◆「医療問題」とは、言葉にしずらい日常的な関心事
健康状態が良好なときには、関心を持つこのと少ない「医療問題」。本人や家族が疾病や怪我で、医療機関にかかった際に、運が悪いと直面する。「医療問題」とまで大上段に構えずとも、医師や病院の信頼性や態度は、健康状態を悪化させている本人や家族にとって言葉にはしにくいものの、日常的な関心事だ。
人間はいずれ生命を全うする。その最終局面を医療機関(病院)で迎えることは今日常態化しているといってもいいだろう。医師や看護師の手厚く心のこもった治療姿勢の後に最期遂げる。その遺族は、医療機関が「業務」として提供したサービスであっても、悲しみの中「お世話になりました。本当にありがとうございました」と感謝の念を抱く。不幸の中にあってもこのような姿は、遺族にとっては一縷の救いとなり、感謝の気持ちで病院を後にする。
◆事件の経緯から裁判資料まで、医師と患者の間に横たわる諸問題を詳述
ところが医療機関(病院)や医師の行為から不信感を抱かされると、患者の困難がはじまる。仮に命には別条のない施術や治療であっても、医師から納得のいく説明を受けることが出来なかったり、あるいは説明もなく治療を行われ、その予後が思わしくないと、患者には不信感が残る。病院を選ぶことのできる環境に生活する人であれば、病院を変えることができようが、そうではない患者にとって「不信感」をもって医者にかかることは、極めてフラストレーションの高い不健康な状態である。
さらに、病院(医師)の判断・行為で命を落とされたり、本来は避けられる副作用で苦しむことになったらどうであろうか。医師と患者の「絶対的服従関係」はインフォームドコンセントが常識化した今日、過去に比べればかなり改善されたといえようが、その陰には多くの患者・遺族そして医師自身の苦悩や闘いがあったことを、わたしたちは充分には知らない。出河雅彦氏の手になる『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年、医薬経済社)は医師と患者の間に相変わらず横たわる問題の中でも、極めてデリケートな「臨床研究」と治療の問題について、発生した事件の詳細から裁判資料までを紹介する重厚な書物である。
◆6つの「医療事件」をめぐる緻密で膨大な調査報道
出河氏は、医師が適切な手順で患者を治療したか(プロトコール違反はなかったのか)? 臨床試験に「同意」は存在したか? なぜ日本では「人体実験」と区別のつかない「臨床研究」があとを絶たないのか? などを着目点に「当事者がどのような主張を行い、どのような結末に至ったのか」を詳述する。
6つの事件(愛知県がんセンター、金沢大学病院[2件]、東京女子医科大学、群馬大学病院、東大医科研病院)を追った出河氏の報告は「調査報道」に分類することも可能かもしれないが、当事者に取材し膨大な準備書面を提示する手法は、法律家の技に近いともいえる。
しかし出河氏がこのように緻密で膨大な資料を示した理由はわたしにも推測できる。一般の民事裁判とは異なり、「医療事件」は病院サイドが圧倒的に多くの情報を握っているために、内部告発者でもいない限り患者(遺族)側が対等な条件で闘うことが、極めて難しいからではないだろうか(実際に第二章「同意なき臨床試験」金沢大学病院では金沢大学の医師が「告発者」として活躍した事実が紹介されている)。また「プロトコール違反」、「臨床試験」といった基本的な概念の理解にすら、医師によってかなりのばらつきがあることも読者は学ぶことになる。
◆読者はまるで陪審員(裁判員)、裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱く
「これでもか、これでもか」と叩き付けられるような証拠の山に、読者は陪審員(裁判員)あるいは裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱くかもしれない。「良い」、「悪い」という単純な善悪二分法では解決することができない、しかしながら解決しなければ患者の人権擁護を確立することのできない、極めて困難な設問に出河氏は事例報告だけではなく、生命倫理研究者橳島次郎氏との対談で法制度の未整備について率直な指摘を展開している。
昨年まで朝日新聞の記者として、現場を飛び回っていた出河氏は最前線の記者だった。それにしては、文体が一般の新聞記者のように硬直していない。極めて入り組んだ医療最前線の問題を長年地道に取材し、新聞紙面では一部しか紹介できなかった取材成果を醸造、その成果の一部を纏めたのが本書といえよう。
余談ながら金沢地裁で争われた金沢大学(国)を訴えた遺族が提起した裁判の裁判長として、現在原発差し止め訴訟などで著名な井戸謙一弁護士も登場する。出河氏と井戸弁護士はその後、滋賀医大病院における説明義務違反訴訟で取材者と原告弁護団長の立場で再会を果たすことになったのは、本書とは関係ないが偶然とは思われない。
病院と無関係で一生を終えられるひとはいない。いま医療現場で問題になっている最先端の問題(最先端医療ではない)は何なのか、を知っておくことは、誰にとっても有益なことだろう。600頁を超える大著から学ぶことは多い。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。