布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。

国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、今回は、ゲストでお招きした「夜明けのさっちゃんズ」のお話と桜井さんのお話の後半を紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆僕の妹が死んでから (「夜明けのさっちゃんズ」矢島敏さん)

僕たち「夜明けのさっちゃんズ」は、僕の妹の矢島祥子が死んでから10年間、毎月釜ヶ崎でやるライブで「釜ヶ崎人情」を歌い続けてきました。

たまたま祥子のことを取り上げたNHKの番組を、「釜ヶ崎人情」を作られた作詞家のもず唱平先生が見てくださり、僕たちのライブにきてくれました。そして祥子の歌をつくると約束してくださり、実現したのが今から歌う「さっちゃんの聴診器」です。

もず先生が詩を書いてくださり、それに僕が曲をつけました。今日はもず先生のお弟子さんの高橋曄子さんと一緒に歌います。**〈演奏歌唱タイム〉**

写真左から西川まさひささん、高橋樺子さん、swing masaさん、矢島敏さん。「夜明けのさっちゃんズ」は2009年の矢島祥子殺人事件を受けて、事件の真相究明活動で遺族が釜ヶ崎に通う中、ミュージシャンである長兄の敏さんが同地のミュージシャンと組んだバンド。敏さんは神奈川県茅ヶ崎市で三線工房をしている琉球民謡登川長師範

◆理不尽に殺害された痛みと冤罪の痛み(桜井昌司さん)

 

桜井昌司さん

理不尽に殺害された祥子さんの痛みと、冤罪の痛みは変わりませんよね。真面目に一生懸命生きてきた祥子さんが殺害されるなんて許されていいと思いません。残念ながら日本はそういう国だと思いました。

雨合羽とイソジンがいる大阪は大変ですね(笑)。あんないい加減な奴らがやっている政治はだめですよ(拍手)。ああいう人たちをもてはやして、世の中が変わると思っている人たちは駄目です。イソジンや雨合羽が悪いわけではなく、ああいう人を選ぶ人が悪い。

日本人は自覚しない。菅総理が何故4割も支持率とれるか理解できません。彼はまともな日本語しゃべれないじゃないですか。安倍さんはまだ嘘が上手だった。彼の親父の安倍慎太郎が晋三を「こいつほど言い訳のうまい男はいない」と言ったそうです。そのとおりで、嘘がペラペラでてくる。

ああいう人を良しとした日本という国は、やっぱりそういう国家なのだと思います。残念ながら、体裁だけ整えばいい国家。私は74歳になりますが、刑務所に29年いたから、今の社会に責任はありません(笑)。当時娑婆にいた方、責任とってください(笑)。一人一人が正しいことを正しい、正義を正義という社会にしようと思いませんか? 今日は、私が刑務所で書いた詩をライブで初めて朗読します。

「目くばせから」「カラスの鳴く朝に」「一度だけでも」「手」「25年目のラブレター」「同居者に」「空」

◆人様の善意と触れ合えたことが人間としてどんなに嬉しいか(桜井昌司さん)

父ちゃんやお袋のことを話すといつも涙がでてきます。「死んだお墓に布団はかけれない」と言いますが、今、うちの恵子さんの親の足が動かなくなって、実家に帰っていて私は自炊していますが、自炊するのも結構楽しい。どんなことがあっても、人生は楽しいと思っています。癌の食事療法も彼女がいたからできた。そのおかげで癌が治ったと思っています。本当に人様に守られ、生き永らえたので、少し世の中のためになるよう頑張ろうと思っています。

冤罪は本当に辛い。私のように明るく楽しく生きられる冤罪被害者はなかなかいない。20歳に逮捕して頂いたお陰で、54年たってもまだまだ元気ですよ。

私、詩人だったでしょう。刑務所のなかでちゃんと詩が書けた。なぜか? あの苦しみのなかで、日本国民救援会の皆さんから「頑張ってね」と言われた。人様の善意と触れ合えたからです。それが人間としてどんなに嬉しいか。あの善意の人たちと一緒に生きて、飾り気なく生きられる人生が、どんなにさわやかかと目覚めた。飾りのある人生はつまらないじゃないですか? 「あなた素晴らしい人ですね」と言われて、陰で何しているかわからなかったら、こんなに疚しいことはない。だから自分はあの29年があったことで、すべて浄化された気がする。

私はそれまでろくでもない男だった。嘘も上手かった。安倍や橋下徹なんかたいしたことないくらい(笑)。橋下の口はたいしたことない。吉村もアホ。だいたい高利貸しの代弁するような橋下や吉村は駄目ですよ。なんのために弁護士になったのか?弱い者を助けるためじゃないのと思いますよ。そういう弁護士が少なすぎる。
私は自分が馬鹿だからはっきりいうが、頭のいい奴もたいしたことはない。自分で馬鹿と言うほうが本当に楽です。
 
次は娑婆に帰って作った歌です。自分の幸せを救援会の人たちに作っていただいた喜びをどう伝えようかと思い、「今あなたに」という歌にしました。皆さんにお送りする歌です、聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです(桜井昌司さん)

4月13日菅さんが、福島第一原発から出た汚染水を海に流すと決めるそうです。トリチウムを海の水で薄めて流すから大丈夫だという。薄めて流す? そのまま流しても薄まるじゃないですか? 汚染水はきれいじゃない。トリチウムは消えない。なぜ嘘をいうのか? 地球は我々だけのものじゃない。我々には、人類が生まれてからずっと命の歴史を未来につなぐ義務があるじゃないですか。そのために政治しなくてはいけないのに、今がよければ、今、金儲けできればよいという。何なんだ! 怒りが湧きます。そういう人たちが多すぎる。恥ずかしいと思いませんか! 

お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです。我々が税金を納めるのはその税金で個人ではできないことをして欲しいから。こんなコロナの時こそ、税金を使って、全員に検査して、感染者見分けて、大丈夫な人は働けばいいでしょう。それをやらずに1年以上ぐずぐずと自粛ばかり続けている。大阪は、緊急事態宣言解除してたった1週間でまた「まんぼう」だという。なにやってるの? 我々、怒らなくてはなりません。私は怒ると癌になるので怒りません(笑)。みなさん、怒ってください。吉村どうにかしてください。声を広げて!

警察が悪いと知れば、社会の皆さん、悪いことは止めろと声をあげますよね。警察は真面目と思っているから、我々は信頼しているのであってね、やはり正義の声をあげて社会を変えましょう! 変えられますからね。**〈演奏歌唱タイム〉**

◆29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった(桜井昌司さん)

 

桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)

人はなぜ死ぬんでしょうか? 小学校4年の夏休みに「少年ジェット」という番組を見ていたら、悪人の怪傑デビルが人を殺した。そのとき、いつか死ぬと知って死ぬのが怖いと感じました。

「桜井、お前な、ここでやっていないというと死刑になるぞ。死刑になってから違うといっても遅いんだぞ。今のうちに観念して言え。助かれ」と刑事に言われましたね。そして私は死刑が怖くて「やった」と嘘を言ってしまいました。でも、一昨年癌と言われたときは全然怖くなかった。こんなに幸せに生きたんだから、死んでもいいと思った。今死ぬことが怖い人は、まだやることがあるからです。

昨日、ホテルに入って夜テレビをみました。先日亡くなった柔道の古賀さんが、膝をけがして金メダル取ったときのことをやっていた。「判定のとき負けてもおかしくないのに、なぜ勝てたか?」と聞かれ、古賀さんは「相手は私に勝つ気がない技を仕掛けてると判った。私は勝ち負けでなく、ひざが悪いので、柔道らしい柔道をしようと必死に迫めた。その気持ちが審判に伝わって勝ったのだろう」と、彼はいいました。

それを聞いた時、もしかすると私が人様に恵まれたのは、自分の一生懸命さが人様に伝わったのかもしれないと思いましたね。29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった。何も隠さないで済むようになった。嘘はやめよう、一生懸命生きようという思いをもってきた。もしかしてそれが人様に伝わったのかもしれない。

死ぬのが怖い人、今日を一生懸命生きてください。目の前のことに一生懸命にやってください。きっといいことがある。私は74歳、まだ夢はあります。本の最後でそれを書いてます。私はまだ才能が自分の中に眠っていると思っている。

もし、刑務所と同じような苦しみや困難が起こったら、自分の中に埋もれている何かが花開くかもしれない、本当に思っています。夢は「紅白歌合戦」と「徹子の部屋」(笑)。

では最後に「私の人生」を歌います。たった一曲だけ、私の作曲ではなく、大滝賢一郎さんという方が、テレビ東京の番組の中で作曲してくれました。聞いてください。**〈演奏歌唱タイム〉** (了)

◎[参考動画]桜井昌司さん、出版記念パーティーの一コマ
(竹内たつおさん撮影。竹内さんの4月11日フェイスブックより)
https://www.facebook.com/100025186875552/videos/888223768693844/

◎尾崎美代子「俺の上には空がある 広い空が」 布川事件冤罪被害者の桜井昌司さん出版記念会報告
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38753
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38827

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

東京裁判で戦犯として訴追されることを逃れた昭和天皇は、退位(明仁への譲位・弟宮による摂政)を否定した。

のちに触れるが、天皇は道義的責任と法律的な責任を明確にわけて認識していたようで、極東裁判で訴追されなかったことをもって、法律的な責任は回避できたと判断したのである。

しかし、国民のあいだには隠然たる批判があった。匿名ながら警察当局が蒐集したものとして、少なくない天皇批判が存在している。

いわく「天皇が退位した」「出家されたらしい」「沖縄に行ったようだ」「逮捕され絞首刑になった」などと、流言飛語や怪文書のたぐいはあとを絶たなかった。

◆メーデー・プラカード事件

公然としたもので有名なのは、メーデー・プラカード事件であろう。1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(正式名称は「飯米獲得人民大会」)のさいに、参加者の日本共産党員・松島松太郎の掲げたプラカードが不敬罪に問われた事件である。

 

「詔書 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)

「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)

このプラカードを見て、戦争がおわった日本は誰でも何でも発言できる自由がもたらされたのだな、と思うわれわれは歴史認識が甘すぎる。戦後も刑法が改定されるまで、治安維持法や不敬罪が存続していたのだ。

検察庁は松島を刑法74条違反で訴追したが、松島側は「ポツダム宣言の受諾によって天皇の神性消滅を受けて不敬罪は消滅した」と主張して争った。

いったん不敬罪で起訴されたものの、GHQの「天皇といえども特別の保護を受けるべきではない」という意向により、罪名は名誉毀損罪に変更される。

第一審(東京地裁昭和21年11月)は不敬罪を認めず、天皇個人に対する名誉毀損罪のみが認められた。のちの控訴審において、不敬罪の成立可能性の認定は引き継がれるも、新憲法発布による大赦で松島は免訴(裁判停止)となった。

政府はもとより、裁判所と検察は判例を残すことを肯んじなかったのであろう。大赦(恩赦)は法的には君主の職権(明治憲法では天皇の大権事項、戦後憲法では天皇の国事行為)であるから、松島は昭和天皇に赦されたことになる。

◆日本共産党の天皇制批判

その松島が所属した日本共産党は、戦前からゆいいつ天皇制を批判してきた政党である。のみならず、天皇制を絶対君主制として打倒対象にしてきた党だった。有名な32年テーゼから引用しよう。

「日本における具体的情勢の評価に際しての出発点とならねばならぬ第一のものは天皇制の性質及び比重である」として、天皇制を以下のように規定する。

「日本において1868年以後成立した絶対君主制は、その政策に幾多の変化を見たにも拘らず、無制限絶対の権をその掌中に維持し、勤労階級に対する抑圧及び専制支配のための官僚的機構を間断なく造り上げた」

「日本の天皇制は、一方では主として地主として寄生的封建的階級に立脚し、 他方では又急速に富みつある強欲なブルジョアジーにも立脚し、これらの階級の棟領と極めて緊密な永続的ブロックを結び、継々うまく柔軟性をもつて両階級の利益を代表し、それと同時に、日本の天皇制は、その独自の相対的に大なる役割と、似而非立憲法的形態で軽く粉飾されているに過ぎない。」

論点を以下の様に定式化することができる。

(1)天皇制とは「似而非立憲法的形態で粉飾されているに過ぎない」「絶対君主制」、すなわち「天皇制的国家機構」である。

(2)それは「一八六八年以後成立し」「その政策に幾多の変化を見たにも拘らず、無制限絶対の権をその掌中に維持し」ている。

(3)天皇制は「地主として寄生的封建的階級」「急速に富みつつある強欲なブルジョアジー」に立脚し「これらの階級と極めて緊密な永続的ブロックを結び」「両階級の利益を代表し」ている。

(4)「勤労階級に対する抑圧及び専制支配」「国の経済および政治的生活においてなお存するありとあらゆる野蛮なるもの」の維持という「独自の,相対的に大なる役割」を保持し「国内の政治的反動と一切の封建制の残津の主要支柱」「搾取階級の現存の独裁の輩固な背骨」となっている。

(5)その機能を果たすために天皇制は「官僚的機構を間断なく造り上げ」「最も反動的な警察支配を布」いている。

つまり天皇制とは、明治維新以後成立した絶対主義的国家機構であり、地主・ブルジョアジーに立脚し,両搾取階級の独裁および勤労階級抑圧の機能を遂行する反動的・専制的支配体制の第一義的構成要素ということになる。

 

戦後はアメリカ帝国主義の支配を受けつつも、絶対主義的な国家機構を残存させ、ブルジョア階級の支配を補完している。したがって勤労階級にとって、天皇制は打倒対象である。

しかしその共産党は、51年綱領による武装闘争方針(ロシア共産党およびコミンフォルムの決定)で、国民政党としての性格を急速に失っていく。35人いた国会議員が、武装闘争の過程でゼロになってしまうのだ。徳田球一をはじめとする指導部は、朝鮮戦争の勃発とともに公職追放となり、いわゆる冷戦体制のもとで、天皇制批判は封印されてしまうのだ。

50年代の武装闘争路線は、朝鮮戦争の後方かく乱が目的だった。朝鮮人民軍と中国の義勇軍がアメリカ軍を追い落とし、難民が日本に押し寄せたとき、イッキに戦後革命の烽火が上がる。北海道にソ連軍が上陸して、中国の占領地と分割されるか、日本に革命政権が樹立するか。その中で天皇制も廃絶されたかもしれない。その戦後革命は山村工作隊による農村根拠地禍という誤りや、GHQの謀略によって頓挫する。その挫折とともに、天皇批判も後景化されるのだった。

 

いっぽう、昭和21年(1946)から昭和29年(1954)にかけて、昭和天皇は全国を巡幸している。昭和21年元旦をもって、神から人間になった天皇が国民と接し、戦後復興をともに担う国民のシンボルとなる過程でもあった。

畏れ多い現人神から、親しまれる人間天皇へ。平和憲法の冒頭をかざる「国民統合の象徴」として、天皇は戦争責任から解放された。戦争の艱難辛苦をともに体験し、廃墟からの復興をともに歩む存在となったのである。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

「なぜですか? なぜですか?」。毎日新聞記者が福島県原子力安全対策課職員に詰め寄った。県職員は小さな声で「昨日申し上げた通りです」と答えるばかり。不透明な汚染水の海洋放出方針決定劇を象徴する場面だった。

政府の基本方針決定から2日後の4月15日午前に開かれた「第2回原子力関係部局長会議」。この日、内堀雅雄知事が上京し、17時から梶山弘志経産大臣と面会して県の意見を伝える事が既に県政記者クラブには伝えられている。つまり、この会議が国に物を言う前の最後の会議。当然、そこで何が話し合われるのかを県民に伝えなくてはならない。しかし、同課は前日の「第1回会議」に続き、この日も非公開で話し合う事を決めた。毎日新聞記者はそれに納得出来ず、抗議をしたのだった。

「会議を取材させるよう記者クラブとして抗議しています。でも変わらない。13日も知事に会見に応じるよう申し入れたのですが、ぶら下がり取材すら行われませんでした」

県政記者クラブ加盟社の記者は言った。梶山大臣から政府の基本方針決定を伝えられても何も語らず、会議も非公開では「透明性」も何も無い。しかし、司会役の鈴木正晃副知事は開始1分足らずでメディアに退出を求めた。廊下には複数の原子力安全対策課職員が門番のように立ち、扉の前で中の様子を伺おうとする記者を排除した。配られた資料にも県の意見は全く無かった。国に「幅広い関係者の意見を丁寧に聴け」と求めて来た内堀知事は、最後まで議論を密室に封じ込めたのだった。

20分ほどで会議を終えると、内堀知事はようやく隣室に姿を現した。アクリル板越しの会見が始まった。しかし、ここでも記者たちは内堀知事の発言に驚かされる事になる。

「福島県自身が容認する、容認しないと言う立場にあるとは考えておりません」
朝日新聞記者の質問に、内堀知事はそう言い放ったのだった。頭の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。それは民主主義であり、地方自治であった。政府が決めた汚染水の海洋放出方針を伝えられてから丸2日。内堀知事の口から出たのは「賛否を明らかにしない形での事実上の〝容認〟」という最悪の結論だった。結局、2日前と何ら変わらなかったのだ。

上京前の会見でも「容認する、しないを言う立場に無い」と語り、海洋放出への賛否を示さなかった内堀知事

「早期に国に対してまとめた福島県としての意見を申し上げるため、われわれとしては最大限の対応を行っている」と言う割には、梶山大臣に手渡された「福島第一原子力発電所における処理水の処分における申し入れ」には、ほとんど中身が無かったと言って良い。内堀知事は「関係者に対する説明と理解」、「浄化処理の確実な実施」、「正確な情報発信」、「万全な風評対策と将来に向けた事業者支援」、「処理技術の継続的な検討」を国に求めたが、これらは、これまで県議会や定例会見などの場で発言してきた内容と変わらない。河北新報記者も「これまでと同じ事を改めて要望するように聞こえる」と質したが、明確な答えは無かった。

しかも、賛否を示さない一方で国に求めている内容は海洋放出を前提にしたものばかり。筆者は「県内7割の市町村議会から出されている海洋放出に否定的な意見書は無視されるのか」と質問したが、内堀知事は「福島県内においては海洋放出に反対される意見、タンク保管継続を求める意見、風評を懸念する意見、あるいは一方で、このままタンク保管を継続されると特に地元自治体の復興やふるさとへの住民の帰還を阻害する。こういった事を心配する意見など様々なご意見があります」としか答えない。「様々なご意見」はどこへ行ったのか。何をどう判断して〝容認〟に至ったのか。全く答えないまま、内堀知事は東京へ向かったのだった。

ちなみに、前述の毎日新聞記者は当然、なぜ会議を非公開にしたのか質している。それについても、内堀知事は「やはり県として意見全体として取りまとめるうえで、これまで、様々な原子力関係の意見を整理する際には一定程度クローズで行い、そのうえでその結果をオープンにするという形をとっているところであり、それと同様の対応を行っているところであります」と述べるばかりで、全く答えになっていなかった。

2日間にわたって開かれた福島県の「原子力関係部局長会議」は非公開。取材陣を閉め出して行われた

知事が県民への説明責任すら果たさないまま、国や東電に責任を押し付ける形でなし崩し的に〝ゴーサイン〟が出た汚染水の海洋放出。海に流す事自体の是非など話し合われず、海洋放出による影響は「風評被害」という都合の良い言葉に収れんされた。そもそも海洋放出の影響は福島県近海にとどまらないが、福島県内でさえ、議論が十分になされているとは言えない。実際、小名浜港で釣り人に声をかけたが、返って来た答えはどれも「原発汚染水?反対も何もねえよ。気にしていたら、ここに釣り人なんかいねえっぺよ」や「どうでしょうねえ。私らが何を言ったって海洋放出は変わらないだろうし、賛成も何もねえ…」だった。

廃炉作業を進める東電の不祥事が続いた事も、国や福島県にとっては好都合だった。

自民党の佐藤憲保県議は、内堀知事への申し入れの際「再三の指摘にもかかわらず繰り返される不祥事が後を絶たない。こういう中にあって本当に事業者として県民が信頼を置いて処理水含めて廃炉作業にあたって行かれるのか」と述べ、内堀知事も「私自身、特に柏崎刈羽原発の核物質防護策の問題、これは極めて重大な問題だと受け止めております」と答えた。公明党県議も「度重なる東電の不祥事。東電に対する信頼関係は本当に全く途絶えていると言っても過言でない」と語っている。

東大経済学部を卒業後、旧自治省、旧大蔵省、総務省を経て福島県生活環境部長、企画調整部長、副知事を務めた後に福島県知事になった内堀知事が国の意向に絶対に逆らわないのは周知の通り。だから、東電を責める事が出来たのは渡りに船だったのだ。

いわき市・小名浜港近くの食堂でメヒカリ定食を食べた際、店主は「汚染水はどうなることやら。私たちにはさっぱり分からない」とぼやいていた。内堀知事はそういう声にも何も答えていない。〝風評被害〟に対する補償の話だけが独り歩きしている。物言わぬ内堀知事の罪は重い。(おわり)

◎鈴木博喜《NO NUKES voice》物言わぬ福島県知事の罪──汚染水の海洋放出決定の舞台裏
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38723
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38726
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38729
〈4〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38732

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08XCFBVGY/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。

 

桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)

無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、お話の部分を前半と後半に分けて紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆癌の宣告を受けた時、ほとんど動揺しなかった

皆さん、こんにちは! 先日、「冤罪犠牲者の会」で初めて屋形船に乗ったんですよ。屋形船ってコロナ騒動があったので、みんな敬遠していましたが30人で乗りました。料理は目の前で作ってくれるし、川の上なので風が吹いて換気もいい。私は、2019年に癌になって飲まないようにしていたが、当日は結構飲んで久々に記憶がなくなりました。ずっと酒をセーブしてきて、顔色も良くなり、癌もほとんど消えたようです。これからがまだ大変ですが。

私は、癌の宣告を受けた時、ほとんど動揺しなかった。「あっきたな。どうしよう」と思っただけです。最初に食事療法を紹介してくれたのは、SwingMasaさんで、その時は「食事で治るはずない」と聞き逃していましたが、その後ほどなく別の方からも紹介され、食事療法の店にいったら、富田林のMasaさんの店の隣でびっくりでした。あれ以来おかげさまで治ってきました。

 

桜井昌司さん

ただし肉、魚、小麦粉、化学調味料、砂糖などずっと食べないでやっていくのはどれだけ大変か。やはり意志力が問われます。自分にそれができたのは人様の支えだと思う。本当にこれまで人様に支えられてきたのだと、改めて思いました。子供の頃から私は人に恵まれてきた。自分は、口は悪しい大した人間じゃないのに、何故こんなに人様に恵まれるのか、不思議でしょうがないです。

刑務所にいるとき、娑婆に帰りたいと思いましたが、そう思うと、自分がその思いに負けてしまうと思い、その気持ちを捨てました。刑務所にいる限り、その中で満足する日を送ってやろうと心から思っていました。その千葉刑務所で、帰りたいという思いを歌にした「帰ろ、帰ろ」を聴いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆娑婆に帰ってから作った歌

刑務所から帰ったとき両親はもういなくて、一番悲しかったのは、家に帰ったとき、いとこが「昌司、これがあんたの家の柿の実だよ」と柿の実を1つとっておいてくれて、その時ぼろぼろ泣きましたね。親のいない家に帰ったときの空しいような切ないような気持ちを思い出しましたね。

次の曲は娑婆に帰ってから作った歌「春風の乙女」です。帰ったとき、親戚の小学校の娘らが、毎日競うように我が家に来て学校のことを話してくれたり、毎日5キロくらい走るのに着いてきてくれた。その子たちをイメージしてつくりました。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆数えきれない位いる私の恩人

私の恩人は数えきれない位います。一人は、1審で無期懲役判決が出た後、拘置所に面会にきた柴田五郎さんという弁護士さんです。「何やったか言ってみろ」というので「窃盗しました」というと、チェッと舌打ちする。「なぜ自白した」というので、これこれと説明するとまたチェッと舌打ちする。最後に「この事件は裁判で勝てないから、社会に訴えろ」という。

弁護士が裁判で勝てないとは、なかなか言わないでしょう? 変わってる弁護士だなと思いましたね。その後、国民救援会を教えていただき、手紙を書きました。もちろん返事はすぐには来ない。するとまた柴田弁護士が面会にきて「手紙だしたか?」ときく。「出しました」「返事は?」「まだです」「また手紙書け」と言って帰る。

柴田弁護士の言うとおり、裁判では勝てませんでした。11年裁判やって無期懲役が確定して千葉刑務所に送られ、それから44年かかって勝ったので、柴田先生の言う通りだった。冤罪に関わる弁護士は沢山いますが、刑事裁判で負けてから、自分でイニシアティブを取って再審をやろうという弁護士はなかなかいない。でも柴田先生は違った。「おれは桜井と杉山と同じで無期懲役を受けた。再審をやる」と言って下さった。あの先生がいたから、今の自分があると思います。

柴田先生はもうお亡くなりになったが、古い弁護士も新しい弁護士もみんな同じ、先生と呼ぶのはやめようとなり、思想信条関係なく「布川事件をやろう」と声をかけてくれ、広い心でやってくれた。あの先生と出会えなかったら、救援会とも出会えなかったし、高橋勝子さんとも出会えなかった。このかっちんという女性がまたいい人で、彼女の5月の誕生日に「五月の空に」という曲をプレゼントしました。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

じつはかっちんも癌で、東京で開催される出版記念パーティーにも来られないというので、ちょっと胸がつまってしまいました。プロじゃないですね。今日は皆さんにお金を出して参加して貰っているのにね。踏んだり蹴ったり殴ったり(笑)。すみません。許してください。

自分は演歌が好きで、刑務所でも良く口ずさんでいました。社会に帰ってきたとき、ヤクザになっていた友達が「昌司、ヤクザなんてしょせん金だ。汚い世界だ。辞めたいがなかなか辞めれない。お前が羨ましい」と言っていました。

最後は堅気になって、自宅で焚火をして火が飛んで火傷して入院したら癌が見つかり、3ケ月で亡くなった。彼とカラオケにいくといつも「昌司、歌ってくれ」という曲。ああ、涙出てきた。いい奴でした。では「若いふたり」。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆拘置所に入っている11年間は歌えなかった

彼が死んで11年。本当に骨と皮になって死んでしまいました。阿修羅って知ってます? 髪がもじゃもじゃで、今にも日本刀持って飛び出しそうな顔で、彼はそんな顔で死んでました。私は「寝ろ、寝ろ」と言ってしまいました。死に顔って凄いですよ。笑って死んでいる人も2人見ましたが、やっぱり生きたように死んでいくのではないかと思いました。多分、私は笑って「幸せだったな」と死んでると思います。死んだらぜひ会いにきてください(笑)。

次は北島三郎さんの「川」。私は歌に自信があったんですね。ところが拘置所に入っている11年間は歌えなかったので、声が出なくなった。千葉刑務所に移ってのど自慢大会に出たが、全然だめで鐘が2つしか鳴らなかった。おかしい、おかしいと思っていて、もうすぐ娑婆に出るというとき、この「川」を歌ったら突然すっと声がでた。「あれ、出るんじゃん」と思い、そのあとののど自慢大会では風邪ひいて、準優勝でしたが、そのときの思い出の歌です。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆社会に戻って24年、なんて社会って楽しいのか

皆さん、刑務所ではお酒飲めないのは知っていますよね。私は20歳のとき逮捕されたので、そんなに飲みたいとは思いませんでした。それまでも酒飲んで酔って騒ぐだけで、美味しいとか思いませんでしたから。娑婆に戻ってビールで乾杯しましたが、苦くて不味いと思いましたが、1ケ月たたないうちに、あっというまに「美味しい」と思えてきた(笑)。

11月14日に帰ってきて、12月4日から働き始めた。楽しかった。刑務所では走ったら怒られるが、娑婆で土方やったら、重いものを持ったら仲間が喜ぶし、身体も鍛えられる。汗かいて気持ちいいしビールが美味しいし、金も貰える。天国だと思った。なんて社会って楽しいのかと。社会に戻って24年になりますが、楽しいことばかり。悲しいことってあったかな? 去年ちょっとありましたが、それ以外全て楽しいことばかり。こんなんでいいのでしょうか? やはり29年間刑務所で不自由を味わい、いつも自由をみつめてきたから、自分が自由で何でも出来るということが本当に幸せです。

多分みなさんは刑務所の不自由を知らないから、自由は当たり前になっている。でもその自由の尊さをいつも有難いと思って生きられるのは、こんなに嬉しいことはない。だから29年、刑務所に入れて頂いたことに心から感謝しています。嘘ではありません。本にも書きましたが、私は真犯人なんか何も興味はない。人間というのは、自分のやったことを決着できるから生きられる。決着できないで、自分の中にずっと持ち続け生活していくということは、辛いことだと思う。

自分自身も決着できないことが2、3個あります。清算しようと思っても出来ない。でもその苦しさは本人しかわからない。真犯人が人を殺した事実は消えようもない。自分は昔泥棒しました。この事実は消えない。もしその泥棒で誰かの人生が変わったら、取り返しがつかない。犯罪とはそういうことだと思ったら、真犯人が逮捕されず刑務所に行かなかったら、「あんた気の毒だね」と考えてしまう。決着つけたら、また違う人生があったかもしれない。何、話してたんだっけ? 酒の話ですね。1週間前、金(聖雄)監督らと飲んで楽しかったなあ。(金監督、桜井さんにビールを届ける)。「酒よ」を歌う前に少し飲みます。では聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

先月初めて腸に再生を示す数値がでてきました。再生が始まった。皆さんはトイレが普通でしょうが、私の場合は普通でなかったが、この頃普通に出るようになった。出血もほとんどなくなった。もし自分が治ったら「癌は治りますよ」と言って、教祖様になってしまいますね(笑)。最初は本当に死を覚悟して、こんなに幸せだったからもう死んでもいいやと思ったが、本当に皆さんに感謝しかありません。これからもう少し頑張りますという気持ちで、刑務所にいるとき作った演歌「屋台酒」を歌います。(つづく)


◎[参考動画]MICSUNLIFEが恩師に捧げる/ありがとう。(桜井昌司Ver.) 男性3人で構成する音楽ユニット「Mic Sun Life」のリーダーSUN-DYUさんこと土井佑輔さんも、泉大津コンビニ強盗事件の冤罪被害者で、無罪を勝ち取ったのち、仲間と冤罪撲滅ライブなどを開催している

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

選挙速報である。北海道と長野の補選、広島再選挙、名古屋市長選で自民党の敗北が確定した。0勝4敗だが、そのうち北海道2区は自民党員の個人的な立候補である。おもな候補者名と23時現在の当落をお知らせする。

【衆院北海道2区補選】
〇当確 松木謙公(62) 立民(国民・共産・社民推薦)
    山崎 泉(47) 維新
    斉藤忠行(29) N教党(旧N国党)
    長友隆典氏(52)自民党員

※衆院北海道2区の補選は、自民党が候補者の擁立を見送ったことで、野党候補松木謙公の圧勝に終わった。開票5分後には当選確実が決まる。


◎[参考動画]衆院・北海道2区補選 立憲・松木謙公氏が当選

【参院長野補選】
〇当確 羽田次郎(51) 立民(国民・共産・社民推薦) 
●    小松 裕(59) 自民(公明推薦) 
    神谷幸太郎(44)N教党

※参院長野選挙区は羽田雄一郎元国交相の死去にともなう補選で、弟の羽田次郎が当選。弔い選挙でもあり、当初から野党の圧勝が予想されていた。北海道と同じく、開票5分後に当選確実となった。


◎[参考動画]参院・長野選挙区補選、立民・羽田次郎氏が当選確実

【参院広島再選挙】
〇当確 宮口治子(45) 諸派(立民・国民・社民推薦) 
●    西田英範(39) 自民(公明推薦) 
    山本貴平(46) N教党

※河井案里の当選取り消しをうけて、再選挙となった広島参院選挙区は、与野党の一騎打ちとなったが、野党候補宮口治子の勝利に終わった。県連会長の岸田文雄政調会長にとって、厳しい結果となり、ポスト菅の一番手から大きく後退した。


◎[参考動画]宮口はるこからのメッセージ(4.25 広島 参議院再選挙候補)

【名古屋市長選挙】
〇当確 河村たかし(72) 減税日本 
●    横井利明 (59) 無所属(自民・公明・立民・国民・連合愛知推薦) 

※河村たかしと横井利明の事実上の一騎打ちとなった名古屋市長選挙は、選挙につよい河村の勝利となった。大村秀章愛知県知事リコール運動における、署名の大量偽造に加担した説明責任もないままの当選となった。大阪における維新の基盤の強さとともに、地方政権の独自性は、それとして尊重されるべきだろうが、偽造署名はあまりにもみっともない。


◎[参考動画]名古屋市長選が投開票 現職の河村たかし氏事務所の様子(2021年4月25日)

総選挙の前哨戦、政権交代も展望される選挙の年は、第2ラウンドで自民党が敗北する結果となったのである。すでに山形県知事選挙、千葉県知事選挙、北九州市議選で大敗し、政権交代への流れが出来つつある。新聞各紙、テレビ局の支持率では40%を維持している自民党が、なぜか選挙では勝てない。

第3ラウンドである東京都議会選挙を前に、自民凋落の理由を分析しておく必要があるだろう。

55年体制(自民党成立)以降、これまでに政権交代は2度あった。一度目は1993年、日本新党(連立政権)の細川護熙政権。二度目は2009年、民主党の鳩山由紀夫政権である。

細川政権の場合は自民党の内部分裂、および新党ブーム(日本新党・新生党・新党さきがけ)があり、それ以前に社会党のマドンナブームによる躍進など、政治の流動化による大規模な政界再編がもたらしたものだった。

いっぽう2009年の民主党政権は、第一次安倍政権下2007年の消えた年金問題に端を発した自民党長期政権への批判だった。安倍政権の「お友だち内閣」閣僚のドミノ倒し的な不祥事、失言による交代、そしてそれを批判する民主党への期待が、07年の参院選挙における自民党の敗北へ。2008年の都議選における大敗、そして2009年の総選挙における歴史的大敗(民主党308議席・自民党119議席)へと結果したのだった。安倍の病因辞職から、選挙をへないまま福田康夫、麻生太郎と、短期政権がたらいまわしされることに、自民党支持層もふくめたNO!が突き付けられたものだ。

こうしてみいると、政権交代には理由があることがわかる。

◆安倍晋三復活への道すじ

ひるがえって、現状はどうだろう。コロナ禍に苦悶する菅政権は、オリンピック開催問題でゆきさきの見えない政治的危機を内包している。ちなみにオリンピックはIOCの存続(放映権収入)という前提から、無観客でも開催されるのは必至であろう。

政権不支持の要素としては、安倍政権時代の「森友・加計・桜を見る会」政治資金疑惑、アベノミクスが株主を潤おしても、庶民の生活に好況感がもたらされなかったことが挙げられる。まさに安倍晋三はコロナ禍とともに、みずからの旧悪が批判されることで、火だるまになるのを怖れて病因退陣したと指摘しておく必要があるだろう。

したがって、菅政権が一敗地にまみれたとき、そしてコロナ禍が免疫獲得で克服されたとき、「日本を再建する」というスローガンで再登板する可能性がある。菅では戦えない選挙も、安倍の復帰なら可能性があるといおうものだ。

ここから先は、政治家の容姿も問題になる局面だ。見るからに「貧相」で「辛気臭い」「華がない」菅では困る。現状の自民党の敗北は、じつはこのあたりが理由なのかもしれない。まことに残酷なことだが、政治家は容貌も政治なのである。
たとえば1989年の宇野宗佑政権で、宰相にふさわしくない容貌と女性問題が、漫画風刺されたのを思い起こせば、その後の宇野政権の参院選における敗北、二カ月での退陣も説明がつくであろう。

加えて、再三指摘してきた演説力のなさ。プロンプターがなければ、満足に正面を見ていられない会見、そして秘書官頼みのトホホな答弁。


◎[参考動画]国民投票法改正案、安倍前総理“早期成立を”

◆第3ラウンドを予測する

前述したとおり、第3ラウンドは都議選挙である。2009年の政権交代の前哨となったのが08年の都議選であり、いったん動きはじめた政権交代への流れは止め度を知らなかったものだ。

前回の都議選では、公明党の協力を得られなかった自民党が巻き返しに出るか、都民ファーストの会が前回の小池旋風からどこまで地域政党として地盤を築いたかが勝敗を左右するところだ。国政での政権交代をめざす立憲民主、国民民主、共産党、れいわ新選組は、地力が問われることになる。現在の立候補予定数、および( )内は現有勢力である。

自民党        59人(25)
都民ファーストの会  44人(46)
公明党        23人(23)
共産党        29人(18)
立憲民主党      27人(7)
東京みらい       3人(3)
国民民主党       3人(0)
日本維新の会      6人(1)
れいわ新選組      3人(0)
NHK受信料を支払わない方法を教える党 3人(0)
生活者ネットワーク   3人(1)
新風(自民)      1人(1)
自由を守る会      1人(1)

7月4日投開票の都議会選挙は、7月21日から競技が始まるオリンピックとかさなる。遅くとも告示日の6月25日には、オリンピック開催の概要が決まっているだろう。

すでにコロナの第三次緊急宣言によって、プロ野球と大相撲(5月場所)に無観客試合の要請があった。東京六大学野球は5000人限定だったところ、25日の開催から無観客となった。

このまま行けば、おそらくオリンピックは国民の大半が反対、にもかかわらず無観客で開催されるであろう。オリンピックが民意によるものではなく、IOCおよび各種競技団体、協賛スポンサー団体、何よりもアメリカ三大ネットワークをはじめとする放送局・広告業界のビジネスであるからだ。

民意を無視した利益優先の競技大会が、それでもスポーツの感動を生むのか、誰も中止を言い出せなかった無責任な茶番劇となるのか。そこはまさにJOCおよび東京都の運営の手際によるのかもしれない。参加する選手たちには奮闘して欲しいものだが、政治が利用してきたオリンピックに、ほかならぬ政治が翻弄される可能性が出てきたと指摘しておこう。(記事中敬称略)


◎[参考動画]自民党・二階幹事長 “東京五輪中止も選択肢” コロナ感染状況で(2021年4月15日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

復興や風評払拭に貢献するような団体は喜んで知事室に招き入れる内堀雅雄知事。逆に原発事故で福島県外に避難した県民とは頑なに面会しようとしないが、その姿勢は汚染水問題でも同じだった。梶山弘志経産大臣が去った福島県庁では、県議会の4つの会派が内堀知事に緊急申し入れを行ったが、共産党県議団だけ原子力安全対策課長に対応させたのだ。これにはある県議も「そこが役人。全ての会派と会えばいいのに」と呆れた。

知事が最も手厚く迎えたのは当然、最大会派・自民党福島県議会議員会(29議席)だ。

「国内外に対して科学的根拠に基づく海洋放出の安全性・妥当性についてのていねいな説明を繰り返すとともに、専門家によるトリチウムの性質や処理水に関する正確な情報の発信に全力で取り組むよう国に求めること」などを要望されると、わざわざ佐藤憲保県議に「よろしければ」と水を向け、マイクを握らせるサービスぶり。そして「ひとつ踏み込んで申し上げますと、東京電力の信頼性の問題があります。先般、小早川(智明)社長がこの部屋に来られて最近、さまざまな不祥事あるいはトラブルが相次いでいる事について謝罪がありました。私自身、特に柏崎刈羽原発の核物質防護策の問題、これは極めて重大な問題だと受け止めております。そういう状況下における今回の方針決定について県民の皆さんには不安、懸念がある、これが現実だと思います。こういった点を十分に考慮に入れ、国に対して今後県として言うべき事を伝えて参ります」と答えてみせた。

自らの考えを県民に示す事はせず、県民の見ていないところで海洋放出を〝容認〟する。民主主義もどこ吹く風。これが〝オール与党〟の弊害か。それとも支持率8割のおごりなのか。しかし、議会側も弱腰だった。第二会派・県民連合議員会(立憲民主党系、18議席)は結局、「海洋放出反対」を明確に打ち出す事は出来なかった。「慎重な判断を求める緊急申し入れ」では「処分方法を含め安易な判断は避け、責任をもって県民に説明するよう国に強く求めること」などを内堀知事に要望するにとどまったのだ。

申し入れ後に会派控え室を訪ねると、所属県議たちは一様に歯切れが悪かった。

「汚染水を海に流しちゃ駄目だとは言ってない? そうだね。断言はしていない。要は慎重に判断しろって事で…駄目だと文字では言ってねえけど、やっぱり基本的には賛成出来ないっていうかな。んだ。海に流して良いとは思ってはいないけれども、思ってないよ。うん。だけど、そういうのも含めて、良く県民の意見を聴いてもっと過程を大事にしてまとめるようにしなさいと。まだ努力が足りないし、認識もまだ…」

「まだ考える時間もありますし、そういったところは県民の立場で慎重な判断をしろってことで…」

「県議会なので、やっぱり県民の意識がどうなっているかが一番大事で、例えば大方の県民が海に捨てろと言えばわれわれ単独で判断する問題では無いし、今の段階では7割近い県民が駄目だって言っているわけだから…われわれとしてはそれを大切にしているということです」

県議会への対応では露骨に差をつけた内堀知事。自民党など3会派からの申し入れには自身で対応したが(写真上)、共産党からの申し入れは原子力安全対策課長に受け取らせた(写真下)

実は、立憲民主党の金子恵美衆院議員(福島県伊達市出身)は前夜の緊急街宣にリモート参加し、海洋放出反対を明言している。

「私たちは復興庁、環境省、農水省に申し入れをしました。経産省には9日に申し入れました。昨秋の申し入れから全く何も進んでいないじゃないかという事です。十分な国民的議論も無い。陸上保管を続ける間に海洋放出以外の処分方法を検討せよと求めてきましたが、この半年間何もやって来なかったじゃないですか。恐らく明日の午前中には海洋放出方針が決定されるでしょう。でも、それであきらめてはいけない。安易な海洋放出はあってはならないと言い続けたいと思います」

自分たちが担ぎ上げた知事と身内の国会議員との間に板挟みになりながら苦し紛れに出した申し入れ。一方、公明党福島県議会議員団(4議席)も民意と国政とのはざまで決して「海洋放出反対」を打ち出す事はしなかった。幹事長を務める伊藤達也県議が廊下で取材に応じた。

「公明党福島県本部に『ALPS処理水海洋放出検証委員会』を設置しましたので、そこで風評対策や処分方法、環境モニタリングなど、しっかりと安全性の担保をとれるように検証をして(容認するか否かを)決めていきたいと思っています。科学的な安全性とかその辺は理解していますし、双葉町や大熊町が『タンクがある事自体風評が続いている』と言っている事も理解していますので………それは分かるのですが、風評対策とかそれをしっかりしないまま流されると大変な福島にとっては復興が遅れますので、そこをしっかり見ながらやっていきたいと思います」

結局、明確に「海洋放出方針の撤回」を申し入れたのは日本共産党福島県議団(5議席)のみ。しかし、内堀知事に代わって申し入れを受け取った原子力安全対策課の伊藤繁課長は、取材に対し知事と同じような物言いをした。

「基本方針の決定については梶山大臣から報告を受けました。その中身についてはこれから精査をして県としての意見を国に伝えるという事になりますので、あの内容でOKだとか駄目だとか、そういう判断をするものではありません。これから必要な意見は国に申し上げていくので、海洋放出に対してイエスでもノーでもありません。ですが、処理水の問題はこれまでも『海洋放出反対』とか『タンク保管継続』とか、あとは『早くタンクを無くしてくれ』とかいろいろな意見があってですね、やっぱりそれぞれの地域とかそれぞれの立場、業種に応じてやっぱりそれぞれの意見というのがあるんですね。知事もたびたび言いますけれども、特に原子力に限っては、やはり一つの意見として取りまとめるのは難しい問題があるのです。なので単純にイエスとかノーとか言えるものでは無いというところがあります」

県民に何も語らないまま、一方で県議会には露骨な態度を見せながら、内堀知事の言う「政府の基本方針の精査」が始まった。いつまでに県の意見を取りまとめるのかも分からない。そして2日後、ついに内堀知事が記者団の前に立った。(つづく)

◎鈴木博喜《NO NUKES voice》物言わぬ福島県知事の罪──汚染水の海洋放出決定の舞台裏
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38723
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38726
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38729
〈4〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38732

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08XCFBVGY/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

先日、テレビで未解決事件の特集をやっていて、京都精華大学生通り魔殺人事件も取り上げられていた。私はこの事件について、数年前、公開されている情報をもとに現地を取材したことがある。「犯人像」について確信に近い思いを抱いていることがあるので、ここに記しておきたい。

◆何より重要な情報はママチャリ

この事件が起きたのは、2007年1月15日夜7時45分頃だった。京都精華大学1年生、千葉大作さん(事件当時20歳)が自転車で帰宅中、京都市左京区岩倉幡枝町の歩道上で見知らぬ男とトラブルになり、刃物で刺され、亡くなった。

目撃情報によると、犯人は年齢が20~30歳、身長は170~180センチ、髪はセンター分けだがボサボサ。服装は黒色ジャンパーに黒色のズボン、登山靴のようなものを履いており、いわゆる「ママチャリ」と呼ばれる婦人用の自転車に乗っていた。顔や上半身を左右に振り、言葉尻に「アホ、ボケ」を連発し、目の焦点が合っていない人物だったという。

以上のことは京都府警がホームページで公開している情報に基づくが、私が何より重要な情報として注目しているのは、犯人がママチャリに乗っていたということだ。

◆犯人は遠方からやってきた可能性

というのも、犯人の移動手段がママチャリであれば、普通は近隣に住んでいる人物だ。したがって警察も当然、近隣の不審な人物はしらみつぶしに調べているはずだ。それでもなお、犯人の検挙に至らないのはなぜなのか。それはつまり、犯人は遠方からやって来た可能性があるからにほかならない。

実際、現場の道路は車通りの多い幹線通り沿いの歩道で、この道は東方に進めば滋賀県や東海地方に、西方に進めば福井県に通じている。何十キロとか何百キロ離れた場所で暮らす犯人が何かのきっかけでママチャリでの大遠征を思い立って移動中、通りかかってもおかしくないような場所なのだ。

現場は幹線沿いの歩道。犯人はママチャリで遠方からやって来た可能性も……

◆犯人の検挙に13年半を擁した事件との複数の共通点

私がそのような推測をする理由は、実は似た前例があるからでもある。当欄で昨年、犯人の裁判員裁判の傍聴記を書かせてもらった広島県の廿日市女子高生殺害事件だ。

この事件も2004年の発生当初、被害者の北口聡美さん(事件当時17歳)が自宅敷地内の離れで殺害されていたことなどから、犯人は顔見知りの人間である可能性が高いように思われていた。しかし発生から13年半が過ぎ、ようやく検挙された犯人の鹿嶋学(検挙当時35)は、隣県の山口県で暮らしており、北口さんとはアカの他人だった。

鹿嶋本人の公判証言によると、朝寝坊で仕事を遅刻しそうになった鹿嶋は、やけになって原付バイクで東京に行こうと考えて移動中、「セックスをしたい」と思い立ち、犯行を決意したという。そして路上で見かけた北口さんを家までつけ、自宅敷地内の離れの部屋にいたところを襲おうとしたが、逃げられて逆上し、持っていたナイフで何度も刺したとのことだった。

ちなみに鹿嶋が持っていたナイフは、東京に行く途中に野宿する予定だったため「ナイフがあればどうにかなる」と考えて購入したものだったという。

千葉さんが殺害された事件とこの広島の事件では、現場が幹線道路沿いであることや犯人の移動手段が「遠方からやって来たとは考え難い乗り物」であることが共通している。千葉さんを殺害した犯人は事前に計画して犯行に及んだとは思い難いため、「なぜナイフを持っていたのか?」も謎の1つだが、鹿嶋のような考えからナイフを所持していた可能性を考えてみることもできる。

いずれにせよ、千葉さんを殺害した犯人は、犯行時の言動からして異常な人格であることは動かし難い。犯行に及んだ経緯なども常識にかからないものである可能性は想定したほうがいいだろう。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

4月13日昼。心配された雨予報は外れた。来県する梶山弘志経産大臣に直接、海洋放出反対を伝えようと福島県庁前には多くの人が集まっていた。そこに浪江町からやって来た吉沢正巳さん(希望の牧場・ふくしま)の街宣車「カウゴジラ」も加わり、普段は静かな庁舎前は熱気に包まれていた。時折、雲の間から太陽が顔をのぞかせた。この時、よもや内堀知事が梶山大臣に何も意見を述べなかったとは、誰も考えていなかった。

そもそも、なぜ反対の声があがっているのか。いわき市小名浜で11日に緊急スタンディングを行った「これ以上海を汚すな!市民会議」共同代表の佐藤和良さん(いわき市議)は、「決定過程」、「実害」、「陸上保管の可能性」の面から次のように語っている。

「汚染水の海洋放出方針は閣議決定しないんです。閣議決定すれば大きな意味を持ちますが、閣議決定しないで原子力災害対策本部の下部組織である『廃炉・汚染水関係閣僚等会議』で基本方針を決定して、それを東電に実施させようという事なのです。これは一見、当たり前のように見えて実は無責任きわまりない決定の手法です。政府のどこが責任をとるのか分からないような、そういう決め方というのはいかがなものか。責任ある政治ではありません」

「彼ら(国や東電)が言う『風評被害』。しかし『風評』では無いんですね。『実害』がずっと続いている、『実害の連続』なんですよ。それで、必要があったら賠償しますよと。これは、事故以降続いている被災者切り捨てそのものではないでしょうか。絶対に認めるわけにはいきません」

「(汚染水を溜める)タンクを置く場所が無いと言いますが、あります。燃料デブリの保管庫を5、6号機の陸側につくるというんです。あの空間だけでも相当数のタンクを保管出来る。それと、そもそも汚染水が発生しているのは水冷しているからですよね。水冷しないで空冷に転換するのはいつなんだ。実際には崩壊熱は相当下がっていますから。空冷に転換すれば汚染水自体は発生しなくなるわけです。タンク貯蔵を続けていっても可能だという事です」

4月13日昼、梶山経産大臣に直接、海洋放出反対を伝えようと福島県庁前には多くの市民が集まった。陸上保管継続を訴えたが、政府も内堀知事も耳を貸さなかった

一方、福島県の内堀雅雄知事は県議会の答弁で、何度も「トリチウムに関する正確な情報発信」という言葉を使っている。まるで海洋放出を後押ししてきたかのようだ。

昨年6月議会では「トリチウムを含む処理水の取扱いにつきましては、4月に関係者の御意見を伺う場が開催され、その取り扱い方針を決めるに当たり、具体的な風評対策の提示とトリチウムに関する正確な情報発信に国及び東京電力が責任を持って取り組むよう意見を申し上げてまいりました」と延べ、9月議会でも「私は、これまで国及び東京電力において、具体的な風評対策の提示とトリチウムに関する正確な情報発信に責任を持って取り組むとともに………求めてまいりました」と答弁。12月議会でも「トリチウムを含む処理水の取扱いにつきましては、これまでも機会を捉え正確な情報発信に取り組むとともに………国と東京電力に求めてまいりました」

では、トリチウムだけが問題なのだろうか。昨年2月には、当時の県危機管理部長が汚染水について「燃料デブリを冷却するために注入した水が放射性物質に汚染され、この水と建屋に流入する雨水や地下水が混ざることにより発生」と定義したうえで、次のように答弁している。

「タンクには放射性物質を含む汚染水を多核種除去設備で浄化した、いわゆる『ALPS処理水』が約94%、多核種除去設備で浄化する前のいわゆる『ストロンチウム処理水』が約6%の割合で貯蔵されております。『ALPS処理水』はトリチウムを除く62種類の放射性物質の濃度を低減した処理水のことであり、約111万トンが貯蔵されております。多核種除去設備でトリチウムを除く放射性物質を告示濃度未満まで低減することが可能とされております」

「『ストロンチウム処理水』はセシウム吸着装置等でセシウムやストロンチウムの濃度を低減した処理水のことであり、約7万トンが貯蔵されております。『ALPS処理水』に残存する放射性物質につきましては、コバルト60、ストロンチウム90、セシウム134などのいわゆる主要7核種などがあり、告示濃度を超える処理水の貯蔵量は約78万トンとされております」

これについて、福島大学共生システム理工学類の柴崎直明教授(地下水盆管理学・水文地質学・応用地質学)は、12日夜に福島駅前で行われた「DAPPE」(Democracy Action to Protect Peace and Equality=平和と平等を守る民主主義アクション)の緊急街宣に参加し、「トリチウムトリチウムと言われますが、タンクの中にはトリチウム以外にもALPSで除去し切れていない放射性物質がまだたくさん残っています」と警鐘を鳴らしている。

「ALPS(多核種除去設備)では62核種を除去できると言っていますが、これまでの東電の評価ではそのうちの主要7核種だけを測って、他は推定して放出出来る濃度を下回っているかを判断しています。ところが昨年、いくつかのタンクのサンプルを細かく測ったところ、ALPSでは除去出来ない核種も含まれている事が判明しました。海に流すと言うのなら、きちんと測るべきです。福島県の『原子力発電所の廃炉に関する安全監視協議会』専門委員を2013年から務めていますが、今もってどのような技術的方法で薄めて流すのかという説明は全くありません。非常に心配になります」

海洋放出容認派の多くが、トリチウムだけを取り上げ「国内外の他の原発からも日常的に海に放出されている」と口にする。だが、前述の佐藤さんは次のように反論する。

「IAEA体制、ICRP体制の下で原発推進側がやっている事であって、世界の原発がやっているから安全が担保されているかと言えばそうではない。過酷事故を経験した福島こそ一番安全な原子力防護策をとるべきではないか。それが私たち被災者の義務だと思います」

内堀知事との面談の後、福島県庁内の廊下で「大臣、海洋放出に反対する市民の声は聞こえませんでしたか?」と声をかけた。梶山大臣はにらむようにこちらを一瞥しただけで何も答えなかった。そして、反対の声をあげる市民を避けるように、次の目的地である浜通り(双葉町、大熊町、福島県漁連)に向かった。(つづく)

 

◎鈴木博喜《NO NUKES voice》物言わぬ福島県知事の罪──汚染水の海洋放出決定の舞台裏
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38723
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38726
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38729
〈4〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38732

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

検索エンジンYahoo Japanには掲載された記事によるが、読者がコメントを書き込むことができる機能がある。わたしはこれまで、このような場所にコメントを書き込む行為は、みずからの発信行為に反するので控えてきた。

だけれども「東京五輪」や「原発」についてコメントしたら、どのような反応が返ってくるのか。そのことを試すために、あえていくつかの書き込みを試みた。そのスクリーンショットが以下の通りである。

やや見にくいので解説をすると、Yahoo Japanが掲載した記事の見出しとそれ対してわたしが書き込んだコメントを順番に並べた。返信とあるのはわたしのコメントに対しての返信の数で、わたしのコメントを肯定した数(「いいね」とも呼ばれるらしい)とわたしのコメントに対して否定的な方が意思表示した数が表示されている。

16日の本通信で「東京五輪に対する世論の変化」を体感的なものとしてだけ記した。けれども、わたしの体感は実態から大きく外れてはいなかったことが、数字で証明された(数字は4月16日、なおコメントはすでに消去した)。

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出しと筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

ここに示したものは、わたしが書き込んだすべてのコメントではない。特徴的なものだけを抽出していることを、あらかじめ申し上げておく。それにしても総論「五輪開催反対」あるいは「聖火リレーのバカらしさ」をときに感情的に、別の記事には冷静に書き込んだコメントいずれにも、肯定の意を示して下さる方の数が圧倒的である。

わたし自身がもっとも驚いたのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」と記す)が、賢明にも「東京五輪」不参加を決めた記事へコメントへの肯定者数である。通常、朝鮮について記事を書くと、記事の内容にかかわらず、脊髄反応のように否定的な反応や批判が返ってくる。わたしはプロフィールにメールアドレスを明かしているので「非国民」といったメールが届くことも、珍しくはない。

しかし、極めて恣意的に小泉政権時代から植え付けられた「朝鮮アレルギー」をも凌駕して、「東京五輪開催反対」の世論は急激に形成されている。週末に行われる共同通信の世論調査は、かねてより政権与党に甘い設問で埋め尽くされ、政治以外の質問も回答には限られた選択肢しか用意さない。社会調査法の基礎を学んだ人に見せれば、まったく客観性を欠く恣意的な調査である。しかし、その恣意的な調査であっても「五輪反対」の割合が増すことはあれ、減ることはない。

それが、コロナ禍という不幸な理由であったにせよ、五輪の本質が暴かれ、広く認知された事実は注目に値するだろう。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]五輪・原発・コロナ社会の背理

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

昨秋の正式決定先送りから半年。ついに「汚染水の海洋放出」が政府の基本方針として正式決定された。今月13日昼過ぎ、決定を伝えるべく梶山弘志経産大臣が福島県庁を訪れた。部屋を埋め尽くした取材者の関心はただ一つ。正式決定を伝えられた内堀雅雄知事が何を語るのか。これまで自らの言葉で賛否を明確にして来なかった内堀知事も、さすがに経産大臣の前では(たとえそれがポーズであったとしても)海洋放出に少しでも否定的な言葉を述べると思われた。だがしかし、内堀知事は思いもよらぬ言葉を発して取材陣を驚かせた。

「この処理水の問題は、福島県の復興にとって重く、また困難な課題であります。県としてこの基本方針について今後精査を行い、改めて福島県としての意見を述べさせていただきます」

時間にしてわずか30秒。会談もわずか6分で終了した。感染症対策のため距離を空けて相対した内堀知事は、梶山大臣が官僚の用意したペーパーを棒読みするのをひたすら聴くだけだった。原発事故発生から10年が過ぎ、県内の漁業者だけでなく国内外からも反対の声があがっている「汚染水の海洋放出」はこうして、首長が言葉を発しないという形で〝容認〟を示し、2年後の放出開始に向かって大きく動き出したのだった。

福島県庁を訪れ、汚染水の海洋放出方針決定を伝えた梶山経産大臣(右)。内堀知事は何も意見を語らぬまま、事実上容認した

内堀知事は日頃から、意見が鋭く対立するような懸案に対する自身の考えを口にしない。汚染水問題でも、業を煮やした県政記者クラブがどれだけ質しても、のらりくらりの内堀話法は健在だった。

「海洋放出にかなり傾いているという報道もありますが、海洋放出とされた場合、2021年4月の本格操業は可能だと思われますか」

「仮定の話にお答えする段階にはないと思います」(2020年10月12日)

「先日、政府の決定後には見解を述べたいと知事は話しておりました。それは今も変わりありませんか」

「現時点においては、そういった状況にはないと思いますが、国から何らかの対応方針が示されれば、それに対する県としての意見は申し上げてまいります」(2020年10月19日)

「県は、これまで処理水の処分方法については賛否を示しておりませんが、その情報が十分に伝わって風評対策が整えば、処分を容認するというお考えでしょうか」

「現時点において、仮定の前提に対してお答えをする段階にはないと考えております」(2020年11月2日)

地元紙が号外を出した後に行われた今月12日の定例会見で、河北新報記者から「知事は以前から『方針決定がされた後に県として言うべき事を言う』とご説明されてきましたが、その点はお変わりありませんでしょうか」と問われても、「現在まだ国として最終的な方針が出ているわけではありません。今後の国の動向を注視して参ります」とかわしたほどだった。

海洋放出方針決定報道を受けて、既に郡山駅前やいわき市小名浜での抗議行動が始まっていた。県内の7割の市町村議会からは、昨秋の段階で海洋放出に否定的な内容の意見書が国に出されている。それら県民の想いをふまえた言動をするどころか、完全に無視する知事。今月13日午前には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が海洋放出方針を県として拒否する事などを申し入れたが、席上、水藤周三さん(福島市在住)は業を煮やしたようにこう訴えた。

「内堀知事はこれまで、『政府の方針決定後に意見を述べる』、『処理水の処分については、まだ具体的に言及する段階には無い』などと記者会見等で述べ続けてきました。しかし今、時は来ました。今こそ県民に寄り添った意見、『海洋放出は容認出来ない』という意見を明確に述べるべきだと思います。これ以上、意見表明の先延ばしは許されません」

海洋放出を拒むよう福島県に申し入れた「これ以上海を汚すな!市民会議」。水藤周三さんは「今こそ県民に寄り添った意見を国に伝えるべき」と語ったが、内堀知事には届かなかった

郡山市議の蛇石郁子さんも「内堀知事自らがしっかりと発言していただきたいと思います。それが県知事の役割です。当然の事です。私たちの想いをきちんと国に伝える。そういう知事の姿を見せていただきたいと思います」と語気を強めた。

だが、そこは県職員も〝わきまえて〟いる。要請書を受け取った原子力安全対策課の加藤英治副課長は「本日、海洋放出の方針が決定されたという事はマスコミを通じて承知をしておりますけれども、まだ国の方から説明を受けておりませんので『詳細については不明』という事になっております。今後、正式な申込書を確認したうえで、今後の取り組み、対応について検討していきたいと思います」と述べるにとどめた。

三春町から駆け付けた大河原さきさんは、誰もが抱いている疑問をストレートにぶつけた。

「内堀知事が海洋放出に反対の立場をはっきりと示さないのはなぜなのでしょうか?」

加藤副課長は答えられない。答えられるはずが無い。15秒ほどの沈黙が続いた後、力無い声で「海洋放出は国の責任において決定するものだというふうに考えております」と答えるのが精一杯だった。そんな言葉で納得出来ない大河原さん。こみあげる怒りを必死に抑えるように、涙声で想いをぶつけた。

「国の方針を聴いてからでしか答えられないというのは、国の方だけを向いているからではないですか。市町村議会の7割が否定的なのに、なぜ県知事はそれに応えないのでしょうか。(処分方針を)早く決めろという意見はあったけれども、海に流して良いという意見はひとつもありませんでした。この場に知事に来てもらって、県民の意見を聴いてもらいたいんです。梶山大臣とだけ会うのでは無くて、知事が会わなくてはいけないのは県民なんですよ。きちんと意見を聴くべきですよ。本当に怒っています。県民の方を向かない知事でとても哀しいです。県民は怒っているという事を内堀知事に伝えてください。次の世代に対して本当に申し訳が立たない。2年後に流すと政府は言っていますが、県も県民と一緒になって動いて欲しいと思います」

加藤副課長は黙ったままだった。梶山経産大臣が到着する時刻が迫っていた。(つづく)

◎鈴木博喜《NO NUKES voice》物言わぬ福島県知事の罪──汚染水の海洋放出決定の舞台裏
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〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38726
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38729
〈4〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38732

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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