◆はじめに
西日本新聞社を被告とする2つの押し紙裁判が終盤に差し掛かっています。
長崎県の西日本新聞販売店経営者(Aさん)が、2021年7月に、金3051万円の損害賠償を求めて福岡地方裁判所に提訴した押し紙裁判の判決言い渡し期日は、来る12月24日(火)午後1時15分からと決まりました。
また、2022年11月に5718万円の支払いを求めて福岡地裁に提訴した佐賀県の西日本新聞販売店主(Bさん)の裁判は証人尋問を残すだけとなっており、来春には判決言い渡しの予定です。
これら二つの裁判を通じて、私どもは西日本新聞社の押し紙の全体像をほぼ解明できたと考えております。
(注:「押し紙」一般については、グーグルやユーチューブで「押し紙」や「新聞販売店」を検索ください。様々な情報を得ることができます。個人的には、ウイキペディアの「新聞販売店」の検索をおすすめします。)
◆押し紙とは
新聞販売店は新聞社から独立した自営業者ですので、販売店の経営に必要な部数は自分で自由に決定する権利があります。他の商品の場合、初めから売れないとわかっている商品を仕入れることはありませんので当然のことです。しかし、新聞社は発行部数の維持拡大を目指して他紙と熾烈な部数競争を繰り広げており、しばしば契約上の優越的地位を利用して販売店に「目標数〇〇万部」などと過大なノルマを設定し、実際にその部数の仕入れを求めます。
新聞社が発行部数にこだわるのは、紙面広告の料金が発行部数に比例して決定する基本原則があるためです。部数をかさ上げすることで、広告収入の維持・増加を図るためです。販売店は新聞社に対して従属的な地位にありますので、新聞社の要求を拒めば契約の解除を暗にほのめかされるなど、不利な状況に追い込まれかねません。そのため、新聞社が示した部数を自爆営業で受け入れざるを得ないのです。
新聞社は販売店に目標部数を売り上げた時点で利益を計上することが出来ますが、販売店は売れ残った新聞の仕入れ代金を新聞社に支払い続けなければなりません。顧問税理士や銀行の担当者から無駄な新聞の仕入れをなくすように指示や指導を受けても、仕入れ部数を自由に減らすことは出来ないのです。その結果、廃業に追い込まれる販売店経営者もいます。
昭和20年代半ば以降、新聞統制の解除に伴い中央紙の地方進出が始まりました。それに連動した乱売合戦に巻き込まれた地方紙は、中央紙の戦略的な武器となっている押し紙禁止規定の制定を国に求めました。
昭和30年に公正取引員会は独占禁止法に基づく新聞特殊指定を制定し、新聞業界特有の優越的地位濫用行為である「押し紙」を不公正な取引方法に指定しました。それから70年が経過しようとしていますが未だに押し紙はなくなっていません。このことから、押し紙問題がいかに根深いものであるかをお分かりいただけると思います。
◆西日本新聞の押し紙政策の特徴
[1]自由増減の権利の否定
西日本新聞社(以下、「被告」と言います。)も販売店に対し注文部数を自由に決める権利(以下、「自由増減の権利」といいます。)を認めていません。注文部数(定数)を何部にするかは、被告が決めています。
(注:押し紙を抱えている新聞社はいずれも「自由増減の権利」を認めていません。私の知る限り、唯一、熊本日日新聞社と新潟日報社の2社が昭和40年代に押し紙をやめ、販売店に自由増減の権利を認めています。なお、鹿児島の南日本新聞の販売店主が余った新聞と折込広告を本社の玄関先に置いて帰るユーチューブの動画は必見です。)
[2]注文部数の指示
被告は新聞業界全体の動きや会社経営の状況をにらみながら、販売店の定数(注文部数=送付部数)を決定しています。しかし、訴訟においては、そのような事実を認めることはできません。販売店の注文部数はあくまでも販売店が自主的に決定していると主張する必要があります。
多くの新聞社は、FAXやメールで実配数や予備紙等の部数を報告させ、販売店が自己の経営判断で部数を注文しているとの主張ができるようにしていますが、被告は実配数と増減部数(入り止め部数)の報告は記録に残らないように電話で受け、そのあとに注文表に記載する注文部数を指示する方法をとっています。
[3]外形的注文行為の虚構
被告は販売店に注文部数を指示していますが、注文はあくまでも販売店が自主的に行っているようにと見せるため、「注文表による注文行為」と「電話による注文行為」の二種類の虚構の注文行為を用意しています。
(1)電話による注文行為
原告ら販売店は自由増減の権利がないため、被告に自らの意思で決定した注文部数を注文することはありません。電話で注文を受けていたとの被告の主張は虚構です。被告が電話で注文を受けていたと主張するのは、「電話による注文」であれば、客観的証拠が残らないからです。 過去の押し紙裁判でも、被告は販売店の注文は電話で受けつけていたと主張し続け、最終的に販売店敗訴の判決を受けています。その成功体験が背景にあるからと思いますが、FAXやメールの通信機器発達した現在でも、電話で注文を受けているとの主張を続けています。しかし、本件訴訟では、別件訴訟の原告の元佐賀県販売店経営のBさんが電話の会話を録音してくれていたおかげで、販売店からは電話で部数の注文はしていなかった事を証明することが出来ました。
(2)注文表のFAX送信指示
被告は原告に対し、電話で指示した注文部数を注文表に記載してFAX送信するよう指示しています。原告は指示された部数を注文表の注文部数欄に記入して、その日の内にFAX送信しています。被告は裁判では、「注文表記載の注文部数は参考に過ぎず、電話による注文部数が正式な注文部数である。」と主張していますので、電話による注文で足りるのに、何故、注文表のFAX送信を指示しているのかという問題が生じます。この点について、被告は次に述べるように、「注文表記載の注文部数は参考にすぎない。」と答えるだけで明確な説明はしていません。
なお、佐賀県販売店経営のBさんは注文表をFAXすれば、そこに記載した注文部数が自分の意思で注文した部数とみなされることを警戒していたことから、FAX送信を途中からやめておられます。
(注:被告の場合、注文表には「注文部数」の記載欄があるだけで実配数や予備紙の記載欄はありません。メールによる報告システムも構築されていません。)
◆注文表は参考に過ぎないとの主張
被告は本件裁判では、注文表記載の注文部数は参考に過ぎず電話による注文部数が真の注文部数であると主張しています。常識的に考えれば書面による注文部数が正式な注文部数であると主張する方が自然です。しかし、被告は当初から一貫して正式な注文部数は電話による注文部数であると主張し続けています。
被告が、何故そのような不合理で奇妙な主張を行うのか?
その理由は、原告が注文表に記載した注文部数よりも実際は多い部数を供給したり、注文部数が記載されていない白紙の注文表がFAX送信されたりしているため、被告は注文表記載の注文部数が注文を受けていたとの主張が出来なくなっているからだと思われます。
しかし、電話で注文した部数を注文表に記載してFAXするように指示しているのに、何故、電話の注文部数と注文表記載の注文部数が違うのか、あるいは、注文表の注文部数が白紙でFAXされていのに、何故、新聞の供給ができるのかといった素朴な疑問がわいてきます。
被告は、注文表のFAX送信は必ずしも電話報告の「後」になされるだけではなく、電話報告の「前」になされることもあると微妙に説明を変化させています。そうすれば、タイムラグの関係で、電話報告の前に注文表に記載した注文部数と、そのあとで電話で注文した部数に違いが出ることはありえるとの主張が可能となるからと推測しています。しかし、注文表の注文部数が白紙のまま送信された月の分については、そのような説明は通用しません。
そもそも電話による注文行為なるものは、被告が考えだした虚構の注文行為ですから、被告は無理に無理を重ねた嘘の説明を続けざるを得なくなっているとみています。
押し紙問題のバブル(聖書)ともいうべき毎日新聞社の元常務取締役河内孝氏の著作「新聞社 破綻したビジネスモデル」(2007年3月・新潮新書)のまえがきに次のような見識に満ちた一文が掲載されていますので、長くなりますが紹介します。
「バブル崩壊の過程で、私たちは名だたる大企業が市場から撤退を迫られたケースを何度も目の当たりにしました。こうした崩壊劇にはひとつの特徴があります。最初は、いつも小さな嘘から始まります。しかし、その嘘を隠すためにより大きな嘘が必要になり、最後は組織全体が嘘の拡大再生産機関となってしまう。そしてついに法権力、あるいは市場のルール、なによりも消費者の手によって退場を迫られるのです。社会正義を標榜する新聞産業には、大きな嘘に発展しかねない『小さな嘘』があるのか。それとも、すでに取返しのつかない『大きな嘘』になってしまったのでしょうか……。」
◆4・10増減
黒薮さんの調査によれば、4月と10月は全国的にABC部数が前後の月より多くなっているとのことです(注:この現象は、販売店経営者の間では「4・10増減」と呼ばれているそうです)。とりわけ2000年代にその傾向が顕著に確認できるとのことです。
「4・10増減」は、押し紙により4月と10月にABC部数をかさ上げさせる販売政策です。
ABC部数が、新聞の広告効果を判断する重要な基準のひとつになっていることから、広告営業のデータとして採用させる4月部数(6月~11月の広告営業に使われる)と10月部数(12月~翌年5月)を、その前後の月よりもかさ上げしていると考えられます。折込広告代理店を通じて公表される販売店毎ごとの発行部数も、原則的にABC部数に準じているために、「4・10増減」は、不正な折込広告収入や紙面広告収入を生みます。
本件裁判のAさんの場合、4月と10月の定数が前後の月より約200部も多くなっている点が特に注目されます。この4月と10月の部数を被告はABC協会と西日本オリコミに報告していることを認めています。
被告は200部を上乗せした販売収入を原告から即座に得ることが出来ます。また、それにより年間を通じて、紙面広告料の単価と広告代理店の手数料を増やすことが出来ます。さらに、販売店の折込収入を増やすことで、押し紙の仕入代金の赤字の補助を減額することも出来ます。
しかし、被告が自己の利益のために、4月と10月に普段より200部も多い部数を販売店に注文させていることが社員に知れ渡れば、深刻なモラル崩壊が発生することが避けられません。このような取引方法を行うのは広告主に対する明らかな詐欺行為となりますから、自社がこのような重大な法律違反をしていることを知ったら、まともな常識を備えて社員は絶えられないでしょう。最近、嫌気がさした若手の販売局員が次々に転職している新聞社が出てきているとの話も伝わっています。
新聞社が詐欺行為をしている事が外部に知れれば、報道機関としての新聞社の信頼が地に落ちるだけでなく、警察・検察・国税等の国家権力の介入も避けられません。そのような危険があるにもかかわらず、新聞社は、何故、押し紙をいつまでも続けてこられるか? 単にマスメデイア業界の新聞・テレビ等が報道しないからというだけのことなのか、あるいは業界全体に、押し紙問題については国家権力の介入はないとの暗黙の確信があるのか、疑問は尽きません。
この問題には深い闇が隠れているように思われますので、黒藪さんの最新著「新聞と公権力の暗部-押し紙問題とメディアコントロール」(2023年5月・鹿砦社発行)を是非とも一読されることをお勧めします。
◆実配部数の秘匿
[1]被告の実配数の秘匿
被告は販売店の実配部数は知らない、あるいは知り得ないと主張してきました。しかし、被告のこの主張も虚偽であることが明らかになりました。
本件裁判のBさんが、内部告発者から平成21年(2009年)8月度の佐賀県地区部数表(販売店ごとに部数内訳を記録した一覧表)の提供を受けていたのです。それにより、私たち弁護団も、被告が販売店ごとの実配部数と定数(=送付部数)を一覧表に整理して保管している事を知りました。本件裁判で、被告側証人の若い担当員が長崎県地区でも、佐賀県地区部数表と同じタイプの部数表を作成していることを正直に証言してくれました。
ところで驚いたことに被告は、この地区部数表を特定の幹部しか知り得ないよう厳重に管理していることを認めた上で、裁判官に対して部数表の閲覧禁止を求めました。これは、販売店の実配部数が外部に漏れれば、広告主から広告料の損害賠償を求められることを被告が極度に恐れていることを自ら認めたも同然と言えるでしょう。また、ABC協会への新聞部数の虚偽報告の問題も無視できません。
こうした問題が派生するので、新聞社は自社の実配部数が外部に知れなることを恐れています。
[2]積み紙禁止文言と4・10増減
被告は、毎月の請求書に次のような文言を記載しています。
記
「貴店が新聞部数を注文する際は、購読部数(有代)に予備紙等(有代)を加えたものを超えて注文しないで下さい。本社は、貴店の注文部数を超えて新聞を供給することはいたしません。」
これと同じ文言は、他の新聞社の請求書にも記載されています。この文 言がいつから記載されるようになったのか正確には知りませんが、平成9年(1997年)に公正取引委員会が北國新聞社の押し紙事件の調査を行った時期ではないかと推測します。この調査を通じて、他の新聞社も押し紙を行っている事実が判明しました。
公正取引委員会は日本新聞協会を通じて加盟新聞各社に対して、新聞の取引方法を改善するよう求めました。私は、その時に各新聞社が足並みをそろえて上記の文言を請求書に記載するようにしたのではないかとみています。
被告も請求書に「積み紙禁止文言」を記載していますので、仮に原告が4月と10月の注文部数を前後の月より200部も多く注文すれば、被告は当然その理由を聞きただす必要と義務があります。というのも、4月と10月だけ、200部のかさ上げが必要となる理由は一般に想定されないからです。
被告は、「販売店が注文した部数をそのまま供給する販売店契約上の義務があるため、注文部数通りの部数を送付したにすぎない。」と説明するだけで、肝心の積み紙禁止の文言との関係については一切説明しようとしません。
しかし、先に述べたように、被告の内部から流出した佐賀県地区部数表の存在により、被告が販売店ごとの実配数を毎月正確に把握し、一覧表にまとめ、一部の幹部社員した閲覧できない状態で厳重に保管していること判明しました。従って、被告が実配数を200部も超過する部数の注文が積み紙っであることは容易に認識可能なため、被告の上記のような主張も通用しません。
◆判決の見通し
以上述べたように、私ども弁護団は被告の押し紙責任の立証は充分に出来たと考えております。しかし、これまでの裁判例をみますと、殆どの裁判は販売店側の敗訴に終わっているので楽観することはできません。
販売店を敗訴させた過去の判決の論理構造をみると、平成11年(1999年)の新聞特殊指定の改定の際に、公正取引委員会が、昭和39年の押し紙禁止規定の「注文部数」という文言を「注文した部数」という文言に変更したことが、その後の裁判官の判断に影響を及ぼしているように思われます。
具体的に説明しますと、昭和39年(1964年)の新聞特殊指定の押し紙禁止規程は、「注文部数を超えて新聞を供給する行為」を押し紙と定め、「注文部数」については、実配部数にその2%程度の予備紙を加えた部数であるとの解釈を採用していました。これは公正取引委員会と新聞業界が共通に採用していた解釈でした。
しかし、平成11年(1999年)の改定で、「注文部数」という文言が「注文した部数」と変更されたことから、、裁判官はたとえ50%を超えるような大量の残紙を含む注文であってもその部数が、外形上、販売店が「注文した部数」となっておれば押し紙には該当しないと判断するようになったのです。
ちなみに、私が押し紙問題に首を突っ込むようになったのは、平成13年(2001年)5月に、福岡県の読売新聞販売店経営者であった真村久三さん夫婦から強制改廃の相談を受けた時からです。
当時、予備紙の上限を実配部数の2%とする業界の自主規制は平成10年にすでに撤廃にされており、平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の改正でかつての「注文部数」の文言も「注文した部数」に変更されていました。その結果、新聞社は販売店が「注文した部数」を超える部数を供給しなければ「押し紙」でないという解釈に基づき、押し紙を利用した公然たる部数拡張競争を公然と繰り広げる状況が発生していました。全国的に、実際には販売していない新聞をABC部数として計上・公表するいびつな状況が生まれていたのです。
真村裁判の勝訴判決を機に、押し紙に関する相談が次々と持ち込まれるようになりましたが、多くのケースで押し紙率は、新聞業界自身が定めた上限2%どころか40%~50%にも及んでいました。
公正取引委員会は、平成9年(1997年)の北國新聞社の押し紙事件を機に、それまでの押し紙禁止規定の新聞業界による自主規制の方針を変更し、直接取り締まることを宣言します。その結果、新聞社は上限2%の制約から解放されます。さらに、平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の「注文部数」の文言が「注文した部数」に改定されたため、新聞社は販売店が注文した部数を超えなければ押し紙ではないという身勝手な解釈に基づき、発行部数を際限なく増やしていきました。
北國新聞事件を機に押し紙はむしろ増大していったのです。押し紙を直接取り締まることを宣言した公正取引委員会も北國新聞社事件以降はまともな取り締まりを行うこともなく、サボタージュしたまま現在に至っています。
最近、国会で押し紙問題が再び取り上げられるようになっていますが、国会の質疑をみても公正取引委員会からは押し紙を積極的になくそういう熱意は伝わってきません。
ちなみに平成9年(1997年)の北國新聞事件の当時と平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の「注文部数」の「注文した部数」への文言の改定当時の公正取引委員会委員長は、後に日本プロ野球連盟のコミッショナーに就任する、元東京高等検察庁長官の根来泰周氏でした。
根来氏が公正取引委員会委員長として、当時、押し紙問題にどのようにかかわってきたのか、読売新聞社の渡邉恒雄氏との関係を含め今後の解明が待たれるところです。
(注:根来氏は2013年11月に死去されています。)
話は変わりますが、静岡県清水市の味噌製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件の犯人として死刑判決が確定していた元プロボクサーの袴田巌さんの無罪が、この度の再審無罪判決によりようやく確定しました。静岡大学で青年期を過ごした私には、袴田事件ともう一つの再審事件の島田事件は忘れられない冤罪事件です。
当時、大学の先輩弁護士たちが、私たち学生に現地学習会への参加を呼び掛けていました。証拠の捏造までして袴田さんの人生を踏みにじった警察・検察のみならず、無罪を進言する同僚裁判官の意見を無視して死刑の有罪判決をくだした裁判官に対する国民の不信感は極めて大きなものがあります。司法の信頼を取り戻すために、弁護士を含め司法関係者の再発防止のための真剣な努力が求められています。
西日本新聞社を被告とする本件押し紙裁判は、当初、若手裁判官の単独事件として受理され、早々に和解が打診されました。押し紙裁判として異例な対応です。ほどなくして3人の裁判官による合議体に審理は移行しましたが、そこでも裁判官は、これまでの見られなかったような詳細な争点整理表を作成し、原告・被告の双方の代理人弁護士に検討を求めるなど、押し紙問題の解決に向けて熱心に取り組む姿勢を示されました。
そのような正常な流れを辿っていたにもかかわらず、昨年4月1日付で三名の新たな裁判官が福岡地裁に転任され、この押し紙裁判を担当されるようになりました。
私どもは、押し紙裁判で担当裁判官の奇妙な人事異動が行われるケースを経験しておりますので、本件の担当裁判官3名全員の交代にはいささか懸念を覚えております。しかし、この3名の裁判官が、原告本人と被告側の証人の証言を法廷で直接聞いておられますので、私どもの主張に十分耳を傾けた判断を示してくれることを期待しているところです。
ネット社会のすみずみまでの普及と歩調を合わせるように、紙の新聞の衰退が急速に進んでいます。そのような時代背景の中で、本件押し紙裁判の判決がどのような結論になるのか、また、その理由はどのようなものになるのか、福岡地裁の判断を皆様と一緒に見届けたいと思います。
今後も、裁判の進捗状況は逐一報告し続けたいと思いますので、皆様のご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。
本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年10月15日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。
▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。