《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち

現在、そして未来も大学の最大の課題は学生募集だ。6割以上の大学が既に入学定員を確保できていない状況は以前述べたが、受験生の減少と大学側の入学定員の増加という需要と供給の「乖離現象」は今後ますます進展してゆく。

大学の存続にかかわる「学生募集」。何か妙案はないものかと大学は「もがく」のだが、違う角度からそれを格好のビジネスチャンスとしてよだれを垂らしながら薄笑いを浮かべている連中がいる。リクルートをはじめとする「進学情報」を生業とする業界がそれだ。

◆20人の学生確保に広報支出が6,000万円!

各大学の学生募集を担当する部署には、実に多くの「進学情報」業者が営業活動に訪れるし、電話やメールによる勧誘も年から年中ひきもきらない。一部有名大学を除いて受験生確保は第一優先だから「進学情報」業者と全く付き合いのない大学はない。

受験生へ無料送付される「進学情報誌」への広告出稿、インターネット上での広告、進学説明会参加など業者が提案してくる広報形態は様々だ。この業界の営業マンは口八丁が身上で、多少の経験則がないと業者やメディアの選択を誤ることになる。戦略を持たない経営者や担当者がこれらの業者に引っかかると、時にとんでもない出費を食らうはめになる。たった20人の学生を確保するために1年で6,000万円の広報費を浪費したのは誰もが知る関西の有名私大だ。担当者の無能が原因だ。6,000万円使っても結局目標の20名は確保できなかったという笑えない結論が付いてくるのだが、一部私立大学の「どんぶり勘定」はなかなか豪快ではある。

弱小大学にとって広報活動を独自に行うのは人的にも財政的に厳しい。業者なしには全く広報活動が出来ない大学だってある。だから本来ならば大学が行うべき業務を業者がある程度「補完」してくれている側面は否定できない。が、「教育産業」という言葉自体に嫌悪感を持つ者としては連中のやり口の汚さがどうも目につく。

◆弱小大学には割高すぎる「合同説明会」

例えば「合同説明会」というイベントがある。フロアーの広い会議場などを業者が借り切り、そこへ各大学がブースを出し、受験生に大学の説明を行ったり、質問を受けるという、いわば「大学の見本市」だ。これが、全国いや海外も含めて様々な主催者により無数に行われている。

大学は「参加費」を支払い、広報担当職員や教員が出向く。「参加費」は規模や主催業者により異なるが5万円から50万円ほどが相場だ(有名大学は割安に、弱小大学は割高に価格を提示されることが多い)。そこには当然お客さんである受験生が多数いないと意味はないのだが、悪徳業者主催の「合同説明会」に乗ってしまうと、1日で訪問者が数十人しかいない、しかもどう見てもその内何割かは「サクラ」であるということが珍しくない。

20校ほどの大学が出展している「合同説明会」で数十人が訪れても、それが受験に結びつく割合はほぼゼロだ。悪徳業者は会場確保とパーテーション、机などの備品用意と見せかけばかりの受験生向け広告を用意するだけでまるもう儲け、閉会間際に「予想を下回る来場者で申し訳ございませんでした」と用意をしていたアナウンスをすれば任務完了というわけだ。

そんな「合同説明会」に参加を決めてしまう時点で、大学の程度が知れるというものだが。口上を変えながら大学から広報費を引っ張り出す、巧妙な悪徳業者にとっての「おいしい」時代が当分続くのだろう。

「合同説明会」の中には「日本学生支援機構」(実質的に国の機関)が主催する海外での説明会もある。また東京や大阪等大都市では一度に100校以上が参加する大規模説明会も行われ、来場者があふれり、活況を呈しているものある。この手の大規模説明会は受験生にとってはメリットがある。志望大学の担当者と直接相談をすることができるし、大学案内や願書などを無料で手に入れることができるからだ。

しかし、もとより志願者が少ない大学はここでも泡を食らうことになる。確かに会場は受験生で溢れている。有名大学のブースの前には相談を待つ受験生が列をなす。でも弱小大学のブースにはウィンドショッピング(ひやかし)しかやってこない、一日ブースで受験生を待ち続けるのは、動かない浮きを眺める釣りのようなものだ。

◆悪徳「留学生斡旋業者」は顔つきが違う!

よりたちが悪いのが海外からの留学生を斡旋しようと持ちかけてくる連中だ。以前は中国が最大供給源だったが、経済成長と両国関係の悪化によって、最近はベトナムやミャンマーがそのターゲットになっている。

東アジアを見渡せば、日本は勿論のこと、韓国も台湾もそして「一人っ子政策」で統計上は中国も少子化が進展している。留学生の出身国はかつてこの3か国で90%以上を占めたが、今や台湾や韓国も国内で日本同様の学生の奪い合い時代に突入している。

留学生斡旋を持ちかけてくる連中はどいつもこいつも胡散臭い。「NPO国際○○支援会」と名乗ったり「株式会社アジア人材○○」だったり、容姿からして教育業界の人間のそれとは雰囲気が違う。まあ実質的に「人身売買」に手を染めている人間なので当然と言えばそうなのだが。

関西のある弱小短大は学生募集に苦戦のあまり、悪徳留学生斡旋業者にひっかかってしまった。学生担当職員によると、業者は何者かの紹介で理事長に取り入った。中国の奥地まで「視察」の名目で理事長を連れてゆき、接待漬けにして骨抜きにしてしまい、学生募集の業務提携を結ぶ。翌年確かに数人の留学生を送ってきたのだが、学費の半額近くに相当する「紹介料」を支払うはめになる。いくら学生の頭数をそろえても学費が徴収できなければ、経営的には意味がない。それでも理事長に食い込んだ業者は広くもない事務室の中に自分専用の机の設置を要求する。

更に「学生数確保の重要な鍵を握っている人物だから」という理由で理事への就任を要求し始める。この業者は関西一円で同様のモデルで「ブローカー」として稼いでいるようだが、典型的な「大学ゴロ」と言えよう。

より規模が大きく、最初から確信犯であるのが「大学自体がゴロ」であるケースだ。高校野球で甲子園に系列高校がしば活躍する「TK大学」は労組委員長殺害の為にヤクザを雇い実行した前歴がある。この大学は少々の記事でも片っ端から名誉棄損で裁判を起こすことでも知られているので内実の恐ろしさの割に週刊誌などでも報じられることが少ない。

意外なところでは、センスのいい大学として知られる「AG大学」の現理事長は財界とのパイプが太く民主党政権時代には国会議員がおこぼれにあずかろうと日参していたほどの裏社会のビジネスに精通している人物だ。

これ以上書くと危険ラインを超えてしまうので、私が狙われてもいいと腹が据わったら実名で告発をすると予告しておこう。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策
《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて
《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
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《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
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《罪の行方04》あす最高裁判決!宮崎家族3人殺害事件被告人面会記

奥本被告が拘禁されている宮崎刑務所

JR宮崎駅からタクシーで約30分、宮崎刑務所は山すそに広がる田園地帯にあった。広々とした敷地には県木のフェニックスなど南国の木があちらこちらに立っていて、のどかな雰囲気を醸し出していた。筆者が奥本章寛被告(26)と面会するため、この刑務所を訪ねたのは9月12日のことだ。

妻と生後5カ月の長男、養母(妻の母)の3人を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた奥本被告。あす16日、最高裁で上告審の判決公判が開かれるが、地元では減刑を求める支援活動が盛り上がり、被害者遺族の1人(妻の弟。奥本被告にとっては義理の弟)が奥本被告と面会したうえで「第一審からのやり直し」を希望する上申書を最高裁に提出する異例の事態になっている。

そんな異例の事件の張本人、奥本被告はどんな人物なのか。その人となりに触れてみたく、筆者はこの日、宮崎まで面会に訪ねたのだった。4日前の9月8日、最高裁で開かれた公判で弁護側、検察側が弁論して上告審も結審しており、奥本被告にあとは判決を待つばかりとなった心境を訊いてみたいという思いもあった。

面会室に現れた奥本被告はタンクトップに短パンというラフな姿だった。第一印象を率直に記せば、朴訥な田舎の青年というイメージ。顔写真はマスコミ報道で目にしていたが、報道のイメージより色白であるように思った。小柄で細身だが、タンクトップから伸びた腕は筋肉質で、均整のとれた体つきをしている。それは小学校から高校まで続けた剣道、高校卒業後に入隊した自衛隊で鍛えられた賜物かもしれない。

「はじめまして、片岡です」というと、奥本被告も「はじめまして。奥本です」と挨拶してくれた。「健康そうですね」というと「そうですね」と笑顔で返してくれた。筆者はこれまでにマスコミで「凶悪犯」と騒がれた人物にはけっこう会ってきたが、そういう人物たちの大半が実際に会ってみると、「普通の人」だった。奥本被告もまたそうだった。

◆「みなさん、普通の人だと言ってくれます」

奥本被告とは事前に少し手紙のやりとりをし、8月末に中津市であった支援者たちの集会に行ってみたいという考えを伝えていた。そして実際にその集会に行ったことを伝えると、「中津に来られた話は聞いています。いっぱい写真を撮っていたとか」と言われ、少し恥ずかしかった。筆者は取材に行くと、たいてい普通の取材者より多く写真を撮ってしまう。元来心配性で、ちゃんと良い写真が撮れているか不安になり、ついシャッターを多く押してしまうのだ。

「集会には随分大勢来ていましたね」と言うと、奥本被告は「椅子が足りなかったと聞いています」とてらいなく言った。筆者は集会に来ていた人たちの雰囲気から、奥本被告が生まれ育った地域の人たちが多く集まっていたのかと思っていたのだが――。
「いえ、地域の方々はむしろ少なくて、知らない方々のほうが多いと思います」と奥本被告は言う。

── そうなんですか?
「控訴審が終わってから支える会ができて、知らない人から手紙をもらったり、面会に来てくれたりして、人数も増えて行ったんです。中心でやってくれている人達も元々面識がなかった方々ばかりなんですよ」

── 荒牧さん(※中津市の集会で司会役を務めた人)とかもそうなんですか?
「そうですね」

── そうだったんですね。知らない人から手紙がきたりするのはどういう思いですか?
「とてもありがたいことだと思い、嬉しいですね。応援してくれるようなことを書いてくれていますし」

奥本被告は何を聞いても、率直に答えを返してくる青年だった。遠方からふらりとやってきた見ず知らずの取材者に対し、わりと最初から心を開いて話してくれているような印象を受けた。以下、取材メモに基づき、この日の筆者と奥本被告のやりとりを紹介しよう。

── 面会にきた人たちの反応はどうですか?
「みなさん、(自分のことを)会ってみたら普通の人だと言ってくれますね」

── やっぱりみんな怖い人だというイメージを抱くんですかね?
「そうですね。やはり(自分は)犯罪者ですから。ぼくの場合、大きなことをやっていますし。ぼくだって自分が犯罪者になる前は、犯罪者は怖い人なんだろうと思っていました。この事件で警察の留置場に入り、初めて犯罪者も普通の人だとわかったんですよ」

── 最高裁の弁論が終わりましたが、どういう思いですか?
「……(考えて)判決の日が決まってないんで(※面会時点の話)、早く判決の日が決まって欲しいというのはありますね」

── 死刑が怖いとか、そういう思いはないですか?
「正直、死刑が怖いという思いは今のところ、あまりないんですよ。まったく怖くないわけではないですが、今は支える会の人のこととか、遺族の方へ生活再建援助金を払うために絵(※連載3回目に出てきたポストカードにするための絵のこと)を描いたりとか、そういうことのほうばかりに気持ちが向いているんです」

── 遺族というのは(最高裁に上申書を提出した)義理の弟さん?
「……法律的にいうと、そうですね」

── 向こうのほうが年上なんですか?
「そうですね。学年は一緒なんですが、ぼくは早生まれなんで。ぼくが昭和63年2月生まれで、向こうは62年の4月なんで、10カ月早いです」

── 面会に来てくれたんですよね。
「そうですね。ありがたかったです」

支援者が製作した小冊子『青空―奥本章寛君と「支える会」の記録―』

── 奥本さんのことはみなさん、いい人だと言われますが、やはり会ってみると、そういう評判なのがわかります。
「『青空』とかですね。黒原弁護士はぼくのことをよく書いてくれるんで、よく書きすぎじゃないですか、と伝えました。黒原弁護士もいい人ですよね。七福神でしたっけ? ぼくは、黒原弁護士は仏様・神様の化身だと思っていますので、黒原弁護士が七福神の中にいてもまったく違和感がありません」

『青空』とは、『奥本章寛君を支える会』が事件の実相、奥本被告と会の歩みなどをまとめた小冊子。弁護人の黒原智宏弁護士が奥本被告の人柄、出会いから現在までを綴った文章も掲載されている。この黒原弁護士とは中津市の集会で会ったが、たしかに根っからの善人という印象を受ける人物だった。

◆「すべての原因は自分」

すでにお伝えした通り、家族3人を殺害する事件を起こすまでには、同情すべき事情があった奥本被告。そのあたりのことも少々踏み込んで、訊いてみた。

── やはり事件を起こした時は、わけのわからない感じになってしまったんでしょうか。
「……う~ん、わけのわからない感じではなかったと思います。事件当日、仕事にはちゃんと行っていましたから」

── 心理鑑定をして、その時に視野狭窄みたいになっていたと聞いています。
「そうですね。心理鑑定の鑑定書は読みましたが、鑑定書通りだと思いました。視野狭窄というのは、自分は元々視野などが狭かったと思いますが、その時はいつも以上に視野狭窄になっていたと思います。すべての原因は自分にありました」

── あの時に時間を戻したという思いはありますか?
「ありますね。それはいつも思っています。ドラえもんが現実にいて、時間を戻してくれたらいいのに、と。映画やドラマでもよくそういう話がありますよね。ただ、あの時に戻れるとしても、今の自分で戻りたいですね。あの時に戻れても、自分まで当時の自分に戻ってしまったら、また同じことをやってしまいそうなんで」

── 義理のお母さんから叱責されていたのは、航空自衛隊を辞めたのが原因なんですか?
「いえ、今思うと、それ以上に結納と結婚式をしなかったのが理由だと思っています。それから義母との関係が悪くなりました。義母は『結納もしてくれなかった』とずっと言ってましたから。ぼくは、事前の話し合いで、『結納・結婚式は行わない』と決まりましたので、結納をしなくてもいいものだと思っていたんですが」

── ぼくも結納はしませんでしたね。
「そうなんですか。しない人が多いみたいですね。20代前半で結婚したら、貯金がそれ程できていないはずなので、できないほうが普通なのではないかと思います。ぼくの周りもみんな、今のところ、できちゃった結婚が多く、結納・結婚式はしていないほうが多いです」

── 結婚直前に航空自衛隊を辞めたのはなぜだったんでしょうか?
「それまで自衛隊は『一生は続けたくない仕事だな』と思いながら、中途半端な気持ちで続けていたんです。自衛隊にいた3年間、パチンコばかりしていましたからね。自衛隊では、いつまでも組織に残るためには昇級試験に受かっていかないといけないんです。法律的にそうなっているわけではないのですが、慣例として、ここまでの階級に昇級しておかないと自衛隊に残れない、というのがあるんですね。で、自分はそこまで昇級できないと思ったんで。一生できる仕事を自衛隊の外に探そうと思ったんです。今考えると、考えが甘かったですね」

── そんなことはないと思います。パチンコはクセになっていたんですか? 事件の日も事件のあとでやっていますね。
「クセというか、当時は、自衛隊を辞めてからは生活費を稼ぐためにやっていましたね。給料が少なかったんで、前借りや借金をして、そのお金をパチンコで増やしてから、もとのお金を(妻の)くみ子に渡していたんです。もとのお金より増えたぶんを自分の小遣いにしていました。それで幸いにもなんとかうまくいくことが多かったです」

── そんなにパチンコで勝てていたんですか?
「トータルでは大きく負けています。それに、友人に借金をしていたんで、その時点で負けていたと考えられるかもしれませんが」

妻子ある男がパチンコのために借金をするというのは決して良い印象の話ではないだろう。しかしこの頃、奥本被告はまだ21~22歳である。筆者は同じ年齢の頃、親から仕送りをもらって大学に通いながら麻雀屋に入り浸っていた自分の学生時代を思わずにはいられなかった。事件の伏線になった「自衛隊の退職」が奥本被告にとって、結婚するのを機に一生できる仕事を探そうと考えた結果としての選択だったという話も身につまされた。

◆「出会い系サイト」利用問題の実相

── 裁判員裁判については、どう感じましたか?
「短い印象を受けましたね。自分としては短い審理で死刑と言われてしまったなと思いました。判決文の内容が不満で、控訴したんです。ただ、今思うと、制度なんで仕方ないようにも思いますね。それに裁判員裁判じゃない裁判を受けていないので、裁判員裁判がそうじゃない裁判と比べてどう違うのか、わからないんですよ」

── 奥本さんは人の悪口を言わなそうですね。
「今は言わなくなりましたね。以前はよく言っていましたが」

── どういう悪口ですか?
「自衛隊の時、同期の悪口ですね。その同期は悪口・陰口を誰からも言われていた人でしたが、ぼくもついそれに悪乗りしてしまっていました。今、(人の悪口を)言わなくなったのは仏教を勉強するようになったからです。今、主に勉強しているのは、浄土真宗の親鸞聖人の教えです。心の中で人のことを悪く思うことは制御できません。しかし、口で人のことを悪く言うのは制御できますから」

宮崎刑務所の面会時間は他の刑務所・拘置所に比べて長いほうで、30分くらいあったが、このあたりで立会の刑務官が時計を気にする素振りを見せ始めた。そこで最後にもう1つ、気になっていたことを訊いてみた。それは、奥本被告が事件前から「出会い系サイト」の利用を繰り返し、犯行後も「出会い系サイト」で知り合った女性と会うなどしていたかのような話が裁判員裁判の公判中に地元紙で何度も報じられていたことに関してだ。

── 出会い系サイトみたいことをされていたというのも訊いていいですか?
「出会い系サイトについては、あれが出会い系サイトというのかなあ、と思っているんですよ。SNSじゃないかと」

── あ、それはぼくも思ったんですよ。実はSNSみたいなもんではないかと。
「ぼくが利用していたサイトは、肉体関係を目的にしたやつじゃないですからね。くみ子とは、スタービーチで知り合ったんです。メル友募集の掲示板でした。スタービーチは出会い系サイトとは違いますよね。スタービーチを利用しなくなってから利用していたのはグリーやモバゲーです。メールしたり、ゲームをしたり、色々できるサイトですね。それを検察官は出会い系サイトだと言って、そういうふうになっていますが」

── 事件の日もされていたとか?
「メールですね。事件当日もぼくはグリーを暇つぶしで見ていました。その時、グリーで知り合った女性と時間つぶしで会って、少しの時間、会話をしました。この女性が、実際に会った2人目の女性です」
「会ったことがある人は2人だけです。1人目の人はパチンコ店に連れて行くために誘ったんですよ。でも、その人は彼氏を見つけるため、デートのつもりだったみたいで、おめかしをしていました。ぼくはパチンコ店に一緒に行くことが目的だったので、仕事着のままでした。仕事終わりでしたので、汗や油などの匂いがしていたはずです。パチンコ店に連れて行ったら、煙草を吸わない人だったんで、煙の匂いなどに耐え切れなくて、パチンコ店から出ることになりました」

── (その女性とは)もう会わなかったんですか?
「翌日、また一緒にパチンコに行こうと思ってメールしたら、彼氏を見つけたいとかどうのこうのと言われて断れました」

裁判員裁判の判決文を見ると、奥本被告が「出会い系サイト」を利用していたという話は裁判員たちの心証を悪くした可能性が読み取れる。また、裁判員裁判の公判中、奥本被告が事件前のみならず、犯行後も「出会い系サイト」を利用していたような話が地元紙で何度も報道されたことは奥本被告の悪いイメージを世間に喧伝する効果が間違いなくあったろう。だが、その「出会い系サイト」とは、実際にはグリーやモバゲーなど、世間一般ではSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と呼ばれることが多いサービスだった。それを「出会い系サイト」と呼んだ検察官の印象操作がまかり通ってしまったということのようだ。

◆被害者の供養のため、毎日続ける勤行

面会では時間の都合上、聞きそびれたこともあったので、筆者は後日、奥本被告に手紙を送り、追加で質問をさせてもらった。それは奥本被告が仏教の勉強を始めた経緯は何だったのか、誰か勧めてくれたか人がいるのかということだ。届いた返事で、次のように説明されていた。

《仏教の勉強を始めたのは、被害者3名の供養をしたいとある日突然思い立ち、写経を始め、同時に仏教(主に浄土真宗)の勉強を始めました。写経・書写、朝と夕方の勤行を毎日行っています。命があるかぎり、続けます。私の反省のためにも、です。誰かに勧められたとかはなかったと思います。》

奥本被告とはまだ一度会っただけなので、軽々しくは言えないが、この青年はこの凄惨きわまりない事件を不器用なほどに誠実な性格ゆえに引き起こしてしまったのではないか。筆者は今、そう感じている。この青年なら本当に命あるかぎり、被害者供養のための写経・書写、勤行を毎日続けるのだろうとも思った。あす16日、最高裁がどんな判決を出そうとも何らかの形で続報をお伝えしたい。

【宮崎家族3人殺害事件】
宮崎市花ケ島町の会社員・奥本章寛被告(当時22)が2010年3月1日、自宅で妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、妻の母(同50)を殺害した事件。奥本被告は同年11月17日、宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受け、さらに2012年3月22日、福岡高裁宮崎支部で控訴を棄却され、死刑判決を追認される。現在は最高裁に上告中だが、あす16日、判決公判が開かれる。地元では減刑を求める支援活動が盛り上がり、被害者遺族も最高裁に「第一審からのやり直し」を求める上申書を提出する異例の事態になっている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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《脱法芸能12》風吹ジュン誘拐事件──弱小事務所間の紛争は暴力がモノを言う

私は拙著『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)の中でこう書いた。

「芸能資本の力の源泉は有力タレントを所有することにある。だが、タレントは『モノを言う商品』であり、放っておけば芸能資本の手から離れていってしまう。それを防ぐために必要なのは、(1)『暴力による拘束』、(2)『市場の独占』、(3)『シンジケートの組成』の三つである。これは古今東西を問わず、同じ構造だ」

1974年9月に発生した「風吹ジュン誘拐事件」は、(1)「暴力による拘束」に分類されるものだった。

歌の下手さが衝撃だったデビュー曲「愛がはじまる時」(1974年5月ユニオンレコード)

◆デビュー曲25万枚ヒットでも風吹の月給は23万円

富山県出身の風吹ジュンは、京都で中学を卒業した後、18歳で上京し、銀座のクラブで働いていた時にスカウトされた。有名写真家デビッド・ハミルトンがユニチカのカレンダー用に撮影した写真が話題となり、1974年5月、「愛がはじまる時」でレコードデビューし、25万枚が売れ、一躍スターとなった。

当初、風吹はアド・プロモーションという事務所と仮契約を結んでいたが、レコードがヒットしても月給は23万円にすぎなかった。事務所に相談できる人がいないこともあって、9月9日、風吹に倍の月給を提示したガル企画に移籍した。その矢先、事件が起きた。

同月12日午後8時過ぎ、フジテレビで収録を終えた風吹がスタジオから出てくると、旧所属事務所のアドプロのUマネージャーなど3人が現れ、風吹の腕をつかんで局の隣にある喫茶店に連れ出した。

風吹がガル企画の石丸末昭社長に電話で連絡をしてみると、「ジュンか、石丸だけどね、君はU君の指図どおりに動いていいんだ。わかるか」と言われた。そこで風吹はUに従って車で品川のホテル・パシフィックへ向かった。

ホテルに3つ取っていた部屋の真ん中に風吹が入ると、アドプロの社長、前田亜土が現れて、「お前は、自分の二重契約を知ってるのか。オレのところにいればいいんだよ」と言った。

さらに作詞家のなかにし礼の実兄である中西正一が風吹とガル企画の専属契約の委任状を見せ、「ほら、これをみればもう納得もいっただろう」と言い、代わる代わる人が入れ替わって、風吹の事務所移籍を非難した。

そのうちなかにし礼が現れて、風吹の腕をつかんで、「そろそろ、あんたにも事態がどうなっているかわかってきただろう」と言った。

そのまま全員でベンツに乗って高輪プリンスホテルに移動し、また風吹への説得が始まった。そして、なかにし礼がやってきて、「要するにアドプロで仕事をすればいいのサ」と言った。

そんなやりとりが延々と続いた後で風吹が翌日の仕事のため衣装を取りに行かなければならないと言い、風吹、U、なかにしの3人で階下に降りたところ、待ち構えていた大勢の警官によって風吹が保護された。そして、人だかりの中には包帯を巻いた石丸社長の姿もあった。

◆筋書きを書いた「黒幕」なかにし礼

石丸社長の身に何があったのか?

同月12日午後5時ごろ、石丸社長はガル企画で働くYマネージャーがなかにし礼の事務所にいたときに作った借金の返済するため、暴力団、住吉連合系大日本興業のI事務所を訪れていた。

石丸社長がIに60万円の借金を返すと、部屋にいたIの子分たちがドアの前に立ちふさがり、別の子分からハンガーで顔面を殴られ、ゴルフのアイアンで、頭や首、手などを叩かれ、残りの3人からも殴る蹴るの暴行を受けた。そして、Iが「床に正座しろ!」と怒鳴った。

やがて奇妙なことに、なかにし礼から電話が入り、Iが「いま石丸を監禁してる。お前の友人だろう。この石丸の身柄を引き取らないか」と、なかにしに言った。Iが石丸社長に「お前からもなかにしに頼んだらどうだ」と言うので石丸社長も受話器を取り、「礼さん、お願いだ、身柄を引き取ってくれないか」と懇願した。だが、なかにしは「いや、それはだめですね、石丸さん」と言って電話を切った。

「オレがもう一度なかにし礼に頼んでやろう」と言ってIがなかにしに電話をかけ、石丸社長が「お願いだ、なんとかしてくれないか」となかにしに頼んだが、なかにしは「いやだめだね」と言ってまた電話を切った。

また、しばらくすると、礼から電話があり、実兄の中西正一に頼めと言った。そこで石丸社長は中西正一と電話で話すことになったが、その際、中西正一は、石丸社長の身柄引き取りの条件として、風吹ジュンが石丸社長に書いた委任状を渡し、風吹との契約を解除し、石丸社長がなかにし礼に貸した280万円の借金を帳消しにすること、を突きつけた。

恐怖のあまり、この条件を石丸社長が飲むことにしたところ、フジテレビの隣にある喫茶店から電話があり、風吹と話をさせられたのだった。

午後8時30分ごろ釈放された石丸社長は、病院に行ってケガを治療してもらい、事務所に戻り、弁護士と相談してから警察に通報し、警視庁に出頭した。事態を重く見た警視庁は、パトカー20台と警官80人を高輪プリンスホテルに動員し、風吹を保護した。

そして、9月20日、風吹と石丸社長らは、連名でなかにし礼、中西正一、アドプロの前田亜土、大日本興業のIらを相手に監禁、強要、強盗傷人などの罪で告訴した。

この事件で筋書きを書いた「黒幕」とされたのが、なかにし礼だった。アドプロ社長の前田亜土の妻はなかにし礼の実兄の中西正一の次女。なかにし兄弟はとおにアドプロの重役であり、石丸社長を襲ったIは金融面でアドプロと繋がりがあったという。

一方、なかにし礼側の主張によれば、石丸社長の親戚には九州の暴力団組員がいて、石丸社長は風吹の移籍問題でもそれを持ち出してアドプロを脅していたという。

◆暴力沙汰は「諸刃の剣」

なぜ、このような問題が起きたのだろうか、ということを考察してみたい。

まず、風吹ジュンをめぐって争奪戦を演じた石丸社長と前田亜土は、もともと芸能界とは縁がなかったということがある。石丸社長は上野で鉄鋼業を営んでおり、ガル企画を設立したのも、風吹と個人的に「私の芸能活動についてすべてを石丸氏に委任します」と一筆もらってからのことだった。前田亜土にしてもイラストレーター上がりで、芸能事務所を始めたのも風吹を抱えることになってからのことだった。

大手の芸能事務所であれば、業界団体の日本音楽事業者協会(音事協)に加盟しているが、音事協ではタレントの引き抜きは禁じており、基本的にこの種のトラブルは起こらない。風吹ジュン誘拐事件は、芸能界のメインストリームを外れた弱小事務所同士だからこそ起こった事件だった。そして、弱小事務所同士の紛争は暴力がモノを言う。

だが、風吹の移籍トラブルは、誘拐事件として大きく報道されたため、風吹を奪った側のなかにし陣営は大きなダメージを受け、結局、風吹の所属先は、ガル企画に落ち着いた。また、風吹自身も、この事件によって経歴詐称なども暴かれ、大きくイメージダウンを余儀なくされた。

タレントの引き抜きなどで、芸能界では暴力事件が起こることもある。だが、事件が明るみに出ると、タレントを奪う側としても、奪われる側としても、そして、業界全体としてもダメージは大きい。そのため、芸能界では諸刃の剣ともいえる暴力が発動されることは滅多にない。そもそも、引き抜きを未然に防止することが重要であり、そのために音事協という組織があるのだ。

(星野陽平)

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《我が暴走02》「刑務所は更生の場でなく交流の場」マツダ工場暴走犯面会記[上]

引寺が服役している岡山刑務所

JR岡山駅から路線バスで約20分。「牟佐下」という最寄りのバス亭で降り、5分ほど歩くと、金網で囲まれた岡山刑務所の白い建物が見えてくる。このあたりは山あいに田園と住宅が混在する田舎町だが、多くの凶悪犯を収容している建物はのどかな周辺の景色に案外違和感なく溶け込んでいる。

2010年6月に12人が死傷したマツダ工場暴走事件の犯人、引寺利明(47)と面会するため、この刑務所を訪ねたのは9月初旬のことだった。引寺とは、彼が裁判中に広島拘置所にいた頃から面会、手紙のやりとりを重ねてきた。だが昨年秋、無期懲役判決が確定し、引寺が岡山刑務所に移されて以降は手紙のやりとりだけの関係になっていた。

前回紹介したように、引寺は手紙に無反省のまま、楽しそうな刑務所生活を送っているように書いてきた。だが、これまでに直接取材してきた印象として、この男には偽悪的な一面があるように筆者は感じていた。実際には、刑務所で他の受刑者にいじめられたりして、落ち込んでいたりしないだろうか――。そんな想像をしながら訪ねた面会だった。

◆げっそり痩せていた暴走犯

岡山刑務所に到着後、面会の受け付けを済ませて、待合室で待機すること10数分。「18番の方、1号面会室にお入りください」と呼ばれ、面会室に通じる重いドアをあける。すると、廊下に5つの面会室のドアが並んでおり、1号面会室は一番奥だった。

面会室に入り、まもなく透明なアクリル板の向こう側に引寺が姿を現した時、筆者は思わず、「うわっ……」と声が出そうになった。頭を丸め、緑色の作業服に身を包んでいた引寺がげっそりと痩せこけていたからだ。広島拘置所にいた頃はむしろ肥満気味だったのに……いや、痩せているだけではなかった。「片岡さん。よう来てくれたね」と引寺が口をあけると、前歯がごっそりと抜け落ちていたのである。

本当に、いじめに遭っているのか……と思ったが、引寺によると、そうではないらしい。痩せたことを指摘した筆者に対し、引寺は事情をこう説明した。
「刑務所に来たら、みんな痩せるんよ。理由の1つは、運動をせんこと。もう1つは、好きなもんを食べれんこと。刑務所の食べ物は低カロリーじゃけえねえ。刑務所の中には、メタボはおらんのんよ。ワシ自身、逮捕の時は90キロ近くあったんが、広拘(広島拘置所)で70キロ半ばくらいまで落ちた。それからここにきて、最近、体重を測ったら60キロちょいじゃったわ。じゃけえ、シャバにおった時からすりゃあ30キロくらい痩せたね」

そして引寺は、いじめられているのではないかと想像した筆者の心中を察したのか、うち消すようにこんなことを言った。
「片岡さんら外の人が思うような陰湿ないじめや暴行は刑務所に無いんよ。そういうことしたら、すぐ懲罰に行かされるけえね。刑務所にも気の合う人間はおって、よう話もしよるよ。誰とは言えんけど、広拘におった人も一緒に働きよるしね。同じ出身じゃったりすると、話が合うよね。ああ、そういえば、今回の土砂災害はびっくりしたね。食事しよったらニュースが流れてきて、最初は小規模なやつかと思うとったら、大きなやつじゃったねえ」

引寺は事件を起こす前、8月に土砂災害に遭った広島市安佐南区にあるアパートに住んでいた。実家も安佐南区だ。それだけに、刑務所の中にいながら土砂災害のニュースが気になっていたようだ。12人を死傷させた男もやはり人の子なのである。

◆前歯が無い理由

では、前歯がごっそりと無くなっているのはなぜなのか。引寺は事情をこう説明した。
「歯は元々、シャバにおった時から差し歯じゃったんが、ごっそり抜けたんよ。ごつい差し歯しとったんじゃけどね。最初は逮捕されて、警察の留置所におった時じゃった。そん時は歯医者に連れて行ってもろうて治ったんじゃけど、広拘に移れされてからまた抜けてね。それからはもうマスクをすることにしとったんよ。マスコミが面会に来た時もそうじゃし、弁護士面会の時もそうしとったんじゃけど、ここ(岡山刑務所)じゃマスクができんのよね」

筆者はそんな話を聞き、「ああ、そういえば」と思い出した。広島拘置所にいた頃の引寺は常にマスクをしていたな、と。当時、引寺がいつもマスクをしていたのは、ほこりや病原菌などに神経質な性格なのだろうと勝手に想像していたが、引寺は前歯が無いのを隠すためにマスクをしていたのだ。そのマスクが無くなったことにより、ようやく筆者は引寺の前歯の状態に気づいたわけである。引寺は岡山刑務所に来てから前歯を無くしたのではなく、元々、前歯が無かったのだ。

「片岡さん、お土産無いん?」と引寺が聞いていた。「お土産」とは、本や雑誌のことである。引寺は広島拘置所にいた時から、面会に行くたび、「お土産」を催促してきた。刑務所や拘置所で拘禁された被告人、受刑者を取材していると、本や雑誌の差し入れを頼まれることは多いが、引寺はとくにそうだった。そのことをすっかり忘れ、筆者は手ぶらで面会に来てしまったのである。

引寺は「お土産は無いんかあ。楽しみにしとったんじゃけどのお」と心底残念そうに言うと、こう続けた。
「じゃあ、日用品の差し入れを頼んでええかね。80円切手を何枚か。それと、ボールペンの替え芯。三菱とゼブラのやつがあるんじゃけど、三菱のほうね。間違えんとってね。あと、石鹸が1個欲しいんじゃけど、ええかね」

筆者は「ええ、いいですよ。わかりました」とメモしながら、ふと気になったことを引寺に尋ねた。
「家族は誰も面会に来てないんですか?」
広島拘置所にいた頃は、父親がよく面会に来てくれていると聞いていた。それが判決が確定し、岡山刑務所に移されて以降は誰も家族が面会に来なくなったのではないか。だから、筆者に日用品の差し入れを頼んできたのではないか――と思ったのだ。引寺はこう言った。
「親父が3月に1回、面会に来ただけじゃね。そん時は1万円入れてくれたけどね。広拘おった時みたいに毎月は来てくれんのんよ。まあ、遠いけえね」
父親も大変だな、と思わずにはいられなかった。

◆「逮捕当時の思いはまったく変わらない」

筆者は引寺に対し、引寺から届いた手紙の当欄への掲載許可を求め(※前回紹介した手紙のこと)、承諾を得るという用件を済ませると、今回の面会でどうしても訊いておきたかったことを質問した。
「被害者や遺族に悪いことをしたという思いは、まだ無いんですか?」

引寺は筆者の目を見すえ、きっぱりとこう言い切った。
「逮捕当時の思いはまったく変わりません」
引寺は逮捕当時、「マツダで期間工として働いていた頃、他の社員たちから集スト(集団ストーカー行為)に遭い、恨んでいた」と犯行動機を語っていた。その当時の思いが今もまったく変わらないというのは、つまり、引寺は今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い、ということだ。

引寺は「(反省しているなどと)嘘ついても、しょうがないけえね」とシレっと付け加えると、今度はこんな話を始めた。
「ワシはここに来てわかったんじゃけど、刑務所ゆうのは“更生”する施設じゃのうて、(他の受刑者と)“交流”する施設じゃね。まあ、贖罪の気持ちを持っとる人(=受刑者)も少しはおるんじゃろうけどね。(受刑者は)みんな、心の中では、『出たい』『出たい』ばっかりよ。みんな仮釈(放)が欲しいんじゃと思うわ」

そして引寺はこのあと、被害者や遺族が聞いたら卒倒してしまいそうな本音発言を次々に繰り出してきたのである。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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《屁世滑稽10》松島みどり法相はなぜエリマキ着用で国会登壇できるのか?…の巻

屁世滑稽新聞(屁世26年10月12日)

松島みどり法務大臣は

なぜエリマキ着用で国会登壇できるのか?……の巻

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

犬エッチケーテレビの「花子とアン」は終わってしまいましたが、
こちらは終わりません。あちらは作り物のお芝居ですけれども、
こっちは現実世界のお話しなのですもの。
お話しのおばさんは、これからもますます、がんばりますわよ。

さて今日のお話しですが、このあいだの続きで、やはり永田町の
国会動物園のお話しです。

国会動物園が、先月末に再開されましたが、そこでちょっとした騒動が起きました。
ボボ・ブラジルとの名勝負で知られるプロレスラーのアントニオ猪木さんも
いまや71歳とすっかり高齢者のお仲間入りをされたわけですが、
そういう理由からでしょうか、現在は「爺世代の党」所属の参議院議員を
やっておられます。

……え? あゝ、うっかりしておりましたワ。ここまで書いて、わたくし、
間違いに気づきましたワ。「爺世代(ぢいせだい)の党」でなくて「次世代の党」でした。
老人ホームみたいなお顔ぶれなのですもの。どちらを名乗っても同じなのにね。

で、お話しに戻りますが、アントニオ猪木先生は真っ赤なマフラーを
“闘魂のシンボル”として、いつも着用していらっしゃいます。

アントニオ猪木さんは、昨(2013)年夏の参院選挙で「日本維新の会」
から出馬し、18年ぶりに政界復帰を果たしました。
しかも今回は議員名として「アントニオ猪木」を名乗ることも
許されたの。当選直後の開催された臨時国会には、もちろん
“燃える闘魂”を象徴するマフラーを着用してやってきたの。
だけど参議院規則では「襟巻は着用禁止」なので、やむなく
マフラーを外して入場したのよ。きゅうくつで理不尽な規則よねえ。
まるで出来のわるい小学校みたいだわ。

ところが参議院には、こんな規則があるのよ……。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第16章 紀律及び警察
第1節 紀律

第207条 議員は、議院の品位を重んじなければならない。
第208条 議員は、議場又は委員会議室において、互いに敬称を用いなければならない。
第209条 議場又は委員会議室に入る者は、帽子、外とう、襟巻(えりまき)、傘、つえの類を着用し
又は携帯してはならない。ただし、国会議員及び国会議員以外の出席者にあつては
議長に届け出て、これら以外の者にあつては議長の許可を得て、歩行補助のため
つえを携帯することができる。
第210条 議場においては、喫煙を禁ずる。
第211条 何人も、参考のためにするものゝ外は、議事中、新聞紙或は書籍の類を閲読しては
ならない。
第212条 何人も、議事中、濫(みだ)りに発言し又は騒いで、他人の発言を妨げてはならない。
第213条 何人も、議長の許可がなければ、演壇に登つてはならない。
第214条 議長が振鈴を鳴らしたときは、何人も沈黙しなければならない。
第215条 散会又は休憩に際して、議員は、議長が退席した後でなければ、退席してはならない。
第216条 すべて紀律についての問題は、議長が、これを決する。但し、議長は、討論を用いないで、
議院に諮りこれを決することができる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

お読みになればわかるように、議場や委員会室では「帽子、外とう、襟巻、傘、つえの類を
着用し又は携帯してはならない」ことに決まっているの。たとえ“闘魂のシンボル”でも、
真っ赤なエリマキを着けたままでは、議場に入れないってわけなの。
これって、たとえ“日本の国家と国民のシンボル”の天皇陛下でも、銭湯じゃ、服を脱がなきゃ
洗い場に入れないのと、同じようなことよね。
……え? 同じじゃないって? こりゃまた失礼いたしました。

それにしてもこの参議院規則って、よい子たちが守らなきゃならないお行儀ごとを
細々(こまごま)と書き連ねたどこかの小学校のコーソクみたいだわ。
ここに書かれたことなんて、ふつうに礼儀が身についている大人なら、誰に言われなくても
守れることでしょ。それをこうやっていちいち列挙しなきゃ成り立たないのなら、「参議院」
なんて名乗るのをやめて「矯正院」とか「教護院」とか「少年院」に呼び名を変えなくちゃ
ならなくてよ。なかの議員センセイのお歴々の顔だけみれば「養老院」なのですけどね。
「元老院」じゃなくて「養老院」ね。
なのに行儀やしぐさが「少年院」並みだなんて、悲しすぎるわ。

さて、参議院にはこんな細々(こまごま)した規則があって、生徒さんたちは守らなくちゃ
ならないの。でもこうやって規則をながめてみると、実際の国会議事堂で、お年を召した
生徒さんたちは、実際には日常的に規則違反を繰り返していることがわかるわ。
とくに目立つのはヤジ。ちゃんと参院規則で「議事中、濫(みだ)りに発言し又は騒いで、
他人の発言を妨げてはならない」と定められているのに、まったく守られていないどころか、
今年の春にはセクハラ野次騒動がきっかけで国会での野次罵声が問題化したおりに、
安倍総理みずから答弁に立って、こう言ってヤジを擁護したほどですものね――「ヤジにも
いろいろありまして、これは議場の華とも言われる場合もありますし、正直、私も若いころは
けっこうヤジった方でございます」。……ルール違反を自慢してどうしたいのでしょうね?
これじゃ不良少年が仲間に吹聴する“万引き自慢”と変わらないわ。……やっぱり衆議院でも
参議院でもなく、「少年院」と呼ぶべきよね。

鳩山由紀夫さんが首相だったときなんか、総理大臣みずからが、議事の真っ最中にみっともない
“内職”をしていたほどですもの。
このときの新聞記事と写真を、あらためて掲げておきますわね。
————————————————————

誰へのサイン?=鳩山首相
(時事ドットコム 2009/11/26)
鳩山由紀夫首相が26日午後の衆院本会議の最中、扇子に「鳩山由紀夫」「友愛」などと書き込むのに熱中する場面があった。首相は周囲も目に入らずサインに没頭していたが、カメラを向けられると、上を見上げて思わず手で覆い隠した。
————————————————————

ご自分のファンのために議会で“サイン扇子”づくりの内職にはげんでいた、落第坊主みたいな
鳩山首相の体裁の悪さは、当時インターネット上ですぐに“絵文字”マンガにされておりましたわ。
それがこれよ。

こんなぐあいに、鳩山総理みたいに自分から率先してルール違反をやらかし、安倍総理みたいに
ヤジ暴言で無法地帯に成り果てた国会のルール無視の悪習を讃える不届き者までいるのですもの。
いっそのこと参議院規則の「規律」の定めなんて、やめてしまうのはどうかしら?
とにかく、規則をやぶることが風習になっている不良高校みたいな国会なのですもの。
ヤジを飛ばすチンピラたちが、他人の規則違反をとやかく言うなんて、チャンチャラ可笑しいと
思うわ。

ところが猪木センセイ、お可哀想に、“闘魂マフラー”のことで因縁をつけられて、
けっきょくマフラーをはずして議場に入ることになったのよ。……大人の態度よね。

★          ★          ★

……と、ここまでのお話しも、常識的な大人の目から見てじゅうぶんに馬鹿バカしいと
思うのですけど、今回は国会冒頭から、もっと阿呆くさい騒動がおきたってわけ。

この阿呆くさい事件の主人公は、なんと日本のルールをつかさどる法務大臣、
松島みどり法務大臣だったのよ。

松島みどりセンセイも、シンボルカラーは赤なんですって。「アカが大好き!」とか
「あたしのシンボルカラーは赤よ!」なんて公言したら、世が世なら特高警察に逮捕
されて拷問されて殺されちゃうわ、小林多喜二さんみたいに。……それはともかく、
みどりさんが赤をシンボルカラーにするというのは、あたかも「黒ずくめの岸部シロー」
みたいで面白いわよね。名前と正反対の色を好む心理状態というのは、どういうもの
かしら? あまり赤いものばかり身につけて「赤色」を強調しすぎると、選挙のときに
「松島アカ」って書く人がふえて、無効票ばかりで落選するかもしれませんわね。
よけいな心配ですけれども……。

さて、松島みどり法務大臣は、このたびの国会に、規則で禁じられている真っ赤な「襟巻」を
着けて登場したのです。当然、彼女の襟巻すがたをみた議員たちが、そのルール違反を咎(とが)め
ましたが、この法務大臣は奇妙キテレツな反論をして、開き直ったのでした。


自民党の松島みどり議員については、大臣に任命されて
参議院規則で着用が禁じられているハズのスカーフを
着けて登壇することが許されたのでした。これは後進国の
政界にありがちな、理不尽なえこひいきなのでしょうか?
……いいえ。たぶん違います。彼女にかぎっては、この格好
で国会登壇しても許されるのです……動物愛護の精神ゆえに。

なにが 馬鹿バカしいって、彼女の言い分ほど可笑(おか)しなことはないわ。
騒動後の記者会見で、松島みどりさんは、自分は猪木議員のような「マフラー」ではなく、
「スカーフ」を着用しているのだ、と主張したうえで、こんなふうに自己弁護したのよ。

「女性が洋服にセットで付いているスカーフを巻くことは、(参院規則にある)
『外套および襟巻の禁止』にはまったく当たらない。日本の女性のファッション
からスカーフというものを全部追放したいとおっしゃる方なら、そうでしょうけど。
(猪木議員がトレードマークにしており議場で外さざるを得なかった)マフラーは
だめですよね。女性のファッションのためのスカーフとマフラーは違う。」

この反論の意地の汚さと、あまりの無知蒙昧(もうまい)ぶりには、呆(あき)れてしまうばかりだわ。
「スカーフ」もやはり立派な「襟巻」だということを、法務大臣はご存じないのかしら?

ご参考までに、「襟巻」のことを英語でなんと言うのか、ここに列挙しておくわね。
—————————————-
「襟巻」を意味する英単語
(典拠:研究社リーダーズ英和辞典)

【1】muffler〔マフラー〕:マフラー, 襟巻, 首巻 (【4】のSCARFを参照); 《古》 《顔をおおう》ベール, スカーフ; 二叉手袋 (mitten), ボクシングのグラブ
【2】neckerchief〔ネッカチーフ〕:首巻, 襟巻, ネッカチーフ.
【3】neckpiece〔ネックピース〕:《毛皮などの》襟巻; 《甲冑の》首隠し, 喉輪(のどわ).
【4】scarf〔スカーフ〕:スカーフ; 襟巻, マフラー; ネクタイ (necktie, cravat); 【軍】 飾帯, 肩章 (sash); テーブル掛け, ピアノ掛け《など》; 《古》 【英国教】 頸垂(けいすい)帯《祈祷の際に牧師が着用する黒の長いスカーフ》
【5】wrap〔ラップ〕:包み, 包装(紙), 外被, おおい, ラップ, 肩掛け, 襟巻, ひざ掛け, 外套; 毛布
—————————————–
これを見ればお分かりのとおり、マフラーもスカーフもネッカチーフも「襟巻」なのよ。
それにしても松島みどりセンセイは、「日本の女性のファッションからスカーフというものを
全部追放したいとおっしゃる方なら、そうでしょうけど」などという、まったく論理性のない
言いがかりを、どうして言ってしまったのでしょうか? 40年前のウーマンリブのゲバルト
闘士じゃないんだから、こんな捨て台詞を吐くこともないでしょうに……。これってヤクザ語
に翻訳すると、こんな含蓄をもつのでしょうね――「ワシを責めたら日本中の女を敵にまわす
ことになるデぇ、ワレ!」

★          ★          ★

……と、まあ、たかが参議院の規則とはいえ、この法務大臣にかかったら、そんなもん
端(はな)から無視なのですからコワイものです。
規則や法律を、自分の都合でどうにでもネジ曲げる法務大臣……。腐りきったニッポンに
ついに最凶最悪の法務大臣が出てきましたわ。今年の夏はハリウッド版ゴジラ映画が
大ヒットしましたが、国会動物園にもゴジラ並みのバケモノが発生した、ということでしょう。

でも、私はこうも思いますの。
衣服はからだから着脱可能なアクセサリーにすぎません。
その意味では、たとえば「かつら」は脱いだり、かぶったり出来るわけです。
けれども地毛だと着脱するのは無理ですわ。

松島みどり法務大臣の真っ赤なエリマキが、彼女のからだの一部だとしたら……。
からだの一部なら着脱なんて出来なくてよ。

きらびやかなエリマキをもつ動物として、みなさんはエリマキトカゲをご存じでしょう。
オーストラリアの北部と、その北にひろがるパプアニューギニアの南部に暮らしている
イグアナの仲間です。そういえば、イグアナの形態模写で知られるタモリさんは
郷里の福岡に移住されるそうよ。「笑っていいとも!」で一世一代の富を築き上げ、
虚飾の人間関係にも飽き、東京そのものだって最近ではデング熱や、舶来の毒グモの
セアカゴケグモや、さらに加えて福島方面からいろいろな形で入り込んでくる放射能汚染物質
のせいで生活環境が劣悪化していますから、“最暗黒の東京”を見限って落ち着いたところに
引っ越すというのは、人として賢明な選択だと思うわ。


みなさんはエリマキトカゲをご存じですか?
今からちょうど30年前、三菱自動車のテレビCMに、豪州原産の
珍獣エリマキトカゲが登場して、日本では国民的な人気者に
なったのでした。
—————————————————–

★エリマキトカゲが主役の、三菱ミラージュのCM

あゝ、イグアナじゃなくて、エリマキトカゲの話でしたわ。
エリマキトカゲは、いまから190年ちかく前に大英博物館の動物専門学芸員だった
ジョン・エドワード・グレイさんが正式な学名をつけたの。動物分類学では
「クラミドサウルス・キンギイ(Chlamydosaurus kingii)」というのよ。
英語では「フリルド・ネック リザード(Frill-necked lizard)」と呼ばれてきたの。
日本語になおせば「首をフリルで飾ったトカゲ」、文字どおり「襟巻とかげ」という意味よ。

そのエリマキトカゲの変種が、なんと日本の国会に現れたようなの。
この珍動物には、「クラミドサウルス・ミドリイ」という学名がつけられたわ。


これは貴重な映像です。エリマキトカゲの亜種「クラミドサウルス・
ミドリイ」です。現在、東京永田町の国会動物園に収容されています。

エリマキトカゲの「ミドリ亜種」は本来は大自然のなかで暮らす動物ですから、
不健康な国会動物園に入れておくのは、可哀想だと思うの。
人知れぬ野原で気楽な暮らしをするのが、野生動物のしあわせだと思うの。


エリマキトカゲの「ミドリ亜種」が、エリマキを広げて
疾走しているところです。エリマキトカゲはめったに
こうした疾走をしません。生死を分ける危機的状況のもとで
命がけで疾走するのです。

……そういう事情ですから、エリマキトカゲの襟巻をむりやり剥(は)がして
動物園の大型オリに入れる、というわけにはいきません。
動物愛護の精神に反しますからね。

★          ★          ★

それにしても国会動物園というのは奇妙なところね。
どうせ服装規定をつくるのなら、日本の国会なのだから、男子は羽織袴(はおりはかま)、
女子は晴れ着を「制服」にすればいいと思うの。国民の代表である議員さんたちが
率先垂範(そっせんすいはん)して和服を着れば、もうそれだけで生糸生産から始まって
和服屋さんに至るまで、和服の生産・流通・販売にたずさわる人々が安心して生業を
営めるし、髪結いさんや着付け師さんのような和装のプロフェッショナルたちの生活も
安定するのにね。日本では大人が、それも国会議員がそういうことをせずに、成人式に
参加する子供たちと、その親御さんにぜんぶ負担を押しつけているのですから非道いものです。
それでいて「日本文化を守れ!」とか叫んでいるのだから、国会議員センセイたちの
恥知らずな愚かさを見るにつけ、オヘソでお茶を沸かしてしまいそうになるわ。

日本の国会は、本来、イギリスの議会制度をマネたものです。
イギリスでは議会のことを「パーラメント(Parliament)」というけれど、
この呼び名は、「話す」という意味のフランスの昔ことば「パルレ(parler)」に由来してるの。
だから「パーラメント」を日本語に直訳すると、まあ「シャベリ場」ということになるわね。
実際、イギリスでは「会議や交渉を行なう場」として議会が発達したわけですから。

イギリスでは裁判所や国会では、お歴々がカツラをかぶるという歴史的な風習が今も
残っているのよ。銀髪のカツラは「権威のシンボル」ということになっているから、
大事な場所でのカツラ着用は、少なくとも男子の「正装」なのです。
マナーとかドレスコード(服装規定)というのは、つまらない人たちが顰(しか)めツラして
鹿爪(しかつめ)らしく、他人に強制する“大層なもの”になっていますが、それらの
起源をさぐると案外、たわいのないものなのよ。
西洋の“権威づけのカツラ”にしても、元々は、世の中が不潔でノミやシラミが蔓延していた
時代に、頭に毛ジラミがはびこるのを防ぐため、地毛を短く刈って、人毛を編んで作ったカツラを
かぶった、という習慣から始まっているのですから。

そんなたわいのない“権威づけのカツラ”ですけれども、日本がお手本にしたイギリスで
いまだに続いている伝統なのですから、洋装好きの政治家さんたちは、いっそのこと
これも真似すりゃいいじゃない。
すだれ頭のセットで苦労しているセイセイがたには朗報ですわよ。


国会の服装規定は、さすがに後進国の議会だけあって、
問題が山積しています。議会政治の先進国であるイギリスでは
開会日に、昔のように金髪のカツラをかぶって出席するという
奇習が残っていますが、日本の国会もここからパクった制度なの
だから、イギリスみたいにカツラをかぶればいいのです。

きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5035)から引用》と明記して下さい)

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《紫煙革命04》知られざるタバコの真実―─タバコの巻紙の正体に迫る!(2)

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆様、こんにちは。愛煙家の原田卓馬です。

百害あって一利なしと声高に喧伝されるタバコ。2005年にWHO(世界保健機関)によって発効された国際条約の、通称『たばこ規制枠組条約』。それ以降の愛煙家に対する逆風は猛烈に吹き荒れている。

たばこ税の値上げをきっかけに、『わかば』や『エコー』など200円台の旧三級品タバコに切替えた人もいれば、やむを得ず禁煙という選択肢を選んだ人もいる。喫煙が習慣化しただけで、旨くもないのに吸ってしまっていたという人にとっては好機だっただろう。コストアップを理由に嗜好品の質を下げるというのは人間としての品性を欠いた低俗なことのように想えて不愉快なことが多い。タバコがニコチン摂取のためのツールに成り下がってしまっては文化が廃れる。

そこで、たばこの健康被害説の裏に隠れている真相を暴きだし、安心して美味しく楽しくエレガントにタバコを嗜むのが本連載の目的の一つである。

前回に引き続き、タバコの巻紙と巻紙のりのお話であります。JT(日本たばこ産業)のホームページにある材料品添加物リストは何回も紹介しているが、化学的な成分表示ばかりで何がなんだかさっぱりわからない。

「こいつは参った!」

お手上げして、JTに電話して直接聞いてみた。ちなみに原田は某カード会社でコールセンター勤務歴5年であります。

「はい、JTお客様センターのYが承ります。」

── もしもし、原田です。タバコの巻紙の添加物のことを詳しく聞きたいです。
「はい、マキシのことですね。」

JTではホームページでも、電話対応でも一貫してタバコの巻紙をマキシと呼称しているらしい。社内用語としてマニュアルがしっかり整備されているのだろう。Yさんは発音が綺麗で落ち着いた声のお姉さん。

── はい、巻紙の添加物リストの内容について解説をお願いしたいです。

「少々お待ちくださいませ」

突っ込んだ質問には咄嗟の返答ができない様子だ。こういった案件はコールセンターでの通常業務には盛り込まれていない特殊対応のようだ。

── 今、ホームページにある材料品添加物リストを閲覧しながら電話してるんですが、どれがどんな目的で添加されているのか知りたいです。

「全部ですか?」

── とりあえず巻紙の添加物について全部。

「全部、、、ですか。」

・セルロース 16.3
・炭酸カルシウム 7.2
・水酸化マグネシウム 0.4
・クエン酸カリウム 0.4
・クエン酸ナトリウム 0.4
・塩化カリウム 0.3
・リンゴ酸 0.08
・水酸化カリウム 0.08
・グァーガム 0.07
・カルボキシメチルセルロースナトリウム 0.07
・酢酸カルシウム 0.06
・酢酸カリウム 0.02
・酢酸マグネシウム 0.005

これが巻紙の添加物一覧であります。右横の数字は紙巻たばこ1本に対する最大使用割合(%)です。シガレット100gあたり、最大で16.3gのセルロースが巻紙に使用されているということですね。

13種類もあるのでコールセンターのYさんもびっくり。心の中では、「うわ~、こいつ、めんどくせ~」とつぶやいたことだろうが、そこはプロのJT企業戦士のYさんだ。

「どの添加物についてお知りになりたいですか?」

── じゃあ、上から順にいくとしてまずはセルロースってなんですか?

「はい、セルロースはマキシとフィルターに使用されており、フィルターのアセテートは植物由来のため生分解が可能で、うんぬんかんぬん」

なんかフィルターの話とごちゃまぜになってしまった。

── すいません、フィルターのことは別の機会にということで、巻紙のセルロースことを詳しくお願いします。セルロースって何でできているんですか?

「木材パルプや麻、穀物の繊維で紙の主成分です。」

── 具体的に原料とか産地とかはわかりますか?

「申し訳ありませんが、こちらの部署ですとすぐにはお答えできません。よろしければ折り返しご連絡いたします。」

── はい、お願いします。

折り返し対応になってしまった。電話の向こうでYさんは上司に助けを求めていることだろう。過去の対応経験から、マニュアルには載っていないイレギュラー情報にも詳しい上司よ。

10分程経って、折り返し連絡を受けた。

「先ほどのYの上席のNと申します。マキシの添加物についてご質問ということですが、どういったことでしょうか?」

── 添加物のことがよくわからないので、もっと詳しく知りたいんです。たとえばタバコには燃焼促進剤として火薬が入っているという都市伝説みたいな噂がありますけど、実際それって本当はよくわからないなーと思ったので、お電話しています。

「燃焼促進剤ですか?それはクエン酸塩でございます。」

── クエン酸ですか?

たばこの燃焼促進剤はクエン酸だったのか。とりあえず手元にあったシガレットを舐めてみたが別に酸っぱくはなかった。レモンやミカンのような柑橘類の酸味の成分はクエン酸だが、ここで出てくるのはクエン酸ナトリウム、クエン酸カリウムのクエン酸塩である。

「クエン酸カリウム 燃焼促進剤」でググってみたらJTの出願中特許のページを発見!

『シガレット巻紙の製造方法、その製造機及びシガレット巻紙(WO 2012131902 A1)』によれば

「近年、シガレットに使用される低延焼性巻紙が知られており、巻紙の所定領域に燃焼抑制剤が塗布されている。一般に、たばこの紙(巻紙)には抄紙工程で助燃剤が加えられている。助燃剤としては、クエン酸ナトリウムやクエン酸カリウム等の有機酸塩が付与され、これら助燃剤は燃焼を促進するため、燃焼速度の調節剤として用いられている。」

となっている。長くなったので次回に続く。

(原田卓馬)

 

《我が暴走01》手紙公開!無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

《まあーわかりやすく今のワシの心境を一言で片岡さんに伝えるとすれば、刺激のない決まりきった日常生活を送っている為、何だかなーーーーー!!って感じであります。刑務所にキッチリ管理されている決まりきった日常生活が、これから先、10年、20年、30年と延々続くのかと思うと、ホンマ、マジで、何だかなあ~~~~~!!と思ってしまうのが、ワシの正直な気持ちであります。》

この文章は今年5月、岡山刑務所で服役中の男から筆者に届いた手紙の一節だ。男の名は引寺利明(47)。4年余り前、広島市南区にあるマツダの本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人をはね、うち1人を死亡させた男である。

[写真]服役中の引寺利明から筆者に届いた手紙

引寺は犯行後、すぐに自首して逮捕されたが、犯行動機については、「現場の工場で期間工として働いていた時、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭った」「そのため、マツダに恨みがあった」などと特異なことを主張した。精神鑑定を経て起訴されたが、裁判中も法廷で不規則発言を連発。結果的に昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役の判決が確定したが、責任能力を認められる一方で妄想性障害と認定されるという非常に微妙な裁判だった。

筆者は裁判が控訴審段階にあった昨年春頃からこの引寺と面会、手紙のやりとりを重ねてきた。この特異なキャラクターの持ち主を継続的に取材し、人物像やその時々の様子を世に伝えていくことに意義があるように思えたからである。

では、判決確定から一年経過した今、引寺は一体どんな様子なのか。それを伝えるには、冒頭に引用した手紙の続きを見てもらうのが手っ取り早い。

◆「ポリ24時」にケラケラ笑う

《ここでは雑居房でテレビが見れますが、決められた時間帯にしかテレビが見れない為、本当に見たい番組やドラマ(消灯時間中となる午後9時以降の番組やドラマの事です)を見る事が出来ず、ヒジョ~~~に残念であります。

シャバの人々からすれば、塀の中でテレビが見せてもらえるだけでも感謝しろ!!と思われるかもしれませんが、テレビを見るのが当たり前になっている懲役連中の立場からすれば、テレビの視聴時間が少ない事に関して、不満だらけという事です。

ごくたまーに、テレビでポリ24時を見る事がありますが、ちかんや盗撮犯や窃盗犯が警察官に現行犯逮捕されるシーンがあると、同席のみんなと一緒に「ドジじゃのーー」「何をやっとるんやあーー」「ホンマ、アホじゃのー」などと言い合って、みんなでケラケラと笑いながら見ております。

片岡さん、ぶっちゃけた事を言いますと、ワシを含むここの懲役連中の方が、ポリ24時で逮捕されている奴らより、罪状的には、はるかに凶悪犯な訳です。(笑)。塀の中の住人達が、ポリ24時を見ながらケラケラと笑っている姿というのは、我ながらシュールな光景だと思いますよ。(笑)》

一読しただけで、おわかり頂けたことだろう。引寺が自分の犯した罪について、今も何ら反省せず、そもそも罪悪感すら抱くことなく、刑務所で案外楽しそうな日々を過ごしていることを。引き続き、8月に届いた手紙も紹介しよう。

◆獄中運動会で安全運転リレーに出場

《こちらでの生活は、以前の手紙に書いた通り、変わりばえのない単調な日常生活ではありますが、9月の中旬頃に運動会があります(……中略……)競技の種類としましては、通常のリレーの他にスウェーデンリレーや綱引きや玉入れ、ラムネ早飲み競争などがありまして、なぜかワシは安全運転リレーなるものに出る事になりました。

この競技は、戦時中から昭和時代にかけての子供達が遊びでやっていたであろう、木の棒でチャリンコの車輪を回しながら走って行くやつであります。周りの人達からは「マツダに突っ込んで暴走した引寺さんが安全運転リレーに出ちゃーいけんよーー」とか「引寺さんは前を走っとるランナーをはねとばしてでも自分が勝つつもりなんじゃろー」などと言われてひやかされております。(笑)

ワシ的には、運動会は参加する事に意義があるんじゃけえー楽しくやりゃーえーわ。ぐらいに考えて、かるーい気持ちで安全運転リレーに出る事にしたのですが、そのリレーに出場するメンバーの方々は「勝つ事に意義がある!!」といった感じで、目がマジです。(笑)その為、運動会の一ヶ月も前から、競技に使用する車輪と棒を使って、運動時間に練習しております。

(……中略……)話はかわりますが、シャバでは一万円の臨時福祉給付金(※1)なるものが国から出るという事らしいのですが、塀の中のこちらでは、このネタで盛り上がっております。どうやら塀の中にいる我々凶悪犯にもこの金が支給されるらしく、周りのみんなは、自分の住民票がある区役所宛に「手続きするけえーーその金よこせえーーーー!!」といった手紙をガンガン送っております。(笑)ワシも安佐南区役所(※2)に手紙を送りました。

(……中略……)シャバでの一万円は大した事はありませんが、ここでの一万円は大金であります。なんせ給料5ヶ月分ですから。ハハハハハハハハハーーーーーーーーーーーー!! そういった訳で、みんなこの一万円をゲットするべくガチでマジになっております。(笑)》

もしかすると、この引寺の手紙を読んで、はらわたが煮えくり返った人もいるかもしれない。だが、引寺のような重大事件の犯人が実際はどういう人物で、現在どういう様子なのかを世に伝えることには意義があると筆者は確信している。この手紙も引寺の人物像や現状を伝えるうえで一級の資料価値があると思うからこそ、こうして紹介しているのである。

◆知られざる暴走犯の新主張

この手紙をここで紹介するに際しては、当然、引寺本人の承諾も得ている。引寺から交換条件として示されたのは、「ワシが主張しているマツダ事件の真相」についても書いてくれ、ということだった。筆者は現時点で、その引寺の主張に信ぴょう性を感じていないが、この場で紹介する価値がある主張だとは思っている。引寺本人が「マツダ事件の真相」として現在どういう主張をしているかは、いまだマスコミで一切報じられていないからである。

実を言うと、引寺は今、自分のアパートに侵入する集団ストーカー行為を行っていたのはマツダの関係者ではなく、「おやじ(父親)とアパートを取り扱っていた不動産屋の社長」だったと主張しているのである――。

引寺によると、それは20年来の付き合いである知人男性からの情報により、判決確定直前に判明したことなのだという。筆者は一応、引寺の父親に直接、事実確認をしたが、「(引寺のアパートの部屋に)入っていません。入る用事なんて無いんですから」とのことであった。この時、携帯電話の向こう側の父親が嘘をついているような気配は感じられなかった。しかし、引寺は今も自分の父親と不動産屋の社長こそが集団ストーカーだったと確信しているのである。

それにしても、仮にそれが事実だとすれば、引寺は自分を悩ませた「集団ストーカー」と何の関係もないマツダの工場で暴走し、人の命を奪ったことになるわけだ。にもかかわらず、今も何ら反省していない引寺とは、どういう人物なのか――。筆者は今年9月、岡山刑務所を訪ね、およそ1年ぶりに引寺と面会してきたのだが、そのことはまた次回以降お伝えしたい。

※1、今年4月からの消費税率の引上げに伴い、所得の低い人たちに臨時で支給される給付金。支給額は1人につき1万円。申請先は今年1月1日の時点で住民登録がされている市町村。

※2、引寺が事件前に住んでいたアパートは、土砂災害に見舞われた広島市安佐南区にある。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

 

《脱法芸能11》西郷輝彦・独立の代償──睡眠2時間で過酷日程を乗り切る

西郷輝彦「星のフラメンコ」(1966年7月クラウン)

西郷は独立で干されることはなかったが、プレッシャーが重くのしかかった。
独立後間もなくして、西郷の背後を黒い背広を着た傷だらけの集団がつけ狙うようになった。西郷が車に乗ると、その後ろを男たちの車が追い、さらにその後ろを警察官と相澤が乗った車が追い、3台並んでテレビ局に向かった。私服警官が見守る中、西郷はスタジオで歌ったという。また、西郷をめぐる駆け引きの中で出てきたのか、スキャンダルもたびたび流された。

独立後の西郷の仕事は、太平洋テレビとクラウンが分担し、さらに独立から1年は独立の代償として東京第一プロも興行権を握るという約束になった。だが、ブッキングを担う三者は西郷の利権をめぐって激しく対立した。三者が強調せず、それぞれ勝手に仕事を入れたため、異常なまでの過密スケジュールとなってしまった。

たとえば、1965年4月の西郷のスケジュールは、以下のようなものだったという。

・午前9時から午後5時までは、松竹映画『我が青春』収録(第一プロの仕事)。
・午後7時から翌日午前4時までは、日活映画『涙をありがとう』収録(クラウンレコードの仕事)。
・午前6時から午前9時までは、大映映画『狸穴町0番地』収録(太平洋テレビの仕事)。

当時、18歳だった西郷が寝られるのは、2時間の移動時間だけだった。スケジュール調整の話し合いがつかないと、各社の社員たちが西郷を監視するため、マネージャーを名乗ってゾロゾロと現場にやってきた。その数は多いときで20人にもなったという。そんな中で、太平洋がクラウンに3000万円で西郷を返還するという人身売買のような話まで進められたが、独立後1年間は、連日、文字通りの殺人スケジュールだったという。誰しもが「西郷は潰れるだろう」と思った。

だが、西郷は潰れなかった。
疲労のためレコーディングでも声が出ず、スタジオ内に机を並べてその上で10分だけ眠ると、少しだけ声が出た。それで一節歌い、また10分寝て一節歌う。そうして出来上がった『涙をありがとう』という曲がが大ヒット。そればかりか、デビューから2年間に出した20枚以上のレコードのすべてがヒットした。西郷はタフだった。

そうした独立の苦労をともに分かち合ったマネージャーの相澤と別れる日がやってきた。直接のきっかけは、西郷の人気に陰りが見えてきたことに不安を覚えた相澤が「新人を育成したい」と西郷の父親に相談したところ、断られたことだった。相澤は西郷と袂を分かち、1971年、サンミュージックを設立。西郷の方はそれから日誠プロを解散し、舟木一夫の育ての親である阿部裕章の第一共永に移籍。1973年、三度独立して、西郷エンタープライズを設立した。

(星野陽平)

《脱法芸能01》私が『芸能人はなぜ干されるのか?』を書いた理由
《脱法芸能02》安室奈美恵「独立騒動」──なぜ、メディアは安室を叩くのか?
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《脱法芸能10》1965年、西郷輝彦はなぜ独立しても干されなかったのか?

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』堂々6刷発売中!

 

 

《罪の行方03》宮崎家族3人殺害事件 遺族が「死刑破棄」を訴える理由

被害者遺族Yさんの上申書を読み上げる支援者の女性

2010年3月に宮崎市で同居していた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、養母(同50)を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受け、現在は最高裁に上告中の奥本章寛被告(26)。減刑を求める支援活動が盛り上がる中、被害者遺族までもが最高裁に対し、死刑判決を破棄し、裁判を第一審からやり直して欲しいと訴える内容の上申書を提出する異例の事態となっている。その遺族は、奥本被告が殺害した妻の弟であるYさん。Yさんの視点から見ると、この事件は義兄によって母、姉、甥が殺害された事件ということになる。

「奥本章寛君を支える会」が制作した小冊子『青空―奥本章寛君と「支える会の記録」―』によると、このような事態になるターニングポイントは、原田正治さんとの出会いにあったという。原田さんとは、実弟を保険金目的で殺害された犯罪被害者遺族でありながら死刑制度廃止を訴える活動をしていることで有名な人だ。

原田さんの視点に出会い、奥本被告の支援をしていくことは「償う」ということを共に考えていくこと、行動していくことだと考えるに至った「支える会」の主要メンバーが宮崎を訪ね、奥本被告が殺害した妻の父であるKさん、弟であるYさんとの会談を相次いで実現。Yさんについては、本人の希望もあって奥本被告との面会、奥本被告の実家の訪問などまで実現したという。こうして加害者側と被害者側の交流が進む中、今回の上申書提出に至ったという経緯のようである。

◆死刑と無期は五分五分という気持ちだった

その上申書は、8月に大分県中津市であった「支える会」主催の集会で読み上げられたが、被害者遺族が死刑判決の破棄を求めるという異例の内容だ。筆者が抜粋や要約をするより、Yさんの言葉をそのまま伝えたい。そこで以下、当日読み上げられた全文の書き起こしを紹介する。

* * * * * * * *

上申書

最高裁判所御中

【上申の内容】

上申の内容は一言で述べると、事件を第一審に差し戻して、もう一度深く審理して欲しいということです。今から自分の考えを述べます。

【第一審の時の自分の考え】

私はこの事件の第一審、宮崎地方裁判所での裁判に遺族として参加して意見を述べました。第一審裁判の通り、3人の家族を一瞬にして失うという事件のあまりもの重大さから強い怒りを感じていました。また、奥本が法廷で、「わからない」と繰り返す様子を見て、反省していないと感じました。そのため、気持ちとしては死刑と無期懲役とが五分五分でしたが、「極刑を望む」と言ってしまいました。

なぜ気持ちが五分五分だったかというと、殺害された母貴子の日頃の言動から、奥本を追い込んでいったのは、そして、最後にあの事件を起こさせてしまったのは、むしろ母貴子のほうではなかったかという思いがあって、被告奥本だけが悪いわけではないということを家族である自分は感じていたからです。母貴子のほうが悪かった部分については、自分のほうから被告奥本に謝りたいという思いもあったくらいです。

つまり、第一審の時も被告奥本は死刑以外にありえないというふうに意見が決まっていたわけではなかったのです。自分は母貴子の暴言が事件の原因になったのではないのか、奥本だけが悪いわけではないのでは、ということがとても気になっていたからです。結局、第一審では奥本の本当の動機はわからずじまいでした。第一審に参加した自分にも、どうして奥本がこのような事件を起こしたのか、その考えははっきりしませんでした。

【今の自分の考え】

その後4年も経ち、自分の境遇も大きく変わりました。この事件で母、姉、甥を亡くし、その後、祖母も亡くし、心のよりどころを失い、孤立感にとらわれてきました。
最近になって、被告人との面会も果たしました。面会の時には、奥本も自分もお互いに素直に話すことはできず、奥本が反省しているのか、謝罪の気持ちがどこまで深まっているのか、今ひとつはっきりとはわかりませんでした。

その後、奥本を支える会の人たちとの出会いもありました。交流を重ね、支える会のみなさんとの会話の内容から奥本の家族の思いも知りました。今回奥本が描いた絵をポストカードにして販売したお金を奥本からの謝罪金の一部として受け取りました。前に述べたように自分の考えとしては、奥本は死刑以外考えられないと確信していたわけではなかったのです。

命は大切で、とても重要なものです。それは奥本の命にしてもそうです。この奥本の命の重要性を考えると、奥本が死刑になるべきとか無期懲役になるべきとか、すぐには判断できないと感じています。

【終わりに】

自分としては、第一審の裁判員裁判をやり直して欲しいと感じています。その中で慎重に、十分な審理、判断をしてもらうことを望んでいます。今、自分は死刑と確信しているわけではありません。死刑か無期懲役かを判断するために、さらに慎重に十分な判断をしてもらいたいと思います。自分自身もその裁判への参加を通じて、気持ちをはっきりとさせたいと思います。

* * * * * * *

以上がYさんの上申書の内容だが、当欄でこれまでに弁護人の話をもとに伝えた事件の概要――奥本被告が日々、養母から理不尽な叱責を受けるなどし、心理的に追い込まれていき、犯行に及んだという経緯――が遺族の立場から見ても決して被告人側の一方的な主張でないことがよくわかる内容だろう。

奥本被告が描いた絵で製作されたポストカード

◆ポストカードの製作に夢中の被告

ちなみに、Yさんの上申書の文中に出てくる奥本被告の絵で製作されたポストカードだが、それは中津市であった集会の会場でも販売されていた。暖かみのあるタッチが特徴だが(写真参照)、奥本被告は現在も収容先の宮崎刑務所で被害者への弁済に充てるため、このようなポストカード向けの絵を描くことに夢中になっているという。

そんな奥本被告とはどんな人物なのか。筆者はすでに一度面会に訪ね、その人となりに触れているが、それはまた別の機会に報告したい。

(片岡健)

 

 

 

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《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!

朝日新聞が従軍慰安婦問題に関する「吉田発言」の掲載について謝罪を行ったのは読者にも周知の事実だろう。これに関しては「朝日新聞叩きの本質」で既に私見を述べた。批判は全く不当であり、些細な問題に過ぎないというのが私の意見だ。

ところが悪質なテロリストどもの矛先は朝日新聞だけでなく、朝日新聞を退職して教員として大学に籍を移した人たちにまで攻撃が及んでいることが明らかになった。当該大学のHPによれば「なぜ嘘を書いた記者を雇うのか」といった多数の苦情に止まらず、「学生が痛い目にあうぞ」果ては「爆破してやる」という「脅迫罪」に明確に該当する脅しまで受けていたという。

◆卑怯な攻撃者を喜ばせる手塚山学院大学の対応

現在、そのような被害にあったと大学名を公表しているのは手塚山学院大学と北星学園大学だ。この両大学には共通項がある。いずれも元は女子短期大学からスタートし男女共学の大学に発展しているという点だ。だが悪質な脅迫に対して、両大学の対応ははっきり分かれた。手塚山学院大学に勤務していた元朝日新聞の教員は騒ぎの渦中退職をしている。手塚山学院大学のHP「教員の退職について」(9月13日付)によると、

「教員の退職について

○○○○氏について多数のご意見、お問い合わせを頂戴しておりますが、同氏は9月13日を以て、本人の申し出により退職しましたことをお知らせいたします。」

とのみ掲載されている(本文中の○○○○は実名)。通常この手の文章には作成者名(学長であったり理事長)と日付が書かれているのだが、それらの記載は一切ないことから、教員退職同日に大急ぎで作成されたものだろうと推測される。

手塚山学院大学に在任した元朝日新聞記者は社内でも要職を歴任した人物だが、勿論彼一人が「吉田証言」をスクープしたわけではない。「朝日新聞憎し現象」はこのような形で権力側からだけではなく、それを下支えする「草の根ファシズム」によっても補完されていることを解り易く示す事件となった。

現在の社会状況、言論状況を見るにつけ、手塚山学院大学の稚拙な対応とそこを去った教員を軽々しく批判することは出来ない。「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ!」というプラカードが何の咎めもなく街中を闊歩出来る時代なのだ。暴力は言論の域を超えてすぐにでも現実のものになるという恐れを脅迫された大学や教員が持っても不思議ではない。

それでも、と思うのだ。

最高学府として大学であれば、暴力をちらつかされても、大量の脅し電話がかかろうが「体を張って」大学の自由、学生の安全を守る気になってはくれなかったのかと・・・。教員の退職ではあたかも非が大学にあったような印象を与えるし、卑怯な攻撃者を喜ばせるだけではないのか。HPの文章にしてもあれより他に表現方法は無かったものかと・・・。

◆「大学人」のあるべき姿を示してくれた北星学園大学長の声明

そのような暗澹たる気分を全て払拭してくれる括目すべき判断を、行動で示してくれたのが北星学園大学だ。北星学園大学はHPで10月1日付「本学学生及び保護者の皆様へ」と題した学長田村信一氏の文章を発表している。

このコラムではこれまで大学の「不甲斐なさ」ばかりを叩いてきた。まだ叩きたい大悪、いや大学は数知れない。が、この北星学園大学学長の声明は近年稀にみる格調の高さと、暴力で脅迫されても動じない腰の据わった本物の「大学人」のあるべき姿を示してくれている。そう長い文章ではないので是非読者にはご覧頂きたい。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20140930.pdf

北星学園大学には5月以来様々な脅迫や政治団体(たぶん右翼であろう)の街宣車が抗議に押し掛けたりしていたそうだ。それでも報道機関に発表をすることなく、警察への連絡と大学自身の判断で元朝日新聞記者で非常勤講師を勤める教員の講義を続けてきた。それはごく当たり前のことなのだが、前述の手塚山学院大学の例が示す通り、今日大学ではその根幹にかかわる問題を「当たり前」に実行することにすら「勇気」が要るのだ。

そして多くの場合「当たり前」を妨害する匿名の電話、ファックスや抗議者への対応に大学は敗北し、どんどん思索領域を後退させている。

北星学園大学の田村学長は明言する。

「本学は建学の精神に基づき、『抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ内外のあらゆる人を隣人と見る開かれた人間』を要請することがわれわれの教育目標であることをふまえ以下の立場を堅持します。

①学問の自由・思想信条の自由は教育機関において最も守られるべきものであり、侵害されることがあってはならない。したがって、本学がとるべき対応については、本学が主体的に判断する。

②従軍慰安婦問題並びに植村氏(著者注:元朝日新聞記者)の記事については、本学は判断する立場にない。また、本件に関する批判の矛先が本学に向かうことは著しく不合理である。

③本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑怯な行為であり、毅然として対処する。一方、大学としては学生はもちろんのこと大学に関わる方々の安全に配慮する義務を負っており、内外の平穏・安全等が脅かされる事態に対しては速やかに適切な態度をとる。」

至極真っ当な姿勢表明である。しかし実質的に言論暴力と実際暴力の境界が極めてあいまいな現在、「大学の自治」、「学問の自由」といった基礎概念が希薄化する中で、北星学園大学田村学長の気概と勇気に満ちた意見表明は想像を超える困難覚悟の上である。極めて深い感慨と称賛そして連帯のエールを送る。

北星学園には系列校に北星余市高校がある。北星余市高校は不登校や一度高校を退学した生徒を積極的に受け入れる特色のある教育を行う高校として有名だったので、私は学生募集のために何度か同校へ赴いたことがある。札幌でレンタカーを借りて小樽を超え人里離れた海岸線をかなり走ってようやく到達できるのが北星余市高校だ。先生も生徒も熱心だった。

北星学園には「人間」としての精神がいまだ健在のようだ。

全国の大学人!北星学園大学田村学長のマニフェストを括目せよ!

とりわけ、田村学長の出身大学である法政の総長に就任した田中優子!週刊金曜日編集委員としてリベラルの仮面を被りながら「監獄大学」維持強化を推し進める自身の姿を深く恥じ入れ!

注:かつて学生運動が盛んであった法政大学は2000年以降120名を超える逮捕者を出し、退学、除籍無期停学処分を連発している。今では学内を公安警察が堂々と闊歩し、大学当局は学生自治を蹂躙し尽している。本年4月総長に田中優子氏が就任し対学生の大学としての変化が期待されたが、田中氏は堂々と弾圧を継続している。法政大学の無茶苦茶ぶりはいずれ本コラムで詳報したい。

(田所敏夫)

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