3月28日、名古屋市内で「冤罪 名張毒ぶどう酒事件の全国支援集会&全国の会総会」が開催された。事件発生から60年目のこの日、午後11時から名古屋駅周辺で大規模な宣伝活動が行われ、雨の中、200人もの人たちが参加。14時から始まった支援集会&全国の会総会会場もあふれんばかりの参加者で埋め尽くされた。
1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民会で開かれた村の親睦会で、ぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡する事件が発生、奥西勝さん(当時35歳)が逮捕、起訴された。1964年12月23日津地方裁判所は、検察側の死刑求刑を退け、奥西さんに無罪判決を言い渡し、奥西さんは釈放された。一方、検察はこの判決を不服として名古屋高裁に控訴、1969年9月10日、名古屋高裁は、無罪判決を破棄し、奥西さんに逆転死刑判決を言い渡した。1972年6月15日、上告が棄却され、奥西さんの死刑が確定した。
奥西さんはその後も無実を訴え続け、再審を闘い続けてきた。2005年4月、第7次再審請求で再審開始が決定されたが、検察官の異議申し立てにより再度逆転し、翌年取り消し。2015年10月4日、無実を叫び続けた奥西さん(89歳)は、八王子医療刑務所で無念の獄死を遂げた。その後、妹の岡美代子さん(再審請求時86歳)が名古屋高裁に第10次再審を申し立てた。
集会では、岡美代子さんのビデオメッセージが紹介された。
「この60年間は家族にとって言葉につくしがたい苦しみの歳月でした。兄・勝は5年前無実を叫びながら獄死するにいたってしまいました。私はどうしても許すことができません。私は年齢ですが、最後のお願いになるかもしれません。兄・勝は絶対やっておりません。長い再審の闘いを通じて兄・勝の無実は明らかです。1審は無罪、そして再審請求でも一旦は開始決定を頂いています。無実の証拠が次々と明らかにされていましま。すべての証拠を明らかにして、まっとうな判断をして頂きたいと願っております。この目で無実の判決を見届けたいとの思いでいっぱいです。」
しかし、岡さんの申し立てから4年間、名古屋高裁は、弁護団との面会を拒否し、審理を行ってこなかった。高橋裁判長に対する弁護団の3度の忌避申立と支援者の抗議が実り、2019年12月、名古屋高裁刑事部第二部に鹿野伸二裁判長が着任し、それまで一切動かなかった裁判所が一転して動くようになった。
弁護団は裁判長と面談し、①検察官の未提出証拠につき裁判所から証拠開示するよう働きかけてもらいたいこと、②ぶどう酒瓶の封緘紙裏面についている糊の成分を特定するため、フーリエ変換赤外分光光度計による再測定を許可してほしいことなどを強く求めていた。会場で行われた市川哲宏弁護士の報告から、再審へ向けて新たな動きを見てみよう。
◆「犯人は毒物を混入したあとで、栓を閉めて封緘紙を張り直した」
農薬が混入されていたぶどう酒瓶の蓋には封緘紙(ほうかんし)がまかれていた。奥西さんの自白では「公民館の囲炉裏の間で、火箸でぶどう酒の瓶の外蓋を突きあげて開けた。外蓋が飛んでいったとき、封緘紙も切れて外れた」「農薬を入れ、栓を閉めるときは内蓋を手で閉めて栓をした。外蓋は外れたままでした」とされていた。それが事実なら、封緘紙には、ぶどう酒が製造された段階でつけられていた工業用のCMC糊が付着しているはずだ。
一方、真犯人が、封緘紙を切って外し、外蓋と内蓋を開け、農薬を入れ、内蓋と外蓋を閉めて封緘紙を張り直したと考えた場合には、封緘紙には工業用の糊に加えて、真犯人が張り直したときに使った別の(一般家庭にあるような)糊が付着しているのではないか。もし別の糊が付着していた場合、奥西さんの自白による開栓方法とは全く違ってくるうえ、真犯人が公民館以外の場所でぶどう酒に毒物を混入し蓋を閉め、封緘紙を張り直した可能性がでてくる。つまり、犯行現場は公民館の囲炉裏の間で、奥西さんにしか犯行の機会がないという裁判所の事実認定の誤りが明らかになるのだ。
弁護団は、2020年8月、裁判所にフーリエ変換赤外分光光度計を持ち込み、澤渡教授と封緘紙の裏面についていた糊の成分の再測定の実験を行った。結果、封緘紙の裏面に工業用のCMC糊に加えて、洗濯糊に利用されるPVAを成分とする糊が付着していることが判明した。10月5日、弁護団は、この再測定に基づいて作成された鑑定書を新証拠として裁判所に提出した。
◆「紙がまいてあった」との供述調書が新たに開示された
そんな中、今年に入り、未開示の供述調書9通の存在が明らかになった。検察官は、開示の必要なしとの意見だったが、裁判所が検察官に開示するよう促し、3月3日開示された。9通の供述調書は、事件当夜の親睦会に参加していた会員のもので、3月30日、31日と事件の記憶が鮮明な時期にとられたものだ。うち3通は、公民館に運ばれたあとのぶどう酒瓶について、封緘紙がついていたかどうかを述べるものであった。警察官に「封をしている紙(封緘紙)があったかどうか?」と聞かれ、「蓋がしている処に紙がまいてあった」「王冠のふちに封した紙を巻いてありましたので」と供述している。
これらの供述は、奥西さんの自白と矛盾する事実を示すばかりでなく、先の糊問題の新証拠が示す事実と整合する極めて重要な証拠だ。
弁護団は、今回の証拠開示をきっかけに、事件の本丸ともいえる「ぶどう酒瓶到着時刻問題に関連する関係者の初期供述証拠」の開示を実現させたいと考えている。ぶどう酒瓶が会長宅へ到着したのはいつかを決着をつけるため、犯行を行える人物が本当に奥西さん以外いなかったのかを証明するために、すべての未開示の供述調書や供述に関する捜査報告書などの一切の書面が開示されなければならない。
弁護団が作成した表によると、まだ大量の証拠が検察により隠されている。2月5日、裁判所は検察官に対して、事件当日の親睦会に参加した者の供述調書およびこれらの者に関する証拠書類と、公民館に運ばれたあとのぶどう酒瓶の状況に関する捜査報告書などについて、弁護人に開示されているもの以外に存在するかどうか、存在する場合にはその証拠の標目を明らかにされたいなど2事項について求釈明を求めた。これに対して検察は、3月14日「現在弁護人に開示されているもの以外に『開示すべき証拠』は存在しない」などと、正面から答えようとしない不誠実な回答を提出してきた。
検察官は公益の代表者、証拠という公共の財産の管理者である。事件解明のためにすべての証拠を公にし、60年前のあの日、小さな村で何が起きたかを明らかにしなくてはならない。奥西さんを犯人にするために、村人の証言が、徐々に変わってきた(変えられてきた)ことで、村の人たちへも非難の目がむけられた。検察が全ての証拠を開示していたならば、事件はより早く確実に解決し、村の人たちも凄惨な事件の全貌を理解し、新たな一歩を踏み出せたはずだ。
冤罪は冤罪犠牲者やその家族だけではない、すべての事件関係者の人生を取り返しのつかないものにしてしまう。検察はすべての証拠を開示し、1日も早く奥西勝さんと岡美代子さんに無罪判決を言い渡せ!
◎[参考動画]名張毒ぶどう酒事件全国支援集会&全国の会総会(tadaaki nagao 2021年3月28日)
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58