何年にも渡って君臨した独裁政権が崩壊した後に選挙を実施する場合、国際監視団が現地入りして、選挙を厳しく監視する体制が敷かれることがある。汚点のない選挙の実現。わたしが知っている先駆け的な例としては、1984年のニカラグアがある。軍事独裁政権が崩壊した後、外国からの選挙監視団やマスコミが続々と乗り込んできて、この中米の小国は、初めて公正な自由選挙を実施したのである。
同じような制度と原理を導入するために、真鶴町の住民らが動きはじめた。住民の橋本勇さんが言う。
「外部の選挙監視団を入れて公正で清潔な選挙を実施できる制度を作る必要があります。その制度を真鶴から全国へ広げたいものです。そのために、汚職に関与した松本町長や選挙管理委員会の書記長など、4人の刑事告発を超党派で検討しています。また、選挙管理委員会も総入れ替えをする必要があります。不正を犯した書記長の残党が残っていますから」
橋本さんは、会社勤務を経て約40年前に真鶴に移り住み、光の海が一望できる岬に旅館とレストランを開業した。その真鶴が一部の人々の手で壊されていくことに心を痛めている。それが住民運動を始めた動機である。
◆広がる選挙管理委員会に対する不信感、選挙監視団制度の導入が不可欠
汚職事件は昨年の秋、ひとりの勇敢な男性の内部告発にはじまる。森敦彦氏。真鶴町の役所に勤務した後、2017年に町議になった。しかし、再選を目指した2021年9月の町議選では落選した。
その後、選挙運動の残務整理をしていると、1通の大きな封筒が出てきた。開けてみると、中に真鶴町の選挙人名簿や住民基本台帳などが入っていた。森さんが言う。
「この封筒は、町の選挙管理委員会の尾森書記長(当時)が届けたものですが、事前に松本一彦町長から、あなたの選挙に活用できる資料を届けさせると連絡を受けていたので、中身は町長が作成した自分の支援者名簿だと思っていました。そのようなものは必要なかったので、わたしは封も切らずにそのまま放置していました。自分の基礎票だけで再選できると思ったのです。選挙が終わってから、封を切ったところ、中から選挙人名簿や住民基本台帳が出てきたのです。わたしはびっくりして、警察に届け出ました」
知人の勧めで、マスコミにも通報した。中央紙はほとんど報じなかったが、地元の神奈川新聞やローカル紙が熱心にこの事件を取り上げた。その結果、松本町長は10月26日に記者会見を開いて、自らの責任を認めた。選挙管理委員会の尾森書記長に選挙人名簿や住民基本台帳などをコピーさせ、外部に持ち出させたことを認め、辞任を表明したのである。また、その後、これらの書面を青木健議員と岩本克美議員(議長)にも配布したことを公表した。
不祥事により政治家が辞任すること自体は特に珍しいことではない。しかし、松本町長は、辞任した後、お詫び回りを続け、町長選がはじまる直前に再出馬を表明した。そして次点候補と88票の僅差で町長選に勝利したのである。この88票も、開票の最終ステージで逆転したものだという。そのために選挙管理委員会に対して再び不信感を募らせる市民もいた。
◆汚職を告発した者が悪者に、デマが拡散
わたしは松本町長が当選したことを知ったとき、正直なところ真鶴町の住民は無知ではないかと疑った。同時に、これは真鶴町だけの現象なのか、それとも国家の劣化の縮図なのだろうかと自問した。他の自治体でも、水面下で同じようなことが起きているのではないかと疑った。
1月28日、わたしは橋本勇さんを尋ねてJRの電車で東京から真鶴町へ向かった。海が一望できる橋本さん経営のレストランで、橋本さんの他にも2人の人物を取材した。この事件を告発した森敦彦さんと、真鶴町議会の天野雅樹副議長だった。
森さんは、告発後の予期せぬリアクションに戸惑ったという。
「一番悪いのは森だというデマが広がったのです。これは予想しませんでした」
森さん自身が松本町長から提供された選挙人名簿を使って、町議選の選挙活動をしたという噂を、だれかが町中に広げたのである。しかし、森さんの告発には、理由があった。みずからが真鶴町の職員として働いていた約35年の間に、職員らが町長の人事権の前に、自由にものが言えない実態を目の当たりにしたからである。森さん自身、職場を点々とさせられた。異動の繰り返しに悩まされたのだ。特に、住居を真鶴町から隣町へ移してからは、この種の差別的な扱いが顕著になったという。縦の人間関係を重視しなければ生きられない実態を目の当たりにしたのである。
町の職員たちは、町長の人事権に縛られて自由にものが言えない。その苦しみを森さんは知っていた。実際、この事件についても、町役場の職員らは、不快な思いをしているという。
このあたりの事情について、天野雅樹さんが次のように話す。
「事件後に、わたしのところにこの事件は公職選挙法違反に該当するのではないかという意見が多数寄せられました。そこでわたしから町の選挙管理委員会にその声を伝えたところ、選挙管理委員会にも直接、町民から苦情が来ていることが分かりました。それに対処する町役場の職員らも悩んでいます。町長との板挟みの状態です。内心では怒っています」
天野さんは真鶴町で生まれ、千葉県やロサンゼルスなどで働いたあと、結婚を期に真鶴町に戻った。30歳の時である。会社を経営した後、2017年に町議になった。天野さんが続ける。
「松本町長が再選された後、職員の退職が相次ぎました。たとえば加藤哲三教育長は、2022年1月末で辞任しました。消防団の団長と副団長も辞任しかねない状況です。1月の成人式では、松本町長が式辞を述べるのであれば、参加しないという町民が相次いで、松本町長が出席を辞退しました。さらに松本町長が、隣の箱根町の町長に面談を申し入れたところ拒否されました」
松本町長が再選されたとはいえ、多くの町民が名簿流出事件を許していないのである。
ちなみに、松本町長から、選挙人名簿などの持ち出しを指示され、それに従った尾森選挙管理委員会書記長は、11月11日に懲戒免職処分となった。名簿流出事件の責任を背負わされることになった。
◆選挙管理委員会と町長の汚職
真鶴町議会は、2021年11月30日に、名簿を受け取った青木健議員と岩本克美議員に対する議員辞職勧告決議を採択した。議員辞職勧告決議に法的な拘束力はないが、真鶴町議会は両議員が、町議としふさわしくないと決議したのである。
ちなみに青木議員は、元町長でもある。今回の事件に関与しただけではなく、みずからが出馬した2016年の町長選の際には、当時、真鶴町役場の職員だった松本現町長に選挙人名簿をコピーさせ、外部へ持ち出させた。本人はそれを否定しているが、松本町長は、メディアに対してそんなふうに事情を説明している。これに関して、たとえば神奈川新聞(11月5日)は次のように報じている。
【引用】松本氏によると、同年(2016年)の町長選前に青木氏から選挙人名簿を提供するように依願されたという。「上司と部下という意識が引きずり、青木氏の返り咲きを求める気持ちもあった」。役場庁舎内のロッカーの上に積まれていた全有権者約6800人分の名簿を別の職員1人とともに40分かけて庁舎内でコピー。青木氏に自ら名簿を手渡したという。
汚職は今に始まったことではない。従来から前近代的な人間関係が温床としてあった。
◆広がる超党派の動き、刑事告発は秒読み段階
この事件の核心にメスを入れて、正常な真鶴町を取り戻そうと、住民たちが動き始めている。それは橋本さんたちだけではない。真鶴個人情報漏洩被害者の会(まなづる希望)も運動体のひとつである。ウエブサイトをたちあげて、超党派で事件に関与した4人の刑事告発を予定している。橋本さんが言う。
「他にも4人の告発を検討しているグループがあるので、わたしはみんなをひとつにまとめていきたいと思います。真鶴町は先人らが築いた美しい町です。それを守るために動きます」
議会制民主主義は、戦争という不幸な歴史を経て、戦後日本が獲得したかけがいのない遺産であるが、それがいま形骸の様相を強め、崩壊し始めている。一旦、失ってしまうと取り戻すのに変な犠牲を強いられる。
その意味で真鶴の事件は、単なる一地方の問題ではない。思想信条の違いを超えて熟考しなければならない同時代のテーマなのである。
◎[参考記事]すでに崩壊か、日本の議会制民主主義? 神奈川県真鶴町で「不正選挙」、松本一彦町長と選挙管理委員会の事務局長が選挙人名簿などを3人の候補者へ提供
◎[参考動画]令和4年1月28日午後6時30分開催真鶴町第8回議会報告会(真鶴町公式チャンネル)
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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