桶川ストーカー殺人事件・小松和人自死から21年、兄・武史が明かす「弟への憎悪」

1999年10月に起きた桶川ストーカー殺人事件で、被害者の女子大生・猪野詩織さん(当時21)に対してストーカー化していた男・小松和人(当時27)が逃亡先の北海道・屈斜路湖で自死したのが見つかって明後日27日で21年になる。

私は2012年頃からこの事件の犯人たちに取材を重ね、和人の兄で「事件の首謀者」とされる無期懲役囚の小松武史(54)が冤罪であることを確信するに至った。そうなった原因の1つが、弟・和人に対する武史の思いを知ったことだった。

武史から私に届いた膨大な手紙のうち、核心的なことを綴ったものを紹介したうえで説明したい。

小松武史から筆者に届いた手紙の一部

◆実行犯が裁判で証言していた「首謀者の冤罪」

小松兄弟は事件当時、東京・池袋などで複数の風俗店を営んでいた。店では、和人がマネージャー、武史がオーナーと呼ばれていたという。事件前、詩織さん宅周辺などにワイセツなビラを大量にばらまくなどした嫌がらせは、兄弟が営む風俗店の従業員たちが行なったものであり、詩織さん刺殺の実行犯・久保田祥史(55)も兄弟が営む風俗店の店長だった。

そして裁判では、武史が事件の首謀者と認定されたが、その根拠は久保田が逮捕当初、「被害者の殺害は、武史に依頼された」と証言していたことだった。武史は「そんな依頼はしていない」と一貫して冤罪を訴えたが、久保田の逮捕当初の証言が信用されたのだ。

しかし実際には、久保田は武史の裁判に証人出廷した際、「逮捕当初の供述は嘘です」と“告白”したうえで、こう訴えていた――。

「本当は和人の無念を晴らすため、被害者の顔に傷をつけてやろうと思ってやったことでした。逮捕された当初、被害者の殺害は武史に依頼されたことだと証言したのは、武史に“とかげのしっぽ切り”のような扱いをうけ、恨んでいたからです」(要旨)

つまり、武史に対する有罪認定の根拠となった実行犯の証言について、実行犯本人が否定していたわけである。となると、冤罪を疑ってみないわけにはいかない。そもそも、詩織さんにふられ、ストーカー化していた和人ならともかく、武史には詩織さんを殺害する確たる動機は見当たらないのだからなおさらだ。

そして私は2012年頃以降、千葉刑務所で服役する武史と手紙のやりとりを重ね、ある重要な事実を知った。裁判の認定では、武史は、詩織さんにふられた弟・和人の無念を晴らすため、久保田に詩織さんの殺害を依頼したかのように認定されていた。しかし実際には、武史は事件前から弟・和人のことを激しく嫌っていたのである。

◆「ある意味、恐ろしい弟でした…」

武史は風俗店のオーナーになる前、東京消防庁に勤める消防士という本業がありながら、副業で中古車の販売を手がけていた。武史によると、その当時、和人から副業に関して嫌がらせを受けていたという。

〈私は、結婚後、友人の車屋でアルバイトをしており(内緒で)、その当時、和人から、職場の本庁の人事課に2回、チンコロされ、私は大変でした…それと、事あるごとに、私の家に嫌がらせ電話をしてきては、妻が切れて、番号も、2回ほど替えた事がある…ある意味、恐ろしい弟でした…〉(2012年7月24日付け手紙より)
※〈〉内は引用。原文ママ。以下同じ。

なぜ、和人が武史にこんな嫌がらせをしたのかはわからない。しかし、ともかく武史が和人を恐れていことは、よく伝わってくる文章ではあるだろう。

さらに武史によると、風俗店のオーナーになったのも、先に1人で風俗店を経営していた和人から脅され、無理やり引き受けさせられたからだという。

〈弟は、マンションの風俗を始める時も、会社の事務所としてマンションの部屋を貸りると、私の親をだまし、貸りさせて(名義だけ)、それだけでは足りず、私にも頼んで来ましたが、断ってましたが、ことある事に、母親から、私にも言ってこさせてきていて、しょうがなく、名義を貸してやると…そこが、池袋の風俗の、お店になってました…そうなると、私には、どうにもならなくなってきました…私が解約や、反対など、となえた時は…「その時は、どうなるか、分ってるだろうなと、公務員が風俗やってた事が、スポーツ新聞にでも出てみろ、首だぞ、そしたら、家のローンは払えない。一家チリジリだと」よくおどしてくるようになり、どうしょうもなく、私は、その時より、店のお金の回収やとわれオーナーとされました…〉(前同)

千葉刑務所。小松武史は現在もここで服役している

◆和人にだまされ、妻まで巻き込まれた

武史によると、和人は詩織さんに嫌がらせをするためだけに広告代理店をつくり、詩織さん宅周辺にばらまいたワイセツなビラもその広告代理店で作成していたという。その広告代理店についても、武史は手紙にこう書いてきた。

〈私を、だまし、当時の私の妻を、その店の役員として登記までされました!和人は、悪ヂエがよく回り、何かあっても、私に、おっつける予定だったようです〉(2012年7月5日付け手紙より)

実際には、和人は事件後に自死しており、武史は和人から罪を押しつけられたわけではない。しかし、武史が手紙で綴る主張を見る限り、和人のことを嫌っていたのは間違いない。武史は、詩織さんにふられた和人の無念を晴らすため、刑罰を科されるリスクを冒してまで詩織さんの殺害を企てるほどに「弟思いの兄」ではなかったのは確かだろう。

誰もが知っている有名な事件でも、実際のことはほとんど誰も知らない、ということは珍しくない。桶川ストーカー殺人事件は、まぎれもなくそういう事件の1つである。

なお、私は昨年10月、実行犯・久保田祥史が事件の裏側を詳細に綴った手記を書籍化した編著『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)を上梓している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

太平洋の荒波を行くがごとく、厳しい船出のJKA「CHALLENGER 1」

コロナ禍の緊急事態宣言再発令の中、ジャパンキックボクシング協会(JKA)3年目の新春興行は、元・ラジャダムナンスタジアム・ウェルター級チャンピオンの武田幸三氏がプロモーターとして開催する興行「CHALLENGER 1」

名付けたのも武田幸三氏。この時代の荒波を乗り越えるチャレンジがテーマ。将来的にはこの団体と、更に業界を支える一人となっていくであろう武田幸三氏です。

WMOインターナショナル王座は昨年11月22日、フェザー級王座決定戦で、瀧澤博人(ビクトリー)がジョムラウィー・レフィナスジムに僅差の判定勝利で王座獲得。今回はスーパーバンタム級で王座決定戦となり、馬渡亮太が倒せぬ消化不良も判定勝利で王座獲得。

この日、芸人レイザーラモンHGがいつものコスチュームで、セレモニーでの司会を務められた。オープニング宣言では素顔とスーツ姿でリングに立ったが、全く気付かない観衆。パフォーマンスでは武田幸三氏との絡みで、さすがにプロのトークをしっかり見せてくれました。

レイザーラモンHG御登場、武田幸三と“フォー”

◎CHALLENGER 1 / 1月10日(日)後楽園ホール 18:00~20:40
主催:治政館ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)、WMO

◆第7試合 WMOインターナショナル・スーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

馬渡亮太(前・JKAバンタム級C/治政館/55.2kg)
    vs
クン・ナムイサン・ショウブカイ(元・MAXムエタイ55kg級C/タイ/55.34kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定3-0
主審:チャンデー・ソー・パランタレー
副審:椎名49-48. アラビアン長谷川49-48. シンカーオ49-47
立会人:ナタポン・ナクシン(タイ)

馬渡亮太のタイミングいい左ハイキックでクン・ナムイサンの前進を止める

馬渡は様子見でハイキック、ヒザ蹴り、前蹴り等の鋭いけん制が引き立つ。クン・ナムイサンもテクニシャンで負けず劣らず応戦するが、馬渡のヒザ蹴りが徐々に効いてくると、第3ラウンド終了時には呼吸が荒い様子。

強気な様子は伺えるが次第にスタミナ切れ、最終ラウンドには馬渡の前蹴りをボディーに貰うと嫌な顔をして、間を取る横を向く素振り。それはレフェリーが認めていないが馬渡も遠慮気味に攻めない。

そんな前蹴りヒットによるダメージ誤魔化しが二度あったが、その後は距離をとったまま流して終わるようなムエタイの慣習をやってしまうと、観衆人数制限ある少ない観客からでも野次が飛ぶ。馬渡優勢の展開ではあったが、不完全燃焼の念が残る結末となってしまった。

馬渡は試合後、「もっと強くなって、次は倒せる選手になって帰ってきます」と語った。

馬渡亮太の左ハイキックが巻き付くようにクン・ナムイサンの首を捕える
新たなチャンピオンベルトを巻いた馬渡亮太、更なる上位を目指す
モトヤスックの右ミドルキックで野津良太を突き放す

◆第6試合 ウェルター級3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.モトヤスック(治政館/66.6kg)
    vs
NJKFウェルター級2位.野津良太(E.S.G/66.3kg)
勝者:モトヤスック / TKO 2R 2:36 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

上背で上回るモトヤスックに野津良太は距離を縮めてパンチ、ヒジ打ち、蹴りで積極的に攻める。モトヤスックのスピードある蹴りが野津の脇腹にヒットすると赤く腫れだす。首相撲になればモトヤスックが圧し掛かるような技が優る。

第2ラウンドには右ストレートをヒットさせると一気にコーナーに詰めて連打するとほぼロープダウンの形でカウントを取られ、足下定まらない野津をレフェリーが止めた。

モトヤスックは全試合終了後にはこの日のMVPとなるの武田幸三賞が贈られた。

モトヤスックの右ストレートから連打に繋いで仕留める
この日のMVPはモトヤスック、武田幸三賞が贈呈された

◆第5試合 バンタム級3回戦

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/53.2kg)
    vs
ジョムラウィー・ブレイブムエタイジム(タイ/53.0kg)
引分け 0-0
主審:椎名利一 / 副審:松田29-29. 仲29-29. 少白竜29-29

やや距離ある中でのローキック、前蹴り、パンチの攻防。石川にとって得意の首相撲には持ち込めない展開。互いの攻めは強烈なヒットは無いまま進むが、ジョムラウィーの蹴りの駆け引きがやや優る攻勢。石川はやや不利に進むも最終ラウンドには石川がパンチで攻めた積極性がやや有利に動いたか引分けに終わった。

(ジョムラウィーはレフィナスジムからブレイブムエタイジムに変更されています。)

ジョムラウィーを掴まえきれなかった石川直樹、パンチで攻勢をかけた

◆第4試合 70.0kg契約3回戦

JKAミドル級1位.光成(ROCK ON/69.5kg)vs JKAウェルター級1位.政斗(治政館/69.5kg)
勝者:政斗 / 判定0-3
主審:桜井一秀
副審:椎名28-30. 仲28-30. 少白竜 29-30

光成は手数は少なめ。圧力をかけ前進するのは政斗。強いヒットは無いまま進むが、最終ラウンド終盤、組み合ったところで政斗のヒジ打ちがヒットし光成の額が切れ、攻勢を保った政斗が判定勝利。

光成vs 政斗。政斗のヒジ打ちが光成にヒット

◆第3試合 バンタム級3回戦

義由亜JSK(治政館/53.0kg)vs 景悟(LEGEND/52.9kg)
勝者:景悟 / 判定0-3
主審:松田利彦
副審:椎名27-29. 桜井28-30. 少白竜28-29

景悟は新鋭ながら昨年10月に元・日本フライ級チャンピオン.泰史(伊原)と引分ける実力を見せている。両者の攻防は幼い頃から始めたアマチュア(ジュニアキック)の技が冴え、最終ラウンドに景悟が右のパンチでノックダウンを奪い、残り時間少ないところで再度のパンチで義由亜JSKの腰が落ちかけるもそのまま終了に至り景悟の判定勝利。

義由亜JSK vs 景悟。景悟の高く上がる脚、ハイキックで義由亜を攻める

◆第2試合 フライ級3回戦

空明(治政館/50.5kg)vs 吏亜夢(ZERO/50.4kg)
勝者:吏亜夢=リアム / KO 2R 2:50 / テンカウント
主審:仲俊光

◆第1試合 55.0kg契約3回戦

樹(治政館/54.0kg)vs 猪野晃生(ZEEK/54.5kg)
勝者:樹 / TKO 1R 2:00 / カウント中のレフェリーストップ
主審:椎名利一

※55.0kg契約3回戦  西原茉生(チームチトク)vs 中島大翔(GET OVER)は西原茉生の練習中の右手骨折の負傷により中止

《取材戦記》

大会場でテレビ生中継されるビッグイベントと違い、こじんまりした昔ながらの後楽園ホール興行。これはこれで昭和の雰囲気があっていいものです。新春興行としては寂しい内容でしたが、コロナ禍では仕方無いところでもあります。

手に痛々しい包帯が巻かれた負傷欠場した選手に対し、「俺は試合三日前にスパーリングで右拳骨折したけど試合に出たぞ!」と言った某レフェリー。昭和の時代は会長が「そんなもんで休むんじゃねえ!俺らの頃は……!」とまた更に前の時代を引き出して厳しいこと言われたらしい。「今時の若いモンは!」とはこの業界でも言い伝えられていくようです。

義由亜JSK(治政館)にノックダウンを奪って判定勝利した景悟(LEGEND)は17歳で、5戦4勝(1KO)1分となった。両者は将来タイトルマッチに絡んでくる期待される存在と言われている。楽しそうに戦っている雰囲気があった景悟は今後どんな成長を見せるか。「今時の若いモンは!」と言われない成長を魅せて貰いたい。

アルコールと次亜塩素酸水によるリング上の消毒が1試合ごとに行われました。これはコロナウィルス対策だけでなく、毎度の興行、試合ごとにやればいいのではと思います。

昔、1990年代前半頃、リングスかUWFだったか、1試合ごとに若手レスラー2名がリング上を拭いていたのを見たことありますが、以前からリング上は土足で上がる関係者がほとんどで、出血した選手の血が落ちている場合もあります。ノックダウンした選手はマットに倒れ込み、マウスピースは落とすと、プロボクシングでは一旦洗われてから口に戻されますが、キックでは以前どおり、その場でレフェリーが拾って口に戻す場合が多く、衛生的には良くないものでした。このコロナ禍を期に毎回行えばいいなと思うところであります。

次回、ジャパンキックボクシング協会興行は3月28日(日)に新宿フェースで開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

最終講評「麒麟がくる」〈上〉光秀は帝に会える立場だったか? 朝廷陰謀説を採ったNHK ── 本当にいいのか? 横山茂彦

1月17日放送の「月にのぼる者~光秀ついに帝に拝謁」で、イッキに朝廷陰謀説が濃厚になった。これは解説に務めなければならないであろう。

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 前編(1)』

本能寺の変の動機の、現在主流となっている説は「四国政策変更説」である。すなわち、長曾我部氏の所領を安堵(四国は切り取り自由)していた信長がこれを撤回し、息子の信孝を総大将に約束違反の四国派遣軍を組織したことによる。

しかるに、光秀は家臣の斎藤利三が長曾我部家の家臣の縁戚であることから、織田家の四国政策の窓口となっていたのだ。

したがって、信長の四国政策の変更は、光秀のメンツを潰すものとなる。

この信長の政策変更の背景には、阿波の三好氏ら長曾我部と対立していた者たちが信長陣営に接近する動きがあった。すなわち、長曾我部氏に四国を全面的に任せるのではなく、両者を調停しつつ同時に織田家への臣従をもとめたのである。信長にとっては、両者の所領を安堵する苦肉の策でもあった。

これが、長曾我部氏(当主は元親)をして、約定違反だと憤慨させる。すでに四国の大半は、長曾我部の手中にあったからだ。光秀は調停に務めるが、長曾我部氏の態度は頑なで、調停は好転しなかった。

そこで、上記の四国派遣軍が準備されたのだ。本能寺の変のとき、この四国派遣軍は摂津の港で船出の準備をしていた。総大将信孝のほかに丹羽長秀、織田一門衆の津田信澄ら、一説には1万5000以上の大軍、鉄甲船9隻をふくむ軍船300隻が準備されていたという。

いっぽう、光秀は四国担当をはずされ、信長の命で中国攻めに苦労している羽柴秀吉の援軍を命じられる。そして信長自身は、京都本能寺に公家衆・堺の茶人たちを招いて茶会。供の者はわずか数十人(明覚寺に嫡男の信忠が500の兵)という、ほぼ無防備状態が生まれる。

これを知った光秀は1万3000の兵で、数日前から熟慮をかさねていた計画を実行する。すなわち本能寺の変の勃発である。

◆光秀は帝に会える立場だったか?

ドラマは終盤にさしかかって、仕掛けが明らかになってきた。

松永久秀が光秀の美濃時代から登場し、志貴山で自決したときに破却したとされる古天明平蜘蛛茶釜(こてんみょうひらぐも)を光秀に託す。この茶釜を手にする者は、天下をになう覚悟がいる、との意味付けが物語を進行させる。

だが、久秀の謀反は今回の大河ドラマで描かれているほど、覚悟のあるものではない。上杉謙信の上洛を見越した謀反が失敗、いや見込みちがいに終ったにすぎない。

そして信長は意外なことに、平蜘蛛をカネに替えるなどと言い出す。本能寺の変の前夜まで、茶道具に執着していた信長の言葉としては無理がある。じつは本能寺の変の前夜に茶会が開かれ、当日も信長は茶会を予定していた。博多商人の島井宗室を招き、宗室の楢柴肩衝(茶入れ)を召し上げるつもりだったのだ。

それはともかく、光秀が正親町天皇に拝謁をたまわる。光秀の官位は従五位下であるから昇殿できず、地下人として庭からの拝謁となった。

帝いわく、「月にのぼろうとする武士たちは、還って来ぬ」と。玉三郎の正親町天皇は、じつにはまり役だ。彼にしかできない役であろう。

拝謁の内容は「天下を夢みた者は死ぬ」との帝の思し召しである。

そして、光秀にこう命じる。

「信長が月にのぼろうとするかどうか、しかと見届けよ」

つまり「信長が天下に破天荒なことをするようなら、その死を見届けよ」

やんわりとした、しかし追討の勅命である。

右大臣とはいえ信長の陪臣にすぎない光秀を、単なる挨拶やご機嫌伺いで三条西実澄が帝に会わせるわけはない。これは信長追討の密勅いがいの何ものでもないのだ。そこを慮らずに、脚本を書いてしまったというのであれば、とんだ不敬である(笑)。時代考証の誤りである。

史実を参考にすれば、すぐにわかることだ。上杉謙信は長尾景虎を名乗っていたときに、二度にわたって上洛し正親町天皇に拝謁している。

謙信も光秀と同じ従五位下だが、関白近衛前久とその従兄でもある十三代将軍足利義輝の推挙によって、幕閣待遇で昇殿しているのだ。

しかも近江にながらく滞在し、三条西家ほかの公卿に多額の土産を積み上げて、帝への忠勤と経済的支援を申し出てのものだ。じっさいに、謙信は関東管領職という東国武家を統括する地位を占めていた。

以上のことから、いずれにしても今回の大河ドラマが無理な設定で朝廷黒幕説となったのは明白だ。畏れ多くも(苦笑)、NHKは禁裏に踏み込んでしまった。

◆やはり無理があった企画

そもそも、この大河ドラマの企画にしてから無理はなかったか。

長谷川博己が演じる、正義と善意のかたまりのような光秀が、史実のように惨めな死(裏切者としての命運)を辿るのであれば、そもそも光秀を主人公に「麒麟(平和のシンボル)」をどう描くつもりだったのか? 

たとえば、松永久秀(吉田鋼太郎は、はまり役だ)とともに悪逆を尽くして(史実=イエズス会の光秀評価)最後は殺される、敗者の魅力にでも賭けたほうが良かったのではないだろうか。

光秀の人となりを伝えるものは少ないが、わずかにあるものも、彼への評価は辛らつである。

「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」(ルイス・フロイス「日本史」)。

頭が良くて信長には気に入られているが、ほとんど全ての者から嫌われているというのだ。これで「麒麟(平和)」を呼ぶ者というのは無理があった。

「彼(光秀)は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」(前掲書)。

すでに夏の段階で、おおまかな作品の史料評価(時代考証)は行なってきたので、ご興味がある方は参照してください。

◎「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!(2020年8月28日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中(2020年9月6日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)

この中でわたしは、

「長谷川博己はキャリアも演技力も十分な俳優だが、演技巧者であるがゆえにこそ、主役級の華はないと言わざるをえない。彼は名わき役なのである。前半の斎藤道三役の本木雅弘の熱技に、まるっきり呑まれてしまった」

「まるでウラのない善人で、正義漢なのである」

「これでは本能寺の変が、たとえば信長をよほどの悪逆な主君にしないかぎり、うまく描けないのではないだろうか。染谷将太の信長は神がかり的ではないだけに、いまのままでは単なる無能な殿というイメージになってしまう。無能な信長像というのは、NHK大河のみならず初めてではないか」

「そもそも『麒麟(平和のシンボル?)がくる』ためには、悪逆の王(信長)を滅ぼさなければならない。という設定自体、当の光秀が秀吉に滅ぼされてしまうのだから、どだい無理があるというものだ。明智光秀は天海僧正だった説でも採らないかぎり、『戦乱のない世を』というテーマがけっして果たされないのは自明である」と、指摘してきた。

しかし、単に長谷川博己の起用に問題があったのではない。NHK大河は若い主役俳優を起用し、作品をつうじて演技の幅が豊かになる。その成長の過程こそ魅力であった。

近いところでは、2014年の「軍師官兵衛」の岡田准一の好演が挙げられる。晩年の如水時代まで、年輪をかさねるように役を演じきり、岡田は歴史プロパーとしても画面に定着した(NHKのザ・プロファイラー)。

いまのところ、というかもう終わりだが、明智光秀のなかに何ら変化が起きないのである。これでは成長しようにも、ファクターがなさすぎる。

歴代の光秀役では「利家とまつ」の萩原健一の激しい演技が、狂気じみた魅力で記憶されている。やはり、この路線が正しかったように思われる。

◆NHKがめざしたもの

NHKの狙いとして、日刊ゲンダイは以下の「放送作家」の批評を紹介している。

「戦のない世の中を夢見る光秀は、そのためには『誰にも手出しできぬ大きな国をつくることじゃ』と言い放つ道三に心酔し、父母に疎んじられた信長は岳父の道三を頼り、道三の娘の帰蝶はファザコン。つまり、道三をキーパーソンに、光秀が長男、信長が次男、帰蝶がおてんばな妹というような関係なんです。道三の『大きな国』を平らかで豊かな国と考える光秀は、いったんは信長に夢を託しますが、『大きな国』とは自分が天下を意のままにすることだと考える信長と行き違いが大きくなっていくというのが、ここ数話の展開ですよね。そして、もはや戦乱は広がるばかりで、王が仁ある政治を行う時に現れるという麒麟は来ないと悩み、信長を増長させた“長男”の責任として、泣いて馬謖ならぬ、“弟”を斬るという本能寺の変が描かれるのでしょう」(放送作家)。

そして、こうも解説する。

「信長も、“兄”である光秀の思いは痛いほどわかるから、『是非に及ばず』(仕方がない。光秀を恨まない)と言い残して自害したという解釈になるのだろうか。もはやシェークスピア悲劇の世界で、信長役の染谷将太は『(台本を読んで)鳥肌が立ちました』と語っている。(2021年01月10日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL)。

なるほど、ドラマの序盤で本木道三を看板に持ってきたのは、そういう深遠な意図があったか、である。

だが、これにも無理があるのは言うまでもない。麒麟の権化となるべき光秀が、秀吉に討たれる理由が見当たらないのだ。まさか、秀吉に討たれる前に幕引きをはかるのか。(つづく)

※上述のとおり、光秀の最期がどうなるのか。ハッキリ言えば秀吉に敗れて挫折死か、それともトンデモ説に飛びついて「天海僧正になった」なのか。見極めてから、あらためてダメ出しをしたいと思います。続編にご期待ください。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

無策の政府が国民を刑務所へ ── 政府要請に応じない業者、協力しない人に罰金を課そうとするコロナファシズムの狂気 林 克明

◆コロナ無策の政府が国民に無理難題押し付け

人を殺すようなコロナ対策をしておいて何の反省もしない日本政府は、いま国民を刑務所に入れようとしている。

今国会の焦点になっている新型コロナウイルス対策としての特別措置法と感染症法などの改定の動きを見て、そう思わざるを得ない。

18日までに明らかになった政府案の骨子は次のとり。

(1)緊急事態宣言下で知事の営業時間短縮・休業の命令に違反した業者に50万円以下の過料。(特措法改定案)

(2)宣言をする前の予防措置として知事が営業時間の変更要請・命令が可能になり、違反した事業者には30万円以下の過料を科す(特措法改定案)

(3)入院を拒否したり入院先から逃げ出せば1年以下の懲役または100万円以下の罰金という刑事罰を科す。(感染症法改定案)

(4)感染経路を割り出す積極的疫学調査に応じない感染者に対し50万円以下の罰金。(感染症法改定案)

日本で新型コロナウイルスの感染者が現れてまる1年が経過した。その間に政府が有効な対策をしてきたとは言い難い。

たとえば、台湾では中国の武漢で新型ウイルス感染者発症が明らかになるとほぼ同時に検疫の強化を実施した。

一方、日本政府がとった対応は対照的だった。一千万都市の武漢が完全封鎖された翌日の1月24日から1月30日まで、北京の日本大使館ホームページで、安倍首相(当時)が、春節の休日を利用して日本への旅行を歓迎する祝辞を掲載していた。

東京新聞WEB版(20年2月15日)によると、2月3日の衆院予算委員会で国民民主党の渡辺周氏は「あまりにもお粗末だ」として外務省の対応を批判。茂木敏充外相は「不安を与えた方に、おわび申し上げる」と謝罪した。


◎[参考動画]コロナで激減 訪日中国人 日本大使館が生配信でPR(ANNnewsCH 2020年12月20日)

◆「補償なき自粛要請」「Go To トラベル」「自宅療養9000人超(東京都)」の反省なし

初期の対応が遅れたことに加えて、昨年4月~5月の緊急事態宣言において、一人当たり10万円を給付しただけで、休業による損失補償は一部にとどまった。ロックダウン期間中に給与の6割から8割を政府が補償する国は何か国もある。

感染防止拡大に有効なのは、感染者と非感染者を接触させないことであり、そのうえで対策を講じた非感染者が社会や経済を回すのが効果的だ。そのためには感染の有無を調べる検査拡充が必須だが、PCR検査の拡充にも消極的だった。

「補償なき自粛」により、経済・生活がめちゃくちゃになって批判されたことを受け、Go To トラベルやGo To イートなどの政策に転じたものの、その効果や危険性を指摘されて撤回に至った。

コロナウイルスに感染し、高熱にうなされても入院できず命を落とす人が出ている。たとえば1月17日時点の東京都だけでも9043人が自宅療養を余儀なくされている。

NHKの報道によると、翌18日には、東京都3人、栃木県2人、神奈川県1人、群馬県1人が自宅療養中に死亡した。

そもそも昨年春先は、発熱しても4日間は医療機関を訪れず待機しろ、などという指示も出していた。

入院もできず死者まで出ているのに、入院を拒否あるいは入院先から逃げ出した人に懲役刑を科すという。

時間短縮に応じない業者へは罰金、積極的疫学調査に協力しない人にも罰金……。政府、自民党、公明党は、自らの失政を認めず、反省せず、謝罪せず。その挙句に国民を刑務所に送り込もうとしているのだ。

◆コロナが収束しても悪法は使われる恐れ

罰則導入を口にする前にやるべきことがたくさんある。生活や経済損失を徹底的に補填補償し、検査を実施して感染者と非感染者を分離し、臨時コロナ病棟などをつくるのが先決だろう。

発祥地の武漢ではプレハブの療養施設を突貫工事で建設し、ニューヨークでも広い空間を災害避難所のようにパーテーションで区切って感染者を療養させる大規模な施設も造営されている。


◎[参考動画]ニューヨーク1日2万人感染も医療崩壊しないワケ(ANNnewsCH 2021年1月17日)

特措法改正案や感染症法改正案が可決されれば、感染症対策に名を借りた人権・私権の制限が可能になる。

仮に法案が可決施行された場合、当面は感染症対策に適用されるだろう。しかし、近い将来に問題化する恐れがある。

廃止法案を可決しなければ法律は生き続けることになり、新型コロナウイルス禍が収束した後も、いつでもどこでも対象を微妙に変え、解釈を変えて適応可能になるからだ。

コロナ感染拡大や医療崩壊の危険に目が奪われ、安易に刑事罰を導入してしまえば、取り返しがつかない。

ところが、毎日新聞の1月16日実施の世論調査によれば、入院拒否した感染者への(罰則が「必要だ」との回答は51%、「必要ない」は34%、「わからない」は15%だった。

無責任でやるべきことをやらない政府がつくる罰則規定入りの法律で、自分や周囲が痛い目に遭わないとわからないのだろう。そうなっても自業自得だが、危険性を指摘している人々も巻き添えにするのは納得がいかない。

国民を刑務所に入れる前に一連の安倍晋三事件について法手続きをとり、コロナで苦しむ人々の手厚い補償をやれ、と言いたい。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

1月27日から開催される「愛知国体」に反対する 田所敏夫

あまりご存じのかたは多くはないであろうが、今月27日から31日まで「冬季国体」が開催される予定である。愛知県名古屋市でフィギュアスケート、ショートトラック、長久手市と豊橋市でアイスホッケー、岐阜県恵那市でスピードスケート競技が実施されようと準備が進んでいる。


◎[参考動画]2021冬季国体は無観客開催に 愛知フィギュア・岐阜スピードスケートなど(CBCニュース 2021年1月14日)

わたしは、政府が発している「緊急事態宣言」の危険性(私権の制約、強制性、同調圧力など)に警戒感を感じながら、特にこの「愛知国体」開催に強い疑念と矛盾を感じる。

その理由は少なくはない。まずは政府の「緊急事態宣言」があろうがなかろうが(愛知県には現在「緊急事態宣言」が出されている)、愛知県ならびに愛知県知事が「昼間でも不要な外出の自粛」、「県をまたぐ移動の自粛」を県民に要請していることと「国体開催」が矛盾することである。例年冬季国体には全国各地から2000人近くの選手、監督や役員が訪れ、審判などの競技役員も数百人にのぼる。冬季の国体では、過去大会開催中に季節性のインフルエンザが流行したこともある。大村知事は愛知県民に「これまでとは違った生活を」と日々訴えながら、片方では2000人以上が全国からやってくる国体中止を一向に決断する様子はない。

国体の実施や中止に関しては、主催者が複数であることも理由には上げられよう。文科省や日本スポーツ協会、日本スケート連盟、日本アイスホッケー連盟、実施県(今回であれば愛知県)などが主催者として横並び(実際の権限はおそらく文科省、あるいは国にあるのであろうが)に位置されており、主催者に問い合わせたところで「うちだけで決められることではないので」と日本人お得意の責任転嫁の回答しか返ってこない。

わたしは元来「国体」という名前の、前近代的な大会はもう不要であると考えてきたが、競技者にとってはそれでも活躍の場であるので強い反対の意を示したことはなかった。しかし今回の「愛知国体」実施は正気の沙汰ではない。愛知県医師会長はすでに「現在愛知県の医療は災害医療の状態である」と表明しているし、19日、愛知県内では247人が新たに感染している(その中で名古屋市は94人)。入院患者数は720人で過去最多を更新し、重症者数も60人で過去最多を更新している。


◎[参考動画]新型コロナ死者相次ぐ 愛知7人、岐阜4人…東海3県の新たな感染者は計333人(メ〜テレニュース 2021年1月19日)

わたしは愛知県に医師の知り合いがいる。直接尋ねたところ、「救急外来だけではなく、新型コロナ以外の入院患者の手術にも遅滞をきたしており、医療は『崩壊』といってよい状態だ」との回答を得た。つまり「冬季国体」があろうがなかろうが、すでに愛知県の医療は「限界状態」にあるのだ。

そのような状態の中で「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケーや、111.12 mという小さなトラックで勝負を競うショートトラックなどを実施することが、感染抑止とどうして矛盾しないのか。私にはまったく理解できない。片方では大仰に「自粛」や「テレワーク」などを要請しながら、同時に感染拡大の可能性が極めて高い「国体」を実施する。あー日本的だなぁと、普段であれば呆れて眺めているだけであろう。だが、現在わたしは愛知県には居住していないものの、複数の疾病に罹患しており、定期的に複数診断科の診察を受けなければならない。医療崩壊は他人ごとではなく、わたしの居住地でもその兆候は見られるし、「医療崩壊」が本格化すれば、わたしがこの先本通信に原稿を書くことすら能わなくなる。

いったい、なにがたいせつなのだろうか?人間の世界で優先順位はどのように決められるべきなのであろうか?日本国には最高法規である「日本国憲法」があり、その25条では《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。》と謳われている。けれども憲法の解釈は「閣議決定」で変更できることを、安倍晋三は証明したし、どこからどう読んでも軍備を持てないはずの日本には自衛隊が、当たり前のような顔をして存在している。

つまり、「法による支配」や「人命尊重の思想」が日本には備わっていないのだ。新型コロナウイルスの感染拡大は、つまるところ、資本主義成立後の「文明」に対して、根底的な変化を迫っている。対処療法的にワクチンが開発され命が救われることは望ましいし、早期に収束してほしいとわたしも切に願うが、早期から専門家のあいだでは予想されていた変異株の出現など、極めて困難度の高い状況に全世界が直面している。

あすの資金繰りに頭を悩ませる企業経営者、1年近くも旅行はおろか外食も、帰宅もほとんど叶わない専門医など、想像を絶する生活に踏みとどまっている人々の存在を度外視して「冬季国体」など、どのような思考経路の人間が加担・推進するのであろうか。

昨年の大晦日、本通信にわたしは《書籍に記録は残っていても、今を生きる人類の誰一人経験したことのない世界的感染拡大の中で、平時には気づくことが難しい特定集団の持つ、行動様式や思考傾向が表出している。むしろその中にこそ分析や研究の対象とすべき「核」のようなものがあるのではないだろうか。2020年われわれが得たものがあるとすればそれに尽きるような気がする。》と記した。その回答の一例をご紹介しよう。国体主催団体の一つである公益財団法人日本スポーツ協会は、問い合わせのサイト(https://www.japan-sports.or.jp/inquiry/tabid61.html)に《※現在、新型コロナウイルス対応によるテレワーク勤務併用としているため、留守メッセージの設定になっている場合があります。お問い合わせの際は、NEWSのお知らせに記載のメールアドレスもご利用ください。》と厚顔無恥にも平然と記載している。国体は実施しながら「自分たちはテレワーク」というわけだ。なんたる不見識、無責任の極みであろうか。

こういった、道義的には犯罪と表現してもおかしくはない無責任を、日本人は、結局敗戦後も反省・総括できず、こんにちまで至っている。それが大晦日にわたし自身が設定した問いへの回答として、予想以上のむごたらしさで突きつけられているのである。

昨年実施が予定されていた、東京五輪開催が決定した直後から、わたしは本通信や鹿砦社が出版する『NO NUKES voice』において、極めて強いトーンでその欺瞞と開催に反対してきた。おそらく、新型コロナウイルスの感染以前には7割以上のかたに、わたしの主張は理解いただけなかった感触が残っているが、いまや東京五輪開催に賛成する方の比率は、当時と完全に逆転している。その理由が新型コロナウイルスであったことは残念至極であるが、東京五輪実施の本質を多くの人々が理解するきっかけにはなった。

ここにきて、第二次大戦末期の「インパール作戦」同様の「愛知国体」開催策動をわたしが知って、黙していることは、東京五輪開催に強く反対の意を唱えてきたものとしては、一貫した姿勢とはいいがたい。関係者の誰でもよい。勇気をもって、なにも果実をもたらさない、災禍しか招かない「愛知国体」中止の声を上げるべきである。わたしは「愛知国体」開催に絶対反対の意を明確に表明する。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

《NO NUKES voice》福島県民健康調査──「学校での甲状腺検査」はなぜ必要かを考える 民の声新聞 鈴木博喜

原発事故後に福島県内の学校で行われている甲状腺検査(集団検診)の継続を求める声が学校現場からあがっている。NPO法人「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」(鈴木真理代表)http://happy-island.moo.jp/は12月17日、福島県に対し「学校における甲状腺エコー検査継続を求める要望書」を提出。教職員からの生の声も添えられた。現場の教職員達はなぜ、学校での集団検診が必要だと考えているのだろうか。そのうえで中止と継続、どちらが子どもたちを守る事につながるのか考えたい。

昨年12月に福島県知事などに宛てて提出された要望書には、学校での甲状腺検査を支える教職員からの維持・継続を求める声も添えられた

「甲状腺検査は必要です。本当に必要なことなら、多少業務が増えてもやむを得ないと考えます。また、学校を通して検査しなければ実施数(率)が下がり、意味のある検査にならないのではないでしょうか」

これは、福島県双葉郡富岡町の中学校に勤める教職員の意見。学校での甲状腺検査継続に賛同する教職員の声は200に達した。

「今後、福島の復興を担う子どもたちの健康のためにも、継続維持を要望します。他施設での全員受診は難しいかと……」(いわき市、中学校)

「学校検査の維持継続は、子どもたちの将来のために必要な事です。ぜひ続けてください」(福島市、小学校)

「検査を任意にしてしまうと特に高校生の受診率の低下は顕著に現れます。検査を定期的に受ける事で体の中の変化を早期発見出来ると思いますので、学校検査の継続をよろしくお願い致します」(郡山市、高校)

「福島県において学校での甲状腺検査は必要です。きちんと説明する事でデメリットの部分は解消されるはずです。ぜひ継続してください」(石川町、小学校)

「学校は会場を提供します。ぜひ続けてください。甲状腺の病気が増えて来るのは(原発事故から)時間が経過してからだと聞いています。よろしくお願いします」(会津若松市、小学校)

「原発事故による放射性物質から子どもたちの健康を守る取り組みは10年では終わらないでしょう」(西郷村、小学校)

こんな意見もあった。

「娘は小学校2年生の時に甲状腺検査のおかげで異状が分かり、現在も薬を服用しています。そのため症状は改善され、体力もつきました。甲状腺検査があったからこそ、早い時期にみつける事が出来たので、とてもありがたいと感じています。甲状腺検査の継続を熱望致します」(白河市、小学校)

学校で甲状腺検査を実施するとなれば当然、授業や行事の合い間に行わなければならない。子どもや保護者の意思を尊重するため、検査を受けたくない子どもへの対応も求められる。そのため、現場の教職員からは負担軽減を求める声も多くあがった。

「教職員の負担になっているところをしっかりと洗い出して欲しい。負担が少なければこの先の実施は可能だと思います。(放射線の)影響は未知数なので、出来る事はやった方が良いと思います」(郡山市、中学校)

「前日や休日の準備など検査のための仕事量は多いので、学校や養護教諭の負担を減らす実施方法を考えたうえで学校で甲状腺検査を行って欲しい」(郡山市、養護教諭)

「おおむね賛同致しますが、中学校の多忙化につながらない事を願います。やり方については工夫が必要かと思います」(白河市、中学校)

「授業を圧迫しないように配慮していただきたい」(白河市、小学校)

「検査の前の事務作業がかなり多いので人的支援をお願いしたいです」(矢吹町、小学校)

要望書は星北斗座長以下、県民健康調査検討委員会の委員にも届けられたという。それでも津金昌一郎委員(国立がん研究センター社会と健康研究センター長)は15日の会合で次のように述べ、学校での甲状腺検査継続に反対した。

「(甲状腺検査は)多くの人が期待している甲状腺ガンの早期発見により死亡などを避ける事が出来るという利益はほとんど無くて、特に甲状腺ガンと診断された人たちには重大な不利益をもたらすものと私は考えています。したがって、少なくとも集団での甲状腺検査は望ましいものでは無いと考えています」

猪苗代町の小学校養護教諭は「学校現場は大丈夫です。甲状腺検査はやるべきです」と書いた。多くの教職員が学校での甲状腺検査継続を望んでいる。検討委では、安部郁子委員(福島県臨床心理士会長)が「学校の先生方と話をする機会があるが、学校での甲状腺検査に対して『大変だなあ』と言葉では言うのですが、非常に大事だと言う認識をみんな持っておりまして、不登校のお子さんに対する検査の働きかけも一生懸命やっています。やめてはいけない」と継続を訴えた。津金委員は「不利益を受けている子どもたちがいないのであれば、私も(学校での)検査に賛成です」とだけ述べた。

今月15日に開かれた40回目の県民健康調査検討委員会でも、学校での甲状腺検査に強く反対する意見が出されたが、地元の2委員は継続を強く訴えた(福島市のホテル「ザ・セレクトン福島」)

昨年3月まで4期16年にわたって長野県松本市長を務めた菅谷昭さん(医師、現在は松本大学学長)も、次のような継続賛同のメッセージを寄せている。

「チェルノブイリの原発事故の医療支援に携わり、間近で健康被害を診てきたものとして、甲状腺検査を継続的に行なっていくことは被害を受けた当事者の健康影響を最小限で食い止めるために必要なものであり、今後起こり得る新たな事故に対する対策を後世に残すという意味でも、とても重要なことであると認識しておりました。ところが、東京電力福島第一原発事故から間も無く10年というときに、甲状腺検査の方向性を変える様な事が話し合われているということをお聞きしてとても驚いております」

「チェルノブイリと同様に少なからず汚染のある地域に住んでいた子供たちに甲状腺検査を継続的に行うことは、当時の子供たちの健康を見守るという意味でとても重要なことです。そしてまた長期にわたり同世代の検査を繰り返すことで原発事故の影響が明らかになり、それによって国からの補償を受けることも出来るという意味でも重要なことです」

「2011年の東京電力福島第一原発事故からはまだ9年しか経っておらず、当時の子供たちの健康状況の把握もまだ不完全な現状で、学校での検査(以下「学校検査」)を続けるべきかどうかという議論がなされる事は私には全く理解が出来ません。学校検査は、仕事を休んて゛検査に連れて行くなと゛保護者にかかる負担を軽減し、「検査を希望する子どもたちか゛等しく受診て゛きる機会を確保」するためにはとても重要なものです」

「私は福島の子どもたちに放射線の影響があるから検査を継続すべきであると言いたいのではなく、放射線の影響があるかどうかをしっかりと記録するべきであると言いたいのです。被曝線量が低いという不確かな根拠で軽率に検査縮小を論じるのではなく、少なくとも放射線の影響があるのかないのか明らかになるまでは、現在の検査体制を維持し継続すべきだと思います」

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

工藤會野村悟総裁に極刑を求刑 証拠なしの裁判がいよいよ結審に 横山茂彦

1月14日に工藤會トップ2人への論告求刑が行なわれ、野村総裁には極刑が求刑された。西日本新聞から引用しよう。

「市民襲撃4事件に関与したとして、殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた特定危険指定暴力団工藤会トップで総裁の野村悟被告(74)と、ナンバー2で会長の田上不美夫被告(64)の公判が14日、福岡地裁(足立勉裁判長)であり、検察側は「危険な人命軽視の姿勢に貫かれた工藤会が、組織的に行った類例のない悪質な犯行」として野村被告に死刑を求刑。田上被告には元漁協組合長射殺事件で無期懲役、他の3事件で無期懲役と罰金2千万円を求刑した。両被告は一貫して無罪を主張しており、3月11日に弁護側が最終弁論して結審する。」(2021年1月14日西日本新聞)

ほぼ予想された死刑求刑だったが、現実のものになると感慨深いものがある。近年の暴力団裁判の審判例から考えて、野村総裁への死刑求刑はそのまま判決に反映されるであろう。田上会長への無期刑もしかり。ヤクザの場合は組織離脱(引退)をもって「改悛の情」をしめさない限り、無期懲役刑での仮釈放はありえない。したがって、無期判決は終身刑を意味するのだ。


◎[参考動画]工藤会トップに死刑求刑 福岡地裁 (福岡TNCュース2021年1月14日)

◆直性証拠がないまま、元構成員の証言を採用か?

両被告が起訴されたのは、元漁協組合長射殺事件、元福岡県警警部銃撃事件、看護師刺傷事件、歯科医師刺傷事件の4事件である。いずれも両被告の関与を示す直接証拠がない中で、実行犯組員たちへの指揮命令の有無が最大の争点となっている。弁護団は証拠なしの検察「立証」に猛反発している。

「両被告の弁護側は公判終了後、『証拠が無いでたらめな立証だ』と強く批判した。」(前出記事)

物的証拠や命令などの直接証拠がないまま、組を離脱した実行犯のいわば司法取引にひとしい自白証拠で、事件を決着させようというのである。

検察側は論告求刑において、工藤會には上意下達の厳格な組織性があると強調した。4つの事件は計画的、組織的に行なわれており「最上位者である野村被告の意思決定が工藤會の意思決定だった」と言及している。田上被告については「野村被告とともに工藤會の首領を担い、相互に意思疎通して重要事項を決定していた」と位置づけた。

肝心の「意志決定」とその「命令」や「伝達」は明確になされていない。親分の意志をおもんぱかって「実行」するのがヤクザの原則だというのならば、民法の使用者責任での立証ということになるはずだが、この論法での検察側敗訴は少なくない。判決が注目されるところだ。

◆警察官僚の狙いは壊滅ではない

トップに対する極刑求刑のなかで、工藤會の実態はどうなっているのだろうか。じつは筆者が編集長をつとめる雑誌『情況』最新号(本日1月19日発売)において、久々に工藤會幹部のコメントがとれた。

筆者は先代(溝下総裁)の時代から取材をさせてもらい、警察の一方的な「反社キャンペーン」を批判する、事実に基づいた報道に努めてきたつもりである。

ヤクザ報道がマスメディアにおいて「反社勢力キャンペーン」としてしか行なわれず、ヤクザの言い分は封じられてきたのは事実である。

そしてヤクザの親分衆を称賛するような記事は、書店のとりわけコンビニ系から忌避されてきた。福岡県においては、条例でヤクザ系雑誌を排除することも行なわれ、老舗雑誌は休刊を余儀なくされた。(「『反社会勢力』という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由」2019年10月9日

国民的な議論をぬきに、反社というレッテル(かつて、日本の青年学生運動は、過激派・極左暴力集団とレッテルを貼られてきた)で社会的に排除する。それは官僚の価値観のもとに統制する、ファシズムに近い統治形態をもたらすものと言わざるを得ない。

そしてヤクザの側も、警察との古き良き関係を再度築こうと、反社キャンペーンには「沈黙」(山口組山健組のスローガン「団結・報復・沈黙」)してきたのが実態である。したがって、暴対法下のヤクザ取材はきわめて厳しいものがある。

幹部の下獄や長期拘留で、なかなかインタビューも難しくなっていたところ、「(横山)先生。わたしもこれで、またパクられるかもしれんですが」と言いつつ、応じてくれたインタビュー(独白形式)である。じつは右翼特集のときに、工藤會が親戚付き合いのある住吉会をつうじて、日本青年社の任侠系幹部に取材しようとしたところ、なかなか話が通じず(伝手の物故者が多かった)、その穴埋めとしてインタビューに応じてもらったのである。

『情況』最新号(1月19日発売)より

『情況』2021年01月号からすこし引用しておこう。

「福岡県警には警察庁から暴対専門の本部長が送り込まれて、もうこれで工藤會は潰されるなと、誰もが思うたことでしょう。なにしろ、全国で唯一の「特定危険指定暴力団」ですからね。」

「それから十年になりますけど、工藤會は潰れておりません。暴排条例はヤクザと付き合うな、経済的なことで付き合うたら、その者も処罰すると。公共事業から締め出すという条例です。うちと付き合いのある業者も、一時的には身動きがとれんことになりました。しかし、工藤會は潰れていません。元暴対本部の者が自著に書いております。『工藤會は弱体化したといえるだろうが、まだまだ壊滅にはほど遠い状況である』(『県警VS暴力団』)。

なぜかというと、わたしたちには生きた人間関係があるからです。カネで結びついとるだけでしたら、うちは本当に孤立して社会から締め出されたかもしれませんが、そうやない。絆(きずな)というものがあるんです。社会というものは人と人の付き合いです。いくら条例で縛り上げても、それを断ち切ることはできんのではないでしょうか。社会というのは、けっきょく人間なんです。憲法違反の条例で無理やり引き離そうとしても、それはうまくいきませんよ。」

「警察庁は沖縄をのぞく全国から警察官を北九州に動員して、一二年から工藤會壊滅作戦を実行しました。これの本当の狙いは、警察庁による予算の確保やないでしょうか。」

として、工藤會の幹部は「暴力団追放センター」が年間事業費7000万円という税金からの補助金を柱にした、資産18億の公益財団法人であること。警察官から天下った専務理事の給料が、なんと月額48万円もの高額であることを明らかにしている。

◆本部跡地の売却金が被害者側へ

工藤會は事務所機能がほぼ停止し、幹部会のほかの組織的な活動は実質的に自粛しているという。逮捕は構成員の数をこえる延べ数百人におよび、いまも三桁の組員が拘留ないしは刑に服している。

二次団体以下、傘下の各組においても代紋を出さないのはもちろん、組を名乗らずに一般企業としての活動に専念しているようだ。この場合、大きなフロント企業ではなく、家族が経営する飲食店などである。本部跡地の売却も順調に終えたという。ふたたび西日本新聞からである。

「北九州市などは(12月)18日、特定危険指定暴力団工藤会の本部事務所跡地(北九州市小倉北区)の売却で工藤会が得た売却益約4千万円が、同会が関与したとされる襲撃事件の被害者側に賠償金として支払われたと発表した。」

経過については、「故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に」(2020年2月19日)を参照されたい。

ヤクザの将来を占うといわれている工藤會への頂上作戦とその結果(判決)、およびそれを通じて変化する組織のありよう。今後も注視していきたい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)
月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

東京五輪中止が正式決定でいよいよ死刑執行か…… 心配な2人の死刑囚

昨年来、「東京五輪が終わるまで無いだろう」と言われていた死刑執行だが、新型コロナの感染拡大により、東京五輪の中止が正式に決まるのも時間の問題となってきた。となると、久しぶりに死刑執行が行われる日もそう遠くはないだろう。

そんな情勢の中、筆者が個人的に心配している死刑囚が2人いる。今回はその2人について、書いておきたい。

◆冤罪なのに、再審請求していない死刑囚

1人目は、新井竜太死刑囚(51)である。

確定判決によると、新井死刑囚は従弟の高橋隆宏(47)という男と共謀し、2008年3月、高橋の「養母」を保険金目的で殺害し、さらに2009年8月、金銭トラブルになっていたおじの男性も殺害したとされる。2件の殺人はいずれも高橋が実行したが、罪を認めて深い反省の態度を示した高橋は無期懲役判決を受けるにとどまり、容疑を全面否認した新井死刑囚が犯行の首謀者と認定され、死刑判決を受けたのだ。

しかし、筆者が取材したところ、実際には新井死刑囚は「冤罪」だった。高橋が2件の殺人をいずれも自分1人で勝手に実行しながら、「すべては新井に命令されてやったことだ」と供述し、新井死刑囚に罪を押しつけ、まんまと死刑を免れたというのが真相なのだ。

何しろ、殺害された高橋の「養母」の女性は、そもそも高橋が出会い系サイトでひっかけ、養子縁組して借金をさせるなどし、金をむしり取っていた女性だった。2009年8月に殺害されたおじの男性と金銭トラブルになっていたのも高橋であり、新井死刑囚におじを殺害しなければならない動機は何も無かったのが現実だ。

もっとも、筆者が新井死刑囚のことを心配するのは、「冤罪」だと思っているからだけではない。心配する一番の理由は、新井死刑囚が再審請求をしていないことだ。

そのへんが新井死刑囚の変わったところなのだが、死刑を怖がるそぶりを見せたくないのか、筆者が何度も家族を通じて再審請求するように言ったのだが、聞き入れてくれないままなのだ。そして再審請求をしていないがゆえに、死刑執行の人選をする法務・検察官僚たちから狙われるのではないかという気がしてならないのだ。

新井死刑囚と伊藤死刑囚はいずれも東京拘置所に収容されている

◆最高裁にも同情された死刑囚も再審請求をしていない……

筆者が心配する2人目の死刑囚は、伊藤和史死刑囚(41)である。

確定判決によると、伊藤死刑囚は2010年3月、会社の同僚らと共謀し、勤めていた長野市の会社の経営者とその長男、長男の内妻を殺害し、金を奪ったとされる。そう書くと、とんでもない凶悪犯のようだが、実際はかなり複雑な事情があった。

被害者一家は、地元ではヤクザ顔負けの怖い人たちで、伊藤死刑囚や共犯者の男らを家に強制的に住み込みにさせ、自由を奪い、奴隷のように働かせていたのだ。そのせいで追い詰められた伊藤死刑囚たちが被害者一家から逃げ出すため、犯行を決意したというのが真相だった。

そのような複雑な事情があったため、2016年4月に伊藤死刑囚の上告を退け、死刑を確定させた最高裁の裁判官たちも判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/924/085924_hanrei.pdf)で、「動機、経緯には、酌むべき事情として相応に考慮すべき点もある」と言わねばならなかったほどだ。

伊藤死刑囚の上告を退け、死刑を確定させた最高裁判決(2016年4月26日)

そして実を言うと、この伊藤死刑囚も筆者の知る限り、再審請求をしていない。再審請求さえしておけば、最高裁の判決内容から考えても、法務・検察官僚たちが死刑執行の対象に選びづらい死刑囚であるにもかかわらずに、だ。

当欄の1月5日付けの記事で書いた通り、現法務大臣の上川陽子氏は非常に死刑執行に積極的な人物だ。今はおそらく菅内閣最初の死刑執行を早く実現したくてたまらないはずである。それだけに、私はこの2人が心配で仕方ないのだが、万が一、この2人が死刑執行されるようなことがあれば、読者の方は「誤った死刑執行」だと受け止めて頂きたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の最新第15話では、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二死刑囚を取り上げている。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

天皇制はどこからやって来たのか〈23〉近世・近代の天皇たち ── 明治天皇はすり替えられた?

この表題はまことに荒唐無稽ながらも、明治政府の歴史観を左右する幕末ミステリーである。もしもそれが史実ならば、驚愕するような事実よりもさきに、われわれは明治維新という「革命」の内実を知ることになる。その内実が謀略であると。そして、南朝史観とよばれる維新政府の歴史観に、こんどは生々しく触れることになる。

仮説はこうである。幼い明治天皇(祐宮睦仁親王)が何者かに殺害され、その代わりに別の人物が皇位に就いたというのだ。その名は長州田布施出身の大室寅之祐、長州藩が秘匿していた南朝の末裔であるという。

最初にこの説をとなえたのは、鹿島昇(弁護士・歴史研究家)だった。その云うところをトレースしてみよう。

南朝・後醍醐天皇の皇統は、後村上天皇──長慶天皇──後亀山天皇の正系のほかに、尊良親王(東山天皇)から正良親王(松良天皇)にいたる傍系がある。正良親王の皇子のひとり、光良(みつなが)親王が南朝崩壊後に長州の麻郷に落ちのびたのが、大室天皇家であるという。室町時代の長州は守護大名の大内氏が支配するところで、南朝勢力が西日本に落ちのびるのは、懐良親王が九州を拠点とした例から考えて不思議ではない。

わたしは薩長両藩の主家が関ヶ原で没落した島津と毛利であり、明治維新は一面において268年の歳月をへて徳川打倒に燃える両家の意趣がえしであると考える。長州藩において、大室天皇家はその切り札だったのだろうか。

鹿島昇(弁護士・歴史研究家)によれば、幼い明治天皇(祐宮睦仁親王)が何者かに殺害され、その代わりに別の人物が皇位に就いたという。それが長州田布施出身の大室寅之祐(写真左)。長州藩が秘匿していた南朝の末裔であるという

◆将軍家茂・孝明天皇暗殺

鹿島昇は幕末の政治情勢から、暗殺者たちの動機を精緻に解読する。将軍徳川家茂と孝明天皇の死(1866年)がそのキーワードである。すなわち、皇女和宮の降嫁によって従兄弟となったふたりは、公武合体の体現者であった。ふたりは長州征伐の実行者であり、天皇のもとに徳川家を中心にした連合政権を構想していた。

この政権構想はしかし、尊皇攘夷と倒幕をねらう薩長連合にとって容れられるものではなかった。とくに京都から排除され、その勅命によって征討までされた長州藩にとって、ふたりは目の上のたんこぶだったのである。

たとえば「(和宮降嫁によって)尊攘派は肝心の天皇を幕府に奪われてしまった。すなわち、幕府が『玉をとった』のである」「薩長密約の際に家茂と孝明天皇の暗殺はすでに謀議されており、これに公武合体派から尊攘派に鞍替えした岩倉具視が荷担したのであろう」と、鹿島昇は解読する(「明治天皇は二人いた!!」『天皇の伝説』メディアワークス)。

それもまったくの推論というわけでもない。鹿島が謀殺の論拠とするのは、作家の山岡荘八が独自にしらべた事実である。すなわち、宮中からさし回された正体不明の医師が、風邪で伏せっていた徳川家茂に薬を処方したところ、それから三、四日目に亡くなったとする。

「将軍の胸のあたりに紫の斑点が出て、大変苦しがって、その蜷川という御小姓組番頭に、骨が折れるほどしがみついたまま息を引きとった」(山岡荘八「明治百年と日本人」『月刊ひろば』昭和43年11月号)というのだ。蜷川という御小姓頭は蜷川京都府知事の祖父にあたり、おそらく将軍家茂の死にぎわは事実なのであろう。
孝明天皇の最期もまた、謀殺めいたシーンに彩られている。

明治天皇の外祖父(生母の父親)中山忠能の『中山忠能日記』によると、やはり天皇は天然痘の潜伏期で、12月11日には「不眠・発熱・食欲不振・ウワ言の病状を経て」「十六日朝には顔に吹き出物が出始めた。だが、十七日から便通があり、食欲も起こり熱も下がり、典医も『まづ順当』と診断している」

快方に向かったというのだ。

「最後に二十三日から膿の吹き出しがおさまってかさぶたを結んで乾燥し、次第に熱が下がり、大体において全快に向かった。ところが病状は二十五日に至って急変し、激しい下痢と嘔吐の挙げ句、夜半に至り『御九穴より御脱血』」という最期であったという。

当時、宮中においても毒殺説が飛びかい、宮中勤仕の老女の「悪瘡発生の毒を献じ候」という手紙を、中山忠能は日記に紹介している。

これを裏づける説をとなえたのは、瀧川政次郎である。中国人医師の菅修次郎が夜半に呼び出され、目かくしをしたまま連れて行かれたという。そこで診療させられたのは、わき腹を刺された、ひん死の人物だった。じつは菅医師が連れて行かれたのは御所ではなく、堀河紀子(孝明天皇の愛妾)の広大な屋敷だったというものだ(「皇室の悲劇」)。

中山忠能が日記に書いた「御九穴より御脱血」というのは、刺し傷だったのだろうか。

この説を、作家の南条範夫は「孝明天皇暗殺の傍証」『人物往来』昭和33年7月号)において、母方の祖父・土肥一十郎の日記を読んだ記憶として書いている。

「白羽二重の寝衣や敷布団はもちろんのこと、半ばはねのけられ掛布団に至る迄、赤黒い血汐にべっとりと染まっている人は脇腹を鋭い刃物で深く刺され、もはや手の下しようもない程甚だしい出血に衰弱し切って、ただ最期の呻きを力弱くつづけているに過ぎない」

何ともなまなましい、暗殺現場に立ちあったかのような描写であることか。こうして、尊皇攘夷派・倒幕派にとって邪魔な存在だった将軍と天皇が暗殺されたのだ。その暗殺者たちは、みずからの政権を盤石なものにするために、つぎなる暗殺に手を染める。16歳の陸仁親王(明治天皇)暗殺である。

◆なぜ吉野朝時代なのか

陸仁親王(明治大帝)暗殺について、孝明天皇暗殺ほどの生々しい証言や伝聞があるわけではない。鹿島昇が「証言」と称するものは、ことごとく伝聞であり、亡くなられた人々が反論できない、したがって根拠のわからない「証言」なのである。誰がいつどこで、どうすり替えたのか、詳細がよくわからない。

いわく、昭和4年に三浦天皇(三浦芳堅=南朝傍系)が、元宮内大臣・田中光顕に獄秘伝の『三浦皇統系譜』を持参したとき、田中は「じつは明治天皇は孝明天皇の息子ではない」「明治天皇は、後醍醐天皇第十一番目の息子満良親王の御子孫」だと証言したという。

いわく、元宮中顧問官で学習院院長も務めた山口鋭之助が、大正9年に「明治天皇は北朝の孝明天皇の子ではない。山口県で生まれて維新のときに京都御所に入った」と言ったという。

いわく、岸信介元総理は元中政連幹事長だった鎌田正見に、いまの天皇家は明治天皇のときに新しくなった、と語ったという。

いわく、陸仁親王と明治天皇が別人であることは、鹿島昇自身が清華家の当主である廣橋興光から聞いたことがあるという。

いわく、中川宮(前出の東武皇帝・日光宮能久親王の兄)の孫娘である梨本宮家の李方子も、明治天皇は南朝の人だと証言したという。

いわく、鹿島昇の旧友・松重光雄は、中学生のときに担任の萩出身の教師から、明治天皇はすり替えられたと教えられたという。

ほかにも証言らしいものはあるが、もうここまでにしよう。鹿島昇の脳裡に根を張った推測・推論なのだ。もの言わぬ死者の証言よりも、われわれには問題にしなければならないことがある。なにゆえ明治政府が北朝の天皇をいただきながら、「吉野朝時代」などという歴史観で南朝を正統としたのか、である。そこにこそ、明治天皇がすり替えられたかどうかの「真相」が浮かび上がるはずだ。

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

リング上でタトゥー露出はタブーか? キックボクシング界の入れ墨ルール

◆大晦日の井岡一翔の“タトゥー”をきっかけに

大晦日のWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチで、井岡一翔の左腕と脇腹に見られた“タトゥー”について賛否両論の意見が交わされました(刺青、入れ墨、タトゥーは慣習的には示すものが違うかもしれませんが、ほぼ同じ意味らしいです)。

日本ボクシングコミッションルールの欠格事由に「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は試合に出場できないというルールがありますが、ファンデーション等で隠すなど表面から一時的にも消す場合は出場許可される場合が多いようです。

入れ墨をドーランで隠す配慮ある石川直樹(2020年1月5日)
大月晴選手は胸に小さな☆マーク。可愛いもんである(2019年4月13日)

こういうルールがあること、賛否を議論されることは、それだけメジャーな競技である証明でもあり、更に細分化した部分で問題が起きているのが今回の入れ墨問題。その入れ墨はどこで線引きをするかは難しい問題でもあります。

以下、4つに分けると、

(1)どんな小さな入れ墨でもダメ。
(2)全身大部分の入れ墨や暴力団組員を表すもの、それを連想させるものでなければOK。
(3)身体の一部分で、デザイン化した絵柄、お守り的意味合いならOK。
(4)海外はOKなんだから日本も海外に合わせないと時代遅れ、どんな入れ墨もOK。

ルール的に(1)~(4)のどこで線引きするかとなると“ちょっとならOK”としたら、その線引きが難しくなります。

“大晦日の井岡一翔の場合まではOK”となる線引きするとしたら、その境界線で「井岡のより小さいのにダメなの?」や、「井岡のより大きくてガラ悪いのにOKになった!」といった損する選手、得する選手が出てくる僅差の判定に起こりがちの不可解感が生まれ、抗議殺到の可能性が高いでしょう。だから今は、従来通りのルールでいくしかないプロボクシング。それでも寛大に、ファンデーションで隠すならOKとされているのでしょう。

年代や育った環境にもよるので、意見が纏まらずに落としどころが難しい問題です。

一方で「ボクシングを健全な競技、スポーツとするのであれば、入れ墨は小さくてもダメ。“テレビに出る=世間一般への影響力”を考慮しなければならない。」という意見や、「日本では昔から“入れ墨=反社会勢力”という印象が強過ぎるせいで、未だに良くないという印象が根強く、ヒーロー的な選手が入れ墨を彫ると、それに憧れる子供が真似をする影響からダメ。」等の意見もあるのも事実。また、「皮膚移植して入れ墨を消してでもやりたいボクシング。」という選手も居た魅力あるスポーツでもあるのです。

JBCの入れ墨に関わるルールを変えたいなら、それなりの署名運動や嘆願書など諸々の手続きを取ればいいところ、井岡一翔の行動で問題提起の良いきっかけにはなったことでしょう。

弾正勝vsロッキー武蔵。昔のキックボクサーはサポーターで入れ墨を隠した(1985年3月16日)

◆キックボクシングでは入れ墨OK?

マイナー競技としての年月を経たキックボクシングは、創生期からルールが大雑把なため、テレビ局から対応を求められる以外は規制が緩い部分が多い。

昔のキックボクシングでは腕や太腿に入れ墨していた選手がサポーターを着けて試合出場していた選手がいました。腕や脚をダメージから保護してしまう不平等性があるのではないかという意見もありながら、細かいことの規制はありませんでした。

TBSテレビ放映時代の日本ヘビー級チャンピオン,ジミー・ジョンソン(横須賀中央)は横須賀米軍基地勤務からアメリカへ帰り、再び日本のリングに立った時は、腕から胸に厳つい入れ墨が大きく彫ってあったものでしたが、これも何も問題にならない昭和の時代でした。

現在も入れ墨がある選手が試合出場していますが、団体やフリーのプロモーター興行によってルールや出場条件はやや違いがあるようで、全身に近い彫りものでも隠さず出場したり、ある程度はファンデーションで隠す配慮をする選手やジムの意向、団体の規律がある興行も存在します。

もう入れ墨には慣れっ子になってしまった我々以下の世代。何といっても普段は一般人らしく礼儀正しく振舞う選手が多く、反社会勢力的存在ではないことは分かります。しかし、初めてキックボクシングを観たという一般人からは怖く見えるものということを考慮した方がいいかもしれません。

首にかけて阿涅塞と彫ってあるような字はイタリアのオリビア・ロベルト(2020年2月16日)
左腕も厳つい絵柄のオリビア・ロベルト。海外では珍しくない入れ墨である(2020年2月16日)

◆タイの国技・ムエタイでは

ムエタイが国技のタイ国では、昔からサックヤーン(タイ仏教が関連する伝統タトゥー)が普通にありますが、やはり一般的に中流以上のタイ人は入れ墨はしておらず、身体に彫るのはやはりチンピラ気質の輩や、ムエタイ選手、トレーナー、運転手、アーティスト、水商売系が多いようです。刑務所に服役する者は、やっぱり厳つい入れ墨が入ってる連中ばかりであるようです。

昔のムエタイジムでも、子供の頃に彫ったのだろうと思える、手の甲や腕にサックヤーンが入っていたのを何人も見たことがありますが、お守りとして彫る文化としては仕方無いものの、日本では教育現場で大問題となるでしょう。

タイのお坊さんも慣習的に入れ墨は多い(2003年3月15日ワット・ポムケーウ)

◆入れ墨問題の今後

キックボクシングは今後、統括する組織が出来上がる時代が来れば、入れ墨問題も提起されることでしょう。今でも「ボクシングが入れ墨ダメなんだからキックボクシングでもダメだろう」と思っている選手も居るらしい。

競技は別物でも、他競技にも影響を与える歴史と伝統あるプロボクシングは、あらゆるルールやシステムがキックボクシング界に真似されてきた経緯があり、お手本となる存在でもあるのです。今回の“井岡一翔のタトゥー問題”は物議を醸しながら何らかの進展は見られるはずで、他人事ながらそこはしっかり見守って、いずれキックボクシング界でも活かして欲しいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他