◆どんな歌より若者の歌になった“インターナショナル”

私たちの「日本人村」では日本からの訪朝団をよく迎える。「村」の食堂や市内のレストランで歓迎宴、送別宴をやるが、当時の同世代が来るとき最後に締める歌が“インターナショナル”、これをあの頃のように皆で肩を組んで歌って「ああ~インタナショナ~ル 我~らがもの~」と終わって独特の拍子をつけた拍手で締める、あの頃のように。そうやって歌うと今も気持ちが高揚する。“インター”は我らが世代の歌なのだ。

集会やデモではインター、ワルシャワ労働歌、国際学連の歌、この三つが定番だった。

東大安田講堂死守戦の時、冬空の寒風下で機動隊の催涙弾と放水を浴びながら「砦の上に 我らが世界 築き固めよ 勇ましく」のワルシャワ労働歌の一節そのままに「砦の上に~」が実感を以て胸に迫ってきたものだ。

ロック一筋の私だったが、あの頃はもうボブ・ディランもジミ・ヘンドリックスやピンクフロイドも頭から消えていた。“インターナショナル”がどんな歌よりも若者の歌になった季節だった。いまの若い人には想像もできないことだろうと思うが……


◎[参考動画]「インターナショナル」


◎[参考動画]ワルシャワ労働歌(日本語版)


◎[参考動画]【ロシア語】国際学連の歌 (日本語字幕)

◆初めてのデモで心が震えた

ラリーズを去った後、私は集会やデモに参加するようになった。

初めてのデモはちょっと勇気が必要だった。

デモ前にやる同志社明徳館前集会でのアジテーションを遠巻きにする形で聞き入って、集会後のデモに移るとき「ノンポリ学生」が「遠巻き群衆」からデモ隊列に入るのには気恥ずかしさ、躊躇があった。でも思い切ってデモ隊列に飛び込んだ。渡された赤ヘルメットを被りタオルで覆面すれば「デモ隊一員」になった、それはとても不思議な感覚だった。

今出川通りから河原町交差点に差し掛かって京大からの隊列が合流、デモ隊はふくれあがり、突然、河原町通りを埋め尽くすフランス・デモに移った、立命付近で元のデモ隊列に戻るとき、突然、デモ指揮者は向かいの京都府立医大に逃げ込んだ。道路いっぱいに広がるフランス・デモは違法デモ、逮捕されるからだと後で知った。

同志社明徳館前での学長団交(大学当局との団体交渉)(1971年)

規制に入った機動隊員は想像以上に暴力的だった。足を蹴る、横腹をこづく……女子学生を隊列の中に入れる理由がわかった、端っこの列は暴力を甘受する覚悟が要るのだということ、反抗すれば威力業務妨害で逮捕されることも。「国家権力」への怒りを身体が感じた。

腕組み皆で声を合わせ叫ぶシュプレッヒコール、「アンポ~ フンサイ」! これを何度も唱和するにつれ芽生える仲間感、一体感、そういうものがあることを初めて知った。「ならあっちに行ってやる」以来の私が初めて実感する「仲間」、「連帯」、「団結」に心も身体も熱くなるという感覚、そんな感情が私にあったことが不思議に思えたが、素直に私は嬉しかった。

初めてのデモで私は多くのことを学んだ。ようやく「おかしいと思う現実は変えるべき」「そのためには行動すべき」、社会革命に一歩、足を踏み入れたことを実感した。

初めて角材、ゲバ棒を持ったのは社学同が組織した6・28ASPAC(アジア太平洋閣僚会議)粉砕・御堂筋闘争だった。

この日、社学同拠点校の同志社から8台のバスを連ね約800名もの同志社大生が大阪市大に結集、拍手で迎えられ市大、関大など大阪の学生と合流、そこから大挙して地下鉄で御堂筋に出て広い大通りをゲバ棒と赤ヘルが埋めた。それは壮観だった。

先頭が交番を襲撃、ガラスを砕いた、突然、ワオーッと機動隊が襲いかかってきた。私はてっきり「これからぶつかるのだ」とゲバ棒を身構えた、が、なんと先頭が崩れみんなは逃げ出した、中にはゲバ棒を捨てるものもいる。これにはちょっとがっかりだったが、闘争は深夜まで裏通りでの市街戦になって、投石戦など機動隊との小競り合いが続き、旗を燃やしたり私たちは気炎を上げた。けっこう見物の市民も参戦したりで私は「大衆暴動」というようなものを体感した。けっして学生だけの孤立した闘いじゃないということも。

「ASPAC阻止御堂筋デモに寛刑」(1971年10月8日付け読売新聞夕刊)

東大だけでなく「学生運動不毛の地」と言われていた日大でも全共闘が結成され、党派によらない新しい学生運動が生まれていた。パリではフランス5月革命が燃え盛っていた。

1968年の私は熱い政治の季節の闘いに自分が参加していることを実感できた。

8月に京都でべ平連主催のベトナム反戦国際会議があって、会議後の反戦デモが四条通りの祇園付近に来たとき何ものかが投げた硝酸瓶が私のヘルメットに当たって私の右頬と鼻先が硝酸で焼け、皮膚を焼く異臭と鋭い痛みがあった。付近にいたある学生は背中が焼けただれる重傷を負って病院に運ばれたと後で聞いた。ひりひりする痛みがあったけれど私はデモを続行した。初めてのデモ隊への右翼テロ、初めての負傷を経験した。

その後も秋に伊丹の軍事空港化阻止現地闘争、大阪での大規模な10・21国際反戦デー闘争、また東大闘争支援のため11・22-23安田講堂前全国学生総決起集会に参加、そして翌年1・18-19安田講堂死守戦参加に至る。これは後に触れる。

◆人生に 無駄な ものなど なにひとつない

17歳の無謀な決心「ならあっちに行ってやる」に始まり、二十歳の「跳んでみたいな共同行動」から「裸のラリーズ」結成へ、そして21歳の私がたどり着いたのは社会革命、学生運動。

それはロックと長髪による自分自身の革命、自分を知るための革命を経て「山﨑博昭の死-ジュッパチの衝撃」から社会革命へと連続する私の革命遍歴。それはまるでLike A-Rolling Stone、転がる石ころのような青春遍歴、ある意味「あっちに転がりこっちにぶつかり」の勢い任せ、暗中模索の人生、その当時は自分でもなぜこうなるのかよくわからなかった。

でもボブ・ディラン初恋の人スーズの言う「年齢を経て若い頃の感情や意味、その内容を穏やかに振り返ることができる」年齢になったいま、それは一本の赤い糸でつながるものがあったことがわかる。それは敗戦という急激な変化渦中の日本に生まれた戦後世代特有の体験に基づくものだと、そう思えるようになった

 

『一九七〇年 端境期の時代』(鹿砦社)

私たち「よど号グループ」はここ十年ほどの間に必要に迫られて様々な形で手記を書いてきた。動機は自分たちにかけられた「北朝鮮の工作員」「拉致」疑惑を解く必要性があったからだ。それは自分自身を知る過程でもあった。『拉致疑惑と帰国』(河出書房新社)、『追想にあらず』(講談社エディトリアル)、『一九七〇年-端境期の時代』(鹿砦社)がそれだ。これら手記を書く過程で、これまで記憶の引き出しにしまって置いた個々バラバラの様々な事象、「若い頃の感情や意味、その内容」が自分の人生の中で必然の糸でつながっている、そう思えるようになった。この連載手記、「京都の青春記」もそのようなもの。様々な出来事、出会いがあって今日の私がある、だから残りの人生を自分はどう生きるべきか? それを自己確認する作業でもある。

鹿砦社「今月の言葉」に「人生に 無駄な ものなど なにひとつない」と書に記した龍一郎さんの言葉にはうなづけるものがある。

生まれてこの方、順風満帆の人生だったという人はほぼいないだろう。人生には逸脱も曲折も失敗もある、けれどそれらに「無駄なものなど何ひとつない」、それらがあって現在の自分があるのだから。「失敗は成功の元」-むしろ曲折や失敗は自分の問題点がわかり教訓を得る絶好のチャンスだとさえ言える。もしもそれらが無駄なものと思えるようなら、それは何の更生力もないまま今も漫然と人生を無駄に過ごしていると自ら認めることではないだろうか? でも人間とはそんなもんじゃないと私は信じたい。

龍一郎さんの書「人生に 無駄な ものなど なにひとつない」

◆「人の目を欺いてはいけない」! 戦後日本は「おかしい」から革命すべき対象へ

森羅万象の生起、変化には必ず原因があり、人間の考えや行動、その生起、変化発展には動機、契機、理由が必ずある。

「時空を越える“黒”」で有名なファッション・デザイナー山本耀司、彼の“黒”へのこだわりの原点は、彼の5歳の頃の強烈な体験にあったという。

山本耀司の父親は戦争中、出征途上の輸送船が米軍に撃沈されて戦場に着く前に「戦死」、遺骨も遺品も残らなかった。敗戦後、「元司令官」が「父の戦死」を彼の母親に伝えに来たという。この時、「ケッ!」と5歳の耀司は心の中でツバを吐いた。この時から大人への強烈な怒り、不信感が芽生えたという。戦後、洋裁店経営で家計を支える母を手伝う中、山本耀司はファッション・デザイナーを志した。戦後の日本には欧米から華やかなファッションが流入してきた。そんな時代にデザイナーを志した自分の心構えを彼はこう語った。

「飾り立てるのがファッションかもしれないが、人の目を欺いてはいけない」

軍国主義日本から民主主義日本へと華やかな「転換」を遂げた戦後日本、でも「人の目を欺いてはいけない」-これが“黒”へのこだわり、「時空を越える“黒”」ファッション、山本耀司の立ち位置なのだろう。


◎[参考動画]YOHJI YAMAMOTO pour homme S/S2023

私には山本耀司のような強烈な体験はないが、「人の目を欺いてはいけない」という彼の言葉は、同じ戦後世代としてストンと胸に落ちる。

日本の敗戦から2年、1947年2月生まれの私は、米軍占領下で軍国主義日本から民主主義日本に急転換する混沌とした時期に生まれ少年期を過ごした世代だ。大人たちの頭も時勢の急激な変化についていけなかった時代だった。

私が物心のついた頃、いまも鮮明な記憶に残っている出来事があった。たしか小学5年の頃だ。

授業の合間にある教師が自分の軍隊体験を語り出した。それは中国人捕虜を使って刺殺訓練をやった話だった。

「いいか、刺した銃剣を抜くときはくるっと回転させて抜くんだ」とその教師は「銃剣刺殺要領」を私たち小学生に何の悪気もなく語った。

子供心にも何か違和感を覚えた。でも小学5年生にそれが何かはわかるはずもなかった。いまも鮮明に覚えているということはかなり「衝撃的な体験」だったのだろう。

その教師はといえば、自主的に壁新聞を作るように生徒たちを指導した「戦後民主主義教育のリーダー」的存在だった人だ。私もクラスの壁新聞に家で購読していた毎日小学生新聞を参考にソ連のライカ犬搭載の人工衛星、ガガーリン少佐の有人衛星の世界初成功などの記事を書いた。生徒任せの壁新聞作りは自由でとても面白かった。私にとって「いい先生」だった教師だけに、あの日の授業中に覚えた違和感はいつまでも心に残る衝撃的な体験だったのだと思う。

教師にしてみれば、当時の中国人捕虜は「反日分子=犯罪者」であり、「刺殺」対象として何の呵責も感じない「日本の敵」、刺殺は日本軍兵士として当然の行為だったのだろう。だから生徒たちにも悪びれもせず話せたのだと思う。

中学の社会科で日本史を教えた教師はただただ黒板に年表を書き連ねるだけ、そんな授業をやった。いま思えば、おそらく皇国史観から戦後民主主義史観への激変についていけなかったのだろう、あるいはそれへの「抵抗運動」? おかげで日本史は私のつまらない、嫌いな科目になった。 

大人達の頭の中でも軍国主義の脱却も民主主義の消化も不十分なまま両者が何の矛盾もなく混在していた。

私の父は実直な勤王家で軍服姿の昭和天皇夫妻の写真が戦後も客間に飾ってあったし、戦後すぐの昭和天皇の全国行幸時も「お召し列車」が通過するというので幼い私を連れて線路脇で最敬礼をした。明治生まれの父は戦争末期に徴兵検査を受け丙種不合格、それで徴用工としてコンデンサー工場に動員されあの戦争を生き延びた。戦場から帰れなかった同世代へのひけめ、罪悪感のようなものがあったのだろう。父は息子に何も語らなかった。

一方、母は私に「日本はアメリカに負けてよかったんだよ」と話した。母の兄、醤油醸造業の実家の跡取り息子はビルマ(現在のミュンマー)で戦死、結果として母は自分の長女、私の姉を「将来、婿養子をとって家業を継ぐ」養女として母の実家に差し出さざるをえなかった。そんな母の二重の悲しみがそんな言葉を吐き出させたのだろう。

一家庭の中にも軍国主義日本と民主主義日本が混在、併存する、これが戦後日本のおかしな実相だった。

私自身も記録映画に出てくる特攻隊出撃シーンに「海ゆかば」のメロディが流れると感動で涙がにじんだ。他方で私は姉の聴いていたアメリカン・ポップスの世界に惹かれていた。戦後世代の私の頭の中も混沌としていた。

60年代に入ると世は高度経済成長時代、東京オリンピックで高速道路や新幹線ができ、次は大阪万博へ、テレビ+洗濯機+冷蔵庫の「三種の神器」が家庭の夢となり、一戸建てマイホームを持つことがサラリーマンの夢になった。昼間の日本は「アメリカに追いつき追い越せ」に浮かれていた。

小学校のすぐ横に「忠魂碑」という出征兵士を祀る石塔を囲む小さな森があった。でもそこはアベックが変なことをやるところだから子供は近寄ってはいけないと言われた。「忠魂碑+男女アベック=近寄ってはいけない忠魂碑」-みんな敗戦など忘れてしまったかのような「明るい日本」の象徴??

高校生の頃、ケネディ暗殺があってその暗殺犯がまた警察署内でピストル射殺されて大統領暗殺事件は闇の中に。米国南部の黒人は白人専用の食堂やバスは利用できず、その掟を破れば暴力を受けたたき出されていた。黒人公民権運動の活動家が南部で殺される事件もあった。

少年期に憧れたアメリカは「追いつき追い越す」ほどのものじゃなくなった。

羨ましかったアメリカ中産階級のホームドラマや甘いアメリカンポップ音楽は色あせて、英国の港町リヴァプール労働者階級の息子たちの不良っぽいロックバンド、ビートルズへと私の関心は移った。

ベトナム戦争の激化は「戦後日本はおかしい」をさらに深く考えさせるものだった。憲法9条平和国家の日本は戦争をしない国になったと学校で教わった、でも在日米軍基地はこの戦争の基地になっている、日本は戦争加担国家になった、日米安保のために……。

「ならあっちに行ってやる」と進学校、受験勉強からドロップアウトを決めた17歳の無謀な決心、それは昼間の日本への違和感、「戦後日本はどこかおかしい」── 私の無意識の意識の爆発だったのだろうと思う。

そして「ジュッパチの衝撃」で「戦後日本」は革命すべき対象になった、漠然とだがそう私に意識されたのは確かだ。

◆“True Colors”── あなたの色はきっと輝く

熱い政治の季節の渦中に飛び込んだ私ではあるが、1968年の私はまだ五里霧中にあった。

集会やデモもいつも個人参加、まだ政治を知らず組織に属さない人間が政治活動を続けるのはやはり不自然なことだった。政治を議論する仲間、政治活動を教え、次の集会やデモの意義を教えてくれる組織を持たない人間は「野次馬」以上にはなれない。『朝日ジャーナル』や『現代の眼』といった政治雑誌を読むくらいの私はそんなものだった。

4回生にもなった学生は活動家の政治オルグの対象にならない、ましてやヒッピー風の長髪人間は対象外だろう。かといって自分で訪ねていくことも気が引けた、社学同に入る理由も話せない、まだ「敷居は高い」まま。

ある時、前日のデモで使用したヘルメットを返しに学友会・自治会室を訪ねたことがある。活動家たちはあっけにとられたことだろう。ぽかんとした顔を向けただけ、ヘルメットを返しに自治会室を訪ねる学生なんてやはり「変な奴」なのだ。たぶん私は「声をかけられる」ことを内心、期待したのかもしれない。

当時の私は中途半端な位置にいる自分に焦れていた。一言でいって志と孤独の間を揺れていた。どうしようもない非力さを痛感する日々、依拠すべき同志も組織もないというのは致命的だった。

そんな苦闘中のある日、バイト帰りの河原町正面・市電停留所で「あら~Bちゃん! 久しぶり~」と声をかけられた。見ると以前、私の常連バイト先で事務員をやっていた菫(すみれ)ちゃん(仮名)だった。

「Bちゃん」というのは「ビートルズ」を略した愛称、バイト職場で職人のおっちゃんたちが親愛を込めて呼んだ私のニックネーム、菫ちゃんは昼食時間にバイトの私にもお茶を煎れてくれたりしてた、たった一輪の「職場の花」だった子。一緒に市電に乗ってお互いの近況を話した。一年ほど前に職場を辞めた菫ちゃん、いまは木屋町にある喫茶店で働いているのだとかで「一度来てみて~」と私に言った。

それからはデモ帰りなどに彼女の喫茶店に立ち寄るようになった。デモが終われば所属組織毎に集まって総括したり集団で帰路に就いたりしたが、私には行くところがなかった。そんな孤独を抱える私には恰好の「帰る所」になった彼女の喫茶店、顔馴染みがいるというだけで癒された。

仕事中のウェートレス、菫ちゃんとはそれほど話はできなかったが、ある時、彼女が演劇をやっていることを知った。

京都のある劇団に所属し、いまは若手研究生の菫ちゃんは演劇女優をめざす「俳優の卵」。劇団に通う時間を得るために喫茶店のバイトに切り替え事務員定職を捨てた菫ちゃん、いまは厳しいけど絶対、舞台女優になるんだと楽しそうに意気込みを語ってくれた。地味な事務員服姿からはうかがい知れなかった彼女のアナザーサイド、「へ~え、そうなんや」! ちょっとした驚き、彼女がまぶしく見えた。

菫ちゃんにそんな大きな夢があったんや! なんか感動した。

年末には大きな演劇イベントがあってその舞台でいい役に抜擢されることがいまの彼女の目標らしかった。彼女は「俳優の卵」、なら私はさしずめ「革命家の卵」、なにか急に二人の距離感がぐっと縮まった。まだ何ものでもない「卵」たち、けれど懸命に孵化をめざす「卵」同士、お互い頑張ろうね! そんな感じの二つの魂の接近。

「Bちゃんはアホやなあ」! 

これは菫ちゃんのお言葉。

4回生にもなって就職活動もしない長髪大学生、組織にも属さないのにデモや集会に参加するという私を菫ちゃんは、「Bちゃんはアホやなあ」と言った。同志社大卒男子なら就職先は選り取りみどり、高卒女子の彼女からすれば羨ましい身分、でもそれに背を向けて自分がどうなるかもわからない政治活動をやってる私は「ほんまアホやなあ」ということ。

でもそれは菫ちゃん式の誉め言葉。

長髪人間の私だが、遊び人だとかいい加減な大学生でないことは職場での私の働きぶりで彼女は知っている。彼女もいた私のバイト先は矢野洋行、「貸し物屋」という京都特有のイベント業者、京都三大祭り行事準備や和装展示会、生け花展示会ほか様々なイベント用資材を貸し出し設営もする仕事、私は古都独特のそんな仕事が好きだった。だから学生バイトとはいえ仕事は真面目にやって一応精通した。だから社長の父親、会長の爺ちゃんからは「いつでも来てエエで」と重宝がられ、会社は準社員並みに扱ってくれた。職場での「Bちゃん」の愛称はその賜物、会長も私をそう呼んだ、そのことを菫ちゃんは知っている。

そして「俳優の卵」苦闘中の彼女は夢や志に向かう青春がなめる苦も味わう楽も知っている菫ちゃん。

“TRUE COLORS”というシンディ・ローパーのヒット曲がある。

 悲しそうな目ね

 弱気にならないでほしいの

 難しいよね

 自分らしく生きるって

 …………

 true colors /あなたの本当の色は

 are beautiful /美しい

 like a rainbow / 虹のよう

まるで菫ちゃんが歌ってくれてるような言葉の並ぶ“TRUE COLORS”!

彼女の「アホやなあ」、それは「あなたの本当の色は美しい」-“that’s why I love you”「私の大好きな色」という有り難いお言葉。

もしおかしくなって 耐えられなかったら 私を呼んで すぐ行くから

おかしくなりそうなとき、“you call me up”-いつでも“私を呼んで”、Bちゃんがいつでも訪ねられる人、”because you know I’ll be there”-“すぐ行くから”と私に安心、自信をくれる菫ちゃん。

「アホやなあ」と言いながら、いつしかデモで破れたジーンズを繕ってくれたりするようになった。私は菫ちゃんが次の大舞台でいい役がとれますようにと祈った。

「革命家の卵」と「俳優の卵」、まだ何ものでもない孵化を競い合う「卵」同士、その大きな夢と志はこの先どうなるのかはわからない。でもかまわない、とにかく前に進もう!

「あなたの色はきっと輝く」、そのことを互いに信じて……(つづく)


◎[参考動画]Cyndi Lauper – True Colors (from Live…At Last)

《若林盛亮》ロックと革命 in 京都 1964-1970
〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命
〈02〉「しあんくれ~る」-ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な出会い
〈03〉仁奈(にな)詩手帖 ─「跳んでみたいな」共同行動
〈04〉10・8羽田闘争「山﨑博昭の死」の衝撃
〈05〉裸のラリーズ、それは「ジュッパチの衝撃」の化学融合
〈06〉裸のラリーズ ”yodo-go-a-go-go”── 愛することと信じることは……
〈07〉“インターナショナル“+”True Colors”= あなたの色はきっと輝く

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

岩浪悠弥が志賀将大を倒してフライ級、スーパーバンタム級に次ぐ三階級目を制覇。
IBFムエタイ世界王座奪還目指す波賀宙也は、不運なダメージで判定負け。
前田浩喜があっけなく倒される誤算。勝者・鎌田政興はNKBの存在感を示した。
東京町田金子ジムが閉鎖で金子修会長に功労顕彰の表彰。昭和から続いた名門がまた一つ消える。

◎NJKF 2023 2nd / 4月16日(日)後楽園ホール17:30~20:15
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / NJKF、WBCムエタイ日本協会

※試合レポートは岩上哲明記者

◆第8試合 第8代WBCムエタイ日本バンタム級王座決定戦 5回戦

志賀将大(エス/53.35kg/1993.2.20福島県出身)19戦14勝(4KO)4敗1分
         VS
岩浪悠弥(橋本/ 53.5kg/1998.1.6東京都出身)34戦22勝(4KO)10敗2分
勝者:岩浪悠弥(王座獲得) / KO 2R 2:59
主審:竹村光一 / チェアマン:中山宏美

(志賀将大はNJKFバンタム級とWKBA日本バンタム級チャンピオン)
(岩浪悠弥は元・WBCムエタイ日本フライ級とスーパーバンタム級二階級制覇)

前日計量で志賀将大選手から「2月のタイトルマッチ(WKBA日本)は相手がノラリクラリ躱(かわ)したこともあり不完全燃焼だった。今回は下馬評では橋本選手と言われているようですが団体の対抗戦ということもありスッキリ勝ちたい。」とコメント。

一方の岩浪悠弥選手は「三階級制覇が懸っており気合いが入っています。団体(JKイノベーション)の代表選手ということもあり、勝ちに拘ります。」とコメント。

初回は両者ともローキック中心の牽制で探り合いの展開。

第2ラウンド、志賀将大は前に出ながら蹴りから首相撲を仕掛ける。岩波悠弥も応戦し互角の展開で進んだところ、岩波悠弥の左ハイキックが志賀の顎にヒットし、志賀は動きが止まってしまう。そのダメージから回復させないように岩波はパンチ連打し、右フックでノックダウンを奪う。

勝負の運命を分けた岩浪悠弥の左ハイキックが志賀将大の顎にヒット

志賀は立ち上がるも、岩波のパンチ連打にロープ際に追い込まれ、腰が落ちたところに岩浪の右ミドルキックを顔面に貰い2度目のノックダウン。懸命に立ち上がろうとするも、カウント中にファイティングポーズがとれず、岩波悠弥のKO勝利となった。

ダメージ大きい志賀将大を追って攻める岩浪悠弥

試合後、岩浪悠弥選手は三階級制覇達成の興奮のせいか試合中の緊張感を残したまま、祝福の声に「有難うございます。」とコメント。敗れた志賀選手はセコンド陣と話をしながら、「纏まりが無く雑になった。ダウンを取られるとは思わなかった。」とコメントしながらも敗戦を分析し、「次回に繋げます。」と前向きなコメントだった。

三階級制覇した岩浪悠弥が挨拶、陣営が見守る

◆第7試合 57.0kg契約3回戦

波賀宙也(立川KBA/ 57.05→57.0kg/1989.11.20東京都出身)45戦27勝(4KO)14敗4分
      VS
コンコム・レンジャージム(タイ/ 56.9kg/1988.6.29イサーン地方出身)
勝者:コンコム・レンジャージム / 判定0-3
主審:少白竜
副審:椎名27-29. 竹村27-29. 多賀谷28-29

(波賀宙也は前・IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン)

初回、波賀宙也はミドルキック主体でペースを掴もうとするが、コンコムは組むことで体格差を無くしながら躱(かわ)していく展開。

第2ラウンド、波賀はローキックを中心に切り替えていくが、コンコムは首相撲に持ち込み、上手く波賀の攻撃を躱していく。会場から「上手いなあ!」とコンコムの躱す技術を褒める声が上がった。波賀は逃れようと右ボディーにパンチを決めるが続かず、逆に転ばされてしまう。

第3ラウンド、コンコムの上手さに翻弄されている波賀はカウンターのヒジ打ちを決めるも単発で終わる。流れで組んでしまった際に、コンコムはブレイクしようと半ば投げ捨てるように離したが、波賀はマットで頭を打ち、立ち上がるも足が痙攣していた。コンコムは逃さず右ストレートを決めノックダウンを奪う。波賀は立ち上がり反撃をするも試合終了。コンコムが判定勝利を飾った。

試合後、波賀宙也選手は「サイズは関係ないですし、カードが決まる期間が短かったのは相手も一緒です。最後の第3ラウンドだけでしたね。そのラウンドだけは忘れてください。次回に繋げて頑張ります。」と前向きなコメントをしていた。

首相撲からの崩しで転ばされた波賀宙也は立ち上がるにも足がふらつく

ダメージ負った波賀宙也に攻勢に出るコンコム、惜しいラウンドとなった

◆第6試合 57.5kg契約3回戦

NJKFフェザー級チャンピオン.前田浩喜(CORE/57.45kg/1981.3.21東京都出身)
48戦29勝(17KO)16敗3分
        VS
NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/57.3kg/1990.5.6香川県出身)
18戦8勝(3KO)8敗2分
勝者:鎌田政興 / TKO 1R 2:04
主審:中山宏美

試合前、前田浩喜選手から「王者としてNJKFを盛り上げる為に熱い試合をした上で勝ちます。」とコメントがあった。それ以外にも、入場時や大会場での開催など、NJKFを試合以外で盛り上げたいと熱く語っていた。一方の鎌田政興選手は「団体(NKB)の代表選手として、そしてフェザー級を盛り上げるために勝ちにいきます。」と緊張気味にコメントをしていた。

試合当日もリラックスをして談笑していた前田浩喜だったが、開始早々、鎌田政興の左右のストレートを貰い動きが止まる。その後、自分のペースに持ち込もうと首相撲などで攻めていくが、鎌田はパンチを中心にコーナーに前田を追い込み、左右のストレートを決め、ノックダウンを奪う。前田はすぐに立ち上がれず、目の焦点が合わないことでレフェリーはストップをかけ鎌田政興がTKO勝利。

鎌田政興の連打で劣勢に追い込まれた前田浩喜、この後、連打で倒される

◆第5試合 64.0kg契約3回戦

健太(E.S.G/ 63.6kg/1987.6.26群馬県出身)109戦63勝(17KO)39敗7分 
        VS
NJKFスーパーライト級2位.吉田凛汰朗(VERTEX/63.9kg/2000.1.31栃木県出身)
21戦9勝8敗4分 
勝者:健太 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:少白竜30-28. 竹村30-28. 中山30-28

(健太は元・WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン)

10ヶ月ぶりのホームリングでの試合になる健太選手。「大会場で何度も試合をしていますが、久しぶりの後楽園ホールで勝利を得ます。」とコメント。

初回、健太はオーソドックスなローキックを中心に隙を突いてパンチを入れていく。吉田凛汰朗はミドルキックからパンチを決めていくが、健太の距離で戦ってしまい攻めきれない。第2ラウンド、健太の圧力が大きくなり、吉田は前に行けず手数が少なくなる。健太は的確にパンチやキックを決めていき優勢になった。
第3ラウンド、吉田は終盤にバックハンドブローを仕掛けるも健太のガードで決まらず。優勢を維持している健太はパンチを中心に自分の距離で戦い、吉田の勢いを潰しながらパンチを決めていった。吉田は力を出し切れなかったようで、健太が判定勝利となった。

109戦目の健太は試合運びの上手さで攻勢を維持して判定勝利

◆第4試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級2位.悠斗(東京町田金子/50.8kg/1993.2.24東京都出身)
37戦20勝(9KO)13敗4分
      VS
同級3位.TOMO(K-CRONY/50.7kg/1982.10.30茨城県出身)21戦7勝(5KO)12敗2分
勝者:悠斗 / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:少白竜30-29. 竹村30-29. 中山30-29

所属ジムの金子修会長がジム閉鎖の決意と創設51周年の功労顕彰賞を授与されたことを受け、負けられない状況になった悠斗。初回、ローキックから隙をついて重いパンチを決めていく。TOMOはミドルキックと左右のパンチで対抗。

第2ラウンド、悠斗の重いパンチは衰えることなく、的確にTOMOにヒットしていく。TOMOも反撃するが悠斗の圧力が強く、TOMOの勢いを削っていく。

第3ラウンド、悠斗のパンチ中心の攻撃にTOMOは耐えていき、起死回生のバックハンドブローを決めるが、ガードの上でダメージを与えることが出来ず、悠斗のジャブのヒットを許してしまう。最後は打ち合いになるがそのまま終了し、悠斗が判定勝利。

悠斗が重いパンチで主導権を奪った展開の中、ハイキックも繰り出していく

◆第3試合 スーパーライト級(当初)3回戦

NJKFスーパーライト級4位.宗方888(キング)欠場によりTAKUYA戦は中止。

ガン・エスジム(タイ)が代打出場
      VS
NJKF ライト級3位.TAKUYA(K-CRONY/63.3kg/1993.12.31茨城県出身)
13戦7勝5敗1分
勝者:ガン・エスジム
主審:椎名利一
副審:少白竜29-28. 竹村30-28. 中山29-28

出場予定だった宗方888が減量失敗で脱水状態になり、救急車で運ばれる事態だった様子で前日計量には現れず。電話では謝罪を述べていた様子。

TAKUYA選手は「今回はキレイに勝ちますよ。」と意気込みを語っていたが、代打出場となったガンエスジムとの対戦が決まった。

初回、TAKUYAがガン・エスジムに仕掛けるが、ガンのパンチや的確な右ヒジ打ちが入り、一瞬ぐらつく。ガンは右フックを初め的確で手数多いパンチを繰り出し、TAKUYAはローキックで反撃をする。

第2ラウンド、TAKUYAは右ストレートをヒットさせるも、ガンが前に出て来て組みながらのヒジ攻撃にペースが掴めず苦戦する。ガン選手は急遽試合が決まったとは言え、果敢に攻めていく姿勢は変わらず。

第3ラウンド、TAKUYAはセコンドからの「ヒジで行け!」との指示でヒジ打ちを決めていくが、ガンはポイントで優勢になっていることを意識し、付き合わずに躱したり組んだりして時間を稼いでいるようだった。TAKUYAは攻めきれず終了。ガン・エスジムの判定勝利。

試合後、TAKUYA選手は「すみませんでした」と悔しそうにコメント。「次に繋げましょう。」という声に「有難うございます。頑張ります。」と前向きな返事だった。

急遽決まったムエタイ実力者との対戦、TAKUYAは苦戦を強いられた

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

NJKFスーパーフェザー級10位.コウキ・バーテックス(VERTEX/58.8kg/1997.9.20栃木県出身)9戦4勝4敗1分
      VS
颯也(新興ムエタイ/58.8kg/2002.5.4神奈川県出身)6戦2勝4敗
勝者:颯也 / TKO 3R 1:51 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:多賀谷敏朗

◆プロ第1試合 ヘビー級3回戦

レオ(K-CRONY/100kg超・秤の都合/1998.9.3ブラジル出身)1戦1勝(1KO)
      VS
長里清(サンライズ/93.7kg/1969.7.29埼玉県出身)1戦1敗
勝者:レオ / TKO 1R 2:04

◆アマチュア第2試合 (over40) 68.0kg契約2回戦(90秒制)

河野友信(A-sk/ 67.2kg)vsカズshooter(テツ/ 66.2kg)
勝者:河野友信 / 判定3-0 (19-18. 19-18. 19-18)

◆アマチュア第1試合 (over40) 60.0kg契約2回戦(90秒制)
シュンスケ・ムアンチャイ・ピラーノ(ゼウス西船橋/ 59.9kg)
      VS
まさる(Labore spes/ 59.55kg)
引分け 1-0 (19-19. 20-19. 19-19)

《取材観戦記》(岩上哲明)

キックボクシングで観客が満足できる興行は、やはり“KO決着が多い興行”でしょう。今回のNJKFの興行ではKO決着が半分あり、それぞれ内容が違うもので、観衆にとって満足したものと思います。判定決着になった試合も勝者のテクニックの巧さに満足出来たことでしょう。そして、最初のアマチュア2試合が会場を盛り上げる為にいい仕事をしてくれたと思います。

メインイベントは「三階級制覇」と「三団体制覇」や「WBCムエタイとWKBA」といった隠れたテーマがあり、それを事前に知ることでより試合の楽しみ方のレベルが上がると思います。NJKFの今後の課題としては、キックボクシングに無縁、無関心な人を振り向かせること。これはキックボクシングに関わる人達共通の課題にもなるでしょう。

《取材戦記》(堀田春樹)

東京町田金子ジム閉鎖と創設51周年セレモニーが第2試合後に行われ、NJKFより金子修会長には長年の功労を顕彰する表彰をされました。金子修氏の御挨拶の中では観衆に対し、「今後もNJKFに足を運んでくださいますように、そして赤コーナーや青コーナーへ声援合戦をお願いします!」と観衆にメッセージを残されました。これもキックボクシングを大いに盛り上げたい表れの、ファンへのお願いだったでしょう。

東京町田金子ジムの前身は昭和のキックボクシング隆盛期に創設された萩原ジム。ここからデビューした現・レフェリーの少白竜氏も花束贈呈に並びました。金子修氏も早々にジムを引き継いだ元・所属選手で数戦しているようです。細かくはジムの歴史を改めて聞いてみたいものです。

次回興行は5月7日(日)にGENスポーツパレスにて「DUEL.28」が開催予定。6月4日(日)には後楽園ホールで本興行「NJKF 2023.3rd」が開催予定です。

東京町田金子ジム閉鎖する金子修会長がファンにキックへの想いを熱く語る

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B00BZ6IWE4/

「深呼吸して、今の「政治」を語り合う 広島の政治を良くするつどい」が統一地方選挙を前にした3月12日、「新しい広島市長を誕生させる会」の主催でありました。「誕生させる会」は、広島の政治、とくに松井市長による暴走を憂慮した市民が、対抗馬を擁立するために集まった団体です。しかし、手を上げる人がおらず、結局、団体独自の候補擁立は断念しました。

しかしそれでも、目前に迫った統一地方選挙を前に、広島の政治を少しでもよくしなければならない。そのために集まって市民の声を市長選、県議選、市議選候補らにぶつけていく。そういう方向で進むことになったものです。その第一段階として、今回、市政や県政のいろいろな課題に取り組む方が意見を述べ合うことになりました。

◆「図書館のあり方」に反する「にぎわい」重視の松井市長

 

松井市長の暴走が続くエールエールA館への広島市中央図書館移設問題に取り組む学校の先生は「図書館は1地方図書館ではなく世界のヒロシマの図書館だ」。「中央図書館は現在地にあるからこそ平和の発信力がある」と強調。

この問題に取り組むもうひと方もエールエール館移転について情報公開を求めたら真っ黒の文書が出てきた、と呆れました。またそもそも、「にぎわい」を市長は強調するがこれは図書館のあり方と違うと指摘しました。

◆「はだしのゲン」削除問題

ついで、教科書ネットワークの岸直人さんからは、市教委の暴走が続く、「はだしのゲン」問題について、議事録に「誤解を懸念する」意見は出ているが「はだしのゲンを止めて他に変えたほうがいい」という結論は出ていないことが明らかにされました。「議論されないまま削除するのはおかしい。」と岸さんは怒ります。

その後も、中学校教材の第五福竜丸が削除されたり、高校教材での中沢啓治さんの被爆体験の核心部分はごっそり削除されたりするなどの市教委の暴走が続いています。

そして、中学校では第五福竜丸の代わりにオバマ来広時の写真、被爆二世のインタビューが取り上げられていています。

「原爆被害の悲惨さを伝える内容から、アメリカと一緒にすすむことが大事というメッセージに変わった」「戦争の加害や差別性を批判する力を育てない平和教育になっている。

◆法改正背景に教育長独裁進む

官製談合事件を中心に広島の教育行政について今谷賢ニさんが報告。既報の通り、平川教育長は自分自身については、給料の3割2ヶ月自主返納、現部長の課長級職員に処分をしました。

1.教育長が親密なNPO法人に事業丸投げしたこと。
2.調査費用に三千万円をかけたこと。
3.タクシー費用を一年間100万円以上も使っていたこと。

これらについて、今谷さんは監査請求を行いました。

また、広島市立中央図書館に関する議論は、文教委員会でされていたのが総務委員会でされています。これは法律改正によるもので、首長の意向がストレートに図書館行政にも反映されるようになりました。

そもそも、教育長も昔は教育委員長の部下でした。ところが、安倍晋三さんによる地方教育行政法改正により、教育長がすべての権限を持っており、教育長に対しては首長しか処分ができないようになっています。

そして、教育大綱は首長がつくることになっており教育基本法の理念を活かす余地はなくなっているそうです。

「はだしのゲン」の削除についても実は教育委員会が平和教材を押し付けるのが問題、と今谷さんは指摘します。平和教育というのは、本来は教育実践をしながら改訂するものであり、それを一方的にやるのが大きな問題である。知事や市長言いなりの教育行政が問題だと力を込めました。

また、広島市では、プールも壊れたら修理せずバスで麓の学校に入りに行くが、ほとんど水に入る時間がないそうです。「市教委はこれまで指導要領を守れと言ってきたがあれは何だったのか」と今谷さんは呆れました。

◆センター方式給食強行で暴走、シングルマザーにも冷たい広島市

学校給食の無償化に取り組む新日本婦人の会からは、「広島市は10年後に5ブロックでセンター方式にしたい意向だ」と嘆きます。その上で、「給食無償化は41億円あればできる。」と自校式での無料給食の実現を訴えました。

◆住まい失った親子に冷たすぎる広島市政

子どもの貧困化については反貧困ネットワーク広島から報告がありました。同ネットワークではシェルター支援をされています。今日まで、2000人の利用者がおられます。これまでは二十代~四十代男性が解雇と同時に住まいを失ったケースが多かったのです。しかし、ここのところ、DVから逃げた母子や高齢者も増えています。労働政策の見直しや社会保障の充実が必要、と担当者は強調します。

シェルター利用者の中には中学生が親代わりに手続きなどしている家庭があります。しかし、住所が定まらないと広島市の場合は行政サービスにつながらないのです。「広島市はシングルマザーに冷たすぎる。」と担当者は憤ります。

◆広島の都市づくりは「わや」

「広島の都市づくりは「わや」(広島弁で無茶苦茶、という意味)じゃ」。

二葉山トンネルを考える市民の会の越智俊二さんは断じます。二葉山トンネルは現在、工事が中断し、2020年完成予定がのびのびになりました。費用も爆増しています。トンネル掘るカッターが故障しまくりです。そして不可解な事業費増額も相次ぎました。当初の87億どころか345億円まで工事費は増額しています。

そして、大林組主導のJVも壊れやすいカッターをわざわざ使っており、施工管理委員会で誰も問題にしない状況です。その委員は、陥没事故を起こした外環道の委員と同じでした。

シールドマシンは騒音規制の対象ではないため、住民は迷惑しています。そして、団地で異常隆起しても委員会は上のことに感知しないという、無責任な状態です。そして有料道路は本来40年間で無料化のはずが92年後に無料化先延ばしになっており、踏んだり蹴ったりです。

一方、安佐南区の上安産廃処分場では盛り土崩落しました。汚染水も出ています。この盛り土は2021年7月に崩壊して多数の犠牲者を出した熱海の盛り土よりも大きな盛り土で、段切せず滑りやすいものです。

しかも、耐震基準は水平振動のみ対象でたったの140ガルです。しかも地震動は山地形では増幅されやすく盛り土上部ではよく揺れます。豪雨にも弱いのです。

◆野党内でも「自民幕府」に阿る人たちを打倒する「高杉晋作」を!筆者強調

筆者も、手を上げて発言を求めました。

筆者は「高杉晋作は、どうやって幕府を倒したか?まず、長州藩の中で、幕府に阿る人たち、すなわち俗論派を絵堂・大田の戦いで打倒し、その上で討幕に向かった。」

「広島においては、自民、公明は言うに及ばず、立憲民主党も知事や市長に阿っている。野党の中でも自民党幕府に阿る人たちを打倒する高杉晋作のような人間が必要だ。自民、公明、立憲を打倒する高杉晋作のような人の登場を一人でも多く望む」と、檄を飛ばしました。

うなずく出席者も多くおられましたが、シーンとなってしまいました。それでもあとから何人かから「よく言ってくれた」というおほめをいただきました。

◆サミット翼賛体制だ!

田村和之・広島大学名誉教授からはまとめのコメントをいただきました。

今の広島の政治は「G7広島サミット翼賛体制になっている。法的な根拠もなく、市民の行動を制限している。」と指摘しています。実際に、サミット期間中は、宮島の観光を制限するなど、市民生活には多くの影響が出ます。

田村名誉教授は、このサミットに伴う行動規制について、「ねらい・効果は現在の体制を肯定し、無批判に従う風潮を拡大するもの。」と憤ります。

そして、広島の政治の特徴としては中央官僚出身の首長ばかりがトップを占めていることです。

湯崎県知事 通産省、自公民推薦
松井広島市長 厚労省 自公民推薦
枝広福山市長 財務省 自立公民推薦。

中央政府の政策を忠実に実施し、県民・市民福祉を軽視しているという点で共通しています。そのうち、湯崎知事は四期目でやりたい放題であり、松井市長は開発行政に邁進しています。そして、議会が全く機能しておらず、知事・市長の翼賛機関だ、と糾弾しました。

平和行政についても、2021年6月、日本国憲法が登場しない【平和推進基本条例】ができてしまいました。この条例では、核兵器禁止条約の締結・批准も求めません。

「県民・市民は各分野ではよく取り組んでいるがそれらの力が一つになっていない。各課題についての認識が共有できていない。また、労働運動も生活課題に取り組むべき。」などと指摘しました。

◆リニューアルできるか? 広島の政治

今回の集いでも、また、筆者が政治活動で接する自民党支持者含む多くの広島県民・市民が広島の政治に不満を持っていることは実感しています。

問題は、それが、4月9日執行の広島市長選挙、広島県議会議員選挙、広島市議会議員選挙の結果に反映されるかどうかでした。

広島市長選挙については無投票の雰囲気もありましたが、共産党新人の高見あつみさん、そして無所属の大山ひろしさんが相次ぎ立候補を表明しました。正直、松井市長を打倒するところまではいかずとも、論戦が盛り上がり、過去は圧勝しまくりだった現職の松井さんを少しでも追い上げられれば、少しは市政も引き締まると思われました。ただ、結果は松井さんが8割近い得票で再選されました。

また、市長の暴走に待ったをかけられなかった市議会の自民多数派、公明、立憲の現職議員。

また知事や教育長をここまで増長させた県議会の同じく自民、公明、立憲の現職議員。

そうした人たちを市民・県民が一人でも多く打倒できるか? も焦点でした。自民党は後退したものの、県議会では河井陣営からお金をもらった方も当選されていますし、組織をバックにした人の強さが目立ちました。筆者自身も県議選に参加し、終盤では、組織の力に跳ね返されてしまいました。組織中心、お金中心の広島の政治の在り方をリニューアルする先頭にあきらめずに立ち続けます。

市議会では、中央では自民よりも新自由主義寄りの維新が3議席を新たに獲得しました。実は維新でも個々人では筆者の知人でリベラルな本音をよく存じている方も多いのですが、松井市政に対してどういう動きをされるのか? 一市民として注視してまいります。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

4月20日、読売新聞の元店主・濱中勇さんが読売新聞社に対して大阪地裁に提起した「押し紙」裁判の判決があった。

判決内容の評価については、日を改めてわたしなりの見解を公開する。本稿では判決の結論とこの裁判を通じてわたしが抱いた違和感を記録に留めておく。ここで言う違和感とは、判決の直前にわたしが想像した最高裁事務総局の司法官僚らの黒幕のイメージである。

まず判決の結論は、濱中さんの敗訴だった。濱中さんは、「押し紙」による被害として約1億3000万円の損害賠償を請求していたが、大阪地裁はこの請求を棄却した。その一方で、濱中さんに対して読売への約1000万円の支払を命じた。補助金を返済するように求めた読売の主張をほぼ全面的に認めたのである。

つまり大阪地裁は、「押し紙」の被害を訴えた濱中さんを全面的に敗訴させ、逆に約1000万円の支払を命じたのである。

◆権力構造の歯車としての新聞業界

判決は20日の午後1時10分に大阪地裁の1007号法廷で言い渡される予定になっていた。わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。新大阪駅で、濱中さんの代理人・江上武幸弁護士に同行させてもらい大阪地裁へ到着した。判決の言い渡しまで時間があったので、1階のロビーで時間をつぶした。そして1時が過ぎたころに、エレベーターで10階へ上がった。

注目されている裁判ということもあって、1007号法廷の出入口付近には、すでに傍聴希望者らが集まっていた。ジャンバーを着た販売店主ふうのひとの姿もあった。

わたしは濱中さんが読売を提訴した2020年から、この裁判を取材してきた。そして読売も他社と同様に「押し紙」政策を取ってきたという確信を深めた。少なくとも販売店に過剰な新聞が溢れていたこと事実は確認した。それ自体が問題なのである。

濱中さんが「押し紙」を断ったことを示すショートメールも裁判所へ提出されている。搬入部数のロック(読者数の増減とは無関係に搬入部数を固定する行為)も確認できた。従って、裁判所が「政治的判断」をしなければ、濱中さんの勝訴だと予想していた。

ここで言う「政治判断」とは、司法官僚による裁判への介入である。日本で最大の新聞社である読売が敗訴した場合、新聞業界が崩壊する可能性が高い。それを避けるために司法官僚が介入して、濱中さんの訴えを退ける判決を下すように指導する行為のことである。

こうした適用を受ける裁判は、俗に「報告事件」と呼ばれる。生田暉夫弁護士あら、幾人かの裁判官経験者らが、それを問題視している。わたしは最高裁事務総局に対する情報公開請求により、「報告事件」の存在そのものは確認している。

ただ、報告事件の可能性に言及するためには、判決文そのものに論理の破綻がないかを見極める必要がある。よほど頭が切れる裁判官が判決の方向性を「修正」しないかぎり、論理が破綻しておかしな文章になってしまう。今回の読売裁判の判決は、達意と正確な論理という作文の最低条件すら備えていない。(これについては、別稿で検証する)。それゆえに判決文を公開して、「報告事件」の可能性を検証する必要があるのだ。

ここ数年に提起された「押し紙」裁判では、判決の直前に不可解なことが立て続けに起きている。結審の直前に裁判官が交代したり、判決の言い渡しが延期になったりしたあげく、販売店が敗訴する例が続いている。もちろんそれだけを理由に「報告事件」と決めつけることはできないが、社会通念からして同じパターンが繰り返される不自然さは免れない。

たとえば日経新聞の「押し紙」裁判では、店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていながら、裁判所は日経による「押し紙」行為を認定しなかった。産経新聞の「押し紙」裁判では、「減紙要求」を産経が拒否した行為について、「いわゆる押し紙に当たり得る」と認定していながら、「原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていた」ことを理由に、損害賠償を認めなかった。この産経「押し紙」裁判の判決を書いたのは、野村武範という裁判官だった。

野村裁判官は、産経の「押し紙」裁判が結審する直前に、東京高裁から東京地裁へ異動して、同裁判の新しい裁判長になった。なぜ司法官僚が裁判官を交代させたのかは不明だが、取材者のわたしから見れば、原告の元店主が圧倒的に優位に裁判を進めていたからではないかと推測される。司法官僚が新聞社を守りたかったというのが、わたしの推測だ。

わたしは念のために野村裁判官の経歴を調べてみた。その結果、不自然な足跡を発見した。次に示すように野村裁判官が名古屋地裁から東京高裁に赴任したのは、2020年4月である。そして同年の5月に東京地裁へ異動した。東京高裁での在籍日数は40日である。不自然きわまりない。

2020年 5.11 東京地裁判事・東京簡裁判事
2020年 4. 1 東京高裁判事・東京簡裁判事
2017年 4. 1 名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事

わたしは野村裁判官を自分の頭の中のブラックリストに登録した。このブラックリストは、他にも裁判官や悪徳弁護士が登録されている。いずれも要注意の人物である。わたしから見れば、日本の司法制度を機能不全に陥れている人々である。

◆要注意の裁判官

判決言渡しの時間が近づくにつれて、緊張が増した。仮に読売が敗訴すれば、「押し紙」を柱とした新聞のビジネスモデルは、一気に崩壊へ向かう。メディアの革命となる。地方紙のレベルでは、佐賀新聞のケースのように「押し紙」を認定して、新聞社に損害賠償を命じた裁判もある。従って一抹の希望を持って、わざわざ来阪したのである。

わたしは廊下のベンチから立ち上がり、法廷の出入口に張り出してある告知に目を向けた。次の瞬間、自分の目を疑った。これまでこの裁判を担当してきた3人の裁判官の名前が見当たらなかった。その代わりに次の3名の裁判官の名前があった。その中のひとりは、ブラックリストの筆頭の人物だった。野村武範が急遽裁判長になっていたのだ。

野村武範
山中耕一
田崎里歩

わたしはベンチに座っている江上弁護士に、

「敗訴です」

と、言って苦笑した。それから事情を説明した。

◆鹿砦社の裁判を担当した池上尚子裁判官も関与

判決は、濱中さんの敗訴だった。野村裁判長が判決文を読み上げた。既に述べたように判決は、濱中さんを敗訴させただけではなく、濱中さんに約1000万円の支払いを命じていた。

しかし、判決文には新任の野村裁判長らの名前はなかった。前任の3人の裁判官が判決を下したことになっていた。つまり法的に見れば、これの裁判は「報告事件」ではない。前任の3人の裁判官が判決を下したのである。

ただ、司法官僚が野村裁判長を大阪地裁へ送り込んだのは4月1日で、判決日が20日なので、この間の引き継で内容の調整が行われた可能性は否定できない。このあたりの事情については、今後、前任の池上尚子裁判官を取材したいと考えている。池上尚子は鹿砦社とカウンター運動の裁判でも裁判長を務め、不可解な判決を書いた人である。

判決直前の数週間に何があったのかは、当事者しか知りえないが、判決文そのものを検証することは誰にでもできる。論理の破綻や矛盾がないか、今後、慎重に検討して、判決の評価を定めなければならない。(つづく)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

4月19日(水)、伊方原発運転差し止め広島裁判の第32回口頭弁論が広島地裁で行われました。

 

広島地裁

この裁判は、あの東電福島原発事故から5年に当たる2016年3月11日に広島市民らが、四国電力を相手取って伊方原発3号機の運転差し止めを求めて提訴しました。現在では広島県内だけでなく、伊方原発に近い愛媛県八幡浜市を含む全国各地から原告が加わっています。

この伊方原発運転差し止め裁判の「人証調べ」が始まりました。この人証調べとは、生身の人間が証言し、それが証拠となることです。虚偽答弁をすれば偽証罪に問われます。

この日は、原告でもある哲野イサクさん(戸籍名:伊奈道明さん)が避難計画について研究するwebジャーナリストとしての立場で証言しました。まずは、原告側弁護人による主尋問に答える形で哲野さんが伊方原発による避難計画について述べました。その内容は、避難計画の杜撰さを暴露するものでした。

◆広島市は国の指示待ち、県は指示要望も国はなしのつぶて

南海トラフ地震についての防災計画はもちろん、広島県も広島市もあります。ところが、伊方原発事故が発生した場合の避難計画は広島県も広島市もありません。もし伊方原発が過酷事故を起こせば、原子力規制庁の楽観的なシナリオでも広島市も4ミリシーベルト以上のヒバクを1週間ですることが読み取れます。

 

 

※また、瀬戸内海、太田川を伝って、汚染水が原爆ドームなど中心部はもちろん、安佐南区の長束・西原あたりまでさかのぼることが予想されます。実際に、このあたりまで海水が遡上しているので、当然、放射能も遡上するのは明らかです(筆者注)。

南海トラフ地震では広島市内は多くの場所で震度6弱と想定されますが、中区の全域や西区、南区などでは液状化が予想されます。液状化により道路なども寸断される可能性が高く、放射能(や放射能を含む海水)が襲ってきても避難は極めて困難です。

そうした中で、広島市は、哲野さんの問い合わせに対して避難計画はない、国の指示がなければ作成しない、というのです。

筆者の元職場である広島県は、市よりは少しマシだそうです。県は国に対して避難計画作成の指示をするように文書で要望をしているそうですがなしのつぶてのようです。

広島県の担当者は「県独自で避難計画を立てられないのか?」と問うた哲野さんに対して、「原発事故の避難計画を作成できるだけの人材も予算もノウハウもない」と回答しているそうです。

◆伊方周辺の原発事故避難計画、南海トラフ地震は全くリンクせず

では、原発事故が想定される地元の愛媛県はどうか?哲野さんは、愛媛県内と山口県上関町(上関原発計画があるが、実は伊方原発に近い)が対象となっている避難計画についても全く機能しない、と指摘します。

原発事故の避難計画は地元の伊方町のいわゆるPAZ地域、そしていわゆるUPZの伊方町、八幡浜市、大洲市、西予市、宇和島市、伊予市、内子町については策定されています。

しかし、この避難計画も南海トラフ地震とは全くリンクさせていません。他方で、南海トラフ地震の防災計画には伊方原発事故は想定されていない。要は、南海トラフ地震に続いて伊方原発事故が起きるというシナリオは想定外なのです。

さて、この避難計画によると、クルマ(自家用車)での避難を基本としつつ、クルマでの避難が困難な人については愛媛県バス協会がバスを提供して避難してもらうことになっています。

原子力防災対策 広域避難計画(愛媛県原子力情報)

名目上は、避難に必要な輸送力は確保しているように思えます。しかし、実際には、バスはいろいろなところで通常運行されています。原発事故が起きたからといって、すぐに路線バスや観光バスとして運行されているバスを避難用に回すのは机上の空論です。

そして、致命的なのは、時間軸がこの避難計画にはないことです。原発事故における避難は時間との戦いです。しかし、この避難計画には、その時間軸がない。これではもたもたしているうちに人々はヒバクしてしまいます。

そして、さらに致命的なのは、南海トラフ地震でインフラが壊滅することを想定していないことです。伊方町の国道197号線は、多くの区間で、斜面が片側または両側から迫っていたり、脇が崖だったりします。震度6強程度の揺れに見舞われれば多くの区間で土砂崩れ、がけ崩れによりずたずたになり、避難どころではなくなります。

また、佐田岬半島西部(三崎町)の人たちは、東側に原発がある以上、西へ向けて海経由で避難するしかありません。しかし、南海トラフ地震では、多くの港の設備が崩壊すると予想されています。そんな中で、船で避難するどころではありません。

また、南海トラフ地震が起きれば、避難計画で避難先とされている松山市でも家屋の倒壊などで8万人以上が避難を強いられる予測です。そういう中で原発による避難民を受け入れる余裕があるのでしょうか?

また、地震で負傷した伊方町民らを避難させるのにはどうすればいいのでしょうか? これも想定されていません。

この避難計画は、一応、国の原子力防災会議で承認はされていますが、ほとんど会議では審議されていません。

他方、アメリカでは、事故発生時の天候や時刻など様々な条件をきちんとシミュレーションして避難計画を立てることが義務付けられています。そうしたことを背景にニューヨーク州のロードアイランド電灯会社によるショアハム原発が避難計画をまともに立てられず、住民の反対運動もあって、いったん完成したものの、営業運転することなく廃炉に追い込まれています。

◆被告・四国電力弁護士の反対尋問、避難計画そのものの矛盾に言及できず

被告・四国電力の弁護士が、この後、哲野さんに反対尋問を行いました。しかし、その内容は、「哲野さんの著書に避難計画についてのものがあるのか?」とか「イギリスやフランスの避難計画はどうなっているのか?」などでした。

哲野さんの主張の根幹である避難計画が南海トラフ地震とリンクしておらず、全く機能しないことへの反論は全く聞くことができませんでした。

次回の口頭弁論は5月31日(水)11時からです。被告・四国電力社員への人証調べが行われます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

言論について考えると、答えが見つかりにくい問題が色々あることに気づく。しかし、それらの多くは「戦争」あるいは「冤罪」を念頭において考えると、わりとあっさりと答えが見つかることだ。

たとえば、事件報道において、逮捕された被疑者の実名を報じることの是非について。被疑者は実名を報道されると、「逮捕された」「犯罪の嫌疑をかけられた」という不名誉な情報が社会に広まり、大きな不利益を被る恐れがある。

だが、「冤罪」を念頭に考えると、やはり逮捕された被疑者の実名は報道されないといけないとわかる。なぜなら、事件と無関係の第三者は、被疑者の実名がわからなければ、起訴された場合に裁判を傍聴できないし、不起訴になった場合に本人のもとを訪ね、事実関係を確認することもできないからだ。

これはつまり、被疑者の実名が捜査当局によって伏せられると、報道関係者などの第三者が被疑者が冤罪である可能性を検証することが著しく困難になるということだ。

では、犯罪被害者を傷つけるような報道、いわゆるセカンドレイプにあたるような報道の是非についてはどうか。セカンドレイプは絶対にあってはいけないことであるように言われがちだが、「冤罪」を念頭に考えると、そうとは言い切れないことがわかる。

たとえば、痴漢や強姦など性犯罪の多くは、被疑者が無実を訴えた場合、被害を訴える女性の証言の信用性が有罪・無罪を分ける重要なポイントになる。つまり、あらゆる犯罪被害者の中でも、もっとも扱いを慎重にせねばならないと言われがちな性犯罪被害者については、むしろその証言の信用性が慎重に検証されなければならない。そうすれば、性犯罪被害者をセカンドレイプ被害に遭わせることは不可避だが、それもやむをえないということだ。

そして最後に、どんなに劣悪な表現についても、表現の自由が保障されなければいけないのか否かについて。漫画やアニメの過激な性表現などに関し、この問題はしばしば議論されるが、これも「戦争」を念頭において考えると、すぐに答えが出る。

かつて戦時下において、日本国民の大多数が財産はもちろん、生命すらも国に捧げ、戦争に勝つために努力している中、「この戦争は間違っている」とか「こんな戦争は早くやめるべきだ」などと声をあげるような言論は、これ以上ないほど「劣悪な表現」だった。そういうこと言う者は「非国民」と呼ばれ、どんな制裁を受けても仕方がない者だとされていた。

よって、どんなに劣悪な表現でも、表現の自由が保障されなければいけないのは当然のことだ。

◎片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。YouTubeで『片岡健のチャンネル』を配信中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

ロシアによる「特殊軍事作戦」が始まって以来、1年という年月が経った。この間、世界は大きく変った。それは、これまでの米国覇権、米国中心の覇権秩序の崩壊が誰の目にも明らかになり、脱覇権が世界的な流れとなってきたということではないだろうか。

しかし日本政府は、この流れを見ることなく、米国覇権に従い、ロシア制裁の先頭に立ち米国が唱える新冷戦、対中対決の最前線を担い、敵国攻撃能力の保持や国防費をGDP2%にするなどと軍拡の道をまっしぐらに進んでいる。

それでいいのか、それをストップさせる力はどこにあるのか。それを考えてみたい。

◆二つの会談、浮き彫りになったのは?

この間、中露首脳会談と岸田首相のウクライナ訪問という二つの首脳会談があった。それを比較することから浮かび上がる日本の立ち位置、先ずそれを見てみたい。

その一つ、3月20日から3日間に渡ってモスクワで行われた中露首脳会談。

会談の冒頭、中国の習主席は「中露関係を強固にし発展させることは、中国の戦略的選択であり、それは中国自身の根本的利益にかなっている」と中国の立場を明らかにし、会談では「持続可能な発展分野」「農産物輸出の手続き簡素化」「宇宙開発、位置情報での協力」など広範な分野での経済・技術協力が協議された。

会談後の共同声明には「経済協力で2030年までに貿易や双方の通貨使用を拡大し、石油や天然ガスなどエネルギー分野の協力強化を図ること。軍事交流と協力の強化を図る」内容と共に「国連安保理の承認のない、一方的な制裁に反対」が盛り込まれた。

これに対し、米国は、「(訪問自体が)ロシアが犯罪を続けるための外交的隠れ蓑を提供しようとしている」(ブリンケン国務長官)などと批判。日本のマスコミも中露の協力の動きを「専制主義国家の提携であり、世界がロシアのウクライナ侵略を非難し、ロシア制裁に力を入れている中で中国のロシアへの接近は許されない」などと論陣を張った。

新聞の解説記事は、「米国の覇権に対抗 思惑一致」「米国の覇権による秩序を終わらせたい思いで一致」などと、「米国の覇権」、「米国の覇権による秩序」を中露両国が共同で対抗し終わらせることを目論んでいると分析している。

もう一つ、同日時に(3月21日)に行われた岸田・ゼレンスキー会談。

その目的を象徴したのは、例の「しゃもじ」。広島・宮島の「しゃもじ」を土産にというのは失笑物だったが、岸田首相の頭にあったのは広島サミットの成功だったようだ。

世界最初の被爆地で開かれる広島サミットは、「核のない世界」を掲げながら、「ロシアの核脅威」をもって、米国の包括的核抑止力の必要性を説き、その下での日本の抑止力としての敵基地攻撃能力の保持、核の共同所有を準備するものになりそうである。

一方,岸田首相は、広島サミットを「歴史的な転換点にある今、国際社会が共有すべき考え方を提供したい」として、「法の支配に基づく国際秩序の堅持とグローバルサウスと呼ばれる国々を含むG7を超えた国際社会のパートナーとの関係強化の二つの視点から国際社会が直面する課題を取り上げる」と述べる。

ウクライナ訪問はインド訪問からの連続だったが岸田首相はインドで「開かれたインド・太平洋のための行動プラン(新計画)」を発表した。それは「法の下での共存強調」、「平和の原則と繁栄のルール」などを提示しながら、これを試金石にインド太平洋地域諸国に750億ドルの支援を行うというものである。

岸田首相が言う、「法の支配に基づく国際秩序」とは、米国による覇権秩序のことであり、カネを餌に、ここにグローバルサウス諸国を取り込むというものである。

こうした広島サミットについて、国連の議論では、グローバル・サウス諸国が「G7なんて旧宗主国グループじゃないか。我々を植民地にした者が上から目線で、きれいごとを言える身分か」「G7が守りたい国際秩序とは、米国がわれわれにやりたい放題の謀略、軍事侵攻を仕掛けてきたやり方だろ。まっぴらだ」などと反発の声を上げているという(『選択』4月号の記事)。

以上、二つの国際会議を通して浮き彫りにされたのは、中露の米覇権反対にグローバルサウスも同調しているのに対し、米覇権秩序を支え、そこにグローバルサウス諸国を引き込もうとする米国の手先のような日本の姿である。

◆それが世界の流れなのだ

中露だけでなく、米国覇権秩序に反対することは世界的な流れになっている。

ウクライナに対するロシアの「特殊軍事作戦」が発動されて1年。マスコミはロシア制裁が「隙間だらけ」(2月20日付け朝日新聞)、「大きな『抜け穴』」(3月3日付け読売新聞)という記事を載せた。

「隙間だらけ、抜け穴」とは、制裁を行っているのは、米欧日だけであり、他の国々はロシアとの貿易を増やし制裁が効いていないことを指している。インドはロシアからの輸入は前年比5倍、中でも石油は10倍も輸入を増やしており、これを石油製品にして欧州に売っている。中国もロシアからの原油輸入は前年比1.4倍の584億ドルもの巨額であり、貿易量も2.4倍になっている。

トルコも輸出入共に増やしており、イランもロシアとの関係を深め武器も提供しており、エジプトもロシアからの食糧輸入を増やし武器輸出もこっそりと行っているようだ。

インドはグローバルサウスを自認する大国であるが、全てのグローバルサウスがロシアとの貿易を拡大している。

「抜け道」は、彼らだけではない。当の米国自身、肥料や資源の輸入を続けている。欧州もロシア産天然ガスへの依存度を10%に抑えると言いながら影では輸入を増やしており、ダイヤモンドやウランの輸入も続け、インドを経由したロシア産石油製品も輸入している。日本もカニ、ウニ、タラコを輸入し、日本の天然ガス需要の10%にもなる「サハリン2」の天然ガスを輸入している。

世界の大多数の国々がロシアとの貿易を拡大している。それも、こっそりではなく公然と。それは最早「抜け穴」ではなく、世界の「流れ」だと見るべきではないだろうか。そして、米欧日というロシア制裁を声高に叫ぶ諸国までもが「抜け穴」行為を行っているという事実は、ロシア制裁が如何に茶番であるかを物語っている。

米国覇権からの離脱では世界的なドル離れも注視される。

サウジアラビアは石油決済はドルで行うという米国との「秘密協定」を無視しドル以外の通貨での支払いを認める方向に梶を切った。またブラジルのルラ大統領がドルに変わる決済通貨として「スール」を提案し中南米諸国がこれを支持する動きになっている。

 今回の中露会談でも、「自国通貨による決済」が合意されている。すでにロシアの貿易決済の3分の1はルーブルであり、他国通貨を含めたドル以外の決済は50%になっている。インドの大量のロシア産原油輸入もインド・ルピーやルーブルが使われている。

俗に米国覇権は「核とドルによる支配」と言われたが、世界的なドル離れが進んでいるのだ。とりわけ、サウジアラビアと米国の「原油取引はドルで行う」という秘密協定破棄は、石油がドル価値を支える巨大な物質的基礎だっただけに、ドルの威信低下を決定的なものにする。そして、ドルの本国である米国では、銀行破産が続き、国際金融の最大手の一つ、クレディ・スイスも倒産した。金融界では1920年代の金融恐慌が起きるのではないかと囁かれている。最早、ドルの時代、米国覇権の時代ではないのだ。

◆世界の流れに呼応した国民の闘いが国を変える

米国離れ、ドル離れが世界の大きな流れになっている中、欧州では昨年来「いい加減にしろ」のデモが各地で起きている。ロシア制裁の結果、電気代やガソリン、食糧品が高騰して国民生活を直撃しており、「このままではホームレスになるしかない」ほどのものになっているからだ。

英国では、今年に入って、医療、鉄道、高速道路、港湾、郵便などの公共部門の労働者50万人が参加する大ストライキが起きている。スローガンは「賃上げ」と共に「生活と公共サービスを守れ」であり、サッチャーリズム以来の公共部門の削減政策、新自由主義政策の見直し要求になっている。

その上、スナク政権が「ストは人々を危険にさらす」として「反ストライキ法案」を可決したことで、「全国教員組合」の30万人の教員も参加し、多くの学校でストライキが決行されており、スナク政権の支持率は10%台で、ほとんど「死に体」である。

フランスでも、マクロン大統領の強権的(議会の承認なしの大統領決定)な「年金支給年齢の引き上げ」に全国的な激しいデモが起きている。

イタリアでは昨年、自国第一主義のメローニ政権が誕生した。この政権には、「プーチンとは親友」を公言するベルルスコーニ前首相が参加しており、ロシア制裁から一定の距離を置くことを期待されての政権誕生である。

こうした動きの原動力は、米国の言いなりになって、新自由主義改革を行い、いま又「ロシア制裁」によって、国民に塗炭の苦しみを強いる政治への怒りである。

日本でも物価高騰は激しく、その上、米国に言われての未曾有の軍拡で、増税や社会保障費の削減が予定されている。さらに日本は新冷戦の最前線にされ、ウクライナのような代理戦争を強いられるような状況にあり、まさに国民は「命と暮らし」を守るかどうか、死ぬか生きるかの瀬戸際立にたされようとしている。

しかし、「日米同盟基軸」であり「同盟が国益」という政府は、あくまでも米国覇権の下生きることしか考えず、いまだに新自由主義改革にしがみつき、社会保障の削減や米国式ジョブ型雇用の導入、公共の削減・民営化に躍起となっている。

 

魚本公博さん

野党も「民主主義を守れ」(それは多分に米国式民主主義)、「ロシアを制裁せよ」であり、それでは米国の覇権回復戦略政策に反対し、それに追随する自民党と闘うことなど出来ない。

「民主主義だ」「ロシア制裁だ」と言うのもよい、しかし、それで何故我々が苦しまなくてはならないのか。日本でもいい「加減にしろ」(enoughandenoughもうたくさん)の声が高まってくるのは必至だ。 

結局、この国の宿痾のような対米追随政治を変えるのは、国民しかいない。米国覇権に反対する世界的な流れ、欧州国民の運動に呼応する日本国民の闘い、それが日本を変える。

これから統一地方選の後半戦がはじまり、総選挙も噂されている。そうした中で、日本の国を変える動きが芽生えくることを期待している。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

クマ(熊)は、哺乳綱食肉目クマ科(Ursidae)の構成種の総称ですが、我々が対象としているクマは、その下位に位置する、クマ属のクマです。クマ属に登録されているクマは、以下の7種です。

 

[図5.1]ヒグマとツキノワグマの全国分布

Ursus americanus アメリカグマ
Ursus arctos ヒグマ
Ursus maritimus ホッキョクグマ
Ursus thibetanus ツキノワグマ
Ursus spelaeus ホラアナグマ Cave bear(絶滅)
Ursus minimus 和名無し(絶滅)
Ursus etruscus エトルリアグマ (絶滅)

このうち、3種は既に、絶滅しています。日本でのクマ被害と関連するクマは、ヒグマとツキノワグマです。ヒグマは成獣のオスで体長2.0-2.8m、体重は250-500kg程度、メスは一回り小さく体長1.8-2.2mで体重は100-300kg程度とされています。一方、ツキノワグマは体長1.2-1.8メートル、体重はオスで50-120kg、メスで40-70kgとされています。

日本に於ける、ヒグマとツキノワグマの分布は、[図5.1](サイト1)のようになっています。この図には1973年と2003年の調査結果が記載されています。ヒグマの生息域は北海道に限られますが、ツキノワグマは本州及び四国に生息しています。クマ全体でみると、1973年より2003年での確認生息数が増えています。比較するとツキノワグマの方が、1973年より2003年で生息域も拡大していることが判ります。

前回で述べましたが、広島大学の西堀先生から、「広島県に出没しているクマについて解析できないか」との話がありました。最近、広島市内でもクマの目撃情報があるとのことでした。[図5.1]の2003年でのクマの生息域から判断すると、広島市には生息していないとされることから、近年の生息域拡大が確実になっていると考えられます。

地域単位でクマの生息数を予測する為に、クマDNAの検出の程度を数値化する必要があります。そして、得られた数値が現状を映したものであるかを確認する必要があります。

◆ツキノワグマ・ヒグマを検出するプイラマ-の作製

ツキノワグマ・ヒグマのDNA配列を特異的に検出することのできるプライマーを作製する時に注意することは今までと同じです。具体的には、ツキノワグマ・ヒグマのDNAは検出するが、クマとの近縁種である、イヌ科の動物或いはイタチ科の動物のDNAは検出しないプライマーを作製することです。 

作成方法の詳細は省きますが、こうした条件で作製したプライマーが、実際のPCRでクマのDNAを検出した例を[図5.2]に示しました。[図5.2]に示したものは、大気環境中にクマ由来の生物デブリが存在することを示しています。次に、それがどの程度存在するのかを数値として表す必要があります。そのために、先ずサンプル中のDNA分子数を測定することにしました。

[図5.2]実際のPCRでクマのDNAを検出した例

まず、クマのDNA分子数を3分子、30分子、300分子、そして3,000分子含むサンプルを用意します。それらのサンプルでクマのDNAの検出を試みました。[図5.3]にその結果を示しましたが、検出されたシグナルは、分子数と直線的関係にあり、その相関を示すR値は0.9997となりました。これは極めて高い相関性を示しています(Rが1であれば、完全な比例関係有りです)。

このデータを利用すれば、リアルタイムPCRの結果で、Y軸のCt値を得ることで、そのサンプルに存在するクマのDNAの分子数を計算することができます。つまり、特定の大気環境中でのクマ由来のデブリの量を計算することができるのです。
 

[図5.3]クマ検出プライマーを用いた定量的PCR解析

 

[図5.4]安佐動物公園(広島市)でのクマ舎からの距離と大気中のクマ由来DNAの分子数

次の段階として、クマがいるところで、クマDNAが見つかるか、そして、もしクマのDNAが見つかった場合は、クマのいる場所から離れるに従って、検出されるクマのDNA量が減るのかを実際の場所で調べてみる必要があります。

そこで、広島大学の西堀先生と広島市にある安佐動物公園の協力を得て、検証してみました。[図5.4]にその結果を示しましたが、予想通りクマ舎で、大気中のクマDNA分子は最も多く検出され、距離が離れるに従って、検出された分子数は減りました。

もう1サンプル、つくば遺伝子研究所の所在地で捕集した大気中でのクマDNA分子数の測定を行いました。結果、検出数はゼロでした[図5.5]。つくば遺伝子研究所の所在場所である土浦では、クマの出没情報の報告は皆無ですから、検出数ゼロは実際のことを反映していると思われます。

 

[図5.5]大気中のクマ由来DNAの分子数

意外だったのが、東広島市にある広島大学の建物の屋上で採取した生物デブリにクマのDNAが検出されたことです。図5.5に示した場所以外でも大気中のクマDNA分子数を測定し、クマDNAマップとして纏めたものを[図5.6]に示しました。この[図5.6]は広島大学の西堀先生のところでまとめられたもので、すでに公表されています。東広島市の広島大学で集めた生物デブリでもクマが検出されていることに不思議と思われる方もあるかと思いますが、最近大学から10km以内で熊の出没情報がありました。今後の課題は、どの程度離れた距離に出没するクマを検出できるのかの検証を考えています。

この結果を敷衍すれば、その地域に生息する特定生物の数までも、大気中の特定生物のデブリ由来DNAを数値化することにより予測することができると考えられます。このことは、夜行性動物、害虫の生息(さらには数)の推定に役立つものと思われます。

前回で、ある食堂でラット由来のDNAが検出されましたが、その時の検査は定性的なもので、食堂内にいるのか、野外にいてそのデブリが外気とともに侵入したのかは定かではありませんでした。これを検証するには、外気でのラットDNA分子数と食堂内の分子数を測定すること、その結果外気に比べて食堂内の分子数が有意に高ければ、食堂内に生息している可能性が示唆されます。次回以降で、大気中の特定生物のデブリ由来DNAを数値化する技術を用いて、病原微生物・害虫を検出することについて紹介したいと思います。

[図5.6]大気中のクマDNA分子数を測定して纏めたクマDNAマップ

サイト1  https://www.env.go.jp/houdou/gazou/5533/6252/2141.pdf

◎安江 博 わかりやすい!科学の最前線
〈01〉生き物の根幹にある核酸
〈02〉ヒトのゲノム解析分析の進歩
〈03〉DNAがもたらす光と影[1]
〈04〉DNAがもたらす光と影[2]
〈05〉生物種の生存圏
〈06〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いたアルゼンチンアリの生存圏の解析 静岡市にはまだアルゼンチンアリが生息していた!
〈07〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた、ドブネズミ(ラット属)の生存圏の解析 この環境にドブネズミはいるのか、いないのか?
〈08〉大気中の生物デブリ捕集装置を用いた、クマ(クマ科)の生存圏の解析

▼安江 博(やすえ・ひろし)
1949年、大阪生まれ。大阪大学理学研究科博士課程修了(理学博士)。農林水産省・厚生労働省に技官として勤務、愛知県がんセンター主任研究員、農業生物資源研究所、成育医療センターへ出向。フランス(パリINRA)米国(ミネソタ州立大)駐在。筑波大学(農林学系)助教授、同大学(医療系一消化器外科)非常勤講師等を経て、現在(株)つくば遺伝子研究所所長。著書に『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』(鹿砦社)等

安江博『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846314359/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000686
四六判/カバー装 本文128ページ/オールカラー/定価1,650円(税込)

片島聡志が海老原竜二を多彩に攻めて圧倒、フリーから参加の存在感を示す。
小清水涼太も連続出場で、棚橋賢二郎の強打を封じて判定勝利。
チャンピオンの真価問われる剱田昌弘は、積極性見せるも決め手に欠ける引分け。
喜多村美紀はミネルヴァ王座挑戦に繋げ、僅差ながら手数上回った判定勝利。
笹谷淳が引退、テンカウントゴングに送られる。

◎野獣シリーズvol.2 / 4月15日(土)後楽園ホール17:30~21:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第12試合 55.0kg契約 5回戦

NKBバンタム級1位.海老原竜二(神武館/1991.3.6埼玉県出身/ 54.6kg)
26戦14勝(6KO)12敗
      VS
片島聡志(元・WPMF世界スーパーフライ級C/KickLife/1990.10.19大分県出身/ 54.85kg)
53戦28勝(2KO)20敗5分
勝者:片島聡志 / TKO 4R 2:11
主審:前田仁

開始から両者のパンチ、ローキック、前蹴りで探り合いの中、海老原竜二はパンチ中心に出るも片島聡志にやや圧され気味。片島はオールラウンドプレーヤーでパンチ、ヒジ打ちでもタイミングがいいヒット。第3ラウンドには片島の右ヒジ打ちで海老原は右目尻辺りをカット。更に片島がパンチ連打で追ってヒザ蹴りでスタンディングダウンを奪った。

第4ラウンドには劣勢の海老原を追って、組んでヒザ蹴りボディー攻めでスタンディングダウンを奪い、更に攻勢を続けてローキックで初めてマットに転ばすノックダウン奪うと海老原は呼吸整えて立ち上がるも、これまでのダメージを見たレフェリーがカウント中にストップをかけて試合終了となった。

試合後、海老原の強さしぶとさについて片島聡志は、
「噂には聞いていましたけど、気持ちが強いですね。」
さらに「ヒジ打ち期待していると周囲に言われたので調子に乗ってやっちゃいました。」と語った。技の多彩さ、戦略的に優ったことは、いろいろなテクニシャンと戦ってWPMF世界戦までの経験値があった結果だろう。

徐々にペースを掴み、攻勢を続けた片島聡志の右ストレート

片島聡志が終盤のヒザ蹴り猛攻で海老原竜二はグロッギー状態

◆第11試合 ライト級3回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県出身/ 60.95kg)
20戦10勝(7KO)9敗1分
VS
小清水涼太(KINGLEO/1999.3.30富山県出身/ 61.0kg)
5戦4勝(2KO)1敗
勝者:小清水涼太 / 判定0-3
主審:亀川明史
副審:加賀見27-29. 鈴木28-29. 前田27-29

小清水涼太は前回2月出場で蘭賀大介を右フック気味のパンチ一撃でインパクトあるTKO勝利しての連続出場。

ローキック中心に牽制し合う両者。小清水涼太の長身を利した前蹴りとヒザ蹴り、パンチがやや目立つ展開。棚橋賢二郎は強打を温存している感じ。小清水は飛びヒザ蹴りも見せる。主導権奪った小清水の左ストレートがヒットすると棚橋は腰が落ちかけスタンディングダウンを取られる。ここから棚橋もパンチ勝負に出るも小清水は蹴りで凌ぎ、パンチも打ち返して見せる。

第3ラウンド、棚橋がパンチで出るも縺れて倒れる際、偶然のバッティングから小清水がマットに後頭部を打ったか脳震盪を起こす。インターバルを与えて再開するもダメージが響いて棚橋の攻勢に転じてしまうが、何とか打ち返し凌いで逃げ切り、小清水が判定勝利。

長身を利した展開で棚橋賢二郎にハイキックで攻める小清水涼太

終盤、偶然のバッティングで苦戦したが、内容的には完勝の小清水涼太

◆第10試合 73.5kg契約 5回戦

NKBミドル級チャンピオン.釼田昌弘(テツ/1989.10.31鹿児島県出身/ 73.3kg)
21戦6勝(1KO)11敗4分
VS
土屋忍(kunisnipe旭/1986.12.11千葉県出身/ 72.35kg)
17戦9勝6敗2分
引分け 1-0
主審:高谷秀幸
副審:前田30-28. 鈴木29-29. 加賀見29-29

初回は離れた距離からパンチとローキック中心の攻防。第2ラウンドには釼田昌弘は積極的にパンチや蹴りから組み付いてヒザ蹴りに出て転ばす展開も見せる。土屋もローキックやミドルキックで優勢に立つチャンスはあっただろうが、剱田昌弘のしつこい接近戦にリズムを狂わされる。しかし剱田昌弘は土屋を弱らせるに至らない決め手の無い展開で終了。

インパクトある展開を見せたい剱田昌弘は攻め切れずドロー

◆第9試合 60.0kg契約3回戦

半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/ 60.0kg)
26戦9勝(4KO)14敗3分
VS
蘭賀大介(ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/ 59.9kg)
6戦4勝(3KO)1敗1分
勝者:蘭賀大介 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:高谷26-30. 前田26-30. 亀川26-30

初回はパンチと蹴りの互角の流れの中、第2ラウンドに蘭賀大介が左ストレートでノックダウンを奪い、第3ラウンドには蘭賀が右ストレートから連打で半澤信也の上半身をロープの外に押し出すとノックダウンとなってポイント的には蘭賀が大差判定勝利となった。

パンチと蹴りのコンビネーションで優った蘭賀大介

◆第8試合 女子ライトフライ級3回戦(2分制/ミネルヴァ推薦試合)

ミネルヴァ・ライトフライ級1位.喜多村美紀(テツ/1986.6.27広島県出身/ 48.3kg)
27戦12勝11敗4分
VS
同級5位.Yuka☆(SHINE沖縄/1984.7.3沖縄県出身/ 48.65kg)8戦4勝4敗
勝者:喜多村美紀 / 判定2-1
主審:鈴木義和          
副審:高谷30-29. 前田30-28. 加賀見29-30

初回、パンチとローキック中心に積極的な打ち合いに出る両者。
第2ラウンドには喜多村美紀のパンチヒットも、パワーの無さで差が出難い展開が続き、判定は2-1に分かれるも喜多村美紀の前進したヒットがやや優勢点を奪った。

僅差ながら的確なパンチと蹴りが勝利を導いた喜多村美紀

◆第7試合 女子バンタム級3回戦(2分制)

Mickey(ピリカTP/1992.12.11福岡県出身/ 53.3kg)5戦5勝(2KO)
VS
MEGUMI KICK SPARK(KICK SPARK/1979.12.4大阪府出身/ 53.25kg)3戦3敗
勝者:Mickey / TKO 1R 1:53
主審:前田仁

離れた距離でパンチと蹴りの様子見の攻防から、Mickeyがコーナーに詰めてパンチ連打からヒザ蹴り。組み合ってヒザ蹴りからやや離れたところでの右ストレートヒットでMEGUMIが倒れるとダメージ深いと見た様子でノーカウントのレフェリーストップとなった。

5戦全勝となったMickey、女子として倒す力も付いてきた今後のKOに期待

◆NKBウェルター級1位、笹谷淳引退セレモニー

笹谷淳は1975年3月17日、東京都出身。2002年11月デビュー。2010年10月、J-NETWORKウェルター級王座に就いた。

今年2月18日にはNKBウェルター級王座決定戦で、カズ・ジャンジラに判定負けがラストファイトとなった。

連盟渡邉信久代表やジム・後援関係などからの記念品授与の後、マイクを持っての挨拶では6分間に渡るスピーチをメモなど用意せず、一度もとちることなく20年間の自身の想いを語り続けた立派な挨拶だった。この後、テンカウントゴングに送られリングを去った。62戦29勝(10KO)31敗2分。

引退テンカウントゴングを聴いた笹谷淳、スピーチも貫禄があった

◆第6試合 バンタム級3回戦

兵庫志門(テツ/1996.4.4兵庫県出身/ 53.2kg)11戦4勝(1KO)5敗2分
VS
中島隆徳(GET OVER/2005.4.8愛知県出身/ 52.75kg)6戦2勝(1KO)3敗1分
引分け 0-0
主審:加賀見淳
副審:鈴木30-30. 高谷30-30. 前田30-30

◆第5試合 ミドル級3回戦

夏空(NK/1999.7.24大阪府出身/ 72.4kg)3戦3勝(1KO)
VS
TOMO・JANJIRA(JANJIRA/1992.1.12京都府出身/ 72.25kg)1戦1敗
勝者:夏空 / TKO 2R 0:40 / カウント中のレフェリーストップ
主審:高谷秀幸

◆第4試合 55.0kg契約3回戦

野村リトル知生(TEAM Aimhigh/1999.1.4愛知県出身/ 54.6kg)3戦2勝1敗
VS
田嶋真虎(Realiser STUDIO/2002.6.28埼玉県出身/ 54.85kg)2戦2敗
勝者:野村リトル知生 / 判定2-0
主審:鈴木義和        
副審:亀川29-29. 前田30-27. 高谷30-28

◆第3試合 ライト級3回戦

青山遼(神武館/1999.2.5埼玉県出身/ 61.05kg)3戦3敗
VS
津田宗弥(クロスポイント吉祥寺/1980.1.8神奈川県出身/ 60.75kg)1戦1勝(1KO)
勝者:津田宗弥 / KO 2R 1:15 / 3ノックダウン
主審:加賀見淳

◆第2試合 52.0kg契約3回戦

滑飛レオン(テツ/2006.12.23岡山県出身/ 52.0kg)4戦3勝(2KO)1敗
VS
荒谷壮太(アント/2006.2.3千葉県出身/ 51.85kg)1戦1敗
勝者:滑飛レオン / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木30-25. 高谷30-25. 加賀見30-25

◆第1試合 ウェルター級3回戦

吉瀧光(KINGLEO/1993.7.11富山県出身/ 66.25kg)6戦1勝(1KO)2敗3分
VS
健吾(BIG MOOSE/199310.10千葉県出身/ 66.3kg)1戦1勝
勝者:健吾 / 判定0-2
主審:亀川明史
副審:鈴木29-29. 高谷28-30. 加賀見28-30

《取材戦記》

マッチメイク一つ一つにドラマ造りが見えるNKBシリーズ戦。連続出場で2連続ノックアウト(TKO)勝利した片島聡志の新たなマッチメイクに繋がりそうである。

剱田昌弘はチャンピオンとしての自覚が芽生えたか、縺れ合ったり転ばしに行ったりではあるがパンチや蹴りに圧力も優って来た感じがあった。負け越し戦績はやがて逆転に進むだろう、とは言い切れないが、勝率が上がることを期待したい。

次回、日本キックボクシング連盟興行「野獣シリーズ」は6月17日(土)に後楽園ホールで開催予定です。

片島聡志を囲んだ陣営勝利のポーズ

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B00BZ6IWE4/

◆「押し紙」による不正収入は年間932億円規模

田所 実態として日本には5大紙を含め地方紙もたくさんありますが、ほとんどの新聞社が「押し紙」を続けているのですか。

黒薮 今ももちろん続いています。「押し紙」の収入は想像以上に巨額です。私がシュミレーションした数字があります。今問題になっている統一教会による被害額が、全国霊感商法対策弁護士連絡会によると35年間で1237億円です。一方で「押し紙」による収入がどれくらいかの規模になるのか想像できますか?。

 

黒薮哲哉さん

わたしは、2021年度日本新聞協会による統計を使って試算したことがあります。朝刊だけを対象にした試算です。それによると朝刊の総発行部数は、2590万部です。このうちの20%が「押し紙」だとします。20%は過少な数字なのですが、誇張を避けるために20%で計算しました。そうすると「押し紙」の部数は、全国で1日に518万部です。新聞一部の卸値はだいたい定価の半額です。朝刊の月間購読料は約3000円ほどですから、一部あたりの卸値を1500円で計算すると、月間で77億7千万円となります。これを12倍つまり1年で計算すると約932億円です。これが「押し紙」による不正な収入の額です。先ほどの統一教会による被害額は、35年で1237億円と説明しましたが、「押し紙」による不正収入は、たった1年で932億円です。これを35年ベースになおすと、32兆6200億円になります。これだけの不正なお金が「押し紙」から発生しているのです。

統一教会の事件は、大問題になっていますが、不正な収入の金額という点でいえば、新聞業界のほうがはるかに悪質なことをしているわけです。こうした事実は、ちゃんと暴露すべきなのです。

田所 統一教会は信者の数が新聞購読者ほどたくさんいるわけではないので、一人当たりの被害額が大きいからあたかも悪いと。実際悪いのですが、総額でみると新聞のほうが途方もない額を誤魔化している。

黒薮 「押し紙」を無くせば年間で932億円ほどの収入が、全国の新聞社からなくなってしまうわけです。この点に公権力が着目すれば、メディアコントロールが簡単にできます。新聞社に対して、あまり反政府的なことを書いていると「押し紙」問題にメスを入れますよ、とほのめかせばメディアコントロールが簡単に成立します。私は日本の新聞がおかしくなった最大の原因はここにあると考えています。

 

田所敏夫さん

◆「押し紙」とメディア・コントロール

田所 先ほど来ジャーナリズムの問題をいくつかの角度からお話してきましたが、そういったこととは全く別に、新聞の売り方が真っ当ではないから、新聞の報道内容まで真っ当ではなくなってきた、という事があり得ると。

黒薮 それが新聞がダメになった客観的な原因と構図だと思います。「新聞報道はおかしい」と感じている人はたくさんいて、新聞の再生のために何が必要かという議論を展開しますが、肝心なこの構図には着目してもらえません。

たとえば東京新聞の「望月衣塑子記者と歩む会」という集まりがあります。望月さんのような記者が次々に出てくればジャーナリズムが良くなる、という考え方でしょう。そのことを全て否定するわけではありませんが、記者個人ではなく、もっと客観的な新聞社経営の問題にジャーナリズムが堕落した原因を探るべきでしょう。ドブから蚊が発生すれば、まずドブを掃除する必要があるのと同じ原理です。「押し紙」による莫大な不正資金が新聞紙に流れ込んでいるようでは、徹底的な権力批判は不可能です。

田所 客観的かつ構造的な問題ですね。いくら内部で優秀な記者が頑張ったところで、詐欺的な商法で新聞社が儲けていれば「あなたは詐欺をしているでしょう」と検察から指弾された時、極端にいえば新聞は潰れてしまうという話ですね。

黒薮 これとまったく同じメディア・コントロールの手口が戦前・戦中にもありました。それは、政府による新聞用紙の配給制度です。新聞用紙をコントロールすることで新聞社に暗黙の力をかけて世論を誘導させました。同じ構造が今もあります。その道具として機能している政策が、「押し紙」の放置です。新聞社は「押し紙」で莫大な利益を得るので、この点に着目すれば効果的にメディアコントロールができるのです。

田所 テレビを見ると元新聞社の政治局長や通信社の論説委員が、極めて政府あるいは体制寄りのコメントをしていることが多く、ジャーナリズムの問題が新聞を弱めた原因ではないかと、考えがちですがもっと根深く構造的な、「新聞が詐欺的商法」から自ら根腐れを起こしてしまった。どの新聞も部数を減らし経営が厳しいし、販売店も一つの新聞だけではやっていけない。それでも「押し紙」問題に新聞社が気付くことはないのでしょうか。

黒薮 「押し紙」を無くしてしまうとその分の販売収入が減ってしまうので無理でしょう。「押し紙」収入を含めて年間の予算を組んでいますから。逆説的にいいえば、だからこそ「押し紙」問題がメディア・コントロールのネックになるわけです。

◆新聞社の利益構造の中に組み込まれている「押し紙」という麻薬

田所 例えは悪いですが過疎地で政府からの交付金や、原発立地で国から回ってくる特別交付金がないと行政が維持できないから、毎年の予算にそれを組み入れて行政を維持しているのと同じような、麻薬中毒患者のような新聞社の利益構造の中に「押し紙」が組み込まれている。でも麻薬患者は最後に麻薬への依存が強くなり体を壊します。今新聞は麻薬患者に例えるとどれくらいの状態でしょうか。

黒薮 もう意識がない(笑)感じじゃないですか。社名は出しませんが、何千万円もの借金を背負わされている店主は珍しくありません。

田所 販売店の店主さんがですか。それは「押し紙」を引き受けることにより新聞社に払うお金がないからですか。

黒薮 そうです。なぜ借金してしまうかといえば、新聞の卸代金を新聞社に納金できなければ、原則的に強制廃業させます。そこで店主さんは、どこかからお金をかき集めてとりあえず新聞社に支払います。その繰り返しで、莫大な額の借金を背負ってしまうのです。担当員のご機嫌を取るために、一部の新聞販売店は、キャバレーなどで接待しているようです。昔、官僚らの「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待が問題になりましたが、新聞社の裏面はそのレベルなんですよ。

田所 こうした事情を新聞社は知っているのでしょうか。

黒薮 知らないはずがありません。ところが新聞社の言い分は「自分たちは、販売店から注文を受けた部数を提供しているだけで実売部数は把握していない」というものです。こうした嘘を平気で繰り返してきました。わたしは新聞社は一旦解体すべきだと思います。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る
〈07〉「押し紙」驚愕の実態 新聞社不正収入35年で30兆円以上

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

前の記事を読む »