《脱法芸能02》安室奈美恵「独立騒動」──なぜ、メディアは安室を叩くのか?

8月に入ってから『週刊文春』『女性セブン』『サンデー毎日』の3誌がこぞって安室奈美恵の独立騒動を報じている。

安室は、1992年に芸能事務所、ライジングプロダクション(以下、ライジング)と専属契約を結び、ダンスグループ・スーパーモンキーズのセンターボーカルとしてレコードデビュー。その後、ソロ歌手として頭角を現し、今年はデビューから22年目にあたるが、6月にリリースしたベストアルバム「Ballada」が40万枚以上を売り上げるなど安定した人気を誇っている。

報道によれば、安室は今年5月、ライジング幹部らの前で「独立をしたい」と切り出し、後日、「提案書」を持参して、契約条件の変更を迫ったという。提案をライジング側が拒絶すると、安室は「これでは奴隷契約よ!」と言い放ったという。

◆西茂弘氏は本当に黒幕か?

各週刊誌が独立を主張する安室の背後にいるとしているのが、西茂弘氏という人物だ。

西氏は、安室を始め、多くの大物アーティストのコンサートの運営を手掛けるオン・ザ・ラインという会社の代表で、ここ数年の安室は事務所のスタッフの言うことには耳を貸さない一方、西氏の言うことであれば素直に聞いていたという。

この西氏は、X JAPANのボーカルTOSHIを長年の間、洗脳してきたとされる企画会社、ホーム・オブ・ハートの代表、MASAYA氏と学生時代に親しく、一緒にイベントの企画をしていたという。

安室は昨年も安室は信頼するスタッフを引き連れ、移籍を画策したが、説得され、不発に終わっていたという。安室とライジングとの確執は根深いようで、安室は「アーティストとしてのこだわりが理解されない」と不満を募らせているという。

タレントの独立劇が簡単に収束することはない。今後も、様々な動きが出てくるだろう。ここからは、この独立騒動を過去の事例から読み解いてゆきたい。

◆事務所側の尻馬に乗るメディア

まず、安室独立騒動を報じる各週刊誌の論調について。 報道をざっとまとめると、共通するのは、安室が恩義のある「育ての親」に弓を引いたのは、安室の下カネ目当ての悪い男に「洗脳」されてしまったからだ、という図式だ。

情報の出所は、もちろん、安室に独立されると、経営的に大打撃を受けるライジング側であり、記事にはライジング側の意向が色濃く反映されている。

ライジングは、安室だけでなく、荻野目洋子やMAX、w-indsなどの歌手や、観月ありさ、国仲涼子などの俳優が多く所属する有力事務所であり、メディアに対して強い影響力を持っている。

有力芸能プロダクションのほとんどが加盟する日本音楽事業者協会(音事協)は、「タレントの引き抜き禁止」というカルテルを結んでおり、基本的にタレントは移籍ができない仕組みになっている。そこで、タレントが所属事務所から離れたいと考えた場合、独立をするしかない。ところが、タレントが独立を画策すると、メディアが事務所側の尻馬に乗って叩く。今では恒例行事のようになった感もある図式だが、かつてはそのようなことはなかった。

◆五社協定反対の急先鋒だった毎日新聞

今の音事協のカルテルの原型は、1953年に映画界で結ばれた五社協定だが、五社協定ができた当初、メディアは盛んに映画界を批判していた。

今、盛んに安室の独立を批判している『サンデー毎日』を発行する毎日新聞社は、かつて五社協定反対の急先鋒にいた。

『毎日新聞』は、五社協定の動きをいち早くスクープし、成立直前には「マスコミ帝王」との異名を持つ評論家の大宅壮一が紙面に登場し、「今や映画界がカルテルの方向で一歩前進したものと見よい。もちろん、これではせっかく高められてきた日本映画の質的向上を阻止し、さらに交代させるばかりでなく、明らかに人権ジューリンで、新憲法に反するものとである」と主張していた。

また、1963年に「日本一の美女」と呼ばれた大物女優、山本富士子が所属していた大映から独立して、映画界から干されたときも、多くのマスコミが厳しくこれを糾弾していた。

◆「芸能界相愛図事件」と音事協

だが、次第にメディアは芸能プロダクションなどの芸能資本に対して及び腰になっていった。それを決定づけたのは、1971年に起きた「芸能界相愛図事件」だ。

当時の『週刊ポスト』が「凄い芸能界相愛図」と題して、イニシャル表記ながら有名芸能人同士の乱れた下半身事情を作詞家のなかにし礼の告発という形で掲載したところ、なかにしが「取材に応じなければ私生活を書く」と脅されたとして、強要罪で刑事告訴し、記者2人が逮捕されてしまった。

背景には、問題の記事はあまりに多くのタレントの裏事情が記載されたことで、業界としてなかにし排除で足並みが揃ったという事情があった。

事態を重く見た音事協がなかにしに事情聴取し、さらに、なかにしが所属する渡辺プロダクションがなかにしへの仕事の注文を中断。プレッシャーに耐えきれなくなった、なかにしは記者の告訴に踏み切ったのだった。

音事協は『週刊ポスト』を発行する小学館に厳重抗議し、加盟社に対して小学館が発行するすべての出版物の取材を拒否するよう呼びかけた。大手メディア企業は、これをやられると潰れてしまう。

小学館は音事協に完全降伏し、『週刊ポスト』と新聞各紙に謝罪広告を出した。そうした事件が何度も積み重なることで、メディアには「芸能プロダクションタブー」が定着していったのである。[つづく]

(星野陽平)

 

業界水面下で話題沸騰6刷目!

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

広瀬隆もやって来る! 8月31日たんぽぽ舎25周年集会にご参加を!

東京・本郷で8月31日(日)、たんぽぽ舎の設立25周年集会が開催され、広瀬隆さんとアーサー・ビナードさんが記念講演を行なう。

80年代末、朝日新聞が「現代のノストラダムス」などと広瀬さんを揶揄していたが、朝日の意図とは別に広瀬さんの予言は3.11で当たってしまった。

アーサー・ビナードさんはベン・シャーンのペン画とコラボした、第五福竜丸の絵本「ここが家だ」(2006年集英社)がなにより素敵だ。松岡正剛が「千夜千冊」(1207夜)で評しているように、確かにこれは「日本人がしていないこと」だった。

◆汚染食品測定活動が起源のたんぽぽ舎

たんぽぽ舎の歴史は1989年に遡る。1986年4月26日にソ連(現ウクライナ)で起こったチェルノブイリ原発事故をきっかけに世界各地の農産物や食品への放射能汚染が問題となった。チェルノブイリから8000キロ離れた日本でも放射能の影響は出ていたし、欧州で加工生産されたパスタなどの輸入食品も日本に大量に輸入されていた。

事故からちょうど1年後の87年4月26日に刊行された広瀬隆さんの『危険な話・チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)でもこの問題は取上げられていて、以後、日本でも食の問題を含めての「脱原発」運動がマス・レベルで高まりを見せた。

そうした流れの中で当時、東京都・区職員の労働組合有志が「都労連原発研究会」を結成し、食品放射能測定器を購入した鈴木千津子さんとともに市民に開かれた食品汚染の調査計測スペースを作った。これに小泉好延=市民エネルギー研究所代表や藤田祐幸=慶応義塾大学助教授(当時)といった多数の専門家が協力・支援し、たんぽぽ舎としての活動が89年に始まった。

その後は「脱原発法」制定、劣化ウラン弾廃止の実現をめざす市民運動も展開し、核と原発に関わる事故や事件が起こる度に、ゆるやかだが柔軟なネットワークで活動してきた。

3.11直後もいち早く東電本店前で情報公開を訴えた。同時に「地震と原発事故情報」のメルマガを日刊で発行し、いまも毎日有益な情報を発信し続けている。こうした活動の歴史については、たんぽぽ舎の沼倉潤さんが『NO NUKES voice』創刊号で報告しているのでぜひ一読してほしい。

◆フツーの人たちだって、事故の真相は正確に知りたい!

『NO NUKES voice』創刊号では、他にもたんぽぽ舎の主力メンバーの山崎久隆さん(福島原発市民事故調査委員会)と柳田真さん(再稼働阻止全国ネットワーク)が記事を寄稿している。

山崎久隆さんの報告は、福島第一原発の現況、特に汚染水と電気系統での対策不備を検証し、国と東電の現行対策がいかに駄々漏れ状態かを鋭く指摘している(「『フクイチ』の現実と未来」)。

一方、柳田真さんは国と電力側が再稼動にこだわる理由と全国各地再稼動反対運動の活動を報告している。(「再稼動は放射能汚染と原発大事故を招く」)

普段、運動に関わっていないフツーの人たちだって、事故の真相は正確に知りたい。それをきちんと公開しない国だから、たんぽぽ舎のような市民ネットワークが不可欠なのだ。

首都圏の心ある皆さん、今週日曜は広瀬隆さんらと共にぜひ、たんぽぽ舎の集会にご参加を!

《たんぽぽ舎25周年集会概要》
○会場:全水道会館(JR「水道橋」駅東口下車2分)
○日時:8月31日(日)13:15開場
第1部 13:40より 講演とお話    アーサー・ビナードさん、広瀬隆さん
第2部 懇親会 18:00から20:00まで
○参加費:記念講演 当日1200円(前売りチケット1枚1000円)
懇親会 ?  ? ?  2000円
○主催・問合せ:たんぽぽ舎 TEL 03-3238-9035 FAX 03-3238-0797
http://www.tanpoposya.net/main/index.php?id=2018

 

(本間 解)

『NO NUKES voice』創刊号8.25発売開始!

 

《脱法芸能01》私が『芸能人はなぜ干されるのか?』を書いた理由

今年5月、筆者は『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』という書籍を鹿砦社から上梓した。

本書は次々と版を重ね、現在、6刷。パブリシティのため、ニュースサイト筆者のインタビュー記事を3本、配信してもらったところ、それぞれYahoo!ニュースの雑誌総合ランキングで1位を獲得。アマゾンの販売ページに掲載された8本のレビューは、すべて星5つというという高評価をいただいた。

◆きっかけの「北野誠謹慎事件」

そもそも、筆者が本書の着想を得たのは、2009年に起きた北野誠謹慎事件だった。

北野誠は毒舌が売りのお笑いタレントだったが、関西のABCラジオで放送されていた『誠のサイキック青年団』での発言が問題となり、突如として番組が終了。北野自身も無期限謹慎状態に追い込まれ、北野が所属する松竹芸能と番組を放送していたABCラジオを運営する朝日放送が責任を取るかたちで有力芸能プロダクションのほとんどが加盟する業界団体,日本音楽事業者協会(音事協)を退会した。

業界では「芸能界のドン」と言われ、音事協も牛耳っているとされる、バーニングプロダクションの周防郁雄社長の悪口を北野が言ったのが原因ではないかと囁かれていた。

当時、筆者はある雑誌の編集部からの依頼でこの事件の取材をしていたが、ある週刊誌記者から「音事協では加盟する芸能プロダクション間でのタレントの引き抜きを禁じている」という話を聞いた。芸能プロダクションは、人気タレントを独占的に抱え込むことで利益を得ている。ところが、商品であるタレントが勝手に移籍すると,過当競争が始まり,芸能プロダクションのビジネスモデルが崩壊してしまう。そこで、音事協ではタレントの引き抜きを禁止じ、さらに独立を阻止することで一致団結し、共存共栄を図っているという。

◆「五社協定」「音事協」というカルテル組織

この仕組みは、映画界でかつて存在した「五社協定」を原型としている。映画界では戦後しばらくの間、「俳優ブローカー」と呼ばれた業者が俳優に映画の仕事を斡旋し、出演料を高騰させていた。

また、日活が戦時下で中断していた映画製作を再開すると発表し、日活による俳優や監督などの引き抜きを恐れたメジャー映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が各社専属の俳優の引き抜きを禁じる協定を1953年に結んだ。

その後、五社協定はフリーを宣言するなど、映画会社に反旗を翻した俳優を業界から締め出す性格を強めていったが、次第に違法性が明らかとなっていった。

1957年には、新東宝に所属していた前田通子という女優が勧告の演出を拒否したことで会社をクビになり、五社協定に基づき映画界からも排除されるという事件があったが、翌年、前田が東京法務局人権擁護部に訴えたところ、人権侵害が認定された。

また、1957年には独立プロダクションの独立映画株式会社が製作した『異母兄弟』という作品に東映に所属していた南原伸二という俳優が会社に無断で出演したことが五社協定に違反するとして、松竹が一部の映画館での上映を中止する事件が起きた。

独立映画側は五社協定が独占禁止法に違反するとして公正取引委員会に申告した。1963年、公取委は映画会社各社が五社協定に基づき『異母兄弟』の配給しないようにした事実について、独占禁止法違反の疑いがあると認定した。

五社協定は、1971年の大映倒産をもって自然消滅したと見られるが、作品の質の低下を招き、映画界の凋落を早めたと指摘されている。

1963年に設立された音事協は、その五社協定をモデルとして設立されたカルテル組織だった。音事協が発行した音事協加盟プロダクション社長のインタビュー集『エンターテイメントを創る人たち 社長、出番です。』の中で第一プロダクション社長、岸部清は音事協の設立について「そもそも、タレントの独立問題が背景にあって、ちょうど映画の五社協定に似た形で、親睦団体を名目に創設したわけです」と述べている。

現在の音事協も五社協定と同じようにタレントの引き抜きを禁じ、独立などで芸能プロダクションに反旗を翻すタレントを干すという仕組みを踏襲している。「芸能界は根本的に違法なのではないか?」というのが本書の核心部分である。

◆小泉今日子発言の波紋

「何を今さら」と思う人もいるかもしれない。だが、芸能界は今、変革の時期に差し掛かっているのではないか、と筆者は考えている。特に最近、業界関係者から芸能プロダクションに対する批判が相次いでいるのだ。

本書刊行の1ヶ月ほど前にバーニングプロダクション所属の女優、小泉今日子が「私みたいな事務所に入っている人間が言うのもなんだけど、日本の芸能界ってキャスティングとかが“政治的”だから広がらないものがありますよね。でも、この芸能界の悪しき因習もそろそろ崩壊するだろうという予感がします」(『アエラ』4月21日号)と発言し、話題を集めた。

また、フジテレビ出身で、2013年にフリーに転身した長谷川豊氏も、最近、古巣のフジテレビの視聴率低迷は、フジテレビ幹部と「大手芸能事務所」との癒着で番組のキャスティングが歪められていることが原因と指摘し、ネットで注目を集めた。

そこに来て、本書の出版と前後して、女性アーティストの安室奈美恵が所属するライジングプロダクションに対して独立を主張し始め、多くのマスコミが注目する騒動となっている。[つづく]

(星野陽平)

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?

8月23日、老舗予備校である「代々木ゼミナール」が全国に27保有する校舎のうち20か所を閉鎖する、というニュースが流れた。

代々木ゼミナールは、河合塾、駿台予備校と並び大学受験ではかつてトップクラスの生徒数を抱えていたが、少子高齢化と経営判断のミスにより大幅な業務縮小を余儀なくされることになった。その背景には全国の大学のうち6割を超える大学が収容定員を確保できていない現実がある。選り好みさえしなければ大学に入ることは極めて簡単な時代にすでに突入しているのだ。

長引くデフレ経済のため保護者の給与所得は横ばいであり、大学進学で浪人させるよりは、入ることのできる大学に入学させておこう、という学費思弁者の事情もあり、「大学受験浪人」は2000年あたりから激減を始める。

◆少子化なのに定員を増やす大学の愚

少子高齢化は受験生人口の減少に直結する。大学業界では20年ほど前から「18歳人口の減少」が深刻な問題と認識されていたはずであった。受験生の人数が減るのだからそれに対しては従来から持っている定員の確保のために教学内容や学生サービスの充実を図る、というのがまっとうな判断なのだが、不思議なことに多くの中小大学は「18歳人口減少」期に学部や学科の増設を行い定員の増加に熱を入れるという理解に苦しむ行動を選択した。

このあたりが、民間企業の感覚と私立学校経営者の感覚との違いなのかもしれない。マーケットが確実に縮小することがわかっている分野に新たな設備投資を行う企業経営者はそうはいないし、そんなことをすれば経営にマイナス影響が必ず出る。

ところが多くの私大は、受験生の激減が明らかで定員の増加を行えば学生募集が従来以上に困難になり、経営的にも苦境に陥ることが明白であるにもかかわらず、定員の増加を行ったのだ。この期に及んでも毎年、学部、学科の新設を文科省に申請する大学は後を絶たないし、数は少ないものの新たな大学の設置申請すらある。要するに大学受験人口は毎年減少しているのに反比例し、大学に入学できる総定員は毎年増加の一途をいまだに辿っているのだ。

代々木ゼミナールは現役高校生の受験指導も行っていたが、浪人マーケットで名を馳せていた過去に引きずられたため、大幅な校舎閉鎖に追い込まれた。

◆入試問題の作成業務でも収益を上げる河合塾

一方、河合塾は30年以上前から中学生、高校生を指導するコースを持っており、浪人依存率は代々木ゼミナールに比べれば当初より低かった。また、講師陣に多彩な人材を揃え、浪人コースであってもあたかも大学名物教授のように一見受験準備に直結をしないような授業を行いながら、浪人生の実力を高めてゆくという講師が多く、その評判の高さが浪人コースの集客力を維持している。

また、これはあまり世間では知られていないが、多くの私立大学は入試問題の作成を自ら行わず予備校に依頼している。

大学入試と言えば、かつては「推薦入試」と「一般入試」の2回というのが常識だった。しかし、近年は学生確保のために様々な形態で1年間に4回、5回と入試を行う大学も珍しくない。入試には当然「入試問題」が必要だが、大学内部で度々問題作成をするのは大変な加重であり、力量的に無理な大学もある。そこで受験指導の専門家集団である大手予備校に問題作成を依頼するのだ。

確かな数字は明らかにされていないが、私の周囲の大学関係者の意見を総合すると、入試問題作成を依頼している予備校の中では河合塾が群を抜いている。講師が問題作成を担っているのだから大学入試の指導も容易になるに決まっているし。何よりも「入試問題作成」による収入が馬鹿にならない。

◆「学校教育への不安」が塾通いの低年齢化を引き起こす?

少子化が進行する中で、大学浪人にメインターゲットを絞った予備校が代々木ゼミナールのように苦境に落ち込んでいる一方、私立中学入試、高校入試指導に特化した塾はむしろ好景気だ。前述したように大学を選ばなければどこかには入れる時代であり、企業の採用活動でも昔ほど大学の名前による利益不利益が無くなっているのに、毎晩夜9時過ぎまで塾で勉強をする小学生の数は増える一方だ。

私はこの現象の分析を何度か試みたのだが、今のところ明確な回答が出せていない。というのは、激烈な塾通い小学生は自らも納得はしているものの、基本は親の意向に依るところが大きいからだ。

では、親は将来どのような成長像を抱いているのかと問うと、その回答は実に曖昧であるのだ。「一流企業に入って欲しい」、「医者になって欲しい」などという答えはまず帰ってこない。最も多い回答は「学校の授業だけでは不安だから」である。親の学歴を問わず「学校の授業だけでは不安」の回答が飛びぬけて多い。

そんなに勉強させなくても、大学なんか入れるのになー。

(田所敏夫)

『NO NUKES voice』(紙の爆弾9月増刊号)創刊!

「脱原発」の共同戦線雑誌『NO NUKES voice 』創刊・始動!

『紙の爆弾』増刊号として8月25日、脱原発のための共同戦線雑誌『NO NUKES voice 』が創刊された。

これに先駆け、鹿砦社スタッフは8月22日の関西電力前金曜行動に参加。現場で臨時販売したところ、手持ちの50冊中35冊が売れ、手応え十分ありと見た。

書店に配本する委託部数も好調で、当初予定していた5000部の4倍超となる2万2000部発行となった。編集部としては「うれしい悲鳴」だが、逆にそれだけ印刷・製本代などは「想定外の支払い」となるわけで、「創刊号は一冊でも多く売れ!」と鹿砦社の松岡社長は険しい顔だ。

巻頭グラビアは秋山理央の「こどもと反原発の風景」。3.11以後、全国各地のデモや抗議集会で当たり前の風景となってきたフツーの家族とこどもたちの表情を紹介している。

世代や地域を超えた「新たな脱原発情報ネットワーク」構築を創刊目的に掲げた通り、記事内容は多彩な新旧世代による充実の14本構成だ。

◆「京大熊取六人衆」今中・小出両記事は必読!

その概要は文末の書籍広告を参照していただくとして、特にお勧めしたいのは、70年代初頭から日本政府の歪な原子力開発に異を唱え続けてきた「京大熊取六人衆」の二人、今中哲二(インタビュー)と小出裕章(講演録)の記事だ。事実分析に対する冷徹真摯な二人の姿勢はいつもながら素晴らしく、必読だ。

例えば、今中助教が自ら測定した東京・多摩地区土壌の放射性セシウム量は1平方メートル当たり約15,000ベクレル。今中氏いわく「ひでえなあ!」という状況だそうだ。こうしたシリアスな情報をさらりとあこれこれ披露しながらも、今中助教の語り口は常に飄々としていて読後感が心地よい。

他方、小出助教の同志社大での講演録は、原子力の基本問題をわかりやすく解き明かしつつ、徐々に国への義憤の熱を原子炉のように高めていく小出節が誌面から伝わってくるはずだ。

◆「東のたんぽぽ舎」と「西の鹿砦社」の協力で生まれた脱原発雑誌!

かつてスキャンダル雑誌の世界では、東の『噂の真相』、西の『紙の爆弾』と呼ばれていた。『噂の真相』はすでにもうないが、『紙の爆弾』はしぶとく健在だ。

今回の『NO NUKES voice 』では、西の鹿砦社が長年、「脱原発」で地道に活動をしてきた東のたんぽぽ舎の協力を得て初めて実現した雑誌でもある。これから世代を超えて続けねばならぬ脱原発運動の新たな共同戦線の始まりで、創刊号はその最初の狼煙。街の書店で見かけたら、ぜひお手に一冊を!

(本間 解)

《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて!

◆いま一度、「大学の自治」を考える

「大学の自治」あるいは「学問の自治」という概念がある。
若い読者にはその意味するところすらあやふやかもしれないので、簡単に説明しておこう。

「大学の自治」とは、学問研究を行う大学は政治、行政権力や経済界からの干渉や抑圧を受けずに自立的に運営されるべきだから、少々の問題が学内で発生しても、その対応を警察や学外機関に委ねるのではなく、大学が自らの責任と決断を持って解決に当たるべき、という考え方だ(細部には様々な異論があるかもしれないが大筋こんな考え方だろう)。

「学問の自治」とは、学問研究は特定の企業や団体の利害と結びついてはならず、その成果は広く社会に還元されるべきだとも解釈される。

「大学の自治」は当然、「学生の自治」に結びつき、大学の運営は教員、職員だけでなく、最大の受益者たる学生もその一端を担う権利があり、学生は学生独自の視点から大学に物を申す、あるいは学生活動に大学当局の不当な介入は認めないという考え方が導かれる。

これら「大学の自治」や「学問の自治」が重要な概念として認識されたのは、第二次大戦で日本が敗戦して以降である。戦争中に大学も様々な形で帝国主義戦争に加担を強制されてきたことへの反省として、これらの概念は、機関としての大学、教員また学生にも共有される。大学が保持する基本的性格として戦後数十年、「大学の自治」は当然の概念として社会的にも認知されてきた。

◆管理強化で消えゆく「立て看板」文化

ところが今日、それらの概念は基礎から揺らいでいる。
とりわけ「学生の自治」は風前の灯だ。大学だけでなく、社会を見渡せば「労働組合」組織率も下がり、かつ「連合」などは労働貴族が仕切る「総御用組合化」している現象との連動なのだろうが、大学内において学生に許される表現の自由の領域はどんどん狭くなっている。

「立て看板」はクラブ、サークルの部員勧誘や催し物の告知に一般的に使われる道具であるが、今日多くの大学では大学が決めた場所に大学が準備してた規格(定型的な大きさ)を利用しての立て看板しか認めていない。しかも申込制となっており、大学によっては大学公認団体にしか利用を認めないケースもある。

かつて「立て看板」と言えば、その大きさや字体、設置場所などを工夫することにより、よりインパクトのある伝達媒体に仕上げようとする、学生の「表現活動」の感があったが、規格枠内にそれが限定された時点で表現の幅は大きく制約を受ける。

まだ比較的学風が自由とされる京都大学では昔ながらの手作り立て看板が見受けられるが、首都圏、関西の大学でそれを許容しているのはごく限られた数の大学でしかない。

さらに、ビラ配りにも細かい制約を設けられつつある。
前述の通り新入生の勧誘や、講演会・学習会などの宣伝で学生が学内(若しくは大学の敷地近隣)でビラ配りをする場合は、事前に大学に届けが必要としている大学もある。

また、チラシポスターなどを学内に貼りだそうとする場合は事前に許可のスタンプをもらい、これまた決まった場所へしか貼ることが出来ない。そんな大学はキャンパスを訪れると確かに表面上景観は整っているが、果たしてここで学生が有機的な活動をしているのかどうか、薄気味悪くなるくらいに無表情だ。

◆ビラに「許可印」など不要

かつて私が大学職員だった時、学内に貼るビラに「許可印」を押す部署に配属されていたことがある。「許可印」といっても形式的な作業で、学生がビラを持ってくれば、内容のいかんにかかわらず、すべてのビラに許可印を押すことになっていた。

学内には一応ビラを貼るスペースは設けられていたが、学生はそんなものはお構いなく、校舎の壁や廊下に好き放題ビラを貼っていた。個人的にはそのような情景の方が大学の雰囲気として私は好きだった。そしてある時、考えた。無条件に許可印を押すのであれば意味はないから、いっそ許可印自体を廃止してしまえばいいのではないかと。

職場の先輩や同僚の理解も得られ、許可印は廃止することとなった。但し、学生には一定期間が経過した後のビラは貼った者が責任をもって処分することを求めた。そのように運用を変更してからさしたる問題は発生しなかった。

ただし、無数のビラに紛れて学外の業者や宗教団体、怪しげな旅行の勧誘などが貼られるので、週に一度程度は学内のビラを見て回ることが新たな業務となった。学外の怪しいビラは無条件に剥がす。学生のビラは誠に様々なので課外活動の実態を知る一助にもなる。

◆大学職員は「官憲」ではない!

昨年、ある問題で大学生に「どうやって意見を訴えたらいいのか」と相談を受けた時の話だ。
「立て看板やビラやマイクで昼休みに話するなどしたら」と私が提案したら、「全部、許可制だから個人では難しいんです」とその学生が答えたので驚いた。

大学はくだらない管理強化ばかりに熱心なようだが、学生の「表現の自由」を時には思い出してみるべきだ。
大学職員は「官憲」ではないのだから。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策

《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策

近年、非正規職員で契約満期やその他の事情で職を失った人たちが労組を結成し、大学との「非正規問題」を議論する争議が増えてきている。大規模大学の労組は概して非正規職員には冷たく組合に加入できない場合がほとんどであるので、職を失った人たちが中心となり、労組を結成しなければ交渉の場すら得ることが出来ない。

◆卒論「遅刻」学生の救い方

もう時効だろうから、私自身の経験を告白しておこう。
私はかつて大学の職員だった。
そして、ほぼ同様の卒論の遅刻提出を専任職員時代に何度か経験した。

広い事務室ではないが、私以外にも複数の専任職員がいる前で学生は卒論を提出しようとする。「はい、わかりました」と受け取るのでは時間を厳守した学生に申し開きできない。

大学を卒業するためには卒業要件を満たしていること(決められた単位数を取得していること)と、学費が完全に納付されていることが条件となる。だから、まず卒論遅刻提出学生が発生した場合は事務室ではなく、別の場所で学生を待たせて、単位取得状況と学費が完納されているかどうか、さらには指導教授が誰であるか、所属サークルなどを調べ上げる。中には卒業要件の半分ほどしか単位を取得していないのに卒論を提出しようとする猛者もいるが、そのような学生はどうあがこうが留年決定なので卒論は受け取らない。

卒業要件ををすべて満たし、卒論の提出時刻のみが遅れてしまった学生の場合、私は受領印を隠し持ち事務室を出て、待機する学生から卒論を受け取り、そこに受付印を押印する。他の学生、ことに下級生にこのことは口外しないように言い聞かせ、卒論を封筒に入れて事務室に持ち帰る。

やや時間をおいて、すでに提出済みの卒論を収納した段ボールを取り出し、整理に取り掛かる。ほとんどの学生は定刻以前に卒論提出を終えているが、それは受け付け順に段ボールに収められているだけであるので、学籍番号順に揃え直す必要がある。その作業の最中に何気ない顔をしながら受け取った「遅刻」卒論をダンボールに放り込めば一件落着である。

◆お礼は無用だったのに!

ところが後日、困った事態が起こった。「口外しないように」と伝えていたにもかかわらず、学生が紙袋を持って「田所さんこの間はありがとうございました! これお礼です」と再び事務室にやってきたのだ。

紙袋の中身はウイスキーだ。誰に聞いたのか知らないが、その学生は私が酒好きであることを知り、ありがたくも迷惑なお礼を持参してくれたのだ。

まさか「おおきに」と言って受け取るわけにはいかない。「なんか勘違いしてるで。私は君に何にもお礼言われるようなことはしてへんよ。でも一緒に飲むんやったら断らへんから5時以降に来てくれるか」といってお帰り頂いた。

そんな牧歌的な話は20年以上前のことである。今日では「コンプライアンス」重視は大学にも行き渡っているので私のような不届きな職員はいないであろう。
(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

 

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

定刻を過ぎての卒論提出に非正規の大学職員はどう対応すべきか?

規則通りに仕事をすれば、「門前払い」(受け取らない)で問題はないはずだ。しかし、事は一人の学生の一生に関わる問題だ。卒論が受け付けられなければ卒業ができないし、せっかく努力して得た就職先の内定がフイになる。留年となれば、余分に一年分の学費が必要となるし、下宿生ならば生活費も馬鹿にならない。

ある程度の期間、大学で仕事の経験を積んだ人であれば、非正規職員でもそういった事情は当然、理解している。だから簡単に「門前払い」をするのにためらいを覚えるのは自然だといえる。

◆「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ!」

難問に直面したその女性職員は結局、悩んだ末に学生を事務室近くで待機させ、事務室の責任者宅へ電話をかけ、判断を仰ぐことにした。しかし、事務責任者からは「それは私では判断できないから、学部長と相談してくれ」との答えが返ってきた。

仕方なく彼女は学部長の自宅に電話をかけ、事情を説明しようとするが、学部長はあいにく自宅に不在だった。判断権限がない非常勤職員はどう処理してよいものか困惑が深まるばかりだ。

再度、事務責任者宅に電話をかけ、学部長が不在で連絡できない旨を伝えかけると、事務責任者は、「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ!」と言われ、一方的に電話を切られたという。大学も企業と同じだ。上司のご機嫌取りには熱心だが、部下には冷酷な性格を持つ管理職が、大学にも少なからずいるのも事実である。

事務室の中では対処方法がわからず困惑する非常勤職員が自身も不安に駆られる。この間、定刻を過ぎて卒論を持参した学生は、いったいどうなることやらと不安げに時間を過ごしていた。

僅かに時間をおいて、学生の指導教授から事務室に電話がかかってきた。おそらく指導教授は日頃からその学生の行動に不安感を抱いていたのだろう。卒論提出が無事に行われたのかを尋ねる内容の電話だった。これ幸いと彼女は事情を説明し、指導教授に意見を求める。

教授の回答は「私がすべて責任を持つのでとりあえず受理しておいて下さい」であった。正式に認められるか否かはともかく、教授からの明確な回答を得て、一安心した彼女は事務室外で待機していた学生を呼び、卒論を受け取り、「提出証明書」に事務室のスタンプを押す(このスタンプは日付と時刻が押印されるタイプのものだった)。一応の決着はみたが、あくまで仮の受理であるので、そのことを学生に伝えて彼女も帰路についた。

◆「非正規」職員にトラブルの全責任を転嫁する正規職員

ところが翌日、彼女が出勤すると事務責任者に呼び出され、「学部長に相談しろと伝えたのになぜ一教員の指示に従ったのか!」ときつい口調で彼女を責めあげられた。

「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ」と言った責任放棄の事務責任者は、自身に事務手続き上の問題の矛先が向けられるのを防御するために、全責任を彼女一人に負わせようと考えたのだろう。彼女としては、もとよりあまり信頼のおけなかった事務責任者に不当な責めを受けて反論することもできず、精神的に追い詰められる。

他方、「全責任を負う」と発言した指導教授は、受け取り証明書に日付と時刻が押印されていることを盾に「事務室が時間外でもちゃんと受け取っているんだから受理すべきだ」と事務室にねじ込んできた。しかし、事務責任者は「担当者が勝手に押印したものだから私は責任を負えない」と答え、埒があかない。彼女は自分の横で交わされる無責任な人間同士の会話にほとほと疲れ果てたという。

結局、彼女はそのような職場の人たちに嫌気がさし、翌週には自主的に退職してしまう。そして、仮受付されたと喜んだ学生も卒論は「不受理」となり、留年することになってしまった。

この経緯では、定刻を過ぎて提出を試みた学生に一義的には責任があるのだから、結果的に不受理は仕方ないかもしれない。しかし、その間、専任職員責任者が適切な指示を出さず、また指導教員も「全責任を負う」など発言したのであれば、学部長との折衝に自ら動くなどの調整努力をすべきだった。結果的には非常勤職員の女性一人があたかも不適切な判断を勝手に行ったかのごとき無責任な議論に事実を歪曲し、彼女を退職に追いやってしまった。

そもそも卒論提出日にはこのような事が起こりうることは、大学に勤務する正規職員にとっては常識である。最大の問題は、その日に専任職員が一人も出勤していなかったことである。

◆「学生の卒業を一緒に迎えられない」契約職員たち

「学生」相手に仕事をする「大学」では、マニュアルや職務権限もさることながら、人間性や責任感が仕事上、問われることが少なくない。規定や手順はもちろん大切であるが、それ以上に相対する人間に誠実であろうとする姿勢はもっと大切で、ケース毎に異なった判断を求められるのがまっとうな業務倫理のはずだ。

そんな性格の職場での仕事にやりがいを見出し、自分の適性もあると感じながら、契約により三年や五年で大学を去っていかなければならない「契約職員」は気の毒な存在である。契約時に「三年あるいは五年を上限に」との明文契約書に納得し、就任しているものの、仕事に慣れ、学生とも親しい関係ができてくると、大学事務は「収入」よりも「生きがい」になってくる。だから大学を離れたくない、と感じる人が少なからず出てくる。そんな気概のある人材は大学にとっては極めて有力な武器になるはずだ。

三年契約で就任した契約職員Aは、その熱心な仕事ぶりで専任職員の間でも評判だったし、学生からの信頼も厚かった。しかし、退職に際してこんな一言を残して、大学を去っていった。

「入学してきた学生の卒業を一緒に迎えられない制度とは一体なんなんだろうと思います」

原則論に立てば、極めて定型化された単純作業でありながら、多くの稼働を要するもの(郵便物の発送・図書館の窓口・入試の際の一時的事務作業など)を除いて大学職員という仕事は本来、正規職員が担当すべきだと私は考える。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

民間企業では派遣社員や契約社員を利用しない会社の方が珍しい時代になった。同様の現象は大学でも生じている。ごく稀にほとんど非正規職員を使わない大学もあるにはあるが、事務室の中の7割以上が非正規職員といった職場もざらにある。

「官から民へ」とか「雇用形態の自由化」とかいう政府のメッセージは、経営者にとって「人件費」を減らしやすくするために、これまで認められなかったオプションを提供したに過ぎない。大学教育現場でも様々な問題が発生しており、根源的には大学の力量を低下させる要因となっている。

◆一日中、正規職員が出勤しない事務室も

アルバイトや嘱託職員を採用する時は、必ず面接を行うが、派遣職員を採用する際に大学は本人と面接することが法律で許されていない。書類審査のみで人選を行う。その結果担当業務に適した能力や性格と不一致の人がやってくるというミスマッチはもう日常茶飯事だ。これは雇用する側にとってもリスクの大きい問題だと思うのだが、大学事務室内での派遣職員の数が減る様子はない。

そもそも大学職員の業務には管理部門を含めて、学生や教員のプライバシーに深くかかわる業務が多い。学部事務室や学生の相談を担当する部署では、学生が相談にやってくることは日常的な風景だ。学生の相談には履修方法や単位についてといった比較的簡単な内容もあるが、自身の体調不良や精神的な悩み、あるいはそれ以上に深刻な課題の解決方法を求めてやってくることも少なくない。

そのような場合、学生にとってカウンターの向こう側で仕事をしている人たちの雇用形態などは関係なく、全員が「職員」として認識される。大学によっては正職員、派遣職員、嘱託職員、アルバイトの業務分担を厳密に分け(それが当たり前なのであるが)学生の相談には正職員のみがあたる運用を厳守している場合もあるが、前述の通り職場の7割を非正規職員が占めているような事務室では、そもそも休暇や出張などで一日中、正規職員が出勤しないという状況も生まれる。そうなると学生の相談を受けた非正規職員は(その人が誠実あればあるほど)学生の相談に付き合わざるを得ない。

一度限りの会話で解決策が見つかるような、特に判断を要しない軽微な相談事であれば、さほど問題はない、しかし、卒業、就職や休学、退学といった判断を要するような相談がなされると非常勤職員では明快な回答を出せないし、出してはいけないはずだ。

◆管理職がすべき基幹業務まで非正規職員が担当

しかしながら正規職員が圧倒的少数という職場では本来、職責と待遇の差によって当然区別されるべき業務内容の境界が次第にあいまいになってくる。正規職員が行うべき業務を非正規職員が泥縄式に担当させられている状態が続くと、正規職員のモラルが低下し、「ああこれもアルバイトさんにやってもらっていいんだ」といった誤解が現実を徐々に支配していくからだ。正規職員の4分の1ほどしか給与を得ていないアルバイト職員に「判断」や「責任」を委ねることをまったく不自然と感じなくなる。これは「同一労働同一賃金」の原則からすれば、言語道断の事態である。

学生相談への対応は大学にとって基本的な業務である。が、より重要な責任を伴う業務、例えば、次年度予算の作成や決算といった本来ならば管理職が担当すべき基幹業務を非正規職員が毎年行っている大学も少なくない。

更に驚くべきところでは、正規職員の課長が体調不良で移動したために、その後任課長に非正規職員を任命した大学を私は知っている。そのケースでは、当初の非正規職員としての契約待遇がどのように変化したのかは聞き及んでいないが、理事や監事といった「役員」に非常勤の学外者が名前を連ねることはあっても、毎日出勤してルーティン業務をこなす事務職の管理者に非正規労働者を配置するという行為は驚くに値する。

◆まるごと職員アウトソーシングの波紋

昨日の東京新聞(8月20日朝刊)では、戸籍窓口業務を全面的に民間委託していた東京都足立区が「偽装請負」を理由に厚生労働省から是正を求められたという事件が報じられている。

この事件は今日、行政機関や大学が抱いている大きな「誤解」を理解するのに好例だ。戸籍や住民票は極めて秘匿義務が高い個人の情報であるが、足立区はその担当をまるごと民間企業に委託していたのだ。人権感覚や行政としての責任感は微塵も感じられない暴挙だ。

納税者、住民が求めているのは「安心して任せられる」情報管理ではないだろうか。いくら委託業者と厳密な契約を交わしたところで情報漏えいが発生することは、先の「ベネッセ」の事件が雄弁に物語っている。このようなバカげた行政判断を「他の行政機関に先駆け」などと報じている東京新聞も頭を冷やすべきだ(原発報道では群を抜く活躍が目を引くだけにここでは敢えて批判しておく)。

大学に置き換えれば、学生や保護者は教育内容もさることながら、学生生活が安心して送れることを期待して高い学費を払っている。

ところが経営陣が「コスト」優先で正規職員の人数を抑え、非正規職員で職場を回そうとすれば、表面的には経費削減というプラスに見える。だが、相談に来た学生が非正規職員の無責任さ(本当は無責任ではなく対応することが職責上できないのであるが)を「大学の冷たさ」と認識するし、正規職員にとっては学生が抱える様々なトラブル解決に当たるという一見面倒ではあるが、大学職員としての能力向上に資する絶好のケーススタディーチャンスを逸することになるのだ。

◆卒論提出日の受付に正規職員が一人もいない!

ある大学で実際に起こった事例を最後に紹介しておこう。

卒業論文の提出は当然のことながら日時と場所、提出方法が厳密に定められている。定刻になればそれ以降受け付けるわけにいかない、というのが原則である。

関西にある某大学では卒業論文の提出日に正規職員が一人も出勤していなかった。定刻を過ぎたので事務室にいた非常勤職員はカウンターのシャッターを下し受付を終了した。ところが、帰り支度を始めた事務室に卒論を持った学生がやってきた。

さて、あなたがその担当者であれば、どのように対応するだろうか? [次号へつづく]

(田所敏夫)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

◆新設学部の入学定員超過で「Beyond Borders」

更に追い打ちをかけたのが2008年に起きた「入学時転籍」問題だ。新設の「生命科学部」の合格者を多く出し過ぎてしまった立命館大学は、合格者に「貴方は優秀だから生命科学部以外にも入れますよ。理工学部へはいりませんか?」といった誘導を行ったのである。

受験生からすれば青天の霹靂だ。自分が受験したのは「生命科学部」であって、その合格通知を手にしたところ「ほかの学部はいかがですか?」と大学が聞いてくることなど想像を超えている。なぜ、このような転籍を強行しなければならなかったのか?

その理由は文科省による補助金である。大学は入学定員が決まっており、その1.3倍(この数字は時代により変動するので今日の正確な基準は異なっているかもしれない)以内であれば問題はない。だが、入学者(あるいは同一学部学科の総員)が定員の1.3倍を超えると補助金を削減されるというルールがある。

志願者が多く、競合大学が多彩な大学にとって、合格者を何名にするかの決定は極めて神経を使う作業である。特に受験日が重なったり、新規の同内容学部が他大学に新設された年などは、それまでの経験則やある種の「勘」が役に立たないことがある。まさに、その失敗を「生命科学部」は犯してしまった。合格者を出しすぎてしまったのだ。

文科省も一度限りの定員超過について厳罰は課さず、注意程度に収める場合が多いが、その後に新しい学部の新設や大学院の設置を予定している場合にはそれに悪影響を及ぼす。
立命館大学は当時、更なる学部新設を計画していたことから「生命科学部」の入学者定員大幅超過は何としても避けたかった。そこで他学部への「入学時転籍」という荒業に手を染めたのだ。

◆岐阜の公立高校買収でも「Beyond Borders」!

更に立命館大学の快進撃(?)は続く。立命館大学は岐阜県の「市立岐阜商業高校」買収を水面下で進めていたのだ。この報道を新聞紙面で目にしたとき、私は「おいおい、いくらなんでもそれはないやろ」と腰を抜かしかけた。

何と「岐阜県」にある「公立高校」の買収に本気で取り組んでいたのである。大学校地が全国に広がる日本大学、東海大学といった経営方針の大学ならば、新たに「出店」を開業することにさしたる驚きもない。だが、立命館大学はAPU(立命館アジア太平洋大学)を大分県に持っているとはいえ、実質的にはあくまで「京都」中心の大学である。関西とは文化園の異なる岐阜県の、しかも公立高校を買収にかかるとは、いったい何を考えているのか? そんな話がうまくまとまるのか?と注目していたが、案の定、岐阜市議会で猛烈な反対を喰らい、この買収計画は失敗に終わる。

◆びわこ草津キャンパスでは爆発未遂事故で「Beyond Borders」!

また、立命館大学びわこ草津キャンパス(BKC)では昨年、「火災による水素ボンベ爆発未遂事故」(!)が起きている。BKC校舎内でボヤが発生し、実験用の水素ボンベに引火の危険性が生じたため、ボンベから半径200mからの避難を指示が出された。

ところがボンベから半径200mは大学の敷地のみならず、近隣の住宅街にも及ぶ。学生だけではなく当然、近隣住民にも避難の指示が伝えられるべきところ、連絡は何と自治会長にのみ伝えられた。自治会長一人で当該地域の住民全員に迅速な連絡ができるはずはなく、後日、大学と自治会、草津市役所も含めて検証の場が持たれ、地元からは強い不安と不満の声が上がったという。これは物理的に極めて危険性の高かった「Beyond Borders」といえよう。

◆大阪「茨木」校地開設では関西大と「Beyond Borders」!

そして、極め付けは「茨木」校地建設だ。茨木と言えば関西になじみの深い方には容易に位置を認識していただけようが、関西地域以外の方には少々説明しておいた方がよいだろう。

茨木市は大阪府に位置する。JR、阪急電車などで大阪駅へのアクセスも良いため、古くからのベットタウンでもある。参考までに茨木市の北東(茨木市より京都寄り)は高槻市である。JR高槻駅前には関西大学の校舎が建っており、高槻市には高橋大輔や織田信也などの有名アイススケート選手を産み出した関西大学のスケートリンクもある。

関西大学のメインキャンパスはこれまた茨木市より大阪寄りの吹田市である。つまり地理的には立命館大の茨木校地は関西大学のメインキャンパスと高槻キャンパスに挟まれる場所に来年3月開設に向けて現在急ピッチで校舎建設が進んでいる。

この「茨木」校地建設問題について詳述しだすと紙数がいくらあっても足りないが、その危うさを示す立命館大学職員のコメントを紹介しておこう。
「茨木校地を建設すれば、いずれ財政的に立ち行かなくなる」
ある現職財務担当職員の見解だ。

現在の理事長、執行部は「関西大学との戦いに勝つために」と茨木校地開設の意義を語っているという。おいおい! 立命館大学のライバルは同志社大学ではなかったのか? 「京都のりっちゃん(立命館大の愛称)が大阪に足伸ばしてどないすんねん。イメージ崩れるで」と言うのが多くの大阪人の見方だ。

同じ関西エリアといっても、京都と大阪では文化も気質も大きく異なる。この茨木校地設立こそ、立命館大学が選択した究極の「Beyond Borders」といえよう。

◆「ボーダー越えすぎ」で見えてきた「ゲームオーバー」

大学業界人の多くは「茨木校地開設はひょっとすると株式会社立命館の終わりの始まりになるかもしれない」と考えている。ゼネコンに莫大な利益もたらすことはあっても、立命館大学がまとまった校地を茨木市に開設する積極的な理由は見当たらない。

大学は企業と異なり、経営状態が多少悪化しても即座に「倒産」とはならない。立命館クラスの大規模大学になれば尚更だ。但し「貧すれば窮す」で経営ミスや財務状況の悪化は教学内容(教員、学生の質など)を直撃する。大学内での無用の雑務や対立も起きてくるだろう。

立命館大学が越えてきた数々の「Borders」。
その選択が妥当であったか否かそう遠くない将来、回答が出るだろう。
私の直観ではズバリ、アウトだ。

(田所敏夫)