「スタンピード現象」と呼ばれる現象がある。これはサバンナなどで群れをなして生活しているシマウマやキリンなどの群れが、先頭に誘導されて、一斉に同じ方向へ走り出す現象のことである。先頭が東へ駆け出すと、群れ全体が東へ突進する。先頭が西へ方向転換すると、後に続く群れも西へ方向転換する。
わたしが記憶する限り、スタンピード現象という言葉は、共同通信社の故・斎藤茂男氏が、日本のマスコミの実態を形容する際によく使用されていた。もう20年以上前のことである。
ここ数年、中国、ニカラグア、ベネズエラなどを名指しにした「西側メディア」による反共キャンペーンが露骨になっている。米中対立の中で、日本のメディアは、一斉に中国をターゲットとした攻撃を強めている。中国に対する度を超えたネガティブキャンペーンを展開している。
その結果、中国との武力衝突を心配する世論も生まれている。永田町では右派から左派まで、北京五輪・パラの外交的ボイコットも辞さない態度を表明している。その温床となっているのが、日本のマスコミによる未熟な国際報道である。それを鵜呑みにした結果にほかならない。
◆メディアは何を報じていないのか?
新聞研究者の故・新井直之氏は、『ジャーナリズム』(東洋経済新報社)の中で、ある貴重な提言をしている。
「新聞社や放送局の性格を見て行くためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批評するときに欠くことができない視点は、『どのような記事を載せているか』ではなく、『どのような記事を載せていないか』なのである」
新井氏の提言に学んで、同時代のメディアを解析するとき、日本のメディアは、何を報じていないのかを検証する必要がある。
結論を先に言えば、それは米国の世界戦略の変化とそれが意図している危険な性格である。たとえば米国政府の関連組織が、「民主化運動」を組織している外国の組織に対して、潤沢な活動資金を提供している事実である。それは「反共」プロパガンダの資金と言っても過言ではない。日本のメディアは、特にこの点を隠している。あるいは事実そのものを把握していない。
「民主化運動」のスポンサーになっている組織のうち、インターネットで事実関係の裏付けが取れる組織のひとつに全米民主主義基金(NED、National Endowment for democracy)がある。この団体の実態については、後述するとして、まず最初に同基金がどの程度の資金を外国の「民主化運動」に提供しているかを、香港、ニカラグア、ベネズエラを例に紹介しておこう。次の表である。
次のURLで裏付けが取れる。2020年度分である。
■香港:https://www.ned.org/region/asia/hong-kong-china-2020/
■ニカラグア:https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/nicaragua-2020/
■ベネズエラ:https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/venezuela-2020/
これらはいずれも反米色の強い地域や国である。そこで活動する「民主化運動」に資金を提供したり、運動方法を指導することで、「民主化運動」を活発化させ、混乱を引き起こして「反米政権」を排除するといういのが、全米民主主義基金の最終目的にほかならない。
◆反共プロパガンダのスポンサー、全米民主主義基金
日本のメディアは、皆無ではないにしろ全米民主主義基金についてほとんど報じたことがない。しかし、幸いにウィキペディアがかなり正確にこの謀略組織を解説している。
それによると、全米民主主義基金は1983年、米国のレーガン政権時代に、「『他国の民主化を支援する』名目で、公式には『民間非営利』として設立された基金」である。しかし、「実際の出資者はアメリカ議会」である。つまり実態としては、米国政府が運営している基金なのである。
実際、全米民主主義基金のウェブサイトの「団体の自己紹介」のページを開いてみると、冒頭に設立者であるドナルド・レーガン元大統領の動画が登場する。
同ページによると、全米民主主義基金は「民主主義」をめざす外国の運動体に対して、年間2000件を超える補助金を提供している。対象になっている地域は、100カ国を超えている。
その中には、ウィグル関連の「反中」運動、日本では悪魔の国ような印象を植え付けられているベラルーシの運動体、キューバ政府を打倒しようとしているグループへの支援も含まれている。ひとつの特徴として、反共メディアの「育成」を目的にしていることが顕著に見られる。
■キューバの反政府運動への支出 https://www.ned.org/region/latin-america-and-caribbean/cuba-2020/
レーガン大統領(当時)が全米民主主義基金を設立した1983年とはどんな年だったのだろうか。この点を検証すると、同基金の性格が見えてくる。
◆ニカラグア革命とレーガン政権
1979年に中米ニカラグアで世界を揺るがす事件があった。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が、親子3代に渡ってニカラグアを支配してきたソモサ独裁政権を倒したのだ。米国の傀儡(かいらい)だった独裁者ソモサは自家用ジェット機でマイアミへ亡命した。
米国のレーガン政権は、サンディニスタ革命の影響がラテンアメリカ全体へ広がることを恐れた。ラテンアメリカ諸国が、実質的な米国の裏庭だったからだ。とりわけニカラグアと国境を接するエルサルバドルで、民族自決の闘いが進み、この国に対しても政府軍の支援というかたち介入した。その結果、エルサルバドルは殺戮(さつりく)の荒野と化したのである。
わたしは1980年代から90年代にかけて断続的にニカラグアを取材した。現地の人々は、革命直後に米国が行った挑発行為についてリアルに語った。ブラック・バード(米空軍の偵察機)が、ニカラグア上空を爆音を立てて飛び回り、航空写真を取って帰ったというのだった。
レーガン政権は、ただちにニカラグアの隣国ホンジュラスを米軍基地に国に変えた。そしてニカラグアのサンディニスタ政権が、同国の太平洋岸に居住しているミスキート族を迫害しているという根拠のないプロパガンダを広げ、「コントラ」と呼ばれる傭兵部隊を組織したのである。
レーガン大統領は、彼らを「フリーダムファイターズ(自由の戦士)」と命名し、ホンジュラス領から、新生ニカラグアへ内戦を仕掛けた。こうした政策と連動して、ニカラグアに対する経済封鎖も課した。日本は、米軍基地の国となったホンジュラスに対する経済援助の強化というかたちで、米国の戦略に協力した。
しかし、コントラは、テロ活動を繰り返すだけで、まったくサンディニスタ政権は揺るがなかった。
そして1984年、革命政府は、国際監視団の下で、はじめて民主的な大統領選挙を実施したのである。こうしてニカラグアは議会制民主主義の国に生まれ変わった。その後、政権交代もあったが、現在はサンディニスタ民族解放戦線が政権の座にある。
全米民主主義基金は、このような時代背景の中で、1983年に設立されたのである。もちろんサンディニスタ革命に対抗することが設立目的てあると述べているわけではないが、当時のレーガン政権の異常な対ニカラグア政策から推測すると、その可能性が極めて高い。あるいは軍政から民生への移行が加速しはじめたラテンアメリカ全体の状況を見極めた上で、このような新戦略を選んだのかも知れない。露骨な軍事介入はできなくなってきたのである。
◆米国の世界戦略、軍事介入から「民主化運動」へ
それに連動して米国の世界戦略は、軍事介入から、メディアによる「反共プロパガンダ」と連動した市民運動体の育成にシフトし始めるが、それは表向きのことであって、「民主化運動」で国を大混乱に陥れ、クーデターを試みるというのが戦略の青写真にほかならない。少なくともラテンアメリカでは、その傾向が顕著に現れている。次に示すのは、米国がなんらかのかたちで関与したとされるクーデターである。
これらのほかにも既に述べたように、1980年代の中米紛争への介入もある。1960年のキューバに対する攻撃もある。(ピッグス湾事件)このように前世紀までは、露骨な介入が目立ったが、2002年のベネズエラあたりから、「民主化運動」とセットになった謀略が顕著になってきたのである。
◆アメリカ合衆国国際開発庁からも資金
このような米国の戦略の典型的な資金源のひとつが、全米民主主義基金なのである。もちろん、他にも、「民主化運動」を育成するための資金源の存在は明らかになっている。たとえば、米国の独立系メディア「グレーゾーンニュースThe Grayzone – Investigative journalism on empire」は、アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)が、2016年に、ニカラグアの新聞社ラ・プレンサに41,121ドルを提供していた事実を暴露している。反共プロパガンダにメディアが使われていることがはっきりしたのだ。
また、同ウェブサイトは、今年の11月に行われたニカラグアの大統領選挙では、サンディニスタ政権を支持するジャーナリストらのSNSが凍結されるケースが相次いだとも伝えている。
わたしは、香港や中国、ニカラグア、ベネズエラなどに関する報道は、隠蔽されている領域がかなりあるのではないかと見ている。それはだれが「民主化運動」なるもののスポンサーになっているのかという肝心な問題である。
仮に海外から日本の「市民運動」に資金が流れこみ、米国大統領選後にトランプ陣営が断行したような事態になれば、日本政府もやはり対策を取るだろう。露骨な内政干渉は許さないだろう。中国政府にしてみれば、「堪忍ぶくろの緒が切れた」状態ではないか。ニカラグア政府は、現在の反共プロパガンダが、かつてホンジュラスからニカラグアに侵攻したコントラの亡霊のように感じているのではないか。
エドワルド・ガレアーノは、『収奪された大地』(大久保光男訳、藤原書店)の中で、ベネズエラについて次のように述べている。
「アメリカ合州国がラテンアメリカ地域から取得している利益のほぼ半分は、ベネズエラから生み出されている。ベネズエラは地球上でもっとも豊かな国のひとつである。しかし、同時に、もっとも貧しい国のひとつであり、もっとも暴力的な国のひとつでもある」
米国のドルが世界各地へばらまかれて、反共プロパガンダに使われているとすれば、メディアはそれを報じるべきである。さもなければ政情の客観的な全体像は見えてこない。間接的に国民を世論誘導していることになる。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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