煙草の副流煙で「受動喫煙症」などに罹患したとして、隣人が隣人に対して約4,500万円を請求した横浜副流煙裁判の「戦後処理」が、新しい段階に入った。前訴で被告として法廷に立たされた藤井将登さんが、前訴は訴権の濫用にあたるとして、3月14日、日本禁煙学会の作田学理事長ら4人に対して約1,000万円の支払いを求める損害賠償裁判を起こしたのだ。前訴に対する「反訴」である。
原告には、将登さんのほかに妻の敦子さんも加わった。敦子さんは、前訴の被告ではないが、喫煙者の疑いをかけられた上に4年間にわたり裁判の対応を強いられた。それに対する請求である。請求額は、10,276,240円(将登さんが679万6,240円万円、敦子さんが330万円、その他、金員)。
被告は、作田理事長のほかに、前訴の原告3人(福田家の夫妻と娘、仮名)である。前訴で福田家の代理人を務めた2人の弁護士は、被告には含まれていない。
原告の敦子さんと代理人の古川健三弁護士、それに支援者らは14日の午後、横浜地裁を訪れ、訴状を提出した。「支援する会」の石岡淑道代表は、
「禁煙ファシズムに対するはじめての損害賠償裁判です。同じ過ちが繰り返されないように、司法の場で責任を追及したい」
と、話している。
◆医師法20条違反、無診察による診断書の交付
この事件は、本ウエブサイトでも取り上げてきたが、概要を説明しておこう。2017年11月、横浜市青葉区の団地に住む藤井将登さんは、横浜地裁から1通の訴状を受け取った。訴状の原告は、同じマンションの斜め上に住む福田家の3人だった。福田家が請求してきた項目は、次の2点だった。
(1)4,518万円の損害賠償
(2)自宅での喫煙の禁止
将登さんは喫煙者だったが喫煙量は、自宅で1日に2、3本の煙草を吸う程度だった。ヘビースモーカーではない。
喫煙場所は、防音構造になった「音楽室」で、煙が外部へ漏れる余地はなかった。空気中に混合した煙草は、空気清浄器のフィルターに吸収されていた。たとえ煙が外部へ漏れていても、風向きや福田家との距離・位置関係から考えて、人的被害を与えるようなものではなかった。(下写真参照)
福田家の主婦・美津子さんは、「藤井家の煙草の煙が臭い」と繰り返し地元の青葉警察署へ駆け込んだ。その結果、青葉署もしぶしぶ動かざるを得なくなり、2度にわたり藤井さん夫妻を取り調べた。しかし、将登さんがヘビースモーカーである痕跡はなにも出てこなかった。結局、この件では青葉署が藤井夫妻に繰り返し謝罪したのである。
が、それにもかかわらず福田家は裁判を押し進めた。この裁判を全面的に支援したのは、日本禁煙学会の作田学理事長(勤務先は、日本赤十字医療センター)だった。作田医師は、提訴の根拠になった3人の診断書を作成したうえに、繰り返し意見書などを提出した。判決の言い渡しにも姿をみせる熱の入れようだった。自宅での喫煙を禁止する裁判判例がほしかったのではないかと思われる。
ところが審理の中でとんでもない事実が発覚する。まず、福田家の世帯主・原告の潔さんに、25年の喫煙歴があったことが発覚した。「受動喫煙症」に罹患しているという提訴の前提に疑義が生じたのである。また、潔さんの副流煙が妻子の体調不良の原因になった可能性も浮上した。
さらに作田医師が、真希さんの診断書を無診察で交付していたことが発覚したのだ。患者を診察しないで診断書や死亡証明書を交付する行為は医師法20条で禁止されている。これらの証書類を交付するためには、医師が直接患者に対面して、医学上の客観的な事実を確認する必要があるのだ。しかし、作田医師はそれを怠っていた。
福田家は、隣人に対して高額訴訟を起こしてみたものの、訴因となった事実に十分な根拠がないことが分かったのだ。当然、訴えは棄却された。控訴審でも福田家は敗訴して、2020年10月に前訴は終了した。
これら一連の経緯については、筆者の『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』に詳しい。事件の発端から、勝訴までを詳細に記録している。
◆「ごめんなさい」ですむ問題なのか?
その後、藤井さん夫妻は、2021年4月、数名の支援者と一緒に作田医師を虚偽公文書行使の疑いで青葉署へ刑事告発した。青葉署は告発を受理して捜査を開始した。そして2022年1月24日、作田医師を横浜地検へ書類送検した。現在、この刑事事件は横浜地検が取り調べを行っている。
このような一連の流れを受けて藤井さん夫妻は、福田家の3人と作田医師に対して約1000万円の損害賠償を求める裁判を起こしたのである。「支援する会」の石岡代表が言うように、この裁判は「禁煙ファシズム」に対するはじめての損害賠償裁判である。前例のない訴訟だ。
最大の争点になると見られるのは、福田家の娘・真希さんの診断書である。既に述べたように作田医師は、真希さんを診察せずに「受動喫煙症レベルⅣ」「化学物質過敏症」という病名を付した診断書を交付した。そして福田家は、この診断書などを根拠として、高額な金銭請求をしたのである。将登さんの喫煙禁止だけを求めていたのであればまだしも、事実ではないことを根拠に高額な金銭請求をしたのである。この点が最も問題なのだ。
訴因に十分な根拠がないことを福田家の弁護士や作田医師は、提訴前に認識していたのか?たとえ認識していなかったとしても、「ごめんなさい」ですむ問題なのか? これらのテーマが裁判の中でクローズアップされる可能性が高い。
◆訴権の濫用には「反訴」で
筆者は2008年から、高額訴訟を取材するようになった。その糸口となったのは、わたし自身が次々と高額訴訟のターゲットにされた体験があったからだ。2008年から1年半の間に、わたしは読売新聞社から「押し紙」報道に関連した3件の裁判を起こされた。請求額は、総計で約8000万円。読売の代理人は、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。
最初の裁判は、1審から3審までわたしの完全勝訴だった。2件目の裁判は、1審と2審がわたしの勝訴で、3審で最高裁が口頭弁論を開き、判決を高裁へ差し戻した。そして高裁がわたしを敗訴させる判決を下した。3件目の裁判(被告は、黒薮と新潮社)は、1審から3審までわたしの敗訴だった。
3件の裁判が同時進行している時期、わたしは「押し紙」弁護士団の支援を受けて、読売による3件の裁判は「一連一体の言論弾圧」いう観点から、読売新聞に対して5500万円の支払いを求める損害賠償裁判を起こした。しかし、訴権の濫用の認定はハードルが高く敗訴した。喜田村洋一弁護士に対する懲戒請求も申し立てたが、これも棄却された。
筆者は訴権の濫用を食い止めるという意味で、不当裁判の「戦後処理」は極めて大事だと思う。とはいえ、訴権の濫用に対する「反訴」の壁は高い。日本では提訴権が憲法で保証されているからだ。米国のようなスラップ防止法は存在しない。
しかし、だからといって訴権の濫用を放置しておけば、自由闊達な言論の場が消えかねない。「反訴」したり、スラップ禁止法などの制定を求め続けない限り、言論の自由が消滅する危険性がある。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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