誉欲的な話し合い調停だったにしても、中核派に自宅を焼かれてもこころざしを変えなかったのだから、その労苦は讃えてしかるべきであろう。

その結果、自社さ政権による正式の謝罪が行なわれた。

その後は、一方的な決定・執行ではなく、話し合いをもとに建設を進めるという、欺瞞的な話し合いであったにしても、闘争の区切りができたのである。

相手が謝ってきたのだから、反対運動の正当性がみとめられた。それは「勝利だ」といえるだろう。そして二分解していた反対同盟はさらに分裂し、それぞれが生活再建のための道をえらんだのだった。

裏取引をして「脱落」した農民、移転に応じて営農だけ継続した「条件派」、部落ごと移転した部落もあった。もちろん徹底抗戦派も残った。支援という立場を明確にするならば、農民それぞれの選んだ道を非難してもはじまらない。

戦後最大の住民運動(農民運動には、なれなかった)が残した成果が、たとえば各地の原発訴訟や大規模開発への司法の裁定、あるいは行政自体が教訓としているのならば、それでいいのではないか。

三里塚での体験は、この通信にも「開港から40年の三里塚(成田)空港」や「三里塚戦記」(「情況」2019年秋号)にも書いているので、若い活動家がわたしのもとに、援農に行った報告をくれることもある。

◎[関連記事]開港から40年の三里塚(成田)空港〈22〉1億円の損害賠償金

現地に後継者があり、無農薬農業や環境問題というキーワードがあれば、三里塚はこの時代にも発信力があるのだと思う。トータルな記録はまだ成っていないが、何冊も本は出ているから行ってみたくなる若者は絶えない。たまには援農に行って、新しいレポートをしようかと思うようになった。


◎[参考動画]旧管制塔が解体へ 占拠事件の元襲撃隊リーダー・警察OBの思い【Nスタ】(TBS 2021年3月17日)

[カテゴリーリンク]三里塚 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=63/

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。3月横堀要塞戦元被告。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◆本当に「国民のほとんど」がLINEを利用しているのか

SNSのLINEから個人情報が漏洩していた件で、総務省はLINEの使用を、取りやめたそうだ。ある新聞によると「国民の多くが使っている」との表現も見られるLINE。広く普及していることは認知していたが「国民のほとんど」といわれるほど、皆さんが利用していたとは少々驚いた。

けども本当に「国民のほとんど」が利用しているのか、との疑問も捨てきれない。わたしの知人のなかにはLINEを利用しているひともいるが、大半はLINE世界とはまったく接点のないひとだからだ。

SNSには主たるものだけでもFacebookやTwitter、Instagram、LINEなどがあり、この4つともを利用している方も少なくないだろう。

◆無償サービスの危険性

端的に言って、SNSは危険である。理由を述べよう。

発信を仕事や業務にしている人にとって、SNSは利用価値の高いネット上の道具であろう広告費の削減が達成できて日々発信内容の更新ができる。しかし、発信と無縁な方がこの世界に足を踏み入れると、無意識のうちに「みずからの素性や嗜好、毎日の生活を暴露する」行為に及んでしまう。聞かれもしない私生活を写真やことばで晒してしまうのだ(「個人情報保護法案」をぶっ潰すのがSNSだともいえるかもしれない)。

それぞれのSNSは、発信形態や登録者同士の通話機能、データ互換機能など特性や危険性を充分に理解して使えば、便利な側面はある。ただしそれは、ほとんどの場合、仕事や業務に限定されるといってよく、そうでない場合には危険性が高まると考えてよい。

危険性とは、それぞれのサービスがいずれも「無償」で利用できることから想像が可能だ。無償のサービスであっても利用約款は存在するはずだが、そんなものを熟読してから利用する人は、ごく少数であろう。当然ながら運営会社に利用者の情報は登録され、運営会社は利用者間の情報交換(その中には「秘密」にしておきたい内容も含まれる)を閲覧するることができる。データも保存される。

そういった認識をもって、SNS利用者は日々利用をしているだろうか。わたしはまったくSNSを利用しないので、細かい操作性を知らないし、約款も読んだことはない。初対面の人と名刺交換をすると「TwitterのアカウントやLINEはなさっていらっしゃらないのですか」とたびたび聞かれた記憶がある。その程度にSNSの利用者は浸透している証拠だろう。わたしはメールアドレスと電話番号を他人に伝えても、さらに繋がり(しがらみ)が要求されそうなSNSでの関係など持ちたくはないし、日々どころか日に何回も自分の感情や、出来事を他人様に知らしめたいと皆目思わない。

◆無償サービスであるSNS事業は本当に社会的なインフラストラクチャーなのか?

ただでも街中に監視カメラがくまなく設置され、都市部ではトイレ以外では、ほぼどこにいても監視カメラで勝手に姿を撮影される。この時代に、わざわざ考えていることや、感情の起伏を発信しなければならない理由が、わたしにはない。LINEは連絡網のような機能の利便性が高いらしく、個人から商店、企業から、はては官公庁までが利用しているそうだ。でも、利用者の皆さんは、利用約款を読んだことがおありであろうか。

個人や企業の利用は、置いておくとして、官公庁が私企業の提供する無料サービスを、かくも無防備かつ無前提に利用することに問題はないのだろうか。私企業であるから、業績が傾けば当然業務の停滞や、倒産だってあり得るし、マーケットとしての旨味がなければ、サービスの撤退だって他国では現実に起こっている。SNSではないが、みずほ銀行の度重なるトラブルを見ていれば、システムの危うさは理解されよう。無償サービスであるSNSを、社会的なインフラストラクチャーのように捉えるのは、危険すぎる。

◆「愚行」を増殖させるSNS依存症

そして何よりの落とし穴は、SNSは強度の「依存性」を帯びていることである。個人の利用者でTwitter中毒になり、生活が歪んでしまったひとを少なくない数みてきた。中には自死してしまった人もいる。人間の生育を阻害することしか頭にない文科省は、この危険なSNSを含むPCならびにネット利用教育を小学校から行うという。このような政策を「愚行」と呼ぶ。Twitter依存症になると、感情の制御ができなくなり、攻撃的言辞を容易に発信してしまう傾向がある。

必要のないかたは、SNS使用を控えることをお勧めする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27

小さな息子を餓死させた母親は事件前、一緒に逮捕された「ママ友」に洗脳され、離婚に追い込まれたり、多額の金をだまし取られたりしていたという。福岡県篠栗町で起きた5歳児餓死事件について、テレビでは先日来、そんな禍々しい事件内容が大々的に報道されてきた。

[左]『週刊新潮』2021年3月18日号(一部修正)/[右]『女性セブン』2021年3月25日号

一方、大手週刊誌の報道状況を調べたところ、現時点でこの事件を報じたことが確認できたのは週刊文春、週刊新潮、女性セブン、女性自身、週刊女性の5誌にとどまった。週刊現代、週刊ポスト、サンデー毎日、週刊朝日、FRIDAY、FLASHについては、この事件を伝える記事の掲載を確認できなかった。

ひと昔前であれば、大手週刊誌がどこも現地に記者を送り込み、派手な取材合戦を繰り広げたことは確実な事件だが、今回そうなっていない事情は明白だ。本の売れないご時世、大手週刊誌といえども、記者を地方取材に行かせる予算を捻出しづらくなっているのだ。

ただ、大局的に見ると、こうした出版業界の窮状は事件報道を悪くない形に変えつつある。

『女性自身』2021年3月23・30日号(一部修正)

◆地方取材が減った一方、増えてきた面会取材と裁判取材

というのも、ひと昔前であれば、どんな大事件でもメディアが騒ぐのは事件発生当初や被疑者の逮捕当初だけで、裁判段階には報道量が激減するのが一般的だった。とくに週刊誌はその傾向が顕著だった。しかし、現在の週刊誌は地方の大事件を発生当初から現地で取材することが減ったぶん、被告人本人に面会したり、裁判を傍聴して書かれる記事が増えているのだ。

たとえば、最近だと、相模原大量殺傷事件と座間9人殺害事件では、植松聖、白石隆浩の犯人両名と面会したり、裁判を傍聴したりした報道が多く見られた。とくに「金を払わないと取材は受けない」というスタンスだった白石については、新聞、テレビが二の足を踏む中、殺人犯に取材謝礼を払うことをいとわない週刊誌が面会取材でリードしていた。

あえて教科書的に言えば、事件報道の最大の意義は「権力監視」なので、権力と対峙した被疑者(被告人)本人の言い分を聞ける面会取材や裁判取材は本来、事件報道のクライマックスとなるべきものだ。従来の事件報道はそうならず、捜査機関の情報に依拠せざるをえない事件発生当初や被疑者の逮捕当初の報道が中心だったのだが、皮肉にも出版業界の窮状により教科書的な事件報道が増えてきているわけである。

『週刊女性』2021年3月30日号(一部修正)

私が先日、当欄で記事(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38283)を配信した講談社元編集長の「妻殺害」事件にしても、週刊誌のネット版が裁判の控訴審の情報を伝えた記事も参考にしている。これほど注目度の高い事件でも、ひと昔前であれば週刊誌が裁判を控訴審までフォローしたとは思いがたく、私があの記事を書けたのも出版業界の窮状のおかげかもしれない。

私自身、取材では常に経費のことが悩ましい問題だが、取材経費が乏しいからこそ新しい取材手法を思いつくこともある。本が売れないのは仕方のないことで、以前のように本が売れる時代はもう戻ってこないだろうが、それは変革のチャンスでもあるのだろうと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

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翌日に「3・11」を控えた10日、その人は大凧揚げに興じていた。

新潟県三条市から駆け付けた凧揚げ職人が強風で苦労する中、軍手を借りて太いロープをつかむ。凧が上昇気流に乗って大空に舞い上がる。凧に書かれていたのは「伝承」の二文字。笑顔で青空を見上げていた人物こそ、「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下、伝承館)の館長、高村昇氏だった。

伝承館が2020年9月に開館してから半年が経つ。菅野典雄氏は15日に行った講演で「テレビや雑誌などでずいぶんと話題になっていたので来てみたが、大変素晴らしい。いろいろな意見に惑わされないように頑張って欲しい」と称賛してみせた。だが、開館前から疑問や批判の多い施設だ。

その一つが、高村氏の館長就任。

1993年に長崎大学医学部を卒業した高村氏は、2013年度から長崎大学原爆後障害医療研究所の教授を務めている。原発事故直後の2011年3月19日、山下俊一氏とともに福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」に就任。福島県内各地を巡って講演し、次のように語った。

「100ミリシーベルトを下回る場合、現在の科学ではガンや疾患のリスクの上昇が証明されていない。一方、煙草を吸う人のガンになるリスクは、1000mSvの放射線を被曝するのと同程度のリスクと考えられている」

「鼻血が止まらなくなったとか、同じような質問をよく受けます。そのような急性の症状が出現する被曝線量は500から1000mSv以上と言われています。福島の人がそのような線量を被曝しているとは考えられないので、放射線の影響ではないと思う」(公益財団法人福島県国際交流協会発行の講演録より)

2013年6月の第11回委員会からは、福島県の「県民健康管理調査」検討委員も務めている。復興庁が2018年3月に発行した冊子「放射線のホント~知るという復興支援があります。」では、「作成にあたり、お話を聞いた先生」に名を連ねている。冊子は「原発事故の放射線で健康に影響が出たとは証明されていません」と断言している。

凧揚げに興じる高村昇館長。原発事故発生直後から山下俊一氏とともに被ばくリスクを否定し続けている

そもそも、博物館や「アーカイブ」の専門家では無い。その上、事故発生当初から放射線被曝のリスクを否定し続けている。しかし、福島県の担当者は選定理由をこう説明した。

「考え方に偏りが無い、人格的に温厚で高潔な方である。これが1つ目の理由です。もう1つは本県の復興、避難地域等の支援に関わってこられた方であるという事です。そして、伝承館の運営に必要な能力を持っている方であるという事。これらの3点が推薦理由です。検討過程で何人かの名前が候補に上がりましたが、最終的に高村先生が適任だろうという結論に至りました。高村先生には数カ月前に推薦の打診をし、『ご協力出来るのであれば』と快諾していただきました」

そうして初代館長に就任する事になった高村氏は、福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際、囲み取材で筆者にこう答えている。

「ご指摘の通り、私自身はいわゆるアーカイブを専門としているわけではございません。それは事実。しかし、この伝承館の1つの主眼というのが、原子力災害からの復興に関する資料収集という目的がある。それを展示する。収集して展示して情報発信するという目的がある。原発事故直後の説明会から、地域の復興、県民健康調査もそうですが、そういった形で原子力災害からの復興に多少なりともかかわった人間としてですね、そういった側面から伝承館の館長としての役割を果たしていきたいと考えています」

「私も最初、この依頼があった時はかなり驚きました。まさに今おっしゃったとおり、私はアーカイブの専門家ではありませんので、自分で良いのかなと確かに思いました。ただし、今言ったように伝承館というのは原子力災害からの復興という事を主眼としていると聞きましたので、それであれば、この9年間福島で地域の復興に携わってきた者としてお手伝い出来る事があるんじゃないかと考えました」
果たして「復興PR館」と化した伝承館は、展示スペースの3分の1が「復興」と「イノベーションコースト構想」に割かれた。だから、来館者から不満の声が上がるのも必然だった。

凧には「伝承」と書かれていた。だがしかし、今の展示内容では原発事故被害の実相は伝わらないとの指摘は多い

館内に置かれたノートには「子どもの健康を考えて自主避難している人もいます。復興だけではなく、まだまだ復興できていない部分も伝えることが、この館の役目かと思いました」、「誰に何を伝えたいのか。教訓は何なのか分からなかった。もっとできることは多いと思う」、「この建物は『原子力被害伝承館』ではなかったの?」、小学校5年生の時に、栃木県と福島県の境で原発事故の被害を受けました…展示は正直、大大大落胆でした…なんできちんと見せてくれないのですか?」など厳しい書き込みも多い。いまだ避難を強いられている人たちの多くは「あんな所、見に行ったってしょうがない」と口にする。

50億円超の金を出した国も、都合の悪い事には言葉を濁す。平沢勝栄復興大臣は昨年11月の記念式典に出席した際、筆者の質問に「これは福島県のあれなんで、福島県の方でこれから展示物のやり方、内容等についてはこれからしっかり検討して行かれる事と思います」と投げ、この展示内容で原発事故被害の実相が伝わると思うか、との問いにも「それは福島県の方で御判断されるだろうと思いますけどね」と言い放つばかりだった。

凧上げがひと段落した後、高村館長に声をかけると「『復興のあゆみを伝える』という役目は変わらない? そうですね、はい」と答えた。

「福島イノベーションコースト構想」のPRには大きなスペースを割く。一方、避難指示区域外も含めた原発避難者の苦悩や怒り、哀しみを伝えようとする努力は感じられない

伝承館の入り口に設置されたモニターには、こんな言葉が映し出されている。
「この東日本大震災・原子力災害伝承館は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故による災害の記録と記憶を後世に伝えるとともに、復興に向けて力強く進む福島県の姿や国内外からいただいたご支援に感謝する思いを発信していく施設です」

「記録」、「記憶」、「伝える」、「福島県の姿」、「感謝」は赤い字で書かれている。しかし、区域外避難者も含めて避難者の想いや、様々な葛藤を抱きながら福島県内で暮らす人々の苦悩など伝わらない。何を「伝承」するのか。考え直さないと本当に「53億円のハリボテ」で終わってしまう。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

『NO NUKES voice』Vol.27
紙の爆弾2021年4月号増刊

[グラビア]
3.11時の内閣総理大臣が振り返る原発震災の軌跡
原発被災地・記憶の〈風化〉に抗う

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《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道
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[報告]菅 直人さん(元内閣総理大臣/衆議院議員)
日本の原発は全廃炉しかない
原発から再エネ・水素社会の時代へ

[報告]孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所所長)
二〇二一年 日本と世界はどう変わるか

[講演]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
六ケ所村再処理工場の大事故は防げるのか
   
[報告]おしどりマコさん(芸人/記者)
東電柏崎刈羽原発IDカード不正使用の酷すぎる実態

[対談]鎌田慧さん(ルポライター)×柳田真さん(たんぽぽ舎共同代表)
コロナ下で大衆運動はどう立ち上がるか
「さようなら原発」とたんぽぽ舎の場合

[報告]大沼勇治さん(双葉町原発PR看板標語考案者)
〈復興〉から〈風化〉へ コロナ禍で消される原発被災地の記憶
   
[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「被ばくからの自由」という基本的人権の確立を求めて

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
10年前から「非常事態」が日常だった私たち

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈11〉
避難者にとっての事故発生後十年

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
原発事故被害の枠外に置かれた福島県中通りの人たち・法廷闘争の軌跡

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
コロナ収束まで原発の停止を!
感染防止と放射能防護は両立できない

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
柏崎刈羽原発で何が起きているのか

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第1弾 
ケント・ギルバート『強い日本が平和をもたらす 日米同盟の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
コロナ禍の世界では想像しないことが起きる

[書評]横山茂彦さん(編集者・著述業)
《書評》哲学は原子力といかに向かい合ってきたか
戸谷洋志『原子力の哲学』と野家啓一『3・11以後の科学・技術・社会』

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈11〉 人類はこのまま存在し続ける意義があるか否か(下)

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
「核のごみ」は地層処分してはいけない

[報告]市原みちえさん(いのちのギャラリー)
鎌田慧さんが語る「永山則夫と六ケ所村」で見えてきたこと

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
コロナ下でも工夫して会議開催! 大衆的集会をめざす全国各地!
《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
三月の原発反対大衆行動──関西、東京、仙台などで大きな集会
《女川原発》舘脇章宏さん(みやぎ脱原発・風の会)
民意を無視した女川原発二号機の「地元同意」は許されない!
《福島》橋本あきさん(福島在住)
あれから10年 これから何年? 原発事故の後遺症は果てしなく広がっている
《東海第二》阿部功志さん(東海村議会議員)
東海第二原発をめぐる現状 
原電、工事契約難航 東海村の「自分ごと化会議」の問題点
《東京電力》渡辺秀之さん(東電本店合同抗議実行委員会)
東電本店合同抗議について―二〇一三年から九年目
東電福島第一原発事故を忘れない 柏崎刈羽原発の再稼働許さん
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク/経産省前テントひろば)
新型コロナ下でも毎週続けている抗議行動
《高浜原発》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
関電よ 老朽原発うごかすな! 高浜全国集会
3月20日(土)に大集会と高浜町内デモ
《老朽原発》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
大飯原発設置許可取り消し判決を活かし、美浜3号機、高浜1・2号機、東海第二を止めよう
《核兵器禁止条約》渡辺寿子さん(たんぽぽ舎ボランティア、核開発に反対する会)
世界のヒバクシャの願い結実 核兵器禁止条約発効
新START延長するも「使える」小型核兵器の開発、配備進む
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
山本行雄『制定しよう 放射能汚染防止法』
《提案》乱 鬼龍さん(川柳人)
『NO NUKES voice』を、もう100部売る方法
本誌の2、3頁を使って「読者文芸欄」を作ることを提案

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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