◆私のLike A-Rolling Stone ── 転石苔むさず

時は日本が高度経済成長邁進中、1964年の「ならあっちに行ってやる」!─ 長髪高校生17歳の無謀な決心に始まる私のLike A-Rolling Stone「京都青春記」は、1970年3月のよど号ハイジャック闘争を前にした「革命家になる」決意文 ─「(たとえ死んでも)大きな愛の中で断じて生き抜く」をその結論とした。76歳まで生かされた2023年現在はピョンヤンでその「続編」を生きている。

Like A-Rolling Stone ─ ボブ・ディランの歌詞は、「転石」人生に落ちた女、かつては羽振りのよかった高慢ちきな女の零落ぶりを“How does it feel?”「いまの気分はどうだい?」と皮肉り嘲笑する言葉が並ぶが、私の「京都青春記」はその「転石」とはちょっと意味が異なる。

あっちにぶつかり、こっちに転がることによって「転石苔むさず」─「戦後日本はおかしい」の思いは錆び付くことなく一皮、二皮むけながら「戦後日本は革命すべき」へと一歩また一歩、前へ前へと進むことができた。

「いいんじゃない、若林君はぜんぜん悪くないよ」のOKに始まり、「簡単じゃないからいいんじゃないですか」の仁奈さん、「ジュッパチ─山崎博昭の死」の衝撃と日本の音楽界を革命する「裸のラリーズ」水谷孝・中村武志、「学生運動の野次馬」脱皮、「革命家の卵」からの孵化に苦闘中の私が「あなたの色はきっと輝く」を互いに競い合えた「よきライバル」、「俳優の卵」菫(すみれ)ちゃん……多くの幸運な出会いがそれを可能にしてくれた。

「ロックと革命in京都 1964─1970」を書きながら曲折多い「京都の青春」を共にしてくれた人たちへの想いを新たにしたが、いまそれを書き終えて「京都青春記」恩人たちには心からの「ありがとう」! を改めて述べたいと思う。

そして「転石」途上の転換期に唐突な「さよなら」で恩人に不義理を重ねた私の「京都の青春」、ただただ自分のことで精いっぱいだった未熟さを省(かえり)みる、そして「だから私はこの道を歩み続ける責任がある」! この瀬戸内寂聴さんのお言葉を噛みしめ肝に銘じたい。

また「京都の青春」最大の幸運は、あの学生運動の高揚期に出会えたこと、でもそれは敗北と未遂に終わった、だからこそその苦い教訓を糧に「この道を歩み続ける」決意を新たにしている。

そして決意を新たにしながら、「若林、おまえいったい誰のために革命やってるんや?」の問いかけで私の蒙を啓(ひら)いてくれた「京都青春記」以降の「革命家になる」人生最大の恩人、田宮高麿 ── 彼のことをここでは書けなかったが、それは「1970年 ── 端境期の時代」(鹿砦社)をご参照いただくことにして、ここに故人を心から悼みながら最大級の感謝を田宮高麿に捧げたい。


◎[参考動画]Bob Dylan – Like A Rolling Stone

 

Dylan & Suze

◆「絵に描いたような青春」??

私の「京都青春記」を読んで「まるで絵に描いたような青春ですね」と感想をくれた人がいる。

たしかに「革命と音楽と恋」─絵のような花の青春! そう見えるかもしれない。

あれから50余年の年輪を重ねた今だからこそ「若い頃の感情やその意味を穏やかに振り返ることができる」、でも「京都の青春」渦中にあるとき、私の心中はまったく穏やかでなかった。「あっち」には行ったものの「目標がわからない」「自分のものがない」「未来が見えない」暗中模索の時期、私にはある意味「暗闇まっただ中の時代」というのが当時の私の実感だ。

「二十歳、それが人生で最も美しい季節だとは誰にも言わせない」! このポール・ニザンの言葉そのままの青春だったと思う。これは何も私だけじゃないだろうが……。

ついでにいえば恩人にはなぜか女性が多い。「もてたんですね」と言う人もいるが、それもちょっと違う。

あの頃の女性には長髪人間は見るからに「ヤバイ男性」、そんな「お付き合い対象外」の私にいわゆる男女交際、普通のデートなどできるわけがない。にもかかわらず私の恩人に女性が多いのは当時の時代状況と関係していると思う。

「アメリカに追いつき追い越せ」の戦後日本で男性には活躍の機会が広がったけれど、女性は相変わらず「結婚して家庭に入る」── 職場は結婚するまでの腰かけ、料理に裁縫、お花にお茶の稽古事といった「花嫁修業」が若い女性に「望まれる人生」ルートだった時代だった。男は「モーレツ社員の会社人間」! 女は家庭を守る「良妻賢母」! そんな時代風潮に抗し男より早く自我に目覚め自立志向を強める女性が出てくるような時代でもあった。少数ではあれそんな女性には「ならあっちに行ってやる」の私とは奇妙な「魂の親近性」があったと思う。

 

平塚らいてうと雑誌『青鞜』

OKはボーヴォワール、仁奈さんは平塚らいてうや樋口一葉を敬愛し、菫ちゃんには演劇があった。彼女らはある意味、覚醒は私より一歩進んでた女性たち、だから「私の師」とも言えるような存在でもあった。

そういう存在は、男性には水谷孝、中村武志しかいなかった、ただそれだけのことだ。

そういう彼女ら彼らと出会えたこと、震えるような魂の刺激を受け、多くを学べたことは本当に幸運だったと思う。

◆「自分の国」を話せない日本人

小中高校生の頃、「尊敬する人物を書きなさい」というアンケートが私は苦手だった。そう言われても頭に浮かぶ人物が私にはなかったからだ。適当に誰かの名前を書くには書いたが、自分は何にも知らないんやといつもちょっと自分が嫌になった。いま考えれば、それは単なる無知じゃなく、私には尊敬することの「基準」というものがわからなかったのだ。画家のゴッホやモジリアニが好きだ、憧れだというのはあっても、それは「尊敬する人物」とはちょっと違う。

「天皇陛下万歳」の日本から「アメリカ万歳」の日本に激変した敗戦直後の日本では大人たちも自分の価値観が混乱するのも当たり前だった時代だ。「二度と戦争をやってはいけない」「軍国主義はもうまっぴらだ」と子供に言えても、「これだ」という自分のもの、日本に根ざした信念や信条、道徳や倫理を子供に教えられる大人はほとんどいなかった。当然、子供の私には何を尊敬し、何を誇りにするのか、わかるはずがなかった。

いまも日本人は外国に行って、他の国の人間と比べて自分の国のことを話せない、話さない、ただ他人の「お国自慢」を聞いてるだけ、とよく言われる。それは戦後日本のアイデンティティ、誇りというものが相変わらず曖昧模糊状態にあることの反映ではないかと思う。

‘70年代後半の頃、フランスに行ったとき「シノワ(中国人)か?」と声をかけてきたアフリカやアラブ系の若者に「ジャポネ(日本人)だ」と答えたら、「ホンダ、スズキ tres bien(素晴らしい)」! と彼らは親指を立てた。でも私はちっとも嬉しくなかった。「それがどうだっていうの?」、「それだけ?」と苦笑いせざるをえなかった。

朝鮮に来て初めて革命博物館に見学に行った時のことだ。抗日武装闘争館を見て回ったとき、講師の女性は日本の若者に「日本人民も日本軍国主義者の犠牲者じゃないですか」と言った。この言葉には外交辞令でもない真実味はあったが、私はどこかで何かひっかかった。素直に「そうです」とは言えなかった。

「中国人捕虜刺殺要領」を授業中に得々と生徒に語った教師は根っからの軍国主義者でもない「民主主義教育のリーダー」だった日本人だ。反日ゲリラの中国人捕虜を「日本の敵」と信じたからこそ躊躇なく刺殺できた日本人だ。当時の多くの日本兵士がそうだったのだろう。大人になって、つらい戦場では従軍慰安婦と過ごす慰安所での時間が唯一の楽しみだったという老人の話も聞いた。これを戦後世代が一概に非難することはできない、果たして自分たちに戦前世代を非難する資格があるのだろうか?

戦後の日本人はアメリカには頭を下げたけれど、アジアには頭を下げないまま今日まで来た。言葉を換えれば、上述の教師のように「中国人捕虜刺殺と戦後民主主義はイコールで結ばれている」! 極論かもしれないが、これが戦後日本ではなかったのか? 北ベトナム爆撃に向かう米軍機B52が沖縄の基地を出撃拠点にしたのもそういう戦後日本の反映だ。

それはアメリカの価値観(連合国史観とも言われるが)でしかあの戦争を総括しなかったからではないのかと思う。自分の頭で考えた「戦争の反省」、自分の教訓というものがないまま他人の歴史観の受け売りで戦後日本は出発し、“なんとなく平和と民主主義”的な国として曖昧模糊なまま今日まですごしてきたのではないだろうか。

かつて「自存自衛の戦争」論、「米英の理不尽な経済制裁の圧迫包囲網による自滅から自分の国を守る戦争だった」が持論だった安倍元首相は、戦後70周年に米国で行った演説時、「当時の(米英中心の)国際秩序に挑戦した」ことを米国会で反省し、今後の日本は「国際秩序維持に積極的に貢献する」ことを誓い、持論を翻した。「愛国」を売り物にした「右翼」政治家すらこの体たらくだ。

戦後の日本人は自分を知らない、自分がわからない日本人になってしまった。自分がわからないから、自分のこと、自分の国のことを話せない。

私の場合、戦後日本への疑問から「ならあっちに行ってやる」以来のLike A-Rolling Stone青春として極端な形で現象したが、いまの日本人も根っこのところでは大して変わらないと思う。

私が何を言いたいのかといえば、「戦後日本はおかしい」はいまも変わらないし、日本人としてのアイデンティティを確立するためにも「戦後日本の革命」はいまも課題として残り続けているのではないかということだ。

◆「戦後日本の革命」── それはアイデンティティ確立の革命

この連載を始めるに当たって「序文」的に私はこう書いた。

“ウクライナ事態を経ていま時代は激動期に入っている。戦後日本の「常識」、「米国についていけばなんとかなる」、その基にある米国中心の覇権国際秩序は音を立てて崩れだしている。この現実を前にして否応なしに日本はどの道を進むのか? その選択、決心が問われている。それは思うに私たちの世代が敗北と未遂に終わった「戦後日本の革命」の継続、完成が問われているということだ。”

いま「戦後日本はおかしい」は極限にまで来ているように思う。

私は安保防衛問題を自分の研究課題にしているが、いまの日本はかつての「ベトナム反戦」どころじゃない、タモリの言った「新しい戦前」と言われる事態にまで来ている。

その「新しい戦前」の正体は、一言でいって「対中・代理“核”戦争国化」だ。これについては『紙の爆弾』やデジタル鹿砦社通信にいくつか書いたので、こちらを参照いただければと思う。ここは結論的に述べるにとどめたい。

ウクライナ支援を呼びかけたG7広島サミットは、逆にグローバルサウスと呼ばれる発展途上諸国の離反を招き、G7の孤立ぶりを世界に知らしめた。「G7が世界をリードする」時代は終わったのだ。

「核廃絶」を表看板に掲げ、G7各国首脳の原爆資料館参観まで演出したが、採択された「広島ビジョン」は核抑止力強化を謳った。この延長にある8月の岸田首相訪米、日米韓首脳・キャンプデービッド会談では「NATO並みの核使用に関する協議体」として日米韓“核”協議体創設が何らかの形で合意されるだろう。そして反撃能力(敵基地攻撃能力)保有の目玉として新設された陸自の「スタンドオフミサイル(「敵の射程外から撃てる」中距離ミサイル)部隊」への核搭載を可能にする「核共有」の道が開かれるだろう。

 

「核の傘」日米韓で協議体創設、対北抑止力を強化……米が打診(2023年3月8日付け読売新聞)

対中対決の核抑止力強化策としては、米国は自分が撃てば自国が核報復攻撃で甚大な被害をこうむるICBM(大陸間弾道ミサイル)を使うつもりはない、日本列島から届く戦術核ミサイルで代替する腹だ。それの具体化が「核の傘を貸す」、「核共有」に基づく陸自・中距離ミサイル部隊の「核武装化」、つまり日本の対中・代理“核”戦争国化だ。

当然、戦後日本の「決意」、非戦非核の国是は放棄させられる、それが「盟主」米国の「同盟義務履行」の求めだから日本政府は拒否できない。この求めに応じて日本の第一級「安保防衛問題専門家」と言われる人物は「日本の最大の弱点は核に対する無知だ」とまで言うようになった。

ここは政治を論じる場ではない。でも「戦後日本はおかしい」はここまで来ているということだけは訴えたい。ウクライナ戦争で中ロ二正面作戦を強いられ、ますます窮地に陥った米国の焦りは、対中対決最前線とされる日本に対する苛酷な要求として今後、露骨な形で現れてくるだろう。

いまは「覇権帝国の米国についていけばなんとかなる時代じゃない」どころか「覇権破綻の米国と無理心中するのか否か」というところまで来ている。

いま日本はどの道を進むべきか? 「戦後日本の革命」は現実問題として問われてくる! 

自身の運命の自己決定権─自分の運命は自分で決める、自分の頭で考え自分の道を自分の力で開く! 

それは戦後日本の曖昧模糊となったアイデンティティの再確立の道でもあると思う。(完)

このことが「ロックと革命」、「京都青春記」の続編、「ピョンヤン編」を生きる私がかつて共に闘った同世代、そしてこれからの日本に生きる若い人たちに訴えたいことだ。

《若林盛亮》ロックと革命 in 京都 1964-1970
〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命
〈02〉「しあんくれ~る」-ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な出会い
〈03〉仁奈(にな)詩手帖 ─「跳んでみたいな」共同行動
〈04〉10・8羽田闘争「山﨑博昭の死」の衝撃
〈05〉裸のラリーズ、それは「ジュッパチの衝撃」の化学融合
〈06〉裸のラリーズ ”yodo-go-a-go-go”── 愛することと信じることは……
〈07〉“インターナショナル“+”True Colors”= あなたの色はきっと輝く
〈08〉“ウェスカー‘68”「スミレの花咲く頃」→東大安田講堂死守戦「自己犠牲という花は美しい」
〈09〉孵化の時 ── 獄中は「革命の学校」、最後の京都は“Fields Of Gold”
〈10〉「端境期の時代」挑戦の赤軍派 ──「長髪よ、さらば」よど号赤軍「革命家になる」
〈11=最終回〉連載を終えるに当たってあと一言、いや二言、三言……

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

デジタル鹿砦社通信の小島卓編集長から、『情況』8月発売号の紹介をしてみてはいかが、というお誘いをいただきました。ありがたくお受けしたいと思います。

過日、『情況』第6期にご注目を、という記事をアップしたことがあります。おかげさまで、第6期『情況』誌は3号をかさね、11月発売号が出れば晴れて「3号雑誌」(勢いよく刊行したものの、3回で休刊)の誹りをまぬがれるわけです。読者の皆さまのご購読、ご支援に感謝いたします。

◆新しい論壇誌のスタイル

 

変革のための総合誌『情況』2023年夏号[第6期3号]【特集】音楽

さて、新左翼系の老舗雑誌と『情況』は呼ばれてきました。しかし、新左翼そのものが衰退、解体している昨今、その存続意義はあるのかという問いが生まれます。
じじつ、新左翼的な記事はほとんどなくなり(かつては、三里塚闘争や安保闘争、狭山闘争などが誌面を埋めた)、唯一果敢に闘われている沖縄反基地闘争(辺野古基地反対運動)も、新左翼特有の実力闘争ではなく、不服従の抗議闘争というのが実態だと思います。

運動誌・理論(学術)誌・オピニオン誌と、3つの性格を併せ持ってきた『情況』ですが、いまも有効なのはおそらく研究者にとっての論文発表の場、なのではないでしょうか。全国の大学図書館に70冊ほど、しかし岩波の『思想』、青土社の『現代思想』には遠く及びません。そして何よりも、学術誌は売れないのです。

もうひとつはオピニオン誌(論壇誌)としての性格で、第5期はここに比重を置いてきました。できればワンテーマこそが、クオリティマガジンとしてのステータスを高めるものになるはずですが、編集部をオープンにした結果、ごった煮の雑誌となったわけです。あれもこれも載せてくれと、ぶ厚い雑誌になりました。

雑誌というものは雑なものの集合体、いろんなファクターを入れた大船ですから、それはそれでいいのですが、いまひとつテーマの掘り下げに苦しんできたのが実態でした。

新しい編集部(第6期・塩野谷編集長)は、ヘンに背伸びをせず(難しいテーマを抱え込まず)、身近なテーマを掘り下げるところに特長があります。創刊号は「宗教」、2号目は「動物」、今回は「音楽」でした。

「音楽」は鹿砦社通信でもたびたび取り上げられていますが、時代性とテーマをその中にふくんでいます。プロテストソングを80人以上のアンケートで実施、特集の記事も20本と多彩なものになっています。政治と音楽(芸術)というテーマそれ自体、メッセージや音楽性の相関、扇動性、快楽といったかなり広い論軸を持っているものです。

その意味で、政治的なテーマや経済論評、政治経済の提言や批評がやや有効性をうしなっている(論壇誌で残存しているのは『文藝春秋』『世界』『中央公論』ほどしかない)現状では、人間にとって切実な「動物=食物」「音楽=日常に接する音」から人間を掘り下げる。これはなかなか良い手法だと思います。次号は「メンタルヘルス」だそうで、やはり切実なテーマだなと思います。

◆鹿砦社の広告について

ところで、『情況』は鹿砦社様の広告を表3(巻末)に定期掲載しています。『週刊金曜日』が当該者(団体)の抗議で、鹿砦社の広告を拒否した契機となった『人権と利権』も掲載しています。当然のことです。ご出稿いただいていることに、あらためて感謝するものです。

明らかに差別や人権侵害を目的とした刊行物でないかぎり、その表現や主張に、結果として差別的な内容・人権侵害的な内容が含まれていたとしても、誌上で批判・反批判をするべきです。そこにこそ、イデオロギー闘争としての「反差別」「人権擁護」が成立すると考えるからです。

したがって、今回の『週刊金曜日』の措置は、ファシストの焚書行為に相当するものと、わたしは考えます。『人権と利権』は運動内部に存在する「利権」を暴き出し、健全な反差別運動の発展をめざす視点から編集されていると、一読してわかるものです。

内容に誤りがあり、あるいは不十分であると考えるならば、批判の論攷を書けば良いのであって、人の眼に触れさせないのは矛盾の隠ぺい、自由な批判を抑圧するものにほかなりません。

『情況』も、昨年の4月刊で「キャンセルカルチャー特集」を組みました。2021年の呉座勇一さん(日本中世史・『応仁の乱』が50万部のベストセラー)のツイッターアカウントをめぐり、女性蔑視とするネット上の論争が起きた件をめぐり、執筆者から「情況の不買運動」を呼びかける論攷も掲載しました。

反差別運動の基本は、現代社会が資本主義の景気循環において相対的過剰人口を生み出し、そこにレイシズムの歴史的ファクター(差別意識)が結合することで、差別を再生産する社会であること。この基本認識があれば、差別を排除するのではなく俎上にあげて、分析・批判することを通じて、差別意識を変革していくことが求められるのです。

差別は個人・組織が起こすものですが、差別社会にこそ原因があることを忘れるならば、差別者のキャンセル、排除によって変革を放棄し、結果的に差別を温存することになります。すなわち『週刊金曜日』の今回の措置(広告拒否)こそが、差別を温存・助長するものにほかならないのです。

◆共産同首都圏委の逃亡

「排除」といえば、本通信でも何度か取り上げてきた、共産同首都圏委のウクライナ帝間戦争論について、8月発売号の「ウクライナ戦争論争」(本誌特別解説班)で結論を書きました。

首都圏委は人づてに聞いたところ「横山と論争をしないことに組織決定した」というのです。「排除」いや「逃亡」です。もう笑うしかありませんが、かれらは書き散らした論旨改ざん(論文不正)、誤読・誤記、引用文献の版元の間違いなど、恥ずかしいばかりの誤報の後始末もしないままなのです。そこでわれわれが彼らに代わって、訂正とお詫びを誌面に書きました(苦笑)。

また、新たな論敵として労働者共産党(元赤軍派の松平直彦氏が代表)の批判も全面展開しています。同世代の元活動家、研究者たちから「メチャメチャ面白い」の連絡をいただいています。

紹介と論軸の提起が長くなりました。今後とも、鹿砦社の出版物とともに『情況』をよろしくお願いいたします。(筆者敬白)

変革のための総合誌『情況』2023年夏号[第6期3号]【特集】音楽

『情況』HP http://jokyo.org/
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CDJ84P4J/
模索舎 https://mosakusha.com/?p=6153 

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 最寄りの書店でお買い求めください

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5GCZM7G/

東京電力福島第一原発事故から12年が経過した。岸田文雄政権は、それまでの「原発依存からの脱却」の方針を捨て、原発推進へと大きく舵を切った。原発の安全神話により過酷事故が起きた「福島の教訓」を忘れた暴挙といわざるを得ない。このままでは将来に大きな禍根を残すだろう。

政府は今国会で原子炉等規制法(炉規法)や電気事業法(電事法)を改正する予定だ。(※5月31日、炉規法、電事法、原子力基本法など5法を一括して改正すら「GX脱炭素電源法」が参院本会議で自民、公明、日本維新の会、国民民主の各党の賛成多数で可決、成立した。)

そのうちの最も大きな変更点は、現在最長60年とされている原発の運転年数を事実上無制限化する「原発延命政策」である。これは老朽炉を酷使するだけであり、およそ政策とさえ呼べない乱暴なものだ。しかも、その運転延長年数には「長期運転停止期間」と、世界にも例のない不定形の延長期間を持ち込もうとしている。

◆唐突に原発推進が目玉政策に

「GX実行会議」で原発の新増設や運転期間延長など政策大転換を決定したのは昨年12月22日。

「エネルギーの安定供給と気候変動対策」を名目とするが、その根拠は極めて薄弱。原子力に依存する産業界や原子力ムラへの貢献が最大の理由だ。

国の将来を左右するエネルギー政策の大転換を、非民主的な方法で決めるプロセスにも正当性はない。政府自ら作り出した「エネルギー危機」を理由とするマッチポンプ式でもある。

そして次世代型原発の開発や建設との実現性のない構想を加えて、あたかも「安全な原発による推進」であるかの偽装までしている。2011年の東京電力福島第一原発事故後の「可能な限り原発依存度を低減する」との方針は、事実上放棄された。

この政策は、内閣府の「GX実行会議」という場で決められた。GXとは、「グリーン・トランスフォーメーション」のことだという。

「過去、幾度となく安定供給の危機に見舞われてきた我が国にとって、産業革命以来の化石エネルギー中心の産業構造・社会構造をクリーンエネルギー中心へ転換する、戦後における産業・エネルギー政策の大転換を意味する」と、GXは説明されている( 「GX実現に向けた基本方針」より)。

これがどうして原発推進に姿を変えるのか。原発がクリーンエネルギーなど「3・11」以前の安全神話時代の妄想でしかない。

福島第一原発事故で広大な地域が汚染され最大16万4千人余が避難を余儀なくされた。今も傷は癒えず、 「震災関連死」と呼ばれる犠牲は増え続けている。なかったかのような議論の進め方は、あまりにも酷い。

首相が原発政策転換の意思を示したのは8月末、経産省が原子力小委員会などで報告書を急造し、4カ月後のGX会議で方針が決まる。このドタバタの動きは、昨年2月に発生したロシアによるウクライナ侵攻でエネルギーコストが急上昇し、世界的に原発を再評価する動きが始まった時期に付合し、機会を逃すなとばかり原子力推進派が原発活用政策をねじ込み、GX会議に押し込んだのだ。

GX会議には電力会社や既存の大企業の代表者が中心で構成されており、議論は非公開。不透明極まりない。すでに進行している電力自由のもとで電力市場で競争にさらされる日本の電力会社は、いまさら原発の新増設に投資することは難しい。

さらに、次世代と銘打った原発は、すでにフランスのアレバ社が建設を進めていたが、1基あたり1兆円を超える巨額の建設費と困難な建設工事で、政府が推進方針を示しても進まない状況が続いている。日本で同様の次世代原発を導入しようとしても同じ困難に直面することは明らかだ。

このような「エネルギー危機」は自然エネルギーシステムを中心にした分散型のシステムの開発や電源システム改革で、十分まかなえるものだ。

結局、電力会社にとって最も有利な、既存の原発をできる限り使い続ける方針が政策の本命とみて間違いない。(つづく)

本稿は『季節』2023年春号(2023年3月11日発売号)掲載の「『原発政策大転換』の本命 60年超えの運転延長は認められない」を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。

▼山崎久隆(やまざき・ひさたか)
たんぽぽ舎共同代表。1959年富山県生まれ。脱原発東電株主運動、東電株主代表訴訟に参加。反原発運動のひろば「たんぽぽ舎」設立時からのメンバー。湾岸戦争時、米英軍が使った劣化ウラン弾による健康被害や劣化ウラン廃絶の運動に参加。福島第一原発事故に対し、全原発の停止と廃炉、原子力からの撤退を求める活動に参加。著書に『隠して核武装する日本』(影書房 2007年/増補新版 2013年)、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社 2012年)、『原発を再稼働させてはいけない4つの理由』(合同出版 2012年)、『核時代の神話と虚像 ── 原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史』(共著/木村朗、高橋博子編/明石書店 2015年)等多数。

◎たんぽぽ舎 https://www.tanpoposya.com/
◎たんぽぽ舎メルマガ:「地震と原発情報」 メルマガ申込み(無料)

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

龍一郎揮毫

私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0C6SZ247L/

映画『[窓]MADO 』が、ロンドン独立映画賞(London Independent Film Award)の最優秀外国映画賞を受賞した。作品は、11月18日から東京渋谷のユーロスペースで2週間に渡って再上映される。

麻王監督は、フェイスブックで、「元々、化学物質過敏症というテーマから、制作開始時点でこの映画はヨーロッパ圏の方にも刺さるんじゃないかと考えていたので、この連絡を頂けて嬉しいです」と、コメントを発表した。

映画『[窓]MADO 』

この映画は、デジタル鹿砦社通信でもたびたび取り上げてきた横浜副流煙事件に材を取ったフィクションである。実在する事件と作品との間には、若干の隔たりがあるが、化学物質過敏症をめぐる問題の複雑さをテーマにしているという点では共通している。

事件の発端は、2016年にさかのぼる。横浜市青葉区のマンモス団地で、煙草の副流煙をめぐる隣人トラブルが発生した。

ミュージシャンの藤井将登さんは、同じマンションの上層階に住むA家(夫、妻、娘)の3人から、「あなたの煙草の煙が原因で体調を崩したので禁煙してほしい」と、苦情を言われた。

将登さんは喫煙者だった。1日に2、3本の外国製の煙草を自宅の音楽室で嗜む。しかし、音楽室には防音構造がほどこされ、密封状態になっているので、副流煙が外部へ漏れることはない。

とはいえ、自分に加害者の疑惑がかけられたことに衝撃を受けた。そこで暫くのあいだ禁煙してみた。ところがA家の3人は、なおも同じ苦情を言い続けた。煙草の煙が自宅に入ってくるというのだ。疑いは、煙草を吸わない奥さんと娘さんにも向けられた。将登さんは、A家の苦情にこれ以上は対処しない方針を決めた。副流煙の発生源は自分ではないと確信したからだ。

ところがその後もA家からの苦情は続き、警察まで繰り出す事態となった。2017年になって将登さんは、A家の3人から4518万円の損害賠償を求める裁判を起こされた。裁判が始まると日本禁煙学会の作田学理事長が全面的にA家の支援に乗り出してきた。提訴の根拠になったのも、実は作田医師が交付した「受動喫煙症」の病名を付した診断書だった。

裁判が進むにつれて、恐ろしい事実が浮上してくる。作田医師が作成したA家3人の診断書のうち、娘のものが虚偽診断書であることが分かったのだ。作田医師は、A娘を診察していなかった。診察せずに診断書を交付していたのだ。これは医師法20条違反に該当する。こうした経緯もあり、裁判は将登さんの全面勝訴で終わった。A家の主張は、何ひとつ認められなかったのだ。

麻王監督が映画化したのはこの段階までである。実際、事件を取材してきたわたしも横浜副流煙裁判は、将登さんの勝訴で終わったと思った。拙著『禁煙ファシズム』(鹿砦社)で、わたしが記録したのもこのステージまでだ。

映画『[窓]MADO 』

◆横浜副流煙事件のその後

将登さんの勝訴で裁判が終わった後のことを若干補足しておこう。既に述べたように作田医師がA娘に交付した診断書は虚偽診断書だった。そこで将登さんと妻の敦子さんが中心になって、作田医師を地元の神奈川県警青葉警察署に刑事告発した。青葉警察署は事件を捜査して、作田医師を書類送検した。

しかし横浜地検は、作田医師を不起訴とした。これに対して藤井夫妻らは、検察審査会に審査を申し立てた。検察審査会は、「不起訴不当」の議決を下したが、時効の壁に阻まれて作田医師は起訴を免れた。公式には不起訴処分となった。

その後、藤井夫妻はA家の3人と作田医師に対して、根拠に乏しい不当な裁判を提起されたとして約1000万円の損害賠償を求める裁判を起こした。俗に言う反スラップ裁判である。この裁判の本人尋問の中で、作田医師が藤井敦子さんを指して、喫煙者だと事実摘示する場面もあった。この件についは敦子さんが、別の裁判が起こす公算が強くなっている。

◆ラジカルな市民運動

憎悪が憎悪を誘発するこれら一連の事件の背景には、喫煙者の撲滅といういささか過激な旗をかかげた市民運動の存在がある。「悪魔」に等しい喫煙者を探し出して徹底的に糾弾する方針である。その際に司法制度も利用する。

煙草の煙が人体に有害であることは紛れもない事実であるが、1階の密封された空間で吸った2、3本の煙草が、はたして上階の住民の健康を蝕み、その被害が4518万円にも値するかといえば別問題である。科学的な検討が必要だ。この事件を通して科学を軽視したラジカルな市民運動の実態が浮上する。

日本禁煙学会の作田医師は、「喫煙者の撲滅」という政策目的を先行させてしまい、隣人トラブルに油を注いだのである。映画「Mado」は、日常生活の中に潜む恐怖をみごとにあぶりだしている。日本中の団地で起こり得る事件なのである。


◎《予告編》映画 [窓]MADO

◎映画 [窓]MADO 公式サイト https://mado-movie.jp/

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

8月後半、西日本と東日本、双方で「原発の後始末」で重大な動きがありました。ひとつは、上関町が、核のゴミ=死の灰の貯蔵施設建設へ向けた調査を受け入れ。福島では原発事故の汚染処理水の海洋放出です。

◆上関町は核のゴミ=死の灰 自称「中間貯蔵」へ調査受け入れ

8月18日、上関町の西町長は中国電力に対して、同社と関西電力の共同で核のゴミを自称「中間貯蔵」する施設の建設へ向けた調査を受け入れてしまいました。8月2日に申し入れを受けてからわずか半月余りというスピード決定でした。

岸田政権が強行した自称GX法により関西電力・高浜原発など老朽原発の再稼働が進み、関西電力の死の灰=核のゴミがにっちもさっちもいかなくなることを背景に起きた出来事です。

核のゴミ=死の灰の最終的な行方は全く決まっておらず、今後も決まる可能性はほとんどありません。従って、もし上関町が受け入れてしまえば、中間貯蔵どころか、半永久的に貯蔵されてしまうことは確実です。


◎[参考動画]原発問題で揺れる 瀬戸内海“最後の楽園”上関町【news23】|TBS NEWS DIG

◆フクシマ汚染処理水、海洋放出強行

一方、8月21日、岸田総理は福島を訪問したあと、なぜか、東京に戻って全漁連の会長と会談し、会長も反対姿勢を崩さない中で、東電福島第一原発事故による汚染処理水の海洋放出を伝達し、24日から開始。「数十年に渡ろうとも全責任を持って対応する」と総理は啖呵を切りました。


◎[参考動画]処理水の放出決定 福島県内の漁業関係者は憤りあらわに「納得していないのにおかしい」|TBS NEWS DIG

◆「科学的に安全」と言われた原発が事故を起こしたのに

汚染処理水については、IAEAは国際的な基準に合致していると言ってはいます。しかし、別にIAEAが何か責任を持ってくれるわけではありません。そもそも、2011年の3.11以前、政府も東電もマスコミも「日本の原発は科学的に安全。チェルノブイリ原発のようなことは起きない」と宣伝してきました。従って、汚染処理水の問題で「安全です」と言われても、「安心しろ」というのが無理な話です。

また、岸田総理は数十年にわたろうとも全責任を持って対応する、と言われていますが、総理の任期なんて、安倍晋三さんでさえも8年しか勤めていません。30年後、40年後、人生百年時代ですから、ご存命であったとしても国会議員は辞めておられる可能性が高い。どうやって、責任を取る、というのでしょうか?その時何かあっても「ワシはもう議員でないから知らん」と言われても困ります。あまりにも軽すぎる言葉の使用法がまた、信用を失わせます。

◆モルタル固化などの代案もある 原発事故の後始末は総合的にもっと議論を

なお、汚染処理水をどうすればいいのか?という点については、代案がすでに提案されています

モルタルで固化し、今よりもしっかりしたタンクで保管するという案です。もちろん、これは、地元・福島県双葉町などの同意が必要になってきます。また、もっと言えば、無理にデブリを取り出したりする必要があるのかどうか?強烈な放射線で機械でさえも故障するリスクが高い状況で、将来にわたってできるのかどうか?もっと総合的な議論をすべきではないでしょうか?

◆上関・核のゴミ受け入れ、元自民党代議士の岩国市長も懸念表明

そして、上関町の核のごみの受け入れに対して、21日、岩国市の福田良彦市長も懸念を表明されました。福田市長は、元自民党代議士のご出身です。2008年に岩国基地への艦載機移駐反対派の井原勝介市長を打倒して初当選され、現在4期目です。そんな福田市長でも「近隣自治体とすれば、やはり市民の中にも多くの不安や懸念があることは事実。そういった中での今回の調査、また調査の先には具体的に建設ということになるのかもしれないが、市民、また近隣の方々の安心安全がしっかりと担保されていない、説明が尽くされていないという状況の中では、今回の一連の受け止めについては率直に賛成とは言えない、これが私の考え」とコメントされました。

当然です。岩国市役所までは上関の想定される核のゴミ=死の灰受け入れ予定地からわずか45kmです。上関町だけで、この問題の可否を決める、ということ自体がそもそもの誤りです。

例えば、危険極まりない核のゴミを中国電力島根原発や関西電力高浜原発・美浜原発などからどうやって運搬するというのか? 船は船で、リスクがあります。瀬戸内海では現状でも船の事故は非常に多い。海自の輸送艦「おおすみ」と漁船の衝突事故は記憶に新しいですし、今年に入ってからも山口県沖で護衛艦の座礁事故が起きています。他方で、道路での輸送は交通事故の危険性も高い。海であろうが陸であろうが、岩国市はもちろん、場合によっては筆者の住む広島市も含めて取り返しのつかないことになりかねません。

フクシマの海洋放出に関しては、総理はそうはいっても表に出てきましたが、ご自身の地元(小選挙区=広島、比例区=中国ブロック)に重大な被害が及びかねない上関の問題では何もリーダーシップを取ろうともしない。

◆地域を衰えさせてきた歴代自民党政権

なお、上関町長ら推進派の「上関の持続可能な発展に、可能性がほぼ消えた原発建設に変わる核のゴミが必要」という話も全く筋が通りません。

現実には、原発関係の交付金を受け取ってきた上関町も人口流出で衰えています。他方で、創意工夫で踏みとどまっている自治体もあります。そもそも、原発や核のゴミ受け入れに頼らないといけないように地方を衰えさせてきた自民党政権の経済政策が誤りです。

◆やはり、岸田・自称GX法で老朽原発再開が大問題

岸田総理は、気候変動対策などを大義名分に、自称GX法=老朽原発延命法、原子力村税金投入延命法=を2023年通常国会で強行しました。国民の間でも電気代の値上がりなども背景に「まあ、原発はあるのだから使った方がいいかな」という風潮が広がっています。3.11も、のど元過ぎれば熱さ忘れる、です。

しかし、現実には、汚染処理水問題のように福島原発事故の後始末さえ全くできず、「原子力緊急事態宣言」中です。その上で、核のゴミ=死の灰が増えて、にっちもさっちもいかなくなりつつあるのです。

これ以上核のゴミを増やさないこと。そして、福島のような事故を起こさせないこと。そのためには、やはり原発は止めることです。

再生可能エネルギーについては、九州電力などでは余っていて出力制限をしている状況です。その上で、原発を動かし、4-6月期は過去最高益を出している電力会社はおかしい。

従って、蓄電やスマートグリッドを進めていけば、再生可能エネルギーとの組み合わせで、原発にも旧型石炭火力発電にも頼らずに済む、電力料金も高くせずに済みます。

ただ、根本的には、電力会社よりも原発を国策として進めてきた国の責任が重いのです。GX法を廃止し、原発も国が責任をもって廃止する。蓄電やスマートグリッドにもガツンと財政出動する。そういう方向を示すべきです。

 

筆者勤務先近くの総理の政治活動ポスター

◆ポスターと正反対の政治 「広島の恥」総理を図に乗らせまい

岸田総理は「地域の声で新たな日本へ 所得向上 少子化対策 安全・安心」とおっしゃる。だが、実際には、フクシマの汚染処理水問題では地域の声を軽視し、安心を踏みにじる、上関のような時は国の責任を放棄して地域に対応を丸投げする卑怯な政治です。

そして、原発推進という破綻した「古い日本」を維持するわけです。まさに、実態と真反対のポスターであり、「広島の恥」ではないでしょうか?

総理は恥を知れ、と申し上げたい。残念ながら、前回2021年衆院選では総理は、対立候補に供託金回収さえさせない圧勝ぶりでした。こんな風に圧勝させてしまったことで、岸田総理も図に乗ってしまったということも言えると思います。

広島は平和都市といいながら、実際には爆心地に近いほど保守色が強く総理が強い。そんな状況ですが、次期衆院選こそ、総理をヒヤリとさせ、軌道修正を迫る結果にしなくてはならないと痛感しています。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

先般は、このかん私たちの元に寄せられた皆様方のご意見、激励などを列挙いたしました。日々少しづつ鹿砦社への理解者が増え、他方の『金曜日』への批判も増えています。今回は、植村隆社長が、これみよがしに送って来た、『金曜日』に寄せられたというツイートを掲載いたします。執拗に被害者や鹿砦社を誹謗し続けた「leny φ(^▽^)ノ#鶴橋安寧!」のような「大学院生リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)の加害者支持者もいます。

『金曜日』編集部内に蝟集する「しばき隊」「カウンター」の支持者、そして彼らに連携する外部の者らによる鹿砦社や森奈津子さんらに対する非難中傷が下記のツイートです。

あらためてつぶさに見ていきましたが、これぐらいのツイートで困るようでは『金曜日』の近未来が思いやられます。

鹿砦社への非難中傷は、私たちが2014年師走に大阪・北新地で起きた「大学院生リンチ事件」の被害者支援、真相究明を始めてから始まりました。これに関する本を6冊出版し、その都度『金曜日』に1ページ広告を出しましたが、加害者側につらなる編集部員、ライター、読者らは不快を感じたかもしれません。しかし、彼らが日ごろ「人権」という言葉を口にしているのであれば、むしろ虚心坦懐に事件の内容に真摯に向き合うべきではなかったか。

北村肇前社長は、編集部やジャーナリストの中では、暴力に対し、ほとんど唯一真正面から向き合われました。

今回の処置の底流には、件の「大学院生リンチ事件」があります。原一男映画監督が登場する号の裏表紙に偶然鹿砦社の広告が掲載され(つまり、定期的に出していた鹿砦社広告の掲載日として予め決まっていた号で、これに偶然に原監督とSEALDs奥田愛基の対談が掲載されたということで、これが今回の鹿砦社排除の一因になったということですが、これは鹿砦社に責任はありません)、これに激怒した原監督は北村前社長を呼び出し激しく叱責したといいます。われわれの世代にとってカリスマ的存在だった原一男が、たかが広告で激怒するほどケツの穴が小さい人物だったことを知り愕然としたわけですが、その広告にはリンチ関連本の第一弾『ヘイトと暴力の連鎖』が掲載されています。

原一男監督が激怒した『週刊金曜日』1100号(2016年8月19日号)

植村社長には数日前にリンチ事件関連本6冊(その内の1冊には森さんも寄稿)全部を送っておきました。「人権」だ、「反差別」だと言うのなら、言葉の真の意味で一人の人間の人権を尊重し、差別と闘うという崇高な営為について既存の価値観を超えて根源的に考え直すべきでしょう。「人権」や「差別」という内容は『金曜日』や植村社長らが決めるものではありません。今回も、『金曜日』や植村社長らが「差別本」だと決めたから「差別本」だとされるのなら人間の英知など硬直化してしまいます。

植村隆社長(2019年12月7日の鹿砦社50周年の集いにて)

私事になりますが、いまだに鹿砦社の地元・兵庫県では語られる、戦後最大の差別関係の暴力事件とされる「八鹿(ようか)高校事件」(1974年)に於いて、当時赴任したばかりで、私の大学の先輩が激しく暴行を受けました。いまだにネットでは、この場面が名前入りで検索できます。最初見た時は大ショックでした。この事件以来、私なりに差別と暴力ということについて真剣に考えて来ました。「大学院生リンチ事件」の被害者支援と真相究明に関わったのも、心の底にはこの問題がありました。硬直し教条主義化した『金曜日』ごときにああだこうだ言われなくても、差別のなんたるかぐらいはわかっているつもりです。あんた方に言われたくありません。ましてや、今回矢面に立たされている『人権と利権』が「差別本」だと安直に規定することには断固反対です。『人権と利権』で、Colabo、LGBT活動家や利権団体が、まるで「人権は金になる」といわんばかりに跳梁跋扈していますが、その実、利権を求めて蠢いていることこそ、当時の言葉でいえば「糾弾」されなくてはなりません。

今回、『金曜日』によって、『人権と利権』が「差別本」という汚名を着せられ、企画、編集を担当した私や著者の森奈津子さんも、このままでは済まされないでしょう。場合によっては公開討論をやりましょう。こちら側は森さんと私、『金曜日』側は植村社長とColabo仁藤代表が妥当でしょう。11・2『週刊金曜日』創刊30周年大集会の前ではどうでしょうか? 逃げないでくださいね!

言論の多様性をみずから棄て北村肇前社長の遺志に反する、今回の鹿砦社排除が『金曜日』の「終わりの始まり」になることを懸念せざるをえません。

[左]『週刊金曜日』6月30日号掲載「おわび」。[右]Colabo仁藤夢乃代表の『週刊金曜日』に関する6月27日付けツイート

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Sayu
@sayu_nt
コレ読みたいな。コノ本で某界隈が内ゲバしてんでしょ
本屋で週刊金曜日パラ見した時、巻末広告に載ってたからあら?と思ったんだよね。
広告料欲しさに週刊金曜日も内ゲバ始めた?w
さすが鹿砦社w話題作りはうまいねw

@skryta
人権と利権は週刊金曜日に広告が出たと聞いて、ちょっと驚いたのだ。週刊金曜日は本多勝一が編集委員にいたように左寄りの媒体だったはずなのだ。ところが、朝日・毎日と異なり、本書を広告する方にまわったのだ。

hirohiro
週刊金曜日。よくHanadaに記事を書くような人にレギュラー的に記事を書かせるものだ。やはり納得できない。鹿砦社のヘイト広告といい内部が相当おかしくなっているのかな。そろそろ購読継続も考えどきかも。

leny φ(^▽^)ノ#鶴橋安寧!
@LenyIza
トランスヘイターの森奈津子に好き勝手に言わせ、デマを流し続ける鹿砦社に広告枠を提供する週刊金曜日が、また専門家でも無い人間にいい加減な事をしゃべらせる。
ホント、植村隆の見識と能力って信用出来ない。

@shimadakou
週刊金曜日の立ち位置はどうなってんだろう
なんでそんな広告掲載したんだ

spectre_55
鹿砦社、なんで週刊金曜日に出稿できてたんだろ、ジャニーズの性暴力に関する本を(しかもかなり早い時期に)出してたりした記憶があるから「反権力」で?
でもしばき隊云々は置くにしてもなんかあんまマトモな出版社だというイメージないし、あんなヘイト本の広告通したとこに責任はあるよね…

@HqCwkeSAdzCwXF6
週刊金曜日もよく広告オッケーしたなぁ

のんこ≪共に生きよう≫人民だよ
@korieramucho
週刊金曜日どうした?どうした???

purify
週刊金曜日のTwitterアカウントを開くと「広告に依存せず」って書いてあるのに。広告内容を精査しないの?

バンビーナ
@d_bambina
週刊金曜日、もうずっと読んでないけど今は極右の雑誌なの?

@JaHi8SXKvGxebKx
仁藤が、身内と思っていた『週刊金曜日』の広告にケチをつけています。意外なところに敵がいた?

青島清華
@Seika_Aoshima
→編集委員の各氏が積極的に関わっていたとは思えないが、名前が表紙に記載されている以上、何らかの声明をなるべく早く出すべきだろう。
週刊金曜日編集部も広告掲載の経緯を調査した上で対応をしなければ、広告掲載商品に消極的にであっても賛同しているとみなされても仕方がない。

児玉正志
@1967s_yo
マジか?週刊金曜日よ。ちゃんと説明できるんだろうな。

金滿里(新しいアカウントです)
@kD6mD47Tz7XnTxI
何でこれでもか、これでもかって、マスメディアの而も「週刊金曜日」という真っ当なとこと思ってた雑誌までが!どうなってんの?!全部が、吉本か、騙しか、劣化が激しすぎる!

MEP:ラジオネームヘンするウサギ
@mepphyj
Colabo代表仁藤夢乃さんは「週刊金曜日がこの本の広告を裏表紙に」とおっしゃってますが、週刊金曜日は広告収入には頼らないのではなかったでしたっけ?

Tenko chanz ▼・ェ・▼
@T_ichi_jyo
週刊金曜日、創刊時にはその想いがビンビン伝わってきて、定期購読していたが、こんな本を広告として載せるところまで落ちるとは。
なんだか、どこもかしこも劣化が酷くて、しんどいな。

ナょωレよ″丶)ょぅすレナ
@rna
週刊金曜日、どうなっちゃったの?

政治・選挙マニア学生
@xnbh5Gtw1e84pJI
鹿砦社や週刊金曜日が「なんかズレてる」というのは昔からあったんですが。指摘していた人たちを黙殺しておいて、我が身に降りかかった時に初めて「気付く」のですか?

@kuraiseikaku
週刊金曜日終わっとるな。

@kaeshikaji
仲岡さんに対してもめちゃくちゃヘイト行為だし、そもそもこの公告を出す時点で週刊金曜日終わってる、、何も考えないで、ではなかろうし。。

@Miew5dzYiy1hi2s
内ゲバなんていつもの事ってのと
週刊金曜日とは全く切れてないってのと

川上芳明
@Only1Yori
えーっ、「週刊金曜日」が。それはまずい(-_-;)そもそも、私は「鹿砦社」って、かなり危険なというか問題のある出版社だと思っています。「左翼出版社」と思っている方もいるかもしれないけど。
ヘイトを許さない市民の会/人権と民主主義を守る会SK
@nohate38306132
週刊金曜日@syukan_kinyobi
はいい加減鹿砦社との契約打ち切ったら?(*´ω`*)
鹿砦社はもう言論の自由の範囲を逸脱したただのヘイト出版社じゃん

あさり固め
@athalisawali
ていうか週刊金曜日って広告あるの?ないイメージだったんだけど無ってことじゃないみたいなことなん?

てのりん
@trochilidae
「『週刊金曜日』は、広告に依存せず、定期購読主体(書店でも販売)の総合週刊誌」と言いつつ鹿砦社の『人権と利権』の表紙を使った広告を裏表紙に載せるというのは,週刊金曜日編集部もこの森奈津子らの本と同様の問題意識を持っていると考えていいのか.

てのりん
@trochilidae
週刊金曜日までもか……
最悪すぎるだろう

憲法改正反対!改憲阻止を!平和外交を!にっちもさっちもす808
@wshootingstar
そこまでチェックしてないんだろな。週刊金曜日も。

自分 北海道を核のゴミ捨て場にしない
@KiyokawaNozomu
週刊金曜日がヘイト本のような類の本の広告を掲載していたという情報。

仁藤夢乃Yumeno Nito
@colabo_yumeno
週刊金曜日がこの本の広告を裏表紙に載せていたそうです。最悪。どういうつもりなのか。@syukan_kinyobi

これでは「週刊金曜日不買運動」をせざるを得ません。

eve lee gacco インボイス反対
@mocchimochibbb
ちょっと…週刊金曜日…どういうつもりなの

ちまこBlue 魔人
@chimakoBlue
週刊金曜日ヲィ

るい
@tao823906
週刊金曜日っていう誰も読んでいない雑誌。
アホ丸出しw

きんちゃん
@kinchubby666
森奈津子の著書が週刊金曜日に広告として載ってるって…。
何考えてるの@syukan_kinyobi ?

弁護士仲岡しゅん(うるわ総合法律事務所)
@URUWA_L_O
私への殺害予告記者会見を記事にした週刊金曜日から1部送られてきたんですが、裏表紙にこの本の広告が載っていました。
ずいぶん皮肉が効いてるなと思っていたんですが、カラーになるとこんな画像だったとは…。モノクロだったので気付きませんでした。

ジプシー公務員
@Gypsykoumuin
おお…!
「週刊金曜日」が「ネトウヨ雑誌」だと市中に出回る出版物はすべて「ネトウヨ雑誌」になってしまいますな…「前進」が「ネトウヨ雑誌」呼ばわりされる日も近そうで。

蛇舌
@menkaidekinai
「紙の爆弾」って鹿砦社ですよね。確か週刊金曜日も鹿砦社の広告を載せていましたが同社はこの問題をどう考えるのでしょう?

TAKEKAWA
@takekawa45
デマナツ氏の侮辱と共にあった「鹿砦社」
既視感は「週刊金曜日」だったか
手持ちの裏表紙に何冊か載っている
共産党と反共記事を載せたり、デマに近い転載記事を出したりで、この頃は安田浩一さんと田中優子さんの出る号の立ち読みと反共著者のないものだけにしている
社長が編集に無関心だからか

有田芳生
@aritayoshifu
「週刊金曜日」は広告収入に依存しない。本多勝一さんや井上ひさしさんにそう聞いていました。いまは違うんだ。しかも、です。

leny φ(^▽^)ノ#鶴橋安寧!
@LenyIza
週刊金曜日って、人権や差別に本質的に無関心なビジネス新左翼の鹿砦社の広告を未だに載っけるんやねぇ。
ホンマ、週刊金曜日は人権にだらしない。

Flag Lucky in the house(2021年4月から無職)
@tmhk_y
影書房さんに鹿砦社さんよりも高額で広告出してもらえればいいのか?
週刊金曜日は広告に依存しないってことだから別の問題なのか?
ちょっと不気味

aki
@nekonekominmi
週刊金曜日はいい加減に鹿砦社の広告を載せるのを止めた方がいい。言論の自由とヘイトの自由は別でしょ。

hirohiro
@arataka_lie_gen
週刊金曜日は経営状況はあまりよろしくないのかもしれないが、頼むからしっかりしてくださいよ。ヘイト雑誌を広告に載せるなどかなり恥ずかしいことだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◎[関連記事]【『週刊金曜日』鹿砦社排除問題続報】鹿砦社に対する村八分と排除行為は差別そのものであり、北村肇前社長の遺志に反するものだ! 多くの皆様の鹿砦社への支援と激励に感謝します! 板坂剛さん、11・2『週刊金曜日』30周年記念集会へ「乗り込む」ことを提起! 鹿砦社代表 松岡利康

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 最寄りの書店でお買い求めください

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5GCZM7G/

◆地対空ミサイルで爆破・撃墜

モスクワの北西部にあるトベリ州で23日、ビジネスジェットが墜落した。

このビジネスジェットは、ロシアの民間軍事会社ワグネル創設者エフゲニー・プリゴジンの所有で、タス通信はロシア連邦航空局の情報として、乗客名簿にプリゴジン氏の名前があったと伝えた。

また緊急事態省によると、ジェット機には乗員3人を含む10人が搭乗していたが、全員が死亡したとみられる。連邦航空局の発表は事件の一時間後であり、事前に知っていたかクレムリンからの情報と考えられる。通常、連邦航空局は事件を実地調査しないかぎり、発表しないからだ。

独立系ディアによると、ジェット機はモスクワ郊外から飛行していた。高度8500メートルを飛行中、突然墜落したという。ということは、間違いなくミサイル攻撃である。

ワグネルに近いテレグラムチャンネル「グレーゾーン」は、地対空ミサイルが発射された痕跡があるとして、「撃墜された」と報じた。

プリゴジンの死亡は、確定的な状況である。


◎[参考動画]プリゴジン氏死亡とワグネル発表 搭乗したジェット機が墜落…目撃者「ドローン攻撃」(ANN 2023年8月24日)

プリゴジンの盟友であるセルゲイ・スロヴィキン上級大将が、8月18日付の大統領令で航空宇宙軍総司令官を解任されていることから、計画的な爆殺だったといえよう。

われわれは、プリゴジンが反乱を起こす1か月前から、粛清される可能性を指摘してきた。まさに熾烈な権力闘争の行方は、独裁者による粛清だった。過去の記事から紹介しよう。独裁者は不満分子・反乱分子を決してゆるさない、歴史の証言である。

◎横山茂彦「勇者たちは地獄に堕ちるのか? ロシアの民間軍事企業「ワグネル」創設者プリゴジンはプーチンに粛清されるかもしれない」(2023年5月27日)

弾薬が70%足りない。ショイグ(国防相)、ゲラシモフ(参謀総長)! 弾薬はどこにあるんだ」「あれほど要求したのに、送られてきたのは、たった10%だ!」と、軍首脳を罵倒してきた民間軍事会社ワグネルのプリゴジンは、バフムトを完全制圧したとして(ウクライナ軍部はこれを否定し逆包囲を示唆)、前線からの撤退を表明した。

ロシア軍がワグネルに弾薬を送らない理由が、プリゴジンのクーデターを怖れているのではないかという説がある(中村逸郎「現代ビジネス」ほか)。

独裁者がみずからと対抗するナンバー2を許さないのは、ナチスドイツのヒトラーとエルンスト・レームの関係に明らかだ。

二人の関係を描いた戯曲『わが友ヒットラー』で、三島由紀夫はレームに「軍隊は男の楽園」と語らせ、その軍隊を統制する政治が左右の過激分子を排除する権謀術策であることを証していく。

プーチンがワグネルおよびプリゴジンのクーデターを怖れていたのは間違いない。そして粛清がヒトラーの発案で、スターリンがそれを評価し、プーチンに継承されたことを明らかにしておこう。

ふたたび過去の記事から引用になる。エルンスト・レームのナチス突撃隊(SA)がプリゴジンのワグネルに酷似していることから、ヒトラー・スターリン流の粛清劇が不可避であることが証明された。プリゴジンが武器弾薬で不満を持ったように、ナチスの粛清も武器への不満だった。

◎横山茂彦「スターリン流の粛清劇がはじまる プリゴジンの反乱 ── 熾烈な権力闘争の行方」(2023年6月28日)

ナチスドイツの『長いナイフの夜』は、独自の指揮系統と武器供与をもとめたナチス党突撃隊(党の軍隊)とプロイセンいらいの国防軍の矛盾だった。ナチスの党内対立(権力の強化をめざすゲーリング、ヒムラーらとエルンスト・レーム)もあった。ヒトラーは盟友レームと国防軍の矛盾に悩み、しかし最後はみずから親衛隊を率いて粛清を断行したのである。『裏切りは許さない』と。

これは法に拠らない虐殺・死刑執行であり、西欧諸国はヒトラーの無法を批判したものだった。しかし唯一、この粛清劇を称賛したのが、ソ連の独裁者スターリンだった。政治局会議で、スターリンはこう発言した。

『諸君はドイツからのニュースを聞いたか? 何が起こったか、ヒトラーがどうやってレームを排除したか。ヒトラーという男はすごい奴だ! 奴は政敵をどう扱えばいいかを我々に見せてくれた!』(スターリンの通訳だったヴァレンティン・ベレシコフの証言)。

この発言から5ヶ月後の1934年12月に、スターリンの有力な後継者かつ潜在的なライバルと目されていたセルゲイ・キーロフが暗殺された。キーロフ暗殺を契機に、スターリンはソ連全土で大粛清を展開していくことになるのだ。

このスターリンを「偉大な指導者」と評価してきたプーチンは、レーニンの「分離(独立)をふくむ連邦制」を批判して、今回のウクライナ侵攻に踏み切ったのだった。レーニンが批判した「スターリンの粗暴さ」を体現しているのが、プーチンその人なのである。

おそらくプリゴジンは、密かに粛清されるであろう。だからいったん国外に退去させ、ロシア国民との接点をなくしてから、人々がプリゴジンの名を忘れかけた時期に『窓から転落させる』か、毒物で密殺すると予告しておこう。すでに昨年らい、10人をこえるプーチンに批判的なオリガルヒや政治家が、プーチンの命で密殺(不審死)されているという。

残念ながら、窓から転落死、毒物での密殺という、われわれの予告は外れた(苦笑)。ミサイルで堂々と破壊・爆殺したのだから凄いというしかない。

ところで、叛乱劇から1か月後の7月段階には、プリゴジン死亡説が飛び交っていた。

◎横山茂彦「クレムリンで何が起きているのか? 飛び交うプリゴジン死亡説とプーチン逮捕の可能性」(2023年7月21日)

反乱を起こしてから3週間以上、ワグネル創始者プリゴジンの行方がわかっていない。そしていま、死亡説が飛び交っているのだ。

「プリゴジンを目にすることは二度とない」

海外のメディアに、アメリカ軍陸軍のエイブラムス元大将はこう話したという。

「公の場でプリゴジンの姿を目にすることは、もう二度とないだろう。彼はすでに死んでいると思う」

これ自体は推測にすぎないが、プリゴジンの死亡説を裏付けるように、ここに来てワグネルの新たなトップが就任するとの噂がある。その人物の異名は「白髪」を意味する“セドイ”、ワグネル創設メンバーのひとり、アンドレイ・トロシェフだ。
「反乱の5日後、プーチン大統領がプリゴジンたちワグネル幹部と会った際、プーチンは“セドイ”こと、トロシェフのトップ就任を提案したという。プリゴジンはこれに同意しなかったという。それ以来、ブリゴジンの変装写真などは表に出てきたが、詳しい消息はわからないままだ。

かつて、ヒトラー暗殺計画(1944年7月20日事件=ヴォルフスシャンツェ総統大本営爆破)では、事後に数千人が逮捕・処刑されたと言われている。ブリゴジンの反乱も、プーチンと会談するなど平和裏に収められた形だが、そのことがブリゴジンの命運を決めた。いくらおもねってみても、独裁者は反乱者をけっして許さないのだ。

もっとも、ヒトラー暗殺計画はイギリスによるものもふくめると、じつに42回あったとされている。これらの大半は戦後に判明したものである。

すでにウクライナのゼレンスキー大統領に対する十数回の暗殺計画が阻止された(英国情報部)ことを考えると、現在のプーチン大統領も暗殺未遂に遭遇していても不思議ではない。5月30日に起きたモスクワ郊外ノボオガリョボへの8機の自爆ドローンは、明らかに大統領公邸を狙ったものだった。

ここから先はロシア国内、わけてもクレムリン内部の反乱に注目である。

すでにオルガリヒのうち、戦争に疑問を持つ者たちは秘密裡に殺され、ブリゴジンに一味した将官たちは連座する運命にある。だが、ロシア国内においても、反乱の芽はつぎつぎに起きるはずだ。反乱が軍部とクレムリンに波及したときこそ、確実にウクライナ戦争は終局する。

ここウクライナが反転攻勢に出ているが、しかし鉄壁の防御陣営を築いた最前線で膠着状態がつづいている。

そのいっぽうで、ウクライナの無人機およびロシア国内から発したと思われるドローンが、ロシアの空軍基地で戦略爆撃機を破壊した。いよいよクレムリン内部で権力闘争が勃発し、プーチン政権が危機を迎えると指摘しておこう。そのさいに、プリゴジン事件をこえる流血になるのは必至だ。


◎[参考動画]露政権の「粛清」観測相次ぐ プリゴジン氏のジェット機墜落(産経ニュース 2023年8月24日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

今回の問題は、「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)に対する、私たち鹿砦社による被害者支援と真相究明に陰ながら不快感を持っていた『週刊金曜日』編集部内の日本共産党としばき隊につらなる人たちによって画策されたものと推察いたします。くだんのリンチ事件の加害者側代理人と植村社長の慰安婦訴訟の代理人兼事務局長は同じ神原元弁護士ですしね。

この非人間的なリンチ事件に関わり始めてから、これについての取材と支援、訴訟などの内容を2016年以来6冊の本にし出版、同時に『金曜日』にもその都度巻末広告を出広してきました。それ以前にも広告は定期的に出広してきましたが、一度たりとも抗議などありませんでした。『金曜日』に抗議がなされ始めたのは、これ以降だと思われます。

これが問題の広告。たった4分の1の小さな広告で大騒ぎする輩と、これに簡単に屈した『週刊金曜日』

北村肇さんによれば、『金曜日』の定期購読者は3つに分かれていて、(1)日本共産党支持者、(2)社民党支持者、(3)無党派だということですが(今はれいわ新選組なども出来たので少し変わったかもしれませんが)、(2)の一部と(3)の読者が鹿砦社の読者と重なるそうです。また、小さな会社なのに組合も3つあり、なにかあればいちいち3つの組合と団交しないといけないそうで疲れるとこぼされていました。北村さんの命を縮めた一因は組合だということは元社員からも聞きました。誤解ないように私たちは組合の存在と活動を否定しているわけではありません。

生前の北村肇前社長。太っ腹な方だった

今回の鹿砦社に対する「ヘイト出版社」扱い、森奈津子編『人権と利権』に対する「差別本」呼ばわりで私たち鹿砦社も、まさに「名誉毀損」に遭っているというほかありません。植村隆社長ら『金曜日』の見解が一方的に喧伝され、特に重なる読者層の方々に誤解を生むことを懸念します。『金曜日』と鹿砦社の力関係は、マジョリティとマイノリティですから。鹿砦社の書籍や雑誌の広告が掲載できなくなることで、ますます私たちの出版活動の内容を外部に知らせる場が一つなくなりました。

今回の件で、『金曜日』に言論の多様性などなく、異論を簡単に排除する左翼教条主義的な組織に成り下がったことを実感しました。今後は「多様性」とか「表現の自由」とか言うなよ!

鹿砦社は「ヘイト出版社」? 森奈津子さんは「差別者」? 人の人権を顧みず、簡単に「ヘイト」だ、「差別」だと言う者こそ差別者だ!

以下、このかん寄せられた読者の皆様方からのご意見です(一部の方を除いてお名前を省いています)。畏敬するゲバリスタ(元・日大全共闘)、板坂剛さんからは11・2金曜日30周年集会へ「乗り込む」ことが提起されました。狂犬・板坂さん一人で乗り込ませるわけにはいかんでしょう。私も抗議のビラ撒きぐらいはやりたいと考えています。行動を共にしてもいいという方はご連絡ください。久しぶりに「老人行動隊」(古い!)を組みましょう! 情宣貫徹! 闘争勝利!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆板坂 剛 『マツオカ』へ 1       
 怒りと笑いが同時にこみあげる今回の『週刊金曜日』の広告拒否事件。鹿砦社の出版物に不適切な表現があったから、鹿砦社の広告を掲載するなと、多くの読者から脅迫的な要求があって、それで発行人が今後同誌に鹿砦社の出版物の広告を一切載せないことになったという。完全な倒錯である。
「文春砲」と揶揄され現実の巨悪を撃つ『週刊文春』の足元にも及ばない『週刊金曜日』の末路というべきか。文章で表現された内容に異議があるなら、文章で反論すればいい。
 百歩譲って鹿砦社の出版物の内容を否定するなら、鹿砦社に抗議するのが筋であろう。それを同業他社に広告の掲載を打ち切るように迫るなど卑怯の極み、昭和の右翼が好んで用いたヤクザまがいの手口だ。
『週刊金曜日』の読者がここまで低レベルであったことに驚くと共に、そんな姑息な言動に屈するのは出版人として自殺行為であることを自覚できない『週刊金曜日』の編集者には、もはやジャーナリスト失格であると言い渡しておこう。彼らには自分の仕事に対する意地も誇りもないのだ。今まで『週刊金曜日』を書店で購入したことは何度もあったが、もう二度と買わない。

◆板坂 剛 『マツオカ』へ 2       
 どうも腑に落ちない『週刊金曜日』の鹿砦社に対する広告打ち切り措置。事実上の絶縁宣言であるにもかかわらず「鹿砦社を否定するわけではありません」というヒラ社長のコメント。
「今回の『人権と利権』の広告問題で、『もう鹿砦社の広告をやめるべきだ』という読者の声がさらに強まりました。社内でも『広告取りやめやむなし』いう意見が大多数です」って、ヒラ社長よ「読者の声」「社内の意見」ではないあんたの本音を聞かせてくれと言いたい。
『人権と利権』のどこが問題なのか、自分の言葉で語った上で、今後一切鹿砦社の広告を取りやめる必然性があるのかを説明しない限り、鹿砦社の支持者=読者は納得しないだろう。説明責任を果たさないのは自民党だけで結構。
 11月2日木曜日に日本教育会館一ツ橋ホールで『週刊金曜日』創刊30周年記念大集会が行われるという。私はここに乗り込むつもりである。鹿砦社シンパ関西派の結集を望む。

◆黒薮 哲哉 わたしの新刊の広告も同じスペースで掲載された(週刊金曜日の)号なので、具体的にどのような事情があったのか、週刊金曜日と仁藤氏には説明してほしい。

◆週刊金曜日が鹿砦社の広告掲載を止めた、だけの理由ではなく積もり積もったもの(北村肇さんへの敬意を踏みにじられたことなど)もあり、定期購読を止めました。他人を排斥するなら、自分も排斥されることを知るべきです。

◆本日付の「デジタル鹿砦社通信」を読みました。 6月29日付の記事とあわせ、この間の事情がよくわかりました。松岡さんのおっしゃることは理路整然としており、賛同いたします。
『週刊金曜日』は長く定期購読してきた愛着のある雑誌であり、西宮ゼミでお会いした北村肇さんのお顔も浮かぶのですが、自ら省みることができないようなら区切りをつけるべきかと思案しております。
これに代わる週刊誌が今の日本に無いので困るのですが…。

◆創刊からの購読者でしたが、とっくにやめました。

◆ちょっとひどい ネ、中島氏はやめちゃうし、週刊金曜日にがっかりした。

◆(『週刊金曜日』の)7/7日号確認しました。「社会的には非正規雇用問題を批判しながら、社内に同じ問題を抱え込んでいる」とおっしゃってますが、今回の問題が決定的だったんでしょう。残念です。

◆本多勝一さんのような文章成金がうらやましいですよ。

◆特にというのも変だが2014年のブルデモやリンチ事件のことは今後も何かと付きまとうであろう…

◆週刊金曜日 8/11 1435号読書会から 植村社長鹿砦社決別宣言について さいたま読者から 仲良くしろよ。
と言あり、要は単なる喧嘩口喧嘩のレベルか?
できれば紙の爆弾読書会を開いてこの問題を討議できないだろうか?

◆金曜日に問う
週刊金曜日の植村さんは、自分への攻撃には敏感のようだが、その際の自分の反撃がどういう意味をもっているのかを判断する力は弱いようだ。
反ヘイトなどの運動体の中には、内包する問題を指摘されているところもある。それにつけこんで、誹謗中傷する輩もいる。
しかし、まともな疑問や批判に対しても、誹謗中傷あるいは差別だと逆にレッテル貼りをすることがないとはいえない。
その運動体が社会的にも、さらにさまざまな運動を支持しているひとたちにも、認知をされている場合、この団体が「虐められている」と声を挙げれば、その主張が受け入れられやすくなる。
しかし、大事なことは、事実関係をきちんと押さえ、そのことに歴史的にも理論的にも、正しい解釈をすることだ。感情に流されてはならない。
今回の記事だけでは、当該団体の詳細が分からないので、そのことには触れない。
ここで明らかにされているのは、週刊金曜日が、鹿砦社の出版物の広告を掲載したが、某団体のクレームを受けたら、鹿砦社とは何の話し合いをすることなく、自分が広告掲載を了承した本を「差別的だ」と決めつけたうえ、某団体への謝罪を表明した、ということだ。
右翼の脅迫を受けて、一度出していた会場使用許可を一方的に取り消す自治体の例を想起してしまう。
しかし今回は、ことなかれ主義の自治体が行ったのではなく、言論機関である。それも、一部のリベラル勢力が信頼を寄せているメディアである。
直ちにいい悪いの結論を出す必要はない。
何が問題点であるのか、議論を闘わせてほしい。特に、金曜日に寄稿している人々には、その論争に参加すべき義務がある。

◆「一番弱い所」として生け贄にされた「週刊金曜日」。
カウンター界隈に煽動されたColabo

◆一番の問題点は『金曜日』が鹿砦社を今後無視することだと思う。

◆公開討論を開催するべき案件。

◆「買ってはいけない」の非科学性を(もっと言えば「トンデモ」)を訴え続けた熊野寮OBたちの意見をガン無視し続けた段階で、『週刊金曜日』の購読をやめています。あそこ、サヨクの悪い所を煮詰めたようなところがありますね。

◆う~ん、『週刊金曜日』は左翼なのかなあ。私にはリベラルという認識しかないけど。

◆僕がカタカナで書くときは基本的に「リベサヨ」という、軽蔑的ニュアンスを込めています。

◆松岡さん応援しています。

◆言論弾圧に屈せずに、おかしいことにおかしいと言う松岡さんの姿勢断固支持します。
今日、八鹿高校事件の動画を見ていました。
汗水垂らして働く必要の無い特権階級どもが、デマや暴力で言説を封殺する。今も昔も全く変わらぬ構造に悔しさと虚しさが溢れてきます。
出身や性別や民族やセクシュアリテで括る左派が何故人民大衆に見放されたか。
それは貧しい者、所得の低い者、低賃金労働者を見殺しにし、差別問題や民族問題、LGBT問題にしかとりくまなかったからだ。
左派が被差別者と規定している者たちの中にも、富裕層や搾取収奪を繰り返してきた輩はたくさんいる。
持つ者と持たざるもので分けるべきところ、部落か否か、在日か否か、女性か否か、ゲイか否かで分ける。
こんなふざけたことを未だに続けている。
上記のどれにも当てはまらなくても、ギリギリの生活をしている者はたくさんいる。餓死する人も首括る人もいる。
多くの左派はそんなことなどおかまいなし。彼ら自身が富裕層だから。活動家も2世3世が多い。
労働組合を名のりながら、労働とは無縁の貴族ども。

浅野健一 松岡さんの投稿に賛同します。私が山口正紀さん(故人)、中嶋啓明さんの三人で担当していた「人権とメディア」連載を打ちきり、小林和子編集長(当時)が私を完全排除(植村社長の業務命令)したのも、もう1つのターニングポイントだったと思います。YМ子助教の私の週刊金曜日記事の盗用を不問にしたのも、縁故主義、編集の私物化でした。植村氏は、私に対しては絶縁宣言をしていません。

◆大内問題というタブーも抱えてしまった。タブ―なき雑誌を売りにしていたのにタブーだらけになっては魅力がなくなってしまう。タブーに挑戦する若さも勇気もなさすぎ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 最寄りの書店でお買い求めください

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5GCZM7G/

◆世論調査はどこまで信用できるか

朝日新聞8月21日朝刊によると、「岸田内閣支持 続落33%──マイナ 首相が指導力『発揮せず』79%」だという。

世論調査はおおむね3000前後、無作為に電話調査したものを集計する。わたしも過去に三回、新聞社から電話調査を受けたことがある。かなり作為的な質問で「国会で予算案が可決されましたが、安倍内閣を支持されていますか?」と誘導尋問に近いものだった。質問の仕方もその結果も、新聞社・報道局によってバラツキもあるものだ。

7月22・23日に毎日新聞が行なった全国世論調査では、岸田内閣の支持率28%で「退陣危険水域」だった。この記事では「自民党幹部が心配しているのは、内閣支持率よりも自民党支持率だ」という。

朝日新聞(7月15・16日)では28%、上記の毎日新聞では24%、時事通信(7月7~10日)が23.6%だった。前述の朝日新聞(8月21日)も28%である。


◎[参考動画]処理水放出「説明が不十分」7割 内閣支持率は続落

いっぽう、自民支持傾向がつよい(前述の恣意的な誘導質問的な調査が現認できた)読売新聞・産経新聞はどうだろうか。

7月の調査になるが、読売新聞は内閣支持率が35%(6月から6ポイント下落)、自民党支持率は34%だった。

産経新聞・FNN合同(8月19・20日)では、内閣支持率41.5%(7月から0.2ポイント増)。FNN(フジニュースネットワーク)と産経新聞社は、2020年の6月に、委託先の社員が14回にわたり、電話をかけずに架空の回答を入力していたことが明らかになっているから、あまり信用できない実態があると言い添えておこう。

◆政治的な感性こそが問題 マイナ対応と自民党女性局のフランス研修問題

岸田不支持はいうまでもなく、マイナンバーカードの健康保険証リンク不備問題であろう。登録時の入力ミス(前に受け付けた人のデータが残る)によるものだが、構造的なものと断じてもいいだろう。

そもそも60年代の住民基本台帳法、70年代の国民総背番号制、そして今回のマイナンバーカードと、国民をデジタル管理すること自体が無理なのだ。なぜならば国民がデジタルに馴染まなかったにもかかわらず、無理を要求しているからだ。自治体がマイナンバー受付指導をしなければならない実態、すなわち個人のPCやスマホでは受け容れてくれないソフトしか作れない技術力に原因がある。

だとしたら、これまで機能してきた保険証登録をそのままにして、少なくとも人の生命を左右する医療現場に混乱をもたらすべきではなかった。ここでの不作為が政治不信として顕現しているのだから、岸田文雄総理自身の政治的感性が問題となる。

もうひとつは、物価高のなかで生活に苦しむ国民に「わたしたち、楽しんでまーす」とばかりに、パリの街角で記念撮影をした自民党女性局の政治的感性である。

◆改造内閣は9月下旬

政局で当面注目されるのは、秋の内閣改造である。ところが岸田総理の外交日程がきびしい。

9月上旬はインドネシアでASEAN関連首脳会議、インドでG20首脳会議と、重要な外交日程が続く。11日ごろの帰国となり、19日から米ニューヨークで始まる国連総会の一般討論演説に出席するまでの間に、首相は人事のタイミングを模索していたという。

政府筋は「人事は帰国後の9月最終週でいいだろう」と指摘した。自民党関係者も「9月下旬の可能性が出てきた」と語った。

とはいえ、人事が遅れれば、秋に想定される臨時国会の召集時期もずれ込む可能性がある。物価高対策のための補正予算案を求める声が出ている中、首相周辺には「国会召集を遅らせるのは得策ではない。人事は9月中旬に済ませるべきだ」との意見も根強いという。

人事では茂木幹事長の処遇が焦点となる。マイナ問題で批判を浴びた河野太郎デジタル相、週刊文春で家族を巡る疑惑が報じられた木原誠二官房副長官らの去就にも注目が集まる。 


◎[参考動画]警察庁「木原副長官や官邸から接触はなかった」 木原氏は書面で回答

◆安倍派の動向

もうひとつの政局は、党内最大派閥安倍派の動向である。

会長不在の状態が続いている安倍派(清和政策研究会・100人)は8月17日の派閥総会で後継体制について協議した。新たな意志決定機関として「常任幹事会」を設置し、会長代理の塩谷立元文科相が取りまとめ役の「座長」に就く案を了承した。下村博文元政調会長が訴えていた会長選出論は霧消した。

常任幹事会の構成も一任された塩谷氏は総会後、記者団に「(常任幹事会を)派閥の重要事項を決定していく機関とし、閣僚経験者を中心に選任したい」としている。

萩生田光一政調会長、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、世耕弘成参院幹事長、高木毅国対委員長の有力者5人組の選任が有力だ。

事実上の「下村氏はずし」を後押ししたとみられているのが、森喜朗元首相である。8月7日の北國新聞のインタビューでは、会長にしてほしいと頼み込んできた下村博文が「今までのご無礼をお許しください」と土下座したと暴露している。下村を追い返したが「了解を得た」と触れ回っているとして、怒りを吐露したのだ。これで下村の後継の芽はなくなったといえよう。

とはいえ、後継者を決定できない派閥政局は深刻で、5人組にも決定的な力はない。このまま派閥後継者が決まらないと、派閥それ自体の求心力の低下は避けられないであろう。その先にあるのは、派閥の分裂と雲散霧消である。この危機感は、まだいまのところ感じられない。そこに危機があるのだ。


◎[参考動画]【日経CNBC 投資家アンケート】岸田政権を「支持しない」が74.2%、増税路線への警戒や成長面の政策の分かりにくさを指摘

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

「週刊金曜日」植村隆代表は、『人権と利権』の広告を掲載したことについて、Colabo代表・仁藤夢乃氏に謝罪した。しかも、『人権と利権』版元の鹿砦社や編者である私の頭を飛び超える形で、だ。

それについて、植村氏へ質問状をメールしたのが7月11日、返信の期日は18日と定めさせていただいた。

なかなかお返事はいただけず、無視されるのだろうとなかばあきらめていた中、デジタル鹿砦社通信にその件を綴った拙稿「『週刊金曜日』植村隆代表への質問状 ── 安易な謝罪に疑問を感じて」が18日未明に掲載された。その夜、あと数時間で日が変わるという時間になって、植村氏からの返信メールが届いたのである。

[左]植村氏の謝罪を告げる仁藤氏のツイート。謎の笑顔の記念撮影[右]週刊金曜日HPでのお詫び文。とにかく許してほしくて焦って謝罪しているかのようにも読めてしまって、申し訳ありません

だが、一読し、私は失望した。後日、改めて植村氏に反論させていただくが、その前に、植村氏および読者諸氏と共有しておきたい事実があるので、ここに記したい。

まず、私は本稿に「我々LGBT当事者はなにと闘ってきたか?」というタイトルをつけた。実際、LGBT当事者は一体なにと闘ってきたのか? それは簡単に申せば、次の二者だ。

①差別主義者
②LGBT活動家およびそのシンパ

①に関しては、異論はないだろう。LGBTを差別する者と、LGBTは闘っている。当然のことだ。わざわざここで解説するまでもないだろう。

私が植村氏にご説明したいのは、②だ。素直に考えれば、LGBT活動家は差別主義者と闘っている。つまり、①と②は対立関係にある。しかし、だからといって、差別主義者と闘うLGBT活動家がLGBT当事者に手放しで歓迎されているとお考えならば、それは事を単純化しすぎというものだ。

 

サブアカウント「森奈津子_LGBTトピック」のBIO

そのあたりの思いは、ツイッターでの私のサブアカウント(@morinatsu_LGBT)のBIO(プロフィール欄)に簡潔に記した。

「LGBT、ジェンダーについてツイートします。ゲイリブ理論とフェミニズムに救われた元小娘のバイ。LGBT活動家の悪い部分は批判しますが、反差別運動は必要であり、過去の運動も無駄ではなかったと考えています。今のLGBT運動に一番必要なのは、自浄作用」

反差別運動は必要であり、過去の運動も無駄ではなかった ── それは私の本心だ。

実際、私たちは差別されてきた。たとえば、すでに「在日韓国人・朝鮮人、被差別部落出身者、身体障害者を差別してはいけません」という社会的合意が定着していた1990年代でさえ、性的マイノリティは堂々と差別されていた。

むしろ、差別するほうが正常だという感覚を、日本国民は共有していた。在日外国人や被差別部落出身者や障害者を嘲笑してはいけないと認識している人たちが、性的マイノリティのことは平気で嘲笑するのだから、当事者としてはたまったものではない。「ホモ? 気持ち悪いこと言うなよ!(笑)」といった調子だ。むしろ「ホモ/レズ」を嘲笑しないと自分が「ホモ/レズ」と疑われるし、「ホモ/レズ」を軽蔑し嫌悪することこそが正常であるという価値観にこの社会は支配されていた。

つまり、私たち性的マイノリティは社会の最底辺の存在だった。そして、だからこそ、だれが「ホモ/レズ」であるかは秘密とされていた。私たちは、目には見えない賤民だったのだ。

令和の今となっては大げさだと思われるかもしれないが、90年代なかばにバイセクシュアルの作家としてカミングアウトしていた私は、当時の空気をはっきり覚えている。一神教の国々とは違い、我が国では同性愛を理由に逮捕されたり処刑されることはないが、嘲笑によって、我々は迫害されていたのである。

植村氏と私は、年齢は8歳離れてはいるものの、そのような同じ時代を経験している。植村氏は差別者側であり、私は被差別側として。当然、植村氏には、被差別者がどんな気持ちで当時を生きてきたか、ある程度想像することはできても、実感することは不可能だろう。

そもそも、植村氏のような異性愛者の中高年男性は、私たち性的マイノリティからすると、最強の属性だ。しかも、植村氏はジャーナリスト。いくらでも意見を発信することができる立場であり、特に、ネットではなく活字が中心の時代には、まさに権力者であった。

朝日新聞の記者をされていた1990年代に、はたして植村氏は、性的少数派差別を批判する記事を書いてくださっただろうか? おそらく、ないだろう。なにしろ、そんな記事を書いては、今度は植村氏が「おまえ、ホモなんじゃないか?」という目を向けられることになる。

流れが変わったのは、同性愛者差別事件「東京都青年の家事件」裁判の判決が確定してからだ。

1989年、同性愛者団体アカー(動くゲイとレズビアンの会)が合宿のために東京都の施設「府中青年の家」を利用した際に、他団体から侮蔑的ないやがらせをされ、アカー側は青年の家側に対処を求めたが、反対に拒絶され、さらなる侮辱を受けた。そして、それは後に裁判へと発展した。アカーが東京都を提訴したのが1991年、東京都の控訴が棄却される形でアカー勝訴で判決が確定したのが1997年。長い闘いだった。

ウィキペディア「東京都青年の家事件」

アカーは非常に真面目で、当時としては急進的な同性愛者団体だった。そんな彼らが、いかがわしい存在として行政に堂々と差別されたという事実が、我々当事者には非常に衝撃的だった。あの裁判でアカーが闘い、勝ってくれなければ、おそらくは今も我々は、最底辺の被差別者であったことだろう。

私は、植村氏への質問状では次のように申しあげている。

「私は90年代なかばにバイセクシュアルとしてカミングアウトした作家です。デビューは1991年ですが、それ以前には、会社員をしながら、ゲイ&レズビアン解放運動の末端で活動をしてきました(当時はLGBTなどという言葉はありませんでした)。その後も、東京都青年の家事件の抗議集会に参加したり、性的マイノリティ団体の会合に出席したり、団体が発行するミニコミ誌を購読したりしてきました」

そんな私が、なぜ、今、LGBT当事者の「敵」として、差別主義者とLGBT活動家を並べなくてはならないのか。

それは、LGBTの運動に、陰惨なリンチ事件を起こした「しばき隊界隈」と称される運動体、すなわちC.R.A.C.(旧レイシストをしばき隊)、カウンター、ANTIFAと呼ばれる界隈の反差別活動家が参入し、LGBT活動家やそのシンパまでが暴言や恫喝を運動手法とするようになったからだ。すなわち、それは、運動の変質であった。

[上]今は亡き首都圏反原発連合の運動家であり、しばき隊系ゲイ活動家・平野太一氏。現在はしばき隊系LGBT団体TOKYO NO HATEでご活躍[左下]平野太一氏から杉田水脈衆院議員に対するオラつきリプライ。下品である[右下]自分に従わないゲイには、侮蔑的な暴言。意識高い系のおつもりか?

[左]しばき隊系ゲイ活動家で、地元茨城県牛久市の共産党幹部のご子息・森川暁夫氏。保守のゲイである松浦大悟元参院議員にはヘッダー画像で、アカウント名では森に粘着嫌がらせ。LGBT当事者の間でも「気持ち悪い」と評判にる[右]森川氏はレイプに肯定的なツイートをした後に、アカウントを凍結された(ウェブ魚拓・https://archive.li/LGVMn)。常日頃からミソジニストとしても有名だった

これでは、LGBTへの理解を社会に求めるどころではない。現在では、LGBT当事者がLGBT活動家の暴言・恫喝のせいで、肩身の狭い思いをすることも、しばしばだ。

かつて、被差別部落出身者の真摯な人権運動が「エセ同和行為」を生み出し、かえって差別を後押ししてしまったのと、よく似た図式だ。「同和は怖い」に続き「LGBTは怖い」と世間でささやかれる事態になることを、私たちLGBT当事者は危惧している。

参考ページ・ 「えせ同和行為」を排除するために 法務省

私たちが、多数派である異性愛者の中でもLGBTに寄り添う意志をお持ちの方々に求めたいのは、先述の「①差別主義者」だけでなく「②LGBT活動家およびそのシンパ」の道を外れた暴言・恫喝・脅迫もきっぱり拒絶していただくことだ。どちらもLGBTへの理解を阻害するという点では、同レベルである。

実は②に関しては、本心を言えば、「一部LGBT活動家とそのシンパ」と「一部」を入れた形で表記したかった。決してLGBT活動家すべてが悪いのではなく、暴言・恫喝を繰り返している一部の者たちを批判しているのだ、と。

しかし、その「一部」の暴言・恫喝を批判するLGBT活動家は、今現在、一人もいないのだ。中には、私がかつて尊敬していた活動家もいるのだが、すっかりオラつき集団に取り込まれてしまっている。暴言・恫喝が常態化しているというのに、仲間内から一人も批判者が出てこないのなら、それはすでにその集団が自浄作用を失い、カルト化しているということだ。

私は、LGBT活動界隈のオラつきを批判できるLGBT活動家が出てきてくれないかと、日々、待っているのだが、完全に待ちぼうけをくらっている。

以上、長々と、我々LGBT当事者の闘いについて、解説させていただいた。次回では、私が植村氏からいただいた回答をご紹介すると共に、反論を含めたお返事をさしあげたいと思う。読者諸氏にはもう少しおつきあいいただければ、幸いだ。

▼森 奈津子(もり・なつこ)
作家。1966年東京生。立教大学法学部卒。1990年代よりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラー等を執筆。ツイッターアカウント:@MORI_Natsuko
https://twitter.com/MORI_Natsuko

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 最寄りの書店でお買い求めください

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5GCZM7G/

前の記事を読む »