新聞部数のノルマ制度を東京23区を対象に調査した。その結果、「押し紙」政策の存在が裏付けられた。

調査は、各新聞社を単位として、各区ごとのABC部数(2016年~2020年の期間)をエクセルに入力し、ABC部数の変化を時系列に調べる内容だ。部数に1部の増減もなくABC部数が固定されている箇所は、新聞社が販売店に対してノルマを課した足跡である可能性が高い。

 

(上)人目を避けて、コンテナ型のトラックで「押し紙」を回収。(中)コンテナの内部。(下)紙の「墓場」

実例で調査方法を説明しよう。たとえば次に示すのは、東京都荒川区における2016年10月から、2018年4月までの朝日新聞のABC部数である。2年の期間があるにもかかわらず、1部の増減も観察できない。

2016年10月:8549部
2017年4月:8549部
2017年10月:8549部
2018年4月:8549部

グーグルマップによると、2021年10月の時点で荒川区にはASA(朝日新聞販売店)が4店ある。これら4店に対して、朝日新聞社が搬入した部数合計が、2年間に渡って1部の増減もなかったことが上記のデータから裏付けられる。つまり朝日新聞は、新聞購読者の増減とはかかわりなく同じ部数を搬入したのである。荒川区における朝日新聞の購読者数が、2年間、まったく増減しないことなど実際にはあり得ないが。

4店のうち、たとえ1店でも部数の増減があれば、上記のような数字にはならない。販売店サイドが2年間、自主的に同じ部数を注文し続けた可能性もあるが、たとえそうであっても、朝日新聞社サイドがその異常を認識できなかったはずがない。

このような部数のロックは、販売店に対して部数のノルマを課していた高い可能性を示唆している。新聞社が販売店に対して特定の部数を買い取らせる行為は、独禁法の新聞特殊指定で禁止されている。

◆調査方法の弱点について

なお、わたしが採用しているこの調査方法の弱点についても、言及しておこう。この調査は、ABC部数の公表単位である区・市・郡の部数を基礎データとして採用しているために、調査対象地区に店舗を構える販売店が多くなればなるほど、地区全体でのロック現象を確認できる確率が減ることだ。たとえば販売店が多い世田谷区などでは、ロック現象は確認できない。部数を減らすように新聞社と交渉して、減部数を勝ち取る販売店が存在する確率が高くなるからだ。

逆説的に言えば、地域全体としてはノルマの実態が浮上しなくても、差別的にノルマが課されている販売店が存在する可能性もあるのだ。

◆朝日、毎日でノルマ政策を顕著に確認

以上を前提として、調査結果を公表しよう。着色された箇所が、ロック部数とその期間を現わしている。また、赤文字の箇所は、100部単位で部数の増減を行われた不自然な箇所でる。どんぶり勘定で新聞の卸部数を決めている可能性もある。朝日、読売、毎日、産経、順番に表示する。

東京23区別の朝日新聞ABC部数の推移

東京23区別の読売新聞ABC部数の推移

東京23区別の毎日新聞ABC部数の推移

東京23区別の産経新聞ABC部数の推移

ちなみに大阪府堺市を対象とした同類の調査もある。大阪府の『府政だより』の水増し問題を取り上げた次の記事の後半で紹介している。東京都よりも顕著に、新聞社によるノルマ設定の実態を確認することができる。

◎[参考記事]「大阪府の広報紙『府政だより』、10万部を水増し、印刷は毎日新聞社系の高速オフセット、堺市で『押し紙』の調査」

◆「世論調査」なるものの欺まん

さて、「押し紙」の何が問題なのだろうか?これについて、わたしの考えを述べておこう。結論を先に言えば、それは新聞社による「押し紙」政策を公権力が把握していることである。把握したうえでそれを黙認し、新聞社経営を支える構図があることだ。このような配慮により、公権力は新聞社を権力構造の「広報機関」として歯車に組み込んでいる。

もちろんこの種の「アメとムチ」の構図は、「押し紙」問題だけに見られるものではない。他にも、新聞に対する軽減税率の適用、再販制度の維持、学校教育における新聞の使用(学習指導要領)、などの問題もある。

しかし、その中でも「押し紙」の放置は、中心的な問題なのである。と、いうのも「押し紙」を通じて想像を絶する規模の資金が動くからだ。

新聞1部の価格は、100円から150円ぐらいで、「高額」という印象はない。ところが全国の日刊紙の発行部数は、約3245万部(日本新聞協会の2020年度のデータ)にもなり、新聞1部に付き10円値上げするだけで、1日に約3億245万円の収入増となる。事業規模は想像以上に大きいのだ。
 
全国の「押し紙」の割合が20%と仮定したとき、649万部が「押し紙」という試算になる。新聞の仕入代金を1部60円で計算すると、全国の新聞社が得る1日の「押し紙」収入は、3億8940万である。ひと月(30日)に換算すると116億8200万円になる。年間では、1400億円を超えるのである。

念のための記しておくが、これは誇張を避けたシミュレーションである。

しかも、「押し紙」によるABC部数のかさあげにより、新聞社は紙面広告の媒体価値を引き上げる。販売店は折込広告の水増しをしている。従って、不正な金額は無限大に膨張する。公取委、警察、裁判所、通産省などはこの問題にメスを入れることもできるが、半世紀近く放置してきた。

その理由は単純で、新聞社の経営上の決定的な汚点を把握することで、暗黙のうちに報道内容に介入できるからだ。新聞人らは、自分が所属する企業を犠牲にしてまで、ジャーナリズムを守ることはしない。

わたしはマスコミが発表する「世論調査」なるものを全く信用していない。ジャーナリズムの土台の実態を知っているからだ。

◆客観的な事実の中に、新聞ジャーナリズムが腐敗した原因を探る

半世紀以上も前から、評論家たちは新聞批判を繰り返してきた。その論調の大半は、記者としての自覚が足りないからジャーナリズムが機能しないという批判だった。

【引用】たとえば、新聞記者が特ダネを求めて“夜討ち朝駆け”と繰り返せば、いやおうなしに家庭が犠牲になる。だが、むかしの新聞記者は、記者としての使命感に燃えて、その犠牲をかえりみなかった。いまの若い世代は、新聞記者であると同時に、よき社会人であり、よき家庭人であることを希望する。

この記述は、1967年、日本新聞協会が発行する『新聞研究』に掲載された「記者と取材」と題する記事から引用したものである。このような精神論の思考体系は今も変わっていない。従って、東京新聞の望月衣塑子記者のように有能な記者が次々に現れたら、ジャーナリズムは再生できるという論理体系になってしまう。

しかし、精神論ではなく客観的な経済上の事実の中に、新聞ジャーナリズムが機能しない原因を探らない限り、問題は解決しない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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武家の傀儡から天皇制国家の元首へ、そしてアメリカ民主主義のもとでの象徴天皇制。さらにはアイドル化路線による、国民的な融合性の浸透と、変化をとげてきた。ここに天皇制の可変性がある。

すこし、歴史的解説をしておこう。

さかのぼれば古代においては奈良王朝という、近世の絶対権力に近い強権を振るったこともある。天皇制はその時代に即応した、きわめて柔軟なありかたで生き延びてきた。

天皇家が信仰する宗教においても、同様なことがいえる。古代奈良王朝は仏教を国是としてきた。平安期には上皇が出家して法皇となり、この天皇家の仏教信仰は神道と融合したものだった。鎌倉・室町・江戸期の全般をつうじて、天皇は神仏とともにあり、朝廷文化はそのまま神社仏閣・仏教美術と一体であった。

明治維新による近代において、初めて国家神道が仏教を排撃(神仏分離令による廃仏毀釈)し、天皇家は神道の祭祀を家職にすることとなった。

政治権力による宗教統制は、奈良朝の仏教令(僧尼のの国家免許化)、徳川政権のキリスト禁教(宗門改め制度)いらい、明治時代以降の近代は、きわめて厳格な宗教統制の時代だった。とくに軍事政権とむすび付くことで、その強権性は増したといえよう。

だが、柔軟な可変性があるということは、天皇家の神道祭祀が普遍的なものではないことを意味している。江戸時代までは宮中祭祀(朝儀)も神仏に対するものであって、宗廟とされる伊勢神宮にすら神宮寺が存在したのである。つまり神道は天皇家にとって、絶対的な祭祀ではないのだ。じつは太平洋戦争の敗戦後にも、改宗を具体化する試みがあった。

◆日本民主化のために天皇がキリスト教に改宗する可能性があった

 

ウィリアム・P. ウッダード『天皇と神道―GHQの宗教政策』(サイマル出版会)

事実として伝わっているのは、連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーが、日本の民主化の柱として、天皇のキリスト教への改宗を検討していたことである。

プリンストン大図書館収蔵のジェームズ・フォレスタル米海軍長官(当時。後に初代国防長官)の日記によれば、マッカーサーが「天皇のキリスト教への改宗を許可することを幾分考えたが、その実現にはかなりの検討を要する」と発言したことが明記されている。

GHQ宗教課のウィリアム・ウッダード元調査官も「天皇はキリスト教徒になるのではないか」とのうわさが流れた、と回想録に書いている。

また、皇居の警護も担当していたエリオット・ソープGHQ民間情報局局長の回想録には、ローマ法王庁の駐日大使が天皇との会見を何度も要求した経緯が明らかにされている。

こうしてGHQとローマ法王庁を中心に、天皇のキリスト教改宗計画が動き始めていたが、当の昭和天皇はどう考えていたのだろうか。

◆カトリック関係者との接触

じつは昭和23年(1948)に、昭和天皇はふたつのルートからカトリック関係者に接近しているのだ。

カトリック団体聖心愛子会の聖園テレジアというドイツ生まれの修道女。慈生会のフロジャックというフランス人神父がその窓口である。

フロジャックが日本のカトリックの現状をローマ法王庁に報告する前に会い、その後はローマ法王庁から来日したスペルマン枢機卿らの一行と会っている。

さらには、側近の者に地方のキリスト教事情も調べさせている。

それに先立つ1946年9月7日の『昭和天皇実録』によると、元侍従次長の木下道雄が7月28日から8月17日まで、九州でカトリックの状況を視察して天皇に報告しているのだ。牧師の植村環から、香淳皇后とともに聖書の進講を受けてもいる。

1946年は獄中や中国から復帰した共産党員が、本格的な活動を始めた時期である。4月に日比谷公園で「幣原反動内閣打倒人民大会」を開催して7万人を集めている。翌47年には25万人の「米飯獲得人民大会(食料メーデー)」が皇居前広場で開催されている。「朕はタラフク食っているぞ ナンジ人民飢えて死ね」と書いたプラカードが掲げられ、デモ隊の一部が坂下門を突破して皇居に乱入している。ようするに、戦後革命が胎動を始めた時期なのである。

◆キリスト教シンパだった昭和天皇と香淳皇后

昭和天皇のキリスト教(カトリック)との接点は、皇太子時代の大正12年(1922)にさかのぼる。半年間におよぶ欧州訪問のときである。

イタリアを訪問したさいに、天皇はローマ法王ベネディクト15世と会見している。このとき法王は、日本がカトリック教会と連携することを勧めている。朝鮮の3.1運動のさいに、カトリック教徒が動かなかった事実をつたえ、かりに日本がカトリック国になっても、天皇制は影響を受けないと説いたという。

この連載でも明らかにしたとおり、太平洋戦争の講和工作を、日本はふたつのルートで行なっていた。不可侵条約を結んでいたソ連とは敗戦間近だったが、開戦以前に考えられていたのがローマ法王庁による講和だったのである。これは開戦にあたって、昭和天皇から提起されたものの、軍部には一顧だにされなかった経緯がある。

じつは、キリスト教に親しみを持っていたのは、昭和天皇だけではない。香淳皇后が戦前からキリスト教徒と親しかったのだ。多くのキリスト者が「自由主義者」として特高警察と憲兵隊に弾圧されているさなか、すなわち開戦後の昭和17(1942)年から44(同19)年にかけて、皇后はキリスト教徒の野口幽香を宮中に招き入れて、定期的に聖書の講義を受けていたのである。天皇もこれを黙認していた。

のちに正田美智子が昭和皇太子妃として入内したとき、彼女の出身大学がカトリック系であることが問題視された。皇太子妃もクリスチャンなのではないかと、もっぱら学習院女子のOG会(常磐会)から疑義が出たのである。

◆神社神道、皇室神道には中身がない

敢えていえば、神社神道には、ほとんど宗教としての教理や信心の内容がない、形式的な儀式をもって行われる祭祀である。

その衣裳や形式は素朴であって、それゆえに日本的な美意識に耐えるものがある。とはいえ、カトリックや仏教の煌びやかな美術的な世界を持たない。形式の単純さは、教理の希薄ゆえでもある。それゆえに、古神道においては仏教の菩薩道(修行)とむすび付き、あるいは補完されて生き延びてきたのだ。

神道神話の物語性は、じつに人間的・世俗的であり、そこに救いを求めるには人間臭すぎる。なにしろ、神も死んで黄泉の国へ行くのである。じっさいに、皇室宗廟の大半は寺院にある。寺院を通じてしか、極楽に行けないと歴代の天皇たちが知っていたからだ。

したがって、神道の祭祀たる昭和天皇と香淳皇后がキリスト教に心情をかさね、あるいは改宗していたとしても、何ら不思議ではないのだ。眞子内親王と佳子内親王が、そろって国際基督教大学(ICU)を選んだのも、じつは偶然ではない。そのICUは、ほかならぬマッカーサーが設立に尽力した学校であり、教職員はキリスト教徒であることが求められる。

それほどまでに、皇室神道の底は浅いのだ。ここにも、天皇制が崩壊するほころびがあると指摘しておこう。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆頭字語タイトル

最近のキックボクサーの肩書きに付くタイトル(王座)やランキングには、リリースされる対戦カードを見る度、長い名称や頭字語が付くタイトルが多くなったと感じます。

プロボクシングでは存在しない、キックボクシングでの聞き慣れないタイトル全てを、一般の方々から見た場合、どう捉えるでしょうか。そんな選手の経歴はどんな位置付けにあるものか、今後も出て来る選手の所属する団体やタイトルを少々解説しておきたいところです。

キックボクシング雑論を書き始めの最初が2015年10月31日掲載の「群雄割拠? 大同小異? 日本のキックボクシング系競技に『王座』が乱立した理由」でしたが、早いものでやがて満6年となります。団体やタイトルに関わる似た文言は何度も出てきた部分もあるかと思いますが、再度振り返りと今回はタイトル名称の在り方で進めたいと思います。

ISKAに日本タイトルは無いが、存在感は大きい

◆古くからの団体制

プロボクサーなら日本○○級チャンピオン、東洋太平洋〇〇級チャンピオン、WBA世界○○級チャンピオンと形式上は段階的に上がり、世界は主要4団体となってアジアエリアも変化がありましたが、昔からの存在に於いてはその地位や価値が分かり易い。

キックボクサーの場合、国内に於いては、日本○○級チャンピオン、全日本○○級チャンピオン。そして10位までのランキング。2団体制の時代までは分かり易かったところ、新団体設立毎に“日本”に複合的な名称が付いたり、“日本”は出尽くして、“ジャパン”と名の付く団体や、フリーのプロモーターが主催する興行コンセプトといった名称のタイトルが増え、一つ一つの王座の価値が曖昧な存在となってしまった現在です。

新日本キックボクシング協会での選手の肩書きには“新日本”ではなく、日本○○級チャンピオンや、日本○○級1位といった“日本”を名乗る、その老舗からの由来がありました。

ジャパンキックボクシング協会は2019年3月に設立。ジャパンキック○○級チャンピオンという表記が多いが、もうひとつジャパンキックボクシングイノベーションという団体が存在するので、頭字語は“JKA”とも表記されています。

[写真左]UMAは2019年12月にルンピニージャパン・ウェルター級王座獲得(2019年12月1日)、[写真右]馬渡亮太は2019年8月、JKAバンタム級王座獲得。後に上位目指し返上(2019年8月4日)

ニュージャパンキックボクシング連盟は1996年8月の設立当初は“新日本”を名乗っていましたが、先に新日本キックボクシング協会(当時は休会)が存在していた経緯があり、“ニュージャパン”に変更も、文字数が長くなるので頭字語を中心にNJKFに落ち着いた流れで、“NJKF○○級チャンピオン” のような表記になります。

J-NETWORKは1997年の設立団体で、そのまんまJ-NETWORKと表記。

その1年後にキックボクシングユニオンが設立しましたが、習志野ジムの樫村謙次会長がK-1に倣って名付けたと言われ、当初からK-Uと簡略化されています。

古き時代のアジアモエジップン連盟は1983年設立。日本とタイの懸け橋と謡った設立も、1年後にはアジア太平洋キックボクシング連盟に改名。頭字語はAMFからAPF、時代を経てAPKFに移っています。

10月16日に3度目の防衛戦を行なうNKBライト級チャンピオン高橋一眞(2017年12月16日)

毎度登場の日本キックボクシング連盟は1984年(昭和59年)11月に統合団体として設立。後の2000年頃、NJKF、K-U、APKFと共に団体統合はせず、4団体でNKBを発足して統一王座トーナメントを経て2002年に各階級で王座決定戦開催。現在は日本キックボクシング連盟とK-Uだけで継続されています。NKBは“日本キックボクシング”から来る頭字語です。NKBライト級チャンピオン.髙橋一眞といった表記になっています。

マーシャルアーツ(MA)日本キックボクシング連盟は当初の日本キックボクシング連盟と枝分かれした団体で、呼び名を “マーシャルアーツ”と単独で呼んで、競技名のややこしさを残しましたが、肩書きはMA日本○○級チャンピオンという有るがままの呼び方になっていきました。

ジャパンキックボクシング・イノベーションは2013年に設立。通常はイノベーションと呼ばれること多く、INNOVATION○○級といった表記。団体名頭字語はJKI。ここまではジムが加盟して出来た協会や連盟といった団体図式です。

◆フリーの存在

昔は既存の団体の縛りが厳しく、どこにも所属しないで興行開催など考えられなかったところ、1992年にK-1の出現以降、団体の縛りの無いフリーのジムやプロモーターが徐々に増え出し、単独興行が成り立つ時代となりました。そしてそのイベント単位でタイトル(王座認定)化したものが多くなりました。

その中ではテレビを通じて世間一般に浸透したK-1や、PRIDEが原点のRIZIN は現在も存在感は大きい。2016年発祥のKNOCK OUTは代表者が代わり、方針も変わりながらビッグマッチを行なうイベントとしては有名です。10年続いたREBELSは今年3月より、KNOCKOUTに吸収される形で統合されました。

NJKFで興行を開催されてきたムエタイオープン興行は2014年に独立後、独自の興行名をタイトル化し、ブランド効果高いルンピニー・ボクシング・スタジアム・ジャパンタイトルも立ち上げました。頭字語はLBSJとなるところが、一般的にはルンピニージャパンと簡略して呼ばれ、LPNJと表記されています。

本場タイにある世界プロムエタイ連盟(WPMF)の日本タイトルは主にM-One興行で開催されていましたが、日本支局消滅により現在は休眠状態。他にも1995年にタイ発祥のWMC(世界ムエタイ評議会)の日本タイトルがあり、主にBOM(=Battle of MuayThai)興行で開催。WBCムエタイはプロボクシングのWBC(世界ボクシング評議会)が活動を広めた世界機構で、下部にインターナショナル、日本タイトルが存在し、主にNJKFとJKイノベーション興行で開催されています。

[写真左]2016年6月にWBCムエタイ日本王座制し、NJKFと二つの獲得となった白神武央(2016年6月)、[写真右]翔センチャイは2017年8月にWMC日本ライト級王座獲得(2017年8月11日)

小野瀬邦英の引退式で贈られたチャンピオンベルトは古き時代のもの(2002年12月14日)

◆ローカルタイトルの役割

国内で発祥のRISE、蹴拳、Krush、DEEP☆KICK、ビッグバン、聖域、KOS(=King of Strikers)、沖縄発祥のTENKAICHI、神戸発祥のACCEL等(他、地方発祥在り)もタイトル制定があり、これらの団体や興行のタイトルはプロボクシングの一国一コミッションが基の唯一の日本タイトルではなく、いつまでも続く保証は無い私的団体だが、乱立細分化はマイナス要因ばかりではなく、選手にとっては最初の目標となるステータスとなって競技人口が増えている現象もあります。

キックボクシングの真の日本統一タイトルは存在しないものの、パンフレット、対戦カード等に聞き慣れない選手の肩書きがあったら、その地位は低くとも、チャンピオンロードの始まりの世界最高峰への第一歩として、何となくでも理解して頂ければと思う次第です。

以下は従来どおりタイトル名や出場選手の肩書きが付いている、10月16日(土)後楽園ホールにて開催予定の「NKB 2021 必勝シリーズ 6th」の主要6試合の対戦カードです。(主催:日本キックボクシング連盟 / 認定;NKB実行委員会)

NKBライト級タイトルマッチ 5回戦
NKBライト級チャンピオン.髙橋一眞(真門)vs 挑戦者同級1位.棚橋賢二郎(拳心館)

ウェルター級ノンタイトル3回戦
NKBウェルター級3位.笹谷淳(team COMRADE)
     vs
ACCELライト級チャンピオン.どん冷え貴哉(Maynish)

第9代NKBバンタム級王座決定4人トーナメント(準決勝)3回戦2試合
出場4名によるトーナメントは抽選による対戦カード決定。決勝戦は12月11日。
1位.高嶺幸良(真門)
2位.海老原竜二(神武館)
3位.則武知宏(テツ)
5位.龍太郎(真門)

フライ級3回戦
NJKFフライ級3位.谷津晴之(新興ムエタイ)vs 杉山空(HEAT)

63.0kg契約3回戦
NJKFライト級6位.梅津直輝(エス)vs YASU(NK)

他の他団体興行スケジュールも発表されていますが、ここでは一例を掲載致しました。

——————————————————————————————————-
※高橋一眞(真門)vs棚橋賢二郎(拳心館)のNKBライト級タイトルマッチは高橋一眞の欠場により、メインイベントは以下に変更になりました。

ジャパンキックボクシング協会ライト級2位.内田雅之(KickBox)
     VS
NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK)
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▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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先月初め、車で移動中に「弟子入り志願者だった男」からツルハシで襲撃される被害に遭ったビートたけし(74)。とんだ災難に見舞われたものだが、一方で少し前にマスコミで騒がれた「元弟子とのトラブル」が人知れず解決していたことがわかった。

◆報道では、元弟子が「被害者」のようなイメージだったが……

元弟子とは、石塚康介氏(43)。たけしの運転手を8年務め、たけしの監督映画にも出演していた人物だ。石塚氏は一昨年11月、たけしが社長を務める所属事務所『T.Nゴン』とたけしの再婚相手A子さんを相手に損害賠償1千万円などを求めて東京地裁に提訴した。その主張によると、『T.Nゴン』で役員を務めるA子さんからパワハラを受け、自律神経失調症に陥ったとのことだった。

そして石塚氏は当時、週刊新潮誌上でこんな「告発」も行っていた――。

〈カメラで監視され、24時間、いつ理不尽なメールや電話が来るか分からない地獄の生活が続いたことで、ストレスで胃が痛み、夏なのにどうしようもなく寒く感じられ、鼻水が止まらなくなってしまい、私は仕事の途中に公園で倒れ込むようになってしまいました〉(同誌19年11月21日号)

これが事実なら酷いパワハラだ。実際、当時はそのような論調で後追い報道をしたメディアも散見され、石塚氏は「被害者」のようなイメージになっていた。

ただ、実際にはA子さん側にも色々言い分があった。それは昨年、筆者が当欄で次のように伝えた通りだ。

●2020年3月17日:元弟子に訴えられた「ビートたけし再婚相手」が訴訟の書面で過激反論〈前編〉

●2020年3月24日:元弟子に訴えられた「ビートたけし再婚相手」が訴訟の書面で過激反論〈後編〉

この訴訟の現状を取材したところ、実は今年3月、すでに「和解」という形で終結していたのだ。

◆ツイッターアカウントを削除していた元弟子

では、和解はどんな内容なのか。東京地裁で訴訟記録を閲覧したところ、「和解条項」として、まずはこんなことが挙げられていた。

〈被告ら(引用者注・『T.Nゴン』とA子さんのこと)は、長年弟子として被告会社代表者(前同・たけしのこと)に仕えてきた原告(前同・石塚氏のこと)が、被告らに対して本訴の主張をするに至ったことに思いを致し、遺憾の意を表する〉

これだけを見ると、A子さんと『T.Nゴン』に落ち度があったような印象だ。しかし一方で、以下のような記述もある。

〈原告(前同・石塚氏のこと)は、得難い機会を与えてきた被告会社代表者(前同・たけしのこと)等に対して、自らの言動によりその社会的評価に影響を及ぼし、それによって負担をかけたことについて遺憾の意を表する〉

これを見ると、石塚氏も自分の落ち度を認めたような印象を受ける。さらに注目すべきは、以下の記述だ。

石塚氏は和解成立後、ツイッターカウントを削除していた……

〈原告(前同・石塚氏のこと)は、本和解成立後3日以内に現在原告がツイッターアカウント(@ki_szk)で行っている各投稿を削除するとともに、今後相互に名誉棄損又はプライバシー侵害となる内容の発信や言動は行わないと誓約する〉

石塚氏は提訴後、ツイッターで自分の告発に関する記事を拡散するなどしていた。そのツイッターの投稿を削除することが和解条項に盛り込まれたことは、石塚氏にとって決して喜ばしいことではないだろう。

しかも確認すると、石塚氏はツイッターの一部の投稿を削除したのみならず、ツイッターアカウントそのものを削除していた。そして今年6月、ラッパーのARK2として活動をスタートさせ、YouTubeに動画を発表したり、新しいツイッターアカウントをもうけたりしていたが、本稿入稿時点でYouTubeの視聴回数は299回、ツイッターのフォロワー数は2人にとどまっている。その活動はとても順調とは思い難い。

◆和解に至った真相はもはや藪の中だが……

双方の代理人弁護士に、この和解をどう受け止めているのかを質した。

「守秘義務が和解条項に入っているため、取材対応はできません」(石塚氏の代理人弁護士)

「ノーコメントとさせて頂きます」(『T.Nゴン』とA子氏の代理人弁護士)

和解に至った真相はもはや藪の中だというほかない。しかし、1つだけ確かなことがある。たけしの監督映画にも出演していた石塚氏が今後、芸能界で再浮上する可能性は極めて低いだろう。

私には、石塚氏がマスコミに利用されるだけ利用され、使い捨てられたように思える。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

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第49回衆議院議員選挙は10月19日公示、31日執行と決まりました。

わたくし、さとうしゅういちが住んでいる広島市は岸田総理の地元であり、また、あの河井事件も発生した場所です。今回の衆院選は核兵器禁止条約発効後、また、西日本大水害2018後、コロナ災害発生後、河井事件後最初の衆院選です。わたし自身は、今後も参院選を念頭に街頭や挨拶回りなどの活動も継続しています。そうした中でいただいた地元の有権者の反応も加味し、情勢を報告します。

◆河井不人気で与党安泰とはいえなかった広島3区

岸田総理のポスター(左)と斉藤国交大臣のポスター(右)

広島3区(安佐南区・安佐北区・安芸高田市・山県郡)は、あの河井案里さんの夫の克行被告人の選挙区です。また案里さんが県議として毎回、大量得票していた地元です。1996年に克行被告人が初当選。2000年に無所属の増原義剛議員にやぶれます。2003年以降はいわゆるコスタリカ方式で、2003年は3区増原・比例区河井、2005年は3区河井・比例区増原とすみわけました。しかし、2009年、3区増原・比例区河井の番で民主党の突風で増原議員が民主党新人に敗北して引退。以降は2012、2014、2017と克行被告人が議席を取ってきました。しかし、決して安泰とはいえません。野党(維新も含むが)候補の合計票が克行被告人を上回る状況が続いてきました。

克行被告人は評判がわるく、安佐南区では自民系の市議でも克行被告人の選挙運動をサボタージュする形で野党候補に票を回すようなことも常態化していました。

野党の衆院議員(比例復活)の誕生日会に自民党地方議員が堂々とこられており、彼から克行被告人は嫌いだという本音もうかがったこともあります。評判が悪いからこそ、克行被告人はやけになって金権に走ったともいえます。

ご承知のとおり、2020年に夫妻が逮捕された後、克行被告は離党しました。自民党は公募に合格した石橋林太郎県議を3区に擁立しようとしました。しかし、公明党が副代表の斉藤鉄夫さんを擁立、石橋さんは、比例にまわることになりました。

◆野党は女性新人のライアン真由美さんでしがらみのなさをアピール

立憲民主党の新人、ライアン真由美さんのポスター

野党は立憲民主党が関東地方出身の女性会社役員のライアン真由美さんを擁立。必勝区と位置づけています。しがらみで左右されていた政治風土が河井事件の背景にあったことも踏まえ、しがらみのなさをアピールしています。

いっぽうで、積極的に農村部もまわり、対話をつづけています。そして、2021年1月末、広島3区市民連合と政策協定を締結。野党の統一候補となっています。維新も広島ではアンチ河井の支持者の方が多いので維新も擁立しない状況がこのままつづけば、有望な状況といわれています。

◆与党は迅速な激甚災害指定や候補の大臣に任命、懸命な巻き返し

こうした中、与党は8月11日の大水害について迅速な激甚災害指定、そして10月発足の岸田内閣で斉藤さんを国土交通大臣に任命し、猛追しています。「毎日のように公明党員があいさつにくる」(70代自営業女性)ありさまです。

安佐南区では県議補選も11月14日執行で行われる予定です。河井疑惑をただす会で事務局長として先頭に立ってこられた山根岩男さんが立候補を予定。立憲、共産、社民、れいわ、新社会党に推薦・支援をもとめています。

維新を離党して自民党系に移った女性との一騎打ちが予想されます。

◆広島2区では異色の政治学者、大井赤亥さんが国政に挑む

広島2区に立候補する異色の政治学者、大井赤亥さんのチラシ

広島2区は広島市西部の西区や佐伯区、廿日市市や大竹市などで構成されます。1996年、2000年は、灘尾弘吉元議長のながれを汲む保守系だが1993年以降は野党の粟屋敏信さんが占め、2003年は民主党新人が当選、自民党は3位に沈みました。

2005年は粟屋さんの地盤を引き継いだ平口洋さんが小選挙区当選し、民主党が比例復活。2009年は民主党が圧勝して平口さんは小選挙区・比例とも落選しました。しかし、2012年以降は平口さんが3連勝し、野党は比例復活すらできません。

2021年衆院選ではこの選挙区において、わたしの大学の後輩にあたる政治学者の大井赤亥さんが挑みます。地元ではラジカルなフェミニスト活動家として有名だった母(故人)をもつ大井さん。ざっくりいえば、医療などのサービスは大きな政府、一方で古い価値観の押し付けはやめさせるというラジカルなスタンスです。

広島の民主党系では考えられないようなリベラル・左派や、若者が多く陣営に入って応援しています。全国でも最も古いと思われる広島の政治風土の中で、新しいやり方がどこまで通じるか? 注目されます。

◆広島1区は岸田さんの鉄板だが……

広島1区(中区、東区、南区)はわたくしの住まいがあります。爆心地を抱えていますが、岸田文雄さんの絶対的な地盤です。2009年衆院選では広島2~7区を野党が制したのに、1区だけは自民党の岸田さんが僅差ながら勝利しました。他の選挙ではまさに、岸田さんが野党候補の合計を上回る圧勝を続けています。今回は社民党新人の有田優子さん、日本共産党新人の大西理さんが立候補を予定しています。正直、岸田さんの勝利は動かないように思えます。

岸田さんは、新自由主義からの脱却をとなえています。また、ノーベル平和賞受賞者のサーロー節子さんと親戚でもあり、従来の自民党の「核保有国と非核国の橋渡し」から「核保有国を核兵器廃絶へ引っ張っていく」というスタンスに変わっています。この点は歓迎できます。しかし、だからといって岸田さんを支持することはありえません。むしろ岸田さんに新自由主義脱却や核兵器禁止でシャンとしてもらう(広島弁でしっかりしてもらう)ためにも、いままでこれらをきちんと主張してきたような野党の健闘が必要です。

岸田さんは一方で甘利明さんら、原発推進派を重用しています。広島の野党は中央の市民連合が掲げている「原発なき脱炭素」をしっかりと中期ビジョンとして掲げるべきです。この点では既存政党ではもっとも古くから脱原発を掲げてきた社民党の候補に期待しています。

◆さとうしゅういちの方針 ── 広島の野党に「活」、政策論争中心へ広島の政治をリニューアル

れいわ新選組・竹村かつしさんのチラシ

わたくし、さとうしゅういちの方針は以下です。

比例代表は「れいわ新選組」を応援する。
小選挙区では野党(3区ライアン、2区大井、1区有田)を支持する。

広島においては、河井事件の震源地ということもあり、既存野党の活動家が取り組むテーマも河井事件批判についてのものが、多くなりがちです。それはそれで大事です。年配者には一定程度ウケるでしょう。

しかし、いまや岸田さんが介護をふくむエッセンシャルワーカーの待遇改善など新自由主義脱却を打ち出しているなかで、たとえば若手・女性労働者の支持をどこまで掘り起こせるのでしょうか?心配です。

とくに若い方ほど他の勢力の批判をきらい、政策を重視する傾向がありますのでその点は留意が必要です。そもそも、政策論争中心ではないために、組織のしがらみやお金がモノをいう選挙だったことを踏まえるなら、河井事件批判「ばかり」では広島の政治のリニューアルから遠のきかねません。

また、広島では原発製造を含む重厚長大の大手企業の影響が強かった歴史があり、野党もそれに影響されている面があります。しかし、このままで野党はいいのでしょうか?

しがらみではなく、政策論争中心へ広島の政治をリニューアルしたい。

そのためには、広島の既存の野党(活動家)が河井事件批判に力を入れられているなら、新自由主義脱却を岸田さんと競い合い、中期の原発なき脱炭素などをもっともしっかり打ち出す役目をれいわ新選組が主に引き受け比例票を掘り起こす。そして結果として、各小選挙区の野党候補を押し上げる構造をつくる。

また、野党に「活」をいれるとともに、政権交代にいたらずとも、岸田さんが気をひきしめて核兵器禁止や新自由主義脱却にとりくむとともに原発推進は諦めるような環境にする。これがわたしの狙いです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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本日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

本来ならば、岸田新政権の閣僚の分析を急がなければならないところだが、金権疑惑の甘利明を別として、麻生派を厚遇し安倍(細田派)にシフトした以外は、大過ないという印象である。ただし、副総理というほとんど実験のない名誉職に、麻生太郎を据えたことに疑問が残る。名誉職とはいえ、記者やメディアの格好の標的になるからだ。太郎さんの失言に期待しよう。

◆7月の都議選の結果をうけて、総選挙における自民敗北を前提に予想されていた小池新党の動向

さて、それよりも当然の人事である二階派排除によって、総選挙の政局が大きく動きそうな気配だ。7月の都議選の結果をうけて、総選挙における自民敗北を前提に予想されていた、小池新党の動向である。

6月いらいの小池都知事の動向を、本通信の記事をもとにたどってみよう。

例の入院騒動が彼女自身の体力と相談しながら、じつは都議選情勢を見ながらの「仮病」だったことを、その時期の本通信はとらえてきた。

「政局を騒がせる女帝、小池百合子は現在の日本政治には欠かせない政治家ということになるだろう。都議選挙に応援演説も何もせず、このまま様子見をするのか。都議選挙の見どころは、小池知事の動静に決まった。」(2021年6月28日付「小池都知事『入院』の真相と7月4日都議会選挙・混沌の行方」

はたして、小池百合子はうごいた。

その結果、都議選はおおかたの見方をくつがえして、都民ファーストの善戦、自民の復活ならずという事態となった。おそるべし小池百合子、と誰しもが舌を巻く一幕であった。「紙の爆弾」ですら、予定記事のタイトルをことごとく外した。

※「《速報》2021年都議会選挙 都民ファーストの善戦、自民党の復活は不十分に」(2021年7月5日)
※「この秋、政権交代は起きるのか? ── 『紙の爆弾』最新号を参考に、都議選後の政局を俯瞰する」(2021年7月8日)

そして、いよいよ菅義偉では総選挙が無理、ということが明らかになってくる。と同時に、その政局は小池新党の可能性をひらき、二階俊博による大連立構想(小池との提携)が水面下に顕われていた。

「9月の上旬までにコロナ禍がワクチンによって収束し、オリパラが成功裏に終了しないかぎり、もはや菅の続投はないだろう。それが総選挙(衆議院選)における自民党の大敗によるのか、総裁選による『菅おろし』によるものかはともかく、確実に菅政権は崩壊する。」

7月には菅の退陣は読めていた。問題なのは、小池新党が本当に準備されるのかどうか。この夏の動静にかかっていると、本通信は断言してきた。

※「五輪強行開催後に始まる「ポスト菅」政局 ── 二階俊博が仕掛ける大連立政権」(2021年7月21日)

「小池と都民ファーストに求められるのは、この夏をつうじて総選挙出馬のタマを育成・確保できるかどうかである。」

これらの予測はしかし、岸田文雄の二階おろし(菅おろしでもあった)によって、大きく主導権が代わるところとなった。

岸田は3Aの操り人形ではなく、二階のコントロールする傀儡でもなかったのだ。いっぽうで、発信力とトンデモ発言(自民党的にという意味で、反原発・女性天皇容認)の河野太郎を阻止するために、3Aラインの高市早苗擁立、岸田側面援助によってトップ当選を果たす。その結果、蚊帳の外に置かれたのが二階俊博なのである。

ところが、二階の連立構想などを頼らずとも小池新党の流れは、この夏のあいだに、ひそかな水流となっていた。

◆ふたつの「小池新党」

そのひとつは、都民ファーストを基盤とした「ファーストの会」である。10月3日に荒木千陽代表が設立を発表し、10月31日に行なわれる総選挙に、都内25の小選挙区に少なくとも複数の候補を擁立すると明らかにした。

もうひとつは、8月に始動した上田清司(前衆院議員・前埼玉知事)の「新党構想」である。国会内で開いた上田清司の会合には、笠浩史、吉良州司、井上一徳らが参加し、首長経験者を前面に出して国政に乗りこむ、というものだった。この上田市の動きが、小池都知事の国政復帰と連動しているのではないか、という観測がもっぱらだった。

ところが、小池知事は国政復帰を否定し、ふたつの動きに姿を見せていない。


◎[参考動画]都民ファが国政新党「ファーストの会」を設立(ANN 2021年10月3日)

◆第三の極になれるか

都民ファーストがめざすのは、大阪における維新の会の地域政党としての定着が、国政進出によって果たされていること。これであろう。わかりやすい。

都議選挙では自民党から「区議と都議しかいない政党に、政策は実現できない。われわれ自民党は、永田町で戦い、都議会で調整し、区議がはたらいて政策を実現する」という、田舎選挙とはいえ国会議員を持たない弱点を突かれたものだ。

もういっぽうの上田新党は、鳩山友紀夫元総理や河村たかし名古屋市長にもはたらきかけ、文字どおり首長クラスを前面に立てた、地方からの国政参加を旗印にしている。これはちょっと複雑怪奇だ。

両者はいわば、小池なき小池新党である。これに国民民主との提携なり共同会派が実現すれば、自民党/公明党×立憲民主/共産党/社民/れいわ新選組という与野党対決の第三の極となる可能性がないわけではない。

都議選では都民ファーストの健闘が自民党の議席回復を阻止し、いっぽうで立憲民主と共産党は微増だった。その意味では自民に代わる保守層(女性票)が都民ファーストに流れ、反自民野党の票はそれほど食わなかったことになる。

そうすると、小池新党の登場は自民党に分が悪く作用するのかもしれない。

だが断言しておこう。小池百合子のパフォーマンスの余地が、あまりにも少ないことを。いかに政治判断にすぐれようとも、決断をする与件がなければ政治は成立しない。

そして、もしもその与件が、ふたたび麻生太郎副総理の失言になるのだとしたら、岸田の派閥バランス人事の陥穽というべきであろうか。


◎[参考動画]麻生財務大臣、西村経済再生担当大臣が最後の会見(ANN 2021年10月4日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

煙草の副流煙による健康被害の有無が争われた裁判で、原告から加害者の烙印を押された藤井将登さんが、裁判に加担した日本禁煙学会理事長の作田学医師らを相手取って、損害賠償裁判を起こすことが分かった。9月29日、将登さんの妻・敦子さんが代理人弁護士と話し合って、提訴の意志を固めた。原告には、敦子さんも加わる。提訴の時期は、年明けになる予定だ。「反訴」の方針を決めた敦子さんが、心境を語る。

「3年ものあいだ裁判対応に追われました。家族全員が喫煙者だという根拠のない噂を流され迷惑を受けました。ちゃんと『戦後処理』をして、訴権の濫用(広義のスラップ訴訟)と禁煙ファシズムに歯止めをかけたいと考えています」

藤井敦子さんは英語講師で、自宅で英語の発音を教えている

◆藤井家から副流煙が、団地に広がったウワサ

横浜副流煙裁判は、2017年11月にさかのぼる。横浜市郊外の青葉区・すすき野団地に住むミュージシャン・藤井将登さんは、同じマンションの2階に住む福田家(仮名)の3人から、4518万円の金銭を請求する裁判を起こされた。訴因は、将登さんの煙草の副流煙だった。将登さんが音楽室で喫った煙草が2階の福田家へ流入して、一家3人(夫・妻・娘)が「受動喫煙症」などの病気になったというものだった。

将登さんはヘビースモーカーではない。1日に2、3本の煙草を、喫う程度だった。それも喫煙場所は防音構造の音楽室で、煙が外部へもれることはなかった。しかも、仕事の関係で外出が多く、自宅に常時滞在しているわけではなかった。敦子さんと娘さんは、煙草を喫わない。

が、それにもかかわらず藤井家からもうもうと白い煙が発生しているかのような噂が団地に広がった。副流煙で娘が寝たきりになったということになっていた。藤井さん夫妻は2度にわたり警察の取り調べを受け、将登さんが「代表」で法廷に立たされたのである。

しかし、審理が進むにつれて、提起行為そのものに次々と疑問が浮上し始めた。まず最初に3人の原告家族のうち、夫に約25年の喫煙歴があった事実が分かった。煙草による健康被害を訴えていながら、実は、提訴の2年ほど前まで煙草を喫っていたのである。その事実を本人が法廷で認めた。この時点で、提訴の根拠がゆらぎ始めたのだ。

さらに別の重い事実が判明した。提訴の根拠となった3人の診断書のうち、娘の診断書が不正に作成・交付されていた疑惑が浮かび上がったのだ。この診断書を作成したのが日本禁煙学会の作田医師であった。作田医師は、娘本人を診察しないで、診断書を交付した。娘とは面識すらなかった。宮田幹夫医師(北里大学医学部名誉教授)らの診断書を参考にしたり、娘の両親から事情を聞いて、「受動喫煙症」などとする病名の診断書を交付したのである。それが訴訟に使われたのだ。

しかし、無診察による診断書の交付は医師法20条違反にあたる。それが司法認定されると、医師としての生命を失いかねない。それにもかかわらず作田医師は、大胆不敵な行為に及んだのである。

横浜地裁は2019年11月28日に、原告一家の請求を棄却する判決を下した。判決の中で横浜地裁は、作田医師による医師法20条違反を認定した。それが原因になったかどうかは不明だが、翌年の3月末に、作田医師は日本赤十字医療センターを除籍となった。同センターによると、それに伴い「受動喫煙外来」もなくなった。

原告は東京地裁へ控訴したが、高裁は2020年10月29日に控訴を棄却した。原告(控訴人)が上告しなかったので、東京高裁の判決が確定した。それを受けて敦子さんは告発人を募り、神奈川県警青葉署へ虚偽公文書行使罪で作田医師を刑事告発した。青葉署はすみやかに告発を受理して、関係者の捜査に入った。

こうした一連の流れの中で、藤井夫妻は「戦後処理」の一環として損害賠償を求める民事訴訟を提起するに至ったのである。その背景には、後述するように、広義のスラップ訴訟(訴権の濫用)に対する警鐘がある。スラップ訴訟は、水面下で社会問題になっている。ツイッターで「いいね」を押しただけで、提訴されかねない時代になっている。

◆「1年前から団地の1階でミュージシャンが」

わたしは藤井将登さんが法廷に立たされてから約1年後にこの事件の取材を始めた。その中で、日本禁煙学会の作田医師が、深く裁判に関わっていることを知った。福田家のために根拠に乏しい診断書を作成した事実はいうまでもなく、次々と新しい意見書を裁判所へ提出するなど、その奮闘ぶりは尋常ではなかった。第1審の判決日には、みずから法廷に足を運んだ。

自宅での禁煙禁止を命じる判例が誕生するのを期待していたのではないか?

作田医師は、福田家の妻の診断書の中では、医学的所見とは関係がない記述をしている。

 

藤井将人さんが喫っていたガラム

「1年前から団地の1階にミュージシャンが家にいてデンマーク産のコルトとインドネシアのガラムなど甘く強い香りのタバコを四六時中吸う(ママ)ようになり、徐々にタバコの煙に敏感になっていった」

現場を自分で確認することなく、このような事実摘示を行ったのである。

また、追加意見書(2019年3月28日)では、「現状でできることは、藤井氏側が直ちに自宅でのタバコを完全に止めることなのです」「これは日本禁煙学会としてのお願いでもあり、また、個人としてのお願いでもあります」などと述べている。原告3人の体調不良の原因を将登さんの副流煙だと決めつけているのである。

◆独り歩きしている病名「受動喫煙症」

裁判の中で、わたしは次々と興味深いことを知った。まず、日本禁煙学会が日本学術会議によって認定された「学会」ではない事実である。「学会」と付されているが、禁煙撲滅運動を進める市民運動の性質もある。

またわたしは、提訴の根拠となった3通の診断書に、作田医師が記した「受動喫煙症」という病名が、国際的には認められていないことを知った。WHO(世界保健機構)は、認定した病名に「ICD10」と呼ばれる分類コードを付すのだが、「受動喫煙症」は含まれていない。

つまり「受動喫煙症」という病名は、作田医師が理事長を務める日本禁煙学会が独自に命名したものであることを確認したのである。この病名を使うことが、法律に抵触するわけではないが、訴訟で4518万円を請求する根拠に使われた事実は重い。

◆スラップ防止法が存在しない日本

このように福田家が起こし、作田医師が加勢した訴訟そのものにグレーゾーンがあるわけだが、しかし過去に訴権の濫用が認定された裁判判例は極めて少ない。憲法が提訴権を優先している事情がその背景にある。

過去に訴権の濫用が認められたケースとしては、わたしが調べた限りでは、幸福の科学事件、武富士事件、長野太陽光発電パネル事件、DHC事件、N国党事件の5件である。

このうち長野太陽光発電パネル事件は、業者が太陽光発電のパネルを設置したところ、近隣住民から苦情が出たことに端を発する。太陽光パネルの撤去を求める住民に対して、業者は反対運動の中で名誉を毀損されたとして6000万円の損害賠償を求める裁判を提訴した。これに対抗して住民が、訴権の濫用で反訴した。裁判所は、住民の訴えを認めて、業者に50万円の支払を命じた。(長野地裁伊那支部平成27年10月28日、判決)

提訴しても勝訴の見込みがないことを認識しながら、あえて訴訟を起こした場合は、訴権の濫用とされるが、立証の壁は高い。

藤井さん夫妻が予定している裁判では、虚偽の診断書などを根拠として4518万円の巨額を請求した事実を、裁判所がどう判断するかに注目が集まりそうだ。まったく前例のないケースである。

藤井夫妻が予定している「反訴」は、スラップ防止法が存在しない日本の司法界に一石を投じそうだ。

※筆者は喫煙者ではない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

前回の平壌からの手紙ではよど号メンバー・魚本公博さんから届いた「データ主権なきデジタル化とは」というテーマの論考と、それに関する解説とを投稿した。

彼らとの「往復メール書簡」第3回目は、アフガニスタンのタリバン復権と、その背景に何があるのかということを取り上げる。

日本からメールで送られてきたアラブに関する資料に目を通す、よど号メンバー・魚本公博さん(平壌「日本人村」にて、よど号メンバーが撮影)

◆2つの「8・15」 魚本公博

タリバンのカブール制圧。その日は奇しくも日本の敗戦日と同じ「8・15」だった。もちろん、それは偶然の一致である。しかし、2つの「8・15」は、まったく無関係ではない。

なぜならば、米軍のアフガニスタン占領は、「反テロ」と「民主化」を掲げておこなわれたが、その「民主化」のモデルは日本だとされたからである。当時、ブッシュは「イラク、アフガニスタンを日本のように民主化する」と述べている。

そして、それは失敗した。米ボストン大学名誉教授のアンドリュー・ベースビッチ氏は「日本やドイツでやったことを今度はイラク、アフガニスタンでもやろうじゃないか」として「ネーション・ビルディング(国造り)」して失敗した結果の今だと指摘する。

では「8・15」の米軍占領下で行われた日本の「民主化」とはどういうものだったのか。それはあくまでも米国のための「民主化」であった。すなわち日本を対米従属の国にするための「民主化」。その下で、自主派は潰され対米追随派が育成され、米ソ冷戦時には「反共の防波堤」にされ、経済発展の後には、その富を奪われ(郵政民営化)、今は米中対決の最前線に立たされようとしている。

タリバンの「8・15」の勝利、それは他国を侵略して自分式の民主主義を押しつけても必ず失敗するということを証明したばかりでなく、米国覇権の時代は終わり、覇権など通用しない時代であることを示している。

この時代にあっても日本は対米従属を続けるのか、そこに日本の未来はあるのか。日本は「対米従属」という国のあり方を根本的に考え直す時ではないか。タリバンの「8・15」は、そのことを鋭く問いかけている。

◆1人ひとり、多様性の尊重の本質

2021年8月15日、アフガニスタンにおいてタリバンが首都カブールを制圧。大統領府を占領し、タリバン幹部はビデオ声明で勝利を宣言する。ガニー政権は崩壊し、国外に脱出。アメリカがイギリスなどとともに爆撃や巡航ミサイル攻撃などによる軍事作戦で2001年にタリバン政権が崩壊してから20年の時が経過し、タリバンは復権したのだ。

アメリカとタリバンは20年にトランプ政権下で和平合意に署名。バイデン政権が8月30日に駐留米軍を完全撤退させた。

いっぽう、日本の敗戦の日「8・15」は、1945年、正午からの玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾や日本の降伏が国民に公表された日だ。

さて、「イラク、アフガニスタンを日本のように民主化する」の発言は実際には、2005年8月31日、日本経済新聞の記事で、「ブッシュ米大統領は30日昼、カリフォルニア州サンディエゴの米海軍基地で対日戦勝記念の演説をおこない、第2次大戦後に民主国家として発展した日本の成功例を手本に中東民主化を推進する決意を表明した。米国内でイラク政策への批判がくすぶるなか、『日本モデル』を引き合いにイラク復興の歴史的な意義を強調、米国民の支持を取り付けようとする狙いがある」と記されるなど、当時、ブッシュが日本を引き合いに出し続けたことを指すのだろう。

また、アンドリュー・ベースビッチ氏のインタビューは、2021年8月25日付朝日新聞の記事によるようだ。

筆者は先日、加藤登紀子さんの著書『哲さんの声が聞こえる -中村哲医師が見たアフガンの光-』を読了。本書については別の機会にぜひ紹介したいのだが、先日、アフガニスタンを理解する登紀子さんのTwitterに注目が集まり、Tweetに批判の声もみられた。

それでも彼女は、

「タリバン政権がどんな政策を取るのかについて、選んでいくのはアフガンの人たちであって、国際社会ではないのです。アフガニスタンをテロ国家と規定したのはアメリカで、ブッシュ大統領はこれは十字軍の戦いだと言ったのです。21世紀こそ、多様な文化、宗教を許容する世界を目指すべきなのに。」

「1984年から医師としてアフガンの人たちとともに生きぬいた中村哲さんの鉄則としたのは、『その地域の習慣や文化について一切、これを良い悪い、劣っている優れている、と言う目で見ない』と言うことでした。キりスト教徒でありながら、アフガンの人たちにとってのイスラム教を尊重した哲さん、偉大です」と説明。

それに対しても「じゃあ何故大勢の人々がタリバンのアフガンから逃げ出そうとしているのでしょうか?」などの声があがったが、「この何十年か、常に戦争に苦しめられてきたのです。この国から出ようする人がいるのは当然です。中には米軍協力者だった人もいるでしょう。ベトナム戦争終結の時と同じように」と冷静に答えている。

すると、「アフガンにソ連が侵攻した時に、ゲリラ組織を支援して訓練など施したのがCIAで、その組織からアルカイダが出て来たと聞いています。」などの声も発せられるようになり、それに対しても「その通りです。なんだか酷すぎるよね。」と返答。

また、「でもタリバンは狂信的なアラーの神信者たちで、女性の権利を一切認めていません、はたらくことも、学ぶこともです。アラーの神はそんなに女性を虐げる神だったのかなと思っています。」にも「権利の意識が違うのだと思います。必ずしも虐げられている訳ではない。」、さらに「その国にいるだけで、その家に生まれただけで、信仰しない自由を考えてくれず、違和感を口にすると逃げ場どころか、危険に身を晒すことになるのが、原理主義の欠点だと、私は思います」に対しても「宗教や文化への多様性を前より許容する方向に向かおうとしてるんじゃないでしょうか?」と返している。

十数年前、やはり活動仲間とともに、戦後民主主義に関し、議論となったことがあった。そのなかで1人が「それでも自由や民主主義、国民主権・平和主義・基本的人権を取り入れることができたことはよかった」と口にし、それが1つの結論となった。

ただし、西側諸国、特にアメリカに大きく影響された日本に暮らしながら、他の国や文化を単純に批判することは危うい。まず報道がゆがんでいることは、朝鮮に関わったことで大変深く理解した。地理的に困難を強いられる位置にあり、長い歴史のなかで他国による侵攻にさいなまれ、それでも諦めずに抵抗し続けたアフガニスタン。それらのことを少しでも理解し、彼らの悲願や葛藤を想像することは重要なことだろう。もちろん、アメリカの覇権主義の実際について改めて考えることも必要だ。

アフガニスタンに関し、わたしもやはり女性の権利についてはかなり気になる。しかし、たとえばフランスでは2004年に公立学校におけるヒジャーブ禁止の法律が制定され、2011年には公共の場での顔を覆うものの着用も禁止する法律が施行された。近隣の国や自治体でも同様の禁止令が発せられる。これは人権侵害ではないのか。登紀子さんの言うように、「多様な文化、宗教を許容する世界を目指すべき」。

そのうえで、見守りながら、「幅広い」1人ひとりの声に耳を傾けること。わたしたちは、まずそこから始めなければならないだろう。哲さんの壁画が消されたことも気になるが、彼らの自主自立の強い意志の表れかもしれない。そもそも、まずはわたしたちが暮らすこの社会の問題に取り組む必要があり、内の社会でも外でも当事者の声にできるだけ直接的に耳を傾けなければ、ゆがめられた情報から真実に接近することなどできないだろう。

わたしたち1人ひとりは、より広く深く真実に近いものを収集し、考え、判断できているか。周囲の人々の生活は、どのようになっているのか。困っている人はいないか。個人的には、現場から情報を集め、さまざまなものから学び、上(政治や投票)からも下(現場・地べた)からも社会を変革していく活動をしていきたいと考えている。

アフガニスタンの混雑する市場

※上記写真はDavid MarkによるPixabayからの画像

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』10月号には、「300万年の『ふるさとの水』を汚染し続ける首都圏最大級の産業廃棄物処分場」寄稿。

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

◆クラスター発生

タイでの新型コロナウィルス感染問題の始まりは、すでに大雑把には述べてきましたが、昨年(2020年)3月6日にムエタイの殿堂、ルンピニースタジアムで開催されたビッグイベント後に、進行リングアナウンサーを務めたタイの有名俳優マティウ・ディーン氏のコロナ感染が発覚すると同時に、同スタジアムで賭けに昂じていたギャンブラーら100名以上の感染者、スタジアムを管理・運営するタイ陸軍のスタジアム支配人(当時)までもが感染するクラスターが発生し、大きなニュースになってからでした。

タイで大規模なクラスターが発生したのは、このルンピニースタジアムが初であり、多くのタイ国民に「ムエタイスタジアム=コロナのクラスター」というイメージを植え付けてしまい、ムエタイ業界は長期に渡り興行開催禁止に至りました。

現ルンピニースタジアムのコロナ前のビッグマッチ興行風景

旧ルンピニースタジアムのギャンブラーたち。今見れば恐ろしいほどの密集である

いつもは渋滞、夜間外出禁止令中のスクンビット通り(許可された緊急移動中)(2021年8月5日)

◆厳戒態勢に入ったタイ国

そこからはムエタイ業界のみではなく、タイ政府の感染拡大防止策で、人の生活に不可欠なスーパーマーケットなどの食料品店や、飲食店、薬局、病院、運搬業などを除いて殆どの業種が市場を停止された状況下に置かれ、時間帯や年齢、条件を設けた外出禁止令と在宅ワークの推奨で感染拡大を阻止する対策を行なってきました。

こういう緊急事態には統制がとれるタイ国、その軍事的厳戒態勢で感染者激減はしたものの、クラスターの口火を切ってしまったムエタイ業界に優遇処置は取られませんでした。

そこでタイ国ムエスポーツ協会やプロモーターらは、このままムエタイ興行を開催しなければ各ジムや選手たちが廃業に追い込まれる現状をスポーツ省大臣に訴え、興行再開を陳情。

クラスター発生から4ヶ月程経過した、7月4日には無観客試合で一時的に開催許可され、オムノーイスタジアム、7月15日からはラジャダムナンスタジアムに於いて以前より開催日数と試合数を縮小し、興行が再開(クラスター発生地、ルンピニースタジアムは不可)。

その後も感染者低水準が続き、平常に戻りつつあったタイでしたが、これで気が緩んだか、12月20日頃にはサムットサコーン県の海産物市場でのクラスター発生からコロナ感染者数急拡大。ミャンマーからの出稼ぎ労働者が大半と言われ、近隣国からの入国は起こるべくして起こった事態に、政府は再び厳戒態勢を敷き、ムエタイ興行も当然の開催禁止に至りました。

県境を封鎖してもタイ国内は変異株の蔓延もあって以前のような減少には至らず、厳戒体制が延々続きました。ムエタイジム、スポーツ施設も一般の経営店舗と同様の扱いでトレーニングが出来ない日々が続き、試合が無ければファイトマネーを得られない選手やジム経営者らはどんどん追い込まれる一方。選手らは田舎に帰り、家業の農業を手伝ったり、全く違う一般職種への転職が増えました。

ムエタイ界は何とか興行再開を目論み、まだ規制の緩い地方都市での開催など苦肉の策を講じるものの、先の見えない状況下で直前になって興行中止など事態は好転しないまま長期化に至りました。

◆ルンピニースタジアムなんとか再開

ルンピニースタジアム屋外特設会場(2021年9月15日)(C)MUAYSIAM

今年(2021年)8月中旬にはタイ国内で一日23000人を超える最多のコロナ感染拡大と死亡率急増した中でも、夜間外出禁止令等の感染拡大防止策の成果と、抗ワクチン接種の効果も表れ始め、感染急拡大が下降に転じ峠を越したとみられたことから、9月1日からのタイ政府の規制緩和では、屋外のスポーツ施設を一部開放(公園や競技場等)されました。

「規制緩和は早過ぎるのでは?」という声もありながら歓迎の声も多く、ルンピニースタジアムや、テレビ局のチャンネル7などでは屋外の駐車場スペースで無観客試合としての興行開催を発表。

9月15日にはルンピニースタジアムは、屋外駐車場棟特設会場での開催で再開初日を迎えることが出来ました。当然ながら選手の他、入場関係者全員に3日前と当日のPCR検査を実施するなど徹底した感染対策を取った上での開催を実施。

ルンピニースタジアム後方駐車場棟の最上階での開催となった(2021年9月15日)

しかしこの日、思いもよらない事態が発生。17時開始の全6試合の内、セミファイナルとメインイベントを残したまま時間切れにより急遽中止。ライブ配信のシステムで不具合が発生して進行が遅れ、出場するはずだった選手らはグローブを装着し、リングに向かえる状態で試合中止を通達されてしまった模様。

夜間外出禁止令(21:00~4:00)が発令された状況下での開催であり、各店舗や会社の営業時間は20時まで。従業員などは20時から21時の間に極力帰宅しなければなりません(交通網の遅れはやや容認)。このイベントも同様で、早く撤収しなければなりませんでした。

急遽試合が無くなった2試合の4選手は翌週以降に延期や、対戦相手を変更された形で開催予定(メインイベント出場予定だった、サオエーク・シットシェフブンタムは、2019年11月に日本で小笠原瑛作にKO勝利)。

興行再開初日にトラブル発生は、今後のムエタイの先行きが思いやられる出来事でしたが、主催者と興行関係者は出来得る限りの努力をしていたことでしょう。

ルンピニースタジアム屋外特設会場での試合(2021年9月15日)(C)MUAYSIAM

◆今後の期待

9月18日にはチョンブリ県のフォンチャーンチョンブリスタジアムから昼興行でのテレビ放映(TV3ch)と、ルンピニースタジアムでは初となる、女子選手の出場試合(WBCムエタイ女子世界ミニフライ級王座決定戦)があり、9月25日にもルンピニースタジアム屋外会場で興行開催。その他のスタジアムも徐々に興行再開を目論み、再びコロナ感染者数が拡大しなければ10月以降も各地で興行再開し、ルンピニースタジアムも本来のメイン会場での開催と、現在は情勢を伺っているラジャダムナンスタジアムと共に、ムエタイ業界も徐々に活気が戻って来ることでしょう。

日本で試合が予定されたタイ選手はビザが下りず中止となったカードも多く、「渡航解禁は11月から」というタイの政府発表は、そのまま信じる訳にはいかない中でも、可能性を信じて待機するプロモータや選手も多いようです。

世界的なコロナ感染のすぐの終息は難しくとも、重症化しない為のワクチン接種効果からの感染激減を祈る多くの国や人々でしょう。

タイのTV7chもスタジオ横の屋外駐車場で特設リングを組んで開催準備中(2021年9月)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

義母に嫌われるほど目立つ、一部の国民から妬みを招くほど人気がある。それが昭和皇室のスーパースター、美智子妃であった。香淳皇后が抱いていた敵意が、美智子妃の存在が皇太子明仁を「脇役」「添え物」にするほど、彼女は皇室アイドル化路線の体現者であった。

その人気は、平成の世になってからもつづいた。いや、皇族や旧華族の一部に嫌われた昭和時代にも増して、皇后としてのその華やかな存在が重みを増し、そして叩かれたのだった。いわゆる美智子皇后バッシングである。

それは平成皇太子の結婚という、いわば慶事を前後して行なわれた一大キャンペーンだった。

●平成5(1993)年4月「吹上新御所建設ではらした美智子皇后『積年の思い』」(『週刊文春』4月15日号)
●6月「宮内庁に敢えて問う 皇太子御成婚『君が代』は何故消えたのか」(『週刊文春』6月10日号)
●6月「宮内庁記者が絶対書けない平成皇室『女の闘い』」(『週刊文春』6月17日号)
●7月「皇室の危機『菊のカーテン』の内側からの証言」(『宝島30』8月号)
●7月「『宝島30』の問題手記『皇室の危機』で宮内庁職員が初めて明かした皇室の『嘆かわしい状況』」(『週刊文春』7月22日号)
●9月「天皇訪欧費用『2億円』の中身」(『週刊新潮』1993年9月9日号)
●9月「美智子皇后が訪欧直前の記者会見で『ムッ』としたある質問」(『週刊文春』9月16日号)
●9月「美智子皇后のご希望で昭和天皇の愛した皇居自然林が丸坊主(『週刊文春』)9月23日号)
●9月「宮内庁VS防衛庁に発展か 天皇・皇后両陛下は『自衛官の制服』お嫌い」(『週刊文春』9月30日号)

ご記憶にあるだろうか。記事に憤激した右翼団体が、発行元の出版社に街宣車で押しかけるという事態も起きたものだ。

上記の記事のうち、吹上新御所建設では、昭和天皇が愛した皇居内の自然林を伐採し、香淳皇后との「別居」を実現したというものだ。なかでも宮内庁職員の「内部告発」がリアルに暴き出す皇室の内幕は雑誌の増刷につながり、国民の関心をかった。大内糺(仮名)という人物の匿名記事である。

暴露記事の背景には、天皇の代替わりのさいに侍従や女官が総入れ替えになるので、お役御免となった人々から、過去の憤懣や内情が暴露されたものと考えられる。現役の職員からの「タレコミ」があったかもしれない。

たとえば、皇太子妃時代の美智子妃が友人を招いて、その宴が深夜にまで及ぶ。そのかん、お付きの侍従や女官たちは勤務が解けないというもの。

いわく「美智子様は宵っぱりで、午前1時、2時になってもインスタントラーメンを注文したりするので、当直職員は気を許すことができない」

あるいは「華美な生活を好み、キリスト教に親和性が高く、皇室になじまない」「パーティーなどの計画も、美智子様がウンとおっしゃらないと話が進まない」などと痛烈に批判する。

宮内庁関係者によると、昭和皇太子夫妻の宵っぱりは事実だったようで、職員たちの不満がそこに反映されているという。

◆皇后を襲った失語症

皇室記者たちによれば、「思わず首をかしげたくなる記事」だったが、いや、だからこそ皇后美智子のショックは大きかった。この「キャンペーン」で失語症になったというのだ。10月の誕生日には、以下のコメントを発表している。

「どのような批判も,自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思いますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません。今までに私の配慮が充分でなかったり,どのようなことでも,私の言葉が人を傷つけておりましたら,許して頂きたいと思います。」

このコメントが皇后への同情論として、国民にいっそうの美智子礼賛をもたらした。そしてその後は「美智子皇后の雅子妃イジメ」というキャンペーンが週刊誌を飾ることになるのだ。

その大半は、雅子妃の帯状疱疹などの体調不良にむすびつき、あたかも美智子妃が嫁いびりをしているかのような報道が相次いでいく。そして雅子妃の公務からの離脱がはじまり、平成皇太子の「雅子への人格否定」発言が飛び出すのである。

どこの家庭にもある嫁姑の確執は、ここまで見てきたとおり皇室においても変るところはない。ある意味で国民はその噂をもって、皇室に人間らしい親しみを感じ、あるいは芸能報道的な好奇心をくすぐられるのだ。

単に事件としての皇室スキャンダルではなく、ファンとしての手がとどく芸能記事なのである。そこにこそ、戦後天皇制の国民意識への下降、国民的融和性という本質があるのだ。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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