心から哀悼の意を表したい。

選挙戦にめっぽうつよい一強のゆえに、また不寛容と強権的な政治手法ゆえに、生前の安部氏への批判はすさまじかった。本通信もその例にもれず、政策のみならず政治体質そのものへの批判に及ぶことが少なくなかった。

ネットの批評では、あまりにも安倍批判が過剰となり、匿名SNSで「安倍しね」などという何でもありの罵倒が嵩じて、安倍氏を殺す空気があったという指摘がある。ネット時代の匿名性・無責任な発言・異常な書き込みが社会のありようを壊しているのだとしたら、表現者としてのわれわれも、その弊害に自覚的でなければならないであろう。

いずれにしても、選挙戦のさなかの「銃撃」という暴力は許されない。選挙戦は「野次」や「批判」もふくめて言論戦である。銃を撃ちたいなら、逮捕や拘束・戦死をも覚悟で戦場に行くべきである。かさねて安倍氏の生前の労をねぎらうとともに死を悼み、銃撃犯の暴虐を弾劾するものです。

とはいえ、敵をつくってそれを叩くことで自分の主張を際立たせる。たとえば「あの悪夢のような民主党政権時代」などと、国民の分断を意識的につくり出す安倍氏の手法にこそ、ネット時代特有の弊害を生む理由があったのではないか。旧来の自民党にあった、日本的な寛容さで対立をも呑み込む広さは、安倍氏には感じられなかった。本通信で扱ってきた、安倍氏の時々の歩みを再録しておこう。直近のものから収録したので、編年的に読みたい方は、下から上にクリックしてください。

◆果たせなかった院政

福田家との争闘が想像されたが、安倍氏の院政は残念ながら「逝去」によってついえた。

安倍家と福田家もそうだが、日本の政治家(国会議員)の3人に1人が世襲制という現実が問題にされなければならないであろう。看板(名前)・地盤(組織)・カバン(金=借金もふくむ)を個人が継承しなければならない以上、この弊害というか異様な伝統は今後もつづく。

総理大臣にかぎっていえば、平成になってから32年間で19人の総理のうち、世襲でない人は6人。70%が世襲の総理大臣なのだ。もはや王朝政治ともいうべき世襲率、特権貴族のような人たちが政治を支配していることになる。これでは北朝鮮の金氏王朝を批判できない。記事はこれにも触れるべきであった。

安倍派の誕生 ── 息づく「院政」という伝統 2021年11月12日

◆晩節を汚した「桜を見る会」

安倍氏の政権末期は、大物政治家らしいスキャンダルにまみれた。われわれは政治家に清廉よりも能力をもとめたいが、やはりルール批判は許せないものだ。そして安倍氏においては、ピンチになると姿を隠したり病気になったりと、正面から向き合わない、ある意味では政治家的なスマートさが、かえって格好悪さだった。そういえば、再登板も噂されていたのだ。

危機になると、病気になったり姿を隠す……。卑怯な「容疑者」安倍晋三の逃げ切りを許すな! 再登板をねらうも、不起訴不当の議決で頓死! 2021年8月3日

安倍晋三を逮捕せよ! 自民のアベ切りの背後に、菅首相の思惑 2020年12月26日 

安倍晋三の政治とカネの無様な実態 検察は自殺者を出さないために、前総理の身柄を押さえて説諭せよ 2020年11月28日 

◆自民党のCM動画での安倍氏

昨年の春には、編集部の企画で自民党のCM動画で安倍氏の雄姿を懐かしむ記事も掲載した。

こうして見ると、やはりアジテーションの上手い頭のいい人だったのだろう。経済も法律(とくに憲法解釈)も、あまりわかっているとは思えなかったが、答弁力(質問の論軸をはぐらかす)やパフォーマンス能力は一流だった。

自民党のCM動画で安倍元総理の雄姿を懐かしむと、政権の旧悪が露見してくる ── 政権奪還からコロナ禍逃亡退陣まで 2021年4月7日

◆コロナで挫折

経済への期待感から、景気の良い話に乗りたがる国民には圧倒的な人気があった。それが選挙戦での強みである。

だが、スキャンダル対応(すぐにカッとなる)もふくめて、守勢にまわると弱い人だった。コロナ禍で、はしなくもそれが暴露された。対応は後手にまわり、アベノマスクという遺産を残して、ふたたび病魔に倒れる。

安倍総理辞任の真意 コロナ禍に対応できず、危機管理に苦しまぎれの退陣! 2020年8月29日 

247億円が使途不明? カビや異臭も? 髪の毛と虫が混入したアベノマスク疑惑 2020年4月25日 

コロナ恐慌「経済対策総額108兆円」のイカサマに安倍政権の末路が見えた! 2020年4月10日 

◆反社との関係

もうひとつ。反社との関係は工藤會をはじめ、脇が甘かった。ネット上では「ケチって火炎瓶」というハッシュタグで、下関事務所襲撃事件が暴露されたものだ。桜を見る会の核心部は、反社との公然たる付き合いであろう。

「反社会勢力」という虚構〈5〉やはり虚構だったのか? 「反社会的勢力」を「定義困難」と閣議決定した安倍政権に唖然 2019年12月14日

「反社会勢力」という虚構〈4〉やっぱり反社が参加していた「桜を見る会」── 自民党政治は反社との結託で成立している 2019年12月7日

◎プーチンとの蜜月 
二島返還もままならなくなった安倍〈売国〉政権・北方領土問題の絶望 2019年2月6日 

◎政治手法
もはや圧倒的な独裁制 私物化された情報機関が生み出す政敵ヘイト工作の軌跡 2018年9月13日 

◎アベノミクスの裏側
官民ファンドは全て赤字! アベノミクス「成長戦略」の無責任 2018年8月10日 

◎放置された拉致問題
安倍氏を総理候補に浮上させたのは、いうまでもなく北朝鮮拉致問題だった。この課題もなおざりにされた。
拉致問題「報告書」の真相とは? 2018年5月15日 

安倍氏を追悼したあとは、事件の背後関係の有無であろう。山上容疑者(の母親)が関与していたという統一教会と対立しているサンクチュアリの教祖(文鮮明の七男)が現在、来日中なのである。

統一教会の母子骨肉の分派抗争が事件に関わっているとしたら、まるで映画のような歴史的事件ではないでしょうか。森田芳光『ときめきに死す』のラスト暗殺成功バージョンということになる。


◎[参考動画]安倍元総理銃撃の瞬間

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

今回は新大久保駅から徒歩8分ほどのGENスポーツパレスで開催。

小規模イベントではあるが、若武者会と言われたNJKFの新時代のメンバーで運営されて今回で24回目。各ジム後援会、選手仲間応援関係者が占める会場ではあったが、新人戦と女子試合の中堅クラスが会場を盛り上げた。

◎DUEL.24 / 7月3日(日) GENスポーツパレス 18:00~20:55
主催:VALLELY / 認定:NJKF

第2部(女子8~11試合)

◆11 S-1レディース・ライトフライ級3回戦(2分制)

ミネルヴァ・アトム級3位.久遠(=ひさえ・渡辺久江/ZERO/48.85kg)
      VS
ミネルヴァ・ライトフライ級5位.RINA(谷山・小田原道場/48.75kg) 
勝者:RINA / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:和田27-30. 多賀谷28-30. 君塚27-30

久遠は2002年4月にMMAでデビューし、女子プロボクシングの経験を持ち、キックボクシングやシュートボクシングにも出場。昨年10月31日のDUEL.22では5年ぶりの復帰をしたが判定負け、今年に入って引分けと、今回も含めまだ勝利は得られず、キック通算戦績はこれで16戦9勝(2KO)5敗1分1NCとなった。RINAはこれで18戦9勝6敗3分。

ローキックとミドルキック中心の攻防からRINAが組み合うと久遠はロープに詰められる展開が増え、RINAがヒジ打ち落としも見せる。RINAはミドルキックなど距離に応じた蹴りで印象付け終了。

久遠を後退させるRINAのハイキック

劣勢でも落ち着いた試合捌きを見せる久遠のヒジ打ちでRINAを圧す

◆10 女子(ミネルヴァ) 49.5kg契約3回戦(2分制)

ライトフライ級1位.佐藤”魔王”応紀(PCK連闘会/49.0kg)
      VS
ライトフライ級8位.紗耶香(BLOOM/49.1kg) 
勝者:佐藤”魔王”応紀 / 判定3-0 (29-28. 30-28. 30-28)

互いにパンチヒザ蹴りローキックと攻防激しいが的確なヒットが少ないが下がらない両者。アグレッシブな前進が優った佐藤。第1ラウンドだけ10-9でジャッジ三者揃った以外は拮抗する展開で終わった。

両者アグレッシブな展開から紗耶香を上回っていく攻撃力の佐藤”魔王”応紀

佐藤”魔王”応紀が9月25日に挑戦するチャンピオン真美を迎えてツーショット

◆9 女子(ミネルヴァ)ピン級3回戦(2分制)

ピン級4位.撫子(GRABS/44.6kg)vs同級6位.斎藤千種(白山道場/45.36kg)
勝者:撫子 / 判定3-0 (29-28. 30-27. 30-28)

撫子は、先日ピン級チャンピオンと成った藤原乃愛には引分けと挑戦者決定戦で敗れる1敗1分だが、アグレッシブな展開を見せる元気な子といったイメージが残る。前進としぶとさ、ヒットの数で撫子が判定勝利。

毎度の前進と手数で圧倒していく撫子の前蹴りで斎藤千種を攻める

◆8 第2部 女子アマチュア50.0kg契約2回戦(90秒制)

堀田優月(闘神塾)vs鍋倉凛音(HARD WORKER)
勝者:堀田優月 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-19)

以下第1部(1~7試合)

◆7 59.0kg契約3回戦

パヤヤーム浜田(キング/58.7kg)vsコウキ・バーテックスジム(VERTEX/58.9kg)
勝者:コウキ・バーテックスジム / 判定0-2
主審:和田良覚
副審:多賀谷28-30. 竹村29-30. 中山29-29

序盤のローキックでの様子見から徐々にコウキがミドルキックからやや高め、ハイキックへ勢い付いていく。浜田はいつもながら出遅れる展開で反撃が遅い。最後になってやや我武者羅に出るが時間が無く、以前のような怒涛の巻き返しは見られず。ジャッジ三者が揃ったラウンドは無いが、コウキが積極性で上回った印象は残る。

気合いで負けず、奇声を上げていくコウキのハイキックが浜田の勢いを止めた

勝ってリングを降りる際も陽気にアピールするコウキ

◆6 57.0kg契約3回戦

竹添翔太(インスパイヤード・M/56.5kg)vs庄司理玖斗(拳之会/56.5kg) 
引分け 1-0 (29-29. 29-29. 30-28)

両者アグレッシブな蹴りとパンチ、組み合うとヒザ蹴りの採点もジャッジ三者ともに一致したラウンドが無い拮抗した展開で終わる。

男子キックのセミファイナル的位置付けの竹添翔太vs庄司理玖斗は拮抗した展開でドロー

◆5 スーパーフェザー級3回戦

細川裕人(VALLELY/58.7kg)vs山崎尚英(スタートゲート/58.9kg)
引分け 三者三様 (29-30. 30-29. 29-29)

◆4 フライ級3回戦

玉城海優(RKA糸満/50.65kg)vs明夢(新興ムエタイ/50.65kg)
勝者:明夢 / 判定0-3 (29-30. 28-30. 29-30)

◆3 52.5kg契約3回戦

愛輝(ZERO/52.15kg)vs中島隆徳(GET OVER/52.0kg) 
勝者:中島隆徳 / 判定0-3 (27-30. 28-30. 28-29)
           
◆2 57.0kg契約3回戦

島人祖根(キング/56.65kg)vs颯也(新興ムエタイ/56.8kg)
勝者:島人祖根 / TKO 2R 2:28

颯也の蹴りがインパクトあるが、島人のパンチで1ラウンドに2度、2ラウンドにも2度目のノックダウンでレフェリーストップ。

2試合しかしかなかったノックアウト勝利の一つは島人祖根が颯也を倒してKO賞獲得

◆1 53.0kg契約3回戦

悠(VALLELY/52.4kg)vs翼スリーツリー(DAIKEN THREE TREE/53.0kg)
勝者:悠 / KO 1R 1:39 / パンチによる3ノックダウン

第1試合で翼から3ノックダウン奪ってKO賞を獲った悠

《取材戦記》

最終試合の久遠vsRINA戦はヒジ打ち、顔面ヒザ蹴り有効S-1ルール。女子は禁止技となること多いが、それがムエタイやキックボクシングとして基本技に含まれる当然の打撃技である。でもこの日、実際に女子が頭部にヒジ打ちガンガン打ち下ろしているとエゲツなく見えてしまった。斬るというよりゴツゴツ当てているようなヒットだった。試合後の久遠はダメージよりも疲れた表情でファンに笑顔を見せた。近年は出産育児を経て再起する選手も多いが久遠もその経緯がある。これも今時の女子キックボクサーの在り方でしょう。

佐藤”魔王”応紀の勝利後、9月25日に佐藤の挑戦を受けるミネルヴァ・ライトフライ級チャンピオン、真美(team lmmortal)がリングに上がり、佐藤は「真美選手と再戦することになりました。アグレッシブに戦います!」とコメントした後、真美は「相手に何もさせず、全て上回ってベルトを持って帰ります!」と宣戦布告し、ツーショットに収まった。二人は2019年6月9日に対戦し真美が判定2-0勝利している。コメントを求められれば少々過激な発言しなければ盛り上がらないという意識もあったかもしれませんね。

パヤヤーム浜田は昨年10月、KO勝利で2勝目を上げたが、敗戦は12敗を数える。4月24日の春日部では劣勢から盛り返しながらポイント上回れず引分け。昨年のインタビュー上の凄く遠慮がちな発言ながら、「チャンピオン目指します!」と言った浜田は、いつものラストラウンドの我武者羅に盛り返す突進が少なかった。「倒す気持ちが足りなかった、一から出直しです!」と反省しきり。向山鉄也会長は「中盤入ってからも見過ぎだよ。」と語る。

この試合の数日前だが、向山会長に「パヤヤーム浜田はいずれタイトルマッチまで到達しますかね?」と聞くと、「あとちょっと2試合ぐらい勝てばランキングには入るだろうけど、それ以上は難しいな!」と回答。

負け越していても連敗してもタイトル挑戦が有り得る現在の各団体レベルのタイトルマッチ。日本を代表するトップクラス(WBCムエタイ等、同水準日本王座)やRIZIN、KNOCK OUT等ビッグイベント出場には難しいだろうが、1983年11月、神奈川県出身の浜田はリングネームどおり、パヤヤーム(タイ語で努力)を続けていくだろう。

久遠とパヤヤーム浜田は今後負けても、いつの間にか居なくなることなく、どこまで上位進出への挑戦を続けていけるかが注目の一つでしょう。

前回のDUELはカルッツ川崎に於いて、エスジム主催でタイトルマッチ5試合を行なったが、今回は新人戦が中心のイベントで終わった。GENスポーツパレスはK-1GYMも入っているビルの様子。階上の体育館はバスケットボールが行える設備があり、天井も高かった。新人戦はこういった質素な会場で、ランキング以上は後楽園ホールで試合するといったレベル、段階分けも必要でしょう。

NJKF次回興行は9月25日(日)に後楽園ホールでNJKF 2022.3rdが開催予定です。次のDUELは未定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

野田正彰の記事「大阪心療内科放火事件に思う」に注目だ。事件そのものではなく、心療内科というよくわからない精神科についての疑問である。心療内科放火事件の背後には、拡大自殺にいたる人間の世界観(存在観)が横たわり、自殺による世界の消滅が自分をとりまく世界を道連れにする。このような構図が鮮やかに解説されている。

記事それ自体は朝日新聞のウェブ論座向けに書いたものを、直前で没にされたものだ。

それらの経緯については、別記事の「野田正彰論考を朝日新聞『掲載見送り』の裏側──『心療内科』はマスコミダブー」(浅野健一)を読んでいただきたい。

◆病は気から

さて、一流の書き手ならではの明解な文章で、その秀逸な問題意識は読んでいただくとして、わたし自身が得心したことを述べておこう。

野田さんは心療の診療行為に、一時間半をかけるという。じっくりと患者の話を訊き、鬱症状の因子をさぐりあてる。患者もその因子に気づき、対応できる行動(職場替えなど)で解決するという。鬱病と呼ばれるものの大半は、心理的な因子、環境によるものなのだ。薬で治ると考える医師たちによって、患者は薬漬けの「ジャンキー」にされるのだと。

『紙の爆弾』2022年8月号より

野田さんの記事中には村西とおるさん(映画監督)の薬漬け体験記の抄録があり、とても参考になる。

わたしの場合は鬱ではないが、神経性胃炎みたいな症状が「持病」である。いずれは胃がんで死ぬなと思っているが、症状が出る時はH2ブロッカーのお世話になる。小学校低学年のころ寄宿学校に通っていたことがあり、月曜日の登校日(寄宿学校への出発)の朝になると、行きたくないから胃がキリキリと痛む。母が「じゃあ、今日は休んで明日になさい」で、ピタリと嘘のように胃痛が治るのだった。

長じて仕事の責任がかかってくるようになると、しばしば胃痛に悩まされたが、40代のころに初めて胃カメラを体験。十二指腸潰瘍の痕跡がある(つまり知らないうちに治癒している)ことを告げられた。薬によるピロリ菌の除去をへて安堵したが、しかし十二指腸潰瘍は再発した。

ちょうど「情況」の編集長を引き受け、某元総理大臣(こう書けば誰だかわかる)のインタビューの前日のことだった。その前日には東大阪に某元政治家の大物弁護士(こう書けば誰だかわかる)の親族の取材をして、河内方面の人々の手荒い歓迎(大きな声、タバコと酒)で神経が参っていたのかもしれない。ようするに、やや苦痛な取材だったのだ。

診察の結果、すぐに入院ということになったわけだが、そこで医師と論争をするという、とんでも患者を演じてしまったものだ。明日は大事な仕事があるので、入院なんて絶対にできない、というわけだ。

前日までの疲労、翌日のコーディネーターとしての責任感から、十二指腸が出血していることが判明。抵抗むなしく、人生で初めての入院となったものだ。入院生活4日で味気ない食事とはお別れしたが、やがて収入の半分近くが年金生活となり、編集長も辞した安穏な現在も、ときどきその気が訪れる。

論争や創造的なことだとアドレナリンが出て活力を感じるし、遠距離のサイクリングでβエンドルフィン(快楽物質)を体感することはあるが、嫌なことや大儀なことを前にすると──。今後は野田さんの記事を参考に、自分との対話をくり返しながら、おだやかに生きていこうと思うこのごろだ。

◆台湾有事について

5月号につづいて、天木直人さんと木村三浩さんの対談が掲載されている。「台湾有事の米国戦略と沖縄の可能性」である。ウクライナ戦争の原因については、両氏と意見を異にするが、熱のこもった対談には元気をいただいた。

お二人によると、沖縄が反戦の声をあげることで東アジアの危機(台湾をめぐる米中戦争、およびそれに巻き込まれる日本)は回避できるというものだ。日本の平和を沖縄に押しつけるような疑問は残るが、それ自体としては慧眼である。沖縄は命を宝として、日米の基地押しつけに耐えてきた。われわれヤマトンチュが、辺野古をはじめとする米軍基地の撤去に何ができるのか。そのことを抜きに沖縄の可能性は問えないであろう。

いっぽうで、ウクライナ戦争が反戦平和一般では解決できないことを、この4カ月余は厳しくも知らしめて来た。かつて日本は朝鮮半島の戦争で焼け太り、いままた台湾危機に逢着しようとしている。外交による解決が最優先であるにしても、戦争は外交が破綻したあとに起きるものであって、勃発した戦争は戦争でしか止められない。

朝鮮戦争のとき、共産党をはじめとする革命勢力は武装闘争で「戦争を内乱へ」(レーニン)を実行し、壊滅的な弾圧をうけた。その方針は、朝鮮動乱で大量の避難民が日本に流れ込む、その混乱と政治危機をとらえて革命情勢を創出するといったものだった。中朝共産主義勢力の、いわゆる「第5列」として内乱を実行する。帝国主義戦争を終局させるのは、社会主義革命しかないと。こうした議論はいまや日本の左翼にはない。

木村さんのように対米自立・自主防衛を唱える場合も、平和一般ではなく国防という問題は避けられない。共産主義のコミューン原則であれば、現在のウクライナが採っているように、18歳以上60歳未満の男性は国内にとどまり、郷土を防衛しなければならない。さて、台湾有事にさいして、われわれは何を議論するべきなのか。テーマは鮮明だが、議論の軸心があやうい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

核兵器禁止条約締約国会議が6月21日~23日オーストリアのウィーンで開催されました。

核兵器をはじめて法的に禁止する核兵器禁止条約。その締約国があつまり、「核抑止」を真っ向から批判するウィーン宣言と行動計画を採択しました。

◆核兵器廃棄や撤去への段取りも策定進む

22日には、核兵器保有国が条約に入るときの「執行猶予」は10年、他国の核兵器を置いている時は90日と定められました。過去、冷戦後に米ロが核兵器を削減していたときのペースを続ければ10年で可能、また、台湾(中華民国)や韓国にアメリカが、キューバに旧ソビエトがおいていた核兵器を撤去した際に90日かからなかったということから計算したものです。このように、核兵器禁止条約を実施するために必要となる「段取り」もどんどん決まっています。

すでに、核兵器禁止条約は66か国が批准しています。近隣で言えばASEAN加盟の東南アジア諸国はお隣のフィリピン(南沙諸島を含めて中国との安全保障上の緊張関係は日本同様ある)を含めてほとんどが批准しています。ドイツ、ノルウェー、オーストラリアといういわゆる西側の国もオブザーバー参加しているのが核兵器禁止条約です。

◆爆心地出身、しかし会議にオブザーバー参加すらしない総理

しかし、かたくなに会議に顔を出すことすら拒否している国があります。情けないことに我が日本です。爆心地の広島1区を選挙区とする岸田総理率いる日本。来年2023年5月後半には広島サミットを開催する予定です。

自民党政府は長年、「核兵器保有国と非核兵器保有国の橋渡しをする」と公約してきました。

そうであるならば、結論は簡単です。いますぐ核兵器禁止条約を批准までできれば理想です。しかし、そこまでいかなくとも、条約にオブザーバー参加すればいいのです。そして、今回の会議に顔を出して、条約をつくった市民や国の意見に耳を傾け、来年のサミットでそれを米英仏の核保有国に伝えればいいではありませんか?このままでは、それこそ、核兵器禁止条約のオブザーバー参加国で、今年のG7議長国でもあるドイツあたりに橋渡しをとられてしまうのではあるますまいか?ただ、今のショルツ首相にはメルケル前首相とちがい、それをやるだけの外交的な力量はないとも思いますが、そんなことを日本人が喜んでいる場合ではありません。

◆米欧主導の世界を平和公園舞台にアピールするだけに? 2023広島サミット

残念ながら、来年の広島サミットがたいした意味があるものにならない。それどころか、一般県民・市民の多くにとっては警備や交通規制で大迷惑するだけになるのは、容易に予想がつきます。せいぜい、首脳が平和公園をめぐって、被爆者の話を聞いて、それで終わり、になりかねない。おそらく、核兵器による威嚇には反対しても、核兵器廃絶をめざすものにはならない。そう筆者には思われて仕方がないのです。

岸田総理は、5月23日、広島でのサミット開催について来日中のバイデン大統領に「おうかがい」を立て、大統領に「裁可」を得ました。そのあと、こう言いました。

「世界が、ウクライナ侵略、大量破壊兵器の使用リスクの高まりという未曽有の危機に直面している中、来年のG7サミットでは、武力侵略も核兵器による脅かしも国際秩序の転覆の試みも断固として拒否するというG7の意思を歴史に残る重みをもって示したいと考えています。

唯一の戦争被爆国である日本の総理大臣として、私は広島ほど平和へのコミットメントを示すのにふさわしい場所はないと考えています。核兵器の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示し、バイデン大統領を始め、G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で平和と世界秩序と価値観を守るために結束していくことを確認したいと思っています。私は、バイデン大統領にもこうした考え方を伝え、来年のG7サミットを広島で開催し、その成功に向けて共に取り組んでいくことを確認しました。」
参考 https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0523kaiken.html

あくまでも、西側先進国、踏み込んでいえば白人中心(いまは、移民政治家も多いから白人だけとは申しませんがそうはいっても白人中心であることは間違いない)の「西側帝国主義(ロシアは東側元帝国だったと言える)」の国々が平和公園という舞台装置を自分たちの「世界秩序と価値観」を正当化するために使う。平和といっても、あくまでもアメリカにとって都合のよいそれに利用する。そういうことではないでしょうか?

◆NATO招待「名誉白人」扱いで喜んでいる場合ではない!

そう言えば総理は、核兵器禁止条約締約国会議にはいかずに、NATOの首脳会議には招待されて大喜びでした。厳しい言い方をします。白人中心の先進国(踏み込んでいえば帝国主義国)の仲間に入れてもらい、「名誉白人」扱いに喜んでいるだけではないでしょうか?明治時代の「脱亜入欧」から全く進歩がないといっても言い過ぎではありません。戦前の日本はそれで勘違いして調子にのっているうちに、第二次世界大戦で近隣諸国に加害をし、また、ナチスと組んだことで今でも国連の敵国条項適用国になっています。

こうした過去への反省を忘れたスタンスだと、たとえ核兵器廃絶を言っても、かつて日本が加害をしたアジア太平洋の国々から本気度を疑われるでしょうが、まあ、核兵器廃絶に及び腰の現状ではその心配はないでしょう。

東南アジア諸国は上記でご紹介したように核兵器禁止条約に入っています。こうした国々でまとまって、アメリカにも中国にも物申す態勢をつくっています。一方で、日本は白人中心の国々にちやほやされて喜んでいるけれど、近所では浮き気味。それが今の状態ではないでしょうか?核兵器禁止条約という場をいかして、東南アジア諸国とも組んで、東アジア全体の集団的安全保障体制をつくる。それくらいのことをいまこそ、打ち出すべきときではないでしょうか?

たとえば、ロシアが制裁逃れで中国やインドに資源を安く買ってもらい、それで、日本が経済的に劣勢になったとしても、欧州の国なんて自分たちのことで精いっぱいで助けてくれませんよ?地理的に利害を共有している東南アジア諸国と核兵器禁止条約というツールをいかして連携を強化するほうがいいと思うのですが。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌 『季節』2022年夏号(『NO NUKES voice』改題 通巻32号)

創刊200号を越えた月刊『紙の爆弾』、今月も7日発売です!

今月号の特にお薦め記事は精神科医の野田正彰先生の記事「大阪診療内科放火事件に思う」です。

これは、みなさん記憶に残る昨年末、大阪北新地の心療内科放火事件について、精神科医・野田正彰先生の記事ですが、元々は朝日新聞のウェブサイト「論座」に掲載予定のところドタキャンになったものです。こういう記事を忖度なく載せるところに『紙の爆弾』のレゾン・デートル(存在理由)があります。ここではさわりだけ掲載しておきますが、ぜひ全7ページをお読みください。

『紙の爆弾』2022年8月号より

また、この事件についていうと、浅野健一さんが『創』で掲載をドタキャンされ、せっかく関係が修復したと思っていたところ、また関係がこじれています。『創』の篠田編集長は、私と同じ歳ですが、なんとも度量の狭い男です。その浅野さんが野田記事掲載ドタキャンの経緯を書かれています。

事件直後、映画監督の村西とおるさんが、非常に刺激的なツイートをし、物議をかもしましたが、実は村西さんも心療内科で薬漬けになり、回復するのに数年かかったことをカミングアウトするや、しだいに鎮火しました。

その他にも力の入った記事が満載です。ぜひ通退勤途中、書店に立ち寄りご購読お願いいたします! 気に入ったら定期購読をお願いするしだいです。

さて、来る〈7月12日〉は何の日かご存知でしょうか? 『紙の爆弾』創刊直後の2005年の7月12日、「名誉毀損」に名を借りて私が逮捕された日です。もう17年になります。7月12日には、このことについて書き記します。

(松岡利康)

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

◆不合理すぎる確定審判決

6月30日、三重県津地方裁判所に、鈴鹿殺人事件の再審請求が申し立てられた。再審請求を申し立てた加藤映次さんは、2012年11月13日、鈴鹿市山本町の会社役員Тさん(当時39歳)を殺害したとして逮捕・起訴され、一貫して否認したものの、2018年、懲役17年の刑が確定、現在千葉刑務所に服役中だ。

2018年、懲役17年の刑が確定。現在は千葉刑務所に服役中の加藤映次さん

加藤さんは、事件当日Тさんの事務所兼自宅を訪れていた。Тさんに貸した金を返済してもらうためで、事前に電話で確認していたものの返して貰えず、わずか10分ほどで部屋から退出、11時5分には鈴鹿インターから高速に入ったことが確認されている。その後、当時付き合っていた女性Mさんと買い物などをし、夕方5時には名古屋駅前の会社で面談を行っていた。ちょうどその頃、Тさんの遺体が、同じ敷地内の母屋に住む両親によって発見された。

検察は、加藤さんの退去後から遺体発見時まで、Тさんの部屋に入った者がいないとして、加藤さんが犯人だと断定した。これに対して弁護団は、加藤さん退出後に、Тさんの部屋を訪れていた第三者がいると強く主張、加藤さん退出後の11時40分頃、ТさんのiPhoneに送信された「あ」と書かれたショートメール(以降「あ」メール)が既読になっていたからだ。操作したのが生存していたТさんか、第三者かはわからない。これに対して検察は、現場に入った捜査官が誤って触ったと主張していた。

加藤さん逮捕の決め手とされたのは、施錠されていたТさんの部屋の鍵が、翌日、加藤さんの車からみつかったからだった。鍵はすぐ見つかりそうな助手席の下にあったが、発見までに3時間も要し、しかも前日Mさんが買った鋏の入っていたプラスチックケースにちり紙に包まれ形で入っていた。 

ほかにも、Тさんは頭部を10ケ所以上殴打され殺害されているのに、加藤さんの車内などから血痕や血液反応が一切ないこと、Mさんが加藤氏に頼まれ、スーツの捨てたとする供述の信用性、凶器とされたモンキレンチの購入代金を、経費を落とすためレシートを残しているなど、検察が加藤さんを犯人と断定する証拠には、不合理・不自然な点が多すぎた。

◆加藤さんが犯人でない証拠が次々と明らかに

6月30日、申し立てを終えた弁護団が名古屋市内で記者会見を行い、弁護団長の井戸弁護士から申し立ての内容が下記の通り説明された。

6月30日、三重県津地裁に再審請求を申し立てた鈴鹿殺人事件、夕方名古屋市内で記者会見が行われた

※         ※           ※

この事件の特徴は本人の自白、直接証拠もなく、間接事実の積み上げで加藤さんが有罪とされた。関節証拠のアは、加藤さんの車両からみつかったТ氏の部屋の鍵で、犯人が被害者宅を施錠し、その7~8時間後、両親が遺体を発見するまで、誰もそこに立ち入ってないとのストーリーから、加藤さんを犯人と決めつける証拠としていた。

イは、凶器がモンキレンチとされ、それを犯行で使った加藤さんの手にケガ(色の変化)がついていたこと、ウは、加藤さんに当日来ていたスーツを捨てるよう指示されたというMの供述、エは、殺害の動機があったということ、オは、その日、加藤さんがТさんの部屋を訪ねていることだ。これらのうち、とくにア、イ、ウの3つの関節事実を潰していくために、弁護団は1~20の新証拠を提出した。

支援を呼びかける加藤映次さんのご両親

特に重要と考えているのはline株式会社からの回答です。当日、加藤さんはТ氏宅を遅くとも午前11時には退出した。被害者の遺体が発見されたのは5時半から6時の間で、翌日の捜査で、3時27分、被害者の遺体の脇にある本人のiPhoneが見つかった。それを解析すると、事件当日の4時37分に、lineのスタンプがダウンロードされていたことが判明。弁護団はLINE株式会社に、スタンプのダウンロードがどのような方法でできるのかを問い合わせた。結果、iPhoneを直接操作したとしか考えられないことがわかった。つまり、4時37分に誰かが遺体のすぐそばにいたということであり、この事実から、加藤さん退去から遺体発見までの間、誰も部屋に入った者はいなかったという検察のストーリーが根底から覆されることになる。

上記の端末を直接操作する以外の方法として、「iosのroot権限を奪取してファイルを直接設置する方法」があるとLINE株式会社は指摘する。しかし、これは普通の人では操作は難しく、「iPhoneマニア」や「ITリテラシーが高いエンジニア」など特殊な人にしかできないとの回答だった。Т氏が「iPhoneマニア」や「ITリテラシーが高いエンジニア」であったとする証拠は皆無である。

従ってこのスタンプのダウンロードは、4時37分にiPhoneを直接誰かが操作しておこなったと考えるしかない。その人物は加藤さんではない。加藤さんは5時には名古屋駅前の事務所にいたから、4時37分に鈴鹿にいることは不可能だ。被害者本人である可能性は、死亡推定時刻の関係から可能性は乏しい。

つまりiPhoneを操作したのは第三者である可能性が高い。その第三者は、Т氏の死亡の事実を知りながら、何故警察に通報しなかったかと考えると、その第三者自身が殺人犯であるか、少なくとも殺人犯とつながりのある人物だという蓋然性を伺わせる。

最後にドアを施錠したのは、その第三者(申立書では「X」)の可能性が高い。鍵は5本セットで、1本は両親、3本は被害者が持っており、残りの1本が加藤さんの車両から発見された。Xが最後に施錠するために用いた鍵が、翌日午後11時過ぎに加藤さんの車両内から発見されたということになる。誰がどのようにして行ったかは謎だが、重要な事実だ。

前述したように、弁護団は確定審段階で、加藤さんがТ氏宅を立ち去ってから、遺体発見までの間に、Т氏宅に立ち寄った人がいるのではないかと訴えてきたが、当時の裁判所はそれを認めなかった。しかし、今回のLINE株式会社の回答を得たうえで弁護団が調査した結果、それは争いのない事実となった。

獄友仲間の西山美香さんと、桜井昌司さん。西山さんは、午前中、自身の国賠訴訟の期日を終え、滋賀県から駆け付けた

また、検察は凶器をモンキレンチとしているが、吉田謙一東大名誉教授の鑑定書から、モンキレンチでないことが明らかにされた。モンキレンチは先に近い部が大きく加速度がつきやすく、打撲による破壊力が大きく、頭部に当たった場合、必ず陥没骨折が生ずるが、Тさんの頭部には陥没骨折は生じていないからだ。さらに、Mの「加藤氏に頼まれ、スーツを岬水辺公園のゴミ箱に捨てた」旨の供述も、豊明市長の「当時、公園にゴミ箱がなかった」との回答書から嘘だと判明した。

しかし、鍵については大きな謎が残っている。加藤さんが逮捕された日の10時15分、警察が加藤さん宅にあった車をレッカー移動する前、外から車内を写した写真がある。テッシュに包まれた鍵がタグなどと一緒に入れられている小さなケースがある。さらに、同日午後11時53分、鍵の入ったそのケースが助手席下から発見された際撮られた写真がある。2つの写真との間にどのような変化があったか鑑定したところ、ケースから中身が一度取り出された後、再びケース内に戻された可能性が極めて高いことがわかった。

Xが、事件当日の4時37分以降、Т氏の部屋の鍵をかけ、翌日の午後11時53分までの間に、なんらかの形でその鍵を加藤さんの車に置いたとしか考えられない。そもそも凶器とされるモンキレンチ、犯行時に来ていたスーツについては、証拠隠滅のために廃棄しているにもかかわらず、それ以上に犯人性を疑わせる被害者宅の鍵を持ち続けていたことはあまりに不自然だ。廃棄する時間・場所もいくらでもあったのに。

実は、暴力団関係者と繋がるТさんの周辺には、彼を恨む人が沢山いたという。しかし、警察は鍵が見つかったということで加藤さんを犯人ときめつけた。この事件については様々な闇があり、可能な限り解明したいが、他方で解明されなくても加藤さんを犯人とすることに合理的な疑いが残る以上、加藤さんに対しては速やかに再審開始が決定されなくてはならない。加藤さんの無実を晴らすために、検察はすべての証拠を明らかにすべきだ。

※         ※           ※

井戸弁護士の説明の後。冤罪被害者仲間の西山美香さん、桜井昌司さんから応援メッセージが、加藤さんのご両親から支援を呼びかける訴えが行われた。質疑応答の後、最後に獄中の加藤さんからのメッセージが代読された。津地裁は一刻も早く再審開始を決め、加藤さんの無実を明らかにすべきだ。

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《連絡先》〒496-0862 愛知県津島市城山町1-15
◎鈴鹿殺人事件・加藤映次さんを守る会 加藤元博 http://enzai.main.jp/
◎拘置所ブログ 加藤映次、冤罪と闘ってます、刑務所日記 NOW ! http://eiji-enzai.blog.jp/

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年8月号

幸福の科学事件。武富士事件。長野ソーラーパネル設置事件。DHC事件。NHK党事件。わたしの調査に間違いがなければ、これら5件の裁判は、「訴権の濫用」による損害賠償が認められた数少ない判例である。(間違いであれば、指摘してほしい)

「訴権の濫用」とは、不当裁判のことである。スラップという言葉で表現されることも多いが、スラップの厳密な意味は、「公的参加に対する戦略的な訴訟」(Strategic Lawsuit Against Public Participation)で、俗にいう不当訴訟とは若干ニュアンスが異なる場合もある。

それはともかくとして、日本では不当裁判を裁判所に認定させることはかなり難しい。日本国憲法が、裁判を受ける権利を優先しているからだ。第32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と提訴権を保証している。

 

藤井家の近くにある自然発生的にできた「喫煙場」

◆前訴までの経緯

今、この司法の高い壁に挑戦している人がいる。横浜副流煙事件の加害者として法廷に立たされた藤井将登さんである。前訴で原告の訴えが棄却された後、前訴は不当裁判だったとして、前訴の原告らに損害賠償を求める裁判を起こしたのである。今年3月のことだ。請求額は約1000万円。前訴を基にした「反訴」にほかならない。

妻の敦子さんも原告として将登さんに加わった。非喫煙者であるにもかかわらず、娘と共にヘビースモーカー呼ばわりされたからだ。

事件の発端は、煙草の副流煙をめぐるトラブルである。将登さんが自宅で吸っていた煙草の副流煙が原因で、「受動喫煙症」になったとして、同じマンションの斜め上に住むA家の3人が2017年11月に提訴した。請求額は約4500万円だった。しかし、訴えは棄却された。原告の全面敗訴だった。

前訴の中で、3人の診断書を交付した日本禁煙学会の作田学医師の医療行為が問題になった。A娘を診察せずに診断書を交付していたのだ。実際、前訴の判決は、作田医師による医師法20条違反を認定した。後に、作田医師は刑事告発され、横浜地検へ書類送検された。

こうした事情もあって、藤井夫妻は「反訴」の被告に作田医師も加えた。

◆不当裁判の法理

過去の判例によると、裁判所に「訴権の濫用」を認定させるためには、まず前訴の提訴に事実的根拠がなかったことを立証しなければならない。この点について、藤井さん夫妻のケースでは、判決がそれを認定している。

しかし、それだけで訴権の濫用が認められるかけではない。前訴の提起に事実的根拠がないことをA家の3人が知り得た事情を、藤井さんの側が立証しなければならない。相手の内面を客観的な事実で解明する必要がある。

このあたりの法理について、最高裁は次のような基準を示している。

「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」(判例=昭和63年[1988年]1月26日)
 
これが訴権の濫用を認定させる裁判の法理なのである。過去に認定された例が極端に少ないゆえんにほかならない。

◆A夫の陳述書や日誌が裏付ける事実

しかし、藤井夫妻のケースでは、元原告が訴訟提起自体に無理があること認識していた可能性を示す有力な物的証拠がある。たとえばA夫に喫煙歴があった事実を裏付ける書面の存在である。それは前訴でA夫が提出した陳述書である。

「私は、タバコを吸っていた頃は、妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていましたので、ベランダで喫煙する時もありましたが、殆どは、近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所などで喫煙し、可能か限り、人に配慮して吸っておりました」

前訴原告が煙草を吸っていたことを自ら認めた陳述書

副流煙の発生源として将登さんの責任を問うていながら、実はA夫自身がスモーカーだったのだ。当然、家族もそれを知っていたと考えるのが理にかなう。実際、引用した陳述書の中で、A夫はA妻から喫煙を注意されたと告白している。

A夫の禁煙歴が発覚したのは偶然だった。この裁判を取材していたわたしが、A家の弁護士を取材したところ、A夫の喫煙歴を認めたのだ。その後、A夫みずからが陳述書(上記)でそれを告白したのである。喫煙歴を隠していたことが、裁判に不利に作用することを見越して取った措置だと思われる。作田医師に対しても、A夫は自らの喫煙歴を告げていなかった。

また、前訴の本人尋問を通じて、A夫の喫煙歴が約25年に及ぶことも分かった。提訴の直前まで吸っていたという目撃証言もある。

 

前訴までの経緯は、『禁煙ファシズム』(黒薮哲哉著、鹿砦社)に詳しい

さらにA夫が前訴で裁判所に提出した日誌(約3年分)も、前訴に事実的根拠がないことを家族3人が認識していた物的な証拠になりそうだ。この日誌には、将登さんが自宅に不在のときに、煙草の臭いがするという記述が少なくとも38箇所ある。その一部を引用してみよう。

「午後4時将登氏、車で外出する。しかし、いつもの臭いの煙草臭入ってくる。風、B、藤井から千葉方向に流れている。(リボンで確認)」(平成30年7月20日)

「8時30分、将登車なし、将登不在のようだ。しかし花のような臭いのタバコ相変わらず入ってくる、独特の臭い、国産のとげとげしたタバコではない」(平成30年8月8日)

「朝9時位から将登の車なし、しかし、甘酸っぱいお香の様な臭いがする。将登不在でも藤井家でタバコを喫っている人がいる。風は西から東へ相変わらず吹いている。」(令和元年11月23日)

つまり将登さんとは別の人物が煙草を吸っていることを認識していながら、将登さんに対して損害賠償を求めたのである。

ちなみに敦子さんと娘さんは非喫煙者である。前訴の被告ではない。4500万円の請求は、将登さんに対してのみ行われたのである。

他にも将登さんを被告とした提訴に根拠がないことを立証する証拠は複数ある。

◆司法制度改革の失敗

小泉元首相を長とする司法制度改革が始まった後、些細なことで訴訟を提起する風潮が広がった。それはますますエスカレートしている。IWJの岩上安身氏や水道橋博士もこうした時代の波に巻き込まれた。

被告にされた側は、提訴により有形無形のストレスにさらされる。精神的にも経済的にも損害を被る。

こんな時代、軽々しい提訴を防止する意味でも、藤井夫妻の「反訴」は重要なプロセスなのである。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

今日、「ウクライナ」を離れて世界はない。日本の参議院選挙も、この戦争にどう対するかが大きく問われていると思う。

◆参院選最大の問題点

今回の参院選で自民党は、公約のキーワードとして、「日本を守る」「未来を創る」を掲げながら、その政策「七つの柱」のトップに外交安保政策を挙げ、「防衛費、GDP2%以上。敵ミサイル発射基地を破壊する『反撃能力』の保有」などを打ち出した。

これがウクライナ戦争という現実を踏まえたものであるのは言うまでもない。

この執権党、自民党の公約に正面からぶつかり、対決して出てきた野党は、残念ながら一つもなかった。

唯一、れいわ新選組のみが「『日本を守る』とは『あなたを守る』ことから始まる」をスローガンに、「日本を守る」ことの意味を問うたが、他の政党は、「日本を守る」を争点にすること自体を避けた。国民民主党に至っては、「給料を上げる」とともに「国を守る」をスローガンに掲げ、自民党案への賛同、同調を表明した。

ウクライナ戦争の真っ只中、日本のこの戦争への態度が問われている今、「日本を守る」を第一スローガン、第一政策に押し立ててきた与党、自民党に対し、真っ向から対決して出る野党が一つもなかったこと、ここに大政翼賛化した日本政治最大の問題点が現れているのではないだろうか。

◆ウクライナ戦争の本質、それが問題だ

ウクライナ戦争に直面して、少なからぬ人々が考えること、それは、西のウクライナに対する東の日本の運命ではないだろうか。そこには、西のロシアとの対比で東の中国の存在がある。

去る2月24日、ロシアによるウクライナに対する軍事行動で始まったこの衝撃的な戦争をロシアのウクライナに対する「侵略戦争」だと見るのは誰も否定しない一般常識になっている。

だが、ここで考慮すべきことがあるように思う。米ソ冷戦終結時米ソ首脳の間で交わされたNATOの東方不拡大の約束だ。それがこの30年間、旧東欧社会主義諸国の相次ぐNATO加盟によって破られ続け、今や、旧ソ連邦の一員、ウクライナのNATO加盟までが日程に上らされている事実だ。

さらにロシアにとって深刻なのは、それがウクライナを最前線にロシアを包囲するかたちで隠然と促進される「米ロ新冷戦」を意味していることだ。

実際、2019年に登場したゼレンスキー政権の下、米国製武器の大量導入と米軍によるウクライナ軍の訓練、等々、軍事、政治、経済全般に渡るウクライナのアメリカ化、ミンスク合意を破棄してのドンバス地方、ロシア系住民への迫害と弾圧など、ウクライナの対ロシア最前線化は急速に進められていた。

周知のように「米中新冷戦」は、トランプ政権の下、2019年、対中「貿易戦争」として公然と開始された。それが、今、「民主主義VS専制主義」の闘いとして、バイデン政権の下、デジタル、グリーン、宇宙など、あらゆる領域に渡り、対中包囲と封鎖、排除などありとあらゆる手を駆使して繰り広げられている。

この衰退、崩壊する米覇権の建て直し戦略が、中国と同じく現状を力で変更する修正主義国に指定されたロシアに対しても、二正面作戦を避けながら、こちらは非公然に隠然と仕掛けられてきていたということだ。

こうした観点から見た時、ウクライナ戦争は、ロシアによるウクライナ「侵略戦争」と言うより、ロシアによって先制的に仕掛けられた「米ロ新冷戦」の「熱戦」化、言い換えれば、米欧が仕掛けられた戦争をウクライナを前面に押し立てて行う代理戦争だと言えるのではないだろうか。事実、この戦争は、米欧がウクライナの背後から武器を供与し、情報宣伝戦を繰り広げるだけでなく、ゼレンスキーの周りを米英の顧問団で固めて行う、ロシア対米欧の戦争の様相を呈している。

ウクライナ戦争の本質と言った時、もう一つ、ロシアに対する米欧の経済制裁とそれをめぐる戦いまで含め、軍事と経済の「複合戦争」という見方がなされている。

実際、エネルギー・食糧大国、ロシアへの米欧による経済制裁は、世界を覆う全般的な物価高の一大要因になっているだけではない。これまでの米国、ドルを中心に動いてきた国際決済秩序など世界経済秩序全体を、そこからロシアを排除することにより、大きく揺り動かしてきている。

そこで今、姿を現してきているのは、古い米欧覇権秩序と勢力に向き合って一歩も譲らない中ロと結びついた新しい脱覇権秩序と勢力の世界地図だ。それは、アジアから中南米、アフリカへと急速に世界の色を塗り替えてきている。

◆日本は、「東のウクライナ」になるのか!?

 

小西隆裕さん

参院選、自民党の「日本を守る」が米欧覇権勢力の側にあり、それと結びついているのは明白だ。それはすなわち、ゼレンスキー・ウクライナの側だと言うことだ。

これは、はたして正しい方針、正しい政策だと言えるだろうか。

自民党がこの方針、政策を選択した時、その基準は何だったのだろうか。

「米中新冷戦」を「民主主義VS専制主義」の闘いと見るバイデン米大統領の戦略から見た時、それは明らかにイデオロギー以外ではあり得ない。バイデンに従い、イデオロギーを基準に「民主主義」、米国式民主主義を選択したこと、そこに自民党の「日本を守る」政策の本質がある。

それが正しいか否かを判断する主体は、どこまでも日本国民だ。

そこで参考になるのは、先のフランス下院選だ。この選挙でフランス国民は、イデオロギーよりも国益を選んだ。「米欧・ウクライナ、民主主義」よりも「物価高」を掲げたルペン・国民連合の大躍進と「米欧・ウクライナ、民主主義」に従ったマクロン・与党の過半数割れは、そのことを物語っている。

では、日本ではどうか。残念ながら、自民党の「日本を守る」の本質をつき、真に日本を守るための政策を掲げる政党はない。

そうした中、当面問われているのは、残り何日もない参院選を通して、イデオロギーではなく国益を求める自らの要求に基づき、それを実現する道を自分自身探っていくことではないだろうか。

そこで何よりもまず、われわれ日本国民が自らに問うべきは、「日本は『東のウクライナ』になるのか!?」ではないかと思う。

ウクライナの人々の悲しみと廃墟と化したウクライナの惨状は、何よりも雄弁にその答えを物語ってくれているのではないか。

日本が米欧覇権秩序の下、その利用物になってきた歴史に終止符を打つ時がそう遠くない将来に迫っているのではないだろうか。

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

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『一九七〇年 端境期の時代』

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◆運命の導き

ムエタイトップクラスがスタジアム定期出場の合間を縫って来る1試合のみの数日滞在と、ビザの期限まで滞在して数試合出場するパターンは過去に述べたとおりで、ムエタイトレーナーとしての役割を担っている場合も多かったでしょう。それぞれに出会いがあり、日本に行く決断があり、過去のテーマで述べた国際結婚にも至るなど、人生の運命も変わるものでした。

チャイナロン・ゲーオサムリット(本名チャッチャイ・スカントーン。1973年5月21日、タイ国スラタニー県出身)は初来日はまだ19歳だったが、日本のキックボクサーが乗り越えるべき壁となって立ちはだかる存在でした。

唯一のタイトル歴は1995年1月29日、チェンマイでのIMF世界ウェルター級王座決定戦で欧州ウェルター級チャンピオンにKO勝利で王座戴冠しています。

チャイナロンが日本に来る運命は、1991年(平成3年)5月にOGUNI(小国)ジムの斎藤京二氏が現役引退し、会長に就任した当初から、自身の現役時代に足りなかった部分を補い、選手育成に繋げようと、ムエタイトレーナーの招聘を計画していたことから始まりました。

◆「チャイナロン、日本に行きたいか?」

現在は多くのジムで、比較的取得し易くなったと思われる技能指導のビザで来日していますが、当時、タイ人トレーナーはまだ限られたジムしか呼べなかった時代。その頃、タイに行くこと多かった私(堀田)は、その相談を受けたことが諸々の出会いから繋がっていく因果応報でした。

1992年夏に渡タイした際、親密な関係にあったゲーオサムリットジムのアナン・チャンティップ会長から紹介してくれたのがチャイナロンでした。

「身体の発達が早くて、もう軽量級では戦えないから、トレーナーにさせたんだ!」と言い、更に「試合は出来るし、トレーナーも出来るし、肉体労働も出来るし、ホームシックにも掛からないよ!」と太鼓判。

ジムワークのチャイナロンは蹴りが重そうなテクニシャンで、ミット持ち指導も難無くこなす。当時、フェアテックスジムでトレーニングしていたOGUNIジムのソムチャーイ高津にも来てもらってチャイナロンへのミット蹴りを試して貰う。トレーナーとしては若過ぎるかとは思ったが問題は無さそうだ。

ミット蹴りを受けるチャイナロン、査定は合格(1992年7月)

「チャイナロン、日本に行きたいか?」と聞くと、考え込むことも無く「行きたい!」と応えた。

「日本の冬は寒いし友達も居ないしタイ語は通じない。指導以外に肉体労働もあるかもしれないし楽じゃないよ!」とは伝えたが、そんな苦難まで想像できるものではなかっただろう。

出稼ぎ目的で、あの手この手で来日しようとするアジアの人々は多かった時代。有名ムエタイ選手でもビザ審査は難しい立場にあったが、招聘する日本側、送り出すタイ側も実績に問題無くビザ申請は進行。チャイナロンは同年10月10日に初来日した。

斎藤会長の厳しい視線の中、来日当初のジム風景(1992年11月)

◆日本人選手の壁となった8年間

成田空港に着くとすぐ用意されていた高島平の宿舎に連れて向かった。一般の団地である。19歳の若者が、拉致されて来たかような環境に耐えられるだろうか不安はあったが、夜はトレーナー業での選手との触れ合いは和やかで、慣れるのは早かった。

予定された最初の試合は10月24日、フェザー級ランカーの延藤直樹(東京北星)戦。タイではフェザー級(-57.1kg)だったが、契約ウェイトは57.6kg。日本人の前に立ちはだかる強さを想定していたが、2-0判定負け。1ポンド増しでも環境変化による減量は思うようにいかなかったようだ。

ジムワークではヒジ打ち、ヒザ蹴り、首相撲からの崩しの指導が上手く、ミット蹴り指導は抜群だった。

「指示通りにやるミット蹴りはでなく、どこからパンチを打っても蹴っても選手側がいい感触になるように受けてくれて、こんなフリースタイルは才能ある人じゃないと出来ないと思います!」という当時の所属選手の感想だった。

スパーリングはテクニック全開で指導。「こんな強えーのに何で負けたんだ!?」そんなベテラン選手の声も上がるほど誰も寄せ付けなかった。

翌1993年3月27日には内田康弘(SVG)と対戦。今度は59.0kg契約。体調は万全で初戦とは違った素早い動きと重い蹴りで内田を翻弄しノックアウトで仕留め評価も上げた。

[写真左]初戦は延藤直樹(延藤なおき)に僅差判定負け(1992年10月24日)/[写真右]評価を上げたノックアウト勝利、内田康弘戦(1993年3月27日)

更なる試合は再来日のタイミングで1994年6月17日、全日本ライト級チャンピオン杉田健一(正心館)に判定勝利。その翌年の来日ではウェルター級ランカーの松浦信次(東京北星)に判定勝利。身体の発達が早かった為の階級アップが続いた。その後も勝山恭次(SVG)をヒジ打ちTKOで下し、松浦信次を判定で返り討ち、佐藤堅一(士道館)に判定勝ち。いずれもテクニックで翻弄した展開。その後、青葉繁(仙台青葉)にはヒジ打ちで切られて敗れたが、ノックダウンを奪う攻勢を続けていた。

テクニックで圧倒、杉田健一に大差判定勝利(1994年6月17日)

[写真左]チェンマイで初のベルト戴冠(1995年1月29日)/[写真右]松浦信次とは2戦とも判定勝利(1997年6月27日)

1998年6月にはOGUNIジム後援関係者の縁で出会った女性と結婚。奥さんの父親が経営する配管工事の会社で働き、親方と言われるまでの昇格もあった。後の現役引退後は生活形態が完全に変わってトレーナー業からも離れたが、以前からダウンタウンの松本人志さんから度々呼ばれ、「ガキの使いやあらへんで」などでお笑いタレントを蹴っ飛ばすムエタイ技を見せる番組にも多く出演し人気を得た。

生活環境が変わり、時代の変わり目でもあった1999年4月には、日本キック連盟エース格の小野瀬邦英(渡辺)と対戦。第1ラウンド、チャイナロンの上手さが目立つ中、小野瀬が接近した一瞬のヒジ打ちで額をカットされTKO負け。

[写真左]佐藤堅一が冷静さを失うほど、チャイナロンがテクニックで翻弄(1997年6月27日)/[写真右]小野瀬邦英の圧力は、それまでの日本人とは違っていた(1999年4月10日)

プライド傷つけられたチャイナロンは同年12月、再戦で初回から猛攻、小野瀬の顔をボコボコに鼻も折るも、第2ラウンドにボディーへのヒザ蹴りを受け逆転KO負け。小野瀬の飛躍への踏み台とはなったが、日本に長期滞在、結婚して生活のリズムも変われば、ムエタイの強さを発揮した時期より勘の鈍りは免れなかった。

翌年、中村篤史(北流会君津)をノックアウトで下し、有終の美を飾った。日本での通算戦績は11戦7勝(3KO)4敗。日本選手がこの壁を超えなければ本場タイで通用しないといった一つのステータスとなったのがチャイナロンや、現在も度々試合出場する常連在日タイ選手である。

ウェイトトレーニングで元気いっぱいの現在(2022年4月10日)

◆日本男児

すっかり日本に溶け込んだ2011年の夏、チャイナロンが脳内出血で倒れた。ある日の朝食後、仕事に行こうと立ち上がったところ、急に身体がフラフラし、バランスがとれず倒れてから記憶が無いという。家族が救急車を呼んで緊急搬送され手術で一命を取り止めたが、10日間ほど昏睡状態が続き、幸いにも意識が戻ったが、それまでの記憶が乏しかった。

医者は「後遺症は残るが、まだ若いから普通の生活が送れるほどへの回復の可能性は高い」と言い、リハビリテーションを経て退院後、仕事復帰まで回復。現在も右腕と右足に麻痺は残るが杖無しで歩き、初来日当初や延藤直樹戦もしっかり覚えていた。

当初は日本語は全く話せなかったが、「カラオケで歌詞が読めず歌えないことから日本語を覚えようと思ったこと、結婚して日本で暮らすことになったことがより必要不可欠になった!」という。来日当初は私やソムチャーイ高津らの初級タイ語で会話していたが、現在は完全な日本語のみの会話である。

3人のお子さんは長女、次女、末っ子の長男が現在高校三年生で、「大学に行きたい」と言えば行かせるつもりと言う。急病前までは奥さんには働かせず、俺が働くという振る舞いと、実家があるタイのスラタニー県には両親への家も建てたという昔ながらの日本男児たる大黒柱である。

日本人女性との結婚も多い在日ムエタイ選手。国際結婚は苦労多いが、長く連れ添う奥さん側に忍耐ある人が多い。こんな経緯で日本永住となったムエタイ戦士の一人を紹介しましたが、他にも日本で活躍する元ムエタイボクサーにもそれぞれのドラマが存在するでしょう。

◎堀田春樹の格闘群雄伝 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=88

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号

筆者の政治活動の事務所がある広島市安佐南区で最も大きな駅はJR可部線の緑井駅です。その緑井駅から歩いて2~3分、そして、山陽自動車道広島ICにも近く自動車交通の要衝でもある場所に天満屋緑井店がオープンしたのは1997年秋のことでした。しかし、2022年6月30日、緑井天満屋は25年の歴史に幕を下ろしました。

◆広島市内で天満屋の灯が消える

天満屋は、岡山市に本社がある中国地方に展開する百貨店です。広島県内にも展開しており、福山市生まれの筆者にとっては、天満屋といえば、福山駅前店です。同社は広島市内でも最盛期には広島市中区天満屋八丁堀ビル(1949年建設、1954年天満屋に移管)、広島市安佐南区の緑井店、そして西区新井口駅前のアルパーク店(1990年開店)と、3か所に店舗を構えておられました。

しかし、2012年、まず、都心部の八丁堀ビルの百貨店を閉鎖。ヤマダ電機などが進出しました。このころは、中区など都心部から安佐南区はじめ、郊外型店舗との客の取り合いに都心側が負けていた時代の終盤でもありました。大型店舗が広島では当時は過当競争でした。その中で「郊外居住者がクルマで行ける」郊外型の店舗がウケていたのです。しかし、その郊外型の店舗の間でも競争は激しかったのです。このころの同社は「郊外型のアルパーク店と緑井店に集中する」という戦略であると報道されていましたし、「まあそうなのだろう。」と我々広島市民も納得していた人が多かったようにおもえます。

しかし、異変が起きます。同社は2020年3月に、郊外型の天満屋アルパーク店を撤退させました。残るは緑井店だけになりました。そして、その緑井店もついに閉鎖となってしまったのです。

広島市では現在、広島市中区紙屋町のそごう(八丁堀からは500mくらい)の新館(1994年開店)の2023年閉鎖という激震が走っています。

◆「規制緩和時代」の新規開業店舗が苦戦する2020年代

この2年~3年は1990年代に新たにできたものが閉鎖されているという流れになっていると感じます。都心部のそごう新館しかり、天満屋アルパーク店しかり、天満屋緑井店しかりです。

1991年、もともとはアメリカの圧力(トイザらス事件が有名)により大規模小売店舗法(大店法)が改定され、大幅な規制緩和が行われます。2000年に大店法は完全に廃止され、大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法、都市計画法改定が施行されます。

以下に流れを略して記します。

1990年 トイザらス事件、アメリカ政府が日本政府に圧力
    天満屋アルパーク店開店
1991年 大規模小売店舗法大幅規制緩和
1994年 そごう新館開店
1997年 天満屋緑井店開店
1999年 福屋広島駅前店開店
2000年 大店法廃止
2004年 イオンモール広島府中開業
2009年 イオンモール広島祇園開業
2012年 天満屋八丁堀店が閉店しヤマダ電機に
2020年 天満屋アルパーク店閉店
2022年 天満屋緑井店閉店
2023年 そごう新館閉館(予定)

規制緩和で、広島でも雨後の筍のように、郊外にも都心にも大型店舗が増えました。それでも、1990年代はちょうど、日本円の実質実効為替レートが一番高かった時代です。実質実効為替レートとは、その国の経済の強さをあらわすもので、1994~95年が一番のピークです。日本人が、円高を利用してとくに海外の輸入品などをガンガン買った時代です。その舞台となったのが広島でも大型店舗でした。しかし、今や日本の実質実効為替レートは、1970年代前半なみに落ち込んでいます。そういう日本の中でも、広島県は人口の社会減が全国最悪です。日本が沈む中でも広島がさらに沈んでいるという構造があります。そういう中では、デパートの経営が真っ先に悪化するのは当然といえば当然です。その中でも新規開業の店舗はそもそも、需要の伸びを見込んで開いたものです。しかし、その伸びが消し飛んでしまった以上、撤退も新規店舗からというのはわかります。

さらに、コロナが追い打ちをかけましたが、おそらくコロナがなくても、天満屋緑井店、アルパーク店などの維持は難しかったように、筆者も感じていました。

◆駅前でさえ苦戦、ましてや郊外においておや

右がフジグラン、左がコジマ電機(緑井天満屋側から撮影)

広島の老舗の地元百貨店としては福屋があります。実は1999年に整備された福屋駅前店も駅前という好立地にかかわらず、経営が芳しくありません。そこで、広島市の松井市長は中央図書館と子ども図書館を福屋駅前店が入っているビルに移転させようとしています。この案については議会でも反発がおき、2002年度予算案に対して日本共産党や一部の保守系議員からも修正案が出されました。結局、市長提案の2022年度予算案が自民主流、公明、立憲系の賛成多数でぎりぎりで可決される際に「移転ありきではない」という付帯決議が可決されるなど混乱が続いています。

駅前というのは旧市民球場も近くにあり、商売には有利なはずです。それでも苦戦するのは広島市民の絶対的な購買力が落ちているということに他なりません。ましてや郊外においておやです。郊外では安佐南区にイオンモール広島祇園、府中町にイオンモール広島府中がそれぞれ三菱重工業、キリンビールの跡地にできました。緑井天満屋ならそちらとの客の取り合いもあるでしょう。もちろん、近接するフジグランやコジマ電機との競合もあるでしょうが、むしろこちらは「コジマでパソコンを買って、天満屋で服を買い、フジグランで飯を食う」という補完性もあるので悪影響とまでは断定できません。

◆郊外から都心へという流れもあるけれど……

もちろん、2012年に天満屋八丁堀が閉鎖されたころから流れは変わっています。都心回帰です。

2014年に安佐南区を中心に被害が大きかった広島土砂災害2014ころからとくにそれは加速しています。増え続けていた安佐南区の人口が災害を契機に減少に転じます。また、中区など都心部に回帰する流れもあります。年を取れば車の運転も不安になってきます。そうした中で買い物や通院に便利な都心のマンションが年配者にも人気です。

◆規制緩和はやはり失敗だった!

それにしても、規制緩和はやはり失敗だったと言わざるを得ない。ただ、1990年代の状況では日本共産党と新社会党以外はこうした規制緩和には賛成していた状況もあります。正直、如何ともしがたかった。新自由主義が大政翼賛会のように猛威を振るっていた。「経団連党」である自民党支持者は言うに及ばず、社会党→民主党→立憲民主党の支持基盤の例えば公務員労組の組合員でも「別に商店街なんかつぶしてアメリカみたいな大型店だけでいいよ。」みたいな人も結構おられました。ただ、その結果が、過当競争による大型店でもおきた共倒れであり、地域の疲弊だったのではないでしょうか?

[写真左]売り尽くしセールの告知、[写真中央]天満屋緑井店の歴史を振り返るパネル、[写真右]閉店の挨拶

◆広島は賢い縮小を! 相次ぐ大型開発計画大丈夫か?

正直、広島は少し郊外に市街地を拡大しすぎました。場合によっては無理な場所を開発した。その結果、近年、土砂災害も多発しています。広島大学なども東広島市から広島市中区に一部の学部が戻るなどの変化も起きています。身の丈にあった街の大きさにしていく。

しかし、現実には、広島市内各地で大きなビルを「再開発」と称して建設する計画が多数持ち上がっています。知事の湯崎さんに市長の松井さん。本当に大丈夫なのでしょうか?

なお、今までの国が進めてきたコンパクトシティは、一方で、新規大型店舗開発は野放し、というケースもあります。やはり、国は思い切った「原則、新規土地開発は禁止」するくらいの施策が必要ではないでしょうか?なぜ、国かといえば、「都市間競争」で地方同士、過剰な開発を進めているからです。さりとて、全体の人口は減っているから共倒れになる。それならば、むしろ国が「原則、新規開発は禁止」するくらいの施策を打ち出すべきではないか?そういう議論を政党や政治家もしていくべきだと思います。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号

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