平和都市・広島の市長はとんでもない方でした。
広島市の松井一實(かずみ)市長が就任翌年の2012年から「教育勅語」の一部を新人研修の資料に使っていたことが、中国新聞の取材で明らかになりました。そして、さらに今後も使う考えを示されたということで二度びっくり仰天しました。
この資料は、「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、後輩につなぐことが重要」とし、教育勅語のうち、
「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」(第二十六 教育に關する勅語)
という部分を引用し、英訳付きで掲載したということです。
松井市長は新人職員に対する講義でこの資料を、2022年、2023年と使っており、このたび、中国新聞の取材で2012年から使っていたことが明らかになりました。
新人職員にとり、そうはいっても、入庁早々の市長のお言葉は大変ありがたいものです。良くも悪くも、洗脳されてしまいがちです。筆者自身でさえ、広島県庁に入庁した当初の知事(故人)のお言葉はそれなりに感動した記憶があります。
◆「ナチスも良いことをした」論と似ている市長の開き直り
さて、その教育勅語自体は1948年6月19日に日本国憲法下の国会が排除または失効を確認する決議をしています。国権の最高機関でそのように否定されたのです。
そもそもが、この教育勅語自体が、軍国主義に利用されてしまいました。松井市長は「全体を画一的に捉えて良い悪いと判断するのではなく、中身を見て多面的に物事を捉えることが重要。その一例として教育勅語を紹介した」と開き直っておられます。
だが、市長のこの開き直りのコメントは「ナチスも良いことをした」というのと似た暴論ではないでしょうか? 例えば、ナチスは確かに積極財政で景気を回復させたとされています。しかし、類似の政策は米国のニューディール政策、日本の高橋是清による積極財政など同時代に例はあります。あの時代であればだれが為政者でもだいたい、そういう方向の政策を取ったであろうということであって、取り立ててナチスをほめる話ではありません。ましてや、そのことを挙げて、ナチスによる数々の蛮行を正当化するわけにはいきません。
「教育勅語」も、結局、大日本帝国によるアジア侵略、軍国主義の悪用されていったわけです。その時点でアウトです。
◆例に出すなら日本国憲法第15条の2であるべき
そもそも公務員には憲法遵守義務があります。もし、市長が公務員としての心構えを説くのであれば、日本国憲法から該当する条文を抜き出せば良いではありませんか? 例えば「公益」を説くなら憲法第15条の2の方が適切でしょう。
日本国憲法第15条
2.すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
そもそも教育勅語の「臣民」というフレーズは日本国憲法の「主権在民」に反します。主権者は国民であり、地方自治体である広島市なら市民です。そして、その市民に奉仕するのが、広島市長を筆頭に広島市役所に勤務するものの義務です。戦前の天皇に仕える「官吏」ではないのです。正直、元厚労官僚の松井さんは、市民ではなく、天皇とまではいかずとも、日本国中央政府を向いている、と言わざるを得ません。
◆米国忖度ネオリベ都市「HIROSHIMA」+戦前「廣島」=平和都市ヒロシマの否定
結局、松井市長がされていることは、平和都市「ヒロシマ」の否定ということではないでしょうか? 松井市長は、既報の通り、G7広島サミットを契機に〈原爆投下の反省無き〉米国政府を相手方とする「平和記念公園とパールハーバー」の「姉妹協定」を、議会や市民に相談もなく締結してしまいました。また、はだしのゲン・第五福竜丸の平和教材からの削除も市教委に強行させています。これは、どちらかといえば、〈米国忖度〉ということです。また、中央図書館の駅前デパートへの移転や学童保育の有料化など、アメリカンな新自由主義政策を市民の意見を聴かずに進めておられます。
一方で、今回の教育勅語は、どちらかと言えば〈戦前・戦中回帰〉です。両者は一見矛盾するように思えますが、共通点があります。すなわち「平和都市ヒロシマ」の否定です。外には米国に忖度しつつ、内には新自由主義を推進し、古い権威主義を温存。米国による原爆投下を批判し、米国も含む核政策を批判してきたヒロシマ。少なくとも1990年代くらいまでは保守地盤の中でもそれなりの運動で、それなりの教育・福祉の充実をしてきたヒロシマ。それとは対極にあるということです。
広島の歴史を簡単に振り返ると以下のようになります。
1.1894年~1945年 軍都廣島
1894年に広島に大本営がおかれ、明治帝や伊藤博文総理、国会も広島に移転し広島は「臨時首都」になりました。その後は、広島市は陸軍の、呉市は海軍のそれぞれ軍都としての地位を確立させ、1945年の原爆投下、敗戦を迎えます。
2.1946年~2011年? 平和都市ヒロシマ
原爆投下で壊滅した広島は、日本国憲法制定、1949年の平和記念都市建設法を経て平和都市として再出発します。正直、広島には軍国主義の町内会長から平和主義の議員に「豹変」した「はだしのゲン」のキャラ「鮫島伝次郎」のような側面が大いにあったのも事実です。また、1991年に当時の平岡敬市長が日本の加害責任に触れるまでは、軍都廣島も加担した日本の加害責任が左派の間でもあまり意識されてこなかったのも事実です。
ただ、それでも「もう、誰にも同じ思いをさせたくない」という被爆者の思いを建前としており、曲がりなりにも平和都市「ヒロシマ」と言えたと思います。広島市民は、国政選挙や県議選では自民党を圧勝させまくる一方で、広島市長については非自民・非中央官僚系の人物を選ぶというバランス感覚を働かしてきたのです。
3.2011年~2023年 平和都市ヒロシマの解体準備期間
しかし、2011年、秋葉忠利前市長の勇退を受けての広島市長選挙では、自民党が推薦する中央官僚が初めて広島市長になりました。松井一実さんです。今にして思えば、この直後から、松井さんが教育勅語を使用して、徐々に若手職員を洗脳していったわけです。筆者の友人の一人は「近しい人が市職員で、なんでこんな右傾化したのかなって不思議だったけど、納得。哀しい。」とこぼしていました。それだけ、松井さんはこの3期12年の間に準備していたのです。
また、ほぼ同時期に県知事を務めた湯崎英彦さんは、アメリカンな新自由主義行政を進めました。これらが相まって、そして、米国忖度・ネオリベと権威主義(中央政府や市長に逆らわない)のハイブリッドの広島の在り方を徐々に固めていったのです。
◆選挙上手の「強敵」松井市長だが、何としても打倒しなければならない
そして、G7広島サミットを契機に、広島は一挙に危ない方向に変質しようとしています。「今後も教育勅語を使用します」と開き直る松井市長。平和都市解体への下準備をほぼ完成させ、どこまで暴走するのか?空恐ろしい限りです。筆者は主には、当面は、2025年11月に任期切れを迎える広島県知事の湯崎英彦さんの打倒で広島を県民の手に取りもどす「ヒロシマ庶民革命」を目指しています。
しかし、2027年4月が任期切れの松井一実市長についても打倒しなければならない。そして、中央政府のためではなく、市民のための市役所を取り戻さなければならない。
松井さんは、地域のイベントにわざとラフな格好で参加し、人々に親しみを持たせるなど「選挙上手」で手ごわいものがあります。それでも「打倒松井」をあきらめてはいけないし、広島の政治に緊張感を持たせなければならない。
▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/