神奈川県湯河原町の土屋由希子町議が、隣接する真鶴町の選挙人名簿をタブレット端末で盗撮し、SNSを介して2人の政治仲間と共有していた事件を神奈川新聞(8月24日)が報じた。昨年秋から批判の対象になっている選挙人名簿をめぐる汚職が新局面をむかえた。

◎神奈川新聞の記事 https://news.yahoo.co.jp/articles/8d8f0119ed6f42aca7fc1f2ad426b8ddade17c79

選挙人名簿とは、投票権を有する住民を登録したリストのことである。選挙権は成人になれば自動的に得ることができるが、投票権を得るためには、居住期間などの必要要件を満たして、選挙人名簿に氏名が登録されなければならない。この登録作業は、選挙管理委員会が選挙の直前に住民基本台帳などを基に実施する。

選挙人名簿はだれでも閲覧権があるが、複写や持ち出しは公職選挙法で禁止されている。選挙管理委員会は、選挙人名簿の悪用を避けるために厳重に管理している。

しかし、土屋議員は、監視の眼をかいくぐって真鶴町の投票権者に関する情報を持ち出したのである。

SNSで共有された選挙人名簿のスクリーンショット。当事者の中に会社員が含まれており、業務時間中に選挙運動を行っていたことになる

 

(左)土屋由希子氏、(中)木村勇氏。木村氏が出馬した2021年9月の町議会選。出典:yamashita_sumioのblog

◆有権者に大量の選挙ハガキを送付

事件の舞台となった神奈川県真鶴町は、人口7000人。太平洋に突き出した岬の自治体である。土屋氏が町議を務める湯河原町と隣接している。2つの町は交流が深く兄弟のような関係にある。

2021年9月、真鶴町は町議選を予定していた。この選挙に真鶴町民で土屋 と懇意な木村勇氏が立候補した。木村氏の選挙運動を支えるために、土屋議員は真鶴町の選挙管理委員会に足を運び、タブレット端末で完成したばかりの選挙人名簿を盗撮した。そしてSNSでそれを木村氏ら政治仲間と共有した。木村氏は選挙人名簿のデータを基に、有権者に大量の選挙ハガキを送付したのである。

木村氏はこの選挙で当選し、現在は真鶴町議を務めている。

土屋氏は神奈川新聞の報道内容を認めて、ユーチューブで謝罪した。

◆過去にも選挙人名簿持ち出し事件

真鶴町では、2020年9月に行われた町長選の直前にも、選挙人名簿が流出する事件が起きた。当時、立候補を予定していた真鶴町の職員・松本一彦氏がみずから選挙人名簿を複写して持ち出し、選挙運動に使ったことが発覚したのだ。さらに2021年の町議会選挙でも、当時の選挙管理委員会の幹部が松本町長から指示されて選挙人名簿の複写を3人の立候補者に渡していた。これは、木村氏が立候補したのと同じ選挙であるが、名簿の入手ルートは別である。木村氏の場合は、土屋氏のルートだった。

松本町長が主導した汚職事件を受けて真鶴町が設置した第三者委員会は、松本町長の行状について、報告者の中で次のように結論づけている。

松本氏については、窃盗罪、建造物侵入罪、守秘義務違反の罪、公職法上の職権濫用による選挙の自由妨害罪及び買収(供与)罪が各成立し、尾森氏(注:選管職員)については、地公法上の守秘義務違反の罪、公選法上の職権濫用による選挙の自由妨害罪が各成立すると解されるものである。また、青木氏(注:町議)、岩本氏(町議)については公職選挙法上の被買収罪、刑法上の証拠隠滅罪が成立する可能性がある。

 

(左)土屋由希子氏、(右)松本一彦町長候補。出典:土屋由希子氏のTwitter

この事件は、現在、捜査関係機関が捜査している。松本町長の起訴は免れないとの見方が有力だ。しかし、松本町長の支持層も多く、事件の発覚を受けて行われた再選挙で、松本町長は再選を果たしている。

土屋氏が起こした今回の事件は、松本町長が関与した事件とは別のルートであるが、不正選挙の手口は酷似している。選挙人名簿を不正に入手して、ダイレクトメールなどの選挙運動に利用する手口である。

土屋氏は、松本町長の熱心な支援者でもある。松本氏がはじめて真鶴町の町長選に出馬した際には、隣町へ応援に駆けつけている。その日のTwitterに、次の一文を投稿している。

「本日は真鶴町長選に立候補されている、松本一彦さんの応援に来ています!子ども達を中心にした政治のあり方に共感しています。真鶴町長選は松本一彦さんに清き一票を??」

真鶴町の選挙管理委員会は、湯河原町議の土屋氏と真鶴町議の木村氏が神奈川新聞の報道内容を認めたとしたうえで、「選挙管理委員会としては、2人から事情を聴取したうえで、今後、どう対処するかを決める」と、話している。

劣化が進んでいるのは、中央政界だけではない。地方議会も没落への道を転げ落ちている。議員の席を得ることで、定期収入を得られることから、議員を目指す者が少なからずいる。監視の役割を放棄してきたジャーナリズムの責任は重い。

◎[参考記事]町長が自らを刑事告発、第三者委員会が報告書を公表、神奈川県真鶴町の選挙人名簿流出事件 

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

◆戦前77年、戦後77年という視点

本稿の執筆中に、編集部から田中良紹(元TBS記者)の「明治維新から77年目の敗戦と敗戦から77年目の惨状」(フーテン老人世直し録662)を紹介いただいた。戦前の77年と戦後の77年を欧米追随の結果として振り返るものだ。田中自身が1945年生まれの77歳である。

敗戦の77年前は日本が封建体制を脱して近代化を始めた明治維新の1868年だ。近代日本は富国強兵策によって西欧に近づき、世界の五大国の一角に食い込んだが、77年後にそのすべてを失った。

戦後の日本は東西冷戦構造を巧みに利用し、焦土から米国に次ぐ経済大国に上り詰めた。しかし1989年の冷戦の崩壊と共に「失われた時代」を迎え、坂道を転がるように転落の一途をたどって77年後の現在に至っている。(田中良紹「フーテン老人世直し録662」)

なるほど、素描は悪くない。帝国主義(独占と金融寡頭制)が日本の後発性ゆえに、世界大戦(市場再分割・領土分割)に乗り出さざるをえなかったこと。そして真珠湾を先制的に叩くことで、アメリカ世論の参戦をうながしてしまったこと。これはアメリカにとって、じつは織り込み済みだった(10年前に真珠湾攻撃を想定した本が出版されていた)。したがって、真珠湾を攻撃した時点で敗戦は決まっていた、というものだ。

だがこの敗戦が、日本にとっても織り込み済み(想定済み)だったことを田中は見ていない(『昭和16年の敗戦』猪瀬直樹)。

負けるとわかっていながら、東条英機以下の政権幹部、山本五十六ら海軍をふくむ戦争指導部・現場指揮官は、みずから戦争に反対しながら開戦に踏み切ったのだ。このことを本来はテーマにしなければならないであろう。アメリカに引きずられた戦後の繁栄と衰退(惨状)もしかり。なぜアメリカに引きずられてきたのか。

ほとんど誰もが対米戦争に反対しながら、展望のない戦争に踏み切った日本人の心性が問題なのである。いったん開戦するや、一億火の玉となって熱狂した戦争……。この思想的分析を抜きに、外的条件を挙げたり陰謀史観を持ち込んでもまともな議論にはならない。

◆ポストモダンとは何だったのか

批評家やジャーナリストは、戦後世界をアメリカ的な合理主義・民主主義(自由主義思想)と、ヨーロッパ的な社会主義思想(ソ連や中国をふくむ)との相克として描きがちである。

冷戦下の思想が資本主義と社会主義として措定され、核熱戦争の危機を背景にイデオロギー闘争が論壇のテーマにすらなってきた。これ自体が誤っているわけではない。

現実に今日も中国の台頭、ロシアの帝国主義的復活と(ウクライナ)侵略戦争への突入として再現されつつある。世界は20世紀へ、いや18・19世紀に回帰してしまったかのようだ。

そのいっぽうで、戦後革命期・60年代~70年代の価値観の転換を通して、左右のイデオロギー対立をこえる思想革命があったのを知っておくべきであろう。そのあまりの難解さゆえに、ほとんど一般には定着しなかったポストモダンという批判思想である。直訳すれば「近代合理主義批判」ということになる。

もとは建築評論家のチャールズ・ジェンクスが、70年代後半に建築用語として発したのがポストモダンである。リオタールの『ポスト・モダンの条件』(1979年)によって、フランスの思想界を席巻する。フランスで流行しそうになるということは、世界の思想論調となるのを意味している。

底辺にあったのは、近代的主体概念(デカルト)である。認識主体が「わたし」であり、わたしは「客体を認識する」主体として存在する。しかるに、わたしはどのような主体なのか、主観的にしか論証できない。むしろマルクスの「社会的諸関係の総体」「相対的にしか諸関係は措定できない」という関係論にいたり、主体の存在が疑われるようになる(構造主義)。日本においては廣松渉の共同主観性やフッサールの間主観性として紹介されていたものだ。ようするに、人間という「主体」は「関係性」をはなれては成立しないのである。

ポストモダンはポスト構造主義でもあり、浅田彰の『構造と力』(1983年)によってニューアカデミズムという批評領域が登場するが、すぐにブームは拡散する。拡散した理由は、ニューアカ自体がカント・ヘーゲルからマルクス、フーコーらの構造主義を対象とし、あまりにも膨大なテキストを前提にしているからだった。マルクスを読んでもいない若者が読むには、ポストモダンの論攷はあまりにも難しすぎたのだ。

とはいえ、ポストモダンがマルクスいらいの生産力主義、近代合理主義を批判していることから、思想をこえる批評として人気を博したのは事実である。マルクス主義が説く共産主義は壊滅的な批判をうけた。マルクス葬送である。


◎[参考動画]浅田彰(1986年放送)


◎[参考動画]フーコー、レヴィ=ストロース、サイード、鈴木大拙、今西錦司


◎[参考動画]フーコーとチョムスキー ~人間本性について~(日本語字幕)1/2

◆歴史は本当に終わったのか?

ここではわかりやすく、大きな歴史の終焉という政治学にそくして解説しておこう。ポストモダンを政治学・歴史学に移し替えたのがフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1989年)である。

「歴史の終わり」とは、国際社会において 民主主義 と 自由経済 が最終的に勝利し、社会制度の発展が終結することで、社会の平和と安定を無限に維持するという仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。この状態を「歴史の終わり」と呼ぶ。

すべての民族や文化圏、宗教圏に妥当するグランド・セオリー(大理論)である普遍的な歴史。すなわちリオタールの用語で言えば「大きな物語」としての「歴史の終わり」であり、その他の歴史、文化史、技術史、芸術史、スポーツ史、個人史などの個別的な歴史(リオタールの用語で言えば「小さな物語」)は、もちろん不断に変革を繰り返して、継続されていくというものだ。

フクヤマの仮説に対して、サミュエル・ハンティントンは著書『文明の衝突』の中で「支配的な文明は人類の政治の形態を決定するが、持続はしない」として「歴史は終わらない」と主張した。

フクシマの仮説はソ連と社会主義圏の崩壊を前提にしたものにすぎず、資本主義から社会主義・共産主義というマルクス主義理論(史的唯物論)の否定にすぎない。したがって、その後の中東戦争におけるアメリカ失敗(イラク・アフガン戦争)に逢着する。


◎[参考動画]Full Interview: Stanford Professor Francis Fukuyama Provides Analysis On Ukraine-Russia War

ロシアによるウクライナ侵略戦争について、フクヤマは攻撃が始まった直後の2月26日に台湾の大学が開催したオンライン講演でこう述べている。

「ウクライナへの侵略はリベラルな国際秩序に対する脅威であり、民主政治体制は一致団結して対抗しないとならない。なぜならこれは(民主体制)全体に対する攻撃だからだ」と。

フクヤマは2015年ごろから中国に対して「科学技術を駆使した高いレベルの権威主義体制には成功のチャンスがあり、自由主義世界にとって真の脅威になる」とも述べている。

講演のなかで、台湾に対しての中国の武力行使は、近年の国際環境の変化とウクライナ情勢によって「想像しえる事態になった」とも述べた。別のインタビューでは「究極の悪夢」は中国がロシアのウクライナ侵攻を支持し、ロシアが中国の台湾侵攻を支持する世界であると述べている。もしそれが起これば「非民主的な力によって支配された世界に存在することになる。米国とその他の西側諸国がそれを阻止できなければ、それは本当の歴史の終わりです」つまり、フクヤマが言う「歴史の終焉」とは、世界の終焉でもあるというのだ。

もちろんわれわれは、ロシアの18世紀的な皇帝の帝国戦争・19世紀的な帝国主義戦争を批判するが、アメリカの民主主義がシオニズムのパレスチナ侵略を前提としていること。完成された民主主義などとはほど遠いこと。したがって、民主主義はいまだその途上にあって、必要なのは非民主主義世界が膨大に生み出される帝国主義と専制独裁の世界に生きていることの自覚であろう。

国家の数で言えば、民主主義よりも民主的な選挙に拠らない専制国家のほうが増えているという。開発独裁において、民主主義的な政争が負担になるのは明白で、独裁政権のほうが経済はうまくいく。これもひとつの真理であろう。ポストモダンは生産力を批判し、近代的合理主義を批判したが、世界はあいかわらず戦争と革命、社会的致富をめざしているのだ。人は食うために生きる、けだし当然であろう。80年代は日本人にとってバブル経済の年代だったが、世界史の曲がり角でもあった。その歴史的な曲がり角を、新自由主義というグローバリズムが支配する。そこで日本の衰退がはじまった。(つづく)


◎[参考動画]サミュエル・ハンティントンの文明の衝突またはフランシス・フクヤマの歴史の終わり?(1992年)

◎《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会【目次】
〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代 
〈2〉1960~70年代 価値観の転換 
〈3〉1980年代 ポストモダンと新自由主義
〈4〉1990年代 失われた世代

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

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今回取り上げる米原汚水タンク女性殺害事件は、10年余り前の事件発生時、センセーショナルに報道され、社会の耳目を集めた。だが、この事件について、冤罪の疑いを指摘する報道はこれまでにほとんどなかった。それゆえ、この事件をここで取り上げることに違和感を覚える人もいるかもしれない。

だが、この事件の犯人とされている森田繁成氏という男性は、まぎれもなく冤罪だ。今回もまず、事件のあらましを説明したうえ、この事件を解決するための情報を募りたい。

◆センセーショナルに報道された事件

事件は2009年6月12日の朝、滋賀県米原市の農道脇に設置された汚水タンクから女性の遺体が見つかり、発覚した。女性は小川典子さん、当時28歳。小川さんは長浜市で両親と暮らし、大手ガラスメーカーの工場で派遣社員として働いていたが、2日前から行方不明になっていた。

遺体の発見者は汚水の運搬業者である。汚水を回収しようとタンクのフタをあけた際、中から作業服姿の小川さんの遺体が出てきたという。解剖の結果、小川さんは鈍器で頭部や顔面を乱打されて瀕死の状態に陥り、最後はタンクに落とされ、汚水を吸い込んで窒息死したと判定された。被害者がこのような悲惨な最期を遂げたことは、この事件が当時センセーショナルに報道された理由の1つだ。

そして事件発覚から1週間が過ぎた6月19日、滋賀県警の捜査本部は1人の男性を殺人の容疑で逮捕した。この男性が森田氏だ。当時40歳だった森田氏は、小川さんが働いていた大手ガラスメーカーの工場に正社員として勤務していた。妻子ある身でありながら、職場の部下にあたる小川さんと交際しており、このことが何より事件に関するセンセーショナルな報道を巻き起こしたのだった。

当時の報道では、森田氏は近所で「子煩悩な父親」という評判がある一方、普段から交際相手の小川さんに暴力をふるっていたように伝えられた。さらに森田氏の車のフロントガラスにひびが入っていた事実が判明すると、森田氏が犯行時に小川さんと争った痕跡であるかのように報道されたりもした。こうした犯人視報道が大々的に繰り広げられる中、森田氏はおのずとクロのイメージになっていた。

一方、森田氏本人は捜査段階から一貫して無実を訴えていたが、裁判では2013年2月、最高裁で懲役17年の判決が確定。この間、森田氏の犯人性に疑問を投げかけるような報道はほとんど見当たらなかった。そのため、裁判の結果に疑問を抱く人が世間にほとんどいないのも当然といえば当然だ。

被害者の小川さんは、手前のマンホールの下にある汚水タンクに落とされ、亡くなった

◆報道のイメージと異なる事件の実相

しかし、この事件の実相は報道のイメージと随分異なっている。

たとえば、森田氏が逮捕された当初、小川さんが事件前に「森田氏から暴力を振るわれている」と同僚に相談していたという話がよく報じられていた。森田氏が普段から小川さんに暴力をふるっていたかのように伝えられた根拠がそれだった。

しかし裁判では、森田氏と小川さんのメールの履歴から、むしろ小川さんのほうが森田氏に対して積極的に不満を伝えていることが判明し、一方で森田氏が小川さんに暴力を振るっていたことを窺わせる文面は見当たらなかった。確定判決はこうした事実関係に基づき、小川さんが「森田氏から暴力を振るわれている」と同僚に相談していたのは「誇張」した話であった可能性があると判断していた。

また、森田氏の逮捕当初、犯行の痕跡であるように報じられていた森田氏の車のフロントガラスのひびについては、「事件以前」に生じたものだったことが裁判で明らかになっていた。要するにこれが犯行の痕跡だと示唆した報道は「誤報」だったわけである。

さらに裁判では、小川さんの遺体の状況から犯人が返り血を浴びていることが濃厚であるにもかかわらず、森田氏が犯行時に乗っていたとされる車の運転席周辺から血液が一切検出されていないことも判明していた。このようにむしろ、森田氏の犯人性を否定する事情も存在したわけだ。

一方、確定判決では、有罪の根拠として、森田氏の事件後の行動が色々挙げられている。

たとえば、(1)小川さんの失踪を知っても安否を気づかうような行動をとっていなかった、(2)自動車修理工場の代表者に電話をかけ、小川さんとの交際を口外しないように依頼していた、(3)小川さんとの間で交わされたメールを含む携帯電話のデータを削除していた──などだ。要するにこのような「被害者とのつながりを隠す行動」が不自然であり、犯人であることを示す事実だと判断されたわけである。

しかし、そもそも森田氏が小川さんと不倫関係にあったことを思えば、小川さんが失踪したことや殺害されたことを知った後、小川さんとのつながりを隠す行動をとっても決して不自然とは言えない。このような森田氏の行動について、犯人であることを示す事実だと判断するというのは、むしろ裁判官や裁判員が森田氏に対して予断や偏見を抱き、審理に臨んでいたことを窺わせる事情である。

事件発生当時、滋賀県警の捜査本部が置かれた米原署

◆インターネットの掲示板に多数あった「被害者を誹謗中傷する書き込み」

実を言うと森田氏の裁判の控訴審では、弁護側が「森田氏とは別の犯人」が存在する可能性を示す事実があるとして、次のようなことも主張している。

「事件以前からインターネットの掲示板には、被害者を誹謗中傷する書き込みが多数あった。犯人はその中に存在する可能性も考えられる」

この弁護側の主張は裁判官に退けられたが、事件発生当時、インターネット上の掲示板にそのような書き込みが散見されたことについては事実関係に争いはない。ただ、残念なのは現在、この掲示板が見当たらなくなっており、追跡調査ができないことだ。

そこで今回は、この掲示板への書き込みをはじめとして被害者の小川さんのことを敵視していた人物に関する情報を募りたい。情報をお持ちの方は、私のメールアドレス(katakenアットマークable.ocn.ne.jp)までご一報ください。

※メールで連絡をくださる人は、アットマークを@に変えてください。
※この事件については、私が取材班の一員を務めた記事が2011年発行の『冤罪File』No.12(希の樹出版)に掲載されている。バックナンバーは現在も購入可能のようなので、関心のある方はご参照頂きたい。詳細はhttp://enzaifile.com/publist/shosai/12.html

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

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◆スターの証明

元ドラマー・北沢勝の現役時代はラテン系「エルマタドール」(2002年1月27日)

先日、井上尚弥のノニト・ドネア戦で、布袋寅泰氏が生演奏した「バトル・ウィズアウト・オナー・オア・ヒューマニティー」の曲に乗ってリングに入場していました。

リングアナウンサーは知名度抜群のジミー・レノン・ジュニア氏でしたが、さすがにビッグイベントに相応しい面子と楽曲。これだけで痺れたファンも多いでしょう。

通常のプロボクシングやキックボクシングにおいて、メインイベンタークラスでは、

「両選手、リングに入場です。初めに青コーナー側より……○○選手の入場です!」

入場曲が流れ、「これからあの選手が入場するんだ!」とファンをワクワクさせるのはプロとして大切なパフォーマンス。

「3回戦(新人戦)の頃、5回戦(ランカークラス)に上がったらカッコいいガウン着て、カッコいい入場曲にしようと思っていました!」という目標を持った選手も多いもので、スター選手が入場だけで鳥肌が立つような楽曲は、ファンが一生忘れないインパクトを持つものです。

◆昔の楽曲

終戦後、テレビ局が開局してプロレスやプロボクシングが放映開始された時代まで遡れば、各々の入場曲など無い時代で、多くの選手は観衆の拍手や声援に応えながら、または無表情で静かにリングに入場していました。

タイの英雄、カオサイ・ギャラクシーは世界チャンピオン時代にオリジナル曲を与えられた(1993年頃)

まだ演出まで派手さは追求されなかった時代は各テレビ局のスポーツテーマ曲で入場していたシーンが思い出されます。テレビ局初期の主要三大スポーツテーマ曲は、日本テレビスポーツ行進曲とTBSスポーツテーマ「コバルトの空」とフジテレビスポーツテーマ「ライツアウトマーチ」。

ジャイアント馬場さんの場合は「日本テレビスポーツ行進曲」が誰もの脳裏に焼き付くほど定着しているでしょう。

輪島功一さんはフジテレビのスポーツテーマ曲が似合っていました。力強いイメージの曲ながら、輪島さんが世界戦で負けた後の番組エンディングで流れた曲後半の部分は物悲しい響きに感じたものです。

TBSキックボクシングではオープニングで「コバルトの空」を毎週聴いて脳裏に焼き付き、この曲が流れると未だ昭和のキックボクシングを思い出す古いファンも多いでしょう。

◆各々の選択肢

オリジナルテーマ曲の始まりはミル・マスカラスの「スカイハイ」と思いますが、そこからアントニオ猪木がモハメッド・アリから贈られた曲と言われる「アリ・ボンバイエ」を「イノキ・ボンバイエ」に編曲して使用。

そして多くのプロレスラーにオリジナルテーマ曲が浸透していきました(1974年8月、国際プロレスでビリー・グラハムに入場曲を使ったのが日本で最初のテーマ曲というネット情報有り)。

アブドーラ・ザ・ブッチャーはファンも忘れない「吹けよ風、呼べよ嵐」(1988年4月2日)

プロボクシングでは正確な記録は分かりませんが、オリジナルテーマ曲が始まったのは、おそらく具志堅用高さんからでしょう。「征服者」がしっかりファンの脳裏に焼き付く存在感となりました。

同時期、キックボクシングでは富山勝治さんが最初かもしれない存在で、好んで「アラスカ魂」で毎度入場していました。

1976年11月に映画「ロッキー」が公開され、後に多くの選手用に「ロッキーのテーマ」を使われるようになり、1982年(昭和57年)10月には向山鉄也さんが日本プロキック連盟ウェルター級王座獲得した試合での入場は「ロッキー3」でした。

1985年7月に日本ライト級チャンピオン長浜勇(市原)さんが初防衛戦を迎えた試合では「入場の時、ロッキーのテーマが流れて凄く嬉しくて気合いが入った」と語り、入場時までロッキーのテーマが流れるとは知らなかった様子で、この頃はまだ各々が選曲する時代ではありませんでした。

平成期に入った全日本キックボクシング連盟では団体のオリジナル曲が誕生、この頃から団体によってはチャンピオンクラスにはそれぞれ好みで選曲した入場テーマ曲が定着。

代表的テーマ曲は、
立嶋篤史は「ヒーロー」
小野寺力は「カルミナ・ブラーナ」。
石井宏樹は「スペンテ・レ・ステッレ」。
藤原国崇は一世風靡セピアの「前略、道の上より」
伊達秀騎は尾崎豊の「LOVE WAY」
ガルーダ・テツは「軍歌・出征兵士を送る歌」他軍歌諸々。

プロボクシングでは竹原慎二がジョー山中の「熱いバイブレーション」
辰吉丈一郎の「死亡遊戯」
坂本博之の「新世界」
内藤大助はC-C-Bの「ロマンティックが止まらない」

変わりどころ、キューピー金沢は「キューピー3分クッキング」など、より意外性でインパクトを与える演出が増えていきました。私(堀田)の今思い付く選手を連ねましたが、他にも多くの選手の選曲があります。

[左]元・ムエタイ殿堂チャンピオン、石井宏樹は編曲を加えた「スペンテ・レ・ステッレ」(2014年2月11日)/[右]100戦超え、現役の藤原国崇は一世風靡セピアの「前略、道の上より」(2021年9月19日)

日本王座挑戦経験もある今も現役・阿部泰彦は明るいリズムの「ドラゴンクエスト」(2019年8月4日)

◆好みの入場曲と著作権

多くの楽曲を使うことに関わる厄介な問題は著作権でしょう。テレビ局が放送する場合は著作権関係者・団体等と契約されており、私的なYouTube等、SNS動画配信の場合は無音にしたり、他のフリー音源に差し替えて対応しているようです。

ファンは入場シーンからテーマ曲も含めて楽しみたい部分であり、「動画配信であっても楽曲使用料を払って映しましょう!」という意見も、使用料が高額となる場合があると断念せざるを得ない様子です。一般の人が映像制作する場合は気を付けなければならない課題でしょう。

元々日本人は音楽が好きな民族。音楽は「音が楽しい」と書き、楽しくなければ音楽ではない(とは言い切れないが)。

選手のリングに向かう戦いのボルテージを上げ、観衆の緊張感を高めるのが入場テーマ曲。そこから名リングアナウンサーによるコールへ、一つ一つの役割を経て最高潮に達します。

時代の流れで今後、入場テーマ曲はどう変化していくでしょうか。

普段、試合を観ている貴方がメインイベンターだったらどんな楽曲を選んで入場しますか。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

8月26日、「反差別」の旗手と持て囃される李信恵が久しぶりに鹿砦社や関係者らについてツイートしています。本欄でもお馴染みの「はなママ」こと尾崎美代子さんも批判の俎上に上げられています。自分らに批判的な意見は全て「デマ」という語彙しか言えず、なにを今更……という感がしないでもありませんので、黙って見過ごすのも大人の対応でしょうが、齢70を過ぎても瞬間湯沸かし器は相変わらずで、かのリンチ事件に対して真摯な反省もなく自分への批判者への非難に終始する李信恵に怒りを覚えました。被害者の大学院生(当時)M君は、今に至るまでリンチの恐怖、PTSDに苦しんでいることを、李信恵よ、判っているのか!? あなたに「反差別」や「人権」という崇高な言葉を語ってほしくはない!! それと真逆の人間性を持った人種だから。

李信恵は突如鹿砦社らに非難ツイートを始めた

李信恵ら5人によってリンチされた直後のM君

私(たち)が大学院生M君リンチ事件(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)の支援に関わったのは、マスメディアから「反差別」の旗手と持て囃される李信恵が、2014年師走、大阪最大の歓楽街・北新地で、彼女の取り巻き4名と共に「日本酒に換算して一升近く飲んだ」とみずから言うほど泥酔し、酒の勢いで、大学院生M君に対し激しいリンチを加え、この被害の酷さ、そして、これが1年以上も隠蔽されてきたことに驚き、この青年を何とか支援すべきだと素朴に感じたことから始まりました。

事実関係を知るにつれ、激しいリンチを加えられながら、1年以上も放置され、挙句李信恵ら加害者らが開き直ったという怒りも、私(たち)が動き出す動因の一つとなりました。この判断は、人間として絶対間違っていなかったと今でも思います。

この事件に対しては、多くの人たちが、何を怖れたのか、沈黙したり言葉を濁したり隠蔽したりしました。あなた方は、それでも人間か!? と言いたいと思います。血の通った人間なら、リンチ直後の写真を見たり、リンチの最中の音声データを聴いたりするだけで、怒りを覚えないのでしょうか!? 

このリンチ事件にどう対応するかで、いくら著名な学者やジャーナリストでも、その真価が問われると思っています。ふだん「暴力反対」とか口にしても、その暴力が集団リンチという形で現実に起き、これを知ったら、どう対応するのか? 口で「暴力反対」と言うのなら、それ相応に対応しろ! 

「日本酒に換算して1升近く飲んだ」ことをみずから認めた李信恵。「1升飲んだ」ことは、普通の感覚では泥酔の類に入る

私たちは、地を這うような調査・取材を行い継続し、これまで6冊の出版物にまとめ世に問いました。これらの本に記述したことが「デマ」だとは言わせません。マスメディアは全く無視したことで、残念ながら広く波及したとはいえませんが、少なからずの方々に事件を知り理解していただくことができました。李信恵の人間性の鍍金(メッキ)は少しは剥げたかなと思っています。

いちおう私のコメントは簡単にして、李信恵が鹿砦社を訴えた訴訟の控訴審で、李信恵が大学院生M君リンチ事件に連座していることを断じた大阪高裁の確定判決文(2021年7月27日判決言渡 大阪高裁第2民事部 令和3年(ネ)第380号)を挙げておきましょう。賠償金110万円の支払いは課されましたが、一審判決一部変更(減額)され以下の判決を得たことは収穫で、いわば<敗北における勝利>と私なりに総括しています。──

前田朗東京造形大教授によるリンチ事件に対するコメント。3回続いた。回を重ねるうちに私たちとは意見の違いも出てきたが、前田教授の指摘は「デマ」ではなく耳を傾けるべきだ。前田教授は、李信恵の反ヘイト裁判に意見書を書き、その弁護団や支持者とも親交があったが、リンチ事件については聞いていなかったようで、その怒りがこの論文を書かせたと思われる。ここでは(一)(二)のみを掲載した

同上

◇    ◇     ◇     ◇     ◇

リンチについて尋ねた人には激しく恫喝

「被控訴人(注:李信恵)は、M(注:リンチ被害者。判決文では本名)が本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、金とMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMが金からの暴行を受けて相当程度負傷していることを認識した後も、『殺されるなら入ったらいいんちゃう。』と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。この間、(李)普鉉(注:直接の加害者の一人)や伊藤(注:大介。リンチの現場に居合わせた者。のちに暴力事件を2度起こし逮捕、一審で有罪判決を受けている)は金(注:良平。最も暴行を働いた者)に対し暴力を振るわないよう求める発言をしているが、被控訴人が暴力を否定するような発言をしたことは一度もなく、被控訴人は、遅くともMが一度本件店舗内に戻った時点では、Mが金から暴行を受けた事実を認識していながら、殺されなければよいという態度を示しただけで、本件店舗外に出て金の暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲酒を続けていた。このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる(被控訴人の司法警察員に対する平成27年9月18日付け供述調書中には、男同士の喧嘩であり女の自分は止めに入ることができず、ただ店内にいることしかできなかった旨の供述部分があるが、被控訴人は、本件店舗内に戻ったMの様子から、Mが一方的に殴られていたことが明らかになった後も、伊藤など本件店舗内の他の男性に対し本件店舗外の様子をみたり、暴力を制止させたりするよう依頼することはしていない。)。」(同判決文7ページ~8ページ)

傍聴人が描いてくれたイラストにもイチャモン。特徴を掴んでよく描かれていると思うけど

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMをまのあたりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪や補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」(同11ページ~12ページ)

「被控訴人は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人(注:鹿砦社)により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対して胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間である金がMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」(同11ページ~12ページ)【注】被害者名は判決では本名ですが、ここでは「M」と表記。

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李信恵ら加害者らは、師走の寒空の下に激しいリンチで半殺しの状態のM君を一人放置し立ち去り(李信恵に人権の一欠片もない証拠だ!)、M君は必死でタクシーを拾い幸い自宅まで帰り着くことができました。異変に気づいたタクシーの運転手は料金を受け取らなかったそうです。(文中敬称略)

6冊のリンチ事件関連本。リンチ事件真相究明と共に現代の「反差別」運動の虚妄と問題点を解明

同上

西日本大水害2018からこの夏で4年が経過しました。(前回記事)

くどいようですが、7月8日に安倍晋三さんが凶弾に斃れられたことはお悔やみ申し上げます。

しかし、今年も各地でこれまでにないような記録的な大雨が降っています。また、コロナと記録的な暑さのダブルパンチで医療の逼迫もつたえられています。4年前の夏の安倍晋三内閣による危機管理を検証していくことは、人々の命を守っていく上でますます重要ではないでしょうか?

国葬はいわば天皇と同格の扱いをすることになります。そのことで冷静な検証ができなくなることを恐れます。

◆近所に建設会社があると復旧スムーズ、しかし安倍さんの政治は?

時は、2018年7月19日に戻ります。筆者は安佐北区口田の被災現場に4たび入りました。この時はマンション一階の駐車場の泥の搬出に従事しました。

ここでは近所の建設会社の重機が活躍しました。建設会社というのは、1990年代のいわゆるゼネコン疑獄以降、すっかり悪者にされてしまいました。

そして、小泉政権では大幅に公共事業費がカットされてしまったのです。さらに、残念ですが、民主党も新自由主義的な側面もあり、公共事業費を当初予算ベースでは減らし続けたのです。「コンクリートから人へ」というスローガンは今にして思えばまずかった。あそこは財政出動で防災、インフラの更新などもきちんとやり、経済を底上げしていれば、民主党はもうちょっと政権を防衛できたかもしれません。https://www.mlit.go.jp/page/content/001383015.pdf

やはり、一定程度、建設関連の人材がいるということは、大事なことです。

なお、安倍晋三さんは財政出動をしたといわれていますが、当初予算ベースでいえば、2013年度から2018年度までずっと横ばいです。2013年度に民主党政権からちょっと増やした後は、ほぼ横ばいなのです。

国土強靭化計画とはいったい、何だったのでしょうか?

せめて公約を守っていれば、助かった命もあったかもしれません。一方で、民主党の後身たる立憲民主党の皆様にも反省していただきたい。公共事業を減らしすぎた問題ではまず反省していただかないと、自民党を批判しても、説得力がありません。とはいえ、総理大臣はずっと安倍晋三さんだったわけで、やはり安倍さんの責任は重いと言わざるを得ません。このことをとっても、とてもではないが、安倍さんが国葬に値するとは思えないのです。筆者は、「財政出動で人もコンクリートも」をガツンと訴え続けます。

◆筆者、再び熱中症でぶっ倒れる 7/20

筆者は7月20日、再びぶっ倒れました。ここ3日が被災地ボランティア活動→出勤で入浴介助→ボランティア活動で、頭が重いなと思って、この日出勤したが、昼休みに気分が悪くなり、病院で点滴を受けました。土砂が残っていると焦って無理をしがちです。

一方、このころ、安倍総理は、国会やマスコミに対して「災害対応は万全だ」という答弁を繰り返しておられました。大量の土砂を見ていると、総理の発言があまりにも無神経に聞こえました。それがさらに神経を逆なでし、イライラさせられたのです。

◆7/21 仁比聡平、山本太郎らの活躍で民有地の土砂を公費で撤去へ

これまで、民有地の土砂は地主が自己責任で撤去するようになっていました。しかし、あまりにも土砂が多いために、撤去を公費で行うことになりました。これは、仁比聡平や山本太郎が参議院において声を上げたことが大きく作用しました。

それにしても、憲法に緊急事態条項がなくて本当に良かったです。緊急事態条項があれば、国会も閉じられ、下手をすれば仁比や山本のような議員は弾圧されていたかもしれない。緊急事態条項がむしろ、危機管理を後退させたかもしれなかったからです。

◆7/28 前代未聞の閣議を取りやめのニュース

筆者がぶっ倒れて一週間以上。台風が関東沖・東海地方経由で瀬戸内地方に近づいていました。

そんなとき、安倍内閣は総理の休息のためと称して閣議を取りやめたのです。なんということでしょうか?

この危機のときに閣議を取りやめるとは?やはり、緊急事態条項なんて導入しても、危機管理のアップには使われない。そのことの確信を強めた事件でした。

◆8/1 似島で災害ボランティアに

筆者は8月1日、猛暑の中、南区の沖合の似島に入りました。この似島は第二次世界大戦前、大日本帝国陸軍の検疫所がありました。第一次世界大戦ではドイツ軍の捕虜も収容されました。

被爆直後は多くの被爆者を収容。戦後は原爆孤児のための学園も置かれました。また、観光の島としても栄えました。この小さな島の上にも7月6日、強烈な雨雲が居座り、島内各所で土砂崩れを起こしたのです。

すでに、筆者が訪れた段階でも、港のわきには、写真のようにうずたかく土砂がおかれていました。島内の道路は非常に狭く、重機や自動車も入れない道が多いのです。従って、文字通り、人海戦術でやるしかないのです。遠くは神奈川県からボランティアに駆け付けられた女性がおられました。テレビで似島の惨状をご覧になり、車を飛ばして駆け付けてこられたそうです。

◆なかなか補正予算を組まぬ安倍晋三さん

さて、弱者に厳しい新自由主義の代名詞といえば小泉純一郎さんです。しかし、その小泉さんも、2005年1月、記録的な大雪で各地に被害が出ると、迅速に1.3兆円の補正予算案を提出しています。いっぽうで、安倍総理は通常国会が終わると、臨時国会も開きさえもしませんでした。一方で、安倍晋三さんは、自民党内の要人との会合は欠かさず、総裁選挙だけは万全の態勢をかためつつありました。

◆いらだち高まる被災地「総理を暗殺するやつがいたら面白いな」

こうした中、西日本大水害2018の被災地各地ではいらだちは高まるばかりでした。

筆者がボランティアにかけつけたある復旧作業の現場では、「(もうすぐやってくる8月6日に広島に必ず来る)総理を暗殺するやつがいたら面白いな」という声が上がり、一同、大爆笑になりました。なお、別に発言の主が左翼というわけではありません。むしろ「総理が来ても邪魔だけど、天皇陛下は別だ。ありがたい。」とおっしゃる方でした。この発言自体は、山上徹也被疑者による安倍晋三さん暗殺事件があった今となってはシャレにもなっていません。しかし、少なくとも、こういう発言がボランティアから出る状況を作ってしまった方を国葬というのは納得できません。

◆「ボランティアが足りない」という無責任報道のマスコミ 足りないのは公務員、復旧のプロ

マスコミもマスコミです。このころから、「ボランティアが不足している」、という報道が繰り返されました。日本人の多くがボランティア=ただ働きと誤解しておられるようですが、本来、英語のボランティアとは志願兵とかそういう意味です。自発的という意味です。従って、そもそも、「ボランティアが不足」というのは意味をなさない文章です。ボランティアをあてにしないといけないようなこの国の在り方が問題なのです。

そもそも、ボランティアに行く市民にも生活があります。ボランティアは「無尽蔵」ではないのです。1995年の阪神淡路大震災を契機に災害ボランティアはもてはやされた。それは確かに尊いことです。ただし、それに頼りすぎてはいけない。ところが、1990年代以降、日本はボランティアに頼りすぎる一方で、プロを弱くしすぎた。具体的には、公務員を減らしすぎたのではないでしょうか?

広島県内でいえば、86あった市町村を23に減らした。吸収合併された地域では、市役所・町村役場が出張所に格下げされて手薄になった。政治でも地域出身の議員がいなくなって、地域の声が届きにくくなったのは、筆者自身が参院選広島再選挙で県内全域を回らせていただき、実感しました。

これらについては安倍さんだけの問題ではありません。長年の自民党政治、あるいは自民党を右からあおった維新政治の問題です。しかし、結果としてマスコミの報道が、当時の権力者である安倍さんに対して、地方自治体の執行体制を改善させるように促さなかったのも事実ではないでしょうか?マスコミの皆様にも反省を促します。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

当欄で繰り返し取り上げてきた「冤罪」今市事件では、小1の女の子を殺害した濡れ衣を着せられた勝又拓哉氏がいまだ雪冤を果たせず、千葉刑務所で無期懲役刑に服している。

その勝又氏の裁判員裁判で公判を担当した宇都宮地検の田渕大輔検事がその後、大阪地検特捜部の検事として捜査に従事した巨額横領事件で、証人に対して虚偽供述を無理強いする取り調べを行い、再び冤罪づくりに加担していたことがわかった。

その調査結果を以下に報告する。

◆プレサンス元社長の冤罪被害は「78億7267万1780円」

田渕検事が新たに加担した冤罪事件で被害に遭ったのは、不動産会社「プレサンスコーポレーション」(以下、プレ社)の前社長・山岸忍氏。1997年に同社を創業し、一代で東証一部上場企業に育て上げた立志伝中の人物だ。

ところが、学校法人明浄学院の元理事長・大橋美枝子氏らが土地売却の手付金21億円を横領したとされる事件(以下、明浄学院事件)をめぐり、山岸氏も横領に関与したという濡れ衣を着せられ、1999年12月、大阪地検特捜部に逮捕された。裁判では、2021年10月、大阪地裁で無罪判決を受け(検察側が控訴せずに確定)、濡れ衣は晴れたが、その冤罪被害は報道のイメージよりはるかに甚大だった。

山岸氏は今年3月、この冤罪被害に関し、国を相手に7億7000万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を大阪地裁に起こした。

その訴えによると、山岸氏の逮捕により、プレ社の株価はストップ安に。山岸氏は社長を辞任せざるをえなくなり、何もなければ得られた役員報酬2億1060万円を得られなかった。所有していた同社の株式1260万2800株についても、逮捕前より75億6188万円も安い株価での売却を余儀なくされた。精神的損害なども含めると、山岸氏が冤罪で被った損害額は合計78億7267万1780円に及ぶという。

つまり、仮に国賠訴訟で請求がそのまま認められ、国から7億7000万円が支払われたとしても、山岸氏の損害はまったく回復されないに等しい。そもそも、自ら創業し、東証一部上場企業に育て上げた会社を手放さざるを得なくなった無念や、著名人ゆえに逮捕時に大きく報道され、その名前と容貌を「犯罪者」として社会に広められた屈辱感などにより負った心の傷は一生、癒えることはないだろう。

山岸氏は、国賠訴訟に提出した意見書で、提訴の動機を「法律的な見地からこの冤罪事件を客観的に検証して頂きたい、これに尽きます」と説明している。それは山岸氏にとって、「せめてもの願い」と思われる。

◆録音録画映像で判明した田渕大輔検事の虚偽供述無理強いの詳細

では、この冤罪に加担し、証人に虚偽供述を無理強いした田渕検事の取り調べとは、どのようなものだったのか。

明浄学院事件では、山岸氏のほか、前出の大橋氏ら5人が大阪地検特捜部により起訴された。田渕検事による虚偽供述の無理強いは、この5人のうち、懲役2年・執行猶予4年の判決を受けたプレ社の元執行役員・小林佳樹氏の取り調べで行われた。

国賠訴訟の訴状には、この取り調べの録音録画映像をもとに、小林氏に対する田渕検事の発言の数々を反訳した文章が記載されている。「百聞は一見にしかず」なので、実際に見て頂こう。

・・・・・以下、小林氏に対する取り調べでの田渕検事の発言・・・・・

「嘘だろ。今のが嘘じゃなかったら、何が嘘なんですか」

「嘘ついたよね」

「何で、嘘ついたの」

再び冤罪に加担した田渕大輔検事(「司法大観」平成19年版より)

「いや、『はい』じゃないだろ。反省しろよ、少しは。何、開き直ってんだよ。何、開き直ってんじゃないよ。何、こんな見え透いた嘘ついて、なおまだ弁解するか。何だ、その悪びれもしない顔は。悪いと思ってるんか。悪いと思ってるのか。悪いと思ってるんですか」

「私、何度も聞いた。嘘は一つも無いのかと。明らかな嘘じゃないか。何で、そんな悪びれもせず、そんなことを言うんだ。なぜですか。なぜだ。大嘘じゃないか」

「よしんば、これで嘘を認めて、会社の中で口裏合わせをしましたと認めるならまだしも、そこからまだ悪あがきをするとはどういうことだ。どういうことなんですか。何を考えてるんですか、あなたは。嘘じゃないですか。嘘つきましたよね。ついたよね」

「変えてるじゃないか。いい加減にしなさい。これ以外にも嘘いっぱいついてるだろ。私に、これ以外にも私に嘘いっぱいついたでしょ。私はあなたの良心に少し賭けてみた。私は、悪いあなたが出てきたら、今みたいな弁解すると思いましたよ。でも、あなたが嘘をついたことで悔い改めたら、頭を下げると思ってました。でも、あなたはそれどころか、逆ギレじゃありませんか。しかも、そんな怖い顔をして。悪びれるどころか、嘘の上塗りしてんだよ。何でそんなことするんです。他にも嘘をついてるだろ」

「そうすると、プレサンス側でこの事件に関係している人間として一番いけなかったのは誰ということになると、小林さんということになるけど、それで合っているの」

「会社とかから、今回の風評被害とか受けて、会社が非常に営業で損害を受けたとか、株が下がったとかいうことを受けたとしたら、あなたにその損害賠償できます? 10億、20億じゃ済まないですよね。それを背負う覚悟はしていますか」

「結局、あなたが何をしたかというと、山岸さんをかばうために嘘をついているという評価になるんですよ」

・・・・・以上、小林氏に対する取り調べでの田渕検事の発言・・・・・

このように田渕検事は小林氏を侮辱したり、脅迫したりして、山岸氏が横領に関与していたかのように供述するように無理強いした。その結果、追いつめられた小林氏は山岸氏を貶める虚偽供述をしてしまい、山岸氏が無実の罪により逮捕、起訴される一因になったのだ。

なお、田渕検事の上記の発言のうち、小林氏に風評被害の責任があるかのように威嚇し、「あなたにその損害賠償できます? 10億、20億じゃ済まないですよね。それを背負う覚悟はしていますか」などと脅迫した発言については、大阪地裁が山岸氏に宣告した確定無罪判決で「真実とは異なる内容の供述に及ぶことにつき強い動機を生じさせかねない」と厳しく批判している。

◆勝又氏の公判では、別の検事の酷い取り調べをたしなめていたが……

ところで、今市事件では、無実の勝又氏は裁判で事実上、捜査段階の自白のみを根拠に有罪とされた。この自白の任意性や信用性を検証するため、第一審・宇都宮地裁の裁判員裁判では、勝又氏を取り調べた2人の検事のうち、大友亮介検事が証人出廷し、田渕検事がその尋問を担当している。

この大友検事については、勝又氏に対する今市事件での初めての取り調べを録音録画していなかったことや、録音録画された取り調べで延々と勝又氏に侮辱的かつ高圧的な言葉を浴びせ、自殺未遂にまで追い込んでいたことが公判中に判明していた。田渕検事はそんな大友検事に対する尋問の際、悲しそうな表情をして、大友検事にたしなめるようなことを言っていた。

プレサンス事件で小林氏を取り調べた際の田渕検事の発言を見ると、勝又氏の裁判員裁判での「善人」のような雰囲気を醸し出した振舞いは、裁判を検察側に有利に導くための「芝居」に過ぎなかったのではないかという疑念を抱かざるを得ない。

なお、大阪地検に取材を申し入れ、明浄学院事件での田渕検事ら同地検特捜部の検事たちの取り調べ中の言動について、正当だと考えているのか否かを質問したが、期限までに回答はなかった。

▼片岡健(かたおか けん)
ジャーナリスト。出版社リミアンドテッド代表。田渕大輔検事が公判を担当した勝又拓哉氏(今市事件)の裁判員裁判については、『冤罪File』No.25に詳細な傍聴記を寄稿している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

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日テレNEWS(7月29日付け)によると霊感商法の被害は、「去年で3億円超」、「35年間では1237億円」と報告されているという。

わたしはこの数字を見たとき、額が大きいとは感じなかった。新聞社による「押し紙」の被害の方がはるかに莫大であるからだ。それを示すごく簡単な試算を紹介しよう。

◆控え目に試算しても年間の被害額が900億円超

 

旧統一教会による「霊感商法なるものを過去も現在も行ったことはない」という弁解は、新聞社による「『押し紙』なるものを過去も現在も行ったことはない」とい詭弁と同じ論法である。両者とも「証拠はない」と言っているのだ。写真はテレビのニュース番組で提示されたもの。

日本新聞協会が公表している「新聞の発行部数と世帯数の推移」と題するデータによると、2021年度における全国の朝刊発行部数は、約2590部である。このうちの20%を「押し紙」と仮定すると、「押し紙」部数は518万部である。

これに対して販売店が新聞社に支払う卸価格は、おおむね新聞購読料の50%にあたる1500円程度である。

以上の数値を前提に、「押し紙」が生み出す販売店の損害を試算してみる。

卸価格1500円×「押し紙」518万部=約77億7000万円

ひと月の被害額が約77億7000万円であるから、年間にすると優に932億円を超える。霊感商法とは比較にならないほど多い。

しかも、この試算は誇張を避けることを優先して、「押し紙」率を低く設定している上に、「朝夕刊セット版」の試算を含んでいない。「朝夕刊セット版」を含めて試算すれば、被害額はさらに膨れ上がる。

「押し紙」により販売店が被っている被害額は、霊感商法の比ではない。

新聞販売店の店舗に積み上げられた「押し紙」

◆新聞協会が公言している「残紙=予備紙」の詭弁

「押し紙」は戦前からあった。しかし、それが社会問題として浮上してきたのは戦後である。日本新聞販売協会の会報『日販協月報』には、1970年代から「押し紙」に関する記述がたびたび出てくる。1980年代には国会質問の場で、共産党、公明党、社会党が超党派で「押し紙」問題などを追及した。しかし、メスは入らなかった。新聞社が開き直って無視したのである。

1997年に公正取引委員会が北國新聞社に対して「押し紙」の排除命令を下した。これにより「押し紙」問題にメスが入る兆しが現れたが、日本新聞協会は公取委に対して奇策に打ってでる。1998年の夏、みずからが策定していた新聞販売に関する自主ルールから、予備紙(残紙)の上限を搬入部数の2%とする項目を削除したのである。これにより販売店で過剰になっている残紙は、「押し紙」ではなく、すべて販売店が自主的に購入した「予備紙」ということにしたのだ。「押し紙」を予備紙という言葉にすりかえたのだ。

しかし、「予備紙」の大半は古紙回収業者によって回収されており、「予備紙」として使われている実態はほとんどない。新聞拡販に使っているのは、「予備紙」ではなく、景品である。

◆公権力が「押し紙」を放置する理由

「押し紙」についての新聞社の見解は、自分たちは過去にも現在も「押し紙」を行ったことは1度もないというものである。旧統一教会が「霊感商法なるものを過去も現在も行ったことはない」と弁解しているのと同じ論法なのだ。

なぜ、公権力は新聞社の「押し紙」にメスを入れないのだろうか。公取委は、「押し紙」問題で新聞社に独禁法違反を適用することができる。裁判所は、「押し紙」裁判で、新聞社の独禁法違反を認定することもできる。公権力が本気で解決に乗り出せば、「押し紙」問題は解決するはずだが、あえて放置している。

わたしはその背景に、新聞・テレビが世論誘導の部隊として、公権力に組み込まれている事情があると考えている。「押し紙」による莫大な不正収入をあえて黙殺して新聞社とその系列のテレビを経済的にサポートすることで、報道内容を暗黙のうちにコントロールしている可能性が高い。

現在の新聞社の形態は、帝国主義を掲げた天皇制軍事政権の下で構築された。日本の新聞社を各都道府県に1社と若干の中央紙に編成して、大本営発表を掲載させたのである。当然、GHQは、戦後、戦争責任を追及して新聞社を解体することもできたはずだ。しかし、実際は、解体せずにそのままの体制を残したのである。

理由は単純で、「反共」思想と親米世論を定着させるうえで、旧来の新聞制度が好都合だったからである。利用価値があると考えたからだろう。こうした占領政策の延長線上に、現在の新聞社はあるのだ。新聞は世論誘導の道具であって、ジャーナリズムではない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

◆造反有理

それはアメリカのコロンビア大学から始まったとも、パリ大学ナンテール分校(現パリ第10大学)で始まったともされる。68年の学園闘争である。その背景にあったのは、文化的な価値観の転換であった。

若者が大人社会に異議をとなえる。束縛的で伝統的な権威をみとめない。長髪とジーンズ、ミニスカートにサイケデリック。大麻にシンナー、ロックンロール。60年代後半に公然化した、これら体制と秩序にたいする反逆的な事象に代表される価値観の転換である。


◎[参考動画]「想像力へのすべての力」:パリ、1968年5月:学生の反乱

わが国にひきつけて言えば、それは日大と東大の全共闘運動として噴出した。日大においては使途不明金に発した学生の憤懣。マスプロ教育(全員が出席すれば教室に入れない)・大学当局と右翼の暴力支配(日大アウシュビッツ)であった。東大は医学部の処分問題に端を発しながら、産学協同批判・大学解体へと理論的地平がひらかれた。よく言われる「自己否定」は、この産学協同によって、特権的かつ資本に迎合する研究への忌避である。

スタイルは上記の体制への反逆とともに、三派全学連(新左翼)のヘルメットとゲバ棒が採用された。67年の10.8羽田ショック(ゲバ棒で機動隊を撃退した)、佐世保エンプラ闘争への国民の共感が、ひとつの類型としてゲバルト学生を生んだといえよう。

さてこの学生叛乱(造反)は教員たちへとひろがり、学園にとどまらない社会的闘争となった。既存の左翼の枠組み(社会党・共産党・総評)を越えた。いやむしろ、既成左翼指導部への批判を契機としていた。


◎[参考動画]全共闘 日大闘争 東大闘争 – 1968

国際的には56年のハンガリー動乱(ソ連批判)に原点を持ち、68年のプラハの春として世界化された東欧民主化。これに中国共産党(毛沢東)の文化大革命が走資派への批判として大衆的な動きとして、ヨーロッパの若者たちに伝導したのである。世界的には新左翼運動と言った場合、フランスの毛沢東支持派が挙げられる。汎ヨーロッパ的なマルクス主義よりも、それを大衆的に越えたアジア的な思想(毛沢東思想と造反有理)への憧れでもあった。※映画「中国女」の影響。


◎[参考動画]La chinoise – two kind of communism

この異議申し立て運動に、ベトナム反戦という世界史的なファクターが重なっていく。帝国主義(フランス・アメリカ)の植民地(ベトナム)支配と反帝民族解放戦争(北ベトナム・南ベトナム民族解放戦線)と、じつにわかりやすい構造だった。北ベトナムをソ連・中国が支援していようがいまいが、反帝国主義の民族独立戦争を支持するのは左派の独断場である。論壇はさながら、左翼にあらざれば言論人にあらず、という感じだった。


◎[参考動画]ドキュメンタリーベトナム戦争

◆左翼運動の退潮

だがその左翼運動も、ヨーロッパにおいてはユーロコミュニズムと緑色革命の道へと分岐し、日本においては内ゲバという最悪の結果を招いた。

赤軍派に代表される軍事主義、および党・階級一元論(プロレタリア単一党)による他党派解体路線である。マルクスの労働者の団結がひとつである以上、共産主義政党も単一であるならば、革命党いがいの党派は小ブルの宗派にすぎない。

したがって、他党派は解体の対象であるとなるのだ。その党派闘争が暴力的なものになるのが、いわゆる内部ゲバルトである。わが国においては、100人以上もの犠牲者を出すにいたる。

ここにおいて、左翼運動は退潮を余儀なくされた。価値観の転換をもたらした左翼の時代は終わり、反対のための反対をする左翼は「サヨク」「ブサヨ」などと蔑まれるようになったのだ。

じっさいに、内ゲバで「処刑」を公言する人々が政権を取ったら、処刑が日常的な監獄のような殺伐とした社会になるであろう。今日にいたるも内ゲバは総括されず、左翼組織はあいかわらずレーニンの組織原則である公開選挙の否定、分派の禁止(コミンテルン22年大会決定)のままである。北朝鮮(個人独裁)や中国(官僚制国家資本主義)を否定できないのは、日本の左翼が同根である証左にほかならない。


◎[参考動画]「死の総括 -連合赤軍リンチ殺人事件-」No.948_2 #中日ニュース[昭和47年3月]

◆反共主義の時代

価値観の転換をもたらした時代は、68年革命の反動として反共主義の時代でもあった。米ソ冷戦、中国をふくめた核熱戦争の恐怖とイデオロギー戦争である。

今日的なテーマに引きつけていえば、統一教会(現世界平和統一家庭連合)が伸長したのも、左翼運動の退潮期と軌を一にしている。文鮮明は早稲田大学の留学生であり、原理研運動の目標として「きみたちは早稲田を奪権しなければならない」と、日本の学生会員たちに語っていた。各大学原理研の結集軸は国際勝共連合を上部団体にいただく、反憲学連という組織だった。

最初に新左翼運動との攻防拠点になったのは青山学院大学で、原理研の女子学生が「わたしは左翼に殴られた」という告発から始まった。やがて各大学に「原理研」「共産主義研究会」のステッカーが貼られるようになり、日大文理学部では銀ヘルグループと激しい攻防となった。

下高井戸にある文理学部は明治大学の和泉校舎が至近距離で、銀ヘルを支援する首都圏の学生共闘は明治の解放派をはじめ、戦旗派(主流派)や第4インターなどの党派連合が結集したものだ。この時期の反憲学連は青龍刀を携えていたから、文理学部での闘いは命がけになったものだった。

最近の若い人たち(ネット右翼)が、なぜ反日の統一教会が自民党に食い込んだのか、と疑問を呈するのを目にする。両者は相容れないはずだと。

時代と関係性を考察せずに、理念だけ単独で取り出してしまうから、こういう不思議な理解になるのだ。

統一教会の本質は利権団体であり、カネのためなら自民党とも北朝鮮とも提携する。政治を「思想」や「理念」と思い込んでいる朴訥なネトウヨには理解できないのかもしれないが、政治とは「敵の敵は味方」という攻防原理であり、また利用できるものは何でも政治利用するのが本質なのだ。

いわゆる「政治的立ち回り」とは、自分たちの利益を最大に追及する、その意味では集票という自民党の利益、統一教会の会員獲得(のための看板)という利害の一致による以外にない。

今回、安倍元総理狙撃事件によって、暴かれた癒着関係が国民の疑問をまねき「利害一致」にならなくなった以上、統一教会の求心力は急速にうしなわれると予告しておこう。

ただし岸信介の時代の文鮮明との癒着は、反共という大きな政治目的があった。本通信で戦後77年の視点を「戦争と革命」においたのも、現在では考えられないほど共産主義と反共主義の相克が色濃く時代をおおっていたからだ。

60年の学生革命(4.19革命)後、日本の陸軍士官学校留学生で満州国軍将校・朴正煕(高木正雄)を首魁とする軍事クーデター政権は、反共防波堤として日米の全面的なバックアップを受け、韓国兵は血を流した(日韓条約・ベトナム参戦)。

当時の韓国は反共親日国家である。在日学生が帰郷時に政治犯としてデッチあげ逮捕されるなど、韓国社会の左右分断が、日本社会を巻きこんでいた(73年の金大中拉致事件なども)。まさに時代の基調は、反共主義と民主(革命)勢力の対立だったのだ。その意味では、現在の統一教会の存在は70年代・80年代の遺物にほかならない。


◎[参考動画]日本NHK記録片“金大中拉致事件” 中文字幕版 1973年


◎[参考動画]Park Chung hee 1974年8月15日文世光事件(朴正煕暗殺未遂事件)

◆伝統文化におよぶ価値観の変化

価値観の変化は、伝統文化においても劇的なものとなった。それは天皇制(皇室)に集約される。

美智子妃の入内と昭和天皇の死によって、むしろ天皇と皇室は戦後民主主義の庇護者としての立場を獲得した。ふつうの人間としての自由な生き方と制度の更なる民主化によって、天皇制(皇室と政治の結合)はかぎりなく解体に近づいていくであろう。

このように68年革命による価値観の転換はいまも継続し、ゆるやかに旧制度を変えていくのだ。いっぽうで、古代いらいの寺社や皇室御物の伝統的な美の中に、天皇制文化が生き残っていくことを、たとえばタリバンのバーミアン破壊のように、ことさら拒否する志向が日本人のなかに生起することは考えにくい。歴史の否定からは何も生まれない。

男尊女卑を伝統文化というには、その歴史は天皇制に比べれば江戸時代以降という短さである。にもかかわらず、天皇崇拝思想よりもはるかに根強くわが国の社会を支配してきた。体制への異議申し立てであった全共闘運動のバリケードの中において、その頑強な男尊女卑思想は体現されたのだった(上野千鶴子の京大全共闘体験)。時代はゆるやかに、ポストモダン(近代合理主義批判)へと移っていく。(つづく)


◎[参考動画]昭和天皇最期の御姿 1988年8月13日から15日。この1ヶ月後の9月19日に吐血し倒れられ、約4ヶ月後の1月7日に吹上大宮御所にてご崩御された。

《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会【目次】
〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代 
〈2〉1960~70年代 価値観の転換
〈3〉1980年代   ポストモダンと新自由主義
〈4〉1990年代   失われた世代

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

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今日、世界の動きを考える時、ウクライナ戦争を離れてはあり得ない。それは、遠く離れた日本の政治にも大きな影響を及ぼしている。

◆プーチンによる侵略戦争、それが本質か

ウクライナ戦争を考える時、重要なのはその本質だ。

これを普通一般的にとらえられているように、プーチン・ロシアによるウクライナに対する侵略戦争と見るか否かですべては、決定的に異なってくる。

私は、「プーチン侵略説」に与しない。

プーチン自身は、これを「特別軍事作戦」と呼び、欧米に対する「先制攻撃」だと言っている。そして、「ウクライナ」という言葉は使わず、ウクライナに対する戦争だと言うこと自体を否定している。

私は、プーチンの言と関連して、あの米ソ冷戦終結後、米欧側が米ソ間の「NATOの東方不拡大」の口約を破り、旧東欧社会主義諸国のNATO加盟を進め、今では旧ソ連邦の一員であり、ロシアと国境を接するウクライナの加盟までを日程に上らせていること、その上、2019年に成立したゼレンスキー政権の下に、米英軍事顧問団と大量の米国製兵器を送り、ウクライナ軍に米国式軍事訓練を施し、ウクライナの対ロシア軍事大国化を推し進めたばかりか、「ミンスク合意」の破棄とそれにともなうドンバス地方のロシア系住民に対するネオナチ支配を行うようにしたこと、等々、そして、これらが皆、ロシアが、今年2月、その軍事行動の開始とともに掲げた要求、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化のスローガンと符合していることを黙過してはならないと思う。

一方、私は、この戦争を「米中新冷戦」との関連で見ている。

周知のように、米覇権は、2017年、米国家安全保障会議で「現状を変更する修正主義国家」だと中国とロシアを名指しで規定し、中ロとの覇権競争を公式に宣布するとともに、2019年、「米中新冷戦」を宣言した。だが、この時、米覇権は、ゼレンスキー政権を介した対ロシア対決戦を開始しながら、「米ロ新冷戦」を宣言することはなかった。これは、米覇権が対中ロ二正面作戦を嫌ったためだととらえられている。

プーチンによる「先制攻撃」はこの脈絡から見るとより分かりやすい。米国をこの二正面作戦に引きずり出したのだ。事実、中ロ、そして非米脱覇権国家群が一体となったその後の軍事・経済「複合大戦」の展開は、プーチンの筋書きによっているように見える。

◆米欧日VS中ロの帝国主義間戦争か

今、少なからぬ論者がウクライナ戦争を帝国主義間戦争と見ている。

すなわち、この戦争を単純なロシアによるウクライナへの侵略戦争と見るのではなく、中ロと米欧日の戦争だと見、そうした中でのロシアによるウクライナ侵略だと見ているということだ。言うなれば、戦前、英米との抗争の中で日本が満州侵略を敢行したようなものだということだ。

こうした見方の根底には、何よりも、中ロを米欧日と同じ帝国主義国としてみる見方があると思う。すなわち、ロシアにおける新興財閥、オリガルヒ、中国におけるBATHなど大手IT企業群などの存在を米欧日における独占資本の存在と同等にとらえ、中ロを独占資本主義国家、すなわち帝国主義国家と見る見方だ。両者の違いを敢えて挙げるなら中ロの場合、米欧日に比べ、国家権力の比重が大きい国家独占資本主義的傾向の強さにその特徴を見ているくらいだと言えると思う。

もう一つ、中ロと米欧日との関係を往年の帝国主義間の関係と同じように見る見方の根底には、時代の違いを重視しない、と言うより時代的な変化発展を見ようとしない見方があるように思う。

私は、この中ロと米欧日を同一視する見方、そして時代の違いを見ようとしない見方、その双方ともに与しない。

前者に関して言えば、政治と経済の力関係が両者ではかなり違うと言うことだ。今回、ウクライナ戦争で「オリガルヒ」などの動揺を抑えて、プーチンが示した指導性の強さは、それを改めて証明したようにと思う。また、IT大手などに対する習近平の指導性も「共同富裕」政策や今回の米下院議長ペロシの台湾訪問に対する大々的な軍事演習の台湾を包囲しての恒常化などに示されているのではないか。

一言で言って、中ロのこの戦争や「新冷戦」への対応が経済の要求、大企業の要求に動かされてのものと見ることはできないと言うことだ。

後者に関して言えば、より明確だ。すなわち、第一次、第二次大戦の時代と今では世界各国の自主独立志向と力が段違いに異なっていると言うことだ。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてイラク、アフガン戦争とこの70年来、米国は民族解放勢力との戦争で一度も勝利することができなかった。究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義も世界的範囲での自国第一主義の嵐の前に破綻し、その生命力を大きく失ってきている。今回のロシアの軍事行動に対して米欧日が提唱した国連などでの非難と制裁の決議が否決されるようになってきているのはその象徴だ。

この脱覇権・反覇権の時代的趨勢を前にして、植民地争奪、勢力圏争奪の帝国主義間戦争など起こり得るだろうか。米欧日にはもちろん、中ロにもそんな力はないと思う。

以上、二つの理由から私は、この戦争の本質を帝国主義間戦争と見る見方に与しない。

◆覇権VS「国」の戦いとしてのウクライナ戦争

今、ウクライナ戦争は、軍事と経済、「複合戦争」の様相を呈してきている。

米欧は、ロシアに対する経済制裁として、米欧中心のSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアの大手7銀行すべてを閉め出し、ロシアを国際決済秩序から排除する挙に出た。

だが、それは両刃の刃だった。

石油や石炭、天然ガスなど鉱物資源、小麦や大麦、トウモロコシなど農産物、そしてリンや窒素、カリなど肥料原料、等々、ロシアの産物が世界経済に占める比重は小さくない。

それが米欧日の側に回らないとなると、そのことが経済に及ぼす打撃は深刻だ。実際、今日、大きな問題になっている物価高騰の要因の一つはここから生まれている。

一方、ロシア経済の米欧中心の経済からの締め出しは、ロシア経済を中国など非米脱覇権国家群経済の側に追いやり、世界経済の分断、二分化を促進した。

軍事、政治ばかりでない。経済まで巻き込む米欧日覇権勢力と中ロと連携する脱覇権国家群との対立は、世界の部分的、局所的な戦いではない。全世界的範囲での覇権と脱覇権・反覇権の戦いに急速に発展してきている。

ウクライナ戦争の本質も、この視点、「複合大戦」の視点から見る必要がある。そこで見えてくるのは、覇権VS脱覇権・反覇権の戦争という視点だ。

実際、中ロと連携した朝鮮やキューバ・中南米諸国、ベトナム・ASEAN諸国、イランやシリア中東イスラム圏諸国、そしてインドやブラジル、南ア、トルコやサウジなどBRICS、G20等々、「地域大国」、これらの国々が中ロと連携しているのが中ロによる新たな覇権の下に入るためでないのははっきりしている。連携の目的は、どこまでも米欧日覇権との戦いで勝つためであり、中ロもまた、覇権目的というより、米欧日覇権に打ち勝つための連携であるに違いない。それは、これら諸国と中ロの実際の関係を見ていれば一層明白だ。

ここで問題は何で脱覇権、何のための脱覇権か、その目的だ。

それは、一言で言って、「国」のための脱覇権だと思う。

もともと覇権とは、「国」々の上に君臨し、「国」々を支配することだ。

世界はそうやって成り立ち、数千年に及ぶ覇権の歴史が続いてきた。

今、その歴史に終止符が打たれようとしている。覇権と「国」との闘争の歴史が終焉しようとしている。

なぜか。それほど世界の「国」々が成熟し、強くなったと言うことだ。

二つの世界大戦を通して生まれ、戦後数十年、発展し勝利してきた民族解放戦争。それに対する究極の覇権主義、国と民族そのものを否定するグローバリズム、新自由主義との闘いを通じて世界的範囲で高揚する自国第一、国民第一の闘争の嵐は、その何よりの証だと思う。

「国」をめぐる覇権と各国国民との闘い、その歴史的土台の上に展開されるウクライナ戦争、「米欧日覇権勢力VS中ロと連携した非米脱覇権勢力の新冷戦」は、それ故、その本質において、覇権VS各国国民が拠って立ち、自らの居場所とする「国」の戦いだと言うことができるのではないだろうか。

米大統領バイデンが「米中新冷戦」の本質について、「民主主義VS専制主義」の戦いだとしながら、「専制主義」を統制や強権、独裁など支配の道具としての「国」を押し立ててのものとして「国」を悪者に仕立て上げているのも、戦後、日本において、軍国主義の象徴として「国」が右翼反動の専売特許にされてきたのも、「自由と民主主義」を掲げる米覇権の正当性、優越性を際立たせ、覇権VS「国」の戦いを有利に推し進めるための極めて狡猾な術策だと断罪することができるのではないかと思う。

◆ウクライナ戦争の展望や如何に

ウクライナ戦争の本質について見てきたが、それを確認する上でも、戦争がどうなるか、その展望について考えてみたい。

私は、この戦争の本質からして、それがどれくらいの時間を要するかは定かではないが、その勝敗は見えていると思う。

勝つのは、中ロと連携した非米脱覇権国家群の方だと思う。

その根拠の一つは、世界を二分するこの「複合大戦」にあって、こちらの方が圧倒的多数を獲得するようになると思うからだ。

米欧日の側の結束の基準は、どこまでも「米欧式民主主義」だ。そして、この民主主義のためなら、国益も犠牲にすることが要求されている。

これまでも、米覇権の下、「民主主義」のため、国益を犠牲にすることは要求されてきた。しかし、それは、米国の力が圧倒的に強かったからだ。ほとんどの国は、米国が怖くて、また、今国益に反しても、将来、より大きな利益を得られると思うからこそ、「民主主義」のため国益を犠牲にした。

しかし、今は違う。米国の力が弱まった今、米国は昔のように怖くはない。また、米国にくっついていても、それほど大きな利益は期待できない。そうなった時、米欧日覇権の側に付く国はどんどん減っていくばかりではないか、

それに対して、中ロ、脱覇権の側は、自国第一、国民第一、だから国益第一だ。地球上の大部分の国にとって、こちらの方が魅力的になるのは目に見えている。

今になって、米欧日の側は、アフリカ諸国への援助を増やしたり、ASEAN諸国に秋波を送ったりしている。しかし、そんな付け焼き刃は通用しないのではないか。

中ロ、脱覇権の側が勝つと思う根拠は、何よりも、ウクライナ軍の方がロシア軍より「愛国」になれないと思うからだ。

ウクライナにとって、この戦争はどこまでも米欧日に押し立てられ、ロシア軍の攻撃の矢面に立たされている「代理戦争」だ。

ウクライナの若者たちが「脱国する自由」「兵役拒否の自由」を要求し、自分たちがなぜ米欧の「人間の盾」にならねばならないのか疑問を抱いたとしても何もおかしくない。

それに対し、ロシアの若者たちはどうか。この戦争が米欧日覇権勢力と対決する戦争だと自覚した時、彼らが「愛国心」を持ち自らのかけがえのない「国」のため、命を懸けて闘うようになるのは目に見えている。

以上二点考えてみたが、ここから見てもこの戦争が、その本質において、覇権VS「国」の戦いであることが見えてくるのではないだろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

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