カレンダー上ではついに7月に突入した。今年、7月のカレンダーは判読するのが難しい。「東京五輪」開催を前提に、休日がいくつかずらされているからだ。鹿砦社が龍一郎氏に依頼して作成しているカレンダーでは、19日が「海の日」で休日となっているだけであるが、ことしに限っては「東京五輪」開催に合わせてほかの月の休日を含め、大幅な変更が行われるらしい。馬鹿げているからそのいちいちは検証しないが、読者諸氏もあと2週間ほどすれば、急な休日発生に驚かれることであろう。
◆われらの内なる奴隷根性
それにしても、人間という生物がここまで愚かで、退化の速度が速いとは想像もしなかった。日本だけに焦点を当てれば「知性」、「想像力」、「理性」、「科学的態度」の劣化はさまざまな局面で著しく、「この国民は長くは持つまい」と感じてきた。
しかし、わたしのなかにも欧米信仰のような幻想は残っていたのだ。たとえば「東京五輪」開催については、欧州のいずれかの国あるいはWHOだか何だか知らないけども、国際機関のいずれかが「感染拡大の危険性があるから開催すべきではない」との態度を示してくれるのではないか、との甘い期待があった。
やはりそれば、欧米信仰であり、わたしの奴隷根性の発露であった。深く自己批判せねばならない。よくよく考えるまでもなくWHOのまとう政治性やIMFやWTO、UNICEF、UNESCOなどの欺瞞についてはとうの昔に気が付いていたではないか。20世紀最後半に発生したアジア通貨危機は、結果としてIMFの指導下で収束を図られることとなったが、当時IMFの重責を担っていた人物の中にアジア通貨をコントロールできる人間が複数入り込んでいた事実は、既に数多くの書物や研究で判明している。
UNICEFはいつからあんなにも派手に、駅前広場やショッピングモールで募金活動を始めていただろうか。世界中のテレビに公告を出し、ネット上でも猛烈な広告を展開するあの団体は、これまでの地域紛争の際にどのような役割を果たしてきたのだろうか。ボスニアヘルツェゴビナ紛争の際、UNICEFの責任者の中に、軍事産業と関係のあるものが居なかったか? 「世界遺産」の看板商法に忙しいUNESCOは、本当のところ何を目指す団体なのか? まったくその価値がわたしには理解できない「SDGs」の推進に熱心なようだが、彼らの功罪を測ったら、思わぬ方向に天秤が振れはしないか。
極めつけは「G7」だ。かつて「先進国首脳会議(サミット)」と自称したことのある、この思い上がり集団を、批判する人たちは「帝国主義者どもによる戦争準備会議」、「帝国主義者の分配割合調節会議」と批判したものだが、先に英国で行われた「G7」を見るにつけ、批判する人たちの表現は、あながち外れているとはいえないようだ。
一国として「東京五輪」の開催に疑問を呈したり、ましてや反対する国などなかった。それどころか共同声明で「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の克服に向けた世界の団結の象徴として、安全で安心な形」での東京五輪開催を支持するとした。
ドイツやフランスも「G7」には入っている。こんな連中に何かを期待してしまった己の不明を再度恥じねばならない。極東の島国で行われる「五輪」の直接影響は「G7」加盟の他国には深刻には及ばないだろう。「なら次の冬季五輪は北京だから、牽制の意味でもトウキョウにやらせようよ」との白人どもの本音が聞こえてきそうだ。
◆21世紀は「背理の世紀」
21世紀は「背理の世紀」と名付けても良いのかもしれない。毎年のように震度7クラスの地震が発生し、豪雨災害が各地で起こる国。そして10年前には人類史上初の「原発4機爆発事故」を起こした国。その事故現場から250キロほどの場所で、まもなく「東京五輪」が開催される。
東京から少し西に行った神奈川や熱海では、20名以上の犠牲者が懸念される豪雨災害がまた発生した。そんなことはお構いなしに「東京五輪」への参加者は続々入国している。後世(もし、「それ」があればだが)今次の「東京五輪」は、わたしたちが大日本帝国による、第二次大戦突入の無茶苦茶さを指摘するように、その愚をなじられるだろう。歴史に顔向けのできない行為へ加担することは、人間として恥ずべき行為だ。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。