大阪市西成区のJR新今宮駅から南へ走る南海電鉄本線の高架下に入る「西成労働福祉センター」仮庁舎の周辺には、春からたくさんのプランターが並べられた。しかし、私が見る限り、8月から写真を撮った10月現在まで、花はずっと枯れたままだ。何故、花が枯れたプランターが追われ続けるのか? プランターが置かれる前、そこには野宿する人たちがいたからだ。
◆長年続く生活保護バッシング
DAIGO氏というメンタリストが、8月、自身の動画サイトで「ホームレスの命はどうでもいい……どちらかというとホームレスっていない方が良くない? 正直、邪魔だし、プラスにならないしさ、臭いし、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」などと発言し炎上した。
しかし、彼が発したような差別発言を、私たちはこれまでも散々見聞きしてきた。過去には、親が生活保護を受けていた件で、お笑いタレントが「親の面倒をみないのか」とバッシングされた。先頭にたったのは自民党の片山さつき議員、世耕弘成議員らだった。
片山議員は「生活保護は生きるか死ぬかの人がもらうもの」などとも発言していた。さらに、2016年NHKの番組に端を発した「貧困女子高生バッシング騒動」にも加担、先輩議員に続けとばかりに、杉田水脈議員も「『誰が何と言おうと僕(私)は貧困なんだ』『僕(私)の貧困を税金で何とかしろ!』とデモで叫ぶ若者を見ていて不安に思うのは私だけでしょうか?」とブログに書いた。
また、先の自民党総裁選に出馬した高市早苗議員は、過去に「さもしい顔をして、(生活保護費を)もらえるのはもらおうと、そんな国民ばかりいたら、日本が滅びる」と発言したいたことが問題視された。指摘に対して高市議員は、発言は、生活保護者の不正受給が急増した民主党時代に、どうしたら良いか討議する過程で発言したものと述べた。
生活保護者が増えれば不正受給数が増えるのは当然だが、日本の場合、生活保護受給者全体に占める不正率はわずか0.45%でしかない。メディアで「極悪人」のように取り上げられる、豪邸に住み外車を乗り回すなどの例はまれで、多くは子供のバイト代や臨時収入を申告しなかった、申告する義務すら知らなかった人もいた。しかし、それよりも問題なのは、生活保護を本来受けられるはずの人が受けられていない割合、生活保護の捕捉率が22.9%と、諸外国に比べ極めて低いことだ。
◆じんわり差別を助長させ、困窮者を排除する思想
生活保護者や野宿者を、「私たちの税金で生活する人」「社会に役にたたない人」と差別したり社会から排除しようとする人たちは、先のDAIGO氏や自民党議員のように、露骨な差別的思想を持つ人ばかりではない。「善意」「や「社会のために」と思って行動したつもりが、その延長線上で生活保護者や野宿者が苦しめるとは思いもよらず、差別、排除に加担してしまう人たちもいる。
先の花の枯れたままのプランターを置き続ける人たちもそうだし、同じく新今宮駅北側で野宿者のテントなどを締め出すために、無邪気な子供たちの絵画を並べるのもそうだ。「町をきれいに!」の掛け声で、結果、野宿者を締め出し、「間接的に死に追いやる効果」(稲葉剛氏)をもたらしているのだ。
話はそれるが、政府の政策を進めるために、人々の善意を利用する手法は、福島の汚染がれきの広域焼却でも利用された。「被災地の人だけに押し付けるのは気の毒だ」「みんなでがれきを受け取ろう」と。
最近では、増え続ける福島第一原発内の汚染水を「ペットボトル1本でもよいから、海洋放出水をみなで分かち合うセレモニーができないか」と訴えるジャーナリストまで出てきた。いずれも、一か所に集中して管理すべき放射性物質を広域に拡散させ、放射能による健康被害を隠ぺいする、極めて犯罪的な行為だ。
◆誰のための「住みよい町づくり」か?
良いことをやっている感を演出して、じわじわ野宿者を締め出す施策が、釜ヶ崎では、大阪維新の「西成特区構想」の進行とともに強化されている。西成区「あいりんクリーン推進協議会」主催で、西成警察署が主導し、町内会、ドヤ主、地元議員らが、市民が共に行う「クリーンロードキャンペーン」などもそうだ。
「きれいで住みよい町に」を掲げながら地区内をパレードし、最終地点の三角公園で、参加者にお茶やタオル、下着などを配布する。経済的に苦しい生活保護者や野宿者もそれらを目当てに参加する。それらを目当てに参加する人も多い。
一度、その場面に出くわしたことがある。労働者は三列に並ばされ、先頭を若い警官が棒で仕切り、3人づつ配布場所に進ませる。我先にとフライングしてしまう労働者に「3人づつ言うたやろう!」と怒鳴る若い警官。「町をきれいに!」という掛け声が、野宿を余儀なくされ、そのためにそう綺麗ではない身なりの人たちにどう聞こえるのだろうか? それがいつも気になるのだが……。
◆維新の町づくりの根っこにある差別
西成特区構想の最大の目玉「あいりん総合センター」の解体と、そのための野宿者の強制排除は、係争中のため実行されてはいない。しかし、野宿者排除は確実に進行している。西成特区構想、まちづくりを進める人たちは、「ジェントリフィケーションがおこらないように」「誰も排除されないように」と主張するが、とっくに排除は始まっている。
大阪維新が極めて差別的な思想の持ち主であることは、多くの維新議員の発言からも明らかだ。選挙の際、橋下自身は釜ケ崎では宣伝カーを降りなかったし、選挙に出馬した稲垣浩氏に維新関係者は「汚れ!あっち行け!」と暴言を吐いた。
その大阪維新と西成のまちづくりを進めようと、維新の特別顧問として、約4年「まちづくり会議」の座長を務めた鈴木亘学習院大学教授も酷かった。鈴木氏は、専門の経済用語を用い、野宿者を「外部不経済」と表現した。
「外部不経済」とは何か、なぜ野宿者がそう呼ばれるか、少し長いが鈴木氏の著書「経済学者 日本の最貧困地域に挑む」(2016年10月出版)から引用する。
「たとえホームレスが好きで野宿生活をしていたとしても、直接的には関係のない第三者に迷惑がかかるのであれば、そのときには行政介入が行われるべきである。第三者に悪影響をおよぼす場合を「外部不経済」、よい影響を与える場合を「外部経済」という。では実際に、ホームレスはどのような外部不経済をもたらすのだろうか。
第1に、公園や道路などの公共空間を占拠することにより、第三者が使用できなくなる。
第2に、結核などの感染症が蔓延し第三者に広がる。
第3に、周辺環境が悪化し地価や賃貸料が下がる。
第4に、路上生活にともなって健康悪化が進むと、最終的に重篤患者となり生活保護から高額の医療が支払われる。
第5に、ホームレスをみると通行人が気の毒に思って不幸な気分になる(これも立派な外部不経済である)。したがって、これらの外部性を解消する範囲内で行政介入が正当化されうる。」
メディアでの露出も多い著名な経済学者が、「ホームレスを見ると通行人が気の毒に思って不幸な気分になる」とは、DAIGO氏以上に大問題ではないか。反差別、反権力を標榜しながら、大阪維新や鈴木亘氏に忖度し、野宿者、生活保護者をじんわり差別する人たちも結構見かける。警察に弾圧される露店商を、(そんな「悪いこと」するのは)「生活保護者じゃないか」と言ったり、仲間が生活保護者と知るや「まだ若いくせに」「アウトやな」などと叩く人たちだ。
そういう私自身、数年前、真夏に日傘をさす男性に「男のくせに」と感じたことがあり、とっさに、男性だって熱中症や日焼けしたくないのは当たり前だと多いに反省させられた。反差別、反権力、弱者に優しく、誰も排除しない……口でいうのは簡単だが、それらを一歩前に進めるためには、日々、自身の態度を検証していきたい。
「反差別」「反権力」を叫んでいるだけでは何も変わらないが、まもなく始まる選挙では、なぜ野宿者、生活保護者にならざるをえない人が減らないのか、日本という国で、どういう政治が行われているのかを見ていきたい!
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58