判定試合が続いた中で、インパクトあるメインイベントを盛り上げた海老原竜二。落ち着いた経験値ある試合運びで逆転勝利。

一撃必殺の破壊力を持つ田村聖だが、津崎善郎を攻略出来ず、僅差判定負け。

NJKFの野津良太はJ-NETWORKのカズ・ジャンジラに僅差判定負け。

引退試合となる洋介が最後の力を出し切ってでマサ・オオヤに判定勝利。

◎喝采シリーズ 2nd / 4月23日(土)後楽園ホール 17:30~20:46
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第11試合 53.55kg契約 5回戦

NKBバンタム級チャンピオン.海老原竜二(神武館/1990.3.6埼玉県出身/52.95kg)
      VS
NJKFフライ級1位.谷津晴之(新興ムエタイ/2003.5.7神奈川県出身/52.3kg)
勝者:海老原竜二 / TKO 5R 2:07 / レフェリーストップ
主審:前田仁

海老原竜二は昨年12月11日に王座獲得し、初陣となった今回、初回から谷津晴之の右ハイキックでノックダウンを喫する。更にパンチで2度目のノックダウンを喫したところでゴングに救われたが、しっかりした足取りでダメージは軽く、逆転の可能性が大いにあることは感じられた。

谷津晴之のハイキックを貰ってしまう海老原竜二、これでノックダウン

第2ラウンドには距離を保って立て直しを図り、海老原のパンチヒットで谷津は鼻血を流す。第3ラウンドから圧力増した海老原。組み合ってのヒザ蹴りが効果的。谷津はハイキックを狙うが、しっかり見てヒットさせない海老原。

第4ラウンドには谷津をコーナーに詰め、パンチ連打からヒザ蹴り猛攻で2度スタンディングダウンを奪って形勢逆転。第5ラウンドにもヒザ蹴りでノックダウンを奪った後、コーナーに詰めてヒザ蹴りでレフェリーストップに追い込んだ。

海老原竜二は23戦14勝(7KO)9敗。谷津晴之は9戦5勝(1KO)2敗2分。

第4R、コーナーに詰めての猛攻で逆転した海老原竜二

逆にハイキックで谷津晴之を追い詰める海老原竜二

◆第10試合 ミドル級3回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/1988.7.23新潟県出身/72.3kg)
      VS
WBCムエタイ日本スーパーウェルター級4位.津崎善郎(LAILAPS東京北星/1984.12.19長崎県出身/72.55kg)

勝者:津崎善郎 / 判定0-2
主審:加賀見淳
副審:鈴木29-29. 川上29-30. 前田29-30

重い蹴りが交錯するが、展開が傾く大きな動きはない。第3ラウンドに津崎のヒジ打ちで田村の額がカットされると、流血した田村がパンチで圧力を掛けるが、接戦の勝負は僅差で津崎が勝利。

田村聖は23戦13勝(10KO)9敗1分。津崎善郎は21戦10勝(3KO)9敗2分。

先手打つ津崎喜郎の左ジャブがヒット

◆第9試合 ウェルター級3回戦

NJKFウェルター級1位.野津良太(E.S.G/1987.6.18埼玉県出身/66.45kg)
      VS
J-NETWORKウェルター級2位.カズ・ジャンジラ(ジャンジラ/1987.9.2東京都出身/66.05kg)
勝者:カズ・ジャンジラ / 判定0-3
主審:鈴木義和
副審:前田29-30. 川上28-30. 加賀見29-30

野津良太はしぶとさで下がらぬ展開ながら、カズ・ジャンジラが左ストレートの伸びがあり前進に繋げ僅差判定勝利。

野津良太は20戦11勝8敗1分。カズ・ジャンジラは39戦18勝(4KO)16敗5分。

カズ・ジャンジラの攻勢に導く左ストレートが野津良太の胸元にヒット

◆第8試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級4位.佐藤勇士(拳心館/1991.8.12新潟県出身/53.3kg)
      VS
森井翼(テツ/2000.5.31大阪府出身/53.45kg)
勝者:森井翼 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:川上26-30. 前田24-30. 鈴木24-30

各ラウンド、森井翼がスタンディングを含むノックダウンを奪い、最後まで攻めが優って大差判定勝利。

佐藤勇士は15戦6勝(2KO)9敗。森井翼は6戦5勝1分。

ラウンド毎に森井翼がノックダウンを奪って大差判定勝利

◆第7試合 59.0kg契約3回戦

NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/1990.5.6香川県出身/58.7kg)
      VS
KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/58.85kg)
勝者:KEIGO / 判定0-2
主審:前田仁
副審:川上28-28. 鈴木28-29. 加賀見28-29

第2ラウンドにKEIGOがハイキックでノックダウンを奪うが、鎌田政興のダメージは軽く、初回からやや手数多かった流れだったが逆転には至らずKEIGOが判定勝利。

鎌田政興は15戦7勝(2KO)7敗1分。KEIGOは18戦7勝6敗5分。

KEIGOのハイキックが勝利を導くも、鎌田政興の前進が目立った

◆第6試合 58.5kg契約3回戦

半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/58.5kg)
      VS
中田ユウジ(STRUGGLE/1994.7.12東京都出身/58.2kg)
勝者:半澤信也 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田29-28. 加賀見30-29. 川上30-29

半田信也の勢いは少ないがジワジワと前進。距離を詰めてパンチの圧力で中田ユウジを下がらせ僅差の判定勝利。

半澤信也は23戦9勝(4KO)11敗3分。中田ユウジは10戦4勝(1KO)5敗1分

半澤信也の圧力で中田ユウジの前進を阻んだ

◆第5試合 63.0kg契約3回戦

洋介(渡辺/1980.9.26千葉県出身/62.55kg)
      VS
マサ・オオヤ(八王子FSG/1974.6.19福島県出身/62.95kg)
勝者:洋介 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木30-27. 川上30-28. 加賀見30-28

我武者羅な前進のマサ・オオヤに、洋介が蹴りで積極的に攻め、激しさを増すが的確さとパワーが弱く、スタミナのある限り手数を出す両者。前進と手数で優った洋介が判定勝利。有終の美を飾った。

洋介は17戦9勝(4KO)8敗。マサ・オオヤは21戦5勝13敗3分。

洋介の左ストレートがヒット、積極的展開で引退試合を飾った

最後の勝利者ポーズ、引退試合を飾った洋介

◆第4試合 フェザー級3回戦

山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/57.05kg)
      VS
杉山茅尋(HEAT/2001.11.30静岡県出身/56.95kg)
勝者:山本太一 / TKO 2R 0:01 (1R終了)
主審:加賀見淳

山本太一のヒジ打ちで杉山茅尋は鼻骨骨折の様子、第2ラウンド開始時にドクターの勧告を受入れレフェリーストップ。

山本太一は12戦5勝(4KO)4敗3分。杉山茅尋は9戦3勝5敗1分。

◆第3試合 女子 53.0kg契約3回戦(2分制) デビュー戦同士

KARIN(=勝又香琳/HEAT/2007.2.15静岡県出身/52.4kg)
      VS
Mickey(PIRIKA TP/1992.12.11福岡県出身/52.85kg)
勝者:Mickey / 判定0-3 (27-30. 28-30. 28-30)

◆第2試合 65.5kg契約3回戦

ゆうき(BIG MOOSE/1998.5.8千葉県出身/65.25kg)
      VS
ちさとkiss Me!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/64.5kg)
勝者:ちさとkiss Me! / TKO 1R 2:17

ゆうきが蹴ると自らの脛の負傷でカウント中のレフェリーストップ

◆第1試合 ライト級3回戦 佐々木健はデビュー戦  

木村郁翔(BIG MOOSE/2000.12.27千葉県出身/61.85kg)
      VS
佐々木健(ナインパック/1991.10.24東京都出身/59.75kg)
勝者:木村郁翔 / 判定2-0 (28-28. 30-28. 29-28)

※ハリィ永田(Astra workout/50.6kg)EX秦文也(テツ)
ハリィ永田と対戦予定だった加藤洋介(チームドラゴン)欠場の為、エキシビジョンマッチ2回戦へ変更。

※58.0kg契約/勇志(テツ)vs川口惣次郎(ツクモ)は川口の体調不良による欠場で中止。

《取材戦記》

劇的逆転ノックアウトとなった海老原竜二。昨年12月11日に左ハイキック一発で龍太郎(真門)を倒して王座獲得し、今回は初回から谷津晴之の右ハイキックでノックダウンを喫してしまった。

もし軽いパンチでも3ノックダウンに至ったら、あっけない幕切れとなっていただろう。第1ラウンド、「ハイキックは見えなかった」と語った海老原。その後、食わなかったのはベテランの冷静さ経験値が上回った流れだった。最初から3回戦制だったら戦略も変わっていたでしょうが、5回戦制だから見られた劇的逆転ノックアウトとなりました。

ライト級の洋介が引退試合と銘打たれていました。2006年12月デビューで、王座挑戦までは敵いませんでしたが、しぶとく我慢強い選手でした。渡辺信久会長の昭和の頑固指導の下、過去にもしぶとい展開を見せる選手が多かった創設50年を超える名門ジムです。

日本キックボクシング連盟次回興行は6月18日(土)に後楽園ホールに於いて喝采シリーズvol.3が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

4月26日はチェルノブイリ(現・チェルノービリ)原発の大事故から36年です。筆者はこの日、島根原発の再稼働問題で揺れる広島県北部に街宣や挨拶回りにうかがいました。広島県北部はこのほか、直近ではJR芸備線の存廃問題で揺れています。JR西日本は先日、芸備線をふくむ地方路線のコストパフォーマンスを発表。芸備線も区間による程度の差はあれ、大赤字と公表されています。こうした中で筆者は芸備線始発で自宅最寄りの矢賀駅(広島市東区)から三次駅まで移動しました。

始発列車は気動車の2両編成。5時43分、矢賀駅を出発しました。当初は、始発とあって、筆者以外にはあまり人が乗っていませんでした。

 

◆河井事件の「余震」おさまらぬ安佐北区

列車は矢賀を出ると、戸坂(へさか)、そして、先日補欠選挙があった安芸矢口へと進みます。安芸矢口からは安佐北区です。安芸矢口駅は西日本大水害2018で壊滅的な被害にあった地域です。筆者はこの地域でボランティア活動に従事。熱中症でぶっ倒れ、伊藤昭善市議に手厚くお世話をしていただきました。その伊藤市議が河井夫妻からお金をもらい、現在も裁判で争っておられます。この状況に筆者は、筆舌に尽くしがたいほど困惑しています。

補選のほうは、筆者が支援した原田よしこさんは、健闘したものの4位。当選は保守系無所属のお二人、という結果になりました。支持者同士の人脈がかさなる共産党候補と合わせればトップ当選になる状況でもあり、ちょっと悔やまれます。

▼安佐北区補選開票結果 2022年4月24日執行
山下 まさひろ 6335 保守系無所属 立憲森本参院議員支援
三宅 あきみつ 4322 保守系無所属 自民主流・一部立憲市議支援
清水 てい子  3996 日本共産党
原田 よしこ  3737 市民派無所属 一部立憲衆院候補・筆者(れいわ)支援
正木 あつし  1657 無所属 元リコールされた県議
かとう万蔵   1205 無所属元職  
大田 清     587 無所属 安芸区でも立候補

さて、芸備線は単線ですので、結構すれ違いで時間を消費します。

広島方面下り列車とすれ違っている様子です。芸備線は広島方面が下り、三次・新見方面が上りです。大都市の広島から山岳地帯に向かうのに上り列車というのも変な感じはうけますが、東京にちかいほうが上り、と決まっているのだから仕方がありません。

◆安佐北区北部は農村地帯

安佐北区北部はもう、大都市とは思えないような農村地帯です。太田川の支流の三篠川流域にあたります。このあたりも西日本大水害2018では鉄橋が流されるなど大きな被害を受けました。

このあたりでは、県の北部の高校に通う制服姿の若い方がパラパラと乗車してこられますがやはり、まだまだ早い時間帯とあって、乗客は少なめです。

広島県は実をいうと、伝統的には、北へいけばいくほど米所です。古代は北部のほうに、出雲と連動するような形で文明が栄えたといわれています。

◆安芸高田市からは江の川流域に

列車は井原市を過ぎると安芸高田市に入ります。ここからは広島県北部。日本海に注ぐ江の川流域にはいります。西日本大水害2018では江の川上流の広島県に降った大雨は時間が経ってから島根県を直撃。大被害をもたらしました。ここからも、水田が続きます。

 

◆毛利元就ゆかりの「吉田口」からは女子高校生多数乗車

 

そして安芸高田市の中心部に近い吉田口駅は25年前の大河ドラマの主人公「毛利元就」の本拠地のすぐ近くです。またJ1のサンフレッチェ広島の練習場もこの安芸高田市にあります。

この吉田口駅では女子高校生多数が乗車してこられました。三次市内の県立高校の制服です。このあたりから、芸備線で通学されている方も多いようです。この区間は100円を稼ぐのに600円近くかかると、JR西日本は試算しています。

しかし、通学手段ということを考えればこの区間を廃止するのは暴論もいいところでしょう。そもそも、移動の権利を保障するということであれば、赤字だから廃止する、というのはおかしい。さりとて、現にJRという民間会社が運営している。

そうであるならば、欧州でやっているような線路など「下」は国や県が保有し、列車の運行など運営をJRがやる「上下分離方式」で存続を図るのがおとしどころではないかと思いました。そして、行き先の地域ではそういう内容も演説に含めよう、と高校生の姿を拝見して考えました。

ちなみに、この安芸高田市もご多分に漏れず、高田郡全ての町を合併してできた市です。具体的には吉田町、八千代町、高宮町、美登里町、甲田町、向原町です。
安芸高田市では当時は県議だった児玉市長が克行受刑者からお金をもらったとして辞職。その後、若い石丸市長が出直し選挙で当選していますが、議会多数派との対立で苦労しておられます。

◆三次駅前はきれいになったが閑散

列車は安芸高田市から三次市へと入ります。やはり、水田が続きます。途中の駅でも続々と高校生が乗ってこられました。そして、7時半ころ、列車は終点の三次駅に到着しました。

三次駅前は筆者が県庁マンとしてこの地に勤務していた2002―2005年度ころにくらべると再開発でこぎれいな感じになっていました。しかし、人通り、車通りとも閑散としていました。三次市の人口も合併された地域を中心に大きく減少していたこと影響は明らかです。

 

わたしは、この日は、まず、三次市役所前で街頭演説。「合併で職員を減らした上に、さらに国や都道府県の仕事を丸投げした地方分権」の弊害を指摘。
「職員の皆様が市民のために安心して仕事ができるよう、減らしすぎた公務員は非正規を正規にするなども含めてふやしていく」
「公務員という形で増えれば地域に若者もやってきて活気が出る」
「食料の安全保障のため、農業だけでなく畜産業など食料を生産する人に所得とコストの保障をがつんと財政出動でおこなう。」
「地方に手厚い政策は、全ての政党の中でれいわ新選組こそ一番、参院選広島にエントリーを検討している人の中ではさとうしゅういちこそ一番だと確信している。」
などと力をこめながら登庁してこられる職員の皆様にビラをお渡ししました。

一方で「介護や保育などの給料が仕事のわりにひくすぎることに気づいたのはこの地で介護保険行政に携わっていた時代のこと。職員の皆様にもぜひ、介護、保育現場の公務員並への給料アップにご協力を」などと懇願しました。


◎[参考動画]さとうしゅういち 介護福祉士・元県庁マンIN三次市役所前 ガツンと財政出動で公務員が安心して市民のために仕事ができる政治/チェルノブイリ(チェルノービリ)原発事故から36年

幹部職員の方からも「がんばってください」と激励をいただきました。また、この日はチェルノブイリデーでした。この三次市は脱原発をはじめて広島の運動に本格的に採用した森瀧市郎先生の故郷でもあります。

筆者はそのことも紹介しつつ、「ロシアのウクライナ侵攻で原発こそ人類の安全保障の弱点とわかった。原発は廃止を。」「中国電力は先週の日曜日=17日に太陽光発電の電気が余って却って停電をおこすおそれがあるとして出力調整をした。」ことに言及。「やるべきことは、島根原発2号機の再稼働ではない。スマートグリッドや蓄電池の整備などに投資をすること。廃炉を世界に先んじてビジネスとして確立することだ。」などと力をこめました。

三次駅前では芸備線の存廃問題に言及。「上下分離方式」で存続を図るべきだということ。そもそも、地方を衰退させるようなこの20―30年の政策を改めるべきだ、などとボルテージを上げました。

この日はまるで天佑のように市役所前と駅前での演説中は雨が気にならない程度に弱まっていました。しかし、その後は再び大雨になりました。それでも予告していた場所での演説は決行。

◆庄原へは芸備線の本数が少ないためクルマで移動

 

隣の庄原市も含めて、旧知の自営業者や地方議員などへの挨拶回りも行いました。なお、庄原市への移動は支持者の方の車でさせていただきました。三次から先は芸備線の本数が少ないからです。やはり、この区間では本数が少ないから利用者が少ない、という悪循環も感じます。上下分離方式で備後庄原までは最悪でも維持していただきたいものです。

この庄原市議会は、3月議会では島根原発2号機再稼働反対の決議を出しています。他方で、前市長がバイオマス事業で市に大損を与えた問題では、住民が市長に対して市が損害賠償請求するよう市にもとめた裁判で勝訴しました。にもかかわらず、控訴する議案を市議会がわたしの来訪の前日に可決するという信じられない事件も起きています。いつまで、前市長を議会の多数派はかばいつづけるのでしょうか?島根原発の再稼働反対の決議のことで庄原市議会を街頭演説で褒めたわたしは、ちょっと裏切られた気分でした。

大雨で交通が乱れるおそれが出てきた15時に今度はバスでこの地から引き上げました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

「人間というのは、自分のやったことを決着できるから生きられる。決着できないで、自分の中にずっと持ち続け生活していくということは、辛いことだと思う。自分が昔泥棒した事実は消えない。もし、その泥棒で誰かの人生が変わったら、取り返しがつかない。
 犯罪とは、そういうことだと思ったら、(布川事件の)真犯人が逮捕されず刑務所に行かなかったら、『あんた気の毒だね』と考えてしまう。(真犯人が)決着をつけていたら、また違う人生があったかもしれない」

冤罪・布川事件で29年間服役し、その後再審で無罪が確定、国賠訴訟で完全勝利を勝ち取った桜井昌司さんの言葉だ。「悪いこと」をして、誰かの人生を変えてしまったら、取り返しがつかないし、自身も決着できない。そして人生を前に進めることもできない……。

◆突然の逮捕で教職を奪われた橋本さん

京都の高校教諭・橋本幸樹さん(当時32歳)が「京都府迷惑行為防止条例違反」で逮捕されたのは、2018年9月25日のこと。5月頃から9月までの間に、通勤の電車内で男子高校生に20回痴漢行為を行ったとされた。身に覚えのない橋本さんは、一貫して否認を続けたが逮捕・起訴され、一審・京都地裁の戸﨑涼子判事、二審・大阪高裁・三浦透裁判長は、橋本さんに有罪判決(懲役6月・執行猶予3年)を下し、上告審も棄却され、橋本さんの有罪判決が確定した。執行猶予付きというものの、有罪判決をうけた橋本さんは教職を奪われた。当時、高校3年生を担当し、本格化する受験シーズンを前に生徒を励まし、教師として充実した日々を送っていたのに……。

一審(京都地裁・戸﨑涼子判事)も二審(大阪高裁・三浦透裁判長)も有罪判決を下し、上告審も棄却され、橋本さんの有罪判決が確定した(写真は京都地裁)

◆20回も痴漢被害にあったと主張する男子高校生A

橋本さんが通勤で最寄り駅から乗る電車は、7時台のα電車かβ電車であり、電車に乗る際はすぐ降車駅で降りられるよう列の最後に並び、ドア付近に乗り込む習慣があった。一方、最寄り駅が同じA(当時15歳)は、橋本さんが逮捕される5月頃から9月までの間に、いつもα電車で通学しており約20回痴漢被害にあったと主張した(なお、Aはα電車以外で通学することは稀だったと証言している)。Aから被害を聞いた教師が両親に連絡したため、Aの母親は、Aに対して証拠を撮影するよう指示した。

6月11日、Aは同じ車両にいる橋本さんの姿を撮影した。少年と離れて立つだけの橋本さんの姿の写真を見た母親は、加害者の顔や被害にあっている場面を撮影するよう指示した。

6月13日、Aは、いつも通り最後にドア付近に乗車した橋本さんの後から、一番ドア側に後ろ向きで乗り込み、動画の撮影をはじめた。そこには、橋本さんが、右肩にかけた鞄を腕で挟みながら手すりに手を置いている様子や、Aが橋本さんの手の方に体の向きを変え接近させるような様子が映り込んでいた。動画には、橋本さんが手を動かす不審な様子は映り込んでいない。それどころか、手を反射的に回避させる様子が映り込んでいた(これらの点は高裁判決も認定している)。

◆被害申告の経緯と事件化

6月29日夜8時頃、最寄り駅で降りた後、橋本さんと遭遇したAは、「いま痴漢の犯人に後をつけられている」「駅まで迎えにきて」と母親に電話をし、駅前の駐車場から去る橋本さんの車のナンバーを母親にラインで送信している。翌日、この「つきまとい事件」に驚いたAの両親は、警察署に慌てて被害届を提出することにした。

このときになってはじめてAは、2週間前に撮影した動画を警察に提出した。こうした経緯で、この「事件」が表面化することになったのである(実は、被害申告のために両親が警察に行った際、当事者であるのにも関わらずAは家で寝ていたという。当時のAの様子について、母親は「警察に行くことを拒んでいた」と供述している。当事者として警察に呼び出されてはじめて、Aは警察署に赴いたのである)。

この日、警察官は、被害を避けるために橋本さんよりα電車より早い電車に乗るよう指示している。A自身も警察の指示に従い乗る電車を早めたという。しかし、α電車に乗らなくなったはずのAは、この日以降も、9月下旬までに約10回程度被害にあったと主張している。後に、弁護団が橋本さんの通勤履歴を精査したが、橋本さんがAに合わせて通勤で乗る電車の時間を早めた形跡はない。つまり、被害状況についてAの主張は自己矛盾していることになる。

橋本さんが教師であることを警察が知ったのは、Aの父親が橋本さんを降車駅で張り込み、職場の前まで追跡したためである。その報告を知った警察が色めき立ったことはいうまでもない。警察は、「高校教師による特定男性高校生への連続痴漢事件」として、杜撰な捜査に突き進んでいく。

◆同行警乗で痴漢を現認できなかった警察官

8月に入り、警察官らは、橋本さんの「行動確認」を行ったが、橋本さんの行動に特段不審な点はなかった。そこで、9月20日と21日に、警察官らは、延べ7名で同行警乗(2日間で合計40分間)を実施した。Aと一緒に電車に乗り、橋本さんの痴漢行為を現認し現行犯逮捕するためだ。

同行警乗の際、いつも通り最後に電車に乗った橋本さんと同じ車両に、Aや警察官らが乗り込み、警察官らは橋本さんを現行犯逮捕すべく注視していた。しかし、警察官らは誰一人として橋本さんを現行犯逮捕することができなかった。また、この同行警乗では、Aより先に電車を降りた橋本さんの後を2名の警察官が尾行している。Aと一緒に電車に乗っていた警察官が、Aから「痴漢された」と被害申告を受けた場合に備えるもので、被害があった場合、橋本さんを尾行する警察官が準現行犯逮捕するつもりだったのだろう。しかし、2日間とも準現行犯逮捕すら行われなかった。

証拠開示で明らかになったことだが、9月25日、同行警乗した警察官らは、「(同行警乗で)痴漢行為を現認できなかった」との捜査報告書を作成している。この捜査報告書と現行犯逮捕及び準現行犯逮捕がなかった事実からは、警察官らは「犯行を現認していない」「Aから被害申告がなかった」と結論づけることができる。そこに事件性は全くない。

ところが、9月20、21日の同行警乗で「痴漢行為を現認できなかった」警察は、例の6月13日に撮影された動画を証拠に、6月の件で橋本さんを通常逮捕することに踏み切ったのである。6月の件で逮捕すれば、橋本さんが犯行を「自白」すると見込んでいたのだろう。当然ながら、無実である橋本さんは一貫して容疑を否認した。

◆別人の証拠を提出するA

橋本さんが通常逮捕された翌日、警察に呼ばれたAは、もう一つ「証拠」を警察に提出した。それは、格子柄のシャツを着た「犯人」とされる人物が、電車内のロングシートに座っているように見える画像だった。この画像は、警察官らが同行警乗した9月20日にAが携帯電話で撮影したもので、Aは自分の立ち位置や股間の位置、犯人の手の位置などを具体的に説明し、同行警乗の際に被害あった証拠であると申告した。

ここにきてもう読者の皆さんの頭には疑問が浮かんでいるのではないだろうか。まず、痴漢の被害があったとすれば、当然ながらAも橋本さんも立っているはずである。さらに、橋本さんを注視していた警察官らは、当日の橋本さんの服装を明確に覚えていたはずだ。しかし、驚くべきことに、橋本さんが格子柄のシャツは着ていなかった事実が後に発覚している。それにも関わらず、同行警乗した警察官らは誰も異議を唱えず、この写真を「証拠」として採用し、否認する橋本さんを9月の件でも再逮捕したのである。

公判になって、Aはこの写真に映る人物が別人であることを認めている。被害者が提出した被害を受けている場面とする証拠画像が別人であることなど起こり得るだろうか。

◆「写真が君でないなら、犯人じゃないね」と検察官

橋本さんは、この別人の写真を再逮捕後の検察官の取り調べで初めて見せられた。「これ、橋本さんですか」「いえ、違います」「橋本さんでなかったら犯人でないことになりますね……」。検察官は戸惑うように橋本さんにそう言ったという。

写真の人物が橋本さんと別人の可能性があると知った警察は、慌てて橋本さんの家を捜索し、必死で「格子柄のシャツ」を探したが、シャツは出てこなかった。この時点で警察官も検察官も、Aの両親や教師などの大人に相談したり、あるいは少年に直接どういうことか尋ねてみたりするなどし、虚心坦懐に捜査を尽くすべきだった。当時、Aは中学生から高校生になったばかりの年齢である。友達とのライン履歴には「痴漢にあっている爆笑」「ストーカーしたった爆笑」など、真に「被害」にあっていると思えないやりとりが残っている。

6月29日の「つきまとい事件」を契機に、両親が被害届を提出、「警察沙汰」にまで発展してしまったが、Aは当初警察に行くことを拒んでいたのである。ならば、警察、検察、そして両親は、Aが本当に痴漢にあったのか問い正すべきではなかったか。

しかし、警察は、そうはせず、なんと同行警乗から1か月後の10月下旬になって、突如として「犯行目撃状況再現」なるものを実施し、「犯行を現認した」とする報告書を作成したのである。

◆裁判で次々と明らかになった少年のウソ

最寄り駅の防犯カメラ

Aの提出した画像に映る人物が別人であったことや、Aのいう被害状況に矛盾が生じていることは既に述べたとおりである。実は、それ以外にも、裁判では、Aのウソが次々と明らかになっている。

Aが友達に送っていたライン履歴を弁護団と橋本さんが精査した(Aの履歴から橋本さんが電車の乗っている時間帯に、Aが学校にいたことなどを客観的に裏付けていった)ところ、橋本さんとAが同じ電車に乗った日は、せいぜい4日(「被害」があったとする日を含めても6日)しかないことや、そもそもAがα電車に乗っていない日が多数あることが判明したのである。

つまり、いつもα電車に乗って通学していたというAの主張は、客観事実に反することが明らかになったのである。そのような状況で、どうして橋本さんとAが同じ電車に同乗し、5月頃から9月までの間に被害に20回もあうことが起こるのか。

さらに、6月29日の橋本さんによる「つきまとい事件」では、最寄り駅の防犯カメラ映像には、橋本さんの後ろをAが母親に電話をしながら歩く様子が映りこんでいた。なんと、Aは、橋本さんの後ろを歩きながら、母親に「あとをつけられている」「迎えにきて」と電話していたのである。

最寄り駅の防犯カメラ

Aは、最寄り駅の改札を出た橋本さんが駅前スーパーで買い物をしたあと、駅前駐車場から車を出す際も、橋本さんを待ち構えたり、橋本さんの車のナンバーを確認し母親に送ったりしている。橋本さんを執拗に付け回していたのはAだったのだ。

しかし、これらのAの嘘を、一審判決は「(被害回数の齟齬については)その程度はささいな違いに過ぎない」、「弁護人の指摘する程度の食い違いがあることをもって6月29日の出来事をAの自作自演であるということはできない」と不合理に救済し、弁護人の客観証拠に基づく主張は排斥されてしまったのである。

紙面の関係で詳細は書けないが、Aと同様、いやそれ以上に悪質なのは、警察、検察、裁判官だ。警察は、同行警乗で「痴漢行為を現認できなかった」としていた報告書を、何の合理的理由もなしに「現認できた」と変遷させ、法廷で偽証までした。A及び警察官の虚偽証言を薄々感じていたであろう検察官は、証人尋問でAや警察官らの矛盾する証言を必死で救済した。

一度逮捕・起訴したのちに「間違いだった」と認めたくない警察、検察、そして裁判官は、執行猶予付きの有罪判決で教職を奪われた橋本さんの人生にどう責任をとるつもりなのか。

冒頭の桜井さんの言葉からすれば、既に青年になったAも、橋本さんの職を奪い、人生を大きく狂わせてしまったことをどう思うのか。事件を知っている人、Aの近くにいた関係者に是非この記事を読んで欲しい。そしてどうか真実を語って欲しい。人生を前に進めるために。

(本事件のさらなる詳細は後日、月刊『紙の爆弾』に掲載予定です)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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ウクライナの戦火を日々見ると自然に、かつてよく聴いた反戦歌を思い出します。

まずは『戦争は知らない』。

よく『戦争を知らない子どもたち』と間違えられますが、違います。『戦争は知らない』は、それよりも先にベトナム戦争真っ盛りの1967年にシングルカットされ、発売されます。作詞は、演劇の世界に新たな境地を開拓した劇団『天井桟敷』の寺山修司、歌は『たそがれの御堂筋』で有名な坂本スミ子(古い!)。意外な組み合わせです。寺山修司は、いわゆるアングラ演劇の教祖ともされる人物ですが、彼がこのように純な歌詞を書いたのも意外ですし、また坂本スミ子に歌わせたのも意外、歌謡曲として売り出そうとしたのでしょうか。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル)が歌いますが、こちらがポピュラーです。いわば「反戦フォーク」として知られています。私は坂本スミ子が歌ったのを知りませんでしたが、『この人に聞きたい青春時代〈2〉』のインタビューの際に、フォークルのメンバーだった端田宣彦(はしだのりひこ)さんから直接お聞きしました。

[左上]坂本スミ子『戦争は知らない』(1967年1月)と[左下]ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争は知らない』(1968年11月)のEPレコードジャケット。[右]『この人に聞きたい青春時代〈2〉』(2001年鹿砦社)


◎[参考動画]ザ・フォーク・クルセダーズ 戦争は知らない (1968年11月10日発売/東芝Capitol CP-1035)作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ/編曲:青木望

♪野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの

見ていてください 遙かな父さん
いわし雲飛ぶ 空の下
戦さ知らずに 20歳になって
嫁いで母に 母になるの

野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

なお、下の画像は1970年に反戦活動で逮捕され抗議の意志表示をする女優ジェーン・フォンダ(鹿砦社刊『マグショット』より)。ジェーン・フォンダはべ平連の招請で来日し、今はなき同志社大学学生会館ホールで講演、ミーハーな私も拝見させていただきました。ものすごく輝いていた印象が残っています。

1970年、反戦活動で逮捕され抗議の意志表示をする女優ジェーン・フォンダ(鹿砦社刊『マグショット』より)


◎[参考動画]Jane Fonda in North Vietnam 1972

◎[リンク]今こそ反戦歌を!

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プーチンのウクライナ侵略戦争をめぐって、日本の左派陣営に議論が巻き起こっている。史実・事実関係もふくめて、かなり錯綜したものになっているので解説しておきたい。

◆帝国主義間戦争なのか?

まず、戦争の原因から解き起こし、戦争の性格を帝国主義間戦争(覇権争奪)だとするものだ。

NATO(アメリカ)の東進政策がウクライナにおよび、ゼレンスキー政権のNATO加入方針がプーチンを刺激し、東ウクライナの確保のために軍事行動を起こした。したがってロシアも悪いがアメリカも悪い。したがって、ウクライナ人民と連帯し、帝国主義の両陣営を撤退させなければならない。そのためにプロレタリア国際主義で、各国の人民が自国帝国主義を打倒するべきだと。

レーニンの「帝国主義と民族植民地問題」「革命的祖国敗北主義」「多民族を抑圧するプロレタリアートは自由を獲得できない」「プロレタリア革命によってのみ、戦争は廃絶できる」という、戦争にたいするプロレタリアートの原則的な見地である。

あまりにも原則的なこの見地は、しかし現実にはロシア軍の狂暴かつ残虐な侵略行為を、ただちに押しとどめることは出来ない。原則である「プロレタリア国際主義」の具体性がどこにあるのか。論者は説明できないであろう。かれらの頭の中にしかないからだ。

◆侵略戦争に抗する救国独立戦争は第三次世界大戦を招きかねない

いっぽう、ロシアの領土併呑・侵略戦争であるという見地がある。戦争の遠因はどうであれ、現実に侵攻してきたのはロシアであって、アメリカもNATOも軍事介入はしていない。したがって、ウクライナの戦いは救国・独立戦争であると。

かつて、日本が中国を侵略したとき、中国は国共合作で抗日救国戦争を戦った。あるいはナチスドイツの東方侵略に対して、ソ連は大祖国戦争としてドイツの侵略をくつがえした。ウクライナの戦いは、これらと同じ正当な戦争だというものだ。筆者もじつはこの立場である。

この立場はしかし、危うい側面を抱え込むことになる。ウクライナへの武器供与を、NATO軍の参戦とみなしたロシアによる戦線の拡大である。

チェコの戦車提供につづき、スロバキアも旧ソ連の高性能地対空ミサイルS300を提供したと発表した(4月8日)。S300は射程が非常に長く、航空機や巡航ミサイルを撃墜する能力を持つとされる。

これらの武器供給をもって、ロシアがNATO諸国への攻撃に踏み切った場合、第三次世界大戦の契機となりかねない。これから先、世界は危うい局面をたどることであろう。

◆無抵抗主義で戦争は終わらせられるのか

もうひとつの議論に、侵略軍にたいする無抵抗主義、もしくは人命を守るためにプーチンに降伏せよ、というものがある。日本の市民運動の中で、あるいは平和学研究のなかで練られてきた「非暴力の抵抗運動」である。

「紙の爆弾」最新号(5月7日発行)でも、浅野健一が伊勢崎賢治(平和構築学)の言葉を紹介している。

「国民に武器を与え、火炎瓶の作り方まで教えて『徹底抗戦』を呼び掛けた」のは「一番やってはいけないこと。市民に呼び掛けるのなら、非暴力の抵抗運動だ」と、ゼレンスキー政権の抗露戦争の呼びかけを批判している。

しかし、これはキーウ近郊でロシア軍の大量虐殺が明らかになった今も、有効な抵抗運動と云えるのだろうか。ロシア軍の大量虐殺が、武器を持った抵抗になされたものか、無抵抗の者たちを後ろ手に縛って射殺したのかは、その戦争犯罪が解明されなければわからない。

しかし、現実に大量虐殺(遺体の焼却や埋設)が行なわれ、ウクライナ人の強制連行(ロシアへの強制移住)が行なわれているのは事実だ。そしてキーウを攻囲しようとしていたロシア軍が、ウクライナ軍とキーウ市民の激しい抵抗で押し戻され、撤退したのも事実である。

してみると、日本の市民運動や平和学が説く「無抵抗主義」が何の効力もないことがわかってくる。どこまでいっても、平和な日本における無抵抗不服従にすぎないのではないか。現実には、激しい武力をともなう抵抗がロシア軍を撤退させたのだ。

ウクライナの武力をともなう抵抗運動を、日本の市民運動家は太平洋戦争中の日本になぞらえることがある。いわく「欲しがりません、勝つまでは」「竹槍で戦うのと同じだ」という(「テオリア」への池田五律の寄稿)。

だが、彼らはけっして、ナチスに抵抗したヨーロッパのレジスタンスやソ連の大祖国戦争を引き合いには出さない。引き合いに出せないのであろう。

今回のウクライナ独立戦争(ゼレンスキー)は、日本(侵略国)の無謀な戦争継続とは明らかに違い、むしろナチスドイツへの抵抗戦争と同じ構造なのである。あるいは日本の侵略と戦った、中国人民の抗日救国戦争と同じである。

侵略者殺さなければ虐殺される、あるいは無抵抗のまま強制連行される戦争のなかで、無抵抗を呼び掛けるのは人間の尊厳を欠いたものとは言えないだろうか。抵抗の方法を決めるのは、われわれではなくウクライナ国民なのである。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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横浜第3検察審査会は4月14日、横浜副流煙事件の元被告らによる刑事告発を受けて横浜地検が下した「不起訴」処分を、「不当」とする議決を下した。

◎議決の全文 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2022/04/mdk220420.pdf

この事件は、煙草の副流煙で「受動喫煙症」に罹患したとして、Aさん一家が隣人の藤井将登さんに対して4518万円の損害賠償を求めた裁判に端を発する。請求は棄却された。判決の中で、裁判所はAさんらが提訴の根拠とした診断書のうち1通(娘の診断書)が、無診察の状態で交付されていたことを事実認定した。(医師法20条違反)。診断書を作成した作田医師の医療行為を問題視した。

 

ニューソク通信に出演中の藤井さん(左)と、支援する会・石岡代表(右)

作田氏は、A家の娘と面識もなければ、オンラインで言葉を交わしたこともなかった。高齢の両親から懇願されて、娘の診断書を交付したのである。A家は、この虚偽診断書を高額請求の根拠とした。しかし、提訴の訴因に事実的根拠はなかったのである。

裁判所が4518万円を請求する裁判を棄却すると、藤井さん夫妻は、訴権の濫用に対する「戦後処理」に入った。妻・敦子さんは、作田医師に対する刑事告発を検討するようになった。一部の医療関係者からは、敦子さんの方針を支持する声があがった。

そして2021年春、藤井さん夫妻と数人の支援者が神奈川県警青葉警察署に、作田医師とA家の3人を被告発人とする刑事告発を行ったのである。

容疑は、虚偽診断書行使罪である。青葉警察署の刑事は約半年をかけて、念入りにこの事件を調査した。そして2021年1月に作田医師を横浜地検へ書類送検した。

ところが、この事件を担当した横浜地検の岡田万佑子検事は、3月15日に作田学医師を不起訴とする処分を下した。

◎[参考記事]岡田万祐子検事が作田学・日本禁煙学会理事長を不起訴に ── 横浜副流煙事件、権力構造を維持するための2つのトリック

◆作田医師、アメブロで虚勢を張る

岡田検事が下した不起訴処分に作田医師は、元気づけられたのか、みずからの「アメブロ」にコメントを発表した。藤井さん夫妻に対して、「ファイティング・ポーズ」をとり、反撃の姿勢を宣言したのである。記事のタイトルは、「 当然ながら検察庁の『不起訴』が決定しましたので、ご安心ください(作田 学)」。このタイトルの下に、処分通知書の写真を貼り付けて公表した。(下記の写真)

以下、次のように述べている。全文を紹介しよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・【引用】・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 本件では、告発や起訴される理由は全く何も無く、事実無根なので、当然ながら検察庁の「不起訴」が決定いたしました。ご安心ください。
 尋常を外れた虚偽告発、名誉棄損、誹謗中傷、個人攻撃を執拗に繰り返しているようですが、YouTube配信が停止とされたり、メディアも全く相手にしなくなっているようで、当方としてもこのようなフェイク(嘘)には一切係わらないことが賢明と思うところです。
 今国会で「改正侮辱罪」が可決成立し、このような侮辱行為には「1年以下の懲役・禁錮または30万円以下の罰金」が7月までに施行される見通しとのことですので、諸々よろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・【引用おわり】・・・・・・・・・・・・・・・・・

◎【作田氏のアメブロ】https://ameblo.jp/tobaccofree-202105/

作田医師は、暗黙のうちに藤井夫妻に対して「侮辱罪」で刑事告訴することをほのめかしてきたのである。これには藤井敦子さんも、一瞬、たじたじとなったようだった。支援者と話し合って検察審査会に審査を求めることを決めた。とはいえ検察審査会が検察の処分に対して疑義を議決することはめったにない。それに4月16日の時効まで30日ほどしか残っていなかった。それまでに検察が起訴しなければこの刑事事件は終わる。

しかし、藤井さんらにとって、横浜地検の処分に対する自分たちの見解を表明して、記録として残しておくことは重要だった。「禁煙ファシズム」に対する責任追及を今後も続けるからだ。

そこで藤井さんらは、横浜検察審査会に対する審査理由書を作成した。その骨子は、①不起訴が判例違反であることの説明、②診断書の所見における具体的な虚偽記述の指摘、③医師法20条の法解釈に関する私見、④岡田検事が処分を決める際に、厚労省に相談した事実の提示、の4点である。

◎【審査申立理由書】http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2022/03/mdk220321-2.pdf

◆損害賠償裁判と医道審議会

横浜第3検察審査会が、時効が成立する前に、不起訴不当の決議を下した意味は大きい。横浜地検が作田医師らを再捜査して起訴する時間は残されていないが、藤井さんたちの「禁煙ファシズム」解体運動に影響を及ぼしそうだ。

たとえば、今後、作田医師を厚労省の医道審議会に告発する際の有力は証拠となる。医道審議会は、医療関係者の不祥事を処分する機関である。形骸化しているとの批判もあるが、診断書の偽造は大変な不祥事なので、まったく関与しないわけにはいかないだろう。

一方、横浜副流煙事件の舞台は、藤井さん夫妻が3月に起こした作田医師らに対する損害賠償裁判に移る。この裁判でも、検察審査会の議決は、作田医師らの方針の不当性を裏付ける有力な証拠になる。

第1回口頭弁論は、5月10日、午前10時半から横浜地裁609号法廷で始まる。

※筆者は分煙に賛成の立場である。煙草も吸わない。しかし、法律による喫煙者の取り締まりには反対の立場である。作田医師らが推進している「喫煙撲滅運動」に違和感を感じる。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

◆挑戦者の道

過去、「チャンピオンベルトに纏わる話」と「王座は誰のものか」というテーマでは書いていますが、これらとはまた別の視点になる特殊な王座がテーマです。

今や多くの団体やイベントが存在し、王座乱立も止まらない現状はすでに述べてきたとおりです。楽観的に言えば、しっかりした運営で地位向上を目指して頂ければ価値が上がるというものです。

本来、チャンピオン(国レベルの)に成るには、挑戦有資格者としての地位を確保し、チャンピオンに挑んで勝利する。または王座決定戦に勝利する。これが常識的王座獲得でしょう。ところがキックボクシングに於いてはもう一つ、チャンピオンに成り得る道が存在します。

◆ペーパーチャンピオン?

プロボクシングに於いては、すでに起こっているケン・ノートンの例。1981年に引退し、世界タイトルマッチで一度も勝っていないのに“元・世界ヘビー級チャンピオン”という肩書きが付いてしまいました。

過去、世界王座挑戦で、ジョージ・フォアマン、モハメッド・アリに敗れ、後にWBCから認定された王座はラリー・ホームズに敗れ初防衛成らず。アリ戦もホームズ戦も僅差でしたが負けは負け。これ以前に北米ヘビー級戦でアリに勝ったことがあり、世界王座認定前には挑戦者決定戦でジミー・ヤングに勝利した実績はあるものの、世界タイトル戦未勝利で終わっています。

そんな書類上の“ペーパーチャンピオン”と揶揄される恐れがある、戦わずして昇格される認定チャンピオンは、後に日本のキックボクシング界で派生していきました。

日本のキックボクシングは実質プロモーター制定王座であり、団体役員はジム会長の集まりで成り立っているもので、その時の思惑で役員会議に於いて「多数決により〇〇選手をチャンピオンに決定」といった成り行きも存在します。

当然、実績が無ければそんな話は湧いてきませんが、ある団体代表に尋ねてみたところ、「実績があるからチャンピオンに認定することの何が悪いの?」と言う認識。しかし本来、実績があってこそ“挑戦権”が回って来るものです。

二人は実力有りながら王座には届かなかったが、これが厳しい現状である。弾正勝vs足立秀夫(1982年10月3日)

極真空手からキックボクシング転向で活躍した竹山晴友。礼儀正しく実力あるチャンピオンだった(1986年11月24日)

◆時の運

昭和62年に、竹山晴友(大沢)選手が10戦10勝(10KO)の実績が認められ、日本ミドル級チャンピオンに認定されました。ウェルター級での挑戦者決定戦で鈴木秀男(花澤)にKO勝利し、当時の1位.弾正勝(習志野)に逆転KO勝利した実績は堂々たるのもがありますが、鈴木秀男の雪辱に敗れ初防衛成らず、そのまま引退。ケン・ノートン例が起こっています。実力はあっただけに正規の王座決定戦で勝ち獲らせたかった想いは残ります。

更には、分裂を繰り返しているキックボクシング界で、チャンピオンが新団体へ移った際、そのままスライドする形の初代認定チャンピオンも存在します。これはすでに前・団体でタイトルマッチに勝利している明確な実績が存在しますが、その王座返上して新団体へ移るので、実質スライド式は新たに派生する王座でしょう。

このような認定チャンピオンは、ファンから見れば拘りが無いか認識が低く、「団体が認定するならそれで良いんじゃないの!」と言う意見が多いようで、チャンピオンに手が届かず、夢破れた平成時代の某・選手は「タイトルマッチに勝っていない選手がチャンピオンと言われても、そんな形でチャンピオンに成れるなら、俺の実績も考慮して欲しかったなあ!」という声も少なからず有るものです。

逆に、「俺、いつの間にかチャンピオンに成ってた!」といった事例もありましたが、小規模の私的団体であれば仕方無い範疇と見るしかないかもしれません。

◆終わりなきトーナメントの初戦

分裂が起こり始めた昭和のキックボクシング低迷期に、新団体に移る毎に王座決定戦を勝ち得てチャンピオンに成った元・全日本フェザー級チャンピオンの酒寄晃氏。当時の団体は律儀な手順を踏み、これが当然の認識だったでしょう。

日本のプロボクシングに於いては終戦後のコミッション設立後、戦わずしての認定チャンピオンは誕生していません。さすがにプロモーターとは一線を引いた指揮管轄する組織で、厳格にタイトルマッチの定義を貫く立場です。

かつて徳山昌守氏が言った「チャンピオンロードは終わり無きトーナメント」という敗れるまで続く防衛戦。そこに至る初戦が挑戦者としての戦い。厳しいランキング争奪戦を勝ち上がってもチャンピオンに辿り着けなかった挑戦者、または挑戦する機会すら得られなかった実力者は多いもの。そこからの王座獲得の喜びはリング上で味わって、このチャンピオンシップ制度の価値を高めていって欲しいところです。

勝ち獲るのはどちらか、といった顔合わせは明確な対戦の証 (画像提供:ISKA Japan 中崎寿光)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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◆ナチスの再来を思わせるジェノサイド

「世界の人々は、何か行動を起こしてください」「われわれは化け物と戦っている」(マリウポリのウクライナ軍レポーター)

「国際社会は残虐行為を知りながら見ているだけだ」(ウクライナ大統領側近)

ソ連邦崩壊のトラウマに憑り付かれた独裁者による、独裁維持のための戦争は、新たな段階に入った。

30分に数度の砲撃、1時間置きのミサイル飛来で、ウクライナの東部の町は廃墟と化している。戦争犯罪(虐殺)の痕跡を残さないために、ロシア軍は火葬車を伴っているという。

キーウから撤退したロシア軍はドンバス地方(ウクライナ東部)へと転戦し、最低限の政治目標であるドネツィク州とルハーンシク州(ともにウクライナ語読み)の実効支配確立をめざしている。

この「実効支配」とは、8年間つづいたドンバス戦争(ウクライナ東部の内戦)を最終的に終了させ、ウクライナ住民をロシア各地に移住させることを意味している。ロシア軍が撒いている「極東ロシアが、あなたを待っている」というチラシの呼び掛けがそれを立証した。

そのいっぽうで、ロシア軍が支配下に置いていたブチャなどキーウ郊外の町では、後ろ手に縛られた市民が銃殺されている。侵略者に従わなければ、銃殺する戦争犯罪が行なわれたのだ。いわばロシアによる「同化政策」「民族浄化」が、今回の軍事侵攻の目的なのだと断定するほかない。

したがって、ウクライナの徹底抗戦の意志は、強いられた生存への戦いということになる。それゆえに、日本におけるわれわれの行動は、単なる反戦運動ではなくなるはずだ。

◆救国戦争とは?

地続きの国境線を持たないわれわれ日本人には、なかなか想像できない現実だが、想像力をはたらかせれば理解できる。

やや荒唐無稽な想像だが、ある国が在日邦人を保護するために、軍隊を日本に上陸させたと仮定しよう。上陸しないまでもミサイル攻撃を受けたと仮定しよう。じっさいに、日本はロシアと国境を接し、中国の領海侵犯および北朝鮮のミサイル圏内にある。

かれらは日本の都市を破壊しつくす。そして無防備なわれわれを連行し、移住先への切符といくばくかの準備資金、そして土地を提供(ロシア移住の場合は25万円と1ヘクタールの土地)するという。われわれは、その国の国民にされるのだ。

このような仮定を想像したとき、わたしは間違いなく抵抗するであろう。

ためらわずに武器をとって戦うであろう。かつてナチスの支配に抵抗したフランスやポーランドのレジスタンスのように。あるいは日本の侵略に抗して戦った八路軍のように。戦後日本の民衆も相手の暴力に相応して、コザや三里塚では武器を持って戦ってきた。

侵略者から身を守るために、戦う武器の供与を世界にもとめるはずだ。いまのウクライナのように。

ここに、帝国主義の侵略に反対する反戦の思想が、反侵略の救国戦争においては戦争の思想に変化するのだ。

このことは、80年前後のソ連のアフガン侵攻と中越紛争の時期にも議論されてきたものだ。ソ連のアフガン侵攻のように国境を侵す以上は「侵略」であり、中国のカンボジア支援の国境侵犯は「牽制」にあたるなどと、当時は華国鋒体制を支持する立場から論じられたものだった。

その後、鄧小平政権になってからも、ベトナムとの国境紛争はつづいた。そこで得られた結論は、たとえ反覇権の社会主義中国であろうと、日本を侵略した場合は日本人民の敵であると。革命中国(懐かしい言葉だ)の第五列として、日本革命に転化するという議論は起きなかった。

◆武器供与の問題

さて、現在問題になっているのは、ウクライナへの武器供与である。反戦運動の立場からは、戦争を激化させる武器供与に反対するのが原則だ。憲法9条に拠らずとも、武器供与は違法(防衛装備移転三原則違反)であると。

だがこの原則は、帝国主義の侵略に加担する自国の政府に「武器を供与させない」運動としては有効であっても、侵略された国への支援(供与)は行うべきではないか。少なくとも反対するのであれば、戦争の終わらせ方をも展望したものでなければならない。

すなわち、敗北による強制連行や民族浄化にも、反戦運動は責任を持たなければならない。いま「武器供与に反対」することは、ウクライナの敗北すなわちロシアへの隷属を意味するからだ。それはキーウにおけるロシア軍の敗退という「事実においても、戦わなければ占領・隷属させられることが実証された。

かつてべトナム反戦運動において、反対運動の抗議がアメリカと日本政府に向かったのは、ほかならぬ日米安保体制がベトナム侵略に加担したからである。ベトナムに向かう戦車が国鉄を使用していたし、沖縄米軍基地のB52がベトナムを爆撃していたからなのだ。

したがって、アメリカはウクライナへ武器を送れというスローガンを掲げるかどうかは別(あまりにも右翼的だ)として、ウクライナを見殺しにする武器供与反対も憚られる。人道的な支援として、ウクライナ大使館や民間援助団体への寄付は、積極的に行われるべきであろう。

いま、ヨーロッパ諸国の中で武器供与に消極的なドイツでは、シュルツ首相が与野党の批判を浴びている。シュルツの出身母体が、ロシアと親密な関係にあるSPD(ドイツ社民党)であることも、この批判には含まれていると思われる。

いっぽう、わが岸田政権は防護服や防護器具のほか、ドローンをウクライナに供与するという。


◎[参考動画]【政府】ウクライナに防護マスクやドローンなど提供へ(日本テレビ 2022年4月19日)

◆ドローンが戦況を支配している

いわく「ドローンは市販品であり、武器に使われるものではない」と。供与に反対する立場にはないが、敢えて指摘しておこう。ドローンの存在がロシア軍を苦戦させていることを。

ロシア黒海艦隊旗艦のミサイル巡洋艦モスクワは、対艦ミサイルネプチューンに撃沈されたとされているが、じつはドローンが攻撃に参加していたのではないかという説が、にわかに信憑性を帯びている。

というのも、それを示唆したのがロシア軍部に近いSNSのアカウント(Reverse Side of the Meda)だからだ。

同アカウントが公表したモスクワ沈没の経過によれば、ウクライナ海軍が所有するドローン(バイラクタルTB2)が、ネプチューン到達前にモスクワを攻撃したという。モスクワ搭載の防空システム(S-300F)がドローンに集中している間に、ネプチューンがモスクワに命中したというものだ。

この指摘を受けて、米誌「フォーブス」の電子版が14日に「ウクライナのバイラクタル・ドローンがロシア艦隊の旗艦「モスクワ」を沈めるのに寄与した」という記事を掲載している。いま軍事専門家のあいだでは、ドローンがネプチューンの制御(標的算出)に用いられたのか、防空システムを集中させる標的(囮)になったのか、あるいはドローンに搭載された小型ミサイル(MAM-1)による被弾なのか、さまざまに見解が分かれている。

いずれにしても、飛来した対艦ミサイルがウクライナ当局が主張する2発ならば、対艦防空システムで防げたはずだというのだ。

そもそも、第二次大戦の軍艦とはちがって、現代の艦船は防御装甲がきわめて脆弱である。大戦中の重巡洋艦と現代の巡洋艦が、大砲の射程距離内で撃ち合いをやったら、現代の巡洋艦は数発で撃沈されるという。大戦中の旧戦艦・重巡洋艦には艦測バルジ(装甲突起)があり、容易に沈まないのだ。たとえば雷撃機の攻撃で舵が効かなくなったドイツの戦艦ビスマルクが、英米海軍の砲撃では沈まず、最後はキングストン弁を開けて自沈したことが、最近の調査で明らかになっている。

いっぽう現代の艦船は、近距離で撃ち合う海戦を想定していない。装甲は軽量化(高速化)のために申し訳程度で、もっぱら防空システム(CIWS)と防空ミサイル(赤外線追尾)に依存している。このうちCIWSとは、ガトリング砲(円形に6門の砲身をもつ機関銃)がレーダーとコンピュータ制御でミサイルを撃ち落すものだ。1分間に3000発の掃射が可能だとされている。

ぎゃくに言えば、ドローンや無人機を飛ばしてCIWSをそっちに集中させれば、ミサイルがやすやすと艦体を捉えることが可能になることを、今回のモスクワ撃沈が立証したことになる。

それはともかく、キーウ防衛でドローンと軍事衛星が果たした役割は大きかった。ロシア軍の戦闘車両は的確にその位置を把握され、対戦車ミサイルジャベリンの犠牲になった。市販のものでも、ドローンは近代戦争に不可欠の武器になりつつある。


◎[参考動画]「ウクライナを支えるドローン部隊の実態に迫る!」(日本テレビ【深層NEWS】2022年4月14日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

広島市では、河井事件で辞職した市議の穴を埋める補欠選挙が相次いでいます。第一ラウンドは安芸区で行われ、定数1に4人が立候補。自民主流派の推す元市職員が圧勝。自民党主流会派に入会しました。第二ラウンドは安佐北区で4月15日告示、24日執行で行われます。定数2に以下の7人が立候補します。

無所属新人の会社社長山下正寛さん(45)、無所属新人の大学教授原田佳子さん(69)、共産党新人の党県委員清水貞子さん(75)、無所属新人の会社社長三宅朗充さん(56)、無所属新人の元県議正木篤さん(71)、無所属元職の酒店経営加藤万蔵さん(76)、無所属新人のオンライン学習塾経営大田清さん(49)です。

このうち、大田さんは第一ラウンドの安芸区補選につづく挑戦。正木さんは、2011年に県議に当選も無免許運転が発覚。2年以上も議席に居座ったあげく、2013年にリコールされました。その後も何度か選挙に立候補され、「一定の票」は得ています。

◆「過疎化」に相次ぐ水害が追い打ち

安佐北区は広島市の最北端に位置します。人口は可部線の可部駅を中心とする可部地区と芸備線沿線の高陽地区のニュータウンに集中しています。

他方で、冬には雪が多いときには数十センチも積もるような山岳地帯も抱えています。1990年代など、一時期は人口が20万人に迫るか、という勢いを見せていた安佐北区ですが、最近ではニュータウンで高齢化が進行。また、年配者は介護や医療のサービスが受けやすく買い物も便利な広島市の旧市街に回帰。いわゆる子育て世帯も南の安佐南区の方が便利ということで、そちらに新居を構える方も多く、過疎化が進んでいます。そこへ広島土砂災害2014,西日本大水害2018が追い打ちをかけました(写真は西日本大水害2018での安佐北区口田地区の被災現場)。筆者もボランティア活動中に倒れ、伊藤昭善市議に救護をいただいた思い出があります。その伊藤市議が河井事件でお金をもらい、現在は辞職せずに裁判闘争をされているのには筆者も文章ではとてもではないが表現できぬ複雑な想いです。

◆立憲民主党、連続不戦敗で野党支持者はカオス状況

今回の補欠選挙では、野党第一党の立憲民主党は候補を出していません。市議補選の第一ラウンドである安芸区に続く不戦敗です。これでは、とくに野党を支持している有権者は選びようがないのも事実でしょう。共産党の候補も出ておられます。

しかし、複数区で支持政党以外の公認候補に投票というのは難しい。そして、本選挙でライバルにもなるし、参院選ではライバルの足腰を補強する結果になるからです。立憲民主党幹部も、現職市議は別の保守系無所属候補、森本・宮口両参議院議員もさらに別の保守系無所属候補を消極的に推すというカオス状況です。党利党略以前に自分たちが、一定のアンチ自民票を得て、議席を防衛できさえすればいい。自分の政党でもライバルにもなる議員が生まれるのはのぞまない。

一方で、自民党は自由に保守系無所属候補を立候補させておいて、あとから追加公認したり自民党会派に入れたり。なぜ、広島で野党が弱く、与党が強いか。その背景のひとつを今回、かいまみました。

◆筆者は長年「食」で地域貢献の原田候補を応援

過疎化、災害に政治腐敗。地域課題が山積する中で、生活に困っている人も、コロナの前から増え、コロナが追い打ちをかけている状況は安佐北区も例外ではありません。そんな安佐北区でフードバンクの活動に長年携わり、困窮者への食料供給や食育に力を入れてきた大学教授です。

さて、なぜ、筆者は原田候補を応援するのか?

広島県、とくに広島市内の政治や選挙はこれまで政策の議論がおきざりにされてきました。国会、県議会、市議会ともその傾向は強く、選挙結果の大勢は政策の議論よりも、組織(力)で決まってしまっていました。

また、与野党関係なく、新規に政治に参画しようとする人に冷たい傾向を感じてきました。その結果、県議選では無投票、という選挙区も多数出る始末です。

一方で、こうした「組織本位」の広島の政治文化への反発の勢いあまって、「若ければ誰でもよい」的な流れも市民の間に一定程度強まったのも理解できます。

こうした流れを県議選安佐南区や参院選2019における河井案里さんや、そして、彼女のバックともいわれる安倍晋三さんらがうまくつかんだとみられます。しかし、その結果が大買収事件でした。

世襲や高級官僚「ばかり」だった広島与党本流にも、いわゆる「労働貴族」の影響がつよい野党にも、もちろん、「まったく新しい」を偽装していた案里さんにも、不足していた要素を大幅に広島の政界に補充し、広島の政治をリニューアルすることが、国政、地方関係なく大事ではないでしょうか?

今、原田よしこさんのような、長年、地道に一つの課題にじっくりと取り組んで来られた方を政治に送ることもその具体策のひとつである。そのように筆者は確信しています。

コロナの前から厳しく、コロナが追い打ちをかけ、さらに戦争による食料危機などがトドメをさしかねない庶民のくらし。フードバンクに取り組んで来られた原田さんの力がいまこそ、広島に必要ではないでしょうか。


◎[参考動画]原田よしこ候補の公式チャンネル

◆初々しい原田候補の出発式

原田候補は告示のわずか1ヶ月前に立候補を決断しました。困窮者への食料配給作業を続ける傍らでの選挙準備を拝見し、頭が下がる思いです。

15日、可部3丁目の事務所で出発式が行われました。無所属の女性広島市議、立憲民主党衆院候補、国政地方とも立候補経験のある筆者(れいわ新選組所属)を除けば、いわゆる素人の方ばかりです。それがいいのです。初々しさを醸し出していました。筆者ふくむ政党関係者も、挨拶などで、でしゃばることなく、一般市民と同じように候補の話をうかがい、そして黙々と地味な作業に徹しました。

原田候補も時々原稿に目をおとしながら緊張してしゃべっておられましたが、フレッシュな感じがしました。

子育て世帯向けには学校給食保護者負担ゼロ。

そして、高齢者に元気を!

安佐北区が2014、2018と大きな水害に見舞われたことに関連し、気候変動対策にも触れました。

そして政治を分かりやすく語ることで、クリーンな政治を、と訴えました。


◎[参考動画]筆者撮影の動画

◎原田よしこ候補の政策とプロフィール https://haradayoshiko.net/ 

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

◆対藤井正美(しばき隊中心メンバー、元鹿砦社社員)控訴への内部事情

松岡 先日対藤井裁判、不当判決を受けて、控訴理由書を完成させました。一連の「しばき隊」関連訴訟は、これが最後になると思いますが、みなさんの感想を聞かせてください。

A  社長、これちょっと一般の人向けに説明しとかなあかんと思うんです。

松岡 どういうことですか?

A  いままでの裁判は、当たりまえやけど弁護士の先生にお願いしてましたやんか。でもこの控訴は、ちゃうんやと……。

松岡 あっそうですね。迂闊でした。私からまずお伝えします。Aさんが指摘されたように、これまでの「しばき隊」関連(「しばき隊」関連でなくとも)訴訟では、必ず弁護士の先生を選任して法廷闘争の指揮や実務をお願いしてきました。対藤井裁判でも大阪地裁では森野俊彦弁護士に無理をお願いし、代理人となって頂いていたのです。

ところが正直な話をすると、昨年の8月頃から鹿砦社はコロナ禍による、急激な売り上げ減少に見舞われました。一時は越年もおぼつかないのではないか、と思われるほど厳しい状況でしたが、多くの皆さんにご支援を頂き、なんとか年を越えることはできました。なかでも社債が1千万円集まったことは大きく、思わず涙が出ましたよ。まだまだ「極左崩れの企業ゴロ」と揶揄する人間がいても、「自由な言論」を希求する、鹿砦社に対する期待を抱いていただいているのだと、感じ入りました。

B  そのあとに、まさかの不当判決でしょ。だから俺、当初は控訴に反対してたんですよ。誰が見ても藤井の不法行為は明らかなのに、これで負けるとなると、じゃあどうすれば勝てるのか……。

松岡 そうそう。Bさんは大阪地裁判決を読んで即座に「控訴すべきではない。裁判所は鹿砦社に偏見を持っていることが明らかだから、言論で勝負すべきだ」と意見を明かされました。

B  だってね、いいですか。対藤井裁判だけではなくこれまでの裁判では取材をしてある記事を証拠で出しても「取材をしていない」なんて平気で判決が出る。簡単にいえば「ある」ものを「ない」というってこと。そういう無茶が平気で通る場所で、いくら証拠を出しても、論理を筋道立てて展開しても勝てる道理がない。これ、実は深刻な社会問題だけど、大手メディアまでそれに乗っかって(笑)。鹿砦社には司法記者クラブで記者会見すら開かせてくれないんですから。もう17年近く前になるけど、社長が「名誉毀損」容疑で逮捕された時でも、誰が見ても明らかに出版弾圧なのに、「鹿砦社だったら仕方ない」と言われたこともあった。俺、この言葉心底嫌いだけど、あえて使えば「鹿砦社ヘイト」ですよ。そんな場所に力を使うのはやめようと。椅子蹴飛ばし、壁を殴りながら、社長やみんなにメールしましたよ。

画像の左が藤井正美。上部に野間の推奨コメントがある。松岡ら鹿砦社の関係者は、この画像を見て強い衝撃を受けた

藤井が発信したツイッターの一部

C  あの晩Bさん悪酔いしてましたもんね。

B  え? なんで? 俺、自分の部屋から出てないんだけど。

C  12時過ぎにへべれけになって、僕に電話してきたじゃないですか。

B  Cに? 覚えてない。

C  覚えてないんですか! 2時間一方的に怒鳴ってたじゃないですか。

A  Bさんだけやなく、「もう裁判所ええかげんにせい!」は取材班共通の怒りやったからな。まあしゃあないんちゃうか。

C  でも、一番割食ったんって、僕ですやん。

松岡 皆さんにはご迷惑をかけました。そんなこともあったので皆さんの意見を伺いながらも、控訴すべきか、名誉の撤退すべきか、私も悩みました。

D  社長が悩むときは、悩んでるフリですやんか。やめるわけがないもん(笑)。Bさんと社長の激烈なメールのやり取り見とったら、喧嘩になるんちゃうかと思って冷や冷やでしたよ。

B  俺は「撤退派」の急先鋒だったね。会社の経営状態も一定程度知ってたし。言葉悪いけどね、「偏向した裁判所」に鹿砦社が金使う余裕がいまはない、の判断もあったよ。

松岡 Bさんの厳しい指摘を受けて私も考えましたね。たしかにご厚意で、社債を引き受けていただいたり、定期購読を申し込んでいただいたり、カンパとかね。支援していただいている中でどうすればいいのか、でもこのまま引き下がってもいいものか……。ここはBさんと違う性格で、血の一滴、涙の一滴が枯れるまで闘うと。17年前もそうだったけれど、アントニオ猪木の言葉じゃないけど「苦しみの中から立ち上がれ!」ですよ。

B  社長! それに俺は反対したんですよ! 裁判所は義理人情・精神論の通じる場所じゃない。それ以前に鹿砦社相手だと、証拠も論理も通じない。だから撤退しようとね!

A  それから、敢えてこの判決を確定させて、社会問題化させようか、という議論もありましたよね。簡単にいえば「勤務時間中に会社の業務とは関係ない膨大なツイッターやメールに時間を割いても問題はない」という判決でしょ? これが確定したら企業困るの間違いないですもん。

C  本田能久というのが裁判長だったんだけど、よくこんな無茶な判決書けたと思いますね。経団連とかに垂れ込んだら大事件になってたんちゃいますかね。

D  本田能久は悪質ですね。東住吉冤罪事件の被害者青木恵子さんの国賠でも、あたかも「和解」を勧めるかの如く振舞って、国が和解を蹴ったら、「国に賠償命令なし」の判決を出した裁判官でしょ。酷いよな。

B  一連の不当判決の「嵐」に、懇意にしている法曹関係者やジャーナリストは皆さん腰抜かしてますね。俺も入院したもん。

一同 またまた、冗談でしょ。

B  ところがこれは本当なんだ。控訴するかどうかを決めるのは原告、つまり社長だけど、控訴期限と俺の入院が重なってね。

C  Bさん本当に入院してたんですか?

B  うん。

C  失礼しました。

A  結局、社長の判断で控訴が決まり、ベテランのジャーナリストの皆さんや、多くの方々のご意見を反映させた長文の控訴理由書が完成したんですよね。

松岡 そうです。いろいろな皆さんのご意見を聞き、やはりこれは最後まで闘わなければ、と決意しました。でもBさんの指摘はその通りの部分もあったので、今回は、意見は頂くものの代理人の弁護士先生をお願いせず、私たちの想いをダイレクトに裁判所に伝わるように「本人控訴」としました。印紙代実費は掛かりますが、それ以外にはお金を使っていません。

苦しい時期だったからこその窮余の措置ですが、この「控訴理由書」は、血と涙の結晶でした。ただそれができたのも、17年前の「名誉毀損」事件や、50年前の三里塚闘争で腰まで沼に浸かって逃げたことなどが肥やしになっていると思います。また、譬えは悪いけど日々テレビに映し出されるウクライナの戦士には比べるべくもないですが。私はそう簡単にはくたばりません。

B  社長の回顧談は事実にしても、こういうのを「学生運動武勇伝をいまだに話す新左翼の爺さん」って藤井に書かれるんだよな(苦笑)。それはそれとして、本人控訴を社長が決断したから、「なら俺も手伝います」となったわけよ。

C  わかりにくいですね。いつもBさんの話って。

B  なに言ってるんだ! 相変わらずCは飲み込み悪いな!

A  まあまあ、後で叱っておきますから。

◆再開された鹿砦社やリンチ被害者M君への誹謗中傷を許さない!

 

c.r.a.cによる誹謗ツイートのごく一部。ホワイトで消した部分は、リンチ被害者M君の実名

D  ところで最近また「しばき隊」がなにを考えたのか鹿砦社やリンチ被害者M君中傷を再開しましたね。

C  社長のフェイスブックにも載ってたやつですよね。

A  サイバー班って、いまも動いてるんですけど凄いですよ。「しばき隊」の「内ゲバ状態」を人間関係ピンポイントで挙げて説明してくれますもんね。どんだけ調査能力あるんやろうと。今回も内ゲバきっかけにまたこっちサイドへの誹謗中傷が出てきたようですね。

松岡 まさに「説明テンプレ」ですね。

B  社長、ちょっと口軽すぎます。

松岡 失礼しました。

D  でも、残党はもう確信犯というかカルト化したSNS依存症ばかりで、リツイートとか見ると「またこいつか」の名前ばかりですよね。

B  そうそう。元祖ネット荒らしのNね。反原連で鹿砦社に後ろ足で砂かけたミサオ・レッドウルフとは内ゲバ状態のようですね。ミサオは山本太郎にすり寄ったけど、Nには有田芳生議員がいますしね。あんまり有名じゃないところでは、京都の南の方で資本金3億円以上の企業で取締役やっている、いまや悪役ロシアの革命家レーニンじゃなく、え~とLenyとかいうお偉いさんとか。〇アンコってお菓子屋さんかと思ったら違うんだよな。

A  ナイスボケです。笑っときます。

松岡 十三でね。あれを、あれして、いまでもあれしている人とかね。

 

Lenyこと鈴木伸哉による誹謗ツイートのごく一部。ホワイトで消した部分は、リンチ被害者M君の実名

A  社長、きょうは滑舌いいですね。「棺桶に片足突っ込んでいる爺さん」のようには見えないですよ。

松岡 それは、藤井正美が私を評しツイートした言葉ですよね。でも大阪地裁によれば、名誉棄損ではないそうです。

一同 爆笑

C  やーい、やーい「棺桶に片足突っ込んでいる爺さん」裁判所のお墨付きだから怒られないわ(笑)。

B  それからSNS中毒者の発信には、いちいち反応しない。これ試験に出るよ! 実際命落とした人までいるからね。

A  Bさんが怖いのは、本当に「命落とした人」を本当に知ってるところですわ。ただ、鹿砦社に対する不当な罵詈雑言はほぼすべて、サイバー班が記録してくれているのは心強いですね。

C  たしかに。

松岡 私も誹謗中傷にはいちいち反応しないつもりでしたが、Lenyこと鈴木伸哉のツイートは以前から酷過ぎるので、いつまでも「仏の松岡」とはいかないつもりです。なんらかの“措置”は考えようと思っています。「極左」「極左」って言いますが、何が「極左」なんだろうね? 私が京都でLenyや神原元弁護士らの言うところの「極左」の学生運動に関わっていたのはもう50年近く前の1970年代の前半ですよ。そんなに「極左」「極左」と言うのなら「ええやないか、半世紀前に戻ってお前らの言う『極左』の神髄見せたるわ」ってなもんです。

同上

A  社長、時節柄それはどうかと思いますが……。

松岡 ハハハ、半分冗談ですよ。いずれにせよ、時機が来たら、27ページと長文になりましたが、控訴理由書は全文公開します。大阪地裁判決がどんなに無茶苦茶だったのかを、法律の専門家ではない私が書いたので誰にでもわかりやすいと思います。

C  社長の文章って繰り返しが多かったり、ちょっと古い表現が多いかなぁと思うんですけど今回は大丈夫なんですか。

B  C、お前度胸のある質問するな。

C  だって俺、『紙の爆弾』のライバルとも言える、香山リカも連載してる月刊誌『壊』(偽名)の仕事ゲットしたんですよ!

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

B  そうか。それはおめでとう。でもB、知ってるか? あそこはどんな有名な作家にも原稿料払わないんだよ。怒って、それを一冊本にしたライターもいるぐらい。連載してた有名な作家だけには「原稿料払っているだろう」が業界のウワサだったけど、彼女も実はもらってなかった(笑)。俺も何回か書いたけど一回も原稿料はもらってないぞ。

C  ホンマですか!?

松岡 お前、そんなことも知らなかったんかあ? 

B  〇アンコジャパンで、甘いもんもろうて、十三で「○○は友達」って叫んで来い!

C  鹿砦社に関わってる人間って、なんなんやろ……。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

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