◆「打って出る同盟」── エマニュエル駐日米大使
「打って出る日米同盟に」!
これはエマニュエル駐日米大使が9月2日、東京で開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で行った講演のキーワードだ。
彼が強調したのは次の二点。
①日米同盟は「守りの同盟」からインド太平洋地域に「打って出る同盟」の時代に入った。
②日本が国内総生産(GDP)比2%を念頭に防衛費増額を検討していることを称賛する。抑止力の一環としての反撃能力の議論は必要だ。
日本の立場から解釈すれば、専守防衛「守り」の自衛隊が攻撃武力保有の「打って出る」自衛隊に変わること、これを日米同盟の義務として行うこと、これが「打って出る日米同盟」への転換の本質だ。言葉を換えれば、国土防衛から外征戦争を行う自衛隊への転換だ。
その中心環には自衛隊の反撃能力保有、敵本土攻撃能力保有が置かれているのは言うまでもない。
一言でいって自衛隊が「守り」から「打って出る」こと、専守防衛から反撃能力保有への転換-これが米中新冷戦で最前線を担うべき「新しい時代」における日本の同盟義務だとエマニュエル大使は明言したのだ。
「ウクライナ戦争」を経験した今、「打って出る同盟」への転換で米国が日本に要求する「同盟義務の転換」とは何か? それが日本の「東のウクライナ化」への道であることを以下で見ていきたいと思う。
◆対中本土攻撃の中距離核ミサイル基地化する日本
8月の新聞に「海上イージス艦に長射程弾搭載検討」という記事が出た。また「長射程弾1000発保有」に向けた防衛予算概算要求がすでに立てられている。政府は「長射程弾」と表現をごまかしているが、この「長射程弾」というのは射程1000km、あるいはそれ以上の長射程ミサイル、要するに中距離ミサイルと一般に言われるものだ。
これまで専守防衛の自衛隊には禁止されていた兵器、当然、憲法9条に反するものだ。
昨年、米インド太平洋軍は「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出した。米軍の本音は日本列島への配備だ。
計画では米軍は自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも求めており、これを受けてすでに防衛省は地上配備型の日本独自の長射程(中距離)ミサイル開発を決めている。
これらは世論の反発を恐れて隠然と進められているが、先の海上イージス艦に中距離ミサイル配備検討、及び1000発の中距離ミサイル保有が「長射程弾」という言葉のまやかしで着々と現実化させられている。
海上イージス艦配備はあくまで象徴的な「第一歩」に過ぎず、この「長射程弾1000発保有」の実際の狙いは自衛隊の地上発射部隊への全面配備にあることに間違いはない。
これに「核共有論」が加われば、日本の自衛隊基地は中国本土を狙う中距離核ミサイル基地に変貌する。
◆代理戦争方式をとる米国
自民党の麻生太郎副総裁は8月31日、横浜市内のホテルで開いた麻生派研修会で、ペロシ訪台以降の緊迫する台湾情勢を巡り「(対中)戦争が起きる可能性が十分に考えられる」との見解を示した。「与那国島(沖縄県)にしても与論島(鹿児島県)にしても、台湾でドンパチ始まることになったら戦闘区域外とは言い切れない状況になる」と語り、ロシアのウクライナ攻撃の教訓として「自分の国は自分で守るという覚悟がない国民は誰にも助けてもらえない。我々はこのことをはっきり知っておかなければならない」と台湾有事=日本有事に備えることを説いた。
これは米国の同盟国としてその義務をウクライナ以上に積極的に果たせということだ。
ベトナムに続きイラク、アフガンでみじめな惨敗と多大の犠牲を強いられた米国民の厭戦気運は米バイデン政権をしてアジアや欧州での対中ロ戦争を同盟国にやらせる「代理戦争」方式をとらせるようになっている。すでにウクライナでそれは実証済みだ。
対中ロ新冷戦に自己の覇権の存亡をかける米国が日本に要求するのは一言でいって対中代理戦争だ。それを知りながら岸田政権は日本の対中・中距離核ミサイル基地化を着々と進めている。
これの持つ意味をリアルに考えてみる必要がある。
前に「デジタル鹿砦社通信」(6月20日付け)に書いた河野克俊・前統幕長発言「(中距離核基地化するということは)相手国の10万、20万が死ぬことに責任を負う」覚悟を持つこと、これを裏返せば相手国からの核ミサイル反撃があれば「日本の10万、20万が死ぬ」覚悟を持つことが求められる事態になるということだ。
これが意味する現実はすでに「対ロ・ミサイル基地化」でロシアにケンカを売ったしっぺ返しを受けた「ウクライナ戦争」でウクライナ国民が身を以て体験していることだ。中距離核ミサイル基地化する日本が「東のウクライナ」になるとはそういうことだ。ウクライナは米国との同盟関係はない、だから同盟国・日本はウクライナ以上に米国から苛酷な「同盟義務」を強いられるだろう。
◆明らかになった「戦後平和主義」の限界と課題
「日米安保のジレンマ」という言葉がある。
日米安保同盟のおかげで米軍が抑止力として日本の防衛を担っくれているのはよいが、反面、その抑止力である米軍基地があるために日本は戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。
例えば中朝のミサイルは日本の米軍基地に照準が当てられている。いったん有事には日本の米軍基地が核ミサイルや爆撃機、空母など中朝に対する攻撃の際には出撃拠点になるからだ。つまり抑止力として米軍基地があるために米国と中国や朝鮮との戦争事態になれば、否応なしに日本は戦争に巻き込まれる。
これがこれまで日米安保基軸の「戦後平和主義」が内包する「日米安保のジレンマ」と言われるものだ。
しかしいまや事態は一変している。「ジレンマ」というそんな悠長なことは言っておれない事態に日本は直面させられている。
日本が戦争に巻き込まれるどころか、戦争当事国になる、しかも「東のウクライナ化」で米軍ではなく自衛隊が前面に立たされる代理戦争国になろうとしているのだ。
今、直面しているこの由々しい現実は、「戦後平和主義」の限界と課題を誰もに明らかにしたと言えるのではないだろうか?
「戦後平和主義」の限界は「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」というところにある。
これまでの専守防衛は米軍の抑止力が強大であったからこそ維持できた「平和主義」に過ぎない。その「平和主義」は、「戦後の日本は自衛隊が一発も銃を撃つこともなく自衛隊に一人の死者も出さなかった」と言われるが、他方でベトナム戦争の出撃拠点になるなど戦争荷担国であるという多分に欺瞞的な「平和主義」でもあった。
それも今日、事情はがらりと変わった。
「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」は、冒頭のエマニュエル発言のごとく日米同盟が「守る同盟」から「打って出る同盟」に転換される時代に入って正念場を迎えている。今や米国自身が認める「米軍の抑止力の劣化」、それを補うための自衛隊の抑止力強化、反撃(敵本土攻撃)能力保有は日米同盟(米国)の切迫した要求となった。それが今、「打って出る同盟」への転換、日本の対中・中距離核ミサイル基地化という「東のウクライナ化」、米国の代理戦争国化という事態を招いている。
すでに前述のごとく隠然と既成事実化は着々と進められており、今年度末には国家安全保障戦略改訂で「打って出る同盟」への転換は国家的方針、政策として確定される。
今、問われているのは、日米同盟基軸の「戦後平和主義」を脱すること、同盟に頼らない日本独自の平和主義実現の安保防衛政策を構想することだ。これが今や「まったなし」の切迫した課題としてわれわれに提起されている。このことを真剣に議論するときが来たと思う。
▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」成員