連合赤軍が凄惨な同志殺しに至った原因として、革命左派による離脱者処刑が挙げられる。赤軍派と革命左派が合同する以前に、革命左派は山岳ベースから離脱した男女ふたりを処刑しているのだ(印旛沼事件)。

その処刑に当たって、永田洋子(革命左派)は森恒夫(赤軍派)に相談をしていた。そのとき、おなじ問題(坂東隊に帯同していた女性が不安材料だった)を抱えていた森は、永田に「脱落者は処刑するべきやないか」と答えている。

これが永田洋子と坂口弘ら革命左派指導部の尻を押した。両派は「脱落した同志の処刑」という、きわめて高次な党内矛盾の解決をめざしたのである。この高次な党内矛盾の解決が、やがて党の組織的頽廃をもたらすことには、まだ誰も気付いていなかった。

◆いいかげんな赤軍派・真面目な革命左派

ところが、二名の処刑を実行した革命左派にたいして、赤軍派は処刑を実行できなかった。「行動をともにする中で解決していこう」という坂東國男のあいまいな方針のまま、ついに彼女を隊から追い出すことで「解決」したのである。処刑を「解決」方法と考えていた森は、しょうがないなぁという反応であったという。森は殺さなかったことで、明らかに「ホッとしていた」のである。

そうであれば、まだ「処刑」によって生起される深刻さ、組織的な頽廃を森は予見していた可能性がある。

いっぽう、革命左派は森の提案どおり処刑を実行した。この違いを、植垣康博は「いいかげんな赤軍派にたいして、革命左派は生真面目だった。その違いだった」と語っている(『情況』2022年1月発売号)。

◆印旛沼事件が最初ではなかった

連合赤軍事件(同志殺し)の呼び水が印旛沼事件だったとして、二人の処刑がアッサリと決まった。というのも、じっさいには事実ではない。

革命左派においては、この事件の前にも「処刑」を検討していたのだ。永田洋子のゲリラ路線に対して、公然と反対する同志がいたのだ。

この同志は職場で労働争議を抱えた女性で、労働運動を基盤とした党建設の立場から、党の戦術をゲリラ闘争に限定するのに反対していたのだ。もともと革命左派は、地道な労働運動を基盤にした組織である。川島豪-永田洋子ラインのゲリラ路線は、70年安保の敗北をうけた新左翼の過激化にうながされたものであって、従来の組織路線とのギャップが生じていたのだ。

この女性同志の原則的な異見に、永田洋子は「権力のスパイではないか」との疑念を持つのである。

前回の記事で、筆者は瀬戸内寂聴の言葉を引いて「可愛らしい女性だった」という評価を紹介した。そのいっぽうで、他人の心情を察する能力が彼女の特性でもあった。この「心情を察する能力」はオルグする能力であるとともに、相手を見抜く力、すなわち猜疑心が豊富であることを意味している。

のちに永田洋子は、夫である坂口弘を見捨てて、妻子のある森恒夫と結婚する。そのほうが「政治的に正しい」という理由を公然と表明して。これは猜疑心ではなく、するどい嗅覚をもった政治的判断である。元革命左派のY氏は、この永田の乗り移り主義を、指導者の川島豪から同輩同志の坂口弘へ、新しい指導者森恒夫へと、権力にすがっていく嗅覚であったと語っている。われわれは永田のこの変遷に、指導者の権力維持が粛清を生むという、連合赤軍事件のもうひとつの面を見せられる思いだ。

ともあれ、永田の猜疑心は女性同志がスパイではないかと、疑いを持たせることになる。坂口もこれに同調し、ひそかに処刑が検討されるのだ。

けっきょく、処刑の結論が出ないまま推移し、革命左派は真岡銃砲店猟銃奪取事件の弾圧で逃亡を余儀なくされる。のちにこの女性同志は、連合赤軍事件の公判を傍聴し、みずからへの「スパイ冤罪」と、当時の革命左派指導部の混乱を確認することになる。彼女もまた、きわめて真面目な革命左派らしい活動家だった。

◆森恒夫の動揺

じっさいに革命左派が二名の処刑を実行すると、森恒夫は動揺した。側近の坂東國男に「革命左派が同志殺しをやった。あいつらは、もう革命家じゃない」と語ったという。

くり返しておこう。革命左派においてスパイ疑惑が発生し、処刑を検討していた。革命左派も赤軍派も脱落者と不安分子を抱え、森が「処刑すべきではないか」と意見する。革命左派が二名の殺害を決行し、赤軍派は処刑を果たせなかった。

ここで森に革命左派への負い目、気おくれが生まれたのである。革命左派は進んでいるが、赤軍派は立ち遅れている。という意識である。

◆両派の組織的な交流

71年の秋から、赤軍派と革命左派の組織的な交流がはじまる。

婦人解放運動を組織のひとつの基盤にしていることから、革命左派には女性が多かった。家族的な団結を党風にしていたかれら彼女らは、山岳ベース(当初はキャンプ地のバンガローなどを使用)でも和気あいあいの雰囲気だったという。

爆弾製造に精通した赤軍派の植垣康博(弘前大学理学部)らが爆弾製造の講習をおこない、革命左派の女性活動家たちがそれを習う。しかしこのとき、キャンプに宿泊した植垣は、つい女性の体に手を伸ばしてしまう。のちに生活レベルの総括を要求され、男女の問題から個人の弱さが批判される素地がここにある。若い男女が狭い場所に、身体を押し合いながら寝泊まりしているのだ。性的な問題が起きない方が不思議というものだ。70年代後半に三里塚の団結小屋でも、この痴漢・女性差別問題は頻発している。

71年の12月に、両派は山岳ベースで本格的に合流する。当初は軍事部門だけの合同(合同軍事演習)だけだったが、森恒夫も永田洋子も銃を前提とした「せん滅戦のための建軍」をめざし、そのためには建党が課題としてされたのである。

ここにわれわれは、ひとつの岐路を見出すことができる。軍事を優先したがゆえに、組織的な統合をはからねばならない。そもそも軍事は高次な政治レベルにあり、そうであれば赤軍派でもなく革命左派でもない「新党」が必要とされるのだ。

その組織名はしかし、なぜか「連合赤軍」であった。理由は簡明である。世界革命路線の赤軍派と、反米愛国路線の革命左派は、そもそも政治路線の異なる組織の「連合」だったからだ。

後年、この「路線的野合」が、党の統合のための「思想闘争」を必要とし、なおかつ両派の主導権争いから粛清(同志殺し)が行なわれた。と、獄中指導部は批判(総括)したものだ。野合組織の路線的な破産であると。

たしかに、理論家の総括としてはこれでいいのかもしれない。しかし路線の不一致が解決されていたとしても、山に逃げるしかなかった指名手配犯だらけの組織は、脱落者を防止する「思想闘争」を必要としていたのである。

◆水筒問題

まず最初に、両派の合同段階で対立が生じた。赤軍派が新しい山岳ベースに革命左派を迎えたとき、かれらは水筒を持参していなかったのだ。山登りには水筒が必須である。

水筒が必要なのは山登りだけではない。もう10年以上も前になるが、洞爺湖サミットに自転車キャラバンで環境問題を訴える「ツーリング洞爺湖」を準備したおりのことだ。水筒(ボトル)を忘れてきた仲間に「連合赤軍は水筒問題から同志殺しの総括になったんだぞ」と笑い合ったことがある。長距離走やラグビーなどの球技でも、水分補給は勝敗にかかわる。

じつは革命左派が水筒を持参していなかったのは、かれらが沢登りを得意としていたからだ。沢を登っているかぎり、水に不自由することはない。だがこの水筒問題は、革命左派から主導権を奪う赤軍派(森恒夫)の格好の材料にされたのだった。

◆総括要求

数の上では少数の赤軍派(森恒夫)が、M作戦と爆弾闘争でつちかった力量をしめし、家族的で和気あいあいとした革命左派を、まるごと糾合してしまおうとする野心があったと、語られることが多い。

半分は当たっているが、のこりの半分は森の負い目にあったというべきであろう。脱落者を処刑できなかった赤軍派とはちがって、革命左派はすでに二人の同志を殺しているのだ。
いっぽう、水筒問題で批判された革命左派が逆襲する。

赤軍派の女性が指輪をしてきたことを「武装闘争の訓練をする山に、指輪は必要ない」と批判するのだ。その批判はエスカレートし、そもそも「どういうつもりで山に来たのか」という難詰に発展する。これが「総括要求」となったのだ。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

2022年は参院選が行われます。ご承知のとおり、参院選は政権選択の選挙ではありません。

しかし、筆者は、今回の参院選においては、「勢いをました政治勢力が政権与党である自民党への影響力を強める」大事な選挙である、と考えます。言い換えれば、岸田総理は今回の参院選で(自民党以外で)のびた勢力の政策を一定程度、取り入れて政権運営をする可能性が高いということです。

とくに、軸を打ち出しているのは「日本維新の会(以下、維新)」と「れいわ新選組(以下、れいわ)」はないでしょうか。

立憲民主党さん、日本共産党さん、市民連合さんについては、安倍政権および菅政権までなら、安倍政権暴走ストップ、広島ならくわえて河井批判という錦の御旗を求心力としておられました。ただ、安倍・菅退陣、そして河井案里さん・克行受刑者失脚で共通の旗を失い、連合(日本労働組合総連合会)さんと日本共産党さんの確執を軸に混迷しておられます。しっかりしていただきたいが、現に混迷しているのは事実です。正直、軸が見えてきません。先方から各種選挙の候補者への支援要請などいただけば、野党共闘の大義のため、筆者もそのつど対応はさせていただいていますが、もっと軸をはっきりさせていただかないと、わたし自身の支持者の方への説得も難しいと感じています。

◆世代間闘争を装った竹中主義 こきつかえない人は切り捨て・弾圧

日本維新の会の軸は、「世代間闘争」を装った新自由主義、いや、竹中主義といえるでしょう。最初は、旧民主党の基盤だった自治労批判でウケました。実際に、非正規公務員の就職氷河期世代が「正規公務員に天誅!を加える」という維新に喝采を送っておられました。大阪市交通局所属の非正規公務員の若者が、維新・橋下さんに媚びて労働組合・大交を陥れるための偽装工作をするという事件も、2012年には発生しています。

その後も、「シルバー民主主義を打倒」し、「高齢者向けサービスを削れば」大阪も日本もよくなる、という趣旨の主張をされてきました。そして、いっぽうで、高校の無償化などを実施して若手・子育て世代のウケをとっているのも事実です。

しかし、維新の産みの親といえるのは竹中平蔵さんです。大阪市役所はいまや、竹中平蔵さんが会長をつとめるパソナからの派遣社員が多くの仕事をしていることで有名です。

いまは、維新の支持者の多くは、大手企業勤務の上層のサラリーマン(旧同盟系の労働組合員とも重なる)が多いこともしられています。要は生産性至上主義で人間を測っている方が多いということです。生産性のない、高齢者は切り捨てる。一時期「維新」の公認候補だった長谷川豊さんなどは、人工透析患者も切り捨てる発言をされています。

若者のことも、優遇する「こき使う」対象としか見ていないわけです。実際には竹中平蔵さんに代表される年配の「えらい人」がこき使える若者のために高校は無償化するわけです。また、上級サラリーマンの溜飲を下げてもらうために、「小さな政府」による負担減を打ち出すわけです。

しかし、高齢者向け・障害者向けサービスサービスを削れば、いわゆるヤングケアラーの若者の介護の負担は増えます。また、教育無償化といっても、維新は教員給与カットとセットです。また、市長に意見した校長先生への弾圧とセットです。この結果、大阪で先生をめざす若者は、兵庫や京都や奈良や和歌山に流出しています。それでも、「若者をこきつかえれば」いいのでしょう。こきつかえる人はこきつかい、こきつかえない人は切り捨てたり弾圧したりするわけです。

◆自民党以上に自民党改憲案的社会へばく進

また、維新は自民党以上に大政翼賛会的な政治へ突き進んでいます。2021年12月27日、大阪読売と大阪府(吉村知事)は包括連携協定を結びました。まさに、維新とマスコミの一体化です。戦時中の日本と似たような状態を大阪限定で実現したのです。自民党でも裏での癒着はあっても、ここまで堂々とした翼賛政治はしません。自民党憲法草案のとくに緊急事態条項はまさに、大政翼賛会的な政治を再現するものですが、維新は改憲なしに大阪で完成へ向けてばく進しています。

◆「れいわ」の「ガツンと財政出動で生活安全保障」こそ、維新への対抗軸になりうる

れいわの政策は、まとめれば「ガツンと財政出動で生活安全保障」です。当面は、徹底した財政出動であなたの所得を引き上げ、あなたの負担をへらす。維新に対抗するにはこれしかない、と筆者は実感しています。なぜか?

たとえば、れいわ新選組は「公務員をふやす」「非正規公務員は正規に」を掲げています。これなら、「正規公務員を斬りまくる維新に一定程度共感されていた非正規」の方も、「自分も正規公務員になれるのであれば」と考え直していただける可能性が強いと感じます。筆者自身、連合・自治労組合員だった経験から、組合や旧民主党さんあたりがまずいのは、「現状維持イメージ」が強いために、非正規労働者のみなさまの共感を得られにくい点だと痛感していました。財政出動で「非正規を正規並に」待遇を引き上げることを堂々と筆者も訴えていきます。

また、れいわは教育無償化とセットで、学校の先生をきちんとした給料で確保すること、現場の創意工夫を生かす点も維新との大きい違いです。一方で、年配者に対しても「教育無償化は、祖父母、父母世代の老後不安の解消にもなる」という点を強調していきます。逆に高齢者向けサービス、障害者向けサービスも、ヤングケアラー含む若手の負担の軽減につながる、という点も強調していきたいものです。

憲法についても、れいわはコロナ対応には改憲はいらず、災害指定すればよい、とのスタンスです。災害から復旧・復興という位置づけになれば、きちんとした補償や生活再建策、自治体や医療・介護などの現場支援策への財政投入もできます。正直、安倍晋三さん主導の「アベノマスク」の失敗をみるかぎり、総理に権限を集中させる緊急事態条項よりは、現場が仕事をしやすいように支援する災害指定のほうが優れているでしょう。

◆「新自由主義先行実施」の広島だからこそ、ガツンと維新への対抗軸を打ち出したい

広島の野党(維新以外)はこの2年ほど、河井批判で求心力を保っていました。しかし、完全に賞味期限切れになり、衆院選2021、安佐南区県議補選では大敗しました。

広島の場合は、以前にもご紹介したとおり、大阪(維新)に先行して、90年代末から新自由主義を進めています。職員の採用を異常に抑制。市町村合併を進め、全国でも2番目に大きい市町村減少率となっています。保健所も全国平均は半減ですが、広島は3分の1に減っています。こうした中で西日本大水害2018では、公務員が少なすぎて、吸収合併された旧市町村地域を中心に復旧・復興が遅れました。

また、自治体の窮状につけこんで克行受刑者が、議員や首長にカネの受け取りを迫った部分もあります。もちろん、なにがあっても買収に応じてはダメですが、地方分権という名の自治体切り捨てをやめさせ、きちんと財源を保障していくことは大事です。

こうした広島の実情にあわせて、他の野党さんも新自由主義にガツンと財政出動で対抗する方向でがんばっていただきたいと思います。ただし、他人が変わるのを待つより、自分が行動です。広島では筆者自ら、先頭に立つ覚悟です。


◎[関連動画]2022対立軸は「維新」の間違った「世代間闘争」vs「れいわ」の「ガツンと財政出動で暮らしの立て直し」さとうしゅういち 介護福祉士・元県庁マン

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◆国際根拠地論

三島由紀夫も落胆した69年の10.21(国際反戦デー)の不発のあと、赤軍派中央委員会では、塩見孝也による「国際根拠地論」が提案される。キューバへの渡航、アメリカの左派勢力との合流。要するに、海外亡命である。そのための手土産として、首相官邸を数十名で占拠する方針が採られた。この計画の準備が、大菩薩峠の福ちゃん荘での軍事合宿だったのだ(53名逮捕)。

国内での武装闘争の行き詰まりが、海外渡航の準備をうながしたのである。そしてそれは、よど号ハイジャック事件(北朝鮮渡航)として決行される。田宮孝麿らの幹部が北朝鮮に渡る(本来の目的はキューバだった)いっぽう、大衆運動としても海外渡航がはかられた。

すなわち、元赤軍フラクの藤本敏夫が事務局長をつとめるキューバ文化交流研究所を媒介に、赤軍派系・ブント系の学生をふくめた「サトウキビ刈り隊」が組織され、数十人単位がキューバに渡航したのである。この事実は、あまり知られていない。のちに「サトウキビ刈り隊」は公安当局の「スパイ説」流布により、キューバ当局から強制送還された。

◆あいつぐ弾圧と指導部の逮捕

こうした派手な闘いは、公安当局の猛烈な弾圧をまねいた。塩見孝也、高原浩之ら赤軍派の指導部があいついで逮捕されたのだ。赤軍フラクから脱落していた森恒夫が、この時期に台頭してくることになる。

国内指導部では、古参の堂山道生だけが健在だったが、森とは反りが合わない。やがて堂山は組織を去っていく。森に言わせれば「俺が論争に勝ったから、堂山が去っていった」ということになるが、重信房子がそうは考えなかったという。その重信房子は唯一、森に批判的なことを言える立場だったが、アラブ行きの準備で、国内残留組の指導には関われなかった。

こうして森恒夫が組織の中枢で、とくに中央軍を私兵的に統括するようになるのだ。大会が開かれないという理由で、中央委員会も開かれなくなる。森の独裁的な指導のもとで、ペガサス作戦(獄中指導部の奪還)、ブロンコ作戦(日米同時蜂起)は実現できなかったものの、マフィア作戦(銀行強盗)だけが実現されていく。

革命左派においても、苛烈な弾圧は組織が身動き取れないところまで来ていた(69年12月に川島豪が逮捕される)。70年の12月18日に交番を襲撃して、柴野春彦が警官に射殺され、翌71年2月に真岡の銃砲店で猟銃を奪取。この事件が、公安当局の猛弾圧を招くことになるのだ。

◆獄中指導部奪還作戦の挫折

赤軍派においても、ペガサス作戦として検討された獄中指導部奪還は、革命左派においてはかなり現実的なものとして計画されていた。獄中の川島豪が転向を装ったり、銃砲店での猟銃奪取は具体的な計画に沿ったものだった。

キューバを目的地に海外渡航を実行した赤軍派にたいして、毛沢東主義の革命左派は中国を念頭に、海外渡航作戦を検討していた。それは50年代に、朝鮮戦争の関係で共産党がレッドパージに遭った際、徳田球一(書記長)が中国に渡航・潜伏したのをモデルに考えられたものだった。

それにしても、猟銃を奪取したのはよいとして、どうやって獄中指導部を奪還するつもりだったのだろうか。まったく現実性がなかったわけではない。外国の領事館の要人、皇族の誘拐が検討されていたのだ。最終的には、横浜拘置所から裁判所まで護送されるのを狙ってという作戦に落ち着いたが、猟銃奪取後の猛烈な弾圧はそんな計画が具体化するのを許さなかった。

その国外脱出論は、国内での活動の困難を感じた永田洋子によって、自分たちの中国渡航案として組織に提案される。日本国内では、禁猟期に猟銃を撃っただけでも通報されて、軍事訓練も行なえないからというものだった。この案は、のちに赤軍派にアジト網を提供されることで、国内での活動の見通しが立つとともに立ち消えになる。

◆両派の初会合

前述した交番襲撃事件(1名射殺される)は、革命左派を新左翼界隈のステージに押し上げた。赤軍派の獄中幹部から称賛が送られ、殺された柴野春彦は武装闘争の英雄とされたのだった。

これを受けて、赤軍派と革命左派の最初の会合がひらかれた。赤軍派からは森恒夫・坂東國男、革命左派は永田洋子・坂口弘・寺内恒一である。のちの連合赤軍の指導部である。このさい、森恒夫が永田の海外渡航案を批判することで、革命左派の中国行きはなくなった。

このとき、森恒夫は革命左派の指導者が永田洋子なのか坂口弘なのか、それとも寺内恒一なのか、わからなかったと後に述べている。革命左派の幹部三人が、ともに理論的な突出力がなかったことを、この森の感想は言い当てている。

河北三男が組織を去り、川島豪および古参党員が身動きができなくなっていた革命左派は、トコロテン式に、指導力の未熟な永田をトップにしたのである(幹部による党内選挙)。

森恒夫という人物については、元赤軍派の関博明氏から聞いたことがある。何ごとも「お前はどうなんだ?」と追及するタイプで、その一方では年下の者たちには「親父さん」と、好かれていたという。のちに森が獄中自殺したとき、かれらは権力による謀殺を疑ったという。

永田洋子は、自殺した森よりも悪辣に表現されることが多いが、のちに交流のあった瀬戸内寂聴によれば、可愛らしい女性だったという。相手のことをよく観察し、心理を読むのに長けていたというのは、当時のメンバーの証言である。

◆銃と爆弾

革命左派が銃砲店を襲い、猟銃を奪取するのは初会合の翌年の2月17日である。この革命左派の銃器奪取が、じつは森の戦術思想に大きな影響を与えることになるのだ。

赤軍派は梅内恒夫という、爆弾の神様の異名をとるメンバーを軸に、植垣康博らが爆弾製造の専門班として武装化をはかっていたが、銃器を手に入れることは出来ていなかった。そのいっぽうで、M作戦だけが順調にいき、赤軍派の兵站を豊かにしていた。

森の戦術思想を変えたのは、はからずも爆弾闘争の成功だった。

すなわち、71年6月17日(沖縄闘争)で、中核派のデモ隊の背後から赤軍派が爆弾を投擲し、爆弾闘争に成功したのだ。機動隊員に多数の負傷者が出ている。この爆弾闘争が71年には、ノンセクトをふくむ新左翼各派の爆弾闘争の爆発につながる。

この爆弾闘争はしかし、無関係の一般市民をも巻き込みかねない。無政府主義の武装闘争ではないかという疑問が、森の脳裡に生じたのだ。目標が不正確な爆弾闘争ではなく、殺し殺される情勢のもとで、勝ち抜けるのは銃と兵士の結合であると。この銃物神化の思想は、永田洋子のものでもあった。

やがて、関東でM作戦の成果を挙げていた坂東隊いがいの赤軍派中央軍は、軒並みに逮捕されてしまう。赤軍派の戦力の低下は、革命左派との距離を縮めた。カネと銃器を交換する案が、両派を緊密な関係にさせるのだ。

そしてもうひとつ、両派を急接近させる事態が起きる。両派ともに、組織内部に脱落者や不安分子(不満分子ではない)を抱えていたのである。死という壁が、両派にせまっていた。(つづく)

連合赤軍略年譜

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編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めた演壇に立つ2人の人物。性別も人種も異なるが、両人とも黒いスーツに身を包み、張り付いたような笑みを浮かべて正面を見据えている。男の肩からは紫に金を調和させた仰々しいタスキがかかっている。メディアを使って世論を誘導し、紛争の火種をまき散らしてきた男、カール・ジャーシュマンである。

 

蔡英文総統と勲章を授与されたカール・ジャーシュマン(出典:全米民主主義基金のウェブサイト)

マスコミが盛んに「台湾有事」を報じている。台湾を巡って米中で武力衝突が起きて、それに日本が巻き込まれるというシナリオを繰り返している。それに呼応するかのように、日本では「反中」感情が急激に高まり、防衛費の増額が見込まれている。沖縄県の基地化にも拍車がかかっている。

しかし、日本のメディアが報じない肝心な動きがある。それは全米民主主義基金(NED)の台湾への接近である。この組織は、「反共キャンペーン」を地球規模で展開している米国政府系の基金である。

設立は1983年。中央アメリカの民族自決運動に対する介入を強めていた米国のレーガン大統領が設立した基金で、世界のあちらこちらで「民主化運動」を口実にした草の根ファシズムを育成してきた。ターゲットとした国を混乱させて政権交代を試みる。その手法は、トランプ政権の時代には、香港でも適用された。

全米民主主義基金は表向きは民間の非営利団体であるが、活動資金は米国の国家予算から支出されている。実態としては、米国政府そのものである。それゆえに昨年の12月にバイデン大統領が開催した民主主義サミット(The Summit for Democracy)でも、一定の役割を担ったのである。

◆ノーベル平和賞受賞のジャーナリストも参加

民主主義サミットが開催される前日、2021年12月8日、全米民主主義基金は、米国政府と敵対している国や地域で「民主化運動」なるものを展開している代表的な活動家やジャーナリストなどを集めて懇談会を開催した。参加者の中には、2021年にノーベル平和賞を受けたフィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサも含まれていた。また、香港の「反中」活動家やニカラグアの反政府派のジャーナリストらも招待された。世論誘導の推進が全米民主主義基金の重要な方向性であるから、メディア関係者が人選に含まれていた可能性が高い。(出典:https://www.ned.org/news-members-of-us-congress-activists-experts-call-to-rebuild-democratic-momentum-summit/

この謀略組織が台湾の内部に入り込んで、香港のような混乱状態を生みだせば、米中の対立に拍車がかかる。中国が米国企業の必要不可欠な市場になっていることなどから、交戦になる可能性は少ないが、米中関係がさらに悪化する。

◆国連に資金援助して香港の人権状況をレポート

香港で混乱が続いていた2019年10月、ひとりの要人が台湾を訪問した。全米民主主義基金のカール・ジャーシュマン代表(当時、)である。ジャーシュマンは、1984年に代表に就任する以前は、国連の米国代表の上級顧問などを務めていた。

ジャーシュマン代表は、台湾の蔡英文総統から景星勳章を贈られた。(本稿冒頭の写真を参照)。景星勳章は台湾の発展に貢献をした人物に授与されるステータスのある勲章である。興味深いのは、台湾タイムスが掲載したジャーシュマンのインタビューである。当時、国際ニュースとして浮上していた香港の「民主化運動」についてジャーシュマンは、全米民主主義基金の「民主化運動」への支援方針はなんら変わらないとした上で、その活動資金について興味深い言及をした。

【引用】NED(全米民主主義基金)は、香港の活動家に資金提供をしているか否かについて、ジャーシュマンは「いいえ」と答えた。同氏は、NEDは、香港について3件の助成金を提供しているが、それは国連が人権と移民労働者の権利についての定期レポートを作成するためのものだと、述べた。(出典:https://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2019/12/14/2003727529

 つまり全米民主主義基金が、国連に資金援助をして香港の人権状況を報告させていたことになる。国連での勤務歴があり、国連との関係が深いジャーシュマンであるがゆえに、こうした戦略が可能になったと思われるが、別の見方をすれば、全米民主主義基金は、国際的な巨大組織を巻き込んだ世論誘導を香港で行ったことになる。その人物が、香港だけではなく、台湾にも接近しているのである。

カール・ジャーシュマンが景星勳章を授与されてから1年後の2020年8月、中国政府は香港問題に関与した11人の関係者に対し制裁措置を発動した。その中のひとりにジャーシュマンの名前があった。他にも米国系の組織では、共和党国際研究所のダニエル・トワイニング代表、国立民主研究所のデレク・ミッチェル代表、自由の家のマイケル・アブラモウィッツ代表の名前もあった。(出典: https://www.ned.org/democracy-and-human-rights-organizations-respond-to-threat-of-chinese-government-sanctions/

◆米国の世界戦略の変化、軍事介入から世論誘導へ

意外に認識されていないが、米国の世界戦略は、軍事介入を柱とした戦略から、外国の草の根ファシズム(「民主化運動」)の育成により、混乱状態を作り出し、米国に敵対的な政府を転覆させる戦略にシフトし始めている。その象徴的な行事が、米国のバイデン大統領が、昨年の12月9日と10日の日程で開催した民主主義サミットである。

トランプ大統領は、大統領就任当初から、「米国は世界の警察ではない」という立場を表明するようになった。同盟国に対して、軍事費などの相応な負担を求めるようになったのである。

その背景には、伝統的な軍事介入がだんだん機能しなくなってきた事情がある。加えて、米国内外の世論が伝統的な軍事介入を容認しなくなってきた事情もある。

 

アントニー・ブリンケン(出典:ウィキペディア)

バイデン政権が発足した後の2021年3月4日、アントニー・ブリンケン国務長官は、「米国人のための対外政策」と題する演説を行った。その中で、対外戦略の変更について、過去の失敗を認めた上で、次のように言及している。

「われわれは、将来、費用のかかる軍事介入により権威主義体制を転覆させ、民主主義を前進させることはしません。われわれは過去にはそうした戦略を取りましたが、うまくいきませんでした。それは民主主義のイメージを落とし、アメリカ人の信用失墜を招きました。われわれは違った方法を取ります。」

「繰り返しますが、これは過去の教訓から学んだことです。 アメリカ人は外国での米軍による介入が長期化することを懸念しています。それは真っ当なことです。介入がわれわれにとっても、関係者にとっても、いかに多額の費用を要するかを見てきました。

とりわけアフガニスタンと中東における過去数十年間の軍事介入を振り返るとき、それにより永続的な平和を構築するための力には限界があることを教訓として確認する必要があります。大規模な軍事介入の後には想像異常の困難が付きまといます。 外交的な道を探ることも困難になります。」(出典:https://www.state.gov/a-foreign-policy-for-the-american-people/

実際、米国軍は2021年8月、アフガニスタンから完全撤廃した。そして既に述べたように昨年12月、バイデン大統領が民主主義サミットを開催し、そこへ全米民主主義基金などが参加して、その専門性を発揮したのである。

◆第11回世界の民主主義運動のための地球会議」が台湾で

しかし、実態としては米国政府が本気で非暴力を提唱しているわけではない。ダブルスタンダードになっている。事実、外国で「民主化運動」なるものを展開して、国を混乱させた後、クーデターを起こす戦略がベネズエラ(2002年)やニカラグア(2018年)、そしてボリビア(2019年)で断行された。香港でも類似した状況が生まれていた。米国の戦略は、当該国から見れば内政干渉なのである。

筆者は、台湾でも米国が香港と同様の「反中キャンペーン」を展開するのではないかと見ている。火種は、米国側にある。香港と同じような状況になれば、中国も反応する可能性がある。

今年の10月には、「第11回世界の民主主義運動のための地球会議」が台湾で開催される。主催者は、「民主主義のための世界運動」という団体だ。しかし、この団体の事務局を務めているのは、米民主主義基金なのである。(出典:https://www.ned.org/press-release-11th-global-assembly-world-movement-for-democracy/

【参考記事】全米民主主義基金(NED)による「民主化運動」への資金提供、反共プロパガンダの温床に、香港、ニカラグア、ベネズエラ…… 

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

1月22日(土曜日)18時半より、大阪市内で「釜ヶ崎から被ばく労働を考える」シリーズの講演会の第6弾を開催します。今回講師でお招きするのは、東京新聞記者(現在は福島支局・特別報道部所属)で『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』の著者でもある片山夏子さんです。この本は第42回講談社本田靖春ノンフィクション賞と第20回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞しました。昨年3月11日に開催された後者の賞の受賞式に片山さんは福島取材で出席できなかったため、会場で代読されたメッセージをご紹介致します。

 

片山夏子『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』

「事故直後、国や東電の会見を聞きながら、現場にいる作業員は次の水素爆発が起きたら生きて帰れるのか、次々と危機が襲う中で、どんな思いでいるのか……そんなことが頭を巡りました。
 会見では作業の進捗状況はわかっても作業員の様子は見えてきません。原発事故が起きたとき、そこにいた人たちに何が起きていたのか、人を追いたいと思いました。
 特殊な取材現場でした。原発には東電の許可がないと入れない。入ってくる情報は国や東電の発表ばかり。実際に現場で何があったのか、作業員の話を聞かないとわからないことばかりでしたが、厳しいかん口令が敷かれ、記事を書けばすぐに犯人捜しが行われました。作業員の入れ替わりも激しく、高線量下の作業下、はやければ2-3週間で去ったという人もいます。この10年は取材に応じてくれる作業員を探し続けた年月でした。ある作業員は原子炉建屋内で20キロの鉛を背負って駆け上がりました。線量計は鳴りっぱなし、全面マスクの苦しいなか、『早く終われ早く終われ』と彼は祈り続けたと言います。地元から通い一生働くつもりであった原発を、被爆線量が増えたからと解雇され、『俺は使い捨て』と自分の存在価値に悩み、うつ状態になった作業員もいました。
 原発で働くために避難する家族と離れて暮らし、こどもの成長をそばでみられないと苦しむ作業員。離れて暮らす息子に『パパいらない』と小さな手で押しやられ悩む他県から来た作業員。原発作業員の彼らも、誰かの息子であり、夫であり、父親であり、友人で、心配する誰かがいました。
 今日も、作業員はいつものように現場で目の前の作業を一歩でも進めようと奮闘しています。原発事故は終わっていません。そして一日も早く廃炉にしたいという彼らをこれからも追っていきたいと思います」

片山さんは、震災の年の7月、東京社会部に異動となり、原発班担当となりました。「福島第一原発でどんな人が働いているか。作業員の横顔がわかるように取材してほしい」とキャップに命じられましたが、当初、取材のイメージがわかずに戸惑ったといいます。というのも、すでに現場には多くの報道関係者やフリーのジャーナリストらが取材に行っていっており、中には潜入ルポを試みるジャーナリストのいました。

そんななか、片山さんの中に、当時「日当40万円」などと言われたが、それは事実だろうか? 福一から20キロ離れたJヴィレッジで防護服などを装着するが、その実態はどうか。何より高線量の危険な現場で、命を賭してまで働くのはなぜか? 等々聞きたいことが浮かんできたそうです。当時、イチエフの作業員の多くが、旅館、ホテルで集団生活していたいわき市に通い、駅周辺やパチンコ屋などで作業員を探し始めます。同じ頃、作業員には厳しいかん口令がひかれ始めたため、取材に応じてくれる人がなかなか見つけられないなか、粘り強く作業員に声をかけ続け、徐々に取材に応じてくれる人がでてきました。

そんな作業員との取材は、同僚や会社の人に見られたら困るからと、個室のある居酒屋や宿舎や駅から離れたファミレスなどで行うことが多く、数時間どころか、6時間にも及ぶことがあったといいます。

18時から、福島の民謡なども歌う「アカリトパリ」のオープニングライブから始まります

◆一人一人の作業員の顔が見える取材

片山さんの著書を、ジャーナリストの青木理さんは「解説」で、「こうあるべきだ」「我々はこう考える」など声高に主義・主張を訴える「社説」「論説」など「大文字」に代表される記事に対して、「小文字を集めたルポルタージュ」と評しています。「それでは零れ落ちてしまう市井の声がある。名もなき者たちの喜怒哀楽がある。その喜怒哀楽の中にこそ、本来は私たちが噛みしめ、咀嚼し、反芻し、沈思黙考しなければならない事実が横たわっている」と。

確かに、顔は出ておらず、名前も愛称だったりするが、片山さんの取材で描かれる作業員の話には、まるで私自身が目の前で聞いているような錯覚を覚えます。「ゼネコンはいいなあ。俺らは原発以外仕事がないから、使い捨て」(35才 カズマさん)、「作業員が英雄視されたのなんて、事故後のほんの一瞬」(56才 ヤマさん)、「借金して社員に手当」(50才 ヨシオさん、「被ばく線量と体重ばかり増え」(51才、トモさん)…片山さんの取材が、それだけ作業員ら一人一人に親身に寄り添い、本音を引き出せれたからだと思います。

片山さんは、福島に通う続けるうち、自身も咽頭癌を発症したことを「あとがき」で告白しています。「家族にがんの人間はいない」とも。現在は元気になったといいますが、発症時、作業員らに告げたとき「俺らより先に、何がんになっているんですか」と心底心配されたそうです。9年間の長い月日に、そんなプライベートな話ができるほど深い信頼関係が築けてきた証拠です。

◆脱原発運動を被ばく労働者の闘いを繋げていこう

これまで私たちは「釜ヶ崎から被ばく労働を考えよう」と題する講演会を5回行ってきました。第1弾にお呼びした「被ばく労働を考えるネットワーク」の中村光男さんは、事故後、過酷労働と知りつつ被ばく労働に就く人たちを分析、1つ目は「田舎の給料ではおっ母、子供の生活をみれない」と田舎から稼ぎに来る労働者、2つ目は2008年リーマン・ショック以降増大した非正規雇用労働者や派遣労働者、釜ヶ崎など寄せ場の日雇い労働者、3つ目が全体の7~8割を占める地元福島の人たち。このように危険と知りつつ、被ばく労働に就かざるを得ない層が一定数、確実にいるということを教えられました。

第2弾にお呼びした写真家の樋口健二さんは、過酷な被ばく労働者の実態、更に病に倒れ補償もされず亡くなった多くの人たちを見てきたため、講演の最後を「知り合いが被ばく労働に行くと言ったら『絶対いくな』と言ってください」と締めくくられました。確かに、大切な家族、仲間を被ばくの危険にさらさせたくない思いは誰にでもあります。それでも誰かがいかなかったら、福島第一原発が今、どうなっていたか、被災者はどうなっていたかわかりません。危険と知りつつも被ばく労働に就かざるを得ない労働者が一定数、しかも確実に存在するならば、そういう労働者の劣悪な労働環境、人権や権利、保障をどうするかを考える必要があるのではないでしょうか。

あらかぶさんとなすびさんをお呼びした「釜ヶ崎から被ばく労働を考える」シリーズ第5弾。会場は満杯

そのため、私たちは第3弾に、中村さんと同じ「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんとイチエフの収束作業現場などで働いた池田実さんをお招きしたした。さらに第4弾、第5弾は、イチエフの収束作業後に白血病を発症、初めて労災認定された「あらかぶさん」(通称、九州で魚のかさごを意味する)をお呼びしました(あらかぶさん裁判については「デジタル鹿砦社通信」2021年12月14日付けを参照)。

福島第一原発では、現在も1日4000人の作業員が危険は被ばく労働に従事いていますが、。作業員が被ばくにより病気になっても、今のところ労災以外になんの補償もありません。皆さん、チェルノブイリ事故のあと、収束作業に駆り出されたリクビダートルたちが始めた闘いが、全国各地の市民運動などと連動・団結し、チェルノブイリ法を制定させたことを忘れてはなりません。この日本でも、様々な反原発・反被ばくの闘いを、被ばく労働者の運動に繋げて前に進めていきましょう!

コロナ感染拡大中のため、会場でのマスク着用、入場前の消毒、換気対策などに気をつけます。参加者の皆様のご協力をお願い致します。

片山夏子さん講演会は1月22日(土)18時よりピースクラブ(浪速区)にて

 
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

◆愛子内親王が成人し、高まる皇位継承の可能性

昨年暮れに、皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)が政府に報告書(最終答申)を上げた。※関連記事(2021年回顧【拾遺編】)

答申それ自体は、女性天皇や女系天皇といった、国民の関心事には触れることなく、女性皇族が結婚後も身分上皇室にとどまる。旧宮家の男性を皇室の養子として皇族化するという、きわめて実務機能に即したものだった。

「国民の関心事」とわざわざテーマを挙げたのは、いうまでもなく愛子内親王が成人し、皇位継承の可能性に関心が高まっているからにほかならない。

女性天皇を認めるか否か。この問題は国民の関心事であるとともに、反天皇制運動にも大きな影をおよぼしてきた。すなわち、天皇制を批判しつつも女性天皇の誕生に期待する、フェミニズム陣営の議論である。天皇制の是非はともかく、明治以降の男性優位が継続されているのは、女帝が君臨した皇統史に照らしてもおかしいではないか。というものだ。


◎[参考動画]愛子さま成年行事 ティアラ姿を披露 今月1日 二十歳に(TBS 2021/12/5)

じつは上記の有識者会議でも、女性天皇を容認する発言は多かったのだ。

「政府は(2021年4月)21日、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議(座長・清家篤前慶応義塾長)の第3回会合を開き、歴史の専門家ら4人からヒアリングを実施した。女性天皇を認めるべきだとの意見が多数出たほか、女性皇族が結婚後も皇室に残る『女性宮家』の創設を求める声も上がった。」(毎日新聞(共同)2021年4月21日)

そして議論は、女性天皇容認にとどまるものではなかった。女系天皇の容認も議論されてきたのだ。

「今谷明・国際日本文化研究センター名誉教授(日本中世史)は、女性宮家に関し『早く創設しなければならない』との考えを示した。父方が天皇の血筋を引く男系の男子に限定する継承資格を、女系や男系女子に広げるかどうかの結論を出すのは時期尚早とした。
 所功・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)は男系男子を優先しつつ、一代限りで男系女子まで認めるのは『可能であり必要だ』と訴えた。
 古川隆久・日大教授(日本近現代史)は、母方に血筋がある女系天皇に賛成した。女性天皇は安定的な継承策の『抜本的な解決策とならない』と指摘しつつ、女系容認とセットなら賛同できるとした。
 本郷恵子・東大史料編纂所所長(日本中世史)は女系、女性天皇いずれにも賛意を示した。『近年の女性の社会進出などを考えれば、継承資格を男子のみに限ることは違和感を禁じ得ない』と主張した。(共同)

◆自民党内でも女性天皇容認論という保守分裂の構造──「超タカ派」高市早苗の場合

女系天皇・女性天皇容認の動きは、研究者の議論にとどまらない。いまのところ、保守系の運動として公然化しているのが下記の団体である。

◎女性天皇を支持する国民の会 https://blog.goo.ne.jp/jyoteisiji2017

ここにわれわれは、明らかな保守分裂の構造を見てとれる。保守系の動きは「ブルジョア女権主義」、あるいは単純な意味での皇室アイドル化の延長とみていいだろう。いっぽうで、男系男子のみが皇位を継承すべきという保守系世論は根強い。

そんな中で、自民党内から女性天皇容認論が脚光を浴びている。超タカ派と目される、高市早苗である。

「高市 私は女性天皇に反対しているわけではありません。女系天皇に反対しています。女性天皇は過去にも推古天皇をはじめ八方(人)いらっしゃいましたが、すべて男系の女性天皇(天皇が父)です。在位中にはご結婚もなさらず、次の男系男子に皇位を譲られた歴史があります。男系による皇位の継承は、大変な工夫と努力を重ねて連綿と続けられてきたものであり、その歴史と伝統に日本人は畏敬の念を抱いてきました。」(2021年12月10日=文藝春秋2022年1月号)

◆皇統の危機は、女系においてこそ避けされてきた

本通信のこのシリーズでは、女系天皇の存在を古代女帝の母娘(元明・元正)相続、王朝交代(応神・継体)において解説してきた。じつは女系においてこそ、皇統の危機は避けされてきたのだ。

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈09〉古代女帝論-1 保守系論者の『皇統は歴史的に男系男子』説は本当か?」2020年5月5日 

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈14〉古代女帝論-6 皇統は女性の血脈において継承された」2020年8月16日 

管見のかぎり、この立論に正面から応える歴史研究は存在しない。つまり、男系論者は「定説」「通説」の上にあぐらをかき、まともな議論をしていないのだ。いや、歴史上の女帝の数すら間違えている。高市の云う「八方」ではなく「9人」なのだ。

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈17〉古代女帝論-9「八人・十代」のほかにも女帝がいた!」2020年9月27日 

ところで、冒頭にあげた「女性天皇容認論」を具体的に言えば、保守系の「愛子さまを天皇に」という運動と交差しつつ、いわゆるブルジョア的女権論であるとともに、天皇制の「民主化」を結果的にもとめるものとなる。

天皇制廃絶を主張する左派からは「天皇制を容認した議論」と批判されるが、沖縄基地を本土で引き受けて沖縄の負担を軽減する、オルタナティブ選択と同じ発想である。沖縄米軍基地を本土誘致することが、基地を容認した運動だと批判されているのは周知のとおりだ。

しかしながら、天皇制廃絶論が具体的なプロセスを示し得ないように、辺野古基地建設(海底地盤の軟弱性)の可能が乏しくても、反対運動が建設を阻止しえていない。したがって、基地建設阻止の展望を切り拓けないのである。そこで本土誘致という、新たな選択が提案されてきたのだ。

「天皇制廃絶」や「米軍基地撤去」は、残念ながらそれを念仏のように唱えているだけでは実現しない。対する「女性天皇容認」や「基地を本土へ」は、微動だにしない現状を、少しでも動かす可能性があるといえよう。

女性天皇容認もまた、天皇制の「民主化」によってこそ、天皇制の持っている矛盾を拡大させ、天皇制不要論に至る可能性がひらけるといえよう。

その現実性は、ほかならぬ高市の発言にも顕われている。

「よく『男女平等だから』といった価値観で議論をなさる方がいらっしゃいますが、私は別の問題だと思っています。男系の祖先も女系の祖先も民間人ですという方が天皇に即位されたら、『ご皇室不要論』に繋がるのではないかと危惧しています。『じゃあ、なぜご皇族が特別なの?』という意見も出てきてしまうかもしれません。そういう恐れを私はとても強く持っています。」

そのとおり、女系・女帝を現代に持ち込むことは、なぜ皇室が存在するのかという問題に逢着するのだ。それは天皇制の崩壊に道をひらく可能性が高い、と指摘したい。
愛子天皇の賛否について、世論調査を様々な角度からとらえたサイトを紹介して、いまこそ国民的な議論に付すべきと指摘しておこう。(つづく)

『愛子さま 皇太子への道』製作委員会「世論調査に見る女性天皇・女系天皇への支持率」

◎連載「天皇制はどこからやって来たのか」http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=84

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

昨年1月から始まった武田幸三氏が主催するCHALLENGERシリーズは今回で4回目。前日計量は武田幸三氏が会長を務めるYashioジムで16時から行われ、秤に乗って100グラム以内のオーバーは居たものの、アンダーウェアを脱いで再計量も時間を割くことなく全員パスしました。

過去、馬渡亮太とモトヤスックがメインイベントを務める中、元々治政館ジム所属していた麗也が復帰し、よりスターが揃い賑やかになりました。

その麗也JSKはセミファイナル出場、左フック一発でノックアウト勝利し、本日のMVP(武田幸三賞)を受賞。

今回のメインイベンター馬渡亮太はヒジ打ちで仕留める快勝。

モトヤスックはアンダーカードに回るも、技量で圧倒する大差判定勝利で治政館ジム勢は貫録を見せました。

ヨーユットのヒザ蹴りに合わせて、馬渡亮太のヒジ打ちヒット

◎Challenger.4 ~Beyond the limit~
1月9日(日)後楽園ホール17:30~21:05
主催:オフィス超合筋、Yashioジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

◆第10試合 メインイベント 57.5kg契約 5回戦

馬渡亮太(治政館/57.5kg)vsヨーユット・ウォーワンチャイ(タイ/57.25kg)
勝者:馬渡亮太 / KO 3R 1:07 / 3ノックダウン
主審:少白竜

馬渡亮太は昨年1月に王座決定戦で獲得したWMOインターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン。

初来日から12年以上経過するベテランのヨーユットは元・ルンピニー系バンタム級4位。
ムエタイテクニックで日本選手を翻弄してきたヨーユットも歳を重ね、出場も減ってきた中でもテクニックは健在。

馬渡にプレッシャーを掛けていくが、馬渡も慌てず冷静に様子見からチャンスを伺い第3ラウンド、ヒザ蹴りに来たヨーユットのアゴに左ヒジ打ちをカウンターしノックダウンを奪う。

ダメージを負ったヨーユットに、再度ヒジ打ちでノックダウンを奪うとヨーユットは足をフラつかせながらカウント内に体勢を取り戻すも、最後は馬渡が弱ったヨーユットをパンチ連打で倒し切った。

馬渡亮太が最初のノックダウンを奪い、ヨーユットが崩れ落ちる

◆第9試合 54.5kg契約 5回戦

麗也JSK(=高松麗也/元・日本フライ級C/治政館/54.45kg)
     VS
NJKFスーパーバンタム級チャンピオン.日下滉大(OGUNI/54.5kg)
勝者:麗也JSK / KO 4R 0:45 / テンカウント
主審:椎名利一

麗也は2017年6月にBeWellジム移籍後、タイ遠征や他イベント興行、また拳の怪我を経て復帰、治政館系列興行では約5年弱ぶり。

日下洸大は昨年NJKFで王座に就き上り調子の現在と、ややブランクがある麗也の攻防が難しい予想となったが、日下洸大が長身を活かすパンチと蹴りがリズムを作っていく。麗也はやや圧されながら冷静な様子見も、第4ラウンド序盤に日下洸大の蹴り終わりに合わせた麗也の左フックカウンターで日下洸大は吹っ飛ぶようにノックダウンし、立ち上がろうとするも踏ん張れない足元で、レフェリーに抱えられながらテンカウントを聞かされた。

麗也の右ストレートが日下洸大にヒット

麗也の左フックを喰らった日下洸大が崩れ落ちる

◆第8試合 57.5kg契約3回戦

JKAフェザー級チャンピオン.渡辺航己(JMN/57.4kg)
     VS
皆川裕哉(KICKBOX/57.5kg)
勝者:渡辺航己 / 判定3-0
主審:松田利彦
副審:椎名30-27. 桜井30-27. 少白竜30-27

接近気味のアグレッシブなパンチヒジ、蹴りが交錯。両者の倒しに行く危なっかしいスピーディーな打ち合いが続く中、渡辺航己のヒザ蹴りで皆川裕哉の手数をやや減らし、やや的確さで優ったか、渡辺がフルマーク勝利となったが、各ラウンドは僅差の攻防が続いた。

渡辺航己のバックヒジ打ちが皆川裕哉にヒット

打ち合う両者、渡辺航己の右ストレートがヒット

◆第7試合 68.0kg契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.モトヤスック(治政館/67.8kg)
     VS
井原浩之(元・MA日本ミドル級C/ハーデスワークアウト/1984.3.21広島県出身/67.85kg)
勝者:モトヤスック / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:椎名30-27. 松田30-27. 少白竜30-27

モトヤスックのスピード、パワーが終始上回った展開。第1ラウンドにモトヤスックの左フックで井原は腰を落としかけるも踏ん張り立て直すが、モトヤスックの勢いを止められない展開が続き、倒せなかったモトヤスックは残念そうな表情も採点は内容的にもフルマークで判定勝利。

モトヤスックが終始パワーとスピード、技の多彩さで圧倒

◆第6試合 ライト級3回戦

JKAライト級1位.睦雅(=ムガ/ビクトリー/61.05kg)
     VS
NJKFライト級4位.岩橋伸太郎(エス/60.8kg)
引分け 0-1
主審:桜井一秀
副審:椎名28-28. 松田28-28. 和田28-29

睦雅がパンチでやや優勢に進めながら第3ラウンドに岩崎伸太郎の左フックで、足が揃ってタイミング的にバランスを崩した感じではあったが、ノックダウンを喫してしまう逆転を許してしまい結果的に引分けとなった。

最終ラウンドで劣勢を巻き返した岩橋伸太郎が打ち合いに出る

◆第5試合 53.75kg契約3回戦

JKAバンタム級4位.義由亜JSK(=ヨシュア/治政館/53.2kg)
     VS
NKBバンタム級4位.佐藤勇士(拳心館/53.55kg)
勝者:義由亜JSK / KO 2R 2:52
主審:少白竜

ロープ際での縺れから崩しに入った義由亜に転ばされる中、ロープに足が引っ掛かって落下し、佐藤が後頭部を打ってしまいテンカウントを聞かされてしまった。

◆第4試合 女子ピン級(100LBS)3回戦(2分制)

女子(ミネルヴァ)ピン級6位.藤原乃愛(ROCK ON/44.9kg)
     VS
同級5位.撫子(GRABS/44.3kg)
引分け 1-0 (29-29. 29-29. 29-28)

いつものシャープな蹴りの切れ味が無い藤原乃愛。撫子が組み合ってのヒザ蹴りが藤原の持ち味を潰していくが、攻防は互角が続き引分けに終わる。

◆第3試合 バンタム級3回戦

樹(=イツキ/治政館/53.35kg)vs大崎草志(STRUGGLE/53.0kg)
勝者:樹 / 判定3-0 (29-27. 30-28. 29-28)

◆第2試合 ウェルター級3回戦

山内ユウ(ROCK ON/66.35kg)vs小林亜維二(新興ムエタイ/65.9kg)
勝者:山内ユウ / TKO 2R 2:09 / 2度目のノックダウンでレフェリーストップ

◆第1試合 62.0kg契約3回戦

古河拓実(KICK BOX/61.75kg)vs山西洋介(KIX/61.65kg)
勝者:古河拓実 / KO 2R 1:36 / 3ノックダウン

セレモニーにおいて武田幸三氏の挨拶、後輩にドスの利いた声で檄を飛ばす

《取材戦記》

今回も団体間交流に於いてはNJKFとNKBからの出場がありました。コロナ禍は続きますが、昨年秋から感染者数激減で規制は緩み、昨年12月12日から後楽園ホールでは観衆50パーセント以内の規制は一旦解除されています。

今回の興行ではコロナのオミクロン株拡大の影響があってか観衆は少ない状況でした。昭和のキックボクシング隆盛期には、正月松の内はタイトルマッチで盛り上がったもので、来年までにはコロナ禍を乗り越えて、次代の新春興行に相応しいビッグマッチを展開して欲しいところです。

セレモニーに於いて武田幸三氏が毎度、出場する後輩のモトヤスックや馬渡亮太に対し、脅すような叱咤激励も定着。昭和の厳しさ醸し出す存在に、観る側も気が引き締まります。

このところ興行パンフレットが無いジャパンキックボクシング協会興行。ポスターと対戦カードで両面印刷されたA4サイズのチラシが会場入り口に置かれていました。物足りなさは感じるものの、昔はパンフレットではなく4ページ程度のプログラムで無料配布でした。現在も他団体においてはパンフレットとして販売が多く、内容が充実していれば記念としてや観戦の友となりますが、手ぶらで来場された人や持っている鞄が小さい人などは対戦カードだけで充分かもしれません。

KIXジム所属の髙橋茂章(1989.12.21千葉県出身)選手がスキルス胃癌を患い、昨年暮れ12月29日に永眠され、今回の興行で冥福をお祈りする追悼テンカウントゴングが行われました。

「髙橋選手は昨年11月21日のKICK Insist.11に出場予定でしたが体調不良の為、欠場していました。」という発表で、亡くなる3ヶ月前は元気だった様子。こんな話は一般人においてもたまに聞くことがありますが、定期検査での早期発見は大事と痛感するところです。

次回のジャパンキックボクシング協会興行は3月20日(日)に新宿フェイスにて開催予定です(興行タイトルは未定)。

最終試合後の発表で麗也がMVPに決定、再びリングに呼ばれての受賞シーン

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

◆人口比で東京に先行する広島

アメリカ軍海兵隊岩国基地に隣接した広島県では1月8日にご報告したとおり、オミクロン株主体の新型コロナ感染爆発が続いています。1月8日に新規感染者が100を超えると8日からは5日連続で500を超えるありさまです。9日からは広島都市圏中心にまん延等防止措置が発令されました。さらにここへきて、広島市など都市部だけでなく、安芸高田市など県北部山岳地帯でも感染が広がっています。広島県の人口は東京の約5分の1です。人口比で東京に先行する状況が続いています。

ときおり雪も降る厳寒の中、感染爆発続く広島市内の様子(1月12日筆者撮影)

まずは、広島県内(県内)、岩国市内(岩国)、米軍岩国基地(基地)の感染者数を振り返ってみましょう。

     県内-岩国-基地
12/01~20 00-00-00
12/21   00ー00-01
12/22   02-00-01
12/23   03-01-00
12/24   01-00-00
12/25   05-01-00
12/26   01-01-00
12/27   01-01-08
12/28   01-01-05
12/29   03-07-80
12/30   06-07-27
12/31   23-08-23
01/01   21-14-00
01/02   57-13-00
01/03   40-44-50(岩国基地は3日分をまとめて発表)
01/04   109-62-47
01/05   138-70-182
01/06   273-81-115
01/07   429-61-91
01/08   547-77-71
01/09   619-80-05
01/10   672-45-12
01/11   588-71-71
01/12   652-79-34

岩国基地では依然として、高い水準の感染状況です。アメリカの本土が毎日120万人感染、人口10万あたり1週間ですと2500人強。しかし、岩国基地はなんと4000人近く。岩国市が350人強、広島県は130人強という水準です。

◆広島市民のくらしにも激震

こうした中、激震が広島市民の生活にも走っています。まずは、冬の広島といえばひろしま男子駅伝。昨年2021年に続いて中止となりました。箱根駅伝は、沿道の応援は自粛を前提に開催されましたが、ひろしま駅伝は残念ながら中止です。

さらに原爆資料館は13日から、臨時休館となりました。

そして、まん延等防止措置により、飲食店での酒類の提供の中止が要請されています。多くの飲食店がこれにより、休業となっています。

広島市内の70代の男性飲食店主はカラオケ喫茶を経営。新年は5日から営業でしたが、その矢先の休業です。そのお店は昼間でも営業はしています。しかし、「酒類を提供できないとうちの店は利幅が確保できない。店を開いていても体力を消耗するばかりなので、休業することにした。」と話します。

別の喫茶店の女性店主は「うちは営業を続けるが、がくんとお年寄りの客足が落ちていて儲けにはならない。」とおっしゃいます。

酒屋の60代男性店主は、まん延防止措置について「仕方がない」と気を落とされています。そのかわり、以前は閉じていた日曜日にも開店して個人の宅飲み客にもアクセスしようとされていました。それぞれに、必死に「最適解」を必死で探っておられます。

◆面会は続くもレクレーション中止でお年寄りの衰えも心配

介護福祉士である筆者は、広島市内と安芸郡の介護施設で仕事をしています。広島市内の施設では、2020年の第1波、2021年の第4、第5波で出された緊急事態宣言の際には面会中止が行われました。今回、感染者数は緊急事態宣言の際よりも多いのですが、面会は中止となっていません。いっぽうで、多くのお年寄りが楽しみにしているレクレーションは中止となったのは残念です。

以前と比べれば、お年寄りも、ご家族もワクチンの接種は進んでいます。そのことを勘案すれば、気をつけつつ面会は継続というのはよいと思います。

筆者は、この2年間で、とくに元気だったお年寄りが異常なおとろえかたをするのを拝見して、心を痛めてきました。中には、信じられない衰えかたで亡くなられた方もおられます。やはり、面会中止、そしてレクレーション中止のダブルパンチは大きいのです。人間は刺激がないと衰える。これをまざまざと感じました。

レクレーションについていえば、もうひとつの筆者が勤務する施設では、継続しています。そもそも、こちらの施設では、いまでもお年寄りがホールに出てきてみんなでトランプを楽しむなどしておられます。これはよいことです。

感染対策に留意しつつも、刺激を維持する。そのために、ケースバイケースで知恵を絞る。このことの大切さは強調したいのです。

◆広島県は厳しめの対策

ちなみに、広島県は東京や大阪、あるいは沖縄県などと比べても厳しめの対策はとっているように見受けられます。認証店もふくめて、酒類提供中止というのは、沖縄と比べても厳しいものはあります。

「まん延防止等重点措置」指定に伴う沖縄県対処方針について(沖縄県)

新型コロナウイルス感染症に関する情報(広島県)

検査も手軽に広島駅北口(デッキの上)などで受けられます。

知事の湯崎英彦さんは、前知事同様に、新自由主義を進めて来られた方です。ただ、西日本大水害2018,そして今回のコロナ災害では従来からの路線からは、強いられたものとはいえ、軌道修正している面も見受けられます。この点は引き続き見守っていきますが、言うべきことについては、県民としてガツンと申し上げていきたいものです。緊急時だからこそ、萎縮せずに、きちんと声をあげていくことが大事と考えます。

◆アメリカ軍基地内は依然として、酒類提供

しかし、今回の感染爆発の「震源地」である米軍岩国基地内が問題です。一応、10日から関係者の外出は制限されます。しかし、どこまで守られるかが問題です。過去の不祥事への対応も実効性がなかったことを考えると不安があります。実際に、岩国基地内の飲食店では酒類が提供され、基地外ではされているような感染対策はされていない、という報道がされています。しかし、日米地位協定により、日本の保健所が立ち入り検査して事実を確かめることもできない状況です。これは米軍が悪いというより、そういう地位協定をこれまでだまって維持してきた日本政府の責任は重いということではないでしょうか?

日本政府はきちんと日本の全住民に大水害、大震災などとおなじような支援を行うべきです。それとともに、日米地位協定を破棄するくらいの気迫で、緊急にアメリカ軍に対して日本人並に対策に協力するよう迫るべきではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

1995年に起きた東住吉事件の冤罪犠牲者・青木恵子さんが、再審無罪後、国と大阪府に国家訴訟を提訴した件で、昨年9月の結審後、大阪地裁・本田能久裁判長が「和解勧告」を出していた(昨年12月2日付けデジタル鹿砦社通信参照)。国賠訴訟で和解勧告が出されるのは極めて異例だ。裁判長は「私が正しい判決を出しても、また控訴、上告され、裁判が長引き、青木さんの苦しみが続く。だから私たちで裁判を終結させたい」と述べ、青木さんは感動で胸がつまり、すぐには返答できなかったという。

和解には、国と府の謝罪と何故冤罪が起きたかの検証も入るとのことだったため、青木さんは和解に応じ、大阪府も和解を前向きに考えると協議のテーブルに着いたものの、国は、一旦持ち帰って返答するとしていたが、その後の裁判所の呼びかけには一切応じていない。

昨年12月23日の協議に、国が応じず和解が決裂した場合、弁護団が会見する予定だった。この日も国は出廷しなかったが、裁判長が「もう一度説得したい」と申し出、会見は延期となっていた。そして1月12日、いよいよ和解は決裂し、その後の会見で、これまで伏せられてきた和解勧告の中身が公開される予定だった。

14時半から始まった協議は長引き、40分後司法記者クラブの現れた青木さんは少し疲れた様子だった。今日も国は出廷しなかったが、裁判長は再度説得にあたるので、来週まで結論を待ってくれというようだ。しかし、来週は青木さん、弁護団とも多忙であること、決裂はほぼほぼ決まりであることなどから、本日(1月12日)、会見が開かれた。

協議後の記者会見。裁判所が来週まで説得に当たるとなり、疲れた様子の青木さん

◆「青木恵子氏は完全に無罪であり、もはや何人もこれを疑う余地はない」

昨年11月29日、第一回目の和解協議後に店に寄った青木さん。裁判長らから暖かい言葉を貰い、ほっとした様子だった

「冤罪の『冤』の文字は、ウサギが拘束され、脱出することが出来ない状態を表しているが、一説によれば、この文字は、漢(紀元前206年~220年)の隷書の時代から見られるようである……」から始まる「和解勧告」が参加者に配布され、加藤弁護士が説明を行った。昨年11月、裁判所が和解勧告にあたって双方に提出した所見だが、国への説得が続くため、和解条項は公表されなかった。加藤弁護士は「和解はほぼほぼ99%ないだろうと判断している。来週半ばには正式に打ち切りが決定されるとは思っていますが、裁判所のご努力については尊重していきたいと思います」と説明を始めた。

「青木さんは完全に無罪であり、もはや何人もこれを疑う余地はない」

「しかし、青木恵子氏が今もなお苦しみ続けていることは、疑いのない事実である。このような悲劇が繰り返されることを防止するとともに、冤罪により棄損された国民の刑事司法に対する信頼を回復・向上させるためにも、刑事手続きに関わる全ての者が全身全英をもて再発防止にむけて、取り組むべきであることについては、民事責任を争う被告らにおいても、否定されないと信じたい。青木恵子氏も、二度と冤罪が繰り返されない社会の実現を切望して、本件訴えを提訴されたと述べられている」。

次に、和解のために必要な限度で、争点についての所見を示すとして、大阪府に対しては、取り調べ報告書の記載内容だけでも青木氏に対して相当な精神的圧迫を加える取り調べが行われていることが明らかである。国についても、その取調報告書の取り扱いについて(その報告書を見て起訴していること、公判で、弁護団から開示を求められたが拒否していること)、あるいは警察官の証人尋問に関する検察官の対応についての疑問は、同居男性が自ら警察署に赴き、自供書を作成したなど、もろもろ虚偽の事実を述べていた件については、検察官も偽証であることはわかっていたはずだということを意味していること。これらについて裁判所は、被告の国と大阪府に対して連帯して和解金を支払うことを求めるということ。勧告書は最後に「古来繰り返されてきた冤罪による被害を根絶するための新たな一歩を踏み出すべく、当裁判所は、下記の通り和解を勧告する」と締めくくられていた

その後、青木さんが感想を述べた。「和解が成立することを望んでいたが、国が応じないということで本当に許せない思いです。裁判所は異例にも関わらず、和解を出してくれ、私の裁判を終わらせてくれようとしたのですが、国が応じないということで、国はこれからも冤罪を作るんだという、それを自ら発言したのと同じだと思っています。反省も検証もしない、そしてこれからも冤罪を作り続けていく国が本当に許せない。あの人たちはどういう考えなのか! 再審でも、国は『有罪立証をしない、裁判所に委ねる』と言い、自分たちの意見を言わずに終わらせました。そして私が国賠を提訴すると、私の本人尋問で、(国は)1時間必要といっていたが、1つも質問しませんでした。何もかも放棄し、裁判所の和解案にも一度聞きにきただけで、それ以降は協議の席に全く着かなかった。裁判所は再三に渡って説得を試みると言ってくれましたが、それでも応じない。怒りでいっぱいです。判決で私たちは国と大阪府の違法性を認めてもらったら、控訴せずに終え、刑を確定したいと思ってますが、これでまた検察に控訴されたら、再び怒りが沸いてくると思います。こんなおかしい国の態度をもっとマスコミの皆さんも批判して頂けたらと思います」。

昨年8月27日、東京高裁で桜井昌司さんの国賠訴訟で完全勝利判決が下された日、高裁前でアピールを行う青木さん

昨年9月16日長くかかった裁判の終結後に行った記者会見で

◆放火でないと知って「起訴」した検察

国はなぜ頑なに和解に応じようとしないのか? 国は全く悪くないと考えているのか? そうであるならば、弁護団の最終総括から、国(検察)がいかに深く関与し、この冤罪を作ってきたかを検証していこう。

1995年9月10日、任意同行された青木さんと同居男性が、警察の違法な取り調べで「自白」に追い込まれたことは、再審無罪判決で明らかになっていた。「お前がやったんだろう」と怒鳴られながらも、否認を続けていた青木さんを自白に追い込んだのは、男性がめぐみちゃんに性的虐待を行っていた事実を突然ぶつけられたからだ。しかも「息子も知っていた」などと嘘をつかれ、「どうなってもいい、早く房に戻って死にたい……」との思いから自白に追い込まれていった。

この経緯を青木さんは、検察官の取り調べでも訴えていた。弁護人も違法な取り調べについて抗議していた。青木さんの自白が嘘であることを、検察官が知らないはずはない。

しかも警察も検察も、火災が自然発火か放火かを十分捜査していなかった。当初、現場で消火を手伝った住民の多くは「当初炎は50センチ程度でチョロチョロ燃えており、消火器で十分消せると思っていた」と証言しており、警察も「風呂釜の種火が(車両から)漏れたガソリンに引火した可能性がある」と発表していた。

一方、男性の「自白」通りに放火を行えば、50センチの炎がチョロチョロどころか、あっという間に炎上し、大量の黒煙があがり、男性自身大火傷を負うことは、起訴前に警察が行った杜撰な再現実験からも明らかだった。しかし、警察も検察も、 自然発火の可能性をより科学的・専門的に検証することなく、青木さんを娘殺しの放火殺人犯に仕立て、起訴したのである。

◆刑事裁判で青木さん無実の証拠をことごとく隠した検察官

刑事裁判で検察官は、青木さんの無実、あるいは有罪心証を揺るがせる証拠について一切証拠調べ請求を行わなかった。ガソリンスタンド店員の「ガソリンを満タンにいれた」とする供述、青木さんが娘の救出を求めていた事実、男性が消火活動を行ったり、消防士に娘の救出を求めていたことを複数の住民が目撃し、報告書などがあるのに「男性の消火活動しているところを見ていない」という証言のみを提出した。あまりに悪質ではないか。

大阪府警にも重大な責任はあるが、警察を指導・管理すべき立場の検察が、警察の違法な捜査を放置・助長し、青木さんを「娘殺し」の犯人にしたてたのだ。国はその責任をとりたくない。それが今回、国が和解勧告を蹴った理由であり、青木さんが言うように、国は今後も堂々と冤罪をつくり続けると宣言したようなものだ。断じて許さず、今後も裁判を見続けていこう!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

連合赤軍は共産主義者同盟赤軍派(第二次)と日本共産党革命左派が合同した組織である。71年12月の「新党結成」からわずか2カ月ほどで、同志12人を暴力的な「総括要求」で殺害し、2月19日から9日間にわたる銃撃戦(あさま山荘事件)で死者3名を出し、ほぼ全員が逮捕されることで壊滅した。とくに同志殺しは社会運動史上、稀にみる内ゲバ事件と言えよう。

◆12人を死に至らしめた「総括」とは何なのか?

当初は誰にも、銃撃戦と山岳ベースの目的がわからなかった(じつはほぼ全員が指名手配されていたので、容疑者の逃亡劇にすぎなかった)こと、同志殺しの陰惨さゆえに「狂気の沙汰」「集団ヒステリー」などと、メディアは口をきわめて批判したものだ。

たしかに「狂気」としか思えない結果だが、一部のメディアが「狂人集団」とこれまたヒステリックに非難することにも、冷静なメディアからは批判が上ったものだ。事件の本質を「異常な狂気」としてしまえば、事件の動機を不問に付し、事件から何も教訓が得られないことになる。

たとえば、オウム事件で麻原彰光教祖が黙したこと(精神疾患を装った?)で、被害者遺族に事件の真相が明らかにならなかった(との印象を抱いた)のは、記憶に新しいところだ。連合赤軍事件は動機において「政治犯罪」であり、のちに理論的な誤謬や明らかになることによって、それなりに真相が究明されてきた。

しかしながら、その理論的総括は新左翼特有の難解な語彙や文体によるもので、いかにもわかりにくい。とくに赤軍派系の文章は、まるでレジュメか内部文書を読んでいるように図式的で不可解である。現代の若い人たちにも理解できる、平易な解説が必要なのである。

まず、この「総括」という言葉から解説していこう。国会での与野党の討議を「総括質問」と称するように、総括とは文字通り全体を統括、ないしは包含したという意味である。学生運動や労働運動では、大会議案書が「情勢分析」「総括」「方針」という具合に分類される。したがって「反省」という意味合いがつよいといえよう。

その「総括(反省)」が連合赤軍においては「共産主義化」のためとして、個々人につよく求められたのである。

◆人間の尊厳を否定しておいて、反省を迫る「総括」

では、つぎに共産主義化とは何だろうか。森恒夫が語るところを聴こう。

「作風・規律の問題こそ革命戦士の共産主義化の問題であり、党建設の中心的課題」「各個人の革命運動に対するかかわりあい方を問題にしなければならない(『十六の墓標』)。

この「作風」「規律」をめぐって、じっさいに諸個人が「総括」をもとめられ、それに答えられないことで、暴力で「総括を援助」する事態が発生するのだ。この「援助」は食事を与えない、縛り付ける、自分で自分を殴るなどで、総括の対象者を死に至らしめるものとなった。

およそ人間の尊厳を否定しておいて、反省を迫るというのが間違っている。その誤りに、連合赤軍は気づかなかったのである。

そのような事態に至った、さまざまな要因は後述するとして、まずは連合赤軍の前史である赤軍派と革命左派の生成から解説していこう。じつは赤軍派の結成とそれへの森恒夫のかかわり方、革命左派の結成とその変遷における永田洋子の立場に、連合赤軍の淵源があるのだ。

◆ブント7.6事件

赤軍派がブント(共産主義者同盟)から分立する過程で起きたのが、7.6事件である。その事実関係は「7.6事件の謎」として、中島慎介が提起した問題(『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』収録)を、本通信も書評として解説してきた。

《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明(2021年11月30日)

この事件をさらにさかのぼれば、68年12月のブント8回大会で関西派(のちに赤軍派となる部分をふくむ)が執行部(中央委員会政治局・学対)から排除されたことが挙げられる(人事問題)。

さらに69年1月の東大闘争安田講堂攻防戦をめぐって、政治局が責任を負わない態度を取ったことから、荒岱介(のちに戦旗派指導者)と高原浩之(赤軍派指導者)が反発した(闘争指導問題)。※『破天荒伝』(荒岱介著・横山編集、太田出版)

そして4.28沖縄デー闘争で、共産主義突撃隊(RG)が組織され、その敗北が赤軍フラクの結成へとつながるのだ(軍事組織改編問題)。その指導者が塩見孝也(のちの赤軍派議長)である。

7.6事件に至るまでの過程(6月のアスパック粉砕闘争・郵便局自動化反対闘争)で、ブント内右派から赤軍フラクへの「リンチ」があったとされる(『世界革命戦争への飛翔』赤軍派編)。

◆権力(スパイ)の謀略か?

そして、問題の7.6事件である。赤軍フラクの排除に抗議しようとしたところ、なぜかリンチ事件になった。その結果、赤軍フラクはさらぎ議長を逮捕させる結果となり、ブントを組織的混乱に陥らせたのである。

中島慎介が提起した「事件の謎(事件を準備した者がおもてに出ないまま所在不明)」を概括すれば、森恒夫の失踪(テロによるとされている)と藤本敏夫拉致事件(数日間行方不明)と併せて、謀略の気配がきわめて濃厚である。

運動体の内部にスパイを送り込み、運動の過激化をうながして組織を崩壊に導く。あるいは権力の謀略部隊が、直接的に運動体を叩く。

「権力の謀略」といえば、革マル派が74年の夏以降、独自に唱えてきたものがある。

「われわれは敵対党派(中核派や社青同解放派など)に対する闘争に勝利したが、国家権力は敵対党派の指導部にスパイを潜入させて操り、内ゲバを装った謀略を仕掛けている」というものだ。

すべてがそうだと言えないまでも、国家権力が内ゲバを装って謀略を仕掛けることは少なくない。

70年当時の新聞記者の証言として、警察署からヘルメット姿に身をやつした男女の警官が出てきたり、機動隊との攻防の現場で逮捕に協力しているヘルメット姿の学生風の警官が写真に撮られてもいる(『過激派壊滅作戦』三一書房) 。映画監督の大島渚は終生「学生運動が内ゲバで鎮静化したのは、警察のスパイが行なったことだ」と発言していたものだ。

中島慎介が問題視している、7.6事件で赤軍フラクが明大和泉校舎に入った時間は、始発電車(または次発)で御茶ノ水から明大前に行ったことが、当事者の新たな証言として、1月21日発売の「情況」(連合赤軍50年特集号)に掲載予定である。

またそこでの、さらぎ議長リンチが偶発的なものだったこと。その後、東京医科歯科大に引き揚げた赤軍フラクに逆襲したのが、中大ブントだけではなく情況派(医学連指導部、明大生協理事)が加わっていたことから、ブント内左右の派閥抗争の延長だったことまで判明している(重信房子の手記、『聞き書きブント一代記』)。7.6事件については、さらなる事実関係の究明が課題であろう。

8月にはブント中央委員会で赤軍派の「7.6事件の自己批判」が認められず、9回大会で塩見以下の指導部がブントを除名となる。ここに赤軍派は、ブントの分派として、共産同赤軍派を結成することになるのだ。

◆革命左派の前史

さて、新左翼オタクや共産趣味者にとって、よくわからないのが日本共産党革命左派(神奈川県委員会)という組織の系譜であろう。

日本共産党の毛沢東支持派から分裂した、というのが一般的な説明である。全くはずれてはいないが、組織の歴史を正確に顕わしているとはいいがたい。じつは革命左派もブントの系譜なのである。

革命左派の前身は、警鐘グループと言われるブント系の一派である。すなわち、マルクス主義戦線派の川島豪、社学同ML派議長だった河北三男が「これからは学生運動主体ではなく、青年労働者を組織すべき」として結成されたのが警鐘グループだった。

《図表》日本共産党革命左派(神奈川県委員会)という組織の系譜

この警鐘グループが日中友好運動を媒介に、接触をはかったのが日本共産党左派神奈川県委員会なのである。日共左派は山口県委員会(現在の「長周新聞」)が有名だが、中国のプロレタリア文化大革命を背景に、共産党から分立した組織で、全国的に自立的に存在していた(日中友好協会正統派)。

じつはその前に、マルクス主義戦線派(のちに前衛派・レーニン主義協会など)や社学同ML派(のちに日本マルクス・レーニン主義者同盟、マルクス主義青年同盟、日本労働党など)を解説しなければならないが、長くなるので別枠(ブントの分派)で解説することにしたい。※図表参照。

ともあれ、日本共産党左派神奈川県委員会に合流することで、川島豪と河北三男の一派は、横浜国大と東京水産大学(現・東京海洋大学)を拠点に組織を伸長させる。

かれらにとって、戦中派で戦後革命期を経験してきたベテランの元共産党員と合流したことは、政治的にも組織的にも新たな地平だった。すなわち、新左翼の粗雑な作風・体質からはなれて、労働者・労働組合運動に基盤を持つ革命組織の確立である。

とはいえ、横浜国大の自治会を拠点にする学生メンバーは、ML派から執拗に付け狙われる。河北三男がML派時代に突然いなくなり、分派として立ち顕われた、とML派は判断したのである。分派をゆるさない、レーニン主義の組織論の悪弊が、まずここに見出せる。

横国大自治会に出入りするメンバーが拉致され、ML派の拠点である明治大学の学生会館に監禁されるなど、党派闘争・分派闘争としての大義名分でテロリンチが行なわれたという。

このとき、元共産党員で日共左派神奈川県委員会の指導者(望月登=一部の本では小林)は、果敢にも「人民内部の矛盾であるから、暴力に暴力では返さない」と、明大学館に単身のりこんだ。顔が倍に腫れ上がるほど殴られながらも、横国大のメンバーを奪還したのだった。

じつに毅然とした勇気を必要とする行動で、指導者の範をしめしたというべきであろう。この望月登は海軍兵学校(幹部養成学校)の出身者だったという。

◆神奈川県委員会の分裂

しかしながら、68・69年の新左翼(三派全学連・全共闘運動)の運動的な高揚と先鋭化は、日共左派神奈川県委員会にも影響をおよぼした。元共産党員の指導者たちの、地道な労働運動による組織建設は、いかにも時代の趨勢に付いて行けないものだった。

69年春の党会議において、河北と川島が望月に指導責任を問い質し、会議は紛糾した。指導方針を示せない望月を罷免することで、日共左派神奈川県委員会は事実上の分裂。日共革命左派神奈川県委員会の結成となったのだ。

新左翼系としては、ML派につぐ毛沢東主義の党派結成で、その路線は「反米愛国」である。

ちょうど赤軍派が大阪戦争・東京戦争をくり広げ、大菩薩峠で53名の逮捕者(武装訓練合宿)を出していた69年秋、革命左派も米軍基地へのダイナマイト闘争を実行(すべてが不発)していた。両者の歩みは、ほとんど軌を一にしていたといえよう。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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