◆公務員の服務宣誓に日本国憲法尊重は当然と思っていたが……

「宣誓書 私は、ここに、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ、擁護することを固く誓います。
 私は、地方自治の本旨を体するとともに、公務を民主的且つ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います。」

画像は、筆者が2000年4月1日に広島県庁に入庁した時、サインした宣誓書です。

国家公務員でも、地方自治体でも、警察官でも、日本国憲法を尊重し、且つ、擁護する、ということは必ず書かれています。これは、日本国憲法99条や15条の2に基づいています。

左の広島県警察の場合、「不偏不党」「公正中立」としているのは、あくまで建前ですが、第二次世界大戦前、時の与党が、警察の幹部を自党の支持者で固めて、野党の選挙運動を妨害したことが、政党不信、そして軍部への期待、そして軍国主義へとつながったことへの反省をもとにしています。

例えば立憲政友会の田中義一内閣は、日本共産党への弾圧に加え、保守野党の立憲民政党の選挙運動への干渉も行いました。ただ、自民党長期政権のもと、木原誠二代議士の妻の元夫の怪死事件での疑惑など、自民党に忖度する警察になってしまっているのが現実ではありますが、建前は不偏不党ということです。

ともかく、憲法をまもるということが、いの一番に条例で定められている。これが、どこの自治体でも警察でも常識である。筆者はそう思い込んでいました。

◆「憲法抜き宣誓書」の広島市役所

ところが、です。その常識が通用しない自治体が一個ありました。それは、なんと驚くべきことに筆者が住んでいる広島市。平和都市とされている広島市です。

広島市の職員の服務の宣誓に関する条例」を拝読すると、宣誓書の様式自体は任命権者に委任しています。

そして、中森辰一市議によると、驚くべきことに、広島の宣誓書には憲法の「け」の字もないということです。

新規に採用された公務員は、国家公務員も地方公務員もすべて、初めて公務の職務に就く前に、かならず「服務の宣誓」というものを行います。この「服務の宣誓」の宣言文に日本国憲法を守ることを、きちんと入れる必要があると思うのですが、広島市では、政令指定都市になった機会に、それまで入れていた憲法遵守の言葉を、「国際平和文化都市の職員として」との言葉と入れ替えてしまいました。それ以降ずっと憲法遵守の言葉がないままになっています。

憲法遵守の言葉を入れるべきだとただすと、市当局は、国際平和文化都市の職員であることは、憲法を守る職員であるということだから憲法遵守の言葉は必要ないという趣旨の理由を述べて、決して憲法遵守の言葉を入れることを検討するとは答えませんでした。

中森議員は、日本共産党の議員の中でもG7広島サミットには「期待しない」というスタンスをはっきりさせていた方です。同党の女性県議二人が「評価する」、「期待する」というスタンスなのとは対照的です。

それにしても、「憲法抜き」宣誓書を広島市が新人職員にサインさせていたのには、びっくり仰天です。

憲法擁護義務というのは、公務員としての基本中の基本です。新人の時にサインする含む宣誓書にそれが含まれていない。広島市が政令市になったのは、1980年です。それのとき、大卒で入庁した職員は65歳で、定年延長や再任用になっていたとしても退職しています。憲法擁護義務を入庁時にサインした人は、国からの出向組を除けばいない、ということです。

◆荒木・平岡・秋葉時代には「憲法抜き」弊害は表に出なかったが……

このことは、荒木市長(任、1975-1991)、平岡市長(任、1991-1999)、秋葉市長(任、1999-2011)のときには、あまり問題にならなかったかもしれません。というのは、荒木さんは旧社会党右派系労組幹部出身、平岡さんはジャーナリストから地元経済界出身、秋葉さんは社会党代議士出身ということで、それぞれ、平和への思いは熱いものがあったと思います。

しかし、問題は、中央官僚出身で、自民党推薦の松井さんが市長になった2011年以降です。既報の通り、松井市長は、新人職員や新人課長研修で現行憲法と反する「臣民」などの言葉を使う「教育勅語」を使用していました。 

もし、多くの職員が憲法擁護義務を、もっと意識していたら「市長、臣民とか言う言葉を使う教育勅語はまずいのではありませんか?」という幹部職員も出てきたはずです。真正面からでなくとも、市長のプライドを傷つけないような言い方を工夫してやめさせる、という動きが部下から出てくるでしょう。

しかし、松井市長が、開き直った上で、今後も使い続けるということは、強く反対するような幹部職員もいない、ということです。もし、いれば、さすがの松井市長も渋々であっても「誤解を招くので」とかなんとか取り繕って来年からは教育勅語は使わない、という可能性が高いでしょう。

ともかく、「憲法の精神に真っ向から反して恥じない」人が市長になった場合に、「憲法抜き」の服務宣誓書の弊害が明らかになってくるわけです。

別の言い方をすれば、「教育勅語騒動」は、松井市長の個人的な資質だけではなく、憲法抜きの宣誓書で入庁した職員ばかりで構成される広島市役所の全体的な体質の問題でもあるのです。

◆「平和都市」などと威張っている場合じゃない! まずは公務員に憲法遵守義務徹底を!

松井市政は、市民の意見を聴かずに、中央図書館を、緑豊かな中央公園から、駅前の繁華街のデパートの上部に移動させる、学童保育は有料化を強行するも、学童保育の指導員の待遇改善は不十分で欠員だらけ、子育て支援は全国や県内の他自治体におくれを取るなどの問題だらけです。平和行政の面でも、G7サミット後に、市民の意見を聴かずに、原爆投下を反省していない米国政府を相手方とする平和記念公園とパールハーバーの姉妹協定を結ぶなどしています。

その根底には、市長の資質とともに、市長のやることを疑問に思わない幹部職員が多いということ、そして、それは長年の「憲法抜き」宣誓書によって起きているということです。

広島は、いまや、軍拡を突き進む岸田総理を衆議院議員として送り出した、という意味でも全国の皆様にご迷惑をおかけしています。

広島市役所の「憲法抜き」体質は、長年にわたって、市民にも悪影響を及ぼしているのではないでしょうか?

筆者は、2000年に広島に県庁入庁のためにUターンして以来、いろいろな点で「広島は、平和、平和という割には、デモクラシーが遅れているなあ」というもやもや感をこの街に抱いていました。

そのもやもや感の「震源地」の一つが今回、明らかになりました。

国際平和文化都市などと、威張る前に、まずは基本中の基本、憲法尊重義務を市長以下、公務員が徹底すること。そこからではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

テツジムからは東京2名、大阪4名、岡山1名合わせて3勝3敗1分。勇志が棚橋賢二郎破る飛躍の圧勝。

◎野獣シリーズ FINAL(Vol.7) / 12月16日(土)後楽園ホール17:30~21:08
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第14試合 59.0kg契約 5回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県出身/ 58.65kg)
23戦11勝(7KO)11敗1分
        VS
NKBフェザー級3位.勇志(テツジム大阪/2000.4.28大阪府出身/ 58.8kg)
12戦9勝(4KO)2敗1分
勝者:勇志 / TKO 3ラウンド 13秒
主審:前田仁

NKBフェザー級トーナメントに繋がる試合である。

「棚橋は攻撃力あるがディフェンスに難あり」と言われていた前評判。

スピードあるサウスポーの勇志がパンチで先手を打って出た後、強い左ミドルキックが棚橋のボディーにズバッとヒット。更にパンチからの左ミドルキックは完全に主導権を奪った勇志。左ヒジ打ちから右フックでノックダウンを奪う。

更に勇志のパンチ連打から左ハイキックでインパクトを与え、縺れ合った中、勇志の左フックで2度目のノックダウンを奪う。

第2ラウンド、棚橋も巻き返しに掛かるが勇志の勢いを止められず、再び勇志が強い左ミドルキックでインパクトを与え、左ローキックでノックダウンを奪う。更にローキックでダメージを与えて棚橋が前かがみになったところで右ローキックから左ストレートでスタンディングダウンを奪う。

勇志の鋭い左ミドルキックが棚橋賢二郎のボディーに度々ヒット、インパクトを与えた

第3ラウンド、勇志がローキックで攻め、棚橋がパンチで出て組み付いたところで首相撲の形からヒザ蹴り連打した勇志。棚橋陣営からタオルが投げ込まれたが、レフェリーの背後で、勇志陣営のセコンドが相手陣営のタオル投入を訴えたか、レフェリーの独自の判断か、試合を止めレフェリーストップとなった。

勇志は「今日の試合は完璧でしょう。全部倒せる技を身に着けていたので、相手の攻撃も全部見えていて、貰っても怖くなかったですね。」と応えた。

勢いに乗った勇志がパンチ、ヒザ、ヒジ、飛び蹴りも見せた

◆第13試合 62.0kg契約 5回戦

横山典雄(元・聖域統一60kg級C/不死鳥道場/1986.5.13新潟県出身/ 60.8kg)
9戦7勝(4KO)2敗
        VS
NKBライト級5位.蘭賀大介(ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/ 61.95kg)
8戦5勝2敗(3KO)1NC
勝者:横山典雄 / 判定3-0
主審:高谷秀幸
副審:笹谷49-46. 亀川50-46. 前田49-47

初回、蘭賀大介がローキックから前蹴り、ハイキックなど蹴りからパンチでやや攻め手が多いも終了間際にやや強い横山の右ストレートを貰ってしまう。

第2ラウンドも蘭賀大介がローキックからパンチの流れも終盤、横山の右ストレートで蘭賀はノックダウン喫するがラウンド終了。ダメージは無いが、横山が主導権を奪った。

第3ラウンド、攻防激しくなるがローキック中心に高い蹴りも牽制。パンチの攻防が増えて行くが第4ラウンド、激しくなるパンチの打ち合いで、やや蘭賀が盛り返し連打で追うが、両者とも精魂尽き果てた表情。これが5回戦で見られる本来の姿。

激しくなった打ち合いの横山典雄と蘭賀大介

最終第5ラウンドも蹴りからパンチへ繋げ、打ち合いはやや蘭賀が持ち返したかと見えたが、横山のヒットも目立って互角。互角に蹴りとパンチの交錯が続いて終了。

打ち合ったダメージがやや心配な両者の脳への影響も、蘭賀大介はしっかり試合展開を覚えていて、「1ラウンドは蹴りを当てて、2ラウンドも蹴りを当てていたんですけど、右のパンチ貰ってダウンして、3ラウンドぐらいから蹴りが当たらなくなってパンチで行ったらあんな感じになちゃっいました。」と振り返った。

横山典雄の右ストレートで蘭賀大介がノックダウンを喫する

◆第12試合 60.0kg契約 3回戦

NKBフェザー級4位.矢吹翔太(team BRAVE FIST/1986.8.2沖縄県出身/ 59.65kg)
16戦10勝3敗3分
        VS
KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/ 59.95kg)
22戦7勝9敗6分
引分け 1-0
主審: 鈴木義和       
副審:加賀見30-30. 笹谷30-30. 前田30-29

前回対戦した2月は矢吹翔太の首相撲からのヒザ蹴りがやや上回って判定勝利ながら、大差は付かない噛み合わなかった試合で、「組むんだったら倒しに行け!」と、ヒザで倒すか絶対打ち合うことが条件の試合と言われていた。下手な試合したら暫く試合組まれなくなる脅しもある中、前回より両者積極的だったが決め手を欠く展開の引分け。矢吹翔太がもっと圧倒していかねば合格点は難しいだろう。

打ち合うことが条件。しかしインパクトあるヒットは少なかった

いきなり飛んだ半澤信也、気が抜けない得意技を持っている

◆第11試合 フェザー級 3回戦

半澤信也(team arco iris/1981.4.28長野県出身/ 57.05kg) 29戦11勝(4KO)14敗4分
         VS
堀井幸輝(ケーアクティブ/1996.11.7福岡県出身/ 56.75kg) 4戦2勝1敗1分
勝者:半澤信也 / 判定3-0
主審:亀川明史
副審:前田30-29. 高谷30-29. 鈴木30-29

初回、ローキックからパンチ中心の攻防。動きはあるがヒットにインパクトが無く差は出ない流れ。第2ラウンドに半澤信也のいきなりの飛びヒザ蹴り。半澤にはこれがあるから油断ならないがヒットせず。手数優った半澤信也がやや優勢維持し、各ラウンド、僅差の振り分けながら半澤信也が勝利を導いた。

◆第10試合 54.0kg契約 3回戦

牧野亮佑 -無所属-(1990.07.24栃木県出身/ 53.95kg) 10戦5勝5敗
        VS
シャーク・ハタ(テツジム東京/1987.10.20大阪府出身/ 53.4kg) 9戦4勝4敗1分
勝者:牧野亮佑 / 判定3-0
主審:笹谷淳
副審:前田30-26. 加賀見30-28. 高谷30-28

初回から牧野亮佑のサウスポーからの左ハイキック、パンチ、先手の攻めがインパクトを与える。

第3ラウンドにシャーク・ハタの右ストレート打ち終わりに合わせて牧野が左ストレート打ち込むとクリーンヒットし、シャーク・ハタがノックダウンを喫する。時間は少なく逆転狙ったシャーク・ハタは巻き返せず終了。

牧野亮佑の左ストレートを、うっかり貰ったシャーク・ハタがノックダウン

ちさと(右)が何度も当てたヒジ打ちでコウキの左目辺りが腫れ上がっていった

◆第9試合 62.5kg契約 3回戦

NJKFスーパーフェザー級8位.コウキ・バーテックス
(VERTEX/1997.9.20栃木県出身/ 62.3kg) 11戦4勝6敗1分
        VS
ちさとkiss Me!!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/ 62.25kg)
38戦7勝(2KO)28敗3分
勝者:ちさとkiss Me!! / TKO 2ラウンド1分37秒
主審:亀川明史

初回、蹴りからパンチの静かな攻防も組み合いに移り、ちさとのヒジ打ちがコウキの左目上辺りをヒット。更に密着したまま身体を預けて転ばし、打ち合いたいコウキだが、ちさとの組み付きに手を焼く。更に打ちこむヒジ打ちをしつこく続けたちさと。一旦離れても更に組み合ってヒジ打ち。コウキの左目瞼から眉上まで腫れ上がる。

第2ラウンドも、ちさとは組み合いコウキのコブにヒジ打ち叩き込む。コブは腫れが酷くなってドクターの勧告を受け入れたレフェリーストップとなった。ちさとのヒジ打ちは切りに行くヒットではなく、ゴツゴツ当てるヒジ打ちで、コウキの目が塞がりかけた為のストップとなった。

◆第8試合 55.0kg契約 3回戦

香村一吹(渡邉/2007.2.22東京都出身/ 54.7kg) 3戦3勝(1KO)
        VS
兵庫志門(テツジム大阪/1996.4.14兵庫県出身/ 54.65kg) 12戦4勝(1KO)6敗2分
勝者:香村一吹 / TKO 3ラウンド35秒
主審:加賀見淳

渡邊ジムとして期待の16歳高校生キックボクサー。パンチからローキック、時折ハイキックを放つ香村一吹。戦歴で上回る兵庫志門が圧倒するかと思われた初回は香村が勇敢に攻め、迎え撃った兵庫志門。互角の展開だが、香村の善戦が目立つ。次第に兵庫志門が勢い付いてきた感はあるが、香村は蹴られたら蹴り返し互角を保つ。
第3ラウンドに香村が蹴りから組み合うタイミングで右ヒジ打ちをヒット。左眉上を切った兵庫志門。パンチからヒザ蹴りに出て行くがドクターチャックが入り、そのままドクターの勧告を受け入れレフェリーストップとなった。香村は3連勝。渡邉ジムでは来年も頼もしい存在となるだろう。

香村一吹が積極的に攻める、地味ながらしっかり技を持っている

◆第7試合 54.0kg契約 3回戦

幸太(八王子FSG/1998.3.19山形県出身/ 53.85kg) 6戦1勝5敗
         VS
滑飛レオン(テツジム岡山/2004.12.23岡山県出身/ 53.8kg) 6戦4勝(3KO)1敗1分
勝者:滑飛レオン / KO 1ラウンド51秒 / 3ノックダウン
主審:笹谷淳

◆第6試合 ライト級 3回戦

須藤誇太郎(フジマ/2001.8.12神奈川県出身/ 61.1kg) 6戦4勝(1KO)1敗1分
        VS
龍志(テツジム大阪/1995.12.12大阪府出身/ 60.6kg) 4戦1勝3敗
勝者:須藤誇太郎 / 判定3-0
主審:高谷秀幸
副審:鈴木30-25. 前田30-25. 笹谷29-26

◆第5試合 ライト級 3回戦

辻健太郎(TOKYO KICK WORKS/1984.3.13東京都出身/ 61.05kg) 4戦2勝(1KO)2分
        VS
津田宗弥(クロスポイント吉祥寺/1980.1.8神奈川県出身/ 60.95kg) 2戦1勝1敗
勝者:辻健太郎 / 判定3-0
主審:加賀見淳
副審:亀川30-29. 前田30-29. 笹谷30-28

◆第4試合 女子51.5kg契約 3回戦(2分制)

RUI・JANJIRA(JANJIRA/2000.11.5東京都出身/ 51.1kg) 3戦1勝2敗
        VS
足立麻衣子(ワンサイド/1996.4.4長野県出身/ 51.45kg) 4戦4敗
勝者:RUI・JANJIRA / 判定3-0
主審:鈴木義和        
副審:前田30-26. 亀川30-26. 高谷30-26

◆第3試合 ウェルター級 3回戦

安田学登(TEAM Aimhigh/1995.9.14群馬県出身/ 66.45kg) 8戦1勝7敗
        VS
健吾(BIG MOOSE/1993.10.10千葉県出身/ 66.35kg) 3戦2勝1敗
勝者:健吾 / 判定1-2
主審:笹谷淳
副審:前田30-29. 亀川29-30. 加賀見29-30

◆第2試合 ミドル級 3回戦

TOMO JANJIRA(JANJIRA/1992.1.12京都府出身/ 72.5kg) 3戦2敗1分
        VS
木戸翔太(テツジム大阪/1983.2.4大阪府出身/ 71.95 kg) 2戦1勝1分
引分け 1-0
主審:高谷秀幸
副審:鈴木30-29. 亀川29-29. 笹谷30-30

◆第1試合 58.0kg契約 3回戦

岡部惇(アント/1993.10.20岡山県出身/ 57.9kg)1戦1敗
        VS
中山航輔(テツジム東京/2002.10.13香川県出身/ 57.6kg)1戦1勝
勝者:中山航輔 / 判定0-3
主審:前田仁
副審:鈴木26-30. 笹谷28-30. 加賀見28-30

イッセイ会長と勇志、応援旗を掲げたトレーナーと勝利のポーズ

《取材戦記》

ガルーダ・テツ会長は「テツジム7名は良いところも悪いところもあったが、皆よく大阪も岡山も頑張ってくれた。中山航輔はデビュー戦ながら粘ってノックダウン奪うし良かったな」といきなり振った質問にも応えてくれました。練習で厳しく、試合前も険しい表情だが、試合終われば優しいコメントに移るのは毎度のことかな。
棚橋賢二郎を破った勇志はフェザー級王座争奪トーナメントに出場予定でチャンピオン有力候補でしょう。更に棚橋賢二郎とのタイトル(たぶんライト級)を懸けたリマッチも視野に入れている模様。NKBでの世代交代も進んでいるなと感じる勇志の存在である。

テツジム大阪の兵庫志門にヒジ打ちで勝利した香村一吹は2月のデビュー戦と6月の第2戦目も判定勝利だが、ノックダウン奪っての勝利で、今回はヒジ打ちTKO。何か秘策持ってるな香村は。「これが当たれば絶対勝てる」といった技があれば強い。次戦は更なる上位と対戦になるだろうが、来年の注目株である。

2024年の日本キックボクシング連盟興行は、「冠鷲シリーズ」として、
2月17日(土)後楽園ホール
4月20日(土)後楽園ホール
6月29日(土)後楽園ホール
7月28日(日)大阪176BOX、NKジム・テツジム2部制興行
8月10日(土)新潟万代島多目的広場大かま、拳心館興行
10月19日(土)後楽園ホール
12月14日(土)後楽園ホール
以上が予定されています。

「冠鷲」は何と読むのか。うっかり読めなかった私。日本では沖縄地方に少数生息し、特別天然記念物となっている“カンムリワシ”。昭和時代だったら読めたのに。字が読めたかより具志堅用高氏のキャッチフレーズだったから読めただけでしたけど。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆三里塚で52年ぶりの強制執行

52年ぶりに、三里塚(成田空港周辺)で強制執行があった。来年で開港から45年、空港反対運動が連綿とつづいてきたことに、愕いた人たちも多いことだろう。

反対運動は83年に反対同盟が分裂し、その後も再分裂や部落単位の移転など、反対運動のスタンスも変化した。絶対反対から騒音問題の条件闘争まで、獲得目標も分化している。

とはいえ、80年代に政府が空港建設過程の強引さを一部の反対同盟(熱田派)に謝罪し、「空港建設に強制的な手段は用いない」という和解協議は、反対運動全体の成果として準用されるべきであろう。

日本の国際空港は、国際基準の第一種だけで4つ(羽田・関西・中部・成田)ある。仙台・佐賀・福岡も運営会社は「国際空港」であり、国際路線をもっている空港は18もある。羽田に代わる国際空港(ハブ空港)として期待された成田空港は、旅客数では羽田の半分となってしまっている。

今後も反対運動が止むことはないと思われるが、そうであれば地域との共生や農業活性化と観光旅行を結びつけるなどの、新しい資源活用がもとめられるのではないか。いまも三里塚・芝山の山林と農地は美しい。

生きている三里塚闘争 52年ぶりの強制収用(2023年2月18日)

◆工藤会館跡地を「希望のまち」に

工藤會幹部の裁判方針(控訴審)に変化があった。死刑判決を受けた野村総裁を庇うように、田上会長が自分の判断で犯行を指示した、と教唆犯として罪をかぶろうというものだ。本人たちの言葉を引用して、その方針変更を確認しておこう。

野村被告と田上被告は一審の弁護士を全員解任し、公判方針も変えている。田上被告が「自分が野村に相談することなく、独断で事件の犯行を指示した」と、つまり野村悟の死刑判決を回避するために、罪をかぶることを宣言したのである。

主張を変えた契機は「弁護士から被害者のこと、私の指示で長い懲役に行った(組員の)ことに向き合うことが本当ではないかと言われました。もう本当のことを話そうと思って、決めました」であると述べた(9月27日・控訴審の田上被告人質問)。

そのうえで、「(被害者に)本当に悪かったと思います」と謝罪し、獄死は覚悟していると述べた。

野村被告は「襲撃の指示もしていないし、事前に襲撃する報告も受けていない」と、改めて事件への関与を否定した。

当初、弁護団のなかでも「無罪は確実」とされてきた。共同謀議の具体的な証拠・証言がなく、工藤會の親分子分の絶対的な関係から、推論して指示があったに違いない。あるいは子分が慮る関係が、共同謀議とみなせるというものだった。

一般社会に当てはめると、社員の犯罪はすべて指揮関係にある上長の責任、ひいては社長の責任とする論理の飛躍は明らかなが、それが昨今の暴力団裁判なのである。

田上会長が「獄死は覚悟している」と述べているとおり、この裁判で無罪が得られることはなく、出獄(保釈)も無理であろう。かつて、溝下秀男総裁時代に取材した者として、ある意味で歴史的な判例となるこの裁判を見守っていきたい。

《工藤會レポート》最高幹部裁判の方針変更 工藤会館跡地を「希望のまち」に(2023年10月11日 )

◆鹿砦社の広告(『人権と利権』)の掲載を『週刊金曜日』が拒否

デジタル鹿砦社通信で、筆者が編集長を務めていた『情況』誌の紹介をさせていただいた(謝)。さて、その中で強調したかったのは、広告掲載でした。すなわち、鹿砦社の広告(『人権と利権』)の掲載を『週刊金曜日』が拒否したことについて、掲載拒否が結果として差別につながると指摘しました。その核心部を、すこし長くなりますが、引用しておきます。

『情況』は鹿砦社様の広告を表3(巻末)に定期掲載しています。『週刊金曜日』が当該者(団体)の抗議で、鹿砦社の広告を拒否した契機となった『人権と利権』も掲載しています。当然のことです。ご出稿いただいていることに、あらためて感謝するものです。

明らかに差別や人権侵害を目的とした刊行物でないかぎり、その表現や主張に、結果として差別的な内容・人権侵害的な内容が含まれていたとしても、誌上で批判・反批判をするべきです。そこにこそ、イデオロギー闘争としての「反差別」「人権擁護」が成立すると考えるからです。

したがって、今回の『週刊金曜日』の措置は、ファシストの焚書行為に相当するものと、わたしは考えます。『人権と利権』は運動内部に存在する「利権」を暴き出し、健全な反差別運動の発展をめざす視点から編集されていると、一読してわかるものです。

内容に誤りがあり、あるいは不十分であると考えるならば、批判の論攷を書けば良いのであって、人の眼に触れさせないのは矛盾の隠ぺい、自由な批判を抑圧するものにほかなりません。

反差別運動の基本は、現代社会が資本主義の景気循環において相対的過剰人口を生み出し、そこにレイシズムの歴史的ファクター(差別意識)が結合することで、差別を再生産する社会であること。この基本認識があれば、差別を排除するのではなく俎上にあげて、分析・批判することを通じて、差別意識を変革していくことが求められるのです。

差別は個人・組織が起こすものですが、差別社会にこそ原因があることを忘れるならば、差別者のキャンセル、排除によって変革を放棄し、結果的に差別を温存することになります。すなわち『週刊金曜日』の今回の措置(広告拒否)こそが、差別を温存・助長するものにほかならないのです。

《書評》変革のための総合誌『情況』2023年夏号 新しい論壇誌のスタイルへ 鹿砦社の広告への反応にもご注目(2023年8月30日)
 
◆重信母娘を「テロリスト」と呼んだ駐日イスラエル大使

ウクライナ戦争が継続する中で、またひとつ苛烈な戦争が拡大した。パレスチナ紛争における、イスラエル軍のガザ侵攻である。

イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使が、「報道1930」(TBS)にジャーナリストの重信メイ氏が出演したことを問題視したことについて、パレスチナ紛争を筆者なりに解説した。

重信母娘を「テロリスト」と呼ぶイスラエルの侵略者 ── ウクライナ戦争と比べてみれば、侵略者の傲岸な様相がわかる(2023年10月24日)

ウクライナ戦争と比較してみれば、わかりやすく読み解けるはずだ。イスラエルは軍隊の力で入植地を拡大し、膨大なパレスチナ人が「難民」として郷土から追い出されているのが、パレスチナ紛争の歴史であり実態である。

重信房子は当初はボランティアとして、のちにはPFLPを支援する義勇兵(日本赤軍)としてパレスチナで活動した。これをウクライナに当てはめてみると、ウクライナ軍に参加、あるいは提携しているポーランドやロシア(反プーチン)の義勇兵と同じである、いま、プーチンはこれらの義勇兵たちを「テロリスト」と呼ぶ。イスラエル駐日大使の「テロリスト」呼ばわりは、まさにプーチンと同じなのである。

記事ではあまり問題にしなかったが、「『殺人者やテロリストの一族に発言の場を与えるべきではない』(駐日大使)というのであれば、犯罪者の子供は許さないの(犯罪者差別)と同じである。目下、重信房子の『パレスチナ解放闘争全史』を編集中。

重信房子『はたちの時代』編集後記 ── 読書子への感謝に代えて(2023年8月12日)

◆最後に

ウクライナ戦争もパレスチナ戦争も、いっこうに先行きが見えない。国内では自民党各派閥(とくに安倍派)のパーティー券キックバック問題が浮上してきた。自民党は総裁選を控えて、いっそう混乱することだろうが、再生力のある党でもある。来年も熱い一年になるであろう。みなさま、よいお年を。(完)

◎横山茂彦-2023年を顧みる〈全3回〉
〈1〉ウクライナ戦争の現実に、世界史を目撃する
〈2〉過激なまでに右派シフトしても自民党支持者に不人気だった岸田政権
〈3〉ウクライナ戦争もパレスチナ戦争もこの国も、いっこうに先行きが見えない

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年冬号

2023年は広島でも「交通」が大きく問われる1年となりました。全国的にもバスや地方私鉄の運転手が不足して減便せざるを得ない、他方で、JR各社は各地で採算が合わないということでローカル線廃線へ前のめりになりました。筆者の住む広島県内でも衝撃的な事件がありました。

 

写真をご覧ください。筆者がよく街頭演説をさせていただくJR可部線古市橋駅の窓口が9月30日に営業終了をしてしまいました。

これまでも農村部にはよく「無人駅」があり、切符を駅前のタバコ屋さんで買うとか、そういう「牧歌的」な光景があったのは皆様もご存じと思います。もっとも、最近では、大概、バスと同じ感じで、一両編成の前の運転手さんの横にある運賃箱に運賃を入れて降車する方式になっています。

しかし、古市橋駅は、一応、120万都市広島でももっとも人口が多い安佐南区役所の最寄り駅です。また、住宅も駅周辺に密集しており、広島駅方面など都心部に通勤する方も多くおられます。

朝、この場所で筆者が演説する前を、降車して安佐南区役所方面に向かわれる方、乗車のために駅に入って行かれる方でごった返します。それなのに「窓口を廃止する」というのです。ぶったまげてしまいました。

それにこの駅はしばしば、車いす利用の障害者の通勤客の方も利用されます。以前は駅員(といっても、関連会社・JR西日本中国交通サービスへの業務委託ですが)の方が乗降時の介助をされていたのです。今は、車掌さんがされているようです。それにしても大変です。当事者は当事者で手間が増えるでしょう。「移動の権利」という意味でも問題が多い、窓口閉鎖です。

JR可部線古市橋駅前で早朝演説をする筆者

◆利用者数が多いのに窓口閉鎖とは……

そして、券売機で購入できない切符を買いたい人は、『みどりの券売機プラス』または『みどりの券売機』が設置してある『下祗園駅や大町駅などに行ってください』ということです。

古市橋駅は、一日平均乗降者数は1600人程度で推移しています。それなりに人通りも多いこの場所で窓口廃止とは、衝撃です。

◆無人に便乗する不正乗車誘発も

そして、乗客の中には無人に便乗して不正をする不届き者も出てくるのではないか?と心配です。無人駅への不正乗車をする例はJR九州でも報告されています。隣駅までの低額の切符を買って、その上で、例えば古市橋駅で降りる、というパターンです。

もちろん、不正乗車は犯罪行為です。絶対にしてはいけません。防犯カメラも設置されており、AIなどで常習的に怪しい人物は一定程度洗い出されます。しかし、『単発』で不正乗車をする人が出ることは十分考えられます。

そして、問題は、現在は真面目に料金を払っている利用者も、不正乗車をする人が事実上野放しになっているのを見てだんだんバカバカしくなり、モラルが低下することです。

ましてや、一時期と比べても経済的に困っている人も多い中です。これだけ、乗降人数が多いところですと、確率が低くても、そういうことをやる人の絶対数は増えてくるのではないでしょうか。

◆芸備線存廃問題で地域協議会発足

さて、今年は、ついに、芸備線存廃問題で地域協議会が発足しました。11月29日までに沿線自治体全てが参加。地域協議会の設置の根拠となる法律が施行されて以降、全国でも初めての例です。

地域協議会が設置された場合、例えば、上下分離方式で国や自治体がお金を出すというやり方も採用される可能性はあります。この方式は設備(下)を国や自治体が保有し、運営(上)を事業者が行うというものです。日本国内では東北新幹線の開通に伴って並行路線の東北本線の運営を行っている『青い森鉄道』が挙げられます。

しかし、現時点では、JR西日本は、芸備線の備後落合―新見については、廃止してバス路線などへの転換を図る気満々だというのが、地元で伝え聞かれる噂です。

◆JRがコスト削減をするのは民間企業として当然

しかし、冷静に考えるとJRは民間企業です。コスト削減は当たり前です。1987年に国鉄が分割民営化された際、政府(当時の総理大臣=中曽根康弘さん、運輸大臣=橋本龍太郎さん、いずれも故人)は「路線のネットワークは維持する」と啖呵を切りました。

しかし、現実に民営化され、上場もされれば、企業には利益の最大化が求められます。余計なコストを削減しなければ、それこそ、株主から株主代表訴訟を起こされたり、最悪の場合は背任の被疑事実で警察・検察に告発されたりしかねません。

古市橋駅が不便になるのも、芸備線の一部区間が廃止になるのも、それこそ、JRを分割民営化したその時点で運命づけられていたと言わざるを得ません。

JR北海道などはもっと悲惨です。北海道新幹線ができるのは良いが、そのかわり、函館本線の長万部小樽間が廃止になる可能性が高いという。というか、北海道は、名寄本線とか、本線と付く路線も廃止されまくっています。路線図はネットワークどころか、枯れ木のようなありさまです。東京近郊や東海道新幹線など儲かる路線と、過疎地の路線を切り離したらそうなるのはわかりきったことです。

だが、残念ながら、JR分割民営化を強行した中曽根さんは、衆参同日選挙1986で空前絶後の圧勝をしました。当時は、日本が今よりははるかに経済的には栄えていた時代ということもあり、新自由主義を多数の国民が支持してしまったということです。そのころのつけをいまの日本人が払っているとも言えます。

◆高齢者の通勤や物流2024年問題で高まるモーダルシフトの重要性

今、高齢者に対して池袋暴走事件も契機に運転免許返納を促す動きが加速しています。他方で、70代でも多くの人が働いている実情もあります(それが良いか悪いかは別問題ですが)。こうした中で、通勤手段として、公共交通を確保する重要性はかつてなく高まっています。

また、2024年は物流問題の2024年問題があります。政府はトラック運転手不足に備え、トラックから鉄道貨物へのモーダルシフト打ち出しています。国土交通省も補助金などを出してはいます。

企業側に補助金を出すのは良いのですが、もう一歩踏み込んで、鉄道が維持というよりも現状以上の利便性向上をしれないと絵に描いた餅になってしまのではないでしょうか? 一定程度以上の利便性を確保すれば、モーダルシフトも進むのではないでしょうか?

例えば、それこそ、中国自動車道・広島自動車道等の並行路線的な意味合いで貨物や荷物を芸備線で運ぶということも必要になるでしょう。

いまほど、高齢化が進んでおらず、今よりはるかに日本経済が栄えていた1987年。その頃は「公共交通を確保しなくてもクルマがあるから大丈夫」という感覚が政治家にも官僚にも有権者にも強かったのは事実です。若い労働力も今より豊富であり、トラック運転手不足など考えられなかった時代です。

しかし時代は変わった。「モーダルシフト」への議論を、熱量をもって総理も知事も呼びかけるべきです。

◆「移動の権利」を守るには「上下分離方式」や「公有化」しかない

そもそも、居住及び移転の自由を定めた日本国憲法22条や生存権を定めた日本国憲法25条から、移動の権利は保証されなければならない。

しかし、鉄道にしても、民間企業が運営している以上、割に合わないことはできない。となれば、やはり、「上下分離方式」、さらに踏み込んで「公有化」などで公共交通を維持するしかないのではないでしょうか?

電車やバスの運転手なども、それこそ一般職公務員なみの待遇を保証するにもそれしかないのではないでしょうか?古市橋駅のような駅に人が配置できるようにするにもそうするしかありあません。
 
◆広島空港の利用増には必死だが、鉄道維持への「熱量」は感じられぬ湯崎県知事

しかし、肝心かなめの湯崎英彦・広島県知事は、それこそ、三原市にある広島空港(民営化済み)の利用増加をどう図るか?これには必死です。この12月からは県の西部の宮島口(廿日市市)やジアウトレット広島(広島市佐伯区)やアルパーク(同西区)と広島空港を結ぶ乗り合いハイエースの実証実験を開始しています。

しかし、広島空港を盛んにするということは、一歩間違えれば飛行機の東京便と並行路線である新幹線を運行するJR西日本に喧嘩を売るということになります。そして、湯崎知事自体、芸備線問題ではJR西日本に対して一定程度のクレームはつけてガス抜きは図ると予想されるものの、おそらく金を出すというところまではいきそうな雰囲気ではありません。

他方で、湯崎さんは、JR西日本から病院の土地を巨額の県費を通じて買い取るなどしています。ただ、その動きが芸備線の存続につながるかと言えばそれはないでしょう。

◆公共交通・物流をどうするべきかの国民的・県民的議論を

やはり、今必要なのは、県内の公共交通や物流をどうするべきかの国民的・県民的な議論を経た合意形成ではないでしょうか? 合意形成をしたうえで、果断な国費・県費の投入は厭うべきではないと考えます。

しかし、今のままだと、国土交通省が「個別事例に中途半端な補助金を出しておしまい」、ということになりかねません。それでは、多くの個人や企業が「蚊帳の外」になってしまい、主体的に動く気にならない。そして、国費・県費を無駄遣いして終わり、になりかねません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

12月24日に大阪大国町のピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」を開催しまして、80人を超える参加者で大盛況でした。

最初、スイング マサさんが企画していたものに、ピースクラブさんが「ママ(私)の日本の冤罪出版記念パーティーも兼ねればと言ってください、合体して「冤罪と司法を考える集い」と」させて頂きました。

とくに冤罪犠牲者の方、家族の方の訴えをお聞きしたいと考えていたところ、関西近縁から4つの事件の関係者が来て下さることになりました。

私としては、集会、講演会などやる際、2時間でまず終わらすということを鉄則にしてますので、そうなると井戸弁護士のお話も30分程度に短縮しなくてはなりません。井戸弁護士は快く承諾して頂き、しかもぴったり30分で貴重なお話をしていただきました

一応ここでは10分の質疑応答時間を取っていましたが、それがまた、質問が殺到。確かに全部お答えして頂けたら良いのですが、わたくし、なぜかちゃんと2時間でまず終わらせたいとの思いがあり、質問を全部受けることはできませんでした。申し訳ありません。

その後。4つの事件の関係者にアピールしていただきました。皆さんには「申し訳ないですが、5分程度」とお願いしておりましたが、そうはいきませんよね。大勢の方の前で訴えたいことはやまほどありますよね。なので、ここは途中で止めることはしませんでした。

なので……おのずと最後とまとめる尾﨑と鹿野さんのトークがメッチャ中途半端に早く4時までに終えることとなりました。結構打ち合わせしていたのですが(汗と涙)。仕方ないですね。でもしっかり今日の会が、一応「日本の冤罪」の出版記念の思いもあるということで、私も思いっきり、頂いた花束などテーブルに置いてので、今日持っていった20冊は完売させていただきました。ありがとうございいます。

鹿野健一さん(右)と筆者(ぴのさん撮影)

なお、今日の会の様子はxの「たぬき御前」さんがツイキャスで発信してくれているほか、MBS様が深夜(?)の放送で一部放映するそうです。ぜひご覧ください。

本日、昔からの知り合いの中には「ママ、お祝いに飲みに行こうか」と誘ってくださる方もおられるのですが、とにかく大きな催しが終わったら一人で飲みたい、暗い私。

今、今日の会のオープニングで演奏してもらったスイング マサさんの演奏を何度も何度も聞いて、ちょっと涙がちょちょぎれていいる。(竹内さん、ありがとう)。

マサさん、進行の松尾さん、手伝ってくださった皆様、ピースクラブの皆さま、ありがとう。


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

梓加依・著『広島の追憶』が神戸新聞12月16日朝刊で紹介されました。

2023年12月16日付け神戸新聞朝刊

著者とは長い付き合いで、その最初の書『豊かさの扉の向こう側』を出版し著者を世に送り出したのが鹿砦社でした。

まだ20世紀、1990年代初めのことでした。最も鹿砦社らしい(?)本です。

ウクライナ、パレスチナの戦火に心が痛む昨今、大人にも子どもにも一緒に読んでいただきたい書です。

(松岡利康)

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

広島県三原市と竹原市の水源地のど真ん中にできてしまった本郷産廃処分場(安定型、JAB協同組合)からは、2023年12月現在も依然として汚染水が流出し続けています。

 

住民訴訟の原告団共同代表の岡田和樹さん

こうした中、12月2日、広島2区市民連合主催で三原本郷産廃処分場問題についての学習会=「いのちの水を受け継ごう 広島県に水源保全条例を」が行われ、住民訴訟の原告団共同代表の岡田和樹さんが講演しました。

岡田和樹さんはこの直近12年間は三原市小泉町で有機農業に従事されています。それ以前は中国電力上関原子力発電所反対運動、さらにそれ以前は竹原市の「ハチの干潟」保存運動で活躍されています。「ハチの干潟」は岡田さんらが当時の藤田知事に直訴し保存が決まりました。

ハチの干潟|観光スポット|竹原市公式観光サイト ひろしま竹原観光ナビ

岡田さんご自身は、「環境活動家というよりも自分たちの世代が自然を受け継いで子どもたちに渡せるか考えていきたい。」というスタンスだと紹介されました。

以下は、岡田さんのお話しの概要です。

◆同じJAB協同組合が運営する安佐南区上安産廃処分場で目撃した驚くべき惨状

この三原本郷産廃処分場は、JAB協同組合が三原市と竹原市の水源地のど真ん中に計画し、2020年に県が許可してしまいました。岡田さんたちは、安佐南区の上安処分場を運営してきた会社が本郷産廃処分場と同じJAB協同組合だったので2020年に上安を視察しています。これが結果として「いかにJABが問題のある会社か」という情報の収集になりました。

上安の産廃処分場は1993年に許可を受け、2021年にエクイスという外資系の会社に土地も事業も売却しています。この処分場の場所は安佐動物公園のすぐそばです。

岡田さんたちが視察した時、土管から河川に泡だらけの水が出ていました。安定型処分場は建前では汚染水が発生しないはず。しかし実際には出ています。そして、その汚染水を処理せずにそのまま流していたのです。

家や田んぼがある下流の「イセキ」という場所でも、このように泡を吹く水が流れる惨状でした。

岡田さんたちが水を持ち帰り、外部の調査会社に委託して検査し、水質汚染が発覚。広島市もあわててJAB協同組合を指導しました。是正されたことになってはいます。

だが今問題となっている不適切盛土の下には産廃がたくさんある状態です。この上安産廃処分場では、覆土を毎日しないといけないのにしていませんでした。4mもの産廃がうずたかく露出していたのです。

◆岡田さんらの懸念的中、汚染水流出も本郷処分場止まらず

翻って問題の本郷処分場の下流は三原でも竹原でも8割の水源になっています。また、土砂災害にも弱く、西日本大水害2018でも亀裂が入り土砂崩れが処分場予定地でも起きています。処分場の真ん中はレッド・ゾーンになっています。

そんな中、この産廃処分場の下流では井戸水で生活している人も多く、また、産廃処分場ができれば23枚ものたんぼに汚染水が原液のまま流入してしまいます。

そこで、岡田さんら住民が2020年7月に取消裁判と工事差し止めの仮処分申請を行いました。2021年にいったん、仮処分が認められるがJAB協同組合側が異議を申し立て、2022年6月にはひっくり返されてしまいます。そして、工事が秋に再開するも2023年5月には水質の異常が住民らにより確認され、6月11日には県も汚染水の流出を確認、広島県はJAB協同組合に搬入中止を命じる行政処分を6月29日に行います。

しかし、7月8日にも産廃を堂々と運び込むなど、JAB協同組合に指導を無視されてしまったため警告を出しました。しかし、7月29日には「改善が見られた」として操業再開を許可してしまいます。

しかし、井戸の水質など、水道水を注入すれば改善されているように見えてしまいます。そして、汚染水は住民側の調査では現在も確認され続けています。

一方、7月4日の広島地裁での住民裁判の判決では湯崎英彦知事に対して産廃処分場の許可取り消しを命令しました。しかし、知事は控訴してしまいます。他方で、三原市議会も竹原市議会も取り消し求める意見書を全会一致で可決し、県知事に提出します。

だが、その後も、汚染水の流出は続きます。県議会の生活保健福祉委員会の視察も行われましたが、現在も県の動きはほとんどみられないままです。

◆遅れる広島の産廃規制、住民が政治・行政のすべきことを「代行」

「(汚染水の調査や原因究明など)本来、政治や行政がしないといけないことを住民がやっている」と岡田さんは強調します。

岡田さんら住民側は、
・汚染の原因究明や被害住民の救済、
・県が処分場の許可を取り消すとともに、最終的に処分場を買い取ること。
・水源保護条例を制定すること、
などを求めています。

水道水源保護条例は1988年に津市などが制定。水道法のベクトルから「水道の水源の脅威になるような土地利用を制限する」ことを目的に、津市などは3重県が許可してしまった産廃処分場を何とか止めようとします。

そして、裁判所にも産廃処分場の操業差止の仮処分を申し立てました。こうしたことを背景に、1991年に処分場の土地を津市が買い上げることで決着しています。

一方で、環境配慮条例と言って、産廃処分場そのものを対象に環境に配慮するよう求める条例もあり、広島弁護士会も提案しています。

産業廃棄物処理施設の設置について環境配慮手続条例の制定を求める会長声明 | 広島弁護士会

広島県内の産廃処分場数は全国3位です。そして、全国でも1番産廃規制が緩いのです。安定型処分場というのは日本弁護士連合会でも2007年に新規は禁止するよう意見書を出しています。

∵安定型5品目しか入れないという建前で素掘りの上に産廃を放り込めるし、排水もそのままで流せる。

実際にはいろいろな付着物があって、汚染が深刻なのです。

◆控訴後も不誠実な対応の被告・広島県とJAB協同組合

 

原告弁護団長の山田延廣弁護士

原告弁護団長の山田延廣弁護士は、住民訴訟の状況について説明しました。7月4日の判決では「地下水を巡る広島県知事の調査や審査及び判断の過程に看過しがたい過誤・欠落がある」と認め処分場の許可取り消しを命令しました。

住民らが上安産廃処分場の廃液を採取し検査したこと、情報公開請求し、審査過程の杜撰さを明確化したこと、三原市や市議会に対して運動を展開したこと、科学者と連携したことが「勝因」と分析。しかし、県が控訴したために、現在広島高裁で控訴審となっています。

JAB協同組合が県側で訴訟に参加し、一体となって反撃しています。しかし、同組合は意見を出すのに時間がかかるなどといって引き延ばし戦術とも取れる不誠実な対応を取っているそうです。

広島3区市民連合の代表でもある山田弁護士は「JAB協同組合は衆院議員ともつながりがあったとされている。」「多くの県議を無投票で当選させるなどしているから、こういうことが起きる。政治を変えないといけない」とも訴えました。

◆頼りない広島県の上安不適切盛り土への対応、住民側の団結は強まる

この日は、上安産廃処分場の地元・安佐南区民も参加し、コメントしました。それによると、上安産廃処分場を購入したエクイスは福島原発近くにも処分場を購入しており、福島の放射能汚染土が広島に来ることへの懸念も地元では高まっています。

不適切盛り土については、県もようやく動き出し、ボーリング調査をおこなっています。ただ、その中でも、県の頼りなさが浮き彫りになっています。例えば、12月1日には、県による盛り土のボーリング調査に坂本裕様ら、住民が立ち会いましたが、例えば保安林の標識が倒されていても、県はそうした犯罪を見逃すかのような頼りない対応だったそうです。

倒された保安林の標識(安佐南区民の坂本裕様のFBより)

以下、安佐南区民の坂本裕様FBより。

12月1日午後、上安産廃に接する〝不適切盛り土〟のボーリング調査の住民立ち会いがありました。萩原町内会の今中さん、岡島さん、そして地質学者の越智先生、坂本の4人が参加しました。

産廃処分場の事務所で県森林保全課の治山担当監小笠原氏より調査の進展状況の説明を受けた後、処分場から盛り土の法面を下り、3番目のボーリング地点で、機械の動く様子や取り出したコアの様子も観察しました。

越智先生は、コアを観察したところ、通常の盛り土の工法である地山を段切りすることはやらず、そのまま盛り土したように思われると。

3番目のボーリング地点のすぐ東側に、保安林標識が倒れているのが見えました。この標識を倒すような行為は犯罪行為ですが、県は標識をどこに設置したかの記録はしていない、保安林の図面はあるが、等高線の入った正確な図面ではないと。

ただ、こうした中で、住民側も、町内会長や地質学者の越智秀二さんらが連携して、この問題に奮闘していく構えができているということです。三原でも安佐南区でも県民を舐めている広島県知事・湯崎英彦さん。それでも県民が立ち上がって、湯崎さんを突き上げていくしかありません。

湯崎英彦・広島県知事はこの産廃汚染水「放置プレイ」を筆頭に、県病院再編・統合・新巨大病院問題での「暴走」、平川理恵教育長「放置プレイ」、相次ぐ外遊など、県民をなめ切っているとしか思えません。

筆者は「湯崎英彦・広島県知事から「あなた」=ひとりひとりの広島県民の手に広島(の政治・行政)を取り戻す「ヒロシマ庶民革命」」を呼び掛けております。

「我こそは庶民派政治家に!」(首長でも国会議員でも地方議員でも)と思われる方、またそういう方を応援したい方のご連絡をお待ちしております。
090-3171-4437 X(旧Twitter)@hiroseto メール hiroseto2004@yahoo.co.jp

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

12月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

◆丈夫会(ますらおかい)とは?

格闘群雄伝第2回に登場して頂いた元・日本ライト級チャンピオン飛鳥信也氏に、「ここにまだ目黒ジムの原点が残っているよ!」とお聞きし、先日お伺いしたのが創価大学キックボクシング部・丈夫会でした。

飛鳥信也氏は現役引退15年後の2011年に筑波大学大学院に入学し、スポーツマネージメントを学び、選手の心のケアに重点を置いた研究を続けました。2013年に筑波大学大学院で修士号も取得。自らアマチュア版キックボクシング数々の大会に出場し、還暦を過ぎても実戦しながら論ずる指導者を続けています。

その飛鳥信也氏が師範を務める丈夫会では、12月9日に35年続いている(コロナ禍を除く)という第53回昇級昇段審査会が行われました。

1年生、川越勇輝のミット蹴りによる技量審査

口頭試問を受ける川越勇輝

空手部としては全国の大学・高校に存在し、諸々の大会が各地で行われていますが、キックボクシング部としては創価大学、東海大学、日本大学、拓殖大学、中央大学、専修大学、明星大学、東洋大学などに存在し、1972年(昭和47年)設立の全日本学生キックボクシング連盟選手権大会で、創価大学は過去8回の団体優勝。その丈夫会は創価大学キックボクシング部の名称で、“丈夫”は三国志から由来する“勇気のある強い男”を意味します。

飛鳥信也氏が現役時代、「青春を完全燃焼したか不完全燃焼で終わったかで、大いなる人生の分岐点がある。」という持論を掲げていましたが、その完全燃焼とは、1988年1月、越川豊(東金)から王座奪取した際、チャンピオンベルトを持って、創価大学創立者・池田大作名誉師範を訪問したところ、「あしたのジョー」の「真っ白な灰に燃え尽きるまで戦うんだ」というストーリーを例に激励・指導してくださった文言で、その池田名誉師範の教えが直結する丈夫会であると語られています。

緊張を解す大地フォージャーの語りがあった

◆昇級昇格口頭試問審査が厳しい

この日に行われた、通常半年に一度の審査会の段級は四級、三級、二級、一級、初段があり、コロナ禍を挟んだ為、4年ぶりの今回、審査を申し込んだのは1年生4名。コロナ禍前は10名程居た様子。

実技審査はシャドウボクシング(1ラウンド/3分)での基本動作と、パンチと蹴りのミット打ち(1ラウンドずつ)での技量審査、実戦力と総合力を見るスパーリング(1ラウンド/2分)が行われました。

これだけでも日々の地道な練習の積み重ねが必要ですが、丈夫会特有の精神性を問う口頭試問は、審査に通る為だけの勉強では通過出来ません。実技練習と同じぐらいの時間を通して丈夫会宣言にある三つの項目と、その在り方を把握して身体に沁み込ませておかねばなりません。これが筆記試験とは違う、他校には無いであろう飛鳥信也師範オリジナルの、現役時代さながらの縦横無尽な質疑が待っていました。深層心理を抉り、自ら気付き、自らの行動を促すというアスレチック・カウンセリングマインドを駆使した審査でした。

飛鳥氏よりいきなり大地の奥様に質問を任せた為の方向転換、垣野隼人への質疑応答

キューバからの留学生、フラビオ選手。肩の脱臼で口頭試問のみだがパンチが強い選手

丈夫会宣言第一項には、「我々丈夫会は、丈夫の心を以って人間練磨に励み、この青春を完全燃焼していきます。」と掲げられています。

「宣言第一項の中で、いちばん心に留まる言葉は何ですか?」の飛鳥氏の問いに、「“完全燃焼”の言葉が心に残ります。」と応えた受審者。そこから「この宣言に“完全燃焼”の文言が有るのは何故ですか?」というプレッシャー掛ける問いに繋がった。

「青春のある時期に一つのことに打ち込んで前後の見境なく全てを費やしてやり切る。やり切った極地の言葉が完全燃焼。その完全燃焼することが、その後の人生の大きな分岐点となる。」

悔いを残さぬ学生生活で、その後の人生での飛躍へ、その大学生の最終イベントは就職の面接。そこで活かされるように、審査は実力向上の為に、あらゆる角度から質疑に掛かる。回答に惑い苦戦する受審者もそれぞれの思考を廻らし応えるのもまた良い経験値となったでしょう。

ゲスト審査員として招聘されたのは、創価大学出身で現・ジャパンキックボクシング協会ウェルター級チャンピオン・大地フォージャー(=山本大地/誠真)でした。

大地は「学生時代にキックボクシング部に見学には行ったものの入部していませんでした。」と語り、その心残りをプロデビューに向けた想いと、学生時代で悔いを残さないよう完全燃焼することの重要さを語られました。飛鳥師範のような厳しい突っ込みは無いものの、プロの目から見た意見は的確なアドバイスでした。この日、丈夫会名誉会員に任命された大地フォージャー。これからも指導に訪れる立場となった。チャンピオンとして今後もより一層試合一つ一つが完全燃焼である。

ゲスト審査員、大地フォージャーがスパーリング指導を務めた

大地フォージャーからプロ目線のテクニックを語った

◆キックボクシングの原点とは?

飛鳥信也氏が現役時代、目黒ジム入門当時から見た練習風景は、野口里野会長がジム出入り口にある会長席に座って、口癖のようにリングに向かって毎日毎日叫んでいたという。

「ジャブを打ちながら左に左に回るんじゃよ!」
「止まったらいかん、動いて動いて!」
「前後前後、上下上下、下から打った方がいいんじゃよ!」
といった声が響いていた。

実戦力と総合力を見る太田勇樹のスパーリング、相手はコーチが務めた

元・日本ライト級チャンピオンの飛鳥信也師範。未だ実戦と研究と指導の日々

里野会長とはライオン野口という昭和初期の日本ウェルター級チャンピオンだった野口進氏の奥様。キックボクシング創始者・野口修氏の母親である。

練習生は皆、「野口おばあちゃんがまた何か言ってる!」と適当に聞き流し、自分なりの練習をやっていたという。

里野会長も若い頃からボクシングの現場を見て来た人。考え方は古くても知識は持っていたのである。その里野会長の言葉を素直に聞いて忠実にやっていた飛鳥信也は、やがて縦横無尽に動いて、どんな角度やタイミングでのパンチや蹴りが出るか分からない「動きが読めない広角殺法」を導き出しチャンピオンに上り詰めた。

それは目黒ジムの原点、野口家の直属の教えを伝授され継承し、その指導を続けているのは飛鳥信也が指導する創価大学の丈夫会で、日本のキックボクシングの原点がここにあるという。

◆飛鳥信也の戦い

12月17日には稲城ジムでのアマチュアキックボクシング大会に出場した飛鳥信也。熊田真幸(SQUARE-UP)と1ラウンド(1分制)で引分け。開始早々やや圧されながら打ち返して挽回した模様。次は来年2月18日、総合アマチュア大会XSTREAMにエントリー中という。

野口里野会長は1988年5月に永眠し、2016年には野口修氏も永眠。時代の節目を感じる中、野口家の教えは飛鳥信也氏が担っている。野口里野会長から教わったフットワークから、答えを導き出した縦横無尽の広角殺法のように、学生が自分で答えを導き出す指導は昇級審査でも活かされていた。今回の丈夫会昇級審査はまだ初心者レベルで、飛鳥信也氏の広角殺法には及ばないが、キックボクシングの淵源は無くならないと感じさせられる指導でした。

現在と過去が入り混じる丈夫会。私(堀田)も目黒ジムでの見学や取材の立場ではあったが、里野会長の怒鳴り声を聞いたことのある一人。飛鳥信也氏の指導姿から里野会長の声も聞こえて来るようであった。

四級昇級審査に臨んだ左からフラビオ、垣野隼人、太田勇樹、川越勇輝、来年は二級まで行けるか?

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

◆青春時代からの目標は、いま……

この通信に昨年秋から「ロックと革命in京都 1964-70」を今年の夏まで掲載させて頂いたが、いま私は「京都青春記」の続編、「ピョンヤン青春記」を生きている。

82歳の現役建築家、安藤忠雄さんはこう言った。

「70歳でも、80歳でも目標がある限り青春です」

十代、二十代の「京都青春記」がLike A-Rolling Stone-転がる石ころのような人生、「目標を求め暗中模索の青春」だったとすれば、七十代「ピョンヤン青春記」、2023年末のいまはようやく「目標に向かう青春」だと言えるようになった気がする。

「京都青春記」からの私の目標とは「戦後日本の革命」だが、それが76歳になった今年、決して遠い目標ではないことが見えてきた。

◆「戦後日本の革命」が問われる時が来た

天皇陛下万歳からアメリカ万歳に変わっただけの敗戦直後の日本に生まれた私たち団塊の世代あるいは全共闘世代は、「アメリカに追いつけ追い越せ」の戦後日本に常に不信感のあった世代だ。大学受験を控え人生選択岐路にあった私は「米国についていけば何とかなる」という戦後日本の生存方式に違和感を覚え、曖昧模糊としたなんとなく平和で民主主義の昼間の日本に背を向けるようになった。

そんな「戦後日本はおかしい」という私の十代、二十代の青春は暗中模索の果てにベトナム反戦、反安保の学生運動に出会うことによって「戦後日本の革命」をめざすようになった。でも私たちの闘いは未熟さ故に敗北、「戦後日本の革命」は未遂に終わった。

米中心の国際秩序は揺るがず、よって「米国についていけば何とかなる」という日本の生存方式を揺るがせることもできず、日本は60年代高度経済成長から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代へと、そしてグローバリズム全盛の90年代から21世紀へとひたすら走り続けることになった。

しかし、いまは違う。

本通信11月5日号に、“2023年を通して「米中心の国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナの終わり」は、ウクライナとパレスティナでの戦争を通じて世界が眼にすることになった”と書いた。それは「米国についていけばなんとかなる」という戦後日本の生存方式が根本から揺らぐ時代になるということだ。

10月下旬のフジテレビ「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代”の幕開けか」というテーマを取り上げた。「これはアメリカを中心とする国際秩序が破綻していることを映すのか」が番組の問いかけだが、それは言葉を換えれば「米国についていけば何とかなる」時代ではなくなったということだ。

私の問題意識から言えば「戦後日本の革命」が問われる時ということだ。

◆「一丁目一番地に居続ける」のか否かという問題

 

宮家邦彦氏の提言「一丁目一番地に居続ける」

上記「プライム・ニュース」番組最後にキャノングローバル戦略研究所研究主幹、内閣官房参与の宮家邦彦氏は提言ボードにこう書いた。

「一丁目一番地に居続ける」

この意味はいかなる時であっても米中心の国際秩序の恩恵を受ける同盟国という「一丁目一番地に居続ける」、したがって「米国についていけば何とかなる」という生存方式を続ける、そのためには崩れゆく米覇権秩序維持のために「一丁目一番地」の役割、米国のいちばんの同盟国として自身の役割を日本は果たすべきだということだ。

いまそれは具体的にはこう提起されている。

「アメリカがウクライナとガザで手一杯でインド太平洋地域の抑止力が弱っていく、それは困る」と宮家氏は述べたが、その結論は東アジアで「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補うべきであるということだ。

「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補う、それは具体的に何を指すのか?

結論的に言えば、対中“核”抑止力の不足分を補うことだ。具体的には敵基地攻撃能力保有の目玉、陸上自衛隊に新設のスタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊の“核” 武装化であり、日本列島の中距離“核” ミサイル基地化、米国側からすれば日本の対中・代理“核”戦争国化だ。

これについてはこの通信で何度も述べたので詳細は省く。

陸自に中距離ミサイル部隊がすでに新設された現時点で残る課題は、自衛隊のミサイルに核搭載を可能にすることであり、そのための鍵はNATO並みの「核共有」のための日米韓「同盟」間での“核”協議体の設置にある。

宮家氏は内閣官房参与の位置にある人物だけに、わが国が「一丁目一番地に居続ける」ために新年には日米韓「核共有」に関する協議体の設置、自衛隊“核”武装化の道筋をつけていくことに積極的に関わっていくことだろう。

それは滅び行く米覇権秩序と運命を共にする道、米国との「無理心中」の道、日本破滅の道になる。

「一丁目一番地に居続ける」のか否か、答は自ずと明らかだ。

まずは「一丁目一番地」から引っ越し、自分の新しい住所を定める。これが「米国についていけば何とかなる」という生存方式からの脱却、自分の足で立ち自分の頭で考える「戦後日本の革命」の第一歩だ。

「ピョンヤン青春記」、来るべき新年はこのことを具体的に考えていく年になるだろう。

若林盛亮さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆近畿大学医学部付属病院内の食堂も「犯行現場」だった

虚偽の診断書を書いた医師がいた病院の一つに世耕弘成の祖父弘一氏創設者の近畿大学病院が入っている。片岡さんの話では、近畿大学は、眞須美さんがDさんにヒ素をもったとされる「犯行現場」でもあるという。

大阪府狭山市にある近畿大学医学部付属病院内の食堂で、眞須美さんがDさんに睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲ませ、帰宅中、Dさんが車で事故を起こしたとされた件だ。当然警察、検察は食堂を訪ね、現場検証をしたり、従業員に事情聴取するはずだ。

だが、片岡さんが現場を訪ね、事件当時勤務していた人に話を伺ったところ「そういうのは、病院の方でやっていたみたいです」との答えが返ってきたという。「病院の方でやっていた」としても、警察は当日現場にいた人に必ず確認するはずだ。コーヒーを運んだ女性に「この席です」と眞須美とDさんが座ったテーブルを示させ、証拠写真を撮るはずだ。

私の店でもこの20数年で何度か現場検証を受けている。開店当時、店の看板犬はなを酔った客らが別の店に連れて行き、「お前が連れてきた」「ママに怒られる」などと口論になり、殴られた男性が瀕死状態になった(のちに回復)。店に現場検証に来た警察官に「尾崎美代子所有の子犬はなを巡り口論となり……」という調書を取られ、子犬はなを指さした写真を撮られた。

眞須美さんは別の日、和歌山市内の喫茶店で、Dさんのコーヒ-に睡眠薬を入れ飲ませ、その後Dさんの意識を失わせ怪我をさせたという。片岡さんがこの店を訪ねると、当時の従業員から「うちでそんな事件があったことになってんの?」と驚かれたという。

また眞須美さんが、岸和田の競輪場で健治さんと共にIさんに睡眠薬入りコーラを飲ませ、意識消失にさせたという事件もあった。その後、片岡さんが同競輪場に電話取材したが、競輪場の参事、藤井宗孝氏は「うちでそのような事件があったという”噂”になっているんでしょうか?」の述べたという。

片岡さんは「噂ではなく、検察が裁判で岸和田競輪場でそのような事件があったと言っている」と伝えた。すると藤井氏は「私はこちらに来て5年になりますが、そのような事件があったと聞いたことはありませんが……」と戸惑っていたという。更に他の古い職員、警備員らに聞いてくれたが、そのような話は「誰も知らない」とのことだった。

これらの事実について、片岡さんは、健治さんの次のような言葉が真相を言い当てていると思うと話された。

「DさんやIさんにも、ワシら夫婦は裏切られたわけやけど、ワシはあの2人を恨み切れないんですよ。Dさんさんは酒を飲むとタチが悪いけど、普段は仏さんのようなエエ男でしたし、Iさんはワシらに良く尽くしてくれましたから、あの2人もワシらを裏切ったのは、そうせざるを得ない状況に追い込まれていたからだと思うし、今は本人たちも罪悪感に苦しんでいるのではないかと思うんです」(デジタル鹿砦社通信 2017年7月19日「和歌山カレー事件 捜査された形跡がない不可解な殺人現場」より)

12月10日の学習会では、長男さんが、数年前、健治さんと共にIさんに会いにいった話をした。寝たきりになったIさんは2人の訪問を拒むことなく、健治さんに向かっては「あんたは車いすで動けるからいいじゃないか」などと、昔に戻ったように軽口をたたいていたという。

しかし、当時の話には固く口を閉ざしたという。Iさんの父と妹夫婦が警察関係者であることも関係しているのだろう。Dさんの親族にも警察関係者がいる。2人が真実を明かしてくれる日はくるのだろうか。

◆眞須美さんを犯人に仕立てた小寺哲夫という検事

 

2019年、和歌山市内に住む林健治さんを訪ねた。健治さんは約3時間、水一滴も採らず事件について熱く語った(筆者撮影)

眞須美さんをカレー事件の犯人とするため、仲間の関係を引き裂くようなストーリーを考えたのが、警察、検察だ。以下は私が以前、健治さんに聞いた話だ。

逮捕された健治さんのもとに、1週間ほどして大阪地検から小寺哲夫という検事がやってきた。小寺は口には出さないが、和歌山県警に対して「こんな大きな事件は、お前らみたいな田舎デカには解決できないぞ」という態度を見せたという。

それに反感をもったのか、地元の刑事からは、「林、余計なこというな。余計なこというたら、アイツにおかしなストーリー作られるぞ」と注意されたという。

以降、朝9時~夜19時までは刑事から保険金詐欺事件の取り調べを受け、それから深夜遅くまで小寺検事によりカレー事件の取り調べを受けるようになった。

「裁判で泣いてくれ」。

眞須美さんが否認を続けるため、捜査に行き詰まったある日、小寺が健治さんにそう泣きついたという。

「なぜそこまでするんや」と聞く健治に、小寺は「これだけマスコミを騒がせたのだから、(眞須美を逮捕しないと)世間が納得しない」と答えたという。

小寺はまた「全国の女性から『眞須美に殺されかけた健治さんが可哀そう。助けてあげて下さい』と嘆願書が集まっている」と書類のようなものを見せたり、「公判も俺が担当、求刑も俺が出す。協力してくれたら、府中の医療刑務所に入れてやる。そこには今、角川春樹がいるから、彼に本でも書いてもらえ」などとあの手この手で健治さんを懐柔し、しまいには「協力しないと懲役15年だぞ」と脅したという。しかし健治さんは最後まで協力しなかった。

健治さんは、一審は黙秘、二審からは「自分でヒ素を飲んだ」と証言したが、「眞須美を庇うための嘘」とされ、2002年、懲役6年の実刑判決が下された。「やすいな(軽いな)」と思わず口にした健治さん。健治さんもまた眞須美さんの被害者にされていたからだ。

◆「ヒ素」は「同一」ではなかった

小寺が健治さんに協力してくれと泣きついた時期、警察と検察は、林家から見つかったというヒ素と、カレー鍋などから見つかったヒ素が同一であるという鑑定書を作成しようとしていた。

過去にシロアリ駆除の仕事をしていた健治さんは、ヒ素は持っていた。が、カレー事件でヒ素が問題になった頃、疑われるのが嫌で、眞須美さんに処分させた。それなのに、2人が逮捕された後、林家からヒ素が見つかった。

それも連日80人以上の刑事が捜索するなか、4日目にだ。しかも健治さんは、その事実を、起訴後に移送された拘置所で、面会にきた小寺に聞かされた。

警察署に勾留中、刑事や小寺はなぜ言わなかったのか。「何でや?」とその理由を聞いた健治さんに、小寺は「あったもんは仕方ない」と小声で答えたという。

「捏造したんやろ」と迫る健治さんに、「お前、こんなんとこ(拘置所)入って疲れてんのに、頭の回転早いな」と返したという。

当初、林家で見つかったヒ素を、科学警察研究所で鑑定した結果、祭り会場で見つかったヒ素と「同一と考えても矛盾はない」とされた。一見「同一」と思えるが、そうではない。

2015年、鑑識学会で発表された「鑑定書結論の強さの段階」で「~と考えられる」は「80%の推認」、「~として矛盾はない」は「70%の推認」で、「~と考えても矛盾はない」は、0.8×0.7=0.56%と、半分か、それよりも低いのだ。つまり「決定打」にはならなかったのだ。

しかし、眞須美さんが起訴される12月29日までに、ヒ素が「同一である」との新たな鑑定書が作成された。東京理科大の中井泉教授と聖マリアンナ大学の山内博助教授(いずれも当時)が、当時で世界最先端の科学分析装置「Spring-8」で実験を行った結果だった。

その後、この山内・中井鑑定を覆す学者が出現した。真須美さんの弁護団が、2009年、和歌山地裁に再審を請求、その後京都大学河合潤教授の、ヒ素は「一致していない」とする再審請求補充書、同教授によるヒ素の「鑑定書」を提出した。

しかし、2017年3月29日、和歌山地裁はこれを棄却。弁護団は大阪高裁に即時抗告したが、控訴棄却。最高裁に特別抗告中の2021年6月24日、眞須美さんは長女の突然の死という混乱の中で取り下げてしまう。弁護団は取り下げ無効確認の手続きを行うが2022年4月13日最高裁は取り下げは無効でなく特別抗告は終結したとの判断をだした。

一方、2021年5月31日、別の弁護士が新たな証拠による再審請求を和歌山地裁に行ったが、2023年1月31日棄却され、弁護人は大阪高裁に即時抗告中である。(完)

◎尾﨑美代子-緊急学習会「和歌山カレー事件は冤罪だ!」報告
〈前編〉カレー事件発生当時、林家に同居していた二人の男性についての話
〈後編〉大量殺人事件で「現場検証」がなされない不思議

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

前の記事を読む »