◆丈夫会(ますらおかい)とは?
格闘群雄伝第2回に登場して頂いた元・日本ライト級チャンピオン飛鳥信也氏に、「ここにまだ目黒ジムの原点が残っているよ!」とお聞きし、先日お伺いしたのが創価大学キックボクシング部・丈夫会でした。
飛鳥信也氏は現役引退15年後の2011年に筑波大学大学院に入学し、スポーツマネージメントを学び、選手の心のケアに重点を置いた研究を続けました。2013年に筑波大学大学院で修士号も取得。自らアマチュア版キックボクシング数々の大会に出場し、還暦を過ぎても実戦しながら論ずる指導者を続けています。
その飛鳥信也氏が師範を務める丈夫会では、12月9日に35年続いている(コロナ禍を除く)という第53回昇級昇段審査会が行われました。
空手部としては全国の大学・高校に存在し、諸々の大会が各地で行われていますが、キックボクシング部としては創価大学、東海大学、日本大学、拓殖大学、中央大学、専修大学、明星大学、東洋大学などに存在し、1972年(昭和47年)設立の全日本学生キックボクシング連盟選手権大会で、創価大学は過去8回の団体優勝。その丈夫会は創価大学キックボクシング部の名称で、“丈夫”は三国志から由来する“勇気のある強い男”を意味します。
飛鳥信也氏が現役時代、「青春を完全燃焼したか不完全燃焼で終わったかで、大いなる人生の分岐点がある。」という持論を掲げていましたが、その完全燃焼とは、1988年1月、越川豊(東金)から王座奪取した際、チャンピオンベルトを持って、創価大学創立者・池田大作名誉師範を訪問したところ、「あしたのジョー」の「真っ白な灰に燃え尽きるまで戦うんだ」というストーリーを例に激励・指導してくださった文言で、その池田名誉師範の教えが直結する丈夫会であると語られています。
◆昇級昇格口頭試問審査が厳しい
この日に行われた、通常半年に一度の審査会の段級は四級、三級、二級、一級、初段があり、コロナ禍を挟んだ為、4年ぶりの今回、審査を申し込んだのは1年生4名。コロナ禍前は10名程居た様子。
実技審査はシャドウボクシング(1ラウンド/3分)での基本動作と、パンチと蹴りのミット打ち(1ラウンドずつ)での技量審査、実戦力と総合力を見るスパーリング(1ラウンド/2分)が行われました。
これだけでも日々の地道な練習の積み重ねが必要ですが、丈夫会特有の精神性を問う口頭試問は、審査に通る為だけの勉強では通過出来ません。実技練習と同じぐらいの時間を通して丈夫会宣言にある三つの項目と、その在り方を把握して身体に沁み込ませておかねばなりません。これが筆記試験とは違う、他校には無いであろう飛鳥信也師範オリジナルの、現役時代さながらの縦横無尽な質疑が待っていました。深層心理を抉り、自ら気付き、自らの行動を促すというアスレチック・カウンセリングマインドを駆使した審査でした。
丈夫会宣言第一項には、「我々丈夫会は、丈夫の心を以って人間練磨に励み、この青春を完全燃焼していきます。」と掲げられています。
「宣言第一項の中で、いちばん心に留まる言葉は何ですか?」の飛鳥氏の問いに、「“完全燃焼”の言葉が心に残ります。」と応えた受審者。そこから「この宣言に“完全燃焼”の文言が有るのは何故ですか?」というプレッシャー掛ける問いに繋がった。
「青春のある時期に一つのことに打ち込んで前後の見境なく全てを費やしてやり切る。やり切った極地の言葉が完全燃焼。その完全燃焼することが、その後の人生の大きな分岐点となる。」
悔いを残さぬ学生生活で、その後の人生での飛躍へ、その大学生の最終イベントは就職の面接。そこで活かされるように、審査は実力向上の為に、あらゆる角度から質疑に掛かる。回答に惑い苦戦する受審者もそれぞれの思考を廻らし応えるのもまた良い経験値となったでしょう。
ゲスト審査員として招聘されたのは、創価大学出身で現・ジャパンキックボクシング協会ウェルター級チャンピオン・大地フォージャー(=山本大地/誠真)でした。
大地は「学生時代にキックボクシング部に見学には行ったものの入部していませんでした。」と語り、その心残りをプロデビューに向けた想いと、学生時代で悔いを残さないよう完全燃焼することの重要さを語られました。飛鳥師範のような厳しい突っ込みは無いものの、プロの目から見た意見は的確なアドバイスでした。この日、丈夫会名誉会員に任命された大地フォージャー。これからも指導に訪れる立場となった。チャンピオンとして今後もより一層試合一つ一つが完全燃焼である。
◆キックボクシングの原点とは?
飛鳥信也氏が現役時代、目黒ジム入門当時から見た練習風景は、野口里野会長がジム出入り口にある会長席に座って、口癖のようにリングに向かって毎日毎日叫んでいたという。
「ジャブを打ちながら左に左に回るんじゃよ!」
「止まったらいかん、動いて動いて!」
「前後前後、上下上下、下から打った方がいいんじゃよ!」
といった声が響いていた。
里野会長とはライオン野口という昭和初期の日本ウェルター級チャンピオンだった野口進氏の奥様。キックボクシング創始者・野口修氏の母親である。
練習生は皆、「野口おばあちゃんがまた何か言ってる!」と適当に聞き流し、自分なりの練習をやっていたという。
里野会長も若い頃からボクシングの現場を見て来た人。考え方は古くても知識は持っていたのである。その里野会長の言葉を素直に聞いて忠実にやっていた飛鳥信也は、やがて縦横無尽に動いて、どんな角度やタイミングでのパンチや蹴りが出るか分からない「動きが読めない広角殺法」を導き出しチャンピオンに上り詰めた。
それは目黒ジムの原点、野口家の直属の教えを伝授され継承し、その指導を続けているのは飛鳥信也が指導する創価大学の丈夫会で、日本のキックボクシングの原点がここにあるという。
◆飛鳥信也の戦い
12月17日には稲城ジムでのアマチュアキックボクシング大会に出場した飛鳥信也。熊田真幸(SQUARE-UP)と1ラウンド(1分制)で引分け。開始早々やや圧されながら打ち返して挽回した模様。次は来年2月18日、総合アマチュア大会XSTREAMにエントリー中という。
野口里野会長は1988年5月に永眠し、2016年には野口修氏も永眠。時代の節目を感じる中、野口家の教えは飛鳥信也氏が担っている。野口里野会長から教わったフットワークから、答えを導き出した縦横無尽の広角殺法のように、学生が自分で答えを導き出す指導は昇級審査でも活かされていた。今回の丈夫会昇級審査はまだ初心者レベルで、飛鳥信也氏の広角殺法には及ばないが、キックボクシングの淵源は無くならないと感じさせられる指導でした。
現在と過去が入り混じる丈夫会。私(堀田)も目黒ジムでの見学や取材の立場ではあったが、里野会長の怒鳴り声を聞いたことのある一人。飛鳥信也氏の指導姿から里野会長の声も聞こえて来るようであった。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」