今年も9月1日がやってきた。私にとってこの日は防災の日としてというより、関東大震災で6千人もの人々が朝鮮人であることを理由に虐殺された日として脳裏に刻まれている。このとき約700人の中国人と日本人では大杉夫妻と甥の3名と10名の社会主義者、労働運動活動家も殺されている。私がこの事件を知ったのは高校1年生の時だった。民青同盟に加盟した私はまずその初代委員長がこのときに虐殺されたことを知り驚いた。

関東大震災の朝鮮人虐殺からすでに101年になる。事件当時、朝鮮人かどうかを判断したのは「十五円五十銭」を発音させることだったという。当時大学生だった詩人壷井繁治は、そのことを記している。壷井が友人の安否を尋ねてゆく途中で軍人などに「十五円五十銭いってみろ!」と糾された、その殺伐した光景について、後に詩「十五円五十銭」に発表している。

その男が、「朝鮮人だったら/『チュウコエンコチッセン』と発音したならば/彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう/国を奪われ/言葉を奪われ/最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ/僕はその数をかぞえることはできぬ」

しかし、今だ事件の全容が明らかにされていない。犠牲者の氏名、どこで誰が殺害したのか事件を起こした経緯などなど。殺害された多くの人々の霊魂が彷徨っている。

被害者の家族がその事実を知っていれば、従軍慰安婦や徴用工のように損害賠償を求めて訴えることができよう。しかし、いつどのように誰が殺されたのか分からないために、そうした訴訟も起こせないでいる。

23年松野官房長官は記者会見で「政府として調査したかぎり、事実関係を把握できる記録が見当たらない」と発言し、東京都では小池知事が震災被害者と朝鮮人虐殺被害者をひとまとめにし慰霊しているとし、朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付すら拒否したままだ。いや、真実を知っているからこそ、それに向きたくないからこそ、目を背けているというのが、日本政府や東京都の姿ではないだろうか。

なぜ、震災時に起きた朝鮮人虐殺事件がなかったようにされるのか? それは根本的には朝鮮、中国をはじめアジア諸国を侵略してきたことに対する反省をしていないからだと思う。

日本は英米の国際秩序に逆らったから敗北したとし、だから英米に逆らってはだめだという教訓だった。英米の国際秩序は覇権の秩序で不正義の秩序だ。日本がめざした大東亜共栄圏も日本の覇権の秩序であり、不正義の秩序だ。しかし、朝鮮、中国をはじめとするアジア諸国の民族解放闘争は正義の戦いだった。正義が不正義に勝つのは必然だ。日本はアジア諸国の民族解放闘争に敗北し、日本はそのために滅びたということを教訓にすべきだった。弱かった日本が強い英米に負けたというのでは本質的に何も反省していないし、教訓化していない。

だから、アジア諸国に侵略したことをできるだけ隠そうとし向き合うことができないでいる。しかし、いくら隠そうとしても歴史的事実を否定できない。

関東大震災の朝鮮人虐殺も年をおって追及する動きが強まっている。昨年、100周年を迎えさまざまな行事が取り組まれたのにひきつづき、今年も犠牲者が多かったという横網町公園(墨田区)での追悼式典が開かれた。今年の追悼式は日朝協会東京都連会長・宮川泰彦さんの開式のことば、浄土真宗本願寺派僧侶・小山弘泉師の読経、韓国伝統舞踊家・金順子(キム・スンジャ)さんによる「鎮魂の舞」と続き、最後に4人の人が代表して献花した。もっとも凄惨な虐殺現場の一つと言われる墨田区荒川の近くでも慰霊祭が行われた。高麗博物館での展示のほか、在日の若者らによる美術展の開催、埼玉県本庄市と熊谷市上里町では犠牲になった朝鮮人を追悼する式典が長年続いている。

「記録なし」という政府の答弁と裏腹に、朝鮮人虐殺の記録が埼玉県熊谷連隊区司令部が作成した「関東地方震災関係職務詳報」に朝鮮人40数人が殺されたという記録が今年発見された。また、神奈川県で県知事による内務省警保局長あての報告書で県内で殺された朝鮮人14人の名前が記載さているのが昨年秋、新たに発見された。


◎[参考動画]関東大震災から101年 都内で朝鮮人犠牲者追悼式典(毎日新聞 2024年9月1日)

韓国でも8月15日、ドキュメンタリー映画「1923関東大虐殺」(キム・テヨン、チェ・ギュソク監督)が公開され、その前に5月、日本・参議院議員会館で試写会が行われた。在日の呉充功監督は、「隠された爪跡」(1983年)、「払い下げられた朝鮮人」(1986年)、「1923ジェノサイド、93年間の沈黙」(2017年)などの作品で関東大震災での朝鮮人虐殺に光を当て、現在、ドキュメンタリー「名前のない墓碑」の編集に取り組んでいる。

9月1日福田康夫元首相は在東京駐日韓国文化院で開かれた「第101周年関東大震災韓国人殉難者追念式」に出席した。そこで福田氏は関東大震災当時に起きた朝鮮人虐殺は「歴史的な事実」としながら「日韓共同調査」が必要だと明らかにし、「日本の人々は、残念なことに(関東大震災朝鮮人虐殺に対して)実際のところよく知らない」と述べた。自民党出身の元首相が関東大震災朝鮮人犠牲者追念式に出席したのは今回が初めてだ。福田氏は「事実このような(追悼式への出席)機会がなかった」とし「過去ことを考えると胸が痛い。だが、このような痛みをこれから考えていかなくてはならない」と強調した。

一方、横網町公園での追悼式典の幕で隔てた横で朝鮮人虐殺の犠牲者数を疑問視するネトウヨの団体「日本女性の会 そよ風」が「真実の慰霊祭」の開催を事前告知していた。会場の数十メートル先で男女十数人が集まり「群馬の次は横網町だ」と書いた幕や「6000人虐殺はうそ」「根拠を示せ」というプラカードを掲げた。式典終了後、そよ風側が幕越しに会場に近づき、大震災当時の東京市長だった永田秀次郎の句碑に向けて「6000人虐殺のうそを暴きます」と叫んだ。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

日本における朝鮮人虐殺事件は、日朝間の問題でもある。この問題を曖昧にして日本と朝鮮や韓国との相互理解や友好などありえない。岸田首相が8月に韓国を訪れ「未来志向の日韓関係」を口にしたが、アメリカの圧力のもとでユン大統領は日本政府が10億円で解決する形で徴用工問題などすべて韓国内で処理し対日賠償をおこなわせない姿勢であり、岸田首相はそれをもって日韓関係の正常化だとしている。先の呉監督は、「関東大震災虐殺に対して一貫して知らぬ存ぜぬの態度である日本政府に対して、韓国政府はまともな抗議文でも送ったことはあるのか」と怒りを抑えることができないでいる。関東大震災での朝鮮人虐殺の真相解明を要求する声は圧殺されたままだ。

関東大震災での朝鮮人虐殺をめぐる日韓の動きの背景にはアメリカがある。現在、アメリカは対中包囲網を強化するために日米韓同盟に障害を与える問題を「政治的対立物」としてはならない」という圧力を加えている。そのなかに関東大震災での朝鮮人虐殺問題も含まれている。そのため日本政府・東京都の「われ関知せず」という姿勢、韓国政府の「無視」という結果になっている。つまり、日米同盟新時代の米覇権の要求として、今日の「朝鮮人虐殺」否定があるといえる。

それゆえ、対中代理戦争国家化阻止のためにも、朝鮮人虐殺をはじめ一連の植民地支配にたいする真摯な反省を追求していくことが必要だと思う。その作業は、単なる歴史修正主義と闘い、歴史認識を正しくおこなうためだではなく、今日のアメリカの覇権主義、日米同盟新時代との闘いの重要な一環としてある。


◎[参考動画]関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式「虐殺を記憶し繰り返さない」(毎日新聞 2024年9月7日)

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』