畠山隼人が真吾YAYATOに3タテを喰わした、豪快なKO勝利で上位王座獲得。

上位王座となるWBCムエタイ日本王座獲得した畠山隼人

SAHOはコロナ禍で再三の延期を経ての世界の称号王座獲得。

岩浪悠弥が引分けながらハイキックが決め手の優勢支持で上位王座獲得。

羅向が試合をコントロールし、KOで王座獲得。

ARINAがパンチ手数で攻勢を維持して王座獲得。

◎NJKF 2022.4th / 11月13日(日)後楽園ホール17:30~21:08
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF、S-1

◆第8試合 第8代WBCムエタイ日本スーパーライト級王座決定戦 5回戦

NJKFスーパーライト級チャンピオン.畠山隼人(E.S.G/ 62.95kg) 
      vs
NJKF同級暫定チャンピオン.真吾YAMATO(大和/ 63.25kg)
勝者:畠山隼人 / KO 1R 1:52
主審:多賀谷敏朗        

畠山隼人と真吾YAMATOは過去2018年6月24日と2020年2月16日の2度対戦し、いずれも畠山がKO勝ち。

開始後のわずかな様子見から畠山隼人のパンチ連打が当たり、左フックで最初のノックダウンを奪う。ダメージが大きい真悟へ右フックで2度目のノックダウンを奪い、最後は左フックで倒す3ノックダウンによる速攻の決着となり、メインイベンターとして豪快なKO勝ちで興行を締めたのは充分な役割を果たした言えるだろう。

畠山隼人は「最初のダウンでKOはいけると思いましたし、しなければいけないと思いました。」と率直に語った。

畠山隼人が豪快に右フックで2度目のノックダウンを奪って初回KOに繋げる

◆第7試合 S-1女子世界バンタム級王座決定戦 5回戦(2分制)

S-1世界王座獲得したSAHO。まだ上位がある今後の展開へ勝ち上がれるか

S-1女子日本バンタム級チャンピオン.☆SAHO☆(闘神塾/ 53.05kg) 
      vs
WPMF女子世界バンタム級チャンピオン.ルックナム・コー・コムクラム(タイ/ 52.85kg)  
勝者:☆SAHO☆ / 判定3-0
主審:宮本和俊
副審:君塚50-46. 中山49-47. 多賀谷49-48

初回、SAHOはパンチの連打からキックを入れるとルックナムはスリップダウン。ルックナムもローとミドルで返すが、SAHOにコーナーに追い込まれる。

ルックナムは得意であろう首相撲で打開を図ろうとするが、SAHOが互角以上に対応し、離れたらパンチをヒット、ルックナム選手も首相撲をやりながらボディにヒザ蹴りをヒットさせるがSAHOにダメージを与えるまでに至らず。

中盤以降もルックナムがヒザ蹴りからミドルとローキックもヒットさせていくが、SAHOはパンチで対抗し優勢に進める中、ルックナムに合わせるかのように首相撲からのヒザ蹴りで攻勢を維持して終了。

闘神塾会長は「相手がムエタイ選手ということもあり、相手のペースに乗らないことをアドバイスしました。ARINA(第4試合)もそうですが、自分のアドバイスを素直に聞いてくれて、それで二人とも王者になってうれしい限りです。相手の選手のミドルキックが的確に入ってきたのですが、SAHOは終始余裕があり、特に3~4ラウンドは素直に話を聞いてくれました。」と語り、終了のゴングが鳴った時は「判定が発表されるまで気が抜けなかったです。」と語った。
SAHOは最終ラウンドのゴングが鳴った時に「やり切ったという感じでした。動き自体も問題がなく、会長のアドバイスもよかったです。嬉しいです。」と笑みを浮かべながら語った。

セコンドと選手が一体感にならないと勝てる試合も勝てなくなるというのが分かるコメントでした。会長の嬉しそうな表情がとても印象的であった。

ロックナムは蹴り中心だったが、パンチで圧倒したSAHO。組み合っても負けなかった

※S-1ジャパンJr.ライト級王座決定戦&WBCムエタイ日本スーパーフェザー級タイトルマッチは山浦俊一(新興ムエタイ)がコロナ感染による影響で中止。対戦予定だったHIRO YAMATO(大和/ 58.85kg)はS-1世界へ挑戦権を獲得。この日は大田拓真(新興ムエタイ)とエキシビジョンマッチ1ラウンドを行なっている。

◆第6試合 第8代WBCムエタイ日本スーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

3位.岩浪悠弥(橋本/ 55.25kg)vs 4位.日下滉大(OGUNI/ 55.25kg) 
引分け 三者三様
主審:中山宏美 / チェアマン:斎藤京二
副審:竹村48-49. 神谷49-49. 多賀谷49-48

序盤は互いの蹴り中心にした探り合いの展開が続く。

第3ラウンドに岩浪の右ハイキックが決まるが、ノックダウンには繋がらず。日下はパンチ中心で試合展開を作ろうとしている様子で、第4ラウンドには日下のパンチ主体の戦法が岩浪の顔面を捕らえはじめる。岩浪は首相撲やクリンチワークで日下の勢いを抑え込む流れでラウンドが終了。

第5ラウンドに岩浪のストレートが日下の顔面をヒットするも、日下はパンチの手数を倍以上にして、蹴りを加えて対抗。岩浪が鼻血でドクターチェックストップが入るも、すぐに再開。終盤は両者ともに動きを止めることなく攻め合う中で終了。引分けとなったが、チェアマン支持裁定で岩浪悠弥が王座獲得。
「第3ラウンドの岩浪のハイキックが勝負のポイントだった」という観ていた関係者の意見は多い。

日下滉大(左)と蹴りが交錯。互角の展開が進み、優勢支持を受ける展開を掴む岩浪悠弥は、引分けながら勝者扱いで王座獲得。再戦で決着戦が望まれる。

◆第5試合 NJKFライト級タイトルマッチ(WBCムエタイ日本同級挑戦者決定戦)5回戦

チャンピオンV1戦.岩橋伸太郎(エス/ 60.95kg)vs 同級1位.羅向(ZERO/ 61.15kg)
勝者:羅向 / TKO 5R 0:17
主審:君塚明

羅向が永澤サムエル聖光(ビクトリー)への挑戦権獲得。

初回から羅向のパンチがヒットするが、岩橋伸太郎は距離を置く展開が続く。

第2ラウンドも羅向のパンチが有効になってくる。岩橋はパンチに合わせてキックで返す形で距離を置く展開で終了。

第3ラウンド、羅向はキック中心に切り替え、左ヒザ蹴りをボディへヒット。岩橋もパンチやミドルキックで返すも単発で羅向選手にポイントを奪われる。

第4ラウンド、優勢に試合を進める羅向は岩橋の反撃をかわし、パンチの連打から左ストレートでノックダウンを奪う。

最終ラウンド開始早々、羅向はパンチの連打で、スタミナがほぼ無くなった岩橋のボディに左ストレートを決めるとレフェリーが試合ストップした。
試合前は岩橋伸太郎が「せっかく獲ったベルトなので、すぐに落としたくないですね。勝っても負けても終わりのゴングはありますが、勝って聞きたいものです」というコメントが聞けたが、

羅向は「倒しきることを考えていたのですが、相手が合わせるタイプではなかったことや、周囲のKO勝ちの期待が大きいのがよく分かったのでモヤモヤしていました。KOした時にゴングが鳴った時は、勝って良かったと安心しました。」と語った。試合前のパフォーマンスについては、「フザけてすみません」と謙遜していたが、「今の時代、盛り上げる為にあれぐらいは必要」という意見もあるようです。

終始、攻勢を維持した羅向が右フックをヒット。派手な羅向の言動だったが、有言実行で堂々たる王座奪取

◆第4試合 女子(ミネルヴァ)スーパーフライ級タイトルマッチ3回戦

チャンピオン.NA☆NA(エス/ 51.8kg)vs 同級3位.ARINA(闘神塾/ 51.65kg)
勝者:ARINA / 判定0-3
主審:多賀谷敏朗
副審:君塚28-30. 中山28-29. 宮本28-30

序盤からARINAがパンチ主体で攻撃。NANAはブロックしてパンチの数を増やし始める。第2ラウンド、打ち合いになるが、ARINAのパンチがヒットが目立って来る中、右のフックがクリーンヒットし、NANAが体勢を崩しかけた。

第3ラウンド、ARINAの左右のストレートが的確にヒットし、NANAも首相撲からのヒザ蹴りを的確にAEINAのボディにヒットしていく。終盤、NANAの右フックが入るが、ARINAは手数を増やし主導権を奪ったまま終了。

ARINAはチャンピオンになったことは素直に嬉しいと思った様子も、最終ラウンドのゴングを聞いた時に物足りなさとKOができなかったことについて反省の弁を述べていた。試合開始のゴングが鳴る前からテンションを高め、試合後もストイックな面を見せていた様子。「次回はKO勝ちを狙いたい」と語った。

激しい攻防からパンチヒットが目立って行ったARINA

KO出来なかった反省はありつつ、堂々たる王座奪取のARINA

◆第3試合 60.0kg契約3回戦

S-1スーパーフェザー級世界覇者.コンゲンチャイ・エスジム(タイ/ 59.5kg) 
       vs
琢磨(元・WBCムエタイ日本SFe級C/東京町田金子/ 59.9kg)
勝者:琢磨 / TKO 2R 1:50 / カウント中のレフェリーストップ

◆第2試合 65.0kg契約3回戦

亜維二(新興ムエタイ/ 64.85kg)vs 板谷航平(チームゼロス/ 64.85kg)
勝者:亜維二 / 判定3-0 (30-26. 30-27. 30-27)

◆第1試合 スーパーフェザー級3回戦

颯也(新興ムエタイ/ 58.85kg)vs 池田航太(拳粋会宮越道場/ 58.25kg)
勝者:池田航太 / 判定0-3 (28-30. 27-30. 28-29)

《取材戦記》

今回の年内最終興行とあって、当初六つのタイトルマッチが組まれました。二つが王座入れ替わり、三つが王座決定戦での王座獲得で新チャンピオン誕生。あともう一つ、“不戦勝”で二つの王座獲得したHIRO YAMATOの存在がありました。

リング上のHIROは、「皆さん、意味が分かっていないと思うんですけど、僕もこの状況を理解しておりません。ベルトを3つ持つことになった訳です。」と語ったとおり、これは本来のタイトルの在り方ではないとはもう昔から言っているとおりです。S-1世界挑戦権獲得は順当なところ、「WBCムエタイまで?」という違和感は残ります。

HIROが「でも、大切なのはベルトの数ではなく、他のところにあって、ベルトに恥じない試合をやっていくことだと思います。」と語ったのはまだ救われるコメントでした。

今回、記事をフォローしてくれる記者を同行した取材となりました。

最近は記事・撮影とも一人でこなす他社記者を見かけます。それはどちらも両立させている様子で大変な労力と思います。

私の場合は撮影に重点を置くことが殆どで、記事の為、わずかなメモ書きと記憶、関係者の言葉を軽く拾うのみでは心許無い取材内容でした。最近は20年程昔の媒体で組んでいた記者がやっていたように、主催者や選手にコメントを貰おうとICレコーダー持ってインタビューすると、ICの自分の支離滅裂な焦りの声に唖然とするばかり。ちょっとしたコメントを頂ければいいだけが、武田幸三氏には逆に質問されてしまうパニックの私。「これはイカン」と、記者が必要と思っていたところに今回、ある人物の手をお借りすることになりました。

今後も媒体の問題、取材先の問題、年齢的健康状態等で継続できるかは分かりませんが、なるべく協力して頂きたいと考えております。

その記者の今回の取材感想は、「壮年期以上の人は若い選手をみて反省し、彼らを支えていくべきですね。選手たちが純粋で輝いている感じでした。彼らに話が聞けたことは自分がエネルギーを逆に貰い、彼らの姿勢をみて、驕っている面を反省しなくてはいけないと思いました。試合前であっても失礼がなく、質問すれば話をしてくれますし、彼らもできる限り発信をしたいと思っているなあと、特に羅向選手から感じました。」と語ってくれました。継続できる体制が出来ましたら紹介したいと思います。

来年最初のニュージャパンキックボクシング連盟興行「NJKF 2023.1st 」は後楽園ホールに於いて2月26日(日)に予定されています。その次が4月16日(日)、他、関西での興行「NJKF west」も日程はまだ未定ながら数回開催見込みです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

詭弁で事実を捻じ曲げる風潮が広がっている。筆者が取材してきた「押し紙」問題では、人権派弁護士が「押し紙」は一部も存在しないと公言し続けているし、「しばき隊」のメンバーが起こした暴力事件でも、やはり人権派弁護士が「リンチは無かった」と公言して憚らない。

客観的な事実と個人の願望を混同しているのだ。それをSNSで公の場に持ち込むと社会に混乱が生じる。

吉田拓郎の歌「知識」に次のようなフレーズがある。

人を語れば世を語る
語りつくしているがいいさ
理屈ばかりをブラ下げて
首が飛んでも血も出まい

「理屈ばかりをブラ下げて首が飛んでも血も出まい」とは、頭でっかちになって人間性を喪失しているという意味である。詭弁を弄して世を渡るインテリに対する批判である。

詭弁がエスカレートすると虚像に変質する。それがソ―シャルメディアなどを通じて不特定多数の人々に広がる。その結果、世論論誘導が進む。

本稿は、11月12日付けのデジタル鹿砦社に掲載した記事、《「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマ」とツイートした高千穂大学の五野井郁夫教授、事実の認識方法に重大な欠陥》の続編である。続編では、ツイッターの社会病理に焦点を当ててみよう。

「保守速報」の提訴に際して、日本外国特派員協会で記者会見する李信恵(左)と上瀧浩子弁護士(右)。この会見の約3カ月後に、しばき隊が暴力事件を起こした。

◆上瀧浩子弁護士の2件のツィート

既報したように発端は、高千穂大学の五野井郁夫教授の次のツィートである。

こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。

2014年12月17日に大阪市の北新地で「しばき隊がリンチ事件を起こした」というのは根拠のないデマだという記述である。筆者は、この事件をを取材した関係で、リンチ(私刑)はあったと考えている。たとえ計画性や共謀性がなくても、感情を高ぶらせた人間が弱者を取り囲み暴力に至れば、普通の感覚からすれば集団で私刑に及んだと考えるのが常識だ。

そこで筆者は、次の質問状を五野井教授に送付した。

1,「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明」されたと摘示されていますが、裁判では主犯のリーダに対する損害賠償命令(約114万円、大阪高裁)が下っており、「根拠のないデマ」という認識は誤りかと思います。先生は、何を根拠に「根拠のないデマ」と判断されたのでしょうか。

2,次に先生が記事や論文等を執筆される際の裏付け取材についてお尋ねします。引用したツィートを見る限り、原点の裁判資料を重視せずに、神原元弁護士の言動を事実として鵜呑みにされているような印象を受けます。具体的に先生は、どのようにして事実を確認されているのでしょうか。また、大学の学生に対しては、この点に関してどのような指導をされているのでしょうか。

これに対して五野井教授から次の回答があった。

担当者様
上瀧浩子弁護士を通じて鹿砦社にお送りした通りです。
以上。

上瀧浩子弁護士というのは、熱心にカウンター運動を支援している京都の弁護士である。
 
筆者は鹿砦社に、その上瀧弁護士からの回答が届いているかどうかを問い合わせた。鹿砦社からは、届いていないと回答があった。しかし、この問題に関する鹿砦社のツィートに対して、上瀧弁護士が次の2件のツィートを投稿したと伝えてきた。

 

◆ツイッター上の舌足らずな回答

五野井教授がいう上瀧弁護士から鹿砦社へ送った回答とは、おそらく引用した2件のツィートのことである。ただ、筆者の質問は、何を根拠に五野井教授が暴力事件を「根拠のないデマ」と判断したのかという点と、大学生に対してどのような事実の確認方法を指導しているのかという点である。

従って上瀧弁護士のツィートが回答だとすれば、第2の質問に対する回答がない。そこで念のために上瀧弁護士に対して、五野井教授の代理で、筆者への回答書を鹿砦社へ送付したかを書面で尋ねてみた。上瀧弁護士から回答はなかった。無回答の場合は、送付していないと見なすと記していたが、回答は無かった。

この時点で筆者は五野井教授が意味する回答とは、上瀧弁護士の2件のツィートだと判断した。同時にツイッターというメディアの軽薄さを感じた。記述が舌足らずにならざるを得ないようだ。まさに呟いているレベルなのだ。

◆上瀧・五野井の両氏は通常のメディアで説明を

筆者は、重大な問題をツイッターで議論することには賛成できない。1ツイートが140文字だから、思考を論理的に構成することは不可能に近い。たとえ連続投稿しても、全体像が把握しにくい。結局、裏付けがあいまいな我田引水の記事が投稿されることになりかねない。

上瀧弁護士は、「M君の行動に怒った個人が暴力振るっただけなんですけど?」とツィートしているが、この記述だけを切り離して読むと、李信恵には何の責任もないような印象を受ける。単なる「こぜりあい」に感じる。

しかし、裁判所はそのような判断をしていない。たとえば李信恵が鹿砦社の書籍に対して名誉毀損で訴えた裁判では、大阪高裁が次のような認定をしている。「共謀」についても言及している。

被控訴人(李信恵)は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

本件において控訴人(鹿砦社)の被控訴人(李信恵)に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。(控訴審判決、10P、裁判所の判断)

上瀧弁護士の2件のツィートは、重要な部分を記述していない。たとえば、こうした司法認定について、弁護士としてどう考えるのかといった点である。

上瀧弁護士のツイッターのフォローファーは8000人を超えており、一定の影響力を持っている。彼らの大半は、裁判書面を読んでいない。情報は、そのまま鵜呑みにされる公算が高い。五野井教授のフォローファーに至っては、2万2000人を超えている。

上瀧・五野井の両氏は通常のメディアで、何を根拠に2014年12月17日の暴力事件がリンチではないと断言しているのか説明すべきだろう。それが言論人の責任ではないだろうか。

◎関連記事 黒薮哲哉「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマ」とツイートした高千穂大学の五野井郁夫教授、事実の認識方法に重大な欠陥 

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

◆動燃の説明で強まる不信感と疑念

動燃は、トシ子さんに成生氏の死の経緯の説明など行わない一方、ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに、ハイヤーが6台入るようにもっと広い会場を、4人に弔辞を読ませる時間がないと困るなどと注文をつけ、葬儀を取り仕切った。

実際、葬儀には1500人もの参列者が訪れ、梶山静六官房長官(当時)はじめ田中真紀子氏ら国会議員、原発立地の県会議員、原発関連企業幹部ら「大物」の名前が並び、費用は西村家が出したにもかかわらず「社葬」のようだった、とトシ子さんは振り返る。「夫はもんじゅ事故騒ぎの鎮静化のために亡くなったというふうに、政治的に利用されているのではないか」。

 

トシ子さんは涙も見せず、葬儀を注意深く見ていた。「当日読まれた弔辞を全部あわせて読むとよくわかるんです」と、4人の弔辞内容が巧妙に連携されていたと説明する。科技庁・石田寛人事務次官の「明日へのエネルギー確保のための原子力」、動燃・大石博理事長の「もんじゅ事故の混乱」、関連企業ペスコ・竹ノ内一哲会長の「ホテルで1人で遺書を書き」、そしてT秘書役の「自ら命を絶った」と。

実際、成生氏の死後、動燃批判は一挙に沈静化したが、トシ子さんの疑念はますます強まっていった。葬儀の10日後、トシ子さんは、葬儀に献花した閣僚らに対し、動燃内の成生氏の事務机の封印について嘆願書を提出し、その10日後、科技庁事務次官から「奥さんの望むようにした」との返書が届いた。

一方、トシ子さんは大石理事長に、夫の死について何度も説明を求めたが、まったく返答はなかった。そんななか4月22日、T秘書役から「説明したい」と連絡があった。

T氏は、成生氏から遺書を受け取った1人であるが、夫の大学の同窓生でもあった。待ち合わせ場所は動燃本社ビル地下にあるスナックだった。トシ子さんは、そこに現れたT氏からてっきり動燃社内に案内されると思いきや、近所の居酒屋に案内された。

そこに大畑理事が現れ、T氏と2人で酒を飲み始めた。「夫の死の話をするのに、どういう神経をしているのかしら?」と訝しく思うトシ子さんに、T氏は「西村職員の自殺に関する1考察」と題した社用箋に手書きした文書を手渡した。

そこには、成生氏の死は、前日の会見で、本来上層部がビデオの存在を知ったのは、前年12月25日だったから、成生氏は「12月25日」と返答すべきところ、「1月10日」と言い間違えて返答してしまったことを苦に自殺したという内容だった。

「それは違う」。トシ子さんは咄嗟に思った。前述したように、夫の死後、トシ子さんに返された成生氏の鞄に入っていた記者発表の想定問答集には、「12月22日から1月11日の間」と記載されていたが、当日、2回目の会見で、大石理事長が「1月11日に初めて知った」と答えたことから、成生氏は、安藤理事、廣瀬広報室長と行った3回目の会見で、理事長発言の1月11日の1日前の「1月10日」と答えるしかなかったのである。

しかもその答えを、同席していた安藤理事や廣瀬広報室長も訂正しなかった。それは動燃の「統一見解」であったからだ。成生氏も仕方なく従うしかなかったのだ。成生氏が「言い間違えた」というなら、同席していた安藤理事、広報室長らが訂正したり、再度会見を開くことも可能だったのに、行っていなかった。

そんなトシ子さんの思いも知らず、T氏は「西村は発作的に自殺をしてしまったんだ。でも潔ったよ」と語ったという。

「事実は違うと思います。夫は当日、ホテルでファックスを受け取ったそうですが、その受信紙は今どこにあるんですか?」とトシ子さんは2人に問い詰めた。

すると大畑理事は、顔色を変え、突然店から出て行ってしまった。そのファックス用紙が存在すれば、刻印時刻に成生氏がホテルに宿泊し、その時刻まで生存していた第一級の証拠物であるというのに、警察と動燃は、その後の裁判においても証拠提出していない。

 

夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死後、初めて涙した日

数日後、自宅に〈「動燃もんじゅ大事故」と「ビデオ隠し」の犠牲者〉と題された記事が掲載された講談社発行の月刊誌が、差出人不明で届いた。内容は、先日聞いたT氏の「1考察」に沿う内容で、T氏自身も実名でコメントを寄せていた。

「数日前の奇妙な説明は、この記事が出る前、私を説得させるためのものだったのか」とトシ子さんは考えた。

1年後、その記事を見せた知人に「それは変だ。調べ直したほうがいい」と言われ、夫の遺体を死亡確認した聖路加国際病院の医師に説明を求め電話を入れた。

驚くことに医師は、トシ子さんからの連絡を待っていたという。成生氏の死に不信を感じていたのか、当日トシ子さんに話をするため霊安室に向かったが、入口で動燃職員に止められたという。

医師はトシ子さんに、(成生氏の遺体は)「死後、10時間くらい経って、病院に連れてこられたんですよ」と、驚くべき事実を伝えてきた。

直腸など身体の奥の外部の気温などに左右されにくく、常に約37度で安定している「深部体温」から推測すると、成生氏の死亡推定時刻は、動燃や警察が発表した午前5時頃よりかなり前だというのだ(法医学では気温が常温18度の場合、遺体の深部体温は1時間に1度低下するとされるが、1月で気温が低かったため、少なくとも午前1時までには死亡していたと推測される)。

監察医は、死体検案書に成生氏がホテル8階から転落、「即死」したのが午前5時頃と記載、搬送先の聖路加国際病院の医師が、死亡確認した時刻は6時50分で、その時の「深部体温」は27度と記載していた。

その後、トシ子さんが何人かの法医学者に尋ねたところ、午前5時から6時50分までの約2時間で、深部体温が10度も低下することについて、全員が「あり得ない」と答えた。

さらに、側頭部のレントゲン写真を撮ったところ、頭の中央部が白く映っており、脳幹に空気が入った状態だったことがわかった。脳幹には生命維持機能があり、脳幹に空気が入ると息が止まり、致命傷になるとのことだった。

数日後、トシ子さんは、聖路加国際病院が撮影した成生氏のレントゲン写真を受け取り、付添人と病院の庭園で封を開け、写真を見た。夫の頭蓋骨、胸郭には、骨折など目立つものは何もなかった。

「頭蓋骨骨折で…」と書いた新聞もあったではないか…。死んだ夫のレントゲン写真が、夫が8階からの飛び降り自殺ではない事実を証明してくれたのだ。霊安室でも葬儀でも泣かなかったトシ子さんが、その時初めて涙した。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44727
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44733

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

筆者は、広島1区の介護施設(本稿では以下弊社とします)と、広島4区(安芸郡)の介護施設で介護福祉士として働いています。

◆これまでのクラスターも「野戦病院」状態だったが

ちなみに、これまでたびたびご紹介した外国人労働者の流出が起きているのは広島4区の介護施設です。(※関連記事)

こちらの4区の施設でもクラスターは2022年9月に発生しています。筆者は、クラスター発生に伴い、欠勤者が出たために、夜勤のピンチヒッターに入りました。

台風が九州から中国地方を襲った日にも、電車が止まっているため、暴風雨のなか、自転車で駆け付けたのを記憶しています。そうしないと、施設が回らないから、と思ってかけつけました。このときは、全身がずぶぬれになり全部着替えたのを覚えています。

夜勤の時は、台風に伴う熱帯性の暑くて湿った空気の中、防護服着用で一晩を過ごし、汗びっしょりになったのを覚えています。

さて、広島1区の弊社では、2022年2月と8月にクラスターが発生しました。8月のクラスターでは入居者様13人、職員8人の21人が感染確認。入居者様の4人に1人以上が感染し、うち二人が救急搬送。職員も不足が続き、広島弁でいえば「わやくちゃ」な状況でした。(※関連記事)

2月のクラスターは、弊社で初のクラスターで入居者様6人、職員2人が感染。このときも職員不足とのダブルパンチで、野戦病院のような状態になりました。(※関連記事)

いずれも、入居者様に、食事を個室で取っていただきました。そして、食堂に入居者様が来ておられるときは食事介助をまとめてすることができましたが、これらの時はそうはいきません。普段よりむしろ必要職員数が増えた上に、職員も倒れた状況でした。

◆弊社の前に救急車が!?

さて、筆者は、2022年11月9日に弊社に勤務した後、10日は、地元安佐南区での政治活動のあと、夜は11月11日は4区の介護施設で1日勤務。12日は、人手不足により、急遽4区の介護施設で半日勤務。13日は、広島市内で組合活動。14日は広島4区の介護施設で1日勤務。

こんなあわただしい日程をこなしていました。そして、15日。わたしは午前中、妻の通院に付き添い、午後から弊社に出勤しました。

すると、弊社の前に救急車が止まっています。いったい何事かと思って、同僚に聞きました。入居者様の一人が12日にコロナに感染が確認。その入居者様(仮にAさんとします)は、体温こそ38度とまだ「軽症」の部類ですが、酸素飽和濃度が低下するなど、いわゆる中等症に近い状態になっていたそうです。それに加えて、若手職員1名がコロナへの感染が確認されていました。

ただ、12日から、このAさんのケアに当たっていた同僚たちからすれば、Aさんの入院で、他の入居者への拡散の可能性が低下してほっとしていたのも事実です。過去2度の弊社クラスターでも、軽症で要介護度が低い方が、元気なゆえに、他の入居者様の部屋を訪れて、いわゆるスーパースプレッダーになってしまったからです。ただちに、以降の入浴は中止。Aさんの居るフロアの人は全員個室で食事となりました。

ところが、ほっとしたのも、つかの間です。今度は、翌16日、別のフロアの入居者Bさんの感染が発覚しました。

◆手術直前にコロナ発覚、弊社に「強制送還」

Bさんは、泌尿器系の重篤な病気があり、それが悪化していました。そこでこの日、同じ区内の大型病院で手術の予定でした。もちろん、この16日の朝、施設を出発した時点ではコロナ感染は確認されていません。

ところが、Bさんは、病院の「関所」で引っかかってしまいます。すなわち、手術前に、PCR検査を受け、15分から30分で結果が出る関所で、コロナ感染が確認されたのです。

その病院には、コロナ病棟ももちろんあります。このBさんは、重篤な泌尿器系の病気がありますから悪化が心配です。当然、コロナ病棟に回されるかと思いきや、なんと、弊社に「強制送還」されてきたのです。

Bさんの「強制送還」により、Bさんのフロアの入居者様は全員個室で食事をとっていただくことになりました。

またまた、「てんやわんや」の状況です。「そのまま入院してくれれば、弊社の負担は軽減されるのに。」と多くのスタッフが思ったのは間違いありません。

◆なぜ「強制送還」されたのか?

なぜ、コロナ病棟もある病院から、Bさんは「強制送還」されたのでしょうか? その一つの理由は、入院には依然として、保健所を介在させる必要があるからです。保健所に感染を登録して、そして、保健所の指示に従って入院などもする。そういう仕組みだからです。

もう一つの理由は、今は、以前の第一波やデルタ株の時と違い、オミクロン株やその変異株です。ワクチンの効果もあって重症化率は低い一方で、感染者の数はけた違いです。したがって、県としても、コロナそのものの症状がないBさんの場合は、入院の対象にならないわけです。

もちろん、医療機関の負担を減らすためにはやむを得ない措置というのは理解します。ただ、おかげで、また、弊社など介護施設内での感染が広がる危険が出てきます。

◆経済優先というなら、それによる介護現場の犠牲には補償を!

もうひとつは、岸田政権は、安倍政権、菅政権以上に、経済優先の姿勢です。もちろん、観光業、飲食業など、これ以上、緊急事態宣言などしたら、もたない、というのも理解します。他方で、それにより、介護現場には大きなしわ寄せがきているのです。

安倍政権はそれでも、介護現場に勤務する労働者に一人5万円の報償金を出しました。しかしながら、岸田政権では一度もそういうことはありません。介護労働者の給料3%アップはされましたが、物価上昇、あるいは他業界の賃上げ、インフレ手当の支給などの中で実質的には相殺されてしまっています。

地元の岸田総理には経済優先で行くなら、その分、負担が来る介護現場にも手厚く。せめて、これだけは、強くお願いするものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

ロシアのウクライナ侵攻が続いており、これまでにさまざまな意見がみられた。わたしは確実に明言できる答えにたどり着けないまま、こんにちにいたっている。ただし、1冊の聞き書きには、戦場の真実が赤裸々に記されていた。

今回も前回に引き続き、書物や言葉から現在を考えるということを試みたい。取り上げるのは、話題にもなったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)だ。

◆システムが我々を殺し、我々に人を殺させる

 

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

「『小さき人々』の声が伝える『英雄なき』戦争の悲惨な実態」。そう帯に書かれている。第二次世界大戦時、ソビエト連邦で従軍した女性は100万人超。本書はそのうち、ウクライナ生まれのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが500人以上の女性に聞き取りをおこなったうえで、その声をまとめたものだ。

彼女は、「戦争のでも国のでも、英雄たちのものでもない『物語』、ありふれた生活から巨大な出来事、大きな物語に投げ込まれてしまった、小さき人々の物語だ」と記す。前回、わたしは「権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている」と書いた。

ここでまず近年、新作を追って読むことは個人的にはないが、村上春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチで発せられたメッセージに触れておきたい。

「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです」

「そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています。そのシステムは、本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」

「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです」

「一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。『戦地で死んでいった人々のためだ』と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと」

「システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」ともいう。

個人的には、ここに権力や暴力、戦争のすべてが語られているようにすら感じる。しかし、現実を眺めれば、壁と卵をどのような場にあっても常に見極め続けることができている人がどれだけいるだろうか。システムを作った自覚をどれだけの人が持ち続けられているのか。それは、もちろんわたしを含めてのことだ。


◎[参考動画]Japanese author Haruki Murakami receives book award(15 Feb 2009)

◆戦争や政治の犠牲となり、戦地の現実にさらされていく女性たち

前置きが長くなったが、今回の本題である『戦争は女の顔をしていない』に戻ろう。たとえば軍曹で狙撃兵だったヴェーラ・ダニーロフツェワは従軍のきっかけを、「『ヴェーラ、戦争だ! ぼくらは学校から直接戦地に送られるんだ』彼は士官学校の生徒だったんです。私は自分がジャンヌ・ダルクに思えました」と振り返る。彼女だけでなく多くの女性が、情熱や志をもって戦地へ赴くのだ。

ところが戦地の現実のなかでは、「下着は汚くてシラミだらけ、血みどろでした」と、野戦衛生部隊に参加していたスベトラーナ・ワシーリエヴナ・カテイヒナは口にする。二等兵で歩兵だったヴェーラ・サフロノヴナ・ダヴィドワは、夜中に墓地で1人、見張りに立つことに。「二時間で白髪になってしまったわ」「ドイツ軍が出てくるような気がしました……それでなければ何か恐ろしい化け物たちが」という。死と隣り合わせの状況で、それでも日々を生き延びねばならない。でも、率直に不快感を語ることができるのは、その時代では特に女性ならではといえることかもしれない。

女性たちの話が、さまざまに広がることもある。アレクシエーヴィチは、「戦争が始まる前にもっとも優秀な司令官たち、軍のエリートを殺してしまった、スターリンの話に。過酷な農業集団化や一九三七年のことに。収容所や流刑のことに。一九三七年の大粛清がなければ、一九四一年も始まらなかっただろうと。それがあったからモスクワまで後退せざるを得ず、勝利のための犠牲が大きかったのだ」と、記す。

大粛清とは、ヨシフ・スターリンがおこなった政治弾圧や裁判と、その結果、「反スターリン派処分事件」を指す。1930年代、司令官や軍のエリートだけでなく、さまざまな政治家、党員、知識人、民衆の約135~250万人が政府転覆を目論んだとして「人民の敵」「反革命罪」などとされ、約68万人が死刑判決を下され、約16万人が獄死し、全体としては800~1000万人が犠牲となったともいわれる。

ちなみにこの大粛清の要因としては、かつてはスターリンの権力掌握や国民の団結を狙う意図や猜疑心があったためといわれてきた。ここから前回の連赤にもつながってくるように思われるが、最近の研究では戦争準備としての国内体制整備などをあげるものが出てきており、関心ある人は調べてみてほしい。(つづく)


◎[参考動画][東京外国語大学]アレクシエーヴィチ氏記念スピーチ(2016年11月28日)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』12月号に「ひろゆき氏とファン層の正体によらず 沖縄『捨て石』問題を訴え続けよう」寄稿。
Facebook https://www.facebook.com/hasumi.koba

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

1996年1月13日、千葉県柏市に住んでいた西村トシ子さんは、早朝、突然の電話で起こされた。

「西村さんが救急車で運ばれました」

電話をかけてきたのは、夫・西村成生(しげお)氏が勤務する動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現在は国立開発研究法人・日本原子力研究開発機構)の安藤隆安全管理担当理事だった。15分後再びかかった電話で、成生氏の死亡が告げられた(当時49歳)。

 

夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

安藤理事に「お宅にハイヤーを差し向けたので、それに乗るように」と告げられたトシ子さんは、まもなく到着したハイヤーに2人の息子と乗り収容先の聖路加国際病院に向かった。ハイヤーのラジオで、成生氏が宿泊先ホテルの非常階段の8階から飛び降りたらしいとのニュースを聞いた。

「遺体は相当酷いだろう」。そう危惧しながら霊安室に入ったトシ子さんは、遺体と対面するなり「えっ」と声を上げそうになった。遺体は、顔と肩に腫れた青痣、両腕に多数擦過傷があるものの、30メートルもある8階から、非常階段下のコンクリート床に飛び降りたとは思えない状態だったからだ。

警官からは、死体検案書、トシ子さん宛の遺書、成生氏の腕時計、財布、鍵の入った封筒が渡された。遺書は成生氏の字に間違いないが、遺体には殴られたような跡があったことから「無理やり書かされたのではないか? 何かがおかしい」と直感したトシ子さんは、嗚咽を漏らす長男の傍らで、ただ立ち尽くしていた。

霊安室から出ると、成生氏と同じホテルに宿泊していた総務担当理事の大畑宏之氏が「僕が付いていながら、こんなことになって……」と詫びながら、トシ子さんに成生さんの鞄とコートを渡した。

◆もんじゅ事故とビデオ隠し事件

実は前年(95年)の12月8日、動燃運営の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)がナトリウム漏れ事故を起こし、核燃料サイクルはとん挫し、原発の安全神話は崩壊し、事故の報道や反原発運動で騒然となる中、事故現場を撮影したビデオを隠した事件が発覚し、さらに大きな社会問題になっていた。

動燃は、事故翌日の午前2時に撮影したビデオ(「2時ビデオ」)の存在を隠し、マスコミには午後4時に撮影したビデオ(4時ビデオ)を公表していた。

それは15分のビデオから生々しい事故状況を隠し、1分に編集したもので、その事実が20日発覚、動燃の秘密主義・隠ぺい体質に非難が強まり、所長が更迭に追い込まれる1方で、動燃や監督官庁である科学技術庁(当時)へ、原発反対を訴えるデモがおしかけられていた。

21日、成生氏は「ビデオ隠蔽問題」の調査を命じられた。成生氏は、前年10月、茨城県東海村事業所から動燃本社(東京)の総務部次長へ転属し、人形峠(鳥取・岡山の県境)のウラン残土問題の住民対策の特命を命じられていた。

そんな成生氏に「ビデオ隠蔽事件」内部調査団の副団長という、さらに困難な任務が課せられた。「もんじゅに担当にされてしまったよ」。家で滅多に仕事の話をしない成生氏が、そうこぼしたときから、トシ子さんは「妙な胸騒ぎ」を感じていたという。

◆記者会見後の不可解な「自殺」

12月22日、科学技術庁(当時)の強制立ち入り調査で、隠していた「2時ビデオ」の存在が発覚。自身もかつて動燃職員だったトシ子さんは憔悴した夫の様子が気がかりだった。

23日~24日、成生氏が、敦賀市のもんじゅで60人もの職員から聞き取り調査を行った結果、問題の「2時ビデオ」が事故翌日、東京の動燃本社にも運ばれていたことが判明した。

翌日本社で調査団長鈴木氏を通じて、大石理事長にその事実を告げると、理事長から「本社関係者からも、詳しい事情聴取を行うように」と命じられた。しかし、大石理事長自身は国会の参考人に呼ばれた際も、本社関与に言及することはなかった。

1996年1月11日、社会党(当時)から自民党に政権交代したことを受け、新科学技術庁長官に就任した中川秀直氏が所信表明することになった。

午後11時、成生氏から「明日の所信表明を録画しておいてくれ」と電話があり、それがトシ子さんの聞いた夫の最後の声となった。というのも、深夜帰宅後、すぐに就寝した成生氏とは話もできないまま、翌朝、いつもはコーヒーを飲んで出かける夫が、コーヒーも飲まずに家を出たからだ。

1月12日午後4時過ぎ、中川秀直科学技術庁長官が「2時ビデオは動燃本社に持ち帰られ、本社の者も見ていた」と発表したことを受け、動燃は第1回会見を4時20分から、急きょ行った。

最初の安藤理事の報告に、記者からは「納得できない」などの声が飛び中断、次に第2次会見を行った大石理事長は「知ったのは1月11日だった。本社上層部はビデオの存在を知らなかった」と虚偽の報告を行った。しかし、同じく記者らの質問には答えず「詳細は担当者に答えさせる」と会見を打ち切った。

その後、動燃の広報室は科技庁へ「実は(前年の)12月25日に知っていた」と手書きの、10枚のファックスを送信していた。そのファックス紙には成生氏の会見が始まる直前の午後8時32分と刻印があった。

しかし、不可解なことにそのファックスは、成生氏の鞄の中に2枚だけしかなく、ほかの8枚は見当たらず、何が書いてあるかもわからなかった。

成生氏が引っ張り出された第3回目の会見が始まったのが、午後8時50分。そこで成生氏も「1月10日だった」と発言した。成生氏の死後、返却された鞄に残された「想定問答集」には「12月22日から1月11日の調査の過程で判明した」と記載され、これが動燃の統一見解だったからだ。それにも拘わらず、大石理事長が「1月11日初めて知った。本社上層部はビデオの存在を知らなかった」と虚偽の発言をしたことにより、成生氏は「1月10日だった」と答えるしかなかったのだ。

3回の会見はそれぞれ虚偽発表を行い、記者などを混乱させたのである。会見終了が午後10時5分。その後、成生氏は、翌日早朝から大畑理事と敦賀市で会見を行うため、2人で日本橋の「センターホテル東京」に0時45分にチェックインしたことになっている。しかし、その後の裁判で、大石理事長、安藤理事、廣瀬広報室長は「大畑理事と成生氏が敦賀に会見に行くことは知らなかった」と証言し、大畑理事とT秘書役のみが「敦賀に行くことを知っていた」と証言したのである。

トシ子さんはこれにも疑問を呈する。「前日敦賀入りするならば別だが、出張の当日都内のホテルに宿泊するなんて、それまで一度もありませんでした。まず宿泊代が出ませんから」。

午前2時半頃、ホテルのフロントに動燃から成生氏宛のファックスが5枚送られ、それを浴衣姿の成生氏が取りにきたという。その5枚のファックス受信紙は裁判の証拠としても、いまだに提出されていない。

「そもそも、科学技術庁での記者会見の議事録という極秘文書をホテルにファックスで送るだろうか? 動燃本社とホテルは車で15分とかからない。直接夫に手渡すはずだ」と、トシ子さんはこれにも疑問を呈する。

遺体発見は、その4時間後。ホテルのモーニングコールに出ず、約束の6時前、フロントに降りてきた大畑理事が不審に思い、成生氏の部屋の鍵を開けて入ったところ、3通の遺書を見つけたという。

6時過ぎ、非常階段の下で、スーツ姿でうつぶせの成生氏の遺体を発見、搬送先の聖路加国際病院で死亡が確定されたのが6時50分。中央署と大野曜吉監察医は、聖路加国際病院で死体検案書を作成したが、遺書があったことから自殺と断定され、司法解剖は行われなかった。

なお中央署は、遺体着地点の現場検証写真を撮っておらず、のちにトシ子さんに見せたのは、担架にうつ伏せに乗せられた成生氏の写真、それも一方向からの1枚のみだった。成生氏の遺体は、その後全身をさらしにまかれた状態で、病院の救急用駐車場に、動燃があらかじめ準備した車を配備し、段取り良く乗せられ、遺族に返されたが、成生氏のスーツ、下着、靴などは返還を拒否された。

当日の午後、会見した大石理事長は、成生氏の死を「自殺」と断定し、自身に宛てられた遺書を読み上げたが、のちにその内容まで改ざんされていたことが判明した。(つづく)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

介護福祉士である筆者は、広島県安芸郡の介護施設(以下、弊社とします)に派遣される形で勤務しています。また、広島県内の自治体労働者や公共関連の労働者で構成される「広島自治労連」の執行委員をこの10月から拝命しています。

以前、ご紹介したとおり、弊社では外国人労働者が多く働いておられます。しかし、最近、次々と辞めていかれます。賃金のより高い東京に行かれるのです。すぐに新人の外国人労働者が入ってこられるのですが、数か月でまた東京の介護施設へ転職される、という傾向が最近定着してしまっています。円安の中で、政情不安もある母国への送金をより多く確保するため、東京へ、という彼女たちの選択ですので引き留めることはできません。そんな中、筆者は、地元の自治体に対して、この問題について、改善をお願いする機会をいただきました。

筆者の属する労働組合「自治労連」が加盟している「広島県労連」が事務局となっている「国民大運動実行委員会」は、「自治体キャラバン」と銘打って毎秋、自治体首長と議会を表敬訪問し、労働や医療、福祉、教育など様々な課題の改善をお願いしています。

今回、11月8日に安芸郡内の自治体を訪れる「キャラバン」があるということで、「外国人労働者流出問題」を取り上げたいと考えていた筆者は参加させていただきました。組合の会議で、「誰か行く人はいませんか?」と募集していたので渡りに船と考えていた筆者は「あ、俺、行くわ」と手を挙げた次第です。この鹿砦社通信含めて様々な媒体でこの問題を取り上げたり、街頭演説で訴えたりする。これも大事です。

実は、11月3日に、広島県庁前で筆者の組合も参加する「県民大集会」があり、筆者も参加しました。その開会前に、医療労働者の組合・医労連が、「医療・介護職員の大幅増員と夜勤の改善」を求める署名活動をされていました。

筆者も「乱入」し、マイクを握り、「外国人労働者も広島の介護現場から流出している。日本人がやりたくないことは外国人もやりたくないのだ。いまこそ、ガツンと待遇を改善し、大幅増員で環境も改善を。」などと訴えました。しかし、やはり、行政・議会にもきちんと働きかけることが大事です。そこで、今回このキャラバンに参加した次第です。

11月8日、この日はまず、わたしにとり、組合の上司でもある広島自治労連の浜崎書記長が代表して、要請書を先方の首長(代理で担当部長)、議長(代理で事務局長)に提出しました。

提出した要請書では、国保料や介護保険料について、減免の充実や減免の周知徹底、事業主にも国保の傷病手当を求めています。物価の高騰については、医療や介護などの事業所への支援の充実を求めています。最低賃金については、1500円に引き上げることを求めています。子ども医療費については、県としても、小学生以上にも助成を行うことを求めています。存廃問題が焦点となっているJR芸備線などについては、国の責任で維持するように求めました。

その後、参加者から具体的に要請が行われました。病院の経営者からは、年間で数千万円、光熱水費の負担が増えているとの訴えがありました。医療者の団体からは経済的困窮からがんの治療などが手遅れになって亡くなった人が続出していることへの対策を求めました。

また、医療関係の労働組合役員からは「弊社ではここ数年で10円しか時給が上がっていない」と窮状の訴え。最低賃金を上げることで、韓国では一時は混乱が起きたが、現在では一人当たりGDPでも日本を抜いている、と指摘。賃上げの必要性を力説しました。

わたしは、自分の勤務先の安芸郡の弊社から東京に外国人労働者が次々と流出している問題を主に取り上げました。
(前回記事参照)

「このままでは介護現場は持たぬ。3%の政府の賃上げでは到底足りない。介護現場の大幅賃上げに協力していただきたい。」

「弊社の場合、日本人スタッフが最低賃金ギリギリ、外国人労働者がその約1割増し、派遣のわたしが1100円。それでも、外国人労働者は出て行ってしまう。円安の中で、ちょっとでも故国に送金をしないといけない彼女たちのことを思えば止められない。最近では、外国から広島に来てしばらくして東京の給料が高いことを知って弊社を辞めていく方も多い。すぐにやめられてしまうと、戦力として育たない。」

「もちろん、最低賃金と同額の時給の日本人については、若者は入ってこず、年金が足りないから働かざるを得ないという年配の方が多い。」と訴えました。

◆自治体側も筆者の要望で外国人労働者の「真相解明」

安芸郡のこの自治体では実は町長さんも外国人登録が伸び悩んでいることを「なぜだろう?」と気に掛けて、この日対応された部長さんに分析を命じていらっしゃったとのこと。そうすると、介護現場の労働者において転出が多いことがわかったとのことです。

部長さんは、わたしの発言をお聞きになって、「そういうことか?!よくわかりました。」と、納得されていました。

また、最低賃金を全国一律1500円にすることについて「東京は物価が高くて生活費も高いのでは?」という当局の方からの疑問に対しては、同行した組合幹部の方から、「東京では住居費は高いけれども、公共交通が発達している。地方はクルマに依存せざるをえず、維持費がかかるので生計費はあまりかわらない」と補足。

わたしからも、東京で育ち、県庁職員時代は山間部で仕事をした経験から、「東京は、実は安い飲食店も多い。わたしは2000年に東京から広島に来たが期待ほど安くなかった。しかし、さらに山間部に赴任すると、メシを食うところは少ないし、あっても広島市より高い。地元の商店に並ぶものも高いし品質もいいと言えない。だから、地方の最低賃金も上げないと結局、外国人も日本人の若者も流出してしまうと思う」くと、納得されていました。

今回、自治体幹部の方とも、実体験に基づいて要望をしていくことの重要性を感じました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◆円安が止まらない

尋常ではない。何が起こってもおかしくない時代、これもその一つかも知れない。しかし、それにしても異常だ。それが、昨今の円安ではないか。

1ドル、148円。一昔前には、考えられない安さだ。これが年を越してまで続くと言われている。下手をすると200円を超すかも知れない。

1ドル、360円の大昔、ドル危機以前への逆戻りだ。そんな冗談も冗談でなくなってしまう。そんな勢いだ。

一体、何が起きているのか。この異常円安の原因をさぐるとともに、それがもたらす日本経済と日本への影響について考えてみたい。

◆なぜ止まらないか、異常円安

言われているのは、米FRBの政策金利の引き上げだ。このところうち続く、0.75%を前後する連続大幅利上げ。合計すると4%を超えると言う。

この常軌を逸した政策利上げが、大挙しての円売りとそれにともなう急激な円安の主因になっているのは間違いない。

問題は、なぜ今この異常な政策金利の引き上げかということだが、それについては、現在米国で進行中の高インフレ、景気の過熱に水を掛けるためだという公式見解以上のものは出てきていない。

だが、この異常円安の原因はFRBのこの異常な政策利上げ以外にもあるように思える。それは、日本自体の「価値」が下落しているからではないだろうか。

特にそれは、この間のウクライナ戦争を契機に日本の「原料・燃料小国」「食糧小国」としての姿が浮き彫りになってしまったからではないかと思われる。

実際、この戦争、特に、それに対する米欧側のロシアへの制裁を通して、原油やガス、穀物など世界的な原料・燃料難、食糧難が顕在化しているが、そこでそれらの自給率がひときわ低い日本の姿が目立つようになったということだ。

それがFRBの政策利上げで生まれた円安に拍車を掛けたというのが、この異常事態の本当のところと言ってのよいかも知れない。

◆異常円安、何が問題なのか

物事何でもそうだが、円安にも良いところと悪いことがある。

良いこととしては、日本からの輸出がそれだけ安くなって、有利になることが挙げられる。観光も同じことだ。実際、外国人観光客の日本を見る目が熱い。このところ外国からの日本観光が急激に増えていると言う。

しかし、今回の円安、悪いことの方が多いように思える。まず、輸入品の高騰だ。それがウクライナ危機による物価高騰に拍車を掛ける。

それにもう一つ、怖いことがある。日本買いの急増だ。安くなった日本の物件に外国人バイヤーが群がってくるようになる。

時に、「米中新冷戦」。米国は、同盟国、それも対中対決の最前線である日本に日米統合を呼びかけ、日米の経済統合、一体化に向け、米国企業の日本浸透を奨励している。そのために、折からの異常円安は、これ以上にない絶好の好条件になっている。

米国による日本買い。軍事、経済をはじめとするあらゆる領域。あらゆる分野に亘る日米の統合、一体化、すなわち日本の米国への溶解がこの異常円安を通して、一気に進むのではないか。

そのことを考えると、FRBによる政策金利の引き上げ、ひいてはウクライナ戦争それ自体に至るまで、米国による策謀に見えてくるのは、一人私だけであろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

研究者の劣化が顕著になっている。大学の教え子にハラスメントを繰り返したり、暴力を振るったり、ジャーナリストの書籍を盗用したり、最高学府の研究者とは思えない蛮行が広がっている。事件にまでは至らなくても、知識人の相対的劣化は、ソーシャルメディアなど日常生活の中にも色濃く影を落としている。

11月8日に「Ikuo Gonoï」のアカウント名を持つ人物が、ツイッターに次の投稿を掲載した。

こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。

「しばき隊」が起こした暴力事件を「根拠のないデマ」だと摘示する投稿である。

「Ikuo Gonoï」のアカウント名を持つ人物が11月8日に投稿したツイート

 

「しばき隊」のメンバーから殴る蹴るの暴行を受け、全治3週間の重傷を負った大学院生(当時)のM君

◆2014年12月17日の事件

「しばき隊」というのは、カウンター運動(民族差別反対運動)を進めていた組織で、2014年12月17日の深夜、大阪府北区堂島の北新地で複数のメンバーが飲食した際に、大学院生をめった打ちにして、瀕死の重傷を負わせた事実がある。

この日、カウンター運動の騎士として著名な李信恵を原告とする反差別裁判(被告は、「保守速報」)の口頭弁論が大阪地裁であった。

閉廷後、李らは飲食を重ね、深夜になって事件の舞台となる北新地のバーに入った。そして「しばき隊」の仲間であるM君を電話で呼び出したのである。M君の言動が組織内の火種になっていたらしい。

M君がバーに到着すると、李はいきなりM君の胸倉を掴んだ。興奮した李を仲間が制したが、その後、「エル金」と呼ばれるメンバーが、M君をバーの外に連れ出し、殴る蹴るの暴行を繰り返し、全治3週間の重傷を負わせたのである。

M君は事件から3カ月後の2015年2月に、警察に被害届を出した。2016年3月、大阪地検は李信恵を不起訴としたが、エル金に40万円、それに他の一人に10万円の罰金を言い渡した。

「エル金」は、M君に対して次のような書き出しの謝罪文を送付している。

この度の傷害事件に関わり、ここに謝罪と賠償の気持ちを表すべく一筆文章にて失礼致します。私による暴行によってMさんが負うことになった精神的及び肉体的苦痛、そして甚大な被害に対して、まずもって深く真摯に謝罪し、その経過について自らがどのような総括をしているのかをお伝えしたいと思います。(略)

暴力行為の真最中、その時点で立ち止まり、過ちを改める行動に移すべきだったし、酔いがさめ興奮が沈着した時点で、もっと迅速な事態収拾を図っておれば深刻化を軽減できたかもしれません。

また李信恵も、次のような謝罪文を送っている。

●●さんがMさんに一方的に暴力をふるっていたことも知らずに店の中にいて、一言も●●さんに注意ができなかったことも申し訳なく思っています。

その後、2017年、M君はエル金や李信恵ら5人に対して約1100万円の支払いを求める損害賠償裁判(民事)を起こした。この裁判でも、李の責任は免責されたが、大阪地裁は「エル金」と伊藤大介に対して約80万円の損害賠償を命じる判決を下した。大阪高裁で行われた控訴審では、エル金に対して約114万円の支払いを命じる判決を下した一方、伊藤に対する請求は棄却された。

つまりこの裁判で勝訴したのはM君だった。李信恵の責任が免責されたことや、怪我の程度に照らして損害賠償額が少額だったことに、M君は納得しなかったものの、裁判所は暴力事件が実在したこと実態は認定したのである。この点が非常に重要だ。五野井教授の「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであった」とするツイートは、著しく事実からかけ離れているのである。その誤情報をツイッターで拡散したのである。

ちなみにこの事件では、著名な人々が申し合わせたように「リンチ事件」を隠蔽する工作へ走った。『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の著者・師岡康子弁護士は、その中心的な人物である。マスコミも一斉に隠蔽の方向へ走った。唯一の例外は、『週刊実話』と鹿砦社だけだった。

◆ツイッターという社会病理

冒頭のIkuo Gonoïによるツィートに話を戻そう。繰り返しになるがIkuo Gonoïは、「担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています」と投稿している。

 

高千穂大学(経営学部)の五野井郁夫教授

わたしは投稿者の人間性に好奇心を刺激され、Ikuo Gonoiという人物の経歴を調べてみた。その結果、高千穂大学の著名な国際政治学者・五野井郁夫教授であることが分かった。五野井教授は、上智大学法学部国際関係法学科を経て、2007年3月に東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻で学位を取得した。日本を代表する知識人である。民主主義に関する研究の専門家である。

朝日新聞の『論座』にも繰り返し投稿している。また、『「デモ」とは何か ―変貌する直接民主主義―』(NHK)などの著書もある。

五野井教授が教鞭をとる高千穂大学は、1903年に母体が設立された歴史ある大学である。そこを本拠地として、五野井教授は高等教育の仕事に携わっているのである。

しかし、五野井教授のツイッターを見る限り、社会科学を職業とする者にしては、事実の裏付けを取る能力に疑問を感じる。「事件を担当した弁護士の神原元先生」の言葉を鵜のみすることが、客観的な事実を確認するプロセスとしては充分ではないはずだ。五野井教授は、記事を執筆する際にどのように事実を捉えてきたのか、これまでの著述の裏付けも疑わしくなる。少なくとも、しばき隊による事件が「根拠のないデマ」だとする認識は、社会科学の研究者のレベルではないだろう。想像の世界と客観的な事実の世界の区別が出来ていないからだ。

さらには五野井教授は、高千穂大学の学生に対して、どのようなリサーチ方法を指導しているのかという疑問も浮上する。

2014年12月17日の深夜にしばき隊が起こした暴力事件の裏付けは、裁判の判決や加害者による書簡、さらには事件の音声記録など広範囲に存在している。それを無視して、被害者のM君を傷つける暴言を吐くのは、「南京事件はなかった」とか、「ナチのガス室はなかった」と叫んでいる極右の連中と同じレベルなのである。ましてこうした言動の主が最高学府の研究者となれば、ソーシャルメディアの社会病理が別の問題として輪郭を現わしてくるのである。
 
◆五野井教授に対する質問状
 
わたしは五野井教授に、次の質問状を送付した。五野井教授からの回答と併せてて掲載しておこう。

■質問状

五野井先生が、11月8日付けで投稿された次のツィートについて、お尋ねします。

「こちらの件ですが、担当した弁護士の神原元先生@kambara7の以下ツイートの通り、「しばき隊がリンチ事件を起こした」等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明されており、判決でもカウンター側が勝利しています。デマの拡散とわたしへの誹謗中傷に対する謝罪と削除を求めます。」

まず、「『しばき隊がリンチ事件を起こした』等は、根拠のないデマであったことがすでに裁判で証明」されたと摘示されていますが、裁判では主犯のリーダに対する損害賠償命令(約114万円、大阪高裁)が下っており、「根拠のないデマ」という認識は誤りかと思います。先生は、何を根拠に「根拠のないデマ」と判断されたのでしょうか。

次に先生が記事や論文等を執筆される際の裏付け取材についてお尋ねします。引用したツィートを見る限り、原点の裁判資料を重視せずに、神原元弁護士の言動を事実として鵜呑みにされているような印象を受けます。具体的に先生は、どのようにして事実を確認されているのでしょうか。また、大学の学生に対しては、この点に関してどのような指導をされているのでしょうか。

11月14日の2時までにご回答いただければ幸いです。

記事の掲載媒体は、デジタル鹿砦社通信などです。

■回答

 担当者様
 上瀧浩子弁護士を通じて鹿砦社にお送りした通りです。
 以上。

上瀧浩子弁護士による書面の存在を確認したうえで、続編は来週以降に掲載する。わたしが質問状を送付したのが10日で、五野井教授の回答が届いたのは11日なので、上瀧弁護士は迅速に回答を鹿砦社送付したことになる。このあたりの事実関係の確認も含めて、質問と回答がかみ合っているかを検証した上で、五野井教授の見解を紹介する。

※人物の敬称は略しました。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《関連過去記事カテゴリー》
しばき隊リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

11月13日(日曜日)、釜ケ崎で野宿者支援活動なども精力的に関わる医師であった矢島祥子(さちこ)さんの追悼集会があります。祥子さんは、2009年11月13日、勤務先のクリニックから行方不明となり、2日後、木津川で水死遺体で発見されました。当初自殺といわれましたが、医師である両親が祥子さんの遺体に複数の傷があることから殺害されたと警察に訴えました。その後西成警察は自殺と事件の両方で捜査を進めています。祥子さんを知る方の中には自殺と考える人、事件だと考える人がいます。この記事はその両方の方に読んで頂きたいと思います。

事件があった当時、私はあれこれ多忙だったため、釜ヶ崎の夏祭りや越冬闘争などに参加できず、祥子さんも事件のことも知らずにいました。しかし、当時、西成で何が起こっていたかは鮮明に覚えています。

前年2008年のリーマンショックで職を失った人たちが、全国から釜ヶ崎に流れてきました。仕事を探す人、他の地域より比較的受けやすい生活保護を受けようとする人で、店の近くの相談所には、9時前から大勢の人が並んでいました。相談後に、彼らを勧誘しようとする業者で道はごった返していました。その多くは、生活保護者を自社のアパートに住まわせ、保護費の大半をむしりとる「囲い屋」でした。生活保護制度もしらないのか、「今なら、部屋と食事が付いて、おまけに小遣いも貰えるよ」などと書いたチラシを配っている業者もありました。

同じ年、奈良県郡山市にあったの山本病院が、生活保護者や野宿者を入院させ、必要のない手術をしたり、架空請求を行い診療報酬を不正請求していた詐欺容疑で摘発されました。この投稿は、当時、その事件を発端に、何故そんな事件が起きるのか、その背景を精力的に追ったNHK奈良支局取材班の「病院ビジネスの闇 過剰医療、不正請求、生活保護制度の悪用」を参考にしています。

この病院では、心臓カテーテル検査や、血管にステントを入れる手術が極めて多かったそうです。ステントを入れる手術は、ほかの手術に比べて負担は少なく、やりやすい手術と言われるが、病院が受け取る診療報酬は検査と手術で一回約100万円を得ていたそうです。

患者は、医師や看護師に「カテーテル手術をやれ」と執拗に言われ多くの患者が仕方なく手術を受けていました。手術を拒否し、病院を追い出された人もいたそうです。何故こんなことがまかり通るのか?生活保護者、野宿者の多くが単身者のため、相談したり、文句を言ってくれる人がいないからです。餌食になったら、とことんしゃぶり尽くされるのです。山本病院では、ある年1年で延べ437人の生活保護者を入院させていましたが、うち126人がわずか半年で亡くなっていました。

山本病院は、10年前からこのような不正行為を行っていたようで、それまで何度も通報、告発があり、その都度警察も立ち入り調査を行っていましたが、不正はなかなか掴めなかったといいます。

しかし、2009年6月21日、奈良県警は、山本病院に強制捜査に入り、7月1日、患者に心臓カテーテル検査とステント留置術をしたように装って、診療報酬170万円を騙しとった詐欺容疑で、理事長と事務長を逮捕しました。この事務長は金儲けに長けていて、理事長に「これ(手術)一発やってくれたら、今月いけますわ」などと言い、患者に不必要なMRI検査をさせたりしていたそうです。また、ステントを入れていないのに入れたと申請した患者を、病院内では「なんちゃってステント」と呼んでいたという信じられない話もあります。

その後、押収されたカルテなどから、生活保護を受けていたの50代の患者に、不必要な肝臓摘出手術を行い死亡させた容疑で、執刀医の理事長と助手の医師は業務上過失致死で逮捕されました。理事長は、手術中に男性の肝臓を傷つけ大量に出血させましたが、十分な止血や輸血をしないまま(そもそも輸血用の血液を用意していなかった)、「飲みに行く」と出かけてしまいました。残った医師が傷口の縫合手術をするも出血は止まらず、困ってしまい理事長の携帯に電話するも、理事長は出なかったそうです。

理事長には、禁固2年4月の実刑判決が下されましたが、助手の医師は、桜井警察署内で謎の死を遂げています。それについては、遺族が訴えを起こしましたが敗訴し、何があったかは解明されませんでした。

NHK奈良支局取材班が、元ヤクザ関係者にも取材した際、「うしろにいるのはヤクザもんやからな」と言われ、危険な中、身体を張った追求取材で、その背景に、患者を互いにトレード(やりとり)しあう「行路病院ネットワーク」があったことを突き止めました。彼らの中にはNPOを名乗る人もいます。もちろん正式に認可されていない、ただ名乗るだけの、それこそ「なんちゃってNPO」です。肝臓摘出手術で亡くなった男性も、大阪市内の公園で、NPOを名乗る男性に誘われています。

私は当時、こうした連中を釜ケ崎で山ほど見てきました。

そういう囲い屋をやれるのは、ビルなど所有できる経済的に余裕のある人たちです。当時、店の近くに福祉アパート(生活保護者を入居させるアパート)を始めたNPOを名乗る男性は、過去に谷町六丁目で地上げ屋をやっていたそうです。ドヤだった2畳ほどの部屋をぶち抜いて4畳ほどの福祉アパートに改装する工事を、居住する生活保護者にやらせていました。

男は、私の店に食事に来ていました。ある日、みそ汁が辛かったのか、「俺は土方じゃないぞ!」と怒鳴るので「あんた、その元土方の人から金巻き上げてるじゃないか」と大喧嘩になったことがありました。

また、ある時、店の前を3本肢の犬を連れた母親と子供が通りました。聞けば、DV夫から逃れて来たといいます。駅前で途方に暮れていたとき、怪しい業者に「生活保護を世話してやる」と声をかけられ、2人と犬1匹で6畳一間の部屋に囲い込まれました。

炊事場もなく、自炊も出来ないと母親は嘆いていました。私は、知り合いに相談し、親子を別のアパートに引っ越す手配をしました。すぐさま、囲い屋の強面な男が、私の店に乗り込んできました。

「お前か! うちの客を取ったのわ! わしはこういうもんや」と見せられた名刺には、やはりNPOとありました。実はそこのビルでは数年前まで違法な博打場(ノミ屋)をやっていたのでした。「何いってるねん、あんたのビル、前はノミ屋(博打場)だったやん」と私が怒鳴ると、男はすごすごと帰っていきました。

釜ケ崎がそんな時代だった当時、医師の矢島祥子さんは、自身が診療した患者さんの入院した病院などに足しげく通っていたそうです。ある病院では来ないでくれと言われたそうです。私も客の入院先の病院に何度も訪れたことがあります。中には、患者の多くにオムツを充てているためなのか(車いすでトイレに連れていく手間を省くため)、病院全体がむうんと匂う病院もありました。別の病院では、重病患者でも面会はロビーに限定し、病室を見せない病院もありました。多くの病院を回った祥子さんは、そこで何を見て、何を知ったのでしょうか? そこから事件に巻き込まれたのでしょうか? 真相はなかなかわかりません。

ぜひ、集いにお集まり頂き、いろんな情報を共有していけたらと思います。

追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』
日程:11月13日(日)13時半開場、14時スタート
場所:社会福祉法人ピースクラブ(浪速区大国1-11-1)
アクセス 大阪メトロ大国町駅下車5分

◎追悼集会『矢島祥子と共に歩む集い』11月13日(日)13時半開場、14時スタート 場所:社会福祉法人ピースクラブ(浪速区大国1-11-1)

矢島祥子医師の兄、敏さん率いる「夜明けのさっちゃんズ」ライブ。国賠で二審の勝訴が確定したばかりの桜井昌司さんも登場し、熱唱した(2021年9月13日)

◎[関連記事]尾崎美代子「あの時期、釜ヶ崎で何が起きていたか? 書籍『さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子』(大山勝男著)発刊! 11月14日(日)大阪で追悼集会「矢島祥子と共に歩む集い」開催へ!」(2021年11月10日)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

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