7月7日、よど号メンバー・魚本公博さんから届いた『紙の爆弾』6月号「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」への感想と、解説とを投稿した。彼らとの「往復メール書簡」第2回目は、デジタル庁発足と、その背景に何があるのかということを取り上げる。
◆魚本さんからの問題提起 「データ主権なきデジタル化とは」魚本公博
9月1日にデジタル庁が発足する。コロナ禍で露呈した「デジタル敗戦」をテコに、デジタル化が急速に進められようとしている。
今やデジタル化なしに国の安全保障・軍事・外交・経済は考えられず、人々の暮らし、働き方など、社会のあり方も変える。デジタル庁はその司令塔。内閣直属でトップは首相だ。人員は500名ほど。菅義偉首相はこれを「規制改革のシンボル」と言い、担当する平井卓也氏は「今までで一番大きな構造改革」と位置づける。
新聞などは、このデジタル化の問題点について、人材不足、縦割り(縦割り行政の弊害)、横割り(国と地方自治体のシステムの不統一)、デジタル庁に出向する民間人と業者の癒着の可能性、さらには個人情報保護の問題、デジタル格差の問題などを指摘する。
確かにそれも問題だ。しかし1番の問題は、「データ主権」ではないだろうか。デジタル化において「データ」が決定的だからだ。政府や識者も「決定するのはデータ」「データこそ成長エンジン」と指摘している。
そのデータに対する主権はどうか。日本政府の立場は「国を超えた活用」。日本は、TPP交渉の過程で米国が要求する「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れている。すなわち、日本はデータを国内で保存・管理することを禁止し、その全てを米国の巨大IT企業(GAFAなど)に提供するということだ。
すると、日本のデジタル化は、米国の巨大IT企業がおこなう。人材もその関係者であり、彼らが日本を運営し、個人情報もその管理下に置かれる。まさに、デジタルを使った日本の米国への組み込み。そのための、「かつてない構造改革」だ。そんなものを許せば、日本は一体どうなるのか。
そして注目してほしいのは、ここで地方が重要視されていること。前回の「平壌からの手紙」(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39411)で指摘したように、政府ファンドをつくり、地方の銀行や企業に人材が派遣されるのだ。自治体を企業統治の方法で管理する。あるいは上下水道や交通、公共施設などの運営権を米系外資に譲渡するコンセッション方式。これらがデジタル化の名で急速に進められる。
デジタル化自体は、これからの日本の発展、地方の発展にとって必要不可欠だ。問題は、それを誰がやるか。「データ主権」を米国に譲渡すれば、日本のデジタル化は米国が手がけることとなる。
今、各地で地域振興がさまざまな形でおこなわれている。その血の滲むような努力を米国に売り渡すかのような政府のデジタル化策。何としても「データ主権」を打ち立て、その下で地域住民が主体となり、デジタル技術を活用して地域を振興すること。それが、切実に求められている。
◆デジタル化の背後に潜む「権力」と「金」
デジタル改革関連6法が5月の参院本会議で可決・成立したことを受け、内閣直属でデジタル庁が9月1日に発足する。魚本さんが触れたように地方自治体の行政システム統一化のほか、各省庁にまたがるIT調達予算の一元化、マイナンバー活用の拡大なども手がけ、行政手続きのオンライン化推進や利便性向上を目指す。
マイナンバーは監視の色合いが濃いと考えていてわたしは反対なので、いまだマイナンバーカードも入手していない。ただし、地方行政に関わり、デジタル化の遅れや厳しすぎるセキュリティ、縦割り行政の弊害を受け、日々、悪戦苦闘を強いられている立場でもある。
たとえば韓国などは住民登録証が長らく活用されているが、このルーツは朝鮮のスパイを割り出すためだったという話もある。ただし、現在では、この制度は穏健に使われている印象もあるのだ。いっぽう日本では、情報漏洩の報道がしきりになされる。それ以前に、政府や与党に対する不信感が大きく、デジタル化にも不安や疑念ばかりが大きくなりがちだ。この現在の政治への不信感は、福祉をはじめ、さまざまな政策に影響するものであり、そもそもは政権交代がなされなければ、まともな政治運営は期待できない。
さて、デジタル化だが、新型コロナへの対応に関し、「デジタル敗戦」という表現が誕生した。これは、デジタルを活用したアプリやサービスがまったく使えないものだったということが背景にある。
デジタルはうまく活用すれば大変便利なものであり、いまやなくてはならないが、そもそもセキュリティに関して個人的には、十数年前に仲間との話し合いから、「情報を抜こうと思えばいくらでもどこからでも抜かれる。その覚悟が必要だ」という結論に達したことがある。以降、そのつもりで活動しているのだ。
デジタル庁の「発足時の人員は非常勤職員らを含め約500人」とのこと。これまでを鑑みれば、またもや竹中平蔵が会長を務めるパソナグループなどに大量の金が流れることを懸念せざるを得ない。しかも、新たな省庁の発足に民間はともかく非常勤職員を大きく想定することが当然となったこと自体に対し、わたしたちは疑問を投げかけるべきだろう。
ちなみに、縦割り行政の弊害に関しても、わたしは移住以降、痛感している。最近、若手が横につながり、いろいろなことが進められるようになった。若手であれば、デジタルに関する問題も起こりにくい。これは致し方ないことかもしれないが、デジタル・ディバイド(インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる人と利用できない人との間に生じる格差)の解消は必要だ。これらは、やはり行政の個別の対応や民間のサービスなどによって、地道に取り組んでいくしかない。他方からみれば、広いビジネスチャンスでもある。だからこそ、「悪用の余地」には注意が必要だ。
「データ主権」については、まさに『紙の爆弾』6月号の誌面で、「インターネットによる情報革命で、デジタルが発展し、仮想通貨も生まれた。通信網としてはケーブルや衛星、ワイヤレスなどの技術が用いられているが、これらはそれぞれ独自に進化し、統一できていない。するとプラットフォームをつくった人が儲けることとなり、GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)が台頭した」と記した通りだ。また、アメリカ国家安全保障局 (NSA)の国際的監視網(PRISM)の実在を告発したエドワード・スノーデンがロシア国籍を申請したことなども思い出される。ビッグデータを筆頭に、「データこそ成長エンジン」かどうかはともかく、個人に関するあらゆる情報を誰が握るのかという問題になるのだ。
そもそも、本来的な独立を果たしておらず、敗戦後の処理が完全には済んでいない日本。しかも、アメリカの企業にデータを管理されていることに疑問を抱かなくても、韓国との関連でLINEについては騒ぐなど、国内は不思議な状況になっている。左派のなかでも、Facebookはフル活用されているが、これすら絶対に使わないという人もいる。現実としては、おそらく「情報を抜こうと思えばいくらでもどこからでも抜かれる」。だから、どこが情報管理について甘いのか、どこからどんな情報を抜かれることがおそろしいことなのか、どこがわたしたちに対する権力をふるっているのかを考えなければならない。
デジタルを口実にした地方への企業などの進出は、容易に想像できる。地方は都会やデジタルに弱く、東京の企業のプレゼンテーションや売り込みの内容は理解しなくても、行政の担当者も仕事をしている姿勢をアピールしやすくなることもあり、それに乗っかることは理解できる。つまり、市民の声に耳を傾け、市民も、市民の1人である行政もともに考え、物事を進めていかなければ、いいカモにされるだろう。そこから、地方は崩壊の一途を辿りかねない。
わたしたちは、戦後の社会民主主義的な政治から変わり、ネオリベラリズムが進められていることを、自覚しなければならない。あらゆる事柄について、情報を収集し、考え、意見を交換し、行動へと結びつけていかなければならない時に来ているのだ。
先日、デジタル庁の事務方トップ「デジタル監」に、米マサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボ元所長・伊藤穣一氏を据える方針が固められた途端、富豪で少女らへの性的虐待などの罪で起訴されたジェフリー・エプスタイン元被告(拘留中に死亡)から伊藤がメディアラボ所長時代に多額の資金援助を受け、それを匿名化しようとしていたことが報道され、辞任に追い込まれた。実際にリーダーとして起用される人物が、どのような面々となるのか、どこに金が流れていくのか今後、注目したい。
▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性運動等アクティビスト。個人的には、労働組合での活動に限界を感じ、移住。オルタナティブ社会の実現を目指す。月刊誌『紙の爆弾』9月号には、巻頭「伊藤孝司さん写真展『平壌の人びと』から見えてくる〝世界〟」、本文「写真、発言、映画が伝える『朝鮮の真実』」寄稿。
この写真展関連のトークイベントに、筆者はオンラインからコメンテーターとして参加を予定。
[東京]8月24日(火)~9月5日(日)11:00~18:45(28日・29日は16:45まで)
Gallery TEN(東京都台東区谷中2-4-2)
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