◆“Smoke Gets In Your Eyes”の夜

ビートルズ脳天直撃に始まった17歳の無謀な決心「ならあっちに行ってやる」も「夢見る時代」は私の十代と共に終わった。でも“しあんくれ~る”で燻ってるだけの二十歳、その私の前にポッと現れた「作家志望の詩人」、フランセで「私も跳んでみたいな」ともらした彼女、「思ったより簡単じゃないよ」と応じた私に「簡単じゃないからいいんじゃないですか?」 さらり反問してきた立命文学部女子。

「思案に暮れる」二十歳の空虚の雲間に射し込む一点の陽(ひ)? 心強い「同伴者」出現? いま思えば、そんな出会いだった。

この「ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な縁」の翌日、私はいつもの時間帯に“しあんくれ~る”のドアを開けるとすでに「詩人」が私の定番席にご座席。

「昨日はどうも」と彼女、「大丈夫やった?」と声をかける私に「昨夜はご迷惑かけてごめんなさい」ともうふだんの真面目な女子大生風に戻っていた。昨夜の泥酔気味は二日酔いの痕跡もない、この方はつくづくお酒に強い人だと再認識。

昨日の余韻のままに二人でリクエストのニーナ・シモンに聞き惚れた後、店を出るや「私のアパートに行きません?」と誘われた。昨晩、タクシーで送り届けた時に「遅いから泊まっていってもいいですよ」との好意を断った手前もあって「そやね、じゃあ」と彼女の誘いを受けた。

正直言えば、フランセで「跳んでみたいな」と言った彼女に「じゃあ跳んでみる?」とハイミナールを勧めたのが私だったから「泥酔させる目的でドラッグを飲ませた」などと変に誤解されてはと昨晩は「詩人」のせっかくの好意をあえて断った。でも結果的にはそれがよかったのだろう。

途中、夕食代わりの餃子を買ったりして30分ほど歩いたが、彼女の学生アパートは京大のすぐ近くだった。簡単な自炊のできる流しもある6畳余りの部屋には広げればベッドにもなる折り畳み式ソファーがあり、アンプとスピーカー、ターンテーブル各独立、私なぞ「高嶺の花」のトリオ社製小型オーディオセット、レコード立てにはヴォーカル系LP多数、学生下宿というより富裕家庭子女の小綺麗な「お部屋」。

夕食は餃子&彼女が冷蔵庫から取り出したジンと氷でジン・オンザロック。「ハイミナールにお酒はヤバイ、昨日みたいになるよ」と忠告しても「一杯だけならいいでしょ」、酒豪と付き合うのは大変。恵まれて育ったせいか何事にも屈託がない。

簡単な夕食を終えて「詩人」が「ちょっとこれ見ていただけません?」とノート2冊を持ってきた。どうやらこれがアパートに誘った目的らしい。文学門外漢の私はちょっとびびったが、ボブ・ディランの歌詞がいいというくらいはわかる。

ノートに雑然と、しかしきれいな字体で書かれた詩、門外漢が見ても引き込まれる彼女の詩の世界がそこにはあった。「イメージの言語化」、そう彼女の言うノートの詩は難しく考えなくても感覚が自然に反応するような感じ、自分の想いを伝える無駄のない選ばれた日本語が独特のリズムを持って躍っている。

なかでも「ほおっ」と思ったのが“3センチ-あなたとわたしの距離感覚”と題した詩。

彼女の言うには、女性が口吻を受け入れるかどうかの目安、それは「3センチ」という距離、3センチまでの接近を許すということは口吻を受け入れる意思表示。セックスは肉体的欲望のみでも可能だが口吻は違う、それは互いの魂の接近、触れあい、とても素敵な人間的行為なのだというのが彼女の持論、単なる恋情を謳ったものじゃない。「3センチ」という長さの尺度を魂の触れあう人と人との距離感のイメージに換える、そんな「詩人」の言葉の魔力に惚れた。

「なんで口吻は魂なんやろ?」の私の問いに「まあ脳に近いからじゃないんですか」という彼女の即答もカッコイイ、この方はやっぱり「詩人」! そう思った。

「これ詩集にしたらエエんとちがう? ゼッタイいいよ」と迷わず私が言った。当時、新宿などの街頭で手作り自作詩集の立ち売りをやっているのを知っていたから「貴女の詩にはやってみるだけの価値がある」と私は断言した。

「ええっ、ホントですか」……「よお~し跳んでみるかぁ」! 「詩人」の心に火がつき始めた。 

「詩集にイラストを入れよう」と言うと、「えっ、絵が描けるの? そりゃ面白そう」とますます前のめり。

こうして自作詩集の共同制作即決! 

それはなにか行動を渇望していた私には願ってもないことだった。やりたいのは私の方だったのかもしれない。

あの夜、部屋に流れていたプラッターズの歌う「煙が目にしみる」、“Smoke Gets In Your Eyes”という英語歌詞が妙に胸にしっとり沁み入ったことを覚えている。この歌詞の意味するところとは違う意味で「涙がにじみそう」、ちょっと大げさだけれどようやく「長いトンネルを抜け出せる」予感のようなもの、きっとそうだったと思う。

昨日、出会ったばかりなのにトントン拍子に進む思いがけない展開、決してドラッグやお酒の勢いばかりではなかった。「ならあっちに行ってやる」と「跳んでみたいな」の二つの想い、魂の接近!?


◎[参考動画]Platters – Smoke Gets In Your Eyes

◆その名は「仁奈(にな)詩手帖」

ほんの思いつきだったのにもう二人の既成事実になってしまった詩集制作。自主企画、自主制作、自主販売、すべてを自分たちで! 素敵なプロジェクト始動。

「企画立ち上げ」の夜以降は、彼女のアパートが編集会議室兼印刷所になった。

詩集はガリ版印刷とする、ワープロもプリンターもない当時は文字通りの手作り。イラストを入れる以上、青、黒、赤の3色インクのカラフル印刷に。学生運動のアジビラみたいなザラ紙じゃなくアート紙にすべき、A4用紙を半分に折ってきちんと製本する。「貴女の詩は高品質」、だからやるからには最高のものを!

謄写版印刷に必要な機資材は可能な限り立命友人のサークルから借り、不足分は自費購入。「お嬢さん詩人」にお金の心配はない。 

まずはどの詩を採用するか? これは作者自身の選択任せ、私は読者の立場で「いいんじゃない」「う~ん」の反応で選別。表紙のデザインと詩を飾るイラストは私に一任。

肝心要の詩集のタイトルをどうするか? これには二人とも頭をしぼった。

私は「貴女のデビュー作だから貴女の名前を冠するべき、バンドのデビュー・アルバムみたいに」と提案。ところで貴女の名前は何だっけ? その時、互いに名前を知らなかったことに気が付いた。「そういやあそうでしたよねえ」と彼女も笑った。いままで互いに名前も知らずに会話していたことがとても可笑しかった。

 

私の憧れの画家モジリアニの純愛妻、同志であるジャンヌ・エビュテルヌの肖像画

当時“しゃんくれ(しあんくれ~る)”仲間の間では実名、出身、経歴など昼間の世界を無視するポリシーから互いに「呼び名」を通称とした。私は、真ん中分け長髪、ワシ鼻という風貌からアパッチ族の酋長“ジェロニモ”になぞらえて“ジェロさん”が通称だった。貴女もなにか呼び名を考えようとなって思案のあげく「二人を取り持つ縁」のニーナ・シモンにちなんで“ニナさん”に決めた。「カタカナじゃなにか着心地が悪いですね」という「詩人」が考えたのが漢字表記“仁奈さん”。

表紙タイトルは当時、「現代詩手帖」という詩の雑誌名がカッコよかったのでこれを借用して「仁奈詩手帖」はどう? 作者も「うん、いい感じ」でタイトル決定。

表紙を飾る絵は私の憧れの画家モジリアニの純愛妻、同志であるジャンヌ・エビュテルヌさんの肖像画、裏表紙には二人の恩人ニーナ・シモンのアルバム“Nina At The Village Gate”にあるご本人のイラスト画をワンポイントで小さく入れる。

表紙に作者「仁奈」と共にイラスト担当「Jero」の名前併記は彼女の心優しい配慮。

こうして「仁奈詩手帖」編集会議は結束、新しい船出は準備完了。ああでもない、こうでもないと何日も議論に熱中したのは私には久しぶりの快感だった。

◆「新宿が京大にやってきた」作戦

印刷、製本作業をやるのに私はイラストのモデル用にモジリアニ画集とトリオの高音質オーディオセットで聴くためのロック系レコードを部屋に持ち込んだ。「詩人」は「ボブ・ディランがいいですね」と“朝日のあたる家”や“Like A Rolling Stone”、“Just Like A Woman”を好んで聴いた。モジリアニ画集から選んだジャンヌさん肖像画も「強くてきれいな人、とても素敵な女性」と気に入ってくれた。


◎[参考動画]「朝日のあたる家 The House of the Rising Sun」アニマルズ、The Animals


◎[参考動画]Bob Dylan – Like A Rolling Stone

実際の作業に入るとけっこう難しいことがわかった、でも「簡単じゃないからいいんじゃないですか」。

A4用紙一枚の裏表に4つの頁を印刷するから原紙のカッティングも印刷もとても複雑。そのうえイラストを2、3色にすると同じ絵を色分けした部分別に絵を描き、別々に印刷してもピタリ一枚の絵に合うように違う原紙にカッティング、まるで浮世絵版画制作のような作業。これには私も苦労した。文字は彼女がカッティングした。

カッティングと謄写印刷に手間取り、かれこれ1ヶ月弱ほどかけて詩集は完成した。製本の出来栄えは上々、「やったね」と二人はにっこり。

さてお値段はどうしよう? 「高品質詩集」にふさわしい価格としてEP盤レコード(4曲入り)のお値段、たしか¥450に。学生街のコーヒー6、7杯分だからけっこう高価、「高くても買いたい」という人に読んでもらう。あえてハードルを高くした。

そいで販売拠点をどこにする?

京都には新宿のような「若者の街」はないよなあ。でも学生は多い、ならどこの大学にする? あれこれ考えてここからも近い京大キャンパスにした。立命や同志社は知り合いも多いからコネでも売れる、でもそれじゃ面白くない。あくまで「詩の価値」で売るのが「仁奈詩手帖」の販売ポリシー。京大なら「知的レベル」も高い、勉強ができる=文化力が高いとは限らないけれど、「京大学生の文化レベル」に期待しようということで意見一致をみた。

販売担当は仁奈さん、自作詩集の立ち売りだから本人がやるべき。横に男がいると販売実績が落ちるというせこい打算もあったのは事実。仁奈さんの立ち売りで「新宿が京大にやって来た」というイメージにする。(実際はベンチに腰かけ、折り畳み机持ち込み)

実は最初の企画会議の夜に「詩人」のヒッピー風改造も議題になった。

私は「“跳んでみたいな”をやるんやから貴女自身も変えよう」と真面目な女子大生風改造を提案。彼女のヘアスタイルはひっつめ髪を拘束から解き放ち真ん中分けのロングヘアーに、地味ファッションも「跳んでる」風にカッコよく決めるべしと提案。躊躇するかと思った「お嬢さん詩人」、意外にも「そりゃそうですよねえ」と同意。ドラッグとお酒の勢いはあったと思うが決断が早い、それは「詩人」の決意表明でもあったと思う。

こうして「新宿が京大にやって来た」作戦に挑戦。

時期は夏休み前の頃だったと思う。彼女が主役、タバコもぱかぱかふかして「ヒッピーぽい女」を演じる。こうしたことは初めての「詩人」にはちょっと勇気が必要。私は側面サポートに徹する。

どれだけ売れるか心配だったけれど蓋を開けてみれば結果は大成功! 50冊ほどの詩集は2、3週間で完売。

ナンパ目当ての男もいたらしいけれど女子学生もけっこう買ったという。例の“3センチ…距離感覚”の詩なんかがいいと言ってきた京大文学部女子と話が弾んだというからこれはホンモノ。収入は2万円超、当時の大卒初任給が3万円ほどだからかなりの額、仁奈さんの詩の価値が世に認められた最高の証。

作戦終了後、歓喜の祝杯をあげたのは言うまでもない。「カンパ~イ」の達成感は「詩人」だけでなく私のものでもあった。共同作業が運命共同体みたいな絆になったのは確か。

ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な縁は、私の「ならあっちに行ってやる」、彼女式には「跳んでみたいな」実践へとこんな形で大きな一歩を踏み出させてくれた。ささいな一歩だけれど、あの時は「一歩」が重要だった。

二人でやれば怖いものはない、それは大きな自信になった。(つづく)


◎[参考動画]Nina Simone – Antibes – Juan-Les-Pins – 1969

《若林盛亮》ロックと革命 in 京都 1964-1970
〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命
〈02〉「しあんくれ~る」-ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な出会い
〈03〉仁奈(にな)詩手帖 ─「跳んでみたいな」共同行動

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

『紙の爆弾』と『季節』──今こそタブーなき鹿砦社の雑誌を定期購読で!

日本が本格的に堕ちてゆく。実際の戦争へ向かって堕ちてゆく。来年なのか、再来年なのかもう少し先なのかはわからない。けれども、「そんなことはあるはずがない」と反論できる論拠が、残念なことに、日ごと失われてゆく。

「人間は戦争好きで、破滅願望の強い生物」であることは、歴史が証明している。にしても、人工知能(AI)と名付けられた集積回路の集合体が、人間になり代わり「判断の代行業」にいそしむ今日にあっても、「戦争好き、破滅願望」の方向性の修正は行われない。むしろ無機的な判断の蓄積は、好戦的世界をこれまで以上に加速させているようである。

◆ロシアのウクライナ侵攻と日本の防衛費倍増

ことし、世界は極めて古典的な形の戦争を目撃した。二進法が席巻した現在、ひとびとは以前にもまして、善悪・正邪の単純な二分法を求める傾向を強めたようだ。ロシアを「絶対悪」ウクライナを「被害者」と定めてのプロパガンダが日常を席巻した。ロシア政府の侵略が犯罪的であり、ウクライナ市民が被害者であることは間違いない。けれども、12月21日ウクライナのゼレンスキー大統領による米国連邦議会での演説は、はからずも人間の「戦争好き、破滅願望」の本性を再度証明し直すだけではなく、この戦争の本質が米国(=NATO)の利益と合致することを具体的に示し尽くした。

世界で一番戦争が好きな国の議会で、ゼレンスキーが「クレムリン打倒宣言」や「イランの危険性」を語り「ウクライナへの支援は寄付ではなく投資だ!」と書かれた原稿を読み上げる節々に、スタンディングオベーションが連発する。世界中の反戦DNAを持つひとびとは、あの光景に寒気を感じたか、あるいは途中で画面を見ることを止めたかもしれない。


◎[参考動画]ゼレンスキー氏、米連邦議会で演説 支援は慈善ではなく投資だと(BBC)


◎[参考動画]ウクライナ侵攻部隊への兵器供給加速を指示 プーチン大統領「資金に制限はない」(TBS)

こんな具合に人間が「愚か」であることを、第二次大戦の敗戦で、日本は思い知った。だから「戦争放棄」を小学生でも理解できる明確さで憲法に刻み、不戦を国是とした。その「憲法を変えたい」と岸田は総理大臣就任演説で語った。さらに何がどう関係するのかわからないが、原発の再稼働も進めるといった。

あっというまに岸田は防衛費の倍増に言及しだした。「敵地攻撃能力」、「反撃力」のために、米国から大量の中古武器(巡航ミサイル「トマホーク」)の購入を予定している。

米国からの中古武器はローンで購入しているがその額は過去の残高を併せて10兆7174億円で、新規分が7兆6049億円に上る。来年度予算は総額114兆円だが社会保障費の32.3%につぎ「軍事費」(防衛費)が5.9%(6兆8千億円)で公共事業費の5.3%を超えている。この予算はどう見ても「戦争に向けた」準備としか考えられない。食品価格が上昇し庶民の生活は、確実に苦しさを増す中、大軍拡予算が準備されている。

参議院選挙で、「軍事費倍増」などの公約が自公政権の政策だと掲げられたことがあったか。岸田の暴走に対して、野党は最後まで抵抗するだろうか。議論されることもなく、おそらくは野党の抵抗も限定的で、予算はおおかたこの形のまま成立するのではあるまいか。そもそも自公と根本理念を異にする「野党」が無いじゃないか。


◎[参考動画]防衛費「5年間で43兆円」 岸田総理が指示 “1.5倍超”の大幅増(TBS 2022年12月6日)


◎[参考動画]岸田総理“防衛費増税は総選挙後”と強調(TBS 2022年12月28日)

◆要するに、この国は嘘つきだ

絶望時だからこそ、もう一度以下の文言を確認したい。

日本国憲法第9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本で義務教育を受けたひとは、みな知っている憲法9条だ。

この文言のどの部分を、どう解釈すれば自衛隊が認められるのか。わたしは、そのことを疑問に思い、「おかしい」と感じてきた。わたしが生まれたとき、既に自衛隊は設立されていた。小・中学校で日本国憲法をおしえられたのち、「どうして自衛隊があるのか」が、不思議で仕方なかった。80年代中盤「日本列島を不沈空母にする」と発言した中曽根政権時代に高校・大学生として社会的問題に関心を持つようになり、

「要するにこの国は嘘つきだ。基本法の憲法すら守らないのが日本。法治国家の体をなしていない」

との結論に至った。やがて自衛隊はPKOに参加するは、イランに派兵されるは、はては集団的自衛権まで認める法律が強行されるといった、一連の成り行きを見れば、「いずれ日本はあれこれ理屈をつけて再び戦争に堕ちてゆくだろう」と嫌な予感を抱いていた。

憲法を守らない政府が支配する国で、最低限、公平公正な司法が機能するだろうか。わたしにはそんなことが可能だとは思えない。行政も司法も、憲法不全の国では歪(いびつ)であって当然だろうが。

「自衛隊は明確に憲法違反である」こんな簡単な、しかし重要な矛盾を軽視してきてきたから、こんにちのような暴政がまかり通るのだ。


◎[参考動画]「日本国憲法」全文《CV:古谷徹》

◆憲法が機能しない国家は近代国家ではない

人間は本来、悪気がなくとも、気ままでわがままだ。だから法律を作って許容される行為とそうでない行為を決める。人間の集合体が構成する「国家」は、さらに曖昧模糊とした、本当にあるのかないのか、すら怪しい代物だ。人間以上に暴走したり、乱暴を働くのが歴史上「国家」の本性であることから、近代国家では「国家を縛る法律」として憲法が準備された。よって憲法が機能しない国家は近代国家ではない、との換言も可能である。そういう情けない国にわたしたちは生きているのだ。そのことを徹底的に突きつけられたのが2022年の結末である。

他国との関係性が悪化すれば、話し合いで問題解決を図るのが政府の役割(外交)の役割だろう。その回路が破綻したときに戦争が立ち上がる。近年、日本の外交はどうだろうか。経済的には輸出入とも相当程度を依存しているくせに、中国との関係を意図的に悪化させてきてはいまいか(中国の国家体制や民族問題について、わたしは大きな疑問をかねてより持っている。その問題は過去少なくとも30年変わっていない。だから最近の日本政府による対中国政策が理解できない)。

朝鮮民主主義人民共和国とは、まだ国交すら開けていない。同国は「身内による独裁政治が続いている」との批判が多いが、なら日本で岸信介―安倍晋太郎―安倍晋三と三代にわたる政治家が権力者であった事実は、どうして無視されるのか(この家系だけでなく自民党政治家の3割は世襲議員であるし、岸田も世襲議員だ)。青いバッチを岸田をはじめとする多くの与野党国会議員が、気軽に身に着けている。連中は拉致被害問題同様、朝鮮民主主義人民共和国には、まだなされていない、日本の植民地化への賠償をどう考えているのだろう。

「嫌韓本」が本屋に山積みされ「日本のここが凄い」、「日本に生まれてよかった」という、勘違いも甚だしいナルシズムに浸っているあいだに、日本は韓国に賃金労働者の平均給与を追い抜かれた事実を「この国に生まれてよかった」群のひとびとは、知っているのだろうか。

日本政府が喧伝するほどに、近隣諸国が日本に対して軍事的脅威を強めていると、わたしには到底思えない。むしろ日本のメディアが過剰に近隣諸国をネガティブに報じ、政府の外交失敗の尻ぬぐいをしていることに幻惑され、多くのひとびとが騙されているのではないか。

◆安倍政権を検証する

安倍晋三とウラジミール・プーチンの関係を想起してほしい。自分の故郷、山口にまで招き友人のように遇していた両者なのに、ロシアがウクライナに侵攻すると、安倍は自分とは全く無関係なように口を極めてプーチンを攻撃したではないか。なら聞きたい。安倍政権時にロシアに対して行われた経済援助を安倍はどのように説明するのか。


◎[参考動画]山口県での日露首脳会談―2016年年12月15日

つまり、日本(だけでなくどの国でも)が武装を強めれば強めるだけ、近隣諸国だけではなく、国際的な緊張は高まるのだ。日本は憲法が定める通り、非武装(自衛隊を解消して)で米軍の基地も撤退させる。一度憲法上定められた、本来の初期値に戻したところからしか将来の姿を語ることは出来ないはずである。「自然災害時に自衛隊が必要」と主張する意見は間違いで、自然災害には専門的に対応する「災害救助隊」を創設すればよい。「災害救助隊」に武器は不要だ。

このように主張すると「非現実的だ」、「他国が攻めてきたらどうする」と突き上げを食らう。でもウクライナでわたしたちが確認したことを直視しよう。「いったん戦争がはじまってしまえば、ルールも倫理もすべてが度外視され、狂気が覆いつくす」。それ以上でも以下でもないだろう。だから、戦争を絶対に回避しないと、未来はないと日本国憲法は至極明確で、当たり前な道理を掲げたのである。

歴史的到達点として、至極当たり前な道理から、愚かにも現実を遠ざけていったのは、歴代の自民党を中心とする政権だ。また本気で抵抗しなかった野党も責任を逃れない。今日平然と「産学協同」に身を沈めて恥じないアカデミズムも徹底的に糾弾される必要がある。「産学協同」を売り物にする大学などに存在価値はない。マスメディアは権力の拡声器でしかなく、御用組合の代表格「連合」は、もはや存在自体が悪といってよい。

◆2023年に希望はない

2023年に希望はない。戦争と破滅へ入場門がいよいよ見えてきた。

あなたはどうする? それが問われている。かすかにわたしを勇気づけてくれるのは、こんな時代になる前からずっと、一貫して戦争に反対し続けてきた、優れた先達たちの思想と意思そして存在だ。はっきり言おう。若者には何の期待もない。期待するだけ気の毒な環境で彼らは育ってきたのだから。

もう見たくない、聞きたくない、関わりたくない、書きたくない……。逃避衝動は魅惑的だ。でも、わたしは来年も書き続けようと思う。心ある読者諸氏と、ともに闘う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

12月23日、政府は「デジタル田園都市国家構想総合戦略」を閣議決定した。総合戦略は、6月に岸田政権が閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」で「4つの柱」の一つとされた「デジタル田園都市国家構想」の数値目標と工程表を5ヵ年計画として定めたものである。

そこでは、実装自治体1500、「デジ活」中山間地域150地域、移動サービス100ヶ所以上、東京圏からの地方への移住者、年間1万人などを挙げ、それらを27年までの5年間で国の交付金を活用して実現するなどを中心に事細かく目標を挙げている。

総合戦略の趣旨は、日本は世界に類を見ない急速なペースで人口減少・少子高齢化が進行しており生産年齢層も減少しているが、東京圏と地方との転出均衡達成目標はいまだ達成されておらず、地方の過疎化や地域産業の衰退等が大きな課題となっているとしながら、デジタルの力によって地方創生の取り組みを加速化・深化させ、それが地方から全国へのボトムアップの成長に繋がっていくとし、「全国どこでも誰もが便利で快適に暮らせる社会」の実現を目指すというものだ。

果たして、それは、どういうものなのか。それによって本当に地域問題が解決されるのか、何が問われているのか、それを考えてみたい。

◆米国への日本の統合のための「デジタル田園都市国家構想」

「デジタル田園都市国家構想」の最大の問題点は、これによって、地方の米国への統合が決定的に進むということである。

今、米国は新冷戦戦略とも言うべき覇権回復戦略を展開している。中国、ロシアを敵視し、西側陣営の力を米国の下に結集するという戦略である。その戦略の下、日本を米国に統合する政策が進んでいる。「デジタル田園都市国家構想」は、日本のすべてを米国に統合するという米国の要求の下、地方から日本を米国に統合するものとしてあるのではないか。

その手段が「デジタル」である。地方のデジタル化は米巨大IT企業であるGAFAMの下で行われる。デジタル化において、成長エンジン、生命とされるものがデータである。それ故、世界各国はデータ主権を唱え、データを守り、保護することを重視している。しかし日本は、自らデータ主権を放棄している。TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年1月には、それを「日米デジタル貿易協定」として締結している。

データを集積利用するクラウドも、アマゾンの「アマゾン・ウェブ・サービス」(AWS)とマイクロソフトの「アジュール」を使う3社で60~70%のシェアを占め、NTT、富士通、NECなどの日本勢はシェアを落とし排除・駆逐されている。

2021年9月1日に発足したデジタル庁はプラットフォームとしてアマゾンのAWSを使用しており、それに基づき、米国ITコンサルティング会社のアクセンチュアが「全国共通のプラットフォーム」を作っている。

米国仕様で統合されたデジタル化によって、全ての地方・地域が丸ごとGAFAMの管理下に置かれる。個人情報だけでなく、自治体自体の情報、企業の情報が丸ごとGAFAMに管理される。そうなれば、自治体だけでなく地域産業、地域住民のすべてが米国に管理されるようになる。

◆地域自治体の解体と自治の否定、地域住民主権の剥奪

こうしたGAFAMによる管理によって、日本の地方・地域はどうなるのか。

先ず、基礎自治体である市町村の多くが見捨てられ切り捨てられる。

元々、自民党政権での地方政策は、「全ては救えない」として、中核都市を中心にした都市圏(圏域)を作り、そこにカネ・モノ・ヒトを集中させ、他は切り捨てるという「連携中枢都市圏構想」なるものであり、その下で、人口が1000万減少する2040年までに自治体職員を半減させ、公共サービスを民営化するという「自治体戦略2040構想」などの政策が立てられてきた。

「デジタル田園都市国家構想」は、こうした考え方に沿って、デジタル化で、それを促進するものになる。今回、閣議決定された総合戦略では、デジタル実装の自治体1500になっているが、その直前の骨子案では1000になっていた。今、基礎自治体の数は1727団体なので半数は見捨てるということだったが、反発が強くて1500にしたのだろう。しかし、弱小自治体は切り捨てるという思考は変ってはいない。交付金を減らすことで、多くの基礎自治体が切り捨てられていくだろう。まさに、それは堤未果さんなどが指摘する、自治体解体である。

そして何よりも問題なのは、自治体の民営化であり、これによって、住民自治・地域住民主権が剥奪されることである。

これまでも水道や空港、公営交通などの分野で外資に運営権を譲渡するコンセッション方式などで民営化が進められてきた。しかし、「デジタル田園都市国家構想」では、自治体そのものの民営化が目論まれている。

総合戦略では、1000のサテライトオフィスを置き、ハブとなる経営人材を100地域に展開する、などの施策を挙げている。それはGAFAMやその系列のコンサルティング会社や経営人材が地方を経営するためのものとなろう。

こうなれば、自治体活動そのものが少数のデジタル・マネージャーによって企画立案され執行されるようになる。まさに維新が「政治に会社経営の手法を持ち込む」とした政策の全国展開である。こうして議会は形骸化し、自治体職員も大幅に削減され、地域住民は只サービスを受けるだけの存在に、デジタル管理の対象者、隷属物にされてしまう。

今、解決すべきは、本当に地域を維持し振興させることである。そのためには、地域住民が主体となって自治体、地域産業をも巻き込み、地域全体の力で取り組まなければならない。多くの自治体を解体するばかりか、自治体を企業運営し、それをGAFAMやその傘下のコンサルティング会社や経営人材に任せるやり方では、米国企業の利益になる事業はやれても真に地域を振興させることなどできない。

◆問われる「地方から国を変える」闘い

岸田首相は「デジタル田園都市国家構想」について所信表明演説などで「このデジタル化は地方から起こります」と述べている。それは米国の意図が「地方から日本を変える」ものだからだ。

米国が日本を統合する上で障害となるのは、国家としての秩序、それを法的に保障する諸規制である。それを一挙に撤廃することは困難である。そこで地方から風穴を空ける。事実、安倍政権は、「岩盤規制に風穴を空ける」として、「特区」形式で、それを実現しようとした。

総合戦略では、安倍政権の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を「デジタル田園都市国家構想総合戦略」に衣替えするとしているが、それは特区だけでなく全地方で徹底した規制緩和を行うものとなろう。

総合戦略は、地方・地域全般の行政手続きの様々な規制を撤廃するとしており、水道業、建設業などの資格を緩和し、自治体ごとに存在する諸規制を「ローカルルール」として見直すとしている。

こうして地域から諸規制を撤廃し、それをもって国の諸規制をも撤廃していく。こうして日本の国としての秩序を破壊し、統合していくということである。

それを地方から行うのは、それがやり易いと見ているからである。それを岸田首相は「地方にはニーズがあります」と言う。しかし、地方の諸問題は、歴代自民党政権、とりわけ安倍政権時代の地方政策の結果なのであって。それを逆利用して「地方にはニーズがある」などと言うことは許せない妄言だ。

対米追随政治の果てに、地方を米国の管理下に置き、地方から日本を統合一体化するような現政治を何としても変えなければならない。米国とそれに追随する政権が「地方から国を変える」と言うなら、地域住民主体の「地方から国を変える」闘いが切実に問われていると思う。

◆自分の地域第一主義の台頭

市町村などの基礎自治体は、暮らしに直結する地域住民の生活の基本単位だ。その地方自治体が安倍政権の新自由主義改革で衰退市、更には岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」によって、自治体解体が進み、自治体民営化によって地方自治・地方住民主権が剥奪されようとする時、地域の主権者である地域住民が主体となって、自分たちの地域を守ろうとする動き、地域第一主義とも言うべき動きが起きるのは必然だ。

維新による大阪市廃止を巡る住民投票で大阪市民がノーを突き付けたように。6月の杉並区長選挙では、民営化に反対しコモンを追求する岸本聡子さんが当選した。12月には尼崎市長選で維新市長の誕生を阻止した、などなど、自分の地域を守る動きが各地で見られるようになった。

 

魚本公博さん

これから益々生活苦は深刻化する。それにもかかわらず、岸田政権は、軍事費増大と反撃能力強化を閣議決定した。そのために27年度までに43兆円を確保するとしており、更により多くの軍事費増大を目論んでいる。その財源には各種増税、後の世代に借金を背負わせる国債などが言われているが、軍事費以外の歳費削減も行われるだろう。社会保障、福祉だけでなく、教育、医療、文化分野の予算も削られる。そして地方交付税も。こうなれば、市町村という基礎自治体の大部分は、やっていけなくなる。

米国とそれに追随する政権によって、地域の破壊は更に進む。こうした中で、命と暮らしを守るために地域を守るための自分の地域第一主義への希求は強まる。それが全国各地に拡大し、自国第一主義に結合していけば、この国は変る。

来年は、4月の統一地方選があり、解散総選挙もありうる。こうした中で既成政党に頼らない地域住民主体の自分の地域方第一主義が大きなうねりになることを大いに期待している。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

◆戦後77年 ── 過剰な変革と拡散(多様化)の時代を経て

今年は戦後77年でした。編集部の求めもあり、戦後史をふり返る記事を書いていました。やはり「激流の時代」と呼ばれた「昭和」の社会の激変がすさまじく、文化の変容も激しいものだったと、あらためて回想されます。

このあたりを強調しすぎると、戦後世代特有の大げさな言説。あるいは老人の回顧と批判されそうですが、現在の停滞を生み出した過剰な変革と拡散(多様化)は、40年代後半から80年代にかたちづくられたことを再確認しておく必要があると思うのです。

そしてそれは、歴史考察がつねに底辺に哲学として持っているべき、今現在が最高の状態ではなく、過去により良いものを発見するものとして考えられるべきでしょう。

そのキーワードは戦後革命であり、世界的な68年革命、80年代のポストモダニズムです。このうちポストモダニズムは建築と現代思想の中で行なわれた、いわばコップの中の嵐のように思われがちですが、89年からの東欧・ソ連社会主義の崩壊、および80年からの中国の資本主義経済導入という歴史的な流れを、生産力批判として具現化するのです。

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代」(2022年8月16日)

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈2〉1960~1970年代 価値観の転換」(2022年8月23日)

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈3〉1980年代 ポストモダンと新自由主義」(2022年8月30日)

◆資本主義の限界と再分配構造の転換

その後、バブル経済の崩壊が資本主義の限界を露呈させました。とくに日本においては労働編成の再編、すなわち終身雇用制の崩壊によって、非正規という労働市場の自由化が行なわれます。つまり労働者のパート・アルバイト化によって、低賃金労働が常態化するのです。

資本と労働組合に表象されてきた階級社会が消滅し、高所得者層と非正規の低所得層への階層分岐が顕在化していきます。この構造はデフレスパイラルの中で、資本蓄積の内部留保によって固定化され、勤労者の可処分所得の減少によって、ますます経済を失速させるという事態を生みました。時の総理大臣が、資本家階級に対して「賃上げをお願いする」という、伝統的な階級社会では考えられない事態をも生み出したのです。

この階層分化の社会構造は、現代的な構造改革である経済民主主義、政府の側も再分配構造への転換を期待せざるを得ない「新しい資本主義」つまり、社会主義的な分配へと踏み出さざるを得ないところまで来ていると言えます。

「《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会〈4〉 ── 1990年代 失われた世代」(2022年9月17日)

◆自公政権そのものが、政教一致の政体である

安倍晋三元総理銃撃事件は、日本社会に二つの命題を突き付けたと言えましょう。その一つは、政治と宗教の問題である。自民党の選挙における強さ、とりわけ選挙に強いがゆえに独裁的に党内を支配してきた安倍政権が、じつは統一教会信者の力に支えられていたこと。そして自公政権そのものが、政教一致の政体であることを、あらためて認識させたことです。

国民の15%弱とされる自民党の政治基盤は、国民の10%とされる公明党(創価学会)の得票力に支えられ、なおかつ数万人とはいえ抜群の献身力で選挙を戦う、統一教会に支えられていた。すなわち、憲法に明記された信仰の自由・政教分離の原則を、そもそも逸脱していることを意味するのです。

政治の場においても、論壇においてもタブー視されてきた政治と宗教の闇に、厳しいメスが入れられる時代が来たのだといえましょう。

それは同時に、人間にとって宗教とは何なのか、政治とは何なのかを問い直すことになるでしょう。デジタル鹿砦社通信はこれからも、タブーなき論壇ステージの一端を担うことをお約束したいと思います。

「政教分離とはどのような意味なのか? ── 安倍晋三襲撃事件にみる国家と宗教」(2022年8月5日)

「《書評》『紙の爆弾』11月号 圧巻の中村敦夫インタビューと特集記事 「原罪」をデッチ上げ、「先祖解怨」という脅迫的物語を使う統一教会の実態」(2022年10月8日)

「《書評》『紙の爆弾』2023年1月号 旧統一教会特集および危険特集」(2022年12月14日)

国防費がGDPの2%越え、金利政策の変更と物価高で国民生活はいっそう厳しい時代を迎えそうです。またいっぽうで原発の稼働延長が画策されています。来る2023年の厳しい世相を睨みつつ、闊達な批判と批評で読者の期待に応える所存です。よいお年を。

横山茂彦「2022年回顧」
【政治編】戦争と暗殺の時代
【経済・社会編】戦後77年と資本主義の限界

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

介護保険制度の見直しをめぐり、厚生労働省の社会保障審議会は12月19日、2024年度の改正に向けた意見書を大筋で了承しました。利用者負担の原則2割への大幅負担増と「要介護1、2を介護保険から外す」給付の大幅カットについて、結論を先送りしました。

他方で、利用者負担割合が2割となる対象者を拡大するなどの一部の項目について、「遅くとも来夏までに結論」を出すよう要望しており、厚生労働省は2023年の年明け以降も議論を継続するそうです。

◆「ヤングケアラー爆増」の危機はひとまず回避

当初、財務省などは、厚生労働省に圧力をかけ、
・利用者負担は原則2割にする
・要介護1、2の訪問・通所系サービスは介護保険から外す。
・ケアプラン作成は有料化
などをもくろんでいました。

利用者負担原則2割が実施されれば、多くの人がサービスを受けることが無理になります。

実を言えば、「デイサービスへ親を通わせているが現状でも負担は大きい」(親がデイサービスを利用している関東地方の女性)「妻が利用しているが、やはり負担は重い」(県内の70代男性)という声も強くあるのです。それが、2割負担となれば、余計利用しにくくなるのは当然です。

その結果何が起きるか? ご家族を介護している人の負担が増えます。特に、懸念されるのがいわゆるヤングケアラーの増加です。

家族の中で「主軸」で働いている父母世代(要介護の祖父母から見れば子ども)は仕事が忙しいため、学生とか、新社会人くらいの子ども世代(要介護の祖父母から見れば孫)への負担が重くなることが想定されます。

昔は、介護は「嫁」の仕事とされ、夫の父母の面倒も、妻が見るのが当たり前、という男尊女卑の時代がありました。その上、要介護の父母が亡くなったら、介護を任せていた妻を捨てて不倫相手の若い女性と再婚、という酷い夫も少なからずいたのも事実です。介護保険制度のおかげで、そうした嫁の負担が軽減され、女性の社会的活躍が後押しされ、男尊女卑の解消につながっていったのも事実です。

介護保険制度が後退すればどうなるか?先進国の中ではまだまだ男尊女卑が強いとはいえ、昔に比べると改善される中で、さすがに母親=嫁に押し付けるということは難しい。しかし、そのかわり孫世代に負担が重くなる、ということが想定されます。

筆者も利用者のお孫さんで、よく見舞いに来られている方を拝見することもあります。当人は、責任感をもってがんばっておられるのもよくわかります。それでも、ご本人がおかれた客観的な状況から「大学生なら勉強、新社会人なら仕事をおぼえることを優先された方がいいのではないか」という思いが口から出かかることもあります。後々、学業や仕事に支障が出るなどを通じてご本人の、さらには、社会全体の損失にもなることが懸念されます。今回の改悪回避でそうしたヤングケアラーの爆増は、とりあえず、回避できたのかもしれません。

◆お金持ちには利用料負担割合増加より保険料引き上げ・増税を

こうした中、負担割合を二割に引き上げる人の範囲を増やす議論は続くそうです。そもそも、保険給付割合で差をつけるというのは筋が悪い議論と感じます。もし、お金持ちに負担をいただきたいなら、税金をしっかり負担していただく方がよいと思います。負担割合が異なる人がいるために、現場の事務処理も煩雑化しています。元の一割負担で統一して、お金持ちの保険料率や所得税負担率を引き上げる、という方向の改革を望みます。

◆総理支持率低迷と署名運動が「大幅改悪」撤回の原動力

2021衆院選で与党が3分の2を超え(これにより、反対する野党が参院で粘っていても、衆院で再可決されれば介護保険改悪案は成立してしまう。)2022年参院選でも自民党が圧勝する中で、上記のような財務省がもくろむ案が法案になってしまえば、阻止するのは極めて困難な客観的な情勢もありました。

しかし、安倍晋三さん暗殺を契機に旧統一協会問題が噴出し、岸田総理の支持率は暴落しました。これにより、介護保険大幅改悪はやりにくくなったのは事実です。

ただ、総理支持率暴落だけでは、改悪は阻止できなかったという思いも筆者はあります。

例えば、軍事費倍増とそのための増税は、総理は「支持率が低迷しているからこそ、蛮勇を見せつけて求心力を高めてやろう」と暴走した面が否めません。実際、歴史を振り返っても内政の失敗をごまかすために、対外的に緊張を高めようとした為政者は古今東西枚挙にいとまがありません。

やはり、今回の介護保険大幅改悪の断念の背景には、署名運動もあったのは間違いありません。認知症家族の会など、ご家族を介護する当事者の方が中心に署名運動を展開。「これを強行したら統一地方選2023は持たない」ということを自民党側も感じたのでしょう。

また、軍事費はまだ「国家の専管事項」という理屈もあり得ますが、介護保険に関しては市町村が保険者です。統一地方選では重要な争点になってしまうからです。

総理が暴走を加速する軍事費倍増・増税問題、あるいは原発の問題ではそれはそれで、きちんと野党がまとまって対抗軸を打ち出さないと反対の世論も盛り上がらないし、むしろ支持率低迷の中で総理の暴走は加速するだけにも思えます。

◆現場労働者の待遇改善、サービスの安定供給……課題は山積

そして、もうひとつ、強調しなければいけないのは、現場労働者の待遇改善などは、この改悪の先送りに関係なく、まったく進んでいないということです。要は、今でも矛盾だらけの介護保険制度が、せいぜい、これ以上悪くなるのが防がれただけの話です。

岸田総理は、介護労働者の給料アップを公約しました。ふたを開ければ3%。しかも、必ずしも、労働者の手元に来るとは限らない仕組みでした。その上、10月からは国費投入ではなく、介護報酬に上乗せすることを事業者=経営者が申請しないと給料アップにならない仕組みです。要は、給料アップがお年寄りの負担増になるし、事業者の事務負担増にもなってしまうということです。

こうした中で、広島の介護現場からは外国人労働者がより高い給料を求めて東京へ流出しています。

※参照=広島の外国人労働者が流出する理由 「労組代表」の筆者の説明で納得の町幹部

こうした経過をみれば、どうあがいても、実際のところ現在の介護保険の枠の中で、現場労働者の待遇改善を十分に行い、人手を確保するのは無理と言わざるを得ません。

また、コロナのもとで、一時的な利用者の急減が、経営に打撃を与え、事業者が倒産。お年寄りが路頭に迷うという事態も生じています。費用は保険で出し、介護報酬は国が決めるが、あとのことは市場原理任せ、という介護保険制度でサービスの安定供給ができるのか?という問題もつきつけられています。

※参照=介護事業所の倒産が過去最多! 市場原理でサービスの安定供給は確保できない! 

◆介護保険の限界認識し、対抗軸を!

結局のところ、当面は思い切った財政出動を行いつつ、介護は基本的には税で賄うという、欧州では一般的な方向での改革に向かうしかないのではないでしょうか?その場合は、現在は異常に甘すぎる超大金持ちへの課税を強化するなどの方向が、格差が広がってしまった現代日本ではふさわしいでしょう。

介護保険改悪阻止だけでなく、むしろ、その限界を認識し、市場原理に寄らない方向、例えば(特に広島のような労働力が流出する地方圏では)公務員として人手を確保して、責任をもって自治体が介護を供給する、などの方向性を野党側、あるいは労働側は打ち出し、自民、維新や資本側に対抗するべきです。

筆者も、統一地方選2023へ向け、暴走を加速する岸田総理の地元・広島でその先頭に立ちます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

企業には広報部とか、広報室と呼ばれる部門がある。筆者のようなルポライターが、記事を公表するにあたって、取材対象にした企業から事実関係や見解などを聞き出す時にコンタクトを取る窓口である。新聞社の場合は、ある程度の記者経験を積んだ者が広報の任務に就いているようだ。

 

毎日新聞大阪本社(出典:ウィキペディア)

今月に入って、兵庫県姫路市で毎日新聞・販売店の改廃にともなう事件が起きた。店主が、新聞の仕入れ代金などで累積した約3916万円の未払い金の支払いを履行できずに、廃業に追い込まれたのである。公式には双方の合意による取引の終了である。

請求は、さやか法律事務所(大阪市)の里井義昇弁護士が販売店主に内容証明で催告書を送付するかたちで行われた。里井弁護士は、催告書の中で、店主が積み立てた信認金(約80万円)を未払い金から相殺することや、12月分の読者からの新聞購読料は毎日新聞社のものであるから、店主が集金してはいけない旨も通知していた。

集金した場合は、「株式会社毎日新聞社としましても、民事上のみならず、それにとどまらない刑事上のものを含めた法的対応を講ずることを検討せざるを得ませんので、たとえ購読者の方より申し出がありましても、一切収受等することなく、後任の販売店主への支払いをと伝えられるようご留意ください」と述べている。
 
かりに請求金額に「押し紙」による代金が含まれていれば、実に厚かましい話である。

◆「押し紙」問題に向き合わない毎日新聞の社員

 

毎日新聞の「押し紙」。ビニール包装分が「押し紙」で、新聞包装分が折込広告。記事とは関係ありません

毎日新聞社は、この販売店に対する新聞の供給を15日から停止している。そして別の拠点から配達を始めた。

毎日新聞が請求している約3916万円の中身については、今後、筆者が調査して、「押し紙」が含まれていれば、「押し紙」裁判を起こす方向で検討する。クラウドファンディングで裁判資金を募る予定だ。

また、里井弁護士に対しては、懲戒請求を視野に入れる。「押し紙」であることを認識していながら、高額な金銭を請求した可能性があるからだ。里井弁護士は過去にも「押し紙」裁判にかかわった経緯がある。従って「押し紙」とは、何かを知っている可能性が高い。

筆者はこの改廃事件についての毎日新聞の見解を知るために、同社の東京本社・社長室広報ユニットに対して2度に渡って問い合わせた。(質問状は、文末)しかし、返ってきた答は、いずれも「個々の取引に関することは、お答えできません。」というものだった。たったの1行だった。回答者は、石丸整、加藤潔の両社員である。

わたしは2人の社員が「押し紙」問題から逃げていると思った。自分たちが制作した新聞を配達してくれる人が、借金を背負ったまま露頭に放り出されようとしているのに、何の声もあげない冷酷さに驚いた。

筆者は、「押し紙」問題は、商取引の問題であると同時に、人権問題である旨を2人にメールで知らせ、再度回答するように求めたが、やはり回答しなかった。筆者は、2014年12月17日にしばき隊が起こしたリンチ事件の後、識者の多くが事件の隠蔽に走ったことを思い出した。

これは日本が内包する深刻な社会病理なのである。企業社会の中で身体にしみ込んだ処世術に外ならない。

ちなみに日本新聞協会の会長は、毎日新聞社の丸山昌宏社長である。

◆弁護士が資金回収の最前線に

かつてサラ金や商工ローンの厳しい取り立てが社会問題になったことがある。「目の玉を売れ」とか、「腎臓をひとつ売れ」といった罵倒を浴びせて、借金を取り立てることもあった。幸いにこの問題には、メスが入った。武富士は倒産し、同社の代理人を務めていた弘中惇一郎らに対する信用も堕ちた。

かつて社会問題の矢面に立ったサラ金の武富士(出典:ウィキペディア)

「押し紙」の取り立ても、サラ金や商工ローンと同様に凄まじい。毎日新聞・網干大津勝原店の場合は、弁護士が資金回収の最前線に立っている。幸いに現時点では、催告書の送付以外に毎日新聞社の目立った動きはないが、今後、どのような手段に出てくるのかは予断を許さない。

店主には、妻子がいる。

「自分はどうなってもいいが、妻子を露頭に迷わすわけにはいかない」

と、話している。

失業の不安が頭から離れないらしく、毎日、筆者のところに電話がかかってくる。筆者も新聞業界の裏金問題を取材していて業界紙を解雇された体験がある。失業後は、未来が描けないことが苦痛だった。店主も同じ気持ちではないか。

これまで何人もの店主がみずから命を絶っている。失踪者もいる。週刊誌もたびたび店主の自殺を報じているので、新聞社の社員が「押し紙」の悲劇を知らないはずがない。だが、毎日新聞の2人の社員は、自社の問題であっても、逃げの一手なのである。

筆者は2人に対して、会社員としてではなく独立した個人として「押し紙」を告発するように書き送ってみたが、やはり回答はなかった。

この問題は、今後、内部資料を精査し、現地を取材して、続報を出していく。筆者が毎日新聞社に送付した2通目の質問状は次の通りである。回答は、既に述べたように、「個々の取引に関することは、お答えできません。」の1行だった。

筆者は、新聞社の社員が1行の作文しかできない事実に驚愕した。

◆毎日新聞社に対する公開質問状

               公開質問状

毎日新聞 社長室
石丸整様
加藤潔様

発信者:黒薮哲哉
連絡先:xxmwg240@ybb.ne.jp 電話:048-464-1413

 先日、毎日新聞・網干大津勝原店の改廃問題について問い合わせをさせていただきました。これに対して、貴殿らは「個々の取引に関することは、お答えできません。」と回答されました。

 改めて質問させていただきますが、貴社の「押し紙」問題をわたしが報じる際に、今後、貴社の見解を確認する必要はないと理解してもよろしいでしょうか。この点について、必ず回答していただくようにお願い申し上げます。

 さらにこの機会に、「押し紙」問題について貴社社長室の見解を教えてください。

社長室は、毎日新聞社で最も功績があるジャーナリストで構成されている機関だと理解しております。特に毎日新聞グループホールディングス社長の丸山昌宏氏は、日本新聞協会の会長を兼任するなど、日本を代表する新聞記者です。それを前提に次の4点についてお尋ねします。書面でご回答ください。貴社のジャーナリズムの信用性にかかわる重大問題なので、必ず回答ください。

1、貴社が網干大津勝原店に対し、里井義昇弁護士(やさか法律事務所)を通じて請求されている金額は、約3915万円になります。店主は、この金額は残紙の代金が大半を占めていると話していますが、同店に残紙があったことは認識しておられたのでしょうか。それとも残紙以外の請求なのでしょうか?

2、貴社長室が考える「押し紙」の定義を教えてください。

3、仮に網干大津勝原店の残紙が「押し紙」であっても、貴社は今後も店主に対する新聞代金の請求を続ける方針なのでしょうか? 残紙が「押し紙」であることを知りながら、請求を続ける行為は、サラ金業者の借金取り立てと性質が変わらない蛮行だとわたしは考えています。まして貴社は過去の「押し紙」裁判の中で、和解というかたちで販売店に慰謝料を払ったことが繰り返しあり、「押し紙」の存在を認識しているはずです。実際、貴社の出身である河内孝氏も『新聞社』の中で、「押し紙」の存在に言及されています。

4、貴殿らのジャーナリストとしての「押し紙」についての見解を教えてください。会社員としてではなく、ジャーナリストとしての見解です。

※なお必要であれば、貴社の販売政策を裏付ける内聞資料等を提供させていただきます。
 
回答は、12月22日(木)の夕方までにメールでお願いします。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

詩的で絵画的な映画だ。12月16日から「池袋HUMAXシネマズ・シアター2」で上映が始まった映画『窓』のことである。とある団地で起きた隣人同士の裁判を背景に、夫婦と娘の三人暮らしの家族が、外部から閉ざされた空間で過ごす日常が描かれている。

映画『[窓]MADO』は12月29日(木)まで池袋HUMAXシネマズ・シアター2で公開中

三人が住む自宅が、まるで閉ざされた牢獄のように感じるのだ。それも、彼ら自ら作った牢獄の中に彼ら自身を押し込めるように。その牢獄内で寄り添って暮らす摩訶不思議な家族の姿が映し出される。

ある団地に住むA家は、年金暮らしのA夫、その妻A子、一人娘のA美の三人暮らである。A夫は、娘が階下から流れてくるタバコの煙害で体調を崩していると思い、第三者を介して団地の集会室で、斜め下に住むB家のB夫とB子夫妻に対し改善を求める。

その後もA美の症状は悪化の一途をたどったため、父親のA夫は、娘の体調やB家とのトラブルを日記につづり始めた。

〇月×日、B夫の車が見えない……、〇月×日△時、B家方面から甘い外国タバコの香り……というように。B家の三人だけに見えている風景や心情が、日記につづられていく。映画はB夫の日記と同時並行で進む。

A夫演じる西村まさ彦の独白音声が流れるのだが、日記の朗読というより詩のように聞こえてくる。それにしても、西村まさ彦は味がある。

その中で、A夫は娘に化学物質過敏症の疑いがあると知り、その原因がB夫のタバコの副流煙だとして、B家に対し4500万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたのだ。

この事件は、横浜・副流煙訴訟という実際に行われた裁判をもとにしており、事件そのものは『禁煙ファシズムー横浜副流煙事件の記録』(黒薮哲哉著・鹿砦社刊)に詳しい。

この裁判では、副流煙被害を訴えるA家の夫が実は最近まで四半世紀にわたり喫煙していたことがわかったり、娘の診断書を書いた医師が実は直接診察していなかったことが発覚するなどの問題が明らかになった。

あるいはA夫が書く日記の内容と、実際のB家がからむ事実とは大きく矛盾していることが多々明らかになっている。
 
禁煙イコール善、喫煙イコール悪という風潮は確かにある。もちろん受動喫煙の問題はあるし、化学物質過敏症の難しさもある。

しかし、実際に起きた訴訟は、目的が正しければ強引なことは許される、すなわち禁煙社会を実現するには理不尽なことも許されるという一部の風潮がなければありえなかった。

実は本作を世に出した監督の麻王MAOは、訴えられたB家の長男(親とは別居)である。自分の家族に起きた実際の事件をフィクション化したわけだ。

公開日舞台挨拶(12月16日 池袋HUMAXシネマズ)

この映画を観る前、同じ集合住宅の隣人であるA家とB家をパラレルに映し出すと筆者は勝手に思い込んでいたが、本作のメインは、煙草の煙で化学物質過敏症をわずらい苦しんでいると主張したA家だ。

映画冒頭から団地の「窓」が多数映される。B夫は窓に向かい延々と日記を書く。その窓の外には、多数の窓が見える。

窓は解放するもので、団地の集合住宅は窓の面積が大きく、構造的には解放感があるはずだ。それなのにスクリーンに映し出される窓には、見えない鉄格子が組み込まれているようなイメージが湧いてくるのである。

鉄格子の内側のA家には、何台もの空気清浄機が設置され、煙草の煙を浄化するための観葉植物の鉢だらけになる。

平凡な団地が異様に美しく撮影されており、しずかな音楽と相まって独特な雰囲気を醸し出す。

ただ、できれば実際の裁判の内容を伝える部分をもう少し入れ、絵画のように異様に美しく幻想的な映画との落差を伝えると、より面白味と怖さがましただろうとは思う。


◎《予告編》映画 [窓]MADO 12/16(金)公開 @池袋HUMAXシネマズ

●12月16日(金)~12月29日(木) ※池袋HUMAXシネマズ8F シアター2
池袋HUMAXシネマズ公式ホームページ 
映画[窓]MADO 公式サイト
映画[窓]MADO 公式ツイッター  

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

毎年恒例の1年の総集編ですが、わたし自身があまり記事を書かなかったこともあって、扱ったテーマが絞られます。というよりも、政局の動きや経済の分析をドラスティックに覆す事件によって、焦点がおのずと絞られてしまったと言えるのではないでしょうか。事件があまりにも強烈すぎました。

ロシアのウクライナ侵攻、および安倍晋三元総理銃殺事件です。

◆18世紀型の戦争に驚嘆する

すでに昨年末から、オリンピック明けにロシアがウクライナに侵攻する観測はあった。マイダン革命からクリミア併合、ドンバス紛争と8年にわたって繰り広げられてきた内戦に、ロシアが公然と介入する。かつてのベトナム戦争、アフガン戦争を想起させたものだ。

だが、ふたを開けてみると北部からキーウへ、黒海から南部諸州へ、そして紛争地である東部にも20万をこえるロシア軍が殺到したのだった。もはや地域紛争ではなく、全面的な総力戦といえる。のちに明らかになったことだが、この緒戦の3方面からの侵攻がロシア軍の戦力を分散し、各個撃破される原因となったのだ。驚愕の全面戦争は、ロシアの戦力と国力を越えていた。

当初われわれは、アメリカNATOによるロシア圧迫が、もっぱら産軍複合体の要請による、いわば数年に一度は戦争をしなければならない事情によるものと考えた。このアメリカによる戦争論は、現在も謀略論として流布されている。

「風雲急を告げる、ウクライナ戦争の本質 ── 戦争をもとめる国家・産業システム」(2022年2月23日)

ところが、プーチンという人物を詳しく知る中で、現代のヒトラーというべき独裁者だと判ってきた。クリミア併合でG8から排除されて以降、ロシア帝国の復活を夢見てきたことも。

考えてみれば、プーチンが政権に就いた時期の、謎の爆破事件は、1933年のドイツ国会議事堂炎上事件(共産主義者の犯行とされた自作自演)に匹敵する謀略だった。まさに「たいていの人間(大衆)は小さなウソよりも大きなウソにだまされやすい」(ヒトラー『我が闘争』)を21世紀に実行してみせているのがプーチンなのだ。

「核兵器使用を明言した妄執の独裁者、ウラジーミル・プーチンとは何者なのか? ── 個人が世界史を変える可能性」(2022年2月26日)

「第三次世界大戦の危機 プーチンは大丈夫か?」(2022年3月14日)

ウクライナ戦争の実態は、剥き出しの古典的帝国主義戦争である。20世紀的な帝国主義戦争どころではない、プーチンは18世紀のピョートル大帝やエカチェリーナ女帝の拡張主義を賛美し、実践しようとしていることが判明したのだった。

したがって破壊はもとより、虐殺や略奪、性犯罪など、あらゆる戦争の悪が露呈している。18世紀的な戦争犯罪は、21世紀の国際法において裁かれるべきであろう。
そのいっぽうで、第三次世界大戦の危機は左派勢力のなかにも混乱をもたらした。とりわけ反戦主義にどっぷりと浸かった新左翼系の反戦市民運動において、アメリカ主導の戦争と規定することで、プーチンの開戦責任を免罪する傾向が顕著となったのだ。

そのバリエーションは、ユダヤ財閥を基点とするディープ・ステートによる謀略、レーニン1914年テーゼ「自国帝国主義打倒」、米ロの代理戦争論、社会主義の祖国ソ連を懐かしむ反米帝論などさまざまだ。

「ウクライナ戦争への態度 ── 左派陣営の百家争鳴」(2022年4月26日)

◎「ウクライナ戦争をどう理解するべきなのか
〈1〉左派が混乱している理論的背景(2022年5月5日)
〈2〉帝国主義戦争と救国戦争の違い(2022年5月13日)
〈3〉反帝民族解放闘争と社会主義革命戦争(2022年5月19日)
〈4〉民族独立と救国戦争(2022年6月8日)

個人的には理路整然と、何とか問題を整理しようとした末に、対外的な論争(党派を名指し)にも挑みました。一般社会とは隔絶された「新左翼」の論争です。興味のある方は、左翼の伝統文化顕彰としてお読みいただければ幸甚です。

「『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください〈後編〉」(2022年10月26日)

だが前述したとおり、21世紀の今日、無法な戦争の発動者を人類と平和の名において裁かない理由はない。かつて第二次大戦のドイツ占領下のワルシャワで、国内軍とレジスタンスが蜂起したとき、双方で処刑の応酬になった。

このワルシャワ蜂起に対して、呼応するはずのソ連軍がなぜか待機し(カチンの虐殺いらい、ソ連はポーランドを完全に属国化する計画だったとされる)、レジスタンスはナチスのSS軍団に抑え込まれる。さらなる処刑(虐殺)が行なわれんとするときに、イギリス放送が「無法な処刑は戦争犯罪になる」と警告宣伝したのだった。いらい、ナチスの虐殺は一時的にせよ止んだ。

その意味では、国際的な法的キャンペーン(戦争犯罪の警告)が虐殺を止める効果を持っているといえよう。

Резня – военное преступление, не убивайте ! (虐殺は戦争犯罪だ 殺すな!)

これをSNSに発信するだけで、戦争における虐殺は抑えられる可能性がある。

「戦争の長期化は必至 ── 犯罪人プーチンとロシア軍が裁かれる日」(2022年6月18日)

ところで、日本ではウクライナ戦争が台湾有事とリンクして語られている。ひとつの中国を国際社会が認めているとはいえ、武力による現状変更はゆるさない。香港において、ウイグルにおいて、民主主義を圧殺している中国共産党の独裁的な支配に反対し、台湾の自治を擁護する立場。

あるいは沖縄をはじめとする、日本を舞台に中米が軍事対決するのに反対する。戦争一般に反対する立場もふくめて、日本人の政治的な立場が問われるであろう。
そのような中で、ロシアが日本侵略の計画を検討していたことが明らかになっている。これまで、一部のロシア議員が発言してきたのとは違う、驚愕するべき事実の一端が明らかになっている。

ロシア連邦保安庁(FSB)の関係者がリークした電子メールによって、プーチン政権はウクライナ侵攻を開始する数ヵ月前、日本に攻撃を仕掛ける計画を立てていたらしいことが判明したというのだ。

奉じたのはスペインの流行系のサイトだが、純粋に軍事的な検討が行なわれるのは、ある意味で当然と言えるのかもしれない。ロシアは「国防のために」ウクライナに侵攻したのだから。

◆安倍元総理射殺事件の愕き

ウクライナ戦争と原材料不足による物価高が憂慮されるなかで、参院選挙が行なわれた。結果は維新の会や参政党など「ゆ党」の躍進だった。既成野党(立民・共産・社民)の後退と「ゆ党」の躍進は、政治および政治家に賞味期限があることを改めて知らしめたといえよう。

そのような中で、歴史的な事件は起きた。安倍晋三元総理が銃撃され、死亡したのである。あらためて、哀悼の意を表したい。本通信も、不肖わたくしをはじめ論者たちが安倍批判をくり返してきた。だが、安倍なんか死んでもいいとは、けっして書いてこなかったように、言論による闘い以外に、われわれが手にする武器はない。あらためて、演説中の政治家を銃撃する暴挙を、語をつよめて批判するものです。

「追悼 安倍晋三元総理大臣」(2022年7月11日)

さて、同時期に世界史的な人物が逝去した。エリザベスⅡ世が亡くなったのだった。女王が君臨した時代は、大英帝国の植民地支配が終焉する時期であった。それゆえに、過酷な植民地支配への癒しが治世の要件となった。

いまもなお、ポストコロニアルの世界にあって、英連邦からの離脱をもとめる動きはつづいている。ウクライナ戦争に見られるように、21世紀は民族の自決と自治へと、旧世紀を克服するムーブメントが世界史的なテーマなのかもしれない。

イギリスと日本の国葬において、際立って違っていたのは伝統文化の厚みだった。明治以降、欧米化する流れの中で伝統文化を見失ったわが国は、警備陣が剥き出しの威力を見せつけることで、国葬を刺々しいものにしてしまった。国論を二分したことよりも、そもそも警備の威力で実現される葬儀とは何なのだろうか。レポートにおいても、この点を強調したかった。

「エリザベス女王追悼と安倍国葬 元総理の業績と予算への疑義」(2022年9月11日)

「《9.27 TOKYO REPORT》安倍晋三国葬儀 ── 英エリザベス女王国葬との痛々しいほどの落差で際立った伝統文化の貧困と過剰警備のグロテスク」(2022年9月28日)

ところで、安倍元総理射殺事件は旧統一教会問題、すなわち政治と宗教の問題を俎上にあげた。このテーマについては「2022年をふり返る(社会編)」で顧みたい。政教分離という、わかっているようでわかっていない議論である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

※本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日発売号)掲載の「何故、今さら昭和のプロレスなのか?」を再編集した全3回連載の最終回です。

昭和という特殊な時代に、大衆的な人気を獲得したスポーツ(と敢えて言っておく)の代表がプロ野球とプロレスであることに異論の余地はないと思われる。

しかし両者には大きな違いがあった。プロ野球には外人選手はチラホラといたが、日本人のチームに助っ人として参加していただけしていただけで、外人選手ばかりのチームがあったわけではない。

プロレスはそこが違った。昭和のプロレスは最初から日本人対外人の構図が売りだった。そこで大衆(観戦者)心理は当然民族主義的になる。

「無敵黄金コンビ敗る 日大講堂の8500人、暴徒と化す」

 

「無敵黄金コンビ敗る 日大講堂の8500人、暴徒と化す」(1962年2月3日付け東スポ)

こんな見出しの記事が出ているスポーツ紙をトークショーの当日に私はターザン山本と観客の前に提示した。昭和37年2月3日に日大講堂で行われたアジアタッグ選手権試合で力道山・豊登組がリッキーワルドー・ルターレンジの黒人2人組に敗れ、タイトルを失った「事件」の記録だった。

「決勝ラウンドは『リキドーなにしてる、やっちまえ』という叫び声の中で豊登がレンジの後ろ脳天逆落としで叩きつけられフォール負け。無敵の力道山・豊登組が敗れた。一瞬……茫然となった8500人の大観衆は、意気ようようと引き揚げるワルドー、レンジに”暴徒”となって襲いかかった。『リキとトヨの仇討ちだ』『やっちまえ』『黒を生かしてかえすな』とミカン、紙コップを投げつけ、イスをぶつける。怒り狂ったレンジとワルドーが観客席へなだれこみ、あとは阿鼻叫喚……イスがメチャメチャに飛び交い、新聞紙に火がつけられてあっちこっちで燃え上がる。『お客さんっ、お願いしますっ、必ずベルトはとりかえします。お静まりくださいっ』力道山がリング上からマイクで絶叫する」

記事の文面から察するとかなりの反米感情が当時の大衆にはあったように思われるが、そう簡単に割り切れる状況ではなかった。

昭和37年と言えば、マリリンモンローが死んだ年であり、後に『マリリンモンロー、ノーリターン』と歌った作家がいたように、大半の大人たち(男性)はアメリカの美のシンボルの死に打ちのめされていた。われわれ当時の男子中学生がその死を超えることが出来たのは、既に吉永小百合が存在していたからである。

一方、女子中学生たちはやはり同年公開された『ブルーハワイ』のテーマ曲を歌うエルヴィスの甘い美声に酔いしれていた。アイゼンハワー米大統領(当時)の来日を阻止した全学連の闘いが、全人民の共感を呼んだのは2年前のことだったが、所謂60年安保闘争の標的は岸信介であってアメリカ政府ではなかった。二律背反という言葉が脳裏をよぎる。

当時の日本の大衆心理を簡単に定義すれば、政治的には反米、文化的には親米ということになるだろうか。もちろん双方にマイナーな反対派はいた。

昭和のプロレスは力道山時代に限って言えば、アメリカの下層大衆の娯楽であるプロレスを日本に持ち込んだので、文化の領域に属するわけだが、第2次世界大戦の軍事的敗北を根に持っている大衆が昭和30年代まではまだまだ多かったのだろう。軍事は政治の延長という説に基けば、その種の怨恨も政治意識とは言えないこともない。故に文化的であって政治的な変態性ジャンルとしてのプロレスが成立し成功したのだろう。

プロレスとは正反対の健全な娯楽性を維持していたプロ野球の世界でも、シーズンオフに米大リーグからチームを招いて日本選手の代表チームとの「日米親善」と銘打った試合が行われたことはある。プロレスの場合、日米対決は定番だったが、しかし「日米親善」という雰囲気が会場を包んだことはなかった。

前述した暴動が起こったアジア・タッグ選手権試合の現場写真を見ると、まるで数年後にブレイクした学生運動の乱闘場面かと思わせる迫力が感じられる。(場所が日大講堂だっただけに……)

その写真はプロレスが秩序を否定する文化、即ちカウンターカルチャー(反抗的文化)であることをはっきり示していると思われる。

それにしても、力道山・豊登組を破ったリッキーワルドー・ルターレンジの2人が黒人だったからと言って……「黒を生かして生かしてかえすな」はないだろう。

カウンターカルチャーにだって品格というものがあるんじゃないかね。刺される直前に「ニグロ、ゴーホーム」と叫んだ力道山と同様に、こういう発言を口にする者には相応の裁判が待っていると考えるべきなのかもしれない。

◆ミスター・アトミック(原子力)はプロレス界の悪役だった!
 

 

ミスター・アトミック(原子力)

プロ野球とプロレスの大きな違いに悪役の存在がある。と言うか悪役が存在するプロスポーツなんてプロレス以外にはないことは明らかなのだが、実は『昭和のプロレス大放談』の最中に、私はある1人の悪役レスラーのことを思い出していた。

その名をミスター”アトミック”という。私の知る限り、来日した最古の覆面レスラーである。まだ原発など大衆の視野にはなかった時代だから、最初から力道山の好敵手として悪役を演じた彼が日本では”アトミック”と名乗ったのは、やはり日本人にとって忌まわしい思い出となっている原爆をイメージさせようとしたからだろう。

昭和のプロレスは他のプロスポーツよりはるかに多量のエネルギーを、同時代人に与えてくれた。そのエネルギーは悪役の存在があったからこそ放出された。

今思えば悪役の1人だったミスター”アトミック”は、原子力が悪のエネルギーであることを正直に表明していたとも言える。今さら「原子力はクリーンなエネルギーである」と開き直る奴らに、彼の試合のビデオがあったら見せてやりたいものである。

ミスター”アトミック(原子力)”は決して、一度たりともクリーンなファイトをしなかった。(完)

◎今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木氏を偲び、本日12月23日(金)午後5時30分(午後5時開場)より新宿伊勢丹会館6F(地中海料理&ワインShowレストラン「ガルロチ」)にて「昭和のプロレス大放談 PART2 アントニオ猪木がいた時代」が緊急開催されます。板坂剛さんと『週刊プロレス』元編集長のターザン山本さん、そして『ガキ帝国』『パッチギ!』などで有名な井筒和幸監督による鼎談です。詳細お問い合わせは、電話03-6274-8750(ガルロチ)まで

会場に展示された資料の前に立つ筆者

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家/舞踊家。1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と一九七〇年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

2023年4月執行の統一地方選挙・広島県議会議員選挙安佐南区選挙区(定数5)において筆者は立候補を予定しています。12月14日付で筆者に対してれいわ新選組から推薦をいただきました。

 

中筋駅前で演説する筆者

「核禁条約が発効した今こそ、暮らしに冷たく、利権や旧統一協会にまみれた広島県政を、平和都市にふさわしいあなたにやさしい広島県政にリニューアルしたい。防災や医療・福祉、教育など公務員を増やす。ケア労働者や非正規公務員は、給料大幅アップはじめ待遇の抜本改善を早急に行う。県内でお金を回し、人口流出を止める。緩すぎる産廃規制を強化し、水や食べ物を守る。給食無料化含む食料安全保障、教育費負担の軽減、子ども医療費補助の拡充、国保料など引き下げ、ご家族を介護・ケアする方の応援、住まいの権利保障に全力を挙げる。」

以上が、筆者がれいわ新選組の推薦をいただくにあたっての決意表明要約です。

◆案里さんの地元で捲土重来

安佐南区は「あの」河井案里さんの地元です。筆者は、2011年1月、広島県庁を退職。県知事選挙2009後に変質が目立った河井案里さんと対決するために安佐南区で立候補し4278票をいただきましたが及びませんでした。

あれから12年。案里さんは、ご承知の通り、参院選広島2019での買収事件を引き起こして逮捕・有罪確定・当選無効となりました。その案里さんの当選無効に伴う参院選広島再選挙2021に筆者も立候補。6人中3位の20848票をいただきました。

しかし、案里さん失脚後、広島県内の政治・行政も日本の政治も、全く改善されていません。もう一度、筆者は、この案里さんの地元でもある安佐南区で捲土重来、腐りきった広島県政をひとりひとりにやさしい県政にリニューアルすべく、力を尽くします。それとともに、総理の地元の広島から暴走する総理に向けてガツンと声を上げて参ります。

◆新自由主義で暴走する県知事とチェック機能無き議会

広島県では、2021年11月に四選を果たした県知事の湯崎英彦さんの新自由主義方向での暴走が加速しています。

2022年11月には、突然、住民を置き去りにした全国でも例を見ない病院統廃合を発表しました。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44909

また、湯崎さんは2023年3月末で、広島県内の貴重な種を保存していた「広島ジーンバンク」を廃止します。一方的な説明会を開いただけで、県民の合意形成を図ることもせずに強行しようとしています。

そして湯崎さんの腹心の平川理恵・県教育長は12月6日に外部の専門家による調査で官製談合防止法違反、地方自治法違反が明らかになったにも関わらず居座っています。さらに、出入りの業者を自宅に宿泊させていたことも明らかになりましたが、12月17日現在、辞任の気配すらありません。

また、広島県全体で公立学校の非正規の先生が1000人以上おられます。裏を返せば正規の先生が不足し、授業にも支障が出ている学校も多い状態です。こんな状況を、「予算がない」と放置する一方で、現場に負担を強いる「改革」に暴走しているのが平川教育長であり、バックの知事の湯崎さんの実像です。

こうした、湯崎さん、平川さんを甘やかしてきたのが県議会であり、自民、公明は言うに及ばず、立憲、国民も知事与党としてほとんど監視機能をはたして来ませんでした。

筆者はこうした県議会に緊張感をもたらしたいと思います。

◆噴出する過去の新自由主義の「負の遺産」

広島県は実は、大阪顔負けの新自由主義政策を取ってきました。例えば広島県内の市町村合併は86あった市町村を23に減らすものでした。そして、県職員は「合併後の市町に権限を委譲するから」と削減し、市町の職員も「合併するから」とダブルで公務員を大きく減らしました。また、保健所は21から7に激減。全国平均の半減と比べてもひどい。

しかし、大阪維新の会のようには、広島県政の新自由主義は知られていません。これは、大阪府の橋下徹知事(当時)が派手なパフォーマンスで喧嘩を売ったのに対して、広島県の前知事の藤田雄山さん(故人)、現知事の湯崎英彦さんは、「こそこそ決めてこそこそ実行する」傾向があったために、県民に気づかれにくかったというのはあるでしょう。だが、さすがに長年のつけはいま、噴出しています。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44493

上記で紹介した教員不足のほかに、行政職員不足で、広島土砂災害2014、さらには西日本大水害2018からの復旧・復興や、コロナ対応にも支障がでています。

また、公務員を減らしすぎたことが、広島県内でも特に周辺部、特に吸収合併された旧市町村地域の衰退に明らかに拍車をかけています。そのことも人口流出は広島がワーストワンであることの背景にあるとみられます。

◆アップデート遅れる県政 暮らしや環境を守れぬ

また、全国的には子どもの医療費補助を18歳までやる都道府県も多いのですが、広島県はいまだに就学前までです。国保への補助も拒んでいます。経済格差が広がる中で、それに対応しなければいけないのですが、広島県は後れを取っています。

さらに、産業廃棄物対策でも広島県は後れをとっています。他の都道府県では水道水源条例などを制定し、産業廃棄物処分場が簡単にできないようにルールをつくっています。しかし、広島県にはそういう条例はありません。書類さえ整っていれば許可。こんなことだから、安佐南区の上安の産廃処分場では一時期汚染水が流出する問題が起きました。さらにその同じ事業者が三原市の水源地のど真ん中に産業廃棄物処分場を計画。県もこれを許可してしまいました。

◆現役県庁職員時代から地域衰退やケア労働者の低すぎる給料に憤り

筆者は、現役の県庁職員時代、特に山間部や島嶼部の介護や医療、福祉などの行政を担当させていただいていました。その中で、地方交付税カットを含む当時の小泉純一郎政権による新自由主義で地方が衰えていく様子に憤りをおぼえました。

また、介護事業所の指導をさせていただく中で、あまりにも低すぎる現場労働者の皆様の給料に「こんなことでいいのか?」と憤るとともに、「日本は大丈夫なのか?」と日本の将来を心配しました。20年近くたったいま、筆者の懸念は現実のものになっています。

いまや、広島の介護現場から外国人労働者も東京へ流出しています。そして、介護現場労働者の高齢化が深刻になっています。筆者は、現在では労働組合(広島自治労連)執行委員としてケア労働者の待遇改善にも力を入れています。(関連記事 https://www.rokusaisha.com/wp/?p=44761

◆故・安倍さん以上の新自由主義・軍拡・原発推進で暴走する総理に地元から「ガツン!」

また、岸田総理は新自由主義脱却と当初はいいながら、経済政策面では故安倍晋三さん以上に新自由主義的です。

現役の介護福祉士であるわたくし・さとうも期待していたケア労働者の待遇改善も3%といわば、物価上昇の前では焼け石に水です。さらに、国費投入も打ち切られて現在は保険料負担・利用者負担になっています。

そして、岸田総理は安倍晋三さんでさえやらなかった武器倍増、原発を推進など暴走が止まらない状況です。

こうした中で、新自由主義に原則的に反対する政治家が、総理の地元広島で増えて、ガツンと総理にモノ申せば、総理の判断にも少なからず総理の暴走を減速する方向で影響を与えるでしょう。

◆これまでの筆者の活動内容に最も近い政策のれいわに推薦依頼

筆者は、現存する政党・政治勢力の中ではれいわ新選組が新自由主義への対抗軸を最も徹底しておられると評価しています。このことから、筆者は同党を衆院選2021,参院選2022で全面支援させていただきました。こうした経過もあり、広島県議選2023において同党の推薦をお願いし、このほど承認いただいたものです。

わたし自身の政策・政治姿勢などについては、何ら変更はありません。最もスタンスが近いところに推薦をお願いしたものです。

例えば、わたし自身、特に労働組合役員としてケア労働者の待遇改善と人員体制の改善、教員含む非正規公務労働者の正規化・待遇改善を最優先とした必要な公務員増に注力してまいりました。

東京のような巨大都市ならいざしらず、広島の場合、公務員を増やしたりケア労働者の待遇を改善したりすることが、県内の経済底上げ、そして若者の地元定着、人口流出阻止にもつながります。今後、労働組合役員としてだけでなく、県議会内でも全力で取り組んでまいりますとともに、国政レベルで意識を共有するれいわを中心とする国会議員と連携してまいります。

なお、筆者は、労働組合全般を否定するものではなく、あくまで「労働者の票を食い逃げして裏切る」ような「労働貴族」を批判してきました。

◆「カバン」が最も不安材料! 遠方の方はご来援よりカンパを!

 

リアル、zoom両方での支持者を前にあいさつする筆者。昔は一人でいろいろなことを仕切っていた

さて、選挙において、どうしても必要とされるのは「地盤、看板、カバン」とされます。

過去に筆者が挑んだ選挙の時と比べると、皆様のご協力のおかげ様で、明らかに地盤=支援組織、看板=知名度の面では充実しています。改めて深く感謝を申し上げます。

しかし、問題はカバン=お金です。

もちろん、筆者は「お金がなくても堂々と参加できる政治」を掲げています。そうでなければ、格差はますます拡大してしまうからです。

とはいえ、現実問題、最低限のお金がかかるのも事実です。例えば、政治活動用ポスターにしても屋外用のものは1800円/枚かかり、筆者にとっては相当な負担です。れいわ新選組の推薦をいただきましたが「推薦」では資金面の支援は現時点では頂けない状況です。

特に遠方の皆様方におかれましては、ご来援も大変うれしく存じますが、それよりましてうれしいのがやはり交通費分、カンパしていただくことです。

◎カンパ先
郵便振替口座 01330-0-49219 さとうしゅういちネット
広島銀行本店(店番001) 普通 口座番号3783741 さとうしゅういちネット

ただし、ご寄付頂けるのは日本国籍の方、そして一人年間150万円以下に制限されます。また、
・年間5万円を超えてご寄付頂いた方
・筆者への寄附による所得税の控除を受けられたい方

については、法の定めるところにより、政治資金収支報告書等で筆者からご住所・ご氏名・ご職業を広島県選挙管理委員会に報告させていただきます。何卒ご了承ください。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

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