れいわ新選組から2019年参院選、2021年衆院選に出馬して落選した渡辺てる子氏は、2022年4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬予定だ。

所属政党は変わっても従来からの主張には変わりなく、派遣労働者・格差社会改善・シングルマザー問題の改善などを目指し、模索しながら活動を続けている。

その渡辺てる子氏の講演会記録(21年11月29日)の第2回は、ホームレス状態で2人の子を出産した後の苦悩の日々を赤裸々に語ってくれた。(構成=林克明)

 

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆貧困のデパート
 
2019年夏の参院選、2021秋の衆院選に、れいわ新選組から立候補しましたが、敗れて現在に至っています。しかし、もう後戻りできません。進んでいくしか私の道はないと思います。本質的にやりたいことがあるからです。

つい先だって山本太郎代表にあらためてこう申し上げました。活動することが、私が生きることであると。大上段に構えるのではなく、活動するのが当たり前なんです。ご飯を食べること以上に当たり前なのが、私にとっての活動です。

今回の衆院選挙では人から整えてもらった環境のなかで活動をしましたけど、どんな状況になっても私は活動を続けることになると思います。そうでなかったら私は私ではない、渡辺てる子ではない。

誰から言われたわけでもなく頼まれたわけでもなく、たった一度の人生ですから、活動は続けたいのです。

活動で何を訴えるか。社会的属性としては、私は貧困のデパート。女性、シングルマザー、派遣労働という非正規労働のワーキングプア―であること、さらには高齢の母を介護していたこと、そして息子はロスジェネ世代の最後の年代でワーキングプア―。

正社員になれない派遣労働者の子どもを抱える母親でもあります。そういうことをすべてひっくるめて、貧困のデパートということです。これが私の当事者性です。

ですけれど、私固有の問題ではないという確信があります。選挙に出たこともあって、モットーはなんですか、座右の銘はなんですかと何度となく問われました。私は迷わずこう答えます。「個人的なことは社会的なことだ」と。

つまり、個人の問題で固有の問題だと自分では思っているかもしれないけれど、人間は社会と切り離されて独立して生きていることはできない。必ず社会構造の中に組み込まれて社会の影響を受け、社会とつながって生きていくしかないのだから社会的な存在なんだと。

だとするならば、自分の抱えている問題が個人的な問題に見えて、実は社会的な問題なのだと。あなたが悪いんじゃない、あなただけの問題じゃない、普遍的な問題なんだ、だからいたずらに自分を責めることはしなくてよいのだと。そういう意味を込めての、個人的なことは社会的なことだと、先だって面談したときに山本太郎代表の前で語りました。

この言葉は、ウーマンリブが華やかなりしころのラディカルフェミニストのシュラミス・ファイアーストーンという女性が言った言葉とされています。この言葉に出会ったのは、私が大学生のときでした。

◆ホームレス出産への批判

当時、自分の生きづらさのルーツを探っていたら、どうやら男女差別だということがわかり、以来私は自分が自分らしくあるために、フェミニズムがないと生き延びてこられなかったということがあります。

今ここにいるほとんどの方が購入して読んでいただいているであろう『渡辺てる子の放浪記』(同時代社刊)の中に、私の生きる原点としてホームレスの状態で子どもを産んだことが書かれています。

そのことだけをもって、いろいろな方々から無責任だ、そんな状態で子どもを産んでどうするんだ! と言われました。さらには、ホームレスで子どもを産まないで、しかるべきところに相談するなり援助を求めるなりをなぜしなかったのか、と。このようにご批判を受けることがあります。

それに対しては反論をさせていただきたいと思います。まず、望まない妊娠であったということ。批判する人は、そういう状態で子どもを生むリスクを負っているわけではいですよね。いったいどういう見地からして母親を責めるんでしょうか。

話は少しずれますが、やむなく子どもを産んで死なせてしまった母親がいます。母親が妊娠したことをだれにも相談できず病院にも行けず、子供を産み落として嬰児遺棄で刑法に問われることがある。

あるいは捨て子をしなければならない状況に陥った母親を、法的にも責めてるし、心理的にも道義的にも責める人がたくさんいます。

しかし、妊娠・出産だけでも女性は非常にリスクを抱えています。病院にかかったとしてもそれで生命を落とす人もいます。大きなおなかを十月十日抱えているだけでも大変なのに、出産した女性をなんで責めるんですかね。責めていいことがあるんですか?

しかも相手の男性がいるはずですよね。その男性を責めず女性だけを責める。これひとつもっても、いかに日本は女性を不当に差別し抑圧している意地汚い社会か、だと思います。皆さんの周りに、いま言ったようなことで女性を責める人がいたら、おかしいんじゃないですか、と言っていただきたいです。

◆厳粛に受け止めた出産

いずれにせよ、私がそういう中の一人であったことは事実です。が、おかげさまで出産自体は非常に安産でした。それまでホームレスをやりながら真冬の氷点下、寒さが骨の髄まで刃のように突き刺さる厳寒の夜、流産も覚悟し、死産も覚悟していた中で安産だったことだけでも私はありがたいと思っていました。そこに生命の強さを感じました。

自分の体を通して一人の人間が、一個の人格がこの世に出現しただけで私が特別な存在であったり母親ではないんだ、というむしろ普遍的な思いで出産を厳粛に受け止めました。これが私の生命の尊重の原点になったのです。

そうは言ってもあまりにつらいし、いつまでも子どもを連れてホームレスの状態でいることは、子どもをかわいそうな目に遭わせてしまう。でも子どもと離れるのはいやで親子心中を考えたこともありました。

車の中の二酸化炭素中毒で一家が死ぬやり方が当時はやっていたので、それが一番いいなと思いました。私のあこがれの自殺のスタイルだったんですよ。でも、ホームレスなので車がないから、その方法はそもそも無理なんですよね。

睡眠薬も、親子三人が致死量に至るまで飲むのは相当な量だし、小ちゃい子はまず飲まないだろう、タブレットだからそれも無理だろうと思って。

あとは富士の樹海に行くことだけれど、子供二人連れて交通費もないし……。ヒッチハイクで乗っけてもらおうとしても、自殺とわかってしまうから、絶対にそこまで乗っけて行ってもらえないなと。

一番確実な方法はビルの屋上から飛び降りることだったんですね。実際、子供二人連れて飛び降りたお母さんもいたんですよ。これなら実例があるから、成功例があるからできると思いました。

いざ実際にやってみようと思うと、一般の人が屋上まで行けるのはデパートぐらいしかない。でも金網がかなり高いところまで張り巡らされているので、子供二人連れて乗り越えることは物理的にできなかったんですね。

一人だけならおんぶして金網を登れるかもしれなかったですが二人一緒だと無理。一回しか飛び降りられないから二人を一度に連れて行かなけりゃならない。それも無理で、親子心中をあきらめたんです。

別にたいそうな思想があって生き延びたわけではなく、そういったいろいろな巡りあわせで死なないでこれただけに過ぎません。(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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