2・4『暴力・暴言型社会運動の終焉 ── 検証 カウンター大学院生リンチ事件』(紙の爆弾3月号増刊)発行と、1・28対李信恵第2訴訟不当判決について 鹿砦社代表 松岡利康

私たちは2016年春先から「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)に関わり続けてまいりました。早いものでもう5年が経とうとしています。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

そうして昨年からその「検証と総括」の作業に努めてまいり、これはきちんと一冊にまとめ形のあるものとして残すことにしていました。こういう事件が再び起きないようにとの願いを込めてのことです。

想起すれば、5年近く前に本件が持ち込まれ、この被害者M君のリンチ直後の写真を見、リンチの最中の録音を聴いた際に、素朴に「これは酷い」と感じ、加えて被害者M君はリンチ後1年余りも、わずかな友人・知人を除いて孤立無援の状態にあったことも聞き、少なくとも人道上放置はできないと思い、本件に関わり続けて来ました。若い大学院生が、これだけの凄絶な集団リンチを加えられ、藁をも摑む気持ちで助けを求めているのに突き放すことは、私の性格からして到底できません。爾来、昨年広島原爆投下75年に際し被爆二世をカミングアウトした田所敏夫をキャップとして取材班と支援会を発足させ、微力ながら被害者救済・支援と真相究明に携わってきました。この選択は間違ってはいなかったと今でも思っています。

当初、M君に話を聞き、提供された資料を解読し、「今の成熟した民主社会の社会運動内に、いまだにこうした野蛮な暴力がはびこっているのか」と驚きました。しばらくは半信半疑で取材を進めましたが、仮にM君の話がデマや虚偽であったならばすぐに撤退するつもりでした。

リンチの加害者とされる李信恵ら5人には一面識もありませんでしたので、私怨や遺恨などありません。

しかし、取材を進めるうちに、いろいろな事実が判ってきました。李信恵という人が、この国の「反差別」運動の象徴的な人物として名が有ることは知っていましたが、こういう事件に多かれ少なかれ関わっていることに驚きました。ちょうど極右・ネトウヨ勢力によるヘイトスピーチ華やかりし頃で、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」制定も企図される頃でした。

「反差別」の錦の御旗を立て、極右・ネトウヨ勢力の跳梁跋扈を阻止しヘイトスピーチに反対するという大義名分の蔭で、このような悲惨な事件が起きていたことに驚きました。

かつて、私たちの世代は、反体制運動における「内ゲバ」や「連合赤軍事件」を知っています。これらにより一時は盛り上がった学生運動や反戦運動、社会運動が解体(自壊)していった歴史を見て来ています。実は私自身、早朝ビラ撒き中に対立勢力に襲われ激しい暴行を受け病院送りにされ5日ほど入院した経験があり、また、ジャーナリストの山口正紀さんも、M君の訴訟で大阪高裁に提出した「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』に収録)の中で、やはり学生時代に暴行を受けたことを記述されています。山口さんは重篤なガンで闘病中ながら、今回その「意見書」も含め長大な渾身の論考として寄稿いただきました。

M君リンチ事件の被害者支援と真相究明に関わり始めた当初、「この問題は奥が深いな」と感じたのが正直のところです。やはりその予想通りでした。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

M君リンチ事件関係では、関連の訴訟も含め5件の民事訴訟が争われました。M君が野間易通による暴言の数々を訴えた訴訟(M君勝訴)、M君が李信恵らリンチに連座した5人を訴えた訴訟(M君勝訴)、鹿砦社が李信恵による暴言を訴えた訴訟(鹿砦社勝訴)、そして李信恵がこの反訴として鹿砦社を訴えた訴訟(一審鹿砦社敗訴→これから控訴審)、それに「カウンター/しばき隊」の中心メンバーにして元鹿砦社社員を訴えた訴訟(係争中)です。上記3件、判決内容や賠償金額などに不満はあるものの当方(M君、鹿砦社)の勝訴で確定しています。神原弁護士は「正義は勝つ!」などと全てみずからの側の勝訴と嘯いていますが事実ではありません。

ちなみに「正義は勝つ!」というのであれば、神原弁護士が事務局長を務める『週刊金曜日』植村隆社長の訴訟では、確定判決で負けてしまったことをどのように言い訳なさるのでしょうか? 世の中、必ずしも「正義」が勝つとは限りません。ここに悲劇があったり喜劇があったり不条理があったりします。殊に、裁判所における「正義」はえてして市民感覚とは異なります。

ついでながら、植村社長は、一昨年(2019年)、鹿砦社創業50周年記念の集いにお越しいただきご挨拶賜りました。また、社長就任後に会食も共にしたこともあります。最近も「上京されたらご連絡ください」とお誘いを受けていますが、神原弁護士との関係に配慮し、あえて連絡をしないでいます。『週刊金曜日』今週号(2月5日発売)に『暴力・暴言型社会運動の終焉』の1ページ広告が掲載される予定です。

こうして、この5年間のM君リンチ事件に関わってきた「検証と総括」作業を進め書籍の編集過程にあった中で、突如起きたのが、M君リンチ事件にも連座した伊藤大介による暴行傷害事件です(昨年11月25日午前1時30分頃)。前日24日、今般判決のあった訴訟の本人(証人)尋問が終わり、深酔いし、複数で極右活動家・荒巻靖彦を呼び出し暴行に及んだところ、無抵抗だったM君とは違い逆襲に遭い刃物で刺され、双方負傷した事件です。この事件は、伊藤らが仕掛けたものですが、6年前のM君リンチ事件と同じパターン(裁判が終わり酔って相手を呼び出し暴行に及ぶ)です。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものです。これが現在の「反差別」運動というのであれば、あまりに悲しいです。

この事件もあり、編集途上のところ、すでに原稿が届き編集も終わっていたものを中心に急遽まとめ発行したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』です。

これまでのM君リンチ事件に関する本は、M君対李信恵らとの訴訟のポイント、ポイントで発行されてきましたが、今回は関連訴訟(対李信恵第2訴訟)の判決直後の発行となりました。

一審判決は、残念な結果になりましたが、控訴審で、心機一転捲土重来を期します。一審判決には決定的な間違いが散見されます。一つ目についた箇所を挙げれば、当該の書籍にて取材した者のインタビューを記しているにも関わらず、その者に取材して確認していないなどと判断(誤判)していたり杜撰なものです。

李信恵は鹿砦社取材班の取材や書籍、「デジタル鹿砦社通信」などの記事で「苦しめられた」などと申し述べていますが、本件での最大の被害者は、言うまでもなくM君です。裁判所は、リンチ直後のM君の顔写真をしかと見よ! 1時間にもわたる凄絶なリンチの阿鼻叫喚を聴け! いまだにPTSDに苦しむM君の心身共にわたる苦しみに比べれば、さほどのことはないと言わねばなりません。

昨年11・24の本人尋問で、リンチ直後のM君の画像を李信恵に見せ、「これを見てあなたは人間としてどう思いますか?」と問い質す松岡。李信恵は沈黙を通した(赤木夏・画)

私たちの闘いはこれからも続きます。確かに一審は負け(今のところは)賠償金を背負うことになりましたが、M君がリンチによって負った傷に比べれば大したことはありません。

今後とも、更なるご支援をお願い申し上げます。M君訴訟では皆様方のカンパにより訴訟費用をまかないましたが、鹿砦社訴訟では自弁ですので、『紙の爆弾』や多種多様な書籍などを買ってご支援ください。

ちなみに、M君訴訟のカンパの約6割は在日コリアンの方々で、その他、情報収集や取材などにもご協力いただきました。これは明かしてもいいかと思いますが、第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』でリンチの最中のCDを付けようとしたところ、これも「私に任せてください」と在日の方が韓国でプレスしてくださいました。さすがに日本国内ではやれませんから。そうした方々のご協力で、これまでやって来ましたが、これに報いるためにも私たちは挫折するわけにはいきません。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急出版》鹿砦社が明日投下する“紙の爆弾”『暴力・暴言型社会運動の終焉』 その“爆薬”の中身はこれだ!! 鹿砦社特別取材班

裁判期日が終わる→仲間と飲みに行く→散々飲んで気が大きくなる→気に入らない人間を呼び出す→暴行に及ぶ。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』明日4日発売!!

この定型式にどこかで既視感はないだろうか。鹿砦社がこれまで出版した「M君リンチ事件」に関する5冊の書籍をお読みいただいている方であれば、瞬時に気がつくことだろう。

そうだ。「M君リンチ事件」発生時とまったく同じ展開で、またしても暴行事件が発生したのだ。この日は、鹿砦社対李信恵第2訴訟の本人(証人)尋問の日だった。これが終わり、事件発生前には李信恵と、のちに逮捕される伊藤大介が、飲食を共にしている写真が、李信恵発信のツイッター、フェイスブックにより確認できる。時刻は11月24日18:30頃だ。

その後、日付が変わった25日深夜1時30分頃、この間、かなり飲み食いしたのだろうか、伊藤は酔った勢いで、極右活動家荒巻靖彦を呼びだした。どのようないきさつでもみあいになったのかまではわからないが、新聞報道によれば伊藤らが荒巻に殴り掛かり、荒巻は逆襲、刃物を持っており伊藤はその刃物によって、全治1週間の怪我をさせられている(一方荒巻は伊藤に顔面を殴る蹴るされており、左手小指を骨折している)。場所は大阪市北区堂山町。監視カメラが張り巡らされ、人目の多い場所でもある。怪我をした伊藤、もしくは周囲にいた人物が110番通報をした模様で、駆け付けた警察官に荒巻は現行犯逮捕されている。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

刑事事件については、推定無罪を適用すべきだと、われわれは考えるので、荒巻並びに、伊藤の処分についての詳述は避ける(荒巻は罰金刑で、伊藤はこれから傷害容疑で公判にかかる模様である)。

しかしながら、伊藤自らが「しばき隊」であると公言しているので「しばき隊」特有の行動については本文の中で詳述した。「しばき隊」の人間は、どうしてこのように「混乱必至」な行為に及ぶのであろうか。暴力を振るい暴言を虚偽発信し、これを繰り返す「しばき隊」の行動パターン、とりわけこの日伊藤が事件に手を染める前の様子から、詳しいレポートをお届けする。取材班は法廷内の傍聴席でも伊藤らを包囲し(おそらく伊藤らはその存在には気づかなかったであろう)、注意深く伊藤の行動をも観察していたのだ!

そして、事件発生後しばらくの沈黙期間をおいて発表された伊藤擁護を企図したC.R.A.C.と「のりこえねっと」の「声明」の筋違いについても、徹底的に分析を行なった。どうして「しばき隊」は同じ間違いを繰り返すのか? どのような思考回路がそれを誘引するのか? 心理学専門家の意見も参考に、「しばき隊」のメンタリティー分析にも是非ご注目を!

『暴力・暴言型社会運動の終焉』には各方面からご寄稿も頂いた。ご自身が被害者となり、その後一時期はかなり熱心に「しばき隊」との言論戦(といってもかなり楽しそうではあったが)を繰り広げた合田夏樹さん。LGBT問題で「しばき隊」に絡まれ、仕方なく応戦した(今もしている)作家の森奈津子さん。このお二人は直接「しばき隊」と言論戦や法廷戦を闘われた方でもあるので、経験談を中心に原稿を書いていただいた。特に合田さんは直接に伊藤大介から脅迫を受けている。

 

尾﨑美代子さんには、「反原連」時代から連中が包含した根深い問題点を、体験と考察を元に分析していただいている。M君とも親しく、「反原連」の問題を知り尽くした尾﨑さんは、当初カウンター活動に参加を試みたこともあったが、やがてそのヘゲモニーが「しばき隊」に握られるようになることを察すると、手を引いたという。慧眼の持ち主はこの問題をどのように総括するのであろうか。

昨日の本通信でお伝えしたように、「M君リンチ事件」ならびに鹿砦社が李信恵を訴えた事件は、すべて司法記者クラブの手で握りつぶされた(記者会見開催を拒否された)。この問題については、フリーライターで大手新聞の「押し紙」問題に詳しい黒薮哲哉さんが、論考を寄せてくださった。

元読売新聞記者の山口正紀さんは、「M君リンチ事件」裁判における一審から控訴審、上告審までの判決の不当性について、精緻かつ長大な分析を頂いた。山口さんは「M君リンチ事件」裁判控訴審に「意見書」を提出いただいたこともあり、本事件に対して司法が果たした(果しえなかった)役割について、厳しい分析を展開してくださった。

 

松岡は「平気で嘘をつく人たち」と、黒薮さんとの合作で「危険なイデオローグ‐師岡康子弁護士」を執筆。そして「M君」自身が「リンチ事件から六年──私の総括」を寄稿した。

このように紹介すると総花的で、散漫なムック本(紙の爆弾増刊号)のようにお感じになる向きもあるかもしれないが、そうではない。現場からのレポートと、直接関係者の体験談、客観的な立場からの観察ならびに分析、2021年における「反差別」と「反差別運動」についての問題提起や方針を示したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』である。この本は、編集部が筆者に編集方針を伝え、それに沿うように原稿を依頼していない。完全に自由で制約のないご意見を異なる立場の方々から頂いた。その結果われわれが幸いであったのは、当初の予想以上に問題の本質に多角的な接近を実現することができたことである。

コロナ禍の中で、大切な問題が埋もれてしまいがちな日常にあり、しかしながら決して度外視することのできない人類の大命題に直接取り組んだ『暴力・暴言型社会運動の終焉』はどなたにとっても、示唆に富む内容であることをお約束する。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

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《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!! 鹿砦社特別取材班

〈差別〉に反対し〈暴力〉を嫌悪する、すべての読者の皆さん!鹿砦社特別取材班が「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)の取材を開始し最初の出版物『ヘイトと暴力の連鎖』を出版したのが2016年7月。もちろん取材は出版前に開始したので、われわれがこの問題にかかわり、まもなく5年を迎える。

 
『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

「M君リンチ事件」は単に、ある集団内で発生した、偶発的な事件ではなかったことがのちに判明する。有田芳生参議院議員筆頭に、師岡康子、神原元、上瀧浩子ら弁護士。中沢けい、岸政彦、金明秀ら大学教員・研究者。安田浩一、西岡研介、朴順梨、秋山理央などフリーの発信者。そして中立を装い、事件を仲裁するように見せかけながら「M君」を地獄に突き落とした「コリアNGOセンター」の幹部ら。

数え上げればきりのないほどの著名人が寄ってたかって、事件隠蔽とM君に対するセカンドリンチと村八分に奔走した。「事件隠蔽加担者」は上記個人だけではなく、すべての大手マスコミ(~関係者)も参加して悪辣極まるものであった。

本通信をきょう読んでおられる方の中に、M君が「しばき隊」の実権者、野間易通を名誉毀損による損害賠償を求める裁判で訴え、勝訴した事実をご存知の方はどれくらいいるだろうか。M君は提訴の際、大阪地裁で勝訴した際、いずれも司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)に記者会見の開催を申し入れたが、一度も実現したことがない。あれこれ理由にならない言い訳を並べたが、結局大手マスコミの記者連中は「M君リンチ事件」を闇に葬ろうとする勢力に加担したのであり、上記隠蔽加担者らと同等もしくは重い役割を進んで背負った。

松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

だから、本来であればテレビや新聞で大々的と言わぬまでも、報じられて当然のこのニュースが、事件発生後マスメディアで取り上げられることはなかったし、その事実に居座って、事件に関係した連中は、ついぞ反省をすることはなかった。M君と加害者が対峙した証人調べの際に、口頭で謝罪を述べた者はいたが、その後の行動を見れば到底反省したとはいえない。

M君支援と事件関連書籍の出版を進めるうちに、李信恵をはじめ多数の人物が鹿砦社を誹謗中傷し始めた。ただし、われわれは出版を重ねるにあたり、事実関係は徹底的調査し尽くし、関連人物への取材も可能な限り直接行ってきたので、誹謗中傷に熱を上げるものどもは、具体的な批判ができない。幼稚な表現で罵詈雑言を浴びせるか、連中お得意の「ありもしない事実」をでっちあげそれを拡散させる、という卑怯な手法が用いられた。

今日、振り返って痛感することの一つに、「Twitterは人を壊す」ことが挙げられる。限られた文字数に感情の発露と、偽りの「繋がり」や「絆」を求める行動は、エスカレートすることが多く、本件以外にも数々の災禍を引き起こしてきた。李信恵は鹿砦社に対して再現するのも憚られるような、幼稚で下劣な言葉を用いて、幾度も鹿砦社を攻撃してきた。当初われわれは顧問弁護士を通じて、「そのような書き込みを止めるように」警告したが、それでも李信恵のわれわれに対する罵倒は止まらなかった。致し方なく鹿砦社は李信恵に対して名誉毀損による損害賠償を求めた民事訴訟を提起し、裁判所は李信恵の不法行為を認め、われわれは全面勝訴した。

さて、それではどうしてこの時期にわれわれが「2021年最初の爆弾」を投下しなければならないのか。理由は明快である。われわれが取材、出版を続ける中で懸念していた「M君リンチ事件」のような暴力事件の再来──それが現実のものとなってしまったからだ! しかも鹿砦社と李信恵の裁判が行なわれたその翌日未明に!

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

大阪地裁では鹿砦社が全面勝利した(李信恵が全面敗訴した)裁判の最終盤で李信恵側から「反訴」の意向が示された。しかし裁判長はそれを認めなかったために、仕方なく李信恵は別の裁判を提起し鹿砦社に550万円の支払いと、あろうことか「出版の差し止め」を求めてきていた。2020年11月24日。大阪地裁では、原告・被告双方の本人(証人)尋問が行われていた。その模様についてはすでに本通信でお伝えしてあるのでご参照頂きたい。

事件はその日の裁判終了後に発生した(正確には日付が変わり25日午前1時30分頃)。裁判中には傍聴席にその姿があった「カウンター」の中心メンバー・伊藤大介が極右活動家・荒巻靖彦を深夜電話で呼び出し、双方負傷。伊藤が110番通報したことで荒巻は「殺人未遂」の現行犯で逮捕された。だが,衝撃はほどなくやってきた。伊藤大介が12月6日大阪府警に傷害容疑で逮捕されたのである。

われわれは、この事件発生直後から綿密な取材を開始し本年1月末か2月初頭の出版を目標に、正月返上で準備を進めてきた。しかし 『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版については、本日まで完全部外秘とし、ごく一部の人間しかその情報を知りえなかったはずである。販売促進の観点からは、発売日が決まっていれば早い時期から広告を出したり、周知活動を行うのが定石であるが、われわれはあえてそうはしなかった。

 
 

連中はすでにカルト化している。というのがわれわれの見立てである。しかもその中には複数の弁護士もいる。連中が『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版に対して出版差止めの仮処分を打たない保証はない(仮処分とは通常の裁判と異なり、緊急性を要する判断を裁判所に求めるものである。通常出版物の仮処分による「出版差止め」は元原稿(ゲラ)などの直接証拠がなければ認められることはないが、上記の通り民事訴訟の中で李信恵は「出版差止め」を求めている。われわれは記事内容には確実に自信を持っているが、それでもどんな主張を展開してくるのかわからないのが連中だからである)。

そうだ! 敵に隙を与えないためには、読者諸氏にも本日までお知らせすることができなかった。そういった理由であるので無礼をなにとぞお赦しいただきたい。書籍の内容? 下記の案内をご覧ください。鹿砦社(メールsales@rokusaisha.com、ファックス、HP)、もしくはアマゾン、書店などで、今すぐご予約を!

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《2月のことば》俺を倒してから世界を動かせ 鹿砦社代表 松岡利康

《2月のことば》俺を倒してから世界を動かせ(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

鹿砦社が、私の大学の後輩で書家の龍一郎に揮毫・製作を依頼しているカレンダーですが、今月は「俺を倒してから世界を動かせ」の文字が踊ります。通常、月ごとの言葉はすべて龍一郎に任せてあるのですが、今月だけは私のわがままでこの言葉としてもらいました。

といっても、いったい何を意味する言葉かと不思議に思われる方も少なくないことでしょう。今を遡ること約半世紀(正確には49年)前、1972年2月1日を頂点に同志社大学で闘われた「学費値上げ阻止闘争」に私は主体的に参加し最後まで闘いました。同大今出川キャンパスの中央に在り、この前で幾多の集会が行われた、われわれの世代にとって象徴的建物「明徳館」(Mとも揶揄される)の屋上に仲間と共に籠城し、掲げたメッセージの一つがこれです。私が発案し書いたものですが、その様子は新聞報道にも写真で掲載されました。機動隊が導入され、あっけなく落城となりましたが、20歳そこそこの学生たちは真剣に闘い、籠城組のわたしたち以外に、約300名の支援部隊が結集し、120数名検挙、43名逮捕、10名起訴となりました(なんと支援に来てくれた京大生M君は無罪を勝ち取りました)。

同志社大学はその後に、大規模な「田辺移転構想」に着手し一説には500億円以上の資金を投入したそうですが、「田辺移転」が失敗に終わったことは明らかでしょう。一度は田辺に移された(それも2回生までだけ)同志社大学の文系学部が、すべて今出川校地(もともと大学のあった場所です)に戻されたのですから。いっとき東京・大阪・京都など都市部の大学の郊外移転が流行りましたが、その多くが再び都心地への回帰を強めている様子を見ると、やはりあの「学費値上げ」は不要なものではなかったのか……との想いが拭えません。

あるライターが「俺を倒してから世界を動かせ」を評してくれました。

《ふつう、運動のスローガンは複数なんですよね、「われわれ」とか「俺たち」あるいは「仲間」などです。なのに全学の学費値上げを問うた行動の主語が「俺」になっている。一応申し訳程度に「同大全学闘」とありますが。組織的な運動ではなかなか目にしないスローガンですよ。主語が単数なのですから。松岡さんに聞いたら籠城組は4人いたそうですし、支援の部隊も300名あまりいたそうです。そこに「俺」はないでしょう(笑)。
 ところが、書いた本人もそうでしょうが、これを見た仲間は、一瞬きょとんとするかもしれませんが、「そうか、俺が動かないと状況は動かない」と感じたはずです。数多くのスローガン、特に学生運動におけるそれを見てきましたが、いい意味でこんなに「わがまま」で「独立した意思」を表明した言葉は目にした記憶がありません(東大安田講堂攻防戦のあと安田講堂に書き残された、「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」にも共通のエッセンスがあります)。党派指導の組織だったら絶対に考えられません。同志社の学生運動が懐の深いものであったことを示す、一つの例でしょう。
 そして松岡さんは当時からこういった「とんでもない」発想をする素養があったことを示す好例だとも分析できます。警察権力に対して「俺を倒せ」とは! このアナーキーさと闘争精神が、のちに出版に関わってからの彼の仕事を象徴しているともいえます。時に人々から首を傾げられても、また騙されたりすることがあっても、最後は「主語一人称」で闘いきる。性根の強さというか太さは熊本人気質なのでしょうか。往々にして「個」が確立されていない、日本社会にあって、示唆に富むスローガンだといえるでしょう。そしてその精神は今日ますます重要性を増しているように感じます》

このライターさんが評してくださったように、大仰なものではありませんが、たしかに指摘される通り、当時も今も〈革命的敗北主義〉が私の中には染み付いているのかもしれません。「最後の一人になっても闘う」決意があったからこそ「無茶」もできたし、逆に言えば支援してくださる方々に恵まれたとも思います(もっとも近年は〈革命的敗北主義〉だけではなく「論争における止揚から真実の探求」路線の重要性も認識しています)。

大衆運動も政治闘争も反差別運動も、結局のところ「個人」の集合体であるわけですから、個人が資質や能力、人間的な成熟を高めてゆくことが、結果としては社会の好ましい変化に繋がるのではないでしょうか。菅首相をはじめとする閣僚や役人、「個」を持ちえない人々による社会の劣化に直面するにつけ、昔の気持ちが蘇ります。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

マー君復帰報道で浮き彫りになった楽天とカープの「歴史」の違い 片岡 健

プロ野球12球団のうち、楽天イーグルスと広島東洋カープはよく似たところがいくつかある。

まず、それぞれの本拠地である仙台と広島は、本州の端っこのほうにある地方都市で、両球団共に地元では圧倒的な人気がある。また、楽天は親会社の創業者である三木谷浩史氏、独立採算制のカープはオーナーの松田元氏がいずれも球団内で絶対的な存在であるところも似た点だ。

もっとも、両球団は球団としての歴史が大きく異なり、それゆえに文化や考え方も対照的だ。それが鮮明になったのが、先日、楽天の元エース「マー君」こと田中将大投手がMLBヤンキースから楽天に復帰が決まった時だった。

◆元エースの復帰を球団ホームページで発表した楽天に対し、カープは……

まず、楽天は田中投手が復帰するという情報をどのように発表したか。

球団ホームページで「マー君復帰」を発表した楽天

楽天は1月28日午後5時30分頃、この情報を球団ホームページで正式発表した。それをうけ、各メディアが次々に速報を配信した。球団の正式発表と共にヨーイドンで報道合戦が始まったわけだが、たちまち広まった「マー君が楽天に復帰」という情報は国内はもとより、米国の野球ファンたちにも驚きを与えていたようだ。

一方、カープでも6年余り前によく似たことがあった。かつてチームのエースだったMLBヤンキース黒田博樹投手の電撃復帰だ。MLBで5年連続二桁勝利を収め、複数球団から年俸20億円前後のオファーがあった中、年俸4億円の条件で愛着のある古巣に復帰した黒田投手の決断は「おとこ気」と言われ、社会的な関心事になったほどだった。

そんな黒田投手の復帰について、第一報を伝えたのは中国新聞だった。同紙は2014年12月27日、この情報を朝刊1面で〈黒田、カープ復帰へ〉と単独スクープしている。カープは同日、黒田投手のカープ復帰を正式発表したが、地元紙である同紙にだけは前日に情報を伝えていたわけだ。

田中投手の復帰を球団ホームページで発表した楽天の場合、特定メディアを特別扱いしなかったどころか、全世界に同時にこの情報を伝えたわけで、両球団の情報発信の仕方は好対照である。

黒田投手のカープ復帰を単独スクープした中国新聞(2014年12月27日朝刊1面)

◆元エース復帰の伝え方がなぜ、こうも違うのか

さて、私がここでしたいのは、楽天とカープのどちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。

楽天の場合、親会社はオールドメディアに対抗する形で台頭してきたIT企業の代表格である。それが今回の「球団ホームページで全世界に一斉発表」という形になって現れたのだろう。

一方、カープは戦後間もない被爆地に市民球団として誕生して以来、地元の財界に支えられ、存続してきた歴史がある。他ならぬ中国新聞もカープを支えてきた地元有力企業の1つだ。それが「中国新聞は特別扱いして当たり前」という形になって現れたのだろう。

よく似たところがある2球団でよく似たことが起こり、それによって両球団の歴史の違いが鮮明になった。私は単純にそのことを興味深く感じたのである。

この両球団が今年の秋、日本シリーズで相まみえるようなことがあれば、田中投手が投げる日はぜひ、黒田氏にテレビ中継の解説をお願いしたい……と思ったりもしたが、両球団の戦力的に実現は難しかったりするだろうか?


◎[参考動画]田中将大投手が楽天復帰 背番号は「18」(TBS 2021年1月30日)

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

格闘群雄伝〈12〉北沢勝──ドラマーから異色の転向、隠れた素質、気合と根性でチャンピオンへ! 堀田春樹

◆バンドからダイエットへ

北沢勝(1968年10月10日、東京都大田区出身)は26歳でプロデビューし、あまり注目される存在ではなかったが、頑丈な体格とバンド時代からの得意技の気合と根性で日本ウェルター級チャンピオンに上り詰めた。

北沢勝は高校時代にコピーバンドを始め、後にSHELL SHOCKというバンドに誘われ、ドラマー担当をした。卒業後もアルバイトしながらスタジオでレコーディング。ライブをして全国をツアーするという生活だった。

「ライブが終わったら飲み会。そんな生活をしていたら太り始めて80kg超え。何かダイエットしなくてはと思いました。」という北沢は元々プロレスファンで、当時UWFに夢中だったが、テレビで安生洋二と対戦するチャンプア・ギアッソンリットのミット蹴りを見た衝撃でムエタイこそが最強と確信し、これがキックボクシングを始める切っ掛けとなった。

SHELL SHOCKのリリースされたCDの一枚、いちばん右側が北沢勝(提供:北沢勝)

◆ムエタイから学ぶ

1993年4月、ダイエットにはキックボクシングをと、家から近くのジムを探すと目黒ジムが見つかったが、そこは名門といった歴史は知らないまま入門。

それまでスポーツというスポーツはやったことは無かったという北沢は腹筋が割れるほどの筋肉質のダイエットに成功。こうなると目指すはプロデビュー。チャンプアの蹴りの影響から始まった本場ムエタイの体験を希望すると、先輩に勧められるがまま翌年2月、バンコクのソー・ケーッタリンチャンジム(後々ゲーオサムリットジムへ移行)での修行に向かった。バンドは我儘を言って辞めた後だったが、辞めた以上は強くならねば恰好がつかない追い詰められた立場でもあった。

渡タイ目的の一つはムエタイ観戦だった。週に三日は夕方の練習が終わると一人でスタジアムに向かって、出来る限り間近で一流の試合を観て、技を真似て練習で実践して、またそこで一流のトレーナーに修正してくれたことが後々役立っていった。

1994年11月25日、ライト級でデビューすると10戦目に日本ライト級1位の今井武士(治政館)に判定負けするまでは、一つの引分けを挟み8連勝(3KO)。26歳でデビューは年齢的には遅いデビューだが、ランキング上昇は努力と研究の賜物。身体が頑丈でコツコツ頑張る気持ちのある努力型という周囲の見方が多かった。

デビュー1ヶ月前のタイでの練習(1994年10月17日)
伊東マサル戦に備えた目黒ジムでの練習(1996年1月24日)
伊東マサル(トーエル)戦は判定勝ち(1996年2月9日)

1998年8月には元・ラジャダムナンスタジアム・ウェルター級チャンピオンだった第一線級から離れて間もないパヤックレック・ユッタキットと68.0kg契約で対戦の話が舞い込んだ。人生最大の危機……いやチャンス。これを逃せば悔いが残ると思うと断る理由は無かった。結果は重い蹴りを受け続けた判定負け。無事生きて帰れたと安堵するが、下がらぬ戦いに周囲の評価は高い。

北沢は身長が170センチには至らず、周囲から「ライト級でも低い方!」と言われたり、体格を活かす為にも1998年末まではライト級登録のままリミット超えの契約ウェイトで頑張ったが、鷹山真吾(尚武会)との日本ライト級挑戦者決定戦は、走っても利尿剤を使っても体重はリミットまで落ちず、ウェイトオーバーという屈辱的な失態は残酷な展開で判定負け。

後日、偶然前回対戦のパヤックレックと会うと、「アナタ、私と試合したのに何、この前の酷い試合は! 今後はウェルター級でやりなさい!」とダメ出しされ即答で承知。小野寺力先輩方にも諭されていたが、「後々思えば無理してライト級でなくてもよかった。ムエタイボクサーにもいろいろなタイプが居た。そこから背が低くてもその戦い方があるのだ」と悟った。「スーパーライト級があればいいのにね。」という声にも「ウェルター級では俺が一番強いからスーパーライト級なんて必要ないですよ。」と笑って返していた。

武田幸三から健闘を称え合う笑顔(2000年1月23日)
武田幸三(治政館)戦、アッパーが鼻をかすめる、棒立ちで次に繋げない(2000年1月23日)

◆チャンピオンへ上り詰める

北沢勝はウェルター級に上げ、適正階級となると3連勝し、2000年1月23日、日本ウェルター級タイトルマッチに挑んだ。チャンピオンはタイ・ラジャダムナンスタジアム王座に挑む前の武田幸三(治政館)。「武田を倒せばラジャダムナン王座挑戦権は俺のもの!」という図式は成り立たないが、全てを奪いに行く覚悟で挑むも、武田の蹴りは速くて上手かった。武田を苦しめ善戦はしたが「武田には負けると思っていたけど、よく頑張ったな!」と言われるのもそう思われるのも嫌いだった。

「あそこまでの引き出ししか無かった。もっと頭使って技を出していればと思います。アッパー当たっても棒立ち状態で、次に繋げていない。」と反省の弁は多いが、「やっぱり北沢は凄いよ!」という声は多かった。

2002年1月27日、次のチャンピオンとなっていた米田克盛(トーエル)から王座奪取。チャンピオンにはなったが、国内無敵の武田幸三を倒せなかったことが心残りも再戦は叶わなかった。

北沢は新日本キックボクシング協会が年一回行なっていたラジャダムナンスタジアム興行「Fight to MuayThai」にはチャンピオンとして2回出場。

2002年のラジャダムナンスタジアム初出場の際には「ビデオで見てた計量のシーンとかに自分が居る。感慨深いという言葉では表せないような舞い上がりでした。」という大舞台に立つ感想。

更に「相手のフェートサヤームはゴツゴツした腹筋は無く、三流のタイ人を連れて来たなと思っていたら、ゴングが鳴った瞬間に貰った蹴り、パンチのあまりの重さにイヤな予感がした瞬間にヒジ打ちを貰って流血。日本人観戦ツアーもいる中、もう死ねるもんなら死にたい、でもその前にお前を殺す。と立ち向かったタフネスさで、最後はフェートサヤームが諦めるように倒れ込んでKO勝ちはしたけど、誰が一番強かったかと言われたら、武田幸三でもパヤックレックでもなくフェートサヤームでした!」というラジャダムナンスタジアム初出場の感想だった。

[左写真]米田克盛(トーエル)から王座奪取(2002年1月27日)/[右写真]初のチャンピオンベルトを巻いた北沢勝(2002年1月27日)
庵谷鷹志(伊原)をKOし初防衛(2003年1月26日)

2003年1月26日、北沢は庵谷鷹志(伊原)にKO勝利で初防衛後、ヒジ関節を手術する時期はあったが、リハビリも順調に進み、ブランクを空けるつもりもなく試合出場の準備は整えていたが、出場停止でもないのに試合が組まれない時期が9ヶ月続いた。その間にランキング1位の米田克盛がムエタイ王座挑戦となれば、やりきれない気持ちになるのも当然だった。ブランク明けの外智博(治政館)とのノンタイトル戦は凡戦の引分け、2年目「Fight to MuayThai」は判定負け。翌2004年1月25日には米田克盛に判定負けで王座を奪回されてしまう。

最終試合が2004年5月8日、阿佐見義文(治政館)戦は1ラウンドKO負けで、不甲斐ない試合が続くに至ったと悟り、リングを去る決意をした。

◆ジム経営を任せられる

引退後は小野寺力氏のRIKIXジムや現役時代にお世話になったジムでトレーナーとしてお手伝いを続けていたが、現役時代のスポンサーで応援団長だった「がぜん」という全国規模の居酒屋チェーン店のオーナーからジム経営を任された。「まさか自分がジム経営なんて!」と戸惑う間もなくジム会長として、ジム名は幾つも候補が却下される中、西岡利晃が対戦したレンドール・ムンローの腹筋が6パック割れより凄いと言われていたことや、タイでは9がラッキーナンバーというこじつけが認可され“ナインパック”に決まり、2011年3月1日、足立区関原の東武伊勢崎線西新井駅から近い地域にオープンとなった。

キックボクシングはチャンピオンになっても生活が成り立たない職業。チケット売りながら将来のことも考えながら暮らしていたら勝てるものも勝てない。そんな苦労を経験した北沢は「毎日お酒を飲んでも腹筋は割れるよ!」という誰でも出来るダイエットや健康増進をモットーに、「プロで教わったパンチや蹴りの効果を教えて、会員さんが試合観ても技の解説できるような楽しめる教え方をしたい。」と語る。現在は会員数が150名ほど。入会が増えたと思っても退会も多かったり、関わってみてわかるが、経営は難しい部分が多いという。

ジムへ務める今はバンドのSHELL SHOCKからも復帰の声も掛かるという。新たな展開が見られるかもしれない北沢勝のバンドの活動にも進展があるならば注目したいものである。

ナインパックジム会長北沢勝 M-150(タイで有名、エナジードリンク)を持つ(2021年1月7日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

【緊急速報!!】「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」関連対李信恵(第2)訴訟、大阪地裁で、またしても驚愕の不当判決!

28日13時10分から大阪地裁1007号法廷で、李信恵が鹿砦社に対して損害賠償請求550万円、リンチ関係本4冊(5冊目は訴外)の出版の差し止め、「デジタル鹿砦社通信」の記事の削除等を求めた訴訟の判決言い渡しが行われました。

開廷後すぐに、民事24部・池上尚子裁判長は「主文、被告(鹿砦社)は原告(李信恵)に165万円を支払え」「デジタル鹿砦社通信の該当記事の削除」を主旨とする判決文を読み上げました。

無茶苦茶です。M君が半死の状態の暴行を受けて得た損害賠償が110万円ほど。それに対して虚偽発信を続けた李信恵に対する、私たちの論評に165万円もの支払いが命じられたのです。

この不当判決に私たちは到底納得はできません。閉廷間際松岡は裁判官らに向かい「ナンセンス!リンチに加担するのか!」と怒りを込めて吠えました。当然です。

〈暴力行為(リンチ)〉は軽んじられ、憲法で保障された言論がひどく抑圧される噴飯物です。

判決文の詳細はこれから精査しますが、私たちは即刻控訴の手続きに入り、司法に真っ当な判断を求めるものです。

いずれにしても詳細は近日中にお伝えいたします。

ご支援頂いている皆様に朗報をお伝えできなかったことが残念至極ですが、私たちにまったく敗北感はありません。

私たちが、事件発生後1年余りも隠蔽され闇に葬られようとしていたM君リンチ事件を満天下に明るみに出したという社会的意義は確固たるものとしてあります。

さらに〈真実〉を求め、これまで同様に、いや倍する闘志を持って闘い続けるのみです。

こういう、言葉の真の意味での社会的不正義を許してはなりません。

私たちが暴力・暴言型社会運動、似非反差別運動を弾劾することに変わりはありません。

今後とも圧倒的なご注目とご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

不当判決!
2021年1月28日 
鹿砦社代表 松岡利康 
鹿砦社特別取材班 

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

アインシュタインを研究し続けた死刑囚による「人生の集大成」のような手記

「東京五輪が終わるまでは無いだろう」と言われてきた死刑執行。それは裏返せば、東京五輪が終わるか、正式に中止が決まれば、死刑執行が再び行われる公算が大きいということだ。昨年秋に発足した菅内閣で、16人の死刑を執行した実績を持つ上川陽子氏が法務大臣に再任されていることもその見方を裏づけている。

そんな中、ある死刑囚が人生の集大成のつもりで書いたように思える計6枚の手記が筆者のもとに届いた。今回ここで特別に紹介したい。

◆手記の執筆者は「愛犬の仇討ち」で世間を驚かせた小泉毅死刑囚

手記を綴ったのは、東京拘置所に収容中の小泉毅死刑囚(58)。2008年11月、埼玉と東京で元厚生事務次官の男性宅を相次いで襲撃し、2人を殺害、1人に重傷を負わせ、裁判では2014年に死刑が確定した。警察に自首した際、「子供の頃、保健所で殺処分にされた愛犬の仇討ちをした」と特異な犯行動機を語り、世間を驚かせたことをご記憶の方も多いだろう。

そんな小泉死刑囚が裁判中、筆者は面会や手紙のやりとりを重ねていたのだが、小泉死刑囚は特異な犯行動機と裏腹に国立の佐賀大学理工学部に現役合格した秀才で、獄中では「超ひも理論」など物理学の難しそうな勉強に勤しんでいた。このほど紹介する手記も物理学に関するもので、タイトルは『〈絶対性理論〉完成形はミンコフスキー時空ではない!(絶対性理論が完成するまでの話)』という。

実を言うと、小泉死刑囚は裁判中から「アインシュタインの相対性理論に修正すべき点を見つけた」と語り、その考えをまとめた論文の執筆に没頭していた。筆者は何本か論文を見せてもらったが、なかなか本格的な内容に思え、感心させられたものだった。

裁判が終わり、死刑が確定して以降は小泉死刑囚と面会や手紙のやりとりができなくなっていたのだが、小泉死刑囚は獄中で研究を続けていたらしい。そしてこのほど「絶対性理論」という独自の理論を完成させ、そこに至るまでの過程を手記にまとめたのだ。

小泉死刑囚が綴った手記(P1-P2)
小泉死刑囚が綴った手記(P3-P4)
小泉死刑囚が綴った手記(P5-P6)

◆メディアで「頭がおかしい」ように書かれた小泉死刑囚の知られざる一面

この手記が筆者のもとに届いたのは、小泉死刑囚の死刑が確定して以降も東京拘置所から特別に面会や手紙のやりとりを許可されていた人が転送してくれたからだ。その人によると、小泉死刑囚から届いた手紙にこの手記が同封されており、小泉死刑囚が「何らかの形で世の中の人に見てもらいたい」という希望を有していることを察し、筆者に届けてくれたとのことだ。

小泉死刑囚は、冤罪の疑いはまったく無く、事件のことを何ら反省していない人物だから、「上川法務大臣による次の死刑執行」の対象に選ばれても何の不思議もない。そんな状況を踏まえると、メディアで頭がおかしい殺人犯のように書き立てられた小泉死刑囚にこういう一面があったことを伝えることに意義があるように思えたので、この手記をここで紹介させてもらった次第だ。

なお、筆者は小泉死刑囚と面会や手紙のやりとりをした結果について、拙著『平成監獄面会記』(笠倉出版社)で報告している。関心のある方はご参照頂きたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2021年政治日程を読む〈下〉自民党総裁をめぐる政局 横山茂彦

学術会議任免の支離滅裂な対応、観光利権によるGo To キャンペーンの判断ミス、いっこうに収まらない新型コロナ感染。感染増加による東京オリンピック開催の危機、さらには桜を見る会の虚偽答弁という具合に、菅政権をめぐる材料は悪いものばかりだ。自業自得とはいえ、ご同情申し上げたい。

「総理は疲れており、いつ政権を投げ出しても不思議ではない状態だ」(官邸担当記者)という。

事実、国会答弁(代表質問)では何度も咳き込み、原稿を読むのも噛みがち。もはやポンコツというよりも、リタイヤ寸前のありさまなのだ。4月の衆参補選、7月の都議会選挙に自公が大敗を喫するようなら、即座に「菅おろし」の合従連衡が始まるのは必至であろう。


◎[参考動画]自民・下村氏が釈明 二階氏の“苦言”が影響か(ANN 2021年1月14日)

◆総選挙まで持つか、難破寸前の菅政権

衆院選挙は10月21日任期満了なので、10月中旬には投票となる。その前(9月30日)に自民党総裁の任期満了、すなわち総選挙前に「選挙の顔」を選ぶことになる。おそらく菅義偉総理はこの時点でボロボロになっているか、早々に退場させられていることだろう。

政権担当時から描いていた「五輪を成功させた熱狂のまま、衆院選になだれ込む」という政治シナリオは、オリンピックの可否にかかわらず頓挫しているのだ。もはやポスト菅を議論するべきであろう。

まず「誰がやってもうまくいかない。いまは貧乏くじを引くようなもの」(自民党幹部)であれば、安倍晋三や麻生太郎が忌み嫌ってきた、石破茂の登板が考えられる。すでに石破は水月会の会長を「けじめをつける」ことで退任しているが、いわば「政治責任をとった」かたちの上である。本人は意欲満々なので、菅がコケれば麻生がワンポイントで、石破の急遽の登板も考えられる。

岸田文雄はあいかわらず存在感がなく、課題の発信力も次期総裁には覚束ない。その間隙をぬって、総裁候補ナンバーワンに躍り出たのが、河野太郎行政改革・国家公務員制度担当大臣である。

今回、ワクチン担当を任されたことで、この人事を「菅の河野封じ」などと見る向きもあるが、平時の順送りの禅譲や派閥力学ならばともかく、火中の栗を拾う離れ技がもとめられているのだ。河野の発信力、剛腕な一面を頼ったとみるのが正しい。そこまで菅政権が難破寸前だということなのだ。


◎[参考動画]河野大臣をワクチン担当閣僚に起用へ 菅総理が表明(ANN 2021年1月18日)

そしてもうひとつ興味深いのは、二階俊博幹事長の「長老裁定」で、野田聖子が史上初の女性総理になる可能性がある、という。自民党にしてはウルトラサプライズである。

政局については、以下の記事も参照されたい。

◎[関連記事]「器ではなかった菅義偉総理、退陣までのシナリオ コロナ・東京五輪・総選挙」(2021年1月14日)

◆デジタル化がもたらす棄民

もうひとつ、政局とは別個に注目しておきたいのが、9月に発足する「デジタル庁」である。韓国や中国のデジタル水準、あるいはIT先進国といわれるインドなど、アジアの中で日本のデジタル化は大きく遅れをとっている。

デジタル技術に習熟した若い層と、それに置いて行かれた中高年の落差が、とりわけ大きいとされる。いわゆるIT難民、スマホ難民である。

これはしかし、仕方がないのではないだろうか。スマホ(アイホーン)の普及率は70%弱であり、PCも世帯単位で70%前後で停滞している。ようするに、30%の国民はIT文化に置いて行かれているのだ。

テレビのリモコンですらまともに使えない(たとえば2台のテレビの2個のリモコンがわからなくなる)機械音痴というか、デジタル音痴は、いくら説明しても「面倒くさい」「パソコンを見ると、頭が痛くなる」「携帯電話も充電するのが面倒」という人たちなのだ。FAXと置き電話で仕事は十分という職場すら残っているのだ。

こうした素地の上に、高齢化が電話詐欺を蔓延させているのに対して、政府・自治体も警察も効果的な手が打てないままなのである。

この上さらに、健康保険や介護などセーフティネットをデジタル化することで、ホームレスはもとより高齢者およびIT難民が社会的に排除されるのであれば、それは棄民政策となるであろう。

政府が数十年来の念願としてきた「国民総背番号制」がデジタル化とリンクし、皆保険制度の崩壊やIT難民の社会排除という未来像をもたらすのであれば、消極的なボイコット(ナンバーとか忘れた!)で応じるしかないのではないか。

マイナンバー強制については、以下の記事も参照されたい。

◎[関連記事]「菅義偉政権が推し進めるマイナンバー制度強行普及の不気味 国民ナンバリングこそが独裁権力の本質である」(2020年12月9日)


◎[参考動画]ワクチン接種「情報管理に“マイナンバー”活用を」(ANN 2021年1月19日)

◆真価が問われる温暖化防止の具体性

11月には、気候変動条約国会議(COP26)がイギリスで開催される。

すでに菅政権は、2050年までに温暖化ガスの排出を実質ゼロ(カーボンニュートラル)にする方針を表明している。

これまでの「50年までに80%削減」の方針から大転換となるが、その具体策は何ら明示されていない。日本で政策会見するのは、ある意味で言いっ放しのスローガンで済む。メディアが何も中身を追及しないからだ。

ところが、海外のメディアはその具体性を訊いてくる。小泉進次郎環境相が「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきです」などと、ポエムにもならない発言で物議を醸したのは、国連の気候行動サミットにて環境大臣として参加した際のことである(19年9月22日)。

そして今後も石炭を燃やし続けるのか、という海外記者の質問には何も答えられなかった。この年、日本が「化石賞」を受けたのは、COP25における消極的、かつ具体性のない発言ゆえである。

ともあれ、あと30年で「温暖化ガスの排出を実質ゼロ」にすると明言したのである。それだけで日本のマスコミは評価し、国民も何となく実現できるような気になっているが、そうではない。

国民全員が300万円以上の電気自動車、水素自動車を持てるとでもいうのだろうか。運輸業のすべてがあと30年でガソリン・ディーゼル車から電気貨物トラック、電気ダンプカーに本当に転換できるのだろうか。

「実質ゼロ」ということは、CO2買い取り(数字合わせ)や森林資源の増加を見込んでのことだと考えられるが、人工林の増加で支えられている森林面積も、都市近郊部では相当の減少が想定されている。森林面積それ自体は微減だが、天然林は過去40年で13%減なのである。

建設業界が新たな宅地を確保するいっぽうで、空き家でスラム化した旧市街地をどうするのかも対策が立てられていない。街自体が産廃化し、温暖化を促進している現状があるのだ。

ちなみに、EUでは使い捨てプラスチック製品が12月に禁止される。欧州投資銀行は、同じく12月中に化石燃料をともなう事業への融資を禁じる。

以上、菅政権消滅の政局、デジタル化による棄民の危機、カーボンニュートラルの具体性のなさを指摘し、今年は大変な年になりそうだと結論しておこう。国民は自存自衛で生き延びるしかない。


◎[参考動画]温室効果ガス「2050年までに実質ゼロ」【news23】(TBS 2020年10月27日)

◎2021年政治日程を読む
〈上〉オリンピック中止の判断を誰が行うか?
〈下〉自民党総裁をめぐる政局

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

2021年政治日程を読む〈上〉オリンピック中止の判断を誰が行うか? 横山茂彦

新型コロナの大量感染増で、正月気分もそこそこに終焉した日本。いつのまにか1月も終わりにさしかかろうとしている。今年はどんなことが起きそうなのか、政治日程を中心に予測記事を書いてみよう。

わが「宗主国」アメリカでは、トランプ信者およびQアノン、極右団体の連邦議事堂乱入で、バイデンの大統領就任も危ぶまれたが、何とか収拾した。戦後日本が民主主義のお手本としてきた国のクーデター未遂には、惰眠をかこつ大和民族たるもの、度肝を抜かれたというのが正直なところであろう。

有史以来、日本人が流血の政略・権力闘争で政治を切り拓いてきた歴史を思い起こすべし、ではないだろうか。60年安保における国会乱入、樺美智子同志が偲ばれる。流血騒ぎとはいかないまでも、秋までに行なわれる総選挙においては、ぜひとも政権交代に近い党票行動を国民に期待したい。


◎[参考動画]ジョー・バイデン氏が第46代大統領に正式に就任(TBS 2021年1月21日)

◆オリンピックは実質前倒し中止も、声明は出ない?

まず新型コロナワクチンだが、3月に医療従事者および高齢者への接種が始まる見通しだという。実行力・発信力のある河野太郎が担当大臣になったことで、迅速な準備と実行が期待される。政策としての医療拡充計画もなく、入院できない患者が「入院措置を拒否したら懲役刑」などという緊急措置法が上程されようとしている中、河野大臣の仕事を注視したい。

そして注目すべきは、アメリカのメディアが「日本政府が中止の可能性に言及」と報じた、東京オリンピックの帰趨である。いつ、だれが、何を根拠に「中止もやむなし」と宣言するのか。とりあえず、3月25日が五輪聖火リレー開始(スタートは福島)である。

いまのところ、日本側(JOC・東京都)から言い出せば、延期や中止にかかる費用は日本の責任になることから、日本政府・東京都および関係諸機関は、けっして言い出せない。IOCも側もまた、費用を負担しないためには言い出せない。したがって、だれも責任をもった発言をしないまま、ズルズルと7月を迎えることがあるのかもしれない。

そこで現出する光景は、世界各国が選手の派遣を取りやめる中、日本選手団および先行して日本で長期合宿を行なってきた一部の国々の選手だけが、無観客のなかでテレビ放映のみのオリンピックとして開催される。そのなかで「人類の叡智が新型コロナ禍に打ち勝った大会」が宣言されるのだろうか。

そのときこそ、たとえ少数とはいえ、東京オリンピックに反対していた国民がいたことを当局者(政府・東京都・五輪大会委員会)は思い起こすべきであろう。


◎[参考動画]東京オリンピック開幕まで半年、IOC会長 開催実現を強調(ANN 2021年1月23日)

◆2月に第4波変異種感染も

直近の課題にもどろう。2月は中国の春節である。億単位の人々がうごき、日本においても成田と中国をむすぶ航空便が再開された(日本に居住権をもつ人に限定)。14日間の自宅・宿泊施設待機が義務付けられるとはいえ、変異種のウイルスが入ってくる可能性は高い。ちょうど、日本の主要都市が緊急事態宣言から明ける時期であるだけに、コロナ防疫は正念場をむかえる。

変異種ウイルスの本格的な大規模感染が始まった場合、第4波は想像を絶するものになるかもしれない。


◎[参考動画]第3、4波は必然……日本へのルート解明の感染研が警戒(ANN 2020年4月28日)

◆3~4月が正念場の菅政権

3月には千葉知事選挙、4月には秋田知事選挙、衆院北海道2区補選、参院長野選挙区補選と、大型の選挙が総選挙の前哨戦となる。すでに支持率30%台となった菅政権がここで大敗するようだと、秋までにおこなわれる総選挙(10月21日までに選挙)あるいは自民党総裁選挙(9月30日任期満了)を待たずに、菅おろしが始まるのは必至である。

学術会議任免問題での冷酷そうな強権、しかも法律違反が明らかな失態。そして早すぎたGoTo キャンペーンの開始と遅すぎた中止、における判断力・決断力のなさ。そしてスピーチの原稿誤読、および要領をえないポンコツ答弁。もはや「その器ではなかった」と、自民党内からも公然と指摘される菅総理にとって、一敗地にまみれる前の辞職(政権投げ出し)があるのかもしれない。22日に始まった国会代表答弁では原稿読みをトチルばかりか、なんども咳き込むシーンが見られた。体力的にも能力的にも限界に達しているとみるべきであろう。


◎[参考動画]コロナ収束へ万全期す 東京五輪 予定通りに開始(FNN 2021年1月19日)

◆社会保障の拡充なるか

4月は例年、国民生活に密接な関係がある介護報酬の改定が行なわれる。弱者切り捨てになるのか、国民に寄り添う政策がかたちになるのか注目される。いっぽうで高齢者雇用安定法、改正パートタイム・有期雇用労働法が施行される。大きな政府でいいではないか。企業や一部の有産階級(上級国民)だけでなく、国民が大切にされる国でなければならない。


◎[参考動画]高年齢者雇用安定法 改正の概要① ~70歳までの就業機会の確保のために事業主が講ずるべき措置等について~(大阪労働局 2020年12月24日)

◆訪米日程の遅延で、テレビ会談か?

菅総理の進退をはかる指標として、2月に「予定」されている訪米がある。バイデン大統領の正式就任とともに、アメリカ訪問(日米首脳会談)が日程にのぼる。宗主国への「参勤」である。

昨年暮れ放送のBSテレ東の番組で、菅総理はバイデン次期米大統領と初会談するための訪米について「できれば(来年)2月中と考えている」と述べ、早期実現に意欲を示していた。「新型コロナウイルスの問題がどう落ち着くかだ」とも語り、米国内の感染状況などを見極めつつ、調整を進める考えを明らかにしていた。

ところがここにきて、総理の訪米にトーンダウンが見られるのだ。いや、もう意欲が感じられないと、官邸に近い報道関係者は漏らしている。官邸は「あっち(アメリカ)が慎重なんだ」と総理の言葉をリークしているが、外交筋はこれも疑問視しているという。

「菅義偉首相の初訪米の時期が見通せなくなってきた。首相は20日のバイデン米次期政権発足後、早期の訪米に意欲を示してきたが、新型コロナの変異ウイルス拡大が直撃。内閣支持率の低迷も影を落とす。テレビ会議形式となる可能性を指摘する声も出てきた。」(朝日新聞、1月19日)。

テレビ会談が悪いわけではないが、宗主国の大統領が就任したのである。とりあえず電話で、というのでもあるまい。

しかも自分自身が「新総理」として、米国民にその存在を刻印するのが、総理訪米ではなかったのか。このポンコツな姿勢にも、きわめて弱気になった姿が顕われているといわねばなるまい。菅総理の動向を注視すべし。(つづく)


◎[参考動画]バイデン政権でも“日米関係重要” “白紙”の次期駐日大使(FNN 2021年1月5日)

◎2021年政治日程を読む
〈上〉オリンピック中止の判断を誰が行うか?
〈下〉自民党総裁をめぐる政局

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)
月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他