《屁世滑稽12》「ねんごろ」なんて方言は使うな! 国会で「邪馬台国」処分発動!

(屁世〔へいせい〕26年10月26日)

「ねんごろ」なんて方言は使うな!

国会で「邪馬台国」処分発動!方言札が復活……の巻

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

きょうは国語学者の金玉一腫彦(はれひこ)先生をお迎えして、このごろの
言葉づかいの問題について、お話しをうかがいたいと思います。

国語学者・金玉一腫彦先生と
児童文学翻訳家・花子先生との会話

花子おばさん 「いらっしゃいませ、金玉一先生。お会いできてまことに光栄です。」
金玉一先生 「ごきげんよう、お話しのおばさん。こちらこそ、よろしくお願いします。……この“ごきげんよう”という挨拶(あいさつ)の言葉は、相手への思いやりと、温かくてこまやかな心づかいが感じられて、とても素敵な日本語ですよね」
花子おばさん 「わたしの“お株”をとられちゃいましたが、まったく先生のおっしゃるとおりですの。わたくしは女学校でこの挨拶を、文字どおり“身につけた”のですが、すばらしい教育と礼儀の心に出会うことができて、学校にも親にも、そして学友たちにも感謝しておりますわ」
金玉一先生 「ことばは心のかがみです。心が乱れておると、おのずから言葉が乱れます。逆もまた真ナリで、乱れた言葉づかいをしていると、心が自然と荒(すさ)んでしまいます」
花子おばさん 「おっしゃるとおりです。わたくし、子供のための読み物を書いてきたものですから、昨今の大人の社会の言葉の乱れが、子供の言葉と心を乱してしまい、これからの日本が恐ろしい退廃と混乱に向かうのではないかと、本当に心配しておりますのよ」
金玉一先生 「きょうお話ししたいのは、まさにそういう、大人の社会の、言葉の乱れの問題です」
花子おばさん 「では先生、お願いいたします」

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金玉一先生 「花子先生、ご出身は山梨県でしたよね? お国ことばには……“方言”とも申しますが……通じていらっしゃるでしょう?」
花子おばさん 「あたりまえジャンか! もしも方言がなかったら世の中のことばも人情も、ずいぶんと寂(さび)しいものになるズラ。国語学者の金玉一先生なら、この気持ち、理解してクンロ!」
金玉一先生 「ワレも方言の大切さはガギ(=子供)のころから知っとったっタ。そんなわけで還暦すぎた今になっても全国の方言の勉強しとっケ。はぁ~どんどはれ! ところで花子センセイ、昼メシいっしょにアベっ!」」
花子おばさん 「あたし先生のこと、江戸っ子だと思っていましたが、かなりハードな方言をお使いになるのね」
金玉一先生 「は~ぁ、ワレの祖父は盛岡人だったッタから、岩手のお国言葉になじんできたっケ」
花子おばさん 「まあ!そうでしたの。ところで“いっしょにアベっ!”って何ですの? 安倍総理を詣(もう)でる義理なんか、あたしには無くってよ」
金玉一先生 「ええっと、標準語に戻って説明しますと、“アベ”ってのは“行こう”という意味です」
花子おばさん 「あらまぁ、そうなんですか? だったら自民党の選挙演説会なんかで、安倍さんのファンが当選を記念して『行け行けガンバレ!』ってな意味で『アベっ!アベっ!』なんて方言丸出しで叫んだら、単に罵倒(ばとう)しているみたいに誤解されて、お巡(まわ)りさんにつまみ出されちゃうワね(笑)」
金玉一先生 「とかく方言は誤解をうけやすい。標準語は、さまざまなお国言葉が入り交じる都会では、“共通語”として使うのに、たしかに都合がいいわけです。都会に流れてきた人々がそれぞれに使うお国言葉の多様性を切り捨てて、単純化できるわけですから。ちょうど江戸時代に新吉原の遊廓(ゆうかく)で使われていた“廓(くるわ)ことば”のようにね。全国各地から売られてきた遊女の、生まれ育った土地で身につけた“お国言葉”を消毒して、遊廓のなかだけで通用する“標準語”を女の子たちに使わせた。標準語というのは、そういうたぐいの、一種の経済的な必要性から発展してきたわけです」
花子おばさん 「いわゆる“花魁(おいらん)ことば”のことですね? “アリンスことば”とも呼ばれていますよね」
金玉一先生 「さようでありんす」

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花子おばさん 「ところで地方の方言のなかには、大昔に首都でつかわれていた主流言語が、ほとんどそのまま廃(すた)れずに保存されたような言葉もありますわよね?」
金玉一先生 「これは私の持論なのですが『言葉は時代とともに絶えず動いて変化する』のですよ。そしてあちこちの田舎から多くの人が集まってくる都市ほど、それも大都市ほど、そこで使われる言葉は移り変わりが激しいわけでして……。そういうわけで、中央政権から離れたいわゆる“辺鄙(へんぴ)”な地方ほど、かつて中央の都会で使われていた言葉が、あまり損(そこ)なわれずに今もずっと残っていたりするわけです」
花子おばさん 「そのお話から私がいま連想したのは、中国から伝来して日本文化の基礎をかたちづくることになった、仏教思想とか漢字のことですのよ。仏教はインドで起こって仏典も“梵語(ぼんご)”すなわちサンスクリットで書かれていたけれど、それが中国に伝わって、中国では梵語から漢文に翻訳されて、こんどはその漢訳の仏典が、日本に伝来しました。そして今や仏教の教えや考え方は、日本人の精神文化の土台になっているわけですけど、その中国では千数百年があいだにあまりにも激しく社会が変わりつづけたから、漢訳仏教の真髄がほとんど残っていませんものね。それらを損なわずに保存してきたのは、地理的には東アジアのどん詰まりで、しかも四方を海に囲まれている島国ニッポンの、お寺である場合が多い……」
金玉一先生 「おっしゃるとおりですね」
花子おばさん 「漢字だってそうですワ。たとえば現代日本では、『明』という漢字の音読みには、呉(ご)音の『ミョウ』と、漢音の『メイ』と、唐(とう)音の『ミン』の三種類がありますもの」
金玉一先生 「あらためて復習しておきましょう。
“漢音”は7~8世紀に遣唐使や留学僧らがシナから持ちこんだ唐の首都・長安の発音でした。“呉音”は“漢音”が導入される以前に日本に定着していた発音でして、大陸シナの南方から直接に、あるいは朝鮮半島の百済(くだら)を経由して日本に伝わったというのが通説になっています。いっぽう“唐音”は、鎌倉時代以降に、禅宗の留学僧や貿易商人らが日本に持ち込んだ“漢字の読み方”なのです。……これらは日本に持ち込まれた結果、現地の正確な発音でなく、使い手の日本人による“訛(なまり)”を帯びることになりましたから、『当時のシナ現地の発音を音声学的に正確に再現している』とまでは言えないでしょう。とはいえ、もちろん現代中国ではこんな大昔の言葉は使われていないわけですから、シナのむかしの言葉が“絶海の島国”ニッポンでみごとに保存されてきた、と言えるわけです」
花子おばさん 「アジア大陸のシナ文明でかつて使われていた言語が、アジアの辺境の、絶海の日本列島で現在まで保存されていた……というのは、なんだかロマンあふれるお話しですわね。この構図を日本に当てはめてみると、たとえばニッポン本土と、沖縄に代表される琉球列島の関係になりますわね」
金玉一先生 「さすが花子センセイ、ズバリそのとおりです。現代の琉球方言には、千年前のむかしの日本の政都で用いられていた言語が、そのまま“凍結保存”されているといってもよいのです。このあたりの詳しい研究成果は、先年逝去(せいきょ)された沖縄の言語学者である外間守善(ほかま・しゅぜん)さんが数多くの書物をのこしておられるので、たとえば中公文庫の『沖縄の言葉と歴史』あたりからお勉強されるとよいと思います」
花子おばさん 「沖縄といえば“めんそーれ沖縄”ですよね?」
金玉一先生 「まさに、この沖縄方言として一番よく知られた挨拶の言葉が、じつに日本の古語の“凍結保存”だと考えられています。“めんそーれ”というのは“いらっしゃいませ”という意味ですが、“いらっしゃいませ”という意味の日本の古語である“参(まい)り候(そうら)え”が凍結保存されたものだと考えられているのですよ。現代にいたって少しばかり言い方は変わったけれども、“マイリソーラエ”が“メンソーレ”になったというわけ」
花子おばさん 「ニッポン本土の大昔のみやこで使われていた古語が、沖縄に伝わり、かの地で“凍結保存”されて、現代でも方言として残っているわけですね。“めんそーれ”の他に、どんなものがありますか?」
金玉一先生 「たとえば沖縄方言で、昆虫の“とんぼ”のことを『あけじゅ』といいますが、これは万葉集や日本書紀の時代に“とんぼ”を指す言葉として使われていた『阿岐豆・秋津羽(あきづ)』という古語が、現代にそのまま生きのびた言葉です。“愛(いと)おしい”という感情を沖縄方言で『かなさん』といいますが、これも“いとおしい”を意味する日本の古語『かなし』が、ほぼそのまんまの形で現代に生きのびたものです。こういう事例はざらにあるのですよ」
花子おばさん 「ニッポン本土に住んでいる我々は、沖縄を“日本文化からかけ離れた異郷”のように考えがちですけど、じつはそれは大まちがいで、現実には古来の日本がもっていた豊かな精神文化をそのまま保存している“日本のふるさと”みたいな存在になっている、ということですね」
金玉一先生 「おっしゃるとおり。非常に興味ぶかいことですが、当世では、ニッポン本土よりも古来の日本の伝統を忠実に受け継いできたのが、沖縄のような琉球の島々だということになります」
花子おばさん 「東京に住んでいる私たちこそ“ニッポン”の代表格だ、という世間常識が、ガラガラと音をたてて崩れていく感じがしますわ」
金玉一先生 「歴史を長い目でみた場合、現在の“東京首都圏”すなわち武蔵国(むさしのくに)が日本の中心だ、という現代人の通念なんて、ホントに例外的で一時的なものにすぎないでしょう。そういう考えはチッポケだってことですよ。福島原発災害のせいで首都圏一帯が本来なら居住不能な放射能汚染地域に成りはてた……という特殊な事情もありますけれども、この先いつまでも日本の首都が“江戸”東京にあり続けるわけじゃないでしょうからね。首都が数百年ごとに大きく変わってきたのは、日本の歴史上の、動かしがたい事実なのですから」
花子おばさん 「たしかに、このままじゃ済まない、という危機感はひしひしと感じておりますわ」
金玉一先生 「言葉についていえば、日本のハシッコの異郷だと思われてきた琉球の国ぐにこそが、古来の日本の言語文化を忠実に保存してきて、“日本文化のひな型”になっているのです。これは現在の日本の首都東京にすむ我々にとっては、まったく予想外の“逆転の発想”……ということになるでしょうが、しかしこの逆転現象は沖縄だけではないのです」
花子おばさん 「日本の伝統的な言葉づかいが、首都圏からむしろ離れた場所で、生き続けているということですね?」
金玉一先生 「さようでありんす」
花子おばさん 「先生いつから遊女になったの?」
金玉一先生 「いやいや、ほんの冗談(笑)」

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花子おばさん 「金玉一先生がこのところ憤慨しておられる事柄というのは、いまうかがったお話しと関係があるのですね?」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。先日、最暗黒の東京は永田町の国会議事堂内で起きた『ねんごろな関係』という表現をめぐる“方言札”事件に、わたしは心の底から怒りを覚えておるのですよ」
花子おばさん 「国会動物園のことですね? わたくしは児童文学がらみで、アソコで吠(ほ)えている奇妙な動物たちの様子にしか目をむけてこなかったので、『ねんごろ』事件については疎(うと)いのですが……。チョックラご説明してクンロ(笑)」
金玉一先生 「ご存じのように、9月はじめの“第二次大戦降伏記念日”の翌日に、安倍改造内閣が発足して5人の女性議員が大臣になりました。……が、ほどなく、そのうちの何人かが、国際的には決して容認されないネオナチ党とか“在特会”と称して排外主義の実力行使を行なっているならずもの集団と、親密な関係であることが世に知れわたりました」
花子おばさん 「それって日本の報道機関、ジャーナリズムが“調査報道”を行なった成果ですよね?」
金玉一先生 「ウウン、そうじゃネェじぇ! 実際はそうはイガネガッタノス。実際はネオナチ党の党首やら在特会の幹部やらが、議員と会ったことをインターネットの自分のブログで宣伝して、得意満面になっていたわけでした。つまりネオナチやら排外主義団体が、ときの政権との“ねんごろ”ぶりを自(みづか)ら公然と発表してきたわけで、そういう不特定多数の世界の人々にむけて、何年も前から公表されてきたものが、ネットの世界で“くちコミ”で知れわたり、マスコミが今ごろになって、それに飛びついたにすぎません」
花子おばさん 「マスコミの長所は“速報性”だって宣伝されてきたけど、現実は大ちがいなのね?」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。今や現実には、ネットで無数の“名無しさん”が何処(どこ)かからスクープ情報を見つけてきて、それを“2ちゃんねる”掲示板なんかに晒(さら)して、まずは雑食性ハイエナの週刊新潮とか週刊文春のような低俗週刊誌がそれをそのまんま使って記事にして、それで騒ぎが大きくなると大新聞がようやく書き立て始め、テレビのワイドショーが騒ぎ出し、そうやって世間で大騒ぎになったことを最終認知するかたちで、ようやく民放テレビのニュース報道になり、それを見計らってNHKもニュースで報じる……という仕組みになっておるのです」
花子おばさん 「まあひどい! それじゃマスコミの“速報性”なんて大嘘だわね。正しくいうと“遅報性”ってことね」
金玉一先生 「さよう。もぅひとつ言えば“痴呆性”でもありんす(笑)」
花子おばさん 「漫然と新聞なんか読んでたら、文字どおり“知恵おくれ”になっちゃうわ」
金玉一先生 「しんぶんや てれびを頼れば 馬鹿になる。罵笑……(笑)」

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花子おばさん 「で……“ねんごろ騒動”の話ですけど……」
金玉一先生 「あんれ!忘れるとこだっケ! ときは先般十月七日、ところは国会議事堂で、ハァ~ベンベン!」
花子おばさん 「おやまあ! 浄瑠璃(じょうるり)の義太夫節みたいになってきましたわ。さすが当世随一の国語学者の先生ですわネ。伝統的な大衆芸能にふかい造詣(ぞうけい)をお持ちでいらっしゃる……」
金玉一先生 「いいえ……ちょっと囓(かじ)ってるだけですから(笑)」
花子おばさん 「おぉっと! “ミカンのようで~ミカンでないベンベン、ダイダイのようで~ダイダイでないベンベン♪”で有名な落語『豊竹屋』のオチがいきなりキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」(https://www.youtube.com/watch?v=w17YjaZ0EIU
金玉一先生 「某巨大ネット掲示板みたいなご反応に、ワレびっくりこいたっケ~!。とにかく話を進めますが……(笑)。10月7日の参議院予算委員会で、民主党の小川敏夫議員が、山谷えり子国家公安委員長を相手に、“在日特権を許さない市民の会”通称『在特会』の連中と写真撮影したほどの親密ぶりを追及していたわけです。5年まえ、すでに山谷えり子は、国会議員として“在特会”の活動を支援していましたが、“竹島の日”に現地で講演をするため松山市を訪れた際、“在特会”関西支部の増木重夫支部長らが山谷議員の宿泊先のホテルを訪れて、増木支部長の日記によれば『少々遅い“夜明けのコーヒー”を飲みながら午前中を過ごした』のだそうです」
花子おばさん 「いかにも中途半端に年配の人が書きそうな文章ですわね。『夜明けのコーヒー』というのは1968年に大ヒットしたピンキーとキラーズの『恋の季節』のなかの有名なフレーズだわ。“夜明けのコォヒィ~♪ ふ~たりで飲もうと~♪ あ~の人が言ったぁ~♪ こぉ~いのきせ~つよ~♪”(http://www.youtube.com/watch?v=fr3VNZmO8dY) 作詞家・岩谷時子先生の、当時とすればとってもホットな歌詞でした」
金玉一先生 「この当時は“夜明け”という言葉には今とちがって特別な思い入れがありましたからねえ……」
花子おばさん 「そういえば岸洋子さんも、あの頃、“夜明けのうた”(http://www.youtube.com/watch?v=7LL-Atpsuec )という名曲を歌っていたわ。日が昇る前後の“夜明け”というのは、澄みきった涼しい外気に包まれながら、お天道さまの登場を迎えるという、なんとも厳粛な瞬間ですよね」
金玉一先生 「岸洋子さんの“夜明けのうた”はちょうど今から50年前の、1964年の秋に発表された歌なんですよ。これも作詞岩谷時子・作曲はいずみたくという、ピンキラの“恋の季節”と同じコンビが作った歌で、9月に岸洋子さんがSPレコードが出て、
翌10月に坂本九ちゃんが歌ったやつが出たんです」
花子おばさん 「まあ!ずいぶんとお詳しいのね」
金玉一先生 「わたしが流行歌ずきの学生の時分でしたから。それにちょうど東京オリンピックの開催時期と重なっていたんですよ。……これは私の邪推なんですけどね、東京オリンピックには、戦争で徹底的にぶちのめされて奈落の底に転落したニッポンが庶民社会のレベルで国際的に再浮上して“完全復興のお披露目”を行なう、という重大な意味がありました。だから“日がまた昇る”ことへの厳粛な期待感をうたった歌だったんじゃないかと、私には思えるのです」
花子おばさん 「つまり50年まえの日本では、“夜明け”というのは“日の本の国ニッポン”がふたたび世の中に顔を出す、という、国民を元気にするような隠れた意味があった、ということですか。聖徳太子が1400年まえに中国の“隋”帝国皇帝に送った外交挨拶状の『日出(いづ)る処の天子、書を日没する処の天子に致す』を、思い起こすご指摘ですわね」
金玉一先生 「繰り返しで恐縮ながら……さようでありんす(笑)。1960年代、わたしが青年だったころは『夜明け』というのは、人であれ、われらが日本という国家であれ、親に庇護(ひご)されてきた子供の時代を脱して、広く大きな社会に登場する直前の、身が引き締まるような緊張感と期待感、夢と希望、厳粛な気持ちを、象徴するものだったんですよ。たとえば東京オリンピックから2年後の1966年、昭和41年には、フジテレビが『若者たち』という連続ドラマの放映を始めたのですが、青春ドラマの先駆けというべきこの番組の主題歌『若者たち』は、黒澤明監督の息子さんの黒澤久雄が中心となって結成されたフォークグループ“ザ・ブロードサイド・フォー”が歌っていました」
花子おばさん 「お詳しいのね。あなたの青春だったのね……」
金玉一先生 「黒澤ジュニアは、当時は“黒パン”なんて呼ばれて、流行の最先端をいく“ナウなヤング”でした(笑)」
花子おばさん 「いまの若い人たちには到底理解できないことよ。ぜんぜん感覚が違いますもの。“黒パン”って、当時インテリのかたがたがカブレていたソ連の主食のライ麦パンのことでしょ?」
金玉一先生 「なるほどねぇ……。でもそうじゃない。黒澤久雄は昭和20年、戦争が終わった年に生まれたんですよ。ちなみに吉永小百合さんや、おすぎとピーコさん、サックス奏者の坂田明さん、ロックの世界ではエリック・クラプトンや絶叫ボーカルの時代を切りひらいたディープパープルのイアン・ギラン、それにタモリさんなんかが、この年に生まれています」
花子おばさん 「あゝそうですか。だ~からタモリは、坂田明や3ヶ年上の山下洋輔なんかとツルんで“全日本冷やし中華愛好連盟”の結党とか、“ソバヤソバ~ヤ♪”(https://www.youtube.com/watch?v=Xx8mNJLIwbU )みたいなワールドミュージックを作るなどの華々しいご活躍ができたのね。戦後日本の文化をいろどりを与えたあのかたがたが、同年代だったというのは興味ぶかいわ」
金玉一先生 「“黒パン”の話に戻りますが、黒澤久雄さんにそんなアダ名がついたのは、ロシアとは関係なかったみたいですよ。終戦直後の物資欠乏の混乱した時代に、幼い久雄ちゃんだけは、洋風の白いブリーフをはいていたので、友だちから『や~い! 男のくせに女の子のパンツはいてるぞ~! 黒澤のパンツや~い! 黒パン黒パン!』と冷やかされて、それがあだ名の由来だそうです」
花子おばさん 「ご家庭がわりあいに裕福でモダンだったということね。お父さまが当時絶頂のエンターテインメント産業にいたおかげだったのね」

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金玉一先生 「なんだか話が大脱線してしまいましたが、“在特会”関西支部長が山谷えり子の宿泊先をたずねて『少々遅い“夜明けのコーヒー”を飲みながら午前中を過ごした』という話でしたね。話をそこに戻しましょう」
花子おばさん 「それは秘密の逢い引きじゃなかったんでしょ?」
金玉一先生 「もちろん。だって在特会の増木支部長が自分のウェブサイトで得意げに公表していたのですから。こんなふうに、ほら!」

今やあまりにも有名な「山谷えり子議員と関西“在特会”連中との
記念写真。平成21(2009)年2月21日、当時の「在特会」関西支部長
(同年4月、兵庫県西宮の小学校長を脅し暴力行為法違反で逮捕され
支部長を解任された)増木重夫ら在特会一行が「竹島の日」講演会
のため松江を訪れた山谷えり子を、宿泊先のホテルに「押しかけ」、
「少々遅い『夜明けのコーヒー』」を飲みながら午前中を過ごした、と
増木自身がブログで報告している。


「在特会」関西支部長として山谷えり子の宿泊先ホテルに「押しかけた」
増木重夫の報告(下記の彼のブログから、引用者が日記部分を画像コピー
し、動画部分を《中略》して該当箇所のみ黄色でマーキングした。
http://mid.parfe.jp/gyouji/H21/2-21-hirosima-matue/top.htm
……野田国義議員が国会で追及したのは、すでに公表されている
山谷議員と在特会との、この親密な関係についてだったのだが、
安倍総理はじめ自民党の幹部連中は血相を変えて野田氏の「懇ろな
関係」発言を、あたかも性的関係のように歪曲宣伝して反撃した。
なぜか? 写真にあるように、安倍総理自身も在特会と「懇意の仲」
だったからだ。

花子おばさん 「ここまであからさまに公表していたら、否定しようがないですわね」
金玉一先生 「ところが自民党としては、いまや国際的に悪名が高い排外主義団体と、安倍現政権の国家公安委員長である山谷えり子が、長年親密な関係を続けてきたことが世間にバレると本当にヤバい、と恐れを成したのでしょう。この追及問答のさなかに外野席の議員が『宿泊先まで知っているというのは懇(ねんご)ろの関係じゃないのか?』とヤジを飛ばすや、すぐにそっちに矛先(ほこさき)を変えて反撃に転じた」
花子おばさん 「“話の腰を折った”わけですね」
金玉一先生 「そのとおり。自民党は自分らへの追及をかわすために、ヤジをはさんだ第三者にタックルをかけて、この無関係なヤジ男を新しい攻撃標的に仕立てて逃げたわけです。ちなみにこうやって図々しく批判の矛先を変えて、論争の被告席から逃げ果(おお)せるという手口を、アメリカなどの政界用語で『スピン(spin)』と言います」
花子おばさん 「スピンって“回転させる”って意味でしょ?」
金玉一先生 「元々はテニス試合あたりから転用された言葉らしいですよ。つまり相手が強烈な決めダマで攻めてきたときに、ラケットでボールに回転を与えて打ち返すと、返球は相手が想定外の場所に飛んでいくから、形勢不利を一転して優勢に変えることが出来る。自民党はそのテクニックを使って逃げ果(おお)せたわけです」
花子おばさん 「児童文学ばかりやってきたから、さすがの私も、そういう種類の英語には疎くなっておりました。……ということは、『ねんごろな関係じゃないか?』とヤジった議員が、哀(あわ)れ自民党のラケットでぶん殴られて、回転しながら民主党席に飛んでいった……ということになりますわね」

国家公安委員長・山谷えり子が、国際的に悪名高い人種差別団体「在特会」
(正式名称・在日外国人の特権を許さない市民の会)と昵懇(じっこん)の関係
であるという問題を、10月7日の参院予算委員会で民主党の小川敏夫議員が
追及していたが、その質疑応答中に、「宿泊先まで知っているというのは
懇(ねんご)ろの関係じゃないのか」とヤジが起きた。するとたちまち自民党
からは、自民党副総裁の高村正彦などが「女性閣僚に対して極めて下品な
ヤジが飛んだのは大変残念なことです」などと、あたかも山谷えり子が
在特会関係者と肉体関係があるかのように“曲解(スピン)宣伝”されて、
この問題はウヤムヤにされてしまった。
【参考動画】
●「名乗り出よ」山谷大臣へのヤジ問題で高村副総裁(14/10/08)
https://www.youtube.com/watch?v=1LESrFPUGjo
●「懇ろ関係じゃないのか」やじで議員名乗り出る(14/10/08)
https://www.youtube.com/watch?v=axZ3N4o-sgc

金玉一先生 「さようでありんす(笑)。その不運なボール役に選ばれたのが、あのタイミングでヤジを飛ばした民主党の野田国義議員だったというわけです」
花子おばさん 「まるで強盗犯が警察から追われて街なかで大捕物が行なわれているときに、自転車に乗った小学生がとつぜん路地から飛び出してきて、それを見つけた強盗犯が小学生をその場で人質にとって、警官が人質に気を取られているすきにまんまと逃げおおせた……という展開ですね」
金玉一先生 「先般の国会や地方議会で、自民党議員のセクハラ野次が大問題になったんで、自民党も政敵からのヤジに噛みついて反撃しようと、虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたんでしょう。そんな殺気立った場所でうかつにヤジを飛ばした野田という議員に、ハイエナどもが飛びついた……という構図です」
花子おばさん 「金玉一先生、ずいぶんと野田議員に同情的なのね?」
金玉一先生 「そんなことは全然ないのですよ。第一、わたしは野田国義っていう議員をまったく知らなかった。ニュースで『野田議員』という名前を聞いて、野田聖子かな? そうじゃなきゃ、いつのまにやら勝手に民主党時代の総理大臣になった野田さんかな?……って思ったくらいですから。選挙もしないで総理になった野田さんのほうは、私はいまだに苗字だけしか知りませんし(笑)。……しかし自民党のスピン工作の手口があまりに卑劣だったし、なによりも方言を猥褻だと貶(おと)める悪意と、日本語に対する無知がひどすぎるので、それで職業柄、この事件に注目するはめになったのです」
花子おばさん 「自民党は血相をかえて、野田議員を悪者に仕立てましたが、それほど無茶苦茶にあせる理由なんてあったのかなぁ?」
金玉一先生 「ヒントは“在特会”関西支部長の自慢げなブログに見いだすことができるでしょうね。5年まえの2009年、2月下旬に増木支部長は山谷えり子の松江宿泊中のホテルを訪れた。その時の日記も写真もずっと公表していた。その2ヵ月後に兵庫県西宮市の学校を襲ったことで逮捕され、在特会の支部長を解任されています。しかし支部長職を解かれたとはいえ、その後もますます盛んに在特会の運動をやりつづけ、同年8月には大阪での自民党候補の選挙運動を“勝手連”と名乗っていました。このときに東京から安倍晋三を呼んで会ってるんです。安倍さんはすでに下痢で総理のポストを投げ出し、当時は議員だったけれど“浪人中”でした。その安倍晋三とのツーショット写真も、増木氏は自分のブログで得意げに公表していたんです。その写真には『マスキクンのことを覚えてくれてました』などと自慢げな添え書きまで付けてあったんですよ。……ところが最近、その写真だけ除去してしまった……」


「在特会」の増木重夫関西支部長らが平成21(2009)年8月17日に
大阪7区の自民党候補(とかしきなおみ)を勝手連で応援した際に
安倍晋三(当時は官邸から逃げ出して「総理浪人」だった)を呼んだ。
その時の街宣報告が増木氏のブログで出ているが、注目すべきは
安倍とのツーショット写真に「マスキクンのこと覚えてくれてました」
のコメントが添えてあることだ。なお、安倍と在特会の「ねんごろな
関係」が世間に知られるのを恐れてか、このブログは現在では
安倍と増木のツーショットだけ消されている。自分の都合の悪い
画像を消すなんて、北朝鮮とか中国の独裁政権のやることだ(笑)。

(引用元:【1】増木サイト(いまは不都合写真を削除済み)
http://mid.parfe.jp/gyouji/H21/8-17-abe/top.htm
【2】不都合なツーショットが消されるまえのオリジナルがこれ。
http://megalodon.jp/2014-0919-1405-51/mid.parfe.jp/gyouji/H21/8-17-abe/top.htm


花子おばさん 「排外主義を信条にしていて『在日特権を許さない』増木さんなのですから、“在日特権”の権化みたいな安倍晋三を排除したってことでしょ?」
金玉一先生 「ウウン……と、そうじゃネェじぇ。世界から注目を浴びている“在特会”が、安倍政権の閣僚のうちの、あまり重要じゃないメンバーと“ねんごろ”だとバレたくらいなら、トカゲの尻尾切りでなんとでもゴマカせる。けれども安倍総理本人と“ねんごろ”だったなんてバレたら、自民党はバカな国民は騙(だま)せても、世界の国々から相手にされなくなりますからね。だから安倍さん自身に追及がおよぶまえに、自民党への追及の矛先をかわしてスキャンダルつぶしをする必要があった……ということでしょうな」

★          ★          ★

花子おばさん 「先生さきほど、今回の騒動では自民党の、方言を猥褻だと貶(おと)める悪意と日本語に対する無知がひどすぎる、と憤慨しておられましたが、どういうことですの?」
金玉一先生 「野田議員がヤジって、自民党が即座に問題視したのは、『ねんごろな関係』という言い回しでした。自民党の連中、たとえば副総裁の高村正彦なんて、『女性閣僚に対して極めて下品なヤジが飛んだのは大変残念なことです』なんて公言しとるわけですよ。……それをみて私は、『あゝ、自民党の奴らって、日本古来のことばを猥褻な意味にしかとらえることができない、日本語しらずの卑猥(ワイセツ)な連中だなあ』と痛感したのです」
花子おばさん 「たしかに『ねんごろ』という言葉は元来、猥褻とはほど遠いですよね。『ねんごろ』は漢字で書けば“懇親会の懇”という字ですし。懇親会って猥褻な乱交パーティーじゃないわけですから」
金玉一先生 「おっしゃるとおり。そもそも『ねんごろ』という言葉がどういう起源から生まれ、大昔から現在にいたるまでどんな意味で使われてきたか? それを簡単にまとめたメモ書きを、今回のお話しのために用意してきたんですが、棒読みしても味気ないものなので、この対話の末尾に掲載することにいたしましょう。それをご覧になればただちにわかることですが、『ねんごろ』という言葉に猥褻な意味ばかり見いだす態度こそが異常であるし、そうした態度こそが猥褻なのですよ。じっさい学校なんてPTAの懇親会がざらにあるわけですが、乱交とかセックスなんて無関係な場所ですから(笑)」
花子おばさん 「ところが自民党のエラい先生たちは『ねんごろな関係』をそういう意味でしか理解できないみたいだわ。そういう“ワイセツ脳”ならば、教師が『PTA懇親会』で生徒の親たちと乱交してるにちがいない……て思い込むのでしょう。あのようなかたがたが、いまだに日教組を攻撃しているのは、そういう有らぬ妄想から生じた嫉妬(しっと)心のせいかもしれないわね(笑)」
金玉一先生 「山谷大臣にむかって『ねんごろな関係じゃないか?』というヤジが出て、自民党がケシカランと怒りだし、ヤジの犯人さがしが始まって、おかげで山谷えり子と在特会の“ねんごろな関係”の追及が吹き飛んでしまった。これで審議が中断し、自民党の憤慨ぶりに恐れをなして、野党側の筆頭理事の蓮舫(れんほう)が、ヤジを飛ばしたのは『明らかに我々の側だった』といってすぐに予算委員長に謝罪したんです。蓮舫が謝罪した瞬間に、野田議員の『ねんごろな関係じゃないのか?』という追及の矛先そのものが“謝罪すべき非行”だと断罪されて、民主党みずからの手でポッキリと折られてしまった……。自民党の連中は日本語知らずの破廉恥(ハレンチ)野郎だけれども、台湾生まれとはいえ幼少時からずっと日本で育ってきた蓮舫さんも、やはり日本語についての理解が浅かったことが、暴(あば)き出されたといえるでしょう」
花子おばさん 「そうやってヤジが大騒動に発展したのは野田議員の本意ではなかったでしょうね。野田さんはすぐに名乗り出て、『誤解を与えたことは反省するけれど、自分が言ったのは思想的な“ねんごろ”という意味で、男女関係の意味ではない』と釈明もしましたが、マスコミも自民党に同調して、彼が騒ぎの元凶だという扱いで一件落着して、ついに在特会と山谷国家公安委員長との“腐れ縁”についての追及はあいまいになっちゃった……」
金玉一先生 「野田議員は、単に“親しい”という意味で“ねんごろ”という言葉を『九州じゃあ、よく使うんよ』と言いました。九州どころか、通常はまさに彼がいう意味で“ねんごろ”は全国的に使われているわけです。……ところが麻生太郎が即座にこれを否定した。九州じゃそんな言葉は使わないぞ、とね。麻生太郎はもともと日本語をあまりよく知らない人ですから、そういう日本語知らずが“九州人の代表格”みたいな顔をして、曲がった口先で曲がったことを言うのは、国語学者としてちょっと許しがたいわけですワ(笑)」
花子おばさん 「でも結局、野田議員のその釈明は、つぶされてしまいましたよね」
金玉一先生 「野田氏が『九州じゃあ、よく使うんよ』と釈明したら、ネットでは『ボクはワタシは九州人だけどそんな言葉は使いません』という書き込みが殺到したんです。ふつうに生活している人たちは、わざわざそんなことを書き込んだりしませんよ。ヒマにまかせてネット掲示板に張り付いている所謂(いわゆる)“ネトウヨ”のゴロツキ連中とか、自民党がインターネット世論対策で組織した、会員数公表1万人の“自民党ネットサポーターズクラブ”の連中でしょうね。……ちなみに私はこの連中を“自民党サポチン”と呼んでおります。なにしろ奴ら、座敷犬の狆(ちん)みたいに卑屈で小うるさく吠える。このサポチン連中のせいで、日本のインターネットは全体的に生産性の低い、劣悪な内容に成り果ててしまった……。ネットでウジウジと落書きをしているだけの、インポテンツなサポチンどもですわ(笑)」
花子おばさん 「……わたしは女ですからサポチンは着けませんけど、おっしゃることはよくわかりますわ。自民サポチンのほかに、インターネットを使って政治活動をしている右翼勢力といえば、問題の在特会や、カルト集団の統一教会とか“降伏の科学”もありますよね。そういう連中も暗躍したのかも……」
金玉一先生 「いま“降伏の科学”とおっしゃたが、ひょっとして“幸福の科学”の間違いでは? まあとにかく、片っ端から相手をかえてイタコもどきを行なってる下品なカルト団体には相違ない。津軽の恐山で口寄せをしている本業のイタコのかたがたが、あのカルト集団のサーカスまがいの演芸を鼻で嗤(わら)っていますからね。……それはともかく、この騒動の結果、野田議員は“口枷(くちかせ)”をはめられてしまった。もう大臣閣僚の連中と、在特会との“ねんごろな関係”について国会で語ることはできなくなった。いわば野田議員の首に“方言札(ほうげんふだ)”が掛けられてしまったわけです」


「ねんごろ」は殊更に性的な愛情関係を指す言葉ではない。
むしろ「心が通い合って懇意になる」意味で日本の社会一般
で使われている。なのに野田議員がその趣旨を述べて「九州
では普通の意味で使っている」と釈明するや、福岡生まれの
“江戸っ子”麻生太郎から「そんな方言はない!」と頭ごなし
に否定され、九州方言そのものへの攻撃へとすり替えられた。
あげくのはてに野田議員が一方的に謝罪するはめになり、まるで
彼が「九州方言を乱用してセクハラ発言」をした、みたいな
印象で終わってしまった。一般常識的な用法であり、もちろん
九州でも普通に使われている「ねんごろ=懇意」という意味
での「ねんごろ」の使用を、野田議員は国会与党の圧力で禁じ
られてしまった。かつて沖縄などで強制された「方言札」が
国会で復活したのであった……。


花子おばさん 「方言札ですか……。琉球国が日本の統治下に入って以来、沖縄など南西諸島の学校でさかんに行なわれた“ことばの体罰”でしたよね」
金玉一先生 「古来、琉球国は独自の文化をもった島国だったわけですが、明治政府がクーデタで幕藩体制をひっくり返して西洋流の“近代国家”を作ろうとし始めたときに、南西諸島にひろがる琉球国を吸収しようとして、焦(あせ)って事を進めたわけです。そして強引に琉球国ならではの文化的な独自性(アイデンティティー)を消し去って、ニッポン本土による行政的・文化的な統治にむりやり適応させるために、琉球住民の方言を禁じて、標準語を使わせようとしたのでした。琉球国の伝統的な社会のしくみや文化を、ニッポン本土の明治政府の革命政策に会わせるために強引に歪めた政策は、『琉球処分』という行政用語で呼ばれていたわけですが、方言札は“琉球人のことばを滅ぼす”ための決定打だったのですよ。しかもこの“方言札”という精神的体罰は、南西諸島だけでなく、九州や東北でも、標準語を教え込む手段としてさかんに使われていたのです」
花子おばさん 「ところで野田国義議員はどこの出身でしたっけ?」
金玉一先生 「九州は福岡県の南の奥にある八女(やめ)市で生まれ育った人ですが、興味ぶかいことに八女市は古代遺跡の宝庫で、邪馬台国があったといわれる有力な候補地なのです。そういう場所で生まれ育ち、上京して大学にかよい卒業後しばらく政治家秘書をしていた“書生時代”は別として、あとはずっと地元で市長をしていた人ですから、そのような“邪馬台国”有力候補地の現場に密着して生きてきた人の言語感覚を、国会の場で封殺したというのは、あえて言うなら『邪馬台国処分』とさえ言えそうですな」
花子おばさん 「でも野田国義さんが釈明のなかで主張していたのは、『ねんごろ』のごく常識的な用法でしたわよ。むしろそれを一方的にセックスとか淫行と結びつけるほうが可笑しいじゃないの。東京永田町の国会議事堂という場所こそが、日本全土の常識的な言語感覚からかけ離れた、淫猥で邪悪な文化風土だってことでしょう?」
金玉一先生 「そういう意味では、自民党の日本語しらずの連中や、それに安易に迎合した野党民主党の日本語しらずの連中こそが、野田議員に“方言札”をかけたことによって、むしろ自(みづか)らの言語感覚の異常性・変態性を立証してしまった……ということになりますな(笑)」
花子おばさん 「おそるべきは国会方言ってことになりますね(笑)」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。なにせ国会は“猥褻脳”の吹きだまりですからね(笑)」

★          ★          ★

花子おばさん 「自民党の人たち、『ねんごろな関係』発言に異常に興奮して、ケシカランなんて言ってますけど、その自民党だってけっこう懇親会とかやっているんでしょ?」
金玉一先生 「彼らは『懇ろ』がケシカランと怒りまくってるわけですから、彼ら自身の懇親会も、じつは世間に公開できないような猥褻なものかもしれませんよ」
花子おばさん 「にわかには考えがたいことだわ」
金玉一先生 「ここに2枚の写真がありますが、私もにわかには信じられないようなものが写っているんですよ。ごらんあれ……」


自民党の定義によれば「懇ろ」は「性的な関係」を意味する
のだという。その自民党が全国のあちこちで「懇親会」を
開いているが、それは乱交パーティーのようなものだ、と
みずから認めたことになる。たとえばこの「自民党懇親会」
では、安倍総理と影武者そっくり軍団たちが仲間内に裸踊り
を披露しているが、たぶんこういうことをしているのだろう。



今回の「山谷えり子と在特会の“懇ろな関係”騒動」を
通じて、自民党の大臣閣僚たちは「懇ろ=性的関係」だと
断定した。すると自民党の「新年懇親会」はこういうもの
なのだろうな……。現行ちんぽうに不満な自民党は「かえせぃ」
を党是としているから、女子党員たちがチンポコ御輿をかつぐ
のは祈願成就の儀式なのであろう。この光景がいつのものか
時期不明だが、おそらく“かなまら”さんが政界のドンだった
頃の懇親会だろう。


花子おばさん 「まあ! すごい!」
金玉一先生 「1枚目の写真なんて、安倍さんの影武者まで総出で裸踊りをおどっていますからね(笑)」
花子おばさん 「2枚目の写真はまるでお祭りみたいだわ。日本中のエッチなお祭りをぜんぶもってきたような乱痴気騒ぎだわね(笑)」
★          ★          ★

金玉一先生 「今回、自民党のおエラがたは『ねんごろ』という言葉は猥褻だからケシカランと騒いだわけですが、全国各地には、標準語で言ったらワイセツだと決めつけられてしまうような言葉がかならず存在するわけです」
花子おばさん 「具体的にはどんなものですか?」
金玉一先生 「どんな社会でも子供を産み育てていかねば存続できません。だから生殖にかかわる言葉はかならずある。それをワイセツかどうか決めつけるのは、木っ端役人の卑劣な精神だけなのですよ」
花子おばさん 「つまり生殖器の呼び名……とかですか?」
金玉一先生 「そのとおり。たとえば女性器ですが、地域によって呼び名がはっきりとちがう(http://www.geocities.co.jp/Bookend/3317/onna.html )。関東一円では『おまんこ』ですが、北海道の小樽では『よしこ』、津軽弁では『えべ』、横浜では『あびちょん』、石川県七尾市では『ちゃん』、宮崎県や鹿児島県では『まんじゅう』と呼んできたのです。男性器の呼び名は、女性器よりもはるかに単調で、全国の大部分で『チンコ』とか『ちんぽ』とか呼ばれていますが、それでも青森県の『ハド』、沖縄県の『タニ』など、独特の呼び方をする地域が存在しています(http://c.m-space.jp/child.php?ID=041104&serial=93491 )」
花子おばさん 「国会の議場で、あからさまに生殖器の名前を呼べないのであれば、桜井よしこさんはこの先、参考人として国会証言するのは無理でしょうし、将来国会議員になるなんて望むべくもないですわね」
金玉一先生 「作家とかジャーナリストってのは、ものが書けなくなると政治家になって権力に近づきたくなるという、街灯にあつまる虫みたいな習性がありますが、たしかに改名でもしなきゃ難しいでしょうな(笑)」
花子おばさん 「安倍総理も『エベちゃん!』とか『アビちょん!』なんて呼ばれたら国会にはいられませんね(笑)」
金玉一先生 「自民党幹事長の谷垣さんも、沖縄で仕事をするときは名前を変える必要があるでしょうな。『皆さまこんにちわ!タニガキでございます!』って挨拶しても、『チンコ坊やでございます!』って言ってるようなもんですから(笑)」
花子おばさん 「九州南部じゃ女性器のことを『まんじゅう』って言うのですね……」
金玉一先生 「小泉総理以来、その時々の政権党の顔役たちをマンガ似顔絵にして饅頭にして売ってきた、西日暮里の大藤っていうお菓子屋さんがあるのですが、そこの一番のヒット商品が安倍晋三をメインキャラクターにすえた“晋ちゃんまんじゅう”シリーズなのですよ。これは議員会館や靖国神社で販売されてるのですが、自民党が今回、国会で言葉狩りを始めましたから、もう議員会館では販売できないかもしれませんな。なにせ自民党の物差しで判断したら“晋ちゃんまんじゅう”は猥褻物になってしまいますから(笑)」


西日暮里のお菓子屋さん(株)大藤は、2001年に「ガンバレ純ちゃんの
好景気まんじゅう」を発売して以来、その時々の有名政治家キャラの
まんじゅうを売り出して人気を博している(http://www.omiyage-daito.com/)。
2009年に自民党が選挙で惨敗して下野した時は、谷垣禎一(さだかず)総裁
をメインキャラに立てた「よみがえれ!自民闘栗まんじゅう」で谷垣自民党
を応援した。当時“首相になれない総裁”の苦境に耐えていた谷垣氏にとって、
これはありがたい応援だったにちがいない。……しかし国会が「ねんごろ」を
猥褻方言として禁じた今、九州南部で「女陰」を意味する「まんじゅう」は
もはや禁制語である。大藤の政治家まんじゅうは議員会館や靖国神社で
売っているが、もう「まんじゅう」の名前では議員会館に置けないかも
知れない。


民主党が2012年暮れの選挙で惨敗し安倍自民党が政権を奪還して以来、
大藤さんは安倍政権を応援する「まんじゅう」を次々と発売してきた。
「晋ちゃんまんじゅう」シリーズは首相就任の2007年発売以来、55万個
も売ってきた大藤さんの“稼ぎがしら”なのだ。だが「まんじゅう」は
九州じゃ「女陰」を意味する“猥褻方言”ゆえ、自民党が党首や閣僚を
キャラクターに立てて“猥褻物”を売るのは、今後は難しくなりそうだ。
(写真はいずれも市販品「晋ちゃんまんじゅう」包装紙だが、「まん
じゅう」の文字が墨塗りで消されて禁制印が押されている)


花子おばさん 「“まんじゅう”がダメでも餡(あん)パンがありますよ。『晋ちゃんアンパン』シリーズでも売り出せば、アンパンが大好きな暴走族の皆さんが買うんじゃないかしら?」
金玉一先生 「そっちのアンパンは、パン生地で餡を包んだものじゃないですよ。ポリ袋にシンナーを入れたものですから(笑)」
花子おばさん 「でもそういう『晋ちゃんアンパン』を吸ってれば、浮き世を忘れて“美しい日本のわたし”をトリモロスこともできるでしょうね」
金玉一先生 「コレコレ! 子供が聞いている番組で、シンナー吸引を推奨するような発言はおやめなさい!」
花子おばさん 「こりゃまった~失礼い・た・し・ま・し・たっ! ドン!」

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「ねんごろ」の意味と語源

PDF文書版の上記資料をダウンロードできます
http://www.rokusaisha.com/wp/wp-content/uploads/2014/10/74d75f542c55c164154113ce6ef20e771.pdf


きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

 

 

 

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5228から引用》
と明記して下さい。)

《大学異論13》学園祭で「SMショー」は芸術か?ワイセツか?

学園祭はその大学の学風や個性を知るのによい機会だ。模擬店で軽食を売る光景はどこの大学でも見られるが、時に目を疑うような光景に出くわすことがある。

私が勤務していた当時、その大学にはなんと年に2回学園祭があり、業界では「知る人ぞ知る」存在であった。学園祭期間中、大学内の統治は実質的に「学園祭実行委員会」に委ねられ、私たち職員は万が一の事故や怪我、事件備えて事務室で待機していた。「待機」といえば聞こえはいいが、1名飲酒しない職員を確保して、その他の職員は昼間から学生ともども酒を食らっていた。

とはいえ、学園祭の前には事故や近隣住民と問題を起こさない為に「学園祭実行委員会」と我々大学側でかなり細密な打ち合わせを行っていた。進行の全体像は毎年の蓄積があるので双方さして異論はないが、一番の焦点になったのがメインステージで行われるイベントの内容だ。学生側はそれまで行われた企画を超えようと、さらにインパクトのある(危険であったり、ワイセツギリギリであったり)企画を準備してくる。大学としては物理的に明らかに危険が予知されるものは許可するわけにはいかないので、押し問答となる。

実際それまで学園祭で前例のなかった、3メートル超の高さから、じゃんけんで負けた方が飛び下りる、という企画を事前会議で提案された際、「この高さから飛び降りると、地面はコンクリートだから骨折の可能性がある。下にマットを2重に敷いて2メートルから君たちが実験して、危険がなければ」との条件を付けて認めたが、学生どもはその検証実験を行わなかった為に、じゃんけん敗戦者が飛び降りると大声をあげて痛みを訴える者が続出。中には脛から骨が飛び出している者まで出る始末。当日私は運悪く「飲酒禁止」の当番にあたっていたので、3人の学生を次々と病院に搬送する羽目となる。

模擬店や教室を利用しての企画ものは事前申込制で「学園祭実行委員会」が全て把握していたが、その枠を無視して多数俄作りの建物が出現する。学生の腕と工夫は見上げたものだった。学内的にも「規則違反」なのだが、建設現場で使う足場と発電機、さらには数十種類の洋酒を揃えた本格的なバー。周りを囲んで男女誰でもが順番に利用できるように作られた「五右衛門風呂」。そして極めつけは100人以上は収容できようかという複雑な建築様式で?「規則違反」をもろともせずに立てられた「SM小屋」だ。

◆「アバンギャルド」といえば、そうともいえる

学生が「SMショー」をゲリラ的に行うという噂は事前に入っていた。当日私は幸い飲酒禁止の当番ではなかったので、後にその大学で学長を勤めることになる教員の責任者と一緒に昼からいい気分になっていた。

「○○さん(教員の名前)、学生がSMショーやりよるって聞いてはります」
「知ってるで、うちの専攻の学生やわ。その子はMで女王様を東京から呼んでるらしいで」
「SMって、まさか女の子が裸になって、本当にやるんじゃないですよね」
「いや、やるみたいやで」
「どうします?フェミニズムの教員から後でたたかれたら厄介ですよ。それに裸といっても一体どこまで・・・」
「うん。見に行かなあかんな!職務として」
「ただのスケベ職員やて、いわれへんかなー」
「いや、芸術か、単なるワイセツかを見極めるのは極めて重大な大学の任務や」
「そ、そうですね」

というわけで「SMショー」が行われる「芝居小屋」に向かった。入り口には学生が列をなし、我々も入場料を徴収される。確か1000円だった。「職務権限」で押し切りはいることは無論可能なのだが、列をなしている学生の手前、またこれから始まる「ショー」が一体どんなものなのかという興味と不安で自然に入場料を支払ってしまう。

「先生、来てくれはったん!」と赤い皮の衣装を身に着けた女子学生がこちらに寄ってきた。同行している教員の教え子がこの子らしい。身に着けている皮の衣装はかなりきわどいが、幼い顔をしている。

「観客できたんちゃうで、? 勘違いせんといてや!」
「嘘や!先生私の喘ぐ姿見に着たくせに」
「いや、大学としての責任があるからな。何があるか見届けなならんし」

こんなすっ飛んだ会話、日本の大学ではもう100%ないだろう。牧歌的といえば牧歌的。アバンギャルドといえばそうも言える光景だった。

狭い舞台の上では小さなメガホンを握って、これまた怪しい風体の男子学生が素人とは思えない慣れた節回しで観客を誘導し、舞台開始までの間をつなぐ。そしていよいよ「女王様」の登場だ。170センチくらいある20代後半の女性が黒いムチを持って現れた。

やわらムチを地面に叩き付ける。「ビシッ!」
思いがけず大きな音に観客から「おおお」と声が上がる。
先ほどの赤い皮を着た学生が登場する。
あれ! すでに上半身は服を着ていない!
床に寝ころぶと女王様が彼女の腹部にムチを打ち付ける。
「あ、ああ」

「○○さん、これええんやろうか・・」
私は本来の職務を思い出し、教員に語り掛ける。
「今のところ、芸術や。問題あらへん」
「どこで、区別すんのよ。芸術とワイセツと」
「ワイセツが悪ではないで」
「え!なら何しても黙認するん?」
「黙認ちゃうがな、見ながら確認するんや」

このおっさん、酔ってるのか正気なのかわからない。
舞台の上のMの子は既に全裸だ。女王様の道具がムチから蝋燭に代わっている。
いかがわしい語り口の小さいメガホンが絶妙な合いの手と解説を入れる。
こいつら大学来ていったい何やっとんじゃ!と思いながらもその完成度に見入る自分が優ってしまう。

最後にMの子が悦楽に果て、ショーは終わった。
「冷や冷やもんでしたね」
「あそこまでやるとは、ワシ思わんかった」
「あれ、芸術ですか?ワイセツですか?」
「うーん・・・」

芝居小屋出る長蛇の列に並んでいるとまた赤い服をまとった学生が寄ってきた。
「先生、どうやった?私今日はホンマにすごかったでしょ」
「うんうん、よかったで」

何が「よかった」のか。芸術だったのか、ワイセツだったのか。
学園祭後も学内で特に「SMショー」が問題にされることはなかった。
現場にいた教職員はたぶん我々2人だけだったのだろう。と安心していたら、
「田所さん!学園祭でSMショーやってたん、知ってはります」と学生がやってきた。
「そんなん知らんけど」ととぼけると、
「フライデーに出てますよ。ほら」
なんと、事前にフライデーの記者が「学園祭でSMショー」を察知して、わざわざ東京から取材に来ていたのだ!

扱い自体は小さいが大学名も入ってるし、写真はあらわな学生の裸体を載せている。
「知らんかったわー。これ知ってたら早く教えてくれな」
「僕も知らんかったんです。後で噂聞いて。見に行きたかったなー」
「あほ。来年からこんなん禁止じゃ」

ヒヤヒヤモノであった。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策
《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて
《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!
《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち

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《脱法芸能14》ビートたけし独立事件の裏側(2)──浮上するマッチポンプ疑惑

『週刊大衆』(1987年12月21日号)に「太田プロ関係者」の次のような談話が紹介されている。

「いまから四年前、たけしさんは独立するつもりで自分の側近に声をかけ、密かにスタッフ集めまで始めていたんです。そのときは、結局ウヤムヤに終わってしまいましたがね」

86年度の太田プロの申告所得は、3億5000万円で、芸能プロダクション全体で3位にランクインするほどだった。その稼ぎの大半はたけし絡みだとされていた。当然、太田プロとしては稼ぎ頭のたけしの独立を認めるはずはない。もし、たけしの独立がスムーズに行なわれれば、片岡鶴太郎や山田邦子など他の所属タレントにも追随の動きが出てくる可能性もある。

太田プロが加盟する芸能プロダクションの業界団体、日本音楽事業者協会ではタレントの引き抜き禁止、独立阻止で一致団結している。たけしが独立を強行すれば、業界全体から干される可能性が高いのである。たけしが4年前に独立を断念したのは、そうした芸能界の政治力学が分かったためであろう。

米『TIME』誌アジア版の表紙を飾ったビートたけし(2001年2月12日)

◆「オイラは紳助と違う」

では、なぜたけしは、88年2月にオフィス北野を立ち上げて独立を果たせたのか。これも芸能界の政治力学が大きく絡んでいると考えられる。

『アサヒ芸能』(88年3月10日号)が「ビートたけし『オレはハメられた!』巨額“独立御礼金”の計算違い」と題する記事を掲載している。

記事によれば、日本青年社とたけしの手打ちを実現するためにかかった7000万円は、たけしの借金という形で残り、さらにお世話になった芸能関係者それぞれに対し、独立後の3ヶ月間毎月200万円支払うという話もあった。日本青年社との和解工作で動いた関係者は15人ほどと言われていたから、9000万円程度の費用となるから、先の7000万円と合せて1億6000万円の借金を抱えることとなったというのである。

そして、たけしは元所属事務所の太田プロにも解決金を支払うことで合意したという。たけしは、独立と同時に巨額の負債を抱えることとなった。たけしが「オレはハメられた!」と言うのは、成り行きで借金を抱えることになったのではなく、最初からシナリオができていたのではないのか、という疑念があったからだろう。

『週刊文春』(2011年9月29日号)で、島田紳助が暴力団関係者との交際を理由として引退を表明したのを受けて、たけしが日本青年社との手打ちの真相について次のように明かしている。

「これまで何度も右翼団体から街宣活動をかけられたことがあったけど、オイラは紳助と違う。ヤクザに仲介なんて頼んだことない。最初はフライデー事件の後、日本青年社に『復帰が早すぎる』と街宣をかけられたときだな。一人で住吉の堀さん(政夫氏、当時・住吉連合会会長)のところに行って、土下座して謝ったの。その後、右翼の幹部にも会って、それで終わりだよ」

「オイラの行くとこ、行くとこ、街宣がかけられているのに、当時の事務所は何も動いてくれないから、『自分で話をつける』って全部、一人で回ったんだよ。えれぇ、おっかなかったけど。堀さんに謝ったら、小林さん(初代日本青年社会長)と衛藤さん(豊久氏、二代目日本青年社会長)のところへ行けって。それで二人の前で『芸能界辞めます』って言ったら、『まだもったいないだろう』という話になった。街宣をやめる条件は、当時の事務所を辞めるってこと。『お前は生意気だって噂もあるから、気を付けろ』って怒られて、赤坂でスッポンをご馳走になって帰ってきた。そのとき、色んなヤクザから助けてやろうかって言ってきて、それを断るのも大変だったよ」

タレントであるたけしは、立場上、直接的にも間接的にもヤクザや右翼にカネを払ったとは言えない。ここで重要なのは、日本青年社側が街宣中止の条件として、たけしに太田プロを辞めることを要求してきたということだ。

太田プロも所属する業界団体、日本音楽事業者協会(音事協)では、加盟プロダクション同士でタレントの引き抜きを禁じている。たけしが他のプロダクションに移籍することは基本的にできないから、独立せざるを得なくなったのである。

◆なぜ日本青年社はたけしに独立を迫ったのか?

では、なぜ日本青年社はたけしに独立を迫ったのか。それは、たけしの独立が日本青年社の利益になるからだろう。そこで、浮上するのが、マッチポンプの疑惑だ。つまり、日本青年社と仲介役となった芸能関係者らが最初から結託し、たけしに独立を迫り、たけし利権を太田プロから横取りすることを狙った、事実上の引き抜きだったのではないかということだ。

では、誰が絵図を書いたのだろうか。そのヒントとなると思うのが、日本青年社とたけしの和解工作をしたとされ、オフィス北野が設立された当初から、取締役に就任していたライジングプロダクションの平哲夫社長の存在だ。

後にライジングプロは、バーニングプロダクションとの関係を深め、「バーニング系」と言われるようになったが、バーニングプロダクションの周防郁雄社長も和解工作をしていたとされる。

だが、独立したたけしは、バーニング系と目されることはなく、バーニング系のタレントとの共演も特に目立つということもなかった。

実は、オフィス北野の設立と同時にバーニングに対し批判的な報道で知られる芸能ジャーナリストのA氏がたけしの顧問のような形で入っているのである。

A氏とたけしの親密ぶりは業界では有名だ。A氏はたけしの撮影現場にしばしば出入りし、A氏が地元で飲んでいるときに、フラリとたけしが現れることさえあるという。

また、A氏はたけし関係の記事を執筆することも多い。たけしのコメントが『東京スポーツ』で大きく掲載されるとき、このA氏が記事を執筆し、高額の原稿料が支払わるルールになっているが、『東京スポーツ』関係者は「Aさんがライターじゃないとダメだと、オフィス北野が指定してくるんです。なぜなのかは分からないけれども、昔からそうなっています」と言う。

A氏は、なぜ、たけしと関係が深いのかについて多くを語らないが、「オレは芸能界に功績があるんだ」とだけ言う。

あくまで筆者の仮説だが、たけしにとってのA氏の存在意義は、バーニングに対する防波堤のような役割なのではないだろうか。

仮にたけしが太田プロからの独立でバーニング系となったとしたら、どうなっていただろうか。たけしの番組にバーニング系のタレントが氾濫したり、映画のキャスティング権をバーニングに握られるというような事態も考えられる。

だが、現実にはそうはならず、たけしは、多くの国際映画賞や外国の勲章が授与され、国際的スターの座を手に入れた。その陰にはバーニングの介入から守るA氏の存在があったのではないか。そうであれば、確かにA氏には「オレは芸能界に功績がある」と言えるだけの資格があるだろう。

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

芸能界の真実をえぐる!『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

 

橋下・桜井面会はファシスト差別者同志の猿芝居!

大阪市長の橋下徹が在特会(在日特権を許さない市民の会)会長の桜井誠と10月20日、「面会」した。報道によると両者は「お前!」「お前と呼ぶな!」など罵倒に終始し小競り合いにSPが止めに入るなど、大した内容もなく10分で「面会」を終了したと報じられているが、その10分間に交わされた会話を子細に見ると、これは単なる怒鳴りあいではない。

まず、橋下は面会に先立って先週行われた会見で「在特会もだいぶまともになったんじゃないですかね。今日の主張なんか見てると問題ない範囲ですよ」と述べている。

何が問題ない範囲だ! 橋下にとって問題ない範囲は差別に対しては「無限大」。だから奴の尺度で判断されること自体が的外れだ。在特会が繰り返す「朝鮮人は国に帰れ」、「在日はゴキブリ」という表現に問題はないという大阪市長。温度も冷え込んできたからそろそろ道頓堀にでも飛び込んで頭を冷やしてはいかがか?

◆同じ穴の狢(むじな)

「会談」当時の内容も一見単なる怒鳴りあいに見えて、子細に見ると内容の上で双方が合致している。

橋下:大阪でな。大阪でもうそういう発言を止めろって言ってるんだ。
桜井:どういう発言かって聞いてるんだよ!
橋下:民族とか国籍を一括りにしてな、評価をするようなそういう発言は止めろって言ってるんだ。
桜井:朝鮮人を批判するってことがいけないって言ってるわけ?
橋下:お前な……(笑)。

ここで桜井が朝鮮人を批判するのがいけないのか、と聞いているのに対し、橋下は「お前な・・・(笑)」と朝鮮人差別を否定していない。また、

橋下:お前、国会議員に言え。
桜井:は?
橋下:お前の主張は国会議員に言えって言ってるんだ。
桜井:あんたの友達の国会議員に言ってるよ。
橋下:おう言えよ。
桜井:おう言ってるよ。
橋下:どんどん言えよ。
桜井:うん。それで終わりじゃねえか話は。
橋下:参政権を持ってない在日韓国人に言ってもお前、しょうがねえだろ。
桜井:その参政権を求めてるだろ彼らは。

と桜井は地方参政権を求めていることがあたかも「悪」のように断言しているが、それへの橋下の回答は、

橋下:強い者に言えよ。そんな弱い者いじめばっかりするんじゃなくて。

と極めてあいまいに逃げており、決して差別を否定していない。また、

橋下:……だからもうそういうな、在日の特定永住者制度とかそういうことに文句があるんだったら、それを作った国会議員に言えって言ってんだ。
桜井:言ってるんだよ! そして何よりもね、特別永住者制度なくしたらどうなるかくらい、わかるだろ?
橋下:だから、国会議員に言え。
桜井:言ってるって言ってるだろ。
橋下:特定の個人をな、ルール違反のことをやってる特定の個人がいるんだったら、刑事告発しろ。民族をまとめて、国籍をまとめて、それについて評価を下したり、ああいう下劣な発言は止めろ。

橋下は「特定永住者制度文句があるんだったらそれを作った国会議員に言えって言ってるんだ」と発言している。橋下自体が「特定永住者」制度に異議があるとも受け止められる発言だ。しかも制度に異議があるのならば政治家に言えというのは、逃げの発言だ。自分が桜井と「面会」を承諾しておきながら自分では何も責任を取る発言をしていない。

それはそうだろう。奴らは二人とも「同じ穴の狢(むじな)」なのだから。極めつけは次のやり取りだ。

橋下:もうとにかく、大阪ではお前みたいな活動はいらないから、ちゃんと政治的な主張……
桜井:私がいつそういう主張を大阪でやったんだって聞いてるんだよ。
橋下:政治的な主張と、通常の主張を、ちゃんと表現の自由に収まる範囲に変えろって言ってるんだ。
桜井:お前に、この間なんか見たけど、「在特会はおとなしくなった」とかなんとか言ってたろ? ああいうデモしか我々はやったことないんだよ! それ以外でね、あんたがいうヘイトだなんだっていうデモがあったんだったら、ちょっと日付言ってくれるか?

橋下は「大阪ではお前らみたいな活動はいらないから」と発言している。逆に言えば「大阪以外のことは知らない」ということだ。ちょっと待て橋下!
お前は大阪市長でもあるが、国会議員を擁する「維新の党」の共同代表ではないのか? 野党とはいえ一定数の国会議員を抱える政党の責任者が、「国会議員に言え」、「大阪ではやるな」など無責任にもほどがある。これでは「桜井と俺はちょっと立場が違うけど基本的に考えは変わらないよ」と発言しているも同然だ。

◆在特会を世間に広める効果

来年4月の統一地方選で、元在特会の人間が維新の党から選挙に出馬することが判明した。元在特会といっても、思想がそう簡単に変わるものではない。そのことについて大阪維新の会の松井大阪知事は「もう考えは変わっているから問題ない」と発言した。当人の思想点検やったのか? アホぬかせだ!

「弁護士タレント時代」にテレビで無責任な差別発言を連発して以来、橋下は確信的な差別者である。しかもこいつは、決定的にずるい。光市母子殺人事件の弁護団懲戒をテレビで呼びかけながら、自分自身は「それに時間を割く価値を感じなかった」と厚顔にも発言した。さすがにこの行為は大阪弁護士会で問題とされ懲戒処分を受けている。テレビでの懲戒呼びかけに日頃から「騙され続けている」人々が大挙参加し、弁護士としてごく当たり前の仕事をこなしている弁護団が、あたかも「悪人」のように報じられた。

テレビ報道で今回桜井を初めて知った方々には桜井が酷い物言いをする人間との印象が残っただろう。が、同時に橋下が同じレベルで話をしていた内容の危険さに気づいた人は少ないのではないか。私は今回の「面談」は両者の間で最初からストーリーが決められていた、猿芝居に思える。そうでなければ、言葉の上では喧嘩をしているように見えて、在特会の認知を世間に広める効果を持っただけだ。

断じておこう。橋下、桜井は同種の人間であり、橋下流に言えば「お前ら二人とも日本にはいらない!!」

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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小渕、松島以上に悪質な極右女性大臣たちの「在特会」献金疑惑!

小渕優子経産相、松島みどり法相が10月20日、辞任に追い込まれた。ざーまーみさらせ! だが、まだ足りない。女性大臣として任命された輩のうち高市、三谷、有村はまだ平然と職にとどまっている。高市は初めて国政選挙に出馬する前から統一教会(原理研=勝共連合)からの支援があからさまで、極右の人物として知られていたが、山谷、有村は、今をときめく「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の支援者であり、山谷は外国人記者クラブでその件を質問された際、あわあわ、回答に窮していた。

首相が安倍なので側近がこのような極右女性大臣というのはお似合いではあるが、山谷が国家公安委員長とは悪い冗談にもならない。「在特会」の暴力、暴言を放置して、それに反対する市民をどんどん逮捕するだろう。だって、山谷自身が「在特会」と仲良しなんだから。因みに安倍自身も統一教会からの献金・支援を長年に渡り受けており、こいつを支持する「在特会」の心情は摩訶不思議である。

◆過激な「差別思想」の持ち主で固めた第二次安倍内閣の閣僚たち

女性政治家だからといって、男性よりも子供思いだとか、心優しいなどと、まさか信じている読者は少なかろうが、第二次安倍内閣で大臣に就任した女性政治家は以前から過激ともいる「差別思想」の持ち主が多数だ(小渕はボケているから幾分ましであったという見方はある)。

安倍すらが参拝を見送くった(実際は「玉ぐし料」という実質「賽銭」を姑息に行っているので卑怯極まりないが)、靖国神社にはしゃいで参拝するような連中である。早晩叩き潰されてしかるべきなのだ。政教分離の建前から「国家神道」の延長線上にある「靖国神社」を大臣が崇拝することは憲法違反が明確だ。

裁判所の判断などいらないし、関係ない。憲法を文字通り読めばそうなのだ。立憲政治において「文言の判断」など子供だましの言い訳である。戦前からの「国家神道」を未だに、いや、この時代であるからこそ参拝によって、衆愚政治を推し進めようとする大臣どもは万死に値する。

安倍は前回総理就任した際にも多数の閣僚不祥事から辞任を経て、自滅していった経験を持つ。中には在任中に自殺した人物さえいた。

弱者をいじめて、周辺アジア諸国を馬鹿にして、原発再稼働賛成の論陣を張っていた『週刊新潮』が今回は小渕のスキャンダルを取り上げた。新潮、久しぶりに仕事したやないかと、一応褒めておこう。

しかし、私が知るだけでも高市、山谷、安倍に対する直接、間接の「在特会」勢力からの献金は少ない額ではない。多数の記者を抱える週刊誌、まだまだ本気になれば取れる玉があるだろうが!

◆言論の逆境──『創』の危機

ところで、月刊『創』の経営が窮地に立たされているという噂を耳にした。巻頭写真ページを持っていた柳美里が原稿料の不払いをを理由に掲載をストップしているのが主因らしい。

『創』はマスコミ批判を柱に、『マスコミ就職読本』などで財政的には安泰と思っていたが、聞くところによると最近は『紙の爆弾』よりも実売数が下回っているという。鹿砦社の松岡社長には失礼ながら『創』には顕名でかなり名の知れた執筆陣が毎号寄稿しており、まさかそんな苦境に陥っているとは想像しなかった。『紙の爆弾』とは無縁な大企業の広告も掲載されているし、「柳美里氏は怖いので原稿料を払っているが他のライターは原稿料なし」というのが業界での常識だった。

私自身も何度か『創』には寄稿したが、原稿料をもらったことはない。社員数が極端に少ない『創』にいったい何が起こっているのであろうか?

ともあれ、路線や戦い方は異なっても多様な言論を確保するうえで、『創』の奮起を期待したい。余計かもしれないが、佐藤優のような「モサドから金をもらっている」という人間に誌面を提供することを止めるところから立て直しを図ってはいかがだろうか。そして安倍反動内閣や「在特会」へ本気で批判を浴びせば、読者は戻るだろう。

大きな書店には「月刊誌」、「総合誌」のコーナーがある。文庫新刊書をブラブラ見ながら好きな作家の新刊を漁って、最後に「総合誌」、「月刊誌」のコーナーへ行くのがかつての彷徨ルートだった。が、『噂の真相』、『月刊現代』が廃刊になり、手に取りたいと思う雑誌が激減し、リベラル・左翼系の月刊誌は探し出すのが一苦労だ。代わりに『WILL』や『新潮+45』、それだけではなく「嫌韓」、「日本の誇り」なる低俗唾棄すべき紙の無駄使いが山積みされている。

もう「月刊誌」、「総合誌」のコーナーは苦痛の場所だ。だから東電の広告を掲載していた『創』。執筆者に原稿料を払わなかった『創』、社員を苛酷に使いすぎるとの噂のある『創』、編集長の性格が難しい『創』であっても奮起を期待したい。

言論の領域がどんどん狭窄になる今日、『創』の存在は貴重である(もち上げ過ぎか?)。

(田所敏夫)

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《我が暴走04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]

事件があったマツダの工場。引寺はこの正門から突入した

2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人を死傷させた引寺利明(47)。「現場の工場で期間工として働いていた頃、他の社員の集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダに恨みがあった」という特異な犯行動機を語り、裁判では妄想性障害と認定されたが、責任能力も認められて昨年秋、無期懲役判決が確定した。引寺は今、どんな日々を過ごしているのか。前2回に引き続き、引寺が今年9月に岡山刑務所の面会室で筆者に語った本音の言葉をお伝えする。

被害者や遺族に対する罪の意識がないことをまったく隠さない引寺。「何の恨みもないのに、でかいことをやろうという思いだけでやった事件じゃない」と言うが、これまでの経緯を振り返ると、裁判中に法廷で不規則発言を繰り返すなど、自分の犯行を誇示するような言動も目立った。この男の思考回路は一体、どうなっているのか。筆者は今改めて、犯行後の「あの発言」について、尋ねた。

◆「秋葉原を超えた」発言の真意

── 事件の直後、知人の男性に電話して、「ワシは秋葉原を超えた」と言ってましたよね?
「ああ、事件の直後はそう思ったんよね。いっぱい撥ねたんで、ワシは秋葉原の事件よりたくさん殺したのう、と。実際に死んだ人は1人じゃったけどね」

マスコミ報道により、この「秋葉原を超えた」発言が有名になった引寺被告。この発言については、2008年に7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件を引き合いに出し、自分の犯行を誇示したものだと一般に認識されてきた。しかし、引寺本人としては、単純に「秋葉原の事件より多くの人間を殺してしまった」と言っただけだったというのである。

「あとで、1人しか死んでないと聞かされて、ワシはびっくりしたけえね」と引寺はシレっと言う。たしかに自動車を猛スピードで走らせ、何ら手加減することなく12人も撥ねたのだ。秋葉原無差別殺傷事件より多くの死者が出たと思い込んでも無理はないかもしれない。

「いずれにしても、“真相”が明らかにならんことには、怒りばっかりでね。ワシは今も怒っとるけえ」
現在、自宅アパートに侵入する「集スト行為」をしていた犯人は、実はマツダの社員らではなく、自分の父親と不動産会社の社長だったと主張している引寺。その“真相”が公に明らかにならない限り、怒りの気持ちばかりで、被害者や遺族への罪の意識はまったく持てないというわけである。

◆「被害者や遺族は“真相”を知る権利がある」

引寺はさらにこんなことも言った……。
「被害者や遺族の人がワシと話してみたいなら、自分がなんで事件を起こしたんかいうことをイチから説明してもええんじゃけどね。被害者や遺族の人はワシに対し、恨みつらみをぶつけてくれてもええしね」
── 被害者や遺族は引寺さんと関わりたくないと思いますよ。
「それなら片岡さんが遺族の人に会いに行って、ワシの代わりに“真相”を伝えてくれてもええよ。片岡さんなら第三者じゃろう」
── ぼくが引寺さんの伝言役として会いに行けば、やはり被害者や遺族の人はいやがると思いますよ。
「でも、被害者や遺族には“真相”を知る権利があると思うんよ。Aさん(=引寺に“真相”を教えたとされる知人男性)の言うことも100%正しいとは言えんけど、ワシはこれが“真相”じゃと思いよるけえ。遺族も“真相”は知りたいじゃろう。いずれにしても、“真相”が明らかにならんことには、自分は怒りのほうが強いけえ、謝罪感情はどっかに飛んで行ってしまうんよ。ワシは裁判で『引寺は妄想性障害じゃ』とキチガイみたいにされとるわけじゃけえね」

◆「死刑上等のつもりでやった」

この引寺の発言を聞き、身勝手なことばかり言いやがって――と思った人もいるかもしれない。だが、少なくとも筆者には、引寺自身は決して遺族を冒涜しているつもりはなく、「遺族は自分の話を聞きたいはずだ」と本気で思っているような印象を受けた。一方で、引寺はこんなことも言う。
「ワシについては、検察が『完全責任能力はあるけど、精神障害の可能性があるんで、極刑は躊躇する』ゆうて無期懲役を求刑したじゃろう。あれはワシとしては、納得いかんのんよ。ワシは死刑上等のつもりでやったんじゃけえ」

── 死刑上等ということは、死刑は怖くないんですか?
「う~ん、それはわからんよね。(犯行を)やる時は何も考えとらんかったけえ。実際に死刑判決受けて、拘置所に入れられて、毎朝、刑務官が部屋の前をコツ、コツ、コツいうて足音させて歩いてきて、部屋の前でノックしてきたら怖いかもしれんよ。でも、ワシは現実にそうなってないけえ。仮にワシが死刑判決受けて、今は広拘(広島拘置所)におって、片岡さんから『死刑は怖いですか』と訊かれたら、『怖い』と言うかもしれんけどね。まあ、今、現実に死刑判決受けとる人らは死刑が怖いんかもしれんね。こないだ2人執行されたニュースあったけど、あん時も死刑判決を受けとる人らは怖い思うたかもね」

死刑制度の是非をめぐっては、犯罪抑止効果があるのか否かということも論点の1つだが、少なくとも引寺に対しては、死刑制度の犯罪抑止効果はまったく発揮されなかったようである。引寺は無期懲役囚として送る刑務所生活について、こんなことも言った。
「まあ、こういう生活がいつまで続くんかのうと思うたら、たいぎい(=面倒くさい)気持ちになることもあるね。そういう時は『死刑のほうがよかったのう』と思ったりもするわ。まあ、もしも“真相”がきちんと明らかにされて認められとったら、死刑にされてもワシは満足じゃったろうね。今は“真相”が明らかにならんけえ、怒っとる。それだけじゃけえ。その怒りのせいで、謝罪感情が飛んでっとるんじゃけえ」

◆「刑務所に来て、甘党になった」

── 被害者や遺族のことがまったく気にならないわけではないんですか?
「ワシも人間じゃけえ、そういう感情がないわけじゃないよ。被害者や遺族らが今どうしよんかのお、とは思うね。ただ、ワシの中では事件が風化しよんよ。広拘におった時は被害者や遺族のこともみんな、フルネームで覚えとったんじゃけどね。今は苗字くらいしか出てこんもん。被害者や遺族はワシのこと、どう思うとんかのお……。じゃけど、不思議なんは、裁判の時に傍聴席からワシに罵声浴びせる被害者や遺族が誰もおらんかったことよ。ワシが逆の立場じゃったら、絶対に傍聴席から罵声浴びせるじゃろうと思うけどのお。片岡さんでも浴びせるじゃろう」

引寺はそうしみじみ語った。刑務所生活では、月に1回出る「ぜんさい(善哉)」が楽しみだそうで、こんなことも楽しそうに話していた。
「シャバにおる時は辛党の人でも刑務所に来たら、みんな甘党になるんよ。ワシもシャバにおる時は、ぜんざいなんか1年に1回食べるかどうかじゃったけど、こっち来てから好きな物ランキングが上がったけえね」
筆者はそんな引寺の話を聞きながら、被害者や遺族が傍聴席から引寺に罵声を浴びせなかった理由が察せられたような気がした。この男に罵声など浴びせても、まったくこたえないだろうし、空しいだけだ――。被害者や遺族はそう思ったのではないか。

引寺の人物像、現状については、今後もまた随時お伝えしたい。

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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《脱法芸能13》ビートたけし独立事件の裏側(1)──手打ちの「返礼」

「暴力と芸能界」について、もっと掘り下げてゆきたい。今回、俎上に載せるのは、「ビートたけし独立事件」だ。

1988年2月、たけしは16年所属していた太田プロダクションから独立し、オフィス北野を設立した。この独立劇のきっかけとなったのは、その2年前に起きたフライデー襲撃事件である。

1986年12月8日、当時のたけしと交際していたとされる専門学校生の女性に対し、講談社発行の写真週刊誌『FRIDAY』の契約記者が手をつかむなどの乱暴な取材によって、全治2週刊の怪我を負わせた。これに憤ったたけしは、翌9日深夜3時、弟子のたけし軍団メンバー11人らとともに『FRIDAY』編集部に押しかけ、暴行傷害事件へと発展。たけしは事件の責任を取るため、謹慎処分が決定した。

ビートたけし&松方弘樹「I'LL BE BACK AGAIN...いつかは」(1986年Victor)

◆たけしを襲った住吉会系右翼団体の執拗な抗議

事件から7ヵ月後、87年7月18~19日放送の『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』への出演で、たけしはテレビに復帰したが、それを許さない勢力があった。広域暴力団、住吉連合会(現住吉会)系右翼団体、日本青年社がたけしのテレビ出演に猛烈な抗議活動を展開した。

「良識ある地域住民の皆さん! テレビ局は犯罪者・ビートたけしを出演させております。視聴率のために出演させ、たけしの暴言さえ許している……」

日本青年社の街宣車はテレビ局やスポンサー企業、太田プロなどに押しかけ、大音響でたけしのテレビ出演を糾弾した。

日本青年社の抗議は執拗で、たけしが羽田空港から『風雲! たけし城』(TBS)の撮影のため緑山スタジオに向かった際、右翼と見られる男に尾行され、途中でホテルに逃げ込んだことさえあった。気の弱いたけしは、これにおびえた。

だが、これに対して、たけしが所属する太田プロは有効な手を打てなかった。それどころか、右翼の尾行は太田プロからスケジュールが漏れたために起きたのではないか、とたけしは疑念を抱いた。

たけしに対する日本青年社の抗議活動は、12月初めまで続いたが、最終的に両者を手打ちに導いたとされるのが、女優、富司純子の父親で東映のヤクザ映画のプロデュースをしていた俊藤浩滋だった。たけしが『元気が出るテレビ』(日本テレビ)で共演していた松方弘樹の口利きで俊藤が和解工作に乗り出したと伝えられている。

俊藤は日本青年社の小林楠扶会長と以前から親しかったが、俊藤が京都で大手術をした際、小林会長が見舞いに訪れ、そのお礼のため俊藤が無理を押して上京して小林会長を訪ねたところ、これに小林会長が感動した。その場で俊藤がたけしの件を相談したところ、その場で抗議活動の中止が決定した、とされている。

◆手打ちの「返礼」が「たけし利権」争奪の口実に

だが、話はそれだけでは済まなかった。

この間、十数人の芸能関係者が事態収拾のため動いていた。名前が挙がった中には、バーニングプロダクションの周防郁雄社長やライジングプロダクションの平哲夫社長などがいた。当時の報道によれば、手打ちの成立には総額7000万円の費用がかかったとされる。彼らのためにたけしは、「返礼」をしなければならないことになったという。

義理を返す原資となるのが、「たけし利権」である。自分をマネージメントしきれなかった太田プロに対する不信感もあいまって、たけし独立という流れができていった。

だが、当時のたけしは年に5億円も稼ぎだし、太田プロの売上の大半を占めていたから、事は簡単に進まない。水面下では様々な駆け引きもあったと見られる。

88年2月10日、株式会社オフィス北野が設立され、たけしは約100人もいた、たけし軍団を引き連れ、太田プロから独立を果たした。オフィス北野といえば、現在社長を務める森昌行の顔が思い浮かぶが、設立当初の登記簿を見ると、代表取締役はTBS系列の大手技術製作会社である東通社長の舘幸雄が就任している。

さらにライジングプロの平哲夫社長がオフィス北野の取締役に就任している。平は2001年10月18日に脱税容疑で東京地検特捜部によって逮捕されたが、オフィス北野の登記簿を追うと、逮捕の2ヶ月前の8月20日に辞任していた。

オフィス北野設立時の資本金は1000万円。その内訳は、たけしが400万円、舘が400万円、平が200万円となっていた。

たけし独立の裏側では一体、何が起きていたのか?
(つづく)

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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《紫煙革命05》知られざるタバコの真実──タバコの巻紙のりは木工用ボンド?!

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆様、日々のお勤めゴクラク様です。毎週更新で『タバコは体にいいのではなかろうか?』っちゅうことを調査報告している、タバコ愛好家の原田卓馬です。
さて前回の記事で、JTの製造販売するタバコの燃焼促進剤がクエン酸塩だという知られざる事実が判明した。その話の続きをどうぞ。

── なんでクエン酸塩が添加されているんですか?

JTコールセンターの電話の人にたずねてみた。

「はい。クエン酸塩が巻紙とタバコ葉の燃える速度を調節するために、巻紙に添加されています。」

── じゃあ、巻紙にクエン酸ナトリウムとクエン酸カリウムが入ってないと、燃焼速度が安定せず、タバコ葉だけ先に燃えてしまうということですか?

「はあ、多分そうだと思いますけど」

おっと、こんな質問したところで、そう答える以外にないじゃないか!意味ないぞ!

── 巻紙に添加されているクエン酸ナトリウムとクエン酸カリウムがどういう理屈で巻紙の燃焼促進に効果を発揮するんですか?

「そういった詳しいことですと、こちらでは即答致しかねます。お調べするとなるとお時間の方が・・・」

◆火薬が燃焼促進剤だという都市伝説

── 本当かどうかわかりませんが、火薬の成分の硝酸アンモニウムとか硝酸ナトリウムが添加されているという情報をネットで見かけたんです。そういった火薬みたいな成分は燃焼促進剤として含まれていないんですか?

「過去に硝酸アンモニウムを巻紙の燃焼促進剤として使用していたかどうかの詳細は、判りかねますが、現在のJTにおいてはタバコ巻紙に硝酸アンモニウムを添加するということはないようでございます。他社さんのことについてはわかりかねます。それ以外の成分についても使用目的等の詳細はわかりかねます。」

開発者ではないのでさすがに専門知識となるとわからないのであろう。

◆巻紙のりは酢酸ビニル?

── じゃあ話変わって、JTのホームページのたばこ材料品添加物リストの巻紙のりについて質問しますけど、

電話口の向こうで、「こいつ、めんどくせ~」という無言の溜息が漏れた瞬間である。

── 巻紙のりに使用されている、酢酸ビニルというのはなんですか?


たばこ巻紙のり添加物一覧(右横の数字はシガレット一本に対する最大使用割合(%)

・エチレン-酢酸ビニル樹脂 0.2
・ポリ酢酸ビニル 0.07
・カルボキシメチルセルロースナトリウム 0.02
・ 酢酸ビニル-ビニルアルコール樹脂 0.001

「酢酸ビニルは巻紙を接着するための糊にあたります。」

タバコの葉を巻紙で包んで、紙同士が重なる余白部分を貼り合わせるための接着剤としての糊は酢酸ビニルであると。これは、調べてみると木工用ボンドやチューインガムのベースになっているということだ。

なんだと?!普段から木工用ボンドを吸っているのか?なんとも不気味である。

── その成分は木工用ボンドと同じようなものでしょうか?

「酢酸ビニルは木工用ボンドにも使われている成分ではありますが、巻紙のり自体が木工用ボンドと同じ成分ということではないようです。詳細はわかりかねますが、含まれているのはご覧になっている添加物リストにうんたらかんたら── 」

酢酸ビニルを燃やした場合、完全燃焼させれば二酸化炭素(CO2)と水蒸気(H2O)になるようだ。しかし、水分を含んでいると不完全燃焼となり一酸化炭素やアセトアルデヒドを発生し得るようだ。

◆工場見学実施中

有害性についてあれこれ質問しても詳しいことまでは「わかりかねます」なので、どこかに窓口がないか聞いてみた。

── もっと詳しく知りたいんですけど、どこ行けば教えてもらえますか?JTの本社とか行けばいいですか?

「他の窓口については詳しくわかりませんが、タバコ工場の見学なら定期開催ではないのですが、予約可能です。」

──  工場見学!!!!!!!!

「東京にお住まいでしたら宇都宮の北関東工場か静岡の東海工場のどちらかが近いかと思います。」

── そいつぁどうも、ありがとうございます。やっほーい!

工場見学という萌え萌えな耳寄り情報に舞い上がって、上機嫌のまま勢い余って電話を切ってしまった。

・JTのタバコの巻紙の燃焼促進剤はクエン酸塩である。
・巻紙のりの接着剤は木工用ボンド(ではないが)みたいなものである。
・タバコ工場見学ができる。

以上の三つが今回の取材でわかったことだ。

次回は、工場見学かタバコ葉の添加物のお話です。

(原田卓馬)

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《屁世滑稽11》マッサンはウイスキーを作ったけどアベッチサンは何をしたの…の巻

屁世滑稽新聞(屁世26年10月18日)

マッサンはウイスキーを作ったけど

アベッチサンは何をしたの……の巻

(ヤン・デンネン特派員の大江戸情報)

【東京発】 昔の特派員仲間で、今はロシア内務省のアナリストをしている友人から、
日本政府の朝鮮対策について知りたいと電話があって、狸穴のスナックで久々に会った。
この男は――仮に名前をレヴィチンコとしておくが――滞日中は山渓新聞の編集局長など
をスパイとして利用したことで名を売り、ソ連解体後もロシア政府の有力者なのである。
ちなみに彼がソ連スパイとして用いた山渓新聞の編集局長は、暗号名が「カント(CUNT)」
だった。言うまでもなく「女陰」を指す。「左折れの男根」を暗示するような名前のソ連
外交官が、日本のマスコミ要人を「女陰」と呼んで利用していたことが何を意味するかは、
賢明な読者なら察しがつくだろう。

それはさておき、古い友人からのたっての頼みである。私ヤン・デンネンも一肌脱ごうと
いうことになり、いろいろな意味で朝鮮事情に通じているサンヤ李恵子にアプローチを
かけた。焼け跡世代の例にもれず、彼女もゴディバのチョコレートなどを差し出せば尻尾
を振って何でも喋ってくれるわけである。アポをとりつけて議員会館に向かった。勿論、
ゴディバチョコレートの詰め合わせを小脇に抱えて……。

私が彼女から聴き出した朝鮮事情や南北朝鮮への日本政府の秘策については、コンフィデ
ンシャルな事項だからここには書かない。だがこのときに交わした冗談くらいは、ここに
書いてもバチは当たるまい。以下はそのやりとりの一部である――

ヤン・デンネン特派員とサンヤ李恵子氏との会話(某日、議員会館にて)

ヤン 「やあ、こんにちワ! お忙しいところスミマセン」
李恵子 「初めまして。あなたのコラムは週刊侵腸で毎回拝読してますわ。おかげで腸をすっかりやられて下痢が止まりませんから(笑)」
ヤン 「それはソーリー、アベソーリー。いやいや申しワケない。ところで李恵子さん、ワタシあなたと初対面じゃないデス。あなたが幼い頃に、あなたの故郷の北陸でたびたび会ってましたよ」
李恵子 「あら!そうでした?」
ヤン 「朝鮮戦争のときにワタシ、北陸に張り付いて特派員やってマシタ」
李恵子 「えっ? 60年以上前のことですよ。そのころから現役の記者さんだったの?」
ヤン 「ハイ。終戦直後から記者稼業ひとすじでして……」
李恵子 「信じられない。どうみても50代にしか見えない! だわ。あなた老化しないの? もしそうなら秘訣を知りたいわ!」
ヤン 「ハイ。ワタシ、毛沢東からじきじきに教わった、中国歴代皇帝が愛用していた回春法をやってマス」
李恵子 「それはすごい! ぜひ教えてほしいワ!」
ヤン 「ザンネンながら殿方専用なのです。それに最近はクスリのほうで貞操観念が薄れてきて、梅毒とかヘルペスになるリスクも上がってきたので、回春どころじゃなくなってマスよ、ハハハ」
李恵子 「えっ? それって回春とかおっしゃってるけど、ひょっとして買春?」
ヤン 「オー!ミステイク! バレてしまった! ニッポンでは、そうも言うそうですね、イエス!」
李恵子 「とんでもないご老人ね。それはともかく、じゃあ父のことはよくご存じでは?」
ヤン 「モチロン! 朝鮮事情に通じた方でしたから。しかも地方新聞社の要職に就いてカツヤクしておられた」
李恵子 「朝鮮戦争のころから、その後に始まった在日北朝鮮人の帰国事業のことなど、父はずっと取材していましたから」
ヤン 「そのあとイロイロあって、郷里で選挙に立候補したけどお負けになって、それでアナタを連れて東京にお引っ越しになり、東京でもマスコミの寵児になりましたよね」
李恵子 「ええ、宇治山渓グループの放送局に職を得まして、ラジオパーソナリティの先駆けとして伝説的な活躍をしました」
ヤン 「存じ上げております。民族のキズナって強いものだなあ……と、そのたびごとに感心しておりました」
李恵子 「あらそうですの?」
ヤン 「クニが違えど同じ民族なのですから内輪もめはイケナイ。就職でも何でも仲間うちで融通しあって助けあう。そういう国際的にも通じる教訓を、お父様からも、あなたの生き方からも、ワタシ学んできたのデス」
李恵子 「あらまあ……。ところでヤンさん、あなた朝鮮戦争のときは戦地で取材したの?」
ヤン 「イイエ、日本の兵站拠点でもっぱら取材してマシタ。でもワタシ、その後、中国とソ連との国境紛争は、第三国人という立場を利用して、双方の“記者席”から戦闘を眺めておりマシタ」
李恵子 「それは興味ぶかい話ね。日本も周辺諸国と国境がらみの諍(いさか)いが激化してきたから、ぜひ中ソ国境紛争のことは聞いておきたいワ」

★          ★          ★

ヤン 「月日の経つのは早いものデス。もう45年も前のことデスが、きのうの出来事のように鮮明に覚えていますヨ。事件はアムール川の支流、ウスリー川に浮かぶ一つの小島で起きました」
李恵子 「竹島みたいに海にうかぶ孤島ではなかったのね」
ヤン 「大陸の二大国家ですから、大きな川が国境線になって、川のなかの島の所有権をめぐって紛争が起きたりするのデス。……で、この島を中国は“珍宝島”と呼び、一方のソ連は“ダマンスキー島”と呼んでいた」
李恵子 「まあ…………」
ヤン 「中国政府は『チンポー!』と叫び、ソ連政府は『ダマンスキ~!』と叫ぶ。それはもう大変なことになってマシタ」
李恵子 「…………(赤面して声も出ず)」
ヤン 「どうしました?」
李恵子 「あなた、私にセクハラしてるでしょ? 中国が『チンポ~!』と叫び、ソ連が『駄マン好き~!』と叫ぶなんて、そんな出来すぎたジョークあるわけないじゃない? それじゃ“男根vs女陰”のおかめ・ひょっとこ対決じゃないの(笑)」
ヤン 「ハァ? サンヤ先生なにか勘違いしてオラレル。珍宝島事件は歴史的な事実デ~ス! それに現地の人は、そういう名前を聞いてもそんなことは連想しませんよ。『チンポ』とか『駄マン好き』とか、それは日本語だから日本でしか通用しません」
李恵子 「あら。そうですの……(ひたすら赤面)」
ヤン 「ワタシの祖国のオランダにも、似たようなことがありますヨ。たとえばワタシはスケベニンゲンの出身なのデスが……」
李恵子 「スケベだなんて自己紹介したら人間終わりですわよ」
ヤン 「イヤイヤ、だか~らチガイマス! オランダの、北海に面したリゾート地ですよ。サカナがめっちゃウマイとこデンネン!」
李恵子 「まあ……。記者歴が長いと駄ジャレで自己紹介するようになるのね。それにしてもスケベな地名よね」
ヤン 「だ~から~、そう感じるのは日本語の“助平”と発音が似ているからで、日本人だけだってバ! だいたい東京にも“銀座スケベニンゲン”という、スケベニンゲン市長から正式に命名許可をもらったレストランがあるんですケド、ご存じ?」
李恵子 「いいえ。外食はもっぱら新大久保なので……」
ヤン 「銀座スケベニンゲンのパスタは絶品ですよ。ワタシ的には“チンチンコース3980円”がおすすめですケド」
李恵子 「え? チンチン食べちゃうの? あたし、なんだかワクワクしてきた……」
ヤン 「だ~から~チガウです、それ! チンチン(Cincin!)はイタリア語で“乾杯!”って意味ですよ。イタリアン酒場で“チンチン”って名前の店はザラにありますから」
李恵子 「そうでしたの? 外国語って、日本人が聞くとイヤラシイのが多いわね。やはり日本では欧米語よりもハングルを教えるべきよ!」
ヤン 「そうおっしゃりますケド、日本のことばだって、外国人が聞くとスケベ~な連想したりするものがアリマスヨ」
李恵子 「うそでしょ? 日本語は世界一美しい言葉なのですよ。言の葉というくらいですからね」
ヤン 「すべての言語はみな美しいし、みな立派で優れているんですよ。ワシらの言語がいちばん美しい、とか、優れている、とか自慢したり優越感を持つのは、世界の広さをしらないイナカ国家の三等国民くらいなもんですよ」
李恵子 「……美しい日本のわたし。」
ヤン 「60年以上の特派員経験があるワタシのお説教を、受け入れられないようデスから、じゃあ実例をすこし示しマスネ」

★          ★          ★

ヤン 「まず日本では電話で話しだすときに必ず用いる“もしもし”って言葉。あれドイツ人が初めて聞いたら驚愕シマス」
李恵子 「あんなの世界共通のあいさつでしょ?」
ヤン 「レディの前では口にするのも憚(はばか)られることなのですケド……。日本語でいう“お●んこ”は、ドイツ語だは“ムッシ(Muschi)”なんですヨ。元々“ムッシ”は子猫を指す言葉ですけどね。ちょうど英語で子猫を意味する“プッシー(pussy)”が“お●んこ”を指すようになったのと同じ事情でしょう」
李恵子 「えっ? じゃあ“モシモシ”って言ったら……」
ヤン 「オメコオメコって言ってるようなもんデス。相手はビックリします。次はニッポンの“サザエさん”に出てくるあのイガグリ坊やですケド……」
李恵子 「磯野カツオ……ね」
ヤン 「イタリア語では“私”が“イオ(io)”で、“私は何とかです”っていうのは“イオ・ソノ何とか”と言いマス。……で“おちんちん”は“カッツォ(cazzo)”なんですワ。だから“私はオチンチンです”ってイタリア語で言うと……」
李恵子 「イオ・ソノ・カッツォ……ですか?」
ヤン 「イエス! ふつうの速さで言えば“イソノカツオ”になってしまうんですワ。こういう、日本語を知らない外国人に要らぬ誤解を与えるコトバというのは、けっこうありマス」
李恵子 「それが人名だったら悲惨ですね」
ヤン 「イエス! たとえばワタシが好きなAV女優に麻生舞という人がいました」
李恵子 「駄マン好き~……ですか?」
ヤン 「ノゥッ! 名器です。ワタシ名器スキです。……それはともかく、ニッポンの皆さんは“麻生”をふだんどう発音してます?」
李恵子 「あそー……でしょ?」
ヤン 「ふつうに“アソー”と言うと、英語圏では“尻の穴(asshole)”と聞こえるんですよ。発音してみましょうか(http://ja.forvo.com/word/asshole/)」
李恵子 「あっ! 本当だ!」
ヤン 「昭和天皇がご存命のころ、軽く受け流すお答えの常套句として、“あっ、そう”をご愛用していましたが、あれも今考えれば冷や汗ものだったわけです」
李恵子 「世界の広さ、文化のギャップを感じますねえ……」
ヤン 「……で、麻生舞チャンですが、彼女が外国人の前で“マイ・ネーム・イズ・舞・麻生”と言ったら、どう受け取られるか……デスネ」
李恵子 「私のなまえは“私のお尻の穴”です……となってしまう。スゴイですねえ」
ヤン 「そんなこともあったせいか……彼女、その後、“沢口りな”の名前で仕事をするようになったのデス」
李恵子 「お詳しいですわね」
ヤン 「ファンでしたから(笑)」

★          ★          ★

李恵子 「麻生が“お尻の穴”に聞こえるとなると、麻生副総理が心配だわ」
ヤン 「麻生太郎さんの場合は、苗字だけじゃナイからネ」
李恵子 「……とおっしゃると?」
ヤン 「ニッポン人がふつうに喋るように曖昧な発音で“アソータロー”って言ったら、英語圏の人間には“尻の穴のテロ(asshole terror)”に聞こえるでショーね」
李恵子 「想像するだけで背筋が凍りますワ」
ヤン 「たしかに“私はケツの穴のテロです”なんて自己紹介されたら、お尻を押さえて逃げますよ(笑)」

「アソウ・タロウ」とハッキリ発音しないと
「Asshole terror」に聞こえてしまい、
あらぬ誤解を持たれることになる。

李恵子 「とくに麻生さんの場合は、訪米の際などは、はっきり正しく日本語を発音しないと命にかかわりますね」
ヤン 「テロリストと間違われてしまう恐れもアリマス。デカい図体のポリスメンが駆けつけて、あせった麻生さんが“ちょっと待ってくれ!”などと言いながら名刺を出そうと背広に手でも突っ込めば、その場で射殺されるかも知れません」
李恵子 「おお~こわい! プルアンハグナァ……」
ヤン 「ソレ、ニッポンのおまじないですか?」
李恵子 「アニョ、わたしの心のなかの叫びです。心配だなぁ……って呟(つぶや)いただけです」
ヤン 「まあ……しかし、犬のお尻から顔がでてきても、悪いことばかりじゃないかも知れませんよ。2006年にロサンゼルスのジェシカ・ホワイトさんが飼っていたテリア犬のお尻に、キリスト様が降臨して、世界じゅうで騒動になったことがありますから」

犬の尻の穴(asshole)には神が下りることもある……らしい。
(2006年に米国LAのジェシカ・ホワイトさんが撮影。ちなみに
愛犬の名は「アンガス・マクドゥーガル」、三歳の雑種テリア)

李恵子 「ほかに日本の政治家で、こういう要注意の名前の人っているんですか?」
ヤン 「イエス! レディの前で口に出すのも憚られるのですが……。あっ、これさっきも言いましたネ。……とにかく“キンタマ”のことを英語で“ナッカー(knacker)”といいます。これは物と物とが当たって出るコンコンッという音が由来の擬声語らしいのですが、2個の小さな丸い木片をヒモで結びつけて、コンコンッと音を出すカスタネットのような打楽器とか、それに似たキンタマを指す俗語です」
李恵子 「名前のなかに“ナカ”が入る人名ってたくさんあるわよ。中曽根康弘さんとか、竹中平蔵さんとか」
ヤン 「そのお二人がまさに問題なのデス。息子のことを英語で“ソン(son)”といいますが、俗語だと“そこの兄(あん)ちゃん”という卑近なニュアンスになります。さらにこれが“野郎・くそったれ・タコ・ぼけなす”などの罵倒の意味ももつわけデス。だから自己紹介なり他人からの紹介のときに“なかそね”と日本語でハッキリ発音すれば問題はないのですが、変に卑屈な日本人が外国人のまえでよくやるように、西洋人をまねた奇妙なアクセントや発音で“ナッカソーネ”なんて言ったら、聞く人がきけば“キンタマ野郎”と聞こえてしまうのです」
李恵子 「中曽根さんは総理大臣時代、訪米先の記者会見でいわゆる“不沈空母”発言をして世を騒がせたけど、“キンタマ野郎”が“不チン空母”発言なんかしたらシャレになりませんわ(笑)」
ヤン 「そのダジャレも、日本でしか通用しませんから(笑)」


「knacker」「son」はいずれも英語の俗語で、それぞれ
「キンタマ」「野郎」という意味だ。「なーかーそーね」と
母音をちゃんと伸ばして発音せずに、「ナッカソネ」などと
英語っぽく発音すると、「威勢よく突っ張ったキンタマ野郎」
と思われるので注意が必要だ。日本人の名前は、外人の前でも
ちゃんと正しい日本語で発音すべきである。

李恵子 「竹中さんはどうなんです?」
ヤン 「サンヤ先生、“ヘイズ(haze)”っていう英単語はご存じですか?」
李恵子 「煙……よね。あたしの好きな坂本冬美チャンが“パープルヘイズ音頭”っていうのを唄ってるのよ。パ~ヘイズ紫の~♪ けむ~り~がモクモク~♪」(→ https://www.youtube.com/watch?v=Dt4YxGCmO0Q
ヤン 「お歌がお好きでケッコウなことデシタ(笑)。“ヘイズ”って言葉は、モヤっとした煙や霞(かすみ)という意味があり、それが一番ふつうの用例なのですが、ほかにもいくつか意味があるんです」
李恵子 「煙だけじゃないんだ?」
ヤン 「ニホンゴでいえば“神”と“髪”と“紙”とか、“橋”と“箸”と“端”とかネ。由来はちがっても現代では同じ音になっていて、漢字で書かないと違いがわからない言葉はこの国にもけっこうあるでショ?」
李恵子 「たしかに。フジといっても“富士”も“不二”も“不治”もあるわね。富士テレビジョンとして発足したフジテレビも、今じゃ“不治テレビ”になっちゃたし」
ヤン 「オーダイバー合衆国とか、オ-ダイバー新大陸とか、新社屋の所在地のオーダイバーを冠につけたイベントだって、われわれ特派員仲間は“ダイジョブかいな~?”と苦笑しながら眺めているわけですヨ。“不治テレビ”に似つかわしく、“ダイバー! ダイバー!”と叫びながら凄い勢いで急降下(dive)しているわけですから、あの会社は(笑)」
李恵子 「……それで煙の話ですけど?」
ヤン 「そうそう、忘れるところデシタ(笑)。煙という意味のヘイズ(haze)は、元をたどると1000年くらい前の、大昔のイギリスで使われていた“どんよりと薄暗く曇った”という意味の“ハズ(hasu)”という古語が由来らしいです。だけどもうひとつ、中世フランスの“嫌がらせをする・いじめる”という意味の“ハゼール(hazer)”という言葉がイギリスに伝わって、現在はヘイズ(haze)という形で使われている言葉もあるんですワ」
李恵子 「言語学のややこしい講釈、ゴクローさんです(笑)」
ヤン 「長くなってスンマセン。……で、こっちの意味の“ヘイズ”なんですけど、“ヘイズする人”つまり“いじめる人”のことを今でも普通に“ヘイザー(hazer)”というんですヨ」
李恵子 「学校のいじめっ子……とかですか?」
ヤン 「いや。むしろ、寄宿制の学校の“新入生歓迎”儀式で新入生をいじめる上級生とか、新兵をいじめる先輩の下級兵士とか、さらに意味がひろがって、使いものにならない家畜をころす屠殺業者、廃屋や廃船を解体する業者なんかも、みんな“ヘイザー”って呼ばれています」
李恵子 「……で、それと竹中さんは関係あるんですか?」
ヤン 「中途半端に西洋人ぶって、“ヘイゾ~・タ~ケナ~カ”などと自己紹介しようものなら、ネイティブの英語つかいには、こんなふうに聞こえてしまうかもしれませんね。“いじめ野郎! キンタマとっちまえ!(Hazer! Take knacker!)”」


先輩による新入生や新兵イジメとか、「ホモ嫌い」による
同性愛者へのイジメや嫌がらせを、英語では「haze(ヘイズ)」
といい、そういうイジメ野郎を「hazer(ヘイザー)」という。
「knacker」には「金玉」のほかに「家畜屠殺屋」「廃屋解体屋」
「屠殺する」「ダメにする」とか「役立たずになった家畜・廃馬」
という意味もある。他人にむかって「Take knacker, hazer!」など
と言ってはいけない。

★          ★          ★

李恵子 「安倍総理はどうなんでしょうね? アベ・マリアっていう歌があるくらいだから、悪いイメージはないでしょ?」
ヤン 「ノゥ……。そんなことないデス。世界のコトバは英語だけじゃナ~イ」
李恵子 「ということはフランス語とか?」
ヤン 「ピンポ~ン! フランス人のまえで安倍総理のことを“あべっちさん”などとニックネームで呼ぶと、ヤバイです(笑)」
李恵子 「どういうこと?」
ヤン 「フランス語で“白痴化する”ことを“アベチル(Ab?tir)”というんですが、ここから生まれた言葉で“馬鹿”のことを“アベッチサン(Ab?tissant)”っていうんですヨ」

アベッチサン(ab?tissant)はフランス語で
「白痴」「バカ」という意味である。だが歴史上、
洋の東西を問わず「バカ(fool)」は、権力者を
おだてる「道化(fool)」としての特権を得てきた。
トランプカードの「ジョーカー(joker=おどけ者)」
もそうした道化師にほかならない。

李恵子 「安倍さんはフランスでは馬鹿の代表みたいになっちゃうのね……」
ヤン 「悲しがることはないデス。なぜなら、世知がらい世間常識などハナから無視して馬鹿なことを言ったり行なったりする本格的なバカは、昔から、それなりに一目置かれていたからです」
李恵子 「まさに安倍総理のことじゃないの」
ヤン 「イエス。そして馬鹿や狂人を、天の声の代弁者として崇拝する習慣というのは、昔から洋の東西を問わず、存在してきマシタ」
李恵子 「すばらしいわ!」
ヤン 「馬鹿、すなわち“アベッチサン”は、西洋では古来、王様や貴族が“宮廷道化師”として重用してきたのですよ。ちなみに英語の“フール(fool)”という言葉がありますが……」
李恵子 「馬鹿のことでしょ?」
ヤン 「“馬鹿”のほかに“道化師”という意味もあるのデス」
李恵子 「知らなかったわ。馬鹿も使いようなのね」


かつては「バカは天与の資質」として神聖視され、常識人が
けっして口に出来ない権力批判も「バカだから仕方ない」と
大目に見られていた。宮廷道化師は王や貴族を笑わせるだけ
でなく、常識人たる側近臣下たちが言えないような辛辣な
批判や、悲しい知らせなどを、権力者に伝える貴重な役目も
果たしてきた。

ヤン 「現在だってまったく変わってないのですが、権力者のまわりには、小賢(こざか)しい欲たかりの小人物たちが集まります。こいつらは世間体を気にして、小賢しく、せせこましく、常識的に振る舞うわけです。そういう木っ端(こっぱ)役人みたいのが、吹きだまりみたいに集まった組織はどうなるか?」
李恵子 「ソニーみたいになるんでしょ?」
ヤン 「イエス! あるいはお台場に移転後の宇治テレビみたいに、こざかしいばかりの烏合の衆の集まりになって、まさにオ~!ダイビング!……するわけです」
李恵子 「おお~ダイバ~ってことね?」
ヤン 「イエス。むかしの王室なども、そうした危険性を経験のなかで学んだのでしょうね。常識ぶる臆病な木っ端役人ばかりで王室が窒息しないようにするため、わざわざ世間知らずのバカを“道化師”として雇っていた、というわけ」
李恵子 「現代の日本では考えられないわ……」
ヤン 「いや、サンヤ先生。あなたみたいな議員には想像できないだろうが、国会制度そのものが、じつは国民的娯楽を提供する“愚者の殿堂”であり、馬鹿どもが騒ぎまわる“道化の劇場”なのですよ。少なくともわれわれ海外特派員は、そういう視線で国会を楽しませてもらってますから(笑)」
李恵子 「まあ…………(ため息)。で、バカ代表のアベッチさんは、どんな存在意義があるっていうの?」
ヤン 「古来から、バカが売りものの宮廷道化師は、常識的な臣下や側近ができないような言動を、担ってきたわけです」
李恵子 「馬鹿にそんなことができるの?」
ヤン 「イエス! まず太鼓持ちの仕事があります。日本語でいえば“幇間(ほうかん)”です。……ところでサンヤ先生、幇間ってどういう意味だと思います?」
李恵子 「モルラヨ~」
ヤン 「あの? それは何のおまじないですか?」
李恵子 「ただの郷里の方言ですよ。“知りません”って意味ですから」
ヤン 「はぁ、そうですか。……で、幇間ですが“幇”ってのは“脇から手を出して助ける”という意味です。犯罪者を支援することを“幇助(ほうじょ)”っていうでしょ? ……まあそういう意味です」
李恵子 「勉強になるわね」
ヤン 「……で、幇間というのは“間をたすける”わけで、酒席などで、間が空くと“間抜け”になっちゃうので、冗談をいったり芸をみせたりして“間を持たせる”わけです。この“間を持たせる人”のことを、そのまま直訳したような英語の言葉があるのですが、ご存じですか?」
李恵子 「モルラヨ~」
ヤン 「答えを言いますと、そのものズバリの“エンターテイナー”です。“エンター”は“間”、“テイナー”は“持たせる者”という意味です」
李恵子 「……で、それと安倍総理はどう関係あるの?」
ヤン 「宮廷道化師のたいせつな仕事は、まず馬鹿をしてみせてご主人の笑いをとる太鼓持ちってことです。そしてもう一つ、これも“馬鹿”しか許されない重大な任務なのですが……」
李恵子 「それは何?」
ヤン 「常識的な木っ端役人の臣下たちには、畏(おそ)れ多くて王様や権力者のまえでけっして口外できないような不埒(ふらち)なことを、権力の主にむかってズケズケと言う任務です」
李恵子 「王様に面とむかって悪口を言うってこと?」
ヤン 「ノゥ! 悪口というよりも批判ですね。それから国や王室の存亡にかかわる不吉なニュースを、王様に伝える仕事とか……」
李恵子 「アベッチサンの安倍総理が“現代の宮廷道化師”だなんて、そんな言い分は通用しないでしょ? ここは民主国家の日本ですよ? 絶対王政時代のフランスやイギリスじゃないんだから」
ヤン 「ノゥっ! よく考えてごらんなさい。われわれ外国人の特派員にはわかることなのですが、日本人には難しいかもね。文化を比較できるだけの広い視野も経験もないですから、日本には……」
李恵子 「そうまで言われたら無理矢理でも考えますワヨ! 腐ってもワタシ、ニポン人ですから!」
ヤン 「……アベッチサンは現代の宮廷道化師だと思いませんか?」
李恵子 「でもべつに王様……というか、天皇陛下を笑わせるような馬鹿な芸をするわけでもなし……。ああ!わかった! いまだに天皇ご一家を汚染のホットスポットに閉じ込めて、京都のご自宅に帰れないようにしているワ。そういう不敬なことは常識的な臣下なら誰ひとりできるはずがない! 天皇陛下にキツく当たっている、という意味では、アベッチサンは立派な宮廷道化師だわね」
ヤン 「たしかに。でも日本は絶対王政でしたっけ?」
李恵子 「天皇陛下は国家と、主権者たる国民の象徴じゃないの! このあたりのことは、あたしらの党の改憲案でじきにぶち壊す予定ですけどね。……まあとにかく、たとえ現在の憲法で“主権者は国民”と書かれていても、安倍総理はその国民にだって大笑いの芸を見せたり、おそろしい罵声を吐いて、じゅうぶんに宮廷道化師の役割を果たしているわよ!」
ヤン 「日本は立派な宮廷道化師を維持していて、まことにうらやましいデス。歴史的伝統を尊重する保守政党の醍醐味(だいごみ)ですね!」
李恵子 「お誉めいただいて光栄です。これからも立派な宮廷道化師を持ち続けるよう、自民党はがんばっていきます!」

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5088)から引用》と明記して下さい。
なお、ヤン・デンネン記者とサンヤ議員の会話は、本紙記者が銀座の酒場で
一人酒していたときに、たまたまそばの席にいた外人特派員どうしの自慢合戦
の、聞くとはなしに聞こえてきた話の内容にヒントを得たフィクションです。
登場人物も勿論虚構ですので、お迷いのないよう……)

巷で話題の『紙の爆弾』11月号発売中!

 

《我が暴走03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]

引寺が服役している岡山刑務所

2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人を死傷させた引寺利明(47)。「現場の工場で期間工として働いていた頃、他の社員の集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダに恨みがあった」という特異な犯行動機を語り、裁判では妄想性障害と認定されたが、責任能力も認められて昨年秋、無期懲役判決が確定した。引寺は今、どんな日々を過ごしているのか。前回に引き続き、引寺が今年9月に岡山刑務所の面会室で筆者に語った本音の言葉をお伝えする。

すでにお伝えした通り、今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い引寺。「刑務所は“更生”する施設じゃなくて、(他の受刑者と)“交流”する施設」とまで言い放った。だが、その語り口にはどこか達観したような様子も感じられた。

◆「仮釈のことは今は考えん」

── 引寺さんは仮釈放が欲しいとは考えないんですか?
「ワシは考えんね。いま考えてもどうしようもないけえ。(仮釈放が)あるとしても、だいぶ先のことじゃろう。たいぎい(=面倒くさい)けえ、考えんわ」

── 無期懲役ですからね。
「無期の場合、ここ(=岡山刑務所)から出る人は1年に1人おるかどうかじゃね。今は無期じゃと30年以上入るけど、ほとんど小さい箱になって(と言いながら骨壷を胸の前に抱くような仕草をして)、出るんじゃろう。無期で入ってくる人と出る人を比べたら、入ってくるほうがだいぶ多いもんね。無期の人間は出れれば、ラッキーいうことじゃろうね」

引寺は罪の意識がまったく無い一方で、「シャバ」への未練もあまり感じていないようだった。それにしても、と筆者は思う。引寺が現在、自分のアパートに侵入する「集スト行為」を行っていたのはマツダの社員ではなく、実は自分の父や不動産会社の社長だったと主張するようになっているというのはすでにお伝えした通りだ。仮にその主張が事実ならば、引寺は「集スト行為」とは無関係のマツダの社員たちを死傷させたことになるのであるが……。

── 引寺さんのアパートに侵入していたのがお父さんや不動産屋の社長だったと思うなら、無関係なのに被害に遭ったマツダの人たちに悪いことをしたと思わないですか?
「いや、そりゃ思わん。親父や不動産会社の社長がワシのアパートに侵入しよったんなら、ワシが言いよったことが妄想じゃなかったことになるじゃろう。つまり、ワシがマツダでロッカーや車にイタズラされよったこともホンマじゃったと証明されることになるんじゃけえ」

つまり、こういうことらしい。引寺の裁判では事実上、引寺が主張する集団ストーカー被害はすべて「引寺の妄想」だったと結論されている。だが、自分の父親や不動産会社の社長が引寺のアパートに侵入していたのなら、少なくとも引寺の主張のうち、「自宅アパートに何者かが侵入していた」という部分は事実だったと証明される。ひいては、マツダの工場での勤務時にロッカーや車にいたずらされたと主張している件も妄想ではなく事実だったと証明される――それが引寺の考えなのだ。

◆本心で話してはいるのだが……

筆者が賛同しかねていると、引寺は筆者の心中を察したのか、こう水を向けてきた。
「ホンマの話、片岡さんはどう思いよん? やっぱり少なからず、(集団ストーカーに遭ったという話は)ワシの錯覚じゃと思いよん?」
「……少なからず、そう思っていますね」と筆者は正直に答えた。
すると、引寺は「そうか……」と少し残念そうにしながらも念押しするようにこう言った。
「でも、ワシが(マツダに)何の恨みもないのに、ただデカイことをやってやろうという思いだけで事件を起こしたんじゃないんはわかってくれたかね?」
今度は筆者も「そうですね。それはわかりました」と答えた。昨年の春頃から一年半以上、面会や手紙のやりとりを重ねてきて、引寺が常に本音で話していることだけはわかっていた。マツダの工場で働いていた頃に集団ストーカー被害に遭ったことが犯行動機だという引寺の言葉は、間違いなく本心だ。

だが、しかし――と筆者は思う。引寺は事件を起こして以来、自分の犯行を誇示するような言動もしばしば見せてきた。公判で不規則発言を繰り返したのは、その最たるものだろう。控訴審の判決公判では閉廷時、裁判長に食ってかかった挙げ句、「このワシがマツダに黒歴史を刻んでやった! よう覚えとけ!」と大声で叫びながら退廷していった。それまでに何度も面会してきた筆者には、あれが引寺のパフォーマンスだということはすぐわかった。引寺は決して激高し、我を忘れてあのような発言をする人間ではない。

また、引寺は犯行直後に知人男性に電話した際、「ワシは秋葉原を超えた」と、2008年に7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件を意識したような発言をし、犯行を誇示していたと伝えられている。引寺という男の思考回路は一体どうなっているのか――。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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