国民ウケするインパクトのある死刑執行を重ねてきた法相・上川陽子氏に再び法務大臣職を委ねた菅内閣の思惑を考える 片岡 健

昨年は死刑執行が1件もなかったが、今年はそうはいかないだろう。私がそう予想する最大の理由は、昨年9月に発足した菅義偉内閣で上川陽子氏が法務大臣に再任されていることだ。

安倍内閣でも法務大臣の経験がある上川氏がこれまでに死刑執行を命じた人数は計16人。これは、法務省が死刑執行の公表を始めた1998年11月以降の法務大臣では最多記録だ。今回の在任中も「やる気満々」であるのは間違いない。

さらに言えば、上川氏が委ねられた「菅政権で最初の死刑執行」は、国民ウケするインパクトのあるものになるだろう。上川氏の死刑執行の実績を見ると、実際にそういう観点から執行する死刑囚を選んできたことは明らかだからだ。

死刑執行の最多記録を持つ上川陽子法務大臣(法務省HPより)

◆国民ウケするインパクトのある死刑執行を重ねてきた上川氏

2015年6月、上川氏が法務大臣として初めて死刑執行を命じたのは、闇サイト殺人事件の神田司死刑囚(44)だった。この事件では、被害女性の母親が犯人たちの死刑を求める署名活動を行い、実に30万人超の署名を集めて話題になっていた。つまり上川氏は、こうした大勢の国民の期待に応える形で死刑を執行したわけだ。

上川氏が次に死刑執行を命じたのは2017年12月だが、この時に対象とした関光彦死刑囚(44)、松井喜代司死刑囚(69)はいずれも「再審請求中」だった。しかも、関死刑囚は1992年に千葉県市川市で会社員一家4人を殺害した犯行時、まだ19歳の「少年」だった。

「再審請求をしていようが、死刑は執行する」「犯行時に少年だろうが例外ではない」

そのようなメッセージが込められた死刑執行の人選も、死刑制度容認派が8割を超える日本国民の意向に沿ったものだろう。

そして上川氏の真骨頂がオウム死刑囚13人の大量執行だ。それは、2018年7月16日と同26日、2度に分けて行われた。戦後を代表する大事件の最終決算ともいうべきこの死刑執行により、それを法務大臣として担当した上川氏の名前も歴史に残ることになった。

このように国民ウケするインパクトのある死刑執行を重ねてきた上川氏。それだけに「菅政権で最初の死刑執行」も国民ウケするインパクトのあるものになるだろうと私は思うのだ。

◆上川氏ならやりそうな「スピード執行」

では、上川氏が具体的にどんな死刑執行を考えているかというと……。

私は、死刑確定から1年前後の死刑囚の「スピード執行」ではないかとにらんでいる。

というのも、死刑執行については、法で「判決確定から6カ月以内にしなければならない」と定められているのに、実際はそれよりはるかに長い年月を要することが多く、「死刑執行が遅すぎる」と批判する声は多い。となると、国民ウケするインパクトのある死刑執行を行ってきた上川氏としては、速さで評価される「スピード執行」はぜひやってみたいところだろう。

かつて大教大池田小事件の宅間守元死刑囚が判決確定から約1年と異例の速さで死刑執行された際、それを肯定的に評価する声は多かった。そのことも上川氏は当然知っているはずだ。

そして昨年中に判決が確定したばかりの死刑囚たちの顔ぶれを見ると、宅間元死刑囚と同じく、法廷で無反省の言葉を連ね、自ら一審だけで裁判を終わらせた死刑囚が複数いる。そのことも私が上川氏が「スピード執行」を狙っているだろうと思う理由だ。

というより、私には、そもそも、菅政権で上川氏が最初の法務大臣に選ばれたのは、そういう特定の死刑囚の死刑を執行させたい思惑があったのではないかと思えてならない。言うまでもないことだが、ここで私が念頭に置いている「特定の死刑囚」とは、昨年3月に判決が確定した相模原障害者施設殺傷事件の植松聖死刑囚のことである。

法務省。死刑執行の手続きの多くはここで行われる

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の最新第15話では、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二死刑囚を取り上げている。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

内閣官房コロナ対策室に直撃電話インタビュー 困り果てる内閣府職員の本音

「Go To」一時停止を発表した足で、宴会に向かった菅。多くの国民はあきれ果てたが、側近ともいうべき内閣官房はどのように考えているのだろうか。2020年の師走、直接電話で取材した。(取材・構成=佐野宇)

内閣官房 お電話代わりました。コロナ対策室の○○○○と申します。
佐野   恐れ入ります。お尋ねしたいのですけれども、いま大臣あるいは各省庁、都道府県知事がいろんな形でコロナについてはこういうふうにしてくれと発信していらっしゃるのですが、国としては私たち国民はどのような態度を取ればいいということを要請なさっているのか、教えていただけますでしょうか。
内閣官房 まず、10月23日に分科会が開かれまして、そこでの提言として『感染リスクが高まる5つの場面』というのが出されているんですね。その5つの場面の中に、例えば飲酒を伴う懇親会だとか、大人数で長時間におよぶ飲食とか、マスクなしの会話とか、そういったことが示されていて、政府としてもそれについて注意を呼び掛けているところです。


◎[参考動画]感染リスクが高まる「5つの場面」(内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室 2020年11月17日)

佐野   以上ですか。
内閣官房 他にどのようなことがお知りになりたいのでしょうか。
佐野   だとすると、総理大臣がそのようなことを守ってないでしょ。
内閣官房 5人以上で会食をされたということですよね。
佐野   5人以上じゃなくたって、今おっしゃった中に5人以上っていう数は入ってなかったでしょ。
内閣官房 その具体的な数については……。
佐野   5人以上ってなんか科学的に根拠があるんですか?
内閣官房 5人以上というのは、特に根拠がなくて……。
佐野   ないでしょ。飲食を控えるってことを10月何日に決まったって、おっしゃいましたよね。
内閣官房 はい。
佐野   総理大臣守ってないじゃないですか。ねえ。
内閣官房 はい。
佐野   これは内閣府の方に申し上げてもしょうがないんですけれども、総理大臣が守ってなかったら困りますよね。
内閣官房 はい。
佐野   「なんだ!」っていう話になりますよね。
内閣官房 そうですね。感染防止策についてはどのような方でも守っていただきたいと思っておりますので。
佐野   昨日、一昨日も首相の動静を見たら、夕方複数の方と飲食されてますもんね。
内閣官房 はい。
佐野   これ、国民聞かないでしょう、こんなんじゃ。むちゃくちゃパンデミック広がってるでしょ。どういうふうに収束させるおつもりなんですか、政府は。
内閣官房 引き続き感染リスクが高まる場所につきましては、こちらとしてもいろいろな場面を捉えて、呼びかけていきたいと思っております。


◎[参考動画]菅総理“マスク会食”を「徹底したい」も実践せず(ANN 2020年12月18日)

佐野   呼びかけたって、総理大臣が守らなかったら、総理大臣だけじゃなくて自民党の各派閥も昨日忘年会予定してて、急遽取りやめてるってそんな状態でしょ。政府とか国会議員の人が守る気なかったら、市民は聞きませんよ。それをどう正したらいいと思われますか。
内閣官房 それは、こちらの呼びかけが足りないということについては……
佐野   そうではないと思いますよ。一生懸命なさってると思いますよ、内閣府の方は。内閣府の方がなさっても、政治家とか大臣がそれを遵守しないということじゃないんですか。
内閣官房 はい。
佐野   とても大変な板挟み状態にいらっしゃるということではないでしょうか。今お電話に出ていただいてる方たちは。
内閣官房 個別の個人に対してここで指導するということは……。
佐野   いやいや、総理大臣は公人じゃないですか。個人じゃなくて公人だから。どこぞのおじさんがとか民間の人だったらこういうことは言いませんよ。この国権の最高権力者でしょ。その人が皆さんが言ってることを守っていなければ、それより下の人が守るわけないじゃない。簡単な理屈で。
内閣官房 はい。
佐野   それはどうお考えになりますか。
内閣官房 それは先ほど申し上げたように、こちらの呼びかけが足りない部分もあると思いますので。
佐野   われわれは聞いてますよ。国民は、そういう呼びかけがあることは聞いてますよ。だからなるべく外で食事しないように心掛けてますよ。だけど、それを発信してる上の統括者の総理大臣が、そんなことほっといて、「Go Toやめます」と言った後に宴会に行っているわけでしょ。皆さんとしてもたまらないんじゃないですか、こんなの。
内閣官房 はい。それは私が謝る立場にあるのかわからないですけれど
佐野   いえいえ違います。今お電話いただいている方に謝罪を求めているわけではないんですよ。そうではなくて、おかしいと思われませんかと聞いているだけです。
内閣官房 はい。感染リスクを高めるようなことについては控えていただきたいと思っております。
佐野   わかりました、じゃあ、内閣官房も困り果ててるというお答えでよろしいですか。
内閣官房 ……感染防止策については、実施していただきたいと思っております。
佐野   いや、菅氏の行動については、呼びかけをしているにもかかわらず、それを遵守しないので、内閣官房としては困り果ててるという答えでよろしいでしょうか。
内閣官房 すみません、私はそのようなお答はしていなかったと思うのですけれども。ただ、どのような方でも感染防止策は実施していただきたいと思っております。
佐野   彼は協力しないわけでしょ。
内閣官房 はい。
佐野   実施しないわけでしょ。
内閣官房 はい。
佐野   だったら困りませんか。
内閣官房 そうですね。
佐野   呼びかけが足らないんじゃなくて。私たちは届いていますよ、下々のものには。
内閣官房 ありがとうございます。
佐野   聞かないのは、総理大臣とかそういう人たちだけですよ。
内閣官房 はい。
佐野   それはお困りになりませんか。お困りというのは、別に憎いとかそういうことじゃなくて、お仕事上お困りにはなりませんか、そういう人が遵守してくれないのは。
内閣官房 そうですね、もし感染防止策を実施していただけないような人がいれば、していただきたいと思っております。
佐野   実施してないじゃない。10月23日の会議のことからご説明いただいたけれども、10月23日よりはるかにあとの12月の、東京都でも600人700人感染が増えている時にね、宴会に行っているわけですから。
内閣官房 はい。
佐野   それは困った人でしょ。
内閣官房 はい。ただ申し訳ございません、私個人的な意見については
佐野   個人的にお伺いしているのではなくて、内閣府として呼びかけていることに従ってくれない人ですよね。
内閣官房 そうですね、それは。
佐野   どんな職業であろうがなかろうが。
内閣官房 それは、はいその通りです。
佐野   その通りですね。はい、ありがとうございました。失礼いたします。
内閣官房 よろしくお願いいたします。

昨年12月18日加藤官房長官は「夜の会食について、感染防止策に留意しつつ継続する方向だと説明した。『感染対策と同時に、いろいろな皆さんから話を聞くのは首相にとって大切だ。批判も考慮しながら進められるだろう』」と述べた。みのもんたや王貞治と会うのが、感染対策とどういう関係があったのだろうか。またいろいろな意見を聞くのは大切であろうが、それなら公務としてなぜ昼間に会わないのか。どうして食事をしながらでなければ「意見」が聞けないのか。まったく不思議な御仁である。

▼佐野 宇(さの・さかい) http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=34

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他

格闘群雄伝〈10〉赤土公彦 ── 目指すは親子チャンピオン三組目!

◆よくある入門動機

赤土公彦(1967年6月29日大阪市出身)は時代の変わり目に突如現れた期待の新星。中学2年生の時、父親の仕事の都合で東京の小岩に転居してきたが、後に喧嘩でボクシングを習っている奴にボッコボコにされ、もっと強い競技を習って見返そうと、地元のキックボクシング西川ジムに足を踏み入れた。1983年(昭和58年)、高校入学したばかりの頃だった。

当時の国鉄小岩駅から3分ほど歩いたところにある雑居ビル5階の西川ジムは静かでガラーンとしたもの。毎度の謳い文句だが、キックボクシング界低迷期、興行を細々と続ける時代、どこのジムも閑散としたものだった。

しかし、高校一年生の赤土にとってはどうしても強くなりたいだけ。そこで見た、重く硬いサンドバッグを折るような、ベテランらしき足立秀夫の鋭い蹴りにもう一目惚れ。これは強くなれそうだとその場で入門した。

入門動機を聞いた西川純会長は「喧嘩で強くなるにはプロで20戦以上はしないとな!」と発破を掛けるが、これが後々まで強烈な印象として記憶に残り、志高く持つ動機付けとなったという。

ベテラン土田光太郎にはダブルノックダウンの末、判定負け(1985年11月22日)
10歳年上の坂巻公一をKOして王座戴冠(1986年9月20日)

◆キック界の復興の波に乗り

入門一年を経た1984年(昭和59年)9月23日、17歳でデビューを判定勝利した赤土の周囲には、「凄い先輩達だらけだった!」と言うとおりの西川純会長をはじめ、向山鉄也、足立秀夫といった激戦を経てきた先輩達だったが、入門生が滅多に入らない時期、赤土は先輩たちに厳しい指導を受けつつ、可愛がられる弟のような存在となった。

さらには業界の流れは赤土のデビューを後押しするように4団体統合による復興に一気に好転した時期だった。

しかし、デビュー翌年には同期のライバル、杉野隆之(市原)に判定負け、ベテランの土田光太郎(光)に判定負けも、1986年9月、日本フライ級チャンピオン、坂巻公一(君津)を倒し、19歳で王座に上り詰めた。

「高校三年の時、5戦3勝2敗のくせに卒業文集で『チャンピオンになります!』と宣言していたので、早期に巡ってきたチャンスのプレッシャーに潰されそうになりながら、向山先輩に江戸川の土手まで連れて行かれた坂道で、いつ終わるかも分からない過酷なダッシュを毎日、何十本と命ぜられた成果で勝てました。試合3日後に母校の文化祭があったのでチャンピオンベルトとテレビ放送のビデオを持って生徒皆に見てもらって、有言実行出来たとホッとしました」と当時を語る。

19歳で王座戴冠、当時は乱立少なく価値があった日本チャンピオンベルト(1986年9月20日)
タイ遠征、ノンタチャイジムで鍛える(1989年1月2日)

しかしそんな悠長に構えている場合ではなかった。静養のつもりで家で寛いでいると、向山先輩が訪れ、玄関で「公彦居るか!」と叫ぶとそのまま茶の間まで怒鳴り込んで来たという。

「赤土テメェ、チャンピオンになった自覚あんのか!これからが大変なんだぞ、何で練習に来ねえんだ!」と父親の前で本気で怒鳴られ、驚きつつも涙を流すほど嬉しかったという。

浮かれている場合ではないと自覚した赤土は挑戦者の気持ちを思い出し、初のタイ修行は心細い一人旅を経て、翌年3月、杉野隆之との再戦を闘志むき出しでノックダウンを奪い判定ながら同期対決に雪辱を果たした。

この1987年、復興した全日本キックボクシング連盟に移る事態が発生したが、更なる抜擢、WKA世界フライ級王座挑戦の機会を得た。

向山先輩からは「お前は今一番練習している選手だ、自信を持て!」と言われて不安は無かったと言うが、ミデール・モントーヤ(メキシコ)に僅差の判定で敗れ、慣れぬ2分制の12回戦、ヒジ打ちヒザ蹴り禁止の中での大善戦は周囲の高い評価を得た。

その後、イギリス、韓国、タイ等の国際戦を含め、全日本フライ級王座は宮野博美(光)、有光廣一郎(AKI)を退け、1990年1月、水越文雄(町田)に激闘の判定勝ちで3度目の防衛を果たすも、そこから1年半近いブランクを作ってしまった。フライ級でライバルは少なく、モチベーション低下が要因と思われた。

タイで2戦目、ランシットスタジアムに出場、緊張の試合前(1989年1月9日)

◆体調の異変

その頃、赤土に起きていたことは、「頭痛が頻繁に起こって、サンドバックを叩いても振動でフラっときて、初めて脳外科でCTスキャンを撮ったら先天性の陰があって、『もしボクシングだったらプロテスト受からないよ!』と言われてショックを受けました。そして、引退したらどうなるんだろうと考え出した頃、実家のタイル業を手伝い始めて、目標のバランスが難しくなってきた頃でした。」と語る。

脳疾患の為、暫く安静期間を過ごした赤土は、不完全燃焼のまま終わるわけにはいかないと、以前、日本チャンピオンになった直後、向山先輩に檄を飛ばされたことを思い出し、「あの頃のようにガムシャラにやってみよう!」と決意新たにした赤土は、目標を二階級制覇と定め、1991年(平成3年)4月、再起に備えタイ修行からやり直した。そして6月、自己初のメインエベンターでデンディー・ピサヌラチャン(タイ)に攻勢を許さず、3ラウンドKO勝ちし復活を遂げた。

ようやく勢いづくも同年9月、今度は初のKO負けを喫してしまう。勝っても負けてもKOの少白竜(谷山)の開始早々のパンチの突進で、第1ラウンド、あっという間に3度のダウンを奪われ、あっけなくKO負け。

「日本人に負ける気がしなかった慢心と、少白竜さんの強打を甘くみていた結果だと思います。」と反省。

ムエタイ戦士は蹴りの捌き、試合運びが上手く判定負け(1989年1月9日)

力を出し切れずにリングを降りる屈辱に、すぐに雪辱戦を申し入れると、翌1992年1月、全日本バンタム級王座決定戦として再戦が実現した。赤土もデビュー当時はジーパンをはいても48kgという貧弱な体から、この頃はフライ級には落ちないほど逞しい体に成長していた。相変わらず少白竜はKO狙って強打で突進して来るが、二の舞いは踏まずカウンターパンチで打ち勝ち、第1ラウンドKO勝ちで二階級を制覇した。 

そして休む間もなく、 期待された二大組織の交流マッチが開始された頃の同年3月、日本バンタム級チャンピオン、鴇稔之(目黒)と対戦。

鴇稔之の手数と巧妙さにやや押される部分もあったが、互いの攻防は凄まじく、5ラウンドに右ストレートでダウンを奪うが1-0の優勢ドロー。お互いの名誉と誇りを懸けた、最後に出逢えたライバルと名勝負を展開。

この鴇稔之戦を引き際と考え、リングを遠ざかった後、1994年6月、立嶋篤史とエキシビジョンマッチを披露して引退式を行ない、現役を去った。

「立嶋君とは彼の新人の頃から何度かジムで会ってもメラメラと闘志を感じていたので、戦いたい相手の一人でもあった。」と言う。一度、フライ級で対戦の可能性がわずかにあった時期があるが夢物語に終わっていた。「終了ゴングの瞬間、現役への決別に後悔したくないと右ストレートを思い切り出しちゃいました。」という終了も、そこは心の内知る二人が交わす言葉の中で打ち解けた終了となった。

[写真左]少白竜に雪辱し2階級制覇(1992年1月25日)/[写真右]チャンピオン対決、鴇稔之戦は完全燃焼したラストファイト(1992年3月21日)

◆昭和が残したキックボクサー

赤土は過去のタイ修行で2試合こなしていた。1988年(昭和63年)2月、ルンピニースタジアムに出場したが判定負け。土曜の昼興行だったが、メインイベントで相手がBBTVのチャンピオンだということは試合終了後まで知らぬまま。タイ初戦からかなり強敵だったようだ。

2戦目は1989年(平成元年)1月、ランシットスタジアムに出場。ムエタイ独特の蹴り捌き、ポイント獲り戦法に突破口を見出せず判定負け。タイではいずれも敗れ、ムエタイの壁は厚かったという。

赤土は昭和の匂いを醸し出すキックボクサーだった。そこには西川純会長の教え、向山鉄也先輩の厳しさがあった。

堂々たるチャンピオンの存在感示した赤土公彦(1994年6月17日)

西川純会長からは「プロは練習をしているんだからスタミナはあって当たり前、そして根性もみんな有るんだ。だから技を磨いてそれを競い合うんだ!」という忠告や、「チャンピオンなんだからリングの上で喜ぶな、勝って当たり前という態度でいろ!」と注意されたことも忘れられないという。古い昭和時代の考え方だが、これが本来のキックボクサーたるものだろう。

赤土公彦は引退後、家業を継ぎ、タイル・石施工・左官など外構工事を請負う「KINGタイル」代表を務め、2005年に結婚。年子の息子さんを2人儲け、小学生時代からキックボクシングに興味を持っていたという2人は現在中学生。赤土は毎朝、仕事に行く前に自宅の前で指導もする。キック界で親子チャンピオンは向山鉄也さんと羅紗陀(竜一)親子が最初で、二組目が中川栄二とテヨン(勝志)親子、現在3番目を兄弟揃って達成出来ればと頑張っている。

終了間際に悔いを残さぬ右ストレートを立嶋篤史に打ち込む(1994年6月17日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

天皇制はどこからやってきたのか〈番外編〉(上)「昭和天皇の妹」といわれた尼僧 ── 山本静山尼

正月のこととて、あまり生々しい政治論や天皇制論などは避けて、しっとりとしたテーマを選びましょう。文化論として読めば、天皇史は神仏崇拝・神社仏閣の歴史であり、和歌や宮中儀典など古今伝授をめぐる文化史でもある。

とはいえ、史実の裏側を読み解くのがこの連載の持ち味である以上、やはりスキャンダラスなものにならざるをえない。今回は「昭和天皇の妹」のことである。

すでにご存じの方も、かのお方が三島文学の最期のエッセンスのヒントになったことをめぐりながら、文学散歩としてお読みいただければ幸甚です。

◆男女の双子だった?

大正天皇は貞明皇后(九條節子)とのあいだに、4人の皇子をなした。近代天皇の中では、男ばかりつくったのは稀である。明治天皇が15人中5人の男子、昭和天皇は7人中男子は2人である。

だが、その大正天皇にも娘がいた、という説があるのだ。しかもそれは、男女の双子であったことから、畜生腹を嫌う皇室および宮内省において、他家(山本實庸子爵)へ養女に出されたというものだ。

したがって、その説は「悲劇の皇女」ということになる。その内親王になるはずだった娘の名は、山本静山尼(じょうざんに)という。

 
河原敏明『昭和天皇の妹君』(2002年文春文庫)

唱えたのは、皇室ジャーナリストの河原敏明である。

河原敏明は1952年(昭和27)に皇室ジャーナリストになり、『天皇家の50年 激動の昭和皇族史』(講談社・1975年)、『天皇裕仁の昭和史』(文藝春秋・1983年2月。文庫版は「昭和天皇とその時代にと改題)など、多数の皇室関連の著書がある。そのうちの一冊が、『悲劇の皇女 三笠宮双子説の真相』(ダイナミックセラーズ・1984年7月)なのである。

大正天皇の4人の息子たちを確認しておこう。

昭和天皇(迪宮裕仁親王)、秩父宮雍仁親王(淳宮)、高松宮宣仁親王(光宮)、三笠宮崇仁親王(澄宮)の4人である。

河原によれば、このうち三笠宮と双子だったのが奈良円照寺の門跡、山本静山尼(絲子)だというのだ。したがって、前述のとおり昭和天皇の妹ということになる。
河原説には、証言もあるという。ひとりは末永雅雄という考古学者(関西大学名誉教授)で、橿原考古学研究所初代所長を務めた人物である。もともと、この人の証言から出発した河原説である。

もうひとりは、静山尼の兄君とされる高松宮である。

『高松宮日記』昭和15年(1940年)1月18日条には「15時30分 円照寺着。お墓に参って、お寺でやすこ、山本静山と名をかへてゐた。二十五になって大人になった」とある。

円照寺は有栖川宮(江戸初期からの宮家で、大正2年に威仁親王が薨去して廃絶)ゆかりの寺院である。その有栖川宮の祭祀を継承したのが、高松宮なのである。したがって山本静山が、高松宮から「やすこ」と呼ばれる特別な人物であったことが分かる。

静山がしばしば上京したときに皇居をおとずれ、天皇をはじめとする皇族たちと歓談していたこと、それはとりわけ若いころの慣習だったなどとしている。そして静山尼が昭和天皇によく似ている、と河原はいう。

◆本人も宮内庁も否定する

河原がこの説を『週刊大衆』に掲載した当初、宮内庁側は黙殺していた。昭和の時代は、南朝熊沢天皇やご落胤説などが流行った時代でもあった。

ところが、1984年(昭和59年)1月になって再度取り上げられ、今度は大きな話題となった。同年1月20日、宮内庁はこの説を全面的に否定する声明を発表した。

さらに河原の「皇室が双子を忌み嫌う」という主張に関して、宮内庁は近代以降も伏見宮家の敦子女王と知子女王の姉妹(1907年生)が双子として誕生し、いっしょに成長した事例を反証として挙げた。

ついで、山本静山尼みずから、河原説を否定する。そして末永雅雄教授も、河原への証言そのものを否定した。

こうして、河原敏明の「昭和天皇の妹説」は、はなはだ論拠を欠くものとなってしまったのだ。

三笠宮夫妻も後年になって『母宮貞明皇后とその時代 三笠宮両殿下が語る思い出』(工藤美代子著、中央公論新社、2007年)中のインタビューで、河原の双子説を否定する。

静山尼本人は、いたって鷹揚とした女性だった。「河原さんは、もうそればっかりで」などと、笑いながらあきれたように会話し、河原の双子説を楽しんでいるかのようだ。

◆大正天皇のご落胤か?

河原の説を新しい地平に押し上げたのが、原武史(日本政治思想史・明治学院大学名誉教授)である。

原は『高松宮日記』の記述に加え、『蘆花日記』の大正4年(1915)11月25日および12月3日、『貞明皇后実録』昭和15年(1940年)9月30日、山本静山の誕生日(1月8日)と三笠宮の誕生日に1カ月あまりのズレがあることを根拠に、「崇仁とともに生まれた二卵性双生児の妹ではなく、大正天皇とある女官との間に生まれた庶子ではなかったか」と推測している(『皇后考』講談社・2015年)。

生涯、貞明皇后を唯一の伴侶にしたはずの大正天皇にご落胤があった、というのだ。これなら落ち着きやすい仮説だが、今後の研究が待たれるとしておこう。静山尼は5歳のときに京都大聖寺で落飾し、8歳で円照寺に入山したという。5歳で出家とは、いかにも理由がありそうだ。

◆三島が会った静山尼

三島由紀夫の最後の長編『豊饒の海』は、朝廷をめぐる婚姻の悲恋をひとつのモチーフにしている。第一部『春の雪』における綾倉聡子と松枝清顕の恋、そしてそのもつれから物語が錯綜し、聡子が洞院宮治典王との縁談に勅許が下ることで、禁断の愛へと転化するのだ。ふたりは逢瀬をかさね、堕胎ののちに聡子は出家を決意する。

三島は作品のモチーフを『浜中納言物語』としているが、サブモチーフには加賀前田家における悲恋、島津藩西郷家における悲恋譚を取材している。そして自身のモチーフとして、正田美智子(上皇太后)との縁談があった。

そして作品中の月修寺を取材するために、山本静山尼が門跡をつとめる円照寺を訪れたのだ。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

2020年の終わりに ── コロナ禍から学ぶものがあるとすれば 田所敏夫

◆カルロス・ゴーン逃亡で明けた2020年

2020年最大の話題として、やはり新型コロナウイルス(COVID-19)をはずすわけにはゆかないだろう。ことしはカルロス・ゴーン被告がレバノンへ逃亡した事件で幕を開けたが、あの事件は何年も昔の出来事のようにさえ感じる。思えばあの時期すでに中国から日本へ「先発隊」は飛んできていたのだろう。


◎[参考動画]「ゴーン被告を引き渡さない」レバノン強硬姿勢のワケ(FNN 2020年1月8日)

◆完全に後手に回った日本政府の対策

日本政府の対応は、完全に後手に回った。欧州での感染爆発が伝えられても、当初、国会審議中に議員はおろか閣僚の誰一人としてマスクを着用しておらず、民間人のほうが危機に対しての感応が早かった。どうしようもなくなった安倍政権は「緊急事態宣言」を発することになる。安倍の頭のなかには「うまくゆけば緊急事態宣言の実績を謳いながら、憲法改正案に『緊急事態条項』を潜り込ませることを容易にしよう」とのよこしまな考えがあったことだろう。


◎[参考動画]安倍総理「憲法論争に終止符」憲法改正に強い意欲(ANN 2020年1月17日)

安倍は国民の生命・財産・健康などにはまったく興味はなく、もっぱらみずからの〈成功〉(実は客観的にはまったく成功ではないのだが)を過剰に称揚したがる性癖の強い、低能な政治家だ。第一波が一応の落ち着きを見せた時には「日本モデルが勝利した」などと自画自賛に余念がなかったけれども、安倍の行った他国と異なる政策といえば、子供用としか思えない「アベノマスク」を全戸配布するという、素っ頓狂な行為だけであった。

これとて「中抜き」業者が利益を得る仕組みが稼働することが目論見であり、同様の「中抜き」業者が利益を得る仕組みの政策は「Go To トラベル」にも共通している。感染の可能な限りの抑え込みではなく、世界的なパンデミックに直面しても、相変わらず一部業者の利益誘導を優先していたことを、私たちは忘れてはならない。

「安倍政権を継承する」と明言し登場した菅のみっともなさは、官房長官時代の「ふてぶてしさ」とうってかわって「惨憺」の一言に尽きる。安倍を私は何度も「低能」・「原稿がないとスピーチや答弁ができない」と批判してきたが、菅のみっともなさは、まさしく「安倍の継承」にふさわしい。会食の自粛を呼びかけ、「Go Toトラベル」の一時運用停止を発表した足で、みのもんたや王貞治らとの会食に出かけたニュースを耳にした世論は、さすがに菅の態度に内閣発足以来最低の支持率39%を突きつけた。そして国民あげての批判に対しても、加藤官房長官は「総理はこれまで通り、いろいろな意見を伺うために会食は続けてゆく」と開き直っている。


◎[参考動画]「大声上げない」“成功のカギ”!?海外で注目「日本モデル」(FNN 2020年5月26日)

◆倒錯しているかのような光景 ── 感染拡大に無神経になったひとびと

12月に入り、毎日のように過去最高の感染者・重症者数が報じられる中、都市部での人出は、むしろ増えているそうだ。2011年に福島第一原発が大事故をおこしたあと「直ちに健康に影響はない」と当時官房長官だった枝野が連呼しても、福島はもちろん関東あたりの人々の中には、恐怖や警戒が数年は持続したように感じる。

ところが今次の新型コロナウイルス感染爆発に対しては「緊急事態宣言」が発せられたとき、「ここは別世界ではないか」と思わされるように人影が消え、パチンコ店には「自粛警察」(!)が営業妨害に訪れたあの光景と、まったく異なる様相がわずかあれから半年ほどのいま、12月後半に展開されている。


◎[参考動画]安倍総理 緊急事態宣言の全国拡大で記者会見(テレビ東京 2020年4月17日)

「緊急事態」の響きに市民は誠に忠実であった。当時わたしは自宅から京都のかかりつけのクリニックへ通院のために自家用車で出かけたが、京都市内にはまったくと言ってよいほどに自家用車は走っておらず、もちろん旅行者の姿はなかった。コロナウイルスに対する恐怖はもちろんであるが、日本人のこの徹底的といってもよいほどの「緊急事態宣言」に対する素直な姿勢に、正直言えば、少々気持ち悪さを感じた。

よその国がどうであるかどうか、は問題ではない。日本政府は明らかに感染封じ込めに対して無能であったし、むしろ感染を拡大させる「Go To」なる愚策を「経済政策」と称して実施し、案の定感染は拡大した。様々な業種の方々が、事業を断念したりギリギリの経営状態で踏みとどまっている。ことに個人経営の事業主の方々は想像を絶する苦境に置かれている。その一方でバブル以降株価が最高値を記録している現象は、どこかおかしくはないか。


◎[参考動画]株価一時500円高 バブル後の最高値を2日連続更新(ANN 2020年11月25日)

◆コロナ禍から学ぶものがあるとすれば

つまり、世界に広がる感染拡大の中で、日本においてはまことに不可思議な、本来両立しえない、あるいは背反するはずの諸現象が同時に、あたかも整合性があるかのごとく成立している。国策だけではなく、地方行政や企業の態度から個人の行動に至るまで、論理性や一貫性を大きく欠いた日常が常態化してきているのではないだろうか。

書籍に記録は残っていても、今を生きる人類の誰一人経験したことのない世界的感染拡大の中で、平時には気づくことが難しい特定集団の持つ、行動様式や思考傾向が表出している。むしろその中にこそ分析や研究の対象とすべき「核」のようなものがあるのではないだろうか。2020年われわれが得たものがあるとすればそれに尽きるような気がする。

本年もデジタル鹿砦社通信をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。困難が予想されますが、2021年が読者の皆様にとって幸多き年となりますよう祈念いたします。


◎[参考動画]全世帯へ布マスク2枚ずつ配布へ 安倍総理発言全編(ANN 2020年4月1日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

2020年時事総括〈下半期〉安倍コロナ敗戦辞任残務処理に追われる菅トホホ内閣

首都圏に住んでいると、三方を山に囲まれた地形ゆえにか、列島を襲う天変地異と無縁な気がしてくる。それは阪神地区や中京地区にもいえる、歴史的に平野が都市化に向いていたことの反映なのだろうか。テレビやネットで各地の災難をみるたびに、記憶を新たにしなければならないと思う。

今年も自然の災禍はやってきた。松岡代表の故郷熊本は、球磨川沿いの狭隘な地域が集中豪雨に見舞われた。焼酎の取材で訪れたこともあるが、狭い川沿いに伝統的な家屋があつまる、その意味では良水にめぐまれたところならではの、名酒の産地である。

「わが故郷・熊本が未曾有の豪雨被害に遭いました。4年前の熊本地震は、熊本市を中心とする県内北部での被災でした。今回は人吉市を中心とする球磨川沿いの県内南部の被災でした。亡くなられた皆様に心より追悼申し上げ、被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。」
「私や鹿砦社はこれまで、壊滅的打撃を受けた15年前の出版弾圧(2005年)、その前の阪神大震災(1995年)など、幾度となく困難に見舞われてきましたが、その都度、皆様方のご支援を賜り運良く乗り越えてまいりました。会社を再興したここ10年は、ヒットが続いた際には、高校の同級生がライフワークとして始めた島唄野外ライブ「琉球の風」はじめ志あるイベントや運動に利益を還元してきました。寺脇研さんの映画や3・11東北大震災(日本赤十字社)などにも100万円単位で寄付しました。中には還元する相手を見誤ったこともありましたが(苦笑)。今はそうもいかなくなりましたが、何卒ご容赦ください。
 そのようにお金に執着しない生き方をしてきた私もそろそろリタイアーを考えないといけない歳になりましたが、こんなことをやってきましたから、建売の23坪の自宅1軒が残ったぐらいで資産も預金も残せませんでした。無計画な中小企業経営者には退職金もありません。3千万円も4千万円も退職金をもらえる公務員が羨ましくないわけではありませんが、小役人的生き方を拒否してこの仕事に入ったわけなので、まあ仕方ありませんね。今のところはまだましなほうでしょう。なにしろ15年前は地獄に落とされ、「もう終わったな」と思ったぐらいですから──。とりとめのない話になりましたが、自分を鼓舞するために書いています。たまにはご容赦ください。ともかく今が踏ん張りどころ、「がまだす」しかありません。」(松岡利康 2020年7月21日)

年末にいたり、ようやく中断となったGoToトラベルキャンペーン。われわれは起動段階から警告を発してきた。

「今回の『Go To トラベル キャンペーン』を総理に提案したのは、その今井秘書官の指揮のもと、新原浩朗経産省産業政策局長だといわれている。この新原局長は内閣官房で日本経済再生総合事務局長代理補の肩書もあわせ持ち、今井氏と働き方改革や教育無償化など、総理肝いりの政策を実現させてきた人物だ。」
「そもそも「Go To トラベル キャンペーン」は、収束後の政策ならぬアイデアだったはずだ。じつはここに、安倍政権の本質が顕われているといえるのだ。危機管理にからっきし弱く、天災や今回のような疫病禍など困難には耐えられない。それゆえに、なるべく明るい話題に飛びつく。早すぎるアイデアの実行に飛びついてしまうのが、安倍総理の抜きがたい体質なのである。」
「もしも安倍政権が想定したとおりに観光が動いたとして、もしもコロナ感染がその観光地で拡散、死者が出たらどうするのだろうか。総理を辞任して済むような話ではないのだ。『Go To トラベル キャンペーン』の予算は1兆7000億円だという。持続化給付金同様に、大手代理店が中抜きをするのだという。そんなことであれば、その巨額予算はただちに観光業界の支援金に回すか、ホテルや旅館を感染者の一時待機施設として確保する。そんなアイデアこそ実現するべきではないか。」(横山茂彦 2020年7月18日)

8月段階で、全国の感染者はまだ1000人越えにすぎなかった、と今にして政府の失政を顧みるしかない。もっと声を大にして、Go To トラベルの危険性を訴えるべきであった。5月、6月と低減、あるいは封殺されていたコロナ感染を、この愚策は反転攻勢させてしまったのだ。そこには利権の構造があった。

「全国の感染者がデイリー1000人を越え、とくにウイルス感染の「密集・密接」が顕著な大都市東京において、いよいよ460人越えの感染者数となった(7月31日)。医療崩壊を怖れるあまり、PCR検査にハードルを課してきた厚労省官僚(医系技官)および国立感染研のテリトリー主義の結果、日本はいよいよウイルス禍のなかで滅亡のきざしを経験しつつある。」
『「週刊文春」によると、この『Go To トラベルキャンペーン』の推進者である二階俊博自民党幹事長をはじめとする自民党の観光立国調査会の役職者37人が、旅行関連業者(ツーリズム産業共同提案体)から4200万円もの政治献金を受け取っていることがわかっている。つまり、こういうことだ。国民をウイルス禍にさらす旅行キャンペーン(旅行費の35%補助、15%のクーポン支給)は、旅行業界からの政治献金(限りなく賄賂に近い)への見返りだということなのである。この『観光立国調査会』という組織は、二階幹事長が最高顧問を務め、会長は二階氏の最側近で知られる林幹雄幹事長代理、事務局長は二階氏と同じ和歌山県選出の鶴保庸介参院議員である。
 そして実際に『Go To トラベルキャンペーン』の事業を1895億円で受託したのが、上述の『ツーリズム産業共同提案体』なる団体である。自民党議員に4200万円を寄付したのも、じつはこの団体を構成する観光関連の14団体なのだ。
 そもそも二階幹事長は観光立国調査会の最高顧問を務めるばかりか、全国旅行業協会(ANTA)の会長でもある。この全国旅行業協会が、上述した観光関連14団体の中枢を構成するのはいうまでもない。二階幹事長はいわば、旅行業界のドンなのである。またもや利権政治、国民の生命を危機に晒しながら利権を追及するという、超の付く政商ぶりを発揮していると言わざるをえない。」
「週刊文春の記事から引用しておこう。『(ツーリズム産業共同提案体)は全国5500社の旅行業者を傘下に収める組織で、そこのトップである二階氏はいわば、”観光族議員”のドン。3月2日にANTAをはじめとする業界関係者が自民党の「観光立国調査会」で、観光業者の経営支援や観光需要の喚起策などを要望したのですが、これに調査会の最高顧問を務める二階氏が「政府に対して、ほとんど命令に近い形で要望したい」と応じた。ここからGo To構想が始まったのです』(自民党関係者)。これこそ、政治の私物化にほかならない。」(横山茂彦 2020年8月3日)

政府の失政は、もっとも困難な生活者たちを直撃する。自治体もまた、独自の利害で動いてしまう。そこには人間への視点がないのだ。

「7月6日、昨年閉鎖されたセンター前に組合のバスを置く釜ヶ崎地域合同労組や、北西角に団結テントを設置する仲間に、『土地明け渡し請求事件』の訴状などが届いた。『出ていけ!』と訴えるのは大阪府だ。コロナ災いが続く中、センターから野宿者を追い出したいのは、都構想とリンクする西成特区構想を前に進めたいがためだ。」
「コロナ対策の特別定額給付金の支給も大阪が一番遅れている。大阪都構想を進める副首都推進局の職員数80名以上に対して、特別定額給付金を担当する市民局の職員数が18名と非常に少ないことも理由の1つだろうが、市民局がどこにあるかも『非公開』にするなど、吉村知事、松井市長のコロナ対策はあまりにいい加減過ぎるからだ。」(尾崎美代子 2020年7月17日)

コロナ禍を押しとどめられない段階で、安倍が政権を投げ出すのは目に見えていた。彼がなしえたのは、わずかに「アベノマスク」なる実効性も実現性もない、小手先のプレゼントだったのだから。これが7月末の、われわれの指摘だった。そして継承者の岸田がつまづく中で、自民党は次善ならぬ「次悪」の選択肢に向かうのだ。これもわれわれの予想どおり、最悪のものとなった。

「新型コロナ防疫対策で、無策と危機管理のなさを露呈した安倍政権が末期であることは、もはや誰の目にも明らかとなっている。朝日新聞が実施した世論調査(2020年5月第2回調査)によれば、支持29%、不支持52%である。安倍総理に批判的な朝日新聞とはいえ、29%という数字は危険水域であろう。
 共同通信が6月17~18日に行った調査では、安倍政権の支持率は44.9%で前回より10.5ポイント低下。不支持の43.1%と拮抗する結果であった(共同の調査では、2012年の第2次安倍政権発足以来、安定して50%以上の支持率を保っていた)。」
「岸田氏の肝煎りとされた新型コロナウイルス対策の『減収世帯への30万円給付』が、公明党が求める一律10万円給付に覆されたことだ。これによって力量不足が露呈し、各種世論調査の『次の首相にふさわしい人』では石破氏に大きく水をあけられたまま、差が縮まる気配もない。総理周辺は「あれでは石破氏に負けてしまう」と危機感を隠さない。」
「そこでにわかに浮上してきたのが時事報が伝えるとおり、菅義偉官房長官の中継ぎ総理・総裁就任説である。」(横山茂彦 2020年7月28日)

カウンターリンチ事件の検証、および鹿砦社に対する名誉棄損裁判である。そして、鹿砦社と特別取材班が懸念してきた、暴力事件の再発である。この事件にとつをとってみても、本件裁判の意義、必要性は明白であった。

◎【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書14】 闘いはまだ終わってはいない!(12) 平気で嘘をつく人たち(5) ~ 香山リカの場合(松岡利康 2020年7月2日)
◎【同15】 リンチ被害者M君を村八分にした「エル金は友達」祭りの首謀者・朴敏用が「あらい商店」再開! 再びしばき隊/カウンターの根城構築か? (松岡利康 2020年7月8日)
◎【同16】「黒田ジャーナル」の流れを汲む『新聞うずみ火』は、リンチ事件を黙過し耳触りの良い記事を掲載する前に、凄惨なリンチ事件に対する見解を明らかにせよ! 「黒田精神」は何処へ?(松岡利康 2020年7月14日)
◎【同17】あらためて〈差別〉について考える──鹿砦社特別取材班キャップで広島原爆被爆二世の田所敏夫さんのカミングアウトに触発されて(松岡利康 2020年8月25日)
◎【同18】〈差別と暴力〉について(松岡利康 2020年8月27日)
◎【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)続報】対李信恵第2訴訟、いよいよ天王山へ! 11・24、本人尋問決定! M君リンチ事件検証・総括本も編集開始! この4年余りのM君支援―真相究明の〈総決算〉を勝ち取ろう!(松岡利康 2020年9月7日)
◎【カウンター大学院生リンチ事件(別称・しばき隊リンチ事件)裁判報告】【前編】 2020年11月24日、鹿砦社対李信恵第2訴訟本人(証人)尋問行われる! 鹿砦社と李信恵らが直接対決! 鹿砦社側「圧倒」!! (鹿砦社特別取材班 2020年11月26日)
◎【カウンター大学院生リンチ事件(別称・しばき隊リンチ事件)裁判報告】【後編】 2020年11月24日、鹿砦社対李信恵第2訴訟本人(証人)尋問行われる! 鹿砦社と李信恵らが直接対決!鹿砦社側「圧倒」!! 終了後の当日夜、傷害事件発生!!(鹿砦社特別取材班 2020年11月27日)
◎《速報》歴史は繰り返すのか ──「M君リンチ事件」は教訓化されていない! 「カウンター/しばき隊」中心メンバー・伊藤大介氏逮捕について(鹿砦社特別取材班 2020年12月10日)

永遠の名作『はだしのゲン』の優れたリアリズムこそ、戦争のあるがままの姿を暴いている。

「テレビや新聞が毎年夏に繰り広げる戦争報道では、広島もしくは長崎の被爆者が『歴史の証人』として登場し、原爆や戦争の悲惨さを語るのが恒例だ。今年も例年通り、そういう報道が散見された。こういう報道も必要ではあるだろうが、残念なのは、被爆者たちが戦時中、自分自身が戦争に対して、どのようなスタンスでいたのかということを語らないことだ。」
「その点、『はだしのゲン』はそういうセンシティブな部分から目を背けない。この作品では、原爆の被害に遭った広島の町でも、戦時中は市民たちが「鬼畜米英」と叫び、バンザイをしながら若者たちを戦場に送り出していたことや、戦争に反対する者たちを「非国民」と呼んで蔑み、みんなで虐めていたことなどが遠慮なく描かれている。」
「『はだしのゲン』がさらに秀逸なのは、他ならぬ主人公の少年・中岡元やその兄たちも戦時中、必ずしも戦争に反対していなかったように描かれていることだ。」「さらに元は他の少年たちから非国民扱いされ、差別される一方で、自分自身も朝鮮人のことを差別する言動を見せている。たとえば、顔見知りの朝鮮人男性と一緒にいるところを他の少年たちにからかわれ、その朝鮮人男性に対し、一緒にいたくないということを直接的に伝えたりするのである。」「テレビや新聞の型どおりの戦争報道とは一線を画していると思うし、後世に残すべき作品だと思う。」(片岡健 2020年8月26日)

安倍辞任はわれわれのみならず、おおかたのメディアが予測してきたところだ。桜を見る会をはじめとする自身の政治疑惑に疲れ、新型コロナ防疫においては、ほとんどなすところのなかったお坊ちゃん宰相にとって、公然と病院検査をアピールする健康不安が最適の言い訳だった。8月末の記事である。

「予想された辞任劇だったが、まずはお疲れ様と申し上げておこう。そして、2期8年8か月におよぶ安倍政権というものが、国民と苦難をともにする指導者集団ではなく、危機において政権を投げ出す無責任な指導者に率いられた集団だったことに思いを致さずにはおれない。二度目の投げ出しである。」
「持病の潰瘍性大腸炎も、上部消化器系ほどではないが、ストレス性の発作疾患である。第1期においては、お友達内閣の辞任連鎖のはてに、参院選挙における敗北というストレスで政権を投げ出さざるをえなかった。今回は明らかに、コロナ防疫の失敗、その困難さゆえのストレスに負けたのだ。」
「世の中が好展開しているうちはいいが、いったん困難に向かうと、たちどころにストレスに負けてしまう。これでは政治家の価値はない。安倍晋三という人物は、まさに政治家の土性骨をもたない、お坊ちゃま政治家だったのである。」

憲法改正、拉致問題の解決という、安倍自身が政権に就くためのスローガンは、むなしく果たされないままだった。

「政権の最重要課題として、安倍総理は『憲法改正』『拉致問題』『北方領土問題』を掲げてきた。」
「このうち憲法改正は、辻本清美の『自衛隊が合憲か否かを、国民投票でやっていいんですか? かれらに国民が「違憲だ」とされてもいいんですか?』という、単純きわまりない質問で頓挫した。」
「そう、自民党の改憲草案および安倍私案は、自衛隊の合憲化にとって諸刃の剣なのである。小心者の安倍は、ついにルビコンを渡れなかった。」
「拉致問題はどうだろう。安倍にとってこの問題は、政権獲得の原動力だったばかりではなく、やはり諸刃の剣だった。いったんは北朝鮮の対日大使をつうじて、二度にわたる調査団を派遣するも、結果が思わしくないとなると調査を凍結(ストックホルム合意を反故)してしまった。」
「拉致された日本人たちが『帰りたくない』と言ったのか、あるいは『全員死亡、未入国』(北朝鮮)が事実だったのか。家族会には何も伝えないまま、北朝鮮が一方的に『調査を中止した』と言いくるめてしまったのだ。日本外務省の調査団は自主的に帰国した。」
「『北朝鮮による拉致問題は、私の内閣で必ず解決いたします。拉致被害者を最後の1人まで取り戻し、全員が家族と抱き合える日まで、私は必ずやり遂げると国民の皆さまにお約束いします』というのは、嘘となったのである。」
「いま、家族会をはじめとする拉致問題支援者たちは、安倍の不実を批判しているという。総理の座を射止めた政治テーマにおいて、かれは総理の座を追われたのかもしれない。」(横山茂彦 2020年8月29日)

女の敵は女、とはよく言ったものだ。

「ジャーナリストの伊藤詩織氏が、予告どおりセカンドレイパーを提訴した。元TBS社員の山口敬之氏から性的暴行を受けた(2020年1月、民訴で認定)伊藤氏は、2017年に実名を明らかにした後、ネット上で事実に基づかない誹謗中傷を受けていたのだ。」
「提訴の要件がみずから書いた『ツイート』ではなく他人のツイートへの『いいね』だけなのであれば、かなり微妙かつ画期的な司法判断が問われることになる。」(横山茂彦 2020年8月24日)

「杉田水脈(みお)衆議院議員の自民党内閣第一部会・内閣第二部会合同会議で発言したとされる。この会議に出席した複数の自民党関係者の証言から、共同通信が配信したものだ。」
「部会の会議では、男女共同参画の来年度要求予算額についての説明が行なわれ、その中で『女性に対する暴力対策』に予算が建てられたことを巡っての発言だったという(本人のブログから)。つまり、女性への暴力について『女性はいくらでも嘘をつける』と、あたかも被害者女性がウソをつくから問題だ、とでも云う被害者バッシングを行なっていたのだ。」
「慧眼な本欄の読者諸賢ならば、すぐに思い起こされる事件があるだろう。安倍政権の御用ライター・山口敬之のレイプ事件を擁護した、杉田の一連の発言。とりわけ、彼女のセカンドレイプに係る訴訟事件である。」
「どうしてこんな低レベルの政治家が生まれたのだろうか。杉田はもともと、日本維新の会から衆議院選挙(2012年)に出馬し、選挙区(兵庫6区)で敗れたものの、比例区(近畿ブロック)で復活当選した議員である。2014年の維新の会の分裂にさいしては次世代の党に参加し、2014年の衆議院選挙で落選している。つまり、いずれも選挙区では落選しているのだ。」「国民にウソをついたのだから、さっさと辞職するべきであろう。そもそも杉田水脈には、国民に選ばれた国会議員の地位にしがみつく正当な理由はないのだから。」(横山茂彦 2020年10月2日)

安倍の後継者は、最悪の法律知らずだった。この男の勘違いを、とことん叩き直さなければならない。引用が少々長くなるが、法理論的な論点をしっかりと把握してほしい。

「おそらく政治の権限というものを、あまりにも単純に考えているのだ。国民の負託を受けた政治権力(総理大臣)は、その任免権において何をやっても許されるのだと。ヒトラーの全権委任法を、21世紀において実行しようとしているかのようだ。」
「日本学術会議の新会員任命(任期3年)について、菅総理は105名のうち6人を任命しないという処置をとった。史上初めてのことである。」(横山茂彦 2020年10月3日)

「ここまでの問題点、および議論を整理しておこう。学術会議法(7条2項)によれば、会員の任命は『学術会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する』であるから、総理大臣は『任命しなければならない』とするものだ。つまり『任命』はできても『選任』はできないのだ。これを混同したところに、菅総理の瑕疵がある。」
「この任命とは『内閣総理大臣は国会の指名に基づき、天皇が任命する』『最高裁長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命する』(憲法6条)と同様で、『任命者は拒否できない』ということなのだ。」
「行政官たる閣僚が内閣総理大臣に任命されたり、省庁の行政官僚が大臣に任命されるのとは、したがって明確な違いがあるのだ。この独立性の必要は後述するが、学問の自由および学術会議が成立した理由にかかわる問題なのだ。」
「今回の政府側の任命拒否の理由は、一般社会および官僚組織から理解しがちな誤りだともいえる。」
「いわく『内閣府の所轄であり、総理大臣に任命権が存在する』というものだ。さらには、学術会議の会員は『特別公務員であるから、任免は総理大臣が行なう』と、その行政的な性格を述べている(いずれも加藤官房長官)。いずれも誤りである。」
「前回の記事(10月3日)でも明らかにしたとおり、学術会議法第3条には『学術会議は独立して……職務の実現を図る』とある。この独立性は言うまでもなく、学問の独立(憲法23条)に根ざしている。と同時に、科学および学問の戦争協力を反省することこそ、学術会議が発足する契機であったからだ。学術会議の存在意義とは、戦争の反省の上に立った『政治と学問の分離』なのである。」
「したがって、学術会議が政権からの独立性を強調しても、し過ぎるものではない。なぜならば、この独立性こそが、政府への諮問・提言が効果的・有効たりうる担保だからだ。政権の云うままの学識者ばかりであれば、その提言は何ら有意義な内容を持たないことになる。国政の方向性もまた、長期的な展望を欠いたものになるであろう。菅のような権力万能論者には思いもよらないことかもしれないが、政策にとって批判こそが有益なのだ。」
「ここに一般社会での任免権とは明確にちがう、学術会議の独立的な性格があるのだ。なかなか理解しづらいことかもしれない。」
「たとえば、任命(管理)責任が総理にあるのだから、任命の拒否も当然なのではないか。あるいは、税金を使っているのだから総理大臣が任免に責任を持つべきだ。という感想を抱く人もいないではないだろう。だが、そうではないのだ。」
「国政のうち、とりわけ科学技術や国防安保政策など、国家の方向性をめぐるきわめてセンシティブなテーマ、慎重を要する法案などについては、ひろく識者の意見を取り入れることが肝要である。国庫から10億円の予算を割いて、学術会議としての諮問機関を設置するには、その独立性こそが要件である。なぜならば、総理大臣には学術会議会員の任免の専門的な能力がない。そして多様かつ批判的な意見こそが求められるからだ。」(横山茂彦 2020年10月6日)

それにしても、可愛らしいほどのポンコツ総理である。菅を批判する人々が、ちょっと情けない、あまりにもお粗末との感想を漏らすのも理由がある。

◎学術会議問題を収拾できなければ、政治危機をまねく危機感から研究者たちを「扇動者」呼ばわりする菅義偉首相のポンコツ答弁(横山茂彦 2020年11月10日)

◎“GO TO 停止”発表直後に国民の血税で豪遊する菅義偉ポンコツ総理のトホホ晩餐会 ── 言行不一致の末、感染防止「勝負の3週間」の敗北が確定(横山茂彦 2020年12月18日)

部落問題へのアプローチである。けっして「マズイこと」が起きたのではないことを、まずは確認してもらいたいと思います。日本は差別社会であり、部落差別は水や空気のように存在する。がゆえに、議論が必要なのだ。多くの方に議論への参加を参加を呼びかけたい。

◎月刊『紙の爆弾』11月号、本日発売! 9月号の記事に対して解放同盟から「差別を助長する」と指摘された「士農工商ルポライター稼業」について検証記事の連載開始!(松岡利康 2020年10月7日)
◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈前編〉(横山茂彦 2020年11月12日)
◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈後編〉(横山茂彦 2020年11月17日)

最後になりましたが、今年も本通信をお読みいただき、ありがとうございました。言葉不足や熟慮の足りなさから、ご批判はもとより御不快をあたえることもあったやに思いますが、しょせんは未熟者の所業とご勘如いただければ幸甚です。みなさまの弥栄を祈念しつつ、筆を置きます。よいお年を。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

2020年時事総括〈上半期〉コロナに始まりコロナ禍で深まった安倍政権の危機

2011年3.11いらい、われわれ国民が異様な年として記憶する2020年になりそうだ。コロナ禍発生の年として、日本のみならず人類史に刻まれることだろう。

今年はクルーズ船のコロナ感染に始まった。記事から引用しよう。

「2週間の拘束となっている豪華クルーズ船ダイヤモンドプリンセスの乗客、3,771人(乗員1,000人余をふくむ)から、新たに3人の感染(累計64人)が判明した。濃厚接触者273人のほかに、70歳以上の乗客(1,000人)には、再検査が行なわれているという」
「バカンスのためにクルーズしていたのに、まるで罪人のように船室に拘禁されるとは、乗船している方々に同情するしかない。報道によれば、船内感染を予防するために、船室から出ることも禁止されているという(窓なし船室の客だけデッキに出られる措置となった)。また、香港でも別のクルーズ船(3,000人乗船)に乗客の下船が禁止されている。日本政府は新たなクルーズ船の入港を拒否する方針だという」(横山茂彦 2020年2月9日)

当初、その論調はクルーズ船の乗客たちを「棄民」化する政府の無責任を指弾するものだった。ところがこのクルーズ船には、とんでない秘密があったのだ

「すでにネットでは公然と語られるいっぽうで、マスコミが報じない脱法行為が存在する。いや、すでにその華やかな幕は下りてしまったが、ここ半月ものあいだ繰り返し報じられてきたクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセスに秘められた、とんでもない事実があるのだ」
「外国船籍であり、なおかつ公海上に出るという外洋クルーズによって、可能となっていたのがカジノである。比較的低価格で乗船できるプリンセスクルーズの場合、日本人客にカジノを体験させ、その上がりでペイするという側面もあったのではないか。とりあえず、ダイヤモンド・プリンセスがカジノ船であったことを、ほかならぬプリンセスクルーズのホームページから引用しよう」(横山茂彦 2020年3月9日)

けっきょく、クルーズ船から感染者を降ろすことで、市中に感染症がひろがった。台湾やベトナム、発生地とされる中国武漢、あるいは韓国でPCR検査がほぼ完全に実施されるなか、日本政府は後手を踏んだのである。

「感染の疑いを感じている国民が、PCR検査を受けられないという事態がつづいている。かかりつけの医院から検査機関に連絡をしても、中国武漢・湖北省の旅行歴がなければ受けられない。民間に検査をさせないから、旅行歴の基準を充たさない感染者が重篤に陥っているのだ」
「そしてこの事態に危機感をもった、元感染研の岡田晴恵教授が悲痛な告発をしたことが話題になっている。『これはテリトリー争い』『感染研のOBの一部が、自分たちのデータにしたいから、民間での検査をさせないんです』(テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー)というものだ。本稿の冒頭に、ICTVとWHOが新型コロナの学名を、それぞれ独自に発表しているように、医科学界は縄張り主義がつよい。かれらの功名(権威の獲得)や利権(予算の獲得)が国にとって、何の益をもたらさないのは言うまでもない」(横山茂彦 2020年3月3日)

このあと、春のゴールデンウェークにかけて自粛、さらには緊急事態宣言が発せられ、いったんコロナ禍は沈静化にむかう。

鹿砦社および支援者たちが取り組んできた、カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)がほぼ決着をむかえた。これも2月の記事から引用したい。

「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、巷間では「しばき隊リンチ事件」と呼ばれる、大学院生M君に対するリンチ事件で、ようやく確定判決で認められた賠償金が、金良平氏の代理人に就任した神原元弁護士からM君の代理人大川弁護士に振り込まれました。当初の代理人は別の弁護士でしたが、今年になり、なぜか代理人が交替しましたけど、まずはこの事件の一つの区切りといえる」(鹿砦社特別取材班 2020年2月7日)

そして検証作業が行なわれたので、ふり返ってみることにしたい。

◎【「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書1】朝日新聞・阿久沢悦子記者の蠢きと、「浪花の歌う巨人」趙博の突然の裏切りについて(松岡利康 2020年4月27日)
◎【同2】みんなグルだった!? (松岡利康 2020年5月25日)
◎【同3】闘いはまだ終わってはいない!「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」!(松岡利康 2020年5月28日)
◎【同4】闘いはまだ終わってはいない!(2)私は血の通った一人の人間としてM君リンチ事件(被害者救済・支援と真相究明)に関わってきた(松岡利康 2020年5月30日)
◎【同5】闘いはまだ終わってはいない!(3) 真実を偽造させない!(松岡利康 2020年6月3日)
◎【同6】闘いはまだ終わってはいない!(4) 李信恵「陳述書」を批判する-01(松岡利康 2020年6月5日)
◎【同7】闘いはまだ終わってはいない!(5) 李信恵「陳述書」を批判する-02(松岡利康 2020年6月8日)
◎【同8】闘いはまだ終わってはいない!(6) 李信恵「陳述書」を批判する-03(松岡利康 2020年6月10日)
◎【同9】闘いはまだ終わってはいない!(7) 李信恵「陳述書」を批判する-04(松岡利康 2020年6月12日)
◎【同10】 闘いはまだ終わってはいない!(8) 平気で嘘をつく人たち(松岡利康 2020年6月16日)
◎【同11】 闘いはまだ終わってはいない!(9)平気で嘘をつく人たち(2)~ 野間易通の場合(松岡利康 2020年6月20日)
◎【同12】闘いはまだ終わってはいない!(10)平気で嘘をつく人たち(3)~ 再び李信恵の場合(松岡利康 2020年6月22日)
◎【同13】闘いはまだ終わってはいない!(11) 平気で嘘をつく人たち(4) ~ 師岡康子の場合(松岡利康 2020年6月25日)

安倍政権をゆるがす、総理の犯罪の実態があきらかになってくる。安倍長期政権は極右政権という印象とともに、第一次政権がそうであったように、お友だちを大切にする利権政権でもあった。その典型例が森友・加計学園であり、桜を見る会であろう。単に利権を友だちと分け合うならば実害は少ないが、わたしは間違ったことをしていない、と強弁することで不要な忖度を生み、犠牲者を出してきたのである。3月の記事から引用しよう。

「赤木氏の遺書が明らかになり、その遺書に対して『新たな事実はない』『再調査を行うつもりはない』と開き直る安倍総理。遺族(赤木氏の妻)の『自殺の原因は、安倍総理の発言を佐川理財局長(=当時)が忖度した』という主張に対しては、赤木氏が遺書に書いたわけではない、と切り捨てる安倍総理。そして野党議員の追求をかわす総理のかたわらで、ニヤニヤしながら笑みを見せている麻生財務相。憤死した死者に鞭打つかのような冷酷さに、国民の怒りは頂点に達しているといえよう」
「赤木さんの妻は23日に2度目となるコメントを発表した。そのなかで『怒りに震える』と感情をあらわにしている」
「今日、安倍首相や麻生大臣の答弁を報道などで聞きました。すごく残念で、悲しく、また、怒りに震えています。夫の遺志が完全にないがしろにされていることが許せません。もし夫が生きていたら、悔しくて泣いていると思います」
「新型コロナウイルスが猛威をふるう中、政府および自治体がイベントや花見の自粛を国民に求めている状況下、昭恵夫人はレストランで多人数の花見に興じていたというのだ(「週刊ポスト」)。総理夫人が花見に興じているいっぽうで、国民には外出の自粛を強要し、花見ができる公園を封鎖する政府に、なぜ従わなければならないのだろうか」(横山茂彦 2020年3月31日)

そして安倍総理は、みずからが訴追されることを怖れて、三権分立を掘り崩す暴挙に打って出る。検察人事への介入である。

「これほど法案反対が国民的な運動になったのは、いつ以来だろうか。いうまでもなく、検察定年延期法案(検察庁法改正)に対する批判である」
「ネット上では法案反対の声が1000万ツイートにもおよび、安倍政権への国民の怒りを象徴している。小泉今日子や東ちづるなど、国民的人気の芸能人が反対を訴えることで、コロナ不作為とはまた別の意味で、安倍政権の致命傷となりそうな気配だ。政府は強行採決も辞さない構えだが、そのことが「消えた年金」以来の自民党凋落の予兆となることを、ここに指摘しておこう」
「とくに安倍政権にというよりも、官房長・事務次官時代をつうじて、政権一般に協調的・親和的といわれる黒川弘務検事長の定年延長(閣議決定)を、安倍総理はさりげなくやったつもりだった。森友・加計・桜を見る会という具合に、総理自身の利益供与、公職選挙法違反という刑事訴追の可能性も浮上してくる中、おそらく軽い気持ちでやったのではないか。じっさい、市民運動家や弁護士による安倍総理刑事告発が、複数回にわたって官邸を悩ませてきた」
「しかしそれは、卑怯な戦術として国民の目に映った。国民の目には、官邸が訴追を怖れるあまり、三権分立を侵す検察官の人事権を掌握する挙に出たと映ったのは、あまりにも当然のことだった」
「黒川検事の定年延長をきめた閣議が法的担保のない、行政行為(法解釈の変更)であるのとは違って、停年延長法は検察に対する官邸の優位を決定づける。もはや形式的な任命権。すなわち検察官を内閣の指名により天皇が任命するという、法手続きの域を超えてしまうがゆえだ。まさに訴追権を時の政権が掌握するという、ナチス政権ばりの独裁法(全権委任法)である」
「それゆえに、松尾邦弘元検事総長は『内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更』することが『フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』という中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない』とまで安倍政権を批判しているのだ」(横山茂彦 2020年5月17日)

しかし、民意は安倍政権を追い詰めた。国民は訴追逃れの卑劣な法案を葬り去ったのである。(横山茂彦 2020年5月19日)

いっぽう、コロナ禍による影響はスポーツ界にも波及していた。安倍首相の緊急事態宣言後のキックボクシング界の経営難をレポートする。

「キックボクシングに限らず、多くの競技が先行き未定の興行中止や延期となり、ジムが自粛休業された所属選手は試合出場を目指して、今は出来る範囲でひたすら身体が鈍らないように自己練習に明け暮れる日々」
「自粛休業も、賃貸で経営するジムは家賃・光熱費が大きな負担となってくるので、経営難に陥るジムも出てくることが懸念されています」
「昭和50年代後半のキックボクシング低迷期、国内で興行予定が立たない団体と各ジムは、香港でのキックボクシングブームに乗って選手の遠征試合を重ねました。また時代を問わず、選手個人はタイへ修行に出掛け、たとえタイの田舎の無名なリングでも勧められれば臨んで出場していました。でも現在は、タイに入国も労働許可証を持った者のみと制限されている上、どこの国にも遠征することも難しい現状です」(堀田春樹 2020年4月26日)

滋賀医科大学附属病院問題において、不当判決がくだされた。

「4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件の判決言い渡しが、14日大津地裁で15時からおこなわれた」
「西岡前裁判長の転勤にともない、裁判長となった堀部亮一裁判長は『主文、原告らの請求をいずれも却下する』と飄々と短時間で判決言い渡しを終えた。退廷しようとする裁判官に向かい傍聴席から『ナンセンス!』の声が飛んだ」
「この事件の期日には、これまで『患者会』のメンバーが裁判前に集合し、大津駅前で集会を行ったのち傍聴を埋めるのが常であったが、判決日は折からの『新型コロナウイルス』への配慮から、『患者会』は集会や傍聴の呼びかけをおこなわなかった。したがって本来であれば判決を裁判所の外で待ち受けていたであろう、約100名(毎回裁判期日には100人ほどの人が集まっていた)の姿はなく、静かな法廷のなかで冷酷無比な判決言い渡しの声が響いた」(田所敏夫 2020年4月16日)

「紙の爆弾」が創刊15年をむかえた。東西で祝賀パーティーが開かれ、同誌の役割の大きさが確認された。

「15年前の4月7日、『紙の爆弾』は創刊いたしました。2005年のことです。新卒で入社した中川志大(創刊以来の編集長)は、『噂の眞相』休刊(事実上の廃刊)後、約1年間、取次会社に足繁く通い、取得が困難とされる「雑誌コード」を取得し、『紙の爆弾』は創刊いたしました。創刊号巻頭には、悪名高い「〈ペンのテロリスト〉宣言」が掲載され、独立独歩、まさに死滅したジャーナリズムとは違った道を歩み始めました。創刊部数は2万部でした。4月7日、『紙の爆弾』創刊15周年! 創刊直後の出版弾圧を怒りを込めて振り返ると共に、ご支援に感謝いたします!」(松岡利康 2020年4月6日)

コロナ禍のなかで、路上生活者には過酷な日々が続いている。新宿における生活防衛の闘いをのレポートを引用する。

「新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、東京都はネットカフェにも休業を要請した。安定した住居を持たずネットカフェなどで生活する『ネットカフェ難民』は、2018年から2019年にかけての東京都の調べによると約4000人。文字通り路上生活を余儀なくされている人に加え、24時間営業のファストフード店やネットカフェが休業してしまえば、そこで寝泊まりする人々が路上にたたき出されてしまう恐れがあった。そこで、ホームレス支援30団体以上が協力して『新型コロナ災害緊急アクション』を結成。東京都に緊急支援を要請してきた。その結果、施設休業で済む場所を失った人をビジネスホテルに一時滞在できるようになっていった。……中略…… コロナ災害の状況では、就職先が確保されたなどというのは少数で、多くの人は野宿を強いられている可能性がたかい」(2020年林克明 2020年6月26日)

(下半期につづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

《2020年死刑問題トップ5》東京五輪が終わるまで死刑執行はなし? オウム死刑囚大量執行に携わった上川陽子氏を法相に再任させた菅義偉政権の思惑

昨年来、「東京五輪が終わるまでは死刑執行はないだろう」と言われていたが、その東京五輪自体が無くなってしまい、本稿を書いている時点では、今年は久々に「死刑執行ゼロ」で終わりそうな気配だ。

死刑関連の重要な判断を立て続けに出した大阪高裁

しかし、それでも死刑関連の話題は今年も色々あった。その中から重要な話題トップ5を選定した。

◆今年もあった死刑判決の破棄!

まず5位。淡路島5人殺害事件の平野達彦被告が1月に大阪高裁であった控訴審判決で、第一審裁判員裁判の死刑判決を破棄された話題を挙げておきたい。

筆者は過去、平野被告と面会したり、その裁判員裁判を傍聴したりしていたが、事件の背景に国家的な陰謀があるように訴える平野被告は明らかに重篤な精神障害者だった。今回の控訴審判決は平野被告の完全責任能力を否定し、減刑したものであったから、事実に忠実な判決ではあった。

この種の事件では、これまで裁判官が無理な理屈で強引に被告人の完全責任能力を認め、死刑判決を宣告してきたが、近年は他にも熊谷市の6人殺傷事件など被告人の責任能力が厳格に判断され、死刑が回避されるケースが増えている。

平野被告の死刑が回避されたことによりこの流れがいっそう強まりそうな予感がする。


◎[参考動画]男女5人刺され死亡 兵庫・淡路島(共同通信2015年3月9日)

第4位は、大阪高裁が11月、寝屋川中1男女殺害事件・山田浩二被告の控訴取り下げを有効だと認める決定をしたことだ。山田被告は2018年12月に大阪地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けたのち、自ら控訴を取り下げて死刑を確定させた。さらにその後、弁護人の異議申し立てにより控訴取り下げが無効との決定を受けながら、再び自ら控訴を取り下げていた。

異例の経過をたどり、これで今度こそ山田被告の死刑が確定する公算が大きいが、弁護人が異議を申し立てており、死刑が確定するか否かの土俵際での応酬はもう少し続きそうだ。


◎[参考動画]遺体は不明の中1少女 大阪・高槻の殺人死体遺棄事件(共同通信2015年8月18日)

◆「官邸の守護神」と呼ばれた男とオウム死刑囚大量執行の関係

第3位は、相模原大量殺傷事件の植松聖死刑囚が3月に死刑確定したことだ。裁判が始まる前、植松死刑囚と面会していた筆者は当欄で何度か植松死刑囚の実像を紹介している。知的障害者を大勢殺害したことから、「差別主義の身勝手な殺人犯」として報じられてきたが、実際には、植松死刑囚は自分が正しいことをしていると本心から思っており、要するに善悪の基準が常人と異なる人物だった。

このような植松死刑囚の実像がメディアでは十分に報じられているとは思えず、第3位に選定した。なお、植松死刑囚の実像を知りたい方には、笠倉出版社から出ている拙著『平成監獄面会記』、その漫画化版である『マンガ「獄中面会者物語」』(画・塚原洋一)を参照して頂きたい。


◎[参考動画]植松聖被告に死刑判決(テレビ東京2020年3月16日)


◎[参考動画]【Nスタ】植松聖被告に死刑判決、遺族「19の命を無駄にしない」
(TBS2020年3月16日)

第2位は、安倍政権下で「官邸の守護神」と呼ばれた黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀による失脚だ。「それが死刑と何の関係が!?」と思われた方もいそうだが、実は黒川氏は在職中、ある重大な死刑関連の任務に携わっていた。それは、麻原彰晃元死刑囚をはじめとするオウム死刑囚13人の大量執行だ。

2018年にあの大量執行があった際、黒川氏は法務省の事務方トップである事務次官の地位にあった。法務大臣や全国各地の検察、拘置所などと連絡を取り合い、死刑執行全般を取り仕切る役割を務めたとみて間違いない。

この黒川氏が前評判通り、東京高検検事長の次に法務・検察の最高位である検事総長に就任していれば、死刑執行のペースが上がっていたように思われる。黒川氏の失脚は、そういう意味で死刑関連の重要なトピックだ。


◎[参考動画]高検検事長の『定年延長』は安倍政権の“守護神”だから?立憲・本多議員が追及(テレビ東京2020年2月5日)


◎[参考動画]黒川検事長が辞任へ 森大臣「賭博罪にあたる恐れ」(ANN2020年5月21日)

◆来年は次々に死刑執行がある? 帰ってきた「あの人物」

そして第1位は、菅内閣で上川陽子氏が再び法務大臣に就任したことだ。上川氏が法務大臣を務めるのは4回目だが、これまでも在任中は上記のオウム死刑囚13人の死刑を執行したほか、あの有名な闇サイト殺害事件の神田司死刑囚や、犯行時に少年だった市川一家4人殺害事件の関光彦死刑囚らを次々に絞首台に送ってきた。

今年は東京五輪が無くなっても、コロナ禍で拘置所職員に負担をかけたくないためか、このまま死刑執行が一件もないまま年が明けそうだ。そんな状況下、法務大臣に上川氏が再任されたのは、菅義偉首相が「来年はまたどんどん死刑を執行したい」という思惑を抱いていることを窺わせる。

オウム死刑囚を大量執行した上川氏が再び法務大臣に……(法務省HPより)


◎[参考動画]闇サイト事件、死刑執行 名古屋で女性会社員殺害(共同通信 2015年6月25日)


◎[参考動画]元少年の死刑20年ぶり執行 群馬の3人殺害も、上川法相が命令(共同通信2017年12月19日)


◎[参考動画]慎重に執行の準備進めた法務省 大臣が説明会見へ(ANN 2018年7月6日)


◎[参考動画]オウム元幹部の死刑執行で会見する上川陽子法相(朝日新聞2018年7月26日)


◎[参考動画]【菅内閣発足・閣僚記者会見】上川陽子法相(時事通信2020年9月18日)

◎片岡健が選んだ《2020年死刑問題トップ5》と関連記事

【1】菅内閣で上川陽子氏が再び法務大臣に就任
・とんでもないことをするかも内閣 菅政権の発想が浅薄すぎる件について(2020年10月27日 横山茂彦)
・菅義偉政権が推し進めるマイナンバー制度強行普及の不気味 国民ナンバリングこそが独裁権力の本質である(2020年12月9日 横山茂彦) 

【2】安倍政権下で「官邸の守護神」と呼ばれた黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀による失脚
・黒川元検事長を訴追せよ! 検察の自浄作用こそ、民主主義を担保する(2020年6月2日 横山茂彦)
・黒川氏は氷山の一角! 検察庁法改正案に反対した松尾邦弘氏をはじめ、検察は天下りでもマスコミとズブズブ(2020年6月17日 片岡健)

【3】相模原大量殺傷事件の植松聖死刑囚が3月に死刑確定
・相模原障害者施設殺傷事件とマスコミ「植松聖は絶対悪だ」と言えるのか?(2018年5月30日 片岡健)
・報道によって別人のように変わる相模原殺傷事件・植松聖被告(2019年8月2日 片岡健)
・相模原殺傷事件裁判:マスコミが伝えない「植松聖に関する重要な情報」(2020年1月30日 片岡建)

【4】大阪高裁が、寝屋川中1男女殺害事件・山田浩二被告の控訴取り下げを有効と認める決定
・寝屋川中1男女殺害事件犯人、面会室や手記で見せた実像(2019年6月21日 片岡健)

【5】淡路島5人殺害事件の平野達彦被告が1月に大阪高裁であった控訴審判決で、第一審裁判員裁判の死刑判決を破棄
・淡路島5人殺害事件へのコメントを控える元祖「集スト被害」殺人犯の見識(2015年4月30日 片岡健)
・《2020年展望・死刑》最大の注目は一審死刑の淡路島5人殺害事件の控訴審判決(2020年1月6日 片岡健)
《死刑破棄殺人犯の実像1》真顔で「政府の陰謀」を訴えた淡路島5人殺害犯(2020年2月6日 片岡健)

◎[カテゴリー]片岡 健 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=26
◎[カテゴリー]司法と冤罪 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=13

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の最新第14話では、会津美里町夫婦殺人事件の高橋明彦を取り上げている。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

新型コロナに襲われて、興行が激減したキックボクシングの2020年を回顧する!

◆2月28日、興業の中止・延期が始まった

世界中が凍り付いた新型コロナウィルス蔓延。日本においては2月26日に安倍首相(当時)が、スポーツや文化に関するイベントの中止や延期を要請しました。プロボクシングはJBC(一般財団法人日本ボクシングコミッション)より、翌日には28日からの3月31日までの興行を中止または延期とし、各プロモーターに通達しました。

クラスターが発生したルンピニースタジアム(画像は2015年撮影)

キックボクシングは統一管轄機関がないため、自粛要請を受け入れない事態もあり、当初は各イベントによって対応が分かれました。中止が長引く中、8月半ばから観衆50パーセント以下の制限と会場入口に消毒剤の設置、主催者とマスコミ関係者は会場に入る際もコロナ抗体簡易検査や検温が実施され、リングサイド関係者はマスクとフェイスシールド着用が義務付けられる処置を決行。これらは昨年末には誰もが想像し得なかった初体験。規制がやや緩い団体もありますが、この体制は延々と続いています。

これで何とか興行再開となったものの、興行収益は激減。その後はクラウドファンディングや、有料生配信という体制も増えていきました。

石毛慎也はコロナで防衛戦出来ずに返上か(写真は2019年11月28日の獲得時)

これで国内は何とか興行は続くものの、困ったのが日本人ムエタイ殿堂チャンピオン。タイでは3月6日のルンピニースタジアムで集団感染が発生し、タイ政府は3月10日以降、スタジアムやジムの閉鎖に踏み切りました。

2019年11月28日に、現地で日本人9人目の殿堂王座、ラジャダムナンスタジアム・ミドル級王座獲得となった石毛慎也(ライラプス東京北星)の場合、戴冠後初の試合をノンタイトル戦ながら3月15日、ラジャダムナンスタジアムにて予定されていましたが突如中止。

5月に予定されていた初防衛戦も開催見込みが無くなり、興行権を持つプロモーター(シェフブンタム氏)がラジャダムナンスタジアムを離れた為、石毛慎也はこのまま王座返上となる見込みという。

タイは実質軍事政権と言われ、こういう緊急事態の際には統制が取れて規制厳しく、その効果で感染者激減に伴い、7月4日にはオムノーイスタジアムで無観客興行が始まり、ラジャダムナンスタジアムも続いて15日から無観客興行が暫く続きましたが、ルンピニースタジアムは集団感染発生地でもあり、延々閉鎖が続いています。
その後も感染者小康状態が続き、平常に戻りつつあったタイでしたが、12月に入ると22日までにサムット・サコーン県の海産物市場で再びコロナウィルス集団感染が起こったため、政府は再び厳戒態勢。高リスク地域を封鎖した模様。

ムエタイ興行も23日から再び中止に陥った様子です。3月の時は厳戒態勢で感染者が激減した効果もあるので今後もその効果が期待されます。

本来のラジャダムナンスタジアム。ギャンブラーが居てこそ盛り上がる
藤本会長の勇姿。勝次は伊原信一氏のもとで藤本ジムを引き継いだ(2016年12月11日)

◆5月5日、キックボクシング創生期からの最古参、藤本勲会長永眠

コロナに関係なく、今年の一番印象深いのは、5月5日に78歳で永眠された藤本ジム会長の藤本勲氏。経歴はすでに何度か掲載しているので省きますが、1966年に日本初のキックボクシングジムとしてスタートした目黒ジムは1998年に藤本勲氏がその伝統を受継ぎ、その後も多くのチャンピオンを誕生させてきましたが、数年前から患った多臓器の病が悪化し、前年12月8日には勇退式を行ない、その後もジムには顔を出す程度でしたが、やがて継続困難となり、2020年(令和2年)1月30日をもって閉鎖されていました。

前身の野口ジムからの、下目黒の聖地を閉鎖することには、その後継者がいなかったことはまた別事情があり、所属していたチャンピオンと主なランカーはそれぞれが選ぶジムに移り試合出場を果たしています。創生期を知る藤本氏、「もっと話を聞いておけばよかった」「また食事にお誘いしたかった」等、我々から見ればやり残したこと多く、その存在感は改めて大きかったと失望感が漂いました。

◆キック界は「打倒!那須川天心」を中心に回っている

キックボクシング界の中心人物、那須川天心(2016年12月5日)

プロボクシングでは井上尚弥が中心、キックボクシング系では那須川天心が中心に回ったのは今年だけではなく、ここ数年続いていますが、格闘技界の構造もかなり変わってきたもので、今に始まったことではないものの、K-1、RIZIN、RISE、KNOCK OUT等のビッグマッチを興すイベント興行会社が徐々に増えつつある時代です。

そこで話題の強者が集約されたトーナメント戦で頂点を極めることが定着。その中のひとつに那須川天心に挑戦する為のトーナメントも行われている現状。そういうイベントに呼ばれるが為のアグレッシブな試合と、目立つ発言を起こし話題を集めた選手が出場、注目されるというのが今の時代でしょう。

◆既存の協会、連盟といった団体の存在感

今後、長き歴史を持つ各団体も存続していくことでしょう。しかしここでチャンピオンになってもすぐ返上する選手が多く、 “元チャンピオン”の肩書でも、そこから落ちることなく通用するキックボクシング界。その先に選手が目指すK-1、RIZIN、RISE、KNOCK OUT等があると、既存団体はもうすでに日本タイトルとは言えないローカルタイトルに成り下がっている状況でもあります。

さらには分裂を繰り返し乱立するより、フリーになった方がいいというジムが現れるのもこの時代でしょう。その既存の各団体も、今年はコロナウィルス蔓延による活動が制限された年であり変化は少なかったものの、今後コロナが収束に向かうならば、2021年はまた各団体の在り方に変化が見られるかもしれません。本来あるべき姿が協会や連盟という団体。そこに権威が増すことも各団体が今後、目指さなければならない頂点でしょう。

ビッグイベントは音響、照明、ゲストまで豪華に演出される大舞台

◆11月19日、格闘技振興議員連盟が発足 2021年はどうなるか?

2015年にスポーツ庁が設立し、2020年11月19日には超党派で「格闘技(プロレス・総合格闘技等)振興議員連盟」が発足しました。https://sp.njpw.jp/270525名声有るお方からの理想論としても、「統括するコミッションができたらいい」という発言が出て、それは10年前なら夢物語でも、今後何らかの形で進展するかもしれないのが2021年からの10年間かもしれません。

まずコロナウィルス蔓延が収束に向かわねば興行が儘ならず、ジム運営も規制が掛かれば競技そのものが成り立たなくなるので、2021年はただひたすら以前のような興行が行なえることを目指し、選手が安心して練習と戦いの場が与えられることが先決されるでしょう。

有料生配信、実況・解説は自前の選手とマッチメーカーという新たな挑戦(2020年12月12日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他