ごく普通の日常生活を送っていた人が、ある日とつぜん殺人罪で逮捕されることがある。彼と彼の家族の人生は大きく狂わされてしまう。

8月28日 大阪地裁は、羽曳野路上殺人事件で逮捕・起訴された山本孝さんに懲役20年を求刑して結審した。6月に裁判員裁判がはじまった際、弁護団長の伊賀興一弁護士は、審理が長期に及ぶこと、証人が非常に多いことなど前代未聞の裁判だと述べていた。私は結局一回しか傍聴できなかったが、最終弁論要旨を読むと、これで山本さんに有罪判決が出せるのか? と驚くばかりだ。

被害者は山本さんの隣に住む女性と愛人関係にある男性Aさんだった。隣人女性と山本さんは垣根の塀の上に置いた植木鉢を巡り、ちょっとしたトラブルをおこしていた。しかし、その際、Aさんが間に入り上手く収めてくれたため、山本さんは当初Aさんに悪い印象は抱いてなかった。

一方の女性も、その件が大きなトラブルとは考えていなかったようだ。事件後警察の事情聴取で、Aさんが抱えていたであろうトラブルについていくつか話していたが山本さんとの件は話していなかった。しかし警察に「ちょっとしたことでもいいから、他にないですか?」と聞かれたため、女性は山本さんとの件を話した。そして警察は山本さんを犯人と見立てていくが、山本さんを犯人と決めつけるあまり、ほかの者が犯人である可能性について捜査してこなかった。

しかし、捜査しても山本さんを犯人とする決定的な証拠はでてこない。それから3年……、新たに捜査主任になった森本氏のもと、山本さん以外に犯人となる者がいないか、いわゆる「つぶしの捜査」を行うこととなった。対象者が誰かは不明だが、事件から3年が経過していることもあり、対象者が協力的ではなく、警察は思うように事情聴取できなかったという。そして、事件から4年後、山本さんを犯人とする直接証拠がないまま、山本さんを逮捕した。

裁判では、Aさんが抱える様々なトラブルが明らかにされた。詳細は省くが、それは山本さんと女性が抱えていた「ちょっとしたトラブル」をはるかに超える深刻なトラブルだった。しかし、捜査側はそれらのトラブルについて、きちんと捜査せずに山本さんを起訴してしまったため、裁判では山本さんをむりやり犯人とするため多くの証人を作り法廷に出廷させてきた、ということだ。

証言者の中には、アバターの専門家までいる。「アバター? 映画『アバター』は面白かったけどな……」と思いながら最終弁論を読む進めるが、そもそもアバター云々はDNA型鑑定やルミノール反応などと違って、科学的捜査方法としての地位は確立されていない。それでもアバターの専門家に必死で証言させる検察……。

犯行現場近くの車のドライブレコーダーに残った映像からは、Aさんが背後から刃物で心臓を一突きされ殺害されていることがわかっている(検察は映像に映っている犯人の背恰好が山本さんと似ているとしている)。最終弁論によれば、「殺害方法は、Aさんと正面からすれ違って、本人確認したのち、隠し持っていた刃物を片手でスムーズに取り出し、被害者の背後から刃物を横向きに肋骨と平行になるようにして肋骨と肋骨の間から心臓を狙って約12センチの深さに達するほどの相当の力で心臓を一突きだけで殺害するというものであった」。

このとき、心臓を狙うけれども返り血がかからないような部位を素早く引き抜いて出血を抑えた刺し方をするなどの高度の医学的知識を、「スーパー勤務」の山本さんにはないだろう。さらに、そのような職業軍人なみの犯行を短時間で実行したのち、何食わぬ顔で家に戻り、出る前同様娘と居間でテレビを見て、いつも通り酒を飲んでいることなどできるだろうか。

ただ、残念なことだが、山本さんには犯人と疑われてしまう理由があった。それは警察の取り調べを受けた際、ちょっとした「うそ」をついてしまったことだ。事件の直前、自宅で娘とテレビを見ながら酒を飲んでいた山本さんは、Aさんの車が駐車場に着いた音を聞き、家から表に出た。駐車場から愛人宅に向かうAさんを監視するためだ。

というのも、Aさんも駐車場から愛人宅へ行く際、山本さんの家近くでタバコの吸い殻をポイ捨てすることなどがあり、そうさせないよう監視していたのだ。しかし、5分経ってもAさんが車から降りてこないために、山本さんは家に戻った。そして奥さんに「どうしたの?」と聞かれた山本さんは、散歩に行ってきたと「嘘」をついてしまった。これにも訳がある。山本さんの奥さんが、山本さんが隣人女性やAさんのふるまいをいちいち気にすることを嫌がっていたのだ。なので、山本さんは散歩と「うそ」をついてしまったのだった。

私は裁判を傍聴したのち、「日本の冤罪」を山本さんに送った。手紙を添えて……。返事はしばらくこなかった。拘置所に面会に通う青木恵子さんから、山本さんは手紙を書くのが苦手と言っていたと聞いた。(そうか、仕方ないか)と思っていたが、裁判が結審した数日後、返事が届いた。

裁判が終わりほっとしたのと、判決がどうなるか不安だという内容だった。そして……可愛い娘が2人います。名前は〇と〇です。早く会いたいですとも綴られていた。普通のお父さんの言葉だった。繰り返すが、そんな人が、職業軍人の訓練を受けたような殺害方法で人を殺せるだろうか?

ほかにも私が『日本の冤罪』で執筆しただけでも、「布川事件」「神戸質店殺人事件」「滋賀県バラバラ殺人事件」「東住吉事件」「湖東記念病院事件」「千葉県東金女児殺人事件」、そして本日9月14日(土)の講演会で徳田弁護士にお話ししていただく「飯塚事件」も……。多くの人たちが警察、検察、裁判所によって大きく人生を狂わされた。

◎[関連記事]徳田靖之さん 弁護士/辺境の声なき声 酌み続け(川名壮志)(2024年1月配信日本記者クラブHP)https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35295

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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