◆頭と頭がぶつかる原因

偶然を装うヘッドバッティングについては、「キックボクシング、勝ちたい一心の反則行為」でも少々触れましたが、プロボクシングでもキックボクシングでも起こり得る戦略でしょう。また、故意ではなくても試合早々、バッティングで試合が終了してしまう事態も多くありました。

杉山空の鼻が則武知宏にぶつかったバッティング(2022.10.29)

 

バッティングで瞼を切った杉山空はこの後、試合を止められた

その一例は1983年(昭和58年)7月10日のプロボクシング世界戦、渡嘉敷勝男vsルペ・マデラ、因縁の第3戦(渡嘉敷氏のV6防衛戦)では、偶然のバッティングでルペ・マデラが試合続行不可能に陥り、渡嘉敷勝男が第4ラウンド1分50秒、TKO負け裁定。当時は第3ラウンドまでの採点による判定(3ラウンド以内は負傷引分け)。期待された決着戦はあっけなく終了。こんな試合終了は選手当人や応援するファンとしても残念でならないでしょう。

プロボクシングでバッティングが起こる原因は、クラウチングスタイルが多い為、踏み込む足より頭が前に出る選手は、互いに打ち合いに行った際、頭同士がぶつかる場合が起こり得ると言われます。

キックボクシングでは蹴りに移る為、重心が後方に掛かりアップライトスタイルが普通。例えとして「パンチは頭をぶつけるように突っ込んで打て!」といった指導もあったようで、キックボクサーがボクシングを習って、パンチだけで頼っていくのは重心が前に掛かって、蹴りとパンチのコンビネーションブローが崩れると言う元・選手もいます。

◆切られる外傷より怖い眼窩底骨折

現在レフェリーを務める中山宏美氏は選手時代、偶然のバッティングで負傷。ドクターチェックで「相手が二人に見える」と言ったらレフェリーストップとなり、診察では眼窩底骨折が判明したと言います。

ドクターチェックにより杉山空は試合続行不可能へ、幸い負傷判定勝利

格闘群雄伝登場の赤土公彦氏は現役時代、蹴りに忠実なスタイルのせいか、「幸いバッティングの経験は無かったです。」という。しかし、20年以上前に弟さんがデビュー戦での第1ラウンドに偶然のバッティングが起こり、インターバル中、「相手が二重に見える」と言われ、「そんな強い攻撃を受けた感じもなかったので『気合いを入れろ!』と昭和チックな檄を飛ばしたのですが、試合後、検査をしたら眼窩底骨折という事で、すごく責任を感じた経験があります。」と語られました。

タイでの試合で、ある日本人選手のセコンド陣営の話では、「バッティングが起こった第3ラウンド終了後、選手がコーナーに戻って来た際に焦点が合っていない状態で『相手が二重に見える』と訴えるものの、会場のギャンブラーも陣営のタイ人トレーナーも異様に盛り上がっていて、試合を棄権させる判断が出来ませんでした。」という。幸い、視力は何事も無く徐々に回復したようでしたが、脳震盪や視界の異常はセコンド、トレーナーとしてどうすべきか、周りの盛り上がりに圧されず、危険なスポーツである認識を持って判断しないといけないと反省していた様子でした。

眼窩底骨折は眼窩の奥や底は薄い骨で、頬骨や目の周りの骨は丈夫でも、打撃の衝撃で眼窩壁が骨折し、眼球陥没等が起こる現象があります。ヒジで斬られる外傷と違って、リング上では選手が本音で「相手が二重に見える」等を言わない限り、レフェリーやドクターが目視では判断し難い状況でもあるでしょう。

初回早々、偶然のバッティングで倒れ行く花澤一成、ダメージ深く立ち上がれず負傷引分けとなった(2023.3.19)

 

この画像はバッティングではないが、傷が深い頭部の負傷は痛々しい (2023.5.21)

◆昔の選手は偶然のバッティングの経験が無い!?

昭和の選手ではバッティングで試合中断やTKOという経験が少なく、テレビ放映でも殆ど見なかった感じがします。

昭和のレジェンド達の話では、藤原敏男氏は「俺なんか意識的に頭から突っ込んで行ったよ!」という発言自体も過激ながら、試合もそういうアグレッシブな展開ではありました。

現レフェリーで、高橋宏(当時全日本フライ級チャンピオン/東金)とタイトルマッチ経験ある仲俊光氏は「現役時代、バッティングはあったかもしれないけど殆ど記憶に無く、“ちょっと頭当たったかな”ぐらい!」と言い、増沢潔氏も思い出せないほどバッティングの記憶が無い様子でした。

歳取って記憶力が衰えた訳ではなく、それほど過激な試合展開で、投げられて転ばされ、踏み付けられたり顔面蹴られたり、反則スレスレの何でもあり過ぎて、偶然のバッティングはよほどの衝撃か故意でない限り、印象に残らない様子の昭和の選手達。

少し時代が後の船木鷹虎氏は「バッティングは経験無いけど、斎藤京二さんに投げられて倒された際に顔面にヒジ落とされました。流れの中では何でもあった時代だけど、そういう事態に陥る方が悪いからね。相手より下になってはその場は負けです!」と懐かしく語られました。

 

流れの一瞬の中、接近戦での頭を押し付ける攻防。菊地拓人vs隼也JSK(2023.11.26)

◆テクニックの進化が原因!?

ムエタイの首相撲では両腕で首を掴み、頭をアゴに押し付けてロックするやるやり方はテクニックの一つですが、「意図的に頭部を使っているので厳密には反則」という意見がある一方、「戦略として頭を押し付けて行くのは有り」という意見もあります。

対首相撲のヒザ蹴り選手に対する戦法として、偶然を装うバッティングを教わった選手は頭部の使い方をしっかり伝授されているようで、ムエタイは反則スレスレの技まで奥が深いものです。

昔に比べ、バッティングで試合続行不可能になる展開が増えた近年は、ルールの徹底で負傷による早めのストップが掛かり易いこと、多彩なテクニックを学ぶ機会は増えたものの、タイ選手のように器用ではない等、ヒジ打ちや蹴りとのコンビネーションでのバランスの狂いがあるのかもしれません。

現在においては比較的背の高い選手はバッティングは起こり難いようです。階級的には長身だったNJKFの若武者役員、桜井洋平氏や若林直人氏もバッティングは経験が無いと言われました。

パンチでノックアウトされるよりダメージが深い場合もあるバッティングで、名勝負があっけなく終わることが極力無いように願いたいものです。今回のプロの意見も十人十色なので、ここでの意見は参考までに、一例として捉えてください。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆代用監獄問題

今、国際的に日本の刑事司法の何が批判されているかというと、「代用監獄問題」と、それから取り調べへの弁護士の立ち合い問題です。代用監獄問題というのは、ご存じの方もかなりおられるんじゃないかと思いますけど、本来は、被疑者を逮捕したら警察の手元に置いていてはいけない。拘置所に入れなければいけない。しかし今の日本では、98%ぐらいは警察の留置場に入れられるんです。

被疑者と弁護人、それから警察捜査側というのは対立当事者ですから、その一方の警察の手元、警察の留置場に被疑者を置いておくのは根本的に間違えてるわけです。そこでは、警察が自由にいつでも取り調べができる。カツ丼を食わしたりとか色んな利益供与も行える。そんな状況は嘘の自白の温床になるわけで、そんなことはしてはいけないというのが、国際的な常識なのです。しかし日本だけは、警察の留置場に置いている。どこに勾留するかというのは、裁判官が決める事だから裁判官がきちんと拘置所に勾留したらええやないかという話なんです。

しかし、これが実は難しい。なぜかというと警察は予算がついてるし、留置場の設備がとても良い。新しくて冷暖房完備です。それから警察の留置場はたくさんある。例えば私の事務所は滋賀県ですが、滋賀県でも警察署ごとに留置場はあります。

一方で、拘置所には予算がつかない。古い建物で設備が良くない。それから、場所が非常に限られている。今、滋賀県では、滋賀拘置所がJR琵琶湖線の石山から歩いて20分ぐらいの所に滋賀刑務所があって、その中に拘置所があります。彦根にも拘置所がありましたが、今は廃止されました、

最近では石山の拘置所も廃止されて、京都刑務所の方に移されるという話が出ています。そうすると、例えば長浜など滋賀北部の警察で逮捕されると、弁護士はそこの弁護士がつく。しかし毎日接見に行くとなると、長浜警察署の留置所に入れておいてくれたら長浜の弁護士は毎日接見に行けますが、石山とか京都に入れられるとそこまで行かなくてはいけなくて、なかなか弁護士はそんなに時間がとれない。

だから弁護士も警察の留置場を希望する。本人も設備が良いから警察の留置場を希望する。そういう中で裁判官が、いや法律上これはおかしいから拘置所に勾留するという事は中々できない、要するに単なる理屈だけではなくて、拘置所の設備にきちんと予算を入れなくてはいけないし、拘置所をたくさん作らないと、本来「被疑者は拘置所に入れる」という法律の原則が実現できないのです。そういう形で留置場へ入れざるをえないという状況が作られているのです。こうした事も社会的に批判していく必要があります。

◆弁護士の立ち合い問題

取り調べに弁護士が立ち会うというのも、今の日本ではほとんど実現していません。例えば西山美香さんのような供述弱者は、ある意味、自由に警察官の手の上でもてあそばれたような事になりましたが、こういう事を防ぐには、取り調べの時に弁護士が立ち会うしかないのです。これは日本では突飛な話と思うかもしれないけど、国際的には当たり前の話なんです。

今、国連人権理事会で日本政府に勧告されているのは、この代用監獄問題と弁護士の立ち合い問題で、これを改善する事を求められています。だけど、こういう事はメディアもほとんど伝えないし、ほとんどの方は知らないと思います。国際的な人権のレベルからすると非常に遅れているのです。

◆人質司法問題

それから人質司法問題、これは元日産のゴーンさんが逃げ出して、大きな問題、話題にはなりましたけど、(起訴内容を)認めないと裁判所は保釈しない。こんなに酷いことはないのです。

身柄が拘束される。要するに警察の留置場や拘置所から出れない。普通の市民がある日突然逮捕されてから、(留置場や拘置所から)もう出れないというのがどれほど大変な事なのか。会社もダメになるし、家族もばらばらになる。自分の人生がどうなるかわからないわけです。

その時に「認めたら、保釈がきくよ」と言われたら、取り敢えず認めて保釈で外へ出て、仕事の立て直しとか家族との修復などをして、裁判では真実を言ったら裁判官はわかってくれるだろうと思う。それはむしろ普通だと思うのですね。それでもやってない人が否認を続けることは本当に鉄の意志がないとできない。

多くはそう思って嘘の自白をして保釈してもらって、裁判であれは嘘でしたと、本当はやっていませんと言っても、裁判官は「いや、やっていない人間がやったなんて言うはずないだろう」という事で有罪判決をする。こういう形で冤罪がどんどん作り出されているわけです。

だからこの人質司法問題は非常に深刻な問題で、これについては私が刑事裁判をやっていた頃の感覚より、かなり裁判官は後退していると思います。本来、保釈するのが原則のはずなのですが、今は非常に保釈率が低くなっています。これも社会的な批判を強めていかなければいけない。

こうした刑事司法が抱える諸問題を法律家だけの問題意識に留めるのではなくて、広く社会一般の人が認識して、これを変えていかなくてはいけない。こうしたことを変えていかないと冤罪はなくならない、という認識を持つという事が大事です。そのために今の再審法改正運動、まず再審法改正実現するというのが当面の課題ですけれども、それとあわせて刑事司法全体の問題意識を広く社会一般のものにしていくという事が、日本の刑事司法をもう少し良くする。冤罪被害者をなくしていくために一番必要な事だと思っています。

その意味でも今回尾﨑さんが出された『日本の冤罪』は非常にわかりやすく、その事件ごとに尾﨑さんが「これが一番問題や?」と思った事を取り上げて説明してますから、非常に時宜を得た、そして問題意識を広めていく武器にするという意味でも、非常に有益な書物であるという風に思いますので、ぜひこれを皆さん、ご自身が読むだけではなくて、周りにも広めていっていただければと思います。

まあこういう形でまとめると今日の趣旨にぴったりと合うのではないかと思いますので(会場から笑い)、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。(終わり)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

2024年も残念ながら、新年早々、広島県の湯崎英彦知事と広島市の松井市長の暴走が加速しています。

◆マリーナホップ取り壊し、後継施設は黒塗りだらけ文書公開

まず、湯崎英彦知事率いる広島県庁の暴走です。広島市西区観音新町のショッピングモールであるマリーナホップ。水族館など、こどもたちも楽しめる施設もあります。2005年3月に県有地を借りて開業しましたが、2025年の3月末で土地の賃貸借権が期限切れになるため、2024年12月1日で閉館する予定です。

そして、後継には、自動車用品事業などを手掛ける「トムス」などが、車をテーマにした体験型エンターテインメント施設を計画しています。

ところが、この計画について、中国新聞が情報公開請求したところ、なんと、71か所もの黒塗りがあったそうです。こういうのは、情報公開とは言わず、隠ぺいというのではないでしょうか?

黒塗り部分を公開すれば、トムスの企業秘密を暴露することになり、トムスに損害を与えるから、というのが理由です。しかし、そもそも、本事業も広島県民の財産である県有地を貸し出して行う事業です。持ち主である県民に対して何か隠すべきことがあるのでしょうか? 筆者も、県庁職員時代に、行政財産使用許可を担当したこともありました。きちんと情報公開請求されても良いように、起案をし、決裁をもらい許可を出す。これが当たり前のことです。

このマリホの後継事業については、2022年に公募を実施。当初はトムスとともに、広島トヨペットも手を上げていました。しかし、辞退しました。さらに、マツダも手を上げましたが、これも辞退。地元を代表する錚々たる企業が、辞退するという異常事態にあるのです。

何か、不都合なことを広島県、さらには湯崎英彦知事が隠したいのではないか? そういう疑惑が浮上します。

湯崎英彦知事は、2009年の初当選直後は例えば鞆の浦埋め立て架橋問題において、賛否両派の住民による対話集会を開き、最終的に山側トンネルに事業変更するなど、開かれた県政を目指す姿勢はありました。しかし、4期目に入った今は、県民に対して説明責任を果たさず、逃げ回る姿勢ばかりが目立ちます。筆者も2009年の県知事選挙では湯崎さんに投票しましたが、ガッカリです。

「マリーナホップは広島市内で子供連れで出かけられる数少ない娯楽施設の一つでした。小さな子が遊べる遊園地があり、できたばかりの素晴らしい水族館があります。そうした施設が簡単に壊されてしまうのはとても残念です。」と5人の子どもを持つ広島市内の女性は残念がりますが、湯崎知事はそうした声には耳を傾けません。

なお、筆者が繰り返し取り上げてきた三原本郷産廃処分場問題では進展がなく、汚染水垂れ流しが続いていることもご報告しておきます。

◆市長公舎跡地に新施設?! 迷走する中央図書館移転計画

 

市長公舎の正門。建物は佐々木禎子さんで有名な幟町中学校の建物

続いて広島市の松井一實市長も暴走ぶりでは引けを取りません。中央公園にある中央図書館を住民の声や議会の懸念も無視をして、広島駅前のエールエールA館への移転強行を突き進んでいます。それどころか、ここへきてさらに驚くべき「暴挙」に出ています。

中央図書館の中には広島の旧藩主・浅野家が作った浅野文庫があります。また、被爆作家を含めた広島文学関連の資料があります。それを、なんと、広島市中区の市長公舎を壊してその跡地に新施設を建設して移設するというのです。

要は、中央公園の現在地にある中央図書館の資料を、駅前のエールエール館(一般図書)と市長公舎跡地の新施設(浅野文庫と広島文学関連資料)にバラバラにしてしまうということです。

そもそも、中央図書館を現在地で建て替えずにエールエール館に移すというのは、コストが安いから、というのが大義名分でした。むろん、その大義名分でさえ、怪しいのです。なぜなら、エール館も1999年開館ですでに25年が経過しており、35年後にはまた建て替えることを考えると安いとは言えないからです。その上さらに、市長公舎跡地に新しい建物をつくるとなれば、コストはさらにかさみます。何のために、現在地から中央図書館を追い出したのか? これでは意味不明です。
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◆教育勅語使用は継続!

その松井市長。新入職員研修、新人課長研修で教育勅語は使い続ける、と開き直っておられます。もはや、教育勅語の時代である戦前の官尊民卑を続ける気満々ということです。

教育勅語には松井市長の言うような民主主義的なものではありません。プロイセン的な専制君主寄りの立憲君主制とセットで官尊民卑だった明治時代の文書です。市長が引用した「学を修める」とかのフレーズもそういう文脈です。

松井市長の理屈は、喩えるならば「ナチスにも良いことがあった論」にも似ています。しかし、そもそも大恐慌直後のあの時代のそれなりに経済政策に通じた為政者なら積極財政を取るのは当然です。

例えば、同時代には日本の政党政治家・高橋是清(インフレ傾向がみられたときには引き締めに転じようとしたため、2・26事件で陸軍の凶弾に斃れた)による財政出動、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディールなどもあります。ナチスの経済政策がことさらにそれらと比べてすぐれていると思えません。

◆知事・市長になめられない県民に!

ともかく、そんな湯崎英彦知事、松井一實市長の暴走は当然起きるべくして起きたと言えます。広島市民、広島県民もいい加減、市長や知事に舐められない市民、県民になるべきときではないでしょうか?

筆者は、私は東北や関東、四国、山陰、九州など全国各地で国政や地方選挙の応援に入らせていただいた経験があります。応援させていただいたのは市民派無所属の方が多いのですが、旧民主党や日本共産党、社民党と言った野党から維新系や自民党(ごく少数の女性限定だが)応援させていただいた経験もあります。

そこで経験した、他地域の政治文化と比較しても広島選出の岸田総理、湯崎知事、松井市長は市民、県民を舐めきっています。広島市民・県民も「平和」には関心が高くとも、足元の行政や政治腐敗に感心が薄かったのは否定できません。

ここらで、エライ人から広島を市民の手に取りもどさなければ、大変なことになる。新年早々の湯崎英彦県政、そして松井一實市政の暴走を見て改めてそう感じました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

今年は辰年です。辰年には大きな事件が起きると言われています。76年のロッキード事件も88年のリクルート事件も辰年でした。

そして元旦には能登大震災が起きました。亡くなった方々に哀悼の意を表すると共に、一日も速い復興を願っています。

それにしても心痛むのは過疎化した能登の光景です。見捨てられ置き去りにされたような光景は能登ばかりではありません。こうした「冷たい政治」を何としても変えなければならない。その思いで、今回の寄稿をさせて頂きます。

◆「日米統合」の下、国民の財産が米国に売られている

この間、貴誌への投稿で、日米統合の問題を何回かに渡って述べてきた。それは、日本の財産、日本国民の財産を米国に売るものとして進んでいる。

先の投稿では、法廃止問題を取り上げ、国の財産、国民の財産である日本の通信インフラが米国に売られようとしていることを述べた。

その内容を再度確認すれば、NTT法は、「日本電信電話公社」を米国の要求に応じて民営化(株式会社化)する時に、電信電話事業の公共性を維持するために定めた法律であり、そのため、そこには「国による株式の3分ノ1保有」「外資規制」「総務省による経営計画や人事の承認」などの規定があること。したがって、これを撤廃しなければ、米国企業に売却することも売却後に、米国外資が自分の意のままに、これを経営することができない。だからNTT法を廃止するということだ。

NTT法には又、「固定電話をユニバーサルサービスとして全国一律に提供する」という規定があり、離島や過疎地でも低価格でサービスを保証することが義務化されている。

これが如何に大事なものであるかは、今回の能登大震災を見ても分かる。今回のような大災害では、固定電話によるサービスが多いに役立ったことは想像に難くない。 

しかしNTT法を廃止すれば、それもなくなる。その代わりに移動電話でサービスを保証するというが、経営権を握った米国企業がそうしたサービスを保証するとは思えない。

岸田内閣はこうした国民の貴重な財産までも米国に売ろうとしているばかりではなく、日本国民が保有する2000兆円もの金融資産をも米国に売ろうとしている。

昨年6月の骨太方針で岸田首相は、「資産運用立国」を掲げたが、12月13日には、それを具体化した「資産運用立国実現プラン」なるものを発表した。

それによれば、「日本のメガバンク3社や大手証券会社に運用力の向上と企業統治の改善に向けた計画の公表」を求め、「海外の資産運用会社が進出しやすいように英語で行政手続きができる『資産運用特区』を創設する」、「機関投資家に新興運用会社の活用を要請する」などとなっている。

この資産運用会社が米国の会社であることは、岸田首相がニューヨークで米国の金融関係者を前に「資産運用特区創設」とこれへの参入を要請したことを見ても明らかだ。

その具体化として岸田政権は、12月に220兆円もの世界最大の年金基金GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用会社を拡大するという方針も打ち出している。

そればかりではない。岸田政権は、国家予算の立案執行まで米国ファンドにやらせようとしている。

今、岸田政権は、様々な政策執行で「基金」方式を導入している。卓越大学創設の「教育基金」、原発維持の「GX推進基金」、「中小企業イノベーション創出推進基金」などなど、今や基金は50事業にもなるという。

昨年12月、岸田政権は関係省庁にその運営を広告大手、民間シンクタンク、人材派遣会社など民間企業に委ねる通達を出したが、その民間企業が米国外資系や米国の意を汲んだ企業であることは言うまでもない。

国家経営で最も重要な予算の立案執行の多くを米国外資が握るようになれば、日米統合は決定的に進み、日本は最早、国とは言えない「国」になってしまう。

◆米国外資による企業支配、そして経済のバブル化

岸田政権の「資産運用」政策で注目すべきは、「企業統治の改善」が強調されていることである。それは「企業は株主のもの」だとする米国式の「企業統治」を意味し、米国外資が日本の企業の経営に介入し、終局的には、その経営権を握るものとなる。

昨年1月から日本の株価が急上昇している。それを主導しているのは米国外資である。そして彼らは「物言う株主」として日本の企業の人事や経営にまで口を出すようになっている。

昨年5月からの株主総会シーズンに、彼らは、現経営陣の退陣要求と社外取り締まり役の導入を提案した。その多くは否決されたが、今年の株主総会では、その攻防がいっそう激しくなると予想されている。

米国は自国のファンドや資産運用会社を使って、日本企業を支配しようとしているのだ。

そして、そのために米国の「投資助言会社」までが動いている。彼らは、取り締まり役に女性がいるか、温暖化対策を進めているかなどを判断基準にして、米国ファンドの投資の助言をするという。その中には日本的な「株の相互持ち合い」解消の基準もある。

日本の「株の相互持ち合い」は元来、外部からの株式買い占めに対抗するための「日本式」対応策であった。米国は、これを解体しようとしているということだ。

米国外資は日本の企業支配を進めながら日本経済をバブル化している。

今年1月の連休明けの9日、東京証券市場ではバブル期1990年3月以来の最高値3万3763円を記録し、その後も高値を更新しつつある。まさに米国外資による日本経済のバブル化。しかし、それは30年前に破裂したバブル経済の再演であり破裂は必至だ。

確かに、2000兆円ものカネを注ぎ込めば、しばらくは、株式相場は活性化しバブル化するだろう。しかし、バブルは必ず破裂するのが経済法則であり、30数年前に現実に起こったことである。

その破綻後、米国が要求してきた構造改革、その新自由主義改革によって、「失われた30年」になり、格差拡大し、多くの地方が衰退し、国民の多くが貧困化に追いやられた。

これを又やるのか。米国外資は頃合を見て売り逃げする。残るのは紙屑なのであり、国民の生活に責任をもつべき政府がやることではないだろう。

◆根強い、抵抗勢力の存在

こうした政策に対して、日本の経済界、自民党内部にも強い抵抗があるのは当然である。

NTT法廃止の動きで甘利プロジェクトチームが最終報告でこれまで「25年まで」としたのを「25年をメドに」とし、来年8月の国会で「研究成果の公表義務」を撤廃するという一部改正、迂回案を提案したのも、自民党や総務省の中にある「抵抗勢力」の存在を念頭において、彼らとの衝突を避けながら、あくまでも廃止を実現するということだ。

この1月、トヨタは御三家と言われるトヨタ自動織機、アイシン、デンソーなど持ち株会社への出資を10%削減することを発表した。それは今後、株主総会などで「株の相互持ち合い」が問題視されることを見越した対応策であろう。

それは、他の日本の企業も分かっており、それぞれ対抗策を打ち立てている。それは、日本の企業の多くが「抵抗勢力」であることを示している。

こうした「抵抗」はクラウドをめぐっても起きている。

今日、デジタル化なくして社会の発展はないと言われる中、データを集積利用するクラウドは決定的に重要である。しかし日本のクラウドは、アマゾン、マイクロソフト、グーグル、オラクルなど米IT大手4社が70%のシェアを占めている。

岸田内閣は、各自治体にクラウド導入を25年までに行うよう通達を出したが、それに対し、地域の自治体から「重要な個人情報を他国企業のクラウドで保管する状態でいいのか」「サイバー攻撃やデータ流出時の対応に懸念がある」「米企業が撤退した場合、どうするのか」、又、米国の「クラウド法」との関係で、米国政府の要求があれば、クラウド企業はそのデータを政府に提出しなければならないということへの懸念の声があがった。

クラウドを巡って上がる懸念の声は地方にも「抵抗勢力」があることを示している。

◆米国の焦りと政界再編策動

「抵抗勢力」の存在、それは米中新冷戦の最前線に立たされることへの「抵抗」、「日米統合」への「抵抗」が根本にある。これまで私が述べてきた「抵抗」は、直近の岸田政権の政策に対する「抵抗」を私なりに示したものだが、それは自民党や企業、自治体にとって具体的で身近な切迫した「抵抗」となっているということだ。

そういう中で、米国は何としても「日米統合」をやり抜かねばならない。

何故か、それは米国の覇権回復戦略で日本の米国への統合が決定的だからだ。

米国は米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立たせるために日米統合を進めているが、その肝心の米国覇権がますます弱化している。

イスラエルのガザでの虐殺蛮行を見て、世界では人権や法の支配を掲げながらイスラエルの蛮行を承認する米国、米国覇権への非難の声が高まっている。またウクライナでのゼレンスキー政権の敗勢も明らかになってきた。こうした中で、グローバルサウスを始め世界の多くの国々が非米・離米の姿勢を強め、それが時代の流れになってきているのだ。

この流れに日本が合流すれば、米国覇権は最終的に崩壊する。米国としては何としても日本を統合しなければならない。

その期限は25年。軍事費倍増も25年までであり、クラウド導入も25年、NTT法廃止も25年をメドに、である。

そのためには、日本の経済界、地方を後ろ盾にした自民党内の「抵抗勢力」を何とかしなくてはならない。

自民党の献金問題での地検特捜部の動きは、その反映ではないだろうか。

54年の「造船疑惑」を契機に「大悪を暴く」として発足した地検特捜部の背景に米国があることは政界では常識である。

それが岸田政権を瓦解させ自民党を解体させるかのような動きをしている。米国は「日米統合」に「抵抗」する勢力を排除し、「統合」を促進するための「政界再編」「政治改革」を狙っているのだと思う。

◆米国主導ではなく日本国民主導の政治改革、自主的な政権樹立を

米国主導の政界再編、政治改革ではなく、これと真っ向から対決し、日本のための、日本国民のための日本国民主導の政界再編、真の政治改革が求められている。それは単に岸田政権批判、自民党政治批判に止まるだけでなく、対米追随、米国覇権追随ではない日本の自主的な政権樹立を視野に入れた戦いでなければならないと思う。

米国が25年までに「日米統合」の基礎を固めようとするなら、24年は、それを見越した闘いの年にしなければならない。

その主体は主権者である日本国民である。

勿論、米国主導の「改革」に対し、経済界や自民党などにも根強い「抵抗勢力」があることは事実である。しかし、それは、あくまでも「抵抗」に過ぎない。だからこそ日本国民が主体になって、日本のための、日本国民のための「改革」を主導し、選挙を通じて自主的な政権を樹立しなければならないし、それが出来る時代だと思う。

それは米国覇権が失墜し世界の大部分の国々が離米・反米を模索し始めているという時代の流れに合致するものだからであり、日本人であれば誰もが、米国の下に統合され、国とはいえない国にされるようなことを望まないからだ。

 

魚本公博さん

その戦いは左右の違いを乗り越え、党派の違いを乗り越えた日本という国、民族という自らのアイデンティティをどう守るのかという戦いになる。

左右の垣根、党派の垣根を越え、たとえ自民党であっても、大企業であっても、日本というアイデンティティを基礎にして国民が変革主体になり、すべての抵抗勢力を合流させ、日本のための、日本国民のための政治を実現する。

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24年は辰年の中でも甲辰の年だそうだ。甲辰には暗きを暴き出すという意味があって、甲辰の年にはこれまでの悪が暴き出され変革が起きるのだとか。24年はそういう闘いの年になる。私たちも老骨の身だが、この闘いに少しでも寄与したいと思っている。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆湖東記念病院事件の西山美香さんの場合

無実の人が自白することはいくらでもあるのです。湖東記念病院事件の西山美香さんもそうですけれども、(刑事裁判官は)なかなか無実の人間が自白するという事の想像力がないのですね。被疑者が置かれた立場、毎日毎日長時間の取り調べを受けて、脅されたりすかされたり、色んな利益供与を受けたりして、もう精神をずたずたにされて、そして、認めてしまう。そういう被疑者が置かれた過酷な立場に対する理解がない。あるいはそれを中々想像できない。

だから嘘の自白をするという事がありうるんだということ、否認すれば、私は嘘の自白をしましたという風に主張すれば、本当にそうかもしれないという思いで被疑者や被告人の弁解を聞かなければいけないわけですが、そういう姿勢が非常に乏しい。

湖東事件の西山さんの自白を、裁判所がどういう風に判断したかという所を抜き書きすると、なかなか興味深いです。有罪だと言った最初の確定審の大津地裁の一審では、「男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白する事は通常考えられない」と書かれている。非常に表面的な所だけですよね。美香さんはその取り調べ刑事が好きになって、彼に気に入られたい、期待に応えたいという気持ちで、刑事の言う通りの自白をしたわけですけれども、そこだけを抽象的にとらまえて男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白する事は通常考えられないとしました。

そして控訴審の大阪高裁は、「自白は被告人自身が自ら進んで供述したものであって、自発性が高く、その内容も極めて詳細かつ具体的であって信用性が高い」としました。

これはそうなんです、結局その好きになった刑事に気に入られたいという事で自分から進んで供述してるわけなので自発性が高いのはその通りです。しかし、内容が極めて詳細かつ具体的であるというのは、それは警察官の作文能力を示しているだけに過ぎないのです。警察官は自分が作った自白調書を信用性があるという風に裁判所に判断してもらいたいですから、想像であっても具体的かつ詳細に書きます。そういう形式的なところでしか判断していない。

これに対して再審開始決定をした大阪高裁の再審開始決定では、「亡くなった人の死亡への請求人の関与の有無、程度、アラームが鳴り続けたのかどうか、人工呼吸器の管をはずしたのか、はずれたのか等、多数の点で目まぐるしく自白内容が変遷している、この変遷状況のみを取り上げてもその中から真の体験に基づく供述を選別するのは困難である」としている。

これはその自白がどういう風に変遷していったかという事を、裁判官は後付けしてるわけで、これは本当に体験した人間による自白の変遷なのか、それとも捜査側から色々な知恵を与えられたり、あるいは捜査の状況と合うように誘導されて作られた変遷なのか、そういう観点で自白の変遷を見ている。結局この変遷状況だけでも信用できないという風に言ってるわけです。

その自白の内容を具体的にみてますよね。再審無罪判決では「この自白内容は合理的理由なく大幅に変遷している上、自白供述は死亡に至る際のこの亡くなった方の表情変化の点で医学的知見と矛盾する不合理な内容でもあるから本件自白供述の信用性には重大な疑義がある」とした。

亡くなった方が人工呼吸器抜かれてだんだん苦しくなるわけですが、美香さんの自白調書では、その時、目が白目をむいて、口をハグハグさせて非常に苦しそうな表情をしました、で、約2分か3分そういう状態が続いて亡くなりましたという風になっている。

だけど医学的に調べたら、患者さんは既には半年間植物状態で大脳が死んでいたので苦しみを感じない。だから苦しそうに口をハグハグして白目をむいたということは医学的にあり得ないのですね。だから、それは彼女の想像であるか、あるいは取調官からこうだったんじゃないかと誘導されたのかもしれない。だけど医学的・客観的な事実からはあり得ない事実だという事で自白は信用できない。だから、自白だけを見るのではなくて、その周辺の証拠も含めて自白が信用できるのかどうかという事を確定再審無罪判決は検討しているわけです。

だから、その自白が信用できるかどうかをどの局面で見るのか、どういう観点で見るのかで、その評価が180度違うわけです。これはもう本当に裁判官の姿勢ひとつです。裁判官に本当に真実に迫ろうという姿勢があるのか、あるいは「検事が言うてる事やから間違いないだろう」というような姿勢で臨むのかによって全然違う、そういう意味でその裁判官の責任は非常に重いと思います。

◆再審法改正運動

もう1つは、裁判官は「無難な結論に収めたい」という、そういう動機がはたらくということです。例えば、どの裁判でも原発運転の差し止めというのは棄却されてるのに、そういう中で運転の差し止めを認めると、「あの裁判官は変わった奴だ」と裁判所の部内で見られるわけです。だから、そういうのは出来るだけ避けたい、無難な結論にしたいということになっていく。

それは自分自身の人事上の問題とか給与だとか人事とかポスト、そういう事から無難な処遇を受けるためには、無難な判決をしたいという、そういう動機が多かれ少なかれあります。

そうするとやっぱり再審が難しいのは、確定審で一審3人、高裁3人、最高裁5人と合計11人の裁判官が有罪だと判断してるわけです。しかもその中には有名な著名裁判官、著名な刑事裁判官が何人も含まれている。その人たちの出した有罪判決が間違いだというのは、(世間一般ではそうじゃなくても)裁判所の部内ではえらい思い切った特異な判決、特異な判断だという風に見られてしまう。そういう風に部内で周りから評価されるのは避けたいという心理がはたらく。

これは裁判官の保身ですけれども、自分たちに課せられてる職責をどう考えるのかという事で当然批判されるべきものですが、人間というのは弱い面があるからどうしてもそういう側面があるという事は否定はできない。

では、冤罪被害者を救うため、あるいは出さない為にはどうすれば良いのかと言うと、やはり再審問題、それから冤罪問題で個別の冤罪事件に対する社会的関心が高まるという事は何よりも絶対必要です。

今、再審法改正運動が非常に高まりをみせています、日弁連も特別対策本部を作って、各政党に働きかけているし、全国の地方自治体で再審法改正の決議がどんどん上がっています。今は再審法改正の絶好の好機ですけれども、これは単に再審法改正できればいい、そのために良い状況だというのだけではなくて、これをきっかけに日本の刑事司法、冤罪がたくさん生み出されているこの日本の刑事司法に対する問題意識、市民の問題意識を高める、市民にそういう市民庶民に問題意識を持ってもらうという事が、非常に大事だと思います。

裁判官にとって、この事件は再審開始をする、あるいは再審で無罪判決をする事こそが無難な結論だという風に思えば、心理的ハードルはいっぺんに下がるわけです。そういう意味ではAさんが無実だというだけじゃなくて、何が問題になっているのか、この問題でこういう風に考えるのが当たり前だろうという社会的認識を広めるのが非常に大事です。

私は袴田事件は完全に無罪になると思ってますけど、あの味噌に漬けられた衣類に(血痕の)赤みが残っていた。でもそんなに長期にわたって味噌漬けされた衣類に赤みが残るはずがないやないかというのは非常にわかりやすい常識的な感覚ですよね。それに基づいて再審開始が確定したわけです。

これに対して、一年以上味噌の中に置いてても赤みは残るんだという風な判断を裁判所がするというのは、それこそ突飛な判断、変な判断だという事になる。むしろそんなに一年以上も味噌に漬けられていたはずがないというのが無難な判断です。だから「そういう判断の方が無難なんだ」という社会的認識として作れば裁判官はハードルなく無罪判決というものを下す事ができる。

だから単にAさんが無実だというだけではなくて、何が問題になっていて、この問題ではこういう風に市民の感覚、庶民の感覚ではこういう風に考えるのが当たり前だろうという、そういう認識を社会に広げる事が非常に大事だという風に思います。それと同時に、やはり日本の刑事司法が抱える諸問題について社会的認識を高めるという事が大事です。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

2023年11月29日、参院選広島2019で当選無効となった河井案里さんを当選させる目的での買収の罪で実刑判決を受け、服役していた夫の克行さんが栃木県内の刑務所から仮釈放されました。


◎[参考動画]河井克行元法務大臣が仮釈放/刑務所内の生活態度を考慮か|河井事件

安倍派・二階派の裏金疑獄事件。そして、筆者の中高大の先輩でもある柿沢未途代議士による江東区長選挙での違法有料広告・買収被疑事件。そして、北陸大震災に羽田飛行機事故。海外でも打ち続くガザ虐殺という情勢の中、すっかり忘れ去られた感はあります。

広島県内においても、むしろ、不祥事と言えば広島県教育長の平川理恵さんの方が実害を県民に今も与え続けています。また、地元選出の岸田総理の迷走でご迷惑をおかけしているのも事実です。

しかしながら、そうはいってもこの河井事件は絶対に風化させてはなりません。筆者自身も案里さんの当選無効に伴う参院選広島再選挙に立候補しました。国・地方問わず、政策論争本位の選挙にすることを訴えました。それにより、総理や首長ら行政へのチェック機能を働かせる。ことにつながると確信しています。

◆安倍晋三さんが真犯人だったのに忖度した検察

2023年になって、克行さんが、買収の資金源を示したとみられるメモの存在が明らかになりました。2019年当時の総理・安倍晋三さんや、幹事長の二階俊博さん、そして「すがっち」こと後の総理となる官房長官の菅義偉さんがお金を出していたのです。要は、安倍さんが個人的に恨んでいた自民党現職を打倒するために、以前から国政に野心があった案里さんを担いだ、ということです。むろん、案里さんには国政への野心があったのも事実で、筆者も、案里さん自身の県議としての地盤の安佐南区以外の会合でよく彼女とかち合いました。

筆者は、河井事件でお金をもらった保守系の議員とも、事件以前からそれなりに懇意にさせていただいています。それが原因で、とくに日本共産党の諸氏からは、いぶかられていることも以前、ご紹介しました。しかし、庶民のための政策を実現しようとすれば、立憲民主党でさえ、いや、立憲民主党広島こそが自民党以上に湯崎知事や松井市長べったりの中で、少しでも知事や市長に批判的な保守系の皆様ともお話をすることは必須です。

そうした保守系の方のお話しでは「安倍が真犯人に決まっとろうが」ということでした。中には、安倍さんが暗殺されたことに言及し「天罰よ」と吐き捨てられる方もおられたのが印象的です。

ともかく、安倍派に強制捜査をするなら、河井事件について安倍晋三さんがご存命のうちにすべきでした。今となっては、故人しかご存じないようなことも多くあり、解明には限界があります。また、安倍さん自身にとっても、結果論ですが、検察の捜査対象にならなかったのは最悪の結果を招きました。もし、河井事件で逮捕でもされていれば、山上徹也被告人に暗殺されることも起きなかったでしょう。

◆強引な捜査に検察うのみ司法、後味悪く

この事件では、検察は、克行さんを有罪にするために、お金をもらった議員に対して「先生は起訴しない」「克行を悪者にする」ともちかけ、買収の認識があったことを認めさせ、それを証拠に案里さん・克行さんを逮捕、起訴しました。

もちろん、自分だけが助かろうとした議員・元議員に対しては政治家としての仁義はどこに、というそしりは免れますまい。ご自身が無罪であると確信するのであれば、検察の誘導に乗らず、その旨主張する。たとえ逮捕されても徹底抗戦する。それが筋というものです。

しかし、だからといって、検察の誘導尋問が正当化されるわけではありません。日弁連は2023年8月に、検察の対応を批判。さらに最高検も取り調べが不適切だったと認定しています。

また、石橋竜史市議らについては、ご本人によるといわゆる誘導尋問はありませんでしたが、供述調書はほとんど検察の作文だったそうです。そして、裁判においては、検察は一方的に石橋議員に被買収の認識があったかのような主張を展開しました。過去、石橋議員が手伝った国会議員の選挙運動でもお金(車上運動員の合法的な報酬1万5千円/日)が発生したことはありませんでした。それにもかかわらず、広島地裁も高裁も検察の主張を一方的に認めてしまいました。

当選祝いと称したお金を強引にねじ込んできた克行さんから受け取ってしまったことは決して褒められることではありませんが、買収として石橋議員まで立件してしまうのはいかがなものか?野球で言えば、捕手が生還した走者に本塁上で「追いタッチ」をしたような感じであり、有罪にはできないのでは?と感じています。しかし、残念ながら、今の日本の司法ではそうではないのです。

別の起訴された元議員も検察に対して「あいつら、自分を法律と思っている」と筆者に吐き捨てられました。

この検察の暴走問題については、例えば、日本共産党の諸氏も、戦前に小林多喜二が権力に惨殺されるなどしているわけですから、きちんと取り組んでいただきたい。ただ、現実には、「非市長与党」「非知事与党」票を分け合うライバルでもある議員が、検察に沈められたが有利という思惑があるのでしょうか。残念です。

筆者自身は保守系の方とお話しする際には「自分は日本共産党の諸君とは違う。保守系の方が不当逮捕された場合でもきちんと人権を守る真の人権派だ。」と申し上げています。

◆地方議員へのお金配り禁止の法的根拠をつくろう

そもそも、こんなややこしい事件を防止するためには、国会議員による地方議員へのお金配りを禁止すべきです。現在では、国会議員が地方議員の政治団体に寄付=政治献金を行うことは禁止されていません。

ただ、地方自治体と国の利害や意見は必ずしも一致しません。例えば核兵器禁止条約などは、広島市は推進、国は反対です。そうした時に国会議員から地方議員がお金をもらうのは、地方議会が国にガツンと物申すことを困難にします。

ともかく、最初から、国会議員による地方議員へのお金配りを法律で禁止すれば、地方議員も断りやすくなります。筆者が広島県知事(または広島市長)になった場合、国会議員による地方議員へのお金配りを禁止する条例案を県議会(または広島市議会)に提出し、議員のご判断を仰ぎます。

◆わかりづらい日本の公職選挙法、見直しを

もうひとつは、別に克行さん、案里さんを擁護するわけではないが、日本の公職選挙法があまりにも複雑怪奇すぎるということです。これは、戦前の治安維持法の残骸が公職選挙法ということと関係があります。

選挙が告示、公示されるまでは政治活動としてできることが、告示・公示されるとできなくなるということが多くあります。例えば戸別訪問は、期間中になると禁止されます。買収を防ぐ、というのがその趣旨ですが、意味が分かりません。それこそ、この規定があっても、克行さんのように「買収をする人はする」のですから。むしろ、こうした規定は、いまとなっては、一般市民を選挙から遠ざけ、既成政党などプロの既得権益を護持しようという狙いがあるのではないでしょうか?

◆お金のかからない選挙制度でガチバトルの政策論争を

参院選広島2019で河井案里さんが立候補した選挙では、それこそ、案里さんのビラで街が洪水のようになることがありました。ずいぶんとお金をかけたことでしょう。それでいいのでしょうか?

そもそも、自民党政権は政治にお金がかかることを言い訳に、政党助成金に加え、企業団体献金を残してきた。

そして、今回のような裏金事件を起こしたのです。裏金を作った議員の中には、「政治にお金がかかる」といいつつ、実は、自分の生活費に使っていた方もおられるのではないでしょうか?

そもそも、お金や組織で左右されてしまうような現行の選挙制度はおかしい。それこそ、諸外国でもされているように各地の公民館やネットを含むテレビなどにおける「ガチバトル」の公開討論会を選挙期間中もガンガン行い、それを見て有権者に決めてもらう。それでいいのではないでしょうか?

実を言うと、大昔は、日本でも、選管主催の合同個人演説会という形で、ガチバトルの公開討論会に近いものは行われていたのです。いつのまにか、それがなくなったのです。現在、日本の供託金は世界的に見ても異常に高くなっています。これは売名目的の候補者を防ぐため、と言われていますが、公開討論会で決めるなら、それこそ、ふざけた立候補者はその時点ではじかれるわけです。

◆政治改革より「野党共闘」優先させた野党

参院選広島再選挙の際、例えば、この合同個人演説会を復活させ、ガチバトルの論争本位の選挙にできれば、お金中心の政治・選挙からの脱却につなげられたのに、それができなかったのは残念です。それこそ、市民がそういうことを選管に要求すれば可能ではなかったか。

しかるに、既存野党も政治改革ではなく、選挙に勝つことのみを目的としてしまった。志が低いと申し上げざるを得ない。例えば、日本共産党の諸氏も、結局は野党共闘さえすればいい、論に傾き、政治・選挙の中身そのものはおろそかになっていたのではないでしょうか?立憲民主党広島に至っては、「具体的な政策が分かる人ではない」と党幹部も認めた人物を候補者に担いだのですから、何をかいわんや、です。

◆検察と司法の癒着打破、保守系の皆様も一致して取り組めれば

河井事件では、広島の多くの保守系の政治家が検察に起訴されました。検察の強引の捜査の被害に遭った議員。そしてその支持者の皆様。日本の検察、そして裁判所というのがいかにひどいかお分かりになったと思います。

これを機会に、検察と司法の癒着した今の状況を打破する動きに、広島の保守系の皆様もご協力いただければ、幸甚の至りです。
 
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▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

不思議でたまらないことがある。

今から29年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災がおこった。私は大阪の黒門市場当たりにいて、時間があったので、3日目から被災地に入った。南港から船が出てたが、問い合わせたら満席だったので、電車で甲子園口まで行き、あとは凸凹道を皆さんと歩いた。

トボトボ数時間歩いて、当時テレビで良くでていた中学校へ。被災した住民の中でリーダーシップ取れる人が頭になって回ってたような避難所。

自衛隊が簡易風呂場を作ってくれ、被災した方々が3日ぶりに風呂に浸かって喜んでいた。ボランティア組織とかまだきちんとしてなくて、一人で行った私は、「あっ、食事がきたね。配るの手伝おうか」みたいに勝手に動いてた。

リーダーの方に「ボランティアの方、寝るのは○○の教室使って。本部に毛布取りにきて」といわれ、毛布と段ボール貰って指定の教室にはいり、被災した老夫婦の隣で寝た。翌日起きたら、近くに棺桶が置いてあった。

翌日は送られてきた支援物資の衣類の仕分け、今でこそ洗濯済のもの、とくに下着は新品を、が普通だが、当時は信じられない位何でも送られてきた。花嫁衣装やドレス、着古された制服、どこで着るねんという派手なスーツ……。

一番困ったのはトイレ。学校内のトイレが使えなかったのか、グランドにテント張って、中に長い溝が掘ってあり、衝立もなく、並んでそこでやった。私は流石にしにくいし、どっちみち数日で一旦戻り、また行くを繰り返してたから、余り食事を摂らないようにしていた。

あれから29年経ったし、その間、何度も地震を経験している。あの年がボランティア元年と言われたように、そのあとボランティアも組織的に行われるようになった。先に書いたように、支援物資のやり方など大幅に改善された面もある。

ただ、今回の能登地震の報道を見ると、29年前と同じではないかと思える光景や、被災者の声がある。冷たい木の床に段ボールやら布団を敷いている光景、「水が出ないんです」とトイレが流せないと訴える被災者、挙げ句「食べ物がありません」という声……。日本の政府はこの間何やってたねん?

「道路が寸断され、被災地に入れません」って言うけど、おらが故郷新潟県中越沖地震では、孤立した山古志村には、ヘリが物資を運び、空中から村に落としたやんか?

なぜ、前の震災から学ばないの? 全てとは言わないが、今回は特にそう感じる。

極寒の中、建物の下敷きや生き埋めになった家族に救出の手が届かず、おとんが「頑張れよ」と握っていた、家族の手が次々と冷たくなっていったんだと。どんな地獄だよ。

とりとめのないことをツラツラ書いてみたが、大勢の被災者が地獄見ている一方で、原発再確認について聞かれたにも関わらず、応えられず、ただニヤつく岸田や、こんな時に「万博の成功を!」とかいうてる吉村や松本人志や……。気色悪すぎる。涙しかない。簡易トイレや自家発電設備、そんなに高額か? 

これだけ地震が起こる日本の各自治体で、なぜ準備が出来ないのか?

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

◆導かれた野口ジム

ブルース京田(本名=京田裕之/1960年6月30日、富山県富山市出身)は、プロボクシング日本スーパーフェザー級4位まで上昇。チャンピオンには届かなかったが、勝った試合はすべてノックアウトで、逆転も多いアグレッシブな展開で人気を得た。

 

現役時代のプログラムに載ったブルース京田のクローズアップ

リングネームはブルース・リーが好きだったことの影響が大きいが、観客から「お前、アレクシス・アルゲリョに似てるな!」と言われたことから「アレクシス京田」も考えたという。

「とにかく目立つ名前にしたかった。ブルースでいいかな!」と思い付いたネーミングだった(4回戦時代は本名)。

昭和の殺伐とした時代で口数少ない選手が多い中、ユニークな感性を持っていたブルース京田。小学校3年生の頃からプロレスを観てアントニオ猪木のファンになり、その頃のプロボクシングでは西城正三、大場政夫、ガッツ石松、輪島功一らの世界戦に感動したことや、キックボクシングでは富山県で沢村忠の試合も観戦し、控室まで忍び込んでも、快くサインをしてくれた感動から、将来はいずれかの競技を目指していた。

しかし、「プロレスはヘビー級中心だし、目指すなら小さい身体でも出来る階級制があって世界的に競技人口多いプロボクシングの世界チャンピオン」と決めた。

高校時代、富山ではボクシングジムは存在したが、野口ジムの元・プロボクサーだった地元の先輩に野口ジムを勧められていた為、高校卒業後、上京してジム入門する計画だった。その為、一年生から続けていた陸上競技で基礎体力を付け、1979年(昭和54年)3月、卒業するとすぐに上京、野口ジムに入門。

高校時代は具志堅用高が一世を風靡していた時代。その協栄ジムに行きたかったが、先輩に対し、そんな我儘は言えなかった。入門後、練習中の肩の大怪我で長期療養し、プロテストは少々遅れることとなったが、1982年(昭和57年)春、C級を難なく取得。スパーリング審査では右クロスカウンター一発、相手を1分ほどで倒してしまった。観ていた輪島功一氏には「お前凄いなあ!」と褒められたことが嬉しく、強烈に記憶に残っているという。

◆勝利への魔力

デビュー戦は同年7月6日、平野直昭(本多)に第1ラウンドにフラッシュ気味ながらノックダウン喫し、第3ラウンドで逆転ノックアウト勝利。スリルある展開はデビュー戦から見せていた。

東日本新人王スーパーバンタム級予選トーナメントは1983年9月2日、島袋朝実(帝拳)に3ラウンドノックアウトで敗れ予選落ち。当時、野口ジムでは萩野谷さんというトレーナーが居たが、重病を患い入院してしまい、萩野谷氏が不在となると練習生は誰も来なくなってしまった。

その後、退院した萩野谷氏が三鷹市にある楠ジムを任される立場になって移籍した為、ブルース京田も楠ジムに移籍することになった(後の楠三好ジム)。

新人王スーパーバンタム級トーナメント予選は島袋朝実に敗退(1983.9.2)

島袋朝実にKO負けの直後(1983.9.2)

移籍第1戦目は1984年8月2日、2度目の挑戦となった東日本新人王スーパーバンタム級トーナメント予選は、ランボー平良(京浜川崎)に第2ラウンドと第3ラウンドにノックダウン奪われた絶体絶命のピンチのインターバル中に野口ジム時代の先輩、龍反町さんがやって来て、「京田~!お前ふざけんじゃねえぞ、コラー!」とドスの利いたでっかい声で恫喝されたのが効いたか、第4ラウンドに逆転ノックアウト勝利。

楠ジムへ移籍第一戦目はランボー平良にKO勝ち(1984.8.2)

これで準決勝に進んで黒沢道生(鹿島灘)に敗れたが、ここまで7戦5勝(5KO)2敗。次戦は初6回戦だったが、スーパーバンタム級では減量がキツく、二階級上げてスーパーフェザー級でのB級6回戦スタートとなった。二階級上げるのはなかなか居ないが、フェザー級でもフラフラで、それだけキツかったという。

同年9月24日、初の8回戦でウルフ佐藤(日立/後のチャンピオン)と引分け。それまで4ラウンドを越えたことは無かったが、全然噛み合わない凡戦ながら初めて8ラウンド終了まで戦う貴重な経験をした。

同年12月5日、強打者・飯泉健二(草加有沢)に打ち合いで敗れた後、1986年7月14日は、これも強打者で、勝つも負けるもノックアウト決着の砲丸野口(川田)だった。この試合が決まる前、高校時代の友人だったテレビディレクターが企画した「今風ボクサーは目立ち屋さん」というテーマで、TBSのテレポート6での特集が組まれたが、いざ試合となった第1ラウンドに、二度ノックダウン奪われ、「テレビ企画どうなるんだろう?」とそちらに不安が向いてしまう試合だったという。

やがて砲丸野口が失速、第5ラウンドに逆転ノックダウン奪い、第6ラウンドに連打でノックアウト勝利して後日、友人プロデューサーから「番組の評判良くて電話が何本も入ってたよ!」と喜ばれたというこの勝利でランキング入りとなった。

更に1986年12月9日、前年度西日本ライト級新人王の久保田陽介(尼崎)も第6ラウンドで倒したが、1987年3月23日、元・日本スーパーフェザー級チャンピオンの安里佳満(ジャパンスポーツ)に第3ラウンド、ノーカウントのレフェリーストップ負け。安里は元・協栄ジムで名が売れた選手。メッチャ強く上手かったという。

安里佳満にノーカウントのレフェリーストップ負け(1987.3.23)

 

最後の勝利となった佐久間孝夫戦(1987.8.25)

◆ノックアウト必至の陰り

1987年、ランキング4位まで上がるも、同年10月22日、後に日本スーパーフェザー級チャンピオンとなる赤城武幸(新日本木村)に第5ラウンドのノックアウト負け。

ここから引退まで6連敗を喫してしまう。強打者とのハードな試合が続いたのは、マッチメイカーが持って来る依頼を断ったりすると試合が組まれなくなるから、三好渥好会長が全て受けてしまっていたようだ。

もう自分が描く動きが出来なくなっていた中のラストファイトは、1989年(平成元年)10月16日、高橋剛(協栄)に第1ラウンドのノックアウト負け。これで正式に引退を決意した。生涯戦績:20戦9勝(9KO)10敗1分。

「チャンピオンに届かなかったら1位も10位も全部負け組!」と語っていたブルース京田。引退後も汗を流すことが信条で、そんな青春の忘れ物を取り戻すかのように練習を続け、楠三好ジムと古巣の野口ジムには頻繁に足を運んでいた。

◆トレーナーとして開花

ブルース京田はデビュー前からキックボクサーと交流は深かった。その縁は、まだデビュー前の1981年7月当時、権之助坂にあったキックボクシングの目黒ジムが立ち退きになる危機があった。そこから路地を下った目黒雅叙園側にある野口ジムと合併になり、キックボクサーとの合同練習の毎日となった。当時は現役バリバリの伊原信一氏にはアドバイスを受けたり、食事に連れて行って貰ったりとお世話になったという。キックボクシングを勧められたのも言うまでもない。

引退間近、我孫子稔戦(1989.5.8)

野口ジムの他の練習生らはキックボクシングに興味は無かった様子だが、ブルース京田は元からプロレスファンだったり、小学生の頃、沢村忠さんに優しく接して貰った感動からキックボクシングに理解も深かった。後にはチャンピオンと成る鴇稔之や飛鳥信也らとは頻繁に食事に行ったり、キックボクシングの技を教わって練習したりと、彼らとの交流は長く続いていた。

そんな引退後の日々、目黒ジム野口和子代表から「力ちゃん(小野寺)を視てやって!」と指示を受け、パンチの指導が始まったことは新たな展開となった。他の選手も視ているうちトレーナーとして存在感が強まると、自分の練習時間は無くなり、指導一本の時間が増えていった。

選手らは皆礼儀正しく練習熱心だが、当時の新人の北沢勝は自ら「御指導お願いします!」と名乗り出て来て、教えたことをしっかり復唱して繰り返し、また疑問を問いかけて来る。この熱心さには、チャンピオンを獲らせてやりたくなる存在だったというブルース京田。実際に北沢勝が2002年1月に日本ウェルター級チャンピオンと成った時は自分のことのように嬉しかったという。

そうして選手を育てる達成感も積み重なってくると、声が掛かるのは目黒ジムだけではない、他のジムからも引っ張りダコ。トレーナーとして忙しくなる日々へ、ブルース京田の第二の人生は大きく移り変わっていくのであった。

トレーナーとして小野寺力を指導、目黒ジムで多くのキックボクサーを指導した(1995.12.2)

※写真はブルース京田氏提供

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年2月号

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆戦前と人的な切断ができてない ── 青法協問題と日本会議

もうひとつは、戦前と人的な切断ができてないという事です、戦前の「おいコラ警察」。天皇の下、人々を弾圧していた警察官がそのまま戦後も警察の幹部になっていった。特高警察の一部は公職追放されましたけど、しばらくしたらまた戻ってきたので人的に切れてない。

そして裁判所は一切、戦争責任を取らなかった。だから戦前その天皇の名の下に裁判をして、治安維持法に基づいて人々を処罰していた裁判官がそのまま戦後も裁判官になって、中で要職に就いていく。するとそういう権力的な裁判官の発想というものが次の世代にも引き継がれていくと事が現にありました。

1970年頃、司法反動という大問題があって、ご存じの方もおられるかもしれませんが、当時その新憲法下に基づいて憲法に基づく裁判をしようという事で、がんばっていた青年法律家協会(青法協)の中に裁判官部会というのがあって約300人の裁判官がいました(協会自体は学者とか弁護士も含んでいるのですけれど)。ここに「脱会しろ」という裁判所からの圧力がかかり、民主的な裁判官が再任拒否という事で首を切られたりして大問題になりました。

これを推進したのが、石田和外(いしだ・かずと)という最高裁長官。この人は戦前からの裁判官で司法省の人事課長までやった人ですが、この人が最高裁裁判官を辞めた後に何をしたかというと、元号法制化(実現)国民会議初代議長でした。この元号法制化国民会議が、そのまま名前を変えたのが今の日本会議です(1997年に「日本を守る会」と合同し「日本会議」となった)。完全に右翼団体なんですね。ここの初代議長をしたのがその石田和外元最高裁長官なのです。こういう人が戦後の裁判所でずっと実権を握ってきて民主的な裁判官をずっと排除し、弾圧してきたという事が、今の裁判官の世界にも大きな影響を与えているという歴史的な背景があるという事も知っていただければと思います。

◆なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか

では、こういう冤罪を出してしまう裁判官の責任ですけれども、もう少し分析的に考えると、なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか? 検事の言い分をそのまま採用してしまうのか? 

ひとつは、裁判官は両方の当事者から全く等距離で公平でなければいけないのですけれども、心理的にはどうしても検察官と近くなるという事があります。ひとつの刑事部のひとつの係の立ち合い検事は固定されているので、どの事件も同じ検事がします。だから裁判官と検事はまったく同じ人間がその係の事件を全部やる。

一方で、弁護人は事件ごとに違います。そういう意味で、検事と弁護人では、裁判官との接触の時間がまったく違う。弁護人はそうそう簡単に裁判官室に行けませんよね、裁判官室に行こうと思ったら、「裁判官と面会したい」と書記官に声をかけてから、裁判官室に迎え入れられる事もあるし、裁判官が書記官室まで出てくる事もあります。

一方、検事は多くの場合、平気で裁判官室の中へ入っていきます。毎日一緒に仕事をしているから、書記官とも顔見知りです。それだけ物理的時間的にも多くの時間を共有している。

それからやはり裁判官と検事は役割は違うけれども、協力して治安維持を担っているという意識が、刑事裁判官の中にだんだん作られてくる。裁判をすると、否認して「私はやってません」という事件は一定の割合でありますし、その多くの事件は、本当はやってるけれどもやってないという人もいる。否認事件の中でも、そういう事件が多い。

しかし、中には本当にやってない人がいるわけです。だから否認事件の中で本当にやってない事件を見極めなくてはいけないのです。けれども、多くは否認していても有罪で決着するので、裁判官は「検事が起訴した事件はまず間違いないだろう」という意識を持ってしまう。刑事裁判官の経験が長ければ長いほど、そういう意識を持ってしまう。そうすると否認している被告人がいた時に、「こいつ、本当はやってんのにやってないと言うてるだけじゃないか」と、最初から色眼鏡で見てしまうという傾向になります。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 
 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

広島県の湯崎英彦知事は県立広島病院(県病院)やJR広島病院、中電病院、市立舟入病院の小児救急などを統廃合し、広島駅新幹線口近くに1000床規模の巨大病院を設置する計画を進めています。

2023年9月定例議会では、JR西日本から土地を買い取る(債務負担行為)案を提出し、一部保守系会派や共産党が反対したものの、可決されてしまいました。

しかし、本当にこの計画は大丈夫なのか?様々な角度から県民の不安や疑問は解消するばかりか高まる一方です。2025年度には湯崎英彦知事が県病院を独立行政法人化してしまおうともくろんでいます。こうした中で、2024年は知事の暴走を止めるための正念場になります。

こうした中、「県病院問題を考える会」第二回学習会が2023年12月16日、広島市東区民文化センターで開催されました。第一回は、県病院がある南区での開催、今回は移転先となる東区での開催となりました。

◆災害危険度、広島駅も現在地もさほど変わらず

まず、今回は目玉として、地質学者の早坂康隆先生(広島大学大学院)の講演「瀬戸内・広島の自然災害と安全問題 日本列島の成り立ちから~」が行われました。

早坂先生は、伊方原発広島裁判でも原告側証人としてご活躍いただいております。

 

以下はお話しの概要です。

日本列島は、プレートの運動により、大陸から別れたが、比較的若い岩石が多い。その中で、広島の地質は白亜紀の花崗岩が多い。ただし、広島土砂災害2014で崩れたのはジュラ紀付加体というものだった。そもそも、降水量が限度を超えると斜面があれば地質と無関係にどこでも崩れる。

また、地震はM7.3クラスならどこでも起きえるというのが最新の研究である。

火山災害については、鹿児島の姶良カルデラの大噴火で広島でもかつて45cmくらいは火山灰が積もったことがある。そして、2mmも火山灰が積もれば停電する。

津波については、山口県の周防大島では16mという津波が近世の記録に残っている。ただ、周防大島などの島々にブロックされて、津波は広島ではさほどではなく、1854年の安政南海地震でも鞆の浦で1mという記録がある程度だ。

以上の内容から、広島県病院がある現在地も、県が「より災害危険度が少ない」と主張する移転先の東区新幹線口周辺も、災害危険度としてはそう変わらないことが理解できました。

◆独法化に疑問を呈する住民に当局は「有識者の検討会が進めた」の一点張り

その後、参加者と広島県健康福祉局政策監の石村康宏様と課長の渡部滋様という県庁の幹部職員お二人との意見交換会が行われました。

住民の間では「独立行政法人化で県が県民の健康をまもる責任を放棄するのではないか」という懸念が高まっています。これに対して、県側は「有識者の検討会で、県直営(公営企業法全部適用)、独立行政法人、指定管理者制度のうち、独立行政法人が優れているという結果になった」から、の一点張りでした。

しかし、広島県とほぼおなじ面積で、地理条件も似ている兵庫県では、阪神淡路大震災の教訓から、行政が命令できる直営病院を8か所つくっています。また、広島市では先に市民病院を独法化してしまいました。そのために、コロナ禍では、コロナ専用病床を迅速に確保できずに苦労したそうです。

中長期の計画については、確かに独立行政法人でも県知事や議会が関与することはできますが、危機管理という意味では直営が優れているから、兵庫県はそうしているのです。

◆島しょ部住民切り捨て、移転先の渋滞……疑問続出で時間切れ

「中区(中電病院の地元)や南区(県病院の地元)の急性期医療を切り捨てようとしているのではないか?」という懸念に対して県側は「区によっては病院がなくなるところはあるが、県全体で医療体制を維持していきたい」との回答でした。

これに対して、子どもが島しょ部に在住の市民からは「島しょ部の人にとっては、船で広島港から県病院に行くのが便利。島しょ部の出産を控えた女性にとって、県病院が今の位置に無くなるのは困る」と反論がありました。

また、新巨大病院が計画されている東区の広島駅新幹線口から筆者の自宅周辺は慢性的に渋滞が深刻です。これに対して県側は「現時点では新幹線口西側の交差点は渋滞が発生しやすいが、他の交差点は大丈夫」と回答しました。

しかし、広島駅には、今後も巨大な駅ビルが建設中です。これが完成すれば広島駅周辺の渋滞が悪化する恐れがあります。

孫が舟入市民病院にかかっているという佐伯区内在住の女性は、「舟入病院の小児救急も新病院に行く予定だ。その場合、救急車が渋滞で病院に入れなかったらどうする?救急車の通行と渋滞のシミュレーションを早くすべき。それをしないで計画を進めるべきではない」という怒りの声を上げました。

また、この女性は「そもそも、県知事は高度医療をこの新巨大病院でやるというが、それは国の仕事ではないのか?知事は県立安芸津病院の耐震化を先送りすると議会で答弁しているが、この耐震化こそ先にやるべきではないか?」とたたみかけました。

県当局は「この病院のもう一つの狙いは東京などに遍在する若手医師を広島県内に引き寄せることだ。」と答弁しましたが、「医師の偏在の解消も国の仕事ではないのか?」とこの女性は食い下がりました。

そうこうするうちに、制限時間いっぱいになってしまいました。

◆疑問点山積のまま事業強行は許されぬ

この他にも、広島駅近くに住む50代の男性は「巨大な駅ビルができれば、新病院へのドクターヘリの着陸が困難になるが大丈夫か?」ということを質問したかった、と言っておられました。

筆者も「また、本当に足りないのは、地域医療のしんどいところを担う医師。豪華な機械があるところに引き寄せられるような若手医師の人物像と、しんどいところを担う医師の人物像はたぶん重ならないだろう。地域医療のしんどいところを担う医師など医療従事者、介護従事者の労働環境、安全対策をしないと難しいのではないか?」「そもそも、医師でなくても、広島からどんどん若者は出て行く。そこを何とかしないと難しいのではないか?」ということをお伺いしたかったのですが、残念ながら時間切れとなってしまいました。

これだけの疑問が噴出し、県議会でも最終的には議案に賛成してしまう議員の中からも疑問が噴出する中でこの新病院計画を暴走するのはもってのほかではないでしょうか? そのことを痛感しました。

幸い、広島県当局の幹部職員の方は、次回は平日に意見交換にお越しいただけるそうです。ぜひ、しっかり、県民の意見を聴いて、それこそ、計画を場合によってはゼロベースで戻すことも検討いただくよう、知事に進言いただきたい。

そして、広島県民の皆様には、
〈2024年こそ、暴走する湯崎知事から、広島を取り戻そう。〉
〈広島県民の命、健康を守るため、ひとりひとりが知事になめられない県民になろう。〉

こうした、「ヒロシマ庶民革命」を改めて呼びかけさせていただく次第です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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