2016年鹿児島県川内原発爆発事故に端を発する「JAPAN CHAOS」により、日本国は終焉した。娘の遥(はるか)と妻を懸命に引きつれロシアから中米のこの国に渡った私たちは難民だ。

FUKUSHIMA2011

昨年末、妻が急逝した。乳がんだった。今年は遥と二人だけで9回目の新年を迎えた。とはいってもこの国にはかつての日本で盛んであったような「新年」を祝う習慣は無い。亡命直後はそれでも妻が雑煮を作ったり、遥かには「お年玉」を渡したりしていたが、それが娘にとってこの環境に馴染むのには好ましくない、私たちだけのノスタルジーだと気がついた6年前から新年を祝う旧日本的な行為はすべてやめることにしている。

この国では2020年から「2000年以降に開発された科学技術(とりわけ電子技術)の大半は、本来的な人間の生活に資するものではない疑いがあることから、暫時使用の取りやめを勧奨する」という、世に言う「反進歩主義法(反デジタル法)」が施行されている。国民内で喧々諤々の議論の末に成立した稀代の「反進歩主義」に立脚したこの世界でも例を見ない法精神に、この国の先住民たるインディオ(インディアナ)の生活則が強く反映されていることは疑いない。

しかし、政治的に強い影響力を持たないインディオ(インディアナ)の古い習慣に中央政府が耳を傾けた理由には、米国のデフォルト及び中国の内戦勃発という激震と、この地にたどりついた我々、日本からの難民に極めて高い確率でがんが発症し出したことを直視したことも強く影響している。現実的課題として資本主義の終焉、原発をはじめとする巨大エネルギーとコンピューターテクノロジー(デジタル技術)の無限発展への懐疑と危険視が大衆の心も捉えたのだ。

私たちは強制はされてはいないものの、2030年までに「携帯電話」と「インターネット」の使用を停止するように求められている。医療分野だけは例外的に2000年以降の技術の導入も認められているが、難民である我々より先に、この国の住人の多数は既に自宅からパソコンを取り払い、家族で1台だけ非常時用に携帯電話を保持する「Emergency Usage」を難じることなく受け入れ始めている。政府の決定とはいえ、差し当たり「不便」が伴うことが明白な「反進歩主義法」への住民の理解と即応振りに、私は正直かなり驚いた。

KAGOSHIMA2015

昨年9月妻に乳がんが見つかり、医師からは余命が幾ばくも無いことを伝えられた。何の兆候も感じていなかった妻はもちろんのこと、私も大いに動揺した。遥に母親の余命を伝えるのはあまりにも過酷だと判断した私は、「反進歩主義法」の精神に背いて、スイスの最先端医療機関に妻を搬送した。もちろん遥も同行させた。金銭的に窮乏状態にある私たちが妻の治療を高額なスイスの医療機関に委ねることができたのは、皮肉にもこの国の「反進歩主義法」への反感を強く内包する「日本人難民会」の経済的支援によってであった。そして妻の乳がん発症は川内原発爆発事故直後の初期被爆が原因であることが改めて医師から指摘された。

私自身の思想や主義(そんなあからさまなものはもとより無いのだけれども)とは関係なく、娘の母親を失わせたくないとの思いの前で、普段は付き合いもそこそこの「日本人難民会」から膨大な援助を受けることに私は躊躇しなかった。

だが、妻が最新の医療技術で処置に当たっても余命が数週間だとスイスの病院で通告を受けたとき、私は腰から力が抜けた。ステージ3だか、4だか確かに中米の国では「治療困難、余命半年」を言い渡されたとき、私の心にはまだ、進歩する(はず)の技術への信仰とも言うべき思考性癖が残っていたのだ。私たちが難民として暮らす国民平均年収の20倍を超える金額を、躊躇無く受け取った私は遅まきながら、妻の葬儀後喪失感とともに、自己嫌悪に陥った。もうこの国で難民として暮らす資格なんか無いと思いつめ、教会へ懺悔に赴いたり、仕事を休み午前中から酒に浸るようになった。

あっさりしていて実は隣人の生活に良くも悪くも興味を失わない国民性など、私の頭からはすっかり吹き飛んでいた。遥を学校に送り出したあと、私は連日この国特有の度数が高い酒精を煽りだしていた。

ドアがノックされたのは酒精のビンが大方1本空になりかけた頃だっただろうか。半分うつろで吐息にたっぷりと蒸留酒の臭いを含んでいたはずの私がドアを開けると、立っていたのは差し向かいの奥さんだった。先住民とスペイン人の混血だが先住民の血の濃さが強く残る彼女の名前は記憶に間違いが無ければ「ケチュア」さんだったはずだ。

「タドコロさん、奥さんが亡くなってから町内の皆が心配しています。昨夜町委員会でどうしたらタドコロさんが元気になるか議論しました。もしお願いできたら今年の『町委員長』を引き受けてもらえないか、と結論が出ました。もちろん難民は法律上『町委員長』にはなれませんから、役所への名簿にはうちの主人の名前を載せます。でもこの町内を今年はタドコロさんに任せたい、と結果が出ました」

いったい何を考えているのだ。立っているだけでまともに受け答えができない私は答に窮した。ケチュアさんは続けた。

「タドコロさんは急に奥さんをなくしてとても気の毒だし、落ち込んでいる。きっとスイスに行ったことにも複雑なお気持ちがあるでしょう。私たちはタドコロさんが『日本人難民会』から支援を受けたことを知っていますが、誰もそれを責めてはいません。何故だかわかりますか?」

親切な配慮のようで油断のならないこの質問に泥酔状態の私は窮した。

「タドコロさんはオオタリュウを知っていますね。ご存じないかもしれませんが『反進歩主義法』は表向き私たちの先祖インディオ(インディアナ)の思想回帰の形を基礎としていますが、政府はオオタリュウの思想を詳細に検討しているのです。オオタリュウと会ったことがあるんですよね、知り合いだったのですね、タドコロさん?」

私の酔いは瞬時に醒めた。「待ってくれ、オオタリュウ(大田竜)の名前を知らないわけじゃない、彼の大雑把な思想変遷もまったき不案内なわけではないけども、私は彼と生きている時代も世界も違った。私がオオタリュウと知り合いだなどといったい勘違い(虚言?)をいったい誰が・・・」とまくし立てようとしたが言葉が出なかった。

「こんな言い方は失礼ですが、物質文明と経済発展だけに狂って破綻した『日本』を政府も、私たちも実はとても真剣に考えているんです。明日の私たちの姿と重ねながら。そこから生まれたのが『反進歩主義法』なのです。でも破滅した『日本』の中にオオタリュウやアンドウショウエキ、タナカショウゾウ、フジモトトシオといった優れた思想があったことはとても興味深い事実です。だからタドコロさんにはその思想をこの町内で教えてほしいのです」

もう私は完全に体温が下がりはじめていた。たしか「笛」を意味するはずの名前を持つ差し向かいの奥さんがただの主婦ではないことは明白だ。普段口数少ないこの主婦が政府の情報機関に関する仕事をしていることは間違いない。それにしても40年前の日本の公安が監視対象としていたような(それにしては人選が相当大雑把な)人物を政策立案の参考にするこの国はいったい何を考えているのだ。彼女が口にした人物たちが生きたのは時代も異なり思想にも相当開きがある。それ以上に私からは晩年思想的に破綻したとしか思われない人間の名前が重宝されている。

本当に「反進歩主義」など実現できると思っているのだろうか。

その時、遥が帰ってきた。「こんにちは、ケチュアさん。お父さんまたお酒臭いよ。だらしない。お母さんは神様の下に召されたんだから、いつまでも落ち込んでいちゃだめ! 私ね、今日嬉しいことがあったんだ。クラス討論の時間にお母さんの最期の話をしたのね、そしたら学校で3人しかいない『反進歩主義法』討論委員に選ばれたんだよ!今からお母さんのお墓に報告に行ってくるね。いいでしょ?」

「ああ、それは良かった、気をつけて行っておいで」私は虚ろに答えた。
ケチュアさんが口を開いた。
「ハルカさんは元気そうで良かった。タドコロさん。私たちは本気で『反進歩主義法』を進めたいと考えているのです。それにその先に…… もし可能ならこの国家を終わりにしたい……」

彼女の言葉を全て信じたわけではない。でも、難民として受け入れられてからこの国が私たちに与えてくれた厚遇は、豊かではない国家財政の中で破格というべきものだった。そこには何らかの打算や損得勘定を感じさせるものは一切なかった。

「わかりました、私でよかったらお引き受けしますよ」

自分でも驚くほど無謀な答えが口から飛び出した。急速に脳が回転し始めた。どんな結果になるにせよ近代の反省に立脚する「反進歩主義」の壮大な社会実験に俄然興味が沸いてきた。自分が難民であることも忘れた。娘が討論委員に選ばれたのが政府の恣意か偶然かもどうでも良い。本気かどうかわからないが「それにその先に……もし可能ならこの国家を終わりにしたい……」は、抗いがたい魅力に満ちている。

生きる目的を数十年ぶりに与えられた気がする。2026年は「反進歩主義」から「国家の終焉」を夢見て働くことができる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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「脱原発」×「反戦」の共同戦線誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!