11月10日(日)大国町ピースクラブで「15年目の矢島祥子さんとともに歩む集い 真実は消えない、つなげる未来」が開催された。会場は満席、ここ数年新しい方の参加者が多いため、私は追悼メッセージの代わりに「あの日何があったのか」を少しお話させていただいた。以下はそのレジュメから。
◆あの日、何があったのか?
2009年11月13日 19時45分頃 祥子さんは最後の患者を診終える。
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20時過ぎにB職員が、22時頃にC職員と黒川所長が診療所を退出「祥子さんは奥の部屋でパソコン作業をしていた」(C職員)。
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23時18分から37分の間、祥子さんが診療所を退室・入室をしていることが、祥子さん名義の警備会社のセキュリティカードの履歴からわかる。
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11月14日 4時15分頃 電子カルテがバックアップされる。
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4時16分に退出が記録されている。その際、セキュリティカードに誤作動が生じた。それまでも誤作動が生じる場合があったが、その都度祥子さんから警備会社に電話がいくか、警備会社からの電話に祥子さんが出ていた。しかし、その日、祥子さんが電話をかけることも電話に出ることもなかった。そのため、警備会社が緊急出動したが、すでに30分も経過していたため、診療所に問題なしと報告されていた。 同じ頃、祥子さんの携帯から翌日会う約束だった友人Ⅹさんに予定をキャンセルするメールが送信。のちにXさんが遺族と診療所へ報告した祥子さんからのメールの着信時刻が違っていたため、遺族が正確な時刻を確認したいとⅩさんに申し出たが、携帯が壊れたとの理由で確認は出来なかった。
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14日10時過ぎ、出勤しない祥子さんを心配して、診療所の看護師Dさんが徒歩10分ほどの祥子さんの部屋を訪ねた。祥子さんは不在で、施錠されていなかったため中を覗くと、室内は整然としていた。その後も職員らが何度か祥子さんの携帯に連絡をいれたが繋がらず、午後13時10分過ぎ、黒川所長とD看護師が再び祥子さんの部屋を訪ねたが変わりはなかった。翌15日になっても祥子さんが出勤しなかったため、黒川所長らが西成署に相談。捜索願いは親族から提出する必要があるといわれたため、黒川所長は初めて群馬の実家に電話をかけた。
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16日深夜、西成区の木津川で祥子さんの水死体が発見される。
◆祥子さんの死因について
司法解剖した大阪市立大学・前田均教授(当時)は、直接の死因を溺死とした。その結果をうけて西成署は、死因を「溺死」とし「自殺の可能性が高い」と遺族に説明した。 一方、霊安室で祥子さんの遺体と対面した家族は、その目で祥子さんの首に左右対称にできた赤黒い線状の傷や、頭部のたんこぶを確認した。そのため祥子さんの母校・群馬大学医学部付属病院に再度司法解剖を依頼。西成署に対しては「殺人」と「死体遺棄」で捜査するよう要請した。
3ケ月後、遺族が前田教授と面談した際に、前田教授は、後頭部の傷は生前のもの。首の傷は『生前・死後の判別不能』と説明された。(注・後頭部の傷(たんこぶ)について、西成署は川から祥子さんの遺体を引き上げた釣り人が頭部を固いものにぶつけ、たんこぶができたと説明していた)。
12年8月22日 遺族は「殺人」と「死体遺棄」の容疑で西成署に告訴状を提出、受理された。しかし、死体遺棄については同年11月16日時効が成立。
◆「自殺説」の背景
祥子さんの死亡後、釜ヶ崎の界隈では祥子さん自死説が流れたそうだ。当時、祥子さんを知らなかった私も、そうした説をさんざんきかされた。その背景に何があったかを考えてみた。
①生前、祥子さんとひそかに交際していたという男性Mさんに届いた14日消印の絵ハガキ。そこには「出会えたことを心から感謝しています。釜のおじさんたちのために元気で長生きしてください」と書かれていた。Mさんは西成署にハガキを提出していた。父・祥吉さんによれば「警察は手紙を根拠に過労による自殺の可能性もある」と説明したという。
2018年、フリー・ジャーナリスト寺澤有さんが『日本の未解決事件 100の聖域』(宝島社)に「大阪・西成女医変死事件」を執筆。釜ヶ崎を訪れた寺澤さんがMさんにアポなし取材を行った。Mさんは祥子さんの死について「自殺だと確信しているが、とくに根拠はない」と、絵葉書について「確かに警察に見せたが、それが遺書で自殺の根拠だと主張したわけではない。あとで警察が知って『どうして隠していたんだ』と追及されるからだ」と述べていた。
②群馬の家族との不仲説 祥子さんのご両親はともに医師で群馬県で病院を経営している。4人兄妹で唯一医師になった祥子さんに病院で継いで欲しいと願った時期もあったそうだが、その後は、祥子さんの釜ヶ崎のおっちゃんらのために働きたいという意思が尊重された。当時この説もさんざん聞かされた。
その後、両親と不仲でないことが様々な形で明らかにされていったが、先日、当時の「不仲説」をいまだに主張する方とあった。彼はあるドキュメンタリー映画を鑑賞したそうだ。両親がともに医師、学者だという両親に育てられた娘がある日突然統合失調症を発症させるという内容だ。彼は、医師など優秀な良心に育てられた子供は様々な葛藤、悩み、生きづらさを抱えるという例として「矢島祥子さんと両親」の例をあげていた。正直私は「まだそんなこと言っているのか」と呆れてしまった。
※こうした「不仲説」を利用する例として、冤罪・東住吉事件がある。青木恵子さんと同居男性、そして娘、息子と暮らしていた家で火災が発生、娘が焼死した。火災の原因を調べているさなか、保険金目的で娘を焼死させたとして青木さんと同居男性が逮捕された。捜査段階で同居男性が娘に性的暴行を働いていた事実が判明。警察は、青木さんに「娘と男性をとりあう三角関係で、娘が邪魔になったのだろう」などと不仲説を煽り、マスコミもまたそのデマに乗り2人の犯行と断定していった。
③証拠の捏造 「矢島祥子さんは自死されたのですが……」から始まる調書 当時、釜ヶ崎では多くの関係者が取り調べを受けたそうだ。その一人、過去に同僚だった女性から数年前の集いでお聞きした。彼女は警察で「矢島祥子さんは自死されたのですが……」から始まる調書を取られたという。彼女はそう考えてなかったため彼女は頑なに否定するが、何度も呼び出されるが調書作成が進まず、最後は仕方なくその調書にサインしたという。母・晶子さんによればほとんどの関係者がそのような調書を取られたという。
※警察が関係者の調書を捏造する。これは先日、再審開始が決定した「福井女子中学生殺人事件」などでも行われている。38年前女子中学生が殺害された事件で、前川彰司さんが逮捕された。決めては複数の関係者の「血をつけた前川を見た」との証言だった。しかしその一人の男性は、第二次再審請求審で弁護側の証人として「血をつけた前川を見たとの証言はうそだった。自分の事件を見逃してもらうかわりに、警察に虚偽証言をさせられた」と証言した。これだけなら「言った、言わない」にもなるが、男性はウソ証言したのちに、担当刑事に結婚祝いを貰ったといい、刑事の名前の入った祝儀袋を証拠提出した。
以上、昨年亡くなった桜井昌司さん(布川事件冤罪犠牲者)が、祥子さんの事件を「逆冤罪だ!」と訴えていたので、今回祥子さんの事件について、実際の冤罪事件で警察、検察が行う虚偽調書の作成、捏造など許しがたい蛮行を当てはめてみた。
▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58