情報公開制度が形骸化している。開示請求を受けた公的団体が、自分たちにとって不都合な情報は開示しない、あるいはたとえ開示しても、肝心な部分は黒塗りで公開することが半ば当たり前になってきた。
情報の透明化を求める世論が広がる一方で、情報を密室に閉じ込めてしまおうとする力も強まっている。その具体的な実態を最高裁事務総局に対する情報公開請求を例に紹介しよう。
◆「報告事件」とは何か?
2021年11月29日、筆者は最高裁事務総局から1通の通知書を受け取った。それは、筆者が同事務総局に対して開示を求めていた裁判官人事に関する文書類を開示しない決定通知だった。
今年の3月22日、筆者は次の文言の情報公開請求を申し立てた。
「裁判官の人事に関する文書の全タイトル。期間は、2018年4月から2021年2月。」
この情報公開請求の目的は、最高裁事務総局による「報告事件」についての調査である。「報告事件」というのは、最高裁事務総局が下級裁判所に対して審理内容の報告を求め、国策などにかかわる判決が下る可能性が浮上すると、担当裁判官を交代させることで、判決の方向性をコントロールする裁判を意味する。元裁判官らが、この種の制度が存在すると話しており、筆者は、その信ぴょう性を確認するために「報告事件」の調査を始めたのである。
◆東京高裁、野村武範の在任日数30日
しかし、その直接の発火点になったのは、筆者が取材していたある裁判の不可解な判決だった。この裁判は、俗にいう「押し紙」裁判で、原告は千葉県内の元新聞販売店主、被告は産経新聞東京本社だった。
原告の元店主は、「押し紙」(新聞のノルマ部数)によって損害を受けたとして、約2400万円の損害賠償を求めていた。
判決は、2020年12月1日に下された。元店主の敗訴だった。この裁判は、当初から店主側が有利に審理を進めていた。実際、裁判長は2度に渡って産経新聞に和解を勧告していた。「押し紙」裁判は、その前年あたりから販売店勝訴の流れが生まれ始めていた。
ところが2020年4月にコロナウィルス感染拡大により緊急事態宣言が発令されて、東京地裁が半休眠の状態に陥った後、予期せぬことが起こる。5月に裁判長が交代になったのだ。そのこと自体は特に珍しいことではないが、新しい裁判官の経歴が明らかに不自然だった。
裁判官の名前は、野村武範。経歴は次のようになっている。
R 2. 5.11 東京地裁判事・東京簡裁判事
R 2. 4. 1 東京高裁判事・東京簡裁判事
H29. 4. 1 名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事
H25. 4. 1 最高裁裁判所調査官(東京地裁判事・東京簡裁判事)
H22. 4. 1 東京地裁判事・東京簡裁判事
(略)※出典 https://www.sn-hoki.co.jp/judge/judge2182/
上記の経歴が示すように、野村判事が東京高裁に着任したのは、R2年(2020年)4月1日である。その東京高裁から東京地裁に異動したのは、1か月後の5月1日である。そしてただちに産経新聞「押し紙」裁判の裁判長に就任したのだ。この時点で裁判は、すでに本人尋問、証人尋問(いずれも3月)を終えていた。つまり野村判事の役割は、実質的には判決を書くだけだった。それ以前、審理には加わっていない。
東京高裁の在任期間が1か月というのは常識的にはありえないと、多くの法曹関係者が言っている。
緊急事態宣言が解除されると、野村判事は早々に裁判を結審させた。そして原告の元販売店主の請求を棄却する判決を下したのである。
◆筆者の体験、最高裁で逆転敗訴
ちなみに筆者個人が被告になった裁判でも、不自然な裁判体験をしたことがある。やはり新聞社がらみの裁判で、原告はP新聞社だった。(最終的に筆者が敗訴したので、新聞社名は匿名Pとする)。P新聞社と社員4人は、2008年に筆者が執筆した記事で名誉を毀損されたとして、喜田村洋一・自由人権協会代表理事を代理人に立て、約2200万円の損害賠償裁判を起こした。
しかし、地裁は請求を棄却した。筆者の勝訴だった。喜田村弁護士は解任となり、別の弁護士が出てきた。P新聞社は控訴した。しかし、控訴審でも請求は退けられた。筆者の勝訴だった。が、それでもP新聞社は納得せず判決を不服として最高裁へ上告した。
とはいえ最高裁で判決が覆ることはめったにない。まして地裁でも高裁でも勝訴した裁判で、判決が覆る可能性は極めて低い。そんなわけで筆者は、裁判のことは忘れていた。
ところが最高裁(竹崎博允長官)が、口頭弁論を開き、判決を高裁へ差し戻したのである。高裁は筆者に対して110万円の損害賠償を命じた。判決を下した裁判官を調査したところ、P新聞に少なくとも2度登場していることが分かった。2度にわたり裁判員制度についてのインタビューを受けていたのだ。これを知ったとき、筆者が巻き込まれた裁判はペテンではないかと思った。
◆野村武範判事に関する情報公開請求
筆者は最高裁事務総局の裁判官人事についての調査に着手した。まず2021年1月に次の文言で情報公開請求をおこなった。
「野村武範判事が東京高裁に在任中(令和2年4月1日から令和2年5月10日)に、担当した事件の原告、被告、事件の名称、事件番号が特定できる全文書」
野村武範判事が1か月の期間で、裁判官として本当に業務を行ったのか、あるいは勤務実態があったのかという疑義があるので、上記の情報公開請求を行ったのだ。しかし、最高裁事務総局は、これに関する「文書類は、作成又は取得していない」という理由で開示しなかった。
◆「報告事件」に関する最初の調査
次に筆者は、報告事件の存在を調査するために、今年の3月22日、次の文言で情報公開請求を行った。
「最高裁が下級裁判所に対して、審理の報告を求めた裁判の事件番号、原告、被告を示す文書。期間は、2018年4月から2021年2月」
この情報公開請求に対して、最高裁事務総局は資料を開示したが、大半の記述が黒塗りになっていた。しかし、少なくとも国が原告や被告になっている裁判が「報告事件」に指定されている例が存在することが分かった。
詳細は次の記事に詳しい。
◎[関連記事]最高裁長官を退任後に宮内庁参与へ、竹崎博允・元長官ら、「勤務実態」は闇の中、最高裁に関する2つの情報公開調査のレポート
◆「司法行政文書ファイル管理簿」
この調査と並行して、筆者は冒頭でふれた裁判官人事に関する文書類の調査を進めたのである。しかし、すでに述べたように情報は開示されなかった。
請求内容の文言は、繰り返しになるが、「裁判官の人事に関する文書の全タイトル。期間は、2018年4月から2021年2月。」だった。
これに対して最高裁事務総局は、具体的な文書を指定するように要請してきた。そこで筆者は5月25日に、請求内容を変更した。新しい請求内容は、最高裁事務総局がウエブサイトに掲載している「司法行政文書ファイル管理簿」のうち人事関連の全ファイルだった。もちろん具体的なファイル名も明記した。最高裁事務総局が存在を公表している文書ファイル名を具体的に指定したわけだから、本来であれば閲覧を断られる理由はない。
ところがいつまで待っても文書は開示されない。約5か月後の10月20日になってようやく最高裁事務総局から1通の通知が送られてきた。そこには、次のような記述があった。
「上記ファイル管理簿(注:筆者が指定したファイル)には、主に職員団体に関するファイルが記載されていますが、職員団体の構成員に裁判官が含まれないことから、あなたが開示を求める司法行政文書の特定に疑義があります。
ついては、本件開示申出の趣旨を確認するために、別添補正書に記載のうち、該当する項目にチェックを入れた上で、下記の宛先に、11月4日までに提出してください」
同封されている「補正書」には、補正するかしないかを確認する項目がある。そのうえで、「提出期限までに同補正書の提出がない場合は、補正する意思がないものとして取り扱わせていただきます」と記されている。
筆者は、補正の意思がないので、「補正書」を提出しなかった。ところが11月29日に、情報を開示しないことを通知する書面が届いたのである。「補正書」を提出しなかったことがその理由となっていた。
10月20日付けの文書では、「補正書の提出がない場合は、補正する意思がないものとして取り扱わせていただきます」と明記されていたので、筆者は、補正書を提出しなければ、全文書が開示されるものと思っていた。そう解釈するのが普通だ。
◆自由と民主主義の国?
その後、筆者は最高裁事務総局の情報公開担当者と電話で、この点について交渉した。担当者によると、開示対象になる文書の量があまりにも膨大になるために、不開示にしたとのことだった。そこでまず文章のタイトルだけの開示を受けるということで合意して、再度請求の申し立てを行うことで合意した。
最高裁事務総局がどのようなかたちで情報を開示するのか、今後、注視していきたい。たとえ黒塗りで公開されても、どの部分が黒塗りになっているかを確認することで、最高裁事務総局が何を隠蔽しようとしているのかが判明する。それなりに効果はある。
「自由と民主主義の国」の内情を確認するうえでも、情報公開請求は、大事なプロセスだ。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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