自身が批評されていることもあり、つい長くなった誌面紹介は、【検証】「士農工商ルポライター稼業」は「差別を助長する」のか(第九回)『「士農工商」は「職階制」か「身分制度」か 再考』である。
楽しみにしていた「伝説のルポライター竹中労の見解」は、昼間たかし氏の「士農工商ルポライター稼業」に関する部落解放同盟の中間報告がまだ、という事情から掲載延期となった。
「竹中労の見解」(差別事件)というのは、美空ひばりをリスペクトする記事の中で、「出雲のお国が賎民階級から身を起こした河原者の系譜をほうふつとさせる。……ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」というものだ。
これを部落解放同盟が糾弾し、双方ではげしいやり取りがあったとされる。ここで言えることは、下層階級出身や下層労働者などが、竹中労において身分差別である部落差別と混同されていることであろう。部落差別は「貧困」や「地域格差」だけではない、貧富にかかわらず存在するものだ。富裕な人々でも「お前は部落民だ」と差別されるのである(野中広務への麻生太郎の差別的発言)。
◆そもそも黒薮氏のコメントは「批判」なのか?
さて、その代わりというわけでもないと思うが、わたしが本通信に掲載した下記の記事と、それに対する黒薮哲哉氏の松岡利康氏のFBでの批判コメントが取り上げられている。
◎横山茂彦「部落史における士農工商 そんなものは江戸時代には『なかった』」(2021年3月27日)
◎横山茂彦「衝撃満載『紙の爆弾』6月号 オリンピックは止められるか?」(2021年5月8日)
だが、本誌今号の引用記事を一読してわかるとおり、「差別の顕在化は近代的な人権思想によるもの」「これまでの差別がおかしいなと気づくのは、じつに近代人の発想なのである」というわたしの論脈と、黒藪氏の「搾取・差別の認識が生まれるのはおそらく次の時代でしょう」に、ほぼ内容上の異同はない。
その時代には顕在化しない差別も、つぎの時代の価値観で明らかになる。と、同じことを主張しながら、不思議なことに黒薮氏は、わたしを「批判」しているのだ。
自分と同じ内容で「批判」された相手に反論するのは、およそ不可能である。
それがなぜ「典型的な観念論の歴史観で、史的唯物論の対局(ママ)にあります」となるのか? そもそも黒薮氏には、どの文脈がどう「観念論の歴史観」なのか、そして氏が拠って立つらしい「史的唯物論」がどのようなものなのか、FBへの書き込みに何の論証もない。
したがって、わたしは本通信の記事を誤読されたものと「無視」してきた。だが黒藪氏にとっては不本意かもしれないが、今回活字化されたことで、氏の過去の記事にさかのぼって検証せざるをえない。
もうひとつ、今回活字化されて気づいたことだが、黒薮氏は江戸時代に「階級や階級差別が客観的に存在しなかったことにはならないでしょう」と述べている。鹿砦社編集部も「本誌の立脚点は、黒薮氏のこの意見に極めて近いといえます」という。身分差別を階級差別と言いなしているのだとしたら、大きな錯誤と言わざるを得ない。
階級とは生産手段の私的所有を通じた、所有階級とそれに隷属せざるをえない非所有階級の分化という意味であり、江戸時代においては武士階級と百姓・町民階級が身分制と相即な関係にあるのは間違いではない。
しかし、百姓と被差別部落民は身分において武士階級に分割支配されているのであって、そこにある差別を階級間とはいえないのだ。百姓の中にも名主(庄屋・肝煎)などの村役人、本百姓(石高持ち)、水呑百姓の階級区分を、もっぱら土地所有によって、われわれが「階級差」としているにすぎない。そこには貧富の差が階級差別とそれをふくむ身分差別でもあっただろう。
ひるがえって、被差別民の多くは寺社に従属しては死穢にかかる役割を得て、町奉行に従属しては刑務を役目とすることが多かった。これらの場合、寺社代官や武士階級に従属する「階級」とは言い得ても、百姓との関係では身分の違い、そこにおいて差別を受ける存在だったというべきである。これを逆に言えば、一般の百姓よりも富裕な被差別民もいたという意味である。つまり両者を分けるのは階級差ではなく、身分差ということになる。
身分差別と階級差別を混同する危険性は、その独自性(部落解放運動と労働者の階級闘争)を解消する、いわゆる左翼解消主義の思想的基盤となると指摘しておこう。これらのことについては、さらに稿を改めて歴史的な解消主義をテーマに詳述したいと考える。
◆論点は「士農工商ルポライター」である
黒薮氏の松岡氏FBにおける「批判」を無視していたのは上記のとおり、黒薮氏の論旨の混乱に反論したところで、議論すべき論軸から逸れる可能性が高かったからである。
この考えは今も変わらない。それよりも黒藪氏においては、12月号の「徒に『差別者』を発掘してはならない」において、「現在、江戸幕府などが採った過去の差別政策が誤りであったとする」世の中の認識があるから「士農工商ルポライター稼業」が「差別を助長する世論を形成させることはない」「差別表現ではない」とした認識は、そのままでよいのだろうか。
これ自体、わたしはきわめて差別的な見解だと思う。記事中に杉田水脈議員の差別的な言辞を例に、昼間たかし氏を擁護しながら展開される「意図しない差別は差別ではない」という論脈についても、撤回されないのだろうか。杉田議員擁護については、今回の事件の部落差別を助長する重大なテーマゆえに「論軸」をずらさないために「無視」してきたが、書いた責任はこれからも問われると予告しておこう。
わたしは「紙爆」1月号の「求められているのは『謝罪』ではなく『意識の変革』だ」において、身分差別は時の権力者の政策ではなく、われわれをふくめた国民・一般民の中にこそあると指摘してきた。それゆえに、部落差別は意図せずに起きるのだ。
差別的表現を「名誉棄損」と混同する点や「寝た子を起こすな」的な記述(ここに大半が費やされている)も、部落解放運動の無理解にあると指摘してきたつもりだ。これらへの反論・釈明・あるいは必要ならば自己批判こそ、黒薮氏の行なうべきことであろう。
◆論軸をずらさない議論
議論において「論軸」をずらし、戦線を拡大してしまうことについては、元新左翼活動家の悪い倣いで、わたしには論争相手を壊滅的に批判する作風の残滓がある。
いわゆる論争(批判・反批判)というものは論軸をしぼり、相互批判の方向を発展的な論点に導く必要がある。言いかえれば当該のテーマにおいて、論争それ自体が有益な議論を獲得するのでなければならない。
つまり、いたずらに相手をやっつける議論ではなく、議論の中から研究的な成果が得られる内容がなければならないのである。それに沿って、議論をすすめていこうと思う。
◆「職階制」は近代的概念である
ところで、鹿砦社編集部のいう「職階制」とは、どの文脈で出てきたのだろう?
そもそも、わたしは記事中に「『職分』(職階=職業上の資格や階級。ではない)」と、わざわざ鹿砦社編集部の誤用を指摘したつもりだった。
『広辞苑』によれば、職階は「経営内の一切の職務を、その内容および複雑さと責任の度合いに応じて分類・等級づけしたもの」となる。
わたしは「職分」(職業上の本分)とは書いたが、職階なる言葉・概念が江戸時代の歴史研究に馴染むものとは考えない。そもそも士農工商が「職階制」であるとの主張をしたつもりもない。
というのも、いまや江戸時代に「農民」という概念・呼称があったのかどうかという疑問が提出されているからだ。士農工商ばかりか、村人や農民という呼称すら史実にふさわしくないと、歴史教科書から消されつつあるのだ。
「士農工商」の「士」のつぎに「農」という概念が強調されるのは、幕末・明治維新の農本主義思想(平田国学)に由来すると、以前から指摘してきたところだ。つまり思想上の問題であって、それこそ重農思想がもたらした「観念論」、現実にないものを言語化したものなのである。
東京書籍の『新しい社会』のQ&Aから引用しておこう。
≪「百姓」とはもともとは「一般の人々」という意味でした。「百聞は一見に如かず」などと使われるように,「百」という言葉は「多くのもの,種々のもの」を意味します。やがて,在地領主として武士が登場すると,しだいに年貢などを納める人々を指すようになり,近世には武士身分と百姓身分が明確に区別されることになりました。百姓身分には,漁業や林業に従事する人々もおり,百姓=農民ということではありません。≫
◆差別は再生産される
議論すべき論点は、部落問題が江戸時代の「封建遺制」(日本共産党の見解)ではなく、現代もなお再生産されるもの、ということである。
すなわち、現代における部落問題の歴史的本質は、資本主義的生産諸関係の資本蓄積と、資本の有機的構成の可変にもとづく、景気循環における相対的過剰人口の停滞的形態(景気の安全弁、および主要な生産関係からの排除)。そこにおける封建遺制としての差別意識の結合による差別の再生産構造、生産過程とそれを補完する共同体が持つ同化と異化による差別の欲動(共同体からの排除)、そしてその矛盾が激しい社会運動を喚起する。帝国主義段階においては、金融資本のテロリズム独裁(ファシズム)が排外主義思想を部落差別に体現し、そこでの攻防は死闘とならざるを得ない。これらの実証的な検証という論点こそ、今日のわれわれが議論すべき課題なのだ。かりにも「史的唯物論」にもとづく分析方法ならば、部落問題に限っては、これらをはずしてはありえない。
これが70~90年代階級闘争の大半を、狭山差別裁判糾弾闘争をはじめとする部落解放運動に、部落民の血の叫びを間近に感じながら糾弾を支援し、またかれらに糾弾されながら経験してきた理論的地平である。
◆江戸時代に身分差別が存在したのは言うまでもない史実である
ひるがえって「『職階制』か『身分制度』か」という鹿砦社編集部の設問自体が、士農工商に即していうならば、論証不可能(史料で実証できない)ということになる。身分制はともかく、職階制はそもそも近代概念なのである。
士農工商の制度的な存否と、江戸時代における身分差別の存否は、もって異なるものなのだ。ここでも「論軸」は、士農工商の存否と身分差別の存否、として区別されなければ、議論の意味がない。
そして江戸時代に身分差別があったかどうかは、江戸時代がそもそも身分を固定する身分制社会(身分間の移動は可能だったが)であり、百姓身分のほかに差別的に扱われる「被差別民」が存在したことに明白である。くり返すが、士農工商が身分制度かどうか、とはまったく別の議論なのだ。
その「被差別民」も具体的には、各地方で呼称も形態も異なり、現代のわれわれが考えるほど単純なものではない。
たとえば東日本では「長吏」、西日本では「皮田(革多・河田)」、東海地方では「簓(ささら)」、薩摩藩では「四衢(しく)」、加賀藩では「藤内」、山陽地方では「茶筅」、山陰地方では「鉢屋」、阿波藩では「掃除」など。
高野山領では「谷の者」あるいは「虱村(しゃくそん)」、長州藩では「宮番」、と、地形と地域を表す呼び方もある。これらを総称して「穢多」といえるのは、家畜の死骸を処理する固有の「特権」があり、食肉・皮革産業に従事していた職業的な特徴である。家畜の遺骸を処理することが賤視につながったのは、百姓たちの共同体と仏教信仰を範疇に納めなければ理解できない。
ほかにも被差別民の存在は、中世いらいの伝承や慣習、地域的に劣悪な条件があいまって、中世的な「惣(村落共同体)」の排他性や地域的な検断や公事(裁判)などによって形成されたものであって、為政者が「公文書」で上意下達的に「差別」させたものではないのだ。
いっぽう、「非人」は罪刑によって非人とされた者、寺社に従属する職業身分、あるいは罪人を取り扱う職業、浮浪者を排除する非人番の者たちという具合に、「穢多」とは職業・地域の構成要件がちがう。
ただし、江戸にいたとされる非人数千人は、非人頭を介して穢多頭の浅草矢野弾左衛門の支配下にあったというから、単純に線引きできるものではないようだ。
以上のごとく、江戸時代が身分差別のあった社会であることは、これで十分に納得いただけるものと考える。そして得られる結論は「士農工商……」が、江戸時代の身分差別の根拠ではない、という論点である。(了)
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。