今年最初の「キックボクシング 2023年の回顧と2024年の展望」の中で述べました、新団体の全日本キックボクシング協会設立と活動に向けての記者会見が1月20日に後楽園ホールで行われ、概要が発表されました。

[左]原点回帰、初陣興行ポスター [右]全日本キックボクシング協会の役員と加盟ジム一覧

栗芝貴代表は、

「私達はこの度、昨年8月1日、全日本キックボクシング協会を設立致しました。この協会名は皆さんの御存知のとおり、日本のキックボクシング最初期に作られた名称です。
 これは私達がもう一度、この素晴らしい格闘技を見つめ直すという気持ちを込めて、この団体名となりました。キックボクシングがプロスポーツ競技として益々発展し、子供達に夢や希望を与える目標に掲げて設立に至りました。現在の立ち技格闘技は多様化された幾つかのルールへと移行しております。私達が目指す本格キックボクシングは、ムエタイを始め、世界各国の強豪選手にも対等に戦える技術や精神を身に付けて、会場に来られた皆様には感動や勇気を感じて頂けるように選手を育てていくことが重要であると考えます。」

という設立の趣旨を語りました。

全日本キックボクシング協会代表となった栗芝貴代表

団体名については、「いろいろ調べましたが、以前(平成期)の全日本キックボクシング連盟と昭和期の石原慎太郎氏がコミッショナーを務めた旧・全日本キックボクシング協会の繋がりは無く、その後存続していない模様。どなたも関わっていないので問題無いと思います」と説明。

協会副代表に就任したかつての名チャンピオン、小野瀬邦英氏は「この6年程、キックボクシング界から離れていたのですが、またこの機会を昨年、栗芝会長からお話を頂いて、日の当たるところへ出して頂き、そしてまた皆さんとお会い出来ることを嬉しく思います。今後とも頑張りますので宜しくお願い致します」と語り、過去の垣根を越えた新たな顔合わせの栗芝代表との連携に注目が集まります。

かつて日本キックボクシング連盟でエース格を務めた小野瀬邦英氏が副代表を務める

◆原点回帰

栗芝代表は、

「我々がやりたいのは、やはり本格キックボクシングです。他の団体との違いは、試合によってヒジ打ち無しとか、ヒザ蹴り無しというルールは無いことです。ヒジ打ち有り、ヒザ蹴り有りという中で、時間の都合(興行内)もあるんですが、3回戦と5回戦という元来のラウンド制で、58年前にスタートしたキックボクシングという競技の姿へ、もう一度その原点に立ち返って作り上げる。世間やテレビ側に合わせるだけのイベントではなくて、プロ競技として確立したい。私達の認識はプロスポーツ競技として、常に選手が上を目指す道筋を作っていかなければならない。デビュー戦からチャンピオン目指す志を皆で共有して、原点に返って頑張ろうという気持ちで原点回帰になりました。そして我々が経験してきた様々な経験の中で、どうしたらお客さんが後楽園ホールに集まって頂けるかチャレンジしていきたいです。」

と語った。

全部で19軒の加盟ジムが発表された中、大半は新鋭のジムで、平成初期までに選手として活躍後、ジムを立ち上げ実績積み上げた会長は幾人かいますが、仲ファイティングジムとして加盟している仲俊光会長は唯一、昭和の全日本キックボクシング協会で王座挑戦まで経験した大御所でしょう。

かつての新団体立ち上げは、チャンピオンを抱えていたジムが新加盟し、初回興行から豪華カードやタイトルマッチが備わっていたものでしたが、この全日本キックボクシング協会は“1からのスタート”と言えるほど新人から育てるスタートである。正に原点からスタートする初陣興行は、3月16日土曜日に、新人戦中心ではあるが、全13試合がマッチメイクされています。今後の興行で6月、9月、12月に勝ち上がっていく選手からランキング入りし、全ての階級でチャンピオン揃うのはまだ先の話となる模様。

新日本キックボクシング協会で2022年10月23日に日本フェザー級王座挑戦まで経験した瀬川琉(稲城)はメインイベンタークラスだが、内臓損傷の為、リハビリトレーニング中で復帰時期を調整中。6月の第2回目興行か、それ以降に復帰予定という。この瀬川琉と王座を争う有力候補にあるのが同じく新日本キックでフェザー級で戦った仁琉丸(ウルブズスクワッド)だが、これが今度の全日本キックボクシング協会最初のタイトルマッチ(王座決定戦)となる可能性は高い模様。

エース格としてチャンピオン目指し、他団体にも喧嘩売る勢いでアピールした瀬川琉

◆確立したプロスポーツへ

近年はどこの団体も集客力が落ちていく中、イベント系格闘技は集客力があるが、栗芝代表らが育ってきた新日本キックボクシング協会や日本キックボクシング連盟といった団体が培ってきた日本タイトル戦。こういった道筋を築いていかなければ、何らかのショー的要素ばかりで将来、キックボクシングは無くなってしまうんじゃないかという強い想いがあったという。

「私は今から36年ぐらい前になりますけど、日本プロスポーツ大賞新人賞を頂きまして、他のプロスポーツ競技選手と同様に表彰されるような舞台に立たせて頂いたのですが、このような表舞台へまた選手を送り出せるよう、このキックボクシングをもう一回原点に立ち戻って、プロスポーツ競技として確立していくことが一番の志です。」

と栗芝代表は語る。

瀬川琉と稲城ジム栗芝貴会長、愛弟子が勝つと喜びのあまりツーショットに収まること多かった

◆任期は3年?

栗芝氏は過去39年間、伊原ジムで伊原信一会長のもとで裏方として支えて来られましたが、今回の設立後も「小野瀬くん代表やって!俺裏方やるから。」と言ったところが、小野瀬氏から「それダメです!」と突っ撥ねられて、「ならば俺、3年で全国に全日本キックボクシング協会の名前轟かせる。3年でスター選手作る。その暁には代表は小野瀬くんに代わるという計画です。組織が発展する為には、ルール、人事、常に刷新していかねばならないと思っています。一応3年で代表を代わっていく為には、後楽園ホール満員にして、この3年で作り上げていくのが僕の責任と思っています。」という“常に刷新”という発言には組織の在り方として進化が期待出来る部分です。

栗芝貴氏が過去、新人賞を受賞した日本プロスポーツ協会表彰式での、プロ野球や大相撲、プロボクシングの各競技者と並ぶ舞台に立ったことは何よりも誇らしい経験だったでしょう。しかしキックボクシング競技の確立性が伴わなかった過去、キックボクサーはステージの上でも周囲の注目が集まり難い存在でした。

確立したプロスポーツを目指すことは50年前からしっかりやるべきだった基礎固め。原点回帰して、本来有るべきキックボクシングの確立を、今から目指すことは素晴らしいことながら、これから3年でどこまで進化させられるか。まず3月16日の初陣興行に注目が集まります。今後、キックボクシング界に新風を巻き起こせれば、全日本キックボクシング協会設立の意義は、より活きてくるでしょう。

記者会見に出席した役員と各ジム会長が揃った

◎全日本キックボクシング協会 http://www.ajkba.com/

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

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