◆低下した米国人の愛国心

今年3月、ウォールストリート・ジャーナル紙とシカゴ大学の合同最新世論調査結果が発表された。それによると、この間、米国人の愛国心には非常に注目すべき変化があったという。愛国心が極めて重要と答えた人が全体の38%、ある程度重要と答えた人が35%だった。これは、1998年度における同様の調査で、極めて重要と答えた人が70%だったのに比べた時、驚くべき変化だという。

同様の結果は、ギャラップ社の調査からも報告されている。昨年、米国の建国記念日当日、この日を米国人として非常に誇りに思うと答えた人は38%に過ぎなかった。2001年以来、同社の調査で、55%を下回ったことは一度もなかったことを考えた時、この急激かつ大幅な下落は、一体何を意味しているのだろうか。

これまで、移民の国と言われ、多様な人種、宗教などからなる米国を一つにまとめる精神的拠り所として、愛国心は決定的だった。そこにこそ、建国以来、南北戦争など幾多の危機を乗り越えてきた米国のエネルギーの源泉があったと言うことができる。

その愛国心が今なぜこうなってしまったのか。その原因について考えるのは、意味のあることだと思う。

◆なぜ低下したのか、米国人の愛国心

米国人の愛国心低下の原因について考えた時、それは、第一に米国人自身の変化に、第二に米国という国そのものの変化に求めることができる。

第一について言われているのは、米国人の個人主義の深まりだ。

先のウォールストリート・ジャーナル紙は、「多くの人々が自分の権利をより重視するようになり、並行して自分のコミュニティへの関与の度合いが減ってきている。米国人としての共通の価値観よりも、それぞれが持つ異なる人種的、文化的バックグラウンドへ関心が集まり始めている」というある塗装業者(33歳)のコメントを載せている。

それも一理あると思う。だが、個人主義の深まりは、何も今に始まったことではない。

移民の国、米国の共同体としての歴史は長くない。もともと強い個人主義、それが米国の特徴だと言われてきた。

その上に、グローバリズム、新自由主義がそれを一段と促進したのは事実だと思う。「国の否定」、「格差、差別の拡大」、そこから少なからぬ人々が自らの人種的、文化的バックグラウンドに関心を持ち、自分の世界、自分の価値観に引きこもるようになったのは十分に考えられる。

しかし、それだけではない。米国人の愛国心低下の原因として一層深刻に考えられるのは、米国という国そのものの変化だ。一言で言って、米国が米国人にとって、愛し信じて誇るべき国ではなくなってしまったと言うことだ。

今世紀に入りながら、米国の政治は「1%のための政治」と言われ出した。長期に渡る経済停滞と拡大する貧困、産業の空洞化と寂れ行くラストベルト地帯、それとは対照的に、繁栄と栄華の極みを尽くす「金満ウォール街」。

一方、イラク、アフガン、シリアへと続く反テロ戦争の広がりと泥沼化。米国人にとって、それは、「世界の警察」としての虚構が完全に打ち砕かれる過程であったのではないか。

それに加えてさらに深刻なのは、人種、民族が融合しているのではなく、サラダボール状になっていると言われる米国社会のさらに深まり拡大する分裂、分断だ。それは、泥仕合の様相を呈する民主党と共和党の対立激化などと相まって、収拾のつかないものになってきている。

人々が身を委ね、運命をともにする国としての体をなさなくなってきている米国にあって、人々の愛国心が低下するのは必然だと言えるのではないだろうか。

◆戦後日本政治と愛国心

戦後日本の政治にあって、愛国心が主張されたり、人々の愛国心に訴えて政治が行われたりすることがほとんどと言っていいくらいなくなった。極少数の極右の人々を除き、右も左も愛国心は、禁句になった感がある。

「愛国」で始められた第二次大戦は、それへの裏切りで幕が下ろされた。以来、日本の政治において、「愛国」は、軍国主義の代名詞とされ、ほとんど使われないようになった。

もう一つ、戦後日本政治で「愛国」が言われなくなった理由がある。そこに介在していたのは、もちろん「米国」だ。

元来、他国を支配し統制する覇権と愛国は相容れない。と言うより、覇権国家にとって、被覇権国家の国民が持つ愛国の心は邪魔者であり敵対物だ。実際、米国による日本に対する覇権は、日本人の愛国心の抑制の上に成り立ってきたと言っても過言ではない。

だから、米国にとって、戦後日本政治で「愛国」が軍国主義の代名詞になり、禁句になったことは、もっけの幸いだったと言えると思う。

そうした条件の下、米国は、日本をただひたすら「米国化」してきた。その結果、メシからパンへ、石炭から石油へ、日本の社会と経済、政治、軍事から文化に至るまで、そのあり方の総体が米国化されたと言っても決して過言ではない。

そして今、米国は、自らの覇権回復戦略、「米対中ロ新冷戦」を引き起こしながら、その最前線に日本を押し立て、日本に「東のウクライナ」として対中対決の代理戦争をやらせるため、今まさに日本の米国化を全面化してきている。駐日米大使ラーム・エマニュエルがその大使への指名承認公聴会で「日米統合」に力を尽くすことを誓ったのはそのことだと言うことができる。

事態は簡単ではない。もはや日本人の愛国心そのものが風前の灯火となり、完全になくされてしまう時が来たということか。

だが、そんなことにはならないと思う。スポーツなどで、日本人や日本チームを応援する心、その活躍を喜ぶ心は、愛国心ではないのか。科学技術などで、日本の立ち後れを知った時、それを残念に思い悔しい思いを抱くのも愛国の心ではないのか。

自分の国、自分の故郷や家族、自分の集団を思い、気に掛け、愛するのは、社会的で集団的な存在である人間の本質的な特性だと言える。

今、日本に求められているのは、そうした日本人自身が持つ愛国の心に応え、訴える政治をすることだと思う。それこそが日本を「東のウクライナ」への道から救い出す唯一の道ではないだろうか。

◆今、求められる真の愛国政治

戦前、日本政府は、うち続く帝国主義相互間の覇権抗争の中、日本国民の愛国心を利用して、「鬼畜米英」を煽り、帝国主義間抗争に勝ち抜く「愛国心」をたきつけて軍国主義をやり、あの戦争を敢行した。

こうした戦前の政治と今、「米対中ロ新冷戦」を前に日本に提起されている政治、この二つの政治の間には、前者が帝国主義為政者の侵略的野望から出発し、日本国民の愛国心をそれに利用したのに対し、後者が日本国民自身の持つ愛国の心から出発し、為政者がそれに応え訴えることが問われているという本質的な違いがある。

この本質的違いを前に、今の為政者に問われていることは、自分の政治的、政策的目的、意図から出発し、その実現のために国民の愛国心に対するということがあってはならないということではないだろうか。もし、自分の政治的、政策的目的のために国民の愛国心を利用するということがあったなら、それは、戦前の帝国主義者と同じであり、国民の愛国心を奮い起こして米国の策謀を打ち破ることは決してできないと思う。徹頭徹尾、国民大衆の愛国の心から出発し、その実現のために闘うこと、この真心にのみ闘争勝利の鍵があるのではないだろうか。

今は、帝国主義覇権の時代ではない。戦後78年、生き延びてきた米覇権も、国と集団そのものを否定する究極的覇権思想、グローバリズムと新自由主義が破綻する中、覇権生き残りの最後の手段、「米対中ロ新冷戦」にしがみつきながら、ウクライナ戦争とともにその最後の時を迎えているように見える。

覇権VS愛国、時代は、明らかに反覇権・自国第一・愛国の時代になっている。先の広島G7にあって、招待されたグローバル・サウス諸国のゼレンスキー支持拒否の一致した行動は、そのことをこの上なく明瞭に示していた。

この世界に広がる愛国の時代に、日本国民の間に生まれた「新しい戦前」、脱戦後の意識、まさにこうした自分の国である日本を憂いながら、あくまでそこに身を委ね、運命をともにする国民大衆の愛国の意識に応え訴える闘いを起こしていくことこそが今切実に求められているのではないだろうか。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

恒例の春日部での絆興行、PITジム前・会長の松永嘉之氏の息子さんが新会長として初興行。昨年は長引くコロナ禍の影響で、かすかべ湯元温泉 屋外特設リングで開催されましたが、今年は4年ぶりに「ふれあいキューブ」に帰って来た興行でした。ベテラン石川直樹は、本来の5回戦で首相撲からのヒザ蹴りで大差判定勝利。

◎絆 XIV / 8月11日(金/祝)ふれあいキューブ 16:00~19:45
主催:PITジム / 認定:ニュージャパンキックボクシング連盟

◆第11試合 スーパーバンタム級 5回戦

石川直樹(Kick Ful/55.1kg)42戦23勝(12KO)10敗9分
      VS
NJKFスーパーバンタム級7位.庄司理玖斗(拳之会/54.8kg)9戦5勝(3KO)3敗1分 
勝者:石川直樹 / 判定3-0
主審:北尻俊介
副審:中山50-46. 椎名49-46. 児島50-46

石川直樹は新日本キックにおいて第9代日本フライ級チャンピオン(2016.10.23~脱退までV2)

初回、庄司理玖斗の右ストレートで始まるが躱した石川直樹。庄司は更にパンチとローキックで先手を打つ。冷静な石川直樹は右ローキックで様子見。更に組み付いて首相撲の展開に持ち込み、ヒザ蹴りで主導権支配に手応えを掴む。

第2ラウンドには石川の首相撲から崩し倒す展開が増える。ペースを乱された庄司は離れて立て直したいが、石川の組み付いての首相撲でバランスを崩されると疲れる一方。試合終盤には庄司は捨て身のパンチ、ヒジ打ちも入れて行くが、石川は少々貰っても怯むことなく首相撲からヒザ蹴りが続いた末の大差判定勝利。

首相撲から体勢を崩しに掛かりヒザ蹴りに入る石川直樹

石川直樹の首相撲からウェイトを掛けられると崩される庄司理玖斗

試合終了後、健闘を称え合うハグも首相撲が続いているかのようにヘタレ込んでしまう庄司。

リング上では国崇(=藤原国崇)が「庄司理玖斗は僕の弟子ですけど、やられたのは悔しいので、来年のこの絆興行でやりましょう!」と対戦を促すと、石川直樹も受ける構えで、「今日はメインイベンターとしてKOで勝ちたかったですけど、もっと練習して、これからも絆を引っ張って行けるように頑張って盛り上げていきたいと思います。」と来年以降も出場をマイクで語った。

リングを下りた後。石川直樹は「予想通りにはいかなかった。結構腹と顔面にヒザ蹴り入れたんですけど倒れなかったですね。あれだけ攻めれば相手は4ラウンドには疲れて来るんですけど、庄司は倒れず元気だった。倒し切るだけのヒザ蹴りが出せなかったです。」と庄司の粘りを称えた。

庄司の先輩の国崇は「経験の差が出ましたね。」と一言。

庄司理玖斗は涙ながらに反省の言葉を話していたが、「ベテランのチャンピオンの力って本物だなあと思って、何回も転ばされてばかりで情けない試合になってしまいました。岡山からも家族も観に来てくれて、こっち(埼玉)の友達も観に来てくれたのに本当に情けないです。」

ヒジ打ちを少しヒットさせたことについては「ヒジ打ちは少し当てましたけど、ビクともしなくて手応えも感じなくて、何も出来ませんでした。」

掴まえられてどう切り抜けるかが足りなかった庄司理玖斗。それでもヘロヘロになりながらもヒザ蹴りを幾ら喰らってもノックダウンに至らず、5回戦の長丁場を戦い抜いたことはいい経験になったことだろう。

来年の対戦は確定的、石川直樹と国崇

◆第10試合 62.0㎏契約3回戦

TAaaaCHAN(=ターチャン/PCK連闘会/62.0kg)33戦19勝(8KO)13敗1分 
       VS
シンダム・サンライズジム(タイ/62.0kg)55戦44勝11敗 
勝者:シンダム / 判定0-3
主審:神谷友和
副審:北尻28-29. 椎名28-29. 児島28-30

TAaaaCHANは東北地方の聖域統一スーパーライト級チャンピオン
シンダムは元・タイ国ラジャダムナン系バンタム級チャンピオン

第1ラウンド、ローからミドルキックで牽制するターチャン。激戦の強者シンダムは何が出て来るか分からない凄味を醸し出す。それでも突破口を開こうとローキックからハイキックまで、更に飛びヒザ蹴りも試みるが、まともには食わないシンダム。蹴り返すシンダムは速くて重そうな蹴りで逆に牽制。様子見の中でもペースを乱さない落ち着いたシンダム。

TAaaaCHANのハイキックを余裕で撥ねるシンダム

初回よりは怖さも無くなったかターチャンの蹴りが増える。対するシンダムも蹴り返しは重く強く、下がる展開は見せない。

最終第3ラウンド、積極的に攻めるターチャンと的確に蹴り返すシンダム。やや下がり気味になるシンダムは勝ちを確信した流れで組み付いて首相撲から転ばして凌ぐ時間の稼ぎ方も、こうなったらノックアウトは難しいが、ベテランの技でシンダムが順当な判定勝利を掴んだ。

シンダムのミドルキック、TAaaaCHANを入り込ませない牽制技

◆第9試合 女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級挑戦者決定戦3回戦(2分制)

スーパーバンタム級1位.MARIA(PCK大崎/TeamRing/54.9kg)8戦6勝(2KO)1敗1分
      VS
同級6位.七美(真樹ジムオキナワ/54.7kg)14戦4勝(2KO)8敗2分
勝者:MARIA / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:北尻30-29. 神谷30-29. 児島30-29

オープニングヒットは七美の左ミドルキックと、その蹴りに合わせたMARIAの左ジャブ。やや圧された七美を追ってMARIAが首相撲へ持ち込む。蹴りとパンチの攻防は互角ながらMARIAの圧力が増していき、ロープ際でパンチ連打。MARIAがやや手数で優るも、採点はジャッジ三者とも僅差の30対29ながら、それぞれが1~3ラウンドまで分かれた10対9で、どのラウンドも互角に近い展開のMARIAの僅差判定勝利。

圧力あったMARIAの連打、七美は攻め切れず

◆第8試合 63.0㎏契約3回戦

上杉謙信公(PCK亘理L‘antRe duLion/64.0kg)戦績不詳
      VS
財辺恭輔(REON/62.6kg)6戦4勝(1KO)1敗1分
勝者:財辺恭輔 / TKO 1R 1:47 /
主審:椎名利一

中島崇が計量失格により欠場。同ジムの上杉謙信公が代打出場。刀で斬るパフォーマンスは目立ったが、開始から財辺恭輔のカーフキックを加えたローキックをブロック出来ずノックダウン後、ダメージ深くノーカウントのレフェリーストップ。財辺恭輔の完封TKO勝利。

財辺恭輔のローキックで棒立ちとなってしまう上杉謙信公

◆第7試合 フライ級3回戦

愁斗(Bombo Freely/50.2kg)6戦4勝(4KO)2分
      VS
清水保宏(北眞舘/50.4kg)9戦3勝5敗1分
勝者:愁斗 / TKO 1R 2:34 /
主審:児島真人

前回の6月興行同様、スピーディーな切れ味を魅せる愁斗の攻め。左ミドルキックから右ストレートで倒し、完封TKO勝利。

愁斗の素早いヒットで清水保宏をコーナーに追い詰め、右ストレートで倒した

◆第6試合 女子(ミネルヴァ)50.0㎏契約3回戦(2分制)

ミネルヴァ・ライトフライ級5位.紗耶香(格闘技スタジオBLOOM/49.7kg)12戦5勝(1KO)6敗1分
       VS
いわち -無所属-(50.0kg)1戦1敗
勝者:紗耶香 / TKO 3R 1:05 /
主審:中山宏美

いわちは極真空手世界チャンピオンとアマチュアK-1で3連覇という肩書きを持つ。パンチと蹴りでの攻めは勢いがあり、紗耶香の顔面を捉える蹴りも目立ったが、打ち合いからの紗耶香が首相撲に入る展開が多くなる中、ヒザ蹴りを加えた攻勢を維持。

第2ラウンド半ばには、いわちの束ねた髪が解け、ザンバラ髪となって前が見難そうな展開。インターバルではしっかり束ねられないまま第3ラウンドへ、紗耶香は首相撲に持ち込み崩し転ばし、蹴り合いも優っていった。

いわちは更に紗耶香の首相撲で崩されそうなところでヒザ蹴りを受けてノックダウン。続行後、紗耶香は蹴りからパンチでロープ際に追い込み連打を続けるとレフェリーが割って入り試合を終了させた。紗耶香の完封TKO勝利。

紗耶香のヒザ蹴りで、いわちが崩れていく

◆第5試合 73.0kg契約3回戦

翁長将健(真樹ジムオキナワ/73.0kg)3戦1勝(1KO)2敗
      VS
玄間貴大(峯心会/72.2kg)2戦2敗
勝者:翁長将健(真樹オキナワ) / KO 1R 2:07 / 3ノックダウン

打ち合いの中、翁長将健の連打で玄間貴大が3度ノックダウンに至ったが、いずれも立ち上がってもアグレッシブに打ち合う展開を見せていた。翁長将健のノックアウト勝利。

◆第4試合 女子(ミネルヴァ)ピン級3回戦(2分制)

UveR∞miyU(=ウーバーミユ/T-KIX/44.9kg)3戦2勝1敗
      VS
友菜(Team immortal/45.3kg)3戦3敗
勝者:UveR∞miyU(T-KIX) / 判定3-0 (30-28. 30-28. 30-28)

◆第3試合 フェザー級3回戦

工藤叶雅(VALLELY KICKBOXING TEAM/56.0kg)1戦1敗
      VS
蹴橙(クローバー/56.3kg)1戦1勝(1KO)
勝者:蹴橙(クローバー) / TKO 3R 1:59 /

蹴橙のヒザ蹴り連打で工藤叶雅がノックダウン後、更にヒザ蹴りでダメージ深く、レフェリーが試合をストップし、蹴橙の完封TKO勝利。

◆第2試合 女子(ミネルヴァ)ピン級3回戦(2分制)

ミネルヴァ・ピン級5位.世利JSK(治政館/44.8kg)8戦3勝5敗
      VS
上真(ROAD MMA/44.8kg)11戦4勝7敗
勝者:上真(ROAD MMA) / 判定0-3 (28-29. 28-29. 28-29) 

◆第1試合 女子アマチュア36.5kg契約2回戦(2分制)

西田永愛(伊原/36.1kg)vs渡邊梨央(MtF MUGEN/35.5kg)
勝者:西田永愛(伊原) / 判定2-1 (19-20. 20-19. 20-19)

※58.0㎏契約3回戦、河崎鎧輝(真樹ジムオキナワ)vs湯本剣二郎(Kick Life/57.9kg)は、
河崎鎧輝の計量失格で中止。湯本剣二郎は勝者扱い。

戦績はパンフレットよりこの日の結果を含んだものです。
第1試合からの試合順は行なわれた順で、パンフレットとは異なります。

松永嘉之前会長から初プロモートを労い、記念品が贈られた大月謙会長

《取材戦記》

今回のメインイベンター石川直樹は春日部市出身。デビュー戦は2013年4月13日、「絆」興行からでした。新日本キックボクシング協会でチャンピオンに成り、後々に所属していた治政館を離れ、移籍という流れで昨年は3回戦制で誓(ZERO)に僅差の判定負け。今年は本来の5回戦で、しつこいヒザ蹴り復活の勝利でした。

松永嘉之前会長の息子さんで初プロモーターの大月謙氏は今回の興行について、
「皆で楽しんで頂けたかなと思います。国崇が石川直樹に噛み付いてくれたので来年、実現に向けて進みます。」と語った。セレモニーでは松永嘉之氏より初興行を称えるパネルが贈られました。

地道にも14回目となった絆興行も、来年も日時未定ながら、ふれあいキューブでの開催が予定されています。

ニュージャパンキックボクシング連盟本興行「NJKF 2023.4th」は9月17日(日)に後楽園ホールで17:30開催予定。

NJKFスーパーライト級タイトルマッチ、チャンピオン畠山隼人(E.S.G)が同級1位、吉田凛汰朗(VERTEX)との2度目の防衛戦。

NJKFフライ級タイトルマッチはチャンピオン優心(京都野口)vs同級1位、谷津晴之(新興ムエタイ)による2度目の防衛戦。

S-1レディース世界ライトフライ級王座決定戦に真美(team lmmoRtal)が挑みます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2023年6月発行の書籍に感銘を受けたので、取り急ぎ紹介したい。著者は高齢化が加速する社会において、私たちが向かうべき地域づくりの道を開拓する医師だ。

◆「笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療」

 

松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の著者である松永平太氏は、地域づくりを先駆的に進めている1人だ。

千葉県南房総市千倉町に生まれ育ち、1983年、東京理科大学薬学部を卒業。その後、86年に東京医科歯科大学に入学し、卒業後、民間病院に入職。そこで医師と看護師とは対等であることを学び、その3年後となる1997年に松永医院を継ぎ、院長となった。

彼の願いは、「高齢者が笑顔で自分らしく生き、自宅で家族や友人とともに人生の最期を迎えられる地域医療のかたちを実現させること」。そのためには、もちろん在宅医療に加え、介護や福祉との連携が必要だ。そこで、「外来診療から在宅看取りまで対応した診療所を拠点に、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、デイサービス、デイケア、グループホーム、老人保健施設などを整備」した。

松永氏は、「全国に先駆けて人口減少や高齢化が進んだ千倉の地域医療は、これからの医療の最先端モデルになり得るのではないか」と考えて、本書を執筆したという。

千倉町の「高齢化率(65歳以上の高齢者人口の割合)はすでに50%」とのことで、2022年4月の高齢化率を調べると南房総市全体でも46.8%、千葉県内では御宿町、鋸南町に次ぐ第3位となっている。

千葉県内市町村別高齢者人口(2022年4月1日現在)

https://www.pref.chiba.lg.jp/koufuku/toukeidata/kourei-jinkou/documents/r4koureishajinkou.pdf

ちなみに2035年には限界集落化という役所の職員もいたが、現在、高齢化が進みすぎていて2040年には65歳以上の人数自体は減ってしまう。
http://www.chiiki-chienowa.net/003_PPS/12chiba/12_kt_chiba.html 

◆高齢者のリアルと人間の生きがいとのギャップ

そのような中で松永氏は、診療所について、「命のコンビニエンスストアでありたい」と考えている。ただし、彼の目にうつるのは、「若い世代の重荷とされてしまう一方、お年寄り自身もどのようにして生きればいいのか迷い、誰にも相談できず、途方に暮れている」、そんな姿だ。「特にやりたいことはない」「早く死にたい」と口にし、一命を取り留めても「なぜ自分を助けたのだ」と苦情をいう人すらいるという。

彼は本書に、「この世で最大の不幸とは、貧困や病ではなく、見放されて誰からも必要とされなくなること」というマザー・テレサの言葉を引用している。実際、最も元気な80代の1人は、常に軽トラで地域を走り回り、広い田んぼを手がけ、「次は本業」といって店番もする。用事があって会いに行っても、なかなかつかまらない。お子さんにこのような話をしたところ、「仕事がいちばん好きだといっている」とのこと。やはり、求められているということが人間の生きがいとなるのだろう。

また、地域の人々の話を楽しく聴くだけで、ご本人やご家族に感謝されたり、野菜や魚を頻繁にもらったりする。お返しをしても、なかなか追いつかない。ただし、わたしが勝手に会話を楽しんでいることが役に立っているなら、大変うれしいことだ。そのような人間の生きがいや喜びのためにも、松永氏は「高齢者医療で大切なことは、とにかく入院期間を短縮すること」と述べている。

◆理想的なケアの形と介護保険の問題点

しかし、本書の中で、わたしがどうしても違和感を抱く個所があった。それは、家族の介護を大前提とする、いくつかの描写や意見・感想だ。なぜなら、わたしは個人的に小学校高学年の頃から複雑化した家庭環境に育ち、この社会の婚姻制度、家族制度や家制度(戸籍制度)に違和感を抱き続けるなどしているからだ。ちなみに、アメリカには扶養義務という概念がなく、スウェーデンやデンマーク、フィンランドでは子が親を扶養する義務が廃止されているそうだ。

ただし詳しくは第2回以降で触れるが、さまざまな現実に真剣に向き合ってきた松永氏の考えは実際、わたしとまったくかけ離れていることはない。また、彼が手がけていることは、まさにコミュニティでのケアを理想的な形で実現させるためのものなのだ。

そして本書では、介護保険の問題点についても述べている。まず、要介護認定の制度によって、経営上の問題を抱える介護サービス事業所は利用者のサービスへの依存度を高めようとすることになり、足腰を弱らせて寝たきりにしたほうがよいという判断をしかねないという。

わたしが介護に関する取材・執筆を重ねていた2005年前後には、事業所の善意とボランティアが介護を支えている面もあり、また予防重視の方向性によって介護が必要な人に届かなくなるのではないかと危惧されていた。それが、実際には、だいぶ複雑な方向に進んでいるのだと感じた。また、現場のヘルパーさんたちの労働に関する問題も根深いと、わたしは考えている。(つづく)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等に寄稿してきた。フリーランスの労働運動・女性運動を経て現在、資本主義後の農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動、釣りなども手がける。地域活性に結びつくような活動を一部開始、起業も準備中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

◆先進イメージの渋谷区政と博報堂人脈 ── 信じがたい副区長の暴言

東京都渋谷区。わたしが世田谷区在住の幼少期は、よく、親に渋谷に連れて行ってもらったのを鮮明に覚えています。その後、大学時代の前半も渋谷は通学路に当たり、よく大学の駒場キャンパスから渋谷のカラオケまで友人と歩いたりしたものでした。

渋谷区は、いわゆる無所属市民派を標ぼうする長谷部健区長が3期目を務めておられます。同性パートナーシップ条例を全国に先駆けてつくり、長谷部区長支持の区議会会派は男性3、女性5という構成です。長谷部区政は、うっかりすると、ジェンダー平等・多様性尊重の素晴らしい区政に見えてしまいます。

ところが、その長谷部区長が任命した沢田伸副区長が、国民民主党の桑水流弓紀子議員を侮辱するコメントを庁内のチャットでしてしまい、8月8日、辞任しました。
長谷部区長の博報堂時代の元上司で、意識高い系で有名な沢田副区長。行政のIT化などで、マスコミに度々登場。いわば、天まで持ち上げられて意気軒高でしたが、突然の失脚となりました。有頂天になったということはあるでしょうが、それにしても酷い言動でした。

◆野宿者追い出し、女性トイレ削減……長谷部区政の冷酷さ 「女性野宿者惨殺」の背景にも?

実は、渋谷区では、野宿者を公園から追い出し、真冬の路頭に放り出す。そして公園は大手企業が儲ける場所に変えるという事業を強行しています。このときは、筆者が国政で支持するれいわ新選組の山本太郎も国会で取り上げました。

しかし、結局、長谷部区政は聞く耳を持ちませんでした。沢田副区長は、そうした区政の責任者であり、「行政が儲けて、住民の税負担を減らす、子育てなどのサービスを充実させる」ということで、マスコミでもご自身の政策を自画自賛しておられました。しかし、そもそも、行政は儲けるためのものではない。儲からなくても住民のためにやるべきことは、住民の声を聴き、議会で議論して、条例や予算という形にしてもらった上で実施する。そういうものでしょう。儲けのために生存権を脅かしてしまっては、本末転倒です。

そうした中、地域の清掃ボランティアをしていた男性区民が、バス停で夜を過ごしていた広島出身の野宿者の女性を邪魔者扱いして惨殺(起訴事実は傷害致死)した上、自らも保釈期間中、自死するという事件が起きています。長谷部区政が醸し出した「野宿者に厳しい」雰囲気が、この男性の凶行と自死を招いたと言えないでしょうか?もちろん、第一義的には、被告人の男性が悪いのですが、被告人も長谷部区長が醸成したいわゆるネオリベ的雰囲気にのまれたのではないでしょうか?

長谷部区政は、もうひとりの副区長や区長与党会派の議員候補に女性を登用するなど、「成功者の女性」を持ち上げる一方で、格差拡大の中で苦しんでいる女性には冷たかったのではないでしょうか?あるいはそういうメッセージを区民に発していたのではないでしょうか?

長谷部区政は、公共の女性トイレを減らすということも進めていました。もちろん、いわゆる多目的トイレを増やすのは結構なのですが、それに伴って女性用トイレを減らしてしまってはこれまた本末転倒です。

◆女性区議の正論に逆切れ?

桑水流区議は、2023年春の統一地方選挙では、女性用トイレを減らす長谷部区政を批判する演説もして当選しておられました。筆者は国民民主党を全く支持しませんけれども、桑水流区議の御主張はもっともだと思います。ただ、そんな桑水流区議は、沢田副区長からは「うざく」思えたのかもしれません。

意識高い系(?)の男性にありがちな傾向として、自分が気に入った女性は神輿として持ち上げるのだけど、自分に意見する女性の意見を必死で抑え込もうとする、ということがあるのも否定はできません。ひょっとしたらそういう部分が今回出てしまったのでしょうか?

◆広島の湯崎県政とリクルート人脈 ── 長谷部区政とそっくり?

実は、渋谷区の長谷部区政については、広島県民も他山の石とせねばなりません。広島県の湯崎英彦知事は、長谷部区長や沢田副区長と似たタイプの平川理恵教育長を初の女性教育長として任命した。長谷部区長・沢田副区長が博報堂なら、平川教育長は、リクルートご出身。いわゆる意識高い系、広告系という意味で、非常に共通する点がありました。

平川教育長についても、マスコミが一時期は「改革の旗手」として、沢田副区長同様、天まで持ち上げました。

ところが、実際には、平川教育長は、ご承知の通り、官製談合事件を引き起こしてしまいました。しかし、平川氏は自主的な給料返上だけを行い、いわゆる懲戒処分は全く受けていません。特別職には懲戒処分はないといえばそれまでです。しかし、そうなであるならば、法律に基づいて、知事が罷免するという手があります。だが、湯崎知事はそれもせず、平川氏を野放しにしています。

平川氏は、京都や大阪のお友達企業や法人、あるいは東京の友人に県教委の仕事を丸投げする一方で、県教委管轄だけで1000人以上いる非正規の先生の待遇改善については「予算がない」とけんもほろろに却下しました。

また、湯崎知事ご自身は、三原市本郷町の産業廃棄物処分場問題では、広島地裁で許可取り消しを命じられています。8月現在も現に汚染水が流出し続けているのに高裁に控訴し、住民に敵対しています。住民たちは、川の水を使えずに、田んぼが干上がるなどの死活問題に直面していますが、湯崎知事は知らんふりです。

湯崎知事は、8・6の平和記念式典での挨拶はそれなりに良いし、それでごまかされてしまっている左派の方も特に県外では多いのですが、上記のように、県政の中身はボロボロです。

渋谷区の長谷部区長と広島県の湯崎知事。そっくりではないのか? いや、沢田副区長を自発的とはいえ、退陣させた分だけ、長谷部区長の方がましかもしれません。しかも、長谷部区長の場合は、自民や公明や共産が野党として存在し、緊張関係が議会との間にあるのが幸いしています。広島の場合は、ほとんどオール与党である。広島の方が渋谷より始末に悪いでしょう。

◆長谷部区長と湯崎知事、実は接点 「想定している事業のイメージはない」事業

渋谷区の長谷部区政と広島の湯崎県政。実は接点があります。湯崎知事が肝いりで進めている「ひろしまサンドボックス」なる事業にNTT西日本やソフトバンクとともに、渋谷区が参加しています。渋谷の熱量と知名度を生かすということです。

「ひろしまサンドボックス」とは、広島に知識や人材を集積するために2018年から3年間で10億円をかけて行われた事業です。とにかく、失敗を恐れずに事業アイデアを出そう、ということです。

ガッチリ握手する長谷部渋谷区長と湯崎広島県知事。やはり類は友を呼ぶのか。(2018年5月25日付け日経BP総合研究所HP山田雅子氏執筆リポートより)

ただ、2021年、2022年と広島県は人口流出が過去最悪となりました。「ひろしまサンドボックス」も含めて、効果があったと言えるのでしょうか? 湯崎知事もひろしまサンドボックスについては、「想定している事業のイメージもない。」などとおっしゃっているものです。

ひろしまサンドボックスのノートを拝見すると、県内の女性若手起業家らがそれなりの情報発信はされています。それはそれでいいのです。彼女らは彼女らでどんどんやりたいことをされればいいでしょう。そういう場はあっていいけれども、わざわざ行政が大金を投入してお膳立てをしなくてもそういう活動をする人はどんどん自主的に活動するでしょうし、筆者が存じ上げる範囲でも実際にしておられます。

そして、行政・政治が何をすべきか、といえば、「ひろしまサンドボックス」とは、違うのではないでしょうか?

今となっては全国に遅れをとっている子育て支援策を充実させる。非正規の先生をきちんと正規にして、若者に地元にとどまってもらう。県が地元企業への発注単価を適正に上げる。また、国とも連携して農業に戸別所得保障をきちんとする。あるいは、国保料の均等割りを廃止し、子育て世代の起業家のお子さんから保険料を取るのを止める。こうしたことをやっていく方が実効性はあるのではないのか?という感想しかありません。

そして、何度もご報告している三原本郷産廃処分場問題。このままでは汚染水が流域の農業や食品工業、醸造業、漁業に大打撃ですよ。知事にはそちらをきちんと対応していただきたい。

カッコだけはつけるけど、中身はない。そんな湯崎県政。長谷部区政との連携は似た者同士でお似合いかもしれません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

前田和男さんは鹿砦社創業に関わり、最初の出版『マルクス主義軍事論』などの編集をされました。最近では『続・全共闘白書』も編纂されています。

その前田さんが新著『昭和街場のはやり歌──戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと』を上梓、A5判、300ページの大著です。

『マルクス主義軍事論』から『昭和街場のはやり歌』へ ── 現在の鹿砦社も硬派(社会問題書)から軟派(芸能本)まで同じ位相で出版しています。

とりいそぎ、三波春夫と美空ひばりの項目の一部を紹介しておきます。なお、ご注文の際には松岡の紹介とお書き添えください。

株式会社 鹿砦社 代表
松岡利康

前田和男さんの新著『昭和街場のはやり歌 ── 戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと』

広島県三原市本郷町の三原・竹原市民の水源地のど真ん中に湯崎英彦・広島県知事が2020年4月に設置を許可してしまったJAB協同組合の産廃処分場。2022年9月から稼働してしまいました。それから9か月しか経過していない2023年6月、国の基準値を上回る汚染水流出が発覚しました。6月29日に県東部厚生環境事務所が操業を止めるよう行政指導しました。

◆狭まる知事包囲網、渋々業者に「警告」

また、その直後の2023年7月4日には、広島地裁の吉岡茂之裁判長(権力寄りの判決が多いことで有名)さえも、湯崎英彦知事に対して産廃処分場の許可取り消しを命じる判決を下しました。判決内容は、「知事の判断の過程に看過しがたい過誤・欠落があった」というもので、いい加減な井戸水や農業用水の取水口付近の調査が指弾されました。言うなれば県が「失神KO負け」を喫したのです。

しかし、業者は県の指導を無視し、7月8日まで産廃の搬入を強行しました。湯崎英彦知事は行政指導を一方で無視されるという形で業者にすっかり舐められていました。しかし、湯崎知事はにもかかわらず、14日(金)処分場の許可取り消しを命じた地裁判決を不服として広島高裁に控訴してしまいました。

一方で、原告住民らは判決直後から、三原市や竹原市の執行部・議会への働きかけへ猛ダッシュ。このことを背景に三原市議会は県による控訴という暴挙があった14日(金)、産廃処分場の許可取り消しを求める「水源の保全に関する意見書」を全会一致で可決しました。

このように、広島地裁はもちろん、三原市議会も「知事を包囲」する中、さすがの県も19日(水)に基準値を下回るまで操業を止めるよう求める「警告」を行いました。

◆周辺では基準の5~6倍の汚染も県は「警告解除」し、再稼働容認

さらに27日(木)には竹原市議会も県に対して厳正な対処を求める「産業廃棄物処理施設設置業者に対する行政処分に関する意見書」を可決しました。地元の議会が揃って業者への対応がぬるい県に業を煮やした形です。

こうして、地元住民や三原・竹原両市議会による知事包囲網が築かれる中で、県は28日(金)、驚くべき発表を行いました。なんと、業者に対する警告を解除し、操業再開を認めてしまいました。

稼働が再開された処分場。原告団共同代表・岡田和樹様のSNSより

JAB協同組合の改善報告書を県が受け取り、県による調査でも水質の改善が見られた、というのが表向きの理由です。JAB協同組合は、「汚染水は排水管にたまった腐葉土や小動物が原因で、排水管の掃除をして小動物の浸入を防ぐようにしたので大丈夫」という趣旨の報告書を提出しています。

しかし、原告団共同代表の岡田和樹さんは、「抜き打ちの検査前に、6台の散水車の出入りを連日確認。「検査井戸に真水を入れて成分を薄めるのが産廃業界では一般的だ。JABも検査前に、薄めているのだろう。」と複数の産廃業者関係者から聞いていた。事実とすれば調査の捏造である。その結果をもとに県が判断したとすれば、県の監督責任も欠落していたことになる。」と憤慨しておられますが当然です。

県は汚染の被害にあっている住民を置き去りにしてしまいました。「(梅雨明け以降、)雨がふらず、川が泡や異臭で汚染されて水が取れない。穂が出る時に水が取れないと米ができん。」と直下の米作住民は救済を求めておられます。

実際、警告解除の28日、住民が処分場周辺で調査したところ、基準値の5~6倍もの汚染水が出ています。小動物や腐葉土を取り除いた(これすら、これまでのJAB協同組合の言動からして全幅の信頼はおけない)からと言って、ちっとも改善していないのです。

しかし、県はそのことへの対策もせず、敷地内の井戸の調査などの結果だけで警告を解除してしまったのです。これでは竹原市議会が求めた「厳正な対処」どころか、「大甘な対処」です。

産業廃棄物処理施設設置者に対する行政処分に関する意見書(案)

◆「知事に舐められない県民」に!提言コーナーから意見を送ろう!

四期目に入り、産廃問題に限らず、広島県民ではなく、特定企業の利益になるような判断・政策が目立つ湯崎英彦・広島県知事。筆者も最初の選挙(2009年11月)で彼に期待して一票を投じた県民、また、湯崎知事の元部下(県庁職員)として情けない思いは強まるばかりです。

皆様。広島県の湯崎知事にガツンと声を送りましょう!湯崎知事が県民をなめ切っているのであれば知事に舐められない県民になりましょう!

以下は、例文です。

◎簡単な例

広島県知事 湯崎英彦様

三原市本郷産廃処分場に対する設置許可を取り消してください。
お手盛りではないきちんとした水質調査を行い、水質の改善をしてください。
業者から土地を買い上げ、水源を守ってください。
環境配慮条例や水源地保全条例などを制定し、全国一緩い産廃規制を強化してください。

◎長文の例

広島県知事 湯崎英彦様

三原市本郷産廃処分場に対する警告を7月28日、貴職は解除されました。

しかし、貴職が本来すべきは、裁判での控訴を取り下げて産廃処分場の設置許可を取り消すことです。そして、処分場の土地を買い取り、原状回復を測ることです。

また、7月4日付の裁判の判決では、行政寄りの判断をされることも多い吉岡茂之裁判長すら、貴職の許可の意思決定過程に看過しがたい過誤・欠落があると断じておられます。

また、当該事業者・JAB協同組合は、県の6月29日付の行政指導さえも無視しており、貴職をなめ切っています。

井戸の数値が基準値を下回ったと言いますが、産廃処分場から見た川下では泡が出ており、米作農家が困っています。井戸については直前に水を注げば数値がクリア出来てしまいます。

いい加減な調査で許可をし、裁判で厳しく断罪された貴職。これ以上、恥の上塗りをしないでください。

産廃問題は対処が遅れれば遅れるほど被害は拡大し、回復に時間がかかります。

香川県の豊島では、1978年から産廃持ち込みが始まり、1990年にようやく警察が動きました。2000年に公害調停を経て政治決着しましたが、そこから23年たった今も汚染は抜けません。

手遅れになる前に、操業を止めさせ、土地を買い上げてください。

岐阜県御嵩町の産廃問題では業者が最終的に県に土地を無償寄附して解決しています。しかし、今回の産廃処分場の場合は、業者側のいい加減な調査結果が元とは言え、貴職がそれをスルーして許可をし、稼働も始まってしまっています。

行政処分の不利益変更は困難なものがあり、土地を買い上げるのが妥当と考えます。

また、本県は産廃規制が全国一緩く、安定型処分場は北海道についで多くなっています。

今回の産廃処分場も群馬や長野からゴミが流入しています。

本県だけが規制が緩い状況を放置すれば、全国から、いや下手をすれば世界から広島にゴミが集まり、広島は日本の、いや世界のゴミ捨て場になりかねません。

環境配慮条例や水源地保全条例などを早急に議会に提案してください。

◎主な送り先
県政提言メール(県への御意見) https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/19/1171540420003.html
郵便 〒730-8511 広島市中区基町10-52 広島県総務局広報課 県政提言コーナー 宛
電話 082-513-2378  ファックス 050-3156-3485

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年8月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

「小出裕章―樋口英明」対談を去る7月20日松本で両氏にお願いした。松本での対談は昼過ぎからはじまり、前半後半あわせると6時間近くに達した。

『季節』は脱・反原発を中心に据えた季刊である。対談の冒頭、小出さんは原発問題の重要性と同様に「戦争」について発言された。戦争についての認識はお二人の間に少し違いがある。そこが対談の妙味である。やや先ではあるが9月11日に発売される『季節』をぜひ手に取ってご覧いただきたい。

◆何が何でも仮想敵国を据えておきたい国

「反戦」と「反核」(あるいは「反原発」)を論じることが困難度を増している。日本が平和主義を謳った憲法を持つ国である実感は、意図的に限りなく希釈されている。

「敵地攻撃能力」、「集団的自衛権」、「秘密保護法」、「盗聴法」、「海外派兵」、「国旗国歌法」……。これらはいまから振り返ってこの20年ほどのあいだに生起した法律ならびに出来事だ。そして2023年8月、ロシアとウクライナの戦争ではロシアだけではなく、ついにウクライナも「クラスター爆弾」(ウクライナがクラスター爆弾を使うに至り新聞はその呼称を急に「集束爆弾」と言い換えている)を使用するに至っている。モスクワ近郊でも無人機による爆撃が相次ぎ、ここへきて国際社会の中にも「停戦」を進める声が高まってきた。


◎[参考動画]米国がウクライナへの「クラスター爆弾」供与の決定に各国から反対の声(TBS【news23】2023/07/11)

他方、日本は軍拡のためには何が何でも仮想敵国を据えておきたいようだ。最近の仮想敵国は中華人民共和国と朝鮮民主主義共和国そしてロシア。そうだ、韓国が尹錫悦政権(保守政権)に代わるまでは、韓国をも敵視していたことも忘れてはいけない。

中国と日本のあいだには「日中平和友好条約」が結ばれている。米国ニクソン政権の中国と国交回復を視野に入れて、日本は「中華民国」(台湾)との国交を断絶し、大陸の政権と手を結んだのだ。けれども、台湾と日本の関係は実態が変わったわけではなく、中国との国交樹立後も台湾、中国双方と懇意にしてきた。国際条約の上で「日本と台湾の間には国交がない」ことは日本の中で案外知られていないのではないだろうか。

かたや中国と台湾の交流は数値化するのが不可能なほど深く結びついている。先富論により経済が資本主義化した中国は、市場があれば世界中何処へでも物を売る。自動車の輸出台数はついに昨年世界一になった。その逆に食糧輸出国から輸入国になって久しい13億人の胃袋は、さらなるタンパク質と美食を求めて、世界中の食物原料確保先を日々捜し歩いている。

勿論言葉も通じるし小さいながらも技術大国、台湾との間には25年以上前から深い人的交流が交わされている。台湾の現政権は民主進歩党(民進党)で、民進党は台湾独立を指向しているが、国民党は前総統馬英九が中国政権と親しい関係を維持している。

わたしの素朴な疑問なのだが、このような中国と台湾の間で「戦争」を起こしたいと当事者が望むだろうか。相互に多大な投資をして、人的にも結び付きが深い中国と台湾が、のっぴきならない状態になるだろうか。もちろん将来の出来事などは予測できない。けれども、もしそのような危機を望む集団がいるとすれば、それは覇権に関しての争いではなく、「軍事産業」の利益に関わることではないだろうか。


◎[参考動画]【総火演】陸自最大「富士総合火力演習」“進化する戦い方”も公開(日テレNEWS 2023/05/27)


◎[参考動画]宮古陸自施設で射撃訓練公開 抗議する住民の姿も(沖縄テレビ 2023/7/10)

◆敗戦の日に考える「平和主義」

2023年敗戦記念日のきょう、日本では憲法で謳われた「平和主義」が、相当に弱っている。逆に根拠なき「好戦論」、「軍事拡張論」、「日本は素晴らしいナルシズム論調」はかつてなく、恥知らずに胸を張っている。戦後に生れた世代のわたしが「次なる戦争」を肌身に感じる居心地の悪さは、既に日本人の頭の中が1930年代初頭同様に洗脳されていると感じるからだ。

当時の情報統制に比べれて洗脳の度合いは情報機器(スマートフォン)の進歩・拡散により、さらに静かに深く進んでいまいか。インターネットにしても決して自由な言論空間だとは思えない。他方マスメディアは、相も変わらず体制の提灯持ちだ。国民が騙される(すでに騙されている)土壌はかつてよりも汚泥のように厄介だ。

平和を指向する意思が弱っている。好戦論が元気だ。なぜだろう。漫然とした虚構が徐々にあまねく言論空間を侵食しているから、このような幻想・妄想がまかり通るのだ。

虚構を振りまく連中の姿が見えるだろうか。奴らは「反戦」や「平和」に、後ろ足で砂をひっかかけて、日銭(といっても驚くほど高額な)を稼いでいる。凝視しよう。見定めよう。敵の本性や氏名を明らかにしよう。そして嘘をつかない、裏切らないひとびとの姿を確認しよう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

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◆冷戦時代以来の逆流の中で迎える

78年目の原爆の日は、(核をなくし、戦争を止めることに対する)冷戦時代以来の逆流の中で迎えました。

第一に、ロシアのウクライナ侵攻を契機に、軍拡競争の気風が世界に広まり、日本の岸田総理も『安倍晋三さんでさえしなかった』軍拡に暴走しています。

第二に、G7広島サミットで、核兵器禁止条約にも核兵器廃絶にも触れず、2000年のNPT再検討会議での核兵器廃絶への明確な約束や、核兵器先制不使用にも触れない「広島ビジョン」が採択されてから最初の原爆の日となりました。また、ゼレンスキー大統領の途中参加で、ほとんどサミットがウクライナ戦争を支援する会議となってしまい、被爆地が戦争支援に悪用されてしまいました。この間、広島市長がパールハーバーとの姉妹協定へ暴走、またサミットを前にして『はだしのゲン』が削除されるなど、アメリカへの忖度ではないかとみられる『事件』が続発しています。

第三に、広島選出の岸田総理が、気候変動対策・GXと称して老朽原発存続を支援する自称・GX法を強行。高浜原発が再稼働されました。さらに、原発維持で核のゴミが増える見通しであることを背景に、中国電力と関西電力が広島からわずか82kmの上関に核のゴミ=死の灰の中間貯蔵施設という名の事実上の永久のゴミ捨て場をつくることを発表しました。

筆者は、8月4日から5日は、原水禁国民会議系の「被爆78周年原水爆禁止世界大会」に参加しました。筆者は、日本共産党を支持していた時期も含めて広島県原水禁の個人会員として一貫して原水禁国民会議系の大会に参加してきました。今年の大会の中で筆者が学習したことをご紹介します。

◆大会に寄せられたメッセージ、立憲・泉さんに脱力

8月4日、開会総会が開催されました。代表や来賓の挨拶、被爆者による被爆証言などが続きます。

開会総会を前に筆者が受付で渡された資料の後ろの方には、各政党を含む各界関係者からのメッセージが寄せられていました。この中でも、立憲民主党の泉健太代表からのお言葉には脱力してしまいました。「『広島ビジョン』を歓迎」という泉代表のお言葉が目に入り、筆者は椅子からずり落ちそうになりました。

広島ビジョンは、冒頭にもご紹介した通り、核兵器廃絶には触れない。西側の核兵器保有は評価する。そういう代物です。そんなものを歓迎とは、どうなっているのか? 泉さんは立憲民主党を滅ぼす気なのか?! がっくりです。

まだ連合の芳野友子会長の方が「『核兵器のない世界』の実現に向けた具体的な道筋は示されず、核抑止を事実上肯定したことは残念でなりません。」と、マシに見えてしまいます。

さらに、れいわ新選組の櫛渕万里共同代表は、「……落胆を通り越して怒りを覚えるものでした。核抑止力を正当化するという、まさに、被爆地、被爆者を冒涜する文言だったからです。」とバッサリと「広島ビジョン」を斬っています。

各政党を含む各界関係者からのメッセージ

◆北東アジア非核地帯で安全保障環境改善し、日本も核兵器禁止条約に

 

8月5日午前中は「平和と核廃絶Ⅰ 世界の核兵器廃絶に向けて」に参加

8月5日の午前中は「平和と核廃絶Ⅰ 世界の核兵器廃絶に向けて」に参加しました。

ピースデポの湯浅一郎さんは、「米ソ冷戦で相互不信の悪循環で核軍拡が進んだ。冷戦が終わると核軍縮が進み冷戦末期と比べると核兵器は7万発から12000発に5分の1になっている。」指摘。「軍事力による安全保障のジレンマ」が典型的に示されている、としました。

「軍事力による安全保障のジレンマ」とは相互に軍拡すれば結果として際限のない軍拡競争を繰り返す悪循環にはまりこむことです。

現在はロシアのウクライナ侵攻がそういう構図を引き起こしています。

一方で、湯浅さんは核兵器禁止条約とNPTという2つのトラックが並走する新たなステージに入った、と希望も示しました。

核兵器禁止条約は核兵器を禁止し非合法化する初の条約です。

そして核兵器禁止条約が始まった今こそ、東北アジア非核地帯条約をと訴えました。

東北アジアには朝鮮半島の分断と中国の海洋進出による米中対立という2つの対立構造があり、日本はこれを「厳しい安全保障環境」だとして核兵器禁止条約に反対している。

しかし、そうであるならば、東北アジア非核地帯をつくることで安全保障環境の改善に踏み出すべきだと湯浅さんは強調します。

北東アジア非核地帯構想は朝鮮戦争集結とともに朝鮮半島と日本に対して米中ロが消極的安全保証(核攻撃をしない)をすることで北東アジアの緊張緩和をしていくことです。

これにより朝鮮半島2国と日本も核兵器禁止条約に入りやすくなります。

◆核放棄が最も早い保有国は英国か?

 

8月5日午後は「被爆78周年原水爆禁止世界大会・国際シンポジウム 核兵器廃絶に向けた道筋を描く」に参加

8月5日午後は、「被爆78周年原水爆禁止世界大会・国際シンポジウム 核兵器廃絶に向けた道筋を描く」に参加しました。

広島市の秋葉前市長は、広島ビジョンに核兵器廃絶も被爆者も核兵器禁止条約もない、と厳しく批判。その上で、そもそも、1945年8月10日に当時の日本政府が原爆投下に抗議したけれども、抗議はその一回だけで、原爆投下の責任者で、東京大空襲で有名なカーチス・ルメイ大将に勲章まで与えてしまう始末で、日本政府にはそもそも核を批判するという発想がないと指摘しました。

イギリスの平和運動CNDは、まず、イギリスが自分から核を手放すことをめざしているそうです。スコットランドが独立(連合王国から離脱)すれば、イギリスの核の主力である潜水艦の基地はスコットランドにあるのでイギリスは核兵器を失います。

一方で、スコットランドの人たちの多くは核を手放すことを望んでいますので、スコットランド独立はイギリスという核保有国が消滅することを意味するそうです。時々ニュースで出てくるスコットランド独立運動というのはこういう意味もあることを確認しました。

韓国の『参与連帯』の方は、G7広島サミットで日韓首脳が韓国人慰霊碑を一緒に参拝して(日本政府がお詫びの姿勢を堅持した)のはよいが、手放しでは歓迎できない、と日米韓の核共同体に「日本による韓国へのお詫び」が使われていることに懸念。

また、そもそも、米韓が軍事演習をストップしていた時期は、朝鮮も核実験やミサイル発射を中断していたということに注目すべき、朝鮮戦争の終戦が大事だ、とおっしゃいました。普段のニュースを見る際も、「北朝鮮怪しからん」一辺倒ではなく、「米韓の威嚇と朝鮮のミサイル発射は裏表だ」ということを押さえておきたいものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

◆デビュー戦はマラソン用短パン!

最近のプロボクシングやキックボクシング試合用トランクスは派手になると同時に、実況アナウンサーが何色か瞬時には説明し難い多彩色も増えました。そのトランクスはマウスピースやノーファールカップといった防御となる必需品ではなくても、身を纏うものとして重要で身だしなみともなるコスチュームです。

昔はボクシングにおいても名の売れない新人には「赤パンツ、打てよ。青パンツ、下がるな!」と選手をパンツ呼ばわりし、その色で名指し野次られたものでした。現在はトランクスとは言い難い、スカート型などの動き易さや御洒落感への変化も増えて来ました。

昭和50年代前半にデビューした選手の中では、「俺らのデビューの頃はキックトランクスなど持っていなくて、スポーツ用品店でマラソン用の短パン買って来て、パッツパツの短さでカッコ悪かったなあ。」といった思い出を語られたり、尻にポケットが着いていたものも見かけたものでした。これはプロボクシングでも古い時代は同様だったかもしれません。

藤原敏男さんのシンプルな白いトランクス。この型が多かった(1983年6月17日)

◆多様な進化

伝説の老舗、目黒ジムは特に厳しく、新人には「プロなんだからタイ文字入りなんかのタイかぶれした格好するな!」と先輩に苦言された選手も多く、「俺らの頃は目黒ジムでトランクス売っていたから、それ買ったけど、デビュー当時は名前も入っていない無地だった。後に会長から「名前入れろ!」と言われて漢字名入れたけど、ダサいから5回戦に上がってからローマ字で名前入れたね。」と語るOBも居られました。

過去の団体によっては赤コーナーは赤いトランクス、青コーナーは青いトランクスという厳格な指定から、やや柔軟な赤系統(オレンジ、黄色、ピンク、白など)、青系統(緑、紫、黒など)という分け方がありましたが、現在はグローブで色分けされること多く、トランクスは自由な色彩やデザインが普及しました。

陸上競技用とかボクシングトランクスしかなかった時代以降は、今時のムエタイトランクス、キックボクシングやムエタイとは異なるマーシャルアーツ(全米プロ空手)ではロングパンツや空手下衣、アメリカでは現在もこのマーシャルアーツスタイルでしょう。

シーザー武志氏が創始者となるシュートボクシングではロングタイツ(スパッツ)が出現しました。

シーザー武志氏は「試合用ロングスパッツは、今までに無いものを作り出したい想いと、知人から指摘された、脚の筋肉のラインをキラッと見せる華やかな発想から作り出したものでした。」と語っていました。

全日本マーシャルアーツ時代はロングパンツのルール(1983年10月2日)

立嶋篤史氏から新人当時に頂きましたAsshiトランクス、まだシンプルなデザイン(1989年頃)

タイ文字で“ソムチャーイ”の高津氏(左)とタイ文字定番の“ムエタイ”の高野義章(右)(2004年11月23日)

キックボクシング界のレジェンド、藤原敏男氏のトランクスは日の丸と、前面に“藤原”と名前を入れた日本人らしいシンプルなもので、昭和時代は上記のように、多くの日本選手も似た流れで漢字かローマ字で名前を入れること多かったでしょう。

タイで市販されていたムエタイ定番文字でなく、タイ文字で自分の名前を入れる“タイかぶれ”も加速していきました。

新風を巻き起こしたのは立嶋篤史。ニックネームの“Asshi”の文字とドクロマークを入れるデザインが増えて、他の選手でもオリジナル化で多彩なデザインになり、近年はスポンサー名まで入れるようになりました。

◆拘りのトランクス

「負けた試合のトランクスは試合では二度と履かない!」

そんな縁起を担ぐ名選手もいましたが、考え方は多種多様。代わりが無いから続けて履く選手も多かった中、元NJKFライト級1位、ソムチャーイ高津氏は、「トランクスには拘っていました。一度履いたトランクを試合で再度履いたことは無く、その後は練習で再利用していました。」と勝っても負けても一試合一度きりのトランクスだったようです。

元・日本フェザー級チャンピオン、青山隆氏は黄色い生地で“青山”と名の入ったトランクスは新人の頃から晩年までたまに履いていました。

「俺は負けたから二度と履かないなんて拘りは無かったよ。」と実力と関係無いことには拘らない思想はその後も健在。

青山隆氏は比較的長期に渡って履かれたトランクス、当時、山崎通明氏はマーシャルアーツパンツだった(1986年7月13日)

ムエタイ修行する機会が増えて行った昭和の円高以降、誰かがタイ修行に行かれる度に、タイのスタジアムに店を出す有名メーカーTHAISMAIやWINDY、TWINS、SANDEEなどで名前入りムエタイトランクスの作成をお願いするようになった選手や関係者は多いでしょう。

拘りのトランクスを作るのも一苦労で、せっかくデザインを上手に準備しても、当時のTHAISMAIなどの業者は、いずれも注文どおりに正確に仕上げてくれることは少なく、

「こっちの方が良いだろう!」という例えそれが親切心でも、勝手な発想でデザインを替えるタイ工場職人には苛立った人も多いでしょう。現地のムエタイに精通する日本人の通訳に頼んで、間違いない仕上がりを求めたり、現在は日本の業者が介入するなど、文字入れも多彩に高度な完成度を持っているようです。

女子試合にてミニスカート型のNANA(左)、下はスパッツ。男子でも似た型が有り(2022年11月13日)

シュートボクシングでは長年、ロングスパッツ型。海人の姿(2023年2月11日)

◆トランクスの進化とブランド化

コスチューム(試合着)の進化はプロレスや他競技、スポーツでも見られますが、今後は更なる軽量化、通気性、水を弾く、汚れ難い、動き易さといった技術進化が行われるかと共に、常識範囲内でトランクスの型やデザインの変化も見られるか追って行きたいものです。

リング上で戦い、使用された有名選手のトランクスはマニアとしては欲しいもの。プロボクシングや他競技を含め、サインやツーショット写真、ポスターと比べて試合で直接使われたものはより希少価値があるでしょう。貰ったものをヤフオクなどで取引して欲しくないですが、ブランド品はぜひとも大切な人に譲る以外は大切に持っていてほしいものです。

スポンサー名入りが増えた現在、オリジナリティーが少ない感じもある。海老原竜二vs片島聡志(2023年4月15日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

デジタル鹿砦社通信の小島卓編集長から、太田出版刊行の『はたちの時代 60年代と私』の編集後記を書いてほしいとの依頼をいただきました。小島編集長の話では、武蔵小金井駅北口のくまざわ書店で、平積みになっている本をめくったら、横山の企画・編集であることを知ったとのこと。

力をこめて編集した本が、思いのほか好評を博していることもあり、このお話はありがたくお受けしたいと思います。と、いつになく丁寧語で書き始めました。

 

重信房子『はたちの時代 60年代と私』(太田出版)

◆元気な出所姿に感激

12年前に東京拘置所で重信さんと面会したとき、これが最後になるかもしれないからと周囲の人を誘った記憶があります。彼女のことは明大土曜会でもしばしば話題になり、芸能関係にかこつけて慰問訪問をすることは可能ではないか、などと話をしたこともありました。

その明大土曜会そのものが、重信房子を支えるために発足した会合なのですから、昨年6月の出所には参加者みんな感慨深いものがありました。多少は歳をとったとはいえ、人への気づかいがあふれる重信さんの輝くような笑顔が、初夏のマロニエ通りのいろどりに映えていたのを思い出します。

誰にも好かれるひとがら、彼女が結果的にシャバに軟着陸した理由を知ったような気がしたものです。とはいえ、10回以上のガン手術をへての現在なのです。ともに生きる喜びと、健康への祈念を忘るべからず……。

◆学生運動の端境期を描く

さて『はたちの時代』です。

当時のままを書き残して若い世代に伝えたい、事実を書いておきたいという重信さんの発意で、「オリーブの樹」「さわさわ」「野次馬雑記」などに連載された原稿、および新たに書き起こしていた赤軍派時代をまとめて、一冊にしたものです。

新左翼の活動家・理論家にありがちな政治論文で事実を粉飾してしまうのではない、まことに等身大の評伝・史実になっていると思います。

とくに、学生運動にとって三派全学連のつまづきとなった「2.2協定」について、ここまで詳述した公刊本は初めてでしょう(宮崎繁樹教授の私家版『風雲乱れ飛ぶ』・『明治大学新聞』が原資料)。

この「2.2協定」は、1966~1967年の明大学費闘争で、最終的に学内の混乱を収拾する策として、値上げ分はプールしたままいったん妥結する、というものでした。学生たちの大衆討議に付さないまま、いわゆる「暁の妥結」「深夜のボス交」と呼ばれてきました。しかし闘争の過程は、きわめて誠実に自治会民主主義の手続きを履行し、大衆的な議論を尽くしています。その議論の結果、夜間部の学費は値上げをせずに凍結という、いわば「改良の果実」もあったのでした。

そのいっぽうで三派全学連の結成は、同じ年の10.8羽田闘争(初めてヘルメットとゲバ棒が登場し、機動隊を敗走させる)をはじめ、実力闘争と革命的敗北主義にひた走るのです。したがって、社学同をふくむ三派は明大自治会の執行部(社学同)をつるし上げ、斎藤全学連委員長の罷免へと事態が発展したのです。これが、戦後学生運動(民主主義)から全共闘運動(革命的敗北主義)への転機でした。ここを丹念に記述したところに、重信さんの『はたちの時代』の画期性があると申せましょう。

重信房子さん

◆ブント分裂の秘密

もうひとつ、重信さんはブントの分裂「7.6事件」も、実況中継のように詳述しています。その前段にある不可思議な「藤本敏夫拉致事件」も詳しく書いています。

赤軍派の武装闘争路線がもたらしたブントの分裂劇は、もっぱら政治思想路線の分岐として分析されてきました。思想的には「唯銃主義」への批判として、解決したのかもしれません。

しかし、この事件の背後には、いまだに謎が多いのです(この点については『情況』2022年春号の「特集解説」を参照)。事件の事実関係として、権力の謀略があったのかどうか(たとえば中島慎介さんは『抵抗と絶望の狭間に』鹿砦社刊において、当日の軍事的作業を遂行した人物が消えてしまったと述べています)。

本書にも触れられていますが、当時の赤軍フラクの高校生活動家が、ブント幹部を殴るよう強要された事実も、最近になって明らかになりました。関係諸氏の事実との向かい合いを期待したいものです。

◆なぜ太田出版だったのか

小島編集長からは、太田出版からの発行になった経緯を知りたいとの御所望もありました。デジタル鹿砦社通信の読者は関西の方が多いと思いますので、出版社が多い東京の事情(疑問)が、たぶんこれに重なります。

太田出版という版元は、当初、たけし軍団などで知られる太田プロの出版部でした。歴史はまだ浅く、いわゆる老舗大手ではありません(情況出版や鹿砦社のほうがよっぽど老舗です)。

北野武や東国原英夫らの本を皮切りに『完全自殺マニュアル』や『バトルロワイヤル』、雑誌では『クイック・ジャパン』『エロティクス』など、90年代サブカルチャーを代表する出版社だとされています。柄谷行人が『批評空間』の発売元を移管したのも、太田出版の勢いに依拠したいというものだったと思います。

当時、わたしは『情況』第二期編集部にいて、太田出版の奔放かつダイナミックな出版事業を羨ましく眺めていたものです。というのも、当時の情況出版の営業担当に元社青同解放派の方がいらして、同じ解放派出身の高瀬社長と懇意にしていたのです。

ここまで読まれた方で、新左翼の事情に詳しい方はピンときたことでしょう。新左翼(三派)はそれぞれ、党派の機関誌(『共産主義』『共産主義者』など)に準じる商業雑誌を持っていました。ブント系では『情況』のほかに京大出版会の『序章』があり、解放派が『新地平』、中核派は『破防法研究』。やや遅れて80年代に共労党系(いいだもも他)が『季刊クライシス』を、同志社出身のブント系ノンセクト松岡利康さんが『季節』(エスエル出版会)を発行し、わたしの世代の必携書になったものです。

それらの中で、岩波の『思想』や青土社の『現代思想』に伍して、学術的論壇を形成しえたのは、太田出版の『批評空間』およびそれを継承した『at』(連載陣に大澤真幸さん・上野千鶴子さんら)でした。われわれの『情況』は、第三期にいたって運動誌と学術誌の境目の曖昧さ、実践と理論をいまひとつ結び付けられないジレンマの中で低迷していきました。

時代を驚かすベストセラーを出しつつ、ニューアカ後のポストモダン状況を、正面から引き受けたのが、2000年代の太田出版だったといえましょう。わたしが太田出版の扉を叩き、ふたつの路線で企画を提案したのはそんな時期でした。ちょうどアソシエ21(御茶の水書房・情況出版などが母体)から柄谷行人さんが離脱し、NAMを立ち上げた時期だったので「なぜ、横山はNAMの太田出版に与しているのか」と疑念を持たれたこともありました。

◆『アウトロー・ジャパン』の頃

じつは思想界の動向とは、あまり関係がありません。わたしが持ち込んだのは、ヤクザ路線と新左翼路線だったのです。

ヤクザのほうは宮崎学さん(キツネ目の男)を媒介に北九州の工藤會、新左翼は荒岱介さんの実録ものでした。じつはこの時期、早稲田の学生たちがアソシエ21を自分たちのバックボーンにしたいと訪ねてきたので、わたしが彼らを出版の仕事(テープ起こしなど)でフォローすることにしたのでした。のちに彼らは、出版社の取締役、編集プロの社長、業界紙の記者、通信社の記者になりました。

工藤會の溝下秀男さんは当時、洋泉社(宝島社系)から出版した著書『極道一番搾り』などが文庫本化され、『実話時代』を舞台に現役親分論客として一世を風靡していました。いっぽうの荒岱介さんは、ワークショップ(昔の政治集会)を開けば700人を動員する全盛期で、故廣松渉さんも注目していた理論家でした。

溝下さんと宮崎さんの『任侠事始め』『小倉の極道謀略裁判』、荒さんの『破天荒伝』『大逆のゲリラ』など、確実に2万部近くは重版するので、高瀬さんから「横山さん、これを機に雑誌をやってみませんか」と提案されたのが『アウトロー・ジャパン』でした。

これは個人的には思い切った冒険で、官能小説作家として軌道に乗っていた仕事量の半分以上を、雑誌の編集作業に割くことになりましたが、このとき助けてくれたのが、今回の『はたちの時代』の版元編集者・村上清さんなのです。今回、10年ぶりのタッグとなりました。こういう人脈は、出版業界の記録として書き記しておくべきでしょう。

◆出版界はけっこう人脈で成り立っている

太田出版の高瀬社長は一昨年に亡くなられましたが、幻冬舎の社外役員も務められていました。見城徹さんとご昵懇だったのです。

その見城さんといえば、重信房子さんの歌集やアラブ関係の本(近著では『戦士たちの記録』2022年刊)を多数出されています。学生運動での挫折や奥平剛士さんの闘い(リッダ闘争)が、生き方として強い影響を及ぼしているということのようです。

その幻冬舎は、宮崎学さんの本を文庫化していた関係で『アウトロー・ジャパン』に広告出稿をしてくれたものです。付言すれば、鹿砦社(松岡さん)も広告を出してくれました(スキャンダル大戦争)。いまも鹿砦社は『情況』の貴重な広告スポンサーです。

高瀬さんも東アジア反日武装戦線の大道寺将司さんの支援、句集の発行などをされていました。出版文化のこころざしというものは、けっきょく伝えたい記録と史実、ゆるがせにできない証言を活字化すること、なのだと思います。

という思いを綴りながら、本をお読みいただいているすべての読書子のみなさんに、心から感謝いたします。活字の道しるべが心の癒しに、あるいは明日の指針になりますように。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2023年夏号(NO NUKES voice改題 通巻36号)

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