1944年にナガサキに生まれ、小学校から高校までヒロシマで過ごした著者による「明日へと生きる若い人たち」への物語です。著者は「長崎青海」というペンネームで鹿砦社から松岡社長の編集で「豊かさの扉の向こう側」という本というより小冊子を著したことを契機に、大学非常勤講師や家裁の調停委員なども務めることになり、一念発起。図書館のアルバイト職員から大学に入学して司書資格を取得、修士課程も修了したという努力家でもあります。今回、30年ぶりに松岡社長の編集でまた本書を出されることになったそうです。

◆仲良し小6・4人組を次々襲う悲劇をリアルに描く

 

梓 加依『広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』(鹿砦社)四六判、上製カバー装、本文192ページ+巻頭カラー4ページ、定価1650円(税込み)10月12日発売

原爆投下から12年がたった広島での由美子、和也、進、裕の小学校6年生4人組とその後を描く物語です。

運動能力の高い和也、勉強抜群の進、そして歌がうまい裕。この中で由美子だけは長崎生まれ、大阪経由で広島に引っ越してきたという経歴の持ち主です。絵がうまく、国語は得意だけど、算数は不得手。体が弱く、イントネーションが関西弁だったために、クラスでもからかわれ、進、裕は由美子を庇うけれども、和也は由美子をからかう側という展開があるところまで続きます。しかし、他のクラスの男子が由美子を筆頭にクラスの女子にちょっかいを出してきたのに和也が反撃してヒーローになるという事件を契機に変わってきます。

中学進学を前に、夏休みに四人が将来を話し合う。広大付属(湯崎英彦・広島県知事を輩出するなど現在もトップ進学校)中を志望する進。音大を将来志望するために市外の中学を志望する裕。公立中から卒業後に八百屋を継ぎたい和也。思いもかけず先生から受験を勧められた由美子。

その後、悲劇が次々と襲う。まず、原爆症で和也のお父さんが夏休みの終わりに亡くなり、中学卒業後には家業の八百屋を継ぐという計画が崩れてしまいます。小学校卒業後は八百屋をたたみ、おばさん(広島県廿日市市)の大きな店を継ぐために大学まで行くことになるという怒涛の展開。

ついで、裕が白血病で入院。さらに、由美子によく絵を教えてくれた担任の上内先生も入院。年明けに二人とも亡くなってしまいます。さらに、進の二番目のお母さん(もちろん、被爆者でお父さんの再婚相手)も妊娠したまま自死するという事件が起きてしまう。進はこのため、おばあちゃんの家に行くため広島を離れることになります。

「原爆を落とされた広島は、今まで由美子が想像もしなかった悲しみの街だった」という叙述。その前後に、今までは「ナイト」として由美子をかばってきた裕が亡くなり、同じく「ナイト」だった進が広島から出ていく。そういう状況で和也が由美子の(3人目の)「ナイトになってやる」というところで、小学校生活は終わります。

◆「なんで、こんとに人が死ぬん?」「ヒロシマじゃから」そして「私は死なない!」

由美子は広島市内でも名門とされる進学校の女子中高・N学園に見事に合格し、進学。江波(現中区南部)に引っ越し、和也と一年に一度、夏に会います。

長崎生まれながら、大阪で育ち、他の三人に比べれば広島を良く知らない由美子は和也に、「なんで、こんとに人が死ぬん?」と質問し和也は、「ヒロシマじゃから」と答えます。

物語中で描写されているように、それなりに街が復興している状況にある戦後12年。カープの本拠地、旧広島市民球場もこの年の7月完成しています。そんな状況でも、次々と原爆の影響で子どもも大人も亡くなっていく。子どもも、クラスの友達や先生が亡くなっていく中で、いつ、自分が原爆症を発症してもおかしくない。悲しみだけでなく、自分事である。そういう状況におかれていた。そのことが強く伝わってくるセリフです。

いつしか、高3を迎えた二人。由美子は広島大学を志望し、和也は野球の名門・広商から大阪の有名私大への推薦入学が決まります。それまで二人で毎夏、亡き裕の家を訪ねていましたが、裕のお母さんの申し出で、それもこの年で終わり。

しかし、今度は由美子自身の体調が悪化してしまいます。実は、幼いころに入院経験があり、「18歳まで生きられるかどうか」と宣告されていた由美子。由美子自身が長崎生まれでお母さんは被爆したが由美子は佐世保にいたから被爆していないというのが表向きでした。だが、和也は由美子のお母さんから重大な告白を聞き出してしまう。原爆を受けていることを隠さないといけないのか。差別されないといけないのか。和也の憤りが伝わってきます。和也を見送った後の由美子の「私は死なない!」という決意は泣かせます。

由美子は結局受験せず。和也は大阪の私大へ進学。そして、18歳を超えて19歳になった夏。由美子は通信制の大学、それも和也と同じ大学へ行くことが思いもかけず、決まりますが、また入院してしまいます。そうした中で、和也が帰省して入院中の由美子に再会し、瀬戸内海の島に行って由美子からの手紙に改めて目を通し、「元気になれよ、風になんかなってどこかへ行くなよ」とつぶやき、ハーモニカを吹き始めたところで物語は終わります。

◆大人にこそ読んでほしい

「戦後80年に届く日が来た。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この80年前の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように。」

筆者もその思いを心から共有しました。まさにそれぞれの人生のある一人一人が、放射能によって命を奪われていく悲惨さ。被爆しているというと差別される理不尽さ。そのリアルを伝えていく必要があります。

それとともに、この本は、子どもたちだけでなく、特にこれから将来、各国を指導していくことになる若手政治家ら大人にも読んでいただきたいものだと痛感しました。この本の著者も「世界中のおとなたちへのお願いです。どぞ、これからも放射能によって子どもたちを死へと向かわせないでください。おとなの責任を子どもたちに背負わせないでください。」とあとがきで述べておられます。

本書は、『はだしのゲン』など従来の本と比べれば具体的な被爆シーンなどはなく、ソフトな描き方ではありますが、人が次々と亡くなっていくという恐怖、そして、それが自分自身もそうなるかもしれないとずっと背負い続ける恐怖。これらをリアルに描き出すことに成功しています。はだしのゲンなど従来の本は大事にしつつ、本書も広げていきたい。

被爆から78年たった今となっては、大人も広島でこういうことがあったことを、頭では勉強していても、きちんと認識している人は少ないと思われるからです。

それも広島においてさえも、です。和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(下写真=広島市南区的場町)。でも原爆からの復興で建てられた建物はもちろん、その後建て替えられたモダンなビルもまた壊され、ポストモダンな高層建築物がニョキニョキとそびえています。ついつい忘れてしまうことがある。だけど、忘れてはいけないことがある。筆者自身には子どもはいませんが、その分、周りの大人に伝えていきたいと思います。

和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(広島市南区的場町で筆者撮影)

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▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

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