「家族がウクライナに住んでいます。兄の家族は避難しました。昨日、母と話しました。母はキエフの近くで独り暮らしをしていて、毎日地下鉄に避難しているそうです。すごく心配。町からも出られないし、とても心配です。避難している地下鉄では赤ちゃんが生まれたと聞きました。病院など、食糧が足りていない場所が今でもあります。大変な状況です。皆さんのサポートにすごく感謝しています。おかしい戦争を一緒に止められると信じています。力をください。サポート本当にありがとうございます。戦争反対!戦争反対!皆さん、応援ありがとうございます」
27日午後、若者でごった返す渋谷駅前にウクライナ人女性の言葉が響いた。法務省出入国在留管理庁の統計によると、8000km以上も離れた日本では2020年12月現在、1865人のウクライナ人が暮らしている。別のウクライナ人女性は、涙を流しながらマイクを握った。
「ウクライナにいる人々は私たちの家族です。一人一人が家族です。皆さん、なんとか守ってください。よろしくお願いします」
無所属の自治体議員たちの呼びかけで行われた抗議行動。ハチ公前広場には400人を超える人々が集まり、ロシアによるウクライナ侵攻に抗議の声をあげた。近くではアイドルグループと思われる少女たちがイベント告知のチラシを配り、ファンの男性たちと談笑していた。ユーチューバーとおぼしき男性は、奇抜な格好で撮影をしていた。なかには、抗議集会をバックに自撮りをする若者も。笑顔があふれる〝平和な〟日曜日の渋谷にはしかし、家族の無事を祈り続けるウクライナ人女性たちの姿があった。
ウクライナ西部で生まれたという女性は「祈るしかない」と口にした。
「私は20年くらい日本に住んでいます。家族は今もウクライナで暮らしています。とても心が痛いです。すぐにウクライナに行きたいです。母国を守りたいですが、ここにいると何もできないのが悔しいです。とても悔しいです。祈るしかない。祈りましょう。昨日も大勢の人がここに集まりました。本当にありがとうございます。今日も大勢の人が集まってウクライナを応援してくれて、本当にありがとうございます。本当にありがとうございます」
スピーチのたびに拍手が起こる。この拍手はプーチン大統領の耳に届くだろうか。大寒波が去り、春の暖かさに包まれた渋谷の青空は、ウクライナとつながっている。地下鉄で逃げ込んだ家族に娘の切なる願いは届くだろうか。別の女性は弟の身を案じた。
「私は10年、日本に住んでいます。ウクライナ南部で生まれて両親が住んでいます。弟はキエフで暮らしていて2日間、バスルームで寝ています。本当に危ない状況です。私はどうすれば良いですか?困っています。『戦争反対』と言いたいです」
少しでも安全な場所を、とバスルームを選んだのだろう。しかし、建物自体を爆撃されてしまえば命を落としてしまう。仮に〝安全〟だとして、いつまでバスルームで眠れば平穏な日常が戻って来るのか。日本に居る姉はもちろん、爆音に怯えながら生活している弟にも分からない。
こんな女性の言葉もあった。
「ウクライナは大変なことになりました。姉の家族はバラバラになってしまいました。すごく心配で毎日眠れません。祈っています。早く戦争を止めたいです。早く世界が平和になるようにお願いします。早くやめて欲しいです」
抗議集会開催を呼びかけた山本ひとみさん(東京・武蔵野市議)は「多くのウクライナ国民が殺されています。難民も数多くいます。武力で平和はつくれない。まずは侵略した軍隊が撤退するべきだ。戦争はどんな理由があっても許してはいけない。ウクライナに平和を回復するためには軍隊が撤退しなければならない」と語った。
「反貧困ネットワーク」事務局長の瀬戸大作さんは「戦争も貧困も人を殺す。誰も殺してはいけない。誰も殺すな!としっかりと声をあげていきたい」と呼びかけた。
東京のど真ん中で反戦・非戦を訴えたのはウクライナの人々だけではなかった。〝加害者〟側であるロシアの人々もマイクを握った(つづく)
▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。