本年も7月12日がやって来ました。鹿砦社にとっても私個人にとっても重要なメモリアルデーでした。事件があった2005年の7・12から早18年が経ちました。再来年で20年となります。会社にとっては壊滅的打撃を被りましたし、また私にとっても人生最大の苦難でした。毎年この日を迎えると、「よくぞ生き延びてきたな」と、いささか感傷的になると共に、まだこの世界でやることが残っていると思います。いい機会ですので、われわれの会社・鹿砦社の社史を簡単に振り返ってみましょう。

◆創業の頃

当社の創業は1969年(昭和44年)、70年安保を前にして国内のみならず世界中が騒然としていた時代です。沖縄はまだ米国領、ベトナムでは戦争が続いていました。最初の出版は、マルクス経済学者、中村丈夫編『マルクス主義軍事論』、時代を象徴するような本です。鹿砦社という社名も中村丈夫先生が命名されました。「鹿砦」とは、辞書を紐解けば鹿の角などで作った「山城」、今で言えば「バリケード」(死語?)ということですが、敵の攻撃や理不尽なことに対してはバリケードをこしらえ徹底抗戦せよ、という意だと解釈しています。

その後、『ブハーリン裁判』『クロンシュタット叛乱』『マフノ叛乱軍史』『左翼エスエル戦闘史』(これらは風塵社で復刊されています)等々、ロシア革命の捉え返しを中心として革命の意味を問い直す出版を続けます。当時関係した方々はほとんど亡くなられていますが、『続・全共闘白書』を編纂された前田和男さんは今でも生き残り老戦士として頑張っておられます。この頃はまだ私は入社しておらず熱心な一読者でした。一読者が、読んでいた本の版元の代表になるとは皮肉なものです。

しかし時代が70年代、80年代と推移するにつれ、こうした本も売れなくなり経営も厳しくなっていきます。

最初の出版『マルクス主義軍事論』とその広告

◆私が経営を引き継いでから

そうした中、80年代後半に私が経営を引き継ぎ、しばらくはそうした路線を踏襲していましたが、やはりにっちもさっちもいかなくなり、ちょっとした縁で一気に芸能暴露本路線へ転換、一時はこれが成功し「暴露本出版社」として世間に名を挙げます。これが性に合ったのか芸能路線は、いわゆる暴露本のみならず今に至るまで継続しています。それまでの鹿砦社をご存知の方には驚かれましたが、私にとってはロシア革命も芸能も等価とみなしています。

今、社会的に問題となっているジャニー喜多川未成年性的虐待問題も、『週刊文春』がキャンペーン始める以前の90年代半ばからパイオニア的に相次いで出版しています。なので、今春突如日本で報道され大きなインパクトを与えた英国BBCのドキュメントも最初当社に問い合わせがあり、簡単なレクチャーと当時の多くの書籍・資料を送り協力した次第です。現在多くの日本のマスメディアが20年遅れで採り上げていますが、こうしたマスメディアの態度が性的虐待の被害を広めたといえます。遅いです! 私たちは少部数ながらどんどん出版を世に訴えていたのですから。その後、唯一、採り上げたのが『週刊文春』でした。

また、芸能暴露本と同時並行的に継続していた社会問題書もラジカルに出版を続け、あまり知られていませんが出版差し止め5度、遂には代表の私が「名誉毀損」に名を借りて逮捕されるという前代未聞の事件になります(2005年)。捜査は取次3社(トーハン、日販、旧大阪屋)や製本所、倉庫会社はじめ取引先など広範囲に及び、特に取次3社は検察の求めに軽々に応じ販売資料を提出するという愚を犯しました。平素は「言論・出版の自由」を叫びながらこの体たらく、頑と拒否してほしかったところです。いや、拒否すべきでした。

鹿砦社弾圧を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

結局6カ月余り勾留され有罪判決(懲役1年2カ月、執行猶予4年)と600万円ほどの高額賠償金を課せられ(刑事、民事とも最高裁で確定)、会社は壊滅的打撃を被ります。ちなみに、これまで1億円を越す訴訟費用(賠償金含む)を使いました。

それでも読者や取引先、ライターの皆様方のご支援で奇跡的に復活し、事件前の水準を遙か凌駕する売上を上げるに至ります。べつに自慢するわけではありませんが…。一方当時本件を指揮した神戸地検特別刑事部長は別件の証拠隠滅で逮捕、失脚し、また刑事告訴し高額訴訟を提起した遊技機(パチンコ/パチスロ)メーカー創業者社長は政府高官への贈収賄容疑で海外で逮捕、遂には自らが作り育てた会社からも放逐されます。「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以です。

◆新型コロナ来襲! 再び苦境に

そうして新型コロナ禍──またまたどん底に落とされました。手持ち資金数千万円をあっというまに溶かし、さらに新たな負債を積み上げながらも、ここでも読者、取引先、ライターの皆様方のご支援で、ようやく苦境を脱しつつあります。当社は土壇場に強いといわれますが、さすがに齢70を越すと、体にも心臓にもよくありません。

前述の「名誉毀損」弾圧事件の直前に月刊『紙の爆弾』を創刊しましたが、モットーは「タブーなき言論」です。創刊時には「ペンのテロリスト」と自称していました。

最近では『紙の爆弾』の増刊号で森奈津子=編『人権と利権--「多様性」と排他性』を発行いたしました。「顰蹙は金を出してでも買え」とは幻冬舎・見城徹社長の名言ですが、本書も四方八方から顰蹙を買い、あっというまに完売です。「炎上商法」を意識したわけではありません。

2019年、創業50周年を皆様方に祝っていただき、年が明けたら新型コロナ襲来です。コロナが来なければ、左団扇で後進に道を譲り勇退していたでしょうが、コロナによる(だけでもありませんが)打撃で背負った負債を消していくために、まだまだ「老人力」でもって奮闘しなければならないようです。昔風に言えば「闘争勝利!」です。

当面の目標は再来年(2025年)の月刊『紙の爆弾』創刊20周年ですが、満身創痍の50年余の社史を想起するに、冒頭に記したように、よくもここまで生き延びてきたものだと、あらためて感傷的になります。

7月12日、運命的な逮捕から18年が経ちました。いろいろあった鹿砦社の歴史の一端を紹介させていただきました。

歴史の彼方に忘却されつつある〈7・12〉のことを想起いただければ幸いです。

(松岡利康)

10周年に、大学の後輩で書家の龍一郎が贈ってくれた書

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年7月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)