横浜地裁の法廷で医師から、「うさんくさい患者」で「会計にも行ってないと思います」などと名指しで罵倒された患者が、医師の証言は事実無根で名誉を毀損されたとして、神奈川県警・青葉警察署に刑事告訴した事件に展開があった。青葉署はこの案件を横浜地検へ書類送検したが、地検は不起訴に。これに対して患者は、10月30日、横浜検察審査会へ処分の審査を申し立てた。
◎審査申立書の全文 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2024/11/MDK241121.pdf
検察審査会制度とは、不起訴処分になった事件の妥当性を審査する組織で、処分に対して、事件の当事者を含む一般市民から不服の申し立てがあった場合、一般市民から選ばれた11人の検察審査員が、処分の妥当性を審査する制度である。
医師の証言の中で、患者が病院の「会計にも行ってない」ことを前提事実として、「うさんくさい患者」と人物評価を下したのだが、会計に行った証拠があった。診療報酬を支払ったことを示す領収書が残っていたのだ。
患者が検察審査会に提出した審査申立書の文面からは、尋問の場で医師がいかに根拠のない証言をしたかが、浮かび上がってくる。事実に基づいた患者の人物評価であれば、その内容が他人の名誉を毀損していても、法的な責任を免責されるが、事実とはかけ離れたことに基づいた人物評価は、たとえ法廷の場であっても、刑事責任を問われることがある。
なお、この事件の概要は、下記の通りである。事件の概要を把握している読者は、概要をスキップして、「証言は事実とは異なる?」の節に入っても、内容が理解できる。
【事件の概要】(以下、敬称略)
この事件の発端は、2016年までさかのぼる。この年、横浜市青葉区にあるすすき野団地に住む藤井将登・敦子夫妻は、煙草の副流煙をめぐるトラブルに巻き込まれた。おなじマンション棟に住むA夫と妻、それに娘の3人が、将登が吸う煙草の煙で健康を害したとして、藤井夫妻に対して自宅での禁煙を申し入れてきたのである。
将登は喫煙者であるが、1日に2本、3本の煙草を嗜む程度である。ヘビースモーカーではない。しかも、喫煙場所は防音構造になって外部とは完全に遮断された音楽室だった。将登の職業は、作曲や演奏を担当するミュージシャンで、自宅にいるときは、その大半を音楽室で過ごしていた。仕事の関係で自宅を不在にすることも多かった。従って煙の発生量は微量だった。近隣へ迷惑をかける量ではなかった。
それに音楽室から、A家の窓までは8メートルほどの距離(空間)があり、しかも、両家の位置関係は、藤井家が1階、A家が斜め上の2階になっていて、常識的には、音楽室から漏れた煙草の煙がA家に入り込む余地はなかった。またA家も、窓をビニールで覆うなどして、外気の侵入を防ぐ措置を施していた。こうした状況からすれば、副流煙による被害を直訴すること自体が不自然だった。
なお、煙草の煙の成分を含む化学物質による人体影響に警鐘を鳴らしている専門医の中には、科学的な見地から「香」による被害を訴えて来院する患者の中に精神疾患に罹患しているケースが多く存在するという見解を発表している者もいる。たとえば千葉大学予防医学センター特任教授の坂部貢医師は、被害を訴える患者の約80%が精神疾患に罹患していると環境省に報告している。
しかし、将登は、隣人の訴えに配慮し、念のために2週間ほど喫煙を止めてみた。元々、ヘビースモーカーではないので禁煙することに苦痛はなかった。しかし、それでもA家の3人による藤井家にたいする苦情はやまなかった。A夫が将登の行動を病的なまでに観察していたことも、後にA夫が裁判所へ提出した自らの日記により明らかになっている。
そのうち藤井敦子もヘビースモーカーだという噂が、団地の中に広がり、何者かが元日早々に、藤井夫妻の自宅のポストに敦子を誹謗中傷する怪文書を投函するに到った。敦子は非喫煙者だった。喫煙したことはあるが、それは10年以上も前のことだった。煙草も吸わないし、酒も飲まない。
しかし、事態はさらにエスカレートしてA家の弁護士が、将登に宛てて内容証明郵便で禁煙を申し入れてきた。提訴もほのめかしていた。また、神奈川県警青葉署の刑事らが、2度に渡って藤井家を訪れ、敦子を事情聴取し、将登の音楽室に入って、喫煙の痕跡を調べるに至った。
藤井夫妻は、煙草をめぐる尋常ではないトラブルに巻き込まれ、平穏な日常を奪われたのである。
この事件が社会的に注目を集めるに至る直接的な出来事は、2017年11月に起きた。A家の3人が藤井将登を被告とする裁判を起こしたのである。この訴訟で、A家は4518万円の金銭支払と、藤井将登の自宅での禁煙を求めてきた。敦子は訴外だった。
藤井夫妻は、夫はミュージシャン、妻はフリーランスの英語教師という身の上で、高額所得者ではなかった。裁判官が判決で、高額な金銭支払いを命じた場合、自己破産に追い込まれる怖れがあった。
この別件裁判で、A家を全面的に支援し続けたのが、日本禁煙学会理事長で、当時、日本赤十字医療センターに勤務していた作田学医師であった。
作田は、A家3人のために「受動喫煙症」の病名を付した診断書を発行し、そのなかの1通で、「1階のミュージシャン」が煙の発生源であると事実摘示を行った。
通常、診断書には、裏付けのないことは記入しないものだが、作田は現地を取材することもなく、A家の訴えを信用して、将登が副流煙の発生源であることを事実摘示したのである。
さらに作田は、裁判の審理が進む中で、次々と意見書を提出してきた。その総数は5件にも及ぶ。意見書の中でも作田は、煙の発生源は、藤井将登であると摘示し、将登が禁煙することが最も効率的な解決策であるとまで述べている。大上段に振りかぶって将登を罵倒し続けたのである。
しかし、やがて風向きが変わる。作田がA家の3人に対して交付した診断書に重大な疑惑が次々に浮上したのだ。まず、A娘の診断書が2通存在し、双方の診断書の病名が異なっていた事実である。これは単純な表記ミスだったが、ひとりの患者の診断書が2通存在すること自体が不可解だった。
第2に作田が、A娘を直接診察せずに「受動喫煙症」の病名を付した診断書交付していた事実である。これは患者を診察することなく診断書を交付することを禁じた医師法20条に違反する。もちろんインターネットを通じた診察も行っていない。つまり、作田はまったく面識のない人物に対して診断書を交付したのだ。
第3に診断書のフォーマットが、作田が外来診療を行っていた日本赤十字医療センターのフォーマットとは異なっていた事実である。自分のパソコンで診断書を作成した可能性が高い。
これらの点に不信感を抱いた藤井敦子は、作田がどのようなプロセスを経て診断書を交付しているかを直に調査するために、2019年7月17日に酒井久男を伴って、日本赤十字医療センターの作田外来を訪れた。酒井は非喫煙者で、煙草の煙やほこりに対するアレルギーがあった。
酒井が藤井敦子の計画に協力したのは、敦子の夫が高額訴訟の法廷に立たされた後、敦子も心身ともに疲弊していたのを、見るに忍びなかったからである。敦子の髪の毛は、夫が法廷に立たされた後、真っ白になっていた。こうした状況の下で、将登が敗訴すれば、パニックにも陥りかねないと心配したからである。
酒井は、藤井家が勝訴するための証拠を集めるために協力するのが人道だと考えたのである。それにA夫妻の言動を熟知していた。A家の訴えも、どこかおかしいと思っていた。酒井は、青葉区の土着の人だった。
そこで、酒井は、地元のユミカ内科小児科ファミリークリニックを受診し、MRI検査などさまざまな精密検査を受け、担当医に作田外来を受診するための紹介状を交付してもらった。
2019年7月17日、酒井は精密検査のデータを持参し、藤井敦子を伴って日本赤十字医療センターの作田外来を訪れた。作田は、酒井が持参した検査データを確認することなく、問診を行っただけで診断を下し、即座に診断書を交付した。問診の中で、酒井は煙草の煙だけでなく、衣服の繊維を吸い込んでも、咳き込んで仕方がないと訴えた。しかし、作田は診断書に「煙草の煙のないところでは全く症状が起こらない」と記し、「受動喫煙症」の病名を記していた。
ちなみに、受動喫煙症という病名は、作田が理事長を務める日本禁煙学会が独自に定めたものに過ぎず厚労省では認めていない。もちろん世界保健機関(WHO)が定める国際疾病分類(ICD)にも入っていない。つまり受動喫煙症という病気は、公式には存在しないのだ。受動的に副流煙を吸い込む状況はありうるが、それを病名に転換するのは論理に飛躍がある。日本語としてもおかしい。副流煙を吸い込んだ結果、たとえば気管支炎になったという表現なら十分にありうるが、受動喫煙症とう病気は存在しない。
藤井将登を被告とする別件裁判は、2020年10月、将登の勝訴で終わった。A家の訴えは、まったく認められなかった。判決が確定したのを受けて、藤井将登夫妻は、A家の3人と作田学を相手どって「反スラップ」訴訟を起こした。訴権の濫用によって精神的・経済的な被害を受けたというのが提訴理由だった。
この訴訟の尋問の場で、作田は裁判の争点とは直接関係のない藤井敦子と酒井久男による作田外来受診の件を持ち出し、「うさんくさい患者さんでした。」「うさんくさい人だなと思いました。」、「当然、会計にも行っていないと思います。」と供述したのである。作田によるこれらの言動が酒井の名誉を毀損するかどうかが、刑事事件の争点だった。ちなみに酒井は、この事件で民事訴訟も起こしている。
◆証言は事実とは異なる
さて冒頭で述べたように、この刑事事件の争点は、作田医師が法廷で行った証言が、酒井の名誉を毀損したかどうかという点である。その発言とは、「会計にも行ってないと思います」という事実摘示を前提とした「うさんくさい患者」という人物評価である。
作田医師の言い訳は、酒井と藤井敦子が診察室を立ち去った後、3分後に煙草の匂いがしたので、女性職員に2人の後を追わせ、構内放送も行ったが、2人が診療室へ引きかえさなかったから、酒井が会計をせずに病院を立ち去ったものとみなし、「うさんくさい患者」と評価したというものだった。従って作田が女性職員に酒井を探すように指示していなければ、人物評価の前提事実がないわけだから、「うさんくさい患者」という人物評価は事実に基づかない暴言ということになる。
既に述べたように、酒井は、刑事告訴とは別に作田に対する民事訴訟も起こしている。その訴訟の本人尋問の中で作田は、女性職員に酒井を探すように指示した行為について、弁護士の質問に答えるかたちで、次のように述べている。作田が女性職員に酒井らの後を追うように指示したかを見極めるために重要な部分なので、引用しておこう。
弁護士 陳述書でも書いていただいたように、一つには診察が終わった後に男女の2人組みが出てったら、うっすらとたばこのにおいがしたんだと。それで事務方の方にも確認してもらって、やっぱりたばこのにおいがすると。これは、もしかしたら誤った診断書を出してしまったかもしれないと思って、慌てて後を追ってもらったんだと。ただし見つからなかったという報告があったと。こういう出来事があったことが一点でいいですか。もう一点としては、後に提出された酒井さんの診断書には、検印、割り印ね。病院の印鑑が押してなかった。この2点がまず挙げられているということでいいですかね。
作田 はい、そのとおりです。(略)
弁護士 診察した後に書類を整理していたら、たばこのにおいがしたというわけですね。
作田 はい。
弁護士 そのたばこのにおいがしがしたというのは、患者さんと思われる二人組が出ていってから何分ぐらい経っていましたか。
作田 まあ、3分ぐらいでしょうね。
作田は尋問の中で、自分が酒井に対して「誤った診断書を出してしまったかもしれないと思って」、事務の女性に後を追わせたと証言しているのである。従って、特別な事情がない限り、酒井の診断記録を訂正するはずだ。ところが作田が、酒井の診断記録を訂正することはなかった。
この点については、酒井を作田に紹介したユミカ内科小児科ファミリークリニックに対する情報公開請求で明らかになった。酒井が、同クリニックに対して作田から送付されたはずの診断記録の開示を求めたところ、開示された診療記録には、「受動喫煙症」などの病名が記されていた。訂正はされていなかった。
つまり作田が酒井らの後を女性職員に追わせたという証言は事実とは異なる可能性が極めて高い。法廷での暴言を正当化するつくり話だったと考え得る。「うさんくさい患者」で「会計にも行ってないと思います」といった証言は、事実とは異なる暴言であり、酒井の名誉を毀損しているのである。
余談になるが、酒井らが立ち去って3分後に煙草に匂いがしたというのも、不自然な証言である。
しかし、横浜地検はこの事件を不起訴とした。ただ、酒井が刑事告訴をした時期には、作田医師の証言(タバコの匂いがしたので、診察の間違いに気づいて、酒井のあとを追わせたという証言)は、証拠として警察に提出されていなかった。検察審査会に審査を申し立てるに際して、酒井はこの証言を証拠として提出している。今後、検察審査会の判断が、注目される。
本稿は『メディア黒書』(2024年11月20日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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