筆者の政治活動の事務所がある広島市安佐南区で最も大きな駅はJR可部線の緑井駅です。その緑井駅から歩いて2~3分、そして、山陽自動車道広島ICにも近く自動車交通の要衝でもある場所に天満屋緑井店がオープンしたのは1997年秋のことでした。しかし、2022年6月30日、緑井天満屋は25年の歴史に幕を下ろしました。

◆広島市内で天満屋の灯が消える

天満屋は、岡山市に本社がある中国地方に展開する百貨店です。広島県内にも展開しており、福山市生まれの筆者にとっては、天満屋といえば、福山駅前店です。同社は広島市内でも最盛期には広島市中区天満屋八丁堀ビル(1949年建設、1954年天満屋に移管)、広島市安佐南区の緑井店、そして西区新井口駅前のアルパーク店(1990年開店)と、3か所に店舗を構えておられました。

しかし、2012年、まず、都心部の八丁堀ビルの百貨店を閉鎖。ヤマダ電機などが進出しました。このころは、中区など都心部から安佐南区はじめ、郊外型店舗との客の取り合いに都心側が負けていた時代の終盤でもありました。大型店舗が広島では当時は過当競争でした。その中で「郊外居住者がクルマで行ける」郊外型の店舗がウケていたのです。しかし、その郊外型の店舗の間でも競争は激しかったのです。このころの同社は「郊外型のアルパーク店と緑井店に集中する」という戦略であると報道されていましたし、「まあそうなのだろう。」と我々広島市民も納得していた人が多かったようにおもえます。

しかし、異変が起きます。同社は2020年3月に、郊外型の天満屋アルパーク店を撤退させました。残るは緑井店だけになりました。そして、その緑井店もついに閉鎖となってしまったのです。

広島市では現在、広島市中区紙屋町のそごう(八丁堀からは500mくらい)の新館(1994年開店)の2023年閉鎖という激震が走っています。

◆「規制緩和時代」の新規開業店舗が苦戦する2020年代

この2年~3年は1990年代に新たにできたものが閉鎖されているという流れになっていると感じます。都心部のそごう新館しかり、天満屋アルパーク店しかり、天満屋緑井店しかりです。

1991年、もともとはアメリカの圧力(トイザらス事件が有名)により大規模小売店舗法(大店法)が改定され、大幅な規制緩和が行われます。2000年に大店法は完全に廃止され、大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法、都市計画法改定が施行されます。

以下に流れを略して記します。

1990年 トイザらス事件、アメリカ政府が日本政府に圧力
    天満屋アルパーク店開店
1991年 大規模小売店舗法大幅規制緩和
1994年 そごう新館開店
1997年 天満屋緑井店開店
1999年 福屋広島駅前店開店
2000年 大店法廃止
2004年 イオンモール広島府中開業
2009年 イオンモール広島祇園開業
2012年 天満屋八丁堀店が閉店しヤマダ電機に
2020年 天満屋アルパーク店閉店
2022年 天満屋緑井店閉店
2023年 そごう新館閉館(予定)

規制緩和で、広島でも雨後の筍のように、郊外にも都心にも大型店舗が増えました。それでも、1990年代はちょうど、日本円の実質実効為替レートが一番高かった時代です。実質実効為替レートとは、その国の経済の強さをあらわすもので、1994~95年が一番のピークです。日本人が、円高を利用してとくに海外の輸入品などをガンガン買った時代です。その舞台となったのが広島でも大型店舗でした。しかし、今や日本の実質実効為替レートは、1970年代前半なみに落ち込んでいます。そういう日本の中でも、広島県は人口の社会減が全国最悪です。日本が沈む中でも広島がさらに沈んでいるという構造があります。そういう中では、デパートの経営が真っ先に悪化するのは当然といえば当然です。その中でも新規開業の店舗はそもそも、需要の伸びを見込んで開いたものです。しかし、その伸びが消し飛んでしまった以上、撤退も新規店舗からというのはわかります。

さらに、コロナが追い打ちをかけましたが、おそらくコロナがなくても、天満屋緑井店、アルパーク店などの維持は難しかったように、筆者も感じていました。

◆駅前でさえ苦戦、ましてや郊外においておや

右がフジグラン、左がコジマ電機(緑井天満屋側から撮影)

広島の老舗の地元百貨店としては福屋があります。実は1999年に整備された福屋駅前店も駅前という好立地にかかわらず、経営が芳しくありません。そこで、広島市の松井市長は中央図書館と子ども図書館を福屋駅前店が入っているビルに移転させようとしています。この案については議会でも反発がおき、2002年度予算案に対して日本共産党や一部の保守系議員からも修正案が出されました。結局、市長提案の2022年度予算案が自民主流、公明、立憲系の賛成多数でぎりぎりで可決される際に「移転ありきではない」という付帯決議が可決されるなど混乱が続いています。

駅前というのは旧市民球場も近くにあり、商売には有利なはずです。それでも苦戦するのは広島市民の絶対的な購買力が落ちているということに他なりません。ましてや郊外においておやです。郊外では安佐南区にイオンモール広島祇園、府中町にイオンモール広島府中がそれぞれ三菱重工業、キリンビールの跡地にできました。緑井天満屋ならそちらとの客の取り合いもあるでしょう。もちろん、近接するフジグランやコジマ電機との競合もあるでしょうが、むしろこちらは「コジマでパソコンを買って、天満屋で服を買い、フジグランで飯を食う」という補完性もあるので悪影響とまでは断定できません。

◆郊外から都心へという流れもあるけれど……

もちろん、2012年に天満屋八丁堀が閉鎖されたころから流れは変わっています。都心回帰です。

2014年に安佐南区を中心に被害が大きかった広島土砂災害2014ころからとくにそれは加速しています。増え続けていた安佐南区の人口が災害を契機に減少に転じます。また、中区など都心部に回帰する流れもあります。年を取れば車の運転も不安になってきます。そうした中で買い物や通院に便利な都心のマンションが年配者にも人気です。

◆規制緩和はやはり失敗だった!

それにしても、規制緩和はやはり失敗だったと言わざるを得ない。ただ、1990年代の状況では日本共産党と新社会党以外はこうした規制緩和には賛成していた状況もあります。正直、如何ともしがたかった。新自由主義が大政翼賛会のように猛威を振るっていた。「経団連党」である自民党支持者は言うに及ばず、社会党→民主党→立憲民主党の支持基盤の例えば公務員労組の組合員でも「別に商店街なんかつぶしてアメリカみたいな大型店だけでいいよ。」みたいな人も結構おられました。ただ、その結果が、過当競争による大型店でもおきた共倒れであり、地域の疲弊だったのではないでしょうか?

[写真左]売り尽くしセールの告知、[写真中央]天満屋緑井店の歴史を振り返るパネル、[写真右]閉店の挨拶

◆広島は賢い縮小を! 相次ぐ大型開発計画大丈夫か?

正直、広島は少し郊外に市街地を拡大しすぎました。場合によっては無理な場所を開発した。その結果、近年、土砂災害も多発しています。広島大学なども東広島市から広島市中区に一部の学部が戻るなどの変化も起きています。身の丈にあった街の大きさにしていく。

しかし、現実には、広島市内各地で大きなビルを「再開発」と称して建設する計画が多数持ち上がっています。知事の湯崎さんに市長の松井さん。本当に大丈夫なのでしょうか?

なお、今までの国が進めてきたコンパクトシティは、一方で、新規大型店舗開発は野放し、というケースもあります。やはり、国は思い切った「原則、新規土地開発は禁止」するくらいの施策が必要ではないでしょうか?なぜ、国かといえば、「都市間競争」で地方同士、過剰な開発を進めているからです。さりとて、全体の人口は減っているから共倒れになる。それならば、むしろ国が「原則、新規開発は禁止」するくらいの施策を打ち出すべきではないか?そういう議論を政党や政治家もしていくべきだと思います。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号