◆れいわ新選組から立憲民主党へ
2019年7月の参院選、2021年10月の衆院選の二つの選挙に、れいわ新選組から立候補した渡辺てる子氏は、その熱烈な演説で多くの人々をひきつけた。結果は落選だったが、その後も非正規労働者・格差社会・シングルマザーなどの、当事者として活動を続けてきた。
衆院選後は彼女の去就が注目されていたが、年が明けて2022年2月15日、立憲民主党公認で4月17日投開票の練馬区議補選に出馬することを発表した。
昨秋の衆院選挙後も活動を続け、支援者からは時期参院選出馬を望む声も上がってきた。しかし、れいわ新選組の規約では、現職の議員と立候補予定者以外は党の「構成員」からはずれる。そうなると党からの支援は受けられず、選挙で仕事も辞め、わずかな財産もほぼ使い果たしている「落選者」は、非常に厳しい状況に追い込まれる。
そのような状況で渡辺てる子氏に声をかけたのが立憲民主党だった。その後、関係者が水面下でことを進め、最終的には、山本太郎れいわ新選組代表と渡辺てる子氏が直接会談し、4月17日投開票の練馬区議補欠選挙で立憲民主党から出馬することが合意されたのである。
どの政党から選挙に出ようが、当事者として庶民による庶民のための政治実現を目指し活動してくことには全く変わりないだろう。
そうした彼女の基本姿勢がわかるのが、総選挙から一か月近く経過した昨年11月29日に行われた講演である。
その講演とは、彼女の半生をダイジェストでつづった拙著『渡辺てる子の放浪記』(同時代社刊)の出版記念講演会のことだ。
最初に選挙に出た経緯から衆院選の心境に至るまでを語った講演内容は、日本社会への大きな問題提起が含まれているので、4回にわたり報告する。(構成=林克明)
◆「次の選挙出ませんか」と山本太郎がひと言
皆さんからみれば、およそ考えられない、ある意味奇妙キテレツな半生だったのですが、そのダイジェストが林克明さん執筆の『渡辺てる子の放浪記』(同時代社)です。
私がこれまでたどったプロセスもさることながら、私の意識や思いはどういうものだったか。そういう私がなぜ活動を続けていこうと思っているかお話をしたいと思います。
私はいま62歳なのですが、2017年末に17年近く勤めていた派遣先を一方的に雇止めされました。それに対して再就職を求め、あるいは派遣先紹介を求めて団体交渉をしてもらちがあきませんでした。
このような私自身の体験もありますが、従前から派遣労働者の権利向上の活動もしていました。
雇止めされた後は、糊口をしのぐために次から次へとバイトやパートなどの仕事を知り合いから紹介され、食いつないでいきました。
そして2019年7月1日、東京のある区の非常勤職員採用の辞令をいただいたのです。
その翌日の夜、知り合いから山本太郎さんから電話が来るのでよろしくと電話があり、すぐに山本さんご本人から電話がかかりました。
「次の選挙に出ませんか」とストレートに言われ、私も1秒以下の反射神経で、「いいですよ」と答えました。すごい決断ですねと皆さんから言われるのですが、人から頼まれるといやと言えない性分が幸いしたのか不幸なのか。で、「ハイ」と言ってしまった。
活動しないよりする方を選ぶ私の当たり前の判断があったのですが、実はピンと来なかったんです。なんの事前説明も面談もなく、とつぜん携帯に電話がかかってきてというのは、社会常識的に欠ける(笑い)。太郎さんもいきなりだけど、それを受ける私もなんだという話しです。
選挙ボランティアという頭が思い込みであり、気軽に受けて、翌日どうしてくださいという話がありました。
◆その夜、母親が狭心症の発作で倒れる
で、家に帰ったら母が狭心症の発作で倒れてしまい、夜を徹してその看病をしていました。
朝早く病院に連れて行ったのですが、病院から母を家に連れ戻すと約束の時間に間に合わない。そこで、デイサービスの職員の方にお願いして、太郎さんから指定された会場に急ぎました。
そこで手続きやなにやらします、と言うんですよ。写真も撮るというのですが、ボランティアのIDカードか何かの写真を撮るのかなと思いました。
徹夜の看病明けでシャツ1枚の姿でペロっと会場にたどり着いていたわけです。写真撮影とはいっても、IDカード用か何かなんだから、首から上だけなので、とりあえず襟付きのシャツならいいやと。
そうしたら、何の説明もなくメイクをしましょうと言われたんです。細長いテーブルに紅筆とかお化粧道具が並べてあって。さすが元俳優の山本太郎だけあって、念入りにお化粧をボランティア一人ひとりのもするのだな、と。
ビジュアルにこだわるのはさすがだよねって思いました。俳優っていうのはこうじゃなければと思って。
でも徹夜の看病明けだし、お化粧をする習慣もないもので、いやいやお化粧をしてもらいました。写真も3分間写真で済むと思ったら、どうやらポーズをつけなきゃならない。首から上の写真でポーズを付けるってどうやるんだろう? 手で頬杖をつくようなかっこうをするんだろうか? なんて思ったんですけどね。
何の説明もないんですよ。れいわ新選組は人がいないもんで。
で、れいわ新選組がどういうものかもよくは分かっていない段階で記者会見になだれ込んでしまいました。そして皆さんの前でお披露目をし、次の日が選挙公示日。どれだけ私はうすぼんやりなのか。
そのとき、無名の私を皆さんに分かっていただくために、元派遣労働者、シングルマザー、そしてホームレスを5年経験していました、と伝えました。
そして渡辺てる子という名前はとても平凡なので、どうぞてるちゃんと呼んでくださいとダメ元で言ったら、皆さんから気軽にてるちゃん、てるちゃんと呼んでいただけるようになりました。
こうして2019年7月から私を取り巻く状況は劇的に変化しました。
◆当事者の労働者がなぜ発言できないのか?
あわただしく選挙に突入しましたが、れいわ新選組の政策やポリシーに関しては、なんら違和感はありませんでした。それまで私が活動を通して伝えたかったことがそっくりそのまま重なるからです。
私はシングルマザーとして、派遣労働者として活動してきましたが、そこに通底するものは「当事者」であることですね。
ところが、労働組合が主体になって進める労働運動は、労働者が主体でありながら、実際は労働者が主体じゃない、労働者ファーストではないということに気が付いたんです。
国会議事堂の向かい側に国会議員の事務所がある議員会館がありますが、その大講堂で行なわれる院内集会によく行っていました。発言する側としても、勉強する側としても行っていましたが、派遣労働者の実体を訴えるために発言の時間をもらう場合でも、他の登壇者よりずっと割り当て時間が少なかったのです。
労働運動の集会でいちばん長時間話すのは、だいたい労働法の権威の方なのです。たとえば名誉教授が基調講演を1時間くらい。その次が弁護士の方、その次に労働組合の専従の方が活動実態を述べます。最後に裁判を起こしている当該主体者ということで、やっと5分くらい当事者の労働者が時間をもらえればいい方だなと。
そういう状況を何度も目にしたし、労働者として時間をもらって話をしたこともたびたびありました。普通に考えておかしいんじゃないかと思います。労働者が困っているから労働運動があるにもかかわらず、なぜ当事者以外の人の発言時間のほうがはるかに多いんだ、と。
運動の欺瞞性をそこで感じたんですね。でも、労働運動ってそういうフォーマットがテンプレート的に確定してしまっているのです。そのフォーマットをなかなか崩せないという忸怩たる思いがありました。
◆自民議員が居眠りする厚生労働委員会で発言
そういう労働運動の在り方を変えることを個人ではできなかったのですが、国会議員に直接、派遣労働がいかにおかしな働き方かを訴えるチャンスが訪れました。2015年に労働者派遣法が改悪されたときに、改悪されないように国会議員の方々にロビー活動をしたのです。
そのときも労働組合の人に一緒にロビー活動してくれませんかと依頼しても、同行してくれる人はほとんどいませんでした。「私は運動してます、してます」と言っていますが、実は一匹狼で運動をしてきたんですね。
労働運動の限界を感じ、労働組合の人に対する不信感もあっていいはずなのに、運動・活動を止める理由にはならなかったんです。なぜか。問題を解決したいのは私だから。
よくも悪くも一人でやっていることが目にとまり、記者会見も何度もやらせてもらいましたし、当時は民主党が頑張っていたときだったので、民主党主催の勉強会に何回も行って実態を訴えました。
そうした姿に厚労省の官僚の方が目を付けて、この人間なら派遣労働者の当事者として国会で発言させてもいいんじゃないかということで、2015年8月、参議院の厚生労働委員会で登壇することができました。
そのとき派遣労働について訴える人が4人いました。経営側の弁護士と派遣の協会の理事が経営側。こちら側は、労働問題を引き受ける弁護士の方、そして当事者の私です。こうして2対2で厚生労働委員会の議員に訴えました。
三原じゅん子さんとか自民党の議員が多かったです。議長は丸川珠代さんでした。来ている議員たちは、視線を合わせられる距離で対面していました。事前に読んでもらう論文も配布していました。
私は基本的なことを述べて、その後質疑応答に入りましたが、自民党の方々は一切、興味関心を示さないのです。たぶん勉強してなかったんでしょう。私の論文も読んでくれなかったのだと思います。
ですから一切質問がこなかった。実は私は期待していたんですよ。派遣労働はこんなにすばらしいのになんであなたは文句を言うの? くらいの質問がくることは覚悟していたのですが、それすらありませんでした。
代わりに自民党の方々は何をやっていたか。まあ、仮眠してました。それから関係ない本を読んでいる。隣の人とぼそぼそしゃべりをしている。人に話を聞く態度ではないですね。学校でいったら学級崩壊の状況ですよ。
かたや立憲民主党(当時は民主党)、共産党、その他の野党の方々はそれなりに勉強してくださって、とてもいい質問をしてくれました。いい質問というのは、私の言葉から派遣の問題や矛盾を引き出すような質問ということなのですが。
明らかに与党と野党の熱量の違い、勤勉さ、誠実さ、常識のあるなしが目の当たりにしてわかりました。自民党の候補に票を入れる方々、その状況を見てください。みんなの税金使って自民党の議員は内職したり仮眠してるんですよ。そのためにみなさん、なけなしの税金を払ってるんですよね。
そのことだけをもってして、十分に怒る理由になると思います。同時に変えなければならないというモチベーションをさらに掻き立てられることになりました。
その後も派遣の体験を重ねたり、様々な状況を目の当たりにして発信していきました。たぶん山本太郎代表はその姿をいろんな形で見てくれていたのだと思います。それによるリクルートだったのです。
そんなわけで、いきなりマイクをもって街宣車に乗り込み、選挙戦に突入していきました。しかしもう後戻りできません。進んでいくしか私の道はないと思います。
(つづく)
▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter