戦後77年を顧みるに、やや思想史的な内容になってしまったのは、筆者の「まとめる」悪癖とご諒解いただきたい。そのうえで、60年安保と70年(68年革命)を結節点に、日本社会が政治(イデオロギー)から経済(エコノミック)へとシフトしたことに触れないわけにはいかない。90年代とは、まさにそのような時代だったからだ。
◆高度成長の仮象
わが国の戦後復興は、敗戦による物不足という需要、朝鮮戦争による軍事特需、そして戦後生まれの分厚いベビーブーマー(団塊の世代)の消費と生産によって果たされてきた。
経済が単に生産の集積(供給)によってではなく、消費(需要)に大きな動力を占めていることは、70年代後半以降の経済停滞にしめされた。過剰生産とインフレ下の不況(スタグフレーション)という、成熟社会に典型的な経済後退が80年代を覆うことになったのだ。
またいっぽうでは、外部不経済(公害などの生産性の弊害)が社会経済を直撃する。そこでのイノベーションは、戦後復興のときの物質的豊富さとは相反する、いわばマイナス成長による分配の補正、社会的補償を必要とするものだった。この分配と社会保障は、70年代・80年代をつうじて充実し、行政的指導(個別の業界保護)による規制も増大し、日本社会に分厚い中間層を生み出した。
この時代を日本社会の成熟と安定の時代と呼ぶことも、今日的には難しくないかもしれない。その安定を土台に経済成長神話、とりわけ有限な資本の構成要素である土地神話が生まれたのだ。バブル経済の序曲である。
◎[参考動画]昭和ニュース リクルート事件(1988年)
◆ジャパン・アズ・ナンバーワン
バブル経済の原理は「土地への投資が超過利潤を生む」「限られた狭隘な土地には高付加価値がある」「土地が限定的である以上、値上がりはしても値下がりはしない」というものだ。
投資によって潤沢な資金が市場に出まわり、カネ余りが消費を刺激する。消費の拡大によって、不動産資産はさらなる利潤を生む。上昇時には加速するばかりの経済となる。
すなわち、資産価格が上昇する局面においては、資産転売による売買益(キャピタル・ゲイン)を求めて資産への投資が行われ、いっそう資産価格が上昇する。資産価格の上昇を見越した消費者による需要が消費需要を一段と増加させ、時価資産増加による帳簿上の資産増加が消費需要を増加させ、連鎖的に資産価格が上昇するインフレスパイラルが生まれるのだ。
だが需要が停止した瞬間(消費の限界点)、このスパイラルは崩壊する。ある日、不動産資産を売ろうとした人が、売れない現実に逢着するのだ。バブルの崩壊である。こうして、土地・建物・株式に投資した資産が価値をうしなう。1000万円を株に投資していたのに対して株価が700万円に、あるいは500万円に下落する。
不動産のほうがわかりやすいだろう。1億円の投資型マンションの市場価格が5000万円に低落するという事態が起きるのだ。その投資原資が金融機関からの融資であれば、投資家は5000万円の借金を背負うことになる。そしてつぎには、不良資産(融資担保物件)を抱えた金融機関が危機に陥るのだ。
◎[参考動画]リクルート疑惑 竹下登首相 国会答弁1
◆バブル崩壊の弱体化した社会は世界同時不況と労働市場自由化で再起不能となった
2000年代後半からは、サブプライムローン問題をきっかけにリーマン・ショックが起き、世界金融危機へと発展した。世界同時不況である。バブル崩壊から10年以上しても、経済低迷が完全に改善されることはなかった。ある意味で当然のことだった。
60年代から80年代後半まで、経済をささえていたのは分厚い中間層の旺盛な消費活動だったのである。若者の話題は「女とクルマ」であり「彼氏は3高」であった。高いマンションは買えないが、あきらめリッチと称して独身貴族は享楽をもとめた。お立ち台のあるディスコやドレスコード付きのクラブがその舞台だった。家族で海外旅行に、ふつうに行くようにもなっていた。その中間層が借金を抱えてしまったのだ。
それでも日本経済は、1990年代初頭にバブル崩壊を経験していらい、低いながらも名目経済成長は続いていた。ところが、橋本政権が村山政権時に内定していた消費税の税率3%から5%への増税を1997年4月に断行した。この時期の増税が消費減退を決定づけた。現在も消費行動を「節約」に走らせている元凶が、この消費税である。
翌年の1998年度には、名目GDPが前年度比約-2%(10兆円)の502兆円まで縮小した。これ以降、日本経済は未経験の本格的デフレーションへと突入し、「失われた10年」を経験することになる。1999年度は1997年度と比べ所得税収と法人税収の合計額が6兆5000億円もの減収となり、失業者数は300万人を超えてしまった。
そして小泉政権における労働市場の自由化、派遣労働者(年収200万円以下)の大量発生として、日本経済の屋台骨である中間層を最終的に崩壊させたのである。若者はクルマを買わなくなり、男子は草食化、女子はパラサイトシングル化し、婚姻数が激減する。失われた世代である。失われた10年は「失われた20年」となり、いまも回復基調は見えない。
◎[参考動画]第87~89代総理大臣 小泉純一郎【歴代総理列伝】
◆好況と社会運動の高揚
戦後77年をふり返って、朝鮮戦争を契機とした50年代の戦後復興、60年代の高度経済成長期には、日本社会では社会運動が活発だった。
政治革命には至らずとも、価値観を転換させる社会革命が起きたのも事実である。それらの社会運動は弱者救済の公的社会保障を生み出し、労働の権利および労使間の手厚い保障制度を結実させてきた。恐慌や貧窮が社会変革をうながすのではなく、好景気が労働者の権利を拡大し、分厚い中間層を生み出してきたのだ。
戦後史をつぶさに見てゆくと、好景気が社会運動の高揚を生み出し、不景気がそれを鎮静化させていることがわかる。
マルクス主義はドイツ哲学(ヘーゲル・フォイエルバッハ)・イギリスの古典派経済学(リカード)・フランス革命思想(パリコミューン)を源泉としている。したがって資本主義の発展の限界が金融恐慌を引き起こし、労働者階級が共産主義革命によって労働と所有を統一しないかぎり、資本と労働の矛盾は解決できないとしてきた。ぎゃくに言えば、恐慌こそ革命の因子であるということになる。
しかしながら、現実の革命は戦争による政治危機に生じた内乱によるものだった(ロシア革命・中国革命)。戦後革命はしたがって、樹立された労働者国家(ソ連・中国。キューバ)と帝国主義国家の体制間矛盾、被抑圧民族の反帝闘争によって、世界革命として実現されるはずだった。
それはしかし、じつは資本主義の盛況を背景にしていたのだ。分配の果実があるからこそ、労働運動の成果には現実性があった。仕事に困らないからこそ、人々は社会運動に熱中できたのではないだろうか。60年安保も68年革命も、好景気の時期である。そうしてみると、サンシモンやフーリエの空想的社会主義を批判してきたマルクスの空想こそ、間違っていたのかもしれない。
そしてもうひとつ、今日的に引きつけておかなければならないのは、80年代以降、マルクス主義などの左翼思想に代わって、宗教とりわけ新興宗教が日本人の心を支配してきたことである。
さかのぼれば、明治維新における廃仏毀釈によって、われわれの祖先は信仰心をうしなった。新渡戸稲造の「武士道」がベストセラーになり、明治後期いらい軍国主義思想の底辺を形づくったことは、あまり注目されて来なかった。武士道を規範とした軍国主義思想とは、じつに日本人の精神生活の空白(廃仏思想)にもたらされたものなのだ。
われわれの現在の日常生活においても、それは同じである。正月の三社参り、節句や七五三、結婚式が神道であり、お彼岸の墓参りは仏教寺院に行く。意味を知らないまま秋のハロウィーン騒動に興じ、クリスチャンでもないのにクリスマスを祝う。これら不定見な宗教観のなかに潜んだのが、カリスマ的なカルト信仰なのである。そのカルトの支援によって、自民党が長期政権をたもってきたことが、ようやく判明したのだ。
戦後77年目に起きた安倍元総理銃殺事件は、選挙運動のさなかに行なわれたテロ事件としてくり返し批判しなければならないが、カルト宗教と結託した戦後政治の帰結を教えたという意味では、象徴的な出来事なのだといえよう。(完)
◎[参考動画]オウムと中沢新一「虹の階梯」麻原彰晃が心酔した宗教学者
◎《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会【目次】
〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代
〈2〉1960~70年代 価値観の転換
〈3〉1980年代 ポストモダンと新自由主義
〈4〉1990年代 失われた世代
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。