2014年に起きた「川崎老人ホーム連続転落死事件」では、同施設の介護職員だった今井隼人被告(29)が勤務中、80~90代の入所者3人を各居室のベランダから転落させ、殺害したとして一、二審共に死刑判決を受けた。しかし、無実を訴える今井被告は、現在も逆転無罪を諦めておらず、最高裁に上告中だ。

今井被告は本当にこの事件の犯人なのか。前編に引き続き、筆者が東京拘置所で今井被告と面会し、本人から聞き取った無実の訴えについて、事実関係に照らしながら紹介する。

◆自白が嘘なら、なぜ客観的事実に整合したのか?

今井被告の裁判の最大の争点は、捜査段階の自白が信用できるか否かということだ。

前編では、自白した理由に関する今井被告の説明には、とりあえず合理性があることをお伝えした。だが一方で、今井被告が自白した取り調べは録音録画されており、しかもその自白内容は客観的事実とよく整合している。

たとえば、仲川さんの事件について、今井被告は「仲川さんの部屋にあったパイプ椅子をベランダに持ち出し、その上に仲川さんを立たせたうえで転落させました」と自白しているが、実際に4階のベランダにはパイプ椅子が転がっていた。今井被告が本人の主張するように本当に無実なのであれば、なぜ、このような客観的事実と整合する自白ができたのか。

筆者がその点を質すと、今井被告は指を2本立て、「このような自白になった理由は2つあります」と言い、こう説明した。

「1つは、勤務中に仲川さんの部屋に入ることもあり、室内にパイプ椅子があったのを覚えていたことです。そしてもう1つは、仲川さんが亡くなった際に第一発見者に呼ばれ、ベランダに行って下を見た時、視界に“椅子っぽい物体”が入っていたことです。それで、取り調べでは最初、『仲川さんを“茶色い木の椅子”に立たせました』と供述したのですが、刑事に誘導され、最終的に『黒っぽいパイプ椅子に立たせました』と供述したのです」

この今井被告の説明については、納得しかねる読者もいるだろう。しかし、無実の被疑者がやってもいない容疑を自白する場合、自分が知っている情報をもとに「自分が犯人だったらどうするか」と想像しながら、やってもいない犯行を供述するのが一般的だ。今井被告の話は、冤罪における虚偽自白でいかにもありそうな話ではある。

一方、1人目の被害者・丑沢さんについて、今井被告は「丑沢さんを転落させた際には、丑沢さんの手を持ち、ベランダの柵に手をかけさせた」と自白している。そして実際、ベランダの柵には丑沢さんの指掌紋が付着しており、自白の内容がやはり客観的事実に裏づけられた形となっている。

今井被告はこの点について、こう説明した。

「僕は、丑沢さんが亡くなった時、警察の人たちが現場を調べていたのを見ていたのです。その時、『捜一』という腕章をした人がベランダの柵にポンポンと白い粉をつけていたので、丑沢さんの指掌紋がベランダの柵についていることがわかりました。それに合わせて、そういう自白をしたのです」

さらに今井被告はこう説明した。

「僕の自白は、犯人でなければ知りえない秘密の暴露はなく、供述心理学者の鑑定でも『犯行を体験していない可能性が高い』と判定されています。僕の自白は、あの施設の介護職員なら誰でも語れる内容なのです」

実際、一、二審判決を見ても、今井被告の自白の中に「秘密の暴露」にあたる供述があったとは示されていない。今井被告の話には、無下に否定しがたい説得力があるのは確かだ。

今井被告が収容されている東京拘置所

◆犯行予告のような発言をしたされる件の真相

ただ、裁判では、今井被告について、他にも怪しげな事実が示されている。

1人目の被害者・丑沢さんが亡くなった後、今井被告が同僚に対し、2人目の被害者・仲川さんや3人目の被害者・浅見さんが亡くなることを予見するような発言をしていたというのだ。

今井被告はこの点について、こう説明した。

「丑沢さんが亡くなった後、僕は再発防止のため、ベランダに防犯カメラをつけたり、柵を高くしたりすることを提案しました。それと共に自殺願望のようなことを口にしている危ない入所者の名前を4、5人挙げ、対策が必要だと言っていたのです。そのように名前を挙げた中に仲川さんと浅見さんもいたのです」

この今井被告の主張については、にわかに信じがたい読者もいると思われる。だが、よくよく考えると、仮に今井被告が犯人だとすれば、事前に犯行を予告するようなことを言い、疑われるリスクを高めるほうがむしろ変な話だ。

実際、一、二審判決を見ると、今井被告の主張を裏づける事実も示されている。浅見さんは事件前に「もう死にたい」「早く殺して」と口走っていたことが判明しており、丑沢さんも転落死する前、帰宅願望が高まり、「家に帰りたい」と言っていたというのだ。

これらの事実は、今井被告の主張を裏づけるのみならず、被害者たちが自ら転落死した可能性があることを示しているようにも思われる。

◆家族にも自白したのはなぜか?

もっとも、今井被告には、他にもまだ不利な事実がある。それは、警察に犯行を自白後、母親と妹にも罪を認める発言をしていることだ。

この点について、今井被告はこう説明した。

「母と妹に罪を認めたのは、取り調べの延長線上でのことです。警察で自白後、刑事から取り調べで話したことを母と妹にも話すように言われ、『やっていない』とは言えなかったのです。『やっていない』と言えば、刑事が機嫌を損ね、マスコミから守ってもらえなくなり、取り調べも元に戻ってしまうと思ったからです」

前編で既述した通り、今井被告は逮捕前からマスコミに追いかけ回され、「疑惑職員」と報じられたりもした。そして今井被告によると、刑事から「警察がマスコミから母ちゃんと妹を守ってやるから」と言われ、迎合してしまったことが、身に覚えのない罪を自白した理由の1つであるとのことだった。とりあえず、説明の辻褄は合っている。

だが、自白したら死刑などの重い罪になることはわからなかったのか? そう質すと、今井被告は、こう答えた。

「自白した時は、そこまで深く考えられませんでした。死刑とか、そういうことは思い浮かばなかったのです」

では、今井被告にとって、母親と妹はどのような存在だったのか?

「大切な存在です。うちは父親がいなかったので、僕は自分が家の長として2人を守らなければいけないと思っていました」

◆窃盗事件の被害者への思い

最後に、今井被告本人が聞かれたくないだろうことを突っ込んで、聞いてみた。

―― 今井さんは、どんな思いで介護の仕事をしていたのですか?

「僕が介護職員になったのは、祖父母を介護した経験が役に立つと思ったからです。実際、仕事は大変でしたが、人に感謝される仕事なので、やりがいはありました。被害者の方が亡くなった時はショックで、もうこういうことがないようにしたいと思っていました」

―― ただ、今井さんは、入所者から現金や貴金属を盗んでいた。そして、その盗んだ金で同僚におごったりしていたそうですが、なぜ、そんなことを?

「見栄を張りたかったんだと思います」

―― 窃盗の被害者の人たちへに対して、今、どんな思いを抱いていますか?

「申し訳ないことをしたと思います。示談が成立した人もいますが、人の気持ちはお金で買えません。取り返しがつかないことをしたと思っています」

終始堂々としていた今井被告だが、この時は殊勝な面持ちだった。ただ、答えをはぐらかすような様子はなく、正直に話している印象を受けた。

今井被告の冤罪の可能性については、今後も検証を続け、当欄でも報告させて頂きたいと思う。(完)

◎冤罪を訴え、最高裁に上告中 ──「川崎老人ホーム連続転落死事件」死刑被告人との対話
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44047
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44051

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[電子書籍版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

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