革命左派において、連合赤軍以前に二人の同志が「処刑」されていたことは、この連載の〈4〉に記し、その淵源がまたそれ以前の「スパイ問題(冤罪)」にあったことを明らかにしてきた。
だがその「処刑」は、どこから誰が発想したものなのだろうか。じつは革命左派は上記の二人を処刑する前に、山岳ベースで座敷牢の設置を検討していた。そこまでかれらは迷っていたのである。
赤軍派において、指令された「処刑」が行なわれず、そのまま曖昧になったのも前述したとおり。処刑に踏みきるには、それ相応の決断をもとめられたのである。
ある意味で、処刑は軍隊に特有の命令権の担保である。
命令に従わない者は、指揮権において処罰する。その最高の処罰が「処刑」なのである。旧軍においても、陸軍刑法は一般の刑法とは別個に、敵前逃亡や私兵的指揮権発動への刑罰として「処刑」が設けられていた。現在の自衛隊でも、敵前逃亡には死刑の規定が必要だと議論されている(石破茂ら)。
その意味では、永田洋子らの相談に、森が「脱落者は処刑するべきやないか」と返したのは、軍事の常識でもあったのだ。
しかし、そのいっぽうで、党内で処刑を行なうということは「反革命」の烙印を押すことであり、そのことによって警察権力の弾圧(殺人罪)を招きかねない。
さらには革命党派である以上、綱領的な内容にもかかわってくる問題である。すなわち人間の変革をあきらめ、処刑を行なうことで将来の社会も「死刑を存置した」社会であることを明確にしてしまうのだ。
過去に内ゲバで殺人を冒してきた党派が、まがりなりにも「死刑反対」を云々するのはおかしい。革命党派の立ち居振る舞いは、まぎれもなく目指すべき革命、樹立すべき社会の将来像を顕わすからだ。その意味で「天皇を処刑に」などという天皇廃絶論者のスローガンは、死刑廃止運動と真っ向から対立するものと指摘しておこう。
◆「処刑」を推奨した地下文書
どこから「処刑」が出てきたのか、じつは公安当局をしてそれを「推察」させるものがあったのだ。
72年3月に連合赤軍の「粛清(同志殺し)」が明らかになったとき、警察(公安当局)はある文書に注目した。この文書をもとに、処刑が行なわれたのではないかと。
※遊撃インターネット(dti.ne.jp) http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/sekigun.htm
現在は「連合赤軍服務規律」として流布している「怪文書」のたぐいである。
出所不明、文責も不明の「服務規約」である。文面に「党員」とあることから、72年の公安当局は「連合赤軍に似た某党派」と、報道陣にコメントしたのであろう。
おそらく実体は、地下活動を奨励するグループ、あるいは個人の地下文章なのであろう。のちに有名になる「腹腹時計」(東アジア反日武装戦線)と同様、自主流通ルートで流布したものと思われる。この怪しい文書を連合赤軍が参考にしたのではないか、という公安当局の推察(談話)をもとにして、何者かが「連合赤軍服務規約」なる名称を付けたのであろう。原本(3節16章)と流通判(5節17章)は、若干構成が改変されている。
※↓当時の「週刊朝日」に記事化されている「服務規約」。
http://0a2b3c.sakura.ne.jp/renseki-b4bc.pdf
いずれにしても、この「服務規約」には「処分は最高死刑」という記述があり、そのいっぽうで、大会や中央委員会の運営規定がない。革命党の軍の服務規定である以上、政治委員(指導)の規定があってしかるべきだが、それも見られない。
たとえば中国の人民解放軍の「三大規律八項注意」のごとき、人民の財産を奪ってはならない、人を罵倒するな、などの原則的な禁止事項もない。下級は上級にしたがう担保としての「少数は全体(大会)に従う」民主集中制の原則すらない「規律」なのである。
この「連合赤軍服務規約」を批判して、連合赤軍の組織的限界を云々する者も少なくない。だがじっさいには、もともと捏造の「処刑」規程なのである。この点は連赤事件50年を期に、明確にしておくべきであろう。
ともあれ、赤軍派の女性活動家の指輪問題を機に、各人の革命運動へのかかわり方が問題にされる。総括(この場合は反省)をすることで、各員の共産主義化を成し遂げる。銃と兵士の高次な結合によってこそ、銃によるせん滅戦が準備されるというものだ。
このときの森恒夫の発言が、連合赤軍の方向性を決めた。
「作風・規律の問題こそ革命戦士の共産主義化の問題であり、党建設の中心的課題」「各個人の革命運動に対するかかわりあい方を問題にしなければならない」(森恒夫の発言『十六の墓標』永田洋子)
爾後、12名の同志がとるに足らない理由で「総括」を要求され、暴力的な「総括支援」によって、飢えと極寒のなかで命を落としていくのである。
このシリーズでは、怖いもの見たさの興味をみたすがごとき、残虐シーンを再現することは敢えてしない。
その代わりに、なぜ革命集団が「狂気の同志殺し」に手を染め、12名(14名)もの犠牲者が出たのか。その理論的・実践的な誤りの解明を披歴していこう。そのことこそが、志なかばで斃れた「同志たち」の供養になるであろう。
そしてまた、現実の組織や運動に教訓が供されるのではないか。それは社会運動にかぎらず、一般の会社組織や任意団体にも共通するテーマをはらんでいる。(つづく)
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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。